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'''ネクラ'''(根暗)とは、[[性格]]の「根」が暗いこと、あるいは根が暗い人を指す[[俗語]]である<ref name="米川2020">{{Citation|和書|editor=[[米川明彦]]|title=日本俗語大辞典 新装版|publisher=[[東京堂出版]]|year=2020|isbn=978-4-490-10917-7|page=472}}</ref>。対義語に'''ネアカ'''(根明)、派生語に'''ネクラ族'''<ref name="米川2020"/>や'''ネブクロ'''<ref name="榊原1984">{{Cite book|和書|author=[[榊原昭二]]|title=現代世相語辞典|publisher=[[柏書房]]|year=1984|isbn=4-7601-0253-1|page=32}}</ref>がある。起源については複数の説があり定かではないが、タレントの[[タモリ]]が1970年代後半から自身の出演番組で盛んに用い、人の性質を単純に規定できる軽さもあって1982年の流行語となった<ref name="世相344">[[#世相風俗観察会 1999|世相風俗観察会 1999]]、344頁</ref><ref name="鷹橋">{{Cite book|和書|author=鷹橋信夫|title=昭和世相流行語辞典|publisher=[[旺文社]]|year=1986|isbn=4-01-070753-4|page=310-311}}</ref>。ネクラの「根」とは、性根(しょうね)や根性(こんじょう)など、その人が持つ根本の精神性を指す言葉である<ref>{{Cite book|和書|author=森田六郎|title=日本人の心がわかる日本語|publisher=[[アスク出版|アスク]]|year=2011|isbn=978-4-87217-786-2|page=130}}</ref>。
{{出典の明記|date=2013年5月18日 (土) 23:58 (UTC)}}
{{独自研究|date=2013年5月18日 (土) 23:58 (UTC)}}


== 経緯 ==
'''ネクラ'''とは、[[性格]]の「根」が暗い「'''根暗'''」をカタカナにしたもの。対義語は'''ネアカ'''。
=== 造語の誕生 ===
起源については諸説あり、タレントの[[九十九一]]を発端とする説<ref name="米川2002">{{Cite book|和書|author=米川明彦|title=明治・大正・昭和の新語・流行語辞典|publisher=[[三省堂]]|year=2002|isbn=4-385-36066-9|page=239}}</ref>、音楽プロデューサーの[[立川直樹]]を介して広まったとする説<ref name="米川2002"/>、タレントの[[タモリ]]が九十九に向けた言葉が発端とする説<ref name="米川2020"/>、漫画家の[[いしかわじゅん]]が創作したものにタモリが乗じたとする説<ref name="米川2020"/><ref name="米川2002"/><ref name="榊原1986">{{Cite book|和書|author=榊原昭二|title=昭和語 60年世相史|series=朝日文庫|publisher=[[朝日新聞社]]|year=1986|isbn=4-02-260370-4|page=234}}</ref>などがある。このうち立川説については詳細は定かではないが、タモリ説については1978年1月に『[[タモリのオールナイトニッポン]]』において発信されたのが始まりとされる<ref name="近藤185-186">[[#近藤 2015|近藤 2015]]、185-186頁</ref><ref>{{Cite web|url=http://matogrosso.jp/tamorigaku/tamorigaku-06.html|title=『タモリ学』連動企画 大タモリ年表#2|work=Matogrosso|publisher=[[イースト・プレス]]|accessdate=2021-01-24}}</ref>。評論家の[[小林信彦]]は1982年1月に出版した『笑学百科』の中で次のように記している<ref name="小林102-103">[[#小林 1982|小林 1982]]、102-103頁</ref>。


{{Quotation|活字にしたのは、ぼくが最初かもしれないが、ぼくの知る限りでは、深夜放送のタモリが用いていた。<br />
== 語源 ==
「[[長野県]]―暗いところですな、これは」<br />
ネクラの「根」とは、性根(しょうね)や根性(こんじょう)など、その人の精神性([[個性]]など)の根底を指す。つまり根が暗い性質をさしたもので、対義語のネアカと共に人の性格を表現する[[形容詞]]として[[日本]]の[[1980年代]]の[[流行語]]であった。だが後述する理由で[[1990年代]]よりこの言葉はあまり使われなくなっている。
という調子で、<br />
[[東北地方|東北]]から[[信越地方|信越]]=暗い土地<br />
[[大阪]]=明るい土地<br />
といった、おおざっぱな区分けがあり、そこの出身者は、<br />
「根が暗い……」<br />
「根が明るい……」<br />
と判別される<ref name="小林102-103"/>。
|小林信彦}}
小林によると「根が明るい」という表現はごくありふれたものだったが、「根が暗い」という表現は珍しさがあった<ref name="小林102-103"/>。さらにタモリが「根」を「値」のように発音していたこともおかしさを倍増させた<ref name="小林102-103"/>。デビュー当時のタモリは劇作家の[[寺山修司]]の物真似を得意としており<ref>[[#小林 1982|小林 1982]]、52-53頁</ref>、この俗語についても寺山をはじめとした[[アングラ演劇|前衛演劇]]の関係者や[[フォークシンガー]]に向けられたものともいわれる<ref>{{Cite web|author=[[坪内祐三]]、[[福田和也]]|url=https://books.google.co.jp/books?id=b_YkDwAAQBAJ&pg=PT450&dq=%E3%82%BF%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%80%80%E5%AF%BA%E5%B1%B1%E4%BF%AE%E5%8F%B8&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwiIh6rnxrPuAhUlw4sBHRk1Cr8Q6AEwBHoECAYQAg#v=onepage&q=%E3%82%BF%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%80%80%E5%AF%BA%E5%B1%B1%E4%BF%AE%E5%8F%B8&f=false|title=羊頭狗肉 のんだくれ時評65選|publisher=[[扶桑社]]|date=2014-08-01|accessdate=2021-01-24}}</ref>。


