Wikipedia‐ノート:外部リンク/過去ログ1

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ここは修正してほしい[編集]

ユーザー登録を必要とするサイト

たとえば、新聞社や雑誌社などの運営するサイトでは、記事やそのバックナンバーを閲覧するにあたってユーザー登録を要求する場合があります。ユーザー登録を必要とするサイトは、多くのユーザーは(ユーザー登録を行うことなく)閲覧することができないので、そのサイトへの外部リンクは、以下の例外を除いては掲載すべきではありません。

->「新聞社や雑誌社、ポータルサイトなどの運営するサイト」を追加してください。ダウムカフェやネイバーブログ、サイワールドなどは閲覧にユーザ登録を要求するケースがあり、サイトの中には運営者が承諾しないと閲覧できないサイトもあります。--hyolee2 2006年11月25日 (土) 02:36 (UTC)

加えても問題ないのかもしれませんが、一つ質問があります。hyolee2さんが例にあげたものは韓国語のサイトのことですか?いずれにせよ、これらはブログやSNSの類いに含まれるように思いますので、(記事名前空間に)掲載すべきでない外部リンクの7番で排除されることになると思います。また、項目5番でも、サブセクション「ユーザー登録を必要とするサイト」でも、避けるべきサイトの対象は「ユーザー登録が必要なサイト」ですので、現在の文面で、ポータル系でユーザー登録を要求するサイトは排除されていると思います。ポータルに的を絞って注意喚起が必要であるような特段の理由がある場合には、例えば、項目6の「検索結果」のところに「検索サイトの検索結果へのリンク。また、ポータルサイトに含まれるページ。」などとすることもできるとおもいますが、ポータル系でありかつユーザー登録を必要とせず、その他の「掲載すべきでない」指針に該当しないけれどもウィキペディアに外部リンクすべきでないサイトの例などがありましたら教えていただけますか?--Pugnari 2006年11月25日 (土) 03:59 (UTC)
ダウムカフェやネイバーブログは韓国語のものです。サイワールドは日本語もあります。--hyolee2 2006年11月25日 (土) 04:04 (UTC)
そうすると、やはりこれらはブログSNSの一種ということになりますよね?(韓国語はあまり読めないのですが ^_^;;)--Pugnari 2006年11月25日 (土) 04:33 (UTC)
ブログの一種です。わがまま☆フェアリー ミルモでポン!でいくつか貼り付けられたことがあります。(取り除きましたが。)--hyolee2 2006年11月25日 (土) 04:46 (UTC)
なるほど、これはちょっと・・・。この方針が正式化されたら削除できるリンクが現在でもいくつもありますね。--Pugnari 2006年11月25日 (土) 04:54 (UTC)

「掲載すべきでない外部リンク」について[編集]

  1. 著作権関連だけに限定するよりは、より広範囲な違法サイトについて言及した方がよいのでは
  2. 「記事に含まれている内容を~」について、出典明示のための外部リンクは当てはまらないと解釈してよろしいのでしょうか
  3. 「検索サイトの検索結果へのリンク」 - 除外する根拠が不明です
  4. 「ブログ、SNS、外部のウィキサイトなど」 - 通常のサイトであっても、記述が削除される可能性は同程度に孕んでいると考えるのですが如何でしょう。特に最近では、「公式サイト」と呼ばれる部類のコンテンツでもブログによって構築されている例が見受けられます。ウィキの場合、「xのウィキ」であればサイト自体が消滅しない限りxに関する記述が消去されるとは考えにくい。また、リンク時には有益だったものの、その後の編集によって無益なリンクと化すこともレアケースかと。また、ソフトウェアのマニュアルがウィキ形式で構築されている場合が、近年オープンソース界で頻繁に見られます。
  5. 「個人または複数のファンが」 - (掲示板などの馴れ合いサイト: 無益である場合は別として)そのファンサイトが2. の規定に反さないものである限り、掲載しない理由は存在しないと思うのですが。個人運営のサイトであることが即ち「記事の内容に直接関係ない」とするのは早計では無いでしょうか。

誤読・誤解釈などありましたら御指摘ください。取り急ぎ--Kkkdc 2006年11月26日 (日) 07:27 (UTC)

コメントありがとうございます。それぞれについて、私が個人的に思うところを述べます。
  1. おっしゃるとおりだと思います。修正しました。
  2. それは、「掲載してよい外部リンク」の第2項で許されていると理解しています。そう読めないなら表現を改める必要がありますね。
  3. これも、リンク先の情報の安定性に問題があるからだと思います。逆に、検索サイトの検索結果を標準名前空間の記事上で外部リンクしなければならないような事態があまり思い浮かばないのですが…
  4. 公式サイトであれば、「掲載してよい外部リンク」の第1項で、出典であれば第2項で許可されるはずです。ブログに関しては、英語版に倣って、「当該記事内容と直接関係があり、その分野の専門家とみなされる著者によるものを除いて」を付加しました。
  5. 最後の点についてですが、これは英語版を踏襲しています。私的ファンサイトが、公式サイト、公式ファンサイトの類に比べて、実質的により多くの情報を持っており、それが検証可能であって、記事の出典として必要であるような場合には「掲載してよい外部リンク」の第2項で許されることになるとおもいます。この例で言いたいことは、たぶん、公式サイト、公式ファンサイト、それに類する非公式のファンサイトがあって、それらに掲載されている情報が似たり寄ったりである、あるいは、記事の内容の理解にとって実質的に必要であると認められないような場合には、「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか」の「ウィキペディアはミラーサイトでもリンク集でもありません」、および、このガイドラインの「基本的な考え方」の第5項「外部リンクは最小限度にとどめること」の精神から、冗長性を避け、公式サイトへの外部リンクひとつで代表させるべきである、との趣旨であると理解しています。
--Pugnari 2006年11月26日 (日) 08:09 (UTC)

「著作権違反など法令違反を行っているサイト」について[編集]

これだけではわかりにくいので、例などをあげてみるのはどうでしょう。

  1. 著作物を著作者の許可なく配布、加工、掲載しているサイト
  2. 著作物を元に著作者の許可なく、二次創作を行っているサイト
  3. 写真など掲載するサイトで、被写体に許可が得られていない写真を掲載するサイト
  4. サイト内に違法サイトへのリンクがあるサイト

上記にはすぐに思いつくものしか書きませんでしたが、著作権や各種法令について誤解をしているユーザも多いと思うので、詳しくまとめておいた方が良いかもしれません。Frame 2006年11月26日 (日) 10:52 (UTC)

