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「打撃王 (映画)」の版間の差分

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|公開={{flagicon|USA}} [[1942年]][[7月14日]]<br />{{flagicon|Japan}} [[1949年]][[3月8日]]<ref>{{cite web|title=The Pride of the Yankees (1942) - Release dates|publisher=[[インターネット・ムービー・データベース]]|accessdate=2011-03-22|url= http://www.imdb.com/title/tt0035211/releaseinfo}}</ref>
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『'''打撃王'''』(''The Pride of the Yankees'')は、[[サム・ウッド]]監督による1942年の[[アメリカ合衆国の映画]]で、元[[ニューヨーク・ヤンキース]]の[[ルー・ゲーリッグ]]の半生を描いた[[伝記映画]]である。
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|footer=[[ルー・ゲーリッグ]](上)<br />[[ゲイリー・クーパー]](下)
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『'''打撃王'''』(原題:''The Pride of the Yankees'')は、[[サム・ウッド]]監督が制作して[[1942年]]に公開された[[アメリカ合衆国の映画]]であり、[[メジャーリーグベースボール|MLB]]球団[[ニューヨーク・ヤンキース]]に所属した[[一塁手]]、[[ルー・ゲーリッグ]]の半生を描いた[[伝記映画]]である。[[ゲイリー・クーパー]]が主演を務め、[[テレサ・ライト]]、[[ウォルター・ブレナン]]も出演した。


公開されるわずか1年前に、37歳の若さで死亡したヤンキースの人気選手ゲーリッグが伝説化されるきっかけとなった映画である。[[筋萎縮性側索硬化症]]は「ルー・ゲーリッグ病」として一般大衆に知られるようになった。広く愛され、その悲劇的な死で当時の多くのアメリカ国民に衝撃を与えた偉大なスポーツ選手の伝記である。[[プロ野球選手]]を題材にした映画ながら試合中の描写は少なく、ゲーリッグと彼の両親との繋がり(特に強い意思を持つ母)、チームメイトやジャーナリストとの友情、彼の生涯の伴侶となったエレノア夫人とのロマンスの描写に多くの時間が割かれている。
ヤンキースで一緒にプレーした仲間である[[ベーブ・ルース]]、[[ビル・ディッキー]]、{{仮リンク|ボブ・ミューゼル|en|Bob Meusel}}、{{仮リンク|マーク・ケーニッヒ|en|Mark Koenig}}はスポーツキャスターの{{仮リンク|ビル・スターン|en|Bill Stern}}と同様に本人が自分自身の役を演じた。
[[第15回アカデミー賞]]の11部門に[[ノミネート]]され、このうち[[アカデミー編集賞]]を受賞した。映画で最も有名なシーンはゲーリッグが{{by|1939年}}に[[ヤンキー・スタジアム (1923年)|ヤンキー・スタジアム]]で行ったお別れのスピーチの再現である。その中の「''今日、私は、自分をこの世で最も幸せな男だと思っています''」という有名なセリフは『[[アメリカ映画の名セリフベスト100]]』の38位に選ばれた<ref name="QUOTES">{{cite web|url=http://www.afi.com/100years/quotes.aspx|title=AFI'S 100 GREATEST MOVIE QUOTES OF ALL TIME|publisher=AFL.com|language=英語|accessdate=2014年7月15日}}</ref>。
== ストーリー ==
== ストーリー ==
[[ルー・ゲーリッグ]]は、一生懸命勉学に励んで息子に[[技術者|エンジニア]]になってほしいと願う古風な考えの母クリスティーナを持つ[[アメリカ合衆国]]の[[コロンビア大学]]に通う学生である。しかし、若者は優れた[[野球]]の才能の持ち主であった。[[スポーツライター]]、サム・ブレイクは[[メジャーリーグベースボール|MLB]]球団[[ニューヨーク・ヤンキース]]に紹介しようとする。ゲーリッグはブレイクにかつがれているだけと勘違いして一度は断るが、ブレイクの言葉に偽りはなく、病気になった母の入院費を支払うためにヤンキースと契約してしまう。父ヘンリーの助けを得て、人生の進路を変更したことを母に隠そうと必死に努力する。
{{節stub}}
ゲーリッグはヤンキース傘下[[マイナーリーグ]]球団で活躍を重ね、ついにヤンキースに昇格した。母は息子が[[プロ野球選手]]になったことを知って最初は口も利かなくなるほど不機嫌になったが、すぐに心変わりして熱心なファンになった。憧れの存在であった[[ベーブ・ルース]]に最初はぞんざいに扱われたが、優秀な成績を残し続けることでチームに溶け込んでいく。列車移動中にルースが大切にしている新品の帽子をかじって破るというチームメイトのいたずらの企みにも渋々ながら参加している。
デビューした{{by|1923年}}[[6月15日]]の対[[シカゴ・ホワイトソックス]]戦、体調不良の[[ウォーリー・ピップ]]の代役を任された試合では、ゲーリッグは[[打席]]に向かう途中にグラウンドに置かれていた[[バット (野球)|バット]]につまづいて倒れてしまう。その様子を[[野球場#観客席(スタンド)|観客席]]から見ていたエレノア・トゥイッチェルは笑いながら彼をからかい、他の観客の野次を誘った。その夜にレストランにいたゲーリッグは入ってきてそばの床で滑って転倒するエレノアの姿を目撃し、仕返しとばかりに彼女をからかう。エレノアは「おあいこね」と返し、二人は会話に花を咲かせる。すぐに親密な関係となり、数ヵ月後にゲーリッグは愛を告白した。
ヤンキースの中心選手として活躍するゲーリッグはベーブ・ルースが病院で、闘病中の少年ビリーに[[ワールドシリーズ]]のある試合で[[本塁打]]を放つ約束をする現場に居合わせる。ルースが退席した後、少年にサインを求められたゲーリッグは彼に努力すれば不可能なことはないことを伝える。少年はゲーリッグに試合で2本の本塁打を放つことを求め、ゲーリッグも少年に自分の足で歩いて家まで帰れるようになるまで頑張ることを求めた。そして、ルースとゲーリッグ両者ともに少年との約束を果たし、チームはワールドシリーズを制覇した。
エレノアから祝電を受けたゲーリッグは[[シカゴ]]に直行して彼女と婚約し、[[ニューヨーク]]に戻って家族の歓迎を受ける。エレノアとクリスティーナはまるで意見が合わなかったが、ゲーリッグがエレノアを立てることでこの危機を乗り切り、二人は結婚生活を開始した。
ゲーリッグは連続試合出場記録を更新して「'''{{仮リンク|鉄人 (スポーツ選手)|en|Iron man (sports streak)|label=アイアンホース}}'''」と呼ばれ、スポーツ選手の枠を超えて絶大に支持されるアメリカの国民的英雄となった。しかし、彼は2000試合連続出場を果たした頃から体の異変に気付き始める。体が思うように動かない中で練習を続けたが、結果を出せないために一部のファンやあるチームメイトからの非難も受けることになった。ゲーリッグの復活を願うファンも少なくなく、ゲーリッグを侮辱したその人物を殴り倒した[[ビル・ディッキー]]のように彼をかばい続けるチームメイトもいた。{{by|1939年}}[[5月2日]]、限界を悟ったゲーリッグはチームのために交代を申し出て、2130試合で連続試合出場記録に自ら終止符を打った。
体調はその後も回復せず、「3[[ストライク (野球)|ストライク]]だ」という医師の診断を聞いたゲーリッグは現役引退を決意し、死も覚悟した。ゲーリッグはエレノアには診断結果を伝えずに彼女の前では気丈に振舞ったものの、夫が難病([[筋萎縮性側索硬化症]])だと悟ったエレノアは問い詰められて隠し切れないブレイクの胸で泣き崩れた。
1939年[[7月4日]]の引退式当日、エレノアはゲーリックが[[ボウ|蝶ネクタイ]]を結べないほど病状が進んでいるのをドアから覗いて涙ぐみつつも、冗談を言って笑わせながら登場して蝶ネクタイをさりげなく結んだが、言葉を交わしているうちに我慢し切れず泣き出してしまった。[[ヤンキー・スタジアム (1923年)|ヤンキー・スタジアム]]の入り口に向かうゲーリッグに成長したビリーが声を掛けた。ビリーはゲーリッグの活躍に勇気付けられて病気が回復したことを伝え、ゲーリッグとの約束を守って完全に歩けるようになった姿も見せた。エレノアは夫を通用口で見送った後に静かに泣き、続いてファンの前に姿を見せたゲーリッグが「''今日、私は、自分をこの世で最も幸せな男だと思っています''」で知られる有名なお別れのスピーチを行った。


