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「美濃電気軌道の木造単車」の版間の差分

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{{改名提案|美濃電気軌道の木造単車|date=2016年11月}}
{{Redirect|名鉄モ10形電車|モ10形(初代)|瀬戸電気鉄道テ1形電車}}
{{Redirect|名鉄モ10形電車|モ10形(初代)|瀬戸電気鉄道テ1形電車}}
[[File:Minoden D12.jpg|right|thumb|300px|津保川橋梁を渡るD12号。開業とともに導入された車両だが、後年新京市電に売却された。]]
'''美濃電気軌道1形電車'''(みのでんきてつどう1がたでんしゃ)は、[[美濃電気軌道]](美濃電)が[[1911年]]([[明治]]44年)から[[1920年]]([[大正]]9年)にかけて導入した[[電車]]([[路面電車]]車両)である。木造車体を備える[[二軸車 (鉄道)|4輪単車]]で、ほぼ同型の付随車として'''T101形'''も存在した。
本項では'''美濃電気軌道の木造単車'''(みのでんききどうのもくぞうたんしゃ)について解説する。


[[美濃電気軌道]](美濃電)は[[1911年]]([[明治]]44年)の路線開業に合わせ、木造車体を備えた[[二軸車 (鉄道)|4輪単車]]([[路面電車]]車両)を12両導入した。その後の増備で計56両の木造単車が導入されたほか、合併会社から10両の木造単車が美濃電籍に組み込まれている([[岐北軽便鉄道]]から6両、[[長良軽便鉄道]]から4両)。これら66両のうち、名岐鉄道を経て[[名古屋鉄道]]に引き継がれたのは57両である<ref name="RM129-12">[[#RM129|『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.12]]</ref>。
本形式は後年の合併により名岐鉄道籍および[[名古屋鉄道]](名鉄)籍を経て、戦後'''モ1形'''・'''モ5形'''・'''モ10形'''(2代)<ref>旧[[名鉄瀬戸線|瀬戸電気鉄道]](瀬戸電)より継承した[[瀬戸電気鉄道テ1形電車|テ1形]]が、瀬戸電の名鉄合併に伴う改番により1939年(昭和14年)から1949年(昭和24年)までの間'''モ10形'''(初代)の形式称号を称していた。</ref>・'''モ35形'''の各形式に区分された。


美濃電気軌道時代は形式称号がなく、後述する付番体系による車番が割り当てられていただけだった<ref name="TMB-118">[[#TMB|『路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋』 p.118]]</ref>。名鉄合併後も軌道籍の車両{{refnest|group="注釈"|1941年の改番当時に鉄道籍だった車両はこの時点で形式称号が与えられている。}}には形式称号がなかったが、[[1949年]]([[昭和]]24年)の改番で全車両に形式称号が設定され、'''モ1形'''・'''モ5形'''・'''モ10形'''(2代)・'''[[岐北軽便鉄道甲形電車|モ25形]]'''・'''モ35形'''・'''[[名鉄モ45形電車|モ45形]]'''(2代)・'''[[名鉄モ50形電車|モ50形]]'''(戦災復旧車)の各形式に区分された<ref name="TMB-255">[[#TMB|『路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋』 p.255]]</ref>。
== 概要 ==
本形式は美濃電気軌道が1911年(明治44年)に[[岐阜駅前駅|岐阜停車場前]] - 今小町、[[岐阜柳ヶ瀬駅|神田町]] - [[美濃駅|上有知]]間を開業させた際に新製されたもので、後に数次にわたって増備が続けられ、計47両が導入された。なお、本形式は搭載する主要機器のメーカーの差異によって車番の前にアルファベットが付されていた点が特徴である。[[イングリッシュ・エレクトリック]]製のデッカー (Dick, Kerr) 系主要機器を搭載した車両は「'''D'''」が、[[シーメンス]] (Siemens) 製の主要機器を搭載した車両は「'''S'''」が、[[ゼネラル・エレクトリック]] (GE) 製の主要機器を搭載した車両は「'''G'''」が、それぞれ車番の前に付された<ref>ただし、主電動機については後年全車ともイングリッシュ・エレクトリック製の40 [[馬力#仏馬力|PS]]主電動機に統一された。</ref>。


美濃電が発注した車両は基本的に木造ダブルルーフ車体、オープンデッキ構造、客室窓8枚{{refnest|group="注釈"|[[岐北軽便鉄道甲形電車|岐北軽便鉄道甲形]](G13・14・17・19)の客室窓は10枚<ref name="RM129-19">[[#RM129|『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.19]]</ref>。}}という車体構造で、大正から[[昭和]]初期にかけて各地で見ることのできた普遍的な路面電車そのものであった<ref name="RA30-150">[[#RA30-122|「私鉄車両めぐり 名古屋鉄道」 p.150]]</ref>。主要機器については各車メーカーの差異はあったものの、制御方式は[[マスター・コントローラー#直接式|直接制御]]<ref name="RM129-46">[[#RM129|『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.46]]</ref>、制動方式は[[手ブレーキ]](常用)および[[発電ブレーキ]](非常用)<ref name="RP473-169">[[#RP473-166|「名古屋鉄道の車両前史」 p.169]]</ref>、集電装置は[[集電装置#トロリーポール|トロリーポール]]で統一されていた<ref name="RM129-46"/>。戦後の改造で、前照灯の移設、客用扉新設(モ45形は未実施、モ1形・モ5形は外吊り扉<ref name="RA30-150"/>)、集電装置の[[集電装置#ビューゲル|ビューゲル]]化、連結器の撤去などが施工され、一部車両は車体外板に[[鋼板]]を張り付けた簡易鋼体車(ニセスチール車)となった<ref name="RM129-15"/>。
これら3種の[[アルファベット]]は47両全車に付されていたとされるが、その全容は今もって不明である。判明している範囲では、「D」を付された車両は1・5・7・8・27・31 - 33・36 - 38・40・41・43・45・47・50・58・60 - 63、「S」を付された車両は22・24 - 26・30であった。また、美濃電は末尾9を忌み番としていたことから、9・29・39・49・59は当初から欠番とされた。また、42は「死に」に通じるからか、こちらも当初から欠番とされていた。以下、本項における車番記載に際してはこれらアルファベットを省いて記載する。


[[1967年]](昭和42年)[[7月23日]]全廃<ref name="RA30-151">[[#RA30-122|「私鉄車両めぐり 名古屋鉄道」 p.151]]</ref>。
主要機器については各車メーカーの差異はあったものの、制御方式は[[マスター・コントローラー#直接式|直接制御]]、常用制動はハンドブレーキのみ<ref>非常制動用に[[発電ブレーキ|電気制動]]を装備していた。</ref>、[[集電装置#トロリーポール|ポール]]集電方式で全車統一されていた。


== 美濃電気軌道の付番体系 ==
車体は木造ダブルルーフ車体のオープンデッキ構造[[二軸車 (鉄道)|二軸単車]]で、大正から[[昭和]]初期にかけて各地で見ることのできた普遍的な路面電車そのものである。窓配置はV8V(V:乗降デッキ)であった。なお、後期に新製された車両は客用扉が新設されて窓配置はD8D(D:客用扉)に変化し、オープンデッキ構造の初期車についても後年客用扉の新設が施工されている。
美濃電では木造単車に対し、搭載する電気機器によって車番の前にアルファベットを付けることで車両を区別していた<ref name="RM129-13">[[#RM129|『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.13]]</ref>。
*'''D''' :[[イングリッシュ・エレクトリック]](デッカー)
*'''S''' :[[シーメンス]]
*'''G ''' :[[ゼネラル・エレクトリック]](GE)
*'''M ''' :三菱<ref name="RM129-14">[[#RM129|『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.14]]</ref>
*'''T''' :(付随車)