コメントありがとうございます。実際のところ、私はどういうものが著作権違反になって何が著作権違反にならないかという細かい各論について詳しいことを存じませんし、法令違反の範囲を決めるのはこのガイドラインの範囲を超えてしまっているようにも思います。Frameさんの指摘の1番、2番は「著作権違反」の中に含まれているのでしょう。ひとついえることは、リンクを張ろうとする人に、リンク先のサイトに法令違反がないかどうか確かめる義務を課す(極端に言えば、法令違反がないことを証明したあとに外部リンクを張るようにしなければならない)というのはあまり現実的でないように思います。法令違反、あるいはその恐れがあるサイトへのリンクを発見した利用者が、その外部リンクを削除するときの根拠としてこのガイドラインを参照する、というのが、正直なところ、このガイドラインの使われ方なのだと思うので、その意味では、「著作権違反など法令違反」だけを規定しておいて、個別の案件についてはノートページで論証するという方法もありますね。
ちなみに、参考までに、3番は肖像権侵害ですか?これは、何の法令に違反することになるんでしょうか?--Pugnari 2006年11月26日 (日) 13:22 (UTC)
日本法の下だと、いわゆる「肖像権」つまり「みだりに肖像を他人からとられたり使われたりしない権利または法律上の利益」が認められているため、その侵害によって民法上の不法行為(709条)による損害賠償請求等をうけるおそれがあります。ただどこまでなら「表現の自由(報道の自由)」の範疇に属する「自由」といえるか(つまり不法行為にならないか)などについて、かなり難しい議論があります。と、ここでこんなことを書いていると「とんでもユーザー」からイチャモンをつけられると迷惑なので(Pugnariさまもご存じの方かも?Pugnariさまに先見の明を感じています)、このくらいにしておきます(^^;;。--Anonymous000 2006年11月26日 (日) 14:23 (UTC)
著作権や肖像権といった事柄に関しては、ウィキペディア日本語版がoversensitive過ぎるという意見と、安全策をとるに越したことはない、万一違反があったときに、誰が法的責任を負うのか、という意見や、それらの中間に位置するものなど、広いスペクトラムに渡る意見が見受けられるので、これをここで議論し始めるのはパンドラの箱を開けるようなものかもしれませんね。文言を、「著作権や肖像権の侵害などの法令違反」に書き換えるといったところでしょうか。いくつかの無難な例を挙げるのも悪くない考えかもしれません。--Pugnari 2006年11月26日 (日) 15:39 (UTC)
PugnariさんとAnonymous000さんの言うように、ここで、何が法廷違反かを議論するのは困難みたいですね。非常に難しい問題なので、この件に関しては別の機会にということで。「著作権や肖像権の侵害などの法令違反」に変更するで良いかと思います。現在、友達にお勧めサイトを紹介するような感じで外部リンクを追加するユーザがいるように思えるので、このガイドラインを作成することでそれらが改善されることを期待します。Frame 2006年11月26日 (日) 17:57 (UTC)
「など」はどこかに入れておいて下さい。人権上また何らかの違法性を持つサイト、もしくは違法行動・犯罪を奨励するサイトはケース・バイ・ケースのことはありますが、削除できる規定はあったほうが良いかと。極端な例としては詳細な殺人方法の解説とか、手製爆弾の作り方、チケットの違法入手方法など。犯罪誘発サイトへのリンクはダメと。--Los688 2006年11月27日 (月) 13:13 (UTC)
2006年11月26日 (日) 08:09(UTC)の版からすでに「など」は入っているのですが、これでは不足だということですか? 私は法律に詳しくないのですが、違法行為の実行方法を公にする事は違法とは見なされないのでしょうか?「違法行為を誘発する恐れがある」を加えてしまうと、極端な話、科学物質に関する問題や、性風俗に関する問題など、いくつかの分野で支障があるかも知れません。「公序良俗に反する」というのを加える手もありますが、これも解釈の仕方の幅が広すぎるようにも思います。--Pugnari 2006年11月27日 (月) 14:03 (UTC)
解釈範囲がある程度、広がるのはやむを得ないかと。違法行為の誘発などについてはグレーゾーンが広く、ケースバイケースや程度問題になることが多いと思います。ただ、違法行為の実行方法を公にする事は違法とは見なされない場合があるとは思いますが、積極加担してしまうのは公序良俗の点からとwikipediaの法的リスク回避からも問題です。この点ついては厳密化は求めませんし、求めることもできませんが、ゆるい縛りは必要と思います。大事なのは記事本文から外し、ノートへの提起に持っていくだけの十分な理由を与えることです(禁止されていないからリンクを付け加えたという主張をする方々に対応するためにも)。文章としては、確かに「公序良俗に反する恐れのあるリンクは推奨されない」程度が良いかもしれませんね。--Los688 2006年11月27日 (月) 14:26 (UTC)
文言修正してみました。--Pugnari 2006年11月27日 (月) 16:21 (UTC)
ありがとうございます。それで良いかと思われます。--Los688 2006年11月27日 (月) 16:25 (UTC)

確認事項[編集]

スタイルマニュアルの一部?[編集]

井戸端からきました。2点確認です。英語版の方針とガイドラインについては殆ど知らないのですが、この草案の原英文のen: Wikipedia:External_linksは、en: Wikipedia:Manual_of_Styleの一部をなす「Guideline」ですよね。日本語版の「正式化」も同様にスタイルマニュアルの一部をなす「考慮すべきガイドライン」にすることを考えていますか?実は「公式方針」と「考慮すべきガイドライン」の違いも日本語版では曖昧な気が。。。--Anonymous000 2006年11月26日 (日) 14:23 (UTC)

実は、英語版ではウェブサイトへの外部リンクのフォーマットが後半を占めていますが、この「外部リンクの選び方」ではこの部分は完全に割愛しています。これは、Wikipedia:出典を明記するの中に、ウェブサイトの出典としての取り上げ方が書かれているためです。したがって、この方針はスタイルマニュアルというよりはWP:NPOVWP:VWP:NORの下にぶら下がる公式方針として正式化したいと考えています。--Pugnari 2006年11月26日 (日) 15:39 (UTC)
了解です。遅くなりました。--Anonymous000 2006年11月30日 (木) 15:59 (UTC)

信頼できる情報源との整合性[編集]

それから、英語版ではen:Wikipedia:Reliable_sourcesとこの文書は直接関係づけられてはいないようですが、かなりオーバーラップする部分があるように私は思います。似たようなことを別々の場所で規定すると、後で修正する際に整合性をとることが難しくなりますよね。せっかくの機会(「信頼できる情報源」が翻訳中の草案のまま)なので、日本語版では、Wikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源を使うこと -- Using online and self-published sourcesの一部を先取りして正式化することにするとどうでしょう?つまり「信頼できる情報源」の上記の節の内容をこの文書に取り込んで、「信頼できる情報源」にはこの文書のリンクを置くだけにするとどうだろう?、という提案です。でも、英語版とマニュアルの構成が変わるとむしろ混乱するようなら止めた方がいいかも知れません。。--Anonymous000 2006年11月26日 (日) 14:23 (UTC)

いかなる情報源を以って「信頼できる」とみなすのかは、より難しい問題なので、ここでは議論を回避したいというのが正直なところです。この方針をなるべく早く正式化したい理由は、営利、非営利にかかわらず、自らのサイトや自分が個人的に「贔屓」にしているサイトへの外部リンクをむやみやたらと張るような編集をなくすことです。情報の信頼性にまで議論が達するケースはより"高次の"問題だと思います。一方、今回ここに掲げられている案ではこの価値判断にかかわる点については、それを考慮すべきであることに触れるにとどめています。Wikipedia:信頼できる情報源が翻訳段階から正式化準備の段階に入る前に「外部リンクの選び方」が正式化できるんじゃないかともくろんでいますので、その場合は、こちらでは情報の信頼性の問題はとりあえず回避しておいて、細かい議論はWikipedia:信頼できる情報源の方で行ってはどうでしょう?--Pugnari 2006年11月26日 (日) 15:39 (UTC)
確かに、内容の信頼性について議論始めると紛糾しそうですね。外形的に判断できる「公式方針の付属文書」があれば、今後の編集がしやすくなりそうです。了解いたしました。ご説明ありがとうございました。(「情報源」へいくのは当面は止めておきます。早く記事書きに戻りたいので(^^;;。。。)--Anonymous000 2006年11月30日 (木) 15:59 (UTC)

「掲載してもよい外部リンク」 について[編集]

列記されている項目に限定されるのかどうか分からないところもあるので、「掲載してもよい外部リンクの例」の方がいいんじゃないでしょうか?さらに必要な外部リンクに絞る方が基本路線のように思えるので、「禁止」→「掲載すべきでない」→「掲載してもよい例」の順番が自然かなと考えます。Fuji 3 2006年11月27日 (月) 02:37 (UTC)

