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{{Otheruseslist|[[岡山県]][[総社市]]にある作山古墳|[[千葉県]][[千葉市]]にある同名の古墳群|作山古墳群|[[京都府]][[与謝郡]][[与謝野町]]にある同名の古墳群|作山古墳 (与謝野町)|岡山県[[岡山市]]にある造山古墳|造山古墳 (岡山市)}}
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{{日本の古墳
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|名称 = 作山古墳<br />(三須作山古墳)
|画像 = [[File:Tsukuriyama Kofun (Soja), zenkei.jpg|280px]]<br />墳丘全景(右に後円部、左に前方部)
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'''作山古墳'''(つくりやまこふん、三須作山古墳)は、[[岡山県]][[総社市]]三須(みす)にある[[古墳]]。形状は[[前方後円墳]]。国の[[史跡]]に指定されている。
[[File:Tsukuriyama Kofun (Soja), zenkei.jpg|thumb|220px|right|{{center|墳丘全景}}{{small|右に後円部、左に前方部。}}]]
'''作山古墳'''(つくりやまこふん)は、[[岡山県]][[総社市]]三須にある[[古墳]]。形状は[[前方後円墳]]。国の[[史跡]]に指定されている。


岡山県では第2位、全国では第10位の規模の巨大古墳である
岡山県では第2位<ref group="注" name="規模">岡山県における主な古墳は次の通り
# [[造山古墳 (岡山市)|造山古墳]](岡山市北区新庄下) - 墳丘長350メートル。
# '''作山古墳'''(総社市三須) - 墳丘長282メートル。
# [[両宮山古墳]](赤磐市穂崎) - 墳丘長194メートル。
# [[操山古墳群|金蔵山古墳]](岡山市中区沢田) - 墳丘長165メートル。
</ref>、全国では第10位の規模の古墳で、[[5世紀]]中頃([[古墳時代]]中期)の築造と推定される。


== 概要 ==
== 概要 ==
岡山県南部の独立低丘陵を加工して築造された巨大前方後円墳である{{Sfn|作山古墳(国指定史跡)}}<ref name="説明板">史跡説明板。</ref>。東方の[[造山古墳 (岡山市)|造山古墳]]([[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]]新庄下)も「つくりやまこふん」であるため、作山は「さくざん」、造山は「ぞうざん」と呼び分けられる<ref>[http://www.pref.okayama.jp/cgi-bin/bunka/culture/controller/client/resultDetail.cgi?id=263 作山古墳 第一古墳](岡山県「おかやまの文化財」)。</ref>。これまでに本格的な発掘調査は実施されていない{{Sfn|作山古墳(国指定史跡)}}。
ごく低い丘陵上に築造されていて、墳丘の長さは約286メートル、後円部の最高地点24メートル・直径174メートル、前方部の長さ110メートル、前面部幅174メートル、高さ22メートル。独立した小さい丘陵を加工した、三段築成の前方後円墳である。各段には密接した円筒埴輪が立ち並んでいたと推測されており、斜面は角礫が葺かれている。北側(前方部から見て左側)に[[造り出し]]がある。外周には周濠がない。後円部の外周には幅約20メートルの段<ref>作山段と呼ばれる。</ref>が巡っていた。前方部前面と南東部に小さな丘が残っていて見栄えに欠け、また、巨大古墳としては[[陪塚]]が伴っていない<ref name="murakami">([[#村上|村上(1991) 129ページ]])</ref>。


