コンテンツにスキップ

「リカルド・ロペス」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
+{{半保護}}
エリクセン (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
(他の1人の利用者による、間の5版が非表示)
1行目: 1行目:
{{半保護}}
{{半保護}}
{{Otheruses|メキシコのプロボクサー|スペインのサッカー選手|リカルド・ロペス・フェリペ|ブラジルのサッカー選手|リカルド・ロペス・ペレイラ}}
{{Otheruseslist|メキシコのプロボクサー|スペインのサッカー選手|リカルド・ロペス・フェリペ|ブラジルのサッカー選手|リカルド・ロペス・ペレイラ}}
{{存命人物の出典明記|date=2016年11月4日 (金) 08:11 (UTC)}}
{{スペイン語圏の姓名|ロペス|ナバ}}
{{スペイン語圏の姓名|ロペス|ナバ}}
{{Boxing statsbox
{{Boxing statsbox
|name=リカルド・ロペス
|name=リカルド・ロペス
|image=
|image=
|realname=リカルド・ロペス・ナバ
|realname=リカルド・ロペス・ナバ{{Sfn|Official}}
|nickname=FinitoまたはEl Finto{{Sfn|Official}}<ref><!--This source suggests El Finito refers to his art to combine attack and defense-->[http://www.pids.com.mx/index.php?option=com_content&id=479:qfinitoq-lopez-un-ejemplo-de-vida-y-de-deportista&Itemid=3 "Finito" López, un ejemplo de vida... y de deportista]. pids.com.mx. July 25, 2011</ref>
|nickname=El Finito
|weight=[[ライトフライ級]]
|weight=当初[[ミニマム級]]、最後の3年間のみ[[ライトフライ級]]{{Sfn|Official}}{{R|BBC2}}
|height=170.18cm(5フィート7インチ){{R|BBC2}}
|height=162cm
|reach=166cm
|reach=
|nationality={{MEX}}
|nationality={{MEX}}
|birth_date={{生年月日と年齢|1967|7|25}}
|birth_date={{生年月日と年齢|1966|7|25}}{{Sfn|Official}}
|birth_place=[[モレロス州]][[クエルナバカ|クエルナバカ市]]
|birth_place=[[モレロス州]][[クエルナバカ]]{{Sfn|Official}}
|death_date=
|death_date=
|death_place=
|death_place=
|home=[[メキシコシティ]]
|home=[[メキシコシティ]]{{Sfn|Official}}
|style=[[オーソドックス]]
|style=[[オーソドックス]]
|total=52
|total=52{{Sfn|Official}}
|wins=51
|wins=51{{R|BBC2}}
|KO=37
|KO=37{{Sfn|ibhof}}
|losses=0
|losses=0{{Sfn|ibhof}}
|draws=1
|draws=1{{Sfn|Official}}
|no contests=
|no contests=
|}}
|}}
'''リカルド・ロペス'''('''Ricardo López'''、[[1966年]][[7月25日]] - )は[[メキシコ]]出身の元[[プロボクサー]]{{Sfn|Official}}{{Sfn|ibhof}}。ニックネームは "Finto"または"El Finto"{{Sfn|Official}}{{Sfn|ibhof}}。フルネームはリカルド・ロペス・ナバ (Ricardo López Nava){{Sfn|Official}}。2002年に36歳で引退するまでの全キャリアのうち、最後の3年間のみ[[ライトフライ級]]、それまでは全て[[ミニマム級]]で戦った{{R|BBC2}}。


== 功績 ==
'''リカルド・ロペス・ナバ'''('''Ricardo López Nava'''、[[1967年]][[7月25日]] - )は、[[メキシコ]]の元[[プロボクサー]]。元[[世界ボクシング評議会|WBC]]・[[世界ボクシング協会|WBA]]・[[世界ボクシング機構|WBO]]世界[[ミニマム級]]王者。元[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[ライトフライ級]]王者。「小さな巨人」「エル・フィニート(素晴らしい)」などの異名を持った。
[[世界ボクシング評議会|WBC]]、[[世界ボクシング協会|WBA]]、[[世界ボクシング機構|WBO]]の3つのボクシング世界団体のミニマム級世界王座を獲得した{{Sfn|Official}}{{Sfn|ibhof}}。また後に階級を移動し、[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[ライトフライ級]]でも世界王者となり2階級を制覇している{{Sfn|Official}}{{Sfn|ibhof}}{{R|BBC}}。また世界王座を11年間に渡り維持し、合計26回の王座防衛戦を戦った{{R|BBC}}。


