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{{File clip | Miyako Bay, Jodogahama and central Miyako City from Gassan.jpg | width = 300 | 25 | 0 | 10 | 0 | w = 800 | h = 534 | [[重茂半島]]の月山 (455.9 m) 山頂から見た宮古湾・[[浄土ヶ浜]]および[[宮古市]]中心部}}
'''宮古湾'''(みやこわん)は[[岩手県]]中部の東側にある[[湾]]。[[リアス式海岸]]であり、幅3km長さ6km。北東側に開け、[[太平洋]]と繋がっている。湾の西側には[[宮古市]]および[[宮古港]]があり、東側は急峻な山地で人家は少ない。主な流入河川として[[閉伊川]]、[[津軽石川]]がある。また、観光地として知られる[[浄土ヶ浜]]も湾内にある。
'''宮古湾'''(みやこわん)は[[岩手県]]中部の東側にある[[湾]]。


==地勢==
[[ワカメ]]などの養殖が行われている<ref>http://www.emecs.or.jp/closedsea-jp/kaiiki/pdf/022.pdf</ref>ほか、毎年7月にはカッターレースが開催されている<ref>[http://www.city.miyako.iwate.jp/cb/hpc/Article-2097.html 宮古湾カッターレース(宮古市役所)]</ref>。
[[ファイル:Gulf Miyako 02.jpg|300px|right|thumb|海域を定める岬の位置関係]]
宮古湾は[[リアス海岸]]の[[陸中海岸]]に位置する海域の名称で、南西から北東に細長い湾となって[[太平洋]]と接続している<ref name="講談社_宮古湾"/>。

海域の定義は複数あり、[[環境省]]などでは南の[[重茂半島]]の先端にある[[閉伊崎]]と、北の姉ヶ崎を結ぶ線を湾口としており、湾口の幅は4.8km、面積は約24km<sup>2</sup>としている<ref name="環境省_宮古湾"/><ref name="エメックス_宮古湾"/>。一方、『[[ブリタニカ百科事典|ブリタニカ国際大百科事典]]』などでは、[[閉伊崎]]と、姉ヶ崎よりも手前にある臼木山(臼木半島)の先端の館ヶ崎を結ぶ海域としており、この場合の湾口は約4kmである<ref name="ブリタニカ_宮古湾"/><ref name="小学館_宮古湾"/>。

湾の奥行きは約10kmあり、湾の最奥部で南から[[津軽石川]]が流入しているほか、湾の中央西側から[[閉伊川]]が注いでいる<ref name="小学館_宮古湾"/><ref name="日立_宮古湾"/>。

湾内の水深は20mから60m<ref name="小学館_宮古湾"/>、環境省の定義による広い範囲を含めると最大水深約76mである<ref name="環境省_宮古湾"/>。海底は湾の奥部が砂になっているほかは泥質である<ref name="エメックス_宮古湾"/>。

湾の西岸には[[宮古市]]の市街地が形成され、閉伊川の河口には[[宮古港]]がある<ref name="日立_宮古湾"/>。その北側の臼木山(臼木半島)には「大沢海岸」によって囲われた小さな湾状の地形があり、[[浄土ヶ浜]]と呼ばれる景勝地(国の[[名勝]])になっている<ref name="講談社_宮古湾"/><ref name="エメックス_宮古湾"/>。湾の東岸は急峻な山地で、長さ12kmに及ぶ断層がみられる<ref name="日立_宮古湾"/>。

==利用==
[[File:Jōdogahama 03.jpg|right|300px|thumb|国の名勝になっている浄土ヶ浜]]
宮古市街地を流れる閉伊川が注いでいるが、水質は良好である。[[化学的酸素要求量]](COD)は概ね1mg/lで推移し、海域A類型の環境基準値2mg/lをクリアしている<ref name="環境省_宮古湾"/><ref name="エメックス_宮古湾"/>。

