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[[ファイル:Toruko.jpg|thumb|right|270px|長崎のトルコライス]]
{{独自研究|date=2011年10月}}
'''トルコライス'''は、[[長崎県]]、主に[[長崎市]]を中心とした[[ご当地グルメ]]。一皿に多種のおかずが盛りつけられた洋風[[料理]]。
[[ファイル:Toruko.jpg|thumb|right|270px|長崎風トルコライス]]
'''トルコライス'''または'''トルコ風ライス'''は、[[長崎県]]、主に[[長崎市]]を中心とした[[ご当地グルメ]]。一皿に多種のおかずが盛りつけられた洋風[[料理]]。


また関西地方や横浜・川崎地区など、長崎以外の地域にも内容の異なるトルコライスが存在する。
[[大阪市]]、[[神戸市]]にもトルコライスが存在するが内容は各所で異なる(なお、九州では長崎県以外ではほとんど見られない)。


== 長崎 ==
最も一般的なのは[[ピラフ]]([[ドライカレー]]風も有)、[[ナポリタン|ナポリタンスパゲティ]]、[[ドミグラスソース]]のかかった[[豚カツ]]という組み合わせである<ref name=totota127>{{Cite book|和書|editor=[[西日本新聞社]]|others=豊田謙二監修|title=九州宝御膳物語 おいしい郷土料理大事典|page=127|date=2006年11月|isbn=4-8167-0706-9}}</ref>。盛り付けとしてはピラフとスパゲティと[[サラダ]]を皿に盛り、その上から[[カツカレー]]のごとく豚カツをのせる。
[[ファイル:Nagasaki style Toruko rice.JPG|thumb|right|200px|長崎のトルコライス。カツにデミグラスソースが掛かったもの]]
=== 概要 ===
[[豚カツ]]、[[ピラフ]]、[[スパゲティ]]が一つの皿にのっていることを基本とする<ref group="注">まっぷる長崎'11から同'20まで(なお「ポークカツ」表記)。</ref>。ピラフは当初、[[ドライカレー]](カレーチャーハン、カレーピラフ)が主流だったともされ<ref>るるぶ長崎'10 p.54</ref>、あるいはチャーハンなこともある。スパゲティは[[ナポリタン]]が多い。上から[[ドミグラスソース]]やカレーソースなどがかけられる。[[サラダ]]ものるかまたは別皿でつくこともある<ref>るるぶ長崎'11 p.46</ref>。細部は店によって異なり、また一軒の店で複数の種類のトルコライスを提供する場合もある<ref>{{Cite book|和書|title=長崎おいしい歳時記|author=下妻みどり|publisher=書肆侃侃房|date=2012-09-17|isbn=978-4-86385-091-0|pages=84-86|chapter=トルコライスの方程式}}</ref>。「トルコ風ライス」として出している店もある<ref name="bordeaux">{{Cite web|url=http://bistro-bordeaux.com/turkishrice/|title=トルコ風ライス|publisher=BistroBordeaux|accessdate=2019-07-16}}</ref>。


一つの皿に複数の料理をのせることから[[お子様ランチ]]にたとえられ<ref name=totota127>{{Cite book|和書|editor=[[西日本新聞社]]|others=豊田謙二監修|title=九州宝御膳物語 おいしい郷土料理大事典|page=127|date=2006年11月|isbn=4-8167-0706-9}}</ref>、「大人版お子様ランチ」<ref name="dpz20060114">{{Cite web|url=https://backnumber.dailyportalz.jp/special06/01/14/|title=トルコライスのすべて|author=T・斎藤|publisher=デイリーポータルZ|date=2006-01-14|accessdate=2019-07-24}}</ref>{{Sfn|伊丹|2010|p=234}}、「大人のお子様ランチ」<ref name="tawara2017">{{Cite web|url=https://style.nikkei.com/article/DGXZZO22053590Q7A011C1000000/|title=トルコライスは大人のお子様ランチ 人気洋食3種盛り|author=俵慎一|publisher=NIKKEI STYLE|date=2017-10-13|accessdate=2019-07-19}}</ref><ref name="kenmin20190606">{{Cite web|url=https://dogatch.jp/news/ntv/yomitv_64227/detail/|title=大人のお子様ランチ?!長崎県民熱愛のトルコライスがうまそうすぎる件について|publisher=テレビドガッチ|date=2019-06-07|accessdate=2019-07-03}}</ref>などと形容されることがある。
近年は長崎を紹介する旅番組で[[ご当地グルメ]]として紹介されたり、[[料理・グルメ漫画]](「[[森田信吾|駅前の歩き方]]」や「[[クッキングパパ]]」など)で取り上げられるなどメディアでの紹介も増え、[[2003年]]頃からは[[セブン-イレブン]]などの[[コンビニエンスストア]]で弁当として販売されるようになっている。


1950年代に誕生したとされるが、名前の由来も含めて確かなことは分からない。
「トルコ」の名を冠してはいるが、[[トルコ]]に同名、同種、あるいは類似した料理は無い<ref name="totota127"/>。トルコライスは[[豚カツ]]、[[ピラフ]]、[[スパゲティ]]などを一皿に盛った料理だが、トルコでは[[炭水化物]]が同じ皿に盛られる料理は通常考えられず、[[イスラム世界|イスラム圏]]では豚を食べることは[[食のタブー#豚|タブー]]である。
{{Main|#発祥と由来の諸説}}
1952年生まれの[[さだまさし]]は3歳8か月から小学生時代にかけて長崎音楽院に通い、日曜の昼休みに外食するのが楽しみだったとしつつ、夕月のカレーとともにツル茶んのトルコライスは「滅多に食べられることはなかった」と記している<ref>{{Cite book|和書|title=ちゃんぽん食べたかっ!|author=さだまさし|publisher=NHK出版|date=2015-05-30|page=34}}</ref>。


かつては長崎と同じタイプのトルコライスが県外で見られることはあまりなかった。[[うえやまとち]]の漫画『[[クッキングパパ]]』は1992年に掲載されたトルコライスを題材にした回で劇中、長崎ではどこにでもある、博多にはないと登場人物に会話させている{{Refnest|name="ueyama1992"|{{Cite journal|和書|title=クッキングパパ COOK.301 長崎のユニーク満腹メニュー トルコ風ライス|author=うえやまとち|journal=モーニング|publisher=講談社|issue=21|year=1992|pages=231-246}}1993年に単行本収録<ref>{{Cite book|和書|title=クッキングパパ|author=うえやまとち|publisher=講談社|volume=31|date=1993-05-22|chapter=COOK.305 長崎のユニーク満腹メニュー トルコ風ライス|pages=55-70}}</ref>。}}。1999年には朝日新聞島根版で長崎出身の記者が「他県ではあまりみたことがない。」と記していた<ref>{{Cite news|newspaper=朝日新聞|title=えんぴつ|date=1999-09-15|page=26(島根)}}</ref>。また2001年の朝日新聞大阪版では記者の長崎出身の知人が大阪のトルコライスに「スパゲティがついてない」と不満そうにしている様が記されている<ref name="asahi20011114">{{Cite news|newspaper=朝日新聞夕刊|title=トルコライス、なぜ場所で違う?(あなたの謎とき隊)|author=八田智代|date=2001-11-14|page=3(ゆめ1、大阪)}}</ref>。さだまさしと長崎県東京事務所はそれぞれ、東京に出てから長崎のトルコライスがないことを知ったと記している<ref name="sada2006">{{Cite book|和書|chapter=妖精の国|title=美しき日本の面影|author=さだまさし|publisher=新潮社|date=2006-06-30|pages=267-285<!-- 269 -->}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.pref.nagasaki.lg.jp/tokyo/hirakawatyo_vol4.html|title=平河町2丁目通信 VOL.4|publisher=長崎県|date=2005-10-19|archiveurl=http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/261488/www.pref.nagasaki.lg.jp/tokyo/hirakawatyo_vol4.html|archivedate=2008-06-26|accessdate=2019-08-06}}</ref>。
== 起源 ==
命名も含めて発祥は不明<ref name="20130916n">{{Cite web|url=http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/39818|title=「トルコライスの日」消え 「事故の9・16」在日大使館が難色|work=西日本新聞|language=日本語|accessdate=2013年9月16日}}</ref>。[[1950年代]]に出現したと思われるが、初めて考案したと主張する店が複数存在している<ref>起源に関しては、民族学者で食文化に詳しい[[周達生]]の『あれも食べた これも食べた 雑食の雑学』中央公論社、2003年、ISBN 978-4120034510、p.31-34を参照のこと。元祖を名乗る各地のレストラン、食堂についてもイニシャルで紹介している。</ref>。現在確認されうるルーツは映画山の音のロケが行われた1953年東京近辺である。


近年は長崎を紹介する旅番組で[[ご当地グルメ]]として紹介されたり、前述の「[[クッキングパパ]]」や[[森田信吾]]「[[駅前の歩き方]]」(2004年)のように[[料理・グルメ漫画]]で取り上げられるなどメディアでの紹介も増えた。旅行ガイドの「[[るるぶ]]長崎」や「[[まっぷる]]長崎」では2010年代にはほぼ毎年のようにトルコライスの頁が掲載されている<ref>るるぶ長崎'11のみ、「長崎オリジナルメニュー」の頁での掲載。</ref>。県外でも長崎出身の料理人が開いた店で提供されたり<ref>{{Cite news|newspaper=読売新聞|title=[ひゅーまん2012]長崎チャンポン店を経営 徳永清俊さん60|date=2012-11-05|page=29(富山)}}</ref>、トルコライスを知って店のメニューに加えたりされるようにもなった<ref>{{Cite news|newspaper=朝日新聞|title=ダイアナのトルコライス(まちかどの味)|date=2002-12-05|page=28(鳥取1)}}</ref>。また[[2003年]]頃からは[[セブン-イレブン]]などの[[コンビニエンスストア]]で弁当として販売されるようにもなっている<ref>{{Cite news|newspaper=東京新聞|title=お買いもの情報 新商品|date=2003-12-26|page=19}}</ref><!-- モスバーガー、ローソンのトルコライスおにぎりは? もう普及した後の展開で不要? ファミレスでの展開とCasaに言及しためしばな刑事タチバナも。-->。長崎県東京事務所も2007年には東京でトルコライスを食べられる店を2軒、紹介している<ref>{{Cite web|url=http://www.pref.nagasaki.jp/tokyo/hirakawatyo_vol16.html|title=平河町2丁目通信 VOL.16|publisher=長崎県|date=2007-05-17|archiveurl=http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/242178/www.pref.nagasaki.jp/tokyo/hirakawatyo_vol16.html|archivedate=2007-06-29|accessdate=2019-08-06}}</ref>。
=== トルコ起源料理説 ===
名称に「[[トルコ]]」とあるが、トルコにはそのままで類似した料理はない。豚肉を[[タブー|禁忌]]とする[[イスラム教]]信徒が多数を占めるトルコで、豚カツを含む料理が供されることは考えにくい。また、複数の炭水化物が同じ皿に乗ることもない。これらは2013年5月にトルコを親善訪問した全日本司厨士協会長崎県本部の訪問団が、現地の料理人・シェフ連盟から指摘されている<ref name="ns0708">[http://www.nagasaki-np.co.jp/news/kennaitopix/2013/07/08085831010884.shtml 長崎新聞:母国はトルコライスに難色 (7月8日) ]</ref>。豚カツの代用として他の肉や魚介などでもいいと提案したものの、同様に難色を示されている。ただし[[ピラフ]]はそもそもピラウという[[トルコ料理]]であり、ピラフのことをトルコ風ライスと呼び、豚カツとスパゲティは単なる付け合わせであるという説がある。一方でトルコ料理の[[ケバブ]]では皿に盛って供するものがあるが、ピラフと肉・サラダの組み合わせを1枚の皿に盛る点でトルコライスに似る。