生涯プロ全戦績52戦のうち、引き分け1戦を除く全戦で不敗のまま引退した{{Sfn|Official}}{{Sfn|ibhof}}。これは「36歳時点でプロボクサーキャリア17年のうち50勝1引き分け不敗の戦績」として[[ギネスブック]]に登録されている{{R|BBC}}。
ルピータジムで[[アルトゥーロ・エルナンデス|クーヨ・エルナンデス]]にボクシングを学び、クーヨ死後はロマンサ・ジムへ移り[[ナチョ・ベリスタイン]]に指導を受けた。


2002年12月2日発表の引退試合を報じた[[イギリス]]の[[BBCニュース]]では「完璧な技術を持つファイター (technically perfect fighter)」「ボクシングの天才 (boxing genius)」と絶賛されている<ref name=BBC2>{{Cite web |url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/boxing/2534729.stm |title=Farewell to a boxing genius |publisher=[[BBCニュース]] |date=2002-12-2 |accessdate=2016-12-14 }}</ref>。
== 来歴 ==
アマチュア戦績40戦全勝を経て、1985年1月18日、プロデビュー。


2007年6月7日には[[アメリカ合衆国]]の[[ニューヨーク]]にある[[国際ボクシング名誉の殿堂博物館]]にて殿堂入りした{{Sfn|Official}}。
1989年11月7日、[[世界ボクシング評議会|WBC]]アメリカ大陸[[ミニマム級]]王座決定戦出場。同国メキシコ人のレイ・エルナンデスを最終・12回TKOに降し、王座獲得。1990年3月15日には初防衛に成功。


== 戦績 ==
1990年10月25日、無敗のまま26戦目で世界王座初挑戦。[[後楽園ホール]]でWBC世界ミニマム級王者[[大橋秀行]]に勝利、王座獲得。翌1991年5月19日、[[静岡市|静岡]]での初防衛戦では地元出身・平野公夫の挑戦を受け8回TKO勝ち。1992年10月11日、5度目の防衛戦では王座獲得を果たした後楽園ホールに再登場。[[台湾]]出身の[[ロッキー・リン]]と[[指名試合]]を行い、2回KO勝ち。
ロペスのアマチュア戦績は9歳のときに始まり、アマチュア戦績全勝を経て1985年1月18日、20歳のときにプロデビューし、メキシコの[[モレロス州]][[クエルナバカ]]で[[ロヘリオ・ヘルナンデス]]と戦い3ラウンドでノックアウト勝利した{{Sfn|Official}}。


1990年10月25日、ロペスはWBC世界ミニマム級王者であった[[日本]]の[[大橋秀行]]に挑戦するために来日し、[[東京都]]で行われた王座獲得戦の結果、は4ラウンドにロペスが大橋をTKOで勝利{{Sfn|ibhof}}し、ロペスが世界王者となった{{Sfn|Official}}。ロペスはその後この王座を21回防衛した{{Sfn|Official}}{{Sfn|ibhof}}。
1995年4月1日、アンディ・タバナス([[フィリピン]])を最終12回KOに降し、14度目の防衛に成功。しかしその後負傷の影響で1年弱試合から遠ざかる。


ロペスはこの頃までに両腕の腱と眉の周りを負傷しており、1995年にこれらの治療を行っている{{R|BBC}}。
負傷から復帰した後も防衛を重ね続け、1997年8月23日、20度目の防衛戦を迎える。[[世界ボクシング機構|WBO]]世界ライトフライ級王者[[アレックス・サンチェス]]([[プエルトリコ]])との統一戦となったこの試合も5回TKO勝ちを収め、遂にWBC王座防衛回数を20の大台に乗せるのと同時にWBO王座も獲得した。その後、WBO王座は防衛することなく返上。


