ノート:栄光ある孤立

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栄光ある孤立ではなく光栄ある孤立なのでは?意味的に大差ないが

栄誉ある孤立だと思っていた。大差は無いが。61.210.161.11 2005年9月22日 (木) 12:41 (UTC)[返信]

辞書・受験の世界史用語辞典では光栄ある孤立です--武者若丸 2005年10月31日 (月) 08:16 (UTC)[返信]

訳語の問題なので、正直、どちらでもいいと思うのですが、その後の議論が無いまま移動とリバートがあった様なので、ちょっと出しゃばらせてもらいます。武者若丸さんの仰る様に、確かに山川の世界史用語集などでは「光栄ある」なのですが、これはあくまでも幾つかある見解のうちの一つであり、「光栄ある孤立」だけが正しいという訳ではありません。研究者によって「栄光ある」、「栄誉ある」、「光輝ある」など、独自の訳を用いているのが現状です。そもそもそれ程頻出する単語ではありませんが。ですので、わざわざ移動する程の問題ではないかと思います。ただ個人的には「光栄ある」という訳語がこなれていない感じがして、「栄光ある」の方がまだまし、という気がします。もっとも、"glorious"でも"honorable"でもなく、"splendid"なのでもともとの意味からすると「輝かしい」か「光輝ある」が訳としては正確かと思います。どちらにせよ、「栄光ある」も明確な間違いという訳ではありませんので、移動する程の事ではないかと思います。 コータ 2005年11月6日 (日) 03:01 (UTC)[返信]

なるほど。明快なご回答ありがとうございました--武者若丸 2005年11月6日 (日) 07:07 (UTC)[返信]

ウィーン体制と孤立主義について[編集]

イギリスが孤立主義を採っていた時期について「ウィーン体制終焉以降」という記述をコメントアウトしました。「ウィーン体制の終焉」という表現が、1820年代にイギリスがラテン・アメリカ独立を支持し正統主義を拒否した時点を指すのか、それとも七月革命にて成立したフランスの新政権が神聖同盟を脱退した時点を指すのか、はたまた1848年の革命でメッテルニヒが亡命した時点なのか、はたまたプロイセンがオーストリアを破りドイツを統一した時点を指すのかは分かりませんが、イギリスの孤立主義はウィーン体制成立直後の神聖同盟への不参加にその現れを見てとる事が出来ます。一般的に、イギリスの孤立主義について論じる場合は「ウィーン体制終焉以降」という限定はされないのではないでしょうか。もちろん、それなりに根拠があって19世紀「後半」だの、「ウィーン体制終焉以降」だのと仰っているのかとは思いますが、然るべき出典がお有りでしたら、ご教示下さい。ちなみにOxfordの'Dictionary of British History'では"most of the 19th cent."、山川の世界史用語集では単に「19C」となっています。 コータ 2005年12月1日 (木) 13:36 (UTC)[返信]

  • ウィーン体制の終焉がいつなのかははっきりとは解らないのですが、後にイギリスは「神聖同盟」に参加していたはずです。同盟に参加していた以上は、孤立状態であったとは思えません。ただ、その神聖同盟もいつ解消となったのかは解りませんが。Libertas 2007年8月2日 (木) 13:11 (UTC)

日本史における適用について[編集]

「第2次大戦中の日本、特にドイツが敗れた1945年5月以降にも使用された。」との事なのですが、これはイギリスの場合になぞらえて、当時、一部にその様な言説が見られたというだけではないのでしょうか。日本現代史での一般的な見解ではないと思うのですが、如何でしょうか。また、歴史において「栄光ある(光栄ある)孤立」といえばまず例外なくイギリスについてである為、好きこのんで孤立した訳でもない二次大戦末期にそういった言説が一部でみられたからといって、こちらに安易に書き足すのは如何なものでしょうか。どうしても書き足すのであれば、日本史の然るべき項目に書かれるか、日本の場合として別項目を起こされたら如何でしょうか。 コータ 2005年12月28日 (水) 16:59 (UTC)[返信]