ノート:志摩市

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中立性と正確性[編集]

次のような理由によって、この記事「志摩市」を削除依頼に出そうと昨日考えましたが、記述の中立性が疑わしいということと、正確性も疑わしいということで、記事内容の訂正があれば、削除の必要はないと考え、削除依頼には出しませんでした。

{{Wikipedia:削除依頼/志摩市}}
=== [[志摩市]] - [[ノート:志摩市|ノート]] ===
宣伝に相当。すべてが宣伝とは言えないが、現状では宣伝過剰です。百科事典は地方の観光都市の宣伝パンフレットを載せる場所ではありません。現状のままでは、削除やむなしです(主たる執筆者の現なる言行からして、記事内容訂正についての話し合い・提案・アドバイスは効果がないと判断しました)。

しかし、上にも述べているように、観光都市の「宣伝パンフレット」にしか見えません。犯罪があるとか、その他否定的な部分も、事実であるか、事実であると考えられる場合は、記述するのが百科事典です。産業(特に、漁業)、名産等、掲載するのがおかしいというか、こじつけのような掲載が多数あり、中立性・正確性がきわめて疑問です。よって、正確性疑問、中立性疑問のテンプレートを貼ります。記事について、もっと客観的・中立的な記述に改まらない場合は、「削除相応」とし、削除依頼を出します。別の執筆者による新しい記事立てが必要とも考えます。Maris stella 2005年7月22日 (金) 09:52 (UTC)[返信]

  • ちょっと待って下さい、元々、志摩市自体観光都市です。疑問が有れば、各々修正したり記述していくのが筋ではないでしょうか?殆ど大雑把にしか書かれて居ない記事に対し正確性、中立性に疑問があるというのはおかしいのではないでしょうか?それと私以外にも執筆されている方が幾人かいらっしゃいます。コピーレフトの記事に対し各々書き加えて修正していくのが筋ではないでしょうか?故にMaris stella氏が張られた2つのタグは外させて頂きました。--Miketsukunibito 2005年7月22日 (金) 10:08 (UTC)[返信]
  • その通りです。書き加え、訂正することで、中立性や客観性が確保できると考え、「削除依頼」は中止し、「正確性」と「POV(中立性)」のテンプレートとしました。観光都市であったからと言って、百科事典の記事が、地方自治体・市等の作成した「観光パンフレット」のごときものとなっているというのは、普通に疑問を抱くのが自然でしょう。他地方でも、ごく当たり前にあるようなことや、百科事典に記載するほどでもないようなことは、差し控えるのが、より正確な記事への道です。努力願います。Maris stella 2005年7月22日 (金) 10:16 (UTC)[返信]
  • ノート:渡鹿野島 の方にも書いておいたのですが。
おれ思うんだけど、Wikipediaの推奨事項に Wikipedia:自分自身の記事をつくらない ってのがあるでしょ。まだ考慮中のルールだけど。Miketsukunibito さんは、これをちょっと深刻に受け止めるべきなんじゃないだろうか。個人的な感覚としては、専門家のひとがその専門性を生かして書いてくれるなら歓迎すべきだ、もちろん高度な倫理性は必要だけれども全面的に止める必要はないだろう、って思ってた。でも、こういうケースの歯止めは必要なんじゃないかな、とも思った。申し訳ないんだけど、Miketsukunibito さんは、三重伊勢志摩関連記事に関する公平性についてかなり疑問を抱かざるを得ないライターなので、三重伊勢志摩関連の記事は今後一切書かない・編集しない、というくらいのつもりでいてもらうしかないんじゃないか、という気がしてきてます。
これだけMiketsukunibitoさんの三重伊勢志摩関連の記事については公平性を疑う声が出ているのですから、「Miketsukunibitoは三重伊勢志摩関連の記事を書かない。編集も行わない」というのが望ましい選択のように思うのですよね。いかがでしょうか。--Nekosuki600 2005年7月22日 (金) 11:07 (UTC)[返信]
  • そういった封じ込め措置は建設的ではないように思います。「専門家のひとがその専門性を生かして」書いて、それを数多くの査読を通じて切磋琢磨する、ということでいいのではないですか。さらにいえばMiketsukunibitoさんの問題は「公平性」とか「偏向」とかというより正確性/客観性確保の問題であり、これは訓練次第で改善されるはずですから。--210.149.213.148 2005年7月22日 (金) 11:35 (UTC)[返信]
  • 改善の気配が感じられればいいんだけど、耳の痛いコトは無視しちゃうというのが続いてるし。無限の労力があるわけじゃないので、「どう考えてもおかしい記述を次々モグラタタキしていく」のにも限界がある。明らかにおかしな記事を量産している方には、その分野での自粛を求めるってのはあながち筋違いじゃないでしょう。Miketsukunibitoさんに関しては、三重伊勢志摩関連以外の記事についてはそれほどおかしなものが多いわけじゃないんで、まあ客観性について疑いを持たれるような状況が続いている間は三重伊勢志摩関連については書かない・編集しないという選択を選んだ上でじっくり熟慮していただくというのがお互いにとってよろしいかと思うしだいです。ところで、210.149.213.148さんって、流しのユーザの方? --Nekosuki600 2005年7月22日 (金) 11:45 (UTC)[返信]

訂正案[編集]