1998年3月7日、全戦績中唯一の引き分け相手である[[ニカラグア]]の[[ロセンド・アルバレス]]と戦い、このときはロペスの頭部の負傷によりテクニカル・ドローの判断が下され{{R|BBC2}}引き分けとなった{{Sfn|ibhof}}{{R|BBC}}。アルバレスとはその8か月後に再戦し勝利している{{Sfn|ibhof}}。引退に際してロペスはこの戦いを振り返り、「私の全戦績中最も困難な戦いはニカラグアのロセンド・アルバレスとのWBA王座決定戦だった ("One of my hardest fights was against WBA champion Rosendo Alvarez of Nicaragua.")」と語っている{{R|BBC}}。
1998年3月7日に行われたWBC王座21度目の防衛戦は[[世界ボクシング協会|WBA]]王者[[ロセンド・アルバレス]]([[ニカラグア]])との王座統一戦。結果は1-1(67-64、63-68、66-66)引き分け。


1999年にロペスはライトフライ級に移籍した{{Sfn|Official}}{{R|BBC}}。これによりWBCはロペスのWBC世界ミニマム級王座を剥奪した{{Sfn|Official}}。
同年11月13日、アルバレスと再戦。アルバレスが[[体重超過]]により計量で失格となり、WBA王座を剥奪された中での試合となった。最後は2-1(116-114、116-112、113-115)の12回判定勝ち。WBC王座22度目の防衛に成功すると同時にWBA王座も獲得した。その後、WBA王座は返上。


1999年、[[国際ボクシング連盟|IBF]]ライトフライ級王者[[ウィル・グリッグスピー]]([[アメリカ合衆国|米国]])への挑戦が決定たのに伴い9月29日付正式にWBC世界ミニマム級王座剥奪。王座保持期間は9年弱だった。
1999年10月2日当時IBFライトフライ級世界王者の座にあったアメリカ合衆国の[[ウィル・グリッグスピー]]挑戦し、12ラウンド勝利しWBC世界ミニマム級に続く2階級での世界者となった{{Sfn|ibhof}}


== 引退後 ==
[[1999年]]10月2日、グリッグスビーに挑戦し、12回判定勝ち。プロ50戦目にして2階級制覇を達成したが、再び負傷の影響で1年以上試合から遠ざかる。
ロペスの引退発表はWBC世界ミニマム級王座獲得の12周年となる2002年10月25日に行われた{{Sfn|ibhof}}<ref name=BBC>{{Cite web |url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/boxing/1837332.stm |title=Final year for 'Finito' |publisher=[[BBCニュース]] |date=2002-2-23 |accessdate=2016-12-14 |language={{en icon}} }}</ref>。アマチュア時代、プロ時代を合わせたボクシングキャリアは合計で26年に及ぶ{{R|BBC}}。引退時点での年齢は36歳だった{{R|BBC2}}。


現役引退後は2007年時点ではメキシコに在住しており{{Sfn|ibhof}}、メキシコおよびスペイン語圏最大のテレビネットワークである[[テレビサ]]にボクシング評論家として勤めている<ref>{{Cite web |url=http://notifight.com/artman2/publish/Entrevista_6/Finito_L_pez_no_todo_es_salvajismo_en_el_boxeo.php |title=Finito López: no todo es salvajismo en el boxeo |publisher=notifight.com |author=Por José Rodolfo Castro |date=2009-2-2 |accessdate=2016年12月13日 }}</ref>。
[[2000年]]12月2日、1年2か月ぶりの復帰戦。元IBF世界ミニマム級王者[[ラタナポン・ソーウォラピン]]([[タイ王国|タイ]])と[[マンダレイ・ベイ・イベント・センター]]で[[フェリックス・トリニダード]]VS[[フェルナンド・バルガス]]の前座として対戦し、3回TKO勝ち。