;水産業
宮古湾の沖合はいわゆる[[潮目]]になっており、[[黒潮]]と[[親潮]]がぶつかる良好な漁場である。冷涼な気候のため、特に夏季は[[海霧]]が生じやすい<ref name="エメックス_宮古湾"/>。河口付近で遠浅の砂地になっているのに対し、東の重茂半島側では急峻な岩場や岩礁が発達しており、湾内は多様な環境になっている<ref name="宮古市_漁業史"/>。また、[[北上山地]]を流れてくる[[閉伊川]]や[[津軽石川]]が上流から運んでくる栄養分によって海藻類や貝類が豊富で、養殖漁業にも適している<ref name="宮古市_漁業史"/><ref name="宮古市_体験"/>。

湾岸は[[藻場]]に富み、宮古港がある西岸の閉伊川河口付近は[[アマモ|アマモ場]]{{refnest|group="注"|海底が砂地で、内海の穏やかな海域で形成される。産卵や稚魚の成長に向く。<ref name="水産庁_藻場"/>}}、東岸の岩崖にはガラモ場{{refnest|group="注"|[[ホンダワラ]]などからなる藻場。藻に無数の気泡が付着して林立し、魚類の産卵や稚魚の生息に極めて適する環境になる。<ref name="水産庁_藻場"/>}}が発達している<ref name="エメックス_宮古湾"/>。

宮古港は特に[[サケ]]の水揚げが多く<ref name="エメックス_宮古湾"/>、本州内では1位(2013年)<ref name="宮古市_概要"/><ref name="農水省_H23"/>{{refnest|group="注"|2011年(平成23年)の農林水産省の統計では、宮古港のサケ類(生)の水揚げ量は2886トンで、本州1位である。本州内の2位は[[志津川港]](1475トン)、3位は[[大船渡港]](1470トン)などとなっており、2位以下に倍近い差をつけている。全国では[[北海道]]の[[羅臼港]]が7395トンで1位、[[根室港]](5619トン)が2位で、宮古港は全国3位となる。<ref name="農水省_H23"/>}}。[[タラ]]の水揚げも全国1位(2011年)<ref name="農水省_H23"/>。[[養殖業]]としては、湾内で[[ワカメ]]、[[コンブ]]、[[ノリ]]、[[ホタテ]]、[[カキ]]などの養殖が行われている<ref name="環境省_宮古湾"/><ref name="小学館_宮古湾"/>。[[アワビ]]は水揚げ量では全国10位程度だが、卸売価格では全国2位(2011年)<ref name="農水省_H23"/>。このほか[[栽培漁業]]として[[ニシン]]、[[クロソイ]]、[[ヒラメ]]、[[ホシガレイ]]などの稚魚の上流が行われている<ref name="宮古市_栽培"/>。

'''[[宮古港]]'''は国内に102ヶ所指定されている[[重要港湾]]の一つである<ref name="岩手県_宮古港の概要"/>。港は江戸時代の開港とされ、三陸地方有数の物流拠点として発展してきた<ref name="宮古市_開港"/><ref name="宮古市_漁業史"/>。近代以降は鉱工業と木材工業の隆盛によって貨物の取扱が拡大し、1927年(昭和2年)に第二種重要港湾となって国の直轄事業で港湾整備が営まれてきた<ref name="岩手県_宮古港の概要"/>。1998年(平成10年)には[[横浜港]]と結ぶ内航フィーダー船の定期航路が拓かれ、[[盛岡市]]と宮古港を結ぶ[[宮古盛岡横断道路]]の整備が進められている<ref name="岩手県_宮古港の概要"/>。

このほか、湾内にはいくつもの漁港がある。最奥部の津軽石川河口には津軽石漁港([[漁港#日本における漁港の種類|第1種漁港]])<ref name="宮古市_津軽石漁港"/>、浄土ヶ浜の付近には蛸の浜漁港(第1種漁港)<ref name="宮古市_蛸の浜漁港"/>、湾の入り口にあたる北端の西岸には日出島漁港(第1種漁港)<ref name="宮古市_日出島漁港"/>、東岸の重茂半島には中央部に白浜漁港(第1種漁港)<ref name="宮古市_白浜漁港"/>、北端近くに浦の沢漁港(第1種漁港)<ref name="宮古市_浦の沢漁港"/>がある。

