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ネパール国
नेपाल राज्य
ネパールの国旗 ネパールの国章(求画像)
国旗 (国章)
国の標語:जननी जन्मभूमिष्च स्वर्गादपि गरियसि
ラテン文字転写: Janani Janmabhumishcha Swargadapi Gariyasi
(サンスクリット語: 祖国は天国より素晴らしい)
国歌Ras Triya Gaan
ネパールの位置
公用語 ネパール語
首都 カトマンズ
最大の都市 カトマンズ
政府
国王 ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ
首相 ギリジャ・プラサド・コイララ
面積
総計 140,800km293位
水面積率 2.8
人口
総計(2004年 27,070,666人(40位
人口密度 192人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2005年 5,398億ネパール・ルピー
GDP(MER
合計(2005年66億ドル(114位
1人あたり xxxドル
GDP(PPP
合計(2003年380億7,000万ドル(77位
1人あたり 1,400ドル
全土統一1768年
通貨 ネパール・ルピーNPR
時間帯 UTC(+5:45) (DST:なし)
ISO 3166-1 不明
ccTLD NP
国際電話番号 977

ネパールは、南アジア王制。首都はカトマンズヒマラヤ山脈の南側のふもとに位置し、インド中華人民共和国に隣接する。なお、東のブータン王国とはインド・シッキム州によって隔てられている。

国名

暫定憲法による正式名称は、ネパール語デーヴァナーガリー文字で、नेपाल राज्यラテン文字転写表記は、Nepāl Rājya

公式の英語表記は、State of Nepal。通称、Nepal

日本語の表記は、ネパール国又はネパール。通称、ネパール

歴史

聖人ナイア・ムニがカトマンズの谷を乾かし、子孫に住まわせたことに始まると伝えられる。

  • 紀元前6世紀 - ネパールはインドと交流があり、仏教はネパールから広がった。
  • 紀元前3世紀 - インドのアショーカ王がブッダ生誕の地である南ネパールに巡礼を行った。
  • 4世紀 - リッチャヴィ王国が成立した。チベットと文化的、経済的、政治的の密接な交流があり、宗教・商業上の中心地として繁栄した。
  • 10世紀以降、マッラ王朝が統治した。
  • 1450年ごろ、三王朝に分裂した。
  • 1768年 プリトゥビ・ナラヤンがグルカ勢力を率いて、ネパールを統一し、現王朝(シャー朝)を作る。
  • 1814年 - 1816年 グルカ戦争
    • イギリスと三度にわたる戦争の結果敗北(3回目で敗北)。かなりの領域をイギリスに奪われ、現在のヒマラヤ山麓の国境ラインに落ち着いた。敗戦の結果ネパールはイギリスの保護国となり、グルカ兵部隊をイギリスに提供することが義務づけられた。これが現在まで続き、インド独立後は英印両国に毎年グルカ兵を提供。国内知識階級ではこのことへの反発が強い。
  • 1846年 - 1951年 ラナ一族出身の宰相による支配。
  • 1951年 立憲君主制を宣言。
  • 1990年 国民主権をうたった新憲法制定。
  • 1996年頃~ ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)が王制を打破すべく、「人民戦争」と称した反政府活動を活発化。
  • 2001年 - ネパール王族殺害事件ギャネンドラが王位につく。政変により議会停止。
    以後、国王派・議会派・マオイストによる混乱状態。
    実質的には武力のない議会派に力はなく、国軍を掌握する国王派とマオイストによる内戦が続き、政府支配地域とマオイスト支配地域に分かれている。
    アメリカが国軍を支援。農村部へ自衛用に武器を供給するなどしているが、武装した農民がマオイストに合流するなど混乱に拍車をかける結果ともなっている。
  • 2004年8月 - イラクで労働者12人が武装勢力に殺害される。政府が海外労働者の保護を怠ったとして、市民が暴動を起こした。
  • 2005年2月 - 再度の議会・内閣停止。絶対君主制を導入、非常事態宣言(実質上の戒厳令)。4月末日で解除。
  • 2006年4月24日 - 高まり続く民主化闘争に、国王が「直接統治断念。国民への権力移譲。議会を復活」と発表し、政党側に首相推薦を要請。27日、コイララ新政権が発足。
  • 2006年5月18日 - 国会が国歌変更と政教分離を満場一致で決定。
  • 2006年11月21日 - 政府とマオイスト、無期限停戦と和平を誓う「包括和平協定」に調印。
  • 2007年1月15日 - 下院、暫定憲法発布。その後、下院は解散した。
  • 2007年1月23日 - 国連安保理国連ネパール支援団(UNMIN)を設立する安保理決議第1740号を全会一致で採択。
  • 2007年2月 - ネパール南東部では、マドヘシの抗議が続いており、少なくとも21人が死亡。
  • 2007年4月1日 - 暫定政府発足。

