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「ビデオゲームの墓場」の版間の差分

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'''ビデオゲームの墓場'''とは、[[ニューメキシコ州]][[アラモゴード]]市に存在する[[埋め立て地]]。1983年に[[アタリ (企業)|アタリ社]]が売れ残った大量の[[ロムカセット]]やゲーム機本体を処分した。処分されたゲームは、ゲーム史上最大の商業的失敗作、史上最悪のゲームとして悪名高い[[E.T. (アタリ2600)|E.T.]]が数百万本と、大きな売り上げを獲得したがゲームそのものは酷評を受けているパックマンの[[Atari 2600]]版が埋められていると考えられている。このうち、「E.T.」については後年の発掘によって、実際に埋められていたことが発覚した。
'''ビデオゲームの墓場'''とは、[[ニューメキシコ州]][[アラモゴード]]市に存在するという[[埋め立て地]]。

新聞により大規模な廃棄処分が報道されると、その信憑性には疑問がもたれ[[都市伝説]]と考える者もいた。しかしながら、今ではゲーム文化の象徴的な事件とされ、[[アタリショック]]とアタリ社の凋落を語るものとなっている。

==アタリ社の凋落==
アタリ社は1976年{{refnest|group="注"|『ファミコンとその時代: テレビゲームの誕生』2013年(NTT出版)によれば買収は1977年10月<ref>{{cite book|和書|title=ファミコンとその時代: テレビゲームの誕生|author=上村雅之、細井浩一、中村彰憲|publisher=[[NTT出版]]|year=2013|page=53|url=http://books.google.co.jp/books?id=tCNSJOGndeEC&pg=PA53|isbn=978-4757170469}}</ref>、About.comの記事では1976年<ref>{{cite web|url=http://inventors.about.com/od/astartinventions/a/Atari.htm|accessdate=2014-04-11|title=Atari - The History of Atari Computers|date=2014-04-11}}</ref>となっている。}}にワーナー・コミュニケーションズによって2800万ドルで買収されたが、1982年には20億ドルの価値を持っていた<ref name="Snopes">{{cite web | first1=Barbara | url=http://www.snopes.com/business/market/atari.asp | title=Buried Atari Cartridges | work=Snopes.com | date=2011-05-10 | accessdate=2011-09-10 | first2=David P | last1=Mikkelson | last2=Mikkelson}}</ref>。当時同社はビデオゲーム市場の80%を占めており<ref name="Snopes"/>、親会社の収入の大半はアタリ社によるもので<ref name="RG93">{{cite journal | title=From the Archives: Atari Inc | author=Staff | journal=Retro Gamer |date=2011-08 | issue=93 | page=88}}</ref>、[[営業利益]]の65%から70%を占めていた<ref name="Snopes"/><ref name="RG93"/>。

アタリ社は[[アーケードゲーム]]を家庭用に[[移植 (ソフトウェア)|移植]]する戦略をとっており、{{仮リンク|アステロイド (ゲーム)|en|Asteroids (game)|label=アステロイド}}や[[タイトー]]の[[スペースインベーダー]]、[[ナムコ]]の[[パックマン]]など移植により大きな商業的成功を収めたゲームもあった。アタリ社によって[[Atari 2600]]に移植されたパックマンはアーケードゲームとして多大な人気があり、アタリ社も販売に相当な自信があった。1200万本を製作したが、これはAtari 2600本体の販売台数、1000万台よりも多い本数であった<ref name="Snopes"/>。アタリ社の考えでは5億ドルの売上高が予想されるだけでなく、家庭用版をプレイしたいプレイヤーによって本体の販売台数も数百万は伸びるだろうというものだった<ref name="NG-40">{{cite journal | title=What the hell happened? | publisher=Imagine Media | author=Staff | journal=Next Generation Magazine |date=1998-04 | issue=40 | page=41}}</ref><ref name="Ultimate-1">{{cite book | chapter=The Fall | title=The Ultimate History of Video Games | publisher=Three Rivers Press | last=Kent | first=Steven | year=2001 | pages=227-228 | isbn=0-7615-3643-4}}</ref>。しかし、1982年3月に販売開始したゲームはひどい低品質であり<ref name="Snopes"/>、700万本を出荷する大ヒット作となったもののアタリ社には在庫が500万本存在し、さらに相当な数の返品が行われた<ref name="NG-40"/><ref name="CCVAG">{{cite journal | title=Pac-Mania | last=Goodman | first=Danny | journal=Creative Computing Video & Arcade Games |date=Spring 1983 | volume=1 | issue=1 | page=122}}</ref>。

