近鉄百貨店

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株式会社近鉄百貨店
KINTETSU Department Store Co., Ltd.
ロゴ
種類 株式会社
市場情報
本社所在地 日本の旗 日本
545-8545
大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋一丁目1-43
あべのハルカス
設立 1934年9月29日(株式会社丸物)(注1)
業種 小売業
法人番号 3120001098201 ウィキデータを編集
事業内容 百貨店業
代表者 代表者取締役社長執行役員 秋田拓士
資本金 150億円
売上高 単体2,585億円
連結2,834億円
(2020年2月期)
営業利益 単体36億円
連結45億円
(2020年2月期)
純利益 単体25億円
連結32億円
(2020年2月期)
純資産 単体348億円
連結388億円
(2020年2月末現在)
総資産 単体1,200億円
連結1,305億円
(2020年2月末現在)
従業員数 単体1,677名(2020年2月末現在)
決算期 2月末日
主要株主 近鉄グループホールディングス株式会社 63.12%
日本トラスティ・サービス信託銀行(株)(近畿日本鉄道退職給付信託口) 3.57%
(2020年2月末現在)
主要子会社 株式会社近鉄友の会
シュテルン近鉄
関係する人物 中林仁一郎(丸物創業)
野田順弘(元社員)
佐野正幸 (元社員)
Ms.OOJA(元中部近鉄百貨店社員)
外部リンク www.d-kintetsu.co.jp
特記事項:注1:2001年(平成13年)2月28日に株式会社京都近鉄百貨店が(旧)株式会社近鉄百貨店を吸収合併し現商号「株式会社近鉄百貨店」に変更した。創業は1920年(大正9年)1月の京都物産館。
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株式会社近鉄百貨店(きんてつひゃっかてん、: KINTETSU Department Store Co., Ltd.)は、日本の百貨店の一つ。近鉄グループの主要企業。本社・本店は大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43。旧・丸物時代から続き大阪証券取引所第1部(2013年7月16日から東京証券取引所第1部)に株式コード8244で上場する。

概要[編集]

前身は、1920年1月に創業した百貨店京都府京都市が発祥の地の「丸物」(まるぶつ)をルーツとする旧京都近鉄百貨店と、近畿日本鉄道の直営百貨店部門から分離し発展した旧近鉄百貨店に分かれる。親会社の近畿日本鉄道(近鉄)は三菱グループと密接な関係を持つが、近鉄百貨店は大輪会の会員企業である[1]

旧京都近鉄百貨店[編集]

旧京都近鉄百貨店の前身・丸物は、中林仁一郎によって創業された。創業時は「京都物産館」という名前だったが、そのマーク(○の中に物産館の「物」)と他地域への出店とがきっかけになり1931年に「丸物」に改称した。その後、最盛期には東京・池袋駅ビル(現在のパルコ本館)などにも東京丸物として店舗を展開していた。2012年2月29日に閉店した枚方店も元は「枚方丸物」であった。中林の死後経営が悪化し、1966年4月に近畿日本鉄道の資本参加を受けて近鉄グループ入りする。

最終的に岐阜店と本店の2店が残ったものの、経営状態は悪いまま推移した。本店については京都駅前に立地していることを意図した「FRONT KYOTO まるぶつ」のキャッチコピーが掲げられてきたが、1977年に社名・両店名とも「丸物」から「京都近鉄百貨店」に変更され、「FRONT KYOTO」のキャッチコピーもやがて消えた。なお、枚方丸物(店名は「ひらかた丸物」)は京都近鉄百貨店とは別法人の「枚方近鉄百貨店」として近鉄グループ入りした後、1998年に近鉄百貨店に吸収合併された。

旧近鉄百貨店[編集]

旧近鉄百貨店は、近畿日本鉄道の前身である大阪電気軌道の直営で開業した上本町店と、旧大阪鉄道の子会社で開店した阿倍野本店を基幹としている。一時期は東京吉祥寺大分県別府にも進出するなど、各地に展開していた。しかし、遠隔地などの店は経営状態が悪かった。このため、橋本店(相模原市)や福山店の出店を断念し、不採算店だった別府店や東京店を閉鎖している。近畿地方においても比較的小型だった桜井店や西京都店は閉鎖した。


リストラの実施[編集]

京都近鉄百貨店でも岐阜店を閉鎖したが、残った京都店もジェイアール京都伊勢丹の開業で業績がさらに悪化した。このため、京都店を「プラッツ近鉄」に業態変更して、2001年2月28日に旧京都近鉄百貨店と旧近鉄百貨店は合併を行った。これは旧京都近鉄百貨店が旧近鉄百貨店を合併する形ではあったが、目的は経営が悪化していた上場会社の旧京都近鉄百貨店を、非上場の旧近鉄百貨店が救済する合併であった(いわゆる逆さ合併)。合併時に、商号を「株式会社近鉄百貨店」に改めるとともに本店を旧近鉄百貨店の本店に移している。この直後には丸物創業者の長男・中林仁良が取締役から降りたため、経営陣から丸物創業者一族がいなくなり、近畿日本鉄道のカラーが強まることとなった[2]

最古の店舗となった京都店は業態転換後も売上の改善が果たせず、2007年2月28日に閉鎖となった。渡辺節設計の文化財級名建築であった建物は2007年秋に取り壊されており、跡地にヨドバシカメラマルチメディア京都が2010年11月5日に出店した。2012年(平成24年)2月29日には枚方店も閉店し、丸物時代から営業していた近鉄百貨店の店舗は全て閉店した。また、2013年には別会社の近鉄松下百貨店、2014年には桃山店も閉店し、店舗の集約を図った。

また、経費節減策の一環として、2011年8月10日にエイチ・ツー・オーリテイリング(阪急阪神百貨店の親会社)と次世代情報システムの構築で提携することを発表した[3]

本店の建て替え[編集]

支店からの撤退を進めた一方、阿倍野本店では梅田や難波での商業施設の増床に対抗を図った。本館の西側(旧館)部分を改築して、あべのハルカス[注 1]を建設し、2014年2月22日に「あべのハルカス 近鉄本店」として、日本最大級の店舗として全館開業した[注 2]

また上本町店も、隣接の再開発ビル上本町YUFURAの開業に合わせて、一度全館改装が行なわれた。その後も都心回帰による若年層の人口増加など環境変化を踏まえ、テナントの誘致や食品フロアなどの改装を継続している。

新たな店舗づくり[編集]

大阪都心の2店舗に対し、地方・郊外の店舗でも新たな取り組みを実施している。2018年より、地域共創型の百貨店として、地域商社事業と称した取組みを開始。同年11月にオープンした奈良店地階の「大和路ショップ」を皮切りに和歌山店「紀州路ショップ」、四日市店「伊勢路ショップ」、草津店「近江路ショップ」の名称で地域産品を集めたコーナーを食品フロアに設けている[4]。もともとの地元名産品に加え、当社と地元生産者の協力で開発した新商品も販売することで地域の活性化や百貨店の新たな役割づくりを目指す。

百貨店のうち、東大阪店、生駒店、草津店、近鉄パッセ(名古屋店)については専門店の比率が高いため、ほかの商業施設と同じ「商業開発本部」が担当していたが、2021年5月28日の組織改正からは上本町店、橿原店についても同本部の運営に移管した。これにより、複合商業施設としてタウンセンター化を図り、専門店中心のローコストな運営体制となる[5]。本店、奈良店、和歌山店、四日市店については専門店の導入も行うが、百貨店中心の営業形態として引き続き「百貨店事業本部」が運営を行う。

2021年には大阪・関西万博の機運醸成を目的とする公募で「公式ロゴマークを使用した商品を企画、販売する事業者」へ選出され、公益社団法人2025年日本国際博覧会協会とライセンス契約を締結した。9月16日からは近鉄百貨店インターネットショップ・あべのハルカス近鉄本店に常設店舗を設置し、10月6日からは上本町店、奈良店、橿原店、和歌山店、四日市店でも販売を開始している。2022年6月ごろまで販売を行う予定となっている[6]

2022年春からは、あべのハルカス近鉄本店を順次改装し、百貨店の主力商品であったものの売り上げが低迷している衣料品売り場を3割減らす[7]。空いた売り場を活かして衣食住が混在したフロアを作り、消費者に全館を回遊させる店づくりによって従来の店舗構成からの脱却を目指している。他の9店舗についても25年2月期までにすべて同様に改装し、衣料品の売り場を減らす予定である。


沿革[編集]