なお長崎にもバターライスの上にサワークリームで仕上げた牛肉、エビ、野菜がのるといった全く異なるタイプのトルコライスを出す店もあった。トルコの兵隊に作って食べさせていたトルコ料理を先輩から伝授されたとしていた<ref>{{Cite journal|和書|<!-- title=丸ごと美味しいトルコライス -->|journal=リブながさき|publisher=ザ・ながさき|issue=156|date=2003-02|page=53<!-- pages=49-54 -->}}</ref><ref group="注">店は既に閉店。</ref>。
=== トルコ架け橋説 ===
サフラン(ピラフ)がインドを、スパゲッティがイタリアを指し、そこに豚カツが加わって架け橋になるという解釈から両地域の中間に位置するトルコの名称を冠したというものである。また、「[[炒飯]]が中国、スパゲティがイタリアを表す」という説もある<ref>[http://www.at-nagasaki.jp/theme/foods/tf004/ 大好きなあのメニューが一皿に トルコライス ]</ref>。


=== トルコ料理との比較 ===
ただし、発祥の時期とされる1960年頃はサフランライスは一般的でなく、長崎発祥とするならサフランライスは否定される。
「トルコ」の名を冠してはいるが、[[トルコ]]に同じ料理は無い{{Sfn|ザ・ながさき|1993|pp=14-15}}<ref name="totota127" />。トルコは[[イスラム世界|イスラム圏]]であるため豚肉を食べない{{Sfn|ザ・ながさき|1993|pp=14-15}}<ref name="ns0708">{{Cite news|url=http://www.nagasaki-np.co.jp/news/kennaitopix/2013/07/08085831010884.shtml|newspaper=長崎新聞|title=母国はトルコライスに難色|date=2013-07-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130708010132/http://www.nagasaki-np.co.jp/news/kennaitopix/2013/07/08085831010884.shtml|archivedate=2013-07-08}}</ref>。日本経済新聞の連載「偏食アカデミー」では1997年の記事でトルコ料理店マネージャーの「トルコの人にとって豚肉は宗教上食べるのはおろか、見るのも嫌なものなんです」というコメントを掲載している{{Refnest|name="nikkei19970427"|{{Cite news|newspaper=日本経済新聞|title=たべるこだわり 偏食アカデミー トルコライス|author=稲垣直子|date=1997-04-27|page=22}}。1998年に単行本化<ref name="taberukodawari1998">{{Cite book|和書|title=偏食アカデミー 嗚呼日本の胃袋よ!|publisher=日本経済新聞社|date=1998-08-25|pages=45-48}}</ref>。}}。[[周達生]]は塚口駅前のイタリア料理店にあったトルコライスの写真と、大阪・東京・長崎の店のトルコライスを取り上げた朝日新聞記事<ref name="asahi20011114" />を挙げて、豚カツを使った料理に「トルコ」の名前を付けていることが「許せない」「ケシカラン」「いただけない」と記した<ref name="shu2003" />。またピラフとスパゲティを一つの皿に盛り合わせることもない{{Sfn|ザ・ながさき|1993|pp=14-15}}<ref name="ns0708" />。


一方でトルコ料理のケバブでは皿に盛って供するものがあるが、ピラフと肉・サラダの組み合わせを1枚の皿に盛る点でトルコライスに似る。「偏食アカデミー」では[[鈴木董]]から「トルコにはピラウ(ピラフ)の上に羊肉や豆の煮込み、野菜などをのせたものや、鳥肉に木の実、野菜、米を詰めたドルマという料理はあります」と紹介され、ピラウ料理の写真を掲載して比較している<ref name="nikkei19970427" />。また2001年の朝日新聞記事でも「スライスしたケバブを載せたピラフ」の写真を「本物のトルコ料理」として掲載、比較している<ref name="asahi20011114" />。
=== トリコロール説 ===
カツ・ピラフ・ナポリタンの3種類を、3色の[[トリコロール]]カラーに重ね合わせたという説<ref>[http://www.city.nagasaki.lg.jp/m/kanko/870000/872000/p023477.html 長崎のソウルフード トルコライスを食べよう!] 長崎市ホームページ 2013年3月22日</ref>。トリコロールが転じて「トルコ」になったとする。


=== トルコ風呂」由来説 ===
=== トルコライスの日の制定と廃止 ===
[[長崎市]]では[[エルトゥールル号遭難事件]]の起きた[[9月16日]]を「トルコライスの日」として[[2010年]]に制定したことがあった<ref>{{Cite news|newspaper=読売新聞|title=9月16日は「トルコライスの日」 長崎でご当地グルメPR|date=2010-09-09|page=30(西部朝刊、二長崎)}}</ref>。
[[1958年]](昭和33年)、長崎市で「レストラン元船」を経営していた松原三代治が、彩り良い着物の女性の後ろ姿を見ていて、新しい料理のアイデアや盛り付け方法を思い付いた。ちょうどその頃、([[売春防止法]]制定で[[赤線]]が廃止され)[[トルコ風呂]]が人気を呼んでいた。それにあやかり、「うんと精力をつけて頑張ってほしいから」という理由で、彼がトルコライスと命名したという<ref>{{Cite book|和書|editor=伊丹由宇|title=にっぽん「食謎」紀行 名物食のルーツを探せ!|chapter=第18章 オムライスvsハヤシライス 洋食のチャンピオン|pages=237-238|publisher=[[ワニブックス]]|edition=初版|date=2010-04-25|isbn=978-4-8470-6015-1}}</ref>。


[[駐日トルコ共和国大使館]]から食文化を通した国際親善の打診があり、2013年5月に全日本司厨士協会の訪問団がトルコを訪れたが、同協会の長崎県本部会長がトルコ料理人・シェフ連盟との会食の席でトルコライスをアピール。しかし連盟の会長からトルコには豚カツはないこと、炭水化物が同じ皿に乗ることがないことの指摘を受けた。県本部会長は会員制の「長崎トルコライスクラブ」を創設する計画があり、トルコの本場料理と供宴するイベントの開催も考えていたという<ref name="ns0708" />。これが報じられるとインターネット上で話題となり、直後に長崎市長の[[田上富久]]が東京の大使館を訪問するに至った<ref name="20130916n" />。
=== 土耳古めし説 ===
[[明治|明治時代]]に、すでに「土耳古飯(とるこめし)」という名の料理が知られていた。福澤諭吉が創刊した「[[時事新報]]」の料理コーナー「何にしようね」(明治26年10月21日号)によれば、鶏肉または牛肉のスープで炊いたご飯をバター炒めにしたものである。また、小説「食道楽」(村井弦斎)にも「土耳古飯」への言及がある。これに豚カツとスパゲッティが追加されて現在のトルコライスになった<ref>[http://portal.nifty.com/2008/05/09/b/ @nifty:デイリーポータルZ:福澤諭吉のトルコライス?]</ref>。


田上の訪問に対して大使館は、9月16日は遭難者を悼む聖なる日だとして同日をトルコライスの日とした趣旨を質問。そのような神聖な日であるにもかかわらず、{{要出典範囲|そういった事情を一切考慮する事無く、あまつさえトルコにとって禁忌である|date=2019年12月|title=既存の出典にある大使館の表明にはない記述です。}}豚肉を使った料理のPRに利用するのは{{要出典範囲|遭難者とその遺族に対する侮辱であり|date=2019年12月|title=既存の出典では大使館が侮辱であるとしたという記述はありません。}}、友好にとって逆効果ではないかと指摘。同大使館はまた、トルコライスは長崎独自の食文化でありそれを否定するつもりはないとしながら、トルコライスはトルコ料理ではなく{{要出典範囲|全くの無関係であり、誤解を招く状況である|date=2019年12月|title=「トルコ料理ではありません」は朝日新聞記事にありますが記述はそこまでで、大使館が「全くの無関係」「誤解を招く状況」としたという出典はありません。}}とした。これを受けて長崎市は2013年7月19日に「トルコライスの日」を廃止した<ref>[http://www.city.nagasaki.lg.jp/n_city/iken/detail.php?id=1059 トルコライスの名称の改名について] - 長崎市へのご提案・ご意見等の紹介、[[長崎市]]、2013年9月9日閲覧</ref><ref name="ns0720">{{Cite news|title=トルコライスの日 見直し|newspaper=長崎新聞|date=2013-07-20|url=http://www.nagasaki-np.co.jp/news/kennaitopix/2013/07/20093521011036.shtml|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131009201354/http://www.nagasaki-np.co.jp/news/kennaitopix/2013/07/20093521011036.shtml|archivedate=2013-10-09}}</ref><ref name="asahi0723">{{Cite news|newspaper=朝日新聞|title=「トルコライスの日」やめます 長崎市「豚肉食べない」指摘受け|author=佐々木亮|date=2013-07-23|page=37(西部本社)}}</ref><ref name="20130916n">{{Cite news|url=http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/39818|title=「トルコライスの日」消える 「事故の9・16」在日大使館が難色|newspaper=西日本新聞|date=2013-09-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130916050027/http://nishinippon.co.jp/nnp/national/article/39818|archivedate=2013-09-16}}</ref>。
=== 外国風説 ===
クラシック音楽ではオスマン帝国風の楽曲を「トルコ風」と呼ぶことがあるが、実際にはオスマン帝国に限らず単に外国風というだけで「トルコ風」と称することもある。そこからアイデアを得て、洋食(外国風)だからという理由でトルコライスと命名したという説もある。