== キャスト ==
== キャスト ==
* [[ルー・ゲーリッグ]]: [[ゲイリー・クーパー]]
* [[ルー・ゲーリッグ]] - [[ゲイリー・クーパー]]
* [[テレサ・ライト]]
* エレノア・トゥイッチェル・ゲーリッグ - [[テレサ・ライト]]
* サム・ブレイク - [[ウォルター・ブレナン]]
* [[ベイブ・ルース]]
* [[ベーブ・ルース]] - ベーブ・ルース
* [[ウォルター・ブレナン]]
* [[ダン・デュリエ]]
* ハンク・ハンネマン(スポーツライター) - {{仮リンク|ダン・デュリエ|en|Dan Duryea}}
* ヘンリー・ゲーリッグ - {{仮リンク|ルートヴィヒ・シュテッセル|en|Ludwig Stössel}}
* [[ダグラス・クロフト]]
* クリスティーナ・ゲーリッグ - エルザ・ジャンセン
* [[ヴァージニア・ギルモア]]
* [[ジョー・マッカーシー]] - {{仮リンク|ハリー・ハーヴェイ・シニア|en|Harry Harvey, Sr.}}
* [[エルザ・ジャンセン]]
* [[ミラー・ハギンス]] - {{仮リンク|アーニー・アダムズ (俳優)|en|Ernie Adams (actor)|label=アーニー・アダムズ}}
* [[ルドウィッグ・ストッセル]]
* [[ビル・ディッキー]] - ビル・ディッキー

* {{仮リンク|ボブ・ミューゼル|en|Bob Meusel}} - ボブ・ミューゼル
== スタッフ ==
* {{仮リンク|マーク・ケーニッヒ|en|Mark Koenig}} - マーク・ケーニッヒ
* [[映画プロデューサー|製作]]:[[サミュエル・ゴールドウィン]]
* [[映画監督|監督]]:[[サム・ウッド]]
== 公開 ==
* [[脚本]]:[[ジョー・スワーリング]]、[[ハーマン・J・マンキーウィッツ]]
ルー・ゲーリッグは[[1941年]][[6月2日]]に死亡した<ref>{{Cite web|author=James Lincoln Ray|url=http://sabr.org/bioproj/person/ccdffd4c|title=Lou Gehrig|publisher=[[アメリカ野球学会|SABR.org]]|language=英語|accessdate=2014年7月16日}}</ref>。映画の公開日は死の翌年の[[1942年]][[7月14日]]であった<ref name="IMDB" />。ニューヨークの{{仮リンク|アスター劇場 (俳優)|en|Astor Theatre|label=アスター劇場}}を皮切りに、一晩の間に付近の40の映画館で上映された<ref name="NY">{{Cite web|author=Bosley Crowther|url=http://www.nytimes.com/movie/review?res=9E0DEFD71E31E53BBC4E52DFB1668389659EDE|title=The Pride of the Yankees (1942) Review|publisher=[[ニューヨーク・タイムズ|NYTimes.com]]|language=英語|date=1942年7月16日|accessdate=2014年7月16日}}</ref>。[[サミュエル・ゴールドウィン]]の要望に応じて[[ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオズ]]が制作した[[ディズニーの短編映画]]『''How to Play Baseball''』(邦題:『''[[グーフィーの野球教室]]''』)に先行して公開された<ref name="NY" />。
* [[原作]]:[[ポール・ギャリコ]]
* [[撮影監督|撮影]]:[[ルドルフ・マテ]]
== 評価 ==
* [[音楽]]:[[リー・ハーライン]]
=== 公開時の論評 ===
''[[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)|バラエティ]]''誌は「感傷的で、ロマンチックな壮大な物語・・・一見の価値は十分にある」と評している<ref>{{Cite web|author=|url=http://www.variety.com/review/VE1117794132.html|title=The Pride of the Yankees|publisher=[[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)|Variety.com]]|language=英語|date=1941年12月31日|accessdate=2014年7月16日}}</ref>。''[[タイム (雑誌)|タイム]]''誌は恋愛物語としては「グレードA」と高い評価を与えたが、野球部分を楽しみにして鑑賞する野球ファンをガッカリさせると酷評もしている<ref>{{Cite web|url=http://content.time.com/time/magazine/article/0,9171,773361,00.html|title=The New Pictures, Aug. 3, 1942|publisher=[[タイム (雑誌)|TIME.com]]|language=英語|date=1942年8月3日|accessdate=2014年7月16日}}</ref>。''[[ニューヨーク・タイムズ]]''紙記者の{{仮リンク|ボズリィ・クロウザー|en|Bosley Crowther}}はゲーリッグの母や妻に対する愛情が何度も繰り返し強調され、「[[マンネリ]]気味」になっていると述べている<ref name="NY" />。