そうですね。私の理解では、(下でHadgeさんも述べられていますが)ウィキペディアは可能な限り外部リンクを貼るべきではないとの認識が(少なくともある一定の)ウィキペディアンの間に存在していると思います。Wikipedia:ウィキペディアは何でないかでその主張の精神について解説がなされていると思います。許されている外部リンクは、基本的には検証可能性出典を明記するで要求されている信頼できる情報源を参考文献として掲げる時、参照先がウェブサイトである、あるいは、ウェブサイト上で閲覧できる場合これを外部リンクとする、というのがまず第一の使用法であり、その他については厳しく吟味すべきであると思われます。個人的には「掲載してもよい例」と語調緩和する事には反対です。公式サイト以外は、出典先にせよ、音、情報メディアを参照すべきサイトにせよ、その検証可能性、および質、信頼性を十分に吟味すべきであると思います。要約すれば、ほぼ全ての掲載すべき外部リンクは、第2項の「情報の信頼性、検証可能性などにおいて書籍や学術論文などと同等の水準を保っており、出典、参考文献として掲げるに値するサイト」に含まれており、それ以外のリンクの可能性を残すべきではないと考えます。
項目の順番については別にどちらでもよいと思いますが、分かりにくいと言うのであれば変えてもいいと思います。--Pugnari 2006年11月27日 (月) 09:35 (UTC)
私は逆に「掲載してもよい」とすることで、列挙されている項目であればOKと思う人が出ることも心配していますが・・・公式サイトなんて基本的に自身に都合の悪いことなんか書かないわけですし、場合によっては(公式サイトは無条件に認められるが、それ以外の有用な情報へのリンクが難しくなることで)中立性に問題が出る可能性がある気がします。なので、「禁止」→「掲載すべきでない」で駄目な例を明示して、”不要な外部リンクは付けない”スタンスを改めて明確にし、最後に「掲載してもよい例」で(場合によって)OKとなるケースを限定的に述べるのがいいと考えています。Fuji 3 2006年11月27日 (月) 13:06 (UTC)
公式サイト云々に関しては、想定されている場合はWikipedia:存命人物の伝記が関係あるように思います。自身に都合の悪い事は事実であっても名誉毀損になる恐れがある一方、その「都合の悪い事実」を誰がどうやって証明するかといった事に関しては、司法の判断などそれ相応の正当性が要求され、私的サイトでこれらの「事実」を挙げている事はウィキペディアの「出典」とはなりえないのではないでしょうか。この観点から、英語版でも公式サイトを特別扱いしていると思います。似たような事として、企業絡みでウィキペディア上で出来事が新聞をにぎわすまでになっているようですが、ウィキペディアは存命中の人物、活動中の企業に関しては事実の検証に対してより慎重かつ保守的、後追い的であるべきだとおもいますし、このような方針で中立性が失われる事はないとするのがジミー・ウエールズの見解であると思っています。「掲載してよい外部リンク」の第2項がある以上、非公式のサイトを完全に禁止しているわけではないのですから、それで十分だと思います。--Pugnari 2006年11月27日 (月) 14:03 (UTC)
う~ん、私は、中立性を保てるのは、公式サイトと反する見解を持つサイトもリンクできるからだと考えていますが。公式サイト、その他サイトともに信頼性や検証可能性は必要だと思いますし、言い換えれば、公式サイトにもその他のリンクと同様にそれなりの質が必要ということです。まぁ、公式サイトは「公式サイトである」という記述があれば、誰がどういう意見で作成しているかが明確なので、その分は他のサイトより緩い基準になってもいいとは考えています。Fuji 3 2006年11月27日 (月) 14:56 (UTC)
公式サイトが特別視されるのは、公式サイトはその人物や組織の製作物に含まれるからではないでしょうか。ゆえに、公式サイトは内容に関係なく、記述できると思います。Frame 2006年11月28日 (火) 05:33 (UTC)

「記事に加筆しようとしている利用者自身が所有、管理、または執筆を行っているサイト」ついて[編集]

これを掲載すべきでないリンクとすると、専門家が執筆を考える時に足かせになるのではと考えます。削除依頼でも似たような基準を提示される方は多いのですが、リンクの内容や客観的に判断される目的を基準とすべきで、作成者などを基準にすべきではないのではないでしょうか?Fuji 3 2006年11月27日 (月) 02:37 (UTC)

専門家であっても外部リンクを宣伝目的で使用する場合も考えられます。自らの論文に外部リンクを張ることで、その論文や専門家の知名度は上がります。私はどんなに優れた外部リンクであっても自薦で追加することは望ましくないと思います。Frame 2006年11月27日 (月) 05:11 (UTC)
Frameさんとまったく同意見です。これは中立的観点のための規定です。学術論文などであれば、自分のサイトではなく、学術論文雑誌の出版元や大学の学部や研究所などの公式のアーカイブを参照する事が出来るはずで、いかな「専門家」であっても、自分が運営するサイトにしかかけないような文章は、一般啓蒙書レベルであるか、あるいは信頼性、検証可能性、中立的観点のどの面から見て、問題がないとは言い切れません(個人的には、むしろ問題がある場合(独自の研究になってしまう場合)がかなりしばしば見受けられると思っています)。このように批判的な観点から見て、どうしても必要なリンクであれば、他のユーザーの同意を条件にすべきでしょう(「宣伝目的のリンク」の項参照)。このような理由から、自分のサイトへのリンクは基本的に排除すべきだと思います。--Pugnari 2006年11月27日 (月) 09:35 (UTC)
多分私は専門家なので、専門家の立場からちょっと要望です。
私も幾つか記事を投稿する中で外部リンクを張っており、その中には私が写真や情報を提供しているサイトも含まれています。全て独立行政法人や大学法人等の機関であり、直接管理しているサイトはありませんが、ちょっと頼めばそこに執筆できるようなサイトもあります。現在の条文では、Pugnari氏のおっしゃる「公式のアーカイブ」や、それに準ずるサイトの運営に関わる人間による「自薦」も排除対象であると読めます(元々そういう意図なのかも知れませんが)。
私は自然科学系の記事を中心に執筆しているので、記事が保護されるような意見の対立には遭遇しませんが、政治的・宗教的解釈を含むような記事では、外部リンクの選定一つにも議論がある事と推察します。従ってこの条文の必要性も理解しているつもりです。ですので、例えば「記事に加筆しようとしている利用者自身が所有、管理、または執筆を行っている個人的なサイト」などと、条文の意図する機能を損なわない範囲で緩めて頂けると助かります。- NEON 2006年11月27日 (月) 10:15 (UTC)

(インデント戻し)仰る事はわかります。文章がわかりにくい所為かもしれませんが、ある程度の客観性、また出典としての必要性があるものは、「掲載してよい外部リンク」の第2項で外部リンク掲載が許されていると、私は思っています。「宣伝目的のリンク」の節でも、例外の可能性について幾分かオープンな記述にしてあるつもりです。何をもって「個人的」とするのかも難しい問題です。例えば、大学の構成要員の場合、大学の研究科や学部のサイトの一部に自説を掲げることはいとも簡単でしょう。その大学のサイト内にある自分のホームページスペースから、学科・研究科のプレプリントサーバの類いまで、その範囲の幅は広いと思われます(例えば、こういうもの。ここでは、形式が整っていれば、基本的に査読なしで発行されていたはずです。これに類するものは国内の大学の各学部・研究科にありますよね)。しかしながら、大学のプレプリントシリーズは、「個人的なサイト」とは見なされませんよね。逆に、自分が「運営」に近くないからといって、中立性や検証可能性が自動的に担保されるわけでもありません。例えば、私の知っている例では、数物系で非常に広く用いられているarXivも、基本的には誰でも論文をアップロードできる(最近は、初回は既に登録している研究者の紹介が必要になったとも聞いていますが)ので、トンデモ論文がごくたまに見られます。この類に関しては、「自分が運営にかかわっているか」どうかという1点でなく、検証可能性、情報の信頼性を評価すべきだと思います。そして、外部リンク先の信頼性は、あくまでも掲載する側が明らかにしなければならない、とする事が重要であると思います。 更に、ある程度のアカデミックリテラシーを持っている方であれば、それが宣伝目的であるかないかはかなり容易に区別が出来るものと思います。そして、ウィキペディアのユーザーの自己同一性のレベルではある程度の匿名性があるので、そういう選別眼をもってしてしか、その外部リンクが、外部リンクを追加した利用者本人が記述・作成したものかをかぎ分ける事は出来ないのではないでしょうか。釈迦に説法じみた真似、お許しください。--Pugnari 2006年11月27日 (月) 11:01 (UTC)

