コンテンツにスキップ

「マブチモーター社長宅殺人放火事件」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
+定義出典
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
(6人の利用者による、間の13版が非表示)
1行目: 1行目:
{{Notice|本事件の死刑囚・小田島鐵男は実名で著書を出版しており、[[WP:DP#B-2]]の「削除されず、伝統的に認められている例」に該当するため、実名を掲載しています。}}
{{ページ番号|date=2015年10月}}
{{Infobox 事件・事故
{{出典の明記|date=2016年11月}}
|名称= マブチモーター社長宅殺人放火事件
'''マブチモーター社長宅殺人放火事件'''(マブチモーターしゃちょうたく さつじんほうかじけん)とは、[[2002年]]([[平成]]14年)[[8月5日]]午後に[[千葉県]][[松戸市]]で発生した[[殺人]][[放火罪|放火]]事件<ref name=kotobank>{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%9E%E3%83%96%E3%83%81%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E7%A4%BE%E9%95%B7%E5%AE%85%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E6%94%BE%E7%81%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6-887959 |title=マブチモーター社長宅殺人放火事件 |publisher=[[コトバンク]] |author=朝日新聞 朝刊 1面社会 |date=2009-4-6 |accessdate=2017-11-14 }}</ref>。犯人らはこの事件以外に2件の殺人事件を起こしており、一連の事件は[[警察庁広域重要指定事件|警察庁広域重要指定]]124号事件に指定された。
|正式名称= 警察庁広域重要指定第124号事件
|画像=
|脚注=
|場所= {{JPN}}<br>[[千葉県]][[松戸市]][[常盤平]]6丁目5-2<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06"/><ref group="報道" name="読売新聞2002-08-06"/><ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/>(当時・[[マブチモーター]]社長・馬渕隆一宅。現在は解体、防犯防災の拠点「安全安心ステーション」が建つ)<br>[[東京都]][[目黒区]][[目黒本町]]5丁目([[歯科医師]]宅)<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-25"/><br>千葉県[[我孫子市]][[柴崎台]]のマンション([[東京都|東京]]・[[神田 (千代田区)|神田]]で[[金券ショップ]]を経営する資産家在住)<ref group="報道" name="読売新聞2002-11-22"/>
|緯度度=35 |緯度分=47 |緯度秒=50.4
|経度度=139 |経度分=57 |経度秒=26.5
|日付= [[2002年]]([[平成]]14年)<br>[[8月5日]]('''本事件''')<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06"/><ref group="報道" name="読売新聞2002-08-06"/><ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/><br>9月24日(目黒区の事件)<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-25"/><br>11月21日(我孫子の事件)<ref group="報道" name="読売新聞2002-11-22"/>
|時間=
|時間帯=UTC+9
|開始時刻=
|終了時刻=
|概要= 当時マブチモーター社長・馬渕隆一宅に、刑務所内で知り合った男2人組が押し入り、馬渕の妻・娘を絞殺し、馬渕宅に放火して逃走した。<br>男2人組はこの他、東京都目黒区の歯科医師、千葉県我孫子市の資産家妻を、それぞれ殺害し、いずれも金品を奪った。
|武器=
|攻撃人数= 2人
|標的=
|死亡= 馬渕隆一の妻A子(事件当時66歳)・長女B子(事件当時40歳)<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06"/><ref group="報道" name="読売新聞2002-08-06"/><ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/><br>目黒区在住の歯科医師男性C(事件当時71歳)<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-25"/><br>千葉県我孫子市在住の資産家Dの妻E子(事件当時65歳)<ref group="報道" name="読売新聞2002-11-22"/>
|犯人= 主犯格・小田島鐵男(犯行当時59歳、逮捕当時62歳。過去に[[練馬三億円事件]]で懲役12年など、多数の[[前科]]あり)<br>従犯の男M(犯行当時51歳 - 52歳、逮捕当時55歳。殺人など数件の[[前科]]あり)
|動機= [[強盗]]
|謝罪=
|管轄= [[千葉県警察]][[松戸東警察署]]<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06"/><ref group="報道" name="読売新聞2002-08-06"/><ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/>・[[我孫子警察署]]<ref group="報道" name="読売新聞2002-11-22"/><br>[[警視庁]][[碑文谷警察署]]<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-25"/>
|対処= 2人を[[逮捕 (日本法)|逮捕]]・[[起訴]]
|刑事訴訟= 2人とも[[日本における死刑|死刑]](小田島は[[日本において獄死もしくは恩赦された死刑囚の一覧|獄死]]、Mは[[日本における収監中の死刑囚の一覧|未執行]])
|遺族会=「事件の捜査に協力する会」
}}
'''マブチモーター社長宅殺人放火事件'''(マブチモーターしゃちょうたく さつじんほうかじけん)は、[[2002年]]([[平成]]14年)[[8月5日]]午後<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06"/><ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/>、[[千葉県]][[松戸市]][[常盤平]]にあった、当時[[マブチモーター]]社長だった[[馬渕隆一]](まぶち たかいち<ref group="報道" name="東京新聞2002-08-07">『東京新聞』2002年8月7日夕刊第一社会面11面「○○さん(馬渕の妻の実名)△△さん(馬渕の長女の実名)9日に告別式」</ref>、同社創業者・[[馬渕健一]]の弟)宅で、馬渕の妻A子(事件当時66歳)と、長女B子(事件当時40歳)が絞殺され、馬渕宅が放火された、[[強盗致死傷罪|強盗殺人]]・[[現住建造物等放火罪|放火]]事件である<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06"/><ref group="報道" name="読売新聞2002-08-06"/><ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/>。


主犯格の'''小田島鐵男'''(おだじま てつお、死亡時の姓:畠山)ら、本事件の[[死刑囚]]の男2人は、本事件以降も、同年9月24日に'''東京都目黒区歯科医師強盗殺人事件'''(とうきょうとめぐろく しかいし ごうとうさつじんじけん)<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-25"/>、さらに同年11月21日には'''千葉県我孫子市金券ショップ経営者妻殺害事件'''(ちばけんあびこし きんけんショップけいえいしゃ つま さつがいじけん)と<ref group="報道" name="読売新聞2002-11-22"/>、計2件の強盗殺人事件を起こしており、一連の[[シリアルキラー|連続殺人]]事件は、[[警察庁広域重要指定事件|警察庁広域重要指定]]第124号事件に指定された<ref group="報道" name="朝日新聞2005-12-08"/><ref group="報道" name="朝日新聞2005-12-08-千葉"/>。
== 事件概要 ==
[[マブチモーター]]社長宅にて社長の妻が1階で、長女が2階で[[絞殺]]され、家屋も放火された。放火に使用された燃料は、缶入りの[[2ストローク機関#デイ式|2ストロークエンジン]]用混合燃料だった<ref group=注釈>主に[[草刈機]]や[[刈払機]]などの2ストローク[[汎用エンジン]]に使用される、予め[[2ストロークオイル]]が混合された[[ガソリン]]で、[[農業機械|農機具]]店や[[ホームセンター]]などで容器に入った状態で販売されており、簡単に入手できる。</ref>。


== 死刑囚 ==
一部、[[貴金属]]製品は盗まれたが[[金庫]]等は荒らされておらず、多数の[[宝石]]類や[[現金]]などが残されていた。そのため捜査開始当初は、犯人の目的が金品強奪なのか怨恨なのか絞り込まれなかった。
=== 小田島鐵男 ===
本事件の主犯格だった死刑囚・'''小田島鐵男'''(犯行当時59歳、逮捕当時62歳)は<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="報道" name="産経新聞2017-09-17"/>、[[1943年]]([[昭和]]18年)4月17日、[[北海道]][[北見市]]で生まれ<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22">[[千葉地方裁判所]]刑事第1部、2007年(平成19年)3月22日判決 事件番号:平成17年(わ)第1919号,平成17年(わ)第2099号,平成17年(わ)第2603号,平成18年(わ)第696号 参考文献:裁判所ウェブサイト掲載判例、D1-Law.com([[第一法規]]法情報総合データベース)判例体系 ID:28135301『住居侵入,強盗殺人,現住建造物等放火,電磁的公正証書原本不実記録,同供用,有印私文書偽造,同行使,旅券法違反被告事件』</ref>、[[2017年]]([[平成]]29年)9月17日に[[収監]]先の[[東京拘置所]]で、[[食道癌|食道がん]]のため、74歳で[[日本において獄死もしくは恩赦された死刑囚の一覧|病死した]]<ref group="報道" name="読売新聞2017-09-18"/><ref group="報道" name="産経新聞2017-09-17"/>。


== 事件の解決 ==
==== 生い立ち ====
小田島は出生前、父が死亡したため、祖父母の子として入籍され<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>、実母・母方の祖父母の「畠山」姓で育った<ref group="その他" name="実話ナックルズ2007-01"/>。北海道[[紋別郡]][[滝上町]]で育ったが、当時4歳だった1947年(昭和22年)には、実母から[[無理心中]]を迫られた<ref group="その他" name="小田島鐵男年表"/>。
[[2005年]](平成17年)[[1月18日]]、[[群馬県]]での[[窃盗罪|窃盗]]容疑で、主犯である'''小田島鐵男'''(現姓:畠山、事件当時62歳)と<ref>{{Cite web |url=http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/cat34207487/ |title=小田島鐵男年表:死刑囚獄中ブログ |publisher=[[斎藤充功]] |date=2009-02-13 |accessdate=2017-09-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170918133852/http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/cat34207487/ |archivedate=2017年9月18日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>、[[従犯]]Mの2人が[[逮捕 (日本法)|逮捕]]された。この後、2人と服役中に知り合い、[[強盗]]に誘われた者が[[日本の警察|警察]]に情報を提供、これを問いつめた結果、同年[[9月24日]]に当該事件への関与を自供した。2人は[[刑務所]]で服役中に知り合い、今回の事件の計画を練っていたという。


祖父母の家庭、母とその交際相手の家庭、親戚の家庭を転々としながら成育した小田島は、生活は貧しく、中学生時代には、買い物に行った店の引出しから現金を盗んで補導された<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。さらに中学校卒業後、店を経営する祖母の小切手を、その取引先に持ち込み、1万円を借りて遣ったこと<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>、空腹に耐えられず<ref group="その他" name="小田島鐵男年表"/>、夜間に飲食店に忍び込んで飲食物を盗んだことで、[[1959年]](昭和34年)10月、家庭裁判所から[[詐欺罪|詐欺]]・[[窃盗罪|窃盗]]の罪で、[[紋別市]]の中等[[少年院]]送致の処分を受けた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="その他" name="小田島鐵男年表"/>。
また、他にも2002年[[9月24日]]に[[東京都]][[目黒区]]にて[[歯科医師|歯科医]]を殺害し現金を強奪、同年[[11月21日]]に[[千葉県]][[我孫子市]]で[[金券]]ショップの経営者ら2名を殺害、現金を強奪するという、[[老人]]ばかりを狙った連続強盗殺人事件への関与も認め、10年ぶりに[[警察庁広域重要指定事件]](広域重要指定124号)に指定された。


その後、小田島は家族の下を離れ、住み込みで働くなどして生活していたが、やがて金銭に窮するようになった<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。[[1960年]](昭和35年)12月<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>、当時17歳だった小田島は<ref group="その他" name="小田島鐵男年表"/>、夜間商店のショーウィンドーから、[[指輪]]を盗んだなどとして、窃盗・窃盗未遂・住居侵入未遂の罪で、[[懲役]]1年以上3年以下の[[不定期刑]]に処せられ<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>、[[函館少年刑務所]]に服役した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="その他" name="小田島鐵男年表"/>。
多数の金品が残されていた理由については、長女に金品の場所を聞きながら物色したが発見できずにそのまま2人を殺害、金庫の開け方にも通じていなかったためとされる。


[[函館少年刑務所]]を出所後、小田島はバーテンダー、ミシンのセールスなどの職を務めつつ、北海道内を転々としたが、寸借詐欺や自動車窃盗で逮捕され、[[札幌刑務所]]で3年間服役した<ref group="その他" name="小田島鐵男年表"/>。26歳だった1969年(昭和44年)には、[[帯広市]]で窃盗と傷害で逮捕され、[[釧路刑務所]]に服役した<ref group="その他" name="小田島鐵男年表"/>。以後、[[甲府刑務所|甲府]]、[[府中刑務所|府中]]、[[鹿児島刑務所|鹿児島]]の各[[刑務所]]で、それぞれ獄中生活を経験した<ref group="その他" name="小田島鐵男年表"/>。
Mには[[2006年]](平成18年)[[12月19日]]、小田島には[[2007年]](平成19年)[[3月22日]]、それぞれ[[千葉地方裁判所|千葉地裁]]で[[死刑]]が言い渡されている。小田島は、2007年11月1日付で[[東京高等裁判所|東京高裁]]への[[控訴]]を取り下げ、死刑が確定した。


結局、小田島は[[1989年]](平成元年)3月までの間に、窃盗・詐欺などの罪で、合計6回にわたり懲役刑に処せられるなど、多数の[[前科]]があった<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。
Mについては、「主犯・小田島とは従属的立場にあり逃れられなかったこと」「死刑は[[憲法違反]]である」などを理由に控訴したが、[[2008年]][[3月3日]]に[[東京高等裁判所|東京高裁]]は、「従属していたとはいえない」として、4人のうち2人の殺害はMの独断で、[[共謀]]は成立しないとし、第一審・千葉地裁の死刑判決を支持し、[[弁護人|弁護]]側控訴を棄却した。その後[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]に[[上告]]したが、[[2011年]](平成23年)[[11月22日]]に上告が[[棄却]]され、Mについても死刑が確定した<ref>{{Cite news |title=マブチ事件、死刑確定へ 「冷酷、残虐」と最高裁 |newspaper=産経新聞 |publisher=産業経済新聞社 ||date=2011-11-22 |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111122/trl11112217120009-n1.htm |accessdate=2011-11-22 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111122210506/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111122/trl11112217120009-n1.htm |archivedate=2011-11-22 }}</ref>。


==== 練馬三億円事件 ====
小田島は兼ねてより[[食道がん]]を患っており、[[2017年]](平成29年)[[9月16日]]、[[収監]]先の[[東京拘置所]]にて、74歳で病死した<ref name=sankei20170918>{{Cite news |title=マブチ事件の畠山鉄男死刑囚が病死 4人殺害、東京拘置所 |newspaper=[[産経新聞]] |publisher=[[産業経済新聞社]] |date=2017-09-17 |url=http://www.sankei.com/affairs/news/170917/afr1709170014-n1.html |accessdate=2017-09-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170918133647/http://www.sankei.com/affairs/news/170917/afr1709170014-n1.html |archivedate=2017年9月18日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>。
[[1990年]](平成2年)6月2日深夜、[[東京都]][[練馬区]]内にある、建設会社「[[内野工務店]]」(同区本社所在)の社長宅に、刑務所で知り合った男Xとともに押し入り、[[6月4日]]正午頃までの約38時間、社長ら家族7人を脅迫・監禁し、3億円を強奪した'''練馬三億円事件'''を起こした<ref group="報道" name="中日新聞1990-06-05">『[[中日新聞]]』1990年6月5日朝刊1面「社長一家監禁 3億円強奪 短銃?持つ2人組 7人脅し自宅に2日 東京 家族の車で逃走」<br>『中日新聞』1990年6月5日朝刊第一社会面27面「監禁38時間住民気付かず 東京の3億円強奪 『変な様子なかった』 現金調達 経理部員も疑わず」「区役所名乗り社長実兄ら致 埼玉の営業所」<br>『中日新聞』1990年6月5日夕刊第一社会面11面「恨みの犯行か 東京の3億円強奪 実兄脅し案内役 脅迫2人組 内部事情に精通?」</ref>。警視庁[[練馬警察署]]捜査本部、警視庁[[刑事部|捜査一課]]は、多額強盗事件とみて、[[強盗罪|強盗]]、[[逮捕・監禁罪|逮捕・監禁]]容疑で、逃走した2人組の行方を追った<ref group="報道" name="中日新聞1990-06-05"/>。


同年9月20日、[[新東京国際空港]](現・[[成田国際空港]])から、[[香港]]に出国して行方をくらましていたが、22日午後8時過ぎの便で帰国したところ、成田空港に張り込んでいた、練馬署捜査員に任意同行を求められた<ref group="報道" name="中日新聞1990-09-23"/>。警視庁練馬署捜査本部が取り調べたところ、小田島は3億円強奪を認めたため、9月23日夜、強盗、逮捕・監禁、建造物侵入の容疑で、小田島を逮捕した<ref group="報道" name="中日新聞1990-09-23">『中日新聞』1990年9月23日朝刊第一社会面31面「東京の社長一家監禁『3億円強奪』1人逮捕 共犯は元下請け業者 行方追及 銀行に1億円預金 海外旅行帰り」「逃走車を用意 第3の人物も?」「『あの顔、犯人だ』成田で確認 常務、鮮明な記憶」</ref>。なお、同事件の主犯格の男Xは同年11月29日、潜伏先の[[茨城県]][[つくば市]]内で逮捕された<ref group="報道" name="中日新聞1990-11-29">『中日新聞』1990年11月29日夕刊第一社会面15面「練馬の社長監禁3億円強奪事件 主犯のX容疑者逮捕 茨城で民家に押し入り」</ref>。その後、主犯格と認定された共犯の男Xとともに、強盗、逮捕・監禁などの罪で、[[東京地方検察庁]]から、[[東京地方裁判所]]に[[起訴]]された<ref group="報道" name="中日新聞1991-11-28"/>。[[東京地方裁判所]]([[高橋省吾]]裁判長)は、[[1991年]](平成3年)11月28日の[[判決 (日本法)|判決]][[公判]]で、主犯の男Xに懲役13年、小田島に懲役12年の判決を、それぞれ言い渡した<ref group="報道" name="中日新聞1991-11-28">『中日新聞』1991年11月28日夕刊第二社会面14面「2被告に懲役13-12年の判決 東京の3億円強奪」</ref>。
2017年現在、Mは東京拘置所に収監されており、[[再審]]請求中{{R|kotobank}}。
{{Main|練馬三億円事件}}


== 経歴 ==
==== 宮城務所で服役中 ====
練馬三億円事件で懲役13年の有罪判決が確定した小田島は<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>、[[1992年]](平成4年)2月18日以降<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、[[宮城刑務所]]に服役した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/><ref group="報道" name="朝日新聞2005-11-12-千葉"/><ref group="報道" name="読売新聞2010-03-08">『読売新聞』2010年3月8日東京朝刊第一社会面37面「[罪と罰]矯正の現場(3)雑居某で犯行『謀議』(連載)」</ref>。
=== 小田島鐵男 ===
[[1943年]]([[昭和]]18年)誕生。[[窃盗罪]]で[[少年院]]に収容される。その後も、窃盗・[[傷害罪|傷害]]等の[[前科]]あり。1990年、'''[[練馬三億円事件]]'''を起こし、刑務所に服役した。その際、同房になったMと知り合い、犯行計画を立てた。2017年9月16日東京拘置所で食道がんのため死去{{R|sankei20170918}}。


小田島は服役直後の1992年3月12日<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、所内の印刷工場に配属された際、同じ工場の同じ班に配属された、後述の男Mと知り合った<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。小田島は[[1995年]](平成7年)12月14日、Mと同房になった<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。これを機に2人は親しくなり<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>、また周りの同房者に対し「前は会社の社長宅に押し入り、銀行から金を持って来させて、3億円を強奪した。海外で豪遊して帰って来た」と、本事件について、繰り返し自慢していた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。また、出所後について「資産家の家を狙って、10億円ぐらいの大金を手に入れる。今度は証拠隠滅のため、家の人間を皆殺しにし、火を点けて逃げる。その後は、偽名のパスポートで海外に高飛びする」などと、将来の犯行計画について話したりしていた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。そして、犯行のターゲットとして小田島は、会社として利益が出ていて、ワンマン経営で、大金をある程度自由に動かせるオーナー社長を狙おうと考えた。<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。小田島は、獄中で雑誌などを読み、会社の内容などを調査し、多数の会社の持ち株率、借金状態、住所、電話番号など、各種のデータをノートに書き込み、情報を収集した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。小田島はその結果、多数の候補の中でも会社の経営状態が良く、社長の持ち株率も高い[[マブチモーター]]を、一番の有力候補と考えた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。
=== 従犯M ===

[[1950年]](昭和25年)[[10月17日]]誕生。[[1983年]](昭和58年)、[[有印私文書偽造]]等の罪で[[懲役]]10ヶ月・[[執行猶予]]3年が確定。[[1986年]](昭和61年)、窃盗罪で懲役1年4ヶ月。[[1989年]](平成元年)、[[タイ人]]女性[[殺人罪 (日本)|殺害]]・窃盗罪で懲役12年が確定し、服役した。その際、同房になった小田島と親しくなり、犯行計画に加わった。
前述のMとともに、犯行計画を話し合ったり、計画を記したノートを見せ合うなどするうちに、小田島はMに「入手した金を折半しよう」などと持ち掛け、犯行計画に誘うようになった<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。最初は軽く受け流していたMも、小田島が何度も誘ううちに本気になり、[[1996年]](平成8年)年末頃までに小田島に対し、小田島と犯行計画を実行する意思を伝えた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。その後も小田島はMと、上記犯行計画について何度も話し合い、Mに対し、先に出所したら、犯行の謀議に使用するアパート・犯行に使用する自動車・資金などを準備しておくよう依頼した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。

=== 死刑囚M ===
[[1950年]](昭和25年)10月17日、[[鹿児島県]][[伊佐郡]]生まれ<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19">[[千葉地方裁判所]]刑事第1部、2006年(平成18年)12月19日判決 事件番号:平成17年(わ)第1919号,平成17年(わ)第2100号,平成17年(わ)第2602号,平成18年(わ)第439号 参考文献:裁判所ウェブサイト掲載判例、D1-Law.com([[第一法規]]法情報総合データベース)判例体系 ID:28135301『住居侵入,強盗殺人,現住建造物等放火,電磁的公正証書原本不実記録,同供用,電磁的公正証書原本不実記録幇助,同供用幇助,有印私文書偽造幇助,同行使幇助,旅券法違反幇助被告事件』</ref>。2017年9月22日現在<ref group="書籍" name="年報・死刑廃止2017 p.205"/>、[[死刑囚]]として[[東京拘置所]]に[[日本における収監中の死刑囚の一覧|収監されている]]<ref group="書籍" name="年報・死刑廃止2017 p.200"/>。

==== 生い立ち ====
Mは幼少期に両親が離婚し、その後は父の家庭で成育した<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。Mは中学卒業後、父が教員として勤務する、鹿児島県内の私立高校に進学したが、中途退学し、その後[[大阪市]]内の会社に勤務しつつ、定時制の高校に通い、卒業した<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。

[[1976年]](昭和52年)、Mは勤務先で知り合った女性と婚姻し、息子1人をもうけた<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。しかし、Mはその後、[[競馬]]などの[[ギャンブル]]にのめり込み、借金を重ねるようになったため、[[1979年]](昭和54年)頃に退職した<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。その後、Mは妻とも離婚し、転職・転居を繰り返すようになった<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。

Mは[[1983年]](昭和58年)3月25日、自動車を[[無免許運転|無免許で運転]]したなどとして、[[有印私文書偽造]]・同行使、[[道路交通法]]違反の罪により、[[懲役]]10か月・[[執行猶予]]3年の刑に処された<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。その後、同居していた女性の金品を盗むなどして、[[1986年]](昭和61年)12月1日、[[窃盗罪]]により懲役1年4月に処せられ、[[医療刑務所]]に服役した<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。

==== 殺人前科 ====
Mは前述の刑期を終え、医療刑務所から出所後<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、[[東京都]][[調布市]]内に在住していた<ref group="報道" name="毎日新聞1989-04-13"/>。[[1988年]](昭和63年)9月<ref group="報道" name="毎日新聞1989-04-13"/>、Mの交際相手だった[[タイ人]]女性は<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、[[タイ王国|タイ]]の[[売春]][[シンジケート]]で同居していた<ref group="報道" name="毎日新聞1989-04-13"/>、使用者のタイ人女性(事件当時21歳、東京都[[新宿区]][[上落合 (新宿区)|上落合]]在住)に<ref group="報道" name="毎日新聞1989-04-13"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、「使用権」を保有され、[[歌舞伎町]]のバーで男性客との売春に応じていた<ref group="報道" name="毎日新聞1989-04-13"/>。交際相手女性は、バーの常連客だったMに対し「120万円払えば自由にしてやる、と使用者から言われた」と相談した<ref group="報道" name="毎日新聞1989-04-13"/>。

これを受け<ref group="報道" name="毎日新聞1989-04-13"/>、Mは交際相手の女性を束縛から解放するため<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、[[1989年]](平成元年)1月9日夜、使用者女性のマンションを訪れ<ref group="報道" name="毎日新聞1989-04-13"/>、「(交際相手女性を)60万円で自由にしてくれ」と相談した<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。しかし交渉は難航し<ref group="報道" name="毎日新聞1989-04-13"/>、Mはその使用者の女性と口論となった<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。激情に駆られたMは、使用者女性の首を、室内にあった電話コードで絞めて殺害し、女性の部屋にあった現金7万円・ネックレスなどを盗んで逃走した<ref group="報道" name="毎日新聞1989-04-13"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。Mはこの殺人事件で、[[警視庁]][[戸塚警察署 (東京都)|戸塚警察署]]捜査本部により、同年4月12日夜、殺人、窃盗容疑で逮捕された<ref group="報道" name="毎日新聞1989-04-13">『毎日新聞』1989年4月13日東京朝刊第一社会面27面「東京・新宿のタイ女性絞殺犯は同居人の知人」</ref>。同年10月11日、Mは殺人・窃盗の罪により、懲役12年に処せられた[[前科]]があった<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。

==== 宮城刑務所服役中 ====
前述の懲役刑により、1989年10月26日から<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、Mは宮城刑務所に服役することになった<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/><ref group="報道" name="朝日新聞2005-11-12-千葉"/><ref group="報道" name="読売新聞2010-03-08"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。Mは、刑務所内の印刷工場に配属されたが、1992年2月18日、前述のように小田島が、同刑務所に収監されてきた<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。同年3月12日、Mと同じ印刷工場の同じ班に、小田島が配属された<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。その後、1995年12月14日、Mは小田島と同房になり、自然に親しくなっていった<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。

小田島は、他の同房者たちに対し、「以前、資産家の家に押し入って人質を取り、3億円を奪い、海外で豪遊して帰ってきた」などと繰り返し自慢したり、出所後について「金持ちの社長の家を襲い、億単位の金を奪う。証拠を残さないよう、家人を皆殺しにし、家に火を点ける」「成功したら他人名義の偽造パスポートを作って海外に行き遊んで暮らす」などと、将来の犯行計画について話したりしていた<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。多くの者は、小田島の話を非現実的な話と考え、軽く聞き流しており、Mも当初は半信半疑だった<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。しかし、Mは小田島の話に「すごいですね」などと、適当に話を合わせているうちに、小田島から、マブチモーターをはじめ、多数の会社の名称・住所・取締役の名前・資本金・株価・借金状況・大株主の持株比率など、様々な情報を、雑誌などを呼んで研究しつつ、それらを詳細にメモしたノートを見せられた<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。

これによりMは、小田島が、大金を動かすことができるワンマンの経営者を狙っていること、会社の負債や持株比率などから、マブチモーターが有力候補であること、同社からは10億円くらい取れそうであることなど、具体的な話をされるようになった<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。そして、研究熱心な小田島に感心したMは、小田島に 「一緒に(犯行を)やらないか。奪った金は折半しよう」などと持ち掛けられ、「やります」と答えたが、互いに出所は先の話だったため、この時点ではまだ本気で考えてはいなかった<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。

しかし、Mはその後も、小田島から繰り返し、上記ノートを見せられたり、事件の計画について話をされ、何度も「一緒にやろう」と誘われたことから、「小田島が本気で自分と一緒に犯行を行おうと考えている」と思うようになった<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。Mは当時、「自分のように殺人事件を起こし、10年以上も刑務所
に服役する人間は、世間から冷たく見られる」と思い、出所後の生活に夢も希望も持てずにいたが、小田島から「億単位の大金を手に入れる事件をやろう」と誘われたことで、「小田島と事件を起こして大金を得れば、好きな旅行や女遊びに金を使うことができるようになる」と考えるようになり、この際、小田島を信頼して勝負に出るしかないと考えた<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。その結果Mは、1996年末頃までには、小田島とともに犯行計画を実行する意思を固め、小田島に対し、その旨を伝えた<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。

その後もMは小田島と、印刷工場の暗室で作業している時や、食事中などに、犯行をどのような方法で実行するかについて、「マブチモーター社長など、東京周辺の資産家を狙い、家に押し入って家人を脅し、銀行などから大金を用意させ、強奪しする。その後、証拠を隠滅するため、家人を皆殺しにして家に放火する」ことなどを、何度も話し合った<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。[[1997年]](平成9年)12月頃、小田島と別の房に移ることが分かると、Mは小田島と、出所後の連絡先を交換するとともに、小田島から「Mが先に出所したら、犯行に使用するためのアパート・自動車・資金100万円を用意しておいてくれ」と頼まれた<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。Mは同月12日、小田島とは別の房に移り、翌[[1998年]](平成10年)3月23日以降、働く工場も別になったため、それ以降は出所まで、刑務所内で小田島と会うことはなくなった<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。

== 事件の概要 ==
=== 仮釈放から事件に至るまで ===
[[2000年]](平成12年)5月23日、[[仮釈放]]されたMは、宮城刑務所から出所した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="報道" name="朝日新聞2005-10-22"/>。その後、しばらくは更生保護施設に寄宿していたMだったが<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、その後も定職に就かず、知人らとともに、浮浪者の名義を利用して携帯電話を購入し、外国人らに転売する仕事をしていた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。その後Mは、その仕事から手を引くことにしたが、その際、数名の浮浪者の個人情報及び印鑑を入手した<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。Mは、その浮浪者の個人情報のうち、1人の名義を利用し、[[国民健康保険証]]を取得し、これを身分証明書として用い、同人名義で借金をしたりして金を稼いだ<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。そして、保護観察期間終了後の翌[[2001年]](平成13年)9月頃、Mは施設を出てアパートの一室を借り<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、宮城刑務所で知り合った、[[群馬県]][[佐波郡]]に住む知人を頼り、知人宅に居候するなどして、生活を送っていた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。知人らと浮浪者の名義を利用して携帯電話を購入し、外国人などに転売するなどして、金を稼いだ<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。

Mはその後も、まじめに働く気はなく、入手した浮浪人のうち1人の名義を利用し、[[消費者金融]]から借入れをするため、同年9月28日、群馬県佐波郡内の村役場で、浮浪人の住民登録を不正に知人方に異動させ、住民基本台帳ファイルに虚偽の記録をさせ、公正証書の原本としての用に供した(Mの'''電磁的公正証書原本不実記録罪、同供用罪''')<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。これにより、Mは国民健康保険証などを入手し、これを身分証明書として用いて、浮浪人名義で借金をし、借りた金で[[フィリピン]]に旅行に行ったり、パチンコに興じるなど、無為徒食の生活を送っていた<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。同年12月から、Mは知人の紹介で、運転手の仕事を始めたものの、楽をして大金を得ることはできないかなどと考えていた<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。

Mは2002年5月、小田島がそろそろ仮釈放され、刑務所を出所してくる頃だと考えた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。Mは小田島に、まだ宮城刑務所で話し合った犯行計画を、ともに実行する気があるならば、一緒に実行したいと考え<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、刑務所内で話し合った計画がどうなったか聞こうと思い、小田島から出所後の連絡先として教えられていた、小田島の義父の電話番号に電話をかけた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。その結果、約1か月後の同年6月下旬頃<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、小田島が仮出所すると聞いたため、自分の携帯電話の電話番号を連絡先として教え、小田島が出所したら、その番号に連絡するように伝言した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。その上で、同年6月11日、Mは小田島の出所に備え、群馬県[[伊勢崎市]]内のアパートの一室を借り、そこに住むようになった<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。

小田島は同年6月25日、仮釈放を許され、宮城刑務所を出所した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="報道" name="朝日新聞2005-10-22"/><ref group="報道" name="朝日新聞2005-11-12-千葉"/>。同日、小田島は[[保護観察所]]に出頭し、[[東京都]]内の更生保護施設に入所するとともに、義父からMの携帯電話の電話番号を聞いた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。小田島はMに電話をかけ、Mと連絡を取り<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、翌26日、外泊許可を受けて<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>、Mに駅まで迎えに来てもらい<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、Mが用意したアパートに行った<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。

小田島はアパートに着くと、宮城刑務所の中で話した、マブチモーターを狙う計画について、Mと話し合った<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。 Mは、小田島に計画を実行する気持ちがまだ残っていれば、やるつもりでいたため、小田島から「マブチモーターの社長宅を狙おう。Mさん、気持ちは変わってないか」などと切り出し、犯行計画を実行する気持ちに変化がないか確認された上で、改めて「10億円くらいは手に入る」などと切り出されると<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、Mは「大丈夫です。やりましょう」と答えた。そのため、2人はその場で、刑務所内で話した、計画の内容を再度確認し、億単位の金員を強取できるものと期待し、これを実行することを決めた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。その際小田島は、Mに対し、「事件を起こした後、警察からのマークを避けたり、海外逃亡できるように、他人名義のパスポートを作りたい」と相談した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。Mは、小田島が逮捕されれば、自分の身も危うくなると考えたことから、これに協力し、前記の方法で入手した、浮浪人の個人情報・同人名義の国民健康保険証などを、小田島に受け渡した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。

小田島は、浮浪者名義のパスポートを入手するとともに、犯行後に他人に成り代わって生活するため、Mの共犯者が入手していた浮浪者の個人情報を利用した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。同年7月12日、小田島は同名義の一般旅券を入手しようと、、この浮浪者が住民登録していた、伊勢崎市役所に対し、浮浪者の住民登録を不正に異動させようとして、市民課戸籍係員に対し、「浮浪人は伊勢崎市内の(Mが用意したアパートの)住所に転入した」とする、虚偽の内容の住民異動届を提出するなど、虚偽の申し立てをして、住民基本台帳ファイルに嘘の記録をさせ、備え付けさせた(小田島の'''[[電磁的公正証書原本不実記録|電磁的公正証書原本不実記録罪]]、同供用罪''')<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。小田島は同月26日、浮浪者名義で、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]・[[川口順子]](当時)宛ての一般旅券発給申請書を作成し<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、その氏名欄に浮浪人の実名を、現住所欄に「群馬県伊勢崎市…」(当時の2人の住所)などと記入し、申請者署名欄にも、浮浪人の実名を記載した上で、小田島自身の顔写真を張り付け、一般旅券発給申請書1通を偽造した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>(小田島の'''[[有印私文書偽造|有印私文書偽造罪]])。

小田島は同日、この一般旅券発給申請書を、[[前橋市]]内の群馬県パスポートセンターに、浮浪人の戸籍謄本などとともに、本物と装って提出し、[[群馬県知事一覧|群馬県知事]](当時:[[小寺弘之]])を経由し、川口外務大臣に一般旅券の発給を申請した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>(小田島の'''有印私文書行使罪''')。同年8月6日付、小田島は同センターで、浮浪人名義・小田島の顔写真入りの、一般旅券(旅券番号TG2422125)の交付を受けた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>(小田島の'''[[旅券法]]違反''')。この不正行為で、小田島が旅券の交付を受ける際、Mはあらかじめその情を知りながら、同年6月27日頃、同県伊勢崎市内のM方(当時)で、小田島に対し、浮浪人名義の国民健康保険被保険者証・住民票などを手渡し、前述の各犯行を遂げるために必要な、浮浪人の氏名・生年月日・登録住居地など、各種個人情報を教示するなどし、小田島の各犯行を容易にさせ、幇助した<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>(Mの'''電磁的公正証書原本不実記録幇助罪、同供用幇助罪、有印私文書偽造幇助罪、同行使幇助罪、旅券法違反幇助''')。