後期増備車にはデッカー搭載車の記号を'''DD'''とする例があるが、DとDDの違いについては未だ解明されていない<ref name="TMB-118"/>。美濃電導入車両の搭載機器はデッカー製かシーメンス製であり、GE製を搭載したのは被合併会社の車両のみ、三菱製は機器の破損で交換したM2号のみであった<ref name="RM129-12"/>。美濃電時代より最大勢力のデッカーに統一する動きがあり<ref name="RM129-13"/>、最終的にデッカー製DK-13またはDK-30系統の機器に纏められた<ref name="RP473-169"/>。
これら一連の美濃電が新製した二軸単車に関して、車番と製造順が同期していないことや欠番の理由などについては一切不明である。車両数は判明している分のみで47両であるが、実際に新製された総数が何両であったかについても未だに明らかではない。


車番のうち9・29・39・42・49・59は欠番である。そのほとんどは末尾9を忌番とする美濃電初期の慣習によるものだが、この慣習は次第に薄れ、岐北軽便鉄道の車両を組み込む際には「19」を使用している<ref name="TMB-118"/>。
== 各グループ概要 ==
以下、各グループの概要およびその後の動向について製造年次ごとに述べる。なお、本項で扱う車両同様に美濃電が新製した4輪単車61 - 63については[[名鉄モ45形電車]]項目を参照されたい。


== グループ別概要 ==
=== 開業時に新製された車両(名鉄モ1形) ===
以下、製造年次や名鉄による形式称号(1949年)を基準に、便宜的に車両を区分して解説する。なお、戦災復旧車については[[名鉄モ50形電車]]も参照されたい。
1911年(明治44年)に新製されたグループで、1 - 8・10 - 12・34の12両が存在した。全車天野工場(後の[[日本車輌製造]]東京支店)製で、台車は[[ブリル]]21-Eを装備する。


=== D1-8, 10-12, 34(モ1形) ===
[[1939年]](昭和14年)に2 - 4・10 - 12・34が[[廃車 (鉄道)|廃車]]され、[[満州国]]・[[新京]]市電に譲渡された。残存した1・5 - 8については名鉄に在籍する二軸単車全車に通し番号が付与されたことに伴い、1 - 5と改番されている。その後3が戦災被災により焼失し、戦後車体新製により復旧され、[[名鉄モ50形電車|モ50形]]50と改称・改番された。残る1・5・7・8は[[1949年]](昭和24年)に再度改番が行われ、'''モ1形'''1 - 4と形式称号および記号番号を改めた。
開業に向けて1911年(明治44年)に新製されたグループで、D1、D2、D3、D4、D5、D6、D7、D8、D10、D11、D12、D34の12両が存在した。全車天野工場(後の[[日本車輌製造]]東京支店)製<ref name="RM129-14"/>。D1、D5、D6、D7、D8、D34は一時期鉄道線に所属していたが、[[美濃電気軌道セミボ510形電車|DB505形]]の投入により[[1924年]](大正13年)に軌道線に戻されている<ref name="RM129-36">[[#RM129|『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.36]]</ref>。


電気機器としてデッカー製の30馬力モーターを搭載していたが、一部の車両は[[1925年]](大正14年)4月に[[#G13-17, 19(モ25形)|旧岐北軽便車両]]の性能向上のため同車のGE製25馬力モーターと交換し、車号をG3、G4、G10、G11、G12に改めている。このほか、[[1929年]](昭和4年)にはモーターが故障したD2が三菱製MB74-A(30馬力)に換装してM2となっている<ref name="RM129-14"/>。
戦後、外吊りタイプの客用扉新設、集電装置の[[集電装置#ビューゲル|ビューゲル]]化、車体外板に[[鋼板]]を張り付けて簡易鋼体化(ニセスチール車)等の改造が施工されたが、制動装置は終始ハンドブレーキのままであった。


屋根のダブルルーフ構造は客室部のみであり初期車の特徴であったが、名鉄成立後の[[1937年]](昭和12年)8月に「外観の統一」の名目で運転台まで屋根を延長し、増備車の外観に合わせている<ref name="RM129-1415">[[#RM129|『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 pp.14-15]]</ref>。
廃車は[[1965年]](昭和40年)6月のモ4より開始され、最後まで残存したモ3は二軸単車運用最終日となった[[1967年]](昭和42年)7月25日まで運用された後に[[北陸鉄道モハ2000形電車|モ550形(2代)]]に代替されて同月廃車となり、形式消滅した。


[[1939年]](昭和14年)にはM2、G3、G4、G10、G11、G12、D34の7両を[[満州国]]・[[新京]]市電に売却し、残存したD1、D5、D6、D7、D8については[[1941年]](昭和16年)の改番で1 - 5に整理された<ref name="RM129-15">[[#RM129|『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.15]]</ref>。このうち3は戦災被災により焼失しているが、戦後[[名古屋造船]]によって復旧した(以下の戦災復旧車も同様)<ref name="RM129-42">[[#RM129|『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.42]]</ref>。[[1949年]](昭和24年)の形式付与・再改番で1、2、4、5が'''モ1形'''1 - 4となり、戦災復旧車の3は'''モ50形'''50となった<ref name="RM129-15"/>。
==== 主要諸元 ====
*全長:8,057mm
*全幅:2,172mm
*全高:3,647mm
*自量::6.1t
*定員:40人(内座席14人)
*電気方式:直流600V(架空電車線方式)
*台車:[[ブリル]]21-E
*主電動機:40PS×2基


廃車は[[1965年]](昭和40年)6月のモ4より開始され、最後まで残存したモ3は二軸単車運用最終日となった[[1967年]](昭和42年)7月23日まで運用された<ref name="RP624-122">[[#RP624-118|「美濃町線・岐阜市内線の昨日,今日」 pp.122-123]]</ref>。
=== 明治45年製の増備車(名鉄モ5形) ===
[[File:Meitetsu No.13.JPG|right|thumb|250px|13号 (1941年)]]
[[1912年]](明治45年)に増備されたグループで、20 - 26, 28, 30の9両が存在した。基本仕様は前項明治44年製の車両に準じるが、製造会社のみが異なり全車京都・丹羽電車製作所製であった。


=== D13-18 ===
名鉄に在籍する4輪単車全車に通し番号が付与されたことに伴い、本グループは6 - 14と改番されている。[[1944年]](昭和19年)に6・7が[[仙台市電]]へ譲渡され、9・13は戦災被災により焼失し、戦後車体新製により復旧され、モ50形51・52と形式称号および記号番号を改めた。残る8・10 - 12・14は1949年(昭和24年)に再度改番が行われ、'''モ5形'''5 - 9と形式称号および記号番号を改めた。
開業直後に増備された車両で、D13、D14、D15、D16、D17、D18の6両が存在した。天野工場製([[1912年]]1月製、京都・丹羽電車製作所製説あり<ref name="M80-189">[[#M80|『写真が語る名鉄80年』 p.189]]</ref>)で、仕様は先の車両に準じている。


D18以外の5両は[[1920年]](大正9年)に[[駿遠電気]](後の[[静岡鉄道]])へ売却された。残ったD18も[[1925年]](大正14年)の旧岐北車とのモーター交換でG18となり、[[1939年]](昭和14年)に新京市電に売却された<ref name="RM129-1415"/>。
戦後はモ1形と同様の経緯を辿り、[[1966年]](昭和41年)のモ6・モ9を最後に全廃された。