「専門家であっても外部リンクを宣伝目的で使用する場合も考えられます。」というFrameさんの意見は、『外部リンクを宣伝目的で使用する』ことを問題視しているのではないのですか?自薦の外部リンクが「宣伝目的」で使われる可能性が高いことは認めますが、自薦の外部リンク=宣伝ではないでしょう。まぁ、この節は”禁止される”ではなく”掲載すべきではない”リンクについての節なので、
  • 「記事に加筆しようとしている利用者自身が所有、管理、または執筆を行っているサイト。そのようなサイトにリンクすることは、意図するしないに関わらず中立性に疑問を抱かれる可能性があるので、慎重に行われるべきです。」
といった感じで、掲載すべきでない理由と掲載すべきでない範囲をうかがわせる内容になっているなら何も反対はないんですが。Fuji 3 2006年11月27日 (月) 13:20 (UTC)
これに関しては、よりざっくばらんな言い方をすれば、自分の執筆したサイトの外部リンクをウィキペディアの記事内に躊躇なく置くような利用者の編集自体問題だと見なしているのです。もし、宣伝ではなく自分のサイトをリンクするのであれば、転載にならない形で同様の主張をウィキペディアの記事に書き込む事ができるはずですし、自分のサイトで出典として参照した文献を同じようにウィキペディアの中に出典として書き込む事が出来るはずです。それらの出典が自分の著書であっても、それは普通出版物になりますから、外部リンクの選び方には関係のない話です。映像などのメディア資料に関しては、著作権を自分が保持していればコモンズにアップできます。つまり、これら中立的で検証可能な範囲であれば、普通は自分のサイトへ外部リンクを貼る必要が生じる事はないと思えるのです(もし、そうでない事例があれば挙げていただければ議論が進めやすいです)。自分自身のサイトを外部リンクに掲げる事に関しては、他人のサイトを掲げるのに比べて何倍も厳しい基準で考えるべきだと思います。--Pugnari 2006年11月27日 (月) 14:03 (UTC)
確かに、Fuji 3さんのいうように自薦の外部リンクに宣伝の意図がない場合もありますが、その意図がないにしても、結果的には宣伝の効果は得られるでしょう。それに、Pugnariさんのいうように、本人であったらウィキペディアの本文に何らかの形で書くことは可能です。それをしないで、外部リンクから身内のサイトへ誘導するのはやはり宣伝になるのではないでしょうか。また、もし、そのリンクが本当に素晴らしいものであったなら、他の人がリンクとして追加することは十分に考えられますし、他の人がリンクとして追加しないのであれば、中立性に欠く、もしくわ問題点のあるものなのではないでしょうか。Frame 2006年11月27日 (月) 14:29 (UTC)
より自制的であれというのはその通りだと思います。ただ、リンクを躊躇無く置いたのか熟考の上置いたのかは当人にしかわからないので、それを一律に判断することはできないと考えます。
自分が執筆・管理しているサイトでも権利が自分のものになっているとは限りませんし(会社資産など)、所有しているサイトでもGFDLライセンスの問題などで、その内容をwikipediaに直接寄稿することを嫌がる人はいると思います。ということで、この件については、結局「気を付けましょうね」という話にとどまざるを得ないんじゃないかと思います。
「宣伝目的のリンク」を掲載すべきでない項目(個人的には禁止される外部リンクな気がしてますが)に入れて、その解説で「利用者自身が所有、管理または執筆」を特に注意すべき一つの例として挙げるのは構わないとも思います。Fuji 3 2006年11月27日 (月) 14:38 (UTC)
横から失礼します。日本語版が英語版をまるのまま踏襲する必要はないと思いますが、一応もとになった英語版をみてみると、自分が運営するサイトへのリンクは、たとえ他のリンクできる条件をクリアしていても、リンクするべきではない(strongly recommended against)、とまで書いてあります。それは、1. 余計な誤解を生まないためであり、2. 本当に必要だったら、記事が完成していくまでの間に必ず誰か他の人がリンクするはずだからです。どうしてもリンクするべきだと思うときは、ノートページで提案し、他の中立的な立場にある人がリンクしてくれることを待て、とされています。この考え方は日本語版でも十分有効だと思うのですが、どうでしょうか。--Aotake 2006年11月27日 (月) 14:48 (UTC)

(インデントを戻します)私は主に画像を参照してもらう目的で外部リンクを張っています(自分の画像も含みます)。commons への投稿~とありますが、「著作権を自分が保持していればコモンズにアップできる」のは素人だけで、業として著作活動を行っている人間は自分の作品に感染性の高いライセンスを付与する事はしません。良い作品ほど commons へは寄せられないでしょう。そして、自然科学の記事では専門家にしか用意できない画像(電子顕微鏡写真など)が頻繁に要求されます。その解決策として半自薦リンクを行っています。

英語版の「誰か他の人がリンクするはず」というくだりは、執筆者の多い英語版だからこそ通用する文面だと思います。サブカルチャーならまだしも、執筆者過疎の科学記事では誰もリンクせずに終わってしまいます。 文章は毎回、Wikipedia に相応しい形に再編して投稿しているので何とかなります。しかし、画像に関しては現状では外部リンクにせざるを得ません。このようなマイナー分野にも対応した条文をお願いいたします。- NEON 2006年11月27日 (月) 15:03 (UTC)

