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  • 還住(かんじゅう、げんじゅう)は、一度居住地を去った者がその土地に戻り再度居住することを意味する語。 本記事では、伊豆諸島の青ヶ島で、安永9年(1780年)に始まった噴火活動が天明5年(1785年)になって激しさを増したため、島民が八丈島に避難して無人島になったあと、文政7年(1824年)の旧青ヶ島…
    43キロバイト (8,214 語) - 2024年4月21日 (日) 04:57
  • あおがしま丸のサムネイル
    くろしお丸就航前の2022年2月までは、八丈島~青ヶ島航路の定期船として運航されていた。 あおがしま丸就航前は、旅客船還住丸 (119 t) および貨物船黒潮丸 (440 t) が青ヶ島航路に就いていたが、船齢はともに20年を越えて老朽化が進んでいた。 還住丸は小型軽量船であったため、揺れが激しく就航率が50%程度と低いという問題を抱えていたことや、八丈島…
    6キロバイト (657 語) - 2024年4月12日 (金) 09:58
  • 伊豆諸島開発のサムネイル
    あおがしま丸 2013年12月6日竣工、三菱重工業下関造船所建造、460総トン、全長62m、2,000馬力×2基、航海速力17ノット、旅客定員50名 還住丸及び黒潮丸で担っていた役目を1隻に集約し運航コストを削減する目的で設計・建造された。 推進用機関を2基搭載しているが、後に建造されたははじま丸(3…
    9キロバイト (1,189 語) - 2023年11月13日 (月) 10:24
  • 青ヶ島のサムネイル
    とされる。このとき、島民327人のうち八丈島への避難が間に合わなかった130人あまりが死亡したと考えられており、1824年に名主の佐々木次郎太夫らが還住(全島帰還)を果たすまでの約40年間にわたって無人島となった。 18世紀の活動以降、顕著な火山活動は無い。噴気活動も少なく、池の沢火口内壁と丸山周辺…
    20キロバイト (2,442 語) - 2024年5月6日 (月) 02:21
  • 青ヶ島村のサムネイル
    1824年(文政7年):全島民が青ヶ島への帰還と再定住(還住)を果たす。 1835年(天保6年):島の再興が宣言される。検地が行われ、正規の年貢が納められるまでになる。 天明の別れから復興まで半世紀もの歳月が掛かった。この時点での島の人口は241名(男133・女108名)であった。 定期船「還住丸」の名称はこの一連の出来事に由来している。…
    53キロバイト (6,244 語) - 2024年5月29日 (水) 02:28
  • 酒井抱一のサムネイル
    酒井 抱一(さかい ほういつ、 宝暦11年7月1日〈1761年8月1日)〉- 文政11年11月29日〈1829年1月4日〉)は、江戸時代後期の絵師、俳人。 権大僧都。本名は酒井 忠因(さかい ただなお)。幼名は善次、通称は栄八、字は暉真(きしん)。ほか、屠牛、狗禅、鶯村、雨華庵、軽挙道人、庭柏子、溟…
    25キロバイト (2,882 語) - 2024年2月18日 (日) 20:08
  • 御弟君松平十郎三郎康孝」(下巻77頁および84頁)とあることから、安祥松平から分出して所領を持っていたと考えられる。 また『松平記』は松平広忠の岡崎還住に際し、大久保新八が清康の弟「十郎三郎」に相談したと記し(103頁)『三家考』は康孝が兄・信孝と共に帰還後の広忠を後見したとしている(『徳川実紀』1巻23頁の記述はこれに拠ったものか)。…
    5キロバイト (758 語) - 2024年3月9日 (土) 01:18
  • これに対して、当初は、新羅の入寇など九州の防衛に人手が必要だったこともあり、移配俘囚の制度は維持されていたが、最終的に、朝廷は、897年(寛平9)、全国の移配俘囚を奥羽へ還住することを決め実行された。 大和へ帰服した蝦夷のうち、陸奥・出羽にとどまった者を指す。 同じ地域の和人とは異なり、租税を免除されていたと考えられてい…
    7キロバイト (1,177 語) - 2023年11月14日 (火) 10:33
  • 梶井門跡(三千院)を継承し、康永3年(1344年)以降天台座主に3度就任している。その間、延文4年(1359年)8月に四天王寺別当になり、応安5年(1372年)には後光厳上皇の院宣により梨本門跡(三千院)に還住した。二品に叙せられ、永和3年4月9日(1377年5月16日)入寂。享年61。 表示 編集…
    2キロバイト (184 語) - 2024年5月19日 (日) 12:56
  • 長束正家のサムネイル
    94年)2月には豊臣秀次とも相談の上、中川秀成の豊後入封に際し隣接する蔵入地代官太田一吉に協力を求めて戦乱によって荒廃した農村の再建、逃亡した農民の還住策を指示している。また、同時期に伏見城の造営にも参画している。 文禄4年(1595年)に近江水口城5万石を拝領し、五奉行の末席に名を連ねる。慶長2年…
    11キロバイト (1,519 語) - 2024年5月13日 (月) 13:49