パックマンの販売数はアタリ社を落胆させるものであったが、深刻な危機は大ヒットした映画「[[E.T.]]」のゲーム化によって起こった。ワーナー・コミュニケーションズと監督の[[スティーヴン・スピルバーグ]]の交渉の結果、製作が決定された[[E.T. (アタリ2600)|E.T.]]というゲームは、映画内容をベースにしたゲームで、アーケードゲームの移植ではなく完全な新作であった<ref name="Snopes"/>。後に伝えられるところによれば、ワーナーはゲームのライセンス料として、当時としては非常に高額な2000万から2500万ドルを支払っている<ref name="NG-40"/>。アタリ社は500万本を製造したが<ref name="Snopes"/>、1982年12月の発売時には150万本が売れたのみで、半数以上は在庫として抱えることになった<ref name="retroign-tas">{{cite web | last = Buchanan | first = Levi | url = http://retro.ign.com/articles/903/903024p1.html | title = IGN: Top 10 Best-Selling Atari 2600 Games | publisher = IGN | date = 2008-08-26| accessdate = 2011-09-10| archiveurl= http://web.archive.org/web/20110726161836/http://retro.ign.com/articles/903/903024p1.html| archivedate= 2011-07-26 }}</ref>。ゲームは酷評され、今ではゲーム史上最悪の作品の一つと見られている<ref name="Pileggi">{{cite journal | title=The Warner Case: Curiouser and Curiouser | date=1983-01-24 | last=Pileggi | first=Nicholas | journal=New York | volume=16 | issue=4 | page=26}}</ref><ref name="PC World">{{cite web | url=http://www.pcworld.com/article/127579-2/the_10_worst_games_of_all_time.html | title=The 10 Worst Games of All Time | publisher=PC World | date=2006-10-23 | accessdate=2011-09-19 | last=Townsend | first=Emru}}</ref>。[[ビルボード]]誌によれば、競争が激化するとともに小売業者はゲーム製作会社へ返品システムを導入するよう要求したが、この大量の不良在庫も一因であったとしている<ref name="Billboard-Returns">{{cite journal | title=Video Game Firms Ready Formal Returns Policies | date=1983-01-08 | last=Paige | first=Earl | journal=[[ビルボード]] | volume=95 | issue=1 | pages=1, 21}}</ref>。

しかしアタリ社は現在では失敗作とみなされるこれらの作品に対し大きな売り上げを予測し、1982年度の第4四半期には次年度の成長率を50%と見込んでいた<ref name="Snopes"/>。販売店に対しては1982年度分の注文を一度に入れるよう要請していた。しかし売り上げは伸び悩み、販売店はこぞってアタリ社に返品を行った。アタリ社は数百万本もの売れ残った、これら失敗作の不良在庫を抱えてしまっていた<ref name="Snopes"/>。1982年の12月7日に出されたアタリ社の報告書では事前の予想に反し、売上高は10ないし15%上昇のみとなっていた<ref name="Snopes"/>。翌日、ワーナー・コミュニケーションズの株価は3分の1まで下落し、四半期終了時にはワーナーの利益は56%まで落ち込んだ<ref name="Snopes"/>。さらにアタリ社のCEOであったレイ・カサールは、予想を下回る業績を報告する23分前にワーナー株5000株を売却し、[[内部者取引|インサイダー取引]]の容疑で後に取調べを受けている。彼の不正行為に関する嫌疑は晴れたが、翌7月には辞任する羽目になった<ref name="Kassar">{{cite journal | first1=John | url=http://books.google.co.uk/books?id=sy8EAAAAMBAJ&pg=PA151 | accessdate=2011-09-10 | first2=William F | journal=InfoWorld | last1=Hubner | title=What went wrong at Atari? | date=1983-11-28 | last2=Kistner Jr | volume=5 | issue=48 | pages=151-158}}</ref>。アタリ社は1983年には5億ドル以上の損失を出し、翌年ワーナーはアタリ社を売却した<ref name="Snopes"/>。

==廃棄処分==
1983年9月、アラモゴード・デイリー・ニュースは一連の記事中で、[[エル・パソ (テキサス州)|エル・パソ]]にあるアタリ社の倉庫から[[セミトレーラー]]10から20台分<ref name="City to Atari">{{cite news | title=City to Atari: 'E.T.' trash go home | date=1983-09-27 | last=McQuiddy | first=Marian | newspaper=Alamogordo Daily News | quote=正確な台数は不明である。地元のBFI<!-- BFIが何を意味するか不明でした。(訳者)2014-04-11 -->の職員によれば10台であるが、ヒューストンの広報担当者によれば20台近く、市の職員は14台であるという。}}</ref>の本体およびカートリッジを運び出し、市の処分場に廃棄したと伝えた。アタリ社が市の処分場を利用するのは初めてのことで、ここなら掘り起こされることもないと考え、夜間に廃棄が行われた。アタリ本体の廃棄理由について、[[Atari 2600]]から[[Atari 5200]]への切り替えのためという説と<ref name="Dump here utilitized">{{cite news | title=Dump here utilized | date=1983-09-25 | last=McQuiddy | first=Marian | newspaper=Alamogordo Daily News | quote=トレーラーの運転手によれば、違法な取引が多いため2600から5200への変更が行われ、そのために運んでいると語った。}}</ref>、本体は廃棄されていないという説がある<ref name="City cementing ban on dumping">{{cite news | title=City cementing ban on dumping: Landfill won't house anymore 'Atari rejects' | date=1983-09-28 | last=McQuiddy | first=Marian | newspaper=Alamogordo Daily News | quote=匿名の自称アタリの関係者の話では、廃棄処分は2600シリーズから5200シリーズへの移行のためではなく、処分されたのはカートリッジだけであるという。}}</ref>。アタリ社の役員は返品された「ほとんど修理不能」と[[アタリ社]]が判断した不良品をアラモゴードに送ったと述べている<ref name="City to Atari"/>。