墳形は前方後円形で、前方部を南西方に向ける。墳丘は3段築成{{Sfn|作山古墳(国指定史跡)}}。墳丘長は282メートルを測るが、これは岡山県では造山古墳(350メートル、全国第4位/岡山県第1位)に次ぐ第2位<ref group="注" name="規模"/>、全国では第10位の規模になる<ref name="堺市"/>。墳丘表面では角礫の[[葺石]]、[[埴輪]]列が認められる{{Sfn|作山古墳(国指定史跡)}}<ref name="説明板"/>。また墳丘北側には[[造出]]を有するほか、前方部前面などには未削平の残丘がある{{Sfn|作山古墳(国指定史跡)}}<ref name="説明板"/>。墳丘周囲に周濠は認められていない{{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=27-34}}{{Sfn|作山古墳(国指定史跡)}}。主体部の埋葬施設は明らかでないが、盗掘坑が認められないことから、墳丘内部での現存が推測される{{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=4-8}}<ref name="説明板"/>。
5世紀の中頃、[[古墳時代]]中期に造営された[[古代]][[吉備国|吉備王国]]の[[豪族]]の墓と思われる。全国で9位の規模<ref>全国10位とのデータもある。1 [[大仙古墳]](486メートル)、2 [[誉田御廟山古墳]](425メートル)、3 [[上石津ミサンザイ古墳]](360メートル)、4 [[造山古墳]](360メートル)、5 [[河内大塚山古墳]](335メートル)、6 [[見瀬丸山古墳]](318メートル)、7 [[渋谷向山古墳]](302メートル)、8 [[ニサンザイ古墳]](290メートル)、8 [[仲津山古墳]](290メートル)、9 作山古墳(286メートル)</ref>の古墳で、岡山県下では[[造山古墳 (岡山市)|造山古墳]]に次いで2位の規模である。
<div class="thumb tright">
{| class="wikitable" style="background:#ffffff;text-align:center;font-size:85%;"
|+推定首長墓系譜<ref name="小造山古墳"/>
!古墳名!!墳丘長!!時期
|-
|[[造山古墳 (岡山市)|造山古墳]]||350m||5c前半
|-
|'''作山古墳'''||282m||5c中頃
|-
|[[小造山古墳]]||142m||5c後半
|}
</div>
この作山古墳は、[[古墳時代]]中期の[[5世紀]]中頃の築造と推定される{{Sfn|作山古墳(国指定史跡)}}<ref name="説明板"/>。作山古墳の南側には[[近世]]の旧[[山陽道]]が通るが、作山古墳・造山古墳や[[両宮山古墳]]([[赤磐市]]穂崎)がいずれも旧山陽道沿いに位置することから、[[5世紀]]にはすでに旧山陽道に先行する道があり、その道を通る人々に対して権力を誇示する意図があったと推測される<ref name="説明板"/>。一帯の首長墓系譜としては造山古墳に後続し、[[小造山古墳]](岡山市北区新庄上・総社市下林)に先行する築造順と見られるが、順に墳丘規模が縮小する様相を示し<ref name="小造山古墳">[http://www.city.okayama.jp/museum/kofun2/03.html 小造山古墳](岡山市「岡山シティミュージアム」)。</ref>、作山古墳自体も未削平の残丘などの点で端正さを欠く<ref name="説明板"/>。なお、吉備地方では前期古墳の営造地に中期古墳はほぼ築造されず、前期古墳の存在しない地にこれら中期古墳が突如営造される点においても注目される{{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=27-34}}。


古墳域は、[[1921年]]([[大正]]10年)に残丘部分を「第一古墳」とする「作山古墳 第一古墳」の名称で国の[[史跡]]に指定されている<ref name="国指定"/>。現在では毎年12月に下草刈りが行われる<ref name="総社市"/>。
大正10年(1921年)3月3日に国の史跡に指定された。なお、これまで発掘調査は行われていない。


=== 来歴 ===
岡山市の造山古墳も同様に「つくりやまこふん」と読むが、地元では作山は「さくざん」、造山は「ぞうざん」と区別して呼んでいる。
* [[堀安道]]が『惣社記』に報告(最初の報告か){{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=9-11}}。
* [[1921年]]([[大正]]10年)3月3日、国の[[史跡]]に指定<ref name="国指定"/>。
* [[1967年|1967]]・[[1973年]]([[昭和]]42・48年)、家屋・墓地以外の部分の公有地化{{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=1-2}}。
* [[1986年]](昭和61年)の『岡山県史 考古資料』、[[1987年]](昭和62年)の『総社市史 考古資料』に測量図の掲載(岡山県・総社市の共同航空測量図){{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=9-11}}。
* [[1997年|1997]]-[[2014年]]度([[平成]]9-26年度)、測量調査(総社市教育委員会){{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=1-2}}。
* [[2011年]](平成23年)2月16日、航空3次元測量(岡山大学・[[アジア航測]]){{Sfn|岡山市造山古墳群の調査概報|2012年|pp=67-71}}。