とりあえず、こういうのはおかしいと思えるものを、コメントアウトしました。例えば、「サーフィンのメッカ」とか三箇所の海岸に書いていましたが、大袈裟すぎます。画像も、不必要に多すぎると感じます。太平洋岸なら、どこでも取れるような魚を漁業の項目に並べるのもおかしいのです。事実が確認できないので、とりあえずですが、やたらに「日本一」とか出てくるので、コメントアウトしました。古くからの歴史があり、国立公園であり、記述する内容が多いのは認めますが、人口6,7万の都市で、そんな「メッカ」が三箇所もあったり、日本一が十もあったり、全国的ブランドだとか、石工が全国に展開とか、大袈裟過ぎるでしょう。

もっと削りたいのですが、どの項目に優先度があるのか分からないので、そのままにしたものもあります。コメントアウトした項目は復活されても自由ですが、何故コメントアウトしたのか、よく考えてください。なお、POV のテンプレートは、わたしが貼ったものなので、現在なお、中立かどうか疑いがありますが、正確性のテンプレートは残しているので、これは外します。

重複や、自慢のための自慢は、できるだけ自粛して吟味して選んでください。「六町が合併して市となった」など、二回記述されているので、一方はコメントアウトしました。アワビやマンボウやヒジキの写真は、多すぎるので部分的に消しました。こういうものを載せて満艦飾にしたいのなら、Shimapedia で行ってください。Maris stella 2005年7月22日 (金) 20:43 (UTC)[返信]

先ず、町史などに記載され、少なくとも国立国会図書館に所蔵されている書物で確認可能の物のコメントアウトを解除しました。サーフィンがなぜメッカと呼ばれているかは3つの海岸の位置関係にあります。サーフィンは単純にどの砂浜でもできる物ではありません。これについては理由を詳しく記す必要があるためそのままにしておきます。-Miketsukunibito 2005年7月22日 (金) 22:56 (UTC)[返信]
  • 何故コメントアウトしたのか、よく考えてください」と記したはずです。あまりにも短絡的で、他人の意見に耳傾けるという基本姿勢が欠けているのですね。あなたには、「根拠」があると思えるものでも、第三者から見ると、おかしいもの(過剰宣伝になっているもの)をコメント・アウトしているのです。中心となる文章群には触れていないでしょう? 分からないのですか? 「中立性」にまったく欠けるとしか言いようがありません。再度これで確認できました。もっと慎重に対応するべきです。revert します。「中立性の欠如」をみずから実証しました。Maris stella 2005年7月22日 (金) 23:58 (UTC)[返信]

念のために、revert は、元の状態に戻したので、「正確性」と「POV」の二つのテンプレート以外は、わたしは何も手を加えていない状態になっています。MD242 という方が書き込みしたようですが、わたしは文章には触れていません。コメント・アウト全体を、元に戻したということです。Maris stella 2005年7月23日 (土) 00:21 (UTC)[返信]

こういった場合に、中立性に欠けるなどと相手を批判しても、問題解決するとは思えませんし、実証されたことにもならないと思いますが。 とりあえず、Miketsukunibito氏には、問題点を指摘されているものに関して、記述の参考にした町史以外の書物の名前を、できれば参考にした記述のある頁、箇所もつけて具体的に挙げていただけるとありがたいのですが。--Snow steed 2005年7月23日 (土) 02:38 (UTC)[返信]

基本項目の充実とWikitravelへの移動について[編集]

どうもどうも。何かノートが大変な事になっていますが、ちょっと気がついた事があるんで、横から口を挟ませてください。

さて記事内容をWikipedia:ウィキプロジェクト 日本の市町村に沿った形に移動しました。この作業で気がついたことは、基本項目(地理、歴史、産業等)の内容がただ志摩市にあるものとか、志摩市で取れるものの一覧に過ぎず、例えば歴史項目では、古い歴史があるような記述をしつつも、○○年に△△が□□を××した。と言う5W1Hを抑えた内容になっていない事、言い換えればアカデッミクな内容になっていない事が挙げられます。もう少しデータを抑えた書き方をなさるとよろしいのではないでしょうか?

もう一つは名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事、お土産品・名産品・郷土料理など、文学・映画・テレビドラマの舞台としての3項目だけが突出して酷くバランスを欠いていること、あまりWikipedia向けの内容ではないかなと感じた事です。個人的にはWikipediaよりもWikitravelに書いた方が良いのではないかと思います。{{Wikitravel|ウィキトラベルでの項目名|タイトル}}でWikipediaから簡単にWikitravelに飛べるようになっているので、ご検討されてみては如何でしょうか?ではでは--Juyukichi 2005年8月5日 (金) 01:00 (UTC)[返信]

どうもどうも。とりあえずWikitravelに雛形を建てておきましたので、適当に移せるものは移してみてはどうでしょうか?ではでは。--Juyukichi 2005年8月31日 (水) 05:34 (UTC)[返信]

志摩郡をあいまいにしました。[編集]

どうでもいい事かもしれませんが志摩郡筑前にもあるので、志摩郡を作成しました。 220.211.247.232さん

二つ以上、志摩郡がある場合あいまい化は構わないのですが、コピーペーストで記事を移動するのは、しないって決まりなんですが・・・--Juyukichi 2005年8月5日 (金) 03:26 (UTC)[返信]