1983年9月27日に[[UPI通信社]]は「目撃者はE.T.やパックマン、[[ミズ・パックマン]]などのゲームやゲーム機本体、高額な[[パーソナル・コンピューター|パソコン]]が処分されたと語っている」と伝えた<ref name="hawkeyedump">{{cite news | title=City dump gobbles Pacman | date=1983-09-27 | agency=[[UPI通信社]] | newspaper=The Hawk Eye}}</ref>。{{仮リンク|ナイトリッダー|en|Knight Ridder}}は9月28日、地元の子供たちが処分場から盗み出していると報じた。報道では「この人口25,000人の町の子供たちは、アタリの墓を盗掘し、E.T.やRaiders of the Lost Ark、Defender、Bezerkといったゲームを持ち出している。」と伝えている<ref name="knightridderdump">{{cite news | title='Pac Kids' gobble up dumped Atari cartridges | date=1983-09-28 | agency=Knight-Ridder | newspaper=Chronicle-Telegram}}</ref>。

1983年9月28日、[[ニューヨーク・タイムズ]]はニューメキシコでのアタリの廃棄処分について報じた。アタリ社の代表は報道を認め、処分された在庫は閉鎖されリサイクル施設となっていたエル・パソの工場から運ばれたと述べた<ref name="nytdump">{{cite web | url=http://www.nytimes.com/1983/09/28/business/atari-parts-are-dumped.html | title=Atari Parts Are Dumped | publisher=''[[ニューヨーク・タイムズ]]'' | date=1983-09-28 |accessdate=2014-04-11}}</ref>。ニューヨーク・タイムズにおいてはアタリ社が何のゲームを処分したかについては述べられておらず、さまざまな情報はあるものの処分されたゲームについては結論は出ていない<ref name="Snopes"/>。アラモゴード・デイリー・ニュースの「City to Atari: 'E.T.' trash go home<ref group="注">映画E.T.は地球外生命体のE.T.が自分の星に帰ろうとする(go home)というストーリーになっている。</ref>」という記事の見出しはE.T.が埋められたことを示唆しているように思えるが、記事内では見出しにあるE.T.とは「域外(Extra-territorial)」の意味であるとぼかし、ゲームを特定してはいない<ref name="City to Atari" />。

1983年9月29日から始まった作業は、処分したものにコンクリートをかけるという廃棄物処理としては異例のものだった。匿名の作業者によると「動物の死体があるから、子供たちがそこを掘るときに怪我をしてしまわないようにするためだ」と語った<ref name="City cementing ban on dumping"/>。結局大量の処分は市からの抗議を受け、当局の人間はエル・パソの産業廃棄物処分場となることに憂慮する声明を出した<ref name="City to Atari" />。地元の管理官はすぐに処分を止めるよう命じた。アラモゴード市では後に緊急管理法(Emergency Management Act)を可決し、また緊急管理特別委員会(Emergency Management Task Force)を設立して産業廃棄物処理業者に一定の制限をかけるようにした<ref name="City cementing ban on dumping" />。

==そして伝説へ==
さまざまな情報が憶測を呼び、売れ残りのE.T.が350万本近く埋められコンクリート詰めになっているというような話になっていった<ref name="titanic">{{cite news | title=The 1983 Atari Titanic is rising | date=2005-04-12 | last=Smith | first=Shelley | newspaper=Alamogordo Daily News}}</ref>。Atari Mindlinkコントローラーの試作品がここに埋められたという話もある<ref name="Mindlink">{{cite book | title=Home on the Strange: More Tales from My Albu-Quirky Journals | publisher=Dog Ear Publishing | last=Carr | first=Debora L | year=2010 | page=62 | isbn=1-60844-458-9}}</ref>。

廃棄処分に関連した錯綜した情報のせいでE.T.の処分は[[都市伝説]]と言われるようにもなった<ref name="Racing">{{cite book |title=Racing the Beam: The Atari Video Computer System |first1=Nick |last1=Montfort |first2=Ian |last2=Bogost |page=127 |publisher=MIT Press |year= 2009 |isbn=0-262-01257-X}}</ref>。最初は細部の違いについては信頼できないとしたものが、話そのものが信用できないとなり、後の業界全体の低迷と混同されるようにもなった<ref name="rough">{{cite book|first1=Kate |last1=Berens|first2=Geoff |last2=Howard|title=The Rough Guide to Videogames|date=2008-09-16|publisher=Rough Guides|isbn=1-84353-995-0|page=7}}</ref>。2004年4月、E.T.のプログラマーであるハワード・スコット・ワーシャウは何百万ものゲームが処分されたことを信じていないと語った。また彼は、アタリ社で慣例的に行われていた抱き合わせ販売、つまり売れ筋の商品ともう売れなくなった商品を合わせて販売店に引き取らせるやり方が、特定の失敗作よりもアタリ社の没落に大きな影響を与えたと見ている<ref name="AVC">{{cite web | last = Phipps | first = Keith | date = 2005-02-02 | url=http://www.avclub.com/articles/howard-scott-warshaw,13912/ | title = Howard Scott Warshaw &#124; Interview &#124; The A.V. Club | publisher = The A.V. Club | accessdate = 2011-09-10}}</ref>。アタリ没落の原因については[[IGN]]のトラヴィス・ファスも同様の見解を示している。彼によれば大量の不良在庫というアタリ社の問題は、Atari 2600の売れ行きを過大評価したことから生じたもので、個々のゲームの質によるものではないと考えている<ref name="Revising">{{cite web |url=http://uk.retro.ign.com/articles/939/939668p1.html |title=Revising History: The Crash of '83 |first=Travis |last=Fahs |publisher=[[IGN]] |date=2008-12-18 |accessdate=2011-09-12}}</ref>。パシフィック・ヒストリカル・レビューの執筆者であるジョン・ウィルズも処分は都市伝説と見ており、「よく知られてはいるが検証されたことはない」としている。[[トリニティ実験]]や[[ロズウェル事件]]の現場近くで起こり、何か謎めいた砂漠地帯であったことも、この話を神話化していくことにつながったのだろうとしている<ref name="pacific">{{cite journal |journal=Pacific Historical Review |first=John |last=Wills | year=2008 |title=Pixel Cowboys and Silicon Gold Mines: Videogames of the American West |volume=77 |issue=2 |pages=273-275 |publisher=University of California Press |doi= 10.1525/phr.2008.77.2.273 |jstor= 10.1525/phr.2008.77.2.273 }}</ref>。