==== 主要諸元 ====
=== G13-17, 19(モ25形) ===
{{main|岐北軽便鉄道甲形電車}}
*全長:8,057mm
岐北軽便鉄道が導入した木造単車甲形4両、乙形2両が前身である<ref name="RM129-19"/>。同社合併後は駿遠電気への売却で空番となった13-17および忌番として空いていた19が割り当てられ、G13、G14、G15、G16、G17、G19となった<ref name="RM129-14"/><ref name="TMB-118"/>。[[1925年]](大正14年)の機器交換でD13、D14、D15、D16、D17、D19となった後、旧乙形のD15、D16が新京市電へ売却され、残る4両が'''モ15形'''15 - 18を経て'''モ25形'''25 - 28となった<ref name="RM129-19"/>。
*全幅:2,172mm
*全高:3,647mm
*自量::6.5t
*定員:40人(内座席14人)
*電気方式:直流600V(架空電車線方式)
*台車:ブリル21-E
*主電動機:40PS×2基


=== 大正3年製の増備車(名鉄10・2代) ===
=== S20-26, 28, 30(5形) ===
[[File:Meitetsu No.13.JPG|right|thumb|200px|13号 (旧S28号)]]
[[1914年]](大正3年)に増備されたグループで、27・31 - 33・35 - 38・40・41・43・44の12両が存在した。製造は名古屋電車製作所で、当初から客用扉が設置されており、屋根には通風器が設置されていた。
[[名鉄美濃町線|美濃町線]]の増発に備えて[[1912年]](明治45年)に増備されたグループで<ref name="JTB-112">[[#JTB|「名鉄“岐阜線”歴代車両ガイド」 p.112]]</ref>、S20、S21、S22、S23、S24、S25、S26、S28、S30の9両が存在した<ref name="RM129-15"/>。基本仕様は前項明治44年製の車両に準じるが、製造会社とモーターが異なり全車京都・丹羽電車製作所製(車体は天野工場製<ref name="JTB-112"/>)、シーメンス搭載車であった(後年、順次デッカーに換装されている<ref name="RM129-14"/>)。[[1937年]](昭和12年)8月の外観統一改造も実施されている<ref name="RM129-15"/>。


[[1941年]](昭和16年)の改番で6 - 14に整理され、このうち6、7が[[1944年]](昭和19年)に[[仙台市電]]へ売却された。[[1949年]](昭和24年)の形式付与・再改番で8、10、11、12、14が'''モ5形'''5 - 9となり、戦災・復旧を経た9、13は'''モ50形'''51、52となった<ref name="RM129-1516">[[#RM129|『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 pp.15-16]]</ref>。
名鉄に在籍する二軸単車全車に通し番号が付与されたことに伴い、本グループは19 - 30と改番された。20・27は戦災被災により焼失し、戦後車体新製により復旧され、モ50形53・54と形式区分された。残る19・21 - 26・28 - 30の10両は1949年(昭和24年)に再度改番が行われ、'''モ10形'''(2代)10 - 19と形式称号および記号番号を改めた。


戦後の各種改造についてはモ1形に準じモ10 - モ12・モ14・モ16・モ17・モ19の7両が1967年(昭和42)725日まで運用された後に廃車となり、形式消滅した
戦後はモ1形と同様の経緯を辿り[[1966]](昭和41)2のモ6・モ9を最後に<ref name="RM129-12"/>
{{-}}
=== DD27, 31-33, 35-38, 40, 41, 43, 44(モ10形) ===
[[File:Minoden DD33.jpg|right|thumb|200px|DD33号]]
笠松線開業に備えて[[1914年]](大正3年)と[[1918年]](大正7年)の二度に渡って増備されたグループで、DD27、DD31、DD32、DD33、DD35、DD36、DD37、DD38、DD40、DD41、DD43、DD44の12両が存在した<ref name="RM129-16">[[#RM129|『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.16]]</ref>。製造は名古屋電車製作所で、モーターも同じデッカー製ながら35馬力と従来車より強力であった。この増備車より屋根形状は運転台までダブルルーフの形態で登場している<ref name="RM129-1617">[[#RM129|『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 pp.16-17]]</ref>。


[[1941年]](昭和16年)の改番では製造年次ごとに整理され、[[1914年]](大正3年)製のDD33 - DD44が19 - 27、[[1918年]](大正7年)製のDD27、DD31、DD32が28 - 30となった。[[1949年]](昭和24年)の形式付与・再改番で19、21-26、28-30が'''モ10形'''10 - 19となり、戦災・復旧を経た20、27は'''モ50形'''53、54となった<ref name="RM129-16">[[#RM129|『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.16]]</ref>。
==== 主要諸元 ====
*全長:8,382mm
*全幅:2,184mm
*全高:3,647mm
*自量::6.6t
*定員:46人(内座席14人)
*電気方式:直流600V(架空電車線方式)
*台車:ブリル21-E
*主電動機:40PS×2基


戦後の各種改造についてはモ1形に準じ、モ10、モ11、モ12、モ14、モ16、モ17、モ19の7両が[[1967年]](昭和42年)7月23日まで運用された後に廃車となり、形式消滅した<ref name="RP624-122"/>。
{{-}}


=== 大正9年製の増備車(名鉄モ35形) ===
=== DD45-48, 50, 55-58, 60(モ35形) ===
[[File:Meitetsu No.36.JPG|right|thumb|250px|36号 (1941年)]]
[[File:Meitetsu No.36.JPG|right|thumb|200px|36号 (旧DD55号)]]
[[1920年]](大正9年)に増備されたグループで、DD45、DD46、DD47、DD48、DD50、DD55、DD56、DD57、DD58、DD60の10両が存在した<ref name="RM129-21"/>。大正3・7年製の車両とは製造元、寸法ともに同一{{refnest|group="注釈"|昭和初期の改造を経た後は両形式の外観上の違いほとんどなかった<ref name="TMB-121">[[#TMB|『路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋』 p.121]]</ref>。}}だが<ref name="JTB-112">[[#JTB|「名鉄“岐阜線”歴代車両ガイド」 p.112]]</ref>、モーターが40馬力に増強されていた<ref name="RM129-21"/>。
[[1920年]](大正9年)に増備されたグループで、45 - 48・50 - 58・60の合計14両が存在したが、51 - 54の4両は合併した長良軽便鉄道1 - 4であり間もなく[[岡山電気軌道]]に譲渡されている<ref>和久田康雄『日本の市内電車』成山堂書店、2009年、112-114頁</ref>。製造会社および基本仕様は前項大正3年製の車両に準じるが、主電動機出力が40PSに増強された点が異なっていた<ref>前述の通り本グループに倣う形で、後年全車を対象に主電動機の換装・出力強化が施工された。</ref>。


このグループは軌道籍・鉄道籍の変更が激しく、[[1923年]](大正12年)にDD45、DD46、DD47、DD48の4両が[[#G51-54|旧長良軽便車]]の売却に備えて[[名鉄高富線|高富線]]所属(鉄道籍)となった他<ref name="RM129-21"/>、[[名鉄鏡島線|鏡島線]]所属(鉄道籍)だったDD55、DD56、DD57、DD58のうちDD55はDB505形投入に伴い[[1925年]](大正14年)に<ref name="RM129-36"/>、残る3両も[[1928年]](昭和3年)に軌道籍に移された<ref name="RM129-12"/>。
名鉄に在籍する二軸単車全車に通し番号が付与されたことに伴い、本グループは31 - 40と改番された。32・34・36 - 38は戦災被災により焼失し、戦後車体新製により復旧され、モ50形65・66・55 - 57と形式区分された<ref>32・34は被災以前から制御器のメーカーが異なっており、一旦'''モ65形'''に区分された後にモ50形へ車番はそのままに統合された。</ref>。残る31・33・35・39・40の5両は1949年(昭和24年)に再度改番が行われ、'''モ35形'''35 - 40と形式称号および記号番号を改めた。


