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{{出典の明記|date=2016年2月15日 (月) 03:48 (UTC)}}
{{Infobox 河
{{Geobox|
<!-- *** Image *** -->
|名称=チグリス川
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| footnotes =<ref name="Isaev">{{cite journal |last1=Isaev |first1=V.A. |last2=Mikhailova |first2=M.V. |year=2009 |title=The hydrology, evolution, and hydrological regime of the mouth area of the Shatt al-Arab River |journal=Water Resources |volume=36 |issue=4 |pages=380-395 |url= |doi=10.1134/S0097807809040022 }}</ref><ref>{{cite book|title=The Euphrates River and the Southeast Anatolia Development Project|last1=Kolars|first1=J.F.|last2=Mitchell|first2=W.A.|year=1991|publisher=Southern Illinois University Press|location=Carbondale|isbn=0-8093-1572-6 |pages=6-8|url= |accessdate= }}</ref>
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}}
[[Image:Tigr-euph.png|thumb|200px|チグリス川とユーフラテス川]]
[[file:Tigris 2015.jpg|thumb|right|バトマン川]]

'''チグリス川'''(または'''ティグリス川'''、[[アラビア語]]: {{lang|ar|دجلة}}、[[トルコ語]]: {{lang|tr|Dicle}}、[[英語]]: Tigris)は、[[トルコ]]を源流とし、イラクをほぼ南北に縦断して[[ペルシア湾]]に流れる[[川]]。河口近くで[[ユーフラテス川]]と合流し、[[シャットゥルアラブ川]]と名前を変える。全長約1900[[キロメートル]]。多くの[[支流]]をもつ。
'''チグリス川'''、または'''ティグリス川'''は[[西アジア]]で[[ユーフラテス川]]とともに[[メソポタミア]]を形作る大河。ユーフラテス川の東側を流れている。この川は南東[[トルコ]]の山岳地帯から南に流れ、[[シリア]]、[[イラク]]を通過してユーフラテス川と合流し、[[シャットゥルアラブ川]]として[[ペルシア湾]]に注ぎ込む。

== 地名 ==
[[File:USSHER(1865) p477 BEDOWEEN CROSSING THE TIGRIS WITH PLUNDER.jpg|thumb|right|略奪品を携えてチグリス川を渡るベドウィン(1860年頃)]]
[[古代ギリシア]]語名の'''ティグリス'''({{lang|grc|Τίγρις}}、ギリシア語として解釈するならば[[トラ]](tiger)の意である。)は[[古代ペルシア語]]の''Tigrā''から派生した。古代ペルシア語名は[[エラム語]]の''Tigra''から来ており、更にエラム語名は[[シュメール語]]の'''イディグナ'''(''Idigna'')から来ている。

大元となった[[シュメール語]]の''Idigna''または''Idigina''は恐らく*''id(i)gina''(流水)から来ており<ref>F. Delitzsch, ''Sumerisches Glossar'', Leipzig (1914), IV, 6, 21.</ref>、それは隣接するユーフラテス川との対比で「流れの速い川」と解釈することができる。ユーフラテス川はゆっくりとした流れによってチグリス川よりも多くの[[シルト]]が堆積し、より高い河床が形成された。このシュメール語形の名前は、[[アッカド語]]ではイディグラト''Idiqlat''となり、さらに別の[[セム語|セム系]]言語(例えばヘブライ語:''Ḥîddeqel''、シリア語:''Deqlaṯ''、アラビア語:''Dijlah'')の名前に繋がった。

チグリス川を指す別の名前として[[中世ペルシア語]]では'''アルヴァンド・ルード'''(''Arvand Rud''、アルヴァンド川)という名前も使用された。これは「流れの速い川」の意味である。現代[[ペルシア語]]ではこの''Arvand Rud''({{lang|fa|اروند رود}})はユーフラテス川とチグリス川が合流した川([[アラビア語]]では[[シャットゥルアラブ川]]として知られる)の名前として使用されている。[[クルド語]]では''Ava Mezin''という名前でも知られる。これは「偉大な水」という意味である。