== 映画賞ノミネート ==
=== 映画賞の受賞・ノミネート ===
この映画の編集を担当した[[ダニエル・マンデル]]は[[アカデミー編集賞]]を受賞した<ref>{{Cite web|url=http://www.nytimes.com/1987/06/13/obituaries/daniel-mandell-won-3-film-editing-oscars.html|title=Daniel Mandell, Won 3 Film Editing Oscars|publisher=NYTimes.com|language=英語|date=1987年6月13日|accessdate=2014年7月16日}}</ref>。それ以外にも映画は10の部門で[[ノミネート]]された<ref>{{Cite web|url=http://www.oscars.org/awards/academyawards/legacy/ceremony/15th-winners.html|title=The 15th Academy Awards (1943) Nominees and Winners|publisher=Oscars.org|language=英語|accessdate=2014年7月16日}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.nytimes.com/movies/movie/39137/The-Pride-of-the-Yankees/awards|title=The Pride of the Yankees (1942) Awards|publisher=NYTimes.com|language=英語|accessdate=2014年7月16日}}</ref>。
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! 選考年
! 映画賞
! 映画賞
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! 部門
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! 結果
! 結果
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| rowspan="11" | [[第15回アカデミー賞|アカデミー賞]]
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| [[アカデミー作品賞|作品賞]]
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| [[アカデミー主演男優賞|主演男優賞]]
| [[アカデミー主演男優賞|主演男優賞]]
| ゲイリー・クーパー
| [[ゲイリー・クーパー]]
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| [[アカデミー主演女優賞|主演女優賞]]
| [[アカデミー主演女優賞|主演女優賞]]
| テレサ・ライト
| [[テレサ・ライト]]
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| [[アカデミー脚色賞|脚色賞]]
| [[アカデミー脚色賞|脚色賞]]
| ジョー・スワーリング、ハーマン・マンキウィッツ
| {{仮リンク|ジョー・スワーリング|en|Jo Swerling}}[[ハーマン・マンキウィッツ]]
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| [[アカデミー原案賞|原案賞]]
| [[アカデミー原案賞|原案賞]]
| ポール・ギャリコ
| [[ポール・ギャリコ]]
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| [[アカデミー撮影賞|撮影賞(白黒)]]
| [[アカデミー撮影賞|撮影賞(白黒)]]
| ルドルフ・マテ
| [[ルドルフ・マテ]]
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| [[アカデミー作曲賞|喜劇映画音楽賞]]
| [[アカデミー作曲賞|喜劇映画音楽賞]]
| リー・ハーライン
| [[リー・ハーライン]]
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| [[アカデミー美術賞|室内装置賞(白黒)]]
| [[アカデミー美術賞|室内装置賞(白黒)]]
| ペリー・ファーガソン、ハワード・ブリストル
| [[ペリー・ファーガソン]]{{仮リンク|ハワード・ブリストル|en|Howard Bristol}}
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| [[アカデミー視覚効果賞|特殊効果賞]]
| [[アカデミー視覚効果賞|特殊効果賞]]
| ジャック・コスグローヴ、レイ・ビンガー(撮影)<br />トーマス・T・モールトン(音響)
| {{仮リンク|ジャック・コスグローヴ (特殊効果アーティスト)|en|Jack Cosgrove (special effects artist)|label=ジャック・コスグローヴ}}{{仮リンク|レイ・ビンガー|en|Ray Binger}}(撮影)<br />[[トーマス・T・モールトン]](音響)
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| [[アカデミー編集賞|編集賞]]
| [[アカデミー編集賞|編集賞]]
| ダニエル・マンデル
| [[ダニエル・マンデル]]
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| [[アカデミー録音賞|録音賞]]
| [[アカデミー録音賞|録音賞]]
| トーマス・モールトン
| トーマス・T・モールトン
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|}
|}