この事件はまた、ゲーム文化におけるアタリショックの象徴ともいうべきものになっていった。事業で傲慢になることの警鐘としてもよく引き合いに出される<ref name="InfoWorld">{{cite journal |first1=John C |last1=Dvorak |date=1985-08-12 |title=Is the PCJr Doomed To Be Landfill? |journal=InfoWorld |volume=7 |issue=32 |page=64 |url=http://books.google.co.uk/books?id=Ai8EAAAAMBAJ&pg=RA1-PA64&dq=atari+landfill#v=onepage&q=atari%20landfill&f=false |accessdate=2011-09-10}}</ref><ref name="PCAdvisor">{{cite web |url=http://www.pcadvisor.co.uk/news/tablets/3298074/hp-touchpads-to-be-dumped-in-landfill/ |title=HP TouchPads to be dumped in landfill? |first=Simon |last=Jary |publisher=PC Advisor |date= 2011-08-19 |accessdate=2011-09-10}}</ref><ref name="WSJ">{{cite web |url=http://online.wsj.com/article/SB10001424053111904006104576502744235853146.html?mod=googlenews_wsj |title=Book Review: Super Mario - WSJ.com |publisher=[[ウォール・ストリート・ジャーナル]] |first=James |last=Kennedy |date=2011-08-20 |accessdate=2011-09-10}}</ref>。ただし、実際にはアタリ社はこの処分を減税目的で実行している<ref name="PCAdvisor"/>。

ポップ・カルチャーにはこの事件を題材に使った作品が存在する。例えば、Wintergreenの ''When I Wake Up'' のミュージックビデオでは、バンドが処分場まで旅をし、捨てられたカートリッジを掘り起こすといったものになっている<ref name="director">{{cite web|url=http://keithschofield.com/et/ |title=Keith Schofield / Wintergreen |publisher=Keithschofield.com|accessdate=2011-09-11}}</ref>。この映像を監督したキース・スコフィールドはビデオゲームを題材にしたミュージックビデオを以前にも製作している<ref name="spin video">{{cite journal |title=Reset for Life |first=Damon |last=Brown |url=http://books.google.com/books?id=BvUVT5TnUCwC&pg=PT36&dq=atari+new+mexico#v=onepage&q=atari%20new%20mexico&f=false |accessdate=2011-09-22 |page=99 |date=2006-05 |journal=''[[スピン (雑誌)|]]''}}</ref>。[[D・B・ワイス]]の小説 ''Lucky Wander Boy'' はアラモゴードの郊外のシーンで、二人の登場人物に処分場の上に作られた駐車場について議論をさせている<ref name="lucky">{{cite book |title=Lucky Wander Boy |first=D.B. |last=Weiss |authorlink=D・B・ワイス |year=2003 |pages=177, 193-195 |publisher=Plume |isbn=0-452-28394-9}}</ref>。[[The Angry Video Game Nerd|The Angry Video Game Nerd]]の映画版では処分場がストーリーの中心となっている<ref name="Cinemassacre AVGN Movie">{{cite web |url=http://cinemassacre.com/2012/11/10/avgn-the-movie-trailer/ |title='Angry Video Game Nerd: The Movie' - Trailer |publisher=Cinemassacre Productions |accessdate=2012-11-11 |date=2012-11-10}}</ref>。