以下にチグリス川の周辺地域で使用されている、あるいはかつて使用されていた主要な言語での呼称を示す。
[[Image:TigrisRiver.JPG|thumb|right|[[イラク]]、モースル市の外部]]
{| class="wikitable"
|-
! 言語名
! 原語表記
! ラテン文字転写
! カナ転写
|-
|[[アラビア語]]
|دجلة、またはحداقل
|''Dijlah''、または''Ḥudaqil''
|ディジュラ
|-
|[[トルコ語]]
|Dicle
|''Dicle''
|ディジュレ
|-
|[[クルド語]]
|Dîcle、またはDîjla
|''Dîcle''/''Dîjla''
|
|-
|[[ペルシア語]]
|دجله
|''Dejle''
|
|-
|[[アルメニア語]]
|Տիգրիս、またはԴգլաթ
|''Tigris''/Dglatʿ
|
|-
|[[ヘブライ語]]
|חידקל
|''Ḥîddeqel''、聖書ヘブライ語では''Hiddekel''<ref name="Genesis 2:14">創世記 2:14</ref>
|
|-
|[[英語]]
|Tigris ({{IPAc-en|ˈ|t|aɪ|ɡ|r|ɪ|s}})
|''Tigris''
|チグリス/ティグリス
|-
|[[アラム語]]
|ܕܝܓܠܐܬ
|''Diglath''
|
|-
|[[シリア語]]
|ܕܹܩܠܵܬ
|''Deqlaṯ''
|
|-
|[[シュメール語]]
|𒁇𒄘𒃼
|''Idigna''/''Idigina''
|イディギナ
|-
|[[アッカド語]]
|𒁇𒄘𒃼
|''Idiqlat''/''Idiglat''
|イディグラト
|-
|[[古代ペルシア語]]
|𐎫𐎡𐎥𐎼𐎠
|''Tigrā''
|ティグラ
|-
|[[中世ペルシア語]]
|
|''Tigr''
|
|-
|[[フルリ語]]
|
|''Aranzah''<ref>E. Laroche, ''Glossaire de la langue Hourrite'', Paris (1980), p. 55.</ref>
|
|-
|[[古代ギリシア語]]
|Τίγρις、またはΤίγρης
|''Tígris''、または''Tígrēs''
|ティグリス/ティグレース
|}

== 地理 ==
チグリス川は東トルコの[[タウルス山脈]]に源流を持ち、全長約1,750キロメートルである。源流は[[エラズー]]市の西約25キロメートル、ユーフラテス川の源流から30キロメートル離れたあたりである。チグリス川はその後、シリアとトルコの国境まで400キロメートルほどトルコ領を流れ、シリア領内を44キロメートルだけ流れている<ref name="Isaev"/>。

ユーフラテス川の合流地点のすぐそばで、チグリス川はいくつかの運河で分岐されている。第一に人工の[[:en:Shatt al-Hayy|Shatt al-Hayy]]が分岐し、[[ナーシリーヤ]]近郊でユーフラテス川に合流する。第二に[[:en:Shatt al-Muminah]]と[[:en:Majar al-kabir]]が分岐し、{{仮リンク|中央湿地帯|en|Central Marshes}}を潤す。更に下流では、別の二つの流路が分岐({{仮リンク|アル=ムシャラフ|en|Musharrah}}と{{仮リンク|アル=カーラ|en|Kahla}}し、[[:en:Hawizeh Marshes|Hawizeh Marshes]]を潤す。主水路は南へ向かって続き、[[:en:Al-Kassarah|Al-Kassarah]]と合流する。これらの流れがHawizeh Marshesの水を排水する。最後に、チグリス川はユーフラテス川と{{仮リンク|アル・クルナ|en|Al-Qurnah}}のそばで合流し、[[シャットゥルアラブ川]]を形成する。[[ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリニウス]]や他の古代の歴史家たちによれば、ユーフラテス川は元来はチグリス川とは別に海へ注ぐ河口を持っていた<ref>大プリニウス『博物誌』, VI, XXVI, 128-131</ref>。