小田島は同年7月22日、更生保護施設から義父方を転居先とする転居許可を受け、同月25日、施設を退所した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。

小田島は、マブチモーターの当時社長だった馬渕隆一宅付近を、数回下見し、電話をかけて日中の在宅状況を調べるなどして、情報を収集した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。同年7月下旬頃までに2人は<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、小田島が収集した情報をもとに、同年8月5日に犯行を実行すること、具体的な手順としては「宅配業者を装って馬渕邸に侵入し、在宅している女性を人質に取る。その後、馬渕社長が帰宅したら、刃物で脅すなどして制圧し、電話で銀行から現金を持参させて奪う。その後、一家を皆殺しにし、家に火を点けて逃亡する」ことなどを取り決めた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。小田島らは、犯行当日までに、犯行に使用する段ボール・刃物・布粘着テープ・缶入り混合ガソリンなどを用意したり、犯行時に乗っていく自動車を駐車しておく場所を、馬渕邸の最寄り駅である、[[新京成電鉄新京成線]][[常盤平駅]]から離れた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、別の駅([[松戸駅]])近くの駐車場に決めたりするなど<ref group="報道" name="読売新聞2005-11-12"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、犯行のための準備を進めた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。

小田島らは同8月5日、Mが運転する自動車で、下見をしておいた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、松戸駅前の駐車場に向かい<ref group="報道" name="読売新聞2005-11-12"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、同日午前11時30分頃、その駐車場に駐車した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。2人はそこから、電車(新京成線)<ref group="報道" name="読売新聞2005-11-12"/>・徒歩で馬渕邸に向かった<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。

=== 第1の事件(本事件) ===
8月5日午後3時頃、小田島・M両名は、宅配業者を装い、馬渕邸を訪問した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。その際、馬渕の長女B子(当時40歳)が応対し<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>、1階の玄関ドアを開けた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。

小田島・Mはそのまま、家の中に押し入ると('''住居侵入罪''')<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>、B子と、その母親である馬渕の妻・A子(当時66歳)に対し<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>、、持っていた刃物のようなものを突き付け、両名の両手首を、ネクタイのようなものでそれぞれ縛り上げた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。そして、2人の口・長女の眼に、布粘着テープを貼り付けるなどの暴行を加え、抵抗できないようにした上で、馬渕家の資産である現金数十万円や<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>、市価数十万円から数百万円の、外国製の腕時計5個、ダイヤモンドなどの指輪4個の<ref group="報道" name="読売新聞2002-12-27"/>、貴金属計5点(時価合計約966万円相当)を奪った<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。

小田島はそのまま、2階の馬渕夫妻の寝室で<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>、B子の首にネクタイを巻き付け、絞めつけて殺害した('''強盗殺人罪''')<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。そして、Mは1階の居間で、A子の首をネクタイのようなもので絞めつけ、殺害した('''強盗殺人罪''')<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。殺害される直前、B子は小田島らに対し、「なぜ、こんなことをするの」と、涙を浮かべて訴えていた<ref group="報道" name="読売新聞2006-02-24"/>。

小田島らは2人を殺害した後、同日午後3時30分頃、B子の遺体があった2階の寝室で、ベッド上に混合ガソリンを撒いた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。さらに、A子の遺体があった1階居間の床上にも、同じく混合ガソリンを撒くと、その2か所にそれぞれ、ライターで点火し、放火した('''現住建造物等放火罪''')<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。火は、1階居間の壁・天井などに燃え移り、馬渕邸(鉄筋コンクリート造亜鉛メッキ鋼板葺2階建て、床面積合計約214.81㎡)のうち、1階居間の壁・天井など、合計約83㎡が焼失した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。放火後2人は、勝手口から逃走し、松戸駅に戻り、車で逃走した<ref group="報道" name="読売新聞2005-11-12"/>。事件後、小田島・M両名は8月20日、[[フィリピン]]に出国した<ref group="報道" name="朝日新聞2005-11-12-千葉"/>。

=== 第2の事件(東京都目黒区歯科医師強盗殺人事件) ===
当初の計画とは異なり、本事件では、馬渕邸にある金品を強取しただけで、予想していたほどの大金を得られなかった<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。そのため、小田島は自動車学校の費用・生活費・パチンコ代などに<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>、Mも旅行・フィリピン女性との交際・パチンコなどの遊興費などに<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、それぞれ強奪した金品を浪費した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。これにより、2人は金銭に窮したため<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、Mは、事件から約1か月後の9月頃、フィリピン旅行から帰国して以降、再び本事件のような事件を起こし、大金を手に入れたいと思うようになり、小田島に対し「また資産家を狙おう」と提案した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。

Mは、小田島から「すぐには計画を立てられない」と言われたことから<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、その後しばらくは<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>、Mのアパートで同居しつつ<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、2人でマンションなどへの空き巣狙いで<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、窃盗を繰り返して生活していたが<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>、その後「どうせ捕まる危険を冒すのであれば、資産家の家に押し入り、家人を縛り上げて大金を奪う方がよい」と思い<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、再び小田島に対し、資産家を狙おうと催促するようになった<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。

小田島は、以前犯行標的の候補として検討していた、ゲームソフト会社の社長宅を狙おうと考えたが、Mとともに、同社長宅を下見に行ったところ、防犯設備が整っていたことから、同宅を狙うことを断念した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。しかし、その帰宅中に小田島は「歯科医であれば金を持っているだろう」と考え、立ち寄った[[コンビニエンスストア]]から取ってきた、職業別[[電話帳]]を調べたところ、東京都[[品川区]]内([[東急目黒線]]・[[武蔵小山駅]]付近)の<ref group="報道" name="中日新聞2002-09-25"/>、歯科医院の広告が掲載されていた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。これに目を付けた小田島は、Mに対し<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>、同医院を経営する、[[目黒区]][[目黒本町]]在住の、歯科医男性C(当時71歳)宅を標的とし<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-25"/>、狙うことを提案すると、Mはこれを承諾した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。

同月19日、2人は歯科医院・C宅周辺を下見した結果<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、C宅には入りやすいと判断し、同所で強盗殺人を行うことを決めた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。小田島が具体的な計画として、夕方、歯科医院の前でCが帰宅するために出てくるのを待ち、家までCの後をつけ、Cが家に入ったところ、ナイフで脅して家に押し込み、監禁して金を出させることとし<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>、金を奪った後、マブチモーター事件と同様、家人を皆殺しにし<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>、現場から逃走するという計画を立てた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。

2人はその後、犯行に使用するナイフ・手袋を用意し、同月23日には、翌24日に計画を実行することを決めた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。
2人は事件当日の24日、Mが運転する車で歯科医院に赴き、少し離れた場所に車を駐車した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。その後、再度C宅を下見し、歯科医院の診療終了時刻が近づくと、帰宅するCが、歯科医院から出てくるのを、医院付近で待っていた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。しかし夕方になっても、Cが一向に出てこなかったことから、Cが出てきたのを見逃したかもしれないと考えた2人は、小田島がC宅に向かった上で、Mが歯科医院前に残り、小田島からの電話連絡を待つことにした<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。

小田島は、9月24日午後6時30分頃、勝手口のドアからC宅に押し入り、Cの左側胸部を突き刺すなどして、肺損傷を伴う刺傷を負わせた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。小田島はそのまま、C所有の現金約35万円・[[カレッジリング]]1個(時価3万円相当)を強奪すると<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>、C宅から徒歩約10分の距離にある、歯科医院前で待機していた、Mを電話で呼び出した<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。この時点でCは、既に両手をコードのようなもので縛られており、腹部から大量の血を流しながら、居間の床の上に倒れ、身動きを取れず、弱い呼吸をしていた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。その後、小田島から「(首を)絞めてくれ」と、Cの殺害を指示されたMは<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>、殺意を持った上で、Cの首を、タオルで首を力一杯絞めつけた<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。Cは、顎が少し上がった状態で「うっ」と苦しそうな声を出し、体が緊張した状態になったが、そのままMが首を絞め続けると、首の力が抜け、その後,力が抜けてだらんとした状態のまま、身動きをしなくなった<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。Cはこの結果、左側胸部を刺されたことにより左肺を損傷しており、これに起因した胸腔内出血と、首を絞められたことによる窒息により死亡した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。

Cの遺体を司法解剖し、その死因などの鑑定をした医師が、小田島の公判で証人として出廷し、証言した内容によれば、Cの肺損傷による胸腔内出血・首を絞められたことによる窒息は、いずれも単独で、最終的に脳の循環障害を生じさせるものである<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。そのため、どちらの原因がより直接的に効いたかは判断できないという意味で、死因が競合しているといわざるを得ないという<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。しかし、両者がともにある場合、片方しかない場合に比べ、死期が早まることは十分考えられ、最終的には両者が死因として関与したということができるということから、小田島の刺突・Mの絞首とも、Cの死亡という結果と因果関係を有することが、刑事裁判で認定された<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。

Cは妻・内科医の長男との三人暮らしだったが、当時妻と長男は旅行中だった<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-25"/>。この日、午後6時10分頃までは、自分の経営する歯科医院で勤務しており、午後7時頃には、近くの娘婿宅を訪れる約束をしていた<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-25"/>。

=== 第3の事件(千葉県我孫子市金券ショップ経営者妻殺害事件) ===
目黒区の事件後、2人は、奪った金品を約1か月で浪費した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。その結果、2人は再び金銭に窮し、空き巣狙いによる窃盗を繰り返す生活をするようになった<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。Mは同年10月上旬頃から、再び小田島に対し「金持ちのところを狙おうなど」と誘うようになった<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。小田島も、目黒区の事件で思っていたほど大金を得られなかったため、次の事件を考えるようになった<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。小田島は以前、[[東京都]][[千代田区]][[神田 (千代田区)|神田]]の老舗[[金券ショップ]]に来店した際<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="報道" name="読売新聞2002-11-22"/>、その活況ぶりが印象に残っていたことを思い出した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。そのため、同店を狙うことを思いつき、同年11月15日頃、Mにそのことを提案すると、Mもこれに賛成した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。

小田島・M両名は、同月18日頃、金券ショップを下見したが、同店は防犯設備があり、そのまま押し入るのは難しそうだと判断した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。そこで、同店を経営する経営者男性D(事件当時69歳)を拉致し<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="報道" name="読売新聞2002-11-22"/>、同店に連れて行き、鍵を開けさせて押し入ることを決めた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。Dを拉致する方法としては、帰宅途中を襲う方法を取ろうと考え、それが無理な場合、マブチモーター事件と同様、先に家に押し入り、家人を監禁して人質に取り、帰宅したDを捕まえる方法を取ることにした<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。そこで小田島らは同日、帰宅するDを尾行し<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>、[[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[常磐線]][[天王台駅]]付近の、千葉県[[我孫子市]][[柴崎台]]のマンションに<ref group="報道" name="読売新聞2002-11-22"/>、Dが在住していることを突き止めた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。その上で、現場付近の状況を下見し、Dの下車駅から、D宅までの間で、Dを襲撃・拉致することを決めた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。また、小田島らは同月19日、犯行に使用する手錠・催涙スプレーを購入し、D宅に侵入する場合は警察官を装うこと、翌日に計画を実行することなどを決めた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。現場周辺は事件前から、空き巣被害が頻発していたため、所轄の[[我孫子警察署]]は重点的に警戒していたという<ref group="報道" name="読売新聞2002-11-22"/>。

小田島らは同月20日朝、警察官を装うため、スーツを着用し、包丁・催涙スプレーを封筒に入れて持ち、Mの運転する自動車で現場に向かった<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。2人は、D宅を再度確認した上、午後7時から8時頃、Dの下車駅で、Dが出てくるのを待った<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。しかし同日は、午後11時を過ぎても、Dが姿を見せなかったため、小田島らはこの日の計画の実行を断念し、警察官を装ってD宅に押し入る方法に計画を変更した上、翌日に実行を延期することとした<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。Dは事件直前から、残業で帰宅が遅くなることが多かったという<ref group="報道" name="読売新聞2002-11-22"/>。同夜は、高速道路のサービスエリアに車を駐車し、車内で仮眠を取った<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。

翌日、2人は再びD宅に戻り、D宅やその周辺を下見した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。その上で、マブチモーター事件と同様、D宅の最寄り駅・天王台駅から離れた、別の駅前の駐車場に駐車し、そこから電車・徒歩でD宅へ向かった<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。

2人は11月21日午後6時10分頃、Dが在住するマンションの一室を、警察官を装って訪問した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/>。その際、在宅していたDの妻E子(事件当時65歳)が応対し<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="報道" name="読売新聞2002-11-22"/>、玄関ドアを開けた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。2人は、居宅内に押し入ると、E子に対し、顔を拳で殴打し、ナイフを突き付けて室内に押し込んだ上で、E子を手錠・猿轡で拘束した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。さらに、抵抗するE子の顔面を殴り、催涙スプレーを吹き付け、後ろ手錠をかけるなどの暴行を加えた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。小田島らはそのまま、E子から金品のありかを聞き出し、Dらが所有していた現金百数万円や、財布1個(時価約2000円相当)などを強奪した<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。さらにMは、口封じのため家人を殺害しようと、殺意を持って、E子の首にアース用コードを巻き付け、絶命するまで数分間絞め続けた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。そしてMは、同コードを首に結んで固定し、E子を窒息死させた<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/>。E子は、夫Dが経営する会社の役員を務めており、同じ職場に勤務していたが、事件数日前から風邪で休んでいた<ref group="報道" name="読売新聞2002-11-22"/>。

== 捜査 ==
=== 本事件 ===
8月5日午後3時50分頃、馬渕邸から出火し、<!--木造2階建て約170㎡のうち、約70㎡が焼失した<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06"/>←報道出典からの記述だが、判決文での認定と矛盾するため、判決文を優先した。-->その大半が焼失した<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06">『[[中日新聞]]』2002年8月6日朝刊第一社会面27面「マブチモーター 社長宅で火災 2遺体 千葉・松戸 油まかれ 放火殺人疑いも」<br>『[[東京新聞]]』2002年8月6日朝刊第一社会面27面「焼け跡から2遺体 『マブチ』社長宅火災 妻と長女か 放火殺人の疑いも 松戸」「妻は難病、長女が家事」<br>『中日新聞』2002年8月6日夕刊第一社会面13面「放火殺人と断定 マブチモーター社長宅火災 遺体の首にひも」<br>『東京新聞』2002年8月6日夕刊第一社会面13面「マブチモーター社長宅2遺体火災 首絞め殺害の疑い 千葉県警 放火殺人と断定」</ref><ref group="報道" name="読売新聞2002-08-06">『[[読売新聞]]』2002年8月6日東京朝刊第一社会面31面「マブチモーター社長宅焼ける 2人の焼死体/千葉・松戸」<br>『読売新聞』2002年8月6日東京朝刊京葉版26面「松戸のマブチモーター社長宅で2人焼死 驚き隠せぬ住民=千葉」<br>『読売新聞』2002年8月6日東京夕刊第一社会面19面「『マブチ』社長宅2人死亡火事 首にひも、室内に油 放火殺人で捜査/千葉県警」</ref>。焼け跡の1階居間・2階居間の2か所から、それぞれ2人の遺体が発見されたが、いずれもガソリンのようなものを撒かれて火を点けられ、炭化するほど激しく焼けており、年齢・服装などは判別できない状態だった<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06"/><ref group="報道" name="読売新聞2002-08-06"/>。馬渕は、殺害された妻・長女に加え、当時43歳の長男と4人暮らしだったが、馬渕本人は仕事で外出していた<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06"/>。また、同日正午から午後1時頃まで、いったん昼食のために帰宅していた長男も、その後仕事で外出しており、無事が確認された<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06"/><ref group="報道" name="読売新聞2002-08-06"/>。焼け跡には、ガソリンのような油が撒かれていた形跡が確認されたことから、[[千葉県警察]][[松戸東警察署]]は、遺体は妻・長女とみて、身元の特定を進めるとともに、放火殺人事件の疑いもあるとみて、[[捜査]]を開始した<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06"/><ref group="報道" name="読売新聞2002-08-06"/>。近隣住民の女性は「馬渕邸から黒煙が上がり、(遺体が発見された)1階の居間を中心に燃えた」と証言した<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06"/><ref group="報道" name="読売新聞2002-08-06"/>。

翌6日、千葉県警捜査一課などの捜査により、遺体の首には、ひものようなもので絞められた跡があることが判明した<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06"/><ref group="報道" name="読売新聞2002-08-06"/>。このことから同県警は、何者かが2人を殺害後、馬渕邸に放火した、放火・殺人事件と断定し、捜査本部を設置した<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06"/>。1階居間では、腰かけるような格好で遺体が見つかり、20畳ほどの部屋全体が燃えていた<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06"/><ref group="報道" name="読売新聞2002-08-06"/>。2階は馬渕夫妻の寝室で、遺体はベッド上にあおむけに横たわり、上半身が激しく焼け、ベッド周辺だけが燃えていた<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06"/><ref group="報道" name="読売新聞2002-08-06"/>。前述のように、出火当時は馬渕とその長男が不在だったことから、2人が殺害されたのは、長男が外出した午後1時頃から、出火した午後3時50分頃までの間とみて捜査した<ref group="報道" name="中日新聞2002-08-06"/><ref group="報道" name="読売新聞2002-08-06"/>。

千葉県警捜査一課・松戸東署の捜査本部は8月6日、室内に物色の跡が確認できなかったことや、油類を入れた容器が見つかったことから、怨恨による計画的な犯行との見方を強めた<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-07">『読売新聞』2002年8月7日東京朝刊第一社会面35面「マブチモーター社長宅放火殺人 えん恨、計画的犯行か 物色の跡なく」<br>『読売新聞』2002年8月7日東京朝刊京葉版32面「マブチモーター社長宅事件 殺害直後に放火か 犯人、計画的に訪問?=千葉」<br>『読売新聞』2002年8月7日東京夕刊第一社会面15面「マブチモーター社長宅放火殺人 目と口に粘着テープ 妻子、手足縛られた跡なし=千葉」</ref>。また、捜査本部は遺体の歯型を鑑定した結果、1階居間のソファに座った状態で発見された遺体を妻A子、2階の夫婦寝室ベッド上で仰向けになっていた遺体を長女B子と、それぞれ断定した<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-07"/>。また、遺体を司法解剖した結果、2人の死因はともに窒息死である疑いが強まった上、2人の遺体の首には、ネクタイのようなものが、燃え残った状態で巻かれていた<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-07"/>。さらに、激しく燃えていた2人の遺体には、死亡してから時間を置かず、すぐに焼かれたことを示す特徴がみられたという<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-07"/>。その一方で、遺体の眼・口には、それぞれ粘着テープが貼られていたが、他の強盗事件などで、犯人が被害者の動きを封じるため、粘着テープで手足を縛るケースとは異なり、遺体の手足には、縛られた痕跡がなかった<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-07"/>。また、室内には争った痕跡もなく、過去に馬渕家からは、千葉県警に対しても、不審者に狙われているなどの相談は特になかった<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-07"/>。このことから、犯人は2人をネクタイ上のもので絞殺した後、油を撒いて火を点けた疑いが強まった一方、なぜ犯人が顔だけに粘着テープを貼ったのか、捜査本部は調べを進めた<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-07"/>。同日、松戸市松飛台のマブチモーター本社では、広報宣伝部長・総務部長が会見を行い、馬渕について「社長は相手の気持ちを思いやれる人で、社員たちからの信頼も厚い。社内・取引相手を考えてみても、恨みを買うような心当たりはない」、「奥さん(A子)が病気がちで、娘さん(B子)が看病しているという話を聞いたことはあるが、社長が家のことで悩んでいる様子は、特になかった」などと説明した<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-07"/>。これまでの捜査では、事件直前の5日午後1時頃、同居していた長男が、自宅で食事を終え、母A子を残して職場に戻った<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-07"/>。その後<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-07"/>、午前中に外出していた<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-08"/>、B子が帰宅し、ともに事件に巻き込まれた、という線が強まった<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-07"/>。出火当時、馬渕邸のガレージ脇の塀沿いに、普段は見かけない不審な紺色の乗用車が止まっていた、という情報が、近隣住民から捜査本部に寄せられたが<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-07"/>、事件当時、不審者を目撃したという情報は得られなかった<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-08"/>。

捜査本部は8月7日、現場の状況などから、犯人は当初から、殺害目的で馬渕邸に侵入し、犯行に及んだとの見方を強めた<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-08">『読売新聞』2002年8月8日東京朝刊京葉版30面「『マブチ』社長宅事件 殺害目的に侵入? 捜査本部、見方強める=千葉」</ref>。これまでの調べによると、2人の遺体の状況から、油類が撒かれた後、火を点けられたとみられたが、現場にガソリン・[[灯油]]類の匂いは漂っていなかったため、他の緩いが使われた可能性が高いとみられた<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-08"/>。関係者によれば、A子は事件の7,8年前から病気を患っていたが、寝たきりではなく、家の中では健常者と同様に生活できていた<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-08"/>。また、馬渕夫婦については「ともに優しい人で、他から恨みを買うような人ではない」(関係者)、「普段、馬渕さんが理容室の予約をする際は、必ず奥さん(A子)が、電話で店に予約を入れてきてくれた」(馬渕が良く利用していた理容室の店員)など、これまでの捜査でも、被害者らの周辺に、人間関係上のトラブルは特に見受けられなかった<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-08"/>。

8月8日までの捜査で、1階部分の玄関・窓などは、すべて施錠されていた可能性が高いことが判明した<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-09">『読売新聞』2002年8月9日東京朝刊京葉版24面「『マブチ』社長宅放火殺人 1階の窓などすべて施錠?=千葉」</ref>。出火直後到着した消防隊員は、1階部分を1周し、開いている出入り口・窓がないか調べたが、すべて鍵がかかっており、開けられなかったため、玄関脇の窓ガラスを割り、鍵を開け、消火活動を行ったという<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-09"/>。また、玄関の可否穴にも、ピッキングされるなどしてこじ開けられた形跡はなかった<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-09"/><ref group="報道" name="読売新聞2002-08-11"/>。現場に落ちていた燃料缶は、何院が持ち込んだ可能性が高いとみられ、捜査本部は、遺体周辺・燃料缶内、それぞれから検出された油類の成分を分析し、一致するかどうか、鑑定を進めた<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-09"/>。同日、松戸市内の斎場にて、A子・B子の通夜が営まれた<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-09"/>。

8月9日、松戸市内の斎場で、2人の告別式が営まれた<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-10">『読売新聞』2002年8月9日東京夕刊第二社会面18面「マブチ社長宅殺人 千葉で告別式」<br>『読売新聞』2002年8月10日東京朝刊京葉版28面「『マブチ』社長宅事件 『見たものは地獄だった』 告別式で社長あいさつ=千葉」<br>『読売新聞』2002年8月10日東京朝刊京葉版28面「『マブチ』社長宅放火殺人 一家の日課調べた可能性 運転手訪問後に出火=千葉」</ref>。同日までの捜査で、[[長時間労働|残業]]のため夜まで会社に残ることが多かった馬渕のために、B子がほぼ毎日[[弁当]]を作り、それを届けに運転手が、馬渕邸に受け取りに来るのが、日課になっていたことがわかった<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-10"/>。長男も、[[昼食]]を食べに自宅に戻るのが日課になっていたため、犯人は一家の日常生活を調べた上で、犯行に及んだ可能性が浮上した<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-10"/>。。運転手は事件当日、B子の作った弁当を受け取りに、午後2時頃に馬渕邸を訪れており、出火したのは、運転手が馬渕邸を後にして以降の午後3時50分頃だった<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-10"/>。また、捜査本部は同日までの現場検証で、2階から犯人が侵入・逃走した形跡がないか調べるため、ガレージ屋根の足跡などの有無を確認するなどした<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-10"/>。また、犯行に使用された油類が入っていたとみられる、4リットル入り燃料缶が、黒く焦げていたため、缶の表面に記載された文字などを鑑定し、製造元などの特定も進めた<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-10"/>。捜査本部は同日、事件前後に現場前を通行した人々に対し、不審者の目撃情報などの提供を求める、立て看板を設置した<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-10"/>。

8月10日までの捜査で、A子らが自宅にいる昼間は、普段から玄関を施錠する習慣があったことが判明した<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-11">『読売新聞』2002年8月11日東京朝刊京葉版28面「『マブチ』社長宅放火殺人事件 昼間も玄関は施錠=千葉」</ref>。馬渕邸を頻繁に訪れていた関係者曰く、昼間は敷地内に入ることはできるが、玄関は常に施錠されていた<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-11"/>。捜査本部は犯人の侵入経路について、2階の施錠されていない窓から侵入したか、鍵を使って玄関から侵入したなど、あらゆる可能性を視野に入れ、捜査を進めた<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-11"/>。

これまでの調べでは、室内に物色の跡は見られず、貴重品などが盗まれた形跡はないとされ<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-07"/>、殺害そのものが目的の犯行と見られていた<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-07"/><ref group="報道" name="読売新聞2002-08-13"/>。しかし8月11日、捜査本部の調べの結果、現場にあった数百万円相当の貴金属類がなくなっていたことが、新たに判明した<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-12-夕刊">『読売新聞』2002年8月12日東京夕刊第一社会面19面「マブチ社長宅放火殺人事件 貴金属類なくなる 金目当て?数百万円相当」</ref><ref group="報道" name="読売新聞2002-08-13">『読売新聞』2002年8月13日東京朝刊京葉版32面「『マブチ』社長宅放火殺人 動機絞り込めず 金銭目的の見方浮上=千葉」<br>『読売新聞』2002年8月13日東京夕刊1面「[眼]『マブチ』社長宅の惨劇 えん恨?金目当て?謎だらけ 残されていた現金」</ref>。調べによると、一家4人それぞれの寝室がある2階を中心に、物色された形跡があり、馬渕夫婦の寝室の棚の引き出しなどからは、入れてあった腕時計・指輪など、貴金属類数点がなくなっており、それらの貴金属が入っていた空き箱が、床に散乱していた<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-12-夕刊"/><ref group="報道" name="読売新聞2002-08-13"/>。その一方で、2階には数か所に分けて、生活費など現金数十万円が置いてあったが、いずれも手付かずのままで、なくなっていない貴金属も発見された<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-13"/>。また、夫婦の寝室にあった金庫には、会社関係・不動産関係の書類や、ゴルフ会員券などが入っていたが、施錠をこじ開けようとした形跡はなかった<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-13"/>。こうした状況に、捜査本部は犯行動機を絞り込めずに困惑し、捜査関係者は「金目当てなら、なぜすべての金品を持ち去らなかったのか。第一、火を点けたら近隣住民にすぐ、犯行が露呈するのに、なぜ放火という手段を選んだのか」と、首をかしげた<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-13"/>。

捜査本部は、8月13日までの捜査の結果、2人が遺体で発見された、1階居間・2階寝室それぞれから、ガソリンの成分を検出した<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-14">『読売新聞』2002年8月14日東京朝刊京葉版24面「『マブチ』社長宅放火殺人事件 現場からガソリン成分=千葉」</ref>。同日、捜査本部は最後の現場検証を行った<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-14"/>。それまでの現場検証の結果、2階の馬渕夫妻の寝室では、箪笥の引き出しが開き、床に落ちていた貴金属類のうち、馬渕の腕時計や、A子の指輪・ネックレスなど、計数点がなくなっていたが、寝室にはもともと30点近い貴金属類があり、箪笥とは別に寝室に置いてあった、A子の宝石箱は手つかずで残っていたことが判明した<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-14"/>。また、床には、一見して高価なものも残っており、馬渕拓の1階居間・2階寝室には、寿か所に分けて現金数時位万円が残されており、A子・B子の財布も、現金が入ったまま残っていた<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-14"/>。

8月14日までの捜査で、遺体や室内を焼くために使われた、ガソリンが入っていたとみられる燃料缶は、外部から持ち込まれていたことが判明した<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-15">『読売新聞』2002年8月15日東京朝刊京葉版24面「マブチモーター社長宅放火殺人 燃料缶は外部から=千葉」</ref>。燃料缶は、B子の遺体が発見された、2階の夫妻寝室から発見されたが、馬渕邸にあったものではなかった<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-15"/>。このことから捜査本部は、ガソリンの入手経路が班員割り出しの手掛かりにつながる可能性があるとみて、捜査を進めた<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-15"/>。一方で、犯人は犯行後、台所とガレージを仕切る、勝手口の扉を開けてガレージに出た後、ガレージ脇の扉を開け、外部に逃走した可能性が強いことも判明した<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-15"/>。

8月20日、マブチモーターの中間決算(連結)の発表が、[[東京証券取引所]]で行われた<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-21">『読売新聞』2002年8月21日東京朝刊京葉版30面「『マブチ』社長宅事件 『経営への影響はない』 決算発表で幹部=千葉」</ref>。取締役経営管理部長(当時)・西村俊六は、事件の影響について「経営への影響は基本的にない」と答えた<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-21"/>。

8月21日までの捜査の結果、被害者遺族の指摘から、新たに1階の家事室からも、A子のアクセサリーなど、貴金属が紛失された可能性が高いことが判明した<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-22">『読売新聞』2002年8月22日東京朝刊京葉版32面「『マブチ』社長宅事件 貴金属の紛失、1階家事室も?=千葉」</ref>。家事室は、A子の遺体が発見された今の隣にあり、2階の寝室ほどではなかったものの、物色したとみられる形跡があった<ref group="報道" name="読売新聞2002-08-22"/>。

=== 第2の事件 ===
9月24日午後9時頃、Cが約束の時間(午後7時頃)を過ぎても現れなかったことを不審に思った、Cの娘婿は、様子を見に行こうと、C宅を訪ねてきた<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-25"/>。娘婿はその際、1階居間にて、普段着姿で、両手首を電気コードで縛られ、うつぶせの状態で、血まみれで倒れているCを発見し、[[110番]]通報した<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-25"/>。Cは、左首1か所・左脇腹数か所を、鋭利な刃物で刺されており、病院に搬送されたが、間もなく死亡した<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-25">『読売新聞』2002年9月25日東京朝刊第一社会面39面「歯科医刺殺される 自宅、物色の跡/東京・目黒」<br>『読売新聞』2002年9月25日東京夕刊第一社会面19面「東京・目黒の歯科医刺殺事件 前日、不審な男2人組を目撃」</ref><ref group="報道" name="中日新聞2002-09-25">『東京新聞』2002年9月25日朝刊第一社会面27面「歯科医師を刺殺 目黒の自宅 財布強奪か」<br>『東京新聞』2002年9月25日夕刊第一社会面11面「帰宅直後に殺害か 目黒の歯科医 勝手口に争い跡、血痕」<br>『中日新聞』2002年9月25日夕刊第一社会面11面「自宅で刺され歯科医師死亡 東京・目黒区」</ref>。1階・2階それぞれの今のたんすの引き出しが物色されており、Cの財布もなくなっていることなど、室内に物色された跡があったことなどから、警視庁捜査一課は、強盗殺人事件と断定し、[[碑文谷警察署]]に特別捜査本部を設置し、捜査を開始した<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-25"/>。現場は、東急目黒線[[西小山駅]]から北約300mの住宅街の一角だった<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-25"/>。

その後の特捜本部による捜査で、近隣住民への聞き込みの結果、事件前日の23日午後4時過ぎから<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-25"/>、午後5時半ごろにかけ、C宅から約30m離れた区立公園で<ref group="報道" name="東京新聞2002-09-26"/>、不審な男2人組が、C宅をのぞき込んでいたことが判明した<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-25"/><ref group="報道" name="東京新聞2002-09-26">『東京新聞』2002年9月26日朝刊第一社会面31面「歯科医強殺事件 直前に不審男目撃」</ref>。また、Cは1階居間で、靴を履いたまま倒れていたことから、Cが帰宅直後に襲われた疑いがあるとみて、不審な2人組との関連について調べた<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-25"/>。2人組のうち<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-25"/>、1人はひげを生やしており<ref group="報道" name="東京新聞2002-09-26"/>、40歳代から50歳代の<ref group="報道" name="東京新聞2002-09-26"/>、身長約165cmの男で<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-25"/>、白っぽいジャケットを着ていたやせ型の男だった<ref group="報道" name="東京新聞2002-09-26"/>。2人組は、C宅前をゆっくりと数回往復しながら、敷地内をのぞき込んでいたという<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-25"/>。Cの遺体を[[司法解剖]]した結果、死因は、肩刃の刃物で胸を刺されたことによる出血・首を絞められたことによる窒息の、複合死因だったことが判明した<ref group="報道" name="東京新聞2002-09-26"/>。

=== 第3の事件 ===
11月22日午前1時15分頃、事件当日の21日午前8時に出勤していたDが、自宅マンションに帰宅したところ、自室内で妻E子が倒れているのを発見し、110番通報した<ref group="報道" name="読売新聞2002-11-22"/>。千葉県警我孫子警察署が調べたところ、普段着姿のE子が、2DKの奥の6畳間和室中央付近で、首にひものようなものを巻き付けられ、既に死亡していた<ref group="報道" name="読売新聞2002-11-22">『読売新聞』2002年11月22日東京夕刊第一社会面23面「金券ショップ経営者の妻が変死/千葉・我孫子」<br>『読売新聞』2002年11月23日東京朝刊京葉版34面「我孫子の殺人 物取りの可能性も 昼から夕方の犯行=千葉」</ref>。死因は窒息死で、遺体の衣類に乱れはほとんどなかったが、胃に内容物はほとんどなかった<ref group="報道" name="読売新聞2002-11-22"/>。室内は、たんすなどが開けられ、衣類が散乱するなど、かなり荒らされており、電灯は消え、窓は閉まっていた<ref group="報道" name="読売新聞2002-11-22"/>。千葉県警捜査一課は同日午後、E子が首を絞められて殺害されたと断定し、殺人事件として、我孫子署に捜査本部を設置、捜査を開始するとともに、室内の物色の跡から、物取り目的の可能性も視野に、捜査を進めた<ref group="報道" name="読売新聞2002-11-22"/>。

11月23日、捜査本部による捜査の結果、それまでに分かっていた、たんすの物色痕に加え、複数の部屋の中に、多数の空き箱が散乱し、室内を執拗に物色した形跡があることが発覚した<ref group="報道" name="読売新聞2002-11-24"/>。これを受けて捜査本部は、物取りによる犯行の線が強まったとして、金品紛失の有無を調べるとともに、負債の交際関係・金券ショップの顧客について、捜査を進めた<ref group="報道" name="読売新聞2002-11-24">『読売新聞』2002年11月22日東京夕刊第一社会面23面「我孫子の殺人事件 室内に空き箱散乱 強まる物取りの線=千葉」</ref>。また、捜査関係者によれば、神田で金券ショップを経営していたDは、我孫子市内でも、数件のマンションを所有していた資産家だったが、前年2001年4月、同市内の一軒家・マンションを売却し、犠牲になった妻E子とともに、現場マンションに転居していた<ref group="報道" name="読売新聞2002-11-24"/>。同日も現場検証が行われ、玄関付近を中心に、鑑識活動が行われた<ref group="報道" name="読売新聞2002-11-24"/>。また、事件前後に不審者が目撃されなかったかどうかなど、聞き込み捜査も進められた<ref group="報道" name="読売新聞2002-11-24"/>。