== 参考文献 ==
=== ランキング入り ===
[[AFIアメリカ映画100年シリーズ]]の『[[10ジャンルのトップ10#スポーツ映画|アメリカ映画のスポーツ部門トップ10]]』では『''[[レイジング・ブル]]''』と『''[[ロッキー (映画)|ロッキー]]''』に次いで3位に輝いた。
{{Reflist}}
{| class="wikitable"
|-
! 選考年
! 媒体・団体
! 部門
! 対象
! 順位
|-
| [[2003年]]
| rowspan="4" | [[アメリカン・フィルム・インスティチュート|アメリカ映画協会]]
| [[アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100|アメリカ映画のヒーローベスト50]]
| ルー・ゲーリッグ(ゲイリー・クーパー)
| 25位<ref>{{cite web|url=http://www.afi.com/100Years/handv.aspx|title=AFI's 100 GREATEST HEROES & VILLAINS|publisher=AFL.com|language=英語|accessdate=2014年7月17日}}</ref>
|-
| [[2005年]]
| [[アメリカ映画の名セリフベスト100]]
| 「''今日、私は、自分をこの世で最も幸せな男だと思っています''」
| 38位<ref name="QUOTES" />
|-
| [[2006年]]
| [[感動の映画ベスト100|感動のアメリカ映画ベスト100]]
| 『打撃王』
| 22位<ref>{{cite web|url=http://www.afi.com/100years/cheers.aspx|title=AFI's 100 MOST INSPIRING FILMS OF ALL TIME|publisher=AFL.com|language=英語|accessdate=2014年7月17日}}</ref>
|-
| [[2008年]]
| [[10ジャンルのトップ10#スポーツ映画|アメリカ映画のスポーツ部門トップ10]]
| 『打撃王』
| 3位<ref>{{cite web|url=http://www.afi.com/10top10/category.aspx?cat=4|title=SPORTS - AFI: 10 Top 10|publisher=AFL.com|language=英語|accessdate=2014年7月17日}}</ref>
|}


== 不正確な描写 ==
映画ではゲーリッグが窓ガラスを割ってコロンビア大学の運動部の建物内に滑らかな曲線で飛び込む本塁打をかっ飛ばしているが、実際にはその建物は野球場から遠く離れており、キャンパスの北端に位置している。有名な話として語り継がれているが、これはおそらく作り話ではないかと言われている <ref>{{Cite web|author=Ray Robinson|url=http://www.nytimes.com/2011/05/29/sports/baseball/for-the-columbia-class-of-41-it-is-always-the-day-after.html?_r=0|title=For Columbia Class of ’41, It Is Always the Day After|publisher=NYTimes.com|language=英語|date=2011年5月28日|accessdate=2014年7月16日}}</ref>。

複数公表されている情報源は右利きだったクーパーは説得力のある左利きのスイングをマスター出来なかったことを主張している。問題を解決するために[[鏡像]]の{{仮リンク|野球のユニフォーム|en|Baseball uniform|label=ユニフォーム}}を着用させて右で打たせ、三塁方向に走らせたということである<ref>{{Cite book|author=Jeffrey Meyers|title=Gary Cooper: American Hero|publisher=Cooper Square Pub|page=88-91|language=英語|isbn=978-0815411406}}</ref><ref>{{cite news|url=|title=Gehrig Tribute to Open Saturday|newspaper=[[ワシントン・ポスト|Washington Post]]|page=C-1|language=英語|date=1942年7月13日|accessdate=2014年7月17日}}</ref>。[[アメリカ野球殿堂|アメリカ野球殿堂博物館]]学芸員のトム・シーバー(同名の殿堂入り選手とは別人)は詳しく調査した結果、クーパーは実際に左利きのスイングで練習しており、逆のヤンキースのユニフォームを着用しておらず、三塁方向にも走っていないとの見解を示している<ref>{{Cite web|author=Tom Shieber|url=http://www.nytimes.com/2013/02/09/sports/baseball/researcher-concludes-pride-of-the-yankees-film-was-not-flipped.html|title=Reversing Course on Reports About a Classic|publisher=NYTimes.com|language=英語|date=2013年2月8日|accessdate=2014年7月16日}}</ref>。左投げからの送球に関しては困難であったために、[[ベーブ・ハーマン]]がクーパーの代役を務めた<ref name="Shieber">{{Cite web|author=Tom Shieber|url=http://baseballresearcher.blogspot.jp/2013/02/the-pride-of-yankees-seeknay.html?showComment=1360016904537|title=The Pride of the Yankees Seeknay|publisher=Baseballresearcher.blogspot.com|language=英語|date=2013年2月3日|accessdate=2014年7月16日}}</ref>。

映画の重要な場面の一つとして、医師が事務的に病気の経過に関する暗い見通しから悲劇的な診断をゲーリッグに通知している。実際には[[メイヨー・クリニック]]の医師はエレノアの希望に応じて、ゲーリッグに病状や経過に関する見通しについて期待を持たせるように楽観的に通知している。「今のまま暮らせる可能性は半々で、10年から15年もすれば松葉杖の生活かもしれない」というものだった。特に難病の患者に対して悪い知らせを意図的に隠蔽しようとするのは、当時としては比較的一般的な方法であった<ref>{{Cite web|author=S. Kaden|url=http://moregehrig.tripod.com/id3.html|title=More About His ALS Battle|publisher=MoreGehrig.Tripod.com|language=英語|accessdate=2014年7月16日}}</ref>。

ヤンキー・スタジアムを描写していると見られる場面は、実際には多くの野球映画の撮影場所として有名な[[ロサンゼルス]]に位置する[[ロサンゼルス・リグレー・フィールド|リグレー・フィールド]](シカゴに位置する同名の球場とは別)で撮影されたものであった<ref name="Shieber" />。

== ゲーリッグのお別れのスピーチ ==
{{External media
|width=250px
|video1=[http://www.afi.com/10top10/moviedetail.aspx?id=27411&thumb=1 映画の中での「ゲーリッグのお別れのスピーチ」動画(AFI.comにアップロードされている動画。英語)]
}}
1939年7月4日にヤンキー・スタジアムでゲーリッグが行ったお別れのスピーチの肉声を最初から最後まですべて記録している映画は残存していない。残存している[[ニュース映画]]の映像は彼の最初の最後の一部の発言を取り入れているものだけしかない。映画のスピーチの内容は実際のスピーチの内容とは異なっているが、本質的な部分は変更されなかった。実際のお別れのスピーチは「野球界の[[ゲティスバーグ演説]]」とまで言われ、高い評価を得ている<ref>{{Cite web|author=Steve Wulf|url=http://espn.go.com/mlb/story/_/id/11159148/mlb-lou-gehrig-farewell-speech-75-years-later|title=An awful lot to live for|publisher=[[ESPN|ESPN.com]]|language=英語|date=2014年7月4日|accessdate=2014年7月16日}}</ref>。