[[イラク]]の首都[[バグダード]]はチグリス川の河岸に位置している。港町[[バスラ]]はシャットゥルアラブ川をまたいでいる。古代の間、チグリス川沿いかその近隣に[[メソポタミア]]の偉大な都市の数々が建設され、メソポタミア文明を担った[[シュメール人]]たちは河水を灌漑用水として引いた。チグリス河畔の特筆すべき都市には[[ニネヴェ]]、[[クテシフォン]](テーシフォーン)、[[セレウキア]]などがあり、また[[ラガシュ]]市は前2900年頃に運河を掘削してチグリス川から灌漑用水を得た。

== 交通 ==
チグリス川は長きにわたり砂漠地帯の大部分の国々にとって重要な交通路であった。浅喫水船(Shallow-draft vessels)がバグダードまで行くことができるが、より上流の[[モースル]]への輸送にはいかだ(rafts)が必要である。

1836年に[[フランシス・ロードン・チェスニー]]将軍は2隻の蒸気船を陸路でシリアを経由して運び、インドへ向かう陸路と河川路の可能性を探った。蒸気船の1隻'''チグリス'''(''Tigris'')は嵐にあって破壊された。船は沈み、20人が死亡した。だが、チェスニーはチグリス川で動力付船舶(powered craft)が航行可能であることを証明した。その後、1861年にthe Euphrates and Tigris Steam Navigation Companyがリンチ兄弟(Lynch Brothers)の商社によって設立された。この会社は2隻の蒸気船でサービスを行った。1908年までに10隻の蒸気船がチグリス川で航行しており、観光客は蒸気船(steam yachts)に乗り込んで内陸に入った。当時は考古学観光の黎明期であったため、[[ウル]]と[[クテシフォン]]の遺跡はヨーロッパ人観光客に人気を博した。

[[第一次世界大戦]]では、イギリスがオスマン帝国領[[メソポタミア]]の征服時、インド人とテムズ川のパドラーがタウンゼント将軍の軍隊に配属された。詳細は[[クートの戦い|クート包囲]]と{{仮リンク|バグダード陥落 (1917年)|en|Fall of Baghdad (1917)}}を参照のこと<ref>{{cite web|url=http://www.naval-history.net/WW1Battle1408Mesopotamia.htm|title=Mesopotamia, Tigris-Euphrates, 1914-1917, despatches, killed and died, medals|work=naval-history.net|accessdate=28 November 2015}}</ref>。

第一次世界大戦の後、[[バグダード鉄道]]の未完成部分であったバスラ-バグダード-モースル間の[[路線]]が完成し、また道路輸送が貨物輸送の大半を占めるようになったため、20世紀の間に河川輸送は重要性を失った。

== 管理と水質 ==
[[Image:Tigris river Mosul.jpg|thumb|right|[[イラク]]、[[モースル]]市]]

チグリス川はイラクとトルコで灌漑用水を河谷に隣接する乾燥地ならびに半砂漠地域に導入するために大規模に堰き止められている。こうした水の堰き止めはまた、イラクで洪水の害を避けるために重要な役割を果たしてきた。歴史的にイラクでのチグリス川の洪水は、トルコの山々での雪解け後の4月に発生しやすいことが知られている。

最近のトルコでのチグリス川の堰き止めはトルコ国内の環境への影響と、下流域での流量低下に関連した複数の論争の主題となっている。[[モスルダム]]はイラク最大のダムである。

チグリス・ユーフラテス両河の水は紛争における圧力の手段として利用される<ref>Vidal, John. "[https://www.theguardian.com/environment/2014/jul/02/water-key-conflict-iraq-syria-isis Water supply key to outcome of conflicts in Iraq and Syria, experts warn]" ''[[ガーディアン|The Guardian]]'', 2 July 2014.</ref>。