;レジャー
夏季には湾内で[[カッターボート]]や[[シーカヤック]]のレース大会<ref name="宮古市_カッター"/><ref name="宮古市_カヤック"/>や「宮古湾ボート天国」と称するマリンスポーツのイベント<ref name="宮古市_天国"/>が定期的に開催されている。


==歴史==
==歴史==
[[ファイル:Kaiten vs Kotetu.jpg|right|thumb|300px|[[宮古湾海戦]]での[[回天丸]]と[[甲鉄]]]]
[[戊辰戦争]]で[[宮古湾海戦]]が戦われた。
[[File:US Navy 110320-M-0145H-063 A large ferry boat rests inland amidst destroyed houses after a 9.0 earthquake and subsequent tsunami struck Japan March.jpg|thumb|300px|right|[[東日本大震災]]の津波被害を受けた宮古港のある宮古市港町地区。]]
湾周辺には様々な遺跡が分布し、古くからヒトの定住があったことを示唆している<ref name="エメックス_宮古湾"/>。歴史の記録が本格化するのは[[鎌倉時代]]に[[閉伊氏]]が入って以降とされている<ref name="エメックス_宮古湾"/>。閉伊氏以降、宮古を根城とする豪族が一帯を支配したが、戦国期以降は[[南部氏]]がこの地域を征し、[[盛岡藩]]の下に置かれるようになった<ref name="エメックス_宮古湾"/>。

1611年([[慶長]]16年)の[[慶長三陸地震]]では沿岸一帯で深刻な被害を受けた<ref name="宮古市_利直公"/>。この年に[[南部利直]]によって宮古に代官所が拓かれ、1615年([[元和]]1年)には利直自ら宮古を視察し、宮古を藩港と定めた<ref name="宮古市_利直公"/>。宮古ではこの年を宮古港の開港年としており、2015年には開港400年祭を期して様々なイベントが行われた<ref name="宮古市_開港"/><ref name="宮古市_400"/>。

江戸時代中期の史料では、さまざまな魚介類や、[[鰹節]]、[[魚油]]、[[鰊粕|〆粕]]、[[干鰯]]などの加工品、塩などが産物として記録されており、交易品として他藩へ出荷されていた<ref name="宮古市_漁業史"/>。なかでも[[アワビ]]や[[ナマコ]]の乾物は[[俵物|長崎俵物]]と称する[[清国]]向けの輸出品となった<ref name="宮古市_漁業史"/>。これらの輸送を請け負う[[廻船問屋]]によって町は栄え、太平洋岸の[[那珂湊]]、[[銚子]]や北海道とも結ぶ航路が発達した<ref name="宮古市_漁業史"/>。

[[幕末]]期には外国船の接近に備えて湾岸に[[台場]]が整備された<ref name="宮古市_漁業史"/>。[[戊辰戦争]]では、1869年(明治2年)に[[蝦夷共和国|旧幕府軍]]の[[回天丸]]など3隻と[[新政府軍]]の[[甲鉄]]など8隻の軍艦による海戦がおきている([[宮古湾海戦]])<ref name="宮古市_海戦"/>。

[[明治]]以降は河口付近の埋め立てが進み、宮古港の港湾施設が拡大整備されて三陸地方の代表的な港として発展した<ref name="宮古市_埋立"/>。明治中期には[[東海汽船|東京湾汽船]]の貨客の定期便が就航して東京と東北地方の運輸を独占的に支配したが、これに対抗して明治末期に地元が設立した[[三陸汽船]]が優勢になり、最終的には東京湾汽船が競争に敗れて撤退した<ref name="宮古市_埋立"/><ref name="佐藤論文"/>。

[[三陸海岸]]の宮古以北では[[海岸段丘]]が発達しており、港の適地が少ない<ref name="学研2010_330"/>。宮古以南では[[大船渡港]]、[[気仙沼港]]、[[石巻港]]など、リアス海岸の入江を利用した大きな漁港が点在するが、宮古以北では[[八戸港]]・[[久慈港]]など、大きな港は限定的だった。リアス海岸では一般に海岸沿いの平地が狭く港湾設備用地に乏しいうえに、三陸地方は大量消費地からも遠かったため、比較的小規模な沿岸漁業や加工向けの漁業が行われてきた。宮古港では埋め立てによって港湾設備を整え、漁獲物の集積地や大型の船舶の寄港能力を確保し、関東方面への鮮魚の出荷を可能としたことで、[[遠洋漁業]]・[[北洋漁業]]の大規模拠点となっていった<ref name="学研1972_390"/><ref name="学研2010_330"/>。