あべのハルカス 近鉄本店(旧阿倍野本店)(タワー館:2013年5月撮影) 近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅と併設。
あべのハルカス 近鉄本店(旧阿倍野本店)(タワー館:2013年5月撮影) 近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅と併設。
四日市店(近鉄四日市駅と併設)
四日市店(近鉄四日市駅と併設)
和歌山店 (和歌山駅前)
和歌山店 (和歌山駅前)
名古屋店(近鉄パッセ、近鉄名古屋駅と併設/右奥に聳え立つのは名古屋駅を兼ねたJRセントラルタワーズ)
名古屋店(近鉄パッセ、近鉄名古屋駅と併設/右奥に聳え立つのは名古屋駅を兼ねたJRセントラルタワーズ
  • 1920年(大正9年)1月 - 京都物産館が京都駅前で創業。
  • 1920年(大正9年)2月 - 合名会社京都物産館設立。
  • 1926年(大正15年) - 大阪電気軌道(大軌・後の近鉄の直系母体)が上本町の大軌ビルディング内に直営食堂開業。同地下から3階まで三笠屋百貨店が開店[8]
  • 1930年(昭和5年) - 合名会社京都物産館が岐阜市柳ヶ瀬に支店開店。
  • 1931年(昭和6年)9月 - 「合名会社京都物産館」を「合名会社丸物」に商号変更。
  • 1934年(昭和9年)9月 - 「合名会社丸物」を「株式会社丸物」に改組(資本金150万円)。
  • 1934年(昭和9年) - 大阪鉄道(大鉄・現在の近鉄南大阪線などの当時の運営会社)、株式会社大鉄百貨店を創立。
  • 1936年(昭和11年)9月 - 大軌百貨店全館開業(上本町) 。
  • 1937年(昭和12年)11月 - 大鉄百貨店全館開業(阿倍野橋)。
  • 1941年(昭和16年)3月 - 大阪電気軌道参宮急行電鉄(参急・近鉄大阪線の多くや近鉄山田線などを当時運営していた大軌の子会社)を合併し、関西急行鉄道(関急)に社名変更。大軌百貨店は関急百貨店に改称。
  • 1944年(昭和19年)4月1日 - 関西急行鉄道は大阪鉄道を合併。大鉄百貨店は関急百貨店阿倍野店、関急百貨店は関急百貨店上本町店として再発足。
  • 1944年(昭和19年)6月1日 - 関西急行鉄道と南海鉄道(南海。1947年(昭和22年)に再度分離して現在の南海電気鉄道となる)が合併して近畿日本鉄道(近畿日本)が発足[注 3]。百貨店は「近畿日本鉄道上本町百貨店」と「近畿日本鉄道阿倍野百貨店」に名称変更[9]
  • 1945年(昭和20年)3月14日 - 空襲により阿倍野店罹災 。
  • 1948年(昭和23年) - 「近鉄百貨店上本町店」・「近鉄百貨店阿倍野店」と店名を変更[注 4]
  • 1949年(昭和24年)7月 - 株式会社丸物が大証1部に上場。
  • 1960年(昭和35年)9月 - 別府近鉄会館開業。
  • 1961年(昭和36年)7月1日 - 「別府近鉄会館」を「別府近鉄百貨店」に変更。
  • 1965年(昭和40年)4月 - 阿倍野店の第2次増築工事が完了。
  • 1966年(昭和41年)4月 - 株式会社丸物が近畿日本鉄道の資本参加を受ける[10]
  • 1969年(昭和44年)11月 - 上本町ターミナル整備の一環として上本町店の増築を実施。
  • 1972年(昭和47年)3月14日 - 奈良店開業(奈良ファミリー内)。
  • 1972年(昭和47年)6月1日 - 「株式会社近鉄百貨店」として分離独立。
  • 1974年(昭和49年)
  • 1977年(昭和52年)5月 - 「株式会社丸物」を「株式会社京都近鉄百貨店」に商号変更。
  • 1978年(昭和53年)10月5日 - 東大阪店開業。
  • 1982年(昭和57年)11月15日 - 西京都店開業(京都ファミリー内)。
  • 1983年(昭和58年)3月1日 - (株)近鉄百貨店が(株)東京近鉄百貨店を吸収合併。
  • 1986年(昭和61年)4月25日 - 橿原店開業。
  • 1988年(昭和63年)11月11日 - 阿倍野店増床。CIを導入しロゴマークを変更。
  • 1991年(平成3年)3月1日 - (株)近鉄百貨店が(株)別府近鉄百貨店を吸収合併。
  • 1991年(平成3年)4月12日 - 桜井店開業。
  • 1994年(平成6年)3月31日 - 桜井店閉店。
  • 1994年(平成6年)8月31日 - 別府店閉店。
  • 1995年(平成7年)2月28日 - 西京都店閉店。
  • 1995年(平成7年)3月 - 京都近鉄百貨店京都店が大規模に増床オープン。1997年に予定されていたJR京都伊勢丹を迎え撃つための措置であった。
  • 1996年(平成8年)11月26日 - 桃山店開業。
  • 1997年(平成9年)3月19日 - 生駒店開業。
  • 1998年(平成10年)9月1日 - (株)近鉄百貨店が(株)枚方近鉄百貨店を吸収合併。
  • 1998年(平成10年)9月19日 - 桔梗が丘近鉄百貨店開業。
  • 1999年(平成11年)9月30日 - 京都近鉄百貨店岐阜店と「近鉄アミコ」閉店。跡地には中日新聞社岐阜支社が建設された。
  • 2000年(平成12年)3月25日 - 京都近鉄百貨店京都店全面改装。「プラッツ近鉄」として開業。
  • 2000年(平成12年)9月1日 - 本店南側にHOOP開業。
  • 2001年(平成13年)2月20日 - 東京店閉店[注 5]
  • 2001年(平成13年)2月28日 - (株)京都近鉄百貨店が(株)近鉄百貨店を吸収合併し「株式会社近鉄百貨店」に商号変更。
  • 2005年(平成17年)6月 - 近鉄モータース株式をクインランドに売却。
  • 2005年(平成17年)7月29日 - 京都店の土地・建物をヨドバシカメラに売却。店舗2007年(平成19年)2月末までの営業となった。
  • 2005年(平成17年)8月25日 - 旧別府店の敷地を県内業者に売却。跡地に高層複合マンション建設予定。
  • 2006年(平成18年)7月31日 - 旧東京店の土地・建物を投資会社に売却。
  • 2006年(平成18年)12月30日 - 三重県三交百貨店がこの日で閉店。営業権の一部を譲り受けた。
  • 2007年(平成19年)2月28日 - 京都店を閉店。なお京都店の建物は解体され、跡地に建設される新ビルにヨドバシカメラが出店することとなった。
  • 2008年(平成20年)3月頃 - 旧京都店の建物の解体が終了。これ以降ヨドバシカメラのビルへ建替(2010年11月5日にヨドバシカメラ・マルチメディア京都〈京都ヨドバシ〉が開店)。
  • 2008年(平成20年)9月9日 - HOOP南側にand開業。
  • 2009年(平成21年)3月1日 - (株)中部近鉄百貨店持分法適用会社)と(株)和歌山近鉄百貨店近畿日本鉄道完全子会社=兄弟会社に相当)を吸収合併し、四日市名古屋草津和歌山の4店舗を直営化。
  • 2009年(平成21年)3月19日 - 阿倍野本店の本館西側(旧館)部分を建て替えのため閉鎖[12]。翌3月20日より、本館の東側(1988年に増床した新館(現:ウイング館))部分のみでの営業を開始(2014年の建て替え完成(あべのハルカス開業)まで)。
  • 2009年(平成21年)11月20日 - 大阪市住之江区咲洲(南港)のアジア太平洋トレードセンター(ATC)のITM棟に、2010年2月末までの期間限定店舗「近鉄百貨店ショップATC」を開設。
  • 2010年(平成22年)8月26日 - 上本町店の全館リニューアルが完成。同店南側に「上本町YUFURA」が開業。
  • 2011年(平成23年)8月10日 - エイチ・ツー・オーリテイリング(阪急阪神百貨店)との間で、情報システムの共同開発に関する提携を発表。
  • 2012年(平成24年)2月29日 - 枚方店を閉店[13]
  • 2012年(平成24年)3月3日 - 旧桔梗が丘店が、直営面積縮小・業態転換により「近鉄百貨店ショップ桔梗が丘」として新装開店[13]
  • 2012年(平成24年)3月29日 - 子会社の書籍販売業「ビッグウィル」の株式の大半をジュンク堂書店に譲渡。
  • 2013年(平成25年)6月13日 - 阿倍野本店のうち、あべのハルカス・タワー館(地上14階〜地下2階)部分が先行開業(ウイング館の一部(9階催会場など)を含む)。売場面積は57,000m2(タワー館(西側:50,000m2)とウイング館(東側:7,000m2)の合計)。同日より店名を「あべのハルカス 近鉄本店」に改称。あわせて包装紙・ショッピングバッグのデザインを変更。
  • 2013年(平成25年)7月16日 - 大阪証券取引所と東京証券取引所との現物株市場統合に伴い、東京証券取引所第1部に指定替え。
  • 2013年(平成25年)10月10日 - あべのハルカス 近鉄本店の第2期分(ウイング館の4階の一部〜8階部分)が開業。売場面積は77,000m2(タワー館(西側:57,000m2)とウイング館(東側:20,000m2)の合計)。
  • 2014年(平成26年)2月22日 - あべのハルカス 近鉄本店が全館開業(ウイング館の地下2階〜4階の残り部分の開業)。売場面積は100,000m2(タワー館(西側:57,000m2)とウイング館(東側:43,000m2)の合計)。
  • 2014年(平成26年)3月7日 - あべのハルカスがグランドオープン(オフィスフロア・大阪マリオット都ホテルあべのハルカス美術館ハルカス300(展望台)を含む)。
  • 2014年(平成26年)9月30日 - 桃山店閉店。
  • 2018年(平成30年)3月31日 - 近鉄百貨店ショップ桔梗が丘閉店[14]
  • 2021年令和3年)5月28日 - 上本町店と橿原店を百貨店事業本部から商業施設や専門店中心の百貨店を運営する商業開発本部に移管する[5]
  • 2021年(令和3年)9月16日 -大阪・関西万博関連グッズを近鉄百貨店インターネットショップ・あべのハルカス近鉄本店で販売開始。10月6日からは上本町店、奈良店、橿原店、和歌山店、四日市店でも販売し、2022年6月ごろまで販売予定[6]