「掲載して良い外部リンク」の第2項「情報の信頼性、検証可能性などにおいて書籍や学術論文などと同等の水準を保っており、出典、参考文献として掲げるに値するサイト」でカヴァーできないのですか?具体例を挙げていただければ助かります。画像等の参考資料の自薦を許すと、問題は学術分野を超えて広範囲に及んでしまうと思います。--Pugnari 2006年11月27日 (月) 15:15 (UTC)
私も今の文面でカバーできると思います。いくらマイナーな分野だからといって、投稿している方が必要とする画像が、自分で運営しているサイトにしか存在しない例というのは極めて少ないように思うのですが、どうでしょうか。誤解ならば具体例を提示していただけると助かります。そういうケースの場合は、ノートページで提案しても無視されてしまうようならば、関連ポータルや井戸端で提案してお願いすればよいのではないでしょうか。一刻も早くそれらの画像を載せなければいけない、というわけでもありませんし、あまりに件数が多ければまた考え直す、ということで遅くないと思います。--Aotake 2006年11月27日 (月) 15:28 (UTC)
申し訳ありません。外部リンクの是非に関しては常にブラックリストが優先されると思っていたのですが、そうではないのですね。そこに抜け道があれば私の心配は杞憂だと思います。お手数お掛けしました。
逆に、「掲載して良い外部リンク」の第2項が強力すぎて、この条文があまり意味を為さないものになってしまう気もします。何にせよ、不慣れな人間の議論にお付き合い頂きありがとうございました。- NEON 2006年11月27日 (月) 15:46 (UTC)
よく読んで分かったような気になりましたが、Pugnariさんらは「掲載してよい外部リンク」の1項・2項は「掲載すべきでない外部リンク」に優先すると考えているということでしょうか?だとすると、"掲載すべきでない”の5・6や =「掲載してもよい外部リンク」 について= で私が述べている見解から、その意見には反対です。
>自分で運営しているサイトにしか存在しない例というのは極めて少ない
使用できる画像・・・ということを考えると、自分で運営しているサイトのものしか使えないことの方が多いと思いますが(案件によってはコモンズなりで見つかることがあるでしょうが)。。。
不適切な外部リンクであれば、いずれにせよ他の禁止基準によって編集削除されることでしょうから、何も入り口を厳しくして記事の充実を妨げてしまうことはないというのが私のスタンスです。英語版の'strongly recommended'という表現も冠を正さないことを求めているだけで、「情報の信頼性、検証可能性などにおいて書籍や学術論文などと同等の水準を保っており、出典、参考文献として掲げるに値するサイト」であれば、自薦でも構わないと思います。ノート記載はいらぬ邪推をなくすためには有効だと思いますが、別にリンクを付加しようとするものが事前に書かなくても、リンクがおかしいと思った者が事後に書くのでも構わないと思います。 Fuji 3 2006年11月27日 (月) 16:13 (UTC)
再び横やり失礼します。傍から見ていて、すみませんがFuji 3さんのご意見は、結局のところどうなさりたいのかよくわからないです。今の草案を緩めるべきだとおっしゃっているのですか?厳しくするべきだとおっしゃっているのですか?コメントの後半部分は、現草案どおり、掲載してよいの1. 2. を掲載すべきでないに優先させることでクリアできると思うのですが、なぜ「掲載してよいの1. 2. を優先させてはいけない」と思われるのでしょうか。僭越ながら、具体的な対案の文面などを提示されながらお話しいただけると、議論がスムーズに進むと思いますが、いかがでしょうか。
さて、英語版などを見比べながら考えてみると、掲載してよいの1. 2. はそれぞれ次のような理由で、他の掲載すべきでないの条件に優先すると思われます。
  1. その記事が扱っている主題の公式サイトは、その存在そのものが記事中に含めるに値する内容だから。つまり、公式サイトのアドレスはリンク先の情報が偏っているかどうかは問題ではなく、主題となっている人物や組織などの本名や生年などと同じ基礎情報の一つとして見なしうる、ということでしょう。
  2. 基本方針である検証可能性を補完するものとして出典とした情報源を明記することが推奨されているため、この方針と整合性をとるため。オンラインの情報を出典とした場合に、これがオンライン情報であることなどを理由にリンクできないとするのは理不尽であり、出典情報を明記することは他のリンクすべきでない条件に優先すると考えるのが妥当でしょう。
ですから、掲載してよいの1. 2. が掲載すべきでないの各条項に優先するのは、もっともなことだと私などは考えてしまいますが、いかがでしょうか。それと私の「極めて少ない」ということが誤解であるというご指摘についてですが、やはり、あまり例がおもいつきません。ぜひ具体例を示していただけませんか。--Aotake 2006年11月27日 (月) 17:22 (UTC)
  1. ある記事に図表があればいいと思った
  2. コモンズや著作権フリーの材料がない
  3. 自分で必要なものを作成しよう
  4. けど自身の作品がGFDLによって変更されるのは嫌だ
というケースはよくあると想像できますが・・・(私は(4)のように思いませんが、プロなどはこだわりを持っている人も多いんじゃないでしょうか?)
また、他者のサイトにリンクを張るという手もあると思いますが、許諾を必要とする(法的根拠は不明)場合も多々あります。
逆にAotakeさんが上記のどのステップがレアだと考えているのかが私には分かりません。
>結局のところどうなさりたいのか
下の方にまとめておきました。Fuji 3 2006年11月28日 (火) 12:43 (UTC)
下の方ばかり追っていたので気付くのが遅くなり失礼しました。私は、ウィキペディアに文章を投稿しているような人が、図表や画像だけに関してはGFDLでリリースしたくないというのはあまり予想できず、かつその図表類を自分のサイトで改変禁止でリリースしてそこにリンクしてまで記事に含めなければならないような例は稀ではないかなと考えています。具体例というのは、実際の事例を示していただければ、という意味だったのですが、この条項については話がまとまりそうなので、いまさらお手を患わせるには及びません。お騒がせしました。<(_ _)>Aotake 2006年11月28日 (火) 16:39 (UTC)
Fuji 3さんは「情報の信頼性、検証可能性などにおいて書籍や学術論文などと同等の水準を保っており、出典、参考文献として掲げるに値するサイトは自薦でも構わない」とおっしゃっていますが、自薦ではそれを客観的に判断できずに、実際にはその水準を保っていないことが考えられます。誰にも提案せずに、自分の勝手な解釈で自分と関連のある外部リンクを追加することは望ましくないと思います。これは別に難しいことを言っているのではなく、ノートで提案すればすむ問題です。そのような提案ができない、面倒と考える人は通常考えられませんし、提案できない場合は何かやましいことがあると考えざるを得ません。また、これは私の個人的な考えですが、私は記事の充実=外部リンクの充実とは考えていません。Frame 2006年11月28日 (火) 05:33 (UTC)

昨日はお世話になりました。私の個人的な懸念は払拭されましたが、議論に関わった者として、この条文は不要という意思を表しておきたいと思います。最たる理由は、「自薦でリンク先(=自分のサイト)の水準を断できない人は、自分のサイトが掲載可-2を満たすと考えてリンクを張ると予想され、従ってこの条文では排除できない」からです。一般化すると、「この条文でしか排除できないリンクは無い」と考える為です。

後は思想の違いですが、私はFuji 3氏の「入り口を厳しくして記事の充実を妨げてしまうことはない」に賛成ですし、外部リンクの充実も記事の充実に含まれると考えています。ノートで提案されて審議する手間を考えれば後から消す方が楽だと思いますし、そもそも初版の投稿では無理な手続きです。加えて、この手のルールは多すぎると読むのが面倒で遵守されなくなるので、他の条文の為にも削れるものは削っておくべきと思います。- NEON 2006年11月28日 (火) 07:19 (UTC)