三重県の志摩郡は合併で消滅したので、記事の存廃自体を検討すべき段階かもしれません。歴史に関しては要約して志摩国に統合するとか。--C Dragons 2005年11月14日 (月) 06:00 (UTC)[返信]

自治体記事の歴史は、その自治体が存在した期間以外禁止?[編集]

自治体の記事にある歴史の項には、その自治体が存在した期間(誕生してから今まで)の事しか書いてはいけないのでしょうか?見たところ、大昔の出来事から書いている記事も多いのですが、反対に全く書いてはダメと言われる記事(書いても削除されます)もあって、どっちにしたらいいのか混乱しています。--Nuoto 2006年9月13日 (水) 18:38 (UTC)[返信]

Nuotoさんが仰る自治体の歴史というのは、志摩市での一件だと思います。Nuotoさんが志摩市の中に志摩国の歴史を書かれているみたいですが、すでに志摩国という項目が存在し、記事もある程度あるようなので志摩国についての内容は志摩国の方に書かれてみてはいかがですか?そうでないと、同じ内容が志摩市と志摩国で重複してしまうことになります。--Trilingual 2006年9月14日 (木) 03:02 (UTC)[返信]

わかりました。例えば千葉県の歴史からも、千葉県誕生前の話は消した方がいいということですね。ではそちらに統一していきます。--Nuoto 2006年9月19日 (火) 01:30 (UTC)[返信]

Nuotoさんの言い分は極端すぎます。--Goki 2006年9月19日 (火) 05:49 (UTC)[返信]

志摩市=志摩国ではないので問題が生じるのだと思います。和泉市和泉国の、甲斐市甲斐国の歴史が書かれていたり、むつ市陸奥国の歴史が長々と書いてあったら違和感を感じると思われます。志摩国の記事がないのであればともかく、あるのですから志摩国に加筆した方がよろしいかと思われます。Himetv 2006年9月19日 (火) 05:58 (UTC)[返信]

ちょっと調べてみたのですが、Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本の市町村に「古代から現代までの略史」となっています。Himetvさんの仰る三市にも市誕生前の事が書いてありますが、志摩市だけ「志摩市が無かった頃、志摩國、志摩郡時代の歴史については、それぞれの項目が存在しますから、そちらの項目をご活用ください。」となって少しでも書いたら消されるのは何故ですか?ダブルスタンダードだと思います。あと、私は加筆したのではなくて、以前にまとめて消されていた部分を復活させただけです。--Nuoto 2006年9月19日 (火) 08:57 (UTC)[返信]

私の方からは判断しかねますが、バランスの問題もあるのではないかと推測されます。たとえば伊勢市と同程度の分量で纏めれば良いのではないかと思いますが、如何でしょうか。(鎌倉市鎌倉のように歴史文化関係のみ別建てにするのもひとつの方法でしょう)また志摩市の場合は鳥羽市に含まれるべき内容とどう峻別するかも重要かと考えます。いずれにせよ志摩市で差し戻したのは私ではないのでその人の判断基準がどうかというのは判じかねます。お力になれず申し訳ありません。Himetv 2006年9月19日 (火) 09:21 (UTC)[返信]

話を標題の質問に戻しますと、ウィキプロジェクトを読む限り、略史の範囲内においては古代からの歴史を記述可能、というよりむしろ書く事を推奨されていると判断できます。そうしますと、必然的に旧国、旧自治体の項目との重複は避けられませんから、重複を問題としたご指摘は当たらないのではないでしょうか。ご意見お願いします。また、志摩市については鳥羽市との関係に考慮すべきではありますが、以前に該当箇所を削除した方や賛同者の発言ではその点は触れられていませんので、今回の件には直接関係ないと思われます。いずれにしても、志摩市個別の用件に関しては井戸端に馴染み難い議論ですので、志摩市のノートあたりで改めて聞いてみます。その前に、前段の自治体記事全般に普遍的に当てはまる事柄について、今一度確認させて下さい。--Nuoto 2006年9月21日 (木) 02:40 (UTC)[返信]

全記事にあてはまる一般論としてなら、自治体成立以前の歴史を書くことは、禁止されていません。市町村プロジェクトの指摘の箇所の理解も、それで正しいです。そのことは皆さん承知と思います。
プロジェクトの目的は良い百科事典を作ることで、それ自体が目的なのではありません。杓子定規に解釈すると変なことになるなら、「プロジェクトの文章を変えよう」とか、「この場合例外にしよう」とかいう方向で話がまとまってしまいます。適当に分担しているのは宮崎県など他にもあります。いいあんばいを探ると志摩市と志摩国は分担ということになるのではないでしょうか。Kinori 2006年9月21日 (木) 04:30 (UTC)[返信]

一般論の部分についてのご回答感謝致します。本来なら井戸端での発言はこれで終了し、当該ノートに移ろうと思うのですが、志摩市個別事案についてのコメントも頂戴しましたので、この場でもう少し掘り下げさせて頂きます。

ご返答下さった全ての方に共通するのですが、どうも私の投稿歴が著しく浅い事などから、危険人物扱いされてるのかな?という気がしております(途中で荒らしともとられかねない発言をした事も、疑惑を深める原因かもしれませんが)。私は志摩市においては過去に削除された記述を復活させたのみで、また今後も積極的に記述量を増やす気は毛頭ございません。私が気になっているのは、この記述が全面削除された経緯です。