現在の営業店舗[編集]

大阪府、奈良県、三重県、愛知県と近鉄沿線を中心に、沿線外の和歌山県に和歌山店、滋賀県に草津店をそれぞれ出店している。

あべのハルカス近鉄本店[編集]

あべのハルカス近鉄本店
Kintesu Department Store
Main Store Abeno Harukas
ABENO HARUKAS of March 7, 2014 (2).JPG
ウイング館(手前(東側)とタワー館(奥(西側)
店舗概要
所在地 大阪市阿倍野区阿倍野筋1丁目1番43号
開業日 1938年昭和13年)10月(大鉄百貨店の全面開業)
正式名称 近鉄百貨店あべのハルカス近鉄本店
建物名称 あべのハルカス
施設所有者 株式会社近鉄不動産
施設管理者 株式会社近鉄百貨店
商業施設面積 100,000 m²
営業時間 10:00 - 20:30
前身 大鉄百貨店、旧:本店(阿倍野店)
最寄駅 大阪阿部野橋駅天王寺駅、天王寺駅前停留場
最寄IC 天王寺出口阿倍野入口文の里出入口
外部リンク 公式サイト
KINTETSU Department Store Logo.svg
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当百貨店の本店であり、圧倒的な主力店舗となっている。高さ日本一の高層ビル「あべのハルカス」の低層階を占めるタワー館57,000 m2と、1988年に増床した部分を改装した東側のウイング館43,000 m2で構成され、売場面積も100,000 m2と百貨店では日本最大となる。それを活かし、ファッションや高級品にとどまらない、フルライン・フルターゲットの百貨店を目指しているのが特徴である。

大鉄百貨店[編集]

当百貨店は現在の南大阪線・長野線など運行していた大阪鉄道(大鉄)が大正15年(1926年)に大阪阿部野橋駅へ設置した「大鉄アーケード」を発祥とする。その後、子会社を設立して昭和10年(1935年)10月には百貨店の新設工事に着手し、昭和13年(1938年)10月、営業面積約16,000 m2大鉄百貨店として全面開業した[15]。その後、昭和19年(1944年)6月、大鉄百貨店も親会社とともに関西急行鉄道へ合併し、同社直営の関急百貨店となる。さらに同社が南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身)と合併して近畿日本鉄道株式会社が誕生すると、日本鉄道阿倍野百貨店に改称している。 第二次世界大戦が激化すると、統制経済のため当店にも約100名の軍隊が配備されるなど、限定された形での営業を余儀なくされる。昭和20年(1945年)には、当店付近も空襲に遭い、同年3月には日本鉄道阿倍野百貨店も罹災した。

近鉄百貨店阿倍野店[編集]

昭和20年(1945年)8月に終戦を迎え、同年の12月には復旧工事が着工された、翌21年(1946年)6月に2階の雑貨売り場が先行開業するなど、順次開業を繰り返し、昭和23年(1948年)4月には全館が営業再開にこぎつけた。同年、近鉄百貨店阿倍野店へ改称。昭和25年(1950年)7月には1階へ日本初の「ドラッグストア」を開業し、1960年(昭和35年)には約74億円だった売り上げは1965年(昭和40年)には約170億円を突破するほどに成長した[15]

1970年代に入ると、泉州沖に関西国際空港の建設が予定され、大阪の南の玄関として天王寺・阿倍野エリアの重要性が高まっていた。1977年(昭和52年)、親会社の近畿日本鉄道では阿部野橋駅周辺整備プロジェクトチームを設け、「阿部野橋ターミナル整備構想」を策定。この中に当店の増床工事が含まれており、1983年(昭和58年)に着工した。1988年(昭和63年)11月11日 には増床部分である新館(現在のウイング館)がオープン。同時に、上本町店、奈良店、橿原店、東京店を管轄下におく本店となった[注 6]。営業面積は西日本一の約58,600m m2に拡大している。 2000年(平成14年)9月には南側の旧・別館跡地に「Hoop」、2008年(平成16年)9月には「Hoop」南側の常磐官舎跡地に大型商業施設「and(アンド)」を開業し、阿倍野本店との相乗効果を狙った[15]


阿倍野本店再開発プロジェクト[編集]

2013年6月13日には「タワー館(あべのハルカスの低層階(西側)部分(地上14階 - 地下2階))」の先行開業(第1期分オープン)に合わせ、近鉄百貨店阿倍野店または近鉄百貨店阿倍野本店[注 7]との呼称を「あべのハルカス」の中核施設・近鉄流通グループの旗艦店であることを強く印象付ける目的で「あべのハルカス近鉄本店」に統一した[16]


「本来フルライン・フルターゲットの店である百貨店で売場運営の効率を優先して客層や品揃えに偏りが生じ、他業態に多くの客層が流れ、年々売上高が減少している」とし、日本最大の営業面積10万m2[注 8]を活用し、本来あるべき姿とするフルライン・フルターゲットの百貨店への回帰を目指した。このために従来の百貨店より幅広い来店客を期待し、メインターゲットとしては、従来から当店を主に利用していたアクティブシニアの女性に加え、40代から50代のミセス、OL、チャレンジターゲットとしてファミリー、駅利用サラリーマンを見込んだ[16]


フルラインの品ぞろえを復活させるため、3フロアに展開し、面積11,000m2で日本最大級のレストランフロア「あべのハルカスダイニング」、名駅近鉄パッセでの実績を基にした「Solaha(ソラハ)[注 9]」や関西最大級の9,000m2デパ地下に加え、大規模専門店も導入することで、様々なターゲット層に対してそれぞれの利用を見込んだ専門店を充実させた。これによって百貨店:専門店の比率を6:4とする。また、近鉄アート館の復活や店内喫茶の増設、屋上農園の導入などによって物販:非物販の比率を3:1にすることで「コト」消費にも対応した時間消費型の店舗として、買い物目的がなくても立ち寄れる業態融合型の店舗とすることで、新しい百貨店の事業モデルを目指している[16]。また、百貨店の各種案内放送に他店のような女声ではなく窪田等を起用し、300万曲の中から厳選したUSENのオリジナルBGMも採用するほか、開店時・閉店時にはニューヨーク在住のピアニスト・天平のオリジナル楽曲を流すなどして、滞在環境の向上にも努め、時間消費型の店舗にふさわしい雰囲気作りも行う[17]


これらの内容が発表された後、2013年(平成25年)6月13日にタワー館がオープンした[18]。次に、それまでの新館をウイング館とするため順次改装を行い、10月10日には第2期分としてウイング館の4階から8階までがオープン[19]し、2014年(平成26年)2月22日にはウイング館の地下2階の一部と地上2階から4階までに「Solaha(ソラハ)」がオープンした。これにより、「あべのハルカス近鉄本店」は全館グランドオープンした[20][21][22]。そして、同年3月7日には、同店を含め、あべのハルカス(オフィスフロア・大阪マリオット都ホテルあべのハルカス美術館ハルカス300(展望台))がグランドオープンしている。

特に梅田・難波より多い近隣住民と天王寺駅・大阪阿部野橋駅の利用者、あべのハルカス展望台への来訪客を主とした集客を行い、専門店部分の売上高を含めた取扱高ベースの売上高では1,450億円、売上高[注 10]では1,190億円をそれぞれ目標とした[18]

新店舗開業後[編集]

あべのハルカス近鉄本店としての開業初年度の売上高は983億円である。これは目標を大きく下回っており、2016年度の売上高も974億円と前年度並みにとどまっている。特に「solaha(ソラハ)」ゾーンが予想ほどの集客を得られなかったとされた。