=== 捜査の難航 ===
被害者の眼・口を粘着テープでふさぐ一方で、手足は縛らず、絞殺後に燃料を撒いて放火するという手口は、捜査本部が調べた結果、過去の事件にも例がない特異なものだった<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-04"/>。また、犯人らはあらかじめ燃料缶を準備するなど、周到な犯行の計画性がうかがえた半面、B子の絞殺には、現場にあったネクタイを使うなど、場当たり的な面も見られた<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-04"/>。また、2階の夫妻寝室から、貴金属数点がなくなっていた一方で、宝石箱は手つかずで、多くの[[貴金属]]が残っていたり<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-04"/>、現金130万円・預金通帳・印鑑なども<ref group="報道" name="読売新聞2002-12-27">『読売新聞』2002年12月27日東京朝刊京葉版24面「『取材ノートから』(9)馬渕家の時計、止まったまま(連載)=千葉」</ref>、そのまま残っているなど、捜査本部は犯行動機を「物取り」か、「怨恨」か、絞り込めない状態が続き、明確な犯人像は浮上せず、事件から1カ月を控えた9月4日時点でも、捜査は難航していた<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-04"/>。また、付近の新聞販売店員が「事件前後の午後3時前・4時前の2度にわたって、馬渕邸から数十m離れた路上で、紺色のキャップを被り、黄色いTシャツを着た、[[東南アジア]]系の男を見た。いずれも、男は慌てた様子もなく、普通に歩いていた」と証言していたが、捜査本部は「事件との関連性は薄い」との見方だった<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-04"/>。一方で9月4日、捜査本部の捜査の結果、現場に残されていた燃料缶は、[[ガソリン]]・[[エンジンオイル]]の混合燃料が入った、2リットルの燃料缶だったことが判明した<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-04">『読売新聞』2002年9月4日東京夕刊第一社会面19面「『マブチ』社長宅事件1か月 物取り?えん恨? 特異な手口、絞れぬ犯人像」</ref>。燃料缶は、馬渕邸にあったものではなく、表面の残った文字などを鑑定した結果<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-04"/>、[[大阪市]]のメーカーが<ref group="報道" name="読売新聞2003-08-02"/>、2000年暮れ頃に商品化し、主に芝刈り機・草刈りにの燃料用として、3月から9月の期間限定で、年間5万本から6万本ほど製造・販売していたもので<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-04"/>、事件のあった2002年8月までに、全国で約86,000本が流通していた<ref group="報道" name="読売新聞2003-08-02"/>。購入者は主に、造園業者・農業関係者らで、一般的な知名度はそれほど高くないという<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-04"/>。遺体の周辺からも、前述のようにガソリン・オイルの成分が検出されたことから、捜査本部は、犯人がこの燃料缶を持参し、中身を撒いて火を点けたとみて、重要な遺留品として、販売ルートの解明を進めたが、製造番号は焼け落ちていたため、扱った店までは特定できなかった<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-04"/>。また現場からは、犯行に使われたとみられる、粘着テープの真の燃えカスも発見されたが、これは大量に出回っている物であり、特定は困難を極めた<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-04"/>。一方、地元では、「犯人は外国人ではないか」という噂が立ったことから、「事件後にいなくなったりした、怪しい従業員はいないのに」(経営者)、客足が遠のき、売り上げが悪化した、外国系飲食店もあるなど、[[風評被害]]が見られた<ref group="報道" name="読売新聞2002-09-05">『読売新聞』2002年9月5日東京朝刊京葉版34面「『マブチ』社長宅事件1か月 癒えぬ遺族の悲しみ=千葉」</ref>。

事件から2カ月が経過した10月5日時点でも、松戸東署捜査本部は100人体制を維持し、現場周辺の聞き込み・不審者の目撃情報などを手掛かりに、捜査を進めたが、犯人に結び付く有力な情報は得られず、捜査は難航した<ref group="報道" name="読売新聞2002-10-06">『読売新聞』2002年10月6日東京朝刊京葉版32面「マブチモーター社長宅2人殺害事件 2か月… 有力情報なく=千葉」</ref>。前述のように、燃料缶の購入者割出が、事件解決の手掛かりになると見た捜査本部は、松戸市内のホームセンターを中心に、防犯カメラの映像を回収し、解析を進めた<ref group="報道" name="読売新聞2002-10-06"/>。また、事件後に寄せられた、様々な不審者の目撃情報は、未確認のものもあったが、その大半は、事件とは無関係だったことも判明していた<ref group="報道" name="読売新聞2002-10-06"/>。

[[2003年]](平成15年)2月13日、マブチモーターの取締役会が開かれた<ref group="報道" name="読売新聞2003-02-14">『読売新聞』2003年2月14日東京朝刊C経済面13面「マブチモーター社長に亀井慎二氏 馬渕氏は会長に」</ref>。社長を亀井慎二(当時専務)に交代し、馬渕は社長から、代表取締役会長に退く人事が内定し、3月28日の株主総会後に開かれた取締役会で正式決定した<ref group="報道" name="読売新聞2003-02-14"/>。マブチモーター広報宣伝室はこの人事について「交代は世代交代を図るもので、事件とは関係ない」とした<ref group="報道" name="読売新聞2003-02-14"/>。

2003年2月20日、馬渕が報道各社に対し、事件後初めて、文書で心境を寄せた<ref group="報道" name="読売新聞2003-02-21">『読売新聞』2003年2月21日東京朝刊第二社会面38面「千葉・松戸の放火殺人事件 マブチモーター社長が心境」<br>『読売新聞』2003年2月21日東京朝刊京葉版32面「マブチ社長宅の放火殺人 『言いようのない寂しさと孤独感』 文章で心境=千葉」</ref>。その中で馬渕は「心のよりどころと、家庭のぬくもりや潤いを一度に失った、心のホームレス状態が続いている」「妻と娘は太陽と花のような存在だった」などと綴った上で、犯人について「犯人と対面したら、今はまだ犯行目的が不明なので、まずそれを知りたい。いずれにせよ、恨んではいない」「同種の犯罪を増やさないためにも、1日も早い解決を望んでいる」とした<ref group="報道" name="読売新聞2003-02-21"/>。

捜査本部は2003年3月14日、現場から盗まれた高級腕時計・[[指輪]](総額約1300万円相当)と、同型の商品を掲載したポスターを作成し、計3万5000枚を、全国の駅前・交番などに配布し、一般からの情報提供を呼び掛けた<ref group="報道" name="読売新聞2002-03-15">『読売新聞』2003年3月15日東京朝刊京葉版32面「『マブチ』社長宅放火殺人 盗難品をポスターで公開=千葉」</ref><ref group="報道" name="朝日新聞2005-11-12-千葉"/>。また同日、これらの被害品9点を国際手配した<ref group="報道" name="朝日新聞2005-11-12-千葉"/>。

事件から約1年となる2003年8月1日、捜査本部は、唯一の遺留品として、犯人が使用したとみられる燃料缶について、情報を公表し、改めて情報提供を呼び掛けた<ref group="報道" name="読売新聞2003-08-02">『読売新聞』2003年8月2日東京朝刊第一社会面35面「『マブチ』社長宅放火殺人から1年 唯一の遺留品、燃料缶を公表/千葉県警」「〈解〉『マブチモーター』社長宅放火殺人事件」<br>『読売新聞』2003年8月2日東京朝刊京葉版28面「『マブチ』放火殺人 犯人像、動機絞れず 県警、情報呼び掛け=千葉」</ref>。それまでの捜査では、犯人は車庫内の勝手口から侵入し、1階居間でA子を、2階寝室でB子を、それぞれ絞殺し、金品を奪った後、持ち込んだ混合燃料をまいて放火し、侵入した勝手口から逃走した、と捜査本部は推測した<ref group="報道" name="読売新聞2003-08-02"/>。また、この時点までに千葉県警は、延べ約19,000人の捜査員を投入し、親族135人をはじめ、交友関係社・出入り業者など、計1335人の事情聴取を行い、周辺住民や通行人ら、計2441人からも事情聴取した<ref group="報道" name="読売新聞2003-08-02"/>。燃料缶は、製造番号などが焼けているため、購入先は特定できず、捜査本部は、千葉県内で扱っていた72店と、近県の店も含め、防犯カメラの映像を可能な限り分析したが、この時点までに有力な情報は得られていなかった<ref group="報道" name="読売新聞2003-08-02"/>。被害総額約1300万円相当の、外国製の腕時計5点・指輪4点が盗まれていたことから、捜査本部は、金品目的の犯行との見方を強めていたが、160万円近い現金・より高価な多数の貴金属類が、現場に残っており、物色の跡があったのも、2部屋だけだった<ref group="報道" name="読売新聞2003-08-02"/>。金庫をこじ開けようとした痕跡も見られなかったことから、「他の金ものものに手を点けなかった理由がわからない。殺害後に放火していることから、執拗な犯行と見て取れる」として、恨みによる犯行の線も捨てていなかったが、馬渕一家の家庭・周辺で、事件につながるようなトラブルは見当たらなかった<ref group="報道" name="読売新聞2003-08-02"/>。その上、有力な不審者の目撃情報もなく、火災による焼失・消火活動のために消防士らが侵入したことから、現場が荒れ果て、指紋・足跡などの物証もほぼ皆無だった<ref group="報道" name="読売新聞2003-08-02"/>。馬渕は同日、文書で「大勢の皆様の励ましと、時間という薬のおかげで、徐々に寂しさは薄らいでおります。事件の多発で捜査体制が手薄になり、検挙率の低下につながる悪循環を懸念しています」とコメントした<ref group="報道" name="読売新聞2003-08-02"/>。

[[2004年]](平成16年)1月、犯人逮捕につながる情報提供者に対し、謝礼金1000万円を贈る計画が、被害者遺族・親族の間で発案された<ref group="報道" name="読売新聞2004-08-04"/>。しかし、この時点では「辛いことを思い出させてしまうと考え、(馬淵さんに)進言できなかった」が、同年7月の3回忌法要の際、A子の義弟である同社相談役が、マブチに計画を打ち明けると、馬渕は「ポスターを見ると、事件を思い出すことになって辛いが、今踏み切らないと後悔する」と、計画を了承した<ref group="報道" name="読売新聞2004-08-04"/>。このことから、事件から2年を控えた同年8月3日、同社相談役らが松戸市内で会見し、犯人逮捕に結びつく情報提供者に対し、謝礼金1000万円を支払う計画を明らかにした<ref group="報道" name="読売新聞2004-08-04"/><ref group="報道" name="朝日新聞2005-11-12-千葉"/>。事件から丸2年となる8月5日、親族・会社関係者の計7人が、「事件の捜査に協力する会」を発足させた<ref group="報道" name="読売新聞2004-08-04"/>。同会は、ポスター約40万枚を印刷し、全国の[[警察署]]に張り出すほか、新聞への折り込みチラシなどで配布した<ref group="報道" name="読売新聞2004-08-04"/>。謝礼金は、翌2005年8月4日までの1年間に、有力情報を提供した人に対し、同会が支払うこととなった<ref group="報道" name="読売新聞2004-08-04"/>。千葉県警は、事件から2年となる同年8月までに、延べ約26500人の捜査員を投入し、被害者の関係者など、計4825人から事情聴取した<ref group="報道" name="読売新聞2004-08-04">『読売新聞』2004年8月4日東京朝刊第一社会面35面「情報提供に謝礼金1000万円 マブチモーター社長宅放火殺人で親族らが計画」<br>『読売新聞』2004年8月4日東京朝刊京葉版30面「マブチモーター社長宅放火殺人から2年 有力情報に謝礼1000万円=千葉」</ref>。しかし、犯人逮捕につながる有力情報は得られず、発生から1年間(2003年8月まで)に約90件あった一般市民からの情報も、事件の記憶の風化からか、ここ1年では約10件に減少していた<ref group="報道" name="読売新聞2004-08-04"/>。

[[2005年]](平成17年)8月5日、事件発生から丸3年を迎えた<ref group="報道" name="読売新聞2005-08-05">『読売新聞』2005年8月5日東京朝刊京葉版29面「マブチモーター社長宅放火殺人から3年 捜査員3万6600人…進展なし=千葉」</ref>。後述のように、小田島ら2人を名指しした具体的な証言が、既に捜査本部に寄せられていたが、まだこの時点では裏付けが取れていなかったため、『読売新聞』2005年8月5日東京朝刊京葉版記事では、「市民からはこの3年間で、約140件の情報が提供され、中には犯人を名指しする情報もあった。このことから、千葉県警は慎重に捜査を進めているが、捜査に大きな進展はない」と報じられた<ref group="報道" name="読売新聞2005-08-05"/>。前述の、有力情報提供者に対する、被害者の関係者らからの、1000万円の謝礼金支払いは、当初は1年間の期限付きの予定だったが、被害者遺族らの「有力情報を得るまで延長したい」という意向から、無期限延長となっていた<ref group="報道" name="読売新聞2005-08-05"/>。

=== 急展開 ===
小田島・M両名は、[[逃亡]]中の[[2004年]](平成16年)3月頃から、翌[[2005年]](平成17年)にかけて、[[群馬県]][[前橋市]]・[[高崎市]]、[[栃木県]]・[[茨城県]]・[[埼玉県]]などで、新聞のお悔やみ記事を見て、通夜・葬式で留守の、会社役員や医師などの家を調べた<ref group="報道" name="読売新聞2005-01-21"/>。その上で、それらの家々を狙い、数百件の[[空き巣]]を繰り返し、合計約数千万円を盗んだ<ref group="報道" name="読売新聞2005-01-21"/>。相次ぐ被害を受け、[[群馬県警察]]組織犯罪対策一課の捜査員らが、通夜の家を重点的に警備していた<ref group="報道" name="読売新聞2005-01-21"/>。小田島・M両名は、2004年12月23日にフィリピンに出国し、翌2005年1月6日に帰国するまでの間、同国に滞在していた<ref group="報道" name="朝日新聞2005-11-12-千葉"/>。

2005年1月20日、小田島(当時61歳)・M(当時54歳)両名は、死亡した夫の通夜会場に出掛け、留守となっていた、前橋市内の無職高齢女性宅に、鍵のかかっていない出入り口から侵入し、現金7300万円を盗んだ<ref group="報道" name="読売新聞2005-01-21"/>。2人は同日、群馬県警組織犯罪対策一課・[[前橋警察署]]に、窃盗容疑で[[現行犯]][[逮捕 (日本法)|逮捕]]された<ref group="報道" name="読売新聞2005-01-21">『読売新聞』2005年1月21日東京朝刊群馬西版26面「お悔やみ記事見て盗み 留守狙い数百件、2容疑者を逮捕=群馬」</ref>。取り調べに対し、2人は「盗んだ金はパチンコ・生活費に使った」と供述した<ref group="報道" name="読売新聞2005-01-21"/>。この事件では、小田島が侵入する家屋・逃走経路などを決め、自ら盗みに入り、Mは運転手として、小田島を送迎する役割を実行していた<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/>。

その後、小田島は窃盗などの罪で、[[前橋地方検察庁]]から、[[前橋地方裁判所]]に[[起訴]]された<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/><ref group="報道" name="読売新聞2005-06-28"/>。運転手役だったMは、窃盗ほう助罪に問われ、[[前橋簡易裁判所]]に起訴された<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/><ref group="報道" name="読売新聞2005-06-30"/>。小田島は、窃盗事件の公判における被告人質問で「同様の手口の窃盗は、2004年2月頃から始め、逮捕されるまでに50件から60件ほど繰り返した」などと供述した<ref group="報道" name="読売新聞2005-06-28"/>。

その一方で、2004年11月、小田島・M両名と同じ、宮城刑務所にいたという男性が<ref group="報道" name="朝日新聞2005-10-22"/>、2人を名指しした上で、事件について「同じような計画を離していた人間を知っている。情報を買ってくれないか」と、マブチモーター本社に対し、電話で連絡した<ref group="報道" name="朝日新聞2005-10-22"/><ref group="報道" name="朝日新聞2005-11-12-千葉"/>。その1か月の12月<ref group="報道" name="読売新聞2005-09-24"/>、2人の知人を名乗る関西在住の男性から<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/>、松戸東署捜査本部に対し、「小田島・Mの2人が事件に詳しい」という、2人を名指しした内容の情報が寄せられた<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/><ref group="報道" name="読売新聞2005-09-24"/><ref group="報道" name="読売新聞2005-10-01"/><ref group="報道" name="中日新聞2005-04-30"/><ref group="報道" name="東京新聞2005-04-30"/>。その情報提供者は「小田島から、馬渕邸の強盗に加わるように誘われたが、断った。その後、小田島らから『(本事件は)俺たちがやった。一家を皆殺しにした』などと聞かされた」などと証言した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-01"/><ref group="報道" name="中日新聞2005-04-30"/><ref group="報道" name="東京新聞2005-04-30"/>。それまでの捜査は、犯行動機についても「金目当て」「怨恨」の間で揺れ、犯人像さえ絞り込めず、難航していたが、この男性が挙げた、小田島らの名前・住所は正確で、「小田島が『家族に見つかったら、殺して火を点けてでも逃げる』と話していた」という証言は、実際の犯行とかなり共通していた<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/>。また、本事件で殺害された被害者は、目・口を粘着テープで覆われていたが、「犯人」として挙げられた小田島は、過去に粘着テープを使った強盗・監禁事件([[練馬三億円事件]])を起こしていたことから、前件と手口に類似性が見られた<ref group="報道" name="中日新聞2005-04-30"/><ref group="報道" name="東京新聞2005-04-30"/>。『中日新聞』報道では、男性の証言がが具体的で、小田島の前科とも類似性が見られることから、捜査本部は裏付け捜査を進めた上で、2人の窃盗事件の捜査に目途が付き次第、本格的な捜査に着手する方針、と報じられた<ref group="報道" name="中日新聞2005-04-30"/><ref group="報道" name="東京新聞2005-04-30"/>。同年4月30日、いずれも[[中日新聞社]]発行の、『[[中日新聞]]』2005年4月30日夕刊<ref group="報道" name="中日新聞2005-04-30">『中日新聞』2005年4月30日夕刊第一社会面11面「マブチ社長宅殺人放火事件 公判中の男2人浮上 千葉県警 知人男性から証言」</ref>・『[[東京新聞]]』同日朝刊で<ref group="報道" name="東京新聞2005-04-30">『東京新聞』2005年4月30日朝刊第一社会面27面「マブチ事件 公判中の男2人浮上 『やったと聞いた』男性証言」</ref>、小田島らが本事件に関与した疑いが取り沙汰された<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/>。

この頃から、報道陣が前橋地裁・簡裁で進行中の、2人の公判に詰め掛けていたが、2人は終始伏し目がちで、傍聴席にはほとんど目を向けず、淡々と公判に臨んでいた<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/>。2人は起訴後、群馬県内の別々の場所に拘置されていたが、本事件への関与が取り沙汰された直後、小田島に弁護人が持ってきた新聞に「小田島ら2人が、本事件に関与した疑いが強まったとして、千葉県警が近く身柄を移し、事情を聴く」という内容の記事が掲載されていた<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-23"/>。これを読んだ小田島は同年5月、M宛に「出所したら、また一緒に(盗みを)やろう」「千葉に行くかもしれないが、大丈夫」「俺は体も悪く、1人で生活するのも大変だから、[[養子縁組]]をしてほしい」などと書いた手紙を送っていた<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-23"/>。千葉県警松戸東署捜査本部は、前述の情報提供を受け、小田島・M両名の周辺を捜査した結果、他人名義のパスポートを使った出国が確認された<ref group="報道" name="朝日新聞2005-09-29"/>。このため、その出国と、事件との関係を調べるため<ref group="報道" name="朝日新聞2005-09-29"/>、同年6月頃<ref group="報道" name="朝日新聞2005-11-12-千葉"/>、滞在先のフィリピンに、捜査員を派遣した<ref group="報道" name="朝日新聞2005-09-29"/>。その結果、小田島らの知人だという現地女性らから、現地での2人の行動などについて、事情を聴くことに成功した<ref group="報道" name="朝日新聞2005-09-29"/>。

同年6月27日、小田島に対する論告求刑公判が開かれ、検察側は懲役6年を求刑した<ref group="報道" name="読売新聞2005-06-28">『読売新聞』2005年6月28日東京朝刊群馬西版35面「訃報侵入盗に懲役6年求刑=群馬」</ref>。検察側は、[[論告]]で「小田島は、2004年9月から、2005年1月にかけ、前橋市・高崎市などで、計4件の民家に侵入し、現金約3万9000円などを盗んだ」と指弾した<ref group="報道" name="読売新聞2005-06-28"/>。

前橋簡裁([[中野哲美]]裁判官)は、2005年6月30日、窃盗ほう助の罪に問われたMに対し、懲役2年8か月の実刑判決を言い渡した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/><ref group="報道" name="読売新聞2005-06-30">『読売新聞』2005年6月30日東京朝刊群馬西版35面「『お悔やみ欄』参考に盗み 運転手役に実刑判決 『計画性高く悪質』簡裁=群馬」</ref>。判決によれば、Mは2004年9月頃から2005年1月にかけ、小田島が前橋市など、群馬県内4件の住宅で盗みをした際、小田島を乗せた車の運転手役を務めた<ref group="報道" name="読売新聞2005-06-30"/>。これを踏まえて前橋簡裁は「極めて計画性の高い悪質な犯行」と指弾した<ref group="報道" name="読売新聞2005-06-30"/>。Mはその後、[[東京高等裁判所]]に[[控訴]]せず、この実刑判決が確定した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-01"/>。

小田島の判決公判は7月13日、前橋地裁([[久我泰博]]裁判官)で開かれた<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/><ref group="報道" name="読売新聞2005-07-14"/>。前橋地裁は「犯行は常習性の表れ」などとして、小田島に懲役4年(求刑・懲役6年)の判決を言い渡した<ref group="報道" name="読売新聞2005-07-14">『読売新聞』2005年7月14日東京朝刊群馬西版35面「お悔やみ欄窃盗 懲役4年判決 前橋地裁=群馬」</ref>。小田島はその後、判決を不服として、東京高裁に控訴した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/><ref group="報道" name="読売新聞2005-10-01"/>。

=== 事件解決 ===
前述の小田島らを名指しした情報の提供を受け、松戸東署捜査本部が裏付け捜査を開始したところ<ref group="報道" name="中日新聞2005-04-30"/><ref group="報道" name="東京新聞2005-04-30"/>、9月23日までの捜査で、事件2日前の8月3日と、事件当日の5日、2人に関係する車が、現場付近の松戸市内の国道を走行していたことが確認された<ref group="報道" name="読売新聞2005-09-24"/>。これを受け、2人が何らかの事情を知っているとの見方を強めた捜査本部は同日、同月中にも2人に対し、事情聴取する方針を固めた<ref group="報道" name="読売新聞2005-09-24">『読売新聞』2005年9月24日東京朝刊第一社会面31面「マブチモーター社長宅・妻娘殺害事件 群馬の男2人聴取へ/千葉県警」</ref>。この時点で、控訴中の小田島は62歳、実刑判決が確定したMは54歳だった<ref group="報道" name="読売新聞2005-09-24"/>。事件後、2人はフィリピンに渡航していたことも判明し、このうち小田島は、他人名義でパスポートを取得した疑いも浮上したため、捜査本部は、渡航目的に関心を寄せつつ<ref group="報道" name="読売新聞2005-09-24"/>、パスポートの不正入手の経緯・目的を調べるとともに、現地に捜査員を派遣した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-01"/>。その結果、小田島がマニラ市内の知人女性に、高級腕時計などの貴金属類を贈っていたことが判明したが、その際に不正入手したパスポートを使用し、渡航したとみられることが判明した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-01"/>。また、小田島は、本事件で馬渕邸から奪ったとみられるダイヤモンドを、東京都内の宝石商に売却した疑いも浮上した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-01"/>。なお、前述の一連の窃盗事件について、『[[読売新聞]]』東京朝刊群馬西版記事では、小田島・M両名を、ともに[[実名報道]]していたが<ref group="報道" name="読売新聞2005-01-21"/><ref group="報道" name="読売新聞2005-06-28"/><ref group="報道" name="読売新聞2005-06-30"/><ref group="報道" name="読売新聞2005-07-14"/>、その後、本事件の捜査に入った段階では、全国版でも本事件について言及した一方、小田島を「62歳の男」、Mを「54歳の男」と、それぞれ匿名報道に切り替えた<ref group="報道" name="読売新聞2005-09-24"/><ref group="報道" name="読売新聞2005-10-21"/>。

その後、松戸東署捜査本部は9月30日、小田島ら2人を、旅券法違反容疑などの別件で逮捕した<ref group="報道" name="朝日新聞2005-09-29">『朝日新聞』2005年9月29日夕刊第一社会面19面「千葉県警、男2人を逮捕へ 旅券不正取得容疑 『マブチ』関与の疑い」</ref><ref group="報道" name="読売新聞2005-10-01">『読売新聞』2005年9月29日東京朝刊第一社会面39面「マブチモーター社長宅妻娘殺害 容疑の2人、あすにも別件で逮捕へ/千葉県警」<br>『読売新聞』2005年9月30日東京夕刊第一社会面19面「マブチ事件 旅券法違反容疑で男2人に逮捕状/千葉・松戸東署」<br>『読売新聞』2005年10月1日東京朝刊第一社会面39面「『マブチ』に関与?2人逮捕 事件後に被害者の宝石売却/千葉・松戸東署」<br>『読売新聞』2005年10月1日東京朝刊京葉版33面「動き出すマブチ事件 関係?2人逮捕 捜査本部、慎重に調べ=千葉」</ref>。捜査本部は、小田島が東京都内で売却した宝石、女性に贈った貴金属類との特定を急ぐとともに、これらの入手経緯についても調べつつ、強盗殺人容疑も視野に入れ、2人を追及した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-01"/>。捜査本部は10月2日、小田島・M両名を、旅券法違反などの容疑で、[[千葉地方検察庁]]に送検した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-03">『読売新聞』2005年10月3日東京朝刊京葉版33面「マブチ事件に関連? 旅券法違反容疑で逮捕の男2人を送検=千葉」</ref>。

10月5日までに、松戸東署捜査本部の任意の取り調べに対し、Mが「(事件当日に)小田島と2人で社長宅に行った」と認め、妻娘殺害への関与を認める供述をした<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-06">『読売新聞』2005年10月6日東京朝刊第二社会面38面「『マブチ社長宅に行った』逮捕の54歳、妻娘殺害の関与認める」</ref>。これを受けて捜査本部は、慎重に裏付けを進めた上で、容疑が固まり次第、2人を強盗殺人容疑で再逮捕する方針を固めた<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-06"/>。その後、10月20日までの任意の取り調べに対し、10月17日に55歳の誕生日を迎えたMは「強盗に入ったが、母親(A子)と娘(B子)に見られたので、2人を殺した。証拠隠滅のために火を点けた」などと、容疑を認める供述をした<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-21">『読売新聞』2005年10月21日東京朝刊第一社会面35面「マブチ社長宅・強盗殺人容疑 2人きょう再逮捕/千葉・松戸東署」</ref>。一方、小田島は「関係ないのでわからない」などと、一貫して関与を否定した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-21"/>。

これを受け、松戸東署捜査本部は10月21日、同日に旅券法違反罪などで、千葉地方裁判所に起訴された、小田島・M両名を、強盗殺人・現住建造物等放火の容疑で再逮捕した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22">『[[読売新聞]]』2005年10月22日東京朝刊1面「マブチ事件 強殺、放火容疑で2人再逮捕 『資産化狙った』/千葉・松戸東署」<br>『読売新聞』2005年10月22日東京朝刊第一社会面39面「『殺してでも逃げる』マブチ事件・小田島容疑者、犯行に知人誘う」<br>『読売新聞』2005年10月22日東京朝刊京葉版33面「マブチ事件容疑者逮捕 『執念の勝利』 県警、遺族ら活動実る=千葉」<br>『読売新聞』2005年10月22日東京朝刊群馬西版33面「『マブチ』強殺の2容疑者、県内で“お通夜盗”お悔やみ欄参考に=群馬」</ref><ref group="報道" name="朝日新聞2005-10-22">『朝日新聞』2005年10月22日朝刊第一社会面39面「マブチ事件、企業情報誌で狙い絞る 2容疑者、服役中に計画」</ref><ref group="その他" name="小田島鐵男年表">{{Cite web |url=http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/cat34207487/ |title=小田島鐵男年表:死刑囚獄中ブログ |publisher=[[斎藤充功]] |date=2009-02-13 |accessdate=2017-09-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170918133852/http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/cat34207487/ |archivedate=2017年9月18日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>。逮捕容疑では、2人は2002年8月5日、午後1時半から3時半にかけ、馬渕邸に押し入り、1階居間にいたA子をひも状のもので、2階寝室でB子をネクタイで、それぞれ首を絞めて殺害した上、腕時計・指輪など、計10点966万円相当を奪い、持ち込んだ混合燃料を、2人の遺体周辺に撒いて火を点け、馬渕邸を半焼させた疑いである<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/>。取り調べに対し、Mは「金目当てで、小田島と2人で押し入った。(犯行前)刑務所にいたときから、関東近県の資産家宅を狙おうと考えていた」と供述し、容疑を認めた<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/>。その一方、小田島は「事件には関係ない」と供述し、容疑を否認した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-22"/>。本事件での逮捕を受け、『読売新聞』では、それまで匿名で報道していた小田島・M両名を<ref group="注釈">前述のように、本事件への関与が発覚する以前に、群馬西版が報じた窃盗事件報道では、小田島らを実名報道していたため、群馬西版では「再度の実名報道」となる。</ref>、ともに実名報道に切り替えた。

前述のように、小田島らの逮捕につながる情報を提供した男性は、県警の事情聴取を受けた後、『[[朝日新聞]]』の取材にも応じた<ref group="報道" name="朝日新聞2005-10-22"/>。それによれば、小田島・M両名は、別の男性受刑者1人を加えた、計3人で、企業の鉱石・役員の名前などを記した情報誌を読みつつ、「資産家宅に押し入って、金を奪おう」などと話し合っていた<ref group="報道" name="朝日新聞2005-10-22"/>。その上で、小田島は「[[練馬三億円事件]]の際、証拠を残したので犯行がばれた。今度捕まったら刑務所で死ぬしかない」などと、Mらに対し話しつつ、証拠を隠すため、「放火」・「殺人」などにも言及していた<ref group="報道" name="朝日新聞2005-10-22"/>。また、別の関係者によれば、小田島はマブチ事件について、容疑を否認したが、10月21日の逮捕直前になって、練馬三億円事件について言及し、事前に押し込み先の候補として、関東近郊の複数の企業経営者を多数リストアップしていたことなどを話し始めた<ref group="報道" name="朝日新聞2005-10-22"/>。そのターゲットとして検討していた候補は、東京都内の建設会社、群馬県内のパチンコ機器メーカー、[[横浜市]]内のゲームソフト制作会社など、多岐にわたっており、マブチモーター社は、その候補の1つだったという<ref group="報道" name="朝日新聞2005-10-22"/>。

松戸東署捜査本部は22日、逮捕容疑の強盗殺人容疑などで、Mを千葉地方検察庁に送検した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-23">『読売新聞』2005年10月23日東京朝刊京葉版37面「マブチ事件 『小田島容疑者に従った』 M容疑者が供述=千葉」<br>『読売新聞』2005年10月23日東京朝刊第一社会面39面「マブチ事件 拘置中に手紙送る 口止めか 小田島容疑者がM容疑者に」</ref>。Mは取り調べに対し、容疑を認めた上で「死刑になってもいい」などと述べ、反省している様子を見せた<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-23"/>。取り調べに対しても素直に応じ、「小田島に従って犯行に及んだ」という趣旨の供述をした<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-23"/>。捜査本部は、Mの供述の裏付けを慎重に進めた<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-23"/>。一方、小田島は「私は関係ない」と、依然として容疑を否認していた<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-23"/>。また同日、前述のように小田島が、拘置中の同年5月、Mに対し手紙を送っていたことが判明した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-23"/>。捜査本部は、前述の「千葉に行くかもしれないが、大丈夫」という記述について、小田島がMに対し「千葉県警に呼ばれても、自分は何も供述しないから大丈夫だ」という意図を伝え、お互い本事件について供述しないようにと求めたものとみた<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-23"/>。また、養子縁組を求める記述については、Mに対し、仲間意識を強めるよう求める内容とみた<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-23"/>。また、2人が事件前、同じ宮城刑務所に服役していた頃から、企業経営者の資産ランキングなどを掲載した雑誌を参考に、東京近郊での強盗計画を練っていたことも判明した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-23"/>。過去、[[練馬三億円事件]]で服役していた小田島は、複数の同房の受刑者に対し「(以前捕まったのは)被害者を生かしておいたのが失敗だった」と漏らしていたという<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-23"/>。

23日までの取り調べで、Mは「宅配業者を装って押し入り、長女B子をいきなり羽交い絞めにし、粘着テープで目・口をふさいだ。自分は妻A子を見張りつつ、小田島がB子に金品のありかを聞きながら、1・2階で室内を物色した」と供述した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-24">『読売新聞』2005年10月24日東京朝刊第一社会面35面「『宅配』装い押し入る マブチ事件、M容疑者供述 長女脅し金品物色」</ref>。M・小田島両名はそれぞれ、妻A子の見張り役、金品の物色役に分かれ、貴金属類を強奪したといい、捜査本部は裏付けを進めた<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-24"/>。2人は、腕時計・指輪など計10点966万円相当を奪ったが、馬渕邸には事件後も、多数の宝石類や現金・金の延べ棒などが残され、2階にあった金庫も無事だった。事件関係者によれば、小田島に脅されて金品のありかを教えたB子は、金庫の開け方・金品の保管場所について、あまり詳しくなかったという<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-24"/>。このことから捜査本部は、小田島らはこれらの金品を発見できないまま、2人を殺害し、馬渕邸に放火・逃走したものとみて捜査した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-24"/>。

事件の半月後、小田島・M両名は、不正取得したパスポートを用い、フィリピンに渡航していたことが24日、捜査本部の調べで判明した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-25">『読売新聞』2005年10月25日東京朝刊第二社会面34面「マブチ事件 2容疑者、事件半月後に不正旅券で渡比 強奪品売却か」</ref>。2人は8月20日から11日間、フィリピンに滞在し、1月に群馬県警に逮捕されるまで、小田島は10回以上、Mも5回前後、フィリピンに渡航した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-25"/>。

28日、松戸東署捜査本部の取り調べに対し、Mは「放火に使うため、燃料を事前に群馬県内のホームセンターで購入した」と供述した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-29">『読売新聞』2005年10月29日東京京葉版29面「マブチ事件 『燃料、事前に群馬で購入』 M容疑者が供述=千葉」</ref>。それまでの現場検証で、控除の遺体が発見された2階寝室で、ガソリンとオイルの混合燃料が発見された<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-29"/>。燃料は、主に草刈り機に使われるもので、小田島ら2人は、当初から証拠隠滅のため、馬渕邸を放火する計画の上で、犯行に及んだとみられる<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-29"/>。馬渕邸を標的に選び、押し入った理由について、Mは「雑誌で関東近辺の資産家を数十か所選んだ」と供述していたことから、捜査本部は、2人が複数個所を下見した上で、犯行場所を選んだとみて、詳しい経緯を追及している<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-29"/>。また、他人名義のパスポートを不正取得した旅券法違反容疑で逮捕された事件について、Mは「犯行後、海外に高飛びするつもりだった」と供述した<ref group="報道" name="読売新聞2005-10-29"/>。

[[千葉地方検察庁]]は、事件発生から3年3カ月となった11月11日、小田島・M両名を、強盗殺人・現住建造物等放火・住居侵入の3つの罪で、[[千葉地方裁判所]]に[[起訴]]した<ref group="報道" name="読売新聞2005-11-12">『読売新聞』2005年11月11日東京朝刊第一社会面39面「マブチ事件 2容疑者きょう起訴/千葉地検」<br>『読売新聞』2005年11月12日東京朝刊第二社会面34面「マブチ事件 主犯否認のまま起訴 強盗殺人罪など/千葉地検」<br>『読売新聞』2005年11月12日東京朝刊京葉版31面「マブチ事件起訴 『この日』感慨深く 遺族や捜査関係者=千葉」</ref><ref group="報道" name="朝日新聞2005-11-12-千葉">『朝日新聞』2005年11月12日朝刊千葉県第一地方版33面「『天国の2人喜ぶ』馬渕会長、真相求め3年 マブチ事件起訴 /千葉県」</ref>。小田島は、一貫して犯行を否認し続けていたが、犯行の経緯をMが詳細に供述し、その上で「別事件で服役中だった小田島から、犯行に誘われ、指示に従った」と供述したことから、捜査本部などは、小田島が主犯との見方を強めた<ref group="報道" name="読売新聞2005-11-12"/>。このことから千葉地検は、こうした供述を裏付ける、様々な状況証拠を積み重ね、公判での犯罪立証は可能として、起訴に踏み切った<ref group="報道" name="読売新聞2005-11-12"/>。また、それまでの取り調べで、2人は当初から、居合わせた家人を殺害し、金や貴金属などを奪う計画だったことが判明していた<ref group="報道" name="読売新聞2005-11-12"/>。