2005年9月12日発表の、イギリスのBBCニュース集計による読者投票のランキング「あなたの[[パウンド・フォー・パウンド]]リスト (Your pound-for-pound lists)」では10位にランクインした<ref>{{Cite web |url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/boxing/4238036.stm |title=Your pound-for-pound lists |publisher=[[BBCニュース]] |date=2005-9-12 |accessdate=2016-12-14 }}</ref>。
[[2001年]]9月29日、[[マディソン・スクエア・ガーデン]]で、ミニマム級時代に戦わなかった最後の対立王者で、ロペスと並ぶ絶対王者ラタナポンを破って戴冠した、元IBF世界ミニマム級王者[[ゾラニ・ペテロ]]([[南アフリカ共和国|南アフリカ]])と対戦し、8回TKO勝ち。この試合を最後に2002年、王座在位のまま現役を引退。

== 獲得タイトル ==
* [[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[ミニマム級]]王座(防衛22度)
* [[世界ボクシング機構|WBO]]世界ミニマム級王座(防衛0度)
* [[世界ボクシング協会|WBA]]世界ミニマム級王座(防衛0度)
* [[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[ライトフライ級]]王座(防衛2度)

== 戦績 ==
* アマチュアボクシング: 40戦 40勝 28KO
* プロボクシング: 52戦 51勝 37KO 1分

{{Fightstatstop}}
{{Fightstatscont|1|1985年1月18日|☆|3R|KO|ロヘリオ・エルナンデス|{{MEX}}|プロデビュー戦}}
{{Fightstatscont|2|1985年2月6日|☆|2R|KO|アントニオ・アルシニエハ|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|3|1985年2月18日|☆|2R|KO|セバスティアン・レイジェス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|4|1985年3月8日|☆|3R|KO|ハビエル・ドミンゲス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|5|1985年6月27日|☆|2R|KO|マヌエル・マルチネス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|6|1985年8月2日|☆|5R|TKO|ナルシソ・パンチ|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|7|1986年3月24日|☆|1R|KO|レイジェス・メンデス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|8|1986年5月1日|☆|1R|KO|サンチャゴ・メンデス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|9|1986年7月28日|☆|8R|判定|エルミニオ・ラミレス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|10|1986年10月6日|☆|2R|KO|ホルヘ・フローレス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|11|1986年12月8日|☆|10R|判定|エルミニオ・ラミレス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|12|1987年4月18日|☆|10R|判定|アルフォンソ・リベラ|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|13|1987年7月31日|☆|1R|TKO|アレックス・モラド|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|14|1987年8月15日|☆|10R|判定|ハビエル・アロンゾ|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|15|1988年7月30日|☆|1R|KO|フェルミン・リベロ|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|16|1988年8月27日|☆|5R|TKO|エバリスト・モラレス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|17|1988年11月12日|☆|10R|判定|イスマエル・ベニテス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|18|1989年1月27日|☆|5R|TKO|バルド・ゴンザレス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|19|1989年5月6日|☆|10R|判定|ハビエル・スアレス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|20|1989年5月30日|☆|8R|KO|ホルヘ・トーレス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|21|1989年7月8日|☆|2R|KO|アベル・アンドレス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|22|1989年8月4日|☆|5R|KO|レイムンド・メンドサ|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|23|1989年8月26日|☆|7R|TKO|ホセ・ルイス・セペダ|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|24|1989年11月7日|☆|12R|TKO|レイ・エルナンデス|{{MEX}}|WBCアメリカ大陸ミニマム級王座獲得}}