政治

詳細はネパールの政治を参照

事実上の絶対君主制(憲法上は立憲君主制)から暫定的に象徴国王制へ移行。国王は国家元首としての地位を事実上失い、当面は首相がその地位に着くこととなる。今後政体は制憲議会で決定される方向だが、象徴君主制として王制を維持したい民主派諸党と共和制移行を望む過激派の共産党毛沢東派の間で意見対立している。国号は「ネパール王国」から「ネパール国」に変更され、在外公館の表記からも「王国」が削除された。王室を讃える国歌を廃止し、王室と結びついたヒンドゥー教は国教としての地位を失った。国王は、国軍統帥権を失い、政府も「国王陛下のネパール政府」から「ネパール政府」に変更された。

2007年6月20日に行われる予定だった制憲議会選挙は準備不足のため11月22日に延期された。与党ネパール会議派は他の諸派から提案されていた王制廃止に、この議会で賛成する事を表明。

リンク先を参照。

地方行政

ネパールの県

5つの州の下に、14の県にわかれている。右図の数字はアルファベット順に並べている。

ネパールの州と県

極西州
マハカリ県 (9), セティ県 (14)
中西州
カルナリ県 (6), ベリ県 (2), ラプティ県 (12)
西部州
タウラギリ県 (3), ガンダキ県 (4), ルンビニ県 (8)
中部州
バグマティ県 (1), ジャナクプル県 (5), ナラヤニ県 (11)
東部州
サガルマータ県 (13), コシ県 (7), メチ県 (10)

地理

ネパール地図

ネパールの主な都市

経済

国民

30以上の民族からなり、各民族はインド系、チベット系、中央アジア系の3つの系統に分かれる。主な民族に、ネワール族、グルン族、マガリ族、タマン族、ライ族、リンブー族、シェルパ族がある。

公用語はネパール語である。人口の90%がネパール語を話すことができる。他に12の言語があり、30の主要な方言がある。英語も広く使用されており、教育機関は英語を教授言語とするものも多い。

宗教はヒンドゥー教が86%、ルンビニを釈尊の生誕地とする仏教は8%である。イスラム教キリスト教の信者も少数ながら存在する。

文化

祝祭日

日付 日本語表記 現地語表記 備考
xx月xx日 祝日 holiday ……

世界遺産

ネパール国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が2件、自然遺産が2件ある。詳細は、ネパールの世界遺産を参照。

ネパールと日本の文化交流

現在、ネパールと日本との友好関係は良好である。

2006年1月には、日本の子供達の「夢と希望」がテーマである絵画によって、カトマンドゥ市で日本の子供達の「夢と希望」のアート空間が国立シャンティ・ニクンジュ・ハイスクールと私立トリヨグ・ハイスクールの校舎を使って製作された。また、同年9月には、首都カトマンズの約500人の子供達の”夢と希望”の絵画が日本に送られネパールの子供達の「夢と希望」の空間が製作されるなどの文化交流などがある。

関連項目

外部リンク

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