2014年にはイラクとトルコの複数のステークホルダーの代表者たちの間で、チグリス川の流量についてのデータの交換、較正、標準的基準の作成の行動計画について、大きなブレークスルーとなる合意が達成された。この合意はシンクタンク{{仮リンク|Strategic Foresight Group|en|Strategic Foresight Group}}によって組織された[[ジュネーヴ]]での会議で合意され、「チグリス川におけるジュネーヴ合意(Geneva Consensus On Tigris River)」と呼ばれる<ref>{{cite web|url=http://www.orsam.org.tr/en/WaterResources/showAnalysisAgenda.aspx?ID=2735 |title=Analysis & Water Agenda |publisher=ORSAM |date= |accessdate=2015-11-28}}</ref>。

2016年、{{仮リンク|在イラクアメリカ大使館|en|United States Embassy in Iraq}}と[[イラクの大統領|イラク大統領]][[ハイダル・アル=アバーディ]](当時)は[[モスルダム]]が決壊する可能性があるという警告を行った<ref>{{cite news|last1=Borger|first1=Julian|title=Iraqi PM and US issue warnings over threat of Mosul dam collapse|url=https://www.theguardian.com/world/2016/feb/29/iraq-us-issue-warnings-threat-of-mosul-dam-collapse|accessdate=29 February 2016|work=[[The Guardian]]|agency=The Guardian|date=29 February 2016}}</ref>。アメリカ合衆国はモスルダムが決壊すれば500,000人から1,500,000人が[[鉄砲水]]によって水死する恐れがあるとして、人々にチグリス川の氾濫原から非難するように警告した。イラクの主要都市である[[モースル]]、[[ティクリート]]、[[サマッラー]]、そして[[バグダード]]がこの危険に晒されていた<ref>{{cite news|title=US warns of Mosul dam collapse in northern Iraq|url=http://www.bbc.com/news/world-middle-east-35690616|accessdate=29 February 2016|work=[[BBC News]]|agency=[[BBC]]|publisher=[[BBC]]|date=29 February 2016}}</ref>。

== 伝説と神話 ==
[[シュメール神話]]では、チグリス川は[[エンキ]]神が川を流水で満たしたことで作られた<ref>Jeremy A. Black, ''The Literature of Ancient Sumer'', [[Oxford University Press]] 2004, {{ISBN|0-19-926311-6}} p. 220-221</ref>。

[[ヒッタイト]]と[[フルリ人]]の神話では''Aranzah''(チグリス川のフルリ語名、[[ヒッタイト語]]単数主格形では''Aranzahas'')は神格化されていた。Aranzah(チグリス川)は[[クマルビ]]神の息子であり[[テシュブ]]神と[[:en:Suwaliyat|Suwaliyat]](Tašmišu)神の兄弟であり、Kanzuras山でクマルビ神の口から生まれた3柱の神の一神であった。その後Aranzahはクマルビ神を打ち滅ぼすために[[アヌ]]神およびテシュブ神と共謀した({{仮リンク|クマルビの歌|en|Song of Kumarbi}}

チグリス川は[[旧約聖書]]に二度登場する。最初は[[創世記]]であり、[[エデンの園]]から流れ出る川が分岐した4つの川のうちの3番目である<ref name="Genesis 2:14"/>。2度目の言及は[[ダニエル記]]にあり、ダニエルは「わたしがチグリスという大川の岸に立っていたとき」啓示(visions)の1つを受けたとしている<ref>ダニエル書 10:4</ref>。

チグリス川はまたイスラームにおいても言及される。イマームの[[イブン・ハンバル|アフマド・ビン・ハンバル]]と{{仮リンク|サイード・アブドゥル・ラザク・ジーラーニー|en|Syed Abdul Razzaq Jilani}}の墓はバグダードにあり、チグリスの流れが参拝者の数を制限している。
{{wide image|Tigris River in Baghdad (2016).jpg|1000px|alt=バグダード市内のチグリス川(2016年)|バグダード市内のチグリス川(2016年)}}