== 概要 ==
==発掘==
2013年5月28日、アラモゴード市委員会はカナダのエンターテイメント企業[[w:en:Fuel Industries|Fuel Industries]]に6ヶ月間、処分場の発掘とそれに関するドキュメンタリー映像を製作する許可を与えた<ref>{{cite web|last=Goldsmith|first=Alex|title=Alamogordo approves Atari excavation|url=http://www.krqe.com/dpp/news/southeast/alamogordo-approves-atari-excavation|accessdate=2013-05-31|work=KRQE|publisher=LIN Television Corporation|date=2013-05-30 |archiveurl=http://www.webcitation.org/6H3Ty8foO |archivedate=2013-06-01}}</ref>。Xbox Entertainment Studiosはこのドキュメンタリーを2014年に[[Xbox One]]と[[Xbox 360]]で独占配信する予定である<ref>{{cite web|url=http://www.gametrailers.com/news-post/67807/documentary-debut-on-xbox-will-explore-e-t-atari-landfill|accessdate=2014-04-11|title=Documentary Debut on Xbox Will Explore E.T. Atari Landfill|date=2013-12-19|author=Kevin Chieng|publisher=GameTrailers.com}}</ref>。ニューメキシコ州環境局の環境保護部廃棄物課から潜在的な危険があるという指摘を受けて発掘の実行は中止されていたが、2014年4月に問題は解決され発掘が実施されることになった<ref>{{cite web | url = http://www.polygon.com/2014/4/3/5579684/historic-atari-e-t-new-mexico-dig-set-to-proceed | title = Historic Atari E.T. New Mexico dig set to proceed | first = Colin | last = Campbell | date = 2014-04-04 | accessdate = 2014-04-04 | publisher = Polygon }}</ref>。発掘は2014年4月26日に開始され、一般に公開される予定である<ref>{{cite web | url = http://www.vg247.com/2014/04/10/microsoft-invite-you-to-attend-the-atari-landfill-excavation-on-april-26/ | title = Microsoft invite you to attend the Atari Landfill excavation on April 26 | first = Stephanny | last = Nunneley | date = 2014-04-10 | accessdate = 2014-04-10 | publisher = VG247 }}</ref>。E.T.のデザイナー、ハワード・スコット・ワーシャウとディレクターの[[ザック・ペン]]もこのイベントに参加予定である<ref>{{cite web | url=http://news.xbox.com/2014/04/ent-attend-atari-landfill-excavation | author=Xbox Wire Staff | title=Witness Video Game History: Attend Atari Landfill Excavation on April 26 | date=2014-04-10 | accessdate=2014-04-11}}</ref>。同日、発掘が開始され、『E.T.』が発掘されたことにより、都市伝説は真実となった<ref>[http://www.inside-games.jp/article/2014/04/27/76337.html 都市伝説は本当だった、ニューメキシコ州「Atariの墓」から最悪のクソゲー『E.T.』が発掘される] - インサイド、2014年4月27日</ref>。
1983年の[[アタリショック]]の際に不良在庫となったAtari社のゲームの[[カートリッジ]]、[[ゲーム機]]本体、[[パソコン]]などがまとめて埋められているとされる。特にアタリショック最大の戦犯として悪名高い[[クソゲー]]『[[E.T. (アタリ2600)|E.T.]]』が数百万本埋まっているとされる。また、商業的には成功したもののクソゲーとの評価が高く、アタリショックの遠因となった[[Atari 2600]]版の『[[パックマン]]』も大量に埋められているとされる。


==脚注==
この件は当時の新聞記事になっており、アラモゴード市内の最終処分場にアタリ社のゲームが埋めたてられたことは疑いようがないが、ゲーマーの間ではほとんど[[都市伝説]]と化しており、アタリショックとクソゲーの象徴としてゲーマーの間で語られている。
===注釈===
<references group="注"/>
===出典===
{{reflist|2}}


[[Category:アタリ]]
[[Category:アタリ]]
{{Link GA|en}}
[[Category:コンピュータゲーム用語]]
{{Link GA|es}}
[[Category:都市伝説]]
{{Link GA|pt}}

2014年4月29日 (火) 05:14時点における版

ビデオゲームの墓場
Atari 2600本体とカートリッジが埋められ処分された[1]
日付 1983年9月26日 (1983-09-26)
場所 ニューメキシコ州アラモゴード
座標 北緯32度53分11.87秒 西経105度57分38.69秒 / 北緯32.8866306度 西経105.9607472度 / 32.8866306; -105.9607472
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ビデオゲームの墓場とは、ニューメキシコ州アラモゴード市に存在する埋め立て地。1983年にアタリ社が売れ残った大量のロムカセットやゲーム機本体を処分した。処分されたゲームは、ゲーム史上最大の商業的失敗作、史上最悪のゲームとして悪名高いE.T.が数百万本と、大きな売り上げを獲得したがゲームそのものは酷評を受けているパックマンのAtari 2600版が埋められていると考えられている。このうち、「E.T.」については後年の発掘によって、実際に埋められていたことが発覚した。

新聞により大規模な廃棄処分が報道されると、その信憑性には疑問がもたれ都市伝説と考える者もいた。しかしながら、今ではゲーム文化の象徴的な事件とされ、アタリショックとアタリ社の凋落を語るものとなっている。

アタリ社の凋落

アタリ社は1976年[注 1]にワーナー・コミュニケーションズによって2800万ドルで買収されたが、1982年には20億ドルの価値を持っていた[4]。当時同社はビデオゲーム市場の80%を占めており[4]、親会社の収入の大半はアタリ社によるもので[5]営業利益の65%から70%を占めていた[4][5]