埋め立てと港湾整備は大正・昭和期も続けられ、1969年(昭和44年)には4万トン級の接岸が可能になった<ref name="宮古市_大正"/><ref name="宮古市_昭和前"/><ref name="宮古市_昭和後"/>。2011年(平成23年)の[[東日本大震災]]では津波による被害で港湾地区は壊滅し、復興が行われている<ref name="講談社_宮古湾"/>。

==脚注==
===注釈===
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist|group="注"}}
===出典===
{{Reflist|2|refs=
<!--各種文献-->
*<ref name="ブリタニカ_宮古湾">『[[ブリタニカ百科事典|ブリタニカ国際大百科事典]]』([[コトバンク]] [https://kotobank.jp/word/宮古湾-139553 宮古湾]による)2015年12月11日閲覧。</ref>
*<ref name="日立_宮古湾">『世界大百科事典 第2版』株式会社日立ソリューションズ・クリエイト)([[コトバンク]] [https://kotobank.jp/word/宮古湾-139553 宮古湾]による)2015年12月11日閲覧。</ref>
*<ref name="講談社_宮古湾">『日本の地名がわかる事典』[[講談社]])([[コトバンク]] [https://kotobank.jp/word/宮古湾-139553 宮古湾]による)2015年12月11日閲覧。</ref>
*<ref name="小学館_宮古湾">『[[日本大百科全書]](ニッポニカ)』[[小学館]])([[コトバンク]] [https://kotobank.jp/word/宮古湾-139553 宮古湾]による)2015年12月11日閲覧。</ref>
*<ref name="環境省_宮古湾">[[環境省]] 閉鎖性海域ネット
[https://www.env.go.jp/water/heisa/heisa_net/waters/miyakowan.html 宮古湾] 2015年12月11日閲覧。</ref>
*<ref name="エメックス_宮古湾">公益財団法人 国際エメックスセンター 閉鎖性海域情報
{{PDFlink|[http://www.emecs.or.jp/upload/encsea/kaiiki/022.pdf 宮古湾]}} 2015年12月11日閲覧。</ref>


<!--水産業関連-->
*<ref name="水産庁_藻場">[[水産庁]] [http://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/tamenteki/kaisetu/moba/moba_genjou/syurui.html 藻場の種類]2015年12月11日閲覧。</ref>
*<ref name="宮古市_栽培">[[宮古市]] 産業振興部水産課[http://www.city.miyako.iwate.jp/suisan/suisankosin_work.html 水産振興担当の主な仕事]2015年12月11日閲覧。</ref>
*<ref name="宮古市_体験">[[宮古市]] 産業振興部商業観光課[http://www.city.miyako.iwate.jp/kanko/morikawaumi.html 森・川・海体験交流事業]2015年12月11日閲覧。</ref>
*<ref name="宮古市_概要">[[宮古市]] 産業振興部産業支援センター[http://www.city.miyako.iwate.jp/sangyo/aboutmiyakokou_outline.html 宮古港について 概要]2015年12月11日閲覧。</ref>

*<ref name="宮古市_津軽石漁港">[[宮古市]] 産業振興部水産課 [http://www.city.miyako.iwate.jp/suisan/tugaruisi_gyoko.html 津軽石漁港]2015年12月11日閲覧。</ref>

*<ref name="宮古市_白浜漁港">[[宮古市]] 産業振興部水産課 [http://www.city.miyako.iwate.jp/suisan/sirahama_gyoko.html 津白浜漁港]2015年12月11日閲覧。</ref>

*<ref name="宮古市_浦の沢漁港">[[宮古市]] 産業振興部水産課 [http://www.city.miyako.iwate.jp/suisan/uranosawa_gyoko.html 浦の沢漁港]2015年12月11日閲覧。</ref>