== 規模 ==
前方部左隅に無料の駐車場、トイレ、岡山県の観光案内看板が有る。[[陵墓]]等に指定されていないことから、自由に墳丘に立ち入ることができる。交通アクセスは良好とは言えないが、[[吉備路自転車道]]が近くを通っている。
[[Image:Tsukuriyama Kofun, Soja air.jpg|thumb|280px|right|{{center|作山古墳の航空写真(1980年度)}}{{small|{{国土航空写真}}。}}]]
古墳の規模は次の通り(2016年(平成28年)の報告値){{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=12-23}}。
* 墳丘長:約282メートル
* 後円部 - 楕円形。3段築成。
** 長軸長さ:約175メートル
** 短軸長さ:約160メートル
** 高さ:約24メートル
* 前方部 - 3段築成。
** 最大幅:約170メートル
** 高さ:約23メートル
墳丘長に関して、かつては航空測量図を基に約286メートルという値が知られたが、1997-2014年度(平成9-26年度)の測量結果では上記の値に修正される{{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=12-23}}<ref>[http://www.sanyonews.jp/article/471571/1/?rct=kurashiki_sojya "作山古墳、4メートル短かった 総社市教委調査 全国10位に転落"](山陽新聞、2017年1月9日記事)。</ref>。墳丘は北側で良好に遺存するが、南側では民家・道路の建設により裾部で大きく改変を受けている{{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=12-23}}。また作山古墳の墳丘には、独特な築造企画として次の点がある{{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=12-23}}。
:* 前方部前面などに、元の独立丘陵の一部が未削平のまま残存。
:* 前方部前端に台形突出部の存在。
:* 前方部前面の堀切が水平でなく高低差(約2メートル)が存在。
:* 後円部が正円形でなく楕円形(墳丘を大きく見せるためか)。
:* 後円部周囲に「作山段」と呼ばれる段の存在。


[[造出]]については、墳丘北側で認められるほか、南側にも存在可能性が指摘される{{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=12-23}}。造山古墳の造出がくびれ部付近にあるのに対し、作山古墳の造出はくびれ部から前方部寄りに位置し、後出的な様相になる{{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=12-23}}。また、この北造出のさらに前方部寄りには、規模の小さい造出状の張出し部も認められている{{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=12-23}}。

周濠の有無は明らかでない。周堤状の地形が見られることから周濠が存在したとする説もあるが、これについても墳丘テラス内側部分の耕作での削平によるもの(残存テラス部)という見解が示されている{{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=27-34}}。なお吉備地方では、造山古墳も非常に浅い周濠(または周濠なし)と見られ、畿内地方のような深い周濠を有する大型古墳は[[両宮山古墳]]のみになる{{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=27-34}}。
<gallery>
<gallery>
画像:Tsukuriyama Kofun(Soja) Koenbu 20080803.JPG|くびれ部から後円部を望む
File:Tsukuriyama Kofun (Soja), funchou.jpg|後円部墳頂
File:Tsukuriyama Kofun (Soja), kouenbu-1.jpg|前方部から後円部を望む
File:Tsukuriyama Kofun (Soja), zenpoubu.jpg|後円部から前方部を望む
File:Tsukuriyama Kofun (Soja), kouenbu-2.jpg|後円部の墳丘<br />{{small|3段の段築が認められる。}}
File:Tsukuriyama Kofun (Soja), tsukuridashi.jpg|北造出<br />{{small|左後背は前方部墳丘。}}
File:Tsukuriyama Kofun (Soja), zankyu.jpg|残丘(右)と堀切、前方部前端(左)
</gallery>
</gallery>