このため、開業半年後から改装を行い、エディオン[注 11]コクミンドラッグなどの専門店を誘致したり、デパ地下・新鮮市場の一部を「パントリー」に委託した。そして、2016年11月には「Cafe & Meal Muji」併設の「無印良品[注 12]が2階の若年女性向け専門店ゾーン「solaha(ソラハ)」を改装した場所に入居することになった。これらの施策によって、客の流れが周囲へ波及するようになり、「solaha(ソラハ)」をはじめとした女性向け商品の売り上げも改善が見られる。2017年3月にはロールケーキの「堂島ロール」を販売する「モンシェール」が入居してデパ地下も賑わうようになった[23]。 さらに、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)との共同企画や中国での情報発信によって訪日外国人も増加している。このため、近鉄百貨店では2017年度の売上高は前期比7.5%増の1048億円を見込んでいた[23]が、実際には2017年度テナント取扱高ベース売上高は前年度比16%増の1252億円(売上高は1,176億円)とさらに上回り、2018年5月の売上高も前年同月比18.4%増と、18カ月連続で前年を上回っている[24]

周囲の施設との関係[編集]

1995年(平成7年)9月14日に開業した天王寺駅ビルの天王寺ミオのほか、2011年(平成23年)にはあべのキューズタウンとして、ViaあべのWalk4月1日あべのキューズモールは同年4月26日に開業している。

これらの施設は一部の客層が被るものの、競合関係というより、いずれも一体となって天王寺・阿倍野エリアを盛り上げる存在として捉えている。例えば、近鉄百貨店と「あべのキューズタウン」を運営する東急不動産SCマネジメントでは2012年2月1日から14日にかけて初の共同販促企画「あべので愛のはさみうち。バレンタインスタンプラリー」を実施し[25]、同年のゴールデンウィークにも「あべの近Q 上陸作戦」を実施した[26]。また、「天王寺ミオ」の地下には傍系の「近商ストア」がプラザ館地下一階にハーベス天王寺店を出店している。


2019年(令和元年)12月からはこれら3施設と近鉄不動産が運営するてんしばなど天王寺・阿倍野エリアの企業・団体に加え、同じ近鉄百貨店の上本町店四天王寺なども参加して「エリアパスポート」を発行するほか、毎月21日にこれらの店舗・施設に加えて通天閣そばの夜市「新世界市場」などのイベントを行う「ええやん まちフェス」を実施する[27]


このようにして、様々な施設が連携することで街全体で梅田や難波に対抗し、天王寺・あべのエリア全体の活性化を図っている。


なお、そごうが別会社・阿倍野そごうを設立しており、心斎橋にあったそごう大阪店と別に、阿倍野再開発事業に参加して、大阪市が建設する商業ビル(地下1階・地上12階)の核店舗となる阿倍野そごう(70,000~82,000m2)の出店を計画していた。しかし、当初は1986年(昭和61年)秋開店予定だったが、延期したのち、1997年(平成9年)5月に出店断念しており[28]、天王寺・阿倍野エリアには他の百貨店は存在しない。当店から最も近い別の百貨店は先述の上本町店である。

初のタワー館改装と専門店の運営[編集]

また、近鉄百貨店では他社の経営する専門店の誘致にとどまらず、自社でも専門店のフランチャイズ(FC)運営に取り組んでおり、当店にもいくつかの店を導入することになった。 2021年4月にはタワー館で開業後初の大規模改装を実施した。奈良店や四日市店でFC運営している高級食品スーパー「成城石井」をタワー館地下2階・食品売場に導入したのに加え、台湾の商業施設「誠品書店[注 13]で人気の食品・雑貨セレクトショップ「神農生活」ともFC契約を結び、「神農生活」の日本国内1号店をタワー館10階にオープンした。 また、ローマの世界観を再現したブルガリの新店舗がタワー館1階に開業するなど、高級ブランドもより一層の充実を図った。

同年夏には2020年東京オリンピックパラリンピックの公式グッズ販売店を期間限定でオープンした後、9月には跡地へ北海道どさんこプラザをオープンした。ほかの同プラザは三越伊勢丹ホールディングス傘下の百貨店・丸井今井による運営がほとんどだが、今回は近鉄百貨店と北海道貿易物産振興会が共同運営する形での関西初出店。常設の売場に加え、その周辺に週替わりで北海道から限定商品の出店を行う。

その他[編集]

当店近くに住むハイヒール・モモコが近鉄百貨店の個人株主となっており[29]、普段から当店で株主優待による10%割引を利用して買い物するほか、当店の開くイベントにも登場することがある。

上本町店[編集]

近鉄百貨店上本町店
Kintesu Department Store Uehonmachi
KINTETSU Uehommachi.JPG
大阪上本町駅ビルに入居。
店舗概要
所在地 大阪市天王寺区上本町6-1-55
開業日 1926年(大正15年)9月16日三笠屋百貨店)、1936年(昭和11年)9月(大軌百貨店)
建物名称 上本町駅ビル
施設所有者 株式会社近畿日本鉄道
施設管理者 株式会社近鉄百貨店
商業施設面積 33,902 m²
前身 三笠屋百貨店、大軌百貨店
最寄駅 大阪上本町駅谷町九丁目駅
外部リンク 公式サイト
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当地では大阪電気軌道(大軌)の建物で「三笠屋百貨店」が営業し、一説によると阪急うめだ本店よりも先にできたターミナルデパートともいわれる[30]

当店は紳士協定に基づいて三笠屋百貨店が退店した後、「大軌百貨店」として開業し、やはり上本町駅のターミナルデパートとして機能してきた。しかし、近鉄難波駅(現在の大阪難波駅)まで難波線が延伸するなど環境の変化もあり、現在は文教地区に立地する店として性格を変えつつある。訪日客が多く、年間売上高1000億円を超える本店に対し、上本町店は地元客が多い売上高240億円強(2018年度)の中型店[31]である。Osaka Metro谷町線で本店まではたった2駅であるが、大阪市内の百貨店としては足元商圏の顧客や50歳代以上の顧客が多く、本店とはターゲット層が異なるのが特徴である。

しかし、近年は高層マンションが近隣に立ち並び、30~40歳代の住民が増加している。そのため、既存の比較的高齢な客に限らず、新規顧客を取り込むため、幾度かの改装を繰り返している。 2016年春には約2億6千万円をかけて、子供服売場、スポーツ用品売場、婦人洋品売場について大型専門店を新規導入するほか、地下2階に富澤商店ゴディバを入居させるなどデパ地下の強化も実施[32]。大規模なリニューアル効果もあり、売上高は2017年6月より9か月連続で前年を上回って推移した。2018年度も引き続き改装を実施し、特に次世代顧客の取り込みを目的に専門店(「ニトリ」の小型店舗「ニトリEXPRESS」)の導入や食料品売場の改装を実施[33]するなど店舗のリニューアルが続けられている。

2021年5月28日の組織改正では橿原店とともに「百貨店事業本部」から「商業開発本部」に移管され、ローコストな専門店中心の運営体制へのシフトを図る[5]

また、親会社の近鉄グループホールディングスでは将来的には周囲も含めた再開発も検討している。

奈良店[編集]

橿原店[編集]

近鉄百貨店橿原店
店舗概要
所在地 奈良県橿原市北八木町
開業日 1986年(昭和61年)4月25日
施設管理者 株式会社近鉄百貨店
商業施設面積 23,223 m²
営業時間 10:00 - 19:00
最寄駅 近鉄大阪線橿原線大和八木駅
外部リンク 公式サイト
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橿原市の代表駅であり、最も利用客の多い大和八木駅の駅前に1986年(昭和61年)4月25日開業した。大和八木駅の北口から地下通路で当店の地下1階(デパ地下)へ連絡している。開業時は奈良店が大規模増床前で奈良そごう(現在のミ・ナーラ)も開業していなかったため、奈良県内で最大の百貨店であった。 2021年5月28日の組織改正では上本町店とともに「百貨店事業本部」から「商業開発本部」に移管され、ローコストな専門店中心の運営体制へのシフトを図る[5]

生駒店[編集]

東大阪店[編集]

近鉄百貨店東大阪店
Kintetsudepart higashiosaka.JPG
店舗概要
所在地 大阪府東大阪市長堂1-1-1
開業日 1978年(昭和53年)10月5日
施設管理者 株式会社近鉄百貨店
商業施設面積 7,873 m²
営業時間 10:00 - 20:00
最寄駅 布施駅
外部リンク 公式サイト
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アパレルショップやドラッグストアなどが入居する「カジュアル・スポット Fusse(フッセ)」と食品・ギフトセンター・商品券売場で構成される1フロアの店舗である。

2019年(平成31年)3月7日には2007年6月以来11年ぶりに改装して、リフレッシュオープンした。食品売場には新たに3ショップが登場。10ショップがリフレッシュオープンし、人気のスイーツショップや日常の買物に便利な売り場を充実させた。また、照明をLED電球に更新し、明るく買物しやすい店に生まれ変わっている[34]。当店は商業開発本部が運営しており、専門店の導入を積極的に行っている。

なお、宝塚阪急など大阪府と兵庫県には同様に鉄道駅の高架下に1~2フロアで入居する百貨店が存在する。その中では当店が最も先に開業しており、ほかの店舗はすべて平成期の開業である。

和歌山店[編集]