*<ref name="宮古市_日出島漁港">[[宮古市]] 産業振興部水産課 [http://www.city.miyako.iwate.jp/suisan/hidejima_gyoko.html 日出島漁港]2015年12月11日閲覧。</ref>

*<ref name="宮古市_蛸の浜漁港">[[宮古市]] 産業振興部水産課 [http://www.city.miyako.iwate.jp/suisan/takonohama_gyoko.html 蛸の浜漁港]2015年12月11日閲覧。</ref>

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*<ref name="農水省_H23">[[農林水産省]] 統計情報 分野別分類・水産業 {{XLSlink|[http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Xlsdl.do?sinfid=000031140140 2011年漁港別品目別上場水揚量・価格]}}2015年12月11日閲覧。</ref>

*<ref name="学研1972_390">『新訂 学習カラー百科 1 日本の地理』,p390-391「三陸の漁業」</ref>
*<ref name="学研2010_330">『学研ハイベスト教科事典(日本地理)』,p330-331「三陸の漁業」</ref>


<!--レジャー関連-->
*<ref name="宮古市_カッター">[[宮古市]] 産業振興部商業観光課[http://www.city.miyako.iwate.jp/kanko/katta-race.html 宮古港カッターレース]2015年12月11日閲覧。</ref>
*<ref name="宮古市_天国">[[宮古市]] 産業振興部商業観光課[http://www.city.miyako.iwate.jp/kanko/miyakowanboat.html 宮古湾ボート天国]2015年12月11日閲覧。</ref>
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<!--歴史関連-->
*<ref name="宮古市_漁業史">[[宮古市]] 産業振興部産業支援センター[http://www.city.miyako.iwate.jp/sangyo/port_400/history/miyako_port_history_5.html 宮古港の漁業と交易]2015年12月11日閲覧。</ref>

*<ref name="宮古市_利直公">[[宮古市]] 産業振興部産業支援センター[http://www.city.miyako.iwate.jp/sangyo/port_400/history/miyako_port_history_1.html 南部利直公と宮古港]2015年12月11日閲覧。</ref>

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*<ref name="宮古市_400">[[宮古市]] 産業振興部産業支援センター[http://www.city.miyako.iwate.jp/sangyo/port_400/project_event.html 宮古港開港400周年記念事業・イベント]2015年12月11日閲覧。</ref>

*<ref name="宮古市_海戦">[[宮古市]] 産業振興部産業支援センター[http://www.city.miyako.iwate.jp/sangyo/port_400/naval_battle_of_miyako_port.html 宮古港海戦]2015年12月11日閲覧。</ref>

*<ref name="宮古市_埋立">[[宮古市]] 産業振興部産業支援センター[http://www.city.miyako.iwate.jp/sangyo/port_400/history/miyako_port_history_7.html 明治の宮古湾埋め立て]2015年12月11日閲覧。</ref>

*<ref name="佐藤論文">農業経済研究報告 (40), 49-64, 2009-02,東北大学農学部農業経営学研究室,佐藤史吉,{{PDFlink|[http://ir.library.tohoku.ac.jp/re/bitstream/10097/44335/1/AN0020090709005.pdf 「地場資本の機能と限界 明治期の三陸汽船会社を事例に」]}}2015年12月11日閲覧。</ref>

*<ref name="宮古市_大正">[[宮古市]] 産業振興部産業支援センター[http://www.city.miyako.iwate.jp/sangyo/port_400/history/miyako_port_history_8.html 大正時代の鍬ヶ崎埋立て]2015年12月11日閲覧。</ref>

*<ref name="宮古市_昭和前">[[宮古市]] 産業振興部産業支援センター[http://www.city.miyako.iwate.jp/sangyo/port_400/history/miyako_port_history_9.html 昭和の宮古港修築]2015年12月11日閲覧。</ref>

*<ref name="宮古市_昭和後">[[宮古市]] 産業振興部産業支援センター[http://www.city.miyako.iwate.jp/sangyo/port_400/history/miyako_port_history_10.html 戦後の宮古港修築]2015年12月11日閲覧。</ref>