私は「自薦でリンク先(=自分のサイト)の水準を判断できない人」もいると言いたかったのではなく、私も含めて全ての人は自分の関する製作物などに対して客観的な判断はできないと思っています。初版の投稿では無理かもしれませんが、初版から自らの関連サイトを推薦するという行為自体が私は望ましくないと考えます。また、ノートでの審議の手間ですが、「記事に加筆しようとしている利用者自身が所有、管理、または執筆を行っているサイト」というのは通常1個か2個程度で、10個、20個あるとは考えられず、そのユーザにかかる手間は少なくてすむはずです。Frame 2006年11月28日 (火) 09:03 (UTC)
私もFrameさんのご意見に賛成です。NEONさんのおっしゃるように「この条文でしか排除できないリンクはない」ということであるならば、私の意見ではむしろ英語版並に自薦リンクを制限すべきだと思います。これは今のウィキペディアの抱える外部リンクに関する問題は、リンクを充実させなければならないことではなく、リンク、特に宣伝リンクが多すぎることにあると考えているからです。そもそも、この草案作成に先行する井戸端で話題になった、自分の企業に人々を引きつけるために記事を作成して、リンクを置く、というような行為についても、この条項によってある程度規制できると思うのですがいかがでしょうか。もちろんそういう記事を立てる人がこの方針を読んでくれるかどうかはかなり疑問ですが、プロジェクトの方針として明確にしておくことは有益だと思います。また、参考文献の充実は確かに記事の充実だと思いますので、その点においてはリンクも充実すればよいと思いますが、リンク集として出典というわけでもない関連サイトのリストが記事に加わることは、充実ではなく、むしろウィキペディアの目的外利用だと思います。--Aotake 2006年11月28日 (火) 10:49 (UTC)
>全ての人は自分の関する製作物などに対して客観的な判断はできない
そう思われるのは自由ですが、決め付けることは無謀だと思います。また、自分の判断は駄目として、他人の判断だったら必ず正しいのか?ということも疑問です(実際問題リンクが多いことが、当ガイドライン策定の理由の一つではないですか?)。自己サイトリンクが問題になるかどうかは、結局可能性の問題にすぎないと思います。Fuji 3 2006年11月28日 (火) 12:43 (UTC)
確かに突き詰めていくと、「記事に加筆しようとしている利用者自身が所有、管理、または執筆を行っているサイト」を排除するとはいっても、出典としてたかい水準を満たしていれば例外を認めるとの抜け穴があり、また、そのリンク先が、編集を行った利用者本人のサイトであることは、CUでも行わない限り、そしてCUを行ってもしばしば、証明不能である事から、リンクすべきではない…の第4項はそれほど高い実効性を持っていないとも言えるでしょう。しかし、この方針文書の立場としては、WP:NPOVに基づいて、自分自身の運営するサイトへのリンクを最大限自制するようにとの倫理的規定としての存在意義があると思います。また、これはWikipedia:自分自身の記事を作らないの外部リンクにおける対応物でもあります。「掲載しても良い」の第1項および第2項に関しては、「掲載すべきではない」のどれかに当てはまるからといって直ちにそこへの外部リンクが排除されるわけではない、と書いているのは、逆に、第1項および第2項に関しても「掲載すべきでない」に該当する場合には十分慎重を期してくださいということをも意味していると思います(必要なら明文化してもよいですが、煩雑になるかと…)。
この文書がどういう思想に基づいているべきかという点に関しては、意見の相違があるでしょうが、元の英語版や他の方針文書の内容をかんがみるに、外部リンクは基本的には使うべきでないというのが出発点で、外部リンクが認められるのは、記事を作る際にどうしても他の手段で補完できない物に関してのみである、という考え方であると思います。これは、「外部リンクは最小限度にとどめること」という言葉に集約されています。その意味で、この規定は、外部リンクの入り口を狭くする事を念頭に置いているし、不適切な外部リンクが発見されたときにそれを削除する編集に対して正当性を与える働きも持っており、その両面から多くの編集者が編集する事によって外部リンクも適正化されると考えていると思います。そして、外部リンクが不自由になる事によってその編集が高い制約を受けるかどうかという事は、実は、その編集がウィキペディアにとって有益なものであるか否かを考える試金石さえ与えていると思います。--Pugnari 2006年11月28日 (火) 11:55 (UTC)
  • 不適切な外部リンクが発見されたときにそれを削除する編集に対して正当性を与える
これについては2もなく賛成です。
  • 外部リンクの入り口を狭くする事
ここは私の考えとは異なります。正直、wikipediaの現状は、外部リンクなんかよりも入り口を狭くすべきことは多いと考えていますし、それでも入り口を狭めずに多くの参加者をつのっていることは、その方のメリットが大きいと判断されているからだと考えています。なので、まずは外部リンクも認め、不適切なものであればどんどん削除するなり適切なものに置き換えるなりする方が記事が充実するのかと。まぁ、ここは思想の問題ですし、規定の内容と深刻に衝突するわけでもないと考えているので、同意が必要な項目とは思っていません。
この項目で私が違和感を抱いているのは、「宣伝は駄目」といった本来の目的ではなく、「宣伝になるから自身の投稿は駄目」という間接の行為を事例に挙げていることであり、自身の投稿は全て”すべきでない”と一律に判断してしまうことに思考停止を感じるからです。先に挙げたとおり、4項を「宣伝目的のリンク」とし、その注釈として「宣伝目的のリンクについて」という節を設けて、そこで自己サイトへのリンクに触れて強く自制を促すというスタイルではまずいのでしょうか?・・・と書いていて気付きましたが、「宣伝目的のリンク」を"禁止されているリンク"に持っていって、"掲載すべきでない外部リンク"はあくまでも"すべきでない"項目を説明する節にするのが一番しっくり来ます(なお、私は5項、6項、7項も"禁止されているリンク"でいいと考えています)Fuji 3 2006年11月28日 (火) 12:43 (UTC)
宣伝はダメ、というだけではありません。WP:NPOVの観点から、宣伝目的でなくても、自分自身のコミットメントの強いサイトへの外部リンクを自分で加える事は自制して欲しいという意味です。自制してください、と呼びかける事が何故問題になるのかよくわかりません。副節「宣伝目的のリンク」のネーミングがミスリーディングなのであれば、これを「自分の運用するサイトへのリンク、特に宣伝目的のリンク」等としても構いません。また、禁止されているサイトに「宣伝目的」を移動するのも反対です。例えば、民間出版社のオンライン学術雑誌のサイトは、利用料を取って中の論文を閲覧させる「商用サイト」です。したがって、そこへの外部リンクを「宣伝目的だ」と糾弾する事は可能ですが、そのサイトに含まれる論文が参考文献として必要な場合には、そこにリンクが貼れるようにしておく必要があります。--Pugnari 2006年11月28日 (火) 12:56 (UTC)
Pugnariさんの挙げている例は、私から見るとそもそも宣伝目的ではないんですが・・・商用サイトへのリンクだからと簡単に宣伝だと判断して糾弾する方は出てくるでしょうが、宣伝が目的ではなく、参考文献として有用なリンクを張るためと納得をえてもらえば済むだけの話ですし。
自制してくださいと呼びかけることについては、私は最初から一貫して賛成しています。Pugnariさんの書いた「宣伝目的でなくても、自分自身のコミットメントの強いサイトへの外部リンクを自分で加える事は自制して欲しい」を読んで、今の草案より適切だなとは思いました。最低限、”掲載すべきでない”は、なぜ掲載すべきでないかについて触れるべきではないでしょうか?Fuji 3 2006年11月28日 (火) 13:18 (UTC)
そうですね。加筆してみました。[1] --Pugnari 2006年11月28日 (火) 13:39 (UTC)

加筆した文を確認しましたが、私が懸念している問題もおおよそ解決すると思われますし、私もこれでいいと思います。また終わった話なのですが、Fuji 3さんの「また、自分の判断は駄目として、他人の判断だったら必ず正しいのか?」についてですが、他人の判断であれば少なくとも第三者の判断であり、主観的な部分は排除されます。私が言いたかったのは、自分が関わってるものへの自己評価ほど危ういものはないということです。Frame 2006年11月28日 (火) 13:57 (UTC)

その一文が入ると、随分論点が絞られると思います。Fuji 3氏と(おそらく)同様、この条項を宣伝リンクの予防線的な位置付けとする意見には違和感があったのですが、それとは独立に専らWP:NPOVに基づく条項である、という理解でよろしいのでしょうか。もちろんWP:NPOVの延長上に宣伝の排除も含まれると思いますが、それを直接意図してはおらず、理念の具現化であるという意味合いが強い印象を受けます。- NEON 2006年11月28日 (火) 14:15 (UTC)

ちょっとの違いですがかなり良くなったと思います。また、客観性や妥当性において自己の判断<他人の判断になることが多いことは私も理解していますから、上記の疑問は自分の判断は全て駄目、他人の判断は全てOKということはないですよね?という確認程度のものとお考えください。Fuji 3 2006年11月28日 (火) 14:55 (UTC)
なんとなくみなさまが納得できるあたりにおちついたような感じで良かったです。根本的な考え方については、考えてみればWikipedia:ウィキペディアは何でないかに詳しく解説されていて、この文書は、それの外部リンクに関して特化したルールだということですね。--Pugnari 2006年11月28日 (火) 15:08 (UTC)