{{Fightstatscont|25|1990年3月15日|☆|8R|TKO|ホルヘ・リベラ|{{MEX}}|WBCアメリカ大陸ミニマム級王座防衛1}}
{{Fightstatscont|26|1990年6月29日|☆|10R|判定|フランシスコ・モンティエル|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|27|1990年10月25日|☆|5R|KO|[[大橋秀行]]|{{JPN}}|WBC世界ミニマム級王座獲得}}
{{Fightstatscont|28|1991年5月19日|☆|8R|TKO|平野公夫|{{JPN}}|WBC世界ミニマム級王座防衛1}}
{{Fightstatscont|29|1991年12月22日|☆|12R|判定|[[李敬渕]]|{{KOR}}|WBC世界ミニマム級王座防衛2}}
{{Fightstatscont|30|1992年3月16日|☆|12R|判定|プリティ・ボーイ・ルーカス|{{PHI}}|WBC世界ミニマム級王座防衛3}}
{{Fightstatscont|31|1992年8月22日|☆|5R|KO|シンプラサート・キティカセム|{{THA}}|WBC世界ミニマム級王座防衛4}}
{{Fightstatscont|32|1992年10月11日|☆|2R|KO|[[ロッキー・リン]]|{{TWN}}|WBC世界ミニマム級王座防衛5}}
{{Fightstatscont|33|1993年1月31日|☆|9R|TKO|呉光洙|{{KOR}}|WBC世界ミニマム級王座防衛6}}
{{Fightstatscont|34|1993年7月3日|☆|2R|TKO|[[サマン・ソーチャトロン]]|{{THA}}|WBC世界ミニマム級王座防衛7}}
{{Fightstatscont|35|1993年9月19日|☆|11R|TKO|トートー・ポー・ポンサワン|{{THA}}|WBC世界ミニマム級王座防衛8}}
{{Fightstatscont|36|1993年12月18日|☆|11R|KO|[[マニー・メルチョル]]|{{PHI}}|WBC世界ミニマム級王座防衛9}}
{{Fightstatscont|37|1994年5月7日|☆|12R|判定|[[ケルミン・グアルディア]]|コロンビア|WBC世界ミニマム級王座防衛10}}
{{Fightstatscont|38|1994年9月17日|☆|1R|TKO|ヨドシン・センガーモロコット|{{THA}}|WBC世界ミニマム級王座防衛11}}
{{Fightstatscont|39|1994年11月12日|☆|8R|TKO|ハビエル・バルゲス|{{MEX}}|WBC世界ミニマム級王座防衛12}}
{{Fightstatscont|40|1994年12月10日|☆|1R|TKO|ヤミール・カラバリョ|コロンビア|WBC世界ミニマム級王座防衛13}}
{{Fightstatscont|41|1995年4月1日|☆|12R|KO|タバナス大塚|{{PHI}}|WBC世界ミニマム級王座防衛14}}
{{Fightstatscont|42|1996年3月16日|☆|8R|KO|アラ・ビラモア木村|{{PHI}}|WBC世界ミニマム級王座防衛15}}
{{Fightstatscont|43|1996年6月29日|☆|3R|TKO|キティチャイ・ブリーチャ|{{THA}}|WBC世界ミニマム級王座防衛16}}
{{Fightstatscont|44|1996年11月9日|☆|6R|TKO|モーガン・ニドゥモ|{{RSA}}|WBC世界ミニマム級王座防衛17}}
{{Fightstatscont|45|1996年12月7日|☆|1R|KO|朴明燮|{{KOR}}|WBC世界ミニマム級王座防衛18}}
{{Fightstatscont|46|1997年3月29日|☆|12R|判定|モンコン・LGジム|{{THA}}|WBC世界ミニマム級王座防衛19}}
{{Fightstatscont|47|1997年8月23日|☆|5R|TKO|[[アレックス・サンチェス]]|{{PUR}}|WBC世界ミニマム級王座防衛20<br />WBO世界ミニマム級王座獲得/(返上)}}
{{Fightstatscont|48|1998年3月7日|引|7R|負傷引分|[[ロセンド・アルバレス]]|{{NCA}}|WBC世界ミニマム級王座防衛21}}
{{Fightstatscont|49|1998年11月13日|☆|12R|判定|ロセンド・アルバレス|{{NCA}}|WBC世界ミニマム級王座防衛22<br />WBA世界ミニマム級王座獲得/返上<br />WBC世界ミニマム級王座剥奪(1999年9月29日)}}
{{Fightstatscont|50|1999年10月2日|☆|12R|判定|[[ウィル・グリッグスピー]]|{{USA}}|IBF世界ライトフライ級王座獲得}}
{{Fightstatscont|51|2000年12月2日|☆|3R|TKO|[[ラタナポン・ソーウォラピン|ラタナポン・ダッチボーイジム]]|{{THA}}|IBF世界ライトフライ級王座防衛1}}
{{Fightstatscont|52|2001年9月29日|☆|8R|KO|[[ゾラニ・ペテロ]]|{{RSA}}|IBF世界ライトフライ級王座防衛2<br />IBF世界ライトフライ級王座返上(2002年)}}
{{Fightstatsbottom}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
125行目: 62行目:
* [[国際ボクシング連盟世界王者一覧|国際ボクシング連盟(IBF)世界王者一覧]]
* [[国際ボクシング連盟世界王者一覧|国際ボクシング連盟(IBF)世界王者一覧]]
* [[統一世界王者]]
* [[統一世界王者]]
* [[パウンド・フォー・パウンド]]
* [[スポーツ無敗記録一覧]]
* [[スポーツ無敗記録一覧]]