}}
== 注釈 ==
==参考文献==
<references />
*『新訂 学習カラー百科 1 日本の地理』,[[学習研究社]],1972,1973(第3刷)
*『学研ハイベスト教科事典(日本地理)』,学研ネクスト,2001,2010(新装版初版)


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2015年12月23日 (水) 02:53時点における版

重茂半島の月山 (455.9 m) 山頂から見た宮古湾・浄土ヶ浜および宮古市中心部
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重茂半島の月山 (455.9 m) 山頂から見た宮古湾・浄土ヶ浜および宮古市中心部

宮古湾(みやこわん)は岩手県中部の東側にある

地勢

海域を定める岬の位置関係

宮古湾はリアス海岸陸中海岸に位置する海域の名称で、南西から北東に細長い湾となって太平洋と接続している[1]

海域の定義は複数あり、環境省などでは南の重茂半島の先端にある閉伊崎と、北の姉ヶ崎を結ぶ線を湾口としており、湾口の幅は4.8km、面積は約24km2としている[2][3]。一方、『ブリタニカ国際大百科事典』などでは、閉伊崎と、姉ヶ崎よりも手前にある臼木山(臼木半島)の先端の館ヶ崎を結ぶ海域としており、この場合の湾口は約4kmである[4][5]

湾の奥行きは約10kmあり、湾の最奥部で南から津軽石川が流入しているほか、湾の中央西側から閉伊川が注いでいる[5][6]

湾内の水深は20mから60m[5]、環境省の定義による広い範囲を含めると最大水深約76mである[2]。海底は湾の奥部が砂になっているほかは泥質である[3]

湾の西岸には宮古市の市街地が形成され、閉伊川の河口には宮古港がある[6]。その北側の臼木山(臼木半島)には「大沢海岸」によって囲われた小さな湾状の地形があり、浄土ヶ浜と呼ばれる景勝地(国の名勝)になっている[1][3]。湾の東岸は急峻な山地で、長さ12kmに及ぶ断層がみられる[6]

利用

国の名勝になっている浄土ヶ浜

宮古市街地を流れる閉伊川が注いでいるが、水質は良好である。化学的酸素要求量(COD)は概ね1mg/lで推移し、海域A類型の環境基準値2mg/lをクリアしている[2][3]

水産業

宮古湾の沖合はいわゆる潮目になっており、黒潮親潮がぶつかる良好な漁場である。冷涼な気候のため、特に夏季は海霧が生じやすい[3]。河口付近で遠浅の砂地になっているのに対し、東の重茂半島側では急峻な岩場や岩礁が発達しており、湾内は多様な環境になっている[7]。また、北上山地を流れてくる閉伊川津軽石川が上流から運んでくる栄養分によって海藻類や貝類が豊富で、養殖漁業にも適している[7][8]

湾岸は藻場に富み、宮古港がある西岸の閉伊川河口付近はアマモ場[注 1]、東岸の岩崖にはガラモ場[注 2]が発達している[3]

宮古港は特にサケの水揚げが多く[3]、本州内では1位(2013年)[10][11][注 3]タラの水揚げも全国1位(2011年)[11]養殖業としては、湾内でワカメコンブノリホタテカキなどの養殖が行われている[2][5]アワビは水揚げ量では全国10位程度だが、卸売価格では全国2位(2011年)[11]。このほか栽培漁業としてニシンクロソイヒラメホシガレイなどの稚魚の上流が行われている[12]

宮古港は国内に102ヶ所指定されている重要港湾の一つである[13]。港は江戸時代の開港とされ、三陸地方有数の物流拠点として発展してきた[14][7]。近代以降は鉱工業と木材工業の隆盛によって貨物の取扱が拡大し、1927年(昭和2年)に第二種重要港湾となって国の直轄事業で港湾整備が営まれてきた[13]。1998年(平成10年)には横浜港と結ぶ内航フィーダー船の定期航路が拓かれ、盛岡市と宮古港を結ぶ宮古盛岡横断道路の整備が進められている[13]