九十九説について、本人は「[[さくまあきら]]っていうやつが、僕を罠にはめたんです。『本を出すからインタビュー頼む』って言うから行ってやったらあの通り」と発言するなど、1982年に『オレたちネクラ族』という文献が出版されたことにちなんだものしている<ref name="人研">{{Cite web|url=https://jinken-official.jimdofree.com/講演録-会見録/九十九一-1980年代/|title=九十九一(1980年代)|publisher=早稲田大学 人物研究会 公式サイト|accessdate=2021-01-24}}</ref>。なお、九十九はこの俗語について「[[ダサい]]、調子乗り、陰気、センスの悪さ、地方のにおい」など様々な要素を含んだものであり、冗談や言葉の遊びのひとつと解釈している<ref name="人研"/>。
== 流行のきっかけ ==
タレントの[[タモリ]]が番組で「こう見えて私、根が暗いんです」と語ったことが、流行のきっかけとなったといわれるが、元々はそれ以前に[[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]]の『[[パックインミュージック]]』金曜日(通称:金パ、ナチチャコパック)で投稿された内容に基づいて交わされた、パーソナリティーの[[野沢那智]]と[[白石冬美]]との会話が発端だとされる。この場合のネクラは「明るく見えるが、実は暗い」という意味で、外観と内実のギャップを示す用語だったが、広まる過程で「根っから暗い」という意味でも使われるようになった。


その後もタモリは対義語のネアカと共に盛んに用いて拡散させた<ref name="榊原1986"/>。やがて、その軽さや<ref name="世相344"/>、他者の性質を単純に二分化できる便利さも相まって1982年の[[流行語]]となった<ref name="世相344"/><ref name="鷹橋"/>。言葉の解釈についてタモリは1984年に行われたジャーナリストの[[筑紫哲也]]との対談の中で次のように評している<ref name="近藤186-187">[[#近藤 2015|近藤 2015]]、186-187頁</ref><ref name="筑紫">{{Cite book|和書|author=[[筑紫哲也]]|title=若者たちの神々 part4 筑紫哲也対論集|publisher=朝日新聞社|year=1984|isbn=4-02-255388-X|page=15-16}}</ref>。タモリによれば芸能界入り以降、人を見分ける基準に困っていた中で発見したのが「ネクラ・ネアカ」の二分化だったとしている<ref name="近藤185-186"/>。この場合のネクラは「表面的には明るく見えるが実は暗さを抱える、その反対に表面的には暗く見えるが根の部分では明るい」という意味で、外観と内実のギャップを示す言葉となる<ref name="近藤187-188">[[#近藤 2015|近藤 2015]]、187-188頁</ref>。
実際、「ネ」という言葉を使って人間類型を特徴的に表現しようとすることは[[1980年代]]には広く行われており、[[1985年]]にはエッセイストの[[本多光夫|諸井薫]]が考案した「ネバカ」という言葉が『[[現代用語の基礎知識]]』選出の[[新語・流行語大賞]]の新語部門・表現賞に選ばれている(大人におだてられて舞い上がっている若者たちを揶揄したもの)。しかし、そうした新語のうち広く使われ続けた言葉は少なく、ネクラ・ネアカの2つはレッテル用語としての賛否は別として、最も市民権を得たものと言える。[[渡辺和博]]が『金魂巻』で展開した「○金(マルキン)・○ビ(マルビ)」や、[[浅田彰]]の「スキゾ・パラノ」の[[二元論]]と同じく、現代人の精神傾向を簡潔に特徴づけるわかりやすい言葉とみなされたからだとされる。
{{Quotation|根が明るいやつは、もうオレは付き合う必要はない。根が明るいやつは、なぜいいのかと言うと、なんかグワーッとあった時に、正面から対決しない。必ずサイドステップを踏んで、いったん受け流したりする。暗いやつというのは真正面から、四角のものは四角に見るので、力尽きちゃったり、あるいは悲観しちゃったりなんかする。(中略)でもサイドステップを肝心な時に一歩出せれば、四角なものもちがう面が見えてくるんじゃないか。そういう時に、いったん受け流したりして危機を乗り越えたりなんかする力強さが出るし、そういう男だと、絶対に人間関係もうまくいく<ref name="近藤186-187"/><ref name="筑紫"/>。|タモリ}}