  • 和歌山県和歌山市友田町、JR和歌山駅前 和歌山ターミナルビル 売場面積32,400 m2
    2009年2月28日まで、旧和歌山近鉄百貨店の店舗だった。大丸丸正高島屋といったライバル百貨店が次々撤退し、現在は和歌山県内唯一の百貨店となっている。県内の岩出市にギフトショップ「ショップ岩出」を営業。

四日市店[編集]

草津店[編集]

近鉄百貨店草津店
Kintesu Department Store Kusatsu.JPG
店舗概要
所在地 滋賀県草津市渋川1-1-50
開業日 1997年(平成9年)9月
建物名称 草津百貨店ビル
施設所有者 株式会社近鉄百貨店
施設管理者 株式会社近鉄百貨店
商業施設面積 23,106 m²
駐車台数 600台
前身 草津近鉄百貨店・中部近鉄百貨店草津店
最寄駅 草津駅
最寄IC 栗東IC
外部リンク 公式サイト
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1997年(平成9年)9月にJR草津駅前へ開業した。当初の計画では1995年春に開業する予定であったが、景気後退による条件の見直しについて、地権者との交渉で折り合いがつかなかったことにより、一旦断念[35]している。 当店は京都近鉄百貨店などが出資する「株式会社草津近鉄百貨店」が運営していたが、中部近鉄百貨店との合併を経て2009年(平成21年)3月1日 に近鉄百貨店の直営店となった。商業開発本部が運営しており、専門店の導入を積極的に行っている(後述)。

開業初年度には目標の約120億円をほぼ達成した[36]ものの、その後は売り上げが伸び悩んでいる。このため、2018年度(平成30年度)には従来型百貨店から百貨店と専門店の複合型店舗を目指し、段階的にリニューアルを開始した。 滋賀県初出店となる「成城石井」などのフランチャイズ方式での展開、「TSUTAYA BOOKSTORE」などの専門店誘致、食品を中心に滋賀県の産品を展開する「近江路」コーナーのオープンなどを行い、2020年(令和2年)2月21日には東急ハンズと協業して地域の魅力を発信する「プラグス マーケット(Plugs Market)」の開業にあわせて2階のリニューアルが完了[37]。同日にはこれを記念して特設ステージで滋賀県知事の三日月大造や当社の代表などによる式典を行った。 滋賀県内の百貨店としては地域一番店であったが、2020年8月31日西武大津店が閉店したため、滋賀県内唯一の百貨店となっている。

当店の周辺には阪急百貨店系列の阪急オアシスが出店するエルティ932・ガーデンシティ草津平和堂などが立地し、滋賀県内有数の商業地域である。

名古屋店(近鉄パッセ)[編集]

商業施設[編集]

商業開発本部が運営を行う。詳細は各個別項目を参考。

  • Hoop(近鉄百貨店阿倍野本店別館): 大阪市阿倍野区阿倍野筋 営業面積14,825m2 あべのハルカス近鉄本店南側
  • and(近鉄百貨店阿倍野本店新館): 大阪市阿倍野区阿倍野筋 営業面積14,000m2 Hoop南側
  • 上本町YUFURA:大阪市天王寺区上本町 営業面積8,275m2 上本町店南側(旧近鉄劇場

過去に存在した店舗[編集]

近鉄百貨店をもともと経営していた近畿日本鉄道やそのグループ企業が各地に展開しており、近鉄百貨店自身も近鉄沿線に加えて東京(武蔵野市吉祥寺)や九州でも営業していた時期もあった。これとは別に丸物・京都近鉄百貨店も京都店を本店として東は東京(池袋)、西は九州(八幡)まで店舗を広げていた。ほとんどの店舗が2010年代前半までに整理されており、旧・丸物の店舗は近鉄百貨店としては現存せず、近鉄沿線以外に立地する近鉄百貨店は和歌山店と草津店のみとなっている[注 14]

丸物以外の百貨店店舗[編集]

東京店[編集]

近鉄百貨店東京店
Kintesu Department Store Tokyo
店舗概要
所在地 東京都武蔵野市吉祥寺本町
開業日 1974年(昭和49年)5月11日
閉業日 2001年(平成13年)2月20日
施設所有者 株式会社近鉄百貨店
施設管理者 株式会社近鉄百貨店
前身 東京近鉄百貨店
後身 三越吉祥寺店→ヨドバシ吉祥寺
最寄駅 吉祥寺駅
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関東地方唯一の近鉄百貨店として近畿地方出身者などに親しまれていた。株式会社東京近鉄百貨店の店舗として開業したのち、1983年に直営化して近鉄百貨店東京店に改称している。閉鎖後は当社から三越とIDC大塚家具に貸していたものの、投資ファンドへ建物を売却して閉店した。2007年6月に外観を改装した上でヨドバシカメラマルチメディア吉祥寺が出店している。

西京都店[編集]

京都市右京区、京都ファミリー内。1982年 - 1995年。

桜井店[編集]

奈良県桜井市桜井駅前の拠点施設「エルト桜井」が1991年(平成3年)にオープンした当初、その1・2階に展開していた[38]。商圏が狭い[注 15]ことも手伝い、1994年(平成6年)にわずか3年で撤退した。短命の小型店舗である。

別府店[編集]

大分県別府市。1960年 - 1994年。別府駅前にあった。2001年に建物解体、土地は2005年に県内の不動産会社に売却された。

上海店[編集]

上海商場にテナントとして出店した小型店。

桃山店[編集]

ショップ桔梗が丘[編集]

  • 名張市桔梗が丘一番町、桔梗が丘駅近鉄プラザ桔梗が丘
    • 2012年2月末までは旧桔梗が丘店(売場面積11,706 m2):もともと近商ストアが営業していたが「近鉄プラザ百貨店」を設立の上で百貨店化し、周囲のスーパーとの差別化を図った。しかし、売り上げが伸び悩んだため、2012年3月3日に直営売場面積を縮小・業態転換して新装開店した。この際、橿原店の管轄になるなどコスト削減を図ったものの、赤字転落し、ともに入居していた近商ハーベスと同時に2018年3月31日に閉店した。

跡地は「ぎゅーとら」桔梗が丘店などがオープンしたが、2020年10月31日に閉店して「近鉄プラザ桔梗が丘」自体が空き店舗となった。

丸物関連[編集]

近鉄百貨店の直営店となったのは京都店と枚方店のみ。岐阜店は京都近鉄百貨店時代の1999年(平成11年)、その他の各店は丸物時代に閉鎖・売却されている。

京都店[編集]

プラッツ近鉄
PLATZ Kintetsu
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近鉄百貨店京都店(2006年4月6日撮影)
店舗概要
所在地 京都府京都市下京区烏丸七条下ル東塩小路町702番地
開業日 1920年大正9年)1月 (京都物産館)
閉業日 2007年平成19年)2月28日
正式名称 近鉄百貨店京都店
施設所有者 株式会社近畿日本鉄道

株式会社ヨドバシカメラ
(土地はいずれも東本願寺)
施設管理者 株式会社近鉄百貨店
延床面積 65,992.73 m²
商業施設面積 38,700 m²
前身 京都物産館 本店
丸物 本店
京都近鉄百貨店 本店
後身 京都ヨドバシ
最寄駅 各線京都駅
最寄IC 京都南IC
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京都駅の烏丸口側に京都物産館として開業し、丸物の本店であり、「京都近鉄百貨店」になった後も本店だった。しかし、2001年(平成13年)「近鉄百貨店」との合併後は旧近鉄百貨店の阿倍野本店が本店となり、当店は支店扱いの京都店となった。

丸物時代には京都駅前に立地していることを意図した「FRONT KYOTO まるぶつ」のキャッチコピーが掲げられており、京都駅周辺では数少ない大型店舗だった。

1954年(昭和29年)ごろには「活かして使える半端もの」を集めて販売する「活端市(かっぱいち)」という催事を開いたり、1969年(昭和44年)から1981年(昭和56年)までは当店から「まるぶつWAIWAIカーニバル」のラジオ公開生放送を京都放送で実施するなど[39]、老舗の高島屋大丸よりも庶民的な百貨店として親しまれていた。

京都近鉄百貨店への改称[編集]

この時点では近鉄百貨店とは別会社で中林仁一郎の長男・中林仁良が会長に就く株式会社京都近鉄百貨店の運営ではあるが、近鉄色が強まった[注 16]。また、先述のラジオ番組は「きんてつWAIWAIカーニバル」に改称した後、放送を終了するなどの変化もあったものの、京都タワーと並ぶ京都駅前の顔として当店は引き続き親しまれた。

丸物時代の1952年昭和27年)には京都駅観光デパート(現在のTHE CUBE)、1980年昭和55年)11月27日には京都駅と当店を結ぶ地下街京都駅前地下街ポルタがオープンし、1984年(昭和59年)にイズミヤが運営する専門店街京都アバンティが八条口の東側にオープンした。しかし、いずれも当店より規模が小さい上に百貨店は当店のみだったため、棲み分けができており、利益も出していた。 また、1981年昭和56年)には北山駅へ向かう京都市営地下鉄烏丸線の北改札が当店の近くにでき、1988年(昭和63年)には竹田駅へ延伸されて近鉄京都線新田辺駅まで相互直通運転を開始するなどして当店へのアクセスも改善された。