=== 実際のスピーチ ===
{{cquote|''ファンの皆様、ここ2週間に私が経験した不運についてのニュースをご存知でしょう。しかし、今日、私は、自分をこの世で最も幸せな男だと思っています。私は選手として球場へ17年間通い続けてきましたが、いつもファンの皆様からご親切と激励をいただきました(Fans, for the past two weeks you have been reading about a bad break. Yet today I consider myself the luckiest man on the face of the Earth. I have been in ballparks for seventeen years and have never received anything but kindness and encouragement from you fans)。・・・こちらにいらっしゃる偉大な方々をご覧下さい。例え一日でもこのような方々とともに同じ場所にいられることは最高の栄誉ではないでしょうか。私は間違いなく幸せ者です。[[ジェイコブ・ルパート]]と知り合えて名誉だと思わずにいられない人がいるでしょうか? 最上の野球帝国を築き上げた[[エド・バロー]]と知り合えたことを名誉だと思えない人は? 6年間過ごしてきた素晴らしい小さな仲間でもある[[ミラー・ハギンス]]と知り合えたことは? その後の9年間を、卓越した指導者であり、人の心理を読むことに長けた、知る限りもっとも素晴らしい[[プロ野球監督#MLB|監督]]の[[ジョー・マッカーシー]]と知り合えたことを名誉と思わない人は? そんな人はいないでしょう。私は間違いなく幸せ者なのです(Look at these grand men. Which of you wouldn't consider it the highlight of his career just to associate with them for even one day? Sure, I'm lucky. Who wouldn't consider it an honor to have known Jacob Ruppert? Also, the builder of baseball's greatest empire, Ed Barrow? To have spent six years with that wonderful little fellow, Miller Huggins? Then to have spent the next nine years with that outstanding leader, that smart student of psychology, the best manager in baseball today, Joe McCarthy? Sure, I'm lucky)。・・・[[サンフランシスコ・ジャイアンツ|ニューヨーク・ジャイアンツ]]という、常に闘争心を駆り立ててくれたチームの選手から贈り物をいただき、グラウンド整備の担当者や[[ホットドッグ]]売りの少年たちからも記念の[[トロフィー]]を貰えるなどということも素晴らしいという以外にありません。妻との口喧嘩の際に自分の娘よりも私に味方してくれた素敵な義母、さらに両親が懸命に働いてくれたおかげで私が教育を受けられ、そして立派に育つことが出来ました。私は神の祝福を受けたのです。比類のない強さを持ち、考えていた以上に勇気のある女性を妻に出来たことほど嬉しいことはありません(When the New York Giants, a team you would give your right arm to beat, and vice versa, sends you a gift - that's something. When everybody down to the groundskeepers and those boys in white coats remember you with trophies — that's something. When you have a wonderful mother-in-law who takes sides with you in squabbles with her own daughter — that's something. When you have a father and a mother who work all their lives so you can have an education and build your body — it's a blessing. When you have a wife who has been a tower of strength and shown more courage than you dreamed existed - that's the finest I know)。・・・つまりは、私を不運だとおっしゃる方もいるかもしれませんが、数え切れないほど多くの人々からの愛情を受けている私の人生は本当に幸せなものなのです(So I close in saying that I might have been given a bad break, but I've got an awful lot to live for)・・・ありがとう(Thank you)。'' <ref>{{Cite web|author=|url=http://www.si.com/mlb/2009/07/04/gehrig-text|title=Full text of Lou Gehrig's farewell speech|publisher=[[スポーツ・イラストレイテッド|SI.com]]|language=英語|date=2009年7月4日|accessdate=2014年7月16日}}</ref>}}
=== 映画のスピーチ ===
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== 外部リンク ==
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2014年7月31日 (木) 04:50時点における版

打撃王
The Pride of the Yankees
監督 サム・ウッド
脚本 ジョー・スワーリング英語版
ハーマン・J・マンキーウィッツ
原作 ポール・ギャリコ
製作 サミュエル・ゴールドウィン
出演者 ゲイリー・クーパー
テレサ・ライト
ウォルター・ブレナン
ベーブ・ルース
ダン・デュリエ
音楽 リー・ハーライン
撮影 ルドルフ・マテ
編集 ダニエル・マンデル
配給 RKO
公開 アメリカ合衆国の旗 1942年7月14日[1]
日本の旗 1949年3月22日[1]
上映時間 127分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
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打撃王』(原題:The Pride of the Yankees)は、サム・ウッド監督が制作して1942年に公開されたアメリカ合衆国の映画であり、MLB球団ニューヨーク・ヤンキースに所属した一塁手ルー・ゲーリッグの半生を描いた伝記映画である。ゲイリー・クーパーが主演を務め、テレサ・ライトウォルター・ブレナンも出演した。

公開されるわずか1年前に、37歳の若さで死亡したヤンキースの人気選手ゲーリッグが伝説化されるきっかけとなった映画である。筋萎縮性側索硬化症は「ルー・ゲーリッグ病」として一般大衆に知られるようになった。広く愛され、その悲劇的な死で当時の多くのアメリカ国民に衝撃を与えた偉大なスポーツ選手の伝記である。プロ野球選手を題材にした映画ながら試合中の描写は少なく、ゲーリッグと彼の両親との繋がり(特に強い意思を持つ母)、チームメイトやジャーナリストとの友情、彼の生涯の伴侶となったエレノア夫人とのロマンスの描写に多くの時間が割かれている。

ヤンキースで一緒にプレーした仲間であるベーブ・ルースビル・ディッキーボブ・ミューゼルマーク・ケーニッヒ英語版はスポーツキャスターのビル・スターン英語版と同様に本人が自分自身の役を演じた。