このほか、湾内にはいくつもの漁港がある。最奥部の津軽石川河口には津軽石漁港(第1種漁港[15]、浄土ヶ浜の付近には蛸の浜漁港(第1種漁港)[16]、湾の入り口にあたる北端の西岸には日出島漁港(第1種漁港)[17]、東岸の重茂半島には中央部に白浜漁港(第1種漁港)[18]、北端近くに浦の沢漁港(第1種漁港)[19]がある。

レジャー

夏季には湾内でカッターボートシーカヤックのレース大会[20][21]や「宮古湾ボート天国」と称するマリンスポーツのイベント[22]が定期的に開催されている。

歴史

宮古湾海戦での回天丸甲鉄
東日本大震災の津波被害を受けた宮古港のある宮古市港町地区。

湾周辺には様々な遺跡が分布し、古くからヒトの定住があったことを示唆している[3]。歴史の記録が本格化するのは鎌倉時代閉伊氏が入って以降とされている[3]。閉伊氏以降、宮古を根城とする豪族が一帯を支配したが、戦国期以降は南部氏がこの地域を征し、盛岡藩の下に置かれるようになった[3]

1611年(慶長16年)の慶長三陸地震では沿岸一帯で深刻な被害を受けた[23]。この年に南部利直によって宮古に代官所が拓かれ、1615年(元和1年)には利直自ら宮古を視察し、宮古を藩港と定めた[23]。宮古ではこの年を宮古港の開港年としており、2015年には開港400年祭を期して様々なイベントが行われた[14][24]

江戸時代中期の史料では、さまざまな魚介類や、鰹節魚油〆粕干鰯などの加工品、塩などが産物として記録されており、交易品として他藩へ出荷されていた[7]。なかでもアワビナマコの乾物は長崎俵物と称する清国向けの輸出品となった[7]。これらの輸送を請け負う廻船問屋によって町は栄え、太平洋岸の那珂湊銚子や北海道とも結ぶ航路が発達した[7]

幕末期には外国船の接近に備えて湾岸に台場が整備された[7]戊辰戦争では、1869年(明治2年)に旧幕府軍回天丸など3隻と新政府軍甲鉄など8隻の軍艦による海戦がおきている(宮古湾海戦[25]

明治以降は河口付近の埋め立てが進み、宮古港の港湾施設が拡大整備されて三陸地方の代表的な港として発展した[26]。明治中期には東京湾汽船の貨客の定期便が就航して東京と東北地方の運輸を独占的に支配したが、これに対抗して明治末期に地元が設立した三陸汽船が優勢になり、最終的には東京湾汽船が競争に敗れて撤退した[26][27]

三陸海岸の宮古以北では海岸段丘が発達しており、港の適地が少ない[28]。宮古以南では大船渡港気仙沼港石巻港など、リアス海岸の入江を利用した大きな漁港が点在するが、宮古以北では八戸港久慈港など、大きな港は限定的だった。リアス海岸では一般に海岸沿いの平地が狭く港湾設備用地に乏しいうえに、三陸地方は大量消費地からも遠かったため、比較的小規模な沿岸漁業や加工向けの漁業が行われてきた。宮古港では埋め立てによって港湾設備を整え、漁獲物の集積地や大型の船舶の寄港能力を確保し、関東方面への鮮魚の出荷を可能としたことで、遠洋漁業北洋漁業の大規模拠点となっていった[29][28]

埋め立てと港湾整備は大正・昭和期も続けられ、1969年(昭和44年)には4万トン級の接岸が可能になった[30][31][32]。2011年(平成23年)の東日本大震災では津波による被害で港湾地区は壊滅し、復興が行われている[1]

脚注

注釈

  1. ^ 海底が砂地で、内海の穏やかな海域で形成される。産卵や稚魚の成長に向く。[9]
  2. ^ ホンダワラなどからなる藻場。藻に無数の気泡が付着して林立し、魚類の産卵や稚魚の生息に極めて適する環境になる。[9]
  3. ^ 2011年(平成23年)の農林水産省の統計では、宮古港のサケ類(生)の水揚げ量は2886トンで、本州1位である。本州内の2位は志津川港(1475トン)、3位は大船渡港(1470トン)などとなっており、2位以下に倍近い差をつけている。全国では北海道羅臼港が7395トンで1位、根室港(5619トン)が2位で、宮古港は全国3位となる。[11]