JR京都伊勢丹開業への対策[編集]

昭和末期から平成初期にかけ、老朽化した京都駅舎の建て替え問題が浮上してきた。大規模商業施設を入れない案なども挙がったが、西日本旅客鉄道と東京の百貨店「伊勢丹」の合弁会社を設立し、ジェイアール京都伊勢丹が1997年秋に京都駅ビルに出店することが決定する。 京都駅前での新たな競合の出現に備え、大丸や髙島屋も京都店を増床したが、当店でも様々な対策を行った。1995年(平成7年)の阪神淡路大震災直後には西側への増床を完成し、店舗面積は約7割増の38,700m2となった[40]。これと前後して、家電量販店ジョーシンも入居している。

これら当店での取り組みに加え、(株)京都近鉄百貨店では人材・資本を(株)草津近鉄百貨店に投資して京都近郊からの百貨店利用客を取り込む対策も行い、ジェイアール京都伊勢丹への顧客流出を防ごうと試みた。同様の施策として、兄弟会社だった(株)近鉄百貨店でも桃山店を1996年に出店している。

ジェイアール京都伊勢丹の開業当日は女性を中心に8000人以上が行列し、同店を20万人以上が訪れたが、ポルタや当店の来店客も倍増した[41]。しかし、当店では売上が前年程度にとどまり、特に婦人服が伸び悩んだ[42]。そして、衣料品・食料品分野での競合が影響して、翌月以降は前年比80%台に売り上げが急減するなど、四条通で営業していた他の既存百貨店に比べても大きな影響を受けた。結局、売上高は96年2月期の470億円がピークで、97年の歳末商戦では当店がジェイアール京都伊勢丹を上回り、98年の中元商戦ではジェイアール京都伊勢丹に迫ったものの、それ以降はずっと低迷を続けた。これ以降の年間売上高はジェイアール京都伊勢丹が髙島屋・大丸の京都店に次ぐトップ3に入り、当店は市内百貨店としては売り上げ第4位に脱落している。

一方、草津近鉄百貨店については好調で、売上目標通りの年商120億円を達成している[36]。駅直結の立地なども寄与して西武大津店(西武大津ショッピングセンター)の年商を上回り、滋賀県内の百貨店としては地域一番店となった。

プラッツ近鉄[編集]

業績回復を図るため、2000年(平成12年)3月25日には複合商業施設「プラッツ近鉄」としてリニューアルオープンした。ドイツ語で広場を意味する「プラッツ」のように、「身近で気軽な楽しい広場」がコンセプトで、衣料品、生活雑貨、書籍などの大型専門店で売場の大半を構成し、広域から若年層の取り込みをねらった[43]


同様に他社の百貨店と競合したが、若者向け専門店の導入による差別化で成功している近鉄パッセ[注 17]の実績なども参考に旭屋書店新星堂(いずれも5階)、ソフマップ(6階)、京都の伝統工芸の専門店を集積した「京町家公房」(7F)を導入している。特に無印良品は烏丸通側(東側)に新設した吹き抜けを取り囲むように1階から3階まで3フロアにわたって出店しており、「Cafe Muji」(1階)も併設するほか、自転車の販売・貸出、ごく一部の店舗でしか販売がない住宅の販売まで行い、当時の本店だった有楽町店を上回る最大・最新の店舗として無印良品の歴史にも残る特徴的な店となった[44]。さらに、デパ地下も「新鮮市場」として強化し、生鮮食品を充実させた。

初年度売上げ目標は1999年2月期より26%増の457億円を見込んでいたが[43]、実際に、オープン当日は10万人が来店したほか、開業後1か月間は売上高は1.4倍、入店客数は約2倍を記録するなど[45]、順調なスタートを切っている。

経営面でもコスト削減を図った。京都近鉄百貨店は1999年(平成11年)9月に岐阜店を閉鎖後、2000年9月には「あべのand」など百貨店以外の商業施設を運営する近鉄商業開発を吸収合併した[46]。しかし、約半年後の2001年2月28日付で京都近鉄百貨店(上場企業)が売上高のずっと大きい旧・近鉄百貨店(非上場、近畿日本鉄道の完全子会社)を吸収合併したうえで商号を「近鉄百貨店」に変更し、本社を大阪市阿倍野区に移転する、いわゆる逆さ合併を行った。このため、当店も近鉄百貨店が直営する近鉄百貨店京都店(愛称はプラッツ近鉄のまま)となっている。髙島屋と大丸の本社は戦前に大阪へ移転しているため[注 18]、これで京都で創業して本社を置き続ける百貨店は独立系の藤井大丸だけとなった[注 19]

閉店の経緯[編集]

業態転換によって客足や業績が回復したかのように思われていた当店だが、近鉄百貨店が2004年度から「中期経営3か年計画」の中で収益体質改善を図り、通信販売(インターネットショップとは別)からの撤退、三越大塚家具に貸していた旧・東京店の建物や近鉄モータースの売却などを行う中で存廃問題が浮上した。

上記の通り、いったんは業績回復の兆しもあったが、リニューアルオープンの効果が途切れると再び低迷している。ジェイアール京都伊勢丹に加え、先述の草津近鉄百貨店のような滋賀県内の商業施設、あるいは2004年(平成16年)3月開業のダイヤモンドシティ・ハナ(のちのイオンモール京都五条)のような郊外型商業施設などといった競合店が次々オープンしたことによる顧客の減少もあり、2005年(平成17年)2月期の売上は最盛期の半分の254億円にまで落ち込んでいた[40]。また、度重なる改装投資を繰り返したため営業費用がかさみ、売り上げがピークの1996年2月期も含め、1994年からずっと当店は営業赤字が続き、累積赤字は約130億円と近鉄百貨店で最大の赤字店になっていた[40]

それでも、さらなる改装を行うことも検討していたが、建物などを所有する近畿日本鉄道も経営再建や阿部野橋ターミナルビル建て替え(のちのあべのハルカス)建設のために有利子負債削減を加速しており、ヨドバシ梅田に続く関西での旗艦店の適地を探していたヨドバシカメラからの申し入れで全館売却を決め[40]た。そして、2005年7月25日に当店の2007年2月末での閉鎖を発表した[47]。京都物産館開店から85年後のことであった。

閉店が決定してから1年少しの間は通常の営業を続けたが、2006年(平成18年)11月に入るとソフマップが当店から京都アバンティへ移転し、無印良品の売場も縮小されて「Cafe Muji」がなくなり、これらの店舗に変わって売り尽くしセールのために催事スペースが仮設されるなど閉店の準備が進んだ。 11月23日から29日までは7階催会場で「丸物回顧展」を開き、東京丸物[注 20]やひらかた丸物[注 21]など丸物各店の写真・資料を展示。また、最後のバレンタイン商戦では、丸物末期の1974年(昭和49年)の増床時に設置された1階彫刻広場に設置された女神アフロディテと光明の神アポロンの像をウェスティン都ホテルのシェフがホワイトチョコレートで再現して店内に展示したほか、希望者には丸物時代の包装紙で販売するなど丸物時代を振り返る企画も実施した。そして、2月19日からは4章にわたって行った売り尽くしセールの最後となる「京都店売り尽くし最終章 ラスト10日間」を行った[39]。そして、ついに当店は2007年(平成19年)2月28日に閉店し、京都物産館以来87年間の歴史に幕を閉じた。

閉店後[編集]

当店の土地・建物を取得した当初、ヨドバシカメラは「出店時期や他のテナント、建て替えの有無は未定」としたが、建物の老朽化が著しいと判断し、当店の建物は1995年に増床した部分も含めてすべて取り壊された。その後、新しい建物を建築し、2010年(平成22年)11月5日京都ヨドバシをオープンした。開店当初は「近鉄百貨店・丸物跡」として案内を行い、その案内を取りやめた後も、丸物のマークの入った「元気の出る鐘」が引き続き地下1階出入口付近に残されている。


岐阜店[編集]

京都近鉄百貨店岐阜店
Kyoto Kintesu Department Store Gifu
店舗概要
所在地 岐阜県岐阜市柳ヶ瀬1丁目12
開業日 1930年昭和5年)6月
(京都物産館岐阜支店)
閉業日 1999年平成11年)9月30日
施設所有者 株式会社京都近鉄百貨店
施設管理者 株式会社京都近鉄百貨店
前身 京都物産館岐阜支店→丸物岐阜店
後身 岐阜中日ビル
最寄駅 徹明町駅
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閉店時の名称は京都近鉄百貨店岐阜店で、近鉄百貨店の直営店として営業したことはない。

京都物産館岐阜支店として開業した丸物最初の支店であり、数少ない本体直営の店舗だった。また、京都の本店と同様、京都物産館から「丸物」への改称から「京都近鉄百貨店」への改称までずっと営業を続けていた店舗である。