アタリ社はアーケードゲームを家庭用に移植する戦略をとっており、アステロイドタイトースペースインベーダーナムコパックマンなど移植により大きな商業的成功を収めたゲームもあった。アタリ社によってAtari 2600に移植されたパックマンはアーケードゲームとして多大な人気があり、アタリ社も販売に相当な自信があった。1200万本を製作したが、これはAtari 2600本体の販売台数、1000万台よりも多い本数であった[4]。アタリ社の考えでは5億ドルの売上高が予想されるだけでなく、家庭用版をプレイしたいプレイヤーによって本体の販売台数も数百万は伸びるだろうというものだった[6][7]。しかし、1982年3月に販売開始したゲームはひどい低品質であり[4]、700万本を出荷する大ヒット作となったもののアタリ社には在庫が500万本存在し、さらに相当な数の返品が行われた[6][8]

パックマンの販売数はアタリ社を落胆させるものであったが、深刻な危機は大ヒットした映画「E.T.」のゲーム化によって起こった。ワーナー・コミュニケーションズと監督のスティーヴン・スピルバーグの交渉の結果、製作が決定されたE.T.というゲームは、映画内容をベースにしたゲームで、アーケードゲームの移植ではなく完全な新作であった[4]。後に伝えられるところによれば、ワーナーはゲームのライセンス料として、当時としては非常に高額な2000万から2500万ドルを支払っている[6]。アタリ社は500万本を製造したが[4]、1982年12月の発売時には150万本が売れたのみで、半数以上は在庫として抱えることになった[9]。ゲームは酷評され、今ではゲーム史上最悪の作品の一つと見られている[10][11]ビルボード誌によれば、競争が激化するとともに小売業者はゲーム製作会社へ返品システムを導入するよう要求したが、この大量の不良在庫も一因であったとしている[12]

しかしアタリ社は現在では失敗作とみなされるこれらの作品に対し大きな売り上げを予測し、1982年度の第4四半期には次年度の成長率を50%と見込んでいた[4]。販売店に対しては1982年度分の注文を一度に入れるよう要請していた。しかし売り上げは伸び悩み、販売店はこぞってアタリ社に返品を行った。アタリ社は数百万本もの売れ残った、これら失敗作の不良在庫を抱えてしまっていた[4]。1982年の12月7日に出されたアタリ社の報告書では事前の予想に反し、売上高は10ないし15%上昇のみとなっていた[4]。翌日、ワーナー・コミュニケーションズの株価は3分の1まで下落し、四半期終了時にはワーナーの利益は56%まで落ち込んだ[4]。さらにアタリ社のCEOであったレイ・カサールは、予想を下回る業績を報告する23分前にワーナー株5000株を売却し、インサイダー取引の容疑で後に取調べを受けている。彼の不正行為に関する嫌疑は晴れたが、翌7月には辞任する羽目になった[13]。アタリ社は1983年には5億ドル以上の損失を出し、翌年ワーナーはアタリ社を売却した[4]

廃棄処分

1983年9月、アラモゴード・デイリー・ニュースは一連の記事中で、エル・パソにあるアタリ社の倉庫からセミトレーラー10から20台分[14]の本体およびカートリッジを運び出し、市の処分場に廃棄したと伝えた。アタリ社が市の処分場を利用するのは初めてのことで、ここなら掘り起こされることもないと考え、夜間に廃棄が行われた。アタリ本体の廃棄理由について、Atari 2600からAtari 5200への切り替えのためという説と[15]、本体は廃棄されていないという説がある[16]。アタリ社の役員は返品された「ほとんど修理不能」とアタリ社が判断した不良品をアラモゴードに送ったと述べている[14]

1983年9月27日にUPI通信社は「目撃者はE.T.やパックマン、ミズ・パックマンなどのゲームやゲーム機本体、高額なパソコンが処分されたと語っている」と伝えた[17]ナイトリッダー英語版は9月28日、地元の子供たちが処分場から盗み出していると報じた。報道では「この人口25,000人の町の子供たちは、アタリの墓を盗掘し、E.T.やRaiders of the Lost Ark、Defender、Bezerkといったゲームを持ち出している。」と伝えている[18]

1983年9月28日、ニューヨーク・タイムズはニューメキシコでのアタリの廃棄処分について報じた。アタリ社の代表は報道を認め、処分された在庫は閉鎖されリサイクル施設となっていたエル・パソの工場から運ばれたと述べた[19]。ニューヨーク・タイムズにおいてはアタリ社が何のゲームを処分したかについては述べられておらず、さまざまな情報はあるものの処分されたゲームについては結論は出ていない[4]。アラモゴード・デイリー・ニュースの「City to Atari: 'E.T.' trash go home[注 2]」という記事の見出しはE.T.が埋められたことを示唆しているように思えるが、記事内では見出しにあるE.T.とは「域外(Extra-territorial)」の意味であるとぼかし、ゲームを特定してはいない[14]

1983年9月29日から始まった作業は、処分したものにコンクリートをかけるという廃棄物処理としては異例のものだった。匿名の作業者によると「動物の死体があるから、子供たちがそこを掘るときに怪我をしてしまわないようにするためだ」と語った[16]。結局大量の処分は市からの抗議を受け、当局の人間はエル・パソの産業廃棄物処分場となることに憂慮する声明を出した[14]。地元の管理官はすぐに処分を止めるよう命じた。アラモゴード市では後に緊急管理法(Emergency Management Act)を可決し、また緊急管理特別委員会(Emergency Management Task Force)を設立して産業廃棄物処理業者に一定の制限をかけるようにした[16]