== 周辺の古墳群 ==
== 出土品 ==
作山古墳からの出土品のほとんどは、[[円筒埴輪]]・朝顔形埴輪になる{{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=27-34}}。これらの埴輪列が墳丘各段の平坦面に巡らされたと見られ{{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=27-34}}、総数は5,000本にも及ぶと推計される<ref name="総社市">[http://www.city.soja.okayama.jp/bunka/kanko/shitei_bunkazai/kuni/kuni_07.html 作山古墳](総社市「総社観光ナビ」)。</ref>。円筒埴輪・朝顔形埴輪のほとんどは窖窯焼成と見られ、形状は多様である{{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=27-34}}。製作時期にも時間幅があると見られるが、概ね5世紀第2四半世紀に始まり中頃に完成したと推定される{{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=27-34}}。
北の丘陵には17基の前期古墳が、北東の三須丘陵には墳丘長140メートルの前方後円墳([[小造山古墳]])が存在し、前期・後期合わせて約350基の古墳群が形成されている<ref name="murakami">([[#村上|村上(1991) 129ページ]])</ref>。

そのほかには[[形象埴輪]]として、わずかに武人埴輪の肩鐙片1点、蓋形埴輪片数点、器種不明埴輪片のみが検出されている{{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=27-34}}。

== 陪塚 ==
作山古墳の[[陪塚]](陪冢)の存在は明らかでない{{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=12-23}}。かつては、くびれ部南側にある小丘陵が陪塚と見られ「作山第1古墳」と称されていたが、実際には前方部前面のものと同様に、未削平の残丘の1つと見られる{{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=12-23}}。

なお、作山古墳北側の丘陵尾根上には前方後円墳の野宮古墳の存在が知られるが、作山古墳との関係は明らかでない{{Sfn|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年|pp=12-23}}。

== 文化財 ==
=== 国の史跡 ===
* 作山古墳 第一古墳 - 1921年(大正10年)3月3日指定<ref name="国指定">{{国指定文化財等データベース|401|2241|作山古墳 第一古墳}}</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
'''注釈'''
{{reflist|group="注"}}

'''出典'''
{{reflist}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
{{small|(記事執筆に使用した文献)}}
*{{Cite book | 和書|author=[[村上幸雄]] |year=1991 |chapter=作山古墳 |editor=文化庁文化財保護部史跡研究会監修 |title=図説 日本の史跡 第3巻 原始3 |publisher=同朋舎出版 |isbn=978-4-8104-0926-0 |ref=村上}}
* 史跡説明板(駐車場所在(総社市教育委員会、1986年設置)、墳頂所在(総社市教育委員会、2010年設置))
*岡山県高等学校教育研究会社会科部会歴史分科会/編 『新版 岡山県の歴史散歩』 山川出版社 1991年 123ページ
* 地方自治体発行
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2016|chapter=|title=国指定史跡作山古墳測量調査報告書(総社市埋蔵文化財発掘調査報告 25)|publisher=岡山県総社市教育委員会|isbn=|ref={{Harvid|国指定史跡作山古墳測量調査報告書|2016年}}}}
* 事典類
** {{Cite book|和書|editor=|author=鎌木義昌|year=|chapter=作山古墳|title=[[国史大辞典 (昭和時代)|国史大辞典]]|publisher=[[吉川弘文館]]|isbn=|ref={{Harvid|作山古墳(国史)}}}}
** {{Cite book|和書|editor=|author=今井尭|year=|chapter=作山古墳 > 三須作山古墳|title=[[日本大百科全書]](ニッポニカ)|publisher=[[小学館]]|isbn=|ref={{Harvid|三須作山古墳(日本大百科全書)}}}}
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1988|chapter=作山古墳|title=[[日本歴史地名大系]] 34 岡山県の地名|publisher=[[平凡社]]|isbn=4582490344|ref={{Harvid|作山古墳(平凡社)|1988年}}}}
** {{Cite book|和書|editor=|author=葛原克人|year=2006|chapter=作山古墳|title=日本古代史大辞典|publisher=[[大和書房]]|isbn=978-4479840657|ref={{Harvid|作山古墳(古代史)|2006年}}}}
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=|chapter=[https://kotobank.jp/word/%E4%BD%9C%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E3%80%88%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E3%80%89-1444480 作山古墳〈岡山県〉]|title=国指定史跡ガイド|publisher=[[講談社]]|isbn=|ref={{Harvid|作山古墳(国指定史跡)}}}} - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。
* その他文献
** {{Cite book|和書|editor=新納泉編|author=|year=2012|chapter={{PDFlink|[http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/4/48254/20160528090344199132/zouzankofun_067_071.pdf.pdf.pdf 作山古墳墳丘のレーザー計測]}}|title=岡山市造山古墳群の調査概報|publisher=岡山大学大学院社会文化科学研究科|isbn=|ref={{Harvid|岡山市造山古墳群の調査概報|2012年}}}} - リンクは岡山大学学術成果リポジトリ。