『[[現代用語の基礎知識|現代用語の基礎知識1983]]』にも掲載されたが、ここでは「奥深そうな、物知りそうな、無口の人」<ref name="米川2020"/>、鷹橋信夫著の『昭和世相流行語辞典』では「うわべは明るく陽気にふるまっていても本質は暗い性格の持ち主のこと」と記されている<ref name="鷹橋"/>。なお、『現代用語』では「ねくら族」なる派生語とその対義語にあたる「ひょうきん族」<ref name="米川2020"/>、ジャーナリストの[[榊原昭二]]著の『現代世相語辞典』では「根っから暗い気分の人」とのみ記され、ネクラの母親を意味する「ネブクロ」なる派生語を紹介している<ref name="榊原1984"/>。
この言葉そのものではないが、これに由来すると思われるものに「ネ暗トピア」([[いがらしみきお]]の単行本)や「暗い根っこの会」([[吾妻ひでお]]作品に時々出てくるサークル)などがある。


== 意味合いの変化 ==
=== 受容の変化 ===
この俗語は一部の芸人にとどまらず、歌手や俳優など多くの芸能人の間でも盛んに用いられたといい<ref name="小林102-103"/>、「冗談、ユーモア、洒落が分かるか否か」の意味であつかわれていた<ref name="小林102-103"/>。例えば冗談を発した者が相手からの評価が得られなかった際、逆に相手を「暗い性格!」とからかうのだった<ref name="小林102-103"/>。また、筑紫との対談の中でネクラを肯定的に解釈していたタモリだが、この俗語や「根」の問題を自身が生業としていた「[[ニューミュージック]]批判」「純文学批判」へと用いていた<ref name="近藤187-188"/><ref name="小林2000">{{Cite book|和書|author=[[小林信彦]]|title=現代〈死語〉ノート 2(1977〜1999)|series=岩波新書|publisher=[[岩波書店]]|year=2000|isbn=4-00-430651-5|page=45-46}}</ref>。ここで批判対象となったのがミュージシャンの[[さだまさし]]や作家の[[渡辺淳一]]などで、中でもさだは話術の巧さや[[ヴァイオリン|バイオリン]]を弾く姿もあって女性からの人気を獲得していたが、陰に潜む暗さを狙われてネクラ視されるに至った<ref>[[#世相風俗観察会 1999|世相風俗観察会 1999]]、260頁</ref>。なお、当時のタモリは毒舌家として鳴らしており、「これはシャレなんですから、怒ってはいけない」と断りを入れながら、特定の物事に対して挑発を続けるのが常套手段となっていた<ref name="小林20-21">[[#小林 1982|小林 1982]]、20-21頁</ref>。
ネクラ・ネアカという言葉も広まるにつれて「内向的か・社交的か」という意味が強調されるようになった。内向的であればネクラ、外交的であればネアカと表現する。例えば[[趣味]]が[[読書]]や[[ソリティア]]などと一人でできるものが多いと「ネクラ」とみなされ、戸外で多人数で行う[[スポーツ]]や[[コンサート]]やスポーツ観戦など場の一体感を楽しむ[[イベント]]を好めばネアカとみなされた。


やがて大衆の間に広まる過程で「表面的に明るいか暗いか」の意味のみで用いられるようになり<ref name="近藤187-188"/>、さらに「(流行に)のれない」「ダサい」と同義、あるいは地方出身者を揶揄する言葉へと変化した<ref name="榊原1986"/>。こうした受容についてライターの近藤正高は「(タモリによるニューミュージック批判や、純文学批判が)若者を中心に暗いものはカッコ悪いという風潮を作り出すことに一役買ったことは間違いないだろう」と指摘している<ref name="近藤187-188"/>。なお、一連の受容についてタモリは「暗いやつが明るいやつのように振る舞うのは見苦しくて悲惨もいいとこだ、暗いやつは暗いまんまで表現したほうが、かえって面白い場合があるんだと。でももう追っつかないですね<ref name="近藤187-188"/><ref name="筑紫"/>」と否定的に捉え、筑紫は「わりあい(人付き合いが)器用に見えて、下手な世代になっている」「表向きは付き合うけど、どこか自分を出せない。自分がネクラに見られたら大変だという強迫観念がある」と評した<ref name="筑紫"/>。
== レッテル貼りによる人間類型 ==
{{独自研究|section=1|date=2020年1月}}
こういった人間類型は、[[大衆]]向けの娯楽がより発達し、[[バブル景気]]に向かって浮足立っていた1980年代に盛んに用いられていた。そして人や物の価値を「明暗」で判断する風潮が生まれ、この頃から学校でも「[[中野富士見中学いじめ自殺事件|葬式ごっこ]]」などの[[いじめ]]の問題がよりエスカレートした。劇作家の[[山崎哲]]は1988年、朝日新聞に連載していたコラムで、「少なくとも、わずか十数年前までは」「おとなしくて、無口で、恥ずかしがりや」というような「『ネクラ』な性質は、むしろ美質とみなされ、」「好意をもって迎えられていたはずなの」にもかかわらず、「子どもに限らず、私たち大人もまた、」「『ネクラ』と言われることにおびえている」と書いていた<ref>山崎哲「えかき歌 ネクラ」『朝日新聞』1988年10月5日付け朝刊、18面。</ref>。