=== メディア ===
=== 発祥と由来の諸説 ===
==== 植原一郎説 ====
1954年公開の映画[[山の音|「山の音]]」の一場面で東京近辺でロケをしたと思われる街頭の店先にメニューとしてカレーやチキンライス、ハヤシライスとともにトルコライスを表記した飲食店がチラリと写っている。またこの事から上述されている1958年発祥の「トルコ風呂」由来説は誤りとなる。
ビストロ・ボルドー店主の父、植原一郎は兵庫県姫路市の出身で外国船の船員をしていたが、戦後は神戸の米軍将校クラブ「シルバーダラ」に勤めた。クラブに出入りする日本人女性や従業員のために冷やご御で焼きめしを作ったが、外国人のクラブのため焼き飯と言えず、トルコのピラウに似せたとして「トルコ風ライス」と呼んだ。実際にトルコのサフランピラフに似せようとサフランを用いたり、ターメリックを試したりもしたが、カレー粉になったともいう。トンカツやスパゲティはおかずを求められて付けたという。植原は妻の故郷である長崎に移ってレストランマルゼン<ref group="注">「丸善」とも。</ref>のシェフ松原と知り合う。松原が入院してヘルプに入ったが、経営者から相談を受けた際にトルコ風ライスを紹介し、松原が退院して復帰した後に初めてメニューに載り、長崎に広まったとする説<ref name="ueyama1992" />{{Sfn|ザ・ながさき|1993|pp=6-7}}<ref name="nikkei19970427" /><ref name="asahi20011114" /><ref name="bordeaux" />。


2004年の「リブながさき」が有力とした三つの説の一つ{{Sfn|ザ・ながさき|2004|p=17}}。[[長崎外国語大学]]の副学長、[[姫野順一]]が2019年6月6日「秘密のケンミンSHOW」で有力な二つの説の一つとして紹介した話は本説の将校クラブのくだりに沿っているが、料理を将校に出したとしている点に相違がある<ref name="kenmin20190606" />。
== 長崎風トルコライス ==
[[ファイル:Nagasaki style Toruko rice.JPG|thumb|right|200px|長崎風トルコライス。カツにデミグラスソースが掛かったもの]]


[[柏井寿]]は植原一郎をビストロ・ボルドーの先代シェフとしているが{{Sfn|柏井|2005|p=43}}、ビストロ・ボルドーは1987年(昭和62年)に当代の店主、植原一が自ら開業した店である{{Refnest|{{Cite news|newspaper=日本経済新聞|title=長崎のトルコライス――50年前に考案、量に驚き(転勤族のための九州沖縄学)|date=2004-12-04|page=34(地方経済面 西部特集)}}。2006年に単行本化<ref>{{Cite book|和書|chapter=長崎のトルコライス|title=転勤・出張族のための九州・沖縄学|editor=日本経済新聞社西部支社|publisher=日本経済新聞社|date=2006-11-01|page=130-131}}</ref>。}}。伊丹由宇は既に廃業したレストラン金子の先代マスターの話として「神戸の将校クラブ」や「ピラウ」、「レストラン丸善」に触れて「最も具体的な理由を持っている」としたが{{Sfn|伊丹|2010|p=236}}、レストラン金子は店主が1983年に店を構え、2008年1月末に閉店して25年の歴史に幕を閉じた店である<ref>{{Cite news|newspaper=毎日新聞|title=紙ふうせん:真心の味、最後の一人まで|date=2008-01-24|page=26(西部朝刊)}}</ref>。
[[豚カツ]]・チャーハン(もしくはカレーピラフ)・[[スパゲッティ]]・サラダを一つの皿に載せた料理のメニュー。長崎の洋食屋で一般的に見られるが本来は(カレー)ピラフとナポリタンスパゲティの上にトンカツを乗せたもの。[[カレー]]をかけたものもある。


==== レストラントルコ説 ====
長崎県以外では県境が隣接する[[佐賀県]]の一部地域(とくに県境よりである西部地方)でまれにメニューに加える飲食店も見受けられるがそれ以外の地域ではほとんどないローカルメニューである。
レストラントルコで出していたメニューが店名からトルコライスと呼ばれ、他の店にも広がったとする説{{Sfn|ザ・ながさき|1993|p=8}}<ref name="nikkei19970427" />。喫茶店「ツル茶ん」がこの説を提唱しており<ref name="tsuruchan">{{Cite web|url=https://ameblo.jp/mokunosuke59/entry-12493977650.html|title=「トルコライスの名前の由来とトルコライスの定義を教えてください。」|publisher=ツル茶んのマスタ-のブログ|date=2015-08-21|accessdate=2019-07-15}}</ref>、二代目店主がレストラントルコの開店特別メニューをヒントにしてメニューに加えたとしている{{Sfn|ザ・ながさき|1993|p=8}}<ref name="nikkei19970427" />。レストラントルコは5年ほどで廃業したという<ref>{{Cite journal|title=フォト&ヒストリー港町篇22 幕末「長崎物語」紀行 &#60;その3&#62; ――奥丸山から、みなと長崎町歩き|author=結喜しはや|journal=歴史読本|publisher=KADOKAWA|date=2010-10|pages=287-295}}</ref><!-- p.293の「コラム ツル茶ん」-->。またレストラントルコのマッチが残っている<ref group="注">るるぶ長崎'13から同'17までと、ツル茶んのマスターのブログ。</ref>。


2004年の「リブながさき」が有力とした三つの説の一つであり{{Sfn|ザ・ながさき|2004|p=17}}、姫野順一が「秘密のケンミンSHOW」で有力とした二つの説の一つでもある<ref name="kenmin20190606" />。
[[長崎市]]では[[エルトゥールル号遭難事件]]の起きた[[9月16日]]を[[2010年]]に「トルコライスの日」として制定したが<ref name="ns0708"/>、[[駐日トルコ共和国大使館|駐日トルコ大使館]]の質問を受けて[[2013年]]に廃止した<ref>[http://www.city.nagasaki.lg.jp/n_city/iken/detail.php?id=1059 トルコライスの名称の改名について] - 長崎市へのご提案・ご意見等の紹介、[[長崎市]]、2013年9月9日閲覧</ref><ref name="ns0720">{{Cite news |title= トルコライスの日 見直し|newspaper= 長崎新聞|date= 2013-07-20|url= http://www.nagasaki-np.co.jp/news/kennaitopix/2013/07/20093521011036.shtml|accessdate=2013-09-09}}</ref>。


<!--
== 大阪風トルコライス ==
植原が長崎でレストラントルコと親しくしていたとするガイドブックがあるが、ビストロ・ボルドーが明かしている植原が長崎で勤めたレストランの一覧にレストラントルコはなく、ガイドブックの記述も改まった。
ベースは[[チキンライス]]でこの上に[[オムライス]]同様の薄い[[卵焼き]]を敷き、さらにこの上に豚カツを載せて[[ドミグラスソース]]をかけた料理である{{要出典|date=2013年7月}}。卵焼きをのぞくと、[[北海道]][[根室市]]の地方料理である赤[[エスカロップ]]に酷似している。ネーミングの起源はこちらも不明。[[大阪府|大阪]]の洋食屋に多いとされる{{誰2|date=2013年7月}}。大阪でのトルコライス発祥の店は、大阪市旭区にあるイスタンブールという店である{{要出典|date=2013年7月}}。
-->
長崎の喫茶店で考案されたとする説もあるが<ref name="yomiuri20010728">{{Cite news|newspaper=読売新聞|title=トルコライス|date=2001-07-28|page=37(都内3)}}</ref>、レストラントルコを喫茶店としているのかは分からない。また喫茶店である「ツル茶ん」について毎日新聞は2008年から2009年にかけて「トルコライス発祥の店」と書いていた時期があったが<ref>{{Cite news|newspaper=毎日新聞|title=トークセッション:多様な食文化紹介――長崎で|date=2008-09-25|page=18(長崎)}}</ref><!-- (全て列挙すると過剰のおそれがあるため、最初と最後を残してコメントアウト)
<ref>{{Cite news|newspaper=毎日新聞|title=くじら料理フェア:長崎市内の55店が腕振るう――あすから|date=2008-10-31|page=18(長崎)}}</ref>
<ref>{{Cite news|newspaper=毎日新聞|title=うまかモン:おもてなしの心を象徴|date=2008-11-06|page=20(長崎)}}</ref>
<ref>{{Cite news|newspaper=毎日新聞|title=長崎さるく:麺食い和・華・蘭ツアー、初開催――長崎|date=2008-12-12|page=18(長崎)}}</ref>
<ref>{{Cite news|newspaper=毎日新聞|title=雑記帳:NHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送を前に…|date=2009-03-13|page=27(西部朝刊)}}</ref>
--><ref>{{Cite news|newspaper=毎日新聞|title=さるく見聞館まつり:職人の技術、老舗の歴史紹介|date=2009-10-07|page=16(長崎)}}</ref>、ツル茶ん自身は「元祖」ではないとしている<ref name="tsuruchan" />。喫茶店の店名を「トリコロール」とする説については[[#トリコロール説]]を参照。


==== 松原三代治説 ====
[[神奈川県]][[川崎市]]のトルコライスは大阪風に近い{{要出典|date=2013年7月}}。チキンライスに刻んだ豚カツを混ぜてあったり、チキンライスの下にドミグラスソースのかかった豚カツが隠されていたりする。
レストランマルゼンのシェフだった松原三代治{{Refnest|group="注"|1927年(昭和2年)3月7日生まれ{{Sfn|ザ・ながさき|2004|p=17}}。1955年(昭和30年)にレストランマルゼンに入り、1958年(昭和33年)に料理長となり、1964年(昭和39年)にマルゼンを辞め{{Sfn|ザ・ながさき|1993|p=7}}、仔馬に移った{{Sfn|ザ・ながさき|2004|p=17}}。1990年代はレストラン元船を営んでいたが{{Sfn|ザ・ながさき|1993|p=7}}{{Sfn|ザ・ながさき|1997|p=2}}、70歳で現役を退いた{{Sfn|ザ・ながさき|2004|p=17}}。}}がつくり、命名したとする説。女性の晴れ着姿をきっかけに上半身をライス、帯をカツ、着物の派手な柄の裾をスパゲティに見立てた{{Sfn|ザ・ながさき|1993|p=7}}{{Sfn|ザ・ながさき|1997|p=2}}{{Sfn|ザ・ながさき|2004|p=17}}{{Sfn|伊丹|2010|pp=237-238}}。


2004年の「リブながさき」が有力とした三つの説の一つ{{Sfn|ザ・ながさき|2004|p=17}}。
== 神戸風トルコライス ==
[[ケチャップ]]を使わない味付けの炒め御飯の上に[[カレー]]をかけ、[[生卵]]をトッピングした料理である{{要出典|date=2013年7月}}。


当時、特殊浴場を[[トルコ風呂 (性風俗)|トルコ風呂]]と呼ぶなど「トルコ」と名付けるのが流行っていたので便乗して命名したとする{{Sfn|ザ・ながさき|1993|p=7}}{{Sfn|ザ・ながさき|1997|p=2}}。また当時人気を呼んでいたトルコ風呂にあやかり、「うんと精力をつけて頑張ってほしいから」という理由で命名したとすることもある{{Sfn|伊丹|2010|pp=237-238}}。
神戸の[[学生街]]の喫茶レストランで「学生達に栄養とボリュームのあるものを」ということで考案されたという説{{要出典|date=2013年7月}}と、昭和30年代に神戸の[[米軍]]将校クラブにて出されていたメニューであったという説{{要出典|date=2013年7月}}がある。ネーミングの起源はやはり不明。神戸風とはいうものの、現在は神戸市内でもほとんど目にすることはない。