長年、岐阜最大の繁華街である柳ヶ瀬の中核店舗として親しまれていたが、柳ヶ瀬西部の再開発で1977年(昭和52年)9月岐阜髙島屋が進出して競争が激化した。当店も同年に京都近鉄百貨店岐阜店と改称し、専門店街「近鉄アミコ」を柳ヶ瀬ビル(現在のオアシス柳ヶ瀬ビル)へ建設するなど対抗策を講じ、1991年(平成3年)に売上高のピークを迎えた。しかし、以降はアピタジャスコカラフルタウンなどの郊外進出に伴って赤字転落。1999年3月期には年商110億7900万円にまで売り上げが低下し、閉店に追い込まれた。その後も、パルコ、名鉄グループの新岐阜百貨店メルサといった大型店舗の多くが撤退し、当百貨店周辺を走っていた路面電車名鉄岐阜市内線美濃町線2005年(平成17年)4月1日付で廃止されるなど、岐阜市内中心部の空洞化が進行している。

解体された当店の壁面から1945年(昭和20年)の岐阜空襲による煤けた跡が見つかり、その部分を岐阜市平和資料室で保存している。


枚方店[編集]

枚方市岡東町。京阪本線枚方市駅前。1975年(昭和50年)4月1日開業 - 2012年2月29日閉店。 近鉄傘下となってから唯一開業した丸物の店舗で、最後の新店舗でもある。開業後2年足らずで「ひらかた丸物」から「枚方近鉄百貨店」に改称したため、丸物の名称を使用した期間は一番短い店舗となった。跡地はカルチュア・コンビニエンス・クラブにより「枚方T-SITE」として再開発[48]

新宿丸物[編集]

東京丸物[編集]

東京丸物の法人は西武百貨店傘下(セゾングループ)へ移り、2店舗ともパルコになった。

豊橋丸物[編集]

八幡丸物[編集]

丸栄・松菱[編集]

そのほか、丸物と同じ中林仁一郎が名古屋に出店した百貨店「三星」は「十一屋 (名古屋)」と合併して「丸栄」となったが、2018年6月30日に閉店し、外商・不動産業のみ行っている。先述のとおり、豊橋丸栄も閉店している。 また、中林仁一郎の弟・谷政二郎は浜松市の百貨店「松菱」を設立し、関連会社として「甲府松菱」と「津松菱」にも出資していた。これらの百貨店は近鉄百貨店と直接の関係はないが、丸物の系列店として広告を出したこともある[49]

商業施設[編集]


出店を中止した店舗[編集]

  • 岸和田店: 大阪府岸和田市宮本町に出店を予定していたが、同じ場所に出店を予定していたニチイ(現:イオンリテール)が出店したため予定は白紙になった(ニチイものちに閉店した)。
  • 橋本店: 相模原市、現在のイオン橋本店近辺に位置する。JR橋本駅前市街地再開発の一環で、賃料坪単価8,000円以上(競合した近鉄の2倍の提示額。なおこの場所は地元の京王百貨店の出店が有力視されていた)でそごうはコンペを制した。だがそごうも1994年出店凍結。1997年出店断念。
  • 福山店: 広島県福山市JR福山駅南西の伏見町再開発事業の一環。天満屋西武、そごう、近鉄が競合したものの、最終的にそごうが制した。後にそごうも出店断念。なお、後に福山ロッツ→リム・ふくやまとなった旧福山そごうとは別物である。
  • りんくうタウン店: 1994年関西国際空港の開業に向けて、三菱銀行三菱商事などの三菱グループと共同でりんくうタウンの商業業務ゾーンに進出し、オフィス、ホテル、ショッピング機能を備えた複合超高層ビルの商業施設に出店する予定であった[50]。しかし、景気後退と府の計画変更に伴う土地分譲価格の引き下げを巡る折り合いがつかなかったことにより、出店計画は白紙となった[51]
  • 伊勢店: 1980年から始動した宇治山田駅前周辺における再開発の一環として、1991年には出店計画がまとまった。しかし、厳しい経済情勢や地元商業者の反対等により、計画を凍結[52]
  • 岡山店:岡山県岡山市岡山駅前周辺の再開発事業の一環として、再開発ビル(現在のICOTNICOTに当たる所)に進出することが内定していたが、のちに断念し、ダイエーが進出することになった[53]

プロ野球の優勝・応援セールの扱い[編集]

近畿日本鉄道が大阪近鉄バファローズのオーナーとなっていた時代、近鉄グループである同社は、同球団のパシフィック・リーグ優勝記念セールおよび日本シリーズご声援感謝セール(いわゆる残念セール)を行ってきた[注 22]。2004年を最後にオリックス・ブルーウェーブとの合併により「オリックス・バファローズ」となってからは、優勝実績がなかったこともあり、優勝記念セールや、ご声援感謝セールは行われなくなっていた。

しかし2008年には、同社各店(名古屋店(近鉄パッセ)・四日市店を除く)において、読売ジャイアンツセントラル・リーグ優勝記念セールが行われた。これは、同球団の優勝記念セールの権利を所有する三越伊勢丹グループの店舗が少ない近畿地区において[注 23]、それを補助するために行われている。加えて、オリックス・バファローズ発足後は近鉄グループが同球団へ20%出資し、ユニフォームの袖部分にも「近鉄」のロゴを掲示するという3年間の暫定処置が2007年に終了し、同球団から近鉄グループが完全に撤退したことも理由に考えられている。

また近鉄百貨店自身も、かつては三越との間で、商品券の相互利用を行ったり、中元歳暮など贈答品の共同配送を行う、などの提携関係があった他、近畿地区の他の百貨店・スーパーマーケット各社は、どちらかと言えば阪神タイガースの優勝・応援セールの方を行ってきた[注 24][注 25]こともあり、それを行ってこなかった近鉄百貨店が引き受けることになったもの、とも言われている。

また近鉄球団が1990年代まで後述の監督人事や交換トレードなどで巨人フロントと相互連携を行っていたなど、友好的な関係があった過去もある[54]

2009年度は9月23日に巨人が3年連続でセ・リーグの優勝を決めたことで、近鉄百貨店(名古屋・四日市両店を除き、近鉄松下百貨店を含む。)としては2度目となる、「セ・リーグ優勝記念セール」が、翌9月24日から9月30日までの7日間開催された(阿倍野店のみ24日は閉店のため、翌25日から6日間の開催であった)。そして11月7日に、同球団が日本シリーズで優勝したことにより、翌8日から14日までの7日間、前述した各店舗にて、(旧近鉄バファローズ時代を含めて)同社としては初の「日本シリーズ優勝記念セール」が行われた(枚方・草津の両店舗は、12日は定休日であった)。

なお2012年度は、巨人が3年ぶりのセ・リーグ優勝、ならびに日本シリーズ優勝を決めたが、同社各店(近鉄松下百貨店を含む)では、優勝記念セールは行われなかった。そして、三越など他の多くの小売店でも2014年を最後に読売ジャイアンツの優勝セールは行わなくなった。詳細は該当項目を参考のこと。

その後、近鉄百貨店ではプロ野球チームの優勝セール等は行われていなかったが、2021年にオリックス・バファローズが大阪近鉄バファローズとの合併以後では初めてとなるリーグ優勝の可能性が出てきたことから、同年10月15日から初めて同球団の応援セールを各店舗およびネットショップにて実施する。また、パ・リーグ優勝が決定した場合には優勝翌日から1週間にわたり優勝セールを実施する[55]。今回も名古屋店は除かれるが、四日市店でも応援セールを行う。

中日ドラゴンズ優勝セール[編集]

上記の通り、読売ジャイアンツの優勝セールを行う店から名古屋店と四日市店が除かれていた。これは、両店舗とも中日ドラゴンズのホームテリトリー(及び親会社の中日新聞社の購読エリア)という事情によるものである。両店舗では、2008年と2009年にそれぞれ「中日ドラゴンズご声援感謝セール」が行われたほか、2010年と2011年には、ドラゴンズがセ・リーグの優勝を決めたことで、両店舗では「セントラルリーグ優勝記念セール」が行われた。

ロゴマーク[編集]

ロゴマークは店名のローマ字がデザインされている。「K ntetsu」が海、「i」が緑(木)を表し、全体が地球を表しており、地球と調和しようとする姿勢を表現する。 また、包装紙・ショッピングバッグのデザインは、ロゴマークと同色の青と緑色のものであったが、2013年6月13日の「あべのハルカス 近鉄本店」タワー館の先行開業に合わせて、「K」を起点とした一筆書きの「ひろがるつながり」をテーマとした、黄色を基調とする新デザインに変更された[56]

  • かつて使用していたもの
    • 近鉄百貨店 - 近畿日本鉄道の社章をアレンジ(若干中の模様が丸みを帯びている)。現在も正式な社章である。
    • 大軌百貨店 - 通称「大軌」。大阪電気軌道直営だったが、同社の社章ではなく「大軌」を縦書きにして丸型にしたもの
    • 大鉄百貨店 - 大阪鉄道の社章の一部を変更したもの(中央に「百」の文字が入る)
    • 丸物 - 沿革の項にある通り、「物」を丸で囲ったもの