[[File:Coat of arms of the Kingdom of Iraq.svg|thumb|イラク王国(1932年-1959年)の紋章にはシャットゥルアラブ川に合流するユーフラテス川とティグリス川とナツメヤシの森が描かれている。このナツメヤシの森はかつて世界最大のものであった。]]
チグリス川は1932年から1959年まで[[イラクの国章]]に採用されていた。


== 関連項目 ==
日本語名のチグリス(ティグリス)は英語など西欧諸言語による綴り '''Tigris''' にちなみ、アラビア語ではディジュラ({{lang|ar|دجلة}}、[[虎]]の意)、トルコ語ではディジュレ ({{lang|tr|Dicle}}) という。[[シュメール]]時代にはイディグナと呼ばれていた。
* [[アッシリア]]
* [[世界四大文明]]
* {{仮リンク|イリス・ダム・キャンペーン|en|Ilisu Dam Campaign}}:トルコ領内のチグリス川で計画されているダムに対する反対運動
* {{仮リンク|イラクの地名|en|List of places in Iraq}}
* {{仮リンク|イラクの野生動物|en|Wildlife of Iraq}}


== 出典 ==
この川と、その西側をほぼ平行に流れる[[ユーフラテス川]]をはさんだ地帯は古くから[[メソポタミア|メソポタミア文明]]が栄えたことで知られる。古代メソポタミア文明時代から、この川を利用して灌漑が行われている。
{{Reflist}}


== 外部リンク ==
[[サッダーム・フセイン|サダム・フセイン]]の故郷として有名になった[[ティクリート]]もこの川沿いにあり、都市の名称も川の名前にちなんでいる。
<!--{{EB9 Poster}}-->
[[Image:Haifa street, as seen from the medical city hospital across the tigres.jpg|left|thumb|300px|バグダード市内]]
{{Commons category|Tigris}}


* [http://www.livius.org/men-mh/mesopotamia/tigris.html Livius.org: Tigris]
* {{cite web |url=http://pleiades.stoa.org/places/912964 |title=Places: 912964 (Tigris/Diglitus fl.) |author=Hausleiter, A., M. Roaf, St J. Simpson, R. Wenke, P. Flensted Jensen, R. Talbert, T. Elliott, S. Gillies |accessdate=March 9, 2012<!-- 8:45 am -->|publisher=Pleiades}}
* [https://web.archive.org/web/20110720184608/http://zunia.org/uploads/media/knowledge/Geopolicity%20-%20Managing%20the%20Tigris%20and%20Euphrates%20Watershed%20-%20The%20Challenge%20Facing%20Iraq1280855782.pdf Managing the Tigris and Euphrates Watershed]
*[http://www.ppl.nl/index.php?option=com_wrapper&view=wrapper&Itemid=82 Bibliography on Water Resources and International Law] Peace Palace Library
* [http://www.naval-history.net/WW1Battle1408Mesopotamia.htm Outline of WWI Battles involving the Tigris River]


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2018年12月14日 (金) 00:23時点における版

ティグリス川
源流から約100キロメートル、チグリス川はトルコディヤルバクル市の外側で豊かな農業を可能としている。
トルコ, シリア, イラク
支流
 - 左支流 バトマン川英語版, ガルザン川英語版, ボタン川英語版, 小ハブール川英語版, 大ザブ川, 小ザブ川, アドハイム川英語版, ジズレ川英語版, ディヤラ川英語版
 - 右支流 サルサール湖英語版
ディヤルバクル, モースル, バグダード
源流 ハザル湖英語版
 - 標高 1,150m (3,773ft)
 - 座標 北緯38度29分0秒 東経39度25分0秒 / 北緯38.48333度 東経39.41667度 / 38.48333; 39.41667
合流地 シャットゥルアラブ川
 - 所在地 アル・クルナ英語版, バスラ県, イラク
長さ 1,850km (1,150mi)
流域 375,000 km² (144,788 sq mi)
流量 for バグダード
 - 平均 1,014 m3/s (35,809 cu ft/s)
 - 最大 2,779 m3/s (98,139 cu ft/s)
 - 最小 337 m3/s (11,901 cu ft/s)
チグリス・ユーフラテス水系の流域の地図
[1][2]
バトマン川