長崎の郷土史家<ref>{{Cite web|url=https://www.kirishima.co.jp/aji/2011/autumn/32/02.html|title=ツル茶ん 川村隆男の「トルコライス」|work=九州の味とともに 秋|publisher=霧島酒造|date=2018-09-25|accessdate=2019-07-14}}</ref>、中西啓はレストラン・マルゼンのコック長を創製者として、当初はトンカツではなく[[シシカバブ]]を乗せていたとした<ref>{{Cite book|和書|title=長崎町人誌 第四巻 さまざまのくらし編 食の部 II|chapter=味の変遷<!-- pp.297-336 -->|author=中西啓|date=1996-05-10|page=334}}</ref>。ただし松原は初めてメニューに出したトルコライスと同じレシピとしてシシカバブではなくトンカツを挙げている<ref>{{Cite journal|和書|title=パニックになりながらも幻のトルコライスに挑戦!!<!-- 特集 これぞ、長崎生まれの洋風郷土料理 ああ、愛しのトルコライス -->|journal=NAGASAKIさるく|issue=7|publisher=長崎市|date=2001-11|page=10<!-- pages=5-11 -->}}</ref>。
長崎のトルコライスの発祥に関わる説の一つとして、神戸起源説{{要出典|date=2013年7月}}がある。


<!--==== メーゾン仔馬説 ====
長崎の喫茶レストラン「メーソン仔馬」(既に閉店)のオーナー・北原路子が神戸を訪れた際、米軍将校クラブで出されていたトルコライスを知り、長崎に戻ってから神戸風をアレンジしたのが長崎風のトルコライスであるというものである。
メーゾン仔馬の北原路子が神戸で見た料理をヒントに考案したという説。

北原が神戸の将校クラブで出されていたトルコライスを知ったとする説を載せたガイドブックがあるとされ、植原一郎説との合成がある<ref>[http://cnagasaki.web.fc2.com/food/toru/toru.html トルコライス、トルコ風ライス]</ref>{{出典無効|date=2019年7月}}。
--><!-- ガイドブックを特定、確認できれば合成説の出典となるが、合成であることが指摘されているためできれば合成されていないメーゾン仔馬の話のままの出典があると望ましい。出典にはできないがウェブページの著者は店の人から話を聞いているため証言者が明らかであり、何とかできればと思う。また同様に店名についても確からしいのでは。また『長崎への招待』第3版 昭和44年11月1日 128頁に「メーゾン仔馬」とある。
--><!-- メゾン仔馬<ref>[http://nature-f.net/archives/1384 トルコライスとは?由来や歴史は?長崎人もおすすめのものとは | トレンドランキング!ここだけの話題を先取り]</ref>。食べたことのある人のコメント。
--><!-- メーソン仔馬<ref>[http://ssiimm.livedoor.biz/archives/51624438.html 正しい休日の過ごし方:浜町アーケードをさるきました - livedoor Blog(ブログ)]</ref>。ほか、既にWikipediaからの転記であふれている。
-->

==== 地理的命名説 ====
トルコライスを構成するそれぞれの料理をどこかの国・地域にあてはめ、その中間にあるのがトルコだからとする説。2000年代半ば頃から、二つをつなぐ「架け橋」と表現されることもある<ref>{{Cite book|和書|title=マップルマガジン 歩く長崎 '04|publisher=昭文社|date=2003-07|pages=34-35}}</ref>。

チャーハンが中国でスパゲティがイタリア<ref>るるぶ長崎'04-05 p.44。</ref>{{Refnest|group="注"|[[柏井寿]]は「ピラフ、つまりは炒飯の原産中国」とした{{Sfn|柏井|2005|p=42}}。[[今柊二]]は「ピラフ・焼き飯(中国)」とも{{Sfn|今|2014|p=200}}。}}、トルコが東洋と西洋にまたがる国<ref group="注">るるぶ長崎'13 p.38から同'17 p.52まで。</ref>、中東発祥のピラフがアジアでイタリア料理のスパゲティがヨーロッパ<ref name=totota127 />、カレーがインド・とんかつが中国・スパゲティがイタリア{{Sfn|今|2014|p=200}}など、どの料理をどこに例えるかにも諸説ある。

1993年の「リブながさき」では「中間説」として取り上げているが、自店舗での命名の証言としてではなく、聞いたことがあるとして紹介されていた{{Sfn|ザ・ながさき|1993|p=11}}。また同誌ではトルコ人にトルコライスについて聞いた記事があり、そこではトルコライスの命名の由来としてではなく、トルコという国について「ブリッジ・カントリー、架け橋」であると説明されていた{{Sfn|ザ・ながさき|1993|pp=14-15}}。

[[柏井寿]]は「最も有力なのが地理的命名説」とするが{{Sfn|柏井|2005|p=42}}<!-- 2001年9月8日放送「秘密のケンミンSHOW」で調理師協会(どこの?)の会長(誰?)もスパゲティ=イタリア、米の文化=中国でトンカツを架け橋としながら中国とイタリアの間にあるからトルコという説が有力としていたようだが、詳細を確認できない https://datazoo.jp/tv/%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%9F%E3%83%B3SHOW/510968 -->、ビストロボルドーではトリコロール説とともに長崎のタウン誌によって二十数年前に編集会議で仮説として作られ、書かれた物であるとして事実とは異なるとしている<ref name="bordeaux" />{{refnest|group="注"|name="bordeaux20161021"|「二十数年前」について、同記述は2005年2月4日付けのアーカイブがある<ref>{{Cite web|url=http://www1.powerzoo.net/~bordeaux/toruko.html|title=トルコ風ライス|publisher=BistroBordeaux|archiveurl=https://web.archive.org/web/20050204110654/http://www1.powerzoo.net:80/~bordeaux/toruko.html|archivedate=2005-02-04|accessdate=2019-07-16}}</ref>。}}。俵慎一もまた、地元タウン誌の編集会議でたてた仮説だったと当時の編集者が後に明かしたとしている<ref name="tawara2017" />。なお2004年の「リブながさき」では思い付いた仮説や未確認の噂を取り上げたことがあったとして謝っているが、具体的にどの説がそうかは記していない{{Sfn|ザ・ながさき|2004|p=17}}。

また中間説・架け橋説とは別にピラフをトルコのアナトリア高原、トンカツをタウルス山脈、スパゲティをエーゲ海の海岸線に見立てた説を1993年の「リブながさき」がやはり伝聞として「トルコの地形説」と記し{{Sfn|ザ・ながさき|1993|pp=9}}、日本経済新聞の連載「偏食アカデミー」では証言者を紹介した二つの説とは別に挙げた「諸説」の中で「地形説」として記している<ref name="nikkei19970427" />。伊丹由宇もまた「並べ方が、トルコの地形に似ている」説を挙げている{{Sfn|伊丹|2010|p=235}}。

==== トリコロール説 ====
トリコロール(三色旗または店名)が転訛してトルコとなった説。

1993年の「リブながさき」でフランス国旗に代表される三色旗を挙げて「トリコロール説」として取り上げられているが、他の説と違い証言者、伝聞の紹介者のいずれも記されていなかった{{Sfn|ザ・ながさき|1993|p=10}}。

ビストロボルドーでは地理的命名説とともに長崎のタウン誌によって二十数年前に編集会議で仮説として作られ、書かれた物であるとして事実とは異なるとしている<ref name="bordeaux" /><ref group="注" name="bordeaux20161021" />。俵慎一もまた、地元タウン誌の編集会議でたてた仮説だったと当時の編集者が後に明かしたとしている<ref name="tawara2017" />。なお2004年の「リブながさき」では思い付いた仮説や未確認の噂を取り上げたことがあったとして謝っているが、具体的にどの説がそうかは記していない{{Sfn|ザ・ながさき|2004|p=17}}。

[[柏井寿]]はトルコライスを最初にメニューに載せたのが「トリコロール」という店だったからという説を紹介し、続けて新説と称して3つの食材をフランス国旗に見立てた説を披露しているが{{Sfn|柏井|2005|pp=43-44}}、前述の通り1993年の時点で三色旗からのトリコロール説は言及されている。

==== 「よくわからない料理」説 ====
トルコが当時あまり知られていなかったとして、「よくわからない料理」という意味に由来するという説<ref name="yomiuri20010728" />。

== 関西地方 ==
伊丹由宇は著書で、神戸と大阪には長崎とは全く異なる「トルコ・ライス」が存在すると記しているが、詳細は省くとしてそれ以上のことは書いていない{{Sfn|伊丹|2010|pp=236-237}}。今柊二は「大阪、京都などの関西地方」にトルコライスがあるとしている{{Sfn|今|2014|p=200}}。『京阪神の洋食』では大阪と京都の店を挙げつつ「関西トルコライス」とした<ref>{{Cite book|和書|chapter=DISHES COLUMN 究明!エキゾチック洋食.1 トルコライス|title=京阪神の洋食|publisher=京阪神エルマガジン社|date=2010-02-18|pages=74-75}}</ref>。

2001年に朝日新聞が大阪で元祖を名乗る店として洋食店「イスタンブール」を取材している。炒めたケチャップライスの上に半熟に焼いた溶き卵とトンカツを乗せて、デミグラスソースをかけたもの。店主(当時67歳)が20代半ば頃に{{Refnest|group="注"|『かながわ定食紀行』では2007年の50年前。『京阪神の洋食』では2010年の50年前。『Meets regional』2005年5月号では50年近く前、2005年12月号では50年前<ref>{{Cite journal|和書|title=ひっつける|journal=Meets regional|publisher=京阪神エルマガジン社|date=2005-12|page=59}}</ref>。}}アルゼンチンの公園で見たトルコ人が食べていた弁当をヒントにして1963年にメニューにしたという。記事では大阪でトルコライスを出す他の店でもよく似ていたとする<ref name="asahi20011114" />。今柊二はオムライスの上にトンカツが載ってデミグラスソースがかかっているとした。店名は元は「エビス」だったがトルコライスが有名になってそれに合わせて1989年に変更した{{Sfn|今|2008|pp=115-117}}。『Meets regional』2005年5月号が「スタンダード・トルコライス3傑。」としたうちの一つ<ref name="meetsregional200505">{{Cite journal|和書|title=トルコライスの謎|journal=Meets regional|publisher=京阪神エルマガジン社|date=2005-05|pages=36-37}}</ref>。

柏井寿は京都の洋食店「のらくろ」のトルコライスについて、ケチャップ味の炒めご飯にひと口カツの卵とじがのり、デミグラスソースがかかったもので「洋風カツ丼」と表現し、「京都はおろか、他都市の洋食屋さんでもとんと見かけない」とした{{Sfn|柏井|2005|pp=13-15}}。今柊二は卵がプルプル震えるトロトロオムレツの中にケチャップライス、その上にビーフカツとし、2007年の44、5年前に店の主人が独自に考案したもので{{Sfn|今|2008|pp=139-141}}、「イスタンブール」とともにオムライスとカツという流れと記しているが{{Sfn|今|2008|p=142}}、「大阪トルコ」「京都トルコ」と分けて書いていることもある<ref name="kon2017">{{Cite book|和書|title=ニッポン定食散歩|author=今柊二|publisher=竹書房|date=2017-12-07|isbn=978-4-8019-1287-8|page=160}}</ref>。『Meets regional』2005年5月号が「スタンダード・トルコライス3傑。」としたうちの一つで、約40年前<ref group="注">2005年時点。</ref>にナポリタンのライス版として作ったとする<ref name="meetsregional200505" />。