第15回アカデミー賞の11部門にノミネートされ、このうちアカデミー編集賞を受賞した。映画で最も有名なシーンはゲーリッグが1939年ヤンキー・スタジアムで行ったお別れのスピーチの再現である。その中の「今日、私は、自分をこの世で最も幸せな男だと思っています」という有名なセリフは『アメリカ映画の名セリフベスト100』の38位に選ばれた[2]

ストーリー

ルー・ゲーリッグは、一生懸命勉学に励んで息子にエンジニアになってほしいと願う古風な考えの母クリスティーナを持つアメリカ合衆国コロンビア大学に通う学生である。しかし、若者は優れた野球の才能の持ち主であった。スポーツライター、サム・ブレイクはMLB球団ニューヨーク・ヤンキースに紹介しようとする。ゲーリッグはブレイクにかつがれているだけと勘違いして一度は断るが、ブレイクの言葉に偽りはなく、病気になった母の入院費を支払うためにヤンキースと契約してしまう。父ヘンリーの助けを得て、人生の進路を変更したことを母に隠そうと必死に努力する。

ゲーリッグはヤンキース傘下マイナーリーグ球団で活躍を重ね、ついにヤンキースに昇格した。母は息子がプロ野球選手になったことを知って最初は口も利かなくなるほど不機嫌になったが、すぐに心変わりして熱心なファンになった。憧れの存在であったベーブ・ルースに最初はぞんざいに扱われたが、優秀な成績を残し続けることでチームに溶け込んでいく。列車移動中にルースが大切にしている新品の帽子をかじって破るというチームメイトのいたずらの企みにも渋々ながら参加している。

デビューした1923年6月15日の対シカゴ・ホワイトソックス戦、体調不良のウォーリー・ピップの代役を任された試合では、ゲーリッグは打席に向かう途中にグラウンドに置かれていたバットにつまづいて倒れてしまう。その様子を観客席から見ていたエレノア・トゥイッチェルは笑いながら彼をからかい、他の観客の野次を誘った。その夜にレストランにいたゲーリッグは入ってきてそばの床で滑って転倒するエレノアの姿を目撃し、仕返しとばかりに彼女をからかう。エレノアは「おあいこね」と返し、二人は会話に花を咲かせる。すぐに親密な関係となり、数ヵ月後にゲーリッグは愛を告白した。

ヤンキースの中心選手として活躍するゲーリッグはベーブ・ルースが病院で、闘病中の少年ビリーにワールドシリーズのある試合で本塁打を放つ約束をする現場に居合わせる。ルースが退席した後、少年にサインを求められたゲーリッグは彼に努力すれば不可能なことはないことを伝える。少年はゲーリッグに試合で2本の本塁打を放つことを求め、ゲーリッグも少年に自分の足で歩いて家まで帰れるようになるまで頑張ることを求めた。そして、ルースとゲーリッグ両者ともに少年との約束を果たし、チームはワールドシリーズを制覇した。

エレノアから祝電を受けたゲーリッグはシカゴに直行して彼女と婚約し、ニューヨークに戻って家族の歓迎を受ける。エレノアとクリスティーナはまるで意見が合わなかったが、ゲーリッグがエレノアを立てることでこの危機を乗り切り、二人は結婚生活を開始した。

ゲーリッグは連続試合出場記録を更新して「アイアンホース英語版」と呼ばれ、スポーツ選手の枠を超えて絶大に支持されるアメリカの国民的英雄となった。しかし、彼は2000試合連続出場を果たした頃から体の異変に気付き始める。体が思うように動かない中で練習を続けたが、結果を出せないために一部のファンやあるチームメイトからの非難も受けることになった。ゲーリッグの復活を願うファンも少なくなく、ゲーリッグを侮辱したその人物を殴り倒したビル・ディッキーのように彼をかばい続けるチームメイトもいた。1939年5月2日、限界を悟ったゲーリッグはチームのために交代を申し出て、2130試合で連続試合出場記録に自ら終止符を打った。

体調はその後も回復せず、「3ストライクだ」という医師の診断を聞いたゲーリッグは現役引退を決意し、死も覚悟した。ゲーリッグはエレノアには診断結果を伝えずに彼女の前では気丈に振舞ったものの、夫が難病(筋萎縮性側索硬化症)だと悟ったエレノアは問い詰められて隠し切れないブレイクの胸で泣き崩れた。

1939年7月4日の引退式当日、エレノアはゲーリックが蝶ネクタイを結べないほど病状が進んでいるのをドアから覗いて涙ぐみつつも、冗談を言って笑わせながら登場して蝶ネクタイをさりげなく結んだが、言葉を交わしているうちに我慢し切れず泣き出してしまった。ヤンキー・スタジアムの入り口に向かうゲーリッグに成長したビリーが声を掛けた。ビリーはゲーリッグの活躍に勇気付けられて病気が回復したことを伝え、ゲーリッグとの約束を守って完全に歩けるようになった姿も見せた。エレノアは夫を通用口で見送った後に静かに泣き、続いてファンの前に姿を見せたゲーリッグが「今日、私は、自分をこの世で最も幸せな男だと思っています」で知られる有名なお別れのスピーチを行った。

キャスト

公開

ルー・ゲーリッグは1941年6月2日に死亡した[3]。映画の公開日は死の翌年の1942年7月14日であった[1]。ニューヨークのアスター劇場英語版を皮切りに、一晩の間に付近の40の映画館で上映された[4]サミュエル・ゴールドウィンの要望に応じてウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオズが制作したディズニーの短編映画How to Play Baseball』(邦題:『グーフィーの野球教室』)に先行して公開された[4]

評価

公開時の論評

バラエティ誌は「感傷的で、ロマンチックな壮大な物語・・・一見の価値は十分にある」と評している[5]タイム誌は恋愛物語としては「グレードA」と高い評価を与えたが、野球部分を楽しみにして鑑賞する野球ファンをガッカリさせると酷評もしている[6]ニューヨーク・タイムズ紙記者のボズリィ・クロウザー英語版はゲーリッグの母や妻に対する愛情が何度も繰り返し強調され、「マンネリ気味」になっていると述べている[4]