同年12月1日までに、Mは「小田島と共謀し、東京都・千葉県で、計2人を殺害した」と、目黒区・我孫子市の2事件について供述し、その上申書を提出した<ref group="報道" name="読売新聞2005-12-01-朝刊">『読売新聞』2005年12月2日東京朝刊第一社会面39面「マブチ事件 『千葉、東京で2人殺した』 M被告が上申書」</ref>。そのうち我孫子市の事件では、箪笥が開けられ、衣類が散乱するなど、執拗に物色した形跡があった<ref group="報道" name="読売新聞2005-12-01-朝刊"/>。室内で採取された、犯人のものとみられる掌紋は不鮮明だったが、Mの供述を受け、千葉県警が詳細に調べたところ、Mと一致した<ref group="報道" name="読売新聞2005-12-01-朝刊"/>。小田島も関係者に対し、2件への関与をほのめかしていたことから、千葉県警は翌週にも、2人を強盗殺人容疑で再逮捕する方針を固めた<ref group="報道" name="読売新聞2005-12-01-朝刊"/>。12月2日までの、千葉県警の取り調べに対し、Mは目黒区の事件について、「被害者Cと揉みあいになったため、小田島がナイフでCを刺し、自分が電気コードで手足を縛った」と供述した<ref group="報道" name="読売新聞2005-12-01-夕刊">『読売新聞』2005年12月2日東京夕刊第一社会面19面「マブチ事件のM被告 『小田島被告が刺した』 歯科医師殺害で供述/千葉県警」</ref>。Cの血液型はA型だったが、現場からはA型とは別に、小田島の血液型と同じ、B型の血液も採取されていたため、千葉県警はMの供述を裏付ける物証とみて、警視庁にも情報を伝えた<ref group="報道" name="読売新聞2005-12-01-夕刊"/>。マブチ事件・我孫子市の事件では、被害者3人をいずれも絞殺したのに対し、目黒区の事件のみ、被害者を刺殺したことについては、Mは「ナイフは本来、脅迫用に持っていた物で、刺すつもりはなかったが、激しく抵抗されたため、小田島がナイフでCを刺し、自分と2人がかりで殺害した」と供述した<ref group="報道" name="読売新聞2005-12-01-夕刊"/>。その上で、Mは目黒区・我孫子市の両事件について「マブチ事件でもっと多くの金が得られていれば、こんなことにならなかった」とも供述した。一方で小田島は、関係者に対し、各事件への関与を認めたものの、この時点では捜査当局の取り調べに対しては、3事件いずれも依然として応じず、供述調書の作成なども拒否していた<ref group="報道" name="読売新聞2005-12-01-夕刊"/>。

しかし小田島は12月4日、千葉県警に対し、我孫子市の事件について、「MとともにE子を殺害し、金を奪った」とする内容の、関与を認める上申書を提出した<ref group="報道" name="朝日新聞2005-12-05">『朝日新聞』2005年12月5日夕刊第一社会面19面「我孫子の強殺、『主導役』も上申書 関与、文書で認める マブチ事件の小田島被告」</ref>。事件の主犯格と目され、取り調べに対しても、マブチ事件などへの関与を大筋で認めつつも、「裁判まで待ってほしい」として、裁判の証拠にできる調書の作成を、それまで拒んでいた小田島が、始めて捜査当局に対し、事件を文書の形で認めることとなった<ref group="報道" name="朝日新聞2005-12-05"/>。

前述の我孫子市の事件への関与の疑いが強まったことを受け<ref group="報道" name="読売新聞2005-12-07">『読売新聞』2005年12月7日東京朝刊第二社会面38面「我孫子の女性殺害容疑 マブチ事件の2被告、きょうにも再逮捕/千葉県警」</ref>、千葉県警は12月7日、小田島・M両名を、同事件でE子を殺害し、指輪など計4点・約70万円相当を奪ったとして、強盗殺人容疑で再逮捕した<ref group="報道" name="読売新聞2005-12-08">『読売新聞』2005年12月8日東京朝刊第一社会面39面「私服警官装い強盗殺人 我孫子事件でマブチ2被告を再逮捕/千葉県警」</ref><ref group="報道" name="朝日新聞2005-12-08">『朝日新聞』2005年12月8日朝刊第一社会面39面「マブチ事件の2人を再逮捕 我孫子の強殺容疑」</ref><ref group="報道" name="朝日新聞2005-12-08-千葉">『朝日新聞』2005年12月8日朝刊千葉県第一地方面31面「強奪金尽き犯行 『マブチ事件』の3カ月半後 我孫子の事件で2容疑者再逮捕/千葉県」</ref>。一連の事件は、2002年8月から11月の3カ月半の間に、小田島・Mの2人により、3件の事件で計4人が殺害された、連続殺人事件である線が強まったことから、警察庁は12月7日付で、社会的反響の大きい、凶悪・特異・重要な事件として、一連の3事件を、[[警察庁広域重要指定事件|警察庁広域重要指定]]第124号事件に指定した<ref group="報道" name="朝日新聞2005-12-08"/><ref group="報道" name="朝日新聞2005-12-08-千葉"/>。この時点で小田島は、我孫子市・目黒区の両事件について、関与を認める上申書を書いたものの、マブチ事件については引き続き、文書化には応じなかった<ref group="報道" name="朝日新聞2005-12-08-千葉"/>。

千葉地検は12月28日、小田島・M両名を、我孫子市の事件に関する、強盗殺人罪などで追起訴した<ref group="報道" name="読売新聞2005-12-29">『読売新聞』2005年12月29日東京朝刊第三社会面25面「マブチ事件2被告、別の殺人罪などで追起訴/千葉地検」</ref><ref group="報道" name="朝日新聞2005-12-29">『朝日新聞』2005年12月29朝刊第一社会面27面「目黒の強殺容疑で2人を再逮捕へ マブチ事件被告」</ref>。

[[2006年]](平成18年)1月13日、目黒区の事件について捜査を進めていた、警視庁碑文谷警察署特別捜査本部は、小田島・M両名を、拘留先の松戸東警察署から、碑文谷署に移送した上で<ref group="報道" name="読売新聞2006-01-13"/>、Cを殺害し、現金35万円・指輪1個を奪ったとして<ref group="報道" name="読売新聞2006-01-14"/>、強盗殺人・住居侵入容疑で再逮捕した<ref group="報道" name="読売新聞2006-01-12">『読売新聞』2006年1月12日東京夕刊第一社会面15面「マブチ事件2被告 歯科医強殺で再逮捕へ/東京・碑文谷署」</ref><ref group="報道" name="読売新聞2006-01-13">『読売新聞』2006年1月13日東京夕刊第一社会面19面「東京・目黒の強盗殺人 『電話帳で目に付いた』 現場に『C歯科』(被害者Cが経営していた歯科の実名)切り抜き」</ref><ref group="報道" name="読売新聞2006-01-14">『読売新聞』2006年1月13日東京朝刊第一社会面35面「マブチ事件2被告を再逮捕 歯科医殺害の凶器『利根川に捨てた』/警視庁」</ref>。また、現場からは、Cが経営していた歯科医院の住所・Cの氏名などが掲載された、Cの歯科医院の広告部分の、電話帳の切り抜きが見つかっていたことが、同日判明した<ref group="報道" name="読売新聞2006-01-13"/>。取り調べに対し2人は、Cを狙った理由について「職業別電話帳で歯科医を探した。大金があると思った」<ref group="報道" name="読売新聞2006-01-12"/><ref group="報道" name="読売新聞2006-01-13"/>、「電話帳は50音順で、Cの歯科医院が真っ先に目についたため、Cを標的にした」などと供述した<ref group="報道" name="読売新聞2006-01-13"/>。このことから特捜本部は、2人が個人名電話帳から、Cの自宅住所を割り出したとみて追及した<ref group="報道" name="読売新聞2006-01-13"/>。2人が、事件の2,3日前に、歯科医院・C宅を下見した上で、事件当日、自宅付近でCが、1人で帰宅するのを待ち、犯行に及んだことを供述した<ref group="報道" name="読売新聞2006-01-14"/>。なお、Mは凶器のナイフについて、「群馬県内の[[利根川]][[河川敷]]に捨てた」と供述したため、特捜本部が捜索したが、この時点までには発見できなかった<ref group="報道" name="読売新聞2006-01-14"/>。

[[東京地方検察庁]]は同年2月3日、小田島・M両名を、強盗殺人・住居侵入の罪で、[[東京地方裁判所]]に起訴した<ref group="報道" name="読売新聞2006-02-04">『読売新聞』2006年2月4日東京朝刊第二社会面38面「『マブチ』事件2被告、歯科医強殺で起訴/東京地検」</ref>。

== 刑事裁判 ==
2005年12月27日、千葉地裁は、本事件で起訴された小田島の公判について「[[公判前整理手続]]」の適用を決定した<ref group="報道" name="読売新聞2005-12-28">『読売新聞』2005年12月28日東京朝刊京葉版25面「マブチ事件 1被告に『公判前整理手続き』適用=千葉」</ref>。千葉地検は「被告人が主張を明らかにしていないため、争点が不明で、効率的心理には手続きが不可欠だ」と判断し、千葉地裁に対し、適用を求めていた<ref group="報道" name="読売新聞2005-12-28"/>。千葉地裁での適用事案は、[[架空請求詐欺仲間割れ殺人事件]]の[[被告人]]5人の公判に続き、2例目だった<ref group="報道" name="読売新聞2005-12-28"/>。

その後千葉地裁は、2006年5月9日、千葉地検の要請を受け、小田島について、千葉地検から追起訴された我孫子市の事件と、東京地検から東京地裁に起訴されていた、目黒区の事件についても、いずれも千葉地裁で一括審理することと、それらの事件についても、公判前整理手続を適用することを決めた<ref group="報道" name="読売新聞2006-05-10">『読売新聞』2006年5月10日東京朝刊京葉面31面「マブチ事件の小田島被告、他2件も千葉地裁で審理 公判前整理手続き適用=千葉」</ref>。

=== 第一審(千葉地裁) ===
==== M ====
2006年2月23日、[[千葉地方裁判所]]([[宮本孝文]][[裁判長]])にて、被告人Mの初[[公判]]が開かれた<ref group="報道" name="読売新聞2006-02-23">『読売新聞』2006年2月23日東京夕刊第一社会面23面「『マブチ強殺』初公判 M被告、罪状認める/千葉地裁」</ref><ref group="報道" name="読売新聞2006-02-24">『読売新聞』2006年2月24日東京朝刊京葉版33面「マブチ事件初公判 『金が入ればバラ色』 M被告、獄中で犯行決意=千葉」</ref>。この日の公判では、マブチ事件についてのみ審理され、追起訴された我孫子・目黒の2事件についての審理は、5月25日の次回後半以降、併合審理することとなった<ref group="報道" name="読売新聞2006-02-24"/>。冒頭陳述で検察側は、過去に殺人で服役していたMが、獄中で「カネが入れば、海外旅行・女遊びなどで、バラ色の人生を送れる」と、犯行を決意したことを主張した<ref group="報道" name="読売新聞2006-02-24"/>。その上で検察側は「来世でもまた(殺害された妻と)一緒になりたい」「犯人が捕まっても2人は戻らず、喪失感は埋まらない」などといった、被害者遺族らの心境が綴られた調書を朗読した<ref group="報道" name="読売新聞2006-02-24"/>。同日、罪状認否でMは「間違いありません」と起訴事実を認めたが<ref group="報道" name="読売新聞2006-02-23"/><ref group="報道" name="読売新聞2006-02-24"/>、被害者遺族らがいた傍聴席に対しては、一度も視線を向けたり、頭を下げたりするような場面はなかった<ref group="報道" name="読売新聞2006-02-24"/>。

2006年5月25日、第2回公判が千葉地裁(根本渉裁判長)で開かれた<ref group="報道" name="読売新聞2006-05-26">『読売新聞』2006年5月26日東京朝刊京葉版31面「マブチ事件追起訴審理 M被告、2件認める=千葉」</ref>。この日は、追起訴された目黒区・我孫子市の両事件について、検察側冒頭陳述・被告人Mの罪状認否が行われた<ref group="報道" name="読売新聞2006-05-26"/>。同日、罪状認否でMは「間違いありません」と、起訴事実を認めた<ref group="報道" name="読売新聞2006-05-26"/>。

2006年10月5日、[[論告]][[求刑]]公判が開かれ、検察側はMに対し、死刑を求刑した<ref group="報道" name="読売新聞2006-10-06">『読売新聞』2006年10月6日大阪朝刊第二社会面34面「マブチ事件、共犯に死刑求刑/千葉地裁」</ref>。検察側は、論告で「4カ月で4人を殺害するなど、犯罪史上まれに見る、重大かつ今日会うな犯行だ」などと主張した<ref group="報道" name="読売新聞2006-10-06"/>。同日、最終弁論で弁護側は「3事件は、いずれも小田島が計画・主導した」などと主張し、酌量を求め、結審した<ref group="報道" name="読売新聞2006-10-06"/>。

2006年12月19日、判決公判が開かれ、千葉地裁(根本渉裁判長)は、'''Mに対し、検察側の求刑通り[[日本における死刑|死刑]][[判決 (日本法)|判決]]を言い渡した'''<ref group="判決文" name="千葉地裁2006-12-19"/><ref group="報道" name="読売新聞2006-12-20">『読売新聞』2006年12月20日東京朝刊第一社会面39面「マブチ事件の男に『死刑』 3事件で4人殺害 『従犯』認めず/千葉地裁」</ref><ref group="報道" name="読売新聞2006-12-20-京葉">『読売新聞』2006年12月20日東京朝刊京葉版35面「マブチ事件・M被告に死刑判決 『反省の様子見えず』遺族、無念晴れず=千葉」</ref>。千葉地裁は、判決理由で「遊ぶ金欲しさに、わずか3カ月余りで4人を殺害した犯行は極めて残虐で、人間性の片鱗もうかがえない。Mは1989年、殺人で服役したにもかかわらず。人命を奪ったことへの真摯な改悛の情がうかがえない。矯正の余地を見出すのは困難で、極刑をもって臨むほかない」と、犯行を指弾した上で<ref group="報道" name="読売新聞2006-12-20"/><ref group="報道" name="読売新聞2006-12-20-京葉"/>、Mの[[弁護人]]による「3事件は小田島が主導しており、Mの関与の程度は低い」という主張に対しても、「Mは小田島に対し、積極的に犯行を働きかけた側面もあり、主従関係はなかった」<ref group="報道" name="読売新聞2006-12-20"/>、「Mと小田島は、相互補完し合いつつ、犯行を遂行した。その役割に格段の際はない」として<ref group="報道" name="読売新聞2006-12-20-京葉"/>、死刑回避を求める主張を退けた<ref group="報道" name="読売新聞2006-12-20"/><ref group="報道" name="読売新聞2006-12-20-京葉"/>。また、弁護側は、3事件の起訴事実のうち、目黒区の事件について「Cと揉み合った際、偶然刃物が刺さり、Cが死亡してしまった」として、殺意を否認し、強盗致死罪の成立を主張していたが、千葉地裁はこの主張を「傷の深さなどから、確定的な殺意が認められる」として退け、検察側の主張通り、強盗殺人罪を適用した<ref group="報道" name="読売新聞2006-12-20-京葉"/>。閉廷後、事件の捜査に協力する会」の会長を務めていた、A子の義弟は「Mは死刑を覚悟していた洋右だが、反省の様子は見えなかった。自分の所業がいかに以上・残酷化を反省し、人間に近づいてから、刑を受けてほしい」と語った<ref group="報道" name="読売新聞2006-12-20-京葉"/>。

弁護人曰く、Mは死刑判決を覚悟していたというが、Mは「気持ちを整理するために時間が欲しい」などとして、12月22日付で、[[東京高等裁判所]]に[[控訴]]した<ref group="報道">『読売新聞』2006年12月23日東京朝刊京葉版35面「マブチ事件 死刑判決の男が控訴 『気持ち整理する時間ほしい』=千葉」</ref>。

==== 小田島 ====
小田島は、捜査段階で供述調書の作成を拒否していたため<ref group="報道" name="読売新聞2006-02-24"/>、「被告人が主張を明らかにしていないため、争点が不明で、効率的審理には手続きが不可欠だ」と判断した千葉地検が、千葉地裁に対し、公判前整理手続の適用を求めた<ref group="報道" name="読売新聞2005-12-28"/><ref group="報道" name="読売新聞2006-05-10"/>。その結果、千葉地裁は同手続の適用を決め、Mとは分離公判となった<ref group="報道" name="読売新聞2006-02-24"/>。

2006年8月29日、小田島の第2回公判前整理手続きが、千葉地裁で行われ、初公判期日は、同年9月12日に指定された<ref group="報道" name="読売新聞2006-08-30">『読売新聞』2006年8月30日東京朝刊京葉版31面「マブチ事件 小田島被告、来月12日に初公判=千葉」</ref>。捜査段階で、一貫して起訴事実を否認していた小田島は、起訴後、関係者に犯行を認める話をしたため、起訴事実そのものについては争われず、争点は、[[死刑制度合憲判決事件|死刑制度の合憲性]]など、3点に絞られた<ref group="報道" name="読売新聞2006-08-30"/>。

2006年9月12日、千葉地裁(根本渉裁判長)で、小田島の初公判が開かれた<ref group="報道" name="読売新聞2006-09-12">『読売新聞』2006年9月13日東京朝刊第三社会面33面「『マブチ』社長妻子殺害 主犯格、罪状認める/千葉地裁」</ref><ref group="報道" name="読売新聞2006-09-12-京葉">『読売新聞』2006年9月13日東京朝刊京葉版31面「マブチ社長宅強盗殺人 冒頭陳述で検察側、詳細に再現 地裁公判=千葉」</ref>。冒頭陳述で、検察側は「小田島は、練馬三億円事件で宮城刑務所に服役した際、獄中で『マブチ事件』を計画し、獄中で知り合ったMとともに、出所後に下見を重ね、犯行を実行した。3件とも、小田島が主犯格として、具体的な計画を立てた』」と主張した<ref group="報道" name="読売新聞2006-09-12"/><ref group="報道" name="読売新聞2006-09-12-京葉"/>。小田島は、詳細な供述を拒んできた捜査段階から一転して、罪状認否で「間違いありません」と、起訴事実を認めた<ref group="報道" name="読売新聞2006-09-12"/><ref group="報道" name="読売新聞2006-09-12-京葉"/>。

9月21日、第2回公判が開かれた<ref group="報道" name="読売新聞2006-09-22">『読売新聞』2006年9月22日東京朝刊京葉版31面「マブチ社長妻子殺害 M被告、小田島被告の主導を証言 公判で=千葉」</ref>。同日は証人尋問が行われ、分離公判中だった共犯Mが、検察側の証人として出廷した<ref group="報道" name="読売新聞2006-09-22"/>。Mは、「宮城刑務所に服役中だった1990年代半ば、小田島から犯行に誘われ、出所後に「マブチ事件」を実行する約束をした」と説明した<ref group="報道" name="読売新聞2006-09-22"/>。その上で、小田島が1990年に起こした、練馬三億円事件についても触れた上で、「出所後の生活に不安もあったため、小田島の実績を信じ、計画に乗った」と語った<ref group="報道" name="読売新聞2006-09-22"/>。一方、マブチ事件後の2002年秋に起こした、目黒区・我孫子市の両事件について、Mは「マブチ事件で得た遊興費が尽きたため、自分の方から、再び『資産家を狙おう』と催促した」と述べた<ref group="報道" name="読売新聞2006-09-22"/>。また、Mは、黙秘の合言葉として「[[森の石松]]」を使っていたことを明かした上で、『マブチ事件の取り調べ中、隣室にいた小田島が、突然「森の石松」と叫んだ」とも証言した<ref group="報道" name="読売新聞2006-09-22"/>。そして、Mは「小田島が自分に対し、口止めを求めてきたことは分かったが、事件の被害者遺族に申し訳ないと思い、犯行を認める供述をした」と述べた<ref group="報道" name="読売新聞2006-09-22"/>。

2006年12月21日、論告求刑公判が開かれ、検察側は小田島に対し、死刑を求刑した<ref group="報道" name="読売新聞2006-12-22">『読売新聞』2006年12月22日東京朝刊第二社会面38面「マブチ事件 小田島被告に死刑求刑/千葉地裁公判」</ref>。論告で、検察側は「小田島は真面目に働かず、遊興費などを得るため、一攫千金を狙って資産家宅を襲った」と指摘した上で、「約4カ月で4人を殺害するなど、犯罪史上まれに見る、残虐非道で凶悪な犯行だ。人命軽視・反社会的な性格は究極に達し、矯正は不可能だ」と糾弾した<ref group="報道" name="読売新聞2006-12-22"/>。また、小田島の弁護人が「目黒区・我孫子市の事件は、Mに促されたために犯行に及んだ」と主張していることに対しては、「犯行計画・現場での支持など、犯行に積極的に関与している」と反論した<ref group="報道" name="読売新聞2006-12-22"/>。

[[2007年]](平成19年)2月22日、弁護側の最終弁論が行われ、結審した<ref group="報道" name="読売新聞2007-02-23">『読売新聞』2007年2月23日東京朝刊京葉版33面「マブチ事件 小田島被告側、死刑回避求める 地裁で最終弁論=千葉」</ref>。最終弁論で弁護側は、小田島が幼少期に父親を亡くしたことや、母親に無理心中を迫られたことなどに触れ、「人格形成期から不遇であり、酌量すべき点があるうえ、共生の余地もある」と主張し、死刑回避を求めた<ref group="報道" name="読売新聞2007-02-23"/>。小田島は公判中、捜査段階と一転し、罪状を認めたことから、起訴事実については争われず、初公判から約半年(公判10回目)での結審、11回目での判決となった<ref group="報道">『読売新聞』2007年3月22日東京朝刊京葉面33面「マブチ事件 小田島被告にきょう判決=千葉」</ref>。

3月22日、千葉地裁(根本渉裁判長)は、'''小田島に対しても、検察側の求刑通り死刑判決を言い渡した'''<ref group="判決文" name="千葉地裁2007-03-22"/><ref group="報道" name="読売新聞2007-03-23">『読売新聞』2007年3月23日東京朝刊第三社会面37面「マブチ事件 主犯格に死刑/千葉地裁」</ref><ref group="報道" name="読売新聞2007-03-23-京葉">『読売新聞』2007年3月23日東京朝刊京葉版35面「マブチ強殺に死刑判決 更生の場で計画、指弾 裁判長『酌量余地ない』=千葉」</ref>。千葉地裁は、判決理由で「人間性の片鱗もうかがえず、反社会的な犯罪性向は根深い」、「構成の場であるはずの獄中で、反省を深めなかったどころか、新たな犯行の仲間を募り、企業情報誌を片手に、犯行計画を立案した。強盗殺人3件の犯行後も、空き巣を繰り返して生計を立て、事件発覚後も否認を続ける一方、週刊誌には犯行を詳述していた([[#雑誌記事]]参照)ことから、改善・矯正の余地を見出すのは困難だ。3事件は、いずれも周到な計画に基づく犯行で、自己中心的であり、生命の尊厳にまったく思いをいたそうとしておらず、酌量の余地はない」とした<ref group="報道" name="読売新聞2007-03-23-京葉"/>。判決が言い渡された、千葉地裁第301号法廷では、被害者遺族ら10人が、小田島の様子を見つめていたが、小田島が振り向くことはなかった<ref group="報道" name="読売新聞2007-03-23-京葉"/>。閉廷後、事件の捜査に協力する会」の会長を務めていた、A子の義弟は「死刑はもっともな判決。小田島の態度からは、反省の様子が微塵も出ていない。本当に反省しているのならば、控訴していたずらに時間を引き延ばさず、判決を受け入れてもらいたい」と語った<ref group="報道" name="読売新聞2007-03-23-京葉"/>。

小田島は、判決前には[[弁護人]]に対し「死刑になって当然のことをした。控訴はしないでほしい」と話していたが、3月28日になって「裁判(控訴)のことはお任せします」と記した手紙を送った<ref group="報道" name="読売新聞2007-04-04"/>。その後、判決を不服とした小田島の弁護人は<ref group="報道" name="毎日新聞2007-04-05"/>、量刑不当を理由として<ref group="報道" name="毎日新聞2007-11-06"/>、4月3日付で、東京高裁宛の控訴手続書類を、千葉地裁に提出し<ref group="報道" name="読売新聞2007-04-04">『読売新聞』2007年4月4日東京朝刊京葉版31面「マブチ事件 小田島被告控訴へ=千葉」</ref>、翌4日付で控訴した<ref group="報道" name="毎日新聞2007-04-05">『毎日新聞』2007年4月5日東京朝刊総合面28面「千葉・マブチモーター会長宅殺人放火:小田島被告が控訴」</ref>。同年6月27日、小田島は拘置先の[[千葉刑務所]][[拘置所|拘置区]]から、東京拘置所に移送された<ref group="その他" name="小田島鐵男年表"/>。

=== 控訴審(東京高裁) ===
小田島については、2008年1月に[[東京高等裁判所]]での控訴審初公判が予定されていたが<ref group="報道" name="毎日新聞2007-11-06"/>、同年11月1日付で、小田島自身が控訴を取り下げた<ref group="報道" name="読売新聞2007-11-06"/>。これにより、'''小田島の死刑が確定'''した<ref group="報道" name="読売新聞2007-11-06">『読売新聞』2007年11月6日東京朝刊第二社会面38面「マブチ事件など4人殺害 小田島被告の死刑確定」</ref><ref group="報道" name="毎日新聞2007-11-06">『毎日新聞』2007年11月6日東京朝刊第二社会面26面「千葉・マブチモーター会長宅殺人放火:小田島被告が控訴取り下げ――死刑確定」</ref>。弁護人によれば、小田島は接見を拒否し「これ以上私のことで負担をかけるわけにはいかない」という手紙を書いてきたという<ref group="報道" name="毎日新聞2007-11-06"/>。弁護人は「取り下げは本人の誤解に基づくものだ」と主張し、同月6日、控訴取り下げを無効として、控訴審を開廷するよう、東京高裁に申し立てた<ref group="報道" name="毎日新聞2007-11-06"/>。しかし、東京高裁([[中川武隆]]裁判長)は翌7日付で、「本人は取り下げの意義を十分理解していた」として、本人による控訴取り下げを有効とする決定を出した<ref group="報道" name="毎日新聞2007-11-10">『毎日新聞』2007年11月10日東京朝刊総合面26面「千葉・マブチモーター会長宅殺人放火:小田島死刑囚の死刑確定」<br>『毎日新聞』2007年11月10日大阪夕刊第二社会面10面「千葉・マブチモーター会長宅殺人放火:小田島死刑囚の死刑確定」</ref>。

小田島の死刑確定に先んじて、同年10月29日、Mの控訴審初公判が、東京高裁(中川武隆裁判長)で開かれた<ref group="報道" name="日本経済新聞2007-10-29">『日本経済新聞』2007年10月29日夕刊第一社会面21面「マブチ事件控訴審 M被告弁護側 死刑破棄求める」</ref>。弁護側は「第一審の死刑判決は、必要不可欠だった精神鑑定を却下した上で言い渡された。4人のうち、2人の殺害は小田島の独断であり、Mの共謀は成立しない」と主張し、死刑判決の[[取消し|破棄]]を訴えた<ref group="報道" name="日本経済新聞2007-10-29"/>。

[[2008年]](平成20年)3月3日の控訴審判決公判で、東京高裁(中川武隆裁判長)は、'''第一審・千葉地裁の死刑判決を支持し、Mの控訴を[[棄却]]'''する判決を言い渡した<ref group="報道" name="読売新聞2008-03-04">『読売新聞』2008年3月4日東京朝刊第一社会面35面「マブチなど3事件4人殺害 被告、2審も死刑判決/東京高裁」</ref>。東京高裁は、[[判決理由]]で「Mは4事件すべてで小田島と共謀していた」と認定し、弁護側の「4人の犠牲者のうち、2人は小田島が単独犯で殺害した」とする主張を退けた上で、「犯行経緯・動機に酌量の余地はない」と断じた<ref group="報道" name="読売新聞2008-03-04"/>。Mは判決を不服として、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]に即日[[上告]]した<ref group="報道" name="読売新聞2008-03-04"/>。

=== 上告審(最高裁) ===
[[2011年]](平成23年)10月18日、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第三小法廷([[寺田逸郎]]裁判長)で、上告審口頭弁論公判が開かれた<ref group="報道" name="読売新聞2011-10-19">『読売新聞』2011年10月19日東京朝刊第三社会面37面「マブチ事件 M被告弁護側『死刑回避を』 上告審弁論」</ref>。弁護側は「Mは小田島に従属的な立場であり、死刑は量刑不当である」として、死刑判決の破棄を訴えた<ref group="報道" name="読売新聞2011-10-19"/>。一方、検察側は「大金を手に入れようとした動機に酌量の余地はなく、死刑で臨むほかない」と主張し、上告棄却を訴え、結審した<ref group="報道" name="読売新聞2011-10-19"/>。

最高裁第三小法廷(寺田逸郎裁判長)は、同年11月4日までに、上告審判決公判の開廷期日を、同月22日に指定し、関係者に通知した<ref group="報道">『読売新聞』2011年11月5日東京朝刊第三社会面37面「『マブチ』事件など上告審22日判決」</ref>。

最高裁第三小法廷(寺田逸郎裁判長)は、11月22日の上告審判決公判で、'''一・二審の死刑判決を支持し、Mの上告を棄却'''する判決を言い渡した<ref group="報道" name="読売新聞2011-11-23">『読売新聞』2011年11月23日東京朝刊第一社会面39面「マブチ事件 死刑確定へ 3事件4人殺害 M被告の上告棄却」</ref><ref group="報道" name="産経新聞2011-11-22">{{Cite news |title=マブチ事件、死刑確定へ 「冷酷、残虐」と最高裁 |newspaper=『産経新聞』 |publisher=産業経済新聞社 ||date=2011-11-22 |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111122/trl11112217120009-n1.htm |accessdate=2011-11-22 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111122210506/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111122/trl11112217120009-n1.htm |archivedate=2011-11-22 }}</ref>。これにより、先に死刑が確定した小田島と同様、'''Mの死刑が確定'''することとなった<ref group="報道" name="読売新聞2011-11-23"/><ref group="報道" name="産経新聞2011-11-22"/>。最高裁第三小法廷は「大金を得て遊んで暮らすため、落ち度のない4人の命を奪った結果は重大で、死刑はやむを得ない」と結論付けた<ref group="報道" name="読売新聞2011-11-23"/>。

== 死刑囚らのその後 ==
=== 小田島の病死 ===
[[死刑囚]]として[[東京拘置所]]に[[収監]]されていた小田島は<ref group="報道" name="読売新聞2017-09-18"/><ref group="報道" name="産経新聞2017-09-17"/>、日記を執筆し、ノンフィクション作家の[[斎藤充功]]に手紙として送っていた<ref group="報道" name="朝日新聞2009-03-18"/>。身元引受人となった斎藤は<ref group="その他" name="最期の夏"/>、小田島の了承を得た上で、それらの内容を「死刑囚獄中ブログ」と題したブログ(管理人は斎藤とは別人。ウェブの方針など、より上位の判断をするのは比嘉健二)に<ref group="その他" name="第141回">{{Cite web |title=第141回 執行の当事者として |publisher=死刑囚獄中ブログ |author=斎藤充功 |url=http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/141-0f33.html |date=2008-11-22 |accessdate=2017-10-30 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20171030220820/http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/141-0f33.html |archivedate=2017-10-30 }}</ref>、2007年10月の開設以来、掲載し続けていた<ref group="報道" name="朝日新聞2009-03-18">『朝日新聞』2009年3月18日朝刊第二社会面38面「死刑囚の心情、ブログに アクセス1日500人・投稿欄で議論」</ref>。同ブログは[[2009年]](平成21年)11月20日、『最期の夏 「マブチモーター事件」強盗放火殺人犯 死刑囚獄中ブログ』と銘打った書籍で、[[ミリオン出版]]から発売された<ref group="その他" name="最期の夏">{{Cite web |title=最期の夏 |publisher=死刑囚獄中ブログ |author=斎藤充功 |url=http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-c891.html |date=2009-10-26 |accessdate=2017-10-30 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20171030220847/http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-c891.html |archivedate=2017-10-30 }}</ref>。

[[フィリピン]]在住の息子が死刑執行を知ることのないよう<ref group="その他" name="面会2013-02-08"/>、小田島は[[2013年]](平成25年)2月、[[東京家庭裁判所]]に対し、出生時の旧姓である「畠山」<ref group="その他" name="実話ナックルズ2007-01"/>に改姓することを申し立てた<ref group="その他" name="面会2013-02-08">{{Cite web |title=2013/2/8面会レポート |publisher=死刑囚獄中ブログ |author=斎藤充功 |url=http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/201328-59c8.html |date=2013-02-09 |accessdate=2017-10-30 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20171030171116/http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/201328-59c8.html |archivedate=2017-10-30 }}</ref>。同年6月、東京家裁で改姓が認められ、小田島は「畠山」姓に改姓した<ref group="その他">{{Cite web |title=2013/7/18面会レポート |publisher=死刑囚獄中ブログ |author=斎藤充功 |url=http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/718-328b.html |date=2013-07-18 |accessdate=2017-10-30 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20171030171121/http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/718-328b.html |archivedate=2017-10-30 }}</ref>。

畠山は[[2017年]](平成29年)1月下旬、[[食道癌|食道がん]]であることが判明した<ref group="報道" name="読売新聞2017-09-18"/>。本人の意思で、痛み止めなどにより症状を緩和する治療を、拘置所内で受けていた畠山だったが、同年9月16日夜に容体が急変し、同日午後10時半頃、東京拘置所内で、74歳で[[日本において獄死もしくは恩赦された死刑囚の一覧|病死した]]<ref group="報道" name="読売新聞2017-09-18">『読売新聞』2016年9月18日東京朝刊第二社会面30面「小田島死刑囚が病死 『マブチ事件』など4人殺害」</ref><ref group="報道" name="産経新聞2017-09-17">{{Cite news |title=マブチ事件の畠山鉄男死刑囚が病死 4人殺害、東京拘置所 |newspaper=『[[産経新聞]]』 |publisher=[[産業経済新聞社]] |date=2017-09-17 |url=http://www.sankei.com/affairs/news/170917/afr1709170014-n1.html |accessdate=2017-09-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170918133647/http://www.sankei.com/affairs/news/170917/afr1709170014-n1.html |archivedate=2017年9月18日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>。畠山の死を受け、マブチ事件の遺族の男性は9月17日、『読売新聞』の取材に対し「(死刑執行・獄死の)どういう形にせよ、いずれ死亡することは決まっていたから、驚くことはなかった。これで事件に一区切りがついた思いだ」と語った<ref group="報道" name="読売新聞2017-09-18"/>。

