トヨタ自動車九州

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トヨタ自動車九州株式会社
Toyota Motor Kyushu, Inc.
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 TMK、トヨタ九州
本社所在地 日本の旗 日本
823-0015
福岡県宮若市上有木1番地
設立 1991年2月8日
業種 輸送用機器
法人番号 4290801014505 ウィキデータを編集
事業内容 自動車及びその部品の製造・販売
代表者 代表取締役会長 金子達也
代表取締役社長 永田理
資本金 450億円
売上高 1兆1180億7300万円
(2023年03月31日時点)[1]
営業利益 7億4900万円
(2023年03月31日時点)[1]
経常利益 9億9700万円
(2023年03月31日時点)[1]
純利益 7億2700万円
(2023年03月31日時点)[1]
総資産 4052億2400万円
(2023年03月31日時点)[1]
従業員数 約10,600名(2023年4月1日現在)
主要株主 トヨタ自動車 100%
関係する人物 須藤誠一(元社長)
二橋岩雄(元社長)
桑田正規(副社長)
外部リンク https://www.toyota-kyushu.com/
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トヨタ自動車九州株式会社(トヨタじどうしゃきゅうしゅう)は、福岡県宮若市に本拠を置くトヨタ自動車100 %出資の車体製造会社である。

会社概要[編集]

事業内容としては自動車および自動車部品開発設計・製造・販売を行なっている。現在は年間に約30万台生産しており、そのうち約80 %は海外に輸出されている、他にハイブリッドカートランスアクスルV6エンジンの製造を行っている。

2005年平成17年)度以降の日本でのレクサスブランド展開に伴い、トヨタ自動車田原工場とトヨタ自動車九州がレクサス車専用工場となることが発表された。 とはいえ、実際には一部レクサス車とメカニズムを共有するSAIも2009年から2017年までトヨタ自動車九州で生産されていた。

沿革[編集]

  • 1991年(平成3年)2月 - 福岡県鞍手郡宮田町(現・宮若市)に会社創立
  • 1992年(平成4年)12月 - 操業開始
  • 2004年(平成16年)3月 - 累計生産台数200万台を達成
  • 2005年(平成17年)
    • 9月 - 宮田工場第2ライン(レクサス専用)操業開始
    • 12月 - 苅田工場操業開始
  • 2008年(平成20年)
    • 4月 - 苅田工場第2ライン操業開始
    • 7月29日 - 小倉工場操業開始

生産車種[編集]

☆は生産終了車種

生産拠点[編集]

  • 宮田工場(本社):1992年12月生産開始
  • 苅田工場(福岡県京都郡苅田町):2005年12月生産開始、V6エンジンを生産。
  • 小倉工場(福岡県北九州市小倉南区大字朽網・京都郡苅田町):2008年7月生産開始、ハイブリッドトランスアクスルを生産。

工場緑化[編集]

内山緑地建設株式会社が「自然に囲まれた工園」というコンセプトのもと、工場建設から20年間管理を行っており、構内には高木5140本、低木10301㎡が植栽されている[2]

陸上競技部[編集]

1999年創設、バルセロナオリンピック男子マラソン銀メダリストである森下広一が指導者に就任した。後にサムエル・ワンジルが所属し北京オリンピック男子マラソンで金メダルを獲得。三津谷祐は2005年・2007年の世界選手権日本代表として出場。今井正人東京マラソン2015で日本歴代6位の2時間07分39秒を記録した。

創設翌年の2000年に九州実業団毎日駅伝競走大会において6位に入り、2001年1月1日の全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)に初出場を果たす。以後、2008年を除き毎年ニューイヤー駅伝に出場している。2013年・2014年に2位入賞の成績を残している[3]

筥崎宮で毎年1月に必勝祈願を行うのが恒例である。

現在の主な所属選手・スタッフ[編集]

過去の主な所属選手[編集]

関連企業[編集]

脚注・参考資料[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]