  • 戦国時代に浅井氏の侵攻によって荒廃したと言われているが、詳細は不明である。安土桃山時代の浅野長吉折紙(市田靖氏所蔵文書)が「大墓宿町人中」に宛てて、戦乱で逃げ出した町人を還住させようとしていることから、『岐阜県の地名』は「遊女の宿としての性格は失いながらも、戦国期まで東山道の宿として存続していたと思われる」としている。 岡田隆夫「青墓宿」(『国史大辞典…
    3キロバイト (468 語) - 2024年5月27日 (月) 07:45
  • 山田三方のサムネイル
    内宮引付、文明11年(1479年)12月5日の条に依ると、神領奉行職、愛洲忠行(伊予守)が蔵方牢人と山田三方との紛争に際し蔵方牢人の山田還住を「口入」している。 『牢人以弓矢押、可還住之由申候テ方々語勢、ハヤ上地マテ取寄候由承及候、然者山田三方忩豦ト申、云々』 文明十一年十二月五日        忠行判 内宮一称宜殿  加談合、自是返事…
    6キロバイト (1,001 語) - 2020年5月17日 (日) 02:21
  • 藤波康忠の子として、永禄元年に生まれる。永禄4年(1561年)、4歳で叙爵される。 父の卒去に伴って、元亀3年(1572年)、15歳で神宮祭主となる。天正年間には京都に還住する。天正16年2月22日(1588年3月19日)、昇殿を許された。 慶長3年(1598年)、公卿に列せられることなく、41歳で卒去した。 『歴名土代』による。…
    3キロバイト (335 語) - 2023年8月5日 (土) 16:27
  • 、円子光種、大里親基、大湯昌次、一戸実富らと、揃って白装束姿に身を変えて、即ち出家姿で再仕置軍に降伏した。 浅野、蒲生、堀尾、井伊の連署で百姓などへ還住令を出して戦後処理を行った後、助命の約束は反故にされる形で、九戸実親以下の城内に居た者は全て二の丸に押し込められ、惨殺され火をかけられた。その光景は…
    12キロバイト (1,987 語) - 2022年10月12日 (水) 02:08
  • 水野忠政のサムネイル
    ^ 天正13年(1585年)。 ^ 法名・芳春院妙西。三河一向一揆後に、本願寺派教団の「仏法之肝煎」として、門徒の赦免と西三河への寺僧の還住がなされるまで、その指導的立場にあったと推測されている。現存する文書から、石川清兼の後室で、1534年に生まれた日向守家成の実母、於大の方(1528…
    10キロバイト (1,260 語) - 2024年1月26日 (金) 23:33
  • 富山城を急襲され、幽閉された。間もなく織田軍の反攻で助けられたが、この事件で長住は失脚し、追放された。その後、かつて長住の傘下にあったと思われる国衆・菊池右衛門入道が織田家臣・柴田勝家に長住の身上取り成しを依頼しているが叶わず、翌年に伊勢神宮へ越中還住を祈願している。その後の長住の消息は不明である。…
    5キロバイト (748 語) - 2023年7月31日 (月) 01:39
  • 幡多郡のサムネイル
    宿毛郷[和田村・押ノ川村・二ノ宮村・山北村・中津野村・野地村・草木藪村](現・宿毛市) 橋上村 ← 橋上郷[平野村・野地村・奥奈路村・神有村・坂本村・京法村・還住藪村]、出井村、楠山村(現・宿毛市) 平田村 ← 戸内村、黒川村、中山村(現・宿毛市) 山奈村 ← 山田村、芳奈村(現・宿毛市) 中筋村 ←…
    27キロバイト (2,776 語) - 2024年4月11日 (木) 04:29
  • したが、元慶3年(879年)1月、朝廷は討伐の強行を命じ、これに対して保則は出羽国の現状を報告した。寛大な政策をおこなって苛政によって逃亡した夷俘の還住を促すことこそ上策であると意見した。朝廷はこの意見を容れ、3月、征夷の軍を解いた。 藤原保則は武力によらず寛政によって反乱の鎮撫に成功した。一方でこ…
    10キロバイト (1,742 語) - 2023年12月27日 (水) 16:47
  • 山岳:キガル山、八が森、郷木山、大黒山 河川:松田川 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、平野村・野地村・奥奈路村・神有村・坂本村・京法村・還住藪村・出井村・楠山村の区域をもって発足。 1954年(昭和29年)3月31日 - 宿毛町・小筑紫町・平田村・山奈村・沖ノ島村と合併して宿毛市が発足。同日橋上村廃止。…
    2キロバイト (139 語) - 2023年4月23日 (日) 13:04
  • 天正13年(1585年)3月19日、山城・近江の百姓が検地のため逃散したので、秀吉は片桐貞隆・豊盛・森吉成らに命じて、百姓を還住させるために、未進の年貢を猶予すると周知させた。 同年7月2日、四国の役の阿波国での戦況を豊盛が報告したのを受けて、秀吉は翌3日に出陣すると決定する…
    8キロバイト (1,180 語) - 2024年1月8日 (月) 03:54
  • 多不善聚。願我未來、不聞惡聲、不見惡人。今向世尊、五體投地、求哀懺悔。唯願佛日、敎我觀於淸淨業處。爾時世尊、放眉間光。其光金色、徧照十方 無量世界、還住佛頂、化爲金臺。如須彌山。十方諸佛 淨妙國土、皆於中現。或有國土、七寶合成。復有國土、純是蓮華。復有國土、如自在天宮。復有國土、如玻瓈鏡。十方國土、
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