=== いじめ問題への波及 ===
その後あまり使われなくなった理由の一つは[[おたく]]という言葉の登場がある。ネクラ的趣味傾向の多くは「おたく的」とされるものの範疇に収まっていたからである。しかしこの語の衰退を決定的にしたのは、ほとんどの場合否定的な[[レッテル]]貼りでしかなかったことが関係している。当初は否定的に用いられることの多かった「おたく」という言い方が、その後多彩な意味を獲得し、積極的に用いられることも増えていったのとは対照的であった。
{{See also|校内暴力|いじめ}}
人や物の価値を「明暗」のみで判断する風潮は学校での[[いじめ]]問題を通じてエスカレートした<ref name="豊田230-232">[[#豊田 1994|豊田 1994]]、230-232頁</ref><ref name="井尻212-215">[[#井尻 1988|井尻 1988]]、212-215頁</ref>。この時期は1970年代後半から1980年代前半にかけて中学校や高等学校で頻出していた教師への暴力事件([[校内暴力]])が教師側の対策や校則の厳格化などにより沈静化し<ref>[[#豊田 1994|豊田 1994]]、240頁</ref>、それに代わって友人や生徒間での内向きな暴力や悪ふざけが急増した<ref name="豊田230-232"/>。その矛先は、おとなしい生徒や下級生、果ては[[ホームレス|浮浪者]]といった弱者へも向けられた<ref>[[#箭内 1986|箭内 1986]]、40-41頁</ref>。1984年から1985年にかけて日本国内の教育現場では、いじめを苦に生徒が自殺する事件が多発したが、1986年2月には中学生が教師も加わった悪ふざけの末に自殺する事件([[中野富士見中学いじめ自殺事件]])が発生し社会問題化した<ref>[[#豊田 1994|豊田 1994]]、34-35頁</ref><ref>{{Cite book|和書|author=加納芳正|title=なぜ、人は平気で「いじめ」をするのか? 透明な暴力と向き合うために|publisher=[[日本図書センター]]|year=2011|isbn=978-4-284-30446-7|page=30-32}}</ref>。


生徒間では「ノリの良さ」「ひょうきんさ」「不真面目さ」などが重要視され<ref name="豊田230-232"/><ref name="箭内146-147">[[#箭内 1986|箭内 1986]]、146-147頁</ref>、集団になじめず同調性の低い生徒は「ネクラ」<ref name="箭内42-43">[[#箭内 1986|箭内 1986]]、42-43頁</ref>、教師への密告者は「[[密告|チクリ]]」<ref name="箭内146-147"/>、真面目で物事に熱心に取り組む生徒は「マジ」<ref name="箭内146-147"/>などの烙印が押され、からかいや軽蔑、排斥の対象となった<ref name="井尻212-215"/><ref name="箭内146-147"/>。からかいや暴力行為は、学級委員への故意の選出、[[プロレス]]ごっこなど様々な形を借りて行われるもので、一見すると遊びの延長線上にある行為のように見える<ref name="箭内64">[[#箭内 1986|箭内 1986]]、64頁</ref>。そのため、からかう側の生徒は教師から現場を押さえられ咎めを受けても判を押したかのように「ふざけてやっているだけ」と、うそぶくのだった<ref name="箭内64"/>。
現在でも[[ネットスラング]]として「[[陰キャ]]」「陽キャ」が使用されるなど、レッテル貼りで区分する流れは変わってないとの見方もある。

こうした傾向は1980年代に[[ビートたけし]]、タモリ、[[島田紳助]]らが毒舌ぶりでメディアを賑わし<ref name="小林20-21"/>、子供向けのお笑い番組では老人や女性などの弱者、容姿の劣る者を攻撃する内容が常態化<ref>[[#箭内 1986|箭内 1986]]、142-143頁</ref>、[[フジテレビジョン]]が「軽チャー路線」を掲げるなどの動きと軌を一にするものであり<ref name="豊田230-232"/><ref name="井尻27">[[#井尻 1988|井尻 1988]]、27頁</ref>、当時は大人から子供まで「[[パロディ]]とナンセンスがわからない者は論外」といった扱いを受けていた<ref name="井尻27"/>。評論家の[[井尻千男]]は自著の中で次のように記している。
{{Quotation|私は、子供たちのあいだで、「ネアカ」「ネクラ」という言葉が流行り、「ネクラ」がいじめの標的になっているということが報告されるようになったとき、来るべきものが来ているな、と思った。その直感は単純なものである。つまり、ネアカは少しも面白くないパロディにもお追従笑いができるが、ネクラはそれができない。ただ、それだけのことである。ただ、それだけのことでも十分なのである。(中略)それが積み重なっていくと、その社会空間の掟と抵触してくる。その他若干の条件がそろえば、もう立派ないじめの対象になるだろう<ref name="井尻212-215"/>。|井尻千男}}