[[1941年]](昭和16年)の改番で31 - 40に整理されたが<ref name="RM129-21"/>、この時点で鉄道籍(高富線)に属していた31 - 34には'''モ31形'''の形式称号が与えられた<ref name="RA30-151">[[#RA30-122|「私鉄車両めぐり 名古屋鉄道」 p.151]]</ref>。[[1949年]](昭和24年)の形式付与・再改番でモ31形31、モ31形33、35、39、40が'''モ35形'''35 - 39となり、戦災・復旧を経たモ31形32、モ31形34は'''モ65形'''65、66に、36 - 38は'''モ50形'''55 - 57となった(モ65形は後にモ50形に統合されている)<ref name="RM48-33"/><ref name="RM129-44">[[#RM129|『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.44]]</ref>。
戦後の各種改造についてはモ10形(2代)に準じる。その後1965年(昭和40年)より廃車が開始され、最後まで残存したモ39が1967年(昭和42年)7月25日まで運用された後に廃車となり、形式消滅した。


戦後の各種改造についてはモ10形(2代)に準じる。その後1965年(昭和40年)より廃車が開始され、最後まで残存したモ39が1967年(昭和42年)7月23日まで運用された後に廃車となり、形式消滅した<ref name="RP624-122"/>。
==== 主要諸元 ====
*全長:8,382mm
*全幅:2,184mm
*全高:3,647mm
*自量::6.6t
*定員:46人(内座席14人)
*電気方式:直流600V(架空電車線方式)
*台車:ブリル21-E
*主電動機:40PS×2基


{{-}}
=== T101形 ===
=== G51-54 ===
[[File:Minoden T101.jpg|right|thumb|250px|T101形]]
長良軽便鉄道が[[1913年]](大正2年)に導入した木造単車1-4号が前身である。[[日本車輌製造]]製、GE製25馬力モーター搭載車で、制御器もGE製のK10-Aであった。同社合併後はG51、G52、G53、G54となったが、[[1924年]](大正13年)に[[岡山電気軌道]]に売却された。うち1両は更に[[米子電車軌道]]に譲渡されている<ref name="RM129-21">[[#RM129|『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.21]]</ref>。
1912年(大正元年)に新製された天野工場製の[[付随車]]であり、101 - 104の4両が存在した。形式称号の「'''T'''」は''Trailer''の略と推測される。車体は[[#開業時に新製された車両(名鉄モ1形)|D1形初期車]]とほぼ同一の木造ダブルルーフ車体のオープンデッキ構造二軸単車であり、ブレーキはハンドブレーキのみであった。

=== DD61-63(モ45形) ===
{{main|名鉄モ45形電車}}
市内線[[千手堂駅|千手堂]] - [[早田駅|忠節橋]]間延長に備え[[1925年]](大正14年)に増備されたグループで、DD61、DD62、DD63の3両が存在した<ref name="RM129-21"/>。製造は名古屋電車製作所で、モーターは40馬力であった([[美濃電気軌道デワ600形電車|デワ600形]]603 - 605からの台車流用説あり<ref name="RM129-23">[[#RM129|『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.23]]</ref><ref name="TMB-255"/>)。DD61は美濃町線で使用され、DD62、DD63は一時期[[名鉄起線|蘇東線]]に転出していたことがあった。

[[1941年]](昭和16年)の改番で45 - 47に整理され、[[1949年]](昭和24年)の形式付与・再改番で46、47が'''モ45形'''45、46となり、戦災・復旧を経た45は'''モ50形'''58となった<ref name="RM129-2122">[[#RM129|『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 pp.21-22]]</ref>。

=== T101-104 ===
[[File:Minoden T101.jpg|right|thumb|200px|T101号]]
1912年(大正元年)に新製された天野工場製の[[付随車]]であり、T101、T102、T103、T104の4両が存在した。車体は初期車両に準じており、ブレーキは手ブレーキのみであった。情勢の変化で美濃電時代より放置気味であり、[[1939年]](昭和14年)4月に全車廃車された<ref name="RM129-25">[[#RM129|『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.25]]</ref>。


早い時期から休車となっており、美濃電気軌道が名古屋鉄道に買収された時点では全車休車となっていたという。1939年(昭和14年)に全車廃車となった。
{{-}}
{{-}}