そして伝説へ

さまざまな情報が憶測を呼び、売れ残りのE.T.が350万本近く埋められコンクリート詰めになっているというような話になっていった[20]。Atari Mindlinkコントローラーの試作品がここに埋められたという話もある[21]

廃棄処分に関連した錯綜した情報のせいでE.T.の処分は都市伝説と言われるようにもなった[22]。最初は細部の違いについては信頼できないとしたものが、話そのものが信用できないとなり、後の業界全体の低迷と混同されるようにもなった[23]。2004年4月、E.T.のプログラマーであるハワード・スコット・ワーシャウは何百万ものゲームが処分されたことを信じていないと語った。また彼は、アタリ社で慣例的に行われていた抱き合わせ販売、つまり売れ筋の商品ともう売れなくなった商品を合わせて販売店に引き取らせるやり方が、特定の失敗作よりもアタリ社の没落に大きな影響を与えたと見ている[24]。アタリ没落の原因についてはIGNのトラヴィス・ファスも同様の見解を示している。彼によれば大量の不良在庫というアタリ社の問題は、Atari 2600の売れ行きを過大評価したことから生じたもので、個々のゲームの質によるものではないと考えている[25]。パシフィック・ヒストリカル・レビューの執筆者であるジョン・ウィルズも処分は都市伝説と見ており、「よく知られてはいるが検証されたことはない」としている。トリニティ実験ロズウェル事件の現場近くで起こり、何か謎めいた砂漠地帯であったことも、この話を神話化していくことにつながったのだろうとしている[26]

この事件はまた、ゲーム文化におけるアタリショックの象徴ともいうべきものになっていった。事業で傲慢になることの警鐘としてもよく引き合いに出される[27][28][29]。ただし、実際にはアタリ社はこの処分を減税目的で実行している[28]

ポップ・カルチャーにはこの事件を題材に使った作品が存在する。例えば、Wintergreenの When I Wake Up のミュージックビデオでは、バンドが処分場まで旅をし、捨てられたカートリッジを掘り起こすといったものになっている[30]。この映像を監督したキース・スコフィールドはビデオゲームを題材にしたミュージックビデオを以前にも製作している[31]D・B・ワイスの小説 Lucky Wander Boy はアラモゴードの郊外のシーンで、二人の登場人物に処分場の上に作られた駐車場について議論をさせている[32]The Angry Video Game Nerdの映画版では処分場がストーリーの中心となっている[33]

発掘

2013年5月28日、アラモゴード市委員会はカナダのエンターテイメント企業Fuel Industriesに6ヶ月間、処分場の発掘とそれに関するドキュメンタリー映像を製作する許可を与えた[34]。Xbox Entertainment Studiosはこのドキュメンタリーを2014年にXbox OneXbox 360で独占配信する予定である[35]。ニューメキシコ州環境局の環境保護部廃棄物課から潜在的な危険があるという指摘を受けて発掘の実行は中止されていたが、2014年4月に問題は解決され発掘が実施されることになった[36]。発掘は2014年4月26日に開始され、一般に公開される予定である[37]。E.T.のデザイナー、ハワード・スコット・ワーシャウとディレクターのザック・ペンもこのイベントに参加予定である[38]。同日、発掘が開始され、『E.T.』が発掘されたことにより、都市伝説は真実となった[39]

脚注

注釈

  1. ^ 『ファミコンとその時代: テレビゲームの誕生』2013年(NTT出版)によれば買収は1977年10月[2]、About.comの記事では1976年[3]となっている。
  2. ^ 映画E.T.は地球外生命体のE.T.が自分の星に帰ろうとする(go home)というストーリーになっている。