映画賞の受賞・ノミネート

この映画の編集を担当したダニエル・マンデルアカデミー編集賞を受賞した[7]。それ以外にも映画は10の部門でノミネートされた[8][9]

選考年 映画賞 部門 候補者 結果
1943年 第15回アカデミー賞 作品賞 ノミネート
主演男優賞 ゲイリー・クーパー
主演女優賞 テレサ・ライト
脚色賞 ジョー・スワーリング英語版ハーマン・マンキウィッツ
原案賞 ポール・ギャリコ
撮影賞(白黒) ルドルフ・マテ
喜劇映画音楽賞 リー・ハーライン
室内装置賞(白黒) ペリー・ファーガソンハワード・ブリストル英語版
特殊効果賞 ジャック・コスグローヴ英語版レイ・ビンガー英語版(撮影)
トーマス・T・モールトン(音響)
編集賞 ダニエル・マンデル 受賞
録音賞 トーマス・T・モールトン ノミネート

ランキング入り

AFIアメリカ映画100年シリーズの『アメリカ映画のスポーツ部門トップ10』では『レイジング・ブル』と『ロッキー』に次いで3位に輝いた。

選考年 媒体・団体 部門 対象 順位
2003年 アメリカ映画協会 アメリカ映画のヒーローベスト50 ルー・ゲーリッグ(ゲイリー・クーパー) 25位[10]
2005年 アメリカ映画の名セリフベスト100 今日、私は、自分をこの世で最も幸せな男だと思っています 38位[2]
2006年 感動のアメリカ映画ベスト100 『打撃王』 22位[11]
2008年 アメリカ映画のスポーツ部門トップ10 『打撃王』 3位[12]

不正確な描写

映画ではゲーリッグが窓ガラスを割ってコロンビア大学の運動部の建物内に滑らかな曲線で飛び込む本塁打をかっ飛ばしているが、実際にはその建物は野球場から遠く離れており、キャンパスの北端に位置している。有名な話として語り継がれているが、これはおそらく作り話ではないかと言われている [13]

複数公表されている情報源は右利きだったクーパーは説得力のある左利きのスイングをマスター出来なかったことを主張している。問題を解決するために鏡像ユニフォームを着用させて右で打たせ、三塁方向に走らせたということである[14][15]アメリカ野球殿堂博物館学芸員のトム・シーバー(同名の殿堂入り選手とは別人)は詳しく調査した結果、クーパーは実際に左利きのスイングで練習しており、逆のヤンキースのユニフォームを着用しておらず、三塁方向にも走っていないとの見解を示している[16]。左投げからの送球に関しては困難であったために、ベーブ・ハーマンがクーパーの代役を務めた[17]

映画の重要な場面の一つとして、医師が事務的に病気の経過に関する暗い見通しから悲劇的な診断をゲーリッグに通知している。実際にはメイヨー・クリニックの医師はエレノアの希望に応じて、ゲーリッグに病状や経過に関する見通しについて期待を持たせるように楽観的に通知している。「今のまま暮らせる可能性は半々で、10年から15年もすれば松葉杖の生活かもしれない」というものだった。特に難病の患者に対して悪い知らせを意図的に隠蔽しようとするのは、当時としては比較的一般的な方法であった[18]

ヤンキー・スタジアムを描写していると見られる場面は、実際には多くの野球映画の撮影場所として有名なロサンゼルスに位置するリグレー・フィールド(シカゴに位置する同名の球場とは別)で撮影されたものであった[17]

ゲーリッグのお別れのスピーチ

映像外部リンク
映画の中での「ゲーリッグのお別れのスピーチ」動画(AFI.comにアップロードされている動画。英語)

1939年7月4日にヤンキー・スタジアムでゲーリッグが行ったお別れのスピーチの肉声を最初から最後まですべて記録している映画は残存していない。残存しているニュース映画の映像は彼の最初の最後の一部の発言を取り入れているものだけしかない。映画のスピーチの内容は実際のスピーチの内容とは異なっているが、本質的な部分は変更されなかった。実際のお別れのスピーチは「野球界のゲティスバーグ演説」とまで言われ、高い評価を得ている[19]

実際のスピーチ

ファンの皆様、ここ2週間に私が経験した不運についてのニュースをご存知でしょう。しかし、今日、私は、自分をこの世で最も幸せな男だと思っています。私は選手として球場へ17年間通い続けてきましたが、いつもファンの皆様からご親切と激励をいただきました(Fans, for the past two weeks you have been reading about a bad break. Yet today I consider myself the luckiest man on the face of the Earth. I have been in ballparks for seventeen years and have never received anything but kindness and encouragement from you fans)。・・・こちらにいらっしゃる偉大な方々をご覧下さい。例え一日でもこのような方々とともに同じ場所にいられることは最高の栄誉ではないでしょうか。私は間違いなく幸せ者です。ジェイコブ・ルパートと知り合えて名誉だと思わずにいられない人がいるでしょうか? 最上の野球帝国を築き上げたエド・バローと知り合えたことを名誉だと思えない人は? 6年間過ごしてきた素晴らしい小さな仲間でもあるミラー・ハギンスと知り合えたことは? その後の9年間を、卓越した指導者であり、人の心理を読むことに長けた、知る限りもっとも素晴らしい監督ジョー・マッカーシーと知り合えたことを名誉と思わない人は? そんな人はいないでしょう。私は間違いなく幸せ者なのです(Look at these grand men. Which of you wouldn't consider it the highlight of his career just to associate with them for even one day? Sure, I'm lucky. Who wouldn't consider it an honor to have known Jacob Ruppert? Also, the builder of baseball's greatest empire, Ed Barrow? To have spent six years with that wonderful little fellow, Miller Huggins? Then to have spent the next nine years with that outstanding leader, that smart student of psychology, the best manager in baseball today, Joe McCarthy? Sure, I'm lucky)。・・・ニューヨーク・ジャイアンツという、常に闘争心を駆り立ててくれたチームの選手から贈り物をいただき、グラウンド整備の担当者やホットドッグ売りの少年たちからも記念のトロフィーを貰えるなどということも素晴らしいという以外にありません。妻との口喧嘩の際に自分の娘よりも私に味方してくれた素敵な義母、さらに両親が懸命に働いてくれたおかげで私が教育を受けられ、そして立派に育つことが出来ました。私は神の祝福を受けたのです。比類のない強さを持ち、考えていた以上に勇気のある女性を妻に出来たことほど嬉しいことはありません(When the New York Giants, a team you would give your right arm to beat, and vice versa, sends you a gift - that's something. When everybody down to the groundskeepers and those boys in white coats remember you with trophies — that's something. When you have a wonderful mother-in-law who takes sides with you in squabbles with her own daughter — that's something. When you have a father and a mother who work all their lives so you can have an education and build your body — it's a blessing. When you have a wife who has been a tower of strength and shown more courage than you dreamed existed - that's the finest I know)。・・・つまりは、私を不運だとおっしゃる方もいるかもしれませんが、数え切れないほど多くの人々からの愛情を受けている私の人生は本当に幸せなものなのです(So I close in saying that I might have been given a bad break, but I've got an awful lot to live for)・・・ありがとう(Thank you)。 [20]