=== Mの現在 ===
2017年9月22日現在<ref group="書籍" name="年報・死刑廃止2017 p.205">{{Harvnb|インパクト出版会|2017|pages=205}}</ref>、Mは死刑囚として、東京拘置所に[[日本における収監中の死刑囚の一覧|収監されている]]<ref group="書籍" name="年報・死刑廃止2017 p.200">{{Harvnb|インパクト出版会|2017|pages=200}}</ref>。小田島は2013年5月、斎藤と面会した際、Mが[[再審]]請求中であることに言及しており<ref group="その他">{{Cite web |title=2013/5/27面会レポート |publisher=死刑囚獄中ブログ |author=斎藤充功 |url=http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-3eec.html |date=2013-05-28 |accessdate=2017-10-30 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20171030211717/http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-3eec.html |archivedate=2017-10-30 }}</ref>、2015年12月時点では、最高裁に係属されていたという<ref group="その他">{{Cite web |title=小田島からの手紙 |publisher=死刑囚獄中ブログ |author=斎藤充功 |url=http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-5539.html |date=2015-03-07 |accessdate=2017-10-30 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20171030212031/http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-5539.html |archivedate=2017-10-30 }}</ref>。

== 国家賠償請求訴訟 ==
2005年10月、[[千葉県弁護士会]]所属の島田亮・秦英準両[[弁護士]]が、旅券法違反容疑などで逮捕され、マブチ事件の重要参考人として、[[松戸警察署]]に拘置されていたMに、担当弁護士として接見した<ref group="報道" name="読売新聞2006-11-30"/>。その途中2人は、警察官から3度に渡り「接見を終わらせてほしい」と要請された<ref group="報道" name="読売新聞2006-11-30"/>。別の日にも、島田はMと接見したが、「捜査側との調整」などの理由で、接見を33分待たされた<ref group="報道" name="読売新聞2006-11-30"/>。これを受け両名は、2006年11月29日、接見を捜査員に妨害され、精神的苦痛を受けたとして、千葉県を相手取り、[[慰謝料]]30万円の支払いを求める、[[国家賠償法|国家賠償請求訴訟]]を、千葉地裁松戸支部に起こした<ref group="報道" name="読売新聞2006-11-30">『読売新聞』2006年11月30日東京朝刊京葉版35面「マブチ事件の被告弁護士 『別件逮捕時、接見妨害』 慰謝料求め県を提訴=千葉」</ref>。同日会見した2名は、「当時、逮捕事実ではなかったマブチ事件に対する取り調べを、弁護人に邪魔されたくないという、警察の意図が見え隠れしていた」と語った<ref group="報道" name="読売新聞2006-11-30"/>。

この訴訟の第1回口頭弁論公判が、2007年1月19日、千葉地裁松戸支部(小野聡子裁判長)で開かれた<ref group="報道" name="読売新聞2007-01-20">『読売新聞』2007年1月20日東京朝刊京葉版31面「マブチ事件・M被告接見妨害訴訟 県側、棄却求める 地裁支部弁論=千葉」</ref>。千葉県側は、答弁書で請求棄却を求め、争う姿勢を見せた<ref group="報道" name="読売新聞2007-01-20"/>。

2008年9月26日、千葉地裁松戸支部で判決公判があった<ref group="報道" name="読売新聞2008-09-27">『読売新聞』2008年9月27日東京朝刊京葉版33面「マブチ事件・接見妨害訴訟 原告請求を棄却 地裁支部判決=千葉」</ref>。岡本岳裁判長は「違法行為は認められない」として、2人の請求を棄却する判決を言い渡した<ref group="報道" name="読売新聞2008-09-27"/>。


== 事件後 ==
== 事件後 ==
2005年12月下旬、被害者遺族・マブチモーター関係者らで結成されていた「事件の捜査に協力する会」は、犯人逮捕につながる有力情報となった、事件前後の小田島らの言動などを、捜査本部に提供した計4人に対し、1人当たり250万円ずつ、計1,000万円支払った<ref group="報道" name="読売新聞2006-02-16">『読売新聞』2006年2月16日東京朝刊第三社会面37面「マブチ事件で『事件の捜査に協力する会』が、謝礼金支払い」</ref>。
当該事件の犯人逮捕に結びつく有力な情報を提供した4人には、被害者[[遺族]]らが結成した「事件の捜査に協力する会」から当初の約束どおり謝礼金250万円ずつ、計1,000万円が提供された。


事件後、事件現場となった馬渕邸跡地(約496㎡)は、馬渕の手で[[更地]]にされた上で、防災用にも利用できる[[井戸]]が整備された<ref group="報道" name="読売新聞2007-10-30"/>。その後、2007年1月、馬渕からの「事件で迷惑をかけた地域の方々のためにも、防災・防犯に活用してほしい」という申し出の下、松戸市に[[寄付]]された<ref group="報道" name="読売新聞2007-10-30"/>。これを受け、松戸市生活安全課は、この敷地に約104㎡の、平屋の防犯・防災拠点施設を建設し、市内の防犯・防災関係者を招いた会合が開けるような、比較的広い会議室や、市内の防犯ボランティアに貸し出している防犯用品・防災用機材を収納する倉庫などを設置し、管理する職員を常駐させ、地元長会でもパトロールの拠点などとして活用する、といった計画を、2007年10月29日までに決めた<ref group="報道" name="読売新聞2007-10-30">『読売新聞』2007年10月30日東京朝刊京葉版35面「マブチ事件の現場を寄贈 馬渕さん、松戸市に 『防犯、防災に活用して』=千葉」</ref>。松戸市議会は、2008年2月の市議会で、関連予算案などを提案する予定を決め、市は10月20日、地元で説明会を開いた<ref group="報道" name="読売新聞2007-10-30"/>。
事件後、遺族により事件現場は[[更地]]にされ松戸市に[[寄付]]された。[[防災拠点]]として地域に役立てられることになり、その建設費用は遺族と市が折半をして負担した。

その後、2007年11月には、さらに松戸市に対し、馬渕から工事費(約2700万円)の一部として、1500万円が寄付された<ref group="報道" name="読売新聞2009-04-07"/>。[[2009年]](平成21年)4月6日、同地に防犯・[[防災拠点]]「安全安心ステーション」がオープンした<ref group="報道" name="読売新聞2009-04-07">『読売新聞』2009年4月7日東京朝刊第三社会面33面「マブチ事件現場が防犯防災拠点に/千葉・松戸市」</ref>。この建物は、平屋建て約104㎡で、市民に貸し出す防犯・防災用具などを収納する倉庫や、会議室などが設けられており、平日は職員が常駐し、地域の会合・防犯パトロール活動の拠点などとして利用される<ref group="報道" name="読売新聞2009-04-07"/>。建物のそばには、「寄贈者の思い」として「再び痛ましい事件や火災が起こらぬことを願い」などと記された碑と、生前は花が好きだったというA子・B子両名を偲んだ、花壇が設けられた<ref group="報道" name="読売新聞2009-04-07"/>。

== 参考文献 ==
=== 刑事裁判の判決文 ===
;小田島鐵男
* '''{{Cite 判例検索システム |裁判所=[[千葉地方裁判所]]刑事第1部 |裁判形式=判決 |事件番号=平成17年(わ)第1919号,平成17年(わ)第2099号,平成17年(わ)第2603号,平成18年(わ)第696号 |事件名=住居侵入,強盗殺人,現住建造物等放火,電磁的公正証書原本不実記録,同供用,有印私文書偽造,同行使,旅券法違反被告事件 |裁判年月日=2007年(平成19年)3月22日 |判例集=裁判所ウェブサイト掲載判例、D1-Law.com([[第一法規]]法情報総合データベース)判例体系 ID:28135301 |url=http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=034793 }}'''
** 判決内容:死刑(求刑同。被告人側控訴、後に取り下げ確定)
** [[裁判官]]:根本渉([[裁判長]])・堀内有子・国分史子

;M
* '''{{Cite 判例検索システム |裁判所=[[千葉地方裁判所]]刑事第1部 |裁判形式=判決 |事件番号=平成17年(わ)第1919号,平成17年(わ)第2100号,平成17年(わ)第2602号,平成18年(わ)第439号 |事件名=住居侵入,強盗殺人,現住建造物等放火,電磁的公正証書原本不実記録,同供用,電磁的公正証書原本不実記録幇助,同供用幇助,有印私文書偽造幇助,同行使幇助,旅券法違反幇助被告事件 |裁判年月日=2006年(平成18年)12月19日 |判例集=裁判所ウェブサイト掲載判例、D1-Law.com([[第一法規]]法情報総合データベース)判例体系 ID:28135100 |url=http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=034130 }}'''
** 判決内容:死刑(求刑同。被告人側控訴)
** 裁判官:根本渉(裁判長)・堀内有子・国分史子
* '''{{Cite 判例検索システム |法廷名=[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第三小法廷 |裁判形式=判決 |事件番号=平成20年(あ)第702号 |事件名=住居侵入,強盗殺人,現住建造物等放火,電磁的公正証書原本不実記録,同供用,電磁的公正証書原本不実記録幇助,同供用幇助,有印私文書偽造幇助,同行使幇助,旅券法違反幇助被告事件 |裁判年月日=2011年(平成23年)11月22日 |判例集=[[判例集|『最高裁判所裁判集刑事』(集刑)]]第305号401頁、裁判所ウェブサイト掲載判例、D1-Law.com([[第一法規]]法情報総合データベース)判例体系 ID:28185013 |url=http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=081877 }}'''
** 判決内容:被告人側上告棄却(死刑判決支持・確定)
** 裁判官:[[寺田逸郎]](裁判長)・[[那須弘平]]・[[田原睦夫]]・[[岡部喜代子]]・[[大谷剛彦]]

=== 関連書籍 ===
* {{Cite book |和書 |author=小田島鐵男 |date=2009-11-21 |title=最期の夏 「マブチモーター事件」強盗放火殺人犯 死刑囚獄中ブログ |publisher=[[ミリオン出版]] |isbn=978-4813020899 }}
* {{Cite book |和書 |author=年報・死刊廃止編集委員会 |title=ポピュリズムと死刑 年報・死刑廃止2017 |publisher=[[インパクト出版会]] |date=2017-10-15 |pages=200,205 |isbn=978-4755402807 |ref={{Sfn|インパクト出版会|2017}} }}
* {{Cite book |和書 |author=[[斎藤充功]] |date=2017-10-23 |title=3650 死刑囚小田島鐡男"モンスター"と呼ばれた殺人者との10年間 |publisher=ミリオン出版 |isbn=978-4813022770 }}

=== 雑誌記事 ===
* 『[[週刊朝日]]』([[朝日新聞社]])2005年12月9日号「独占獄中スクープ マブチモーター会長宅強盗殺人・放火事件 黙秘の主犯が本誌〔週刊朝日〕に自供」 
* 『週刊朝日』(朝日新聞社)2005年12月16日号「獄中スクープ第2弾 本誌〔週刊朝日〕報道で急展開! マブチモーター会長宅強盗殺人・放火事件 小田島被告が第2、第3の強盗殺人の全詳細を"自供"」 
* 『週刊朝日』(朝日新聞社)2005年12月23日号「獄中スクープ第3弾 マブチモーター会長宅強盗殺人・放火事件 本誌〔週刊朝日〕だけが知っている歯科医師殺人事件の全真相」 
* 『週刊朝日』(朝日新聞社)2005年12月30日号「獄中スクープ第4弾 マブチモーター会長宅強盗殺人・放火事件 なぜ、凶悪犯罪を繰り返すのか?--小田島被告が語るわが人生」 
* 『週刊朝日』(朝日新聞社)2006年1月6日/13日合併号「獄中スクープ第5弾 マブチモーター会長宅など連続強盗殺人事件 犯罪者の「更生」考--再犯を繰り返した小田島被告」 
* 『[[実話ナックルズ]]』([[ミリオン出版]])2007年1月号(斎藤充功)<ref group="その他" name="実話ナックルズ2007-01">{{Cite web |title=全真相告白!<怪物>過去に眠っていた「救いようのない少年時代」 |publisher=死刑囚獄中ブログ |author=斎藤充功 |url=http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-6b13.html |date=2012-10-29 |accessdate=2017-10-30 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20171030165409/http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-6b13.html |archivedate=2017-10-30 }}</ref>
** 後に小田島の「獄中ブログ」を執筆することになった斎藤が、小田島や本事件に関心を持った経緯が記されている。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
; 注釈
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注釈}}
{{Reflist|group="注釈"}}

; 脚注
=== 出典 ===
==== 刑事裁判の判決文 ====
{{Reflist|group="判決文"}}

==== 報道出典 ====
{{Reflist|group="報道"}}

==== 書籍出典 ====
{{Reflist|group="書籍"}}

==== その他出典 ====
{{Reflist|group="その他"}}
{{Reflist}}
{{Reflist}}


== 関連書籍 ==
== 関連項目 ==
* [[警察庁広域重要指定事件]]
* {{Cite book |和書 |author=小田島鐵男 |date=2009-11-21 |title=最期の夏 「マブチモーター事件」強盗放火殺人犯 死刑囚獄中ブログ |publisher=[[ミリオン出版]] |isbn=978-4813020899 }}
* [[シリアルキラー]](連続殺人)
* [[練馬三億円事件]]
* [[前科]]
* [[累犯]]・[[再犯]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{Cite web |url=http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/ |title=死刑囚獄中ブログ(小田島鐵男の生前のブログ) |publisher=[[斎藤充功]] |date=2014-11-30 |accessdate=2017-09-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170918133330/http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/ |archivedate=2017年9月18日 |deadurldate=2017年9月 }}
* {{Cite web |url=http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/ |title=死刑囚獄中ブログ(小田島鐵男の生前のブログ) |publisher=[[斎藤充功]] |date=2014-11-30 |accessdate=2017-09-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170918133330/http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/ |archivedate=2017年9月18日 |deadurldate=2017年9月 }}
* {{Cite episode |url=http://www.ntv.co.jp/gyoten/backnumber/article/20151202_07.html |title=一流企業を狙った連続強盗殺人犯 |series=[[ザ!世界仰天ニュース]] |network=[[日本テレビ放送網]] |date=2015-12-07 |accessdate=2017-10-30 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20171030222542/http://www.ntv.co.jp/gyoten/backnumber/article/20151202_07.html |archivedate=2017-10-30 }}


{{Crime-stub}}
{{DEFAULTSORT:まふちもおたあしやちようたくさつしんほうかしけん}}
{{DEFAULTSORT:まふちもおたあしやちようたくさつしんほうかしけん}}
[[Category:平成時代の殺人事件]]
[[Category:平成時代の殺人事件]]
57行目: 388行目:
[[Category:殺人の前科のある人物による殺人事件]]
[[Category:殺人の前科のある人物による殺人事件]]
[[Category:警察庁広域重要指定事件]]
[[Category:警察庁広域重要指定事件]]
[[Category:国家賠償請求訴訟]]
[[Category:松戸市の歴史]]
[[Category:松戸市の歴史]]
[[category:目黒区の歴史]]
[[category:目黒区の歴史|めくろくしかいしこうとうさつしんしけん]]
[[category:我孫子市の歴史]]
[[category:我孫子市の歴史|ちはけんあひこしきんけんしよつふつまさつかいしけん]]
[[Category:2002年8月]]
[[Category:2002年8月]]
[[Category:2002年9月]]
[[Category:2002年9月]]

2017年12月12日 (火) 23:26時点における版

マブチモーター社長宅殺人放火事件
正式名称 警察庁広域重要指定第124号事件
場所 日本の旗 日本
千葉県松戸市常盤平6丁目5-2[報道 1][報道 2][報道 3](当時・マブチモーター社長・馬渕隆一宅。現在は解体、防犯防災の拠点「安全安心ステーション」が建つ)
東京都目黒区目黒本町5丁目(歯科医師宅)[報道 4]
千葉県我孫子市柴崎台のマンション(東京神田金券ショップを経営する資産家在住)[報道 5]
座標
北緯35度47分50.4秒 東経139度57分26.5秒 / 北緯35.797333度 東経139.957361度 / 35.797333; 139.957361座標: 北緯35度47分50.4秒 東経139度57分26.5秒 / 北緯35.797333度 東経139.957361度 / 35.797333; 139.957361
日付 2002年平成14年)
8月5日本事件[報道 1][報道 2][報道 3]
9月24日(目黒区の事件)[報道 4]
11月21日(我孫子の事件)[報道 5] (UTC+9)
概要 当時マブチモーター社長・馬渕隆一宅に、刑務所内で知り合った男2人組が押し入り、馬渕の妻・娘を絞殺し、馬渕宅に放火して逃走した。
男2人組はこの他、東京都目黒区の歯科医師、千葉県我孫子市の資産家妻を、それぞれ殺害し、いずれも金品を奪った。
攻撃側人数 2人
死亡者 馬渕隆一の妻A子(事件当時66歳)・長女B子(事件当時40歳)[報道 1][報道 2][報道 3]
目黒区在住の歯科医師男性C(事件当時71歳)[報道 4]
千葉県我孫子市在住の資産家Dの妻E子(事件当時65歳)[報道 5]
犯人 主犯格・小田島鐵男(犯行当時59歳、逮捕当時62歳。過去に練馬三億円事件で懲役12年など、多数の前科あり)
従犯の男M(犯行当時51歳 - 52歳、逮捕当時55歳。殺人など数件の前科あり)
動機 強盗
対処 2人を逮捕起訴
刑事訴訟 2人とも死刑(小田島は獄死、Mは未執行
遺族会 「事件の捜査に協力する会」
管轄 千葉県警察松戸東警察署[報道 1][報道 2][報道 3]我孫子警察署[報道 5]
警視庁碑文谷警察署[報道 4]
テンプレートを表示

マブチモーター社長宅殺人放火事件(マブチモーターしゃちょうたく さつじんほうかじけん)は、2002年平成14年)8月5日午後[報道 1][報道 3]千葉県松戸市常盤平にあった、当時マブチモーター社長だった馬渕隆一(まぶち たかいち[報道 6]、同社創業者・馬渕健一の弟)宅で、馬渕の妻A子(事件当時66歳)と、長女B子(事件当時40歳)が絞殺され、馬渕宅が放火された、強盗殺人放火事件である[報道 1][報道 2][報道 3]

主犯格の小田島鐵男(おだじま てつお、死亡時の姓:畠山)ら、本事件の死刑囚の男2人は、本事件以降も、同年9月24日に東京都目黒区歯科医師強盗殺人事件(とうきょうとめぐろく しかいし ごうとうさつじんじけん)[報道 4]、さらに同年11月21日には千葉県我孫子市金券ショップ経営者妻殺害事件(ちばけんあびこし きんけんショップけいえいしゃ つま さつがいじけん)と[報道 5]、計2件の強盗殺人事件を起こしており、一連の連続殺人事件は、警察庁広域重要指定第124号事件に指定された[報道 7][報道 8]

死刑囚

小田島鐵男

本事件の主犯格だった死刑囚・小田島鐵男(犯行当時59歳、逮捕当時62歳)は[判決文 1][報道 9]1943年昭和18年)4月17日、北海道北見市で生まれ[判決文 1]2017年平成29年)9月17日に収監先の東京拘置所で、食道がんのため、74歳で病死した[報道 10][報道 9]

生い立ち

小田島は出生前、父が死亡したため、祖父母の子として入籍され[判決文 1]、実母・母方の祖父母の「畠山」姓で育った[その他 1]。北海道紋別郡滝上町で育ったが、当時4歳だった1947年(昭和22年)には、実母から無理心中を迫られた[その他 2]

祖父母の家庭、母とその交際相手の家庭、親戚の家庭を転々としながら成育した小田島は、生活は貧しく、中学生時代には、買い物に行った店の引出しから現金を盗んで補導された[判決文 1]。さらに中学校卒業後、店を経営する祖母の小切手を、その取引先に持ち込み、1万円を借りて遣ったこと[判決文 1]、空腹に耐えられず[その他 2]、夜間に飲食店に忍び込んで飲食物を盗んだことで、1959年(昭和34年)10月、家庭裁判所から詐欺窃盗の罪で、紋別市の中等少年院送致の処分を受けた[判決文 1][その他 2]

その後、小田島は家族の下を離れ、住み込みで働くなどして生活していたが、やがて金銭に窮するようになった[判決文 1]1960年(昭和35年)12月[判決文 1]、当時17歳だった小田島は[その他 2]、夜間商店のショーウィンドーから、指輪を盗んだなどとして、窃盗・窃盗未遂・住居侵入未遂の罪で、懲役1年以上3年以下の不定期刑に処せられ[判決文 1]函館少年刑務所に服役した[判決文 1][その他 2]

函館少年刑務所を出所後、小田島はバーテンダー、ミシンのセールスなどの職を務めつつ、北海道内を転々としたが、寸借詐欺や自動車窃盗で逮捕され、札幌刑務所で3年間服役した[その他 2]。26歳だった1969年(昭和44年)には、帯広市で窃盗と傷害で逮捕され、釧路刑務所に服役した[その他 2]。以後、甲府府中鹿児島の各刑務所で、それぞれ獄中生活を経験した[その他 2]

結局、小田島は1989年(平成元年)3月までの間に、窃盗・詐欺などの罪で、合計6回にわたり懲役刑に処せられるなど、多数の前科があった[判決文 1]

練馬三億円事件

1990年(平成2年)6月2日深夜、東京都練馬区内にある、建設会社「内野工務店」(同区本社所在)の社長宅に、刑務所で知り合った男Xとともに押し入り、6月4日正午頃までの約38時間、社長ら家族7人を脅迫・監禁し、3億円を強奪した練馬三億円事件を起こした[報道 11]。警視庁練馬警察署捜査本部、警視庁捜査一課は、多額強盗事件とみて、強盗逮捕・監禁容疑で、逃走した2人組の行方を追った[報道 11]

同年9月20日、新東京国際空港(現・成田国際空港)から、香港に出国して行方をくらましていたが、22日午後8時過ぎの便で帰国したところ、成田空港に張り込んでいた、練馬署捜査員に任意同行を求められた[報道 12]。警視庁練馬署捜査本部が取り調べたところ、小田島は3億円強奪を認めたため、9月23日夜、強盗、逮捕・監禁、建造物侵入の容疑で、小田島を逮捕した[報道 12]。なお、同事件の主犯格の男Xは同年11月29日、潜伏先の茨城県つくば市内で逮捕された[報道 13]。その後、主犯格と認定された共犯の男Xとともに、強盗、逮捕・監禁などの罪で、東京地方検察庁から、東京地方裁判所起訴された[報道 14]東京地方裁判所高橋省吾裁判長)は、1991年(平成3年)11月28日の判決公判で、主犯の男Xに懲役13年、小田島に懲役12年の判決を、それぞれ言い渡した[報道 14]

宮城刑務所での服役中

練馬三億円事件で懲役13年の有罪判決が確定した小田島は[判決文 1]1992年(平成4年)2月18日以降[判決文 2]宮城刑務所に服役した[報道 3][報道 15][報道 16]

小田島は服役直後の1992年3月12日[判決文 2]、所内の印刷工場に配属された際、同じ工場の同じ班に配属された、後述の男Mと知り合った[判決文 1][判決文 2]。小田島は1995年(平成7年)12月14日、Mと同房になった[判決文 1][判決文 2]。これを機に2人は親しくなり[判決文 1]、また周りの同房者に対し「前は会社の社長宅に押し入り、銀行から金を持って来させて、3億円を強奪した。海外で豪遊して帰って来た」と、本事件について、繰り返し自慢していた[判決文 1]。また、出所後について「資産家の家を狙って、10億円ぐらいの大金を手に入れる。今度は証拠隠滅のため、家の人間を皆殺しにし、火を点けて逃げる。その後は、偽名のパスポートで海外に高飛びする」などと、将来の犯行計画について話したりしていた[判決文 1]。そして、犯行のターゲットとして小田島は、会社として利益が出ていて、ワンマン経営で、大金をある程度自由に動かせるオーナー社長を狙おうと考えた。[判決文 1]。小田島は、獄中で雑誌などを読み、会社の内容などを調査し、多数の会社の持ち株率、借金状態、住所、電話番号など、各種のデータをノートに書き込み、情報を収集した[判決文 1]。小田島はその結果、多数の候補の中でも会社の経営状態が良く、社長の持ち株率も高いマブチモーターを、一番の有力候補と考えた[判決文 1]

前述のMとともに、犯行計画を話し合ったり、計画を記したノートを見せ合うなどするうちに、小田島はMに「入手した金を折半しよう」などと持ち掛け、犯行計画に誘うようになった[判決文 1]。最初は軽く受け流していたMも、小田島が何度も誘ううちに本気になり、1996年(平成8年)年末頃までに小田島に対し、小田島と犯行計画を実行する意思を伝えた[判決文 1]。その後も小田島はMと、上記犯行計画について何度も話し合い、Mに対し、先に出所したら、犯行の謀議に使用するアパート・犯行に使用する自動車・資金などを準備しておくよう依頼した[判決文 1]

死刑囚M

1950年(昭和25年)10月17日、鹿児島県伊佐郡生まれ[判決文 2]。2017年9月22日現在[書籍 1]死刑囚として東京拘置所収監されている[書籍 2]

生い立ち

Mは幼少期に両親が離婚し、その後は父の家庭で成育した[判決文 2]。Mは中学卒業後、父が教員として勤務する、鹿児島県内の私立高校に進学したが、中途退学し、その後大阪市内の会社に勤務しつつ、定時制の高校に通い、卒業した[判決文 2]

1976年(昭和52年)、Mは勤務先で知り合った女性と婚姻し、息子1人をもうけた[判決文 2]。しかし、Mはその後、競馬などのギャンブルにのめり込み、借金を重ねるようになったため、1979年(昭和54年)頃に退職した[判決文 2]。その後、Mは妻とも離婚し、転職・転居を繰り返すようになった[判決文 2]

Mは1983年(昭和58年)3月25日、自動車を無免許で運転したなどとして、有印私文書偽造・同行使、道路交通法違反の罪により、懲役10か月・執行猶予3年の刑に処された[判決文 2]。その後、同居していた女性の金品を盗むなどして、1986年(昭和61年)12月1日、窃盗罪により懲役1年4月に処せられ、医療刑務所に服役した[判決文 2]

殺人前科

Mは前述の刑期を終え、医療刑務所から出所後[判決文 2]東京都調布市内に在住していた[報道 17]1988年(昭和63年)9月[報道 17]、Mの交際相手だったタイ人女性は[判決文 2]タイ売春シンジケートで同居していた[報道 17]、使用者のタイ人女性(事件当時21歳、東京都新宿区上落合在住)に[報道 17][判決文 2]、「使用権」を保有され、歌舞伎町のバーで男性客との売春に応じていた[報道 17]。交際相手女性は、バーの常連客だったMに対し「120万円払えば自由にしてやる、と使用者から言われた」と相談した[報道 17]

これを受け[報道 17]、Mは交際相手の女性を束縛から解放するため[判決文 2]1989年(平成元年)1月9日夜、使用者女性のマンションを訪れ[報道 17]、「(交際相手女性を)60万円で自由にしてくれ」と相談した[判決文 2]。しかし交渉は難航し[報道 17]、Mはその使用者の女性と口論となった[判決文 2]。激情に駆られたMは、使用者女性の首を、室内にあった電話コードで絞めて殺害し、女性の部屋にあった現金7万円・ネックレスなどを盗んで逃走した[報道 17][判決文 2]。Mはこの殺人事件で、警視庁戸塚警察署捜査本部により、同年4月12日夜、殺人、窃盗容疑で逮捕された[報道 17]。同年10月11日、Mは殺人・窃盗の罪により、懲役12年に処せられた前科があった[判決文 2]

宮城刑務所服役中

前述の懲役刑により、1989年10月26日から[判決文 2]、Mは宮城刑務所に服役することになった[報道 3][報道 15][報道 16][判決文 2]。Mは、刑務所内の印刷工場に配属されたが、1992年2月18日、前述のように小田島が、同刑務所に収監されてきた[判決文 2]。同年3月12日、Mと同じ印刷工場の同じ班に、小田島が配属された[判決文 2]。その後、1995年12月14日、Mは小田島と同房になり、自然に親しくなっていった[判決文 2]

小田島は、他の同房者たちに対し、「以前、資産家の家に押し入って人質を取り、3億円を奪い、海外で豪遊して帰ってきた」などと繰り返し自慢したり、出所後について「金持ちの社長の家を襲い、億単位の金を奪う。証拠を残さないよう、家人を皆殺しにし、家に火を点ける」「成功したら他人名義の偽造パスポートを作って海外に行き遊んで暮らす」などと、将来の犯行計画について話したりしていた[判決文 2]。多くの者は、小田島の話を非現実的な話と考え、軽く聞き流しており、Mも当初は半信半疑だった[判決文 2]。しかし、Mは小田島の話に「すごいですね」などと、適当に話を合わせているうちに、小田島から、マブチモーターをはじめ、多数の会社の名称・住所・取締役の名前・資本金・株価・借金状況・大株主の持株比率など、様々な情報を、雑誌などを呼んで研究しつつ、それらを詳細にメモしたノートを見せられた[判決文 2]

これによりMは、小田島が、大金を動かすことができるワンマンの経営者を狙っていること、会社の負債や持株比率などから、マブチモーターが有力候補であること、同社からは10億円くらい取れそうであることなど、具体的な話をされるようになった[判決文 2]。そして、研究熱心な小田島に感心したMは、小田島に 「一緒に(犯行を)やらないか。奪った金は折半しよう」などと持ち掛けられ、「やります」と答えたが、互いに出所は先の話だったため、この時点ではまだ本気で考えてはいなかった[判決文 2]

しかし、Mはその後も、小田島から繰り返し、上記ノートを見せられたり、事件の計画について話をされ、何度も「一緒にやろう」と誘われたことから、「小田島が本気で自分と一緒に犯行を行おうと考えている」と思うようになった[判決文 2]。Mは当時、「自分のように殺人事件を起こし、10年以上も刑務所 に服役する人間は、世間から冷たく見られる」と思い、出所後の生活に夢も希望も持てずにいたが、小田島から「億単位の大金を手に入れる事件をやろう」と誘われたことで、「小田島と事件を起こして大金を得れば、好きな旅行や女遊びに金を使うことができるようになる」と考えるようになり、この際、小田島を信頼して勝負に出るしかないと考えた[判決文 2]。その結果Mは、1996年末頃までには、小田島とともに犯行計画を実行する意思を固め、小田島に対し、その旨を伝えた[判決文 2]

その後もMは小田島と、印刷工場の暗室で作業している時や、食事中などに、犯行をどのような方法で実行するかについて、「マブチモーター社長など、東京周辺の資産家を狙い、家に押し入って家人を脅し、銀行などから大金を用意させ、強奪しする。その後、証拠を隠滅するため、家人を皆殺しにして家に放火する」ことなどを、何度も話し合った[判決文 2]1997年(平成9年)12月頃、小田島と別の房に移ることが分かると、Mは小田島と、出所後の連絡先を交換するとともに、小田島から「Mが先に出所したら、犯行に使用するためのアパート・自動車・資金100万円を用意しておいてくれ」と頼まれた[判決文 2]。Mは同月12日、小田島とは別の房に移り、翌1998年(平成10年)3月23日以降、働く工場も別になったため、それ以降は出所まで、刑務所内で小田島と会うことはなくなった[判決文 2]

事件の概要

仮釈放から事件に至るまで

2000年(平成12年)5月23日、仮釈放されたMは、宮城刑務所から出所した[判決文 1][報道 18]。その後、しばらくは更生保護施設に寄宿していたMだったが[判決文 2]、その後も定職に就かず、知人らとともに、浮浪者の名義を利用して携帯電話を購入し、外国人らに転売する仕事をしていた[判決文 1]。その後Mは、その仕事から手を引くことにしたが、その際、数名の浮浪者の個人情報及び印鑑を入手した[判決文 2]。Mは、その浮浪者の個人情報のうち、1人の名義を利用し、国民健康保険証を取得し、これを身分証明書として用い、同人名義で借金をしたりして金を稼いだ[判決文 1]。そして、保護観察期間終了後の翌2001年(平成13年)9月頃、Mは施設を出てアパートの一室を借り[判決文 2]、宮城刑務所で知り合った、群馬県佐波郡に住む知人を頼り、知人宅に居候するなどして、生活を送っていた[判決文 1]。知人らと浮浪者の名義を利用して携帯電話を購入し、外国人などに転売するなどして、金を稼いだ[判決文 2]

Mはその後も、まじめに働く気はなく、入手した浮浪人のうち1人の名義を利用し、消費者金融から借入れをするため、同年9月28日、群馬県佐波郡内の村役場で、浮浪人の住民登録を不正に知人方に異動させ、住民基本台帳ファイルに虚偽の記録をさせ、公正証書の原本としての用に供した(Mの電磁的公正証書原本不実記録罪、同供用罪[判決文 2]。これにより、Mは国民健康保険証などを入手し、これを身分証明書として用いて、浮浪人名義で借金をし、借りた金でフィリピンに旅行に行ったり、パチンコに興じるなど、無為徒食の生活を送っていた[判決文 2]。同年12月から、Mは知人の紹介で、運転手の仕事を始めたものの、楽をして大金を得ることはできないかなどと考えていた[判決文 2]

Mは2002年5月、小田島がそろそろ仮釈放され、刑務所を出所してくる頃だと考えた[判決文 1]。Mは小田島に、まだ宮城刑務所で話し合った犯行計画を、ともに実行する気があるならば、一緒に実行したいと考え[判決文 2]、刑務所内で話し合った計画がどうなったか聞こうと思い、小田島から出所後の連絡先として教えられていた、小田島の義父の電話番号に電話をかけた[判決文 1][判決文 2]。その結果、約1か月後の同年6月下旬頃[判決文 1][判決文 2]、小田島が仮出所すると聞いたため、自分の携帯電話の電話番号を連絡先として教え、小田島が出所したら、その番号に連絡するように伝言した[判決文 1][判決文 2]。その上で、同年6月11日、Mは小田島の出所に備え、群馬県伊勢崎市内のアパートの一室を借り、そこに住むようになった[判決文 1][判決文 2]

小田島は同年6月25日、仮釈放を許され、宮城刑務所を出所した[判決文 1][報道 18][報道 15]。同日、小田島は保護観察所に出頭し、東京都内の更生保護施設に入所するとともに、義父からMの携帯電話の電話番号を聞いた[判決文 1]。小田島はMに電話をかけ、Mと連絡を取り[判決文 1][判決文 2]、翌26日、外泊許可を受けて[判決文 1]、Mに駅まで迎えに来てもらい[判決文 2]、Mが用意したアパートに行った[判決文 1]

小田島はアパートに着くと、宮城刑務所の中で話した、マブチモーターを狙う計画について、Mと話し合った[判決文 1][判決文 2]。 Mは、小田島に計画を実行する気持ちがまだ残っていれば、やるつもりでいたため、小田島から「マブチモーターの社長宅を狙おう。Mさん、気持ちは変わってないか」などと切り出し、犯行計画を実行する気持ちに変化がないか確認された上で、改めて「10億円くらいは手に入る」などと切り出されると[判決文 1][判決文 2]、Mは「大丈夫です。やりましょう」と答えた。そのため、2人はその場で、刑務所内で話した、計画の内容を再度確認し、億単位の金員を強取できるものと期待し、これを実行することを決めた[判決文 1]。その際小田島は、Mに対し、「事件を起こした後、警察からのマークを避けたり、海外逃亡できるように、他人名義のパスポートを作りたい」と相談した[判決文 1][判決文 2]。Mは、小田島が逮捕されれば、自分の身も危うくなると考えたことから、これに協力し、前記の方法で入手した、浮浪人の個人情報・同人名義の国民健康保険証などを、小田島に受け渡した[判決文 1][判決文 2]