履歴を詳しく巡っていくと分かりますが、志摩市関連の記事全般は1年ほど前に激しい争いが発生しているようです。それまで関連記事の主要執筆者であった方の傾向が地元に有利な信憑性の低いものであった事から、2ちゃんねるなど外部サイトで話題となり、この方の編集を正そうと多くの方が集まって修正が施されたようです。結果として件の執筆者は離脱したようで(別のアカウントで生き残っているという説もあり)一旦は沈静化していますが、それから半年ほどたった今年春、突然歴史の項がほぼ全て消されてしまっています。

見たところ、この削除が事前に議論された形跡はなく、また志摩国などとの記述重複を理由に挙げながら、削除されたものと同様の記述は肝心の志摩国には見当たりませんし、転記なども行われていません。さらに、その削除編集者はこの投稿1回のみのアカウントユーザーという点も違和感があります。同様に、私の記述復帰を差し戻した方もそれのみの新規アカウントで、私の後に別の方が志摩国とは重複しない部分だけを復帰させても、またそのアカウントで即削除しています。

以上の事から、一連の削除には百科事典を充実させる目的とは別の、ネガティブな意図を持った集団を疑ってしまいます。明確な証拠はありません。ただ、ちょうど皆さんがなんとなく私に不審感を抱かれる理由と似ているかもしれません。--Nuoto 2006年9月21日 (木) 08:35 (UTC)[返信]

標題の質問が解消された今、私が井戸端に居座る意味はありませんので、次のフェーズとして志摩市のノートに移行しようと思います。お付き合い頂いた皆様、有り難うございました。なお、無言やそれに近い形で削除等をされる方(例1例2)に言っておきますが、議論に参加しないと、問題なユーザーのソックパペットという説もある私の思い通りに編集されても、文句が言えなくなってしまいますよ、とか言えば参加者増えるかなあ。

ところで、ここまでの議論を志摩市のノートにコピーさせたいのですが、作法が難しそうで躊躇しております。最後にまた一つ井戸端のお手を煩わせてしまいますが、手順をご教授下さい。--Nuoto 2006年9月23日 (土) 01:43 (UTC)[返信]

この節の上の行までをWikipedia:井戸端から転記しました。Kinori 2006年9月23日 (土) 02:08 (UTC)[返信]

歴史の削除について[編集]

#自治体記事の歴史は、その自治体が存在した期間以外禁止?の続きです。井戸端から移動しましたので、改めて仕切り直させて頂きます。

さて、2006年4月18日 (火) 12:26で歴史の項の大部分が削除されていますが、この意図はどういう事でしょう。以下の点に疑問があります。

  1. 「この項目は「志摩市」の歴史を書くところです。志摩市が無かった頃、志摩國、志摩郡時代の歴史については、それぞれの項目が存在しますから、そちらの項目をご活用ください。」を理由にしているが、これはWikipedia:ウィキプロジェクト 日本の市町村と不整合がある。従う義務はないとはいえ、あえて独自路線とする理由は何か。
  2. その直後別の方の編集で、「成程。重複も多いから仕方ないですね。」とコメントがあるが、具体的な重複箇所とは何処なのか。また、同時にその編集で「ウィキプロジェクト 日本の市町村」へのリンクを削除しているが、これもまたウィキプロジェクトに合わせるべきでないとする理由の説明がない。

この「志摩市」という項目は、過去に一編集者の独自解釈から偏った編集がなされたため、ウィキプロジェクトを一つの基準として正常な編集に引き戻されたのだと思います。ここでまたウィキプロジェクトを外して基準を失ってしまうと、無用に再び独自解釈の入り込む余地を生みはしないでしょうか。

また、2.で重複が多くないとした場合、Wikipedia:編集方針#情報を保存するよう努力する事に照らして不適切ではないでしょうか。

以上から、上記の編集をされたお二人に、詳しい経緯説明を願いたく存じます。--Nuoto 2006年9月26日 (火) 05:44 (UTC)[返信]

私の編集は主に志摩5町へのリンクを付与したことですね。志摩地方の関連記事は、地元に有利な信憑性の低いものというだけでなく、明らかな誤りでも強引に押し通そうとしてしまうような方が書かれてきました。その人が本当に間違って覚えているのか、わざと嘘を書き込んでいるのかははっきりしませんが。1年前どころか、関連すると思われる争いは今も続いていますし、いろいろな人による正確性・客観性の検証が今もなお続いています。それだけMiketsukunibitoさんの残した(あるいは今なお続けている)傷跡は大きいのです。志摩市内でも特に大王町に偏向しているといった批判もあります。そして不思議なことに、それらの旧町の記事には全く書きたがらず、志摩市で大王町ばかりを宣伝しているとか、志摩市が全く関係ない記事で志摩市を宣伝しようとしている感じですね。そういった背景があり、他の地方より少し厳し目にチェックされていて独自に見えるところはあると思います。とりあえず私の方からお願いしますが、何故、その部分に疑問を持ったのかということと、編集合戦をしてまでその部分を残す必要性があるのかどうかということ、それぞれの項目では駄目なのかというあたりを説明してください。--MlolM 2006年9月27日 (水) 02:25 (UTC)[返信]