== 脚注 ==
== 改番表 ==
*出典:『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 pp.12, 14, 21
{| class="wikitable" style="white-space:nowrap; font-size:90%;" rules="all"
|-
!rowspan="2"|No.
!colspan="10"|美濃電気軌道
!colspan="9"|名古屋鉄道
|-
!1911
!1912
!1913
!1914
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!1949
|-
!1
|colspan="12"|D1
|colspan="6"|1
|'''モ1形''' 1
|-
!2
|colspan="9"|D2
|colspan="2"|M2
|colspan="8" style="background:#d3d3d3;"|→新京市電
|-
!3
|colspan="8"|D3
|colspan="3"|G3
|colspan="8" style="background:#d3d3d3;"|→新京市電
|-
!4
|colspan="8"|D4
|colspan="3"|G4
|colspan="8" style="background:#d3d3d3;"|→新京市電
|-
!5
|colspan="12"|D5
|colspan="6"|2
|'''モ1形''' 2
|-
!6
|colspan="12"|D6
|colspan="2"|3
|style="background:#d3d3d3;"|戦災
|colspan="3"|3
|'''モ50形''' 50
|-
!7
|colspan="12"|D7
|colspan="6"|4
|'''モ1形''' 4
|-
!8
|colspan="12"|D8
|colspan="6"|5
|'''モ1形''' 3
|-
!10
|colspan="8"|D10
|colspan="3"|G10
|colspan="8" style="background:#d3d3d3;"|→新京市電
|-
!11
|colspan="8"|D11
|colspan="3"|G11
|colspan="8" style="background:#d3d3d3;"|→新京市電
|-
!12
|colspan="8"|D12
|colspan="3"|G12
|colspan="8" style="background:#d3d3d3;"|→新京市電
|-
!rowspan="2"|13
|colspan="5"|D13
|colspan="14" style="background:#d3d3d3;"|→駿遠電気
|-
|colspan="3" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="3" style="background:#e6e6e6;"|(岐北)'''甲形''' 3
|colspan="2"|G13
|colspan="4"|D13
|colspan="6"|'''モ15形''' 15
|'''モ25形''' 25
|-
!rowspan="2"|14
|colspan="5"|D14
|colspan="14" style="background:#d3d3d3;"|→駿遠電気
|-
|colspan="3" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="3" style="background:#e6e6e6;"|(岐北)'''甲形''' 5
|colspan="2"|G14
|colspan="4"|D14
|colspan="6"|'''モ15形''' 16
|'''モ25形''' 26
|-
!rowspan="2"|15
|colspan="5"|D15
|colspan="14" style="background:#d3d3d3;"|→駿遠電気
|-
|colspan="3" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="3" style="background:#e6e6e6;"|(岐北)'''乙形''' 1
|colspan="2"|G15
|colspan="3"|D15
|colspan="8" style="background:#d3d3d3;"|→新京市電
|-
!rowspan="2"|16
|colspan="5"|D16
|colspan="14" style="background:#d3d3d3;"|→駿遠電気
|-
|colspan="3" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="3" style="background:#e6e6e6;"|(岐北)'''乙形''' 2
|colspan="2"|G16
|colspan="3"|D16
|colspan="8" style="background:#d3d3d3;"|→新京市電
|-
!rowspan="2"|17
|colspan="5"|D17
|colspan="14" style="background:#d3d3d3;"|→駿遠電気
|-
|colspan="3" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="3" style="background:#e6e6e6;"|(岐北)'''甲形''' 4
|colspan="2"|G17
|colspan="4"|D17
|colspan="6"|'''モ15形''' 17
|'''モ25形''' 27
|-
!18
|colspan="8"|D18
|colspan="3"|G18
|colspan="8" style="background:#d3d3d3;"|→新京市電
|-
!19
|colspan="3" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="3" style="background:#e6e6e6;"|(岐北)'''甲形''' 6
|colspan="2"|G19
|colspan="4"|D19
|colspan="6"|'''モ15形''' 18
|'''モ25形''' 28
|-
!No.
!1911
!1912
!1913
!1914
!1918
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!1922
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!1925
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!1939
!1941
!1944
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!1947
!1948
!1949
|-
!20
|style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="11"|S20
|6
|colspan="6" style="background:#d3d3d3;"|→仙台市電
|-
!21
|style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="11"|S21
|7
|colspan="6" style="background:#d3d3d3;"|→仙台市電
|-
!22
|style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="11"|S22 <nowiki>*</nowiki>
|colspan="6"|8 <nowiki>*</nowiki>
|'''モ5形''' 5
|-
!23
|style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="11"|S23
|colspan="2"|9
|style="background:#d3d3d3;"|戦災
|colspan="3"|9
|'''モ50形''' 51
|-
!24
|style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="11"|S24 <nowiki>*</nowiki>
|colspan="6"|10 <nowiki>*</nowiki>
|'''モ5形''' 6
|-
!25
|colspan="2" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="8"|S25
|colspan="2"|D25
|colspan="6"|11
|'''モ5形''' 7
|-
!26
|colspan="2" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="8"|S26
|colspan="2"|D26
|colspan="6"|12
|'''モ5形''' 8
|-
!27
|colspan="4" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="8"|DD27
|colspan="6"|28
|'''モ10形''' 17
|-
!28
|style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="9"|S28
|colspan="2"|D28
|colspan="2"|13
|colspan="2" style="background:#d3d3d3;"|戦災
|colspan="2"|13
|'''モ50形''' 52
|-
!30
|style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="9"|S30
|colspan="2"|D30
|colspan="6"|14
|'''モ5形''' 9
|-
!31
|colspan="4" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="8"|DD31
|colspan="6"|29
|'''モ10形''' 18
|-
!32
|colspan="4" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="8"|DD32
|colspan="6"|30
|'''モ10形''' 19
|-
!33
|colspan="3" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="9"|DD33
|colspan="6"|19
|'''モ10形''' 10
|-
!34
|colspan="11"|D34
|colspan="8" style="background:#d3d3d3;"|→新京市電
|-
!35
|colspan="3" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="9"|DD35
|colspan="2"|20
|colspan="2" style="background:#d3d3d3;"|戦災
|colspan="2"|20
|'''モ50形''' 53
|-
!36
|colspan="3" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="9"|DD36
|colspan="6"|21
|'''モ10形''' 11
|-
!37
|colspan="3" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="9"|DD37
|colspan="6"|22
|'''モ10形''' 12
|-
!38
|colspan="3" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="9"|DD38
|colspan="6"|23
|'''モ10形''' 13
|-
!40
|colspan="3" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="9"|DD40
|colspan="6"|24
|'''モ10形''' 14
|-
!41
|colspan="3" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="9"|DD41
|colspan="6"|25
|'''モ10形''' 15
|-
!43
|colspan="3" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="9"|DD43
|colspan="6"|26
|'''モ10形''' 16
|-
!44
|colspan="3" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="9"|DD44
|colspan="2"|27
|colspan="2" style="background:#d3d3d3;"|戦災
|colspan="2"|27
|'''モ50形''' 54
|-
!No.
!1911
!1912
!1913
!1914
!1918
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!1944
!1945
!1946
!1947
!1948
!1949
|-
!45
|colspan="5" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="7"|DD45
|colspan="6"|'''モ31形''' 31
|'''モ35形''' 35
|-
!46
|colspan="5" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="7"|DD46
|colspan="2"|'''モ31形''' 32
|style="background:#d3d3d3;"|戦災
|colspan="3"|'''モ31形''' 32
|'''モ65形''' 65 <nowiki>**</nowiki>
|-
!47
|colspan="5" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="7"|DD47
|colspan="6"|'''モ31形''' 33
|'''モ35形''' 36
|-
!48
|colspan="5" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="7"|DD48
|colspan="2"|'''モ31形''' 34
|colspan="2" style="background:#d3d3d3;"|戦災
|colspan="2"|'''モ31形''' 34
|'''モ65形''' 66 <nowiki>**</nowiki>
|-
!50
|colspan="5" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="7"|DD50
|colspan="6"|35
|'''モ35形''' 37
|-
!51
|colspan="2" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="3" style="background:#e6e6e6;"|(長良) 1
|colspan="2"|G51
|colspan="12" style="background:#d3d3d3;"|→岡山電軌
|-
!52
|colspan="2" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="3" style="background:#e6e6e6;"|(長良) 2
|colspan="2"|G52
|colspan="12" style="background:#d3d3d3;"|→岡山電軌
|-
!53
|colspan="2" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="3" style="background:#e6e6e6;"|(長良) 3
|colspan="2"|G53
|colspan="12" style="background:#d3d3d3;"|→岡山電軌
|-
!54
|colspan="2" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="3" style="background:#e6e6e6;"|(長良) 4
|colspan="2"|G54
|colspan="12" style="background:#d3d3d3;"|→岡山電軌
|-
!55
|colspan="5" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="7"|DD55
|colspan="2"|36
|colspan="2" style="background:#d3d3d3;"|戦災
|colspan="2"|36
|'''モ50形''' 55
|-
!56
|colspan="5" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="7"|DD56
|colspan="2"|37
|colspan="2" style="background:#d3d3d3;"|戦災
|colspan="2"|37
|'''モ50形''' 56
|-
!57
|colspan="5" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="7"|DD57
|colspan="2"|38
|colspan="2" style="background:#d3d3d3;"|戦災
|colspan="2"|38
|'''モ50形''' 57
|-
!58
|colspan="5" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="7"|DD58
|colspan="6"|39
|'''モ35形''' 38
|-
!60
|colspan="5" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="7"|DD60
|colspan="6"|40
|'''モ35形''' 39
|-
!61
|colspan="8" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="4"|DD61
|colspan="2"|45
|colspan="3" style="background:#d3d3d3;"|戦災
|45
|'''モ50形''' 58
|-
!62
|colspan="8" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="4"|DD62
|colspan="6"|46
|'''モ45形''' 46
|-
!63
|colspan="8" style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="4"|DD63
|colspan="6"|47
|'''モ45形''' 45
|-
!101
|style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="10"|T101
|colspan="8" style="background:#d3d3d3;"|廃車
|-
!102
|style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="10"|T102
|colspan="8" style="background:#d3d3d3;"|廃車
|-
!103
|style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="10"|T103
|colspan="8" style="background:#d3d3d3;"|廃車
|-
!104
|style="background:#d3d3d3;"|
|colspan="10"|T104
|colspan="8" style="background:#d3d3d3;"|廃車
|-
!rowspan="2"|No.
!1911
!1912
!1913
!1914
!1918
!1920
!1922
!1924
!1925
!1929
!1937
!1939
!1941
!1944
!1945
!1946
!1947
!1948
!1949
|-
!colspan="10"|美濃電気軌道
!colspan="9"|名古屋鉄道
|}
* No. は美濃電時代の番号に基づく
*<nowiki>*</nowiki> S22・S24も後に電気機器をデッカーに換装しているが、時期不明(1944年以前)<ref name="RM129-14"/>
*<nowiki>**</nowiki> モ65形は後年モ50形に統合している<ref name="RM48-33">[[#RM48|『名鉄岡崎市内線』 p.33]]</ref>