== 関連文献 ==
{{small|(記事執筆に使用していない関連文献)}}
* {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1999|chapter=作山古墳の調査について|title=[http://sitereports.nabunken.go.jp/12816 総社市埋蔵文化財調査年報 9]|publisher=総社市教育委員会|isbn=|pages=104-113|ref={{Harvid|総社市埋蔵文化財調査年報 9|1999年}}}} - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
* {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2001|chapter=作山下水路改良工事に伴う立会調査|title=総社市埋蔵文化財調査年報 11|publisher=総社市教育委員会|isbn=|pages=|ref=}}
* {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2004|chapter=作山古墳現状変更に伴う立会調査|title=総社市埋蔵文化財調査年報 13|publisher=総社市教育委員会|isbn=|pages=|ref=}}
* {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2008|chapter=国指定史跡 作山古墳前方部前端の形状について|title=総社市埋蔵文化財調査年報 17|publisher=総社市教育委員会|isbn=|pages=|ref=}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[造山古墳 (岡山市)]]
*[[吉備路]]
* [[両宮山古墳]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Tsukuriyama Kofun (Soja)}}
* {{国指定文化財等データベース|401|2241|作山古墳 第一古墳}}
* {{国指定文化財等データベース|401|2241|作山古墳 第一古墳}}
* [http://www.pref.okayama.jp/cgi-bin/bunka/culture/controller/client/resultDetail.cgi?id=263 作山古墳 第一古墳] - 岡山県「おかやまの文化財」
* [http://www.city.soja.okayama.jp/bunka/kanko/shitei_bunkazai/kuni/kuni_07.html 作山古墳] - 総社市「総社観光ナビ」


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2017年1月10日 (火) 04:07時点における版

作山古墳
(三須作山古墳)

墳丘全景(右に後円部、左に前方部)
所在地 岡山県総社市三須
位置 北緯34度39分51.18秒 東経133度46分8.52秒 / 北緯34.6642167度 東経133.7690333度 / 34.6642167; 133.7690333座標: 北緯34度39分51.18秒 東経133度46分8.52秒 / 北緯34.6642167度 東経133.7690333度 / 34.6642167; 133.7690333
形状 前方後円墳
規模 墳丘長282m
高さ24m(後円部)
埋葬施設 不明
出土品 円筒埴輪・朝顔形埴輪
築造時期 5世紀中頃
史跡 国の史跡「作山古墳 第一古墳」
特記事項 全国第10位/岡山県第2位の規模[1]
地図
作山古墳の位置(岡山県内)
作山古墳
作山古墳
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作山古墳(つくりやまこふん、三須作山古墳)は、岡山県総社市三須(みす)にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。

岡山県では第2位[注 1]、全国では第10位の規模の古墳で、5世紀中頃(古墳時代中期)の築造と推定される。

概要

岡山県南部の独立低丘陵を加工して築造された巨大前方後円墳である[2][3]。東方の造山古墳岡山市北区新庄下)も「つくりやまこふん」であるため、作山は「さくざん」、造山は「ぞうざん」と呼び分けられる[4]。これまでに本格的な発掘調査は実施されていない[2]

墳形は前方後円形で、前方部を南西方に向ける。墳丘は3段築成[2]。墳丘長は282メートルを測るが、これは岡山県では造山古墳(350メートル、全国第4位/岡山県第1位)に次ぐ第2位[注 1]、全国では第10位の規模になる[1]。墳丘表面では角礫の葺石埴輪列が認められる[2][3]。また墳丘北側には造出を有するほか、前方部前面などには未削平の残丘がある[2][3]。墳丘周囲に周濠は認められていない[5][2]。主体部の埋葬施設は明らかでないが、盗掘坑が認められないことから、墳丘内部での現存が推測される[6][3]