出典

  1. ^ a b c 『日本の地名がわかる事典』講談社)(コトバンク 宮古湾による)2015年12月11日閲覧。
  2. ^ a b c d 環境省 閉鎖性海域ネット 宮古湾 2015年12月11日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j 公益財団法人 国際エメックスセンター 閉鎖性海域情報 宮古湾 (PDF) 2015年12月11日閲覧。
  4. ^ ブリタニカ国際大百科事典』(コトバンク 宮古湾による)2015年12月11日閲覧。
  5. ^ a b c d 日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館)(コトバンク 宮古湾による)2015年12月11日閲覧。
  6. ^ a b c 『世界大百科事典 第2版』株式会社日立ソリューションズ・クリエイト)(コトバンク 宮古湾による)2015年12月11日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g 宮古市 産業振興部産業支援センター宮古港の漁業と交易2015年12月11日閲覧。
  8. ^ 宮古市 産業振興部商業観光課森・川・海体験交流事業2015年12月11日閲覧。
  9. ^ a b 水産庁 藻場の種類2015年12月11日閲覧。
  10. ^ 宮古市 産業振興部産業支援センター宮古港について 概要2015年12月11日閲覧。
  11. ^ a b c d 農林水産省 統計情報 分野別分類・水産業 (Microsoft Excelの.xls)2015年12月11日閲覧。
  12. ^ 宮古市 産業振興部水産課水産振興担当の主な仕事2015年12月11日閲覧。
  13. ^ a b c 岩手県 県土整備部 港湾課 港湾担当 宮古港の概要2015年12月11日閲覧。
  14. ^ a b 宮古市 産業振興部産業支援センター宮古港の開港2015年12月11日閲覧。
  15. ^ 宮古市 産業振興部水産課 津軽石漁港2015年12月11日閲覧。
  16. ^ 宮古市 産業振興部水産課 蛸の浜漁港2015年12月11日閲覧。
  17. ^ 宮古市 産業振興部水産課 日出島漁港2015年12月11日閲覧。
  18. ^ 宮古市 産業振興部水産課 津白浜漁港2015年12月11日閲覧。
  19. ^ 宮古市 産業振興部水産課 浦の沢漁港2015年12月11日閲覧。
  20. ^ 宮古市 産業振興部商業観光課宮古港カッターレース2015年12月11日閲覧。
  21. ^ 宮古市 産業振興部商業観光課三陸シーカヤックマラソン2015年12月11日閲覧。
  22. ^ 宮古市 産業振興部商業観光課宮古湾ボート天国2015年12月11日閲覧。
  23. ^ a b 宮古市 産業振興部産業支援センター南部利直公と宮古港2015年12月11日閲覧。
  24. ^ 宮古市 産業振興部産業支援センター宮古港開港400周年記念事業・イベント2015年12月11日閲覧。
  25. ^ 宮古市 産業振興部産業支援センター宮古港海戦2015年12月11日閲覧。
  26. ^ a b 宮古市 産業振興部産業支援センター明治の宮古湾埋め立て2015年12月11日閲覧。
  27. ^ 農業経済研究報告 (40), 49-64, 2009-02,東北大学農学部農業経営学研究室,佐藤史吉,「地場資本の機能と限界 明治期の三陸汽船会社を事例に」 (PDF) 2015年12月11日閲覧。
  28. ^ a b 『学研ハイベスト教科事典(日本地理)』,p330-331「三陸の漁業」
  29. ^ 『新訂 学習カラー百科 1 日本の地理』,p390-391「三陸の漁業」
  30. ^ 宮古市 産業振興部産業支援センター大正時代の鍬ヶ崎埋立て2015年12月11日閲覧。
  31. ^ 宮古市 産業振興部産業支援センター昭和の宮古港修築2015年12月11日閲覧。
  32. ^ 宮古市 産業振興部産業支援センター戦後の宮古港修築2015年12月11日閲覧。

参考文献