ご返答有り難うございます。Miketsukunibito氏にまつわる問題について、過去ログ等を読んで把握していた内容で概ね間違いは無さそうでしたが、ご説明で更に理解が進みました。さて、幾つかご質問を頂きましたのでお答え致します。

  • 何故、その部分に疑問を持ったのか
    削除された文章が、Wikipediaから抹消されなければならない記述とは考えられなかったからです。削除なさった方やMlolMさんの当時のご発言は、削除する場合の理由というよりも、転記する場合の理由にあたると思います。また当初から申し上げております通り、他項目では大昔からの歴史が記されている場合も多いという点も疑問要因です。
  • 編集合戦をしてまでその部分を残す必要性があるのかどうか
    ご質問の意図が、私が編集合戦を行ったという意味なのか、今後編集合戦が発生し得るという意味なのか判断できませんが、前者については、私の志摩市への投稿は一回きりですし、差し戻しに対して再リバート等も行っておりませんので、編集合戦の強行者だと思われたとしたら些か心外です。
    後者の場合、私は編集合戦化を避ける為にも、この議論を提起しているのです。志摩市においては、このノートを拝見する限り、編集方針を決める為の合意形成はされてこなかったとお見受けしますので、議論をする事に意義はあると思います。
    なお「必要性」は、一つ目のご質問への回答の通りです。仮に、「記述内容を問わず編集合戦になると面倒だから削除」という考え方をしてしまったら、Wikipediaの発展に対して不誠実です。
  • それぞれの項目では駄目なのか
    このご質問はやや意外に思ったのですが、削除等に関わった方々は、「当該記述は他の項目にも含めて不要」との判断から、転記等の措置を取らなかったのだろうと認識しておりました。「記述自体は有用なので他の項目に移したらどうか」という観点は、井戸端の皆様からは寄せられましたが、本項目の関係者から示されたのは初めてです。
    いずれにしましても、私が先だって質問致しました「歴史の項をあえてウィキプロジェクトと不整合にすべき理由」や「当該記述が重複しているという具体的箇所」等にお答え頂かない事には、削除や転記が妥当かどうかの判断はつきません。

お互いの考え方を正確に理解し、実りある議論を展開する為にも、私の質問にもご回答お願い申し上げます。--Nuoto 2006年9月28日 (木) 02:22 (UTC)[返信]

質問の意図が測りかねるためにそのように質問したのですが、当時はMiketsukunibitoさんと思われる利用者Aomunaさんが活動していた頃ですね。文章そのまま重複しているとは書いてないですが、少なくとも沿革は内容的に重複するでしょうね。しかし、今にして思えば略史ですから本来は内容が重複してないとおかしいですね。申し訳ありません。無理に復活させようとすれば、編集合戦はこれからも続くと思われますが、そうなるよりは、それぞれの項目できっちりと検証したものを書いていただいて、それらが終わった後でバランスを保ちつつ取り入れて略史とした方がいいかと思います。そして記述移転にしても履歴が残っているわけですから、削除後に即、その先に書かなければならないものとは思いません。特にそれを編集した利用者名がなんであれMiketsukunibitoさんの書かれていたものであった場合、その検証性には非常に注意しなければならないですし、削除した当事者が移転しなかったことを責めるべきとは思いません。履歴には残っているわけですから、必要とあれば移転したい人が移転することはできるかと思います。志摩国や志摩郡、各町の記事以外にも小江戸ですとか、九鬼嘉隆ですとか、関連する記事との関係もしっかりみないといけません。それらの記事で既に消えてしまっている些細な事を史に書くべきかどうか等も考えないといけません。ウィキプロジェクトも暫定的なものですから、従わなければならないわけでもないです。現時点で歴史はどうしても必要でしょうか?どうしても歴史の節が必要という理由があるのであれば、志摩に関わっているまともな編集履歴を持つ執筆者の方々に協力していただいて検証しながら書くという方向もあるかと思います。あるいはNuotoさんの方で、町史以外のまともな資料の具体名を上げつつ書かれてもいいかと思います。あるいは一ヶ月程度、一時的に{{要出典}}、{{観点}}などを貼ったまま復活させ、他の方の編集を待つという方法もあるかと思います。Wikipedia:編集方針#情報を保存するよう努力する事の中から削除されたままである理由を選ぶとすれば、そういった背景から志摩に関連する記事の多くは

  • 不正確であるか、情報の精度を確立できない内容

ということになるかと思います。それでもいろいろな方々のおかげでこの一年でかなり前進しているとは思います。--MlolM 2006年9月28日 (木) 04:44 (UTC)[返信]

ご説明を整理しますと、「本来の削除賛同理由は『情報の信憑性に疑義あり』だった」、という事で宜しいでしょうか。この観点は本件においては初めて登場した新機軸ですが、拝読する限り「合併前の出来事」や「重複」は本件とは無関係な様です。この解釈で正しければ、もはや転記云々を議論する意味も無いでしょう。削除当時からその様な記述であれば、私の疑問ももう少し軽い物だったろうとは思います。

さて、MlolMさんは編集合戦を頻りに気にしておられますが、繰り返し申し上げますと、編集合戦を避ける為なればこそ根拠を議論すべきなのです。その上で仮に、正当な根拠なく削除する者が現れたとしたら、その者の不当行為が責められるのであり、「記述内容を問わず編集合戦になると面倒だから削除」しておかなかった者を責めるのは本末転倒です。