小田島は、浮浪者名義のパスポートを入手するとともに、犯行後に他人に成り代わって生活するため、Mの共犯者が入手していた浮浪者の個人情報を利用した[判決文 1]。同年7月12日、小田島は同名義の一般旅券を入手しようと、、この浮浪者が住民登録していた、伊勢崎市役所に対し、浮浪者の住民登録を不正に異動させようとして、市民課戸籍係員に対し、「浮浪人は伊勢崎市内の(Mが用意したアパートの)住所に転入した」とする、虚偽の内容の住民異動届を提出するなど、虚偽の申し立てをして、住民基本台帳ファイルに嘘の記録をさせ、備え付けさせた(小田島の電磁的公正証書原本不実記録罪、同供用罪[判決文 1]。小田島は同月26日、浮浪者名義で、外務大臣川口順子(当時)宛ての一般旅券発給申請書を作成し[判決文 1][判決文 2]、その氏名欄に浮浪人の実名を、現住所欄に「群馬県伊勢崎市…」(当時の2人の住所)などと記入し、申請者署名欄にも、浮浪人の実名を記載した上で、小田島自身の顔写真を張り付け、一般旅券発給申請書1通を偽造した[判決文 1][判決文 2](小田島の有印私文書偽造罪)。

小田島は同日、この一般旅券発給申請書を、前橋市内の群馬県パスポートセンターに、浮浪人の戸籍謄本などとともに、本物と装って提出し、群馬県知事(当時:小寺弘之)を経由し、川口外務大臣に一般旅券の発給を申請した[判決文 1][判決文 2](小田島の有印私文書行使罪)。同年8月6日付、小田島は同センターで、浮浪人名義・小田島の顔写真入りの、一般旅券(旅券番号TG2422125)の交付を受けた[判決文 1][判決文 2](小田島の旅券法違反)。この不正行為で、小田島が旅券の交付を受ける際、Mはあらかじめその情を知りながら、同年6月27日頃、同県伊勢崎市内のM方(当時)で、小田島に対し、浮浪人名義の国民健康保険被保険者証・住民票などを手渡し、前述の各犯行を遂げるために必要な、浮浪人の氏名・生年月日・登録住居地など、各種個人情報を教示するなどし、小田島の各犯行を容易にさせ、幇助した[判決文 2](Mの電磁的公正証書原本不実記録幇助罪、同供用幇助罪、有印私文書偽造幇助罪、同行使幇助罪、旅券法違反幇助)。

小田島は同年7月22日、更生保護施設から義父方を転居先とする転居許可を受け、同月25日、施設を退所した[判決文 1]

小田島は、マブチモーターの当時社長だった馬渕隆一宅付近を、数回下見し、電話をかけて日中の在宅状況を調べるなどして、情報を収集した[判決文 1]。同年7月下旬頃までに2人は[判決文 2]、小田島が収集した情報をもとに、同年8月5日に犯行を実行すること、具体的な手順としては「宅配業者を装って馬渕邸に侵入し、在宅している女性を人質に取る。その後、馬渕社長が帰宅したら、刃物で脅すなどして制圧し、電話で銀行から現金を持参させて奪う。その後、一家を皆殺しにし、家に火を点けて逃亡する」ことなどを取り決めた[判決文 1][判決文 2]。小田島らは、犯行当日までに、犯行に使用する段ボール・刃物・布粘着テープ・缶入り混合ガソリンなどを用意したり、犯行時に乗っていく自動車を駐車しておく場所を、馬渕邸の最寄り駅である、新京成電鉄新京成線常盤平駅から離れた[判決文 1][判決文 2]、別の駅(松戸駅)近くの駐車場に決めたりするなど[報道 19][判決文 1][判決文 2]、犯行のための準備を進めた[判決文 1]

小田島らは同8月5日、Mが運転する自動車で、下見をしておいた[判決文 1][判決文 2]、松戸駅前の駐車場に向かい[報道 19][判決文 1][判決文 2]、同日午前11時30分頃、その駐車場に駐車した[判決文 1][判決文 2]。2人はそこから、電車(新京成線)[報道 19]・徒歩で馬渕邸に向かった[判決文 1][判決文 2]

第1の事件(本事件)

8月5日午後3時頃、小田島・M両名は、宅配業者を装い、馬渕邸を訪問した[判決文 1]。その際、馬渕の長女B子(当時40歳)が応対し[報道 1][判決文 1]、1階の玄関ドアを開けた[判決文 1]

小田島・Mはそのまま、家の中に押し入ると(住居侵入罪[判決文 1]、B子と、その母親である馬渕の妻・A子(当時66歳)に対し[報道 1][判決文 1]、、持っていた刃物のようなものを突き付け、両名の両手首を、ネクタイのようなものでそれぞれ縛り上げた[判決文 1]。そして、2人の口・長女の眼に、布粘着テープを貼り付けるなどの暴行を加え、抵抗できないようにした上で、馬渕家の資産である現金数十万円や[判決文 1]、市価数十万円から数百万円の、外国製の腕時計5個、ダイヤモンドなどの指輪4個の[報道 20]、貴金属計5点(時価合計約966万円相当)を奪った[判決文 1]

小田島はそのまま、2階の馬渕夫妻の寝室で[報道 1][判決文 1]、B子の首にネクタイを巻き付け、絞めつけて殺害した(強盗殺人罪[判決文 1]。そして、Mは1階の居間で、A子の首をネクタイのようなもので絞めつけ、殺害した(強盗殺人罪[判決文 1]。殺害される直前、B子は小田島らに対し、「なぜ、こんなことをするの」と、涙を浮かべて訴えていた[報道 21]

小田島らは2人を殺害した後、同日午後3時30分頃、B子の遺体があった2階の寝室で、ベッド上に混合ガソリンを撒いた[判決文 1]。さらに、A子の遺体があった1階居間の床上にも、同じく混合ガソリンを撒くと、その2か所にそれぞれ、ライターで点火し、放火した(現住建造物等放火罪[判決文 1]。火は、1階居間の壁・天井などに燃え移り、馬渕邸(鉄筋コンクリート造亜鉛メッキ鋼板葺2階建て、床面積合計約214.81㎡)のうち、1階居間の壁・天井など、合計約83㎡が焼失した[判決文 1]。放火後2人は、勝手口から逃走し、松戸駅に戻り、車で逃走した[報道 19]。事件後、小田島・M両名は8月20日、フィリピンに出国した[報道 15]

第2の事件(東京都目黒区歯科医師強盗殺人事件)

当初の計画とは異なり、本事件では、馬渕邸にある金品を強取しただけで、予想していたほどの大金を得られなかった[判決文 1]。そのため、小田島は自動車学校の費用・生活費・パチンコ代などに[判決文 1]、Mも旅行・フィリピン女性との交際・パチンコなどの遊興費などに[判決文 2]、それぞれ強奪した金品を浪費した[判決文 1][判決文 2]。これにより、2人は金銭に窮したため[判決文 2]、Mは、事件から約1か月後の9月頃、フィリピン旅行から帰国して以降、再び本事件のような事件を起こし、大金を手に入れたいと思うようになり、小田島に対し「また資産家を狙おう」と提案した[判決文 1][判決文 2]

Mは、小田島から「すぐには計画を立てられない」と言われたことから[判決文 2]、その後しばらくは[判決文 1]、Mのアパートで同居しつつ[判決文 1][判決文 2]、2人でマンションなどへの空き巣狙いで[判決文 2]、窃盗を繰り返して生活していたが[判決文 1]、その後「どうせ捕まる危険を冒すのであれば、資産家の家に押し入り、家人を縛り上げて大金を奪う方がよい」と思い[判決文 2]、再び小田島に対し、資産家を狙おうと催促するようになった[判決文 1][判決文 2]

小田島は、以前犯行標的の候補として検討していた、ゲームソフト会社の社長宅を狙おうと考えたが、Mとともに、同社長宅を下見に行ったところ、防犯設備が整っていたことから、同宅を狙うことを断念した[判決文 1][判決文 2]。しかし、その帰宅中に小田島は「歯科医であれば金を持っているだろう」と考え、立ち寄ったコンビニエンスストアから取ってきた、職業別電話帳を調べたところ、東京都品川区内(東急目黒線武蔵小山駅付近)の[報道 22]、歯科医院の広告が掲載されていた[判決文 1]。これに目を付けた小田島は、Mに対し[判決文 1]、同医院を経営する、目黒区目黒本町在住の、歯科医男性C(当時71歳)宅を標的とし[報道 4]、狙うことを提案すると、Mはこれを承諾した[判決文 1]

同月19日、2人は歯科医院・C宅周辺を下見した結果[判決文 2]、C宅には入りやすいと判断し、同所で強盗殺人を行うことを決めた[判決文 1]。小田島が具体的な計画として、夕方、歯科医院の前でCが帰宅するために出てくるのを待ち、家までCの後をつけ、Cが家に入ったところ、ナイフで脅して家に押し込み、監禁して金を出させることとし[判決文 2]、金を奪った後、マブチモーター事件と同様、家人を皆殺しにし[判決文 1]、現場から逃走するという計画を立てた[判決文 1][判決文 2]

2人はその後、犯行に使用するナイフ・手袋を用意し、同月23日には、翌24日に計画を実行することを決めた[判決文 1][判決文 2]。 2人は事件当日の24日、Mが運転する車で歯科医院に赴き、少し離れた場所に車を駐車した[判決文 1][判決文 2]。その後、再度C宅を下見し、歯科医院の診療終了時刻が近づくと、帰宅するCが、歯科医院から出てくるのを、医院付近で待っていた[判決文 1][判決文 2]。しかし夕方になっても、Cが一向に出てこなかったことから、Cが出てきたのを見逃したかもしれないと考えた2人は、小田島がC宅に向かった上で、Mが歯科医院前に残り、小田島からの電話連絡を待つことにした[判決文 1][判決文 2]

小田島は、9月24日午後6時30分頃、勝手口のドアからC宅に押し入り、Cの左側胸部を突き刺すなどして、肺損傷を伴う刺傷を負わせた[判決文 1]。小田島はそのまま、C所有の現金約35万円・カレッジリング1個(時価3万円相当)を強奪すると[判決文 1]、C宅から徒歩約10分の距離にある、歯科医院前で待機していた、Mを電話で呼び出した[判決文 2]。この時点でCは、既に両手をコードのようなもので縛られており、腹部から大量の血を流しながら、居間の床の上に倒れ、身動きを取れず、弱い呼吸をしていた[判決文 1][判決文 2]。その後、小田島から「(首を)絞めてくれ」と、Cの殺害を指示されたMは[判決文 1]、殺意を持った上で、Cの首を、タオルで首を力一杯絞めつけた[判決文 2]。Cは、顎が少し上がった状態で「うっ」と苦しそうな声を出し、体が緊張した状態になったが、そのままMが首を絞め続けると、首の力が抜け、その後,力が抜けてだらんとした状態のまま、身動きをしなくなった[判決文 1][判決文 2]。Cはこの結果、左側胸部を刺されたことにより左肺を損傷しており、これに起因した胸腔内出血と、首を絞められたことによる窒息により死亡した[判決文 1][判決文 2]

Cの遺体を司法解剖し、その死因などの鑑定をした医師が、小田島の公判で証人として出廷し、証言した内容によれば、Cの肺損傷による胸腔内出血・首を絞められたことによる窒息は、いずれも単独で、最終的に脳の循環障害を生じさせるものである[判決文 1][判決文 2]。そのため、どちらの原因がより直接的に効いたかは判断できないという意味で、死因が競合しているといわざるを得ないという[判決文 1][判決文 2]。しかし、両者がともにある場合、片方しかない場合に比べ、死期が早まることは十分考えられ、最終的には両者が死因として関与したということができるということから、小田島の刺突・Mの絞首とも、Cの死亡という結果と因果関係を有することが、刑事裁判で認定された[判決文 1][判決文 2]

Cは妻・内科医の長男との三人暮らしだったが、当時妻と長男は旅行中だった[報道 4]。この日、午後6時10分頃までは、自分の経営する歯科医院で勤務しており、午後7時頃には、近くの娘婿宅を訪れる約束をしていた[報道 4]

第3の事件(千葉県我孫子市金券ショップ経営者妻殺害事件)

目黒区の事件後、2人は、奪った金品を約1か月で浪費した[判決文 1]。その結果、2人は再び金銭に窮し、空き巣狙いによる窃盗を繰り返す生活をするようになった[判決文 1]。Mは同年10月上旬頃から、再び小田島に対し「金持ちのところを狙おうなど」と誘うようになった[判決文 1]。小田島も、目黒区の事件で思っていたほど大金を得られなかったため、次の事件を考えるようになった[判決文 1]。小田島は以前、東京都千代田区神田の老舗金券ショップに来店した際[判決文 1][報道 5]、その活況ぶりが印象に残っていたことを思い出した[判決文 1]。そのため、同店を狙うことを思いつき、同年11月15日頃、Mにそのことを提案すると、Mもこれに賛成した[判決文 1]

小田島・M両名は、同月18日頃、金券ショップを下見したが、同店は防犯設備があり、そのまま押し入るのは難しそうだと判断した[判決文 1]。そこで、同店を経営する経営者男性D(事件当時69歳)を拉致し[判決文 1][報道 5]、同店に連れて行き、鍵を開けさせて押し入ることを決めた[判決文 1]。Dを拉致する方法としては、帰宅途中を襲う方法を取ろうと考え、それが無理な場合、マブチモーター事件と同様、先に家に押し入り、家人を監禁して人質に取り、帰宅したDを捕まえる方法を取ることにした[判決文 1]。そこで小田島らは同日、帰宅するDを尾行し[判決文 1]JR東日本常磐線天王台駅付近の、千葉県我孫子市柴崎台のマンションに[報道 5]、Dが在住していることを突き止めた[判決文 1]。その上で、現場付近の状況を下見し、Dの下車駅から、D宅までの間で、Dを襲撃・拉致することを決めた[判決文 1]。また、小田島らは同月19日、犯行に使用する手錠・催涙スプレーを購入し、D宅に侵入する場合は警察官を装うこと、翌日に計画を実行することなどを決めた[判決文 1]。現場周辺は事件前から、空き巣被害が頻発していたため、所轄の我孫子警察署は重点的に警戒していたという[報道 5]

小田島らは同月20日朝、警察官を装うため、スーツを着用し、包丁・催涙スプレーを封筒に入れて持ち、Mの運転する自動車で現場に向かった[判決文 1]。2人は、D宅を再度確認した上、午後7時から8時頃、Dの下車駅で、Dが出てくるのを待った[判決文 1]。しかし同日は、午後11時を過ぎても、Dが姿を見せなかったため、小田島らはこの日の計画の実行を断念し、警察官を装ってD宅に押し入る方法に計画を変更した上、翌日に実行を延期することとした[判決文 1]。Dは事件直前から、残業で帰宅が遅くなることが多かったという[報道 5]。同夜は、高速道路のサービスエリアに車を駐車し、車内で仮眠を取った[判決文 1]

翌日、2人は再びD宅に戻り、D宅やその周辺を下見した[判決文 1]。その上で、マブチモーター事件と同様、D宅の最寄り駅・天王台駅から離れた、別の駅前の駐車場に駐車し、そこから電車・徒歩でD宅へ向かった[判決文 1]

2人は11月21日午後6時10分頃、Dが在住するマンションの一室を、警察官を装って訪問した[判決文 1]。その際、在宅していたDの妻E子(事件当時65歳)が応対し[判決文 1][報道 5]、玄関ドアを開けた[判決文 1][判決文 2]。2人は、居宅内に押し入ると、E子に対し、顔を拳で殴打し、ナイフを突き付けて室内に押し込んだ上で、E子を手錠・猿轡で拘束した[判決文 1][判決文 2]。さらに、抵抗するE子の顔面を殴り、催涙スプレーを吹き付け、後ろ手錠をかけるなどの暴行を加えた[判決文 1][判決文 2]。小田島らはそのまま、E子から金品のありかを聞き出し、Dらが所有していた現金百数万円や、財布1個(時価約2000円相当)などを強奪した[判決文 1][判決文 2]。さらにMは、口封じのため家人を殺害しようと、殺意を持って、E子の首にアース用コードを巻き付け、絶命するまで数分間絞め続けた[判決文 1][判決文 2]。そしてMは、同コードを首に結んで固定し、E子を窒息死させた[判決文 1][判決文 2]。E子は、夫Dが経営する会社の役員を務めており、同じ職場に勤務していたが、事件数日前から風邪で休んでいた[報道 5]

捜査

本事件

8月5日午後3時50分頃、馬渕邸から出火し、その大半が焼失した[報道 1][報道 2]。焼け跡の1階居間・2階居間の2か所から、それぞれ2人の遺体が発見されたが、いずれもガソリンのようなものを撒かれて火を点けられ、炭化するほど激しく焼けており、年齢・服装などは判別できない状態だった[報道 1][報道 2]。馬渕は、殺害された妻・長女に加え、当時43歳の長男と4人暮らしだったが、馬渕本人は仕事で外出していた[報道 1]。また、同日正午から午後1時頃まで、いったん昼食のために帰宅していた長男も、その後仕事で外出しており、無事が確認された[報道 1][報道 2]。焼け跡には、ガソリンのような油が撒かれていた形跡が確認されたことから、千葉県警察松戸東警察署は、遺体は妻・長女とみて、身元の特定を進めるとともに、放火殺人事件の疑いもあるとみて、捜査を開始した[報道 1][報道 2]。近隣住民の女性は「馬渕邸から黒煙が上がり、(遺体が発見された)1階の居間を中心に燃えた」と証言した[報道 1][報道 2]

翌6日、千葉県警捜査一課などの捜査により、遺体の首には、ひものようなもので絞められた跡があることが判明した[報道 1][報道 2]。このことから同県警は、何者かが2人を殺害後、馬渕邸に放火した、放火・殺人事件と断定し、捜査本部を設置した[報道 1]。1階居間では、腰かけるような格好で遺体が見つかり、20畳ほどの部屋全体が燃えていた[報道 1][報道 2]。2階は馬渕夫妻の寝室で、遺体はベッド上にあおむけに横たわり、上半身が激しく焼け、ベッド周辺だけが燃えていた[報道 1][報道 2]。前述のように、出火当時は馬渕とその長男が不在だったことから、2人が殺害されたのは、長男が外出した午後1時頃から、出火した午後3時50分頃までの間とみて捜査した[報道 1][報道 2]

千葉県警捜査一課・松戸東署の捜査本部は8月6日、室内に物色の跡が確認できなかったことや、油類を入れた容器が見つかったことから、怨恨による計画的な犯行との見方を強めた[報道 23]。また、捜査本部は遺体の歯型を鑑定した結果、1階居間のソファに座った状態で発見された遺体を妻A子、2階の夫婦寝室ベッド上で仰向けになっていた遺体を長女B子と、それぞれ断定した[報道 23]。また、遺体を司法解剖した結果、2人の死因はともに窒息死である疑いが強まった上、2人の遺体の首には、ネクタイのようなものが、燃え残った状態で巻かれていた[報道 23]。さらに、激しく燃えていた2人の遺体には、死亡してから時間を置かず、すぐに焼かれたことを示す特徴がみられたという[報道 23]。その一方で、遺体の眼・口には、それぞれ粘着テープが貼られていたが、他の強盗事件などで、犯人が被害者の動きを封じるため、粘着テープで手足を縛るケースとは異なり、遺体の手足には、縛られた痕跡がなかった[報道 23]。また、室内には争った痕跡もなく、過去に馬渕家からは、千葉県警に対しても、不審者に狙われているなどの相談は特になかった[報道 23]。このことから、犯人は2人をネクタイ上のもので絞殺した後、油を撒いて火を点けた疑いが強まった一方、なぜ犯人が顔だけに粘着テープを貼ったのか、捜査本部は調べを進めた[報道 23]。同日、松戸市松飛台のマブチモーター本社では、広報宣伝部長・総務部長が会見を行い、馬渕について「社長は相手の気持ちを思いやれる人で、社員たちからの信頼も厚い。社内・取引相手を考えてみても、恨みを買うような心当たりはない」、「奥さん(A子)が病気がちで、娘さん(B子)が看病しているという話を聞いたことはあるが、社長が家のことで悩んでいる様子は、特になかった」などと説明した[報道 23]。これまでの捜査では、事件直前の5日午後1時頃、同居していた長男が、自宅で食事を終え、母A子を残して職場に戻った[報道 23]。その後[報道 23]、午前中に外出していた[報道 24]、B子が帰宅し、ともに事件に巻き込まれた、という線が強まった[報道 23]。出火当時、馬渕邸のガレージ脇の塀沿いに、普段は見かけない不審な紺色の乗用車が止まっていた、という情報が、近隣住民から捜査本部に寄せられたが[報道 23]、事件当時、不審者を目撃したという情報は得られなかった[報道 24]

捜査本部は8月7日、現場の状況などから、犯人は当初から、殺害目的で馬渕邸に侵入し、犯行に及んだとの見方を強めた[報道 24]。これまでの調べによると、2人の遺体の状況から、油類が撒かれた後、火を点けられたとみられたが、現場にガソリン・灯油類の匂いは漂っていなかったため、他の緩いが使われた可能性が高いとみられた[報道 24]。関係者によれば、A子は事件の7,8年前から病気を患っていたが、寝たきりではなく、家の中では健常者と同様に生活できていた[報道 24]。また、馬渕夫婦については「ともに優しい人で、他から恨みを買うような人ではない」(関係者)、「普段、馬渕さんが理容室の予約をする際は、必ず奥さん(A子)が、電話で店に予約を入れてきてくれた」(馬渕が良く利用していた理容室の店員)など、これまでの捜査でも、被害者らの周辺に、人間関係上のトラブルは特に見受けられなかった[報道 24]

8月8日までの捜査で、1階部分の玄関・窓などは、すべて施錠されていた可能性が高いことが判明した[報道 25]。出火直後到着した消防隊員は、1階部分を1周し、開いている出入り口・窓がないか調べたが、すべて鍵がかかっており、開けられなかったため、玄関脇の窓ガラスを割り、鍵を開け、消火活動を行ったという[報道 25]。また、玄関の可否穴にも、ピッキングされるなどしてこじ開けられた形跡はなかった[報道 25][報道 26]。現場に落ちていた燃料缶は、何院が持ち込んだ可能性が高いとみられ、捜査本部は、遺体周辺・燃料缶内、それぞれから検出された油類の成分を分析し、一致するかどうか、鑑定を進めた[報道 25]。同日、松戸市内の斎場にて、A子・B子の通夜が営まれた[報道 25]

8月9日、松戸市内の斎場で、2人の告別式が営まれた[報道 27]。同日までの捜査で、残業のため夜まで会社に残ることが多かった馬渕のために、B子がほぼ毎日弁当を作り、それを届けに運転手が、馬渕邸に受け取りに来るのが、日課になっていたことがわかった[報道 27]。長男も、昼食を食べに自宅に戻るのが日課になっていたため、犯人は一家の日常生活を調べた上で、犯行に及んだ可能性が浮上した[報道 27]。。運転手は事件当日、B子の作った弁当を受け取りに、午後2時頃に馬渕邸を訪れており、出火したのは、運転手が馬渕邸を後にして以降の午後3時50分頃だった[報道 27]。また、捜査本部は同日までの現場検証で、2階から犯人が侵入・逃走した形跡がないか調べるため、ガレージ屋根の足跡などの有無を確認するなどした[報道 27]。また、犯行に使用された油類が入っていたとみられる、4リットル入り燃料缶が、黒く焦げていたため、缶の表面に記載された文字などを鑑定し、製造元などの特定も進めた[報道 27]。捜査本部は同日、事件前後に現場前を通行した人々に対し、不審者の目撃情報などの提供を求める、立て看板を設置した[報道 27]

8月10日までの捜査で、A子らが自宅にいる昼間は、普段から玄関を施錠する習慣があったことが判明した[報道 26]。馬渕邸を頻繁に訪れていた関係者曰く、昼間は敷地内に入ることはできるが、玄関は常に施錠されていた[報道 26]。捜査本部は犯人の侵入経路について、2階の施錠されていない窓から侵入したか、鍵を使って玄関から侵入したなど、あらゆる可能性を視野に入れ、捜査を進めた[報道 26]

これまでの調べでは、室内に物色の跡は見られず、貴重品などが盗まれた形跡はないとされ[報道 23]、殺害そのものが目的の犯行と見られていた[報道 23][報道 28]。しかし8月11日、捜査本部の調べの結果、現場にあった数百万円相当の貴金属類がなくなっていたことが、新たに判明した[報道 29][報道 28]。調べによると、一家4人それぞれの寝室がある2階を中心に、物色された形跡があり、馬渕夫婦の寝室の棚の引き出しなどからは、入れてあった腕時計・指輪など、貴金属類数点がなくなっており、それらの貴金属が入っていた空き箱が、床に散乱していた[報道 29][報道 28]。その一方で、2階には数か所に分けて、生活費など現金数十万円が置いてあったが、いずれも手付かずのままで、なくなっていない貴金属も発見された[報道 28]。また、夫婦の寝室にあった金庫には、会社関係・不動産関係の書類や、ゴルフ会員券などが入っていたが、施錠をこじ開けようとした形跡はなかった[報道 28]。こうした状況に、捜査本部は犯行動機を絞り込めずに困惑し、捜査関係者は「金目当てなら、なぜすべての金品を持ち去らなかったのか。第一、火を点けたら近隣住民にすぐ、犯行が露呈するのに、なぜ放火という手段を選んだのか」と、首をかしげた[報道 28]

捜査本部は、8月13日までの捜査の結果、2人が遺体で発見された、1階居間・2階寝室それぞれから、ガソリンの成分を検出した[報道 30]。同日、捜査本部は最後の現場検証を行った[報道 30]。それまでの現場検証の結果、2階の馬渕夫妻の寝室では、箪笥の引き出しが開き、床に落ちていた貴金属類のうち、馬渕の腕時計や、A子の指輪・ネックレスなど、計数点がなくなっていたが、寝室にはもともと30点近い貴金属類があり、箪笥とは別に寝室に置いてあった、A子の宝石箱は手つかずで残っていたことが判明した[報道 30]。また、床には、一見して高価なものも残っており、馬渕拓の1階居間・2階寝室には、寿か所に分けて現金数時位万円が残されており、A子・B子の財布も、現金が入ったまま残っていた[報道 30]

8月14日までの捜査で、遺体や室内を焼くために使われた、ガソリンが入っていたとみられる燃料缶は、外部から持ち込まれていたことが判明した[報道 31]。燃料缶は、B子の遺体が発見された、2階の夫妻寝室から発見されたが、馬渕邸にあったものではなかった[報道 31]。このことから捜査本部は、ガソリンの入手経路が班員割り出しの手掛かりにつながる可能性があるとみて、捜査を進めた[報道 31]。一方で、犯人は犯行後、台所とガレージを仕切る、勝手口の扉を開けてガレージに出た後、ガレージ脇の扉を開け、外部に逃走した可能性が強いことも判明した[報道 31]

8月20日、マブチモーターの中間決算(連結)の発表が、東京証券取引所で行われた[報道 32]。取締役経営管理部長(当時)・西村俊六は、事件の影響について「経営への影響は基本的にない」と答えた[報道 32]

8月21日までの捜査の結果、被害者遺族の指摘から、新たに1階の家事室からも、A子のアクセサリーなど、貴金属が紛失された可能性が高いことが判明した[報道 33]。家事室は、A子の遺体が発見された今の隣にあり、2階の寝室ほどではなかったものの、物色したとみられる形跡があった[報道 33]

第2の事件

9月24日午後9時頃、Cが約束の時間(午後7時頃)を過ぎても現れなかったことを不審に思った、Cの娘婿は、様子を見に行こうと、C宅を訪ねてきた[報道 4]。娘婿はその際、1階居間にて、普段着姿で、両手首を電気コードで縛られ、うつぶせの状態で、血まみれで倒れているCを発見し、110番通報した[報道 4]。Cは、左首1か所・左脇腹数か所を、鋭利な刃物で刺されており、病院に搬送されたが、間もなく死亡した[報道 4][報道 22]。1階・2階それぞれの今のたんすの引き出しが物色されており、Cの財布もなくなっていることなど、室内に物色された跡があったことなどから、警視庁捜査一課は、強盗殺人事件と断定し、碑文谷警察署に特別捜査本部を設置し、捜査を開始した[報道 4]。現場は、東急目黒線西小山駅から北約300mの住宅街の一角だった[報道 4]

その後の特捜本部による捜査で、近隣住民への聞き込みの結果、事件前日の23日午後4時過ぎから[報道 4]、午後5時半ごろにかけ、C宅から約30m離れた区立公園で[報道 34]、不審な男2人組が、C宅をのぞき込んでいたことが判明した[報道 4][報道 34]。また、Cは1階居間で、靴を履いたまま倒れていたことから、Cが帰宅直後に襲われた疑いがあるとみて、不審な2人組との関連について調べた[報道 4]。2人組のうち[報道 4]、1人はひげを生やしており[報道 34]、40歳代から50歳代の[報道 34]、身長約165cmの男で[報道 4]、白っぽいジャケットを着ていたやせ型の男だった[報道 34]。2人組は、C宅前をゆっくりと数回往復しながら、敷地内をのぞき込んでいたという[報道 4]。Cの遺体を司法解剖した結果、死因は、肩刃の刃物で胸を刺されたことによる出血・首を絞められたことによる窒息の、複合死因だったことが判明した[報道 34]

第3の事件

11月22日午前1時15分頃、事件当日の21日午前8時に出勤していたDが、自宅マンションに帰宅したところ、自室内で妻E子が倒れているのを発見し、110番通報した[報道 5]。千葉県警我孫子警察署が調べたところ、普段着姿のE子が、2DKの奥の6畳間和室中央付近で、首にひものようなものを巻き付けられ、既に死亡していた[報道 5]。死因は窒息死で、遺体の衣類に乱れはほとんどなかったが、胃に内容物はほとんどなかった[報道 5]。室内は、たんすなどが開けられ、衣類が散乱するなど、かなり荒らされており、電灯は消え、窓は閉まっていた[報道 5]。千葉県警捜査一課は同日午後、E子が首を絞められて殺害されたと断定し、殺人事件として、我孫子署に捜査本部を設置、捜査を開始するとともに、室内の物色の跡から、物取り目的の可能性も視野に、捜査を進めた[報道 5]

11月23日、捜査本部による捜査の結果、それまでに分かっていた、たんすの物色痕に加え、複数の部屋の中に、多数の空き箱が散乱し、室内を執拗に物色した形跡があることが発覚した[報道 35]。これを受けて捜査本部は、物取りによる犯行の線が強まったとして、金品紛失の有無を調べるとともに、負債の交際関係・金券ショップの顧客について、捜査を進めた[報道 35]。また、捜査関係者によれば、神田で金券ショップを経営していたDは、我孫子市内でも、数件のマンションを所有していた資産家だったが、前年2001年4月、同市内の一軒家・マンションを売却し、犠牲になった妻E子とともに、現場マンションに転居していた[報道 35]。同日も現場検証が行われ、玄関付近を中心に、鑑識活動が行われた[報道 35]。また、事件前後に不審者が目撃されなかったかどうかなど、聞き込み捜査も進められた[報道 35]

捜査の難航

被害者の眼・口を粘着テープでふさぐ一方で、手足は縛らず、絞殺後に燃料を撒いて放火するという手口は、捜査本部が調べた結果、過去の事件にも例がない特異なものだった[報道 36]。また、犯人らはあらかじめ燃料缶を準備するなど、周到な犯行の計画性がうかがえた半面、B子の絞殺には、現場にあったネクタイを使うなど、場当たり的な面も見られた[報道 36]。また、2階の夫妻寝室から、貴金属数点がなくなっていた一方で、宝石箱は手つかずで、多くの貴金属が残っていたり[報道 36]、現金130万円・預金通帳・印鑑なども[報道 20]、そのまま残っているなど、捜査本部は犯行動機を「物取り」か、「怨恨」か、絞り込めない状態が続き、明確な犯人像は浮上せず、事件から1カ月を控えた9月4日時点でも、捜査は難航していた[報道 36]。また、付近の新聞販売店員が「事件前後の午後3時前・4時前の2度にわたって、馬渕邸から数十m離れた路上で、紺色のキャップを被り、黄色いTシャツを着た、東南アジア系の男を見た。いずれも、男は慌てた様子もなく、普通に歩いていた」と証言していたが、捜査本部は「事件との関連性は薄い」との見方だった[報道 36]。一方で9月4日、捜査本部の捜査の結果、現場に残されていた燃料缶は、ガソリンエンジンオイルの混合燃料が入った、2リットルの燃料缶だったことが判明した[報道 36]。燃料缶は、馬渕邸にあったものではなく、表面の残った文字などを鑑定した結果[報道 36]大阪市のメーカーが[報道 37]、2000年暮れ頃に商品化し、主に芝刈り機・草刈りにの燃料用として、3月から9月の期間限定で、年間5万本から6万本ほど製造・販売していたもので[報道 36]、事件のあった2002年8月までに、全国で約86,000本が流通していた[報道 37]。購入者は主に、造園業者・農業関係者らで、一般的な知名度はそれほど高くないという[報道 36]。遺体の周辺からも、前述のようにガソリン・オイルの成分が検出されたことから、捜査本部は、犯人がこの燃料缶を持参し、中身を撒いて火を点けたとみて、重要な遺留品として、販売ルートの解明を進めたが、製造番号は焼け落ちていたため、扱った店までは特定できなかった[報道 36]。また現場からは、犯行に使われたとみられる、粘着テープの真の燃えカスも発見されたが、これは大量に出回っている物であり、特定は困難を極めた[報道 36]。一方、地元では、「犯人は外国人ではないか」という噂が立ったことから、「事件後にいなくなったりした、怪しい従業員はいないのに」(経営者)、客足が遠のき、売り上げが悪化した、外国系飲食店もあるなど、風評被害が見られた[報道 38]

事件から2カ月が経過した10月5日時点でも、松戸東署捜査本部は100人体制を維持し、現場周辺の聞き込み・不審者の目撃情報などを手掛かりに、捜査を進めたが、犯人に結び付く有力な情報は得られず、捜査は難航した[報道 39]。前述のように、燃料缶の購入者割出が、事件解決の手掛かりになると見た捜査本部は、松戸市内のホームセンターを中心に、防犯カメラの映像を回収し、解析を進めた[報道 39]。また、事件後に寄せられた、様々な不審者の目撃情報は、未確認のものもあったが、その大半は、事件とは無関係だったことも判明していた[報道 39]

2003年(平成15年)2月13日、マブチモーターの取締役会が開かれた[報道 40]。社長を亀井慎二(当時専務)に交代し、馬渕は社長から、代表取締役会長に退く人事が内定し、3月28日の株主総会後に開かれた取締役会で正式決定した[報道 40]。マブチモーター広報宣伝室はこの人事について「交代は世代交代を図るもので、事件とは関係ない」とした[報道 40]

2003年2月20日、馬渕が報道各社に対し、事件後初めて、文書で心境を寄せた[報道 41]。その中で馬渕は「心のよりどころと、家庭のぬくもりや潤いを一度に失った、心のホームレス状態が続いている」「妻と娘は太陽と花のような存在だった」などと綴った上で、犯人について「犯人と対面したら、今はまだ犯行目的が不明なので、まずそれを知りたい。いずれにせよ、恨んではいない」「同種の犯罪を増やさないためにも、1日も早い解決を望んでいる」とした[報道 41]

捜査本部は2003年3月14日、現場から盗まれた高級腕時計・指輪(総額約1300万円相当)と、同型の商品を掲載したポスターを作成し、計3万5000枚を、全国の駅前・交番などに配布し、一般からの情報提供を呼び掛けた[報道 42][報道 15]。また同日、これらの被害品9点を国際手配した[報道 15]

