アレクサンドル・ブローク

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アレクサンドル・ブローク(1907年)
ソモフによるブロークの肖像画(1907年)

アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ・ブロークАлекса́ндр Алекса́ндрович Блок, 1880年11月28日ユリウス暦11月16日) - 1921年8月7日)は、ロシア詩人

ロシア・シンボリズムを代表する作家。

略歴[編集]

サンクトペテルブルク出身。ワルシャワで法学を教える父をはじめ、親戚にはインテリが多い。学生時代にはウラジーミル・ソロヴィヨフの思想やフョードル・チュッチェフアファナーシー・フェートの詩に親しんだ。

1903年、高名な化学者であるドミトリ・メンデレーエフの娘と結婚する。妻となった女性にブロークは処女詩集「うるわしの淑女」を捧げたが、彼女は後にブロークの親友である小説家アンドレイ・ベールイと浮気していたことがわかっている。

当初はロシア革命を好意的に迎えたが間もなく幻滅し、その後死に至るまでの3年間はまったく詩を書くことができなかった。その事情についてブロークは、マキシム・ゴーリキーに「人間の知恵への信頼」が失われた、と述べ、知人コルネイ・チュコフスキーには「全ての音が止まってしまった。君にももう聞こえないだろう?」と語っている。

革命直後の食糧難もあってブロークは間もなく壊血病などに罹って健康を害し、1921年になって医師が治療のためにブロークの出国許可を政府に申請したが、許可は下りなかった。見かねたゴーリキーは5月29日にアナトリー・ルナチャルスキーへ「ブロークはロシア一の詩人である。彼が出国できないまま死んだら、あなたたちが殺したも同然だ」と書簡を送ったが、出国許可が下りたのはブロークが死去した3日後だった。死因は心内膜炎だった。

ブロークはレニングラード(現・サンクトペテルブルク)のスモレンスク墓地に埋葬されたが、1944年に同地のヴォルコヴォ墓地のLiteratorskie Mostkiに改葬されている。

主な作品[編集]

革命期のペテルブルクをめぐる12人の赤軍兵士を十二使徒に見立て、聖と俗を独特の韻律でつないだ長編詩「十二」が特に有名。ラストに登場する人物はイエス・キリストともとれると物議をかもした。

日本語文献[編集]

  • 『ブローク詩集』 小平武訳、彌生書房、1979年
  • 『「十二」の詩人 アレクサンドル・ブローク』
鈴木積訳、ティプロ出版、2003年
平凡社ライブラリー、1995年 - 詩劇
研究

関連項目[編集]

外部リンク[編集]