また、「それぞれの項目を書いた後、それらを取り入れて略史を書いた方がいい」との趣旨を仰るのは、つまりMlolMさんは小項目主義を支持されているのですね。MlolMさんがそのような哲学でご自身の編集をなさるのは自由ですが、それをもって他の手法を否定する事はできません。阻止できるのは、あくまで削除に値する理由があった時のみです。同様に「現時点でどうしても歴史の節が必要か?」というご主張も、Wikipediaには歴史の節を書く事が認められ或は推奨されている、つまり必要とされている以上、正当な削除理由がない限り阻止は不可能です。

ここは無闇に話を広げず、あくまで本来の理由「情報の信憑性に疑義あり」に集中するべきでしょう。MlolMさんが各所でなさっている作業と同様に、「{{要出典}}、{{観点}}などを貼ったまま復活させ」た上で、このノートに具体的な疑問点を「まともな資料の具体名を上げつつ」説明なさっては如何でしょうか。--Nuoto 2006年9月28日 (木) 18:39 (UTC)[返信]

> Wikipediaには歴史の節を書く事が認められ或は推奨されている、つまり必要とされている以上、

推奨 = 必要ではないので答えになってないですね。しかも暫定的なものです。そして略史ではなく各地域の詳細な歴史が、それぞれの項目で書かれていれば足るかと思います。これは小項目主義とか大項目主義といった問題ではありません。現状では、新しい歴史の浅い自治体である志摩市と、古い自治体である町や郡、国が既に独立に存在するわけですから。それらを歴史の浅い志摩市に統合するということであれば大項目ということになってくるかと思いますが、そうではないですし。

削除したのは私ではありませんから、あまり詰め寄られても困りますが、編集合戦も回避できる方法を取れるならば、着実な方法を取るべきと思います。それによって検証可能性・信憑性が高まるのなら、wikipediaとしてもそちらの方が望まれるかと思います。ウィキプロジェクトなどの暫定的な方針よりも、検証可能性の方が強い要請かと思います。{{要出典}}、{{観点}}をはるのであれば、小江戸のことでもそうですし、地域的なバランスが考えられているのかどうかということと、各文の出典を求めてはどうでしょうか。(町史ではない)まともな出典を明記すれば、その出典に文の責任を負わせることができます。私はデタラメばかりを書いてきたMiketsukunibitoさん関連の利用者名やIPの編集の多くを情報とは考えていませんから、意識に差があるのでしょうね。本来、まともな資料を上げる必要があるのは、私の方ではなくそれらを書いた本人の方です。Nuotoさんが復帰するというのであれば、それらの文の出典をNuotoさん自身が書かれてもかまいません。ただ、Miketsukunibitoさんは、出典を明記する事を極力避けてこられましたから、仕方なく少しずつ調べて資料を列挙したことはあります。書いた当人が出典を明記するのであれば、それが最良の解決策です。--MlolM 2006年9月29日 (金) 00:26 (UTC)[返信]

呼ばれていませんが横から失礼します。大王町の観光案内として都合の悪い部分を意図的に除去してあったりすれば別ですが、大王町史にしかない記述でも、出典が明記されていれば問題にしてはいけないと思います。ところで議論する前に不確かな記述の検証と修正が必要だと思いますので、議論の一時中止を提案します。N yotarou 2006年9月29日 (金) 11:22 (UTC)[返信]
問題にしてはいけないというよりは、別の問題になるわけですね。歴史の項目を書くときに歴史シミュレーションゲームのようなものでも出典として明記されていれば、問題にしてはいけないのかどうかという種の話ですね。しかし、そういう話はおいておいて、N yotarouさんの方で検証およびバランスも考えて志摩市の略史として相応しかろうと思うようなものを書いていただけるのであれば、全面的にお任せします。私は、来いと言われて来ただけですから。--MlolM 2006年9月29日 (金) 12:04 (UTC)[返信]

MlolMさんのご発言の整合性に疑問が有ります。

「今にして思えば略史ですから本来は内容が重複してないとおかしいですね。申し訳ありません。 -- 9月28日 (木) 04:44 (UTC)」は何について謝っておいでなのでしょう?私は、このご発言からMlolMさんは略史を書く事をお認めになったのかと思いましたが、20時間後には一転して「略史ではなく各地域の詳細な歴史が、それぞれの項目で書かれていれば足るかと思います。 -- 9月29日 (金) 00:26 (UTC)」と仰り、一切の略史記載を認めない立場に変異しています。
また、私が書いた「推奨」という言葉に過剰に反応されている様ですので、「推奨」の部分を外して読んで頂いて差し支えありません。では、Wikipediaに書く事が認められている事を削除する「正当な削除理由」とは何でしょうか。

--Nuoto 2006年9月29日 (金) 19:53 (UTC)[返信]