俵慎一は大阪のトルコライスとよく似た料理として[[福井県]][[越前市]][[武生市|武生]]の[[ボルガライス]]を挙げている<ref name="tawara2017" />。

[[周達生]]は[[塚口駅]]<!-- 六甲に帰ろうとしているので阪急かもしれないが、確証がないのであいまい検索へ内部リンク -->前のイタリア料理店に豚カツを用いたトルコライスの写真があったとしている<ref name="shu2003">{{Cite book|和書|title=あれも食べた これも食べた 雑食の雑学|author=[[周達生]]|publisher=中央公論社|date=2003|ISBN=978-4120034510|pages=31-34}}</ref>。

関西地方にはまた別のタイプのトルコライスを出している店もある。

今柊二はまた大阪の「ゼニヤ食堂」のトルコライスについても記している。鉄板の上に玉ネギや肉など親子丼の具のようなものが載り、生卵が落とされていて、具の下に隠れていたご飯はカレー味だったという。2007年時点で店は35年目だった{{Sfn|今|2008|pp=112-114}}。『Meets regional』2005年5月号も「スタンダード・トルコライス3傑。」とは別に掲載し、洋風ドンブリを目指したとしている<ref name="meetsregional200505" />。

[[NHK]]「[[食彩浪漫]]」は2009年2月28日の放送で神戸の「ピザハウスF」を取り上げ、テキストにトルコライスを掲載し「香ばしく炒めたご飯にカレーをかけ、生卵をトッピングした」と記している<ref>{{Cite book|和書|title=NHK食彩浪漫|publisher=日本放送出版協会|date=2009-02|page=29}}</ref>。<!-- このタイプのトルコライスが神戸に共通のものだという出典は見当たらない。また出典として記述することはできないが、店は「大阪の(既に閉店した)喫茶店で教えてもらった」としている。http://kiowazuhashirou.web.fc2.com/kuruma.htm#090930 -->

== 横浜・川崎地区 ==
[[今柊二]]が「横浜・川崎地区」にある「ケチャップライスの中にカツが入った長崎と違うタイプ」としているもの<ref>{{Cite news|newspaper=日経プラスワン(土曜日朝刊)|title=何でもランキング 食べに行きたい ご当地ランキング|date=2010-10-30|page=1|url=https://style.nikkei.com/article/DGXZZO17240720Z21C10A0000000/}}</ref>。「中入れ方式」{{Sfn|今|2008|pp=95-97}}{{Sfn|今|2014|p=201}}とも呼び、また「横浜・川崎型トルコライス」{{Sfn|今|2014|p=200}}「京浜トルコ」<ref name="kon2017" />とも記している。俵慎一はケチャップライスとカツをまぶすと表現している<ref name="tawara2017" />。

川崎市の中華料理店「かどや」は戦後まもなく<ref group="注">2007年に70歳になる店の主人が20歳の頃、2015年の新聞記事では54年前。</ref>渋谷駅前の大衆食堂「渋谷食堂」で食べたものを後になって<ref group="注">2007年の15、6年前、2014年発行の書籍で20数年前。</ref>まねたという{{Sfn|今|2008|pp=95-97}}{{Sfn|今|2014|p=201}}<ref name="yomiuri20150531">{{Cite news|newspaper=読売新聞|title=[かながわ発]ご当地グルメ 小杉トルコライス|author=宮本友香|date=2015-05-31|page=34(神奈2)}}</ref>。渋谷食堂は現在の渋谷の万葉会館だが、万葉会館には当時のメニューは残っていないという{{Sfn|今|2008|pp=98-99}}。東急東横線沿線の多くの店でメニューに加わったが、姿を消していったという<ref name="yomiuri20150531" />。俵慎一は「ケチャップライス+トンカツデミグラスソース+ケチャップライスという三層構造」とする<ref name="tawara2017" />。

本牧の「キッチンさし田」は1975年に移転して来る前は[[蒲田]]のミスタウンという映画館街にあり、その頃からトルコライスがメニューにあったという{{Sfn|今|2014|p=201}}。俵慎一は「洋食系のポークカツレツのテイストのトンカツ」が「一口サイズに刻まれていて、ケチャップライスに隠されている」とする<ref name="tawara2017" />。

横浜の「ミツワグリル」ではもともとケチャップライスの中にトンカツが入っていたのを、一見してカツが入っているのがわからないとしてカツを上にのせるようになったとする。店主は名前の由来について「トルコ式サウナのように中に入っているからトルコライスという説もあった」と述べている{{Sfn|今|2008|pp=92-94}}{{Sfn|今|2014|pp=200-201}}。

今柊二はこれらの店舗の調査から戦後の東京南部・川崎・横浜ではトルコライスはそれほど特別なメニューではなく、親しまれたメニューであったと判明するとした<!-- 。さらに名前の由来について「渋谷にトルコ大使館があった」「トルコは親日的だったので、名前に親しんでいた」など複数の理由も考えられるとしている -->{{Sfn|今|2014|p=201-202}}。<!-- 由来は著者が考えたように読めるためコメントアウト -->

== その他 ==
地域で同じタイプのトルコライスを出している複数の店があるかは不明ながら、他にも長崎とは異なるタイプのトルコライスを出している店がある。また文献や映画にもトルコライスが見られる。

=== 東京 ===
東京には横浜・川崎地区のトルコライスの源流とは異なるトルコライスもある。

1963年(昭和38年)に[[ニユートーキヨー]]が数寄屋橋店でカツとハヤシライスなどを組み合わせた料理をトルコライスとして出し、人気を集めたという<ref>{{Cite news|newspaper=日経流通新聞|title=新聞・漫画・料理… 昭和30年代を演出――新星苑の「ビヤステーション両国」|date=1998-03-17|page=11}}</ref>。<!-- 出典の記事の通り子会社が復刻しており、系列店で同タイプのトルコライスを食べたとする個人の記述もあることから、出典にできる情報源もさらにある可能性。 -->

2001年に朝日新聞が東京で元祖を名乗る店として千代田区の大衆食堂「フジ」を取材している。ケチャップライスの上にキャベツの千切りを敷いてトマトソースをかけた豚カツがあったとする。店主が約20年前、本で見たトルコ料理をまねたが、写真が不鮮明でトンカツとケチャップライスに見えたという<ref name="asahi20011114" />。「偏食アカデミー」でも同姓同名の店主で「富士食堂」として紹介している{{Refnest|group="注"|単行本では写真に「東京で食べられる“長崎の味”トルコライス。」とキャプションを付けたが、朝日新聞が書いたように長崎のトルコライスとは異なる<ref name="taberukodawari1998" />。}}。

なおどのような料理だったかは不明ながら伊勢丹新宿店の社員食堂では1936年(昭和11年)3月第1週月曜日の夜の献立でトルコライスを選択できた<ref>{{Cite book|和書|title=伊勢丹百年史|publisher=伊勢丹|date=1990-03-04|page=80}}</ref>。
<!--=== 高知 ===
今柊二が長崎以外にトルコライスが見られる地域として「大阪、京都などの関西地方」「横浜・川崎地区」とともに挙げているが、それ以上のことは記していない{{Sfn|今|2014|p=200}}。--><!-- 『ニッポン定食散歩』でも --><!--『かながわ定食紀行』p.142でコックドールのメニューにあったが未食とある。その後の取材がなければ有意な出典が得られる見込みがないためコメントアウト。
--><!--
高知新聞は「焼きめしとスパゲティ、トンカツのセットが一般的」としている<ref>{{Cite news|newspaper=高知新聞|title=&#123;ふれあい高新in越知町&#125; おちdeゴチ(3) トルコライス|date=2018-07-20|url=https://www.kochinews.co.jp/article/200649/}}</ref>。(これだと長崎と同じ? 高知の話ではなく全国的に長崎のが一般的という意味?)
--><!--
アンの庭「ドライカレーに炒めた玉ねぎと焼肉がトッピング」https://www.pikara.net/spot/details.php?id=3631 (これなら長崎のバリエーションの域を超えているが、他の店にもあるのか不明)
--><!--
コックドール、「トルコライスはポーク メキシカンライスはチキン」 https://www.pictame.com/media/1459934519021018871_743810136
でメキシカンライスが「チキンカツの上にハヤシライス」https://tabelog.com/kochi/A3901/A390101/39000346/dtlrvwlst/B112368722/
ならトルコライスはハヤシライスにポークカツ(トンカツ)? ニュートーキョーと同じ組み合わせ?
-->
=== 稚内 ===
いくつか有名店があったとされるが、俵慎一が取材した時には食べられる店は一軒しか確認できなかったという。ライスにチキンカツをのせ、カレールウとハヤシソースを半々にかけたもの。他の店ではトンカツだったり、チキンライスだったりしたとする。元祖とされる店のトルコライスは長崎のトルコライスが元だとも、と記している<ref name="tawara2017" />。

=== 明治時代の文献 ===
[[小菅桂子]]は日本経済新聞の連載「偏食アカデミー」にて(長崎のトルコライスと)「同じものかどうかは別にして」「明治時代の文献にすでに登場している」としたが、具体的な文献は挙げなかった<ref>{{Cite news|newspaper=日本経済新聞|title=たべるこだわり 偏食アカデミー 回顧と展望|date=1998-09-20|page=24}}</ref><!-- 掲載時期より単行本には入っていない。 -->。

[[福澤諭吉]]が創刊した「[[時事新報]]」の料理コーナー「何にしよう子(ね)」(明治26年10月21日号)にある「土耳其めし」は<ref>{{Cite news|newspaper=時事新報|title=何にしよう子|date=1893-10-21|page=4}}</ref>、鶏肉または牛肉のスープで炊いたご飯をバター炒めにしたものである<ref>{{Cite book|和書|title=福沢諭吉の「何にしようか」|publisher=ワニマガジン|date=2001-01-01|page=40-41}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://backnumber.dailyportalz.jp/2008/05/09/b/|title=福澤諭吉のトルコライス?|author=T・斎藤|publisher=デイリーポータルZ|date=2008-05-09|accessdate=2019-07-15}}</ref><ref group="注">デイリーポータルZは「土耳古めし」表記。</ref>。