関連会社[編集]

近鉄松下百貨店(山口県周南市)
  • 近鉄グループホールディングス - 現在の親会社。近畿日本鉄道の初代法人の法人格を引き継いだ。
  • 近畿日本鉄道 - 上記の通り初代法人が当社の親会社だった。現在は兄弟会社。
  • 近商ストア(スーパーマーケットKINSHO) - かつての子会社。現在は中間持株会社・近鉄リテールホールディングスの子会社となっているが、近鉄百貨店の商品券や日本百貨店協会の商品券が使用可能。
  • ミディ総合管理 - 店舗管理・清掃など:2013年5月に株式譲渡により当社の子会社でなくなったが、引き継ぎ近鉄グループに残留。


子会社[編集]

  • シュテルン近鉄 - 本社は大阪市城東区メルセデス・ベンツの販売を行うディーラーとなっている。なお、かつては同業の近鉄モータース(本社:東京都港区)も子会社だった。
  • 近畿配送サービス - 配送会社
  • 株式会社近創 - 内装工事などを行う会社で当社の完全子会社である。上記の通り、かつての百貨店・九州百貨店→八幡丸物の法人格を引き継ぎ、本社を京都へ移転している。(旧)株式会社丸物工器を合併して(新)株式会社丸物工器に改称。近畿日本鉄道の出資を経て「近鉄丸物工器」、「近創インテリア」を経て現社名となった。

かつての関連会社[編集]

  • 近鉄商業開発 -本社:大阪市阿倍野区。東神開発(髙島屋系)・大丸コム開発→パルコ大丸J.フロント リテイリング系)・阪急商業開発(阪急百貨店・エイチ・ツー・オーリテイリング系)のような百貨店系デベロッパーだったが、経営再建の一環で2000年9月に京都近鉄百貨店へ合併されて消滅した。
  • 近鉄モータース
  • 近鉄松下百貨店 - 山口県周南市(JR徳山駅前):2013年2月28日をもって閉店。閉店まで近鉄百貨店本体へは合併せず、唯一別会社になっていた。
  • 三交百貨店 - 三重県松阪市松阪駅前):近鉄グループで三重県にある三重交通の系列百貨店で、松阪店・伊勢店を展開していた。2006年12月30日を最後に閉店した際、当社が営業権の一部を譲り受け、三交百貨店が発行した商品券類の一部を近鉄百貨店が発行したものとして取り扱う措置をとった。

関連項目[編集]

  • 三越 - かつては商品券の共通使用や贈答品の共通配送などの提携を行っていた。一時期、当社の東京店跡地に吉祥寺店を出店していた時期もある。

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 2011年8月25日に正式名称が決定。仮称は「阿部野橋ターミナルビル・タワー館」。
  2. ^ 「あべのハルカス」全体のグランドオープンは同年3月7日となった。
  3. ^ 近畿日本鉄道の発足当時、既に近江鉄道の通称が「近鉄」(おうてつ/きんてつ)だったことから、「近畿日本」ないし「日本鉄道」を公式略称としていた。
  4. ^ これは公式的に「近鉄」の略称を用いた初期の事例である
  5. ^ 三越が営業権を継承し、同年6月より吉祥寺三越および大塚家具として営業開始したが、2006年5月で両店撤退。2007年6月29日にヨドバシカメラマルチメディア吉祥寺がオープン
  6. ^ 京都店と岐阜店は京都近鉄百貨店、枚方店は枚方近鉄百貨店、別府店は別府近鉄百貨店、名古屋店四日市店は中部近鉄百貨店、和歌山店は和歌山近鉄百貨店とそれぞれ別会社だった。また、山口県内に近鉄松下百貨店も存在した。
  7. ^ 基本的には阿倍野店と呼称していたが、1988年以降は近鉄百貨店の本店とされているため、後述のあべのキューズモールとの協業第1陣についての発表では「近鉄百貨店阿倍野本店」と名乗るなど統一されていなかった。
  8. ^ 当店が1988年の増床を完了した後、1992年(平成4年)に東武百貨店池袋本店が83,000m2に増床した後、2003年に松坂屋本店(名古屋店)が86,758m2で日本一の営業面積となっていた。また、近畿地方では2011年(平成23年)3月3日に増床が完了した髙島屋大阪店が営業面積約78,000m2で最大となった後、阪急百貨店うめだ本店2012年(平成24年)11月21日に増床を完了すると営業面積約80,000m2で最大だった。これらを追い抜く形となった。
  9. ^ 近鉄パッセにちなみ、当初の仮称はあべのパッセ
  10. ^ 専門店部分の売上高ではなく賃料を含めている。以下、単に売上高と表記した場合こちらを指す。
  11. ^ あべのキューズモールに開業時から入っていたが、ビッグカメラの開店に伴い、当店へ移転した。
  12. ^ 「Cafe & Meal Muji」を併設する比較的大型な無印良品の近鉄百貨店への入居は2007年(平成19年)2月28日にプラッツ近鉄が閉店して以来となる。その後、2018年(平成30年)には四日市店にも同様な無印良品の店舗がオープンしている。
  13. ^ すでに日本国内でもCOREDO室町テラスに誠品書店が開設されているが、台湾の食品・雑貨以外の商品がメインで、神農生活の展開はない。
  14. ^ 最寄り駅に近鉄が乗り入れている店舗でも桜井店、京都店、桔梗が丘店→ショップ桔梗が丘は閉店している。
  15. ^ 1986年に開業したばかりだった橿原店が近鉄大阪線の急行で桜井駅からわずか4分の大和八木駅前にある。
  16. ^ 地元紙・京都新聞へは「丸物の名称が消えるが、近鉄グループが責任をもって当店を運営する」旨の広告を出した。
  17. ^ 厳密にはこの時点では京都近鉄百貨店と兄弟会社の中部近鉄百貨店が運営していたが、当店の閉店2年後の2009年(平成21年)に同社が近鉄百貨店に合併して近鉄百貨店の直営店になっている。このため、当店と同じ時期に同じ会社の店舗となったことはないものの、近鉄百貨店・京都近鉄百貨店・中部近鉄百貨店の間には人的交流があった。
  18. ^ 髙島屋は東神開発をはじめ主要な子会社の本社は東京都中央区に置いており、その後、大丸も松坂屋との経営統合で2010年3月1日大丸松坂屋百貨店として東京都江東区へ本社移転している。なお、大丸松坂屋友の会(松坂屋高槻店の5階に所在)など、多くの大丸松坂屋関連会社は近鉄百貨店のそれと同様に大阪府内各地へ所在する。
  19. ^ 厳密にはジェイアール西日本伊勢丹の本社も京都市下京区であるが、これは東京発祥・本社の伊勢丹→三越伊勢丹JR西日本の合弁であるため。
  20. ^ 池袋パルコとして営業中。
  21. ^ 当時は近鉄百貨店枚方店として営業中だった。
  22. ^ 同百貨店の東京店は、バファローズ優勝時に関東地区でほぼ唯一の優勝セール実施店舗となっていた。また、学生時代からバファローズファンだった佐野正幸は同店(当時は東京近鉄百貨店)に就職後、バファローズ私設応援団長となり、会社側の理解も得て、関東地方をはじめとした各地の球場で応援活動を続けていた。
  23. ^ 2017年現在、近畿地区には「ジェイアール西日本伊勢丹」の2店(ジェイアール京都伊勢丹・ルクア1100内のイセタンショップ)のみであるが、後者はJR大阪三越伊勢丹時代も巨人優勝セールの実施はない
  24. ^ 阪神電気鉄道直系である阪神百貨店と、阪神電鉄・阪神球団から許諾を得た大丸ダイエー甲子園店など関西圏の一部店舗。南海の買収による球団競合時代も許諾を得て継続)は「タイガース優勝セール」と表現できていた(大丸と経営統合で同系となった松坂屋は、元々愛知県が発祥のため中日ドラゴンズの応援セールを開催)が、それ以外は阪神電鉄・阪神球団の許諾を得られず、直接に「タイガース優勝セール」とは表現できず、「大阪バンザイセール」などの名称で実施。1985年の阪神優勝時は鉄道・野球・百貨店事業のいずれも競合していたため「阪神優勝セール」は行われなかった。
  25. ^ 阪神電気鉄道と読売新聞グループ本社は、無協約時代にはタイガースとジャイアンツの球団株式を相互に持ち合っていた(現在は協約で禁止されている)他、読売新聞大阪進出には阪神電鉄が社屋用地を仲介し、日本テレビの『ズームイン!!朝!』で放送された「プロ野球いれコミ情報」で読売テレビが阪神タイガースを応援するなど、企業としての阪神グループと読売グループは比較的良好な関係である。

出典[編集]

  1. ^ 大輪会(だいりんかい)とは - 泉佐野丘陵緑地公式サイト内のページ。
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外部リンク[編集]