== 主要諸元 ==
1955年現在<ref name="TMB-254">[[#TMB|『路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋』 p.254]]</ref>
{| class="wikitable" style="white-space:nowrap; text-align:center;" rules="all"
|-
!形式名
!colspan="3"|モ1形
!colspan="2"|モ5形
!colspan="3"|モ10形
!colspan="3"|モ35形
!モ45形
|-
!車号
|1・2
|3
|4
|5
|6-9
|10・16・19
|11-15
|17・18
|35-37
|38
|39
|45・46
|-
!定員 (人)
|colspan="3"|40
|colspan="2"|40
|colspan="3"|46
|colspan="3"|46
|46
|-
!座席 (人)
|colspan="3"|14
|colspan="2"|14
|colspan="3"|14
|colspan="3"|14
|16
|-
!全長 (mm)
|colspan="3"|8,057
|colspan="2"|8,057
|colspan="3"|8,382
|colspan="3"|8,382
|8,382
|-
!全幅 (mm)
|colspan="3"|2,172
|colspan="2"|2,172
|colspan="3"|2,184
|colspan="3"|2,184
|2,235
|-
!全高 (mm)
|colspan="3"|3,647
|colspan="2"|3,647
|colspan="3"|3,647
|colspan="3"|3,647
|3,647
|-
!自重 (t)
|colspan="3"|6.1
|colspan="2"|6.5
|colspan="3"|6.6
|colspan="3"|6.6
|6.6
|-
!rowspan="2" |主電動機<br />(PS×数)
|colspan="12"|[[イングリッシュ・エレクトリック]](デッカー)
|-
|colspan="2"|DK-13A<br />(40×2)
|DK-30B<br />(40×2)
|DK-30B<br />(40×2)
|DK-13A<br />(40×2)
|colspan="3"|DK-13A<br />(40×2)
|colspan="3"|DK-13A<br />(40×2)
|DK-30B<br />(40×2)
|-
!歯車比
|colspan="2"|4.73
|5.00
|5.00
|4.73
|colspan="3"|4.73
|colspan="3"|4.73
|5.00
|-
!集電装置
|colspan="12"|[[泰平電機]] ビューゲル
|-
!制御装置
|KR-8
|colspan="2"|DB1-G
|DB1-G
|DB1-K
|colspan="3"|DB1-K
|colspan="3"|DB1-K
|T1C
|-
!台車
|colspan="12"|[[ブリル#21E|ブリル21-E]]
|-
!軸距 (mm)
|colspan="3"|2,286
|colspan="2"|2,286
|1,981
|1,828
|2,134
|2,134
|1,829
|1,981
|1,981
|-
!車輪径 (mm)
|colspan="12"|838
|-
!制動方式
|colspan="12"|[[手ブレーキ]]・非常用[[発電ブレーキ]]
|-
!製造
|colspan="3"|東京天野工場
|colspan="2"|京都丹羽製作所
|colspan="3"|名古屋電車製作所
|colspan="3"|名古屋電車製作所
|日本車輌
|}

== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
書籍
* [[鉄道ピクトリアル]] 名鉄特集各号
* {{Cite book|和書|author = 名古屋鉄道|title=写真が語る名鉄80年|publisher=名古屋鉄道|year=1975|ref=M80}}
* {{Cite book|和書|author = 日本路面電車同好会名古屋支部|title=路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋|publisher=トンボ出版|year=1999|ref=TMB}}
* {{Cite book|和書|author = 藤井建|title=名鉄岡崎市内線―岡崎市電ものがたり|publisher=ネコ・パブリッシング|year=2003|ref=RM48}}
* {{Cite book|和書|author=徳田耕一・清水武(監修)|chapter=名鉄“岐阜線”歴代車両ガイド|editor =徳田耕一|title=名鉄600V線の廃線を歩く―惜別の“岐阜線”と空港線誕生|publisher=JTBパブリッシング|year=2005|ref=JTB}}
* {{Cite book|和書|author = 清水武|title=名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)|publisher=ネコ・パブリッシング|year=2010|ref=RM129}}

雑誌記事
* {{Cite journal|和書|author=白井良和|title=名古屋鉄道の車両前史 現在の名鉄を構成した各社の車両|journal=1986年12月臨時増刊号|volume=473|year=1986|month=12|pages=166 - 176|publisher=電気車研究会|ref = RP473-166}}
* {{Cite journal|和書|author=藤井建|title=美濃町線・岐阜市内線の昨日,今日|journal=1996年7月臨時増刊号|volume=624|year=1996|month=7|pages=118 - 124|publisher=電気車研究会|ref = RP624-118}}
* {{Cite journal|和書|author=加藤久爾夫・渡辺肇|title=私鉄車両めぐり 名古屋鉄道|journal=鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション |issue=30 |year=2015|month=1|pages=122 - 165|publisher=電気車研究会|ref = RA30-122}}


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2017年1月26日 (木) 09:52時点における版

津保川橋梁を渡るD12号。開業とともに導入された車両だが、後年新京市電に売却された。

本項では美濃電気軌道の木造単車(みのでんききどうのもくぞうたんしゃ)について解説する。

美濃電気軌道(美濃電)は1911年明治44年)の路線開業に合わせ、木造車体を備えた4輪単車路面電車車両)を12両導入した。その後の増備で計56両の木造単車が導入されたほか、合併会社から10両の木造単車が美濃電籍に組み込まれている(岐北軽便鉄道から6両、長良軽便鉄道から4両)。これら66両のうち、名岐鉄道を経て名古屋鉄道に引き継がれたのは57両である[1]

美濃電気軌道時代は形式称号がなく、後述する付番体系による車番が割り当てられていただけだった[2]。名鉄合併後も軌道籍の車両[注釈 1]には形式称号がなかったが、1949年昭和24年)の改番で全車両に形式称号が設定され、モ1形モ5形モ10形(2代)・モ25形モ35形モ45形(2代)・モ50形(戦災復旧車)の各形式に区分された[3]

美濃電が発注した車両は基本的に木造ダブルルーフ車体、オープンデッキ構造、客室窓8枚[注釈 2]という車体構造で、大正から昭和初期にかけて各地で見ることのできた普遍的な路面電車そのものであった[5]。主要機器については各車メーカーの差異はあったものの、制御方式は直接制御[6]、制動方式は手ブレーキ(常用)および発電ブレーキ(非常用)[7]、集電装置はトロリーポールで統一されていた[6]。戦後の改造で、前照灯の移設、客用扉新設(モ45形は未実施、モ1形・モ5形は外吊り扉[5])、集電装置のビューゲル化、連結器の撤去などが施工され、一部車両は車体外板に鋼板を張り付けた簡易鋼体車(ニセスチール車)となった[8]

1967年(昭和42年)7月23日全廃[9]

美濃電気軌道の付番体系

美濃電では木造単車に対し、搭載する電気機器によって車番の前にアルファベットを付けることで車両を区別していた[10]

後期増備車にはデッカー搭載車の記号をDDとする例があるが、DとDDの違いについては未だ解明されていない[2]。美濃電導入車両の搭載機器はデッカー製かシーメンス製であり、GE製を搭載したのは被合併会社の車両のみ、三菱製は機器の破損で交換したM2号のみであった[1]。美濃電時代より最大勢力のデッカーに統一する動きがあり[10]、最終的にデッカー製DK-13またはDK-30系統の機器に纏められた[7]

車番のうち9・29・39・42・49・59は欠番である。そのほとんどは末尾9を忌番とする美濃電初期の慣習によるものだが、この慣習は次第に薄れ、岐北軽便鉄道の車両を組み込む際には「19」を使用している[2]

グループ別概要

以下、製造年次や名鉄による形式称号(1949年)を基準に、便宜的に車両を区分して解説する。なお、戦災復旧車については名鉄モ50形電車も参照されたい。

D1-8, 10-12, 34(モ1形)

開業に向けて1911年(明治44年)に新製されたグループで、D1、D2、D3、D4、D5、D6、D7、D8、D10、D11、D12、D34の12両が存在した。全車天野工場(後の日本車輌製造東京支店)製[11]。D1、D5、D6、D7、D8、D34は一時期鉄道線に所属していたが、DB505形の投入により1924年(大正13年)に軌道線に戻されている[12]