また[[村井弦斎]]の小説『[[食道楽 (村井弦斎)|食道楽]] 秋の巻』<ref>{{Cite web|url=https://www.aozora.gr.jp/cards/000810/files/50686_42916.html|title=食道楽 秋の巻|author=村井弦斎|publisher=青空文庫|accessdate=2019-07-16}}</ref>でも「第二百四十八 ペラオ飯」に「土耳古飯即ちペラオと云ふお料理」<ref>{{Cite book|和書|title=食道楽 秋の巻|author=村井弦斎|publisher=報知社|page=230-231|url=http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/886115/131}}</ref>、「第二百六十一 料理の粋」には「ペラオの様な米料理は土耳古風から出て居る」と言及があり<ref>{{Cite book|和書|title=食道楽 秋の巻|author=村井弦斎|publisher=報知社|page=274|url=http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/886115/153}}</ref>、さらに「附録 西洋料理の部」では「第一 ペラオ飯 と申すのは土耳古風の極く手軽なお料理」に始まって「第八 サフラン飯」「第十 土耳古飯」などが挙がっている<ref>{{Cite book|和書|title=食道楽 秋の巻|author=村井弦斎|publisher=報知社|page=23-27|url=http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/886115/186}}</ref>。伊丹由宇は「長崎のトルコ・ライスとは関係ないようだ」とし{{Sfn|伊丹|2010|pp=235-236}}、産経新聞は「ぺラオ飯」に「ピラフ」と括弧書きしている<ref>{{Cite web|title=【明治の50冊】(34)村井弦斎『食道楽』 食生活変えたベストセラー|publisher=産経新聞|date=2018-10-29|url=https://www.sankei.com/life/news/181029/lif1810290012-n1.html|accessdate=2019-11-24}}<!-- 東京版・大阪版のデータベースになく、紙面掲載はない模様。 --></ref>。

=== フランス料理 ===
[[オーギュスト・エスコフィエ]]は著書『Le Guide Culinaire』(邦題『エスコフィエ・フランス料理』)に「Riz à la Turque」(リ・ア・ラ・テュルク。米、トルコ風)を記している。「Riz Pilaw」(リ・ピロウ。[[ピラフ]])を作る際の注ぎ汁に[[サフラン]]を一緒に入れ、煮あがった後フォンデュ・ドゥ・トマトを混ぜるものとした<ref>{{Cite book|和書|title=エスコフィエ・フランス料理|author=オーギュスト・エスコフィエ|others=角田明(訳)、井上幸作(技術監修)|publisher=[[柴田書店]]|date=1969-11-25|origyear=1903|page=1107}}</ref><ref>{{Cite book|title=Le Guide Culinaire|author=Georges Auguste Escoffier|year=1903|language=fr|page=676|url=https://books.google.co.jp/books?id=t8UeTMbS5uYC&dq=Le%20guide%20culinaire&hl=ja&pg=PA676#v=onepage&q&f=false}}</ref>

鈴本敏雄『仏蘭西料理献立書及調理法解説』も「RIZ」(米飯料理。RICE)の中に「― à la Turque」を挙げて「サフランの粉末 Cayenne, Smyrna raisins 及び生牛酪を加へて調製するものとす。」としている<ref>{{Cite book|和書|title=仏蘭西料理献立書及調理法解説|author=鈴本敏雄|publisher=奎文社出版部|year=1920|page=401|url=http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/964512/208}}</ref>。

深澤侑史も著書『西洋料理』の「第2章 米飯料理」に「5 リー・ア・ラ・テュルック(Riz à la Turque)」を挙げてトマトとサフランを用いた複数の料理法を記し、「この米飯はサフランを加えた米飯はチュルックと称えられる」としている<ref>{{Cite book|和書|title=西洋料理 下巻|author=深澤侑史|publisher=柴田書店|year=1953|page=391-392}}</ref>。また著書『西洋料理500種』では「ポルトガル風ご飯(Riz à la Portugaise)」の応用として「トルコ風バターご飯」を挙げ、ピローご飯(Riz Pilaw)を作る際にトマトとサフランを加える料理法を記した<ref>{{Cite book|和書|title=西洋料理500種|author=深沢侑史|publisher=女子栄養短期大学出版部|date=1958-07-18|page=166}}</ref>。

なお『フランス 食の事典』では「トルコふう(―風、à la Turque)」について「トルコまたはオスマン文化を想起させる料理に用いる表現」としている<ref>{{Cite book|和書|title=フランス 食の事典|editor=日仏料理協会|publisher=白水社|date=2000-10-10|page=429}}</ref>。またサフランピラフは現在のトルコでは見かけないという<ref name="asahi20011114" /><!-- 周達生『あれも食べた これも食べた 雑食の雑学』p.35で「トルコのサフランピラフ」について「そんなものはトルコにはない」と断じているが、出典とした通り元ネタにされている朝日新聞記事にも伝聞として存在する記述であり、独自の情報に基づいて断言しているのか不明のため脚注にはしない -->。

荒田勇作は『荒田西洋料理(仔牛・粉・御飯料理編)』の「Timbale タンバル料理」に「Timbale de riz turque(Turkish rice. ハムライスに豚肉の棒フライのせトルコ・ライス)」を挙げて「これはトルコ・ライスと称し、大衆向きの安価なライス料理である」と記した。トマト色をつけたハム混ぜライスを丼に盛り、豚肉を棒切りにしてパン粉をつけて揚げたものを上に並べて片側にカレーソース、片側に[[ドミグラスソース|ドゥミグラス]]をかけるとしている<ref>{{Cite book|和書|title=荒田西洋料理(仔牛・粉・御飯料理編)|author=荒田勇作|publisher=柴田書店|date=1964-03-30|page=227}}</ref>。

=== 映画『山の音』 ===
1954年公開の映画「[[山の音]]」で45分過ぎの一場面に{{要出典範囲|date=2019年7月|東京近辺でロケをしたと思われる}}街頭の店先にメニューとしてカレーやチキンライス、ハヤシライスとともにトルコライスを表記した飲食店の立て看板がチラリと右下に写っているが、どのような料理だったかは分からない。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}

== 参考文献 ==
*{{Cite journal|和書|title=トルコライス行進曲|journal=リブながさき|publisher=ザ・ながさき|date=1993-09|pages=4-16|ref={{SfnRef|ザ・ながさき|1993}}}}
*{{Cite journal|和書|title=トルコライスデラックス|journal=THE NAGASAKI|publisher=ザ・ながさき|issue=318|date=1997-03-07|pages=1-7|ref={{SfnRef|ザ・ながさき|1997}}}}
*{{Cite journal|和書|title=長崎名物トルコライス決定版!!|journal=リブながさき|publisher=ザ・ながさき|issue=176|date=2004-10|pages=7-17|ref={{SfnRef|ザ・ながさき|2004}}}}
*{{Cite book|和書|title=食い道楽ひとり旅|chapter=第一章 トルコライスの謎を探る――長崎|author=柏井寿|publisher=光文社|date=2005-11-20|isbn=9784334033323|pages=7-48|ref={{SfnRef|柏井|2005}}}}
*{{Cite book|和書|title=かながわ定食紀行|author=今柊二|publisher=神奈川新聞社|date=2008-10-31|isbn=9784876454310|ref={{SfnRef|今|2008}}}}<!-- 「Help:ISBNのリンク」にはハイフンで区切れとあるが、裏表紙の通りに区切るとISBN2でエラーとなる -->
*{{Cite book|和書|editor=伊丹由宇|title=にっぽん「食謎」紀行 &#x301C;名物食のルーツを探せ!&#x301C;|chapter=第18章 オムライスvsハヤシライス 洋食のチャンピオン|pages=237-238|publisher=[[ワニブックス]]|edition=初版|date=2010-04-25|isbn=978-4-8470-6015-1|ref={{SfnRef|伊丹|2010}}}}
*{{Cite book|和書|title=とことん! とんかつ道|chapter=トルコライスのスゴい世界|author=今柊二|publisher=中央公論新社|date=2014-01|isbn=978-4-12-150482-1|page=199-203|ref={{SfnRef|今|2014}}}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
*[[ボルガライス]]
*[[ボルガライス]] - 大阪のトルコライスに似ているとされる。
*[[ハントンライス]]
*[[ハントンライス]]
*[[エスカロップ]]
*[[エスカロップ]] - 長崎のトルコライスに似ているとされる。
*[[シシリアンライス]] - 命名の諸説に長崎のトルコライスに対抗したとする説がある。

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[[Category:呼称問題]]
[[Category:呼称問題]]

2019年12月15日 (日) 09:26時点における版

長崎のトルコライス

トルコライスは、長崎県、主に長崎市を中心としたご当地グルメ。一皿に多種のおかずが盛りつけられた洋風料理

また関西地方や横浜・川崎地区など、長崎以外の地域にも内容の異なるトルコライスが存在する。

長崎

長崎のトルコライス。カツにデミグラスソースが掛かったもの

概要

豚カツピラフスパゲティが一つの皿にのっていることを基本とする[注 1]。ピラフは当初、ドライカレー(カレーチャーハン、カレーピラフ)が主流だったともされ[1]、あるいはチャーハンなこともある。スパゲティはナポリタンが多い。上からドミグラスソースやカレーソースなどがかけられる。サラダものるかまたは別皿でつくこともある[2]。細部は店によって異なり、また一軒の店で複数の種類のトルコライスを提供する場合もある[3]。「トルコ風ライス」として出している店もある[4]

一つの皿に複数の料理をのせることからお子様ランチにたとえられ[5]、「大人版お子様ランチ」[6][7]、「大人のお子様ランチ」[8][9]などと形容されることがある。

1950年代に誕生したとされるが、名前の由来も含めて確かなことは分からない。

1952年生まれのさだまさしは3歳8か月から小学生時代にかけて長崎音楽院に通い、日曜の昼休みに外食するのが楽しみだったとしつつ、夕月のカレーとともにツル茶んのトルコライスは「滅多に食べられることはなかった」と記している[10]

かつては長崎と同じタイプのトルコライスが県外で見られることはあまりなかった。うえやまとちの漫画『クッキングパパ』は1992年に掲載されたトルコライスを題材にした回で劇中、長崎ではどこにでもある、博多にはないと登場人物に会話させている[12]。1999年には朝日新聞島根版で長崎出身の記者が「他県ではあまりみたことがない。」と記していた[13]。また2001年の朝日新聞大阪版では記者の長崎出身の知人が大阪のトルコライスに「スパゲティがついてない」と不満そうにしている様が記されている[14]。さだまさしと長崎県東京事務所はそれぞれ、東京に出てから長崎のトルコライスがないことを知ったと記している[15][16]

近年は長崎を紹介する旅番組でご当地グルメとして紹介されたり、前述の「クッキングパパ」や森田信吾駅前の歩き方」(2004年)のように料理・グルメ漫画で取り上げられるなどメディアでの紹介も増えた。旅行ガイドの「るるぶ長崎」や「まっぷる長崎」では2010年代にはほぼ毎年のようにトルコライスの頁が掲載されている[17]。県外でも長崎出身の料理人が開いた店で提供されたり[18]、トルコライスを知って店のメニューに加えたりされるようにもなった[19]。また2003年頃からはセブン-イレブンなどのコンビニエンスストアで弁当として販売されるようにもなっている[20]。長崎県東京事務所も2007年には東京でトルコライスを食べられる店を2軒、紹介している[21]