チグリス川、またはティグリス川西アジアユーフラテス川とともにメソポタミアを形作る大河。ユーフラテス川の東側を流れている。この川は南東トルコの山岳地帯から南に流れ、シリアイラクを通過してユーフラテス川と合流し、シャットゥルアラブ川としてペルシア湾に注ぎ込む。

地名

略奪品を携えてチグリス川を渡るベドウィン(1860年頃)

古代ギリシア語名のティグリスΤίγρις、ギリシア語として解釈するならばトラ(tiger)の意である。)は古代ペルシア語Tigrāから派生した。古代ペルシア語名はエラム語Tigraから来ており、更にエラム語名はシュメール語イディグナIdigna)から来ている。

大元となったシュメール語IdignaまたはIdiginaは恐らく*id(i)gina(流水)から来ており[3]、それは隣接するユーフラテス川との対比で「流れの速い川」と解釈することができる。ユーフラテス川はゆっくりとした流れによってチグリス川よりも多くのシルトが堆積し、より高い河床が形成された。このシュメール語形の名前は、アッカド語ではイディグラトIdiqlatとなり、さらに別のセム系言語(例えばヘブライ語:Ḥîddeqel、シリア語:Deqlaṯ、アラビア語:Dijlah)の名前に繋がった。

チグリス川を指す別の名前として中世ペルシア語ではアルヴァンド・ルードArvand Rud、アルヴァンド川)という名前も使用された。これは「流れの速い川」の意味である。現代ペルシア語ではこのArvand Rudاروند رود)はユーフラテス川とチグリス川が合流した川(アラビア語ではシャットゥルアラブ川として知られる)の名前として使用されている。クルド語ではAva Mezinという名前でも知られる。これは「偉大な水」という意味である。

以下にチグリス川の周辺地域で使用されている、あるいはかつて使用されていた主要な言語での呼称を示す。

イラク、モースル市の外部
言語名 原語表記 ラテン文字転写 カナ転写
アラビア語 دجلة、またはحداقل Dijlah、またはḤudaqil ディジュラ
トルコ語 Dicle Dicle ディジュレ
クルド語 Dîcle、またはDîjla Dîcle/Dîjla
ペルシア語 دجله Dejle
アルメニア語 Տիգրիս、またはԴգլաթ Tigris/Dglatʿ
ヘブライ語 חידקל Ḥîddeqel、聖書ヘブライ語ではHiddekel[4]
英語 Tigris ([ˈtɡrɪs] Tigris チグリス/ティグリス
アラム語 ܕܝܓܠܐܬ Diglath
シリア語 ܕܹܩܠܵܬ Deqlaṯ
シュメール語 𒁇𒄘𒃼 Idigna/Idigina イディギナ
アッカド語 𒁇𒄘𒃼 Idiqlat/Idiglat イディグラト
古代ペルシア語 𐎫𐎡𐎥𐎼𐎠 Tigrā ティグラ
中世ペルシア語 Tigr
フルリ語 Aranzah[5]
古代ギリシア語 Τίγρις、またはΤίγρης Tígris、またはTígrēs ティグリス/ティグレース

地理

チグリス川は東トルコのタウルス山脈に源流を持ち、全長約1,750キロメートルである。源流はエラズー市の西約25キロメートル、ユーフラテス川の源流から30キロメートル離れたあたりである。チグリス川はその後、シリアとトルコの国境まで400キロメートルほどトルコ領を流れ、シリア領内を44キロメートルだけ流れている[1]