== 脚注 ==
{{Reflist}}

== 参考文献 ==
* {{Cite web |url=http://www.ricardofinitolopez.com/ |title=Ricardo "Finto" López |publisher=リカルド・ロペス公式サイト |accessdate=2016年12月13日 |language={{Es icon}} |Ref={{SfnRef|Official}} }}
* {{Cite web |url=http://www.ibhof.com/pages/about/inductees/modern/lopez.html |title=Ricardo (Finito) Lopez |publisher=[[国際ボクシング名誉の殿堂博物館]] |date=2007 |accessdate=2016年12月13日|language={{en icon}} |Ref={{SfnRef|ibhof}} }}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{official}}
* {{Boxrec|id=521|name=リカルド・ロペス}}
* {{boxrec|id=521}}


{{Championshiptitle次空||[[世界ボクシング評議会|WBC]]|世界[[ミニマム級]]|大橋秀行|ワンディー・シンワンチャー|1990年10月25日 - 1999年9月29日(剥奪)}}
{{Championshiptitle次空||[[世界ボクシング評議会|WBC]]|世界[[ミニマム級]]|大橋秀行|ワンディー・シンワンチャー|1990年10月25日 - 1999年9月29日(剥奪)}}
147行目: 91行目:
[[Category:1967年生]]
[[Category:1967年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:男子ボクサー]]
[[Category:スポーツに関するギネス世界記録保持者]]

2017年1月22日 (日) 22:13時点における版

リカルド・ロペス
基本情報
本名 リカルド・ロペス・ナバ[1]
通称 FinitoまたはEl Finto[1][2]
階級 当初ミニマム級、最後の3年間のみライトフライ級[1][3]
身長 170.18cm(5フィート7インチ)[3]
国籍 メキシコの旗 メキシコ
誕生日 (1966-07-25) 1966年7月25日(57歳)[1]
出身地 モレロス州クエルナバカ[1]
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 52[1]
勝ち 51[3]
KO勝ち 37[4]
敗け 0[4]
引き分け 1[1]
テンプレートを表示

リカルド・ロペスRicardo López1966年7月25日 - )はメキシコ出身の元プロボクサー[1][4]。ニックネームは "Finto"または"El Finto"[1][4]。フルネームはリカルド・ロペス・ナバ (Ricardo López Nava)[1]。2002年に36歳で引退するまでの全キャリアのうち、最後の3年間のみライトフライ級、それまでは全てミニマム級で戦った[3]

功績

WBCWBAWBOの3つのボクシング世界団体のミニマム級世界王座を獲得した[1][4]。また後に階級を移動し、IBF世界ライトフライ級でも世界王者となり2階級を制覇している[1][4][5]。また世界王座を11年間に渡り維持し、合計26回の王座防衛戦を戦った[5]

生涯プロ全戦績52戦のうち、引き分け1戦を除く全戦で不敗のまま引退した[1][4]。これは「36歳時点でプロボクサーキャリア17年のうち50勝1引き分け不敗の戦績」としてギネスブックに登録されている[5]

2002年12月2日発表の引退試合を報じたイギリスBBCニュースでは「完璧な技術を持つファイター (technically perfect fighter)」「ボクシングの天才 (boxing genius)」と絶賛されている[3]