事件から約1年となる2003年8月1日、捜査本部は、唯一の遺留品として、犯人が使用したとみられる燃料缶について、情報を公表し、改めて情報提供を呼び掛けた[報道 37]。それまでの捜査では、犯人は車庫内の勝手口から侵入し、1階居間でA子を、2階寝室でB子を、それぞれ絞殺し、金品を奪った後、持ち込んだ混合燃料をまいて放火し、侵入した勝手口から逃走した、と捜査本部は推測した[報道 37]。また、この時点までに千葉県警は、延べ約19,000人の捜査員を投入し、親族135人をはじめ、交友関係社・出入り業者など、計1335人の事情聴取を行い、周辺住民や通行人ら、計2441人からも事情聴取した[報道 37]。燃料缶は、製造番号などが焼けているため、購入先は特定できず、捜査本部は、千葉県内で扱っていた72店と、近県の店も含め、防犯カメラの映像を可能な限り分析したが、この時点までに有力な情報は得られていなかった[報道 37]。被害総額約1300万円相当の、外国製の腕時計5点・指輪4点が盗まれていたことから、捜査本部は、金品目的の犯行との見方を強めていたが、160万円近い現金・より高価な多数の貴金属類が、現場に残っており、物色の跡があったのも、2部屋だけだった[報道 37]。金庫をこじ開けようとした痕跡も見られなかったことから、「他の金ものものに手を点けなかった理由がわからない。殺害後に放火していることから、執拗な犯行と見て取れる」として、恨みによる犯行の線も捨てていなかったが、馬渕一家の家庭・周辺で、事件につながるようなトラブルは見当たらなかった[報道 37]。その上、有力な不審者の目撃情報もなく、火災による焼失・消火活動のために消防士らが侵入したことから、現場が荒れ果て、指紋・足跡などの物証もほぼ皆無だった[報道 37]。馬渕は同日、文書で「大勢の皆様の励ましと、時間という薬のおかげで、徐々に寂しさは薄らいでおります。事件の多発で捜査体制が手薄になり、検挙率の低下につながる悪循環を懸念しています」とコメントした[報道 37]

2004年(平成16年)1月、犯人逮捕につながる情報提供者に対し、謝礼金1000万円を贈る計画が、被害者遺族・親族の間で発案された[報道 43]。しかし、この時点では「辛いことを思い出させてしまうと考え、(馬淵さんに)進言できなかった」が、同年7月の3回忌法要の際、A子の義弟である同社相談役が、マブチに計画を打ち明けると、馬渕は「ポスターを見ると、事件を思い出すことになって辛いが、今踏み切らないと後悔する」と、計画を了承した[報道 43]。このことから、事件から2年を控えた同年8月3日、同社相談役らが松戸市内で会見し、犯人逮捕に結びつく情報提供者に対し、謝礼金1000万円を支払う計画を明らかにした[報道 43][報道 15]。事件から丸2年となる8月5日、親族・会社関係者の計7人が、「事件の捜査に協力する会」を発足させた[報道 43]。同会は、ポスター約40万枚を印刷し、全国の警察署に張り出すほか、新聞への折り込みチラシなどで配布した[報道 43]。謝礼金は、翌2005年8月4日までの1年間に、有力情報を提供した人に対し、同会が支払うこととなった[報道 43]。千葉県警は、事件から2年となる同年8月までに、延べ約26500人の捜査員を投入し、被害者の関係者など、計4825人から事情聴取した[報道 43]。しかし、犯人逮捕につながる有力情報は得られず、発生から1年間(2003年8月まで)に約90件あった一般市民からの情報も、事件の記憶の風化からか、ここ1年では約10件に減少していた[報道 43]

2005年(平成17年)8月5日、事件発生から丸3年を迎えた[報道 44]。後述のように、小田島ら2人を名指しした具体的な証言が、既に捜査本部に寄せられていたが、まだこの時点では裏付けが取れていなかったため、『読売新聞』2005年8月5日東京朝刊京葉版記事では、「市民からはこの3年間で、約140件の情報が提供され、中には犯人を名指しする情報もあった。このことから、千葉県警は慎重に捜査を進めているが、捜査に大きな進展はない」と報じられた[報道 44]。前述の、有力情報提供者に対する、被害者の関係者らからの、1000万円の謝礼金支払いは、当初は1年間の期限付きの予定だったが、被害者遺族らの「有力情報を得るまで延長したい」という意向から、無期限延長となっていた[報道 44]

急展開

小田島・M両名は、逃亡中の2004年(平成16年)3月頃から、翌2005年(平成17年)にかけて、群馬県前橋市高崎市栃木県茨城県埼玉県などで、新聞のお悔やみ記事を見て、通夜・葬式で留守の、会社役員や医師などの家を調べた[報道 45]。その上で、それらの家々を狙い、数百件の空き巣を繰り返し、合計約数千万円を盗んだ[報道 45]。相次ぐ被害を受け、群馬県警察組織犯罪対策一課の捜査員らが、通夜の家を重点的に警備していた[報道 45]。小田島・M両名は、2004年12月23日にフィリピンに出国し、翌2005年1月6日に帰国するまでの間、同国に滞在していた[報道 15]

2005年1月20日、小田島(当時61歳)・M(当時54歳)両名は、死亡した夫の通夜会場に出掛け、留守となっていた、前橋市内の無職高齢女性宅に、鍵のかかっていない出入り口から侵入し、現金7300万円を盗んだ[報道 45]。2人は同日、群馬県警組織犯罪対策一課・前橋警察署に、窃盗容疑で現行犯逮捕された[報道 45]。取り調べに対し、2人は「盗んだ金はパチンコ・生活費に使った」と供述した[報道 45]。この事件では、小田島が侵入する家屋・逃走経路などを決め、自ら盗みに入り、Mは運転手として、小田島を送迎する役割を実行していた[報道 3]

その後、小田島は窃盗などの罪で、前橋地方検察庁から、前橋地方裁判所起訴された[報道 3][報道 46]。運転手役だったMは、窃盗ほう助罪に問われ、前橋簡易裁判所に起訴された[報道 3][報道 47]。小田島は、窃盗事件の公判における被告人質問で「同様の手口の窃盗は、2004年2月頃から始め、逮捕されるまでに50件から60件ほど繰り返した」などと供述した[報道 46]

その一方で、2004年11月、小田島・M両名と同じ、宮城刑務所にいたという男性が[報道 18]、2人を名指しした上で、事件について「同じような計画を離していた人間を知っている。情報を買ってくれないか」と、マブチモーター本社に対し、電話で連絡した[報道 18][報道 15]。その1か月の12月[報道 48]、2人の知人を名乗る関西在住の男性から[報道 3]、松戸東署捜査本部に対し、「小田島・Mの2人が事件に詳しい」という、2人を名指しした内容の情報が寄せられた[報道 3][報道 48][報道 49][報道 50][報道 51]。その情報提供者は「小田島から、馬渕邸の強盗に加わるように誘われたが、断った。その後、小田島らから『(本事件は)俺たちがやった。一家を皆殺しにした』などと聞かされた」などと証言した[報道 49][報道 50][報道 51]。それまでの捜査は、犯行動機についても「金目当て」「怨恨」の間で揺れ、犯人像さえ絞り込めず、難航していたが、この男性が挙げた、小田島らの名前・住所は正確で、「小田島が『家族に見つかったら、殺して火を点けてでも逃げる』と話していた」という証言は、実際の犯行とかなり共通していた[報道 3]。また、本事件で殺害された被害者は、目・口を粘着テープで覆われていたが、「犯人」として挙げられた小田島は、過去に粘着テープを使った強盗・監禁事件(練馬三億円事件)を起こしていたことから、前件と手口に類似性が見られた[報道 50][報道 51]。『中日新聞』報道では、男性の証言がが具体的で、小田島の前科とも類似性が見られることから、捜査本部は裏付け捜査を進めた上で、2人の窃盗事件の捜査に目途が付き次第、本格的な捜査に着手する方針、と報じられた[報道 50][報道 51]。同年4月30日、いずれも中日新聞社発行の、『中日新聞』2005年4月30日夕刊[報道 50]・『東京新聞』同日朝刊で[報道 51]、小田島らが本事件に関与した疑いが取り沙汰された[報道 3]

この頃から、報道陣が前橋地裁・簡裁で進行中の、2人の公判に詰め掛けていたが、2人は終始伏し目がちで、傍聴席にはほとんど目を向けず、淡々と公判に臨んでいた[報道 3]。2人は起訴後、群馬県内の別々の場所に拘置されていたが、本事件への関与が取り沙汰された直後、小田島に弁護人が持ってきた新聞に「小田島ら2人が、本事件に関与した疑いが強まったとして、千葉県警が近く身柄を移し、事情を聴く」という内容の記事が掲載されていた[報道 52]。これを読んだ小田島は同年5月、M宛に「出所したら、また一緒に(盗みを)やろう」「千葉に行くかもしれないが、大丈夫」「俺は体も悪く、1人で生活するのも大変だから、養子縁組をしてほしい」などと書いた手紙を送っていた[報道 52]。千葉県警松戸東署捜査本部は、前述の情報提供を受け、小田島・M両名の周辺を捜査した結果、他人名義のパスポートを使った出国が確認された[報道 53]。このため、その出国と、事件との関係を調べるため[報道 53]、同年6月頃[報道 15]、滞在先のフィリピンに、捜査員を派遣した[報道 53]。その結果、小田島らの知人だという現地女性らから、現地での2人の行動などについて、事情を聴くことに成功した[報道 53]

同年6月27日、小田島に対する論告求刑公判が開かれ、検察側は懲役6年を求刑した[報道 46]。検察側は、論告で「小田島は、2004年9月から、2005年1月にかけ、前橋市・高崎市などで、計4件の民家に侵入し、現金約3万9000円などを盗んだ」と指弾した[報道 46]

前橋簡裁(中野哲美裁判官)は、2005年6月30日、窃盗ほう助の罪に問われたMに対し、懲役2年8か月の実刑判決を言い渡した[報道 3][報道 47]。判決によれば、Mは2004年9月頃から2005年1月にかけ、小田島が前橋市など、群馬県内4件の住宅で盗みをした際、小田島を乗せた車の運転手役を務めた[報道 47]。これを踏まえて前橋簡裁は「極めて計画性の高い悪質な犯行」と指弾した[報道 47]。Mはその後、東京高等裁判所控訴せず、この実刑判決が確定した[報道 49]

小田島の判決公判は7月13日、前橋地裁(久我泰博裁判官)で開かれた[報道 3][報道 54]。前橋地裁は「犯行は常習性の表れ」などとして、小田島に懲役4年(求刑・懲役6年)の判決を言い渡した[報道 54]。小田島はその後、判決を不服として、東京高裁に控訴した[報道 3][報道 49]

事件解決

前述の小田島らを名指しした情報の提供を受け、松戸東署捜査本部が裏付け捜査を開始したところ[報道 50][報道 51]、9月23日までの捜査で、事件2日前の8月3日と、事件当日の5日、2人に関係する車が、現場付近の松戸市内の国道を走行していたことが確認された[報道 48]。これを受け、2人が何らかの事情を知っているとの見方を強めた捜査本部は同日、同月中にも2人に対し、事情聴取する方針を固めた[報道 48]。この時点で、控訴中の小田島は62歳、実刑判決が確定したMは54歳だった[報道 48]。事件後、2人はフィリピンに渡航していたことも判明し、このうち小田島は、他人名義でパスポートを取得した疑いも浮上したため、捜査本部は、渡航目的に関心を寄せつつ[報道 48]、パスポートの不正入手の経緯・目的を調べるとともに、現地に捜査員を派遣した[報道 49]。その結果、小田島がマニラ市内の知人女性に、高級腕時計などの貴金属類を贈っていたことが判明したが、その際に不正入手したパスポートを使用し、渡航したとみられることが判明した[報道 49]。また、小田島は、本事件で馬渕邸から奪ったとみられるダイヤモンドを、東京都内の宝石商に売却した疑いも浮上した[報道 49]。なお、前述の一連の窃盗事件について、『読売新聞』東京朝刊群馬西版記事では、小田島・M両名を、ともに実名報道していたが[報道 45][報道 46][報道 47][報道 54]、その後、本事件の捜査に入った段階では、全国版でも本事件について言及した一方、小田島を「62歳の男」、Mを「54歳の男」と、それぞれ匿名報道に切り替えた[報道 48][報道 55]

その後、松戸東署捜査本部は9月30日、小田島ら2人を、旅券法違反容疑などの別件で逮捕した[報道 53][報道 49]。捜査本部は、小田島が東京都内で売却した宝石、女性に贈った貴金属類との特定を急ぐとともに、これらの入手経緯についても調べつつ、強盗殺人容疑も視野に入れ、2人を追及した[報道 49]。捜査本部は10月2日、小田島・M両名を、旅券法違反などの容疑で、千葉地方検察庁に送検した[報道 56]

10月5日までに、松戸東署捜査本部の任意の取り調べに対し、Mが「(事件当日に)小田島と2人で社長宅に行った」と認め、妻娘殺害への関与を認める供述をした[報道 57]。これを受けて捜査本部は、慎重に裏付けを進めた上で、容疑が固まり次第、2人を強盗殺人容疑で再逮捕する方針を固めた[報道 57]。その後、10月20日までの任意の取り調べに対し、10月17日に55歳の誕生日を迎えたMは「強盗に入ったが、母親(A子)と娘(B子)に見られたので、2人を殺した。証拠隠滅のために火を点けた」などと、容疑を認める供述をした[報道 55]。一方、小田島は「関係ないのでわからない」などと、一貫して関与を否定した[報道 55]

これを受け、松戸東署捜査本部は10月21日、同日に旅券法違反罪などで、千葉地方裁判所に起訴された、小田島・M両名を、強盗殺人・現住建造物等放火の容疑で再逮捕した[報道 3][報道 18][その他 2]。逮捕容疑では、2人は2002年8月5日、午後1時半から3時半にかけ、馬渕邸に押し入り、1階居間にいたA子をひも状のもので、2階寝室でB子をネクタイで、それぞれ首を絞めて殺害した上、腕時計・指輪など、計10点966万円相当を奪い、持ち込んだ混合燃料を、2人の遺体周辺に撒いて火を点け、馬渕邸を半焼させた疑いである[報道 3]。取り調べに対し、Mは「金目当てで、小田島と2人で押し入った。(犯行前)刑務所にいたときから、関東近県の資産家宅を狙おうと考えていた」と供述し、容疑を認めた[報道 3]。その一方、小田島は「事件には関係ない」と供述し、容疑を否認した[報道 3]。本事件での逮捕を受け、『読売新聞』では、それまで匿名で報道していた小田島・M両名を[注釈 1]、ともに実名報道に切り替えた。

前述のように、小田島らの逮捕につながる情報を提供した男性は、県警の事情聴取を受けた後、『朝日新聞』の取材にも応じた[報道 18]。それによれば、小田島・M両名は、別の男性受刑者1人を加えた、計3人で、企業の鉱石・役員の名前などを記した情報誌を読みつつ、「資産家宅に押し入って、金を奪おう」などと話し合っていた[報道 18]。その上で、小田島は「練馬三億円事件の際、証拠を残したので犯行がばれた。今度捕まったら刑務所で死ぬしかない」などと、Mらに対し話しつつ、証拠を隠すため、「放火」・「殺人」などにも言及していた[報道 18]。また、別の関係者によれば、小田島はマブチ事件について、容疑を否認したが、10月21日の逮捕直前になって、練馬三億円事件について言及し、事前に押し込み先の候補として、関東近郊の複数の企業経営者を多数リストアップしていたことなどを話し始めた[報道 18]。そのターゲットとして検討していた候補は、東京都内の建設会社、群馬県内のパチンコ機器メーカー、横浜市内のゲームソフト制作会社など、多岐にわたっており、マブチモーター社は、その候補の1つだったという[報道 18]

松戸東署捜査本部は22日、逮捕容疑の強盗殺人容疑などで、Mを千葉地方検察庁に送検した[報道 52]。Mは取り調べに対し、容疑を認めた上で「死刑になってもいい」などと述べ、反省している様子を見せた[報道 52]。取り調べに対しても素直に応じ、「小田島に従って犯行に及んだ」という趣旨の供述をした[報道 52]。捜査本部は、Mの供述の裏付けを慎重に進めた[報道 52]。一方、小田島は「私は関係ない」と、依然として容疑を否認していた[報道 52]。また同日、前述のように小田島が、拘置中の同年5月、Mに対し手紙を送っていたことが判明した[報道 52]。捜査本部は、前述の「千葉に行くかもしれないが、大丈夫」という記述について、小田島がMに対し「千葉県警に呼ばれても、自分は何も供述しないから大丈夫だ」という意図を伝え、お互い本事件について供述しないようにと求めたものとみた[報道 52]。また、養子縁組を求める記述については、Mに対し、仲間意識を強めるよう求める内容とみた[報道 52]。また、2人が事件前、同じ宮城刑務所に服役していた頃から、企業経営者の資産ランキングなどを掲載した雑誌を参考に、東京近郊での強盗計画を練っていたことも判明した[報道 52]。過去、練馬三億円事件で服役していた小田島は、複数の同房の受刑者に対し「(以前捕まったのは)被害者を生かしておいたのが失敗だった」と漏らしていたという[報道 52]

23日までの取り調べで、Mは「宅配業者を装って押し入り、長女B子をいきなり羽交い絞めにし、粘着テープで目・口をふさいだ。自分は妻A子を見張りつつ、小田島がB子に金品のありかを聞きながら、1・2階で室内を物色した」と供述した[報道 58]。M・小田島両名はそれぞれ、妻A子の見張り役、金品の物色役に分かれ、貴金属類を強奪したといい、捜査本部は裏付けを進めた[報道 58]。2人は、腕時計・指輪など計10点966万円相当を奪ったが、馬渕邸には事件後も、多数の宝石類や現金・金の延べ棒などが残され、2階にあった金庫も無事だった。事件関係者によれば、小田島に脅されて金品のありかを教えたB子は、金庫の開け方・金品の保管場所について、あまり詳しくなかったという[報道 58]。このことから捜査本部は、小田島らはこれらの金品を発見できないまま、2人を殺害し、馬渕邸に放火・逃走したものとみて捜査した[報道 58]

事件の半月後、小田島・M両名は、不正取得したパスポートを用い、フィリピンに渡航していたことが24日、捜査本部の調べで判明した[報道 59]。2人は8月20日から11日間、フィリピンに滞在し、1月に群馬県警に逮捕されるまで、小田島は10回以上、Mも5回前後、フィリピンに渡航した[報道 59]

28日、松戸東署捜査本部の取り調べに対し、Mは「放火に使うため、燃料を事前に群馬県内のホームセンターで購入した」と供述した[報道 60]。それまでの現場検証で、控除の遺体が発見された2階寝室で、ガソリンとオイルの混合燃料が発見された[報道 60]。燃料は、主に草刈り機に使われるもので、小田島ら2人は、当初から証拠隠滅のため、馬渕邸を放火する計画の上で、犯行に及んだとみられる[報道 60]。馬渕邸を標的に選び、押し入った理由について、Mは「雑誌で関東近辺の資産家を数十か所選んだ」と供述していたことから、捜査本部は、2人が複数個所を下見した上で、犯行場所を選んだとみて、詳しい経緯を追及している[報道 60]。また、他人名義のパスポートを不正取得した旅券法違反容疑で逮捕された事件について、Mは「犯行後、海外に高飛びするつもりだった」と供述した[報道 60]

千葉地方検察庁は、事件発生から3年3カ月となった11月11日、小田島・M両名を、強盗殺人・現住建造物等放火・住居侵入の3つの罪で、千葉地方裁判所起訴した[報道 19][報道 15]。小田島は、一貫して犯行を否認し続けていたが、犯行の経緯をMが詳細に供述し、その上で「別事件で服役中だった小田島から、犯行に誘われ、指示に従った」と供述したことから、捜査本部などは、小田島が主犯との見方を強めた[報道 19]。このことから千葉地検は、こうした供述を裏付ける、様々な状況証拠を積み重ね、公判での犯罪立証は可能として、起訴に踏み切った[報道 19]。また、それまでの取り調べで、2人は当初から、居合わせた家人を殺害し、金や貴金属などを奪う計画だったことが判明していた[報道 19]

同年12月1日までに、Mは「小田島と共謀し、東京都・千葉県で、計2人を殺害した」と、目黒区・我孫子市の2事件について供述し、その上申書を提出した[報道 61]。そのうち我孫子市の事件では、箪笥が開けられ、衣類が散乱するなど、執拗に物色した形跡があった[報道 61]。室内で採取された、犯人のものとみられる掌紋は不鮮明だったが、Mの供述を受け、千葉県警が詳細に調べたところ、Mと一致した[報道 61]。小田島も関係者に対し、2件への関与をほのめかしていたことから、千葉県警は翌週にも、2人を強盗殺人容疑で再逮捕する方針を固めた[報道 61]。12月2日までの、千葉県警の取り調べに対し、Mは目黒区の事件について、「被害者Cと揉みあいになったため、小田島がナイフでCを刺し、自分が電気コードで手足を縛った」と供述した[報道 62]。Cの血液型はA型だったが、現場からはA型とは別に、小田島の血液型と同じ、B型の血液も採取されていたため、千葉県警はMの供述を裏付ける物証とみて、警視庁にも情報を伝えた[報道 62]。マブチ事件・我孫子市の事件では、被害者3人をいずれも絞殺したのに対し、目黒区の事件のみ、被害者を刺殺したことについては、Mは「ナイフは本来、脅迫用に持っていた物で、刺すつもりはなかったが、激しく抵抗されたため、小田島がナイフでCを刺し、自分と2人がかりで殺害した」と供述した[報道 62]。その上で、Mは目黒区・我孫子市の両事件について「マブチ事件でもっと多くの金が得られていれば、こんなことにならなかった」とも供述した。一方で小田島は、関係者に対し、各事件への関与を認めたものの、この時点では捜査当局の取り調べに対しては、3事件いずれも依然として応じず、供述調書の作成なども拒否していた[報道 62]

しかし小田島は12月4日、千葉県警に対し、我孫子市の事件について、「MとともにE子を殺害し、金を奪った」とする内容の、関与を認める上申書を提出した[報道 63]。事件の主犯格と目され、取り調べに対しても、マブチ事件などへの関与を大筋で認めつつも、「裁判まで待ってほしい」として、裁判の証拠にできる調書の作成を、それまで拒んでいた小田島が、始めて捜査当局に対し、事件を文書の形で認めることとなった[報道 63]

前述の我孫子市の事件への関与の疑いが強まったことを受け[報道 64]、千葉県警は12月7日、小田島・M両名を、同事件でE子を殺害し、指輪など計4点・約70万円相当を奪ったとして、強盗殺人容疑で再逮捕した[報道 65][報道 7][報道 8]。一連の事件は、2002年8月から11月の3カ月半の間に、小田島・Mの2人により、3件の事件で計4人が殺害された、連続殺人事件である線が強まったことから、警察庁は12月7日付で、社会的反響の大きい、凶悪・特異・重要な事件として、一連の3事件を、警察庁広域重要指定第124号事件に指定した[報道 7][報道 8]。この時点で小田島は、我孫子市・目黒区の両事件について、関与を認める上申書を書いたものの、マブチ事件については引き続き、文書化には応じなかった[報道 8]

千葉地検は12月28日、小田島・M両名を、我孫子市の事件に関する、強盗殺人罪などで追起訴した[報道 66][報道 67]

2006年(平成18年)1月13日、目黒区の事件について捜査を進めていた、警視庁碑文谷警察署特別捜査本部は、小田島・M両名を、拘留先の松戸東警察署から、碑文谷署に移送した上で[報道 68]、Cを殺害し、現金35万円・指輪1個を奪ったとして[報道 69]、強盗殺人・住居侵入容疑で再逮捕した[報道 70][報道 68][報道 69]。また、現場からは、Cが経営していた歯科医院の住所・Cの氏名などが掲載された、Cの歯科医院の広告部分の、電話帳の切り抜きが見つかっていたことが、同日判明した[報道 68]。取り調べに対し2人は、Cを狙った理由について「職業別電話帳で歯科医を探した。大金があると思った」[報道 70][報道 68]、「電話帳は50音順で、Cの歯科医院が真っ先に目についたため、Cを標的にした」などと供述した[報道 68]。このことから特捜本部は、2人が個人名電話帳から、Cの自宅住所を割り出したとみて追及した[報道 68]。2人が、事件の2,3日前に、歯科医院・C宅を下見した上で、事件当日、自宅付近でCが、1人で帰宅するのを待ち、犯行に及んだことを供述した[報道 69]。なお、Mは凶器のナイフについて、「群馬県内の利根川河川敷に捨てた」と供述したため、特捜本部が捜索したが、この時点までには発見できなかった[報道 69]

東京地方検察庁は同年2月3日、小田島・M両名を、強盗殺人・住居侵入の罪で、東京地方裁判所に起訴した[報道 71]

刑事裁判

2005年12月27日、千葉地裁は、本事件で起訴された小田島の公判について「公判前整理手続」の適用を決定した[報道 72]。千葉地検は「被告人が主張を明らかにしていないため、争点が不明で、効率的心理には手続きが不可欠だ」と判断し、千葉地裁に対し、適用を求めていた[報道 72]。千葉地裁での適用事案は、架空請求詐欺仲間割れ殺人事件被告人5人の公判に続き、2例目だった[報道 72]

その後千葉地裁は、2006年5月9日、千葉地検の要請を受け、小田島について、千葉地検から追起訴された我孫子市の事件と、東京地検から東京地裁に起訴されていた、目黒区の事件についても、いずれも千葉地裁で一括審理することと、それらの事件についても、公判前整理手続を適用することを決めた[報道 73]

第一審(千葉地裁)

M

2006年2月23日、千葉地方裁判所宮本孝文裁判長)にて、被告人Mの初公判が開かれた[報道 74][報道 21]。この日の公判では、マブチ事件についてのみ審理され、追起訴された我孫子・目黒の2事件についての審理は、5月25日の次回後半以降、併合審理することとなった[報道 21]。冒頭陳述で検察側は、過去に殺人で服役していたMが、獄中で「カネが入れば、海外旅行・女遊びなどで、バラ色の人生を送れる」と、犯行を決意したことを主張した[報道 21]。その上で検察側は「来世でもまた(殺害された妻と)一緒になりたい」「犯人が捕まっても2人は戻らず、喪失感は埋まらない」などといった、被害者遺族らの心境が綴られた調書を朗読した[報道 21]。同日、罪状認否でMは「間違いありません」と起訴事実を認めたが[報道 74][報道 21]、被害者遺族らがいた傍聴席に対しては、一度も視線を向けたり、頭を下げたりするような場面はなかった[報道 21]

2006年5月25日、第2回公判が千葉地裁(根本渉裁判長)で開かれた[報道 75]。この日は、追起訴された目黒区・我孫子市の両事件について、検察側冒頭陳述・被告人Mの罪状認否が行われた[報道 75]。同日、罪状認否でMは「間違いありません」と、起訴事実を認めた[報道 75]

2006年10月5日、論告求刑公判が開かれ、検察側はMに対し、死刑を求刑した[報道 76]。検察側は、論告で「4カ月で4人を殺害するなど、犯罪史上まれに見る、重大かつ今日会うな犯行だ」などと主張した[報道 76]。同日、最終弁論で弁護側は「3事件は、いずれも小田島が計画・主導した」などと主張し、酌量を求め、結審した[報道 76]

2006年12月19日、判決公判が開かれ、千葉地裁(根本渉裁判長)は、Mに対し、検察側の求刑通り死刑判決を言い渡した[判決文 2][報道 77][報道 78]。千葉地裁は、判決理由で「遊ぶ金欲しさに、わずか3カ月余りで4人を殺害した犯行は極めて残虐で、人間性の片鱗もうかがえない。Mは1989年、殺人で服役したにもかかわらず。人命を奪ったことへの真摯な改悛の情がうかがえない。矯正の余地を見出すのは困難で、極刑をもって臨むほかない」と、犯行を指弾した上で[報道 77][報道 78]、Mの弁護人による「3事件は小田島が主導しており、Mの関与の程度は低い」という主張に対しても、「Mは小田島に対し、積極的に犯行を働きかけた側面もあり、主従関係はなかった」[報道 77]、「Mと小田島は、相互補完し合いつつ、犯行を遂行した。その役割に格段の際はない」として[報道 78]、死刑回避を求める主張を退けた[報道 77][報道 78]。また、弁護側は、3事件の起訴事実のうち、目黒区の事件について「Cと揉み合った際、偶然刃物が刺さり、Cが死亡してしまった」として、殺意を否認し、強盗致死罪の成立を主張していたが、千葉地裁はこの主張を「傷の深さなどから、確定的な殺意が認められる」として退け、検察側の主張通り、強盗殺人罪を適用した[報道 78]。閉廷後、事件の捜査に協力する会」の会長を務めていた、A子の義弟は「Mは死刑を覚悟していた洋右だが、反省の様子は見えなかった。自分の所業がいかに以上・残酷化を反省し、人間に近づいてから、刑を受けてほしい」と語った[報道 78]

弁護人曰く、Mは死刑判決を覚悟していたというが、Mは「気持ちを整理するために時間が欲しい」などとして、12月22日付で、東京高等裁判所控訴した[報道 79]

小田島

小田島は、捜査段階で供述調書の作成を拒否していたため[報道 21]、「被告人が主張を明らかにしていないため、争点が不明で、効率的審理には手続きが不可欠だ」と判断した千葉地検が、千葉地裁に対し、公判前整理手続の適用を求めた[報道 72][報道 73]。その結果、千葉地裁は同手続の適用を決め、Mとは分離公判となった[報道 21]

2006年8月29日、小田島の第2回公判前整理手続きが、千葉地裁で行われ、初公判期日は、同年9月12日に指定された[報道 80]。捜査段階で、一貫して起訴事実を否認していた小田島は、起訴後、関係者に犯行を認める話をしたため、起訴事実そのものについては争われず、争点は、死刑制度の合憲性など、3点に絞られた[報道 80]

2006年9月12日、千葉地裁(根本渉裁判長)で、小田島の初公判が開かれた[報道 81][報道 82]。冒頭陳述で、検察側は「小田島は、練馬三億円事件で宮城刑務所に服役した際、獄中で『マブチ事件』を計画し、獄中で知り合ったMとともに、出所後に下見を重ね、犯行を実行した。3件とも、小田島が主犯格として、具体的な計画を立てた』」と主張した[報道 81][報道 82]。小田島は、詳細な供述を拒んできた捜査段階から一転して、罪状認否で「間違いありません」と、起訴事実を認めた[報道 81][報道 82]

9月21日、第2回公判が開かれた[報道 83]。同日は証人尋問が行われ、分離公判中だった共犯Mが、検察側の証人として出廷した[報道 83]。Mは、「宮城刑務所に服役中だった1990年代半ば、小田島から犯行に誘われ、出所後に「マブチ事件」を実行する約束をした」と説明した[報道 83]。その上で、小田島が1990年に起こした、練馬三億円事件についても触れた上で、「出所後の生活に不安もあったため、小田島の実績を信じ、計画に乗った」と語った[報道 83]。一方、マブチ事件後の2002年秋に起こした、目黒区・我孫子市の両事件について、Mは「マブチ事件で得た遊興費が尽きたため、自分の方から、再び『資産家を狙おう』と催促した」と述べた[報道 83]。また、Mは、黙秘の合言葉として「森の石松」を使っていたことを明かした上で、『マブチ事件の取り調べ中、隣室にいた小田島が、突然「森の石松」と叫んだ」とも証言した[報道 83]。そして、Mは「小田島が自分に対し、口止めを求めてきたことは分かったが、事件の被害者遺族に申し訳ないと思い、犯行を認める供述をした」と述べた[報道 83]

2006年12月21日、論告求刑公判が開かれ、検察側は小田島に対し、死刑を求刑した[報道 84]。論告で、検察側は「小田島は真面目に働かず、遊興費などを得るため、一攫千金を狙って資産家宅を襲った」と指摘した上で、「約4カ月で4人を殺害するなど、犯罪史上まれに見る、残虐非道で凶悪な犯行だ。人命軽視・反社会的な性格は究極に達し、矯正は不可能だ」と糾弾した[報道 84]。また、小田島の弁護人が「目黒区・我孫子市の事件は、Mに促されたために犯行に及んだ」と主張していることに対しては、「犯行計画・現場での支持など、犯行に積極的に関与している」と反論した[報道 84]

2007年(平成19年)2月22日、弁護側の最終弁論が行われ、結審した[報道 85]。最終弁論で弁護側は、小田島が幼少期に父親を亡くしたことや、母親に無理心中を迫られたことなどに触れ、「人格形成期から不遇であり、酌量すべき点があるうえ、共生の余地もある」と主張し、死刑回避を求めた[報道 85]。小田島は公判中、捜査段階と一転し、罪状を認めたことから、起訴事実については争われず、初公判から約半年(公判10回目)での結審、11回目での判決となった[報道 86]

3月22日、千葉地裁(根本渉裁判長)は、小田島に対しても、検察側の求刑通り死刑判決を言い渡した[判決文 1][報道 87][報道 88]。千葉地裁は、判決理由で「人間性の片鱗もうかがえず、反社会的な犯罪性向は根深い」、「構成の場であるはずの獄中で、反省を深めなかったどころか、新たな犯行の仲間を募り、企業情報誌を片手に、犯行計画を立案した。強盗殺人3件の犯行後も、空き巣を繰り返して生計を立て、事件発覚後も否認を続ける一方、週刊誌には犯行を詳述していた(#雑誌記事参照)ことから、改善・矯正の余地を見出すのは困難だ。3事件は、いずれも周到な計画に基づく犯行で、自己中心的であり、生命の尊厳にまったく思いをいたそうとしておらず、酌量の余地はない」とした[報道 88]。判決が言い渡された、千葉地裁第301号法廷では、被害者遺族ら10人が、小田島の様子を見つめていたが、小田島が振り向くことはなかった[報道 88]。閉廷後、事件の捜査に協力する会」の会長を務めていた、A子の義弟は「死刑はもっともな判決。小田島の態度からは、反省の様子が微塵も出ていない。本当に反省しているのならば、控訴していたずらに時間を引き延ばさず、判決を受け入れてもらいたい」と語った[報道 88]

小田島は、判決前には弁護人に対し「死刑になって当然のことをした。控訴はしないでほしい」と話していたが、3月28日になって「裁判(控訴)のことはお任せします」と記した手紙を送った[報道 89]。その後、判決を不服とした小田島の弁護人は[報道 90]、量刑不当を理由として[報道 91]、4月3日付で、東京高裁宛の控訴手続書類を、千葉地裁に提出し[報道 89]、翌4日付で控訴した[報道 90]。同年6月27日、小田島は拘置先の千葉刑務所拘置区から、東京拘置所に移送された[その他 2]

控訴審(東京高裁)

小田島については、2008年1月に東京高等裁判所での控訴審初公判が予定されていたが[報道 91]、同年11月1日付で、小田島自身が控訴を取り下げた[報道 92]。これにより、小田島の死刑が確定した[報道 92][報道 91]。弁護人によれば、小田島は接見を拒否し「これ以上私のことで負担をかけるわけにはいかない」という手紙を書いてきたという[報道 91]。弁護人は「取り下げは本人の誤解に基づくものだ」と主張し、同月6日、控訴取り下げを無効として、控訴審を開廷するよう、東京高裁に申し立てた[報道 91]。しかし、東京高裁(中川武隆裁判長)は翌7日付で、「本人は取り下げの意義を十分理解していた」として、本人による控訴取り下げを有効とする決定を出した[報道 93]

小田島の死刑確定に先んじて、同年10月29日、Mの控訴審初公判が、東京高裁(中川武隆裁判長)で開かれた[報道 94]。弁護側は「第一審の死刑判決は、必要不可欠だった精神鑑定を却下した上で言い渡された。4人のうち、2人の殺害は小田島の独断であり、Mの共謀は成立しない」と主張し、死刑判決の破棄を訴えた[報道 94]