足るということと、一切の略史記載を認めない立場は次元の違う話ですね。それぞれがちゃんと書いてあるならば、略史は情報量的には蛇足になるわけですから。しかしそれは別に情報量的に蛇足になる略史の記載を認めるかどうかとは別の話ですね。そして、推奨の部分を外したとしても、必要性の説明には程遠いです。必要があるのか?という問いに対して、はっきりした理由は今のところありません。--MlolM 2006年9月30日 (土) 00:15 (UTC)[返信]
私はWikipediaの一般的な規定に沿って申し上げているのです。これに対して、MlolMさんは例外を主張なさっているのですから、その理由を説明すべきなのはMlolMさんの方です。残念ながらこれまでMlolMさんからは、論理的なご説明は得られておりません。--Nuoto 2006年9月30日 (土) 07:09 (UTC)[返信]
それは、Wikipediaの一般的な規定ではなく、一部のウィキプロジェクトの暫定的な内容についてですね。そしてそれは従わなければならないわけではないので、必要性の話ではありません。合わせる必要があるわけではないのなら、別の必要性を持ってこないと必要ということにはなりません。--MlolM 2006年9月30日 (土) 08:25 (UTC)[返信]
私としては「『推奨』の部分を外して結構」と言った時点で、ウィキプロジェクトの話も外して考えております。Wikipediaという百科事典に歴史を書く事は認められていますよ、というお話です。--Nuoto 2006年10月1日 (日) 12:12 (UTC)[返信]
回答が明後日の方向を向いてしまっていますが、必要という言葉の意味を考えれば分かるとおり、つまりは「必要性」はないという事ですね。--MlolM 2006年10月1日 (日) 13:07 (UTC)[返信]

上記の話は余談ですので、返答下さらなくて構いません。それはさておき本題に入ります。

どうも、MlolMさんは何か勘違いをなさっている様に思います。ひとまず冷静に議論の流れを振り返って下さい。

本件は、2006年4月18日 (火) 12:26 (UTC)に、ある方が「合併前の歴史はここに書くべきでない」と主張して記述削除された事に端を発しています。そして直後に、MlolMさんが「重複も多いから」との発言で賛意を示されました。これに対して私Nuotoは「他項目では合併前の歴史も書いてあるではないか」と異論を唱え、井戸端を経てこのノートにやって参った次第です。

ここまでの段階で、当該記述の削除理由に挙げられているのは、「合併前の歴史」と「重複」の二点だけです。その後、MlolMさんに議論にご参加頂いた訳ですが、その過程の2006年9月28日 (木) 04:44 (UTC)に、MlolMさんから「情報の信憑性」という新しい観点が発表されました。

お分かり頂けましたでしょうか。本件事案において「信憑性」は、削除時から挙げられていたのでは有りません。当時はMlolMさんですら、この点には触れていないのです。従って「削除したのは私ではありません」という、他人事の様な発言は意味が有りません。「削除した人」は「信憑性」の話と何の関係も無いのですから。「信憑性の疑義」は誰あろう、MlolMさんから発せられたご意見です。

新たに提起されたばかりの観点について、その提起者にご説明願うのは当然の事でしょう。具体的な説明も無い意見を、どうして採用する事ができましょうか。ご自身の発言に責任をお持ちになり、誠実に取り組まれる事を期待致します。--Nuoto 2006年9月29日 (金) 19:53 (UTC)[返信]

短い要約欄に書かれていることが全てではありませんよ。志摩関連記事の信憑性の低さなどに関しては、短い要約欄にあらためて書くまでもないことですからね。あとは、N yotarouさんが書かれるものに期待しますよ。--MlolM 2006年9月30日 (土) 00:15 (UTC)[返信]
追記しておきますが、私は編集合戦が起きかけていることを受け、ここに来るように頼まれたと理解しています。どういった方法を誰が採用しようと、過去のものを何の検証もなく復活させようとするだけであれば編集合戦は終わらないでしょう。そういう立場でものを述べています。N yotarouさんの方で検証していただけるのであれば、十分な信頼性も確保できるかと思いますし、全てまとまるかと思います。--MlolM 2006年9月30日 (土) 01:01 (UTC)[返信]

近頃、さも部外者であるかの物言いが目立ちますが、私はMlolMさんの「成程。重複も多いから仕方ないですね。」についての説明を求めたのです。MlolMさんは十分に当事者ですよ。しかも、私や井戸端でご発言頂いた方々が一度も口にしていない、「信憑性の疑義」をお話下さったのですから尚更です。

それにしても、何処に疑問があるのかすら説明を拒む姿勢が理解できません。MlolMさんは私には「何故、その部分に疑問を持ったのか」の説明を求めたではありませんか。人に要求した事を何故ご自身は逃げるのですか。N yotarouさんが検証するにしても、MlolMさんが何処に疑問を持ったのかは、MlolMさんにしか分かり得ません。他人の頭の中を覗き見る事なんてできないのですから。

「まともな資料の具体名を上げつつ」と言い返された事を気にしておられるのだとしたら、まあ「まともな資料」は無くてもいいですよ。疑問箇所とその疑問理由を箇条書きで挙げる程度ではどうですか。「過去のものを何の検証もなく復活」させない為に、MlolMさんのご説明が不可欠なのですが、あくまでご協力の意思はありませんか?