劇作家の[[山崎哲]]は1988年10月5日付けの『[[朝日新聞]]』のコラムにおいて、[[奈良県]]で発生したいじめられっ子の報復殺人事件について次のように記している<ref name="朝日19881005">{{Cite book|和書|author=[[山崎哲]]|chapter=えかき歌 ネクラ|title=朝日新聞|volume=1988年10月5日付け朝刊 12版 18面}}</ref>。
{{Quotation|子供に限らず、私たち大人もまた、自分はひょっとしたら「ネクラ」なんじゃないかとおびえ、他人にそう言われたりすると、まるで人生の資格を失ったかのように、うなだれたりしている。(中略)A君の同級生たちは、かれのことを「おとなしくて、無口で、恥ずかしがりや」と言っているが、少なくとも、わずか十数年前までは、そうした「ネクラ」な性質は、むしろ美質とみなされ、好意をもって迎えられていたはずなのだから。単に軽さや明るさを好む時代のせいなのか、それとも「ネクラ」に対する私たちのおびえには、もっと何かが隠されているのだろうか<ref name="朝日19881005"/>。|山崎哲}}

=== その後の状況 ===
小林は2000年に出版した『現代〈死語〉ノート 2(1977〜1999)』にこの俗語を収録している<ref name="小林2000"/>。ただし、1980年代当時の受容とタモリの性質への分析に止まり、2000年時点での受容のされ方についての記述はない<ref name="小林2000"/>。

日本語学者の[[米川明彦]]は2017年に出版した『俗語入門 俗語はおもしろい!』の中で「ネクラ」「ネアカ」の双方を取り上げ、前者については現在も使用され、後者については廃れたものとしている<ref>{{Cite book|和書|author=米川明彦|title=俗語入門 俗語はおもしろい!|publisher=[[朝倉書店]]|year=2017|isbn=978-4-254-51053-9|page=68}}</ref>。

2010年代には[[ネットスラング]]や若者言葉として「[[キャラ (コミュニケーション)|陰キャ・陽キャ]]」という言葉が使用されている<ref>{{Cite web|url=https://sirabee.com/2019/02/10/20161985222/|title=自分の性格は根暗だと思う? 若者や甲信越地方は「陰キャ」続出の傾向も明らかに|work=ニュースサイトしらべぇ|publisher=[[博報堂DYホールディングス|株式会社NEWSY]]|date=2018-04-08|accessdate=2020-12-26}}</ref><ref name="松本">{{Cite web|author=松本ミゾレ|url=https://news.careerconnection.jp/?p=52603|title=なぜ陰キャは陽キャのふりをしないのか 「無理してもいつかボロが出る」「リアルで記号的なキャラ付けが通用するわけない」|work=キャリコネニュース|publisher=株式会社グローバルウェイ|date=2018-04-08|accessdate=2020-12-26}}</ref>。これについて陰キャは「ネクラ」、陽キャは「ネアカ」が転じたものともいう見方もあれば<ref name="松本"/>、用法的には似ているが「性格の明暗」を表すというよりも、「コミュニケーション能力の有無」を表すものといった見方もある<ref>{{Cite web|url=https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1705/21/news015.html|title=イマドキの若者がネットで使う「陰キャ・陽キャ」ってどういう意味?|work=ねとらぼ|publisher=[[ITmedia]]|date=2017-05-21|accessdate=2020-12-26}}</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{Reflist|2}}
<references />

== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=[[井尻千男]]|title=消費文化の幻想 オーソドックスとは何か?|publisher=[[PHP研究所]]|year=1988|isbn=4-569-22204-8|ref=井尻 1988}}
* {{Cite book|和書|author=[[小林信彦]]|title=笑学百科|publisher=[[新潮社]]|year=1982|isbn=4-10-331805-8|ref=小林 1982}}
* {{Cite book|和書|author=近藤正高|title=タモリと戦後ニッポン|series=講談社現代新書|publisher=[[講談社]]|year=2015|isbn=978-4-06-288328-3|ref=近藤 2015}}
* {{Citation|和書|editor=世相風俗観察会|title=現代風俗史年表 昭和20年(1945)→平成9年(1997)|publisher=[[河出書房新社]]|year=1999|isbn=4-309-22308-7|ref=世相風俗観察会 1999}}
* {{Cite book|和書|author=豊田充|title=葬式ごっこ 八年後の証言|publisher=風雅書房|year=1994|isbn=4-89424-033-5|ref=豊田 1994}}
* {{Cite book|和書|author=箭内仁 他|title=いじめ 見えない子供の世界|publisher=[[慶應義塾大学出版会|慶応通信]]|year=1986|isbn=4-7664-0337-1|ref=箭内 1986}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[認知の歪み]]
* [[陰キャラ]]・[[チーズ牛丼 (ネットスラング)|チーズ牛丼(チー牛)]]
* [[チーズ牛丼 (ネットスラング)|チーズ牛丼(チー牛)]]
* [[スクールカースト]]
* [[スクールカースト]]
* [[リア充]]
* [[リア充]]
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[[Category:性格]]
[[Category:性格]]
[[Category:タモリ]]
[[Category:タモリ]]
[[Category:いじめ]]