アフィリエイト(ワンクリックや宣伝等も含む)掲載サイトへの外部リンクについて[編集]

例えばある会社の説明にその会社の公式HP(宣伝があろうが無かろうが)への外部リンクは納得できます。しかしながら解説するために商業目的のサイトなど(例:著書の紹介や出典のための外部リンクとしてAmazonの該当ページへリンクを貼る。例:観光地を紹介するために とある旅行会社のページを利用するなど)へのリンクは控えるべきかと思います。何と言いますか、公平でないような。非営利のWikipediaで、リンクを貼る側も貼られる側も、何と言いますか公平なチャンスをといいますか…。

であるならば少し不自由でもWikipedia内で執筆・写真追加を依頼、またはコモンズ等から写真を持ってくるなどし、Wikipedia内部完結した方が得策に思えます。理由は以下の通り。

  1. Wikipediaにあれば他サイトを参照するよりも長期の閲覧が可能であるため
  2. 非営利な中で完結することによってこのような問題を生じさせないため
  3. Wikipediaの充実に繋がるため

また、SEO対策ではなく、単にクリック目的のような新手のサイトも出てくるでしょう(例:Wikipediaで許可されない画像(GFDL、PD以外)対策として自分のHP上に掲載した画像ページに多量にリンクを貼る(そのページ内にアフィリエイト等宣伝有り))。

このような事案について一応議論の余地はあると思われますがいかがでしょうか?言葉足らずで申し訳ありません。Hadge 2006年11月27日 (月) 05:25 (UTC)

この点については、「掲載すべきでない外部リンク」の第3項「その外部サイトが物品やサービスの販売以外に特筆すべき内容を持っていない場合」および第10項「記事の内容に直接関係がないサイト」でカバーされていると思われますが、これらの基準では不十分だと言うご意見ですか?--Pugnari 2006年11月27日 (月) 09:35 (UTC)
2ヶ所に、「アフィリエイト等」の文言を追加しました。--Pugnari 2006年11月27日 (月) 12:09 (UTC)
了解しました。お手数かけます。Hadge 2006年12月1日 (金) 12:02 (UTC)

ガイドラインの基本精神として[編集]

Wikipedia:自己参照を避けるWikipedia‐ノート:自己参照を避ける/自己言及しないも参照)と共通する部分のある考えなのですが、外部サイトとしてウィキペディアを紹介できないような状況を作り上げることは矛盾といえるのではないかと思います。

ウィキペディアの記事は単独で使用することができ、そのような状況においてはリンク内部・外部の区別は存在しないわけです。また、単純ですがウィキペディアの閲覧者からしてみればリンク先が内部であろうと外部であろうと関係はないわけで。

検証可能性を満たしている必要がある根拠などは上の理念で説明することができますが、逆にべからずの9条(SNS・ウィキサイトの禁止)、即ちウィキメディアプロジェクトを外部リンクとして含めることができなくなるという規定に問題が生じます。

#厳密に言えば同規定には外部のという限定条件が付いている為、記事がウィキペディア内に存在する限りリンクは貼れることになるのですが、この規定自体が上に挙げた方針と反対の精神を持っているように感じます。

すなわち、外部リンクにウィキペディアと同等の質を要求することは否定しませんが、それを超えたレベルを要求する意味はないと考えます。内国民待遇とでも言いましょうか・・・--Kkkdc 2006年11月30日 (木) 12:31 (UTC)

私は英語版に首を突っ込んでいるわけではないので、何とも言えませんが、Kkkdcさんが仰るような考え方では英語版のような記述にはならなかったでしょう。例えば、Wikipedia:信頼できる情報源を読むと、少なくとも私の理解では、ウィキペディアの記事の出典としては(究極的には)批判的論考による2次資料が理想的とされています。すなわち、ブリタニカのような権威ある大事典でもこれは3次資料と見なされ、2次資料よりは低次の参考文献と見なされます。参考文献にこのような「ランク付け」を施しているのは、ウィキペディアの目標を、多数の編集者がかかわる事によって究極的にはどんな百科事典にも比肩し得る記事を作る事に(それがメガロマニックであったとしても)置いているからだと理解する事が出来ます。この理由で、ウィキペディアは今現在のウィキペディアと同水準かそれ以下の資料・文献を出典として積極的に参照すべきではないと考えれば、現在の草案のような規定にも一定の理があるとおもいます。なぜなら、使い方によるといえなくもないですが、基本的には参考資料・出典のレベルによってその記事のレベルの上限が決まってしまうからです(例えば、オックスフォード英語辞典が影響力のない個人のSNSやブログから安易に英語の用例を取材するとは考えられません。現代の習慣的用法は、徹底的かつ網羅的な用例収拾(コーパス)に基づいた学者の研究を経て掲載されるはずです)。その意味で、編集方針としてはウィキペディア内部と外部には明確な非対称性があってしかるべきだとの意見も成り立ち得ると思います。自己参照を避ける話と、それほど直接的な関係を私はあまり見いだせません。
そして、精神もさることながら、記事の後ろに有象無象の外部リンクがたくさんついている状況は、厳密(rigorous)な意味での百科事典としてはふさわしくない状況で、記事に貢献度の高くない外部リンクはやめましょう、というのが率直な考え方なのではないでしょうか。--Pugnari 2006年11月30日 (木) 14:19 (UTC)

「掲載してよい外部リンク」の項を見るに、べからず条項にオーバーライドされない、出典・情報源としての外部リンク(1, 2条)と、同条項によって規制される、「閲覧者の理解を深めるに値するサイト」(3, 4条)のニ種別が存在するように読み取れます。

ここで、検証可能性その他の方針がウィキペディアと同一なウィキを仮定してみます(実際にはなさそうなものですが、姉妹プロジェクトやforkプロジェクトの一部がこれに該当するでしょう)。ウィキの「誰でも編集できる」という性質上、安直にそのウィキを「信頼できる情報源」とすることには大きな疑問が残ります。「掲載してよい」の2条 "書籍や学術論文などと同等の水準を保っており" に該当もしないでしょう。この点はPugnariさんが上で仰っていたことかと存じます。

次に、後者について。現在のウィキペディアにおいては「関連項目」節をはじめとして、外部リンクとほぼ同じ形態にて別記事へのリンクが提供されています。これについて私は、(外部リンクと同じく)閲覧者の理解を深めるためのリンクと理解しています。そのリンク先ページ、すなわちウィキペディアの別ページは、検証可能性その他の方針に基づいて編集されてはいますが、ウィキの「誰でも編集できる」という性質上、常にその方針が満たされた記事である保証はありません。

(外部・内部問わず)リンクを「閲覧者の理解を深めるため」のものと考えたとき(「掲載してよい」節の4条)、前述した一定の要件が満たされている「外部のウィキ」と、「内部のウィキ:ウィキペディア」とを区別することはナンセンスであると言えるでしょう。

また、ウィキペディアと同等水準の方針を持たない「野蛮なウィキ」(便宜上の名称です)は、べからず9条を削除しても、第2条(ガイドラインの準用)によって排除できるものと思われます。

以上より、リンク先サイトが「wikiだから」という理由により排除されるのは不適切であると考えています。--Kkkdc 2006年11月30日 (木) 14:55 (UTC)