映画のスピーチ

私は16年間、球場へ通い続けてきましたが、その間にファンの皆様からご親切と激励をいただきました。私の左にいる、1927年の優勝チームである「殺人打線英語版」の方々、彼らのような素晴らしいベテラン選手たちと一緒にプレー出来たことをとても名誉に思っています。さらに名誉なことは、私の右にいる現在のヤンキース「ブロンクスの爆撃隊」の方々、彼らとも一緒にプレー出来たことです(I have been walking onto ball fields for sixteen years, and I've never received anything but kindness and encouragement from you fans. I have had the great honor to have played with these great veteran ballplayers on my left - Murderers' Row, our championship team of 1927. I have had the further honor of living with and playing with these men on my right - the Bronx Bombers, the Yankees of today)。・・・ネット裏の記者席にいる方々、私の友人のスポーツライターの方々のおかげで、名声と身に余る賛辞をいただくことが出来ました。私はミラー・ハギンスとジョー・マッカーシーという野球始まって以来の2人の素晴らしい監督の下で野球が出来ました(I have a mother and father who fought to give me health and a solid background in my youth. I have a wife, a companion for life, who has shown me more courage than I ever knew)。・・・私には、青年時代に私に健康と生活の安定を与えるために奮闘してくれた母と父がいます。また私には、生涯の伴侶であり、私がかって知らなかったほどの勇気を示してくれた妻がいます(I have a mother and father who fought to give me health and a solid background in my youth. I have a wife, a companion for life, who has shown me more courage than I ever knew)。・・・私を不運だとおっしゃる方もいます。しかし、今日、私は、自分をこの世で最も幸せな男だと思っています(People all say that I've had a bad break. But today ... today, I consider myself the luckiest man on the face of the Earth)。

脚注

  1. ^ a b c The Pride of the Yankees (1942) - Release dates” (英語). インターネット・ムービー・データベース. 2014年7月13日閲覧。
  2. ^ a b AFI'S 100 GREATEST MOVIE QUOTES OF ALL TIME” (英語). AFL.com. 2014年7月15日閲覧。
  3. ^ James Lincoln Ray. “Lou Gehrig” (英語). SABR.org. 2014年7月16日閲覧。
  4. ^ a b c Bosley Crowther (1942年7月16日). “The Pride of the Yankees (1942) Review” (英語). NYTimes.com. 2014年7月16日閲覧。
  5. ^ The Pride of the Yankees” (英語). Variety.com (1941年12月31日). 2014年7月16日閲覧。
  6. ^ The New Pictures, Aug. 3, 1942” (英語). TIME.com (1942年8月3日). 2014年7月16日閲覧。
  7. ^ Daniel Mandell, Won 3 Film Editing Oscars” (英語). NYTimes.com (1987年6月13日). 2014年7月16日閲覧。
  8. ^ The 15th Academy Awards (1943) Nominees and Winners” (英語). Oscars.org. 2014年7月16日閲覧。
  9. ^ The Pride of the Yankees (1942) Awards” (英語). NYTimes.com. 2014年7月16日閲覧。
  10. ^ AFI's 100 GREATEST HEROES & VILLAINS” (英語). AFL.com. 2014年7月17日閲覧。
  11. ^ AFI's 100 MOST INSPIRING FILMS OF ALL TIME” (英語). AFL.com. 2014年7月17日閲覧。
  12. ^ SPORTS - AFI: 10 Top 10” (英語). AFL.com. 2014年7月17日閲覧。
  13. ^ Ray Robinson (2011年5月28日). “For Columbia Class of ’41, It Is Always the Day After” (英語). NYTimes.com. 2014年7月16日閲覧。
  14. ^ Jeffrey Meyers (英語). Gary Cooper: American Hero. Cooper Square Pub. p. 88-91. ISBN 978-0815411406 
  15. ^ “Gehrig Tribute to Open Saturday” (英語). Washington Post: p. C-1. (1942年7月13日) 
  16. ^ Tom Shieber (2013年2月8日). “Reversing Course on Reports About a Classic” (英語). NYTimes.com. 2014年7月16日閲覧。
  17. ^ a b Tom Shieber (2013年2月3日). “The Pride of the Yankees Seeknay” (英語). Baseballresearcher.blogspot.com. 2014年7月16日閲覧。
  18. ^ S. Kaden. “More About His ALS Battle” (英語). MoreGehrig.Tripod.com. 2014年7月16日閲覧。
  19. ^ Steve Wulf (2014年7月4日). “An awful lot to live for” (英語). ESPN.com. 2014年7月16日閲覧。
  20. ^ Full text of Lou Gehrig's farewell speech” (英語). SI.com (2009年7月4日). 2014年7月16日閲覧。

外部リンク

  • The Pride of the Yankees - TCM Movie Database(英語)
  • エラー: subst: がありません。Movielink ではなく subst:Movielink としてください。
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