2021年1月27日 (水) 12:06時点における版

ネクラ(根暗)とは、性格の「根」が暗いこと、あるいは根が暗い人を指す俗語である[1]。対義語にネアカ(根明)、派生語にネクラ族[1]ネブクロ[2]がある。起源については複数の説があり定かではないが、タレントのタモリが1970年代後半から自身の出演番組で盛んに用い、人の性質を単純に規定できる軽さもあって1982年の流行語となった[3][4]。ネクラの「根」とは、性根(しょうね)や根性(こんじょう)など、その人が持つ根本の精神性を指す言葉である[5]

経緯

造語の誕生

起源については諸説あり、タレントの九十九一を発端とする説[6]、音楽プロデューサーの立川直樹を介して広まったとする説[6]、タレントのタモリが九十九に向けた言葉が発端とする説[1]、漫画家のいしかわじゅんが創作したものにタモリが乗じたとする説[1][6][7]などがある。このうち立川説については詳細は定かではないが、タモリ説については1978年1月に『タモリのオールナイトニッポン』において発信されたのが始まりとされる[8][9]。評論家の小林信彦は1982年1月に出版した『笑学百科』の中で次のように記している[10]

活字にしたのは、ぼくが最初かもしれないが、ぼくの知る限りでは、深夜放送のタモリが用いていた。

長野県―暗いところですな、これは」
という調子で、
東北から信越=暗い土地
大阪=明るい土地
といった、おおざっぱな区分けがあり、そこの出身者は、
「根が暗い……」
「根が明るい……」
と判別される[10]

— 小林信彦

小林によると「根が明るい」という表現はごくありふれたものだったが、「根が暗い」という表現は珍しさがあった[10]。さらにタモリが「根」を「値」のように発音していたこともおかしさを倍増させた[10]。デビュー当時のタモリは劇作家の寺山修司の物真似を得意としており[11]、この俗語についても寺山をはじめとした前衛演劇の関係者やフォークシンガーに向けられたものともいわれる[12]

九十九説について、本人は「さくまあきらっていうやつが、僕を罠にはめたんです。『本を出すからインタビュー頼む』って言うから行ってやったらあの通り」と発言するなど、1982年に『オレたちネクラ族』という文献が出版されたことにちなんだものしている[13]。なお、九十九はこの俗語について「ダサい、調子乗り、陰気、センスの悪さ、地方のにおい」など様々な要素を含んだものであり、冗談や言葉の遊びのひとつと解釈している[13]

その後もタモリは対義語のネアカと共に盛んに用いて拡散させた[7]。やがて、その軽さや[3]、他者の性質を単純に二分化できる便利さも相まって1982年の流行語となった[3][4]。言葉の解釈についてタモリは1984年に行われたジャーナリストの筑紫哲也との対談の中で次のように評している[14][15]。タモリによれば芸能界入り以降、人を見分ける基準に困っていた中で発見したのが「ネクラ・ネアカ」の二分化だったとしている[8]。この場合のネクラは「表面的には明るく見えるが実は暗さを抱える、その反対に表面的には暗く見えるが根の部分では明るい」という意味で、外観と内実のギャップを示す言葉となる[16]

根が明るいやつは、もうオレは付き合う必要はない。根が明るいやつは、なぜいいのかと言うと、なんかグワーッとあった時に、正面から対決しない。必ずサイドステップを踏んで、いったん受け流したりする。暗いやつというのは真正面から、四角のものは四角に見るので、力尽きちゃったり、あるいは悲観しちゃったりなんかする。(中略)でもサイドステップを肝心な時に一歩出せれば、四角なものもちがう面が見えてくるんじゃないか。そういう時に、いったん受け流したりして危機を乗り越えたりなんかする力強さが出るし、そういう男だと、絶対に人間関係もうまくいく[14][15] — タモリ

現代用語の基礎知識1983』にも掲載されたが、ここでは「奥深そうな、物知りそうな、無口の人」[1]、鷹橋信夫著の『昭和世相流行語辞典』では「うわべは明るく陽気にふるまっていても本質は暗い性格の持ち主のこと」と記されている[4]。なお、『現代用語』では「ねくら族」なる派生語とその対義語にあたる「ひょうきん族」[1]、ジャーナリストの榊原昭二著の『現代世相語辞典』では「根っから暗い気分の人」とのみ記され、ネクラの母親を意味する「ネブクロ」なる派生語を紹介している[2]