推定首長墓系譜[7]
古墳名 墳丘長 時期
造山古墳 350m 5c前半
作山古墳 282m 5c中頃
小造山古墳 142m 5c後半

この作山古墳は、古墳時代中期の5世紀中頃の築造と推定される[2][3]。作山古墳の南側には近世の旧山陽道が通るが、作山古墳・造山古墳や両宮山古墳赤磐市穂崎)がいずれも旧山陽道沿いに位置することから、5世紀にはすでに旧山陽道に先行する道があり、その道を通る人々に対して権力を誇示する意図があったと推測される[3]。一帯の首長墓系譜としては造山古墳に後続し、小造山古墳(岡山市北区新庄上・総社市下林)に先行する築造順と見られるが、順に墳丘規模が縮小する様相を示し[7]、作山古墳自体も未削平の残丘などの点で端正さを欠く[3]。なお、吉備地方では前期古墳の営造地に中期古墳はほぼ築造されず、前期古墳の存在しない地にこれら中期古墳が突如営造される点においても注目される[5]

古墳域は、1921年大正10年)に残丘部分を「第一古墳」とする「作山古墳 第一古墳」の名称で国の史跡に指定されている[8]。現在では毎年12月に下草刈りが行われる[9]

来歴

  • 堀安道が『惣社記』に報告(最初の報告か)[10]
  • 1921年大正10年)3月3日、国の史跡に指定[8]
  • 19671973年昭和42・48年)、家屋・墓地以外の部分の公有地化[11]
  • 1986年(昭和61年)の『岡山県史 考古資料』、1987年(昭和62年)の『総社市史 考古資料』に測量図の掲載(岡山県・総社市の共同航空測量図)[10]
  • 1997-2014年度(平成9-26年度)、測量調査(総社市教育委員会)[11]
  • 2011年(平成23年)2月16日、航空3次元測量(岡山大学・アジア航測[12]

規模

作山古墳の航空写真(1980年度)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

古墳の規模は次の通り(2016年(平成28年)の報告値)[13]

  • 墳丘長:約282メートル
  • 後円部 - 楕円形。3段築成。
    • 長軸長さ:約175メートル
    • 短軸長さ:約160メートル
    • 高さ:約24メートル
  • 前方部 - 3段築成。
    • 最大幅:約170メートル
    • 高さ:約23メートル

墳丘長に関して、かつては航空測量図を基に約286メートルという値が知られたが、1997-2014年度(平成9-26年度)の測量結果では上記の値に修正される[13][14]。墳丘は北側で良好に遺存するが、南側では民家・道路の建設により裾部で大きく改変を受けている[13]。また作山古墳の墳丘には、独特な築造企画として次の点がある[13]

  • 前方部前面などに、元の独立丘陵の一部が未削平のまま残存。
  • 前方部前端に台形突出部の存在。
  • 前方部前面の堀切が水平でなく高低差(約2メートル)が存在。
  • 後円部が正円形でなく楕円形(墳丘を大きく見せるためか)。
  • 後円部周囲に「作山段」と呼ばれる段の存在。

造出については、墳丘北側で認められるほか、南側にも存在可能性が指摘される[13]。造山古墳の造出がくびれ部付近にあるのに対し、作山古墳の造出はくびれ部から前方部寄りに位置し、後出的な様相になる[13]。また、この北造出のさらに前方部寄りには、規模の小さい造出状の張出し部も認められている[13]

周濠の有無は明らかでない。周堤状の地形が見られることから周濠が存在したとする説もあるが、これについても墳丘テラス内側部分の耕作での削平によるもの(残存テラス部)という見解が示されている[5]。なお吉備地方では、造山古墳も非常に浅い周濠(または周濠なし)と見られ、畿内地方のような深い周濠を有する大型古墳は両宮山古墳のみになる[5]

出土品

作山古墳からの出土品のほとんどは、円筒埴輪・朝顔形埴輪になる[5]。これらの埴輪列が墳丘各段の平坦面に巡らされたと見られ[5]、総数は5,000本にも及ぶと推計される[9]。円筒埴輪・朝顔形埴輪のほとんどは窖窯焼成と見られ、形状は多様である[5]。製作時期にも時間幅があると見られるが、概ね5世紀第2四半世紀に始まり中頃に完成したと推定される[5]