出典

  1. ^ Hubner, John; Kistner Jr, William F (1983-12-05). “What went wrong at Atari?”. InfoWorld 5 (49): 145-155. http://books.google.com/books?id=6C8EAAAAMBAJ&pg=PA145 2011年9月10日閲覧。. 
  2. ^ 上村雅之、細井浩一、中村彰憲『ファミコンとその時代: テレビゲームの誕生NTT出版、2013年、53頁。ISBN 978-4757170469http://books.google.co.jp/books?id=tCNSJOGndeEC&pg=PA53 
  3. ^ Atari - The History of Atari Computers” (2014年4月11日). 2014年4月11日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m Buried Atari Cartridges”. Snopes.com (2011年5月10日). 2011年9月10日閲覧。
  5. ^ a b Staff (2011-08). “From the Archives: Atari Inc”. Retro Gamer (93): 88. 
  6. ^ a b c Staff (1998-04). “What the hell happened?”. Next Generation Magazine (Imagine Media) (40): 41. 
  7. ^ Kent, Steven (2001). “The Fall”. The Ultimate History of Video Games. Three Rivers Press. pp. 227-228. ISBN 0-7615-3643-4 
  8. ^ Goodman, Danny (Spring 1983). “Pac-Mania”. Creative Computing Video & Arcade Games 1 (1): 122. 
  9. ^ Buchanan, Levi (2008年8月26日). “IGN: Top 10 Best-Selling Atari 2600 Games”. IGN. 2011年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年9月10日閲覧。
  10. ^ Pileggi, Nicholas (1983-01-24). “The Warner Case: Curiouser and Curiouser”. New York 16 (4): 26. 
  11. ^ Townsend, Emru (2006年10月23日). “The 10 Worst Games of All Time”. PC World. 2011年9月19日閲覧。
  12. ^ Paige, Earl (1983-01-08). “Video Game Firms Ready Formal Returns Policies”. ビルボード 95 (1): 1, 21. 
  13. ^ Hubner, John; Kistner Jr, William F (1983-11-28). “What went wrong at Atari?”. InfoWorld 5 (48): 151-158. http://books.google.co.uk/books?id=sy8EAAAAMBAJ&pg=PA151 2011年9月10日閲覧。. 
  14. ^ a b c d McQuiddy, Marian (1983年9月27日). “City to Atari: 'E.T.' trash go home”. Alamogordo Daily News. "正確な台数は不明である。地元のBFIの職員によれば10台であるが、ヒューストンの広報担当者によれば20台近く、市の職員は14台であるという。" 
  15. ^ McQuiddy, Marian (1983年9月25日). “Dump here utilized”. Alamogordo Daily News. "トレーラーの運転手によれば、違法な取引が多いため2600から5200への変更が行われ、そのために運んでいると語った。" 
  16. ^ a b c McQuiddy, Marian (1983年9月28日). “City cementing ban on dumping: Landfill won't house anymore 'Atari rejects'”. Alamogordo Daily News. "匿名の自称アタリの関係者の話では、廃棄処分は2600シリーズから5200シリーズへの移行のためではなく、処分されたのはカートリッジだけであるという。" 
  17. ^ “City dump gobbles Pacman”. The Hawk Eye. UPI通信社. (1983年9月27日) 
  18. ^ “'Pac Kids' gobble up dumped Atari cartridges”. Chronicle-Telegram. Knight-Ridder. (1983年9月28日) 
  19. ^ Atari Parts Are Dumped”. ニューヨーク・タイムズ (1983年9月28日). 2014年4月11日閲覧。
  20. ^ Smith, Shelley (2005年4月12日). “The 1983 Atari Titanic is rising”. Alamogordo Daily News 
  21. ^ Montfort, Nick; Bogost, Ian (2009). Racing the Beam: The Atari Video Computer System. MIT Press. p. 127. ISBN 0-262-01257-X 
  22. ^ Berens, Kate; Howard, Geoff (2008-09-16). The Rough Guide to Videogames. Rough Guides. p. 7. ISBN 1-84353-995-0 
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  25. ^ Wills, John (2008). “Pixel Cowboys and Silicon Gold Mines: Videogames of the American West”. Pacific Historical Review (University of California Press) 77 (2): 273-275. doi:10.1525/phr.2008.77.2.273. JSTOR 10.1525/phr.2008.77.2.273. 
  26. ^ Dvorak, John C (1985-08-12). “Is the PCJr Doomed To Be Landfill?”. InfoWorld 7 (32): 64. http://books.google.co.uk/books?id=Ai8EAAAAMBAJ&pg=RA1-PA64&dq=atari+landfill#v=onepage&q=atari%20landfill&f=false 2011年9月10日閲覧。. 
  27. ^ a b Jary, Simon (2011年8月19日). “HP TouchPads to be dumped in landfill?”. PC Advisor. 2011年9月10日閲覧。
  28. ^ Kennedy, James (2011年8月20日). “Book Review: Super Mario - WSJ.com”. ウォール・ストリート・ジャーナル. 2011年9月10日閲覧。
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  30. ^ Brown, Damon (2006-05). “Reset for Life”. [[スピン (雑誌)|]]: 99. http://books.google.com/books?id=BvUVT5TnUCwC&pg=PT36&dq=atari+new+mexico#v=onepage&q=atari%20new%20mexico&f=false 2011年9月22日閲覧。. 
  31. ^ Weiss, D.B. (2003). Lucky Wander Boy. Plume. pp. 177, 193-195. ISBN 0-452-28394-9 
  32. ^ 'Angry Video Game Nerd: The Movie' - Trailer”. Cinemassacre Productions (2012年11月10日). 2012年11月11日閲覧。
  33. ^ Goldsmith, Alex (2013年5月30日). “Alamogordo approves Atari excavation”. KRQE. LIN Television Corporation. 2013年6月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月31日閲覧。
  34. ^ Kevin Chieng (2013年12月19日). “Documentary Debut on Xbox Will Explore E.T. Atari Landfill”. GameTrailers.com. 2014年4月11日閲覧。
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  36. ^ Nunneley, Stephanny (2014年4月10日). “Microsoft invite you to attend the Atari Landfill excavation on April 26”. VG247. 2014年4月10日閲覧。
  37. ^ Xbox Wire Staff (2014年4月10日). “Witness Video Game History: Attend Atari Landfill Excavation on April 26”. 2014年4月11日閲覧。
  38. ^ 都市伝説は本当だった、ニューメキシコ州「Atariの墓」から最悪のクソゲー『E.T.』が発掘される - インサイド、2014年4月27日

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