2007年6月7日にはアメリカ合衆国ニューヨークにある国際ボクシング名誉の殿堂博物館にて殿堂入りした[1]

戦績

ロペスのアマチュア戦績は9歳のときに始まり、アマチュア戦績全勝を経て1985年1月18日、20歳のときにプロデビューし、メキシコのモレロス州クエルナバカロヘリオ・ヘルナンデスと戦い3ラウンドでノックアウト勝利した[1]

1990年10月25日、ロペスはWBC世界ミニマム級王者であった日本大橋秀行に挑戦するために来日し、東京都で行われた王座獲得戦の結果、は4ラウンドにロペスが大橋をTKOで勝利[4]し、ロペスが世界王者となった[1]。ロペスはその後この王座を21回防衛した[1][4]

ロペスはこの頃までに両腕の腱と眉の周りを負傷しており、1995年にこれらの治療を行っている[5]

1998年3月7日、全戦績中唯一の引き分け相手であるニカラグアロセンド・アルバレスと戦い、このときはロペスの頭部の負傷によりテクニカル・ドローの判断が下され[3]引き分けとなった[4][5]。アルバレスとはその8か月後に再戦し勝利している[4]。引退に際してロペスはこの戦いを振り返り、「私の全戦績中最も困難な戦いはニカラグアのロセンド・アルバレスとのWBA王座決定戦だった ("One of my hardest fights was against WBA champion Rosendo Alvarez of Nicaragua.")」と語っている[5]

1999年にロペスはライトフライ級に移籍した[1][5]。これによりWBCはロペスのWBC世界ミニマム級王座を剥奪した[1]

1999年10月2日、当時IBFライトフライ級世界王者の座にあったアメリカ合衆国のウィル・グリッグスピーに挑戦し、12ラウンドで勝利しWBC世界ミニマム級に続く2階級での世界王者となった[4]

引退後

ロペスの引退発表はWBC世界ミニマム級王座獲得の12周年となる2002年10月25日に行われた[4][5]。アマチュア時代、プロ時代を合わせたボクシングキャリアは合計で26年に及ぶ[5]。引退時点での年齢は36歳だった[3]

現役引退後は2007年時点ではメキシコに在住しており[4]、メキシコおよびスペイン語圏最大のテレビネットワークであるテレビサにボクシング評論家として勤めている[6]

2005年9月12日発表の、イギリスのBBCニュース集計による読者投票のランキング「あなたのパウンド・フォー・パウンドリスト (Your pound-for-pound lists)」では10位にランクインした[7]

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s Official.
  2. ^ "Finito" López, un ejemplo de vida... y de deportista. pids.com.mx. July 25, 2011
  3. ^ a b c d e f g Farewell to a boxing genius”. BBCニュース (2002年12月2日). 2016年12月14日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n ibhof.
  5. ^ a b c d e f g h i Final year for 'Finito'” ((英語)). BBCニュース (2002年2月23日). 2016年12月14日閲覧。
  6. ^ Por José Rodolfo Castro (2009年2月2日). “Finito López: no todo es salvajismo en el boxeo”. notifight.com. 2016年12月13日閲覧。
  7. ^ Your pound-for-pound lists”. BBCニュース (2005年9月12日). 2016年12月14日閲覧。

参考文献

外部リンク

前王者
大橋秀行
WBC世界ミニマム級王者

1990年10月25日 - 1999年9月29日(剥奪)

空位
次タイトル獲得者
ワンディー・シンワンチャー
前王者
アレックス・サンチェス
WBO世界ミニマム級王者

1997年8月23日 - 1997年3月7日(返上)

空位
次タイトル獲得者
エリック・ハミリ
空位
前タイトル保持者
ロセンド・アルバレス
WBA世界ミニマム級王者

1998年11月13日 - 1998年(返上)

空位
次タイトル獲得者
ノエル・アランブレット
前王者
ウィル・グリッグスピー
IBF世界ライトフライ級王者

1999年10月2日 - 2002年(返上)

空位
次タイトル獲得者
ホセ・ビクトル・ブルゴス