なお長崎にもバターライスの上にサワークリームで仕上げた牛肉、エビ、野菜がのるといった全く異なるタイプのトルコライスを出す店もあった。トルコの兵隊に作って食べさせていたトルコ料理を先輩から伝授されたとしていた[22][注 2]

トルコ料理との比較

「トルコ」の名を冠してはいるが、トルコに同じ料理は無い[23][5]。トルコはイスラム圏であるため豚肉を食べない[23][24]。日本経済新聞の連載「偏食アカデミー」では1997年の記事でトルコ料理店マネージャーの「トルコの人にとって豚肉は宗教上食べるのはおろか、見るのも嫌なものなんです」というコメントを掲載している[26]周達生は塚口駅前のイタリア料理店にあったトルコライスの写真と、大阪・東京・長崎の店のトルコライスを取り上げた朝日新聞記事[14]を挙げて、豚カツを使った料理に「トルコ」の名前を付けていることが「許せない」「ケシカラン」「いただけない」と記した[27]。またピラフとスパゲティを一つの皿に盛り合わせることもない[23][24]

一方でトルコ料理のケバブでは皿に盛って供するものがあるが、ピラフと肉・サラダの組み合わせを1枚の皿に盛る点でトルコライスに似る。「偏食アカデミー」では鈴木董から「トルコにはピラウ(ピラフ)の上に羊肉や豆の煮込み、野菜などをのせたものや、鳥肉に木の実、野菜、米を詰めたドルマという料理はあります」と紹介され、ピラウ料理の写真を掲載して比較している[26]。また2001年の朝日新聞記事でも「スライスしたケバブを載せたピラフ」の写真を「本物のトルコ料理」として掲載、比較している[14]

トルコライスの日の制定と廃止

長崎市ではエルトゥールル号遭難事件の起きた9月16日を「トルコライスの日」として2010年に制定したことがあった[28]

駐日トルコ共和国大使館から食文化を通した国際親善の打診があり、2013年5月に全日本司厨士協会の訪問団がトルコを訪れたが、同協会の長崎県本部会長がトルコ料理人・シェフ連盟との会食の席でトルコライスをアピール。しかし連盟の会長からトルコには豚カツはないこと、炭水化物が同じ皿に乗ることがないことの指摘を受けた。県本部会長は会員制の「長崎トルコライスクラブ」を創設する計画があり、トルコの本場料理と供宴するイベントの開催も考えていたという[24]。これが報じられるとインターネット上で話題となり、直後に長崎市長の田上富久が東京の大使館を訪問するに至った[29]

田上の訪問に対して大使館は、9月16日は遭難者を悼む聖なる日だとして同日をトルコライスの日とした趣旨を質問。そのような神聖な日であるにもかかわらず、そういった事情を一切考慮する事無く、あまつさえトルコにとって禁忌である[要出典]豚肉を使った料理のPRに利用するのは遭難者とその遺族に対する侮辱であり[要出典]、友好にとって逆効果ではないかと指摘。同大使館はまた、トルコライスは長崎独自の食文化でありそれを否定するつもりはないとしながら、トルコライスはトルコ料理ではなく全くの無関係であり、誤解を招く状況である[要出典]とした。これを受けて長崎市は2013年7月19日に「トルコライスの日」を廃止した[30][31][32][29]

発祥と由来の諸説

植原一郎説

ビストロ・ボルドー店主の父、植原一郎は兵庫県姫路市の出身で外国船の船員をしていたが、戦後は神戸の米軍将校クラブ「シルバーダラ」に勤めた。クラブに出入りする日本人女性や従業員のために冷やご御で焼きめしを作ったが、外国人のクラブのため焼き飯と言えず、トルコのピラウに似せたとして「トルコ風ライス」と呼んだ。実際にトルコのサフランピラフに似せようとサフランを用いたり、ターメリックを試したりもしたが、カレー粉になったともいう。トンカツやスパゲティはおかずを求められて付けたという。植原は妻の故郷である長崎に移ってレストランマルゼン[注 3]のシェフ松原と知り合う。松原が入院してヘルプに入ったが、経営者から相談を受けた際にトルコ風ライスを紹介し、松原が退院して復帰した後に初めてメニューに載り、長崎に広まったとする説[12][33][26][14][4]

2004年の「リブながさき」が有力とした三つの説の一つ[34]長崎外国語大学の副学長、姫野順一が2019年6月6日「秘密のケンミンSHOW」で有力な二つの説の一つとして紹介した話は本説の将校クラブのくだりに沿っているが、料理を将校に出したとしている点に相違がある[9]

柏井寿は植原一郎をビストロ・ボルドーの先代シェフとしているが[35]、ビストロ・ボルドーは1987年(昭和62年)に当代の店主、植原一が自ら開業した店である[37]。伊丹由宇は既に廃業したレストラン金子の先代マスターの話として「神戸の将校クラブ」や「ピラウ」、「レストラン丸善」に触れて「最も具体的な理由を持っている」としたが[38]、レストラン金子は店主が1983年に店を構え、2008年1月末に閉店して25年の歴史に幕を閉じた店である[39]

レストラントルコ説

レストラントルコで出していたメニューが店名からトルコライスと呼ばれ、他の店にも広がったとする説[40][26]。喫茶店「ツル茶ん」がこの説を提唱しており[41]、二代目店主がレストラントルコの開店特別メニューをヒントにしてメニューに加えたとしている[40][26]。レストラントルコは5年ほどで廃業したという[42]。またレストラントルコのマッチが残っている[注 4]

2004年の「リブながさき」が有力とした三つの説の一つであり[34]、姫野順一が「秘密のケンミンSHOW」で有力とした二つの説の一つでもある[9]

長崎の喫茶店で考案されたとする説もあるが[43]、レストラントルコを喫茶店としているのかは分からない。また喫茶店である「ツル茶ん」について毎日新聞は2008年から2009年にかけて「トルコライス発祥の店」と書いていた時期があったが[44][45]、ツル茶ん自身は「元祖」ではないとしている[41]。喫茶店の店名を「トリコロール」とする説については#トリコロール説を参照。

松原三代治説

レストランマルゼンのシェフだった松原三代治[注 5]がつくり、命名したとする説。女性の晴れ着姿をきっかけに上半身をライス、帯をカツ、着物の派手な柄の裾をスパゲティに見立てた[46][47][34][48]

2004年の「リブながさき」が有力とした三つの説の一つ[34]

当時、特殊浴場をトルコ風呂と呼ぶなど「トルコ」と名付けるのが流行っていたので便乗して命名したとする[46][47]。また当時人気を呼んでいたトルコ風呂にあやかり、「うんと精力をつけて頑張ってほしいから」という理由で命名したとすることもある[48]

長崎の郷土史家[49]、中西啓はレストラン・マルゼンのコック長を創製者として、当初はトンカツではなくシシカバブを乗せていたとした[50]。ただし松原は初めてメニューに出したトルコライスと同じレシピとしてシシカバブではなくトンカツを挙げている[51]


地理的命名説

トルコライスを構成するそれぞれの料理をどこかの国・地域にあてはめ、その中間にあるのがトルコだからとする説。2000年代半ば頃から、二つをつなぐ「架け橋」と表現されることもある[52]

チャーハンが中国でスパゲティがイタリア[53][注 6]、トルコが東洋と西洋にまたがる国[注 7]、中東発祥のピラフがアジアでイタリア料理のスパゲティがヨーロッパ[5]、カレーがインド・とんかつが中国・スパゲティがイタリア[55]など、どの料理をどこに例えるかにも諸説ある。

1993年の「リブながさき」では「中間説」として取り上げているが、自店舗での命名の証言としてではなく、聞いたことがあるとして紹介されていた[56]。また同誌ではトルコ人にトルコライスについて聞いた記事があり、そこではトルコライスの命名の由来としてではなく、トルコという国について「ブリッジ・カントリー、架け橋」であると説明されていた[23]

柏井寿は「最も有力なのが地理的命名説」とするが[54]、ビストロボルドーではトリコロール説とともに長崎のタウン誌によって二十数年前に編集会議で仮説として作られ、書かれた物であるとして事実とは異なるとしている[4][注 8]。俵慎一もまた、地元タウン誌の編集会議でたてた仮説だったと当時の編集者が後に明かしたとしている[8]。なお2004年の「リブながさき」では思い付いた仮説や未確認の噂を取り上げたことがあったとして謝っているが、具体的にどの説がそうかは記していない[34]

また中間説・架け橋説とは別にピラフをトルコのアナトリア高原、トンカツをタウルス山脈、スパゲティをエーゲ海の海岸線に見立てた説を1993年の「リブながさき」がやはり伝聞として「トルコの地形説」と記し[58]、日本経済新聞の連載「偏食アカデミー」では証言者を紹介した二つの説とは別に挙げた「諸説」の中で「地形説」として記している[26]。伊丹由宇もまた「並べ方が、トルコの地形に似ている」説を挙げている[59]

トリコロール説

トリコロール(三色旗または店名)が転訛してトルコとなった説。

1993年の「リブながさき」でフランス国旗に代表される三色旗を挙げて「トリコロール説」として取り上げられているが、他の説と違い証言者、伝聞の紹介者のいずれも記されていなかった[60]

ビストロボルドーでは地理的命名説とともに長崎のタウン誌によって二十数年前に編集会議で仮説として作られ、書かれた物であるとして事実とは異なるとしている[4][注 8]。俵慎一もまた、地元タウン誌の編集会議でたてた仮説だったと当時の編集者が後に明かしたとしている[8]。なお2004年の「リブながさき」では思い付いた仮説や未確認の噂を取り上げたことがあったとして謝っているが、具体的にどの説がそうかは記していない[34]

柏井寿はトルコライスを最初にメニューに載せたのが「トリコロール」という店だったからという説を紹介し、続けて新説と称して3つの食材をフランス国旗に見立てた説を披露しているが[61]、前述の通り1993年の時点で三色旗からのトリコロール説は言及されている。

「よくわからない料理」説

トルコが当時あまり知られていなかったとして、「よくわからない料理」という意味に由来するという説[43]

関西地方

伊丹由宇は著書で、神戸と大阪には長崎とは全く異なる「トルコ・ライス」が存在すると記しているが、詳細は省くとしてそれ以上のことは書いていない[62]。今柊二は「大阪、京都などの関西地方」にトルコライスがあるとしている[55]。『京阪神の洋食』では大阪と京都の店を挙げつつ「関西トルコライス」とした[63]

2001年に朝日新聞が大阪で元祖を名乗る店として洋食店「イスタンブール」を取材している。炒めたケチャップライスの上に半熟に焼いた溶き卵とトンカツを乗せて、デミグラスソースをかけたもの。店主(当時67歳)が20代半ば頃に[注 9]アルゼンチンの公園で見たトルコ人が食べていた弁当をヒントにして1963年にメニューにしたという。記事では大阪でトルコライスを出す他の店でもよく似ていたとする[14]。今柊二はオムライスの上にトンカツが載ってデミグラスソースがかかっているとした。店名は元は「エビス」だったがトルコライスが有名になってそれに合わせて1989年に変更した[65]。『Meets regional』2005年5月号が「スタンダード・トルコライス3傑。」としたうちの一つ[66]