極論するようで申し訳ありませんが、その論理を敷延すると外部リンクは何でもありという事になってしまいませんか?基本的な考え方として外部リンク先が「関連がある」「理解を深める」という基準で掲載する事に出来れば、たとえば相対性理論の理解を深めるという理由で、相対性理論関連の無数の啓蒙サイト、相対性理論に触発された疑似科学やその疑似科学理論を用いた小説や映画、そして、それら小説や映画での疑似科学について論考した個人のウェブサイト、ブログなども「相対性理論が一般の人々にどのように受容されたかを知る事ができ、相対性理論の理解の助けになる」という理由でいくらでも外部リンクを掲載できる事になってしまいます。それらに、相対性理論関連のトンデモ本の宣伝サイトを含める事も出来、掲載すべきでない…のほとんどを削除しなければならなくなります。少々乱暴ではありますが、こうなってしまってはこのガイドラインはまったくの骨抜きなってしまうといわざるを得ません。そこまで極端な事を言わないにしても、第9項を削除してしまうと、内容は検証可能ではあるし、記事の内容に直接関係もあるんだけど、参考文献としては相応しいレヴェルではない各種wikiサイトのページやSNSを掲載できるという事になります。これを排除したいための条項です。また、forkサイトで、現在のウィキペディアと同じライセンスのプロジェクトであれば、GFDLを守ればこれをウィキペディアの記事の中に問題なく取り込む事が出来るので、forkサイトへの外部リンクの必要はありませんし、その意味でforkサイトを想定したとしても「掲載しても良い」第1項および第2項に該当しない外部wikiへのリンクを排除することへの反証とはなりえなくないですか?
もっと言えば、現在のドラえもんの記事のような外部リンクの羅列の状況は好ましくない、という立場だと説明できるかもしれません。逆に、参考文献としてみとめられる高度なクオリティーではないのに、SNSやブログ、外部の各種wikiサイトを掲載できないと困る例を教えていただければ、話が噛み合ってくるかもしれません。
そして、外部の各種wikiシステムを利用したサイトであっても、クオリティーが高ければリンクは許されている点にもう一度注意してください。基準第1項
記事に含まれている内容を本質的に超えないもの。これは、その記事が将来秀逸な記事に選定されたとき、当然含まれるべき内容以上の記述を持たない外部サイトへのリンクも掲載すべきでないことを意味します。
の「精神」は、ウィキペディアの記事は将来的には高水準の記事になるであろうし、そうあるべきだという理念の反映だと思われます。この理念があるからこそ内部リンクを貼ることは外部リンクに比べて厳しく制限されるべきではないのだと理解できます。更に私の私見を述べれば、「関連項目」として様々なウィキペディア内の記事に内部リンクを大量に羅列しているのを時々目にしますが、それも果たして適切だろうかと思えます。例えば、ヨハン・ゼバスティアン・バッハに見られるカール・リヒターへのリンクはまったくもって不適切です。なぜなら、カール・リヒターは確かにバッハの作品を大量に演奏した有名な演奏家ですが、これを関連項目としてリンクに含めるのであれば、他に両の手のみならず、足の指を使っても数えきれないほどの有名なバッハの演奏家を全てここに関連項目として書き込んで良い(または、中立的観点から見て書き込まねばならない)ことになりますが、これはいくら何でも不適切です。--Pugnari 2006年11月30日 (木) 15:50 (UTC)

現在の「掲載してよい外部リンク」節を見る限り、私は1・2が「記事自体の信憑性に関わる参考文献」に関する条項、3・4が「あくまで参考サイト」としての外部リンクに関する記述と理解しております。「第9項を削除してしまうと、内容は検証可能ではあるし、記事の内容に直接関係もあるんだけど、参考文献としては相応しいレヴェルではない」サイトを排除なさりたいとのことですが、これですと3,4の規定の意味が感じられません。

>外部の各種wikiシステムを利用したサイトであっても、クオリティーが高ければリンクは許されている点

として基準第1項があげられておりますが、(3,4の場合)9項の「SNS、外部のウィキサイトなど」に当てはまる限りは掲載できない(以下のいずれかに当てはまる、とされているため)と解釈しておりました。

上ではウィキサイトに対して一概に参考リンクとしての価値を認めていないことについて疑問を投げさせていただきましたが、そもそもあくまで「参考リンク」である以上、「読者の参考になると判断するに足りるサイト」であることを基準に判断することも重要だと考えています。確かにご指摘の記事(ドラえもん)のような外部リンクの張られ方に問題があるとは感じますが、これらをウィキペディアの3大方針によって排除するアプローチには無理があるのではないでしょうか。「考慮すべきガイドライン」としてこのような規定を設け、優良なサイトへのリンクを推進ことは外部リンクの正常化によい影響をもたらすでしょうが、最終的には記事ごとの判断に委ねられるべき分野だと考えています。--Kkkdc 2006年12月8日 (金) 13:11 (UTC)

繰り返しになりますが、宣伝リンクを貼る貼らないの問題で編集合戦を起こさないのが正式化の第1の狙いです。その点では、かなり断定的な基準が必要だという要請があるだろう、というのが現在の文面のひとつの根拠です。
しかし、それだけではありません。もちろん、サイトで扱っている題材によっては、「そんなに厳しく考えなくても」「厳し過ぎて外部リンクが貼れない」との声も出るでしょう。そのときには、十分議論をして、合意の上で正々堂々とリンクを貼っていただきたいと思います。例えば、検証可能性は、記事の全ての文章が検証可能である事、自分の意見を書かないなどを求めていますが、この基準を厳密にクリアーしている記事がウィキペディアにどれぐらいあるでしょうか。現在正式化の議論中のようですがWP:IARによれば、あらゆるガイドラインはあるていど柔軟に運用されるべきとされ、実際現状はそうなっているでしょう。ですが、現状追認のルールを作っても、記事のクオリティーの向上に資するところはありません。これは私見ですが、WP:VWP:NPOVがあれほど厳しい基準を提起しているから現在程度の記事が確保されているのであって、これをリラックスすれば(とくに論争が起きたりするデリケートな分野では)現在よりももっともっと論争がおこり、記事自体が混乱していたでしょう。その意味で、ガイドラインは現状から見て少し厳しいぐらいでちょうどいいと思っています。そして、人々はそれを往々に破りますが、破るときには多少のやましさを感じていただければ、それは、「このサイトお気に入りだからリンクはっちゃお?」的な行動を抑制し逆にリンクの選択を慎重にするという意味でも良い影響をもたらすと思います。--Pugnari 2006年12月8日 (金) 13:29 (UTC)
...というか、SNSとかWikiシステムのサイトを参考文献の目的以外でリンクを貼るべからず、との文言さえ取り除けばいいという話なのですか?英語版のように「十分な歴史と、十分な数のユーザーが書き込んでいるものを除いて」とか付ければ良いという話なんでしょうか?
あと、「考慮すべきガイドライン」と「公式な方針」の区別がよくわかりません。WP:IARがある以上、これらを区別する必要があるのでしょうか...ってこれは井戸端ですべきはなしですか...--Pugnari 2006年12月8日 (金) 14:20 (UTC)
少し書き加えてみました。--Pugnari 2006年12月11日 (月) 15:46 (UTC)

正式化に向けて[編集]

次の手順で、正式化を目指したいと思います。

  1. 最低でも2週間、ノートページでのコメントを頂き修正などを施します。
  2. 2週間が経過し、かつ、異議や修正提案がつかなくなってから168時間で正式化とします。もし、深刻な意見の対立が生じた場合は論点整理を行い、投票も視野に入れて正式化への手順を見直します。

本文、正式化への手順ともどもご意見いただければと思います。--Pugnari 2006年11月26日 (日) 04:37 (UTC)

あらかじめ提案した手順通り、正式化に向けての収束段階に入りたいと思います。異議や修正提案がなければ168時間で正式化したいと思います。--Pugnari 2006年12月11日 (月) 15:46 (UTC)