以下余談

  • 「志摩関連記事の信憑性の低さなどに関しては、短い要約欄にあらためて書くまでもないことですからね。」

これは、削除をなさったAmisさんの言動をも代弁しておられるのですか?MlolMさんはAmisさんの「頭の中を覗き見る事」ができるのでしょうか。大変興味深いですね。--Nuoto 2006年9月30日 (土) 07:09 (UTC)[返信]

私は、こちらに呼ばれ、わざわざ出向いて発言しているだけですからね。重複云々については既に回答しました。そして、Nuotoさん自身、私の質問に対しては中途半端に回答されているわけですから、それを以て逃げていると言われても釈然としませんが。私はまだNuotoさんの意図を掴みかねていますから。そもそもどちらの方向に、どういった解決を求めて私を呼んだのかすらわかりませんね。私は志摩関連記事については、件の悪質な編集を繰り返した人物の遺した傷跡に対して、これからも慎重に継続的に調査を進めていくべきだと思っています。その人物が関わった記事は、まともな執筆者による注意深い査読が無い限り、全て疑わしいと考えてよいでしょう。そういった事を中心に活動しているわけですから、このような所に呼ばれても、そういった方向でのコメントが中心になります。こちらで何か特別な新しいことを話したわけではありません。現状では、私はその部分に対して、どうしても残すべき文章・情報だと言うことはありません。必要性を感じませんし、検証可能性や観点の整理もこれからでしょうから。そして、余談の部分は、削除時に私がその事について触れてないとの事でしたから、それについての回答ですよ。削除された後に、私は要約欄において削除に対する感想の全てを書いているわけでありません。そもそも私が要約欄に、編集の理由を書くことはそう多くないですね。その重複云々についても、自分の編集内容の要約ではなく、コメントでしかないですし。そして最近、活発に精査されているN yotarouさんに対して、私が何かをいう必要性は全く感じません。信頼していますから。--MlolM 2006年9月30日 (土) 08:25 (UTC)[返信]

同じ発言の繰り返しで埒があかないので、確認のため一つだけ質問します。MlolMさんは当該削除部分には、誤りがあると確信しておられるのでしょうか?YesかNoの一言で端的にお願いします。--Nuoto 2006年10月1日 (日) 11:50 (UTC)[返信]

質問の意図が見えないので、明確には答えられません。ただ、意味を十分広く取るならばYes.ですね。質問の意図が明確にされるまでは、どこまで十分広く取るかは言いませんが。そういったわけで、私は、N yotarouさんに全てお任せしますと言っているわけです。--MlolM 2006年10月1日 (日) 13:07 (UTC)[返信]
ついでに聞いておきますが、何がどうなったら私はこの話し相手のいないおじさんのつまらない話し相手から解放されるんでしょうか?--MlolM 2006年10月1日 (日) 13:25 (UTC)[返信]
私に一任されても困るわけですが、時期尚早につき議論一時停止にご賛同いただければ禅問答か何かよくわからない議論に付き合う必要はないと思いますよ。N yotarou 2006年10月1日 (日) 13:39 (UTC)[返信]
分かりました。その提案に賛同ということにして終わりとします。--MlolM 2006年10月1日 (日) 13:44 (UTC)[返信]
議論の内容が私の当初の疑問とは変容していますので、議論一時停止に賛同します。--Nuoto 2006年10月1日 (日) 13:51 (UTC)[返信]

MlolMさんは当該記述に対して、Miketsukunibito氏が一部に関わった点が感情的に気にいらないのみで、「疑義」の根拠等は特にお持ちでない、という事で宜しいでしょうか。それなら、具体的にお答えになれないのも理解できます。有り難うございました。--Nuoto 2006年10月1日 (日) 13:35 (UTC)[返信]

2006年11月26日 (日) 14:27 の編集について[編集]

  • 土産物屋とスーパーで志摩産のヒジキを探してみたのですが、「伊勢ヒジキ」は見当たらず、単純に「ヒジキ」とだけ書いてあるものしか見つけられませんでしたので適切と思われる表現に変更しました。
  • 交通セクションに海路がなかったので簡単に加筆しました。
  • 「真珠漬け」の原料の供給と販売は志摩市内が多いのだろうと思いますが、第1次産業セクションで「貝柱は食用にされる」とありますし、真珠漬本舗の所在地が三重県伊勢市二見町茶屋なので除去しました。
不適切な編集であれば、お手数ですが修正をお願いします。N yotarou 2006年11月26日 (日) 14:51 (UTC)[返信]

夕日は全世界共通である[編集]

夕日の綺麗さは全世界共通。全世界の市のページに夕日の写真ばかり貼り付けだしたらどうなるやら。身の程を知るべきでありましょう。--Pennant 2012年1月10日 (火) 09:50 (UTC)--Pennant 2012年1月10日 (火) 09:52 (UTC)[返信]

  • コメント んなアホな。事象としての「日の入り」は全世界共通ですが、いわゆる「夕陽の名所」はあちこちにあります。 当該テンプレ画像は「市域の代表的な景観」を象徴するものとして配されており、特に夕陽を説明するものではありませんが、代替無きまま除去するのは乱暴ではないですか?(仰る『身の程を知るべき』というのは、よくわかりませんでした。)--Si-take. 2012年1月10日 (火) 11:03 (UTC)[返信]
Pennantさんは「身の程を知るべきでありましょう。」と言いましたが、その対象は誰、もしくは何ですか?--Sillago 2012年1月21日 (土) 14:24 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

志摩市」上の5個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月4日 (水) 16:48 (UTC)[返信]