そのほかには形象埴輪として、わずかに武人埴輪の肩鐙片1点、蓋形埴輪片数点、器種不明埴輪片のみが検出されている[5]

陪塚

作山古墳の陪塚(陪冢)の存在は明らかでない[13]。かつては、くびれ部南側にある小丘陵が陪塚と見られ「作山第1古墳」と称されていたが、実際には前方部前面のものと同様に、未削平の残丘の1つと見られる[13]

なお、作山古墳北側の丘陵尾根上には前方後円墳の野宮古墳の存在が知られるが、作山古墳との関係は明らかでない[13]

文化財

国の史跡

  • 作山古墳 第一古墳 - 1921年(大正10年)3月3日指定[8]

脚注

注釈

  1. ^ a b 岡山県における主な古墳は次の通り。
    1. 造山古墳(岡山市北区新庄下) - 墳丘長350メートル。
    2. 作山古墳(総社市三須) - 墳丘長282メートル。
    3. 両宮山古墳(赤磐市穂崎) - 墳丘長194メートル。
    4. 金蔵山古墳(岡山市中区沢田) - 墳丘長165メートル。

出典

  1. ^ a b 古墳大きさランキング(日本全国版)(堺市ホームページ、2016年6月20日更新版)。
  2. ^ a b c d e f g 作山古墳(国指定史跡).
  3. ^ a b c d e f g 史跡説明板。
  4. ^ 作山古墳 第一古墳(岡山県「おかやまの文化財」)。
  5. ^ a b c d e f g h i 国指定史跡作山古墳測量調査報告書 & 2016年, pp. 27–34.
  6. ^ 国指定史跡作山古墳測量調査報告書 & 2016年, pp. 4–8.
  7. ^ a b 小造山古墳(岡山市「岡山シティミュージアム」)。
  8. ^ a b c 作山古墳 第一古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  9. ^ a b 作山古墳(総社市「総社観光ナビ」)。
  10. ^ a b 国指定史跡作山古墳測量調査報告書 & 2016年, pp. 9–11.
  11. ^ a b 国指定史跡作山古墳測量調査報告書 & 2016年, pp. 1–2.
  12. ^ 岡山市造山古墳群の調査概報 & 2012年, pp. 67–71.
  13. ^ a b c d e f g h i j 国指定史跡作山古墳測量調査報告書 & 2016年, pp. 12–23.
  14. ^ "作山古墳、4メートル短かった 総社市教委調査 全国10位に転落"(山陽新聞、2017年1月9日記事)。

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(駐車場所在(総社市教育委員会、1986年設置)、墳頂所在(総社市教育委員会、2010年設置))
  • 地方自治体発行
    • 『国指定史跡作山古墳測量調査報告書(総社市埋蔵文化財発掘調査報告 25)』岡山県総社市教育委員会、2016年。 
  • 事典類
    • 鎌木義昌「作山古墳」『国史大辞典吉川弘文館 
    • 今井尭「作山古墳 > 三須作山古墳」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館 
    • 「作山古墳」『日本歴史地名大系 34 岡山県の地名』平凡社、1988年。ISBN 4582490344 
    • 葛原克人「作山古墳」『日本古代史大辞典』大和書房、2006年。ISBN 978-4479840657 
    • 作山古墳〈岡山県〉」『国指定史跡ガイド』講談社  - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。
  • その他文献
    • 新納泉編 編「作山古墳墳丘のレーザー計測 (PDF)」『岡山市造山古墳群の調査概報』岡山大学大学院社会文化科学研究科、2012年。  - リンクは岡山大学学術成果リポジトリ。

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 「作山古墳の調査について」『総社市埋蔵文化財調査年報 9』総社市教育委員会、1999年、104-113頁。  - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
  • 「作山下水路改良工事に伴う立会調査」『総社市埋蔵文化財調査年報 11』総社市教育委員会、2001年。 
  • 「作山古墳現状変更に伴う立会調査」『総社市埋蔵文化財調査年報 13』総社市教育委員会、2004年。 
  • 「国指定史跡 作山古墳前方部前端の形状について」『総社市埋蔵文化財調査年報 17』総社市教育委員会、2008年。 

関連項目

外部リンク