ユーフラテス川の合流地点のすぐそばで、チグリス川はいくつかの運河で分岐されている。第一に人工のShatt al-Hayyが分岐し、ナーシリーヤ近郊でユーフラテス川に合流する。第二にen:Shatt al-Muminahen:Majar al-kabirが分岐し、中央湿地帯英語版を潤す。更に下流では、別の二つの流路が分岐(アル=ムシャラフ英語版アル=カーラ英語版し、Hawizeh Marshesを潤す。主水路は南へ向かって続き、Al-Kassarahと合流する。これらの流れがHawizeh Marshesの水を排水する。最後に、チグリス川はユーフラテス川とアル・クルナ英語版のそばで合流し、シャットゥルアラブ川を形成する。大プリニウスや他の古代の歴史家たちによれば、ユーフラテス川は元来はチグリス川とは別に海へ注ぐ河口を持っていた[6]

イラクの首都バグダードはチグリス川の河岸に位置している。港町バスラはシャットゥルアラブ川をまたいでいる。古代の間、チグリス川沿いかその近隣にメソポタミアの偉大な都市の数々が建設され、メソポタミア文明を担ったシュメール人たちは河水を灌漑用水として引いた。チグリス河畔の特筆すべき都市にはニネヴェクテシフォン(テーシフォーン)、セレウキアなどがあり、またラガシュ市は前2900年頃に運河を掘削してチグリス川から灌漑用水を得た。

交通

チグリス川は長きにわたり砂漠地帯の大部分の国々にとって重要な交通路であった。浅喫水船(Shallow-draft vessels)がバグダードまで行くことができるが、より上流のモースルへの輸送にはいかだ(rafts)が必要である。

1836年にフランシス・ロードン・チェスニー将軍は2隻の蒸気船を陸路でシリアを経由して運び、インドへ向かう陸路と河川路の可能性を探った。蒸気船の1隻チグリスTigris)は嵐にあって破壊された。船は沈み、20人が死亡した。だが、チェスニーはチグリス川で動力付船舶(powered craft)が航行可能であることを証明した。その後、1861年にthe Euphrates and Tigris Steam Navigation Companyがリンチ兄弟(Lynch Brothers)の商社によって設立された。この会社は2隻の蒸気船でサービスを行った。1908年までに10隻の蒸気船がチグリス川で航行しており、観光客は蒸気船(steam yachts)に乗り込んで内陸に入った。当時は考古学観光の黎明期であったため、ウルクテシフォンの遺跡はヨーロッパ人観光客に人気を博した。

第一次世界大戦では、イギリスがオスマン帝国領メソポタミアの征服時、インド人とテムズ川のパドラーがタウンゼント将軍の軍隊に配属された。詳細はクート包囲バグダード陥落 (1917年)英語版を参照のこと[7]

第一次世界大戦の後、バグダード鉄道の未完成部分であったバスラ-バグダード-モースル間の路線が完成し、また道路輸送が貨物輸送の大半を占めるようになったため、20世紀の間に河川輸送は重要性を失った。

管理と水質

イラクモースル

チグリス川はイラクとトルコで灌漑用水を河谷に隣接する乾燥地ならびに半砂漠地域に導入するために大規模に堰き止められている。こうした水の堰き止めはまた、イラクで洪水の害を避けるために重要な役割を果たしてきた。歴史的にイラクでのチグリス川の洪水は、トルコの山々での雪解け後の4月に発生しやすいことが知られている。

最近のトルコでのチグリス川の堰き止めはトルコ国内の環境への影響と、下流域での流量低下に関連した複数の論争の主題となっている。モスルダムはイラク最大のダムである。

チグリス・ユーフラテス両河の水は紛争における圧力の手段として利用される[8]

2014年にはイラクとトルコの複数のステークホルダーの代表者たちの間で、チグリス川の流量についてのデータの交換、較正、標準的基準の作成の行動計画について、大きなブレークスルーとなる合意が達成された。この合意はシンクタンクStrategic Foresight Group英語版によって組織されたジュネーヴでの会議で合意され、「チグリス川におけるジュネーヴ合意(Geneva Consensus On Tigris River)」と呼ばれる[9]