電気機器としてデッカー製の30馬力モーターを搭載していたが、一部の車両は1925年(大正14年)4月に旧岐北軽便車両の性能向上のため同車のGE製25馬力モーターと交換し、車号をG3、G4、G10、G11、G12に改めている。このほか、1929年(昭和4年)にはモーターが故障したD2が三菱製MB74-A(30馬力)に換装してM2となっている[11]

屋根のダブルルーフ構造は客室部のみであり初期車の特徴であったが、名鉄成立後の1937年(昭和12年)8月に「外観の統一」の名目で運転台まで屋根を延長し、増備車の外観に合わせている[13]

1939年(昭和14年)にはM2、G3、G4、G10、G11、G12、D34の7両を満州国新京市電に売却し、残存したD1、D5、D6、D7、D8については1941年(昭和16年)の改番で1 - 5に整理された[8]。このうち3は戦災被災により焼失しているが、戦後名古屋造船によって復旧した(以下の戦災復旧車も同様)[14]1949年(昭和24年)の形式付与・再改番で1、2、4、5がモ1形1 - 4となり、戦災復旧車の3はモ50形50となった[8]

廃車は1965年(昭和40年)6月のモ4より開始され、最後まで残存したモ3は二軸単車運用最終日となった1967年(昭和42年)7月23日まで運用された[15]

D13-18

開業直後に増備された車両で、D13、D14、D15、D16、D17、D18の6両が存在した。天野工場製(1912年1月製、京都・丹羽電車製作所製説あり[16])で、仕様は先の車両に準じている。

D18以外の5両は1920年(大正9年)に駿遠電気(後の静岡鉄道)へ売却された。残ったD18も1925年(大正14年)の旧岐北車とのモーター交換でG18となり、1939年(昭和14年)に新京市電に売却された[13]

G13-17, 19(モ25形)

岐北軽便鉄道が導入した木造単車甲形4両、乙形2両が前身である[4]。同社合併後は駿遠電気への売却で空番となった13-17および忌番として空いていた19が割り当てられ、G13、G14、G15、G16、G17、G19となった[11][2]1925年(大正14年)の機器交換でD13、D14、D15、D16、D17、D19となった後、旧乙形のD15、D16が新京市電へ売却され、残る4両がモ15形15 - 18を経てモ25形25 - 28となった[4]

S20-26, 28, 30(モ5形)

13号 (旧S28号)

美濃町線の増発に備えて1912年(明治45年)に増備されたグループで[17]、S20、S21、S22、S23、S24、S25、S26、S28、S30の9両が存在した[8]。基本仕様は前項明治44年製の車両に準じるが、製造会社とモーターが異なり全車京都・丹羽電車製作所製(車体は天野工場製[17])、シーメンス搭載車であった(後年、順次デッカーに換装されている[11])。1937年(昭和12年)8月の外観統一改造も実施されている[8]

1941年(昭和16年)の改番で6 - 14に整理され、このうち6、7が1944年(昭和19年)に仙台市電へ売却された。1949年(昭和24年)の形式付与・再改番で8、10、11、12、14がモ5形5 - 9となり、戦災・復旧を経た9、13はモ50形51、52となった[18]

戦後はモ1形と同様の経緯を辿り、1966年(昭和41年)2月のモ6・モ9を最後に全廃[1]

DD27, 31-33, 35-38, 40, 41, 43, 44(モ10形)

DD33号

笠松線開業に備えて1914年(大正3年)と1918年(大正7年)の二度に渡って増備されたグループで、DD27、DD31、DD32、DD33、DD35、DD36、DD37、DD38、DD40、DD41、DD43、DD44の12両が存在した[19]。製造は名古屋電車製作所で、モーターも同じデッカー製ながら35馬力と従来車より強力であった。この増備車より屋根形状は運転台までダブルルーフの形態で登場している[20]

1941年(昭和16年)の改番では製造年次ごとに整理され、1914年(大正3年)製のDD33 - DD44が19 - 27、1918年(大正7年)製のDD27、DD31、DD32が28 - 30となった。1949年(昭和24年)の形式付与・再改番で19、21-26、28-30がモ10形10 - 19となり、戦災・復旧を経た20、27はモ50形53、54となった[19]

戦後の各種改造についてはモ1形に準じ、モ10、モ11、モ12、モ14、モ16、モ17、モ19の7両が1967年(昭和42年)7月23日まで運用された後に廃車となり、形式消滅した[15]

DD45-48, 50, 55-58, 60(モ35形)

36号 (旧DD55号)

1920年(大正9年)に増備されたグループで、DD45、DD46、DD47、DD48、DD50、DD55、DD56、DD57、DD58、DD60の10両が存在した[21]。大正3・7年製の車両とは製造元、寸法ともに同一[注釈 3]だが[17]、モーターが40馬力に増強されていた[21]

このグループは軌道籍・鉄道籍の変更が激しく、1923年(大正12年)にDD45、DD46、DD47、DD48の4両が旧長良軽便車の売却に備えて高富線所属(鉄道籍)となった他[21]鏡島線所属(鉄道籍)だったDD55、DD56、DD57、DD58のうちDD55はDB505形投入に伴い1925年(大正14年)に[12]、残る3両も1928年(昭和3年)に軌道籍に移された[1]

1941年(昭和16年)の改番で31 - 40に整理されたが[21]、この時点で鉄道籍(高富線)に属していた31 - 34にはモ31形の形式称号が与えられた[9]1949年(昭和24年)の形式付与・再改番でモ31形31、モ31形33、35、39、40がモ35形35 - 39となり、戦災・復旧を経たモ31形32、モ31形34はモ65形65、66に、36 - 38はモ50形55 - 57となった(モ65形は後にモ50形に統合されている)[23][24]

戦後の各種改造についてはモ10形(2代)に準じる。その後1965年(昭和40年)より廃車が開始され、最後まで残存したモ39が1967年(昭和42年)7月23日まで運用された後に廃車となり、形式消滅した[15]

G51-54

長良軽便鉄道が1913年(大正2年)に導入した木造単車1-4号が前身である。日本車輌製造製、GE製25馬力モーター搭載車で、制御器もGE製のK10-Aであった。同社合併後はG51、G52、G53、G54となったが、1924年(大正13年)に岡山電気軌道に売却された。うち1両は更に米子電車軌道に譲渡されている[21]

DD61-63(モ45形)

市内線千手堂 - 忠節橋間延長に備え1925年(大正14年)に増備されたグループで、DD61、DD62、DD63の3両が存在した[21]。製造は名古屋電車製作所で、モーターは40馬力であった(デワ600形603 - 605からの台車流用説あり[25][3])。DD61は美濃町線で使用され、DD62、DD63は一時期蘇東線に転出していたことがあった。

1941年(昭和16年)の改番で45 - 47に整理され、1949年(昭和24年)の形式付与・再改番で46、47がモ45形45、46となり、戦災・復旧を経た45はモ50形58となった[26]

T101-104

T101号

1912年(大正元年)に新製された天野工場製の付随車であり、T101、T102、T103、T104の4両が存在した。車体は初期車両に準じており、ブレーキは手ブレーキのみであった。情勢の変化で美濃電時代より放置気味であり、1939年(昭和14年)4月に全車廃車された[27]