柏井寿は京都の洋食店「のらくろ」のトルコライスについて、ケチャップ味の炒めご飯にひと口カツの卵とじがのり、デミグラスソースがかかったもので「洋風カツ丼」と表現し、「京都はおろか、他都市の洋食屋さんでもとんと見かけない」とした[67]。今柊二は卵がプルプル震えるトロトロオムレツの中にケチャップライス、その上にビーフカツとし、2007年の44、5年前に店の主人が独自に考案したもので[68]、「イスタンブール」とともにオムライスとカツという流れと記しているが[69]、「大阪トルコ」「京都トルコ」と分けて書いていることもある[70]。『Meets regional』2005年5月号が「スタンダード・トルコライス3傑。」としたうちの一つで、約40年前[注 10]にナポリタンのライス版として作ったとする[66]

俵慎一は大阪のトルコライスとよく似た料理として福井県越前市武生ボルガライスを挙げている[8]

周達生塚口駅前のイタリア料理店に豚カツを用いたトルコライスの写真があったとしている[27]

関西地方にはまた別のタイプのトルコライスを出している店もある。

今柊二はまた大阪の「ゼニヤ食堂」のトルコライスについても記している。鉄板の上に玉ネギや肉など親子丼の具のようなものが載り、生卵が落とされていて、具の下に隠れていたご飯はカレー味だったという。2007年時点で店は35年目だった[71]。『Meets regional』2005年5月号も「スタンダード・トルコライス3傑。」とは別に掲載し、洋風ドンブリを目指したとしている[66]

NHK食彩浪漫」は2009年2月28日の放送で神戸の「ピザハウスF」を取り上げ、テキストにトルコライスを掲載し「香ばしく炒めたご飯にカレーをかけ、生卵をトッピングした」と記している[72]

横浜・川崎地区

今柊二が「横浜・川崎地区」にある「ケチャップライスの中にカツが入った長崎と違うタイプ」としているもの[73]。「中入れ方式」[74][75]とも呼び、また「横浜・川崎型トルコライス」[55]「京浜トルコ」[70]とも記している。俵慎一はケチャップライスとカツをまぶすと表現している[8]

川崎市の中華料理店「かどや」は戦後まもなく[注 11]渋谷駅前の大衆食堂「渋谷食堂」で食べたものを後になって[注 12]まねたという[74][75][76]。渋谷食堂は現在の渋谷の万葉会館だが、万葉会館には当時のメニューは残っていないという[77]。東急東横線沿線の多くの店でメニューに加わったが、姿を消していったという[76]。俵慎一は「ケチャップライス+トンカツデミグラスソース+ケチャップライスという三層構造」とする[8]

本牧の「キッチンさし田」は1975年に移転して来る前は蒲田のミスタウンという映画館街にあり、その頃からトルコライスがメニューにあったという[75]。俵慎一は「洋食系のポークカツレツのテイストのトンカツ」が「一口サイズに刻まれていて、ケチャップライスに隠されている」とする[8]

横浜の「ミツワグリル」ではもともとケチャップライスの中にトンカツが入っていたのを、一見してカツが入っているのがわからないとしてカツを上にのせるようになったとする。店主は名前の由来について「トルコ式サウナのように中に入っているからトルコライスという説もあった」と述べている[78][79]

今柊二はこれらの店舗の調査から戦後の東京南部・川崎・横浜ではトルコライスはそれほど特別なメニューではなく、親しまれたメニューであったと判明するとした[80]

その他

地域で同じタイプのトルコライスを出している複数の店があるかは不明ながら、他にも長崎とは異なるタイプのトルコライスを出している店がある。また文献や映画にもトルコライスが見られる。

東京

東京には横浜・川崎地区のトルコライスの源流とは異なるトルコライスもある。

1963年(昭和38年)にニユートーキヨーが数寄屋橋店でカツとハヤシライスなどを組み合わせた料理をトルコライスとして出し、人気を集めたという[81]

2001年に朝日新聞が東京で元祖を名乗る店として千代田区の大衆食堂「フジ」を取材している。ケチャップライスの上にキャベツの千切りを敷いてトマトソースをかけた豚カツがあったとする。店主が約20年前、本で見たトルコ料理をまねたが、写真が不鮮明でトンカツとケチャップライスに見えたという[14]。「偏食アカデミー」でも同姓同名の店主で「富士食堂」として紹介している[注 13]

なおどのような料理だったかは不明ながら伊勢丹新宿店の社員食堂では1936年(昭和11年)3月第1週月曜日の夜の献立でトルコライスを選択できた[82]

稚内

いくつか有名店があったとされるが、俵慎一が取材した時には食べられる店は一軒しか確認できなかったという。ライスにチキンカツをのせ、カレールウとハヤシソースを半々にかけたもの。他の店ではトンカツだったり、チキンライスだったりしたとする。元祖とされる店のトルコライスは長崎のトルコライスが元だとも、と記している[8]

明治時代の文献

小菅桂子は日本経済新聞の連載「偏食アカデミー」にて(長崎のトルコライスと)「同じものかどうかは別にして」「明治時代の文献にすでに登場している」としたが、具体的な文献は挙げなかった[83]

福澤諭吉が創刊した「時事新報」の料理コーナー「何にしよう子(ね)」(明治26年10月21日号)にある「土耳其めし」は[84]、鶏肉または牛肉のスープで炊いたご飯をバター炒めにしたものである[85][86][注 14]

また村井弦斎の小説『食道楽 秋の巻』[87]でも「第二百四十八 ペラオ飯」に「土耳古飯即ちペラオと云ふお料理」[88]、「第二百六十一 料理の粋」には「ペラオの様な米料理は土耳古風から出て居る」と言及があり[89]、さらに「附録 西洋料理の部」では「第一 ペラオ飯 と申すのは土耳古風の極く手軽なお料理」に始まって「第八 サフラン飯」「第十 土耳古飯」などが挙がっている[90]。伊丹由宇は「長崎のトルコ・ライスとは関係ないようだ」とし[91]、産経新聞は「ぺラオ飯」に「ピラフ」と括弧書きしている[92]

フランス料理

オーギュスト・エスコフィエは著書『Le Guide Culinaire』(邦題『エスコフィエ・フランス料理』)に「Riz à la Turque」(リ・ア・ラ・テュルク。米、トルコ風)を記している。「Riz Pilaw」(リ・ピロウ。ピラフ)を作る際の注ぎ汁にサフランを一緒に入れ、煮あがった後フォンデュ・ドゥ・トマトを混ぜるものとした[93][94]

鈴本敏雄『仏蘭西料理献立書及調理法解説』も「RIZ」(米飯料理。RICE)の中に「― à la Turque」を挙げて「サフランの粉末 Cayenne, Smyrna raisins 及び生牛酪を加へて調製するものとす。」としている[95]

深澤侑史も著書『西洋料理』の「第2章 米飯料理」に「5 リー・ア・ラ・テュルック(Riz à la Turque)」を挙げてトマトとサフランを用いた複数の料理法を記し、「この米飯はサフランを加えた米飯はチュルックと称えられる」としている[96]。また著書『西洋料理500種』では「ポルトガル風ご飯(Riz à la Portugaise)」の応用として「トルコ風バターご飯」を挙げ、ピローご飯(Riz Pilaw)を作る際にトマトとサフランを加える料理法を記した[97]

なお『フランス 食の事典』では「トルコふう(―風、à la Turque)」について「トルコまたはオスマン文化を想起させる料理に用いる表現」としている[98]。またサフランピラフは現在のトルコでは見かけないという[14]

荒田勇作は『荒田西洋料理(仔牛・粉・御飯料理編)』の「Timbale タンバル料理」に「Timbale de riz turque(Turkish rice. ハムライスに豚肉の棒フライのせトルコ・ライス)」を挙げて「これはトルコ・ライスと称し、大衆向きの安価なライス料理である」と記した。トマト色をつけたハム混ぜライスを丼に盛り、豚肉を棒切りにしてパン粉をつけて揚げたものを上に並べて片側にカレーソース、片側にドゥミグラスをかけるとしている[99]

映画『山の音』

1954年公開の映画「山の音」で45分過ぎの一場面に東京近辺でロケをしたと思われる[要出典]街頭の店先にメニューとしてカレーやチキンライス、ハヤシライスとともにトルコライスを表記した飲食店の立て看板がチラリと右下に写っているが、どのような料理だったかは分からない。

脚注

注釈

  1. ^ まっぷる長崎'11から同'20まで(なお「ポークカツ」表記)。
  2. ^ 店は既に閉店。
  3. ^ 「丸善」とも。
  4. ^ るるぶ長崎'13から同'17までと、ツル茶んのマスターのブログ。
  5. ^ 1927年(昭和2年)3月7日生まれ[34]。1955年(昭和30年)にレストランマルゼンに入り、1958年(昭和33年)に料理長となり、1964年(昭和39年)にマルゼンを辞め[46]、仔馬に移った[34]。1990年代はレストラン元船を営んでいたが[46][47]、70歳で現役を退いた[34]
  6. ^ 柏井寿は「ピラフ、つまりは炒飯の原産中国」とした[54]今柊二は「ピラフ・焼き飯(中国)」とも[55]
  7. ^ るるぶ長崎'13 p.38から同'17 p.52まで。
  8. ^ a b 「二十数年前」について、同記述は2005年2月4日付けのアーカイブがある[57]
  9. ^ 『かながわ定食紀行』では2007年の50年前。『京阪神の洋食』では2010年の50年前。『Meets regional』2005年5月号では50年近く前、2005年12月号では50年前[64]
  10. ^ 2005年時点。
  11. ^ 2007年に70歳になる店の主人が20歳の頃、2015年の新聞記事では54年前。
  12. ^ 2007年の15、6年前、2014年発行の書籍で20数年前。
  13. ^ 単行本では写真に「東京で食べられる“長崎の味”トルコライス。」とキャプションを付けたが、朝日新聞が書いたように長崎のトルコライスとは異なる[25]
  14. ^ デイリーポータルZは「土耳古めし」表記。

出典

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  2. ^ るるぶ長崎'11 p.46
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参考文献

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  • 今柊二『かながわ定食紀行』神奈川新聞社、2008年10月31日。ISBN 9784876454310 
  • 伊丹由宇 編「第18章 オムライスvsハヤシライス 洋食のチャンピオン」『にっぽん「食謎」紀行 〜名物食のルーツを探せ!〜』(初版)ワニブックス、2010年4月25日、237-238頁。ISBN 978-4-8470-6015-1 
  • 今柊二「トルコライスのスゴい世界」『とことん! とんかつ道』中央公論新社、2014年1月、199-203頁。ISBN 978-4-12-150482-1 

関連項目