受容の変化

この俗語は一部の芸人にとどまらず、歌手や俳優など多くの芸能人の間でも盛んに用いられたといい[10]、「冗談、ユーモア、洒落が分かるか否か」の意味であつかわれていた[10]。例えば冗談を発した者が相手からの評価が得られなかった際、逆に相手を「暗い性格!」とからかうのだった[10]。また、筑紫との対談の中でネクラを肯定的に解釈していたタモリだが、この俗語や「根」の問題を自身が生業としていた「ニューミュージック批判」「純文学批判」へと用いていた[16][17]。ここで批判対象となったのがミュージシャンのさだまさしや作家の渡辺淳一などで、中でもさだは話術の巧さやバイオリンを弾く姿もあって女性からの人気を獲得していたが、陰に潜む暗さを狙われてネクラ視されるに至った[18]。なお、当時のタモリは毒舌家として鳴らしており、「これはシャレなんですから、怒ってはいけない」と断りを入れながら、特定の物事に対して挑発を続けるのが常套手段となっていた[19]

やがて大衆の間に広まる過程で「表面的に明るいか暗いか」の意味のみで用いられるようになり[16]、さらに「(流行に)のれない」「ダサい」と同義、あるいは地方出身者を揶揄する言葉へと変化した[7]。こうした受容についてライターの近藤正高は「(タモリによるニューミュージック批判や、純文学批判が)若者を中心に暗いものはカッコ悪いという風潮を作り出すことに一役買ったことは間違いないだろう」と指摘している[16]。なお、一連の受容についてタモリは「暗いやつが明るいやつのように振る舞うのは見苦しくて悲惨もいいとこだ、暗いやつは暗いまんまで表現したほうが、かえって面白い場合があるんだと。でももう追っつかないですね[16][15]」と否定的に捉え、筑紫は「わりあい(人付き合いが)器用に見えて、下手な世代になっている」「表向きは付き合うけど、どこか自分を出せない。自分がネクラに見られたら大変だという強迫観念がある」と評した[15]

いじめ問題への波及

人や物の価値を「明暗」のみで判断する風潮は学校でのいじめ問題を通じてエスカレートした[20][21]。この時期は1970年代後半から1980年代前半にかけて中学校や高等学校で頻出していた教師への暴力事件(校内暴力)が教師側の対策や校則の厳格化などにより沈静化し[22]、それに代わって友人や生徒間での内向きな暴力や悪ふざけが急増した[20]。その矛先は、おとなしい生徒や下級生、果ては浮浪者といった弱者へも向けられた[23]。1984年から1985年にかけて日本国内の教育現場では、いじめを苦に生徒が自殺する事件が多発したが、1986年2月には中学生が教師も加わった悪ふざけの末に自殺する事件(中野富士見中学いじめ自殺事件)が発生し社会問題化した[24][25]

生徒間では「ノリの良さ」「ひょうきんさ」「不真面目さ」などが重要視され[20][26]、集団になじめず同調性の低い生徒は「ネクラ」[27]、教師への密告者は「チクリ[26]、真面目で物事に熱心に取り組む生徒は「マジ」[26]などの烙印が押され、からかいや軽蔑、排斥の対象となった[21][26]。からかいや暴力行為は、学級委員への故意の選出、プロレスごっこなど様々な形を借りて行われるもので、一見すると遊びの延長線上にある行為のように見える[28]。そのため、からかう側の生徒は教師から現場を押さえられ咎めを受けても判を押したかのように「ふざけてやっているだけ」と、うそぶくのだった[28]

こうした傾向は1980年代にビートたけし、タモリ、島田紳助らが毒舌ぶりでメディアを賑わし[19]、子供向けのお笑い番組では老人や女性などの弱者、容姿の劣る者を攻撃する内容が常態化[29]フジテレビジョンが「軽チャー路線」を掲げるなどの動きと軌を一にするものであり[20][30]、当時は大人から子供まで「パロディとナンセンスがわからない者は論外」といった扱いを受けていた[30]。評論家の井尻千男は自著の中で次のように記している。

私は、子供たちのあいだで、「ネアカ」「ネクラ」という言葉が流行り、「ネクラ」がいじめの標的になっているということが報告されるようになったとき、来るべきものが来ているな、と思った。その直感は単純なものである。つまり、ネアカは少しも面白くないパロディにもお追従笑いができるが、ネクラはそれができない。ただ、それだけのことである。ただ、それだけのことでも十分なのである。(中略)それが積み重なっていくと、その社会空間の掟と抵触してくる。その他若干の条件がそろえば、もう立派ないじめの対象になるだろう[21] — 井尻千男

劇作家の山崎哲は1988年10月5日付けの『朝日新聞』のコラムにおいて、奈良県で発生したいじめられっ子の報復殺人事件について次のように記している[31]

子供に限らず、私たち大人もまた、自分はひょっとしたら「ネクラ」なんじゃないかとおびえ、他人にそう言われたりすると、まるで人生の資格を失ったかのように、うなだれたりしている。(中略)A君の同級生たちは、かれのことを「おとなしくて、無口で、恥ずかしがりや」と言っているが、少なくとも、わずか十数年前までは、そうした「ネクラ」な性質は、むしろ美質とみなされ、好意をもって迎えられていたはずなのだから。単に軽さや明るさを好む時代のせいなのか、それとも「ネクラ」に対する私たちのおびえには、もっと何かが隠されているのだろうか[31] — 山崎哲