改番表

  • 出典:『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 pp.12, 14, 21
No. 美濃電気軌道 名古屋鉄道
1911 1912 1913 1914 1918 1920 1922 1924 1925 1929 1937 1939 1941 1944 1945 1946 1947 1948 1949
1 D1 1 モ1形 1
2 D2 M2 →新京市電
3 D3 G3 →新京市電
4 D4 G4 →新京市電
5 D5 2 モ1形 2
6 D6 3 戦災 3 モ50形 50
7 D7 4 モ1形 4
8 D8 5 モ1形 3
10 D10 G10 →新京市電
11 D11 G11 →新京市電
12 D12 G12 →新京市電
13 D13 →駿遠電気
(岐北)甲形 3 G13 D13 モ15形 15 モ25形 25
14 D14 →駿遠電気
(岐北)甲形 5 G14 D14 モ15形 16 モ25形 26
15 D15 →駿遠電気
(岐北)乙形 1 G15 D15 →新京市電
16 D16 →駿遠電気
(岐北)乙形 2 G16 D16 →新京市電
17 D17 →駿遠電気
(岐北)甲形 4 G17 D17 モ15形 17 モ25形 27
18 D18 G18 →新京市電
19 (岐北)甲形 6 G19 D19 モ15形 18 モ25形 28
No. 1911 1912 1913 1914 1918 1920 1922 1924 1925 1929 1937 1939 1941 1944 1945 1946 1947 1948 1949
20 S20 6 →仙台市電
21 S21 7 →仙台市電
22 S22 * 8 * モ5形 5
23 S23 9 戦災 9 モ50形 51
24 S24 * 10 * モ5形 6
25 S25 D25 11 モ5形 7
26 S26 D26 12 モ5形 8
27 DD27 28 モ10形 17
28 S28 D28 13 戦災 13 モ50形 52
30 S30 D30 14 モ5形 9
31 DD31 29 モ10形 18
32 DD32 30 モ10形 19
33 DD33 19 モ10形 10
34 D34 →新京市電
35 DD35 20 戦災 20 モ50形 53
36 DD36 21 モ10形 11
37 DD37 22 モ10形 12
38 DD38 23 モ10形 13
40 DD40 24 モ10形 14
41 DD41 25 モ10形 15
43 DD43 26 モ10形 16
44 DD44 27 戦災 27 モ50形 54
No. 1911 1912 1913 1914 1918 1920 1922 1924 1925 1929 1937 1939 1941 1944 1945 1946 1947 1948 1949
45 DD45 モ31形 31 モ35形 35
46 DD46 モ31形 32 戦災 モ31形 32 モ65形 65 **
47 DD47 モ31形 33 モ35形 36
48 DD48 モ31形 34 戦災 モ31形 34 モ65形 66 **
50 DD50 35 モ35形 37
51 (長良) 1 G51 →岡山電軌
52 (長良) 2 G52 →岡山電軌
53 (長良) 3 G53 →岡山電軌
54 (長良) 4 G54 →岡山電軌
55 DD55 36 戦災 36 モ50形 55
56 DD56 37 戦災 37 モ50形 56
57 DD57 38 戦災 38 モ50形 57
58 DD58 39 モ35形 38
60 DD60 40 モ35形 39
61 DD61 45 戦災 45 モ50形 58
62 DD62 46 モ45形 46
63 DD63 47 モ45形 45
101 T101 廃車
102 T102 廃車
103 T103 廃車
104 T104 廃車
No. 1911 1912 1913 1914 1918 1920 1922 1924 1925 1929 1937 1939 1941 1944 1945 1946 1947 1948 1949
美濃電気軌道 名古屋鉄道
  • No. は美濃電時代の番号に基づく
  • * S22・S24も後に電気機器をデッカーに換装しているが、時期不明(1944年以前)[11]
  • ** モ65形は後年モ50形に統合している[23]

主要諸元

1955年現在[28]

形式名 モ1形 モ5形 モ10形 モ35形 モ45形
車号 1・2 3 4 5 6-9 10・16・19 11-15 17・18 35-37 38 39 45・46
定員 (人) 40 40 46 46 46
座席 (人) 14 14 14 14 16
全長 (mm) 8,057 8,057 8,382 8,382 8,382
全幅 (mm) 2,172 2,172 2,184 2,184 2,235
全高 (mm) 3,647 3,647 3,647 3,647 3,647
自重 (t) 6.1 6.5 6.6 6.6 6.6
主電動機
(PS×数)
イングリッシュ・エレクトリック(デッカー)
DK-13A
(40×2)
DK-30B
(40×2)
DK-30B
(40×2)
DK-13A
(40×2)
DK-13A
(40×2)
DK-13A
(40×2)
DK-30B
(40×2)
歯車比 4.73 5.00 5.00 4.73 4.73 4.73 5.00
集電装置 泰平電機 ビューゲル
制御装置 KR-8 DB1-G DB1-G DB1-K DB1-K DB1-K T1C
台車 ブリル21-E
軸距 (mm) 2,286 2,286 1,981 1,828 2,134 2,134 1,829 1,981 1,981
車輪径 (mm) 838
制動方式 手ブレーキ・非常用発電ブレーキ
製造 東京天野工場 京都丹羽製作所 名古屋電車製作所 名古屋電車製作所 日本車輌

脚注

注釈

  1. ^ 1941年の改番当時に鉄道籍だった車両はこの時点で形式称号が与えられている。
  2. ^ 岐北軽便鉄道甲形(G13・14・17・19)の客室窓は10枚[4]
  3. ^ 昭和初期の改造を経た後は両形式の外観上の違いほとんどなかった[22]

出典

  1. ^ a b c d 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.12
  2. ^ a b c d 『路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋』 p.118
  3. ^ a b 『路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋』 p.255
  4. ^ a b c 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.19
  5. ^ a b 「私鉄車両めぐり 名古屋鉄道」 p.150
  6. ^ a b 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.46
  7. ^ a b 「名古屋鉄道の車両前史」 p.169
  8. ^ a b c d e 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.15
  9. ^ a b 「私鉄車両めぐり 名古屋鉄道」 p.151
  10. ^ a b 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.13
  11. ^ a b c d e f 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.14
  12. ^ a b 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.36
  13. ^ a b 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 pp.14-15
  14. ^ 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.42
  15. ^ a b c 「美濃町線・岐阜市内線の昨日,今日」 pp.122-123
  16. ^ 『写真が語る名鉄80年』 p.189
  17. ^ a b c 「名鉄“岐阜線”歴代車両ガイド」 p.112
  18. ^ 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 pp.15-16
  19. ^ a b 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.16
  20. ^ 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 pp.16-17
  21. ^ a b c d e f 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.21
  22. ^ 『路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋』 p.121
  23. ^ a b 『名鉄岡崎市内線』 p.33
  24. ^ 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.44
  25. ^ 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.23
  26. ^ 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 pp.21-22
  27. ^ 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.25
  28. ^ 『路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋』 p.254

参考文献

書籍

  • 名古屋鉄道『写真が語る名鉄80年』名古屋鉄道、1975年。 
  • 日本路面電車同好会名古屋支部『路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋』トンボ出版、1999年。 
  • 藤井建『名鉄岡崎市内線―岡崎市電ものがたり』ネコ・パブリッシング、2003年。 
  • 徳田耕一・清水武(監修) 著「名鉄“岐阜線”歴代車両ガイド」、徳田耕一 編『名鉄600V線の廃線を歩く―惜別の“岐阜線”と空港線誕生』JTBパブリッシング、2005年。 
  • 清水武『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』ネコ・パブリッシング、2010年。 

雑誌記事

  • 白井良和「名古屋鉄道の車両前史 現在の名鉄を構成した各社の車両」『1986年12月臨時増刊号』第473巻、電気車研究会、1986年12月、166 - 176頁。 
  • 藤井建「美濃町線・岐阜市内線の昨日,今日」『1996年7月臨時増刊号』第624巻、電気車研究会、1996年7月、118 - 124頁。 
  • 加藤久爾夫・渡辺肇「私鉄車両めぐり 名古屋鉄道」『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第30号、電気車研究会、2015年1月、122 - 165頁。