2016年、在イラクアメリカ大使館英語版イラク大統領ハイダル・アル=アバーディ(当時)はモスルダムが決壊する可能性があるという警告を行った[10]。アメリカ合衆国はモスルダムが決壊すれば500,000人から1,500,000人が鉄砲水によって水死する恐れがあるとして、人々にチグリス川の氾濫原から非難するように警告した。イラクの主要都市であるモースルティクリートサマッラー、そしてバグダードがこの危険に晒されていた[11]

伝説と神話

シュメール神話では、チグリス川はエンキ神が川を流水で満たしたことで作られた[12]

ヒッタイトフルリ人の神話ではAranzah(チグリス川のフルリ語名、ヒッタイト語単数主格形ではAranzahas)は神格化されていた。Aranzah(チグリス川)はクマルビ神の息子でありテシュブ神とSuwaliyat(Tašmišu)神の兄弟であり、Kanzuras山でクマルビ神の口から生まれた3柱の神の一神であった。その後Aranzahはクマルビ神を打ち滅ぼすためにアヌ神およびテシュブ神と共謀した(クマルビの歌英語版

チグリス川は旧約聖書に二度登場する。最初は創世記であり、エデンの園から流れ出る川が分岐した4つの川のうちの3番目である[4]。2度目の言及はダニエル記にあり、ダニエルは「わたしがチグリスという大川の岸に立っていたとき」啓示(visions)の1つを受けたとしている[13]

チグリス川はまたイスラームにおいても言及される。イマームのアフマド・ビン・ハンバルサイード・アブドゥル・ラザク・ジーラーニー英語版の墓はバグダードにあり、チグリスの流れが参拝者の数を制限している。

バグダード市内のチグリス川(2016年)
バグダード市内のチグリス川(2016年)
イラク王国(1932年-1959年)の紋章にはシャットゥルアラブ川に合流するユーフラテス川とティグリス川とナツメヤシの森が描かれている。このナツメヤシの森はかつて世界最大のものであった。

チグリス川は1932年から1959年までイラクの国章に採用されていた。

関連項目

出典

  1. ^ a b Isaev, V.A.; Mikhailova, M.V. (2009). “The hydrology, evolution, and hydrological regime of the mouth area of the Shatt al-Arab River”. Water Resources 36 (4): 380-395. doi:10.1134/S0097807809040022. 
  2. ^ Kolars, J.F.; Mitchell, W.A. (1991). The Euphrates River and the Southeast Anatolia Development Project. Carbondale: Southern Illinois University Press. pp. 6-8. ISBN 0-8093-1572-6 
  3. ^ F. Delitzsch, Sumerisches Glossar, Leipzig (1914), IV, 6, 21.
  4. ^ a b 創世記 2:14
  5. ^ E. Laroche, Glossaire de la langue Hourrite, Paris (1980), p. 55.
  6. ^ 大プリニウス『博物誌』, VI, XXVI, 128-131
  7. ^ Mesopotamia, Tigris-Euphrates, 1914-1917, despatches, killed and died, medals”. naval-history.net. 2015年11月28日閲覧。
  8. ^ Vidal, John. "Water supply key to outcome of conflicts in Iraq and Syria, experts warn" The Guardian, 2 July 2014.
  9. ^ Analysis & Water Agenda”. ORSAM. 2015年11月28日閲覧。
  10. ^ Borger, Julian (2016年2月29日). “Iraqi PM and US issue warnings over threat of Mosul dam collapse”. The Guardian. The Guardian. https://www.theguardian.com/world/2016/feb/29/iraq-us-issue-warnings-threat-of-mosul-dam-collapse 2016年2月29日閲覧。 
  11. ^ “US warns of Mosul dam collapse in northern Iraq”. BBC News. BBC (BBC). (2016年2月29日). http://www.bbc.com/news/world-middle-east-35690616 2016年2月29日閲覧。 
  12. ^ Jeremy A. Black, The Literature of Ancient Sumer, Oxford University Press 2004, ISBN 0-19-926311-6 p. 220-221
  13. ^ ダニエル書 10:4

外部リンク