その後の状況

小林は2000年に出版した『現代〈死語〉ノート 2(1977〜1999)』にこの俗語を収録している[17]。ただし、1980年代当時の受容とタモリの性質への分析に止まり、2000年時点での受容のされ方についての記述はない[17]

日本語学者の米川明彦は2017年に出版した『俗語入門 俗語はおもしろい!』の中で「ネクラ」「ネアカ」の双方を取り上げ、前者については現在も使用され、後者については廃れたものとしている[32]

2010年代にはネットスラングや若者言葉として「陰キャ・陽キャ」という言葉が使用されている[33][34]。これについて陰キャは「ネクラ」、陽キャは「ネアカ」が転じたものともいう見方もあれば[34]、用法的には似ているが「性格の明暗」を表すというよりも、「コミュニケーション能力の有無」を表すものといった見方もある[35]

脚注

  1. ^ a b c d e f 米川明彦 編『日本俗語大辞典 新装版』東京堂出版、2020年、472頁。ISBN 978-4-490-10917-7 
  2. ^ a b 榊原昭二『現代世相語辞典』柏書房、1984年、32頁。ISBN 4-7601-0253-1 
  3. ^ a b c 世相風俗観察会 1999、344頁
  4. ^ a b c 鷹橋信夫『昭和世相流行語辞典』旺文社、1986年、310-311頁。ISBN 4-01-070753-4 
  5. ^ 森田六郎『日本人の心がわかる日本語』アスク、2011年、130頁。ISBN 978-4-87217-786-2 
  6. ^ a b c 米川明彦『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』三省堂、2002年、239頁。ISBN 4-385-36066-9 
  7. ^ a b c 榊原昭二『昭和語 60年世相史』朝日新聞社〈朝日文庫〉、1986年、234頁。ISBN 4-02-260370-4 
  8. ^ a b 近藤 2015、185-186頁
  9. ^ 『タモリ学』連動企画 大タモリ年表#2”. Matogrosso. イースト・プレス. 2021年1月24日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g 小林 1982、102-103頁
  11. ^ 小林 1982、52-53頁
  12. ^ 坪内祐三福田和也 (2014年8月1日). “羊頭狗肉 のんだくれ時評65選”. 扶桑社. 2021年1月24日閲覧。
  13. ^ a b 九十九一(1980年代)”. 早稲田大学 人物研究会 公式サイト. 2021年1月24日閲覧。
  14. ^ a b 近藤 2015、186-187頁
  15. ^ a b c d 筑紫哲也『若者たちの神々 part4 筑紫哲也対論集』朝日新聞社、1984年、15-16頁。ISBN 4-02-255388-X 
  16. ^ a b c d e 近藤 2015、187-188頁
  17. ^ a b c 小林信彦『現代〈死語〉ノート 2(1977〜1999)』岩波書店〈岩波新書〉、2000年、45-46頁。ISBN 4-00-430651-5 
  18. ^ 世相風俗観察会 1999、260頁
  19. ^ a b 小林 1982、20-21頁
  20. ^ a b c d 豊田 1994、230-232頁
  21. ^ a b c 井尻 1988、212-215頁
  22. ^ 豊田 1994、240頁
  23. ^ 箭内 1986、40-41頁
  24. ^ 豊田 1994、34-35頁
  25. ^ 加納芳正『なぜ、人は平気で「いじめ」をするのか? 透明な暴力と向き合うために』日本図書センター、2011年、30-32頁。ISBN 978-4-284-30446-7 
  26. ^ a b c d 箭内 1986、146-147頁
  27. ^ 箭内 1986、42-43頁
  28. ^ a b 箭内 1986、64頁
  29. ^ 箭内 1986、142-143頁
  30. ^ a b 井尻 1988、27頁
  31. ^ a b 山崎哲「えかき歌 ネクラ」『朝日新聞』 1988年10月5日付け朝刊 12版 18面。 
  32. ^ 米川明彦『俗語入門 俗語はおもしろい!』朝倉書店、2017年、68頁。ISBN 978-4-254-51053-9 
  33. ^ 自分の性格は根暗だと思う? 若者や甲信越地方は「陰キャ」続出の傾向も明らかに”. ニュースサイトしらべぇ. 株式会社NEWSY (2018年4月8日). 2020年12月26日閲覧。
  34. ^ a b 松本ミゾレ (2018年4月8日). “なぜ陰キャは陽キャのふりをしないのか 「無理してもいつかボロが出る」「リアルで記号的なキャラ付けが通用するわけない」”. キャリコネニュース. 株式会社グローバルウェイ. 2020年12月26日閲覧。
  35. ^ イマドキの若者がネットで使う「陰キャ・陽キャ」ってどういう意味?”. ねとらぼ. ITmedia (2017年5月21日). 2020年12月26日閲覧。

参考文献

関連項目