2008年(平成20年)3月3日の控訴審判決公判で、東京高裁(中川武隆裁判長)は、第一審・千葉地裁の死刑判決を支持し、Mの控訴を棄却する判決を言い渡した[報道 95]。東京高裁は、判決理由で「Mは4事件すべてで小田島と共謀していた」と認定し、弁護側の「4人の犠牲者のうち、2人は小田島が単独犯で殺害した」とする主張を退けた上で、「犯行経緯・動機に酌量の余地はない」と断じた[報道 95]。Mは判決を不服として、最高裁判所に即日上告した[報道 95]

上告審(最高裁)

2011年(平成23年)10月18日、最高裁判所第三小法廷(寺田逸郎裁判長)で、上告審口頭弁論公判が開かれた[報道 96]。弁護側は「Mは小田島に従属的な立場であり、死刑は量刑不当である」として、死刑判決の破棄を訴えた[報道 96]。一方、検察側は「大金を手に入れようとした動機に酌量の余地はなく、死刑で臨むほかない」と主張し、上告棄却を訴え、結審した[報道 96]

最高裁第三小法廷(寺田逸郎裁判長)は、同年11月4日までに、上告審判決公判の開廷期日を、同月22日に指定し、関係者に通知した[報道 97]

最高裁第三小法廷(寺田逸郎裁判長)は、11月22日の上告審判決公判で、一・二審の死刑判決を支持し、Mの上告を棄却する判決を言い渡した[報道 98][報道 99]。これにより、先に死刑が確定した小田島と同様、Mの死刑が確定することとなった[報道 98][報道 99]。最高裁第三小法廷は「大金を得て遊んで暮らすため、落ち度のない4人の命を奪った結果は重大で、死刑はやむを得ない」と結論付けた[報道 98]

死刑囚らのその後

小田島の病死

死刑囚として東京拘置所収監されていた小田島は[報道 10][報道 9]、日記を執筆し、ノンフィクション作家の斎藤充功に手紙として送っていた[報道 100]。身元引受人となった斎藤は[その他 3]、小田島の了承を得た上で、それらの内容を「死刑囚獄中ブログ」と題したブログ(管理人は斎藤とは別人。ウェブの方針など、より上位の判断をするのは比嘉健二)に[その他 4]、2007年10月の開設以来、掲載し続けていた[報道 100]。同ブログは2009年(平成21年)11月20日、『最期の夏 「マブチモーター事件」強盗放火殺人犯 死刑囚獄中ブログ』と銘打った書籍で、ミリオン出版から発売された[その他 3]

フィリピン在住の息子が死刑執行を知ることのないよう[その他 5]、小田島は2013年(平成25年)2月、東京家庭裁判所に対し、出生時の旧姓である「畠山」[その他 1]に改姓することを申し立てた[その他 5]。同年6月、東京家裁で改姓が認められ、小田島は「畠山」姓に改姓した[その他 6]

畠山は2017年(平成29年)1月下旬、食道がんであることが判明した[報道 10]。本人の意思で、痛み止めなどにより症状を緩和する治療を、拘置所内で受けていた畠山だったが、同年9月16日夜に容体が急変し、同日午後10時半頃、東京拘置所内で、74歳で病死した[報道 10][報道 9]。畠山の死を受け、マブチ事件の遺族の男性は9月17日、『読売新聞』の取材に対し「(死刑執行・獄死の)どういう形にせよ、いずれ死亡することは決まっていたから、驚くことはなかった。これで事件に一区切りがついた思いだ」と語った[報道 10]

Mの現在

2017年9月22日現在[書籍 1]、Mは死刑囚として、東京拘置所に収監されている[書籍 2]。小田島は2013年5月、斎藤と面会した際、Mが再審請求中であることに言及しており[その他 7]、2015年12月時点では、最高裁に係属されていたという[その他 8]

国家賠償請求訴訟

2005年10月、千葉県弁護士会所属の島田亮・秦英準両弁護士が、旅券法違反容疑などで逮捕され、マブチ事件の重要参考人として、松戸警察署に拘置されていたMに、担当弁護士として接見した[報道 101]。その途中2人は、警察官から3度に渡り「接見を終わらせてほしい」と要請された[報道 101]。別の日にも、島田はMと接見したが、「捜査側との調整」などの理由で、接見を33分待たされた[報道 101]。これを受け両名は、2006年11月29日、接見を捜査員に妨害され、精神的苦痛を受けたとして、千葉県を相手取り、慰謝料30万円の支払いを求める、国家賠償請求訴訟を、千葉地裁松戸支部に起こした[報道 101]。同日会見した2名は、「当時、逮捕事実ではなかったマブチ事件に対する取り調べを、弁護人に邪魔されたくないという、警察の意図が見え隠れしていた」と語った[報道 101]

この訴訟の第1回口頭弁論公判が、2007年1月19日、千葉地裁松戸支部(小野聡子裁判長)で開かれた[報道 102]。千葉県側は、答弁書で請求棄却を求め、争う姿勢を見せた[報道 102]

2008年9月26日、千葉地裁松戸支部で判決公判があった[報道 103]。岡本岳裁判長は「違法行為は認められない」として、2人の請求を棄却する判決を言い渡した[報道 103]

事件後

2005年12月下旬、被害者遺族・マブチモーター関係者らで結成されていた「事件の捜査に協力する会」は、犯人逮捕につながる有力情報となった、事件前後の小田島らの言動などを、捜査本部に提供した計4人に対し、1人当たり250万円ずつ、計1,000万円支払った[報道 104]

事件後、事件現場となった馬渕邸跡地(約496㎡)は、馬渕の手で更地にされた上で、防災用にも利用できる井戸が整備された[報道 105]。その後、2007年1月、馬渕からの「事件で迷惑をかけた地域の方々のためにも、防災・防犯に活用してほしい」という申し出の下、松戸市に寄付された[報道 105]。これを受け、松戸市生活安全課は、この敷地に約104㎡の、平屋の防犯・防災拠点施設を建設し、市内の防犯・防災関係者を招いた会合が開けるような、比較的広い会議室や、市内の防犯ボランティアに貸し出している防犯用品・防災用機材を収納する倉庫などを設置し、管理する職員を常駐させ、地元長会でもパトロールの拠点などとして活用する、といった計画を、2007年10月29日までに決めた[報道 105]。松戸市議会は、2008年2月の市議会で、関連予算案などを提案する予定を決め、市は10月20日、地元で説明会を開いた[報道 105]

その後、2007年11月には、さらに松戸市に対し、馬渕から工事費(約2700万円)の一部として、1500万円が寄付された[報道 106]2009年(平成21年)4月6日、同地に防犯・防災拠点「安全安心ステーション」がオープンした[報道 106]。この建物は、平屋建て約104㎡で、市民に貸し出す防犯・防災用具などを収納する倉庫や、会議室などが設けられており、平日は職員が常駐し、地域の会合・防犯パトロール活動の拠点などとして利用される[報道 106]。建物のそばには、「寄贈者の思い」として「再び痛ましい事件や火災が起こらぬことを願い」などと記された碑と、生前は花が好きだったというA子・B子両名を偲んだ、花壇が設けられた[報道 106]

参考文献

刑事裁判の判決文

小田島鐵男
M

関連書籍

  • 小田島鐵男『最期の夏 「マブチモーター事件」強盗放火殺人犯 死刑囚獄中ブログ』ミリオン出版、2009年11月21日。ISBN 978-4813020899 
  • 年報・死刊廃止編集委員会『ポピュリズムと死刑 年報・死刑廃止2017』インパクト出版会、2017年10月15日、200,205頁。ISBN 978-4755402807 
  • 斎藤充功『3650 死刑囚小田島鐡男"モンスター"と呼ばれた殺人者との10年間』ミリオン出版、2017年10月23日。ISBN 978-4813022770 

雑誌記事

  • 週刊朝日』(朝日新聞社)2005年12月9日号「独占獄中スクープ マブチモーター会長宅強盗殺人・放火事件 黙秘の主犯が本誌〔週刊朝日〕に自供」 
  • 『週刊朝日』(朝日新聞社)2005年12月16日号「獄中スクープ第2弾 本誌〔週刊朝日〕報道で急展開! マブチモーター会長宅強盗殺人・放火事件 小田島被告が第2、第3の強盗殺人の全詳細を"自供"」 
  • 『週刊朝日』(朝日新聞社)2005年12月23日号「獄中スクープ第3弾 マブチモーター会長宅強盗殺人・放火事件 本誌〔週刊朝日〕だけが知っている歯科医師殺人事件の全真相」 
  • 『週刊朝日』(朝日新聞社)2005年12月30日号「獄中スクープ第4弾 マブチモーター会長宅強盗殺人・放火事件 なぜ、凶悪犯罪を繰り返すのか?--小田島被告が語るわが人生」 
  • 『週刊朝日』(朝日新聞社)2006年1月6日/13日合併号「獄中スクープ第5弾 マブチモーター会長宅など連続強盗殺人事件 犯罪者の「更生」考--再犯を繰り返した小田島被告」 
  • 実話ナックルズ』(ミリオン出版)2007年1月号(斎藤充功)[その他 1]
    • 後に小田島の「獄中ブログ」を執筆することになった斎藤が、小田島や本事件に関心を持った経緯が記されている。

脚注

注釈

  1. ^ 前述のように、本事件への関与が発覚する以前に、群馬西版が報じた窃盗事件報道では、小田島らを実名報道していたため、群馬西版では「再度の実名報道」となる。

出典

刑事裁判の判決文

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl cm cn co cp cq cr cs ct cu cv cw cx cy cz da db dc dd de df dg dh di dj dk dl dm dn do dp dq dr ds dt du dv dw dx dy dz 千葉地方裁判所刑事第1部、2007年(平成19年)3月22日判決 事件番号:平成17年(わ)第1919号,平成17年(わ)第2099号,平成17年(わ)第2603号,平成18年(わ)第696号 参考文献:裁判所ウェブサイト掲載判例、D1-Law.com(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28135301『住居侵入,強盗殺人,現住建造物等放火,電磁的公正証書原本不実記録,同供用,有印私文書偽造,同行使,旅券法違反被告事件』
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl cm cn co cp cq cr cs ct cu 千葉地方裁判所刑事第1部、2006年(平成18年)12月19日判決 事件番号:平成17年(わ)第1919号,平成17年(わ)第2100号,平成17年(わ)第2602号,平成18年(わ)第439号 参考文献:裁判所ウェブサイト掲載判例、D1-Law.com(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28135301『住居侵入,強盗殺人,現住建造物等放火,電磁的公正証書原本不実記録,同供用,電磁的公正証書原本不実記録幇助,同供用幇助,有印私文書偽造幇助,同行使幇助,旅券法違反幇助被告事件』

報道出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 中日新聞』2002年8月6日朝刊第一社会面27面「マブチモーター 社長宅で火災 2遺体 千葉・松戸 油まかれ 放火殺人疑いも」
    東京新聞』2002年8月6日朝刊第一社会面27面「焼け跡から2遺体 『マブチ』社長宅火災 妻と長女か 放火殺人の疑いも 松戸」「妻は難病、長女が家事」
    『中日新聞』2002年8月6日夕刊第一社会面13面「放火殺人と断定 マブチモーター社長宅火災 遺体の首にひも」
    『東京新聞』2002年8月6日夕刊第一社会面13面「マブチモーター社長宅2遺体火災 首絞め殺害の疑い 千葉県警 放火殺人と断定」
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 読売新聞』2002年8月6日東京朝刊第一社会面31面「マブチモーター社長宅焼ける 2人の焼死体/千葉・松戸」
    『読売新聞』2002年8月6日東京朝刊京葉版26面「松戸のマブチモーター社長宅で2人焼死 驚き隠せぬ住民=千葉」
    『読売新聞』2002年8月6日東京夕刊第一社会面19面「『マブチ』社長宅2人死亡火事 首にひも、室内に油 放火殺人で捜査/千葉県警」
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 読売新聞』2005年10月22日東京朝刊1面「マブチ事件 強殺、放火容疑で2人再逮捕 『資産化狙った』/千葉・松戸東署」
    『読売新聞』2005年10月22日東京朝刊第一社会面39面「『殺してでも逃げる』マブチ事件・小田島容疑者、犯行に知人誘う」
    『読売新聞』2005年10月22日東京朝刊京葉版33面「マブチ事件容疑者逮捕 『執念の勝利』 県警、遺族ら活動実る=千葉」
    『読売新聞』2005年10月22日東京朝刊群馬西版33面「『マブチ』強殺の2容疑者、県内で“お通夜盗”お悔やみ欄参考に=群馬」
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『読売新聞』2002年9月25日東京朝刊第一社会面39面「歯科医刺殺される 自宅、物色の跡/東京・目黒」
    『読売新聞』2002年9月25日東京夕刊第一社会面19面「東京・目黒の歯科医刺殺事件 前日、不審な男2人組を目撃」
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『読売新聞』2002年11月22日東京夕刊第一社会面23面「金券ショップ経営者の妻が変死/千葉・我孫子」
    『読売新聞』2002年11月23日東京朝刊京葉版34面「我孫子の殺人 物取りの可能性も 昼から夕方の犯行=千葉」
  6. ^ 『東京新聞』2002年8月7日夕刊第一社会面11面「○○さん(馬渕の妻の実名)△△さん(馬渕の長女の実名)9日に告別式」
  7. ^ a b c 『朝日新聞』2005年12月8日朝刊第一社会面39面「マブチ事件の2人を再逮捕 我孫子の強殺容疑」
  8. ^ a b c d 『朝日新聞』2005年12月8日朝刊千葉県第一地方面31面「強奪金尽き犯行 『マブチ事件』の3カ月半後 我孫子の事件で2容疑者再逮捕/千葉県」
  9. ^ a b c d “マブチ事件の畠山鉄男死刑囚が病死 4人殺害、東京拘置所”. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2017年9月17日). オリジナルの2017年9月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170918133647/http://www.sankei.com/affairs/news/170917/afr1709170014-n1.html 2017年9月17日閲覧。 
  10. ^ a b c d e 『読売新聞』2016年9月18日東京朝刊第二社会面30面「小田島死刑囚が病死 『マブチ事件』など4人殺害」
  11. ^ a b 中日新聞』1990年6月5日朝刊1面「社長一家監禁 3億円強奪 短銃?持つ2人組 7人脅し自宅に2日 東京 家族の車で逃走」
    『中日新聞』1990年6月5日朝刊第一社会面27面「監禁38時間住民気付かず 東京の3億円強奪 『変な様子なかった』 現金調達 経理部員も疑わず」「区役所名乗り社長実兄ら致 埼玉の営業所」
    『中日新聞』1990年6月5日夕刊第一社会面11面「恨みの犯行か 東京の3億円強奪 実兄脅し案内役 脅迫2人組 内部事情に精通?」
  12. ^ a b 『中日新聞』1990年9月23日朝刊第一社会面31面「東京の社長一家監禁『3億円強奪』1人逮捕 共犯は元下請け業者 行方追及 銀行に1億円預金 海外旅行帰り」「逃走車を用意 第3の人物も?」「『あの顔、犯人だ』成田で確認 常務、鮮明な記憶」
  13. ^ 『中日新聞』1990年11月29日夕刊第一社会面15面「練馬の社長監禁3億円強奪事件 主犯のX容疑者逮捕 茨城で民家に押し入り」
  14. ^ a b 『中日新聞』1991年11月28日夕刊第二社会面14面「2被告に懲役13-12年の判決 東京の3億円強奪」
  15. ^ a b c d e f g h i j k 『朝日新聞』2005年11月12日朝刊千葉県第一地方版33面「『天国の2人喜ぶ』馬渕会長、真相求め3年 マブチ事件起訴 /千葉県」
  16. ^ a b 『読売新聞』2010年3月8日東京朝刊第一社会面37面「[罪と罰]矯正の現場(3)雑居某で犯行『謀議』(連載)」
  17. ^ a b c d e f g h i j k 『毎日新聞』1989年4月13日東京朝刊第一社会面27面「東京・新宿のタイ女性絞殺犯は同居人の知人」
  18. ^ a b c d e f g h i j 『朝日新聞』2005年10月22日朝刊第一社会面39面「マブチ事件、企業情報誌で狙い絞る 2容疑者、服役中に計画」
  19. ^ a b c d e f g h 『読売新聞』2005年11月11日東京朝刊第一社会面39面「マブチ事件 2容疑者きょう起訴/千葉地検」
    『読売新聞』2005年11月12日東京朝刊第二社会面34面「マブチ事件 主犯否認のまま起訴 強盗殺人罪など/千葉地検」
    『読売新聞』2005年11月12日東京朝刊京葉版31面「マブチ事件起訴 『この日』感慨深く 遺族や捜査関係者=千葉」
  20. ^ a b 『読売新聞』2002年12月27日東京朝刊京葉版24面「『取材ノートから』(9)馬渕家の時計、止まったまま(連載)=千葉」
  21. ^ a b c d e f g h i 『読売新聞』2006年2月24日東京朝刊京葉版33面「マブチ事件初公判 『金が入ればバラ色』 M被告、獄中で犯行決意=千葉」
  22. ^ a b 『東京新聞』2002年9月25日朝刊第一社会面27面「歯科医師を刺殺 目黒の自宅 財布強奪か」
    『東京新聞』2002年9月25日夕刊第一社会面11面「帰宅直後に殺害か 目黒の歯科医 勝手口に争い跡、血痕」
    『中日新聞』2002年9月25日夕刊第一社会面11面「自宅で刺され歯科医師死亡 東京・目黒区」
  23. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『読売新聞』2002年8月7日東京朝刊第一社会面35面「マブチモーター社長宅放火殺人 えん恨、計画的犯行か 物色の跡なく」
    『読売新聞』2002年8月7日東京朝刊京葉版32面「マブチモーター社長宅事件 殺害直後に放火か 犯人、計画的に訪問?=千葉」
    『読売新聞』2002年8月7日東京夕刊第一社会面15面「マブチモーター社長宅放火殺人 目と口に粘着テープ 妻子、手足縛られた跡なし=千葉」
  24. ^ a b c d e f 『読売新聞』2002年8月8日東京朝刊京葉版30面「『マブチ』社長宅事件 殺害目的に侵入? 捜査本部、見方強める=千葉」
  25. ^ a b c d e 『読売新聞』2002年8月9日東京朝刊京葉版24面「『マブチ』社長宅放火殺人 1階の窓などすべて施錠?=千葉」
  26. ^ a b c d 『読売新聞』2002年8月11日東京朝刊京葉版28面「『マブチ』社長宅放火殺人事件 昼間も玄関は施錠=千葉」
  27. ^ a b c d e f g 『読売新聞』2002年8月9日東京夕刊第二社会面18面「マブチ社長宅殺人 千葉で告別式」
    『読売新聞』2002年8月10日東京朝刊京葉版28面「『マブチ』社長宅事件 『見たものは地獄だった』 告別式で社長あいさつ=千葉」
    『読売新聞』2002年8月10日東京朝刊京葉版28面「『マブチ』社長宅放火殺人 一家の日課調べた可能性 運転手訪問後に出火=千葉」
  28. ^ a b c d e f 『読売新聞』2002年8月13日東京朝刊京葉版32面「『マブチ』社長宅放火殺人 動機絞り込めず 金銭目的の見方浮上=千葉」
    『読売新聞』2002年8月13日東京夕刊1面「[眼]『マブチ』社長宅の惨劇 えん恨?金目当て?謎だらけ 残されていた現金」
  29. ^ a b 『読売新聞』2002年8月12日東京夕刊第一社会面19面「マブチ社長宅放火殺人事件 貴金属類なくなる 金目当て?数百万円相当」
  30. ^ a b c d 『読売新聞』2002年8月14日東京朝刊京葉版24面「『マブチ』社長宅放火殺人事件 現場からガソリン成分=千葉」
  31. ^ a b c d 『読売新聞』2002年8月15日東京朝刊京葉版24面「マブチモーター社長宅放火殺人 燃料缶は外部から=千葉」
  32. ^ a b 『読売新聞』2002年8月21日東京朝刊京葉版30面「『マブチ』社長宅事件 『経営への影響はない』 決算発表で幹部=千葉」
  33. ^ a b 『読売新聞』2002年8月22日東京朝刊京葉版32面「『マブチ』社長宅事件 貴金属の紛失、1階家事室も?=千葉」
  34. ^ a b c d e f 『東京新聞』2002年9月26日朝刊第一社会面31面「歯科医強殺事件 直前に不審男目撃」
  35. ^ a b c d e 『読売新聞』2002年11月22日東京夕刊第一社会面23面「我孫子の殺人事件 室内に空き箱散乱 強まる物取りの線=千葉」
  36. ^ a b c d e f g h i j k 『読売新聞』2002年9月4日東京夕刊第一社会面19面「『マブチ』社長宅事件1か月 物取り?えん恨? 特異な手口、絞れぬ犯人像」
  37. ^ a b c d e f g h i j 『読売新聞』2003年8月2日東京朝刊第一社会面35面「『マブチ』社長宅放火殺人から1年 唯一の遺留品、燃料缶を公表/千葉県警」「〈解〉『マブチモーター』社長宅放火殺人事件」
    『読売新聞』2003年8月2日東京朝刊京葉版28面「『マブチ』放火殺人 犯人像、動機絞れず 県警、情報呼び掛け=千葉」
  38. ^ 『読売新聞』2002年9月5日東京朝刊京葉版34面「『マブチ』社長宅事件1か月 癒えぬ遺族の悲しみ=千葉」
  39. ^ a b c 『読売新聞』2002年10月6日東京朝刊京葉版32面「マブチモーター社長宅2人殺害事件 2か月… 有力情報なく=千葉」
  40. ^ a b c 『読売新聞』2003年2月14日東京朝刊C経済面13面「マブチモーター社長に亀井慎二氏 馬渕氏は会長に」
  41. ^ a b 『読売新聞』2003年2月21日東京朝刊第二社会面38面「千葉・松戸の放火殺人事件 マブチモーター社長が心境」
    『読売新聞』2003年2月21日東京朝刊京葉版32面「マブチ社長宅の放火殺人 『言いようのない寂しさと孤独感』 文章で心境=千葉」
  42. ^ 『読売新聞』2003年3月15日東京朝刊京葉版32面「『マブチ』社長宅放火殺人 盗難品をポスターで公開=千葉」
  43. ^ a b c d e f g h 『読売新聞』2004年8月4日東京朝刊第一社会面35面「情報提供に謝礼金1000万円 マブチモーター社長宅放火殺人で親族らが計画」
    『読売新聞』2004年8月4日東京朝刊京葉版30面「マブチモーター社長宅放火殺人から2年 有力情報に謝礼1000万円=千葉」
  44. ^ a b c 『読売新聞』2005年8月5日東京朝刊京葉版29面「マブチモーター社長宅放火殺人から3年 捜査員3万6600人…進展なし=千葉」
  45. ^ a b c d e f g 『読売新聞』2005年1月21日東京朝刊群馬西版26面「お悔やみ記事見て盗み 留守狙い数百件、2容疑者を逮捕=群馬」
  46. ^ a b c d e 『読売新聞』2005年6月28日東京朝刊群馬西版35面「訃報侵入盗に懲役6年求刑=群馬」
  47. ^ a b c d e 『読売新聞』2005年6月30日東京朝刊群馬西版35面「『お悔やみ欄』参考に盗み 運転手役に実刑判決 『計画性高く悪質』簡裁=群馬」
  48. ^ a b c d e f g 『読売新聞』2005年9月24日東京朝刊第一社会面31面「マブチモーター社長宅・妻娘殺害事件 群馬の男2人聴取へ/千葉県警」
  49. ^ a b c d e f g h i 『読売新聞』2005年9月29日東京朝刊第一社会面39面「マブチモーター社長宅妻娘殺害 容疑の2人、あすにも別件で逮捕へ/千葉県警」
    『読売新聞』2005年9月30日東京夕刊第一社会面19面「マブチ事件 旅券法違反容疑で男2人に逮捕状/千葉・松戸東署」
    『読売新聞』2005年10月1日東京朝刊第一社会面39面「『マブチ』に関与?2人逮捕 事件後に被害者の宝石売却/千葉・松戸東署」
    『読売新聞』2005年10月1日東京朝刊京葉版33面「動き出すマブチ事件 関係?2人逮捕 捜査本部、慎重に調べ=千葉」
  50. ^ a b c d e f 『中日新聞』2005年4月30日夕刊第一社会面11面「マブチ社長宅殺人放火事件 公判中の男2人浮上 千葉県警 知人男性から証言」
  51. ^ a b c d e f 『東京新聞』2005年4月30日朝刊第一社会面27面「マブチ事件 公判中の男2人浮上 『やったと聞いた』男性証言」
  52. ^ a b c d e f g h i j k l 『読売新聞』2005年10月23日東京朝刊京葉版37面「マブチ事件 『小田島容疑者に従った』 M容疑者が供述=千葉」
    『読売新聞』2005年10月23日東京朝刊第一社会面39面「マブチ事件 拘置中に手紙送る 口止めか 小田島容疑者がM容疑者に」
  53. ^ a b c d e 『朝日新聞』2005年9月29日夕刊第一社会面19面「千葉県警、男2人を逮捕へ 旅券不正取得容疑 『マブチ』関与の疑い」
  54. ^ a b c 『読売新聞』2005年7月14日東京朝刊群馬西版35面「お悔やみ欄窃盗 懲役4年判決 前橋地裁=群馬」
  55. ^ a b c 『読売新聞』2005年10月21日東京朝刊第一社会面35面「マブチ社長宅・強盗殺人容疑 2人きょう再逮捕/千葉・松戸東署」
  56. ^ 『読売新聞』2005年10月3日東京朝刊京葉版33面「マブチ事件に関連? 旅券法違反容疑で逮捕の男2人を送検=千葉」
  57. ^ a b 『読売新聞』2005年10月6日東京朝刊第二社会面38面「『マブチ社長宅に行った』逮捕の54歳、妻娘殺害の関与認める」
  58. ^ a b c d 『読売新聞』2005年10月24日東京朝刊第一社会面35面「『宅配』装い押し入る マブチ事件、M容疑者供述 長女脅し金品物色」
  59. ^ a b 『読売新聞』2005年10月25日東京朝刊第二社会面34面「マブチ事件 2容疑者、事件半月後に不正旅券で渡比 強奪品売却か」
  60. ^ a b c d e 『読売新聞』2005年10月29日東京京葉版29面「マブチ事件 『燃料、事前に群馬で購入』 M容疑者が供述=千葉」
  61. ^ a b c d 『読売新聞』2005年12月2日東京朝刊第一社会面39面「マブチ事件 『千葉、東京で2人殺した』 M被告が上申書」
  62. ^ a b c d 『読売新聞』2005年12月2日東京夕刊第一社会面19面「マブチ事件のM被告 『小田島被告が刺した』 歯科医師殺害で供述/千葉県警」
  63. ^ a b 『朝日新聞』2005年12月5日夕刊第一社会面19面「我孫子の強殺、『主導役』も上申書 関与、文書で認める マブチ事件の小田島被告」
  64. ^ 『読売新聞』2005年12月7日東京朝刊第二社会面38面「我孫子の女性殺害容疑 マブチ事件の2被告、きょうにも再逮捕/千葉県警」
  65. ^ 『読売新聞』2005年12月8日東京朝刊第一社会面39面「私服警官装い強盗殺人 我孫子事件でマブチ2被告を再逮捕/千葉県警」
  66. ^ 『読売新聞』2005年12月29日東京朝刊第三社会面25面「マブチ事件2被告、別の殺人罪などで追起訴/千葉地検」
  67. ^ 『朝日新聞』2005年12月29朝刊第一社会面27面「目黒の強殺容疑で2人を再逮捕へ マブチ事件被告」
  68. ^ a b c d e f 『読売新聞』2006年1月13日東京夕刊第一社会面19面「東京・目黒の強盗殺人 『電話帳で目に付いた』 現場に『C歯科』(被害者Cが経営していた歯科の実名)切り抜き」
  69. ^ a b c d 『読売新聞』2006年1月13日東京朝刊第一社会面35面「マブチ事件2被告を再逮捕 歯科医殺害の凶器『利根川に捨てた』/警視庁」
  70. ^ a b 『読売新聞』2006年1月12日東京夕刊第一社会面15面「マブチ事件2被告 歯科医強殺で再逮捕へ/東京・碑文谷署」
  71. ^ 『読売新聞』2006年2月4日東京朝刊第二社会面38面「『マブチ』事件2被告、歯科医強殺で起訴/東京地検」
  72. ^ a b c d 『読売新聞』2005年12月28日東京朝刊京葉版25面「マブチ事件 1被告に『公判前整理手続き』適用=千葉」
  73. ^ a b 『読売新聞』2006年5月10日東京朝刊京葉面31面「マブチ事件の小田島被告、他2件も千葉地裁で審理 公判前整理手続き適用=千葉」
  74. ^ a b 『読売新聞』2006年2月23日東京夕刊第一社会面23面「『マブチ強殺』初公判 M被告、罪状認める/千葉地裁」
  75. ^ a b c 『読売新聞』2006年5月26日東京朝刊京葉版31面「マブチ事件追起訴審理 M被告、2件認める=千葉」
  76. ^ a b c 『読売新聞』2006年10月6日大阪朝刊第二社会面34面「マブチ事件、共犯に死刑求刑/千葉地裁」
  77. ^ a b c d 『読売新聞』2006年12月20日東京朝刊第一社会面39面「マブチ事件の男に『死刑』 3事件で4人殺害 『従犯』認めず/千葉地裁」
  78. ^ a b c d e f 『読売新聞』2006年12月20日東京朝刊京葉版35面「マブチ事件・M被告に死刑判決 『反省の様子見えず』遺族、無念晴れず=千葉」
  79. ^ 『読売新聞』2006年12月23日東京朝刊京葉版35面「マブチ事件 死刑判決の男が控訴 『気持ち整理する時間ほしい』=千葉」
  80. ^ a b 『読売新聞』2006年8月30日東京朝刊京葉版31面「マブチ事件 小田島被告、来月12日に初公判=千葉」
  81. ^ a b c 『読売新聞』2006年9月13日東京朝刊第三社会面33面「『マブチ』社長妻子殺害 主犯格、罪状認める/千葉地裁」
  82. ^ a b c 『読売新聞』2006年9月13日東京朝刊京葉版31面「マブチ社長宅強盗殺人 冒頭陳述で検察側、詳細に再現 地裁公判=千葉」
  83. ^ a b c d e f g 『読売新聞』2006年9月22日東京朝刊京葉版31面「マブチ社長妻子殺害 M被告、小田島被告の主導を証言 公判で=千葉」
  84. ^ a b c 『読売新聞』2006年12月22日東京朝刊第二社会面38面「マブチ事件 小田島被告に死刑求刑/千葉地裁公判」
  85. ^ a b 『読売新聞』2007年2月23日東京朝刊京葉版33面「マブチ事件 小田島被告側、死刑回避求める 地裁で最終弁論=千葉」
  86. ^ 『読売新聞』2007年3月22日東京朝刊京葉面33面「マブチ事件 小田島被告にきょう判決=千葉」
  87. ^ 『読売新聞』2007年3月23日東京朝刊第三社会面37面「マブチ事件 主犯格に死刑/千葉地裁」
  88. ^ a b c d 『読売新聞』2007年3月23日東京朝刊京葉版35面「マブチ強殺に死刑判決 更生の場で計画、指弾 裁判長『酌量余地ない』=千葉」
  89. ^ a b 『読売新聞』2007年4月4日東京朝刊京葉版31面「マブチ事件 小田島被告控訴へ=千葉」
  90. ^ a b 『毎日新聞』2007年4月5日東京朝刊総合面28面「千葉・マブチモーター会長宅殺人放火:小田島被告が控訴」
  91. ^ a b c d e 『毎日新聞』2007年11月6日東京朝刊第二社会面26面「千葉・マブチモーター会長宅殺人放火:小田島被告が控訴取り下げ――死刑確定」
  92. ^ a b 『読売新聞』2007年11月6日東京朝刊第二社会面38面「マブチ事件など4人殺害 小田島被告の死刑確定」
  93. ^ 『毎日新聞』2007年11月10日東京朝刊総合面26面「千葉・マブチモーター会長宅殺人放火:小田島死刑囚の死刑確定」
    『毎日新聞』2007年11月10日大阪夕刊第二社会面10面「千葉・マブチモーター会長宅殺人放火:小田島死刑囚の死刑確定」
  94. ^ a b 『日本経済新聞』2007年10月29日夕刊第一社会面21面「マブチ事件控訴審 M被告弁護側 死刑破棄求める」
  95. ^ a b c 『読売新聞』2008年3月4日東京朝刊第一社会面35面「マブチなど3事件4人殺害 被告、2審も死刑判決/東京高裁」
  96. ^ a b c 『読売新聞』2011年10月19日東京朝刊第三社会面37面「マブチ事件 M被告弁護側『死刑回避を』 上告審弁論」
  97. ^ 『読売新聞』2011年11月5日東京朝刊第三社会面37面「『マブチ』事件など上告審22日判決」
  98. ^ a b c 『読売新聞』2011年11月23日東京朝刊第一社会面39面「マブチ事件 死刑確定へ 3事件4人殺害 M被告の上告棄却」
  99. ^ a b “マブチ事件、死刑確定へ 「冷酷、残虐」と最高裁”. 『産経新聞』 (産業経済新聞社). (2011年11月22日). オリジナルの2011年11月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111122210506/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111122/trl11112217120009-n1.htm 2011年11月22日閲覧。 
  100. ^ a b 『朝日新聞』2009年3月18日朝刊第二社会面38面「死刑囚の心情、ブログに アクセス1日500人・投稿欄で議論」
  101. ^ a b c d e 『読売新聞』2006年11月30日東京朝刊京葉版35面「マブチ事件の被告弁護士 『別件逮捕時、接見妨害』 慰謝料求め県を提訴=千葉」
  102. ^ a b 『読売新聞』2007年1月20日東京朝刊京葉版31面「マブチ事件・M被告接見妨害訴訟 県側、棄却求める 地裁支部弁論=千葉」
  103. ^ a b 『読売新聞』2008年9月27日東京朝刊京葉版33面「マブチ事件・接見妨害訴訟 原告請求を棄却 地裁支部判決=千葉」
  104. ^ 『読売新聞』2006年2月16日東京朝刊第三社会面37面「マブチ事件で『事件の捜査に協力する会』が、謝礼金支払い」
  105. ^ a b c d 『読売新聞』2007年10月30日東京朝刊京葉版35面「マブチ事件の現場を寄贈 馬渕さん、松戸市に 『防犯、防災に活用して』=千葉」
  106. ^ a b c d 『読売新聞』2009年4月7日東京朝刊第三社会面33面「マブチ事件現場が防犯防災拠点に/千葉・松戸市」

書籍出典

その他出典

  1. ^ a b c 斎藤充功 (2012年10月29日). “全真相告白!<怪物>過去に眠っていた「救いようのない少年時代」”. 死刑囚獄中ブログ. 2017年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月30日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 小田島鐵男年表:死刑囚獄中ブログ”. 斎藤充功 (2009年2月13日). 2017年9月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月18日閲覧。
  3. ^ a b 斎藤充功 (2009年10月26日). “最期の夏”. 死刑囚獄中ブログ. 2017年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月30日閲覧。
  4. ^ 斎藤充功 (2008年11月22日). “第141回 執行の当事者として”. 死刑囚獄中ブログ. 2017年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月30日閲覧。
  5. ^ a b 斎藤充功 (2013年2月9日). “2013/2/8面会レポート”. 死刑囚獄中ブログ. 2017年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月30日閲覧。
  6. ^ 斎藤充功 (2013年7月18日). “2013/7/18面会レポート”. 死刑囚獄中ブログ. 2017年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月30日閲覧。
  7. ^ 斎藤充功 (2013年5月28日). “2013/5/27面会レポート”. 死刑囚獄中ブログ. 2017年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月30日閲覧。
  8. ^ 斎藤充功 (2015年3月7日). “小田島からの手紙”. 死刑囚獄中ブログ. 2017年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月30日閲覧。

関連項目

外部リンク