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{{Infobox 島
{{Infobox 島
|島名 = 篠島
|島名 = 篠島
|画像=[[File:Shinojima Island Aerial photograph.jpg|280px]]<br>篠島の空中写真(1977年撮影)<br/>{{国土航空写真}}
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|面積 = 0.94<ref name="篠島・日間賀島の概要 2 両島の概要">[http://www.town.minamichita.lg.jp/main/kikaku/chiikisinnkou/ritousinkou/shinojima-himakajima%20gaiyou.pdf 篠島・日間賀島の概要 2 両島の概要]南知多町、2012年</ref><ref name="愛知県離島振興計画 Ⅱ 離島の現況">[http://www.pref.aichi.jp/0000029829.html 愛知県離島振興計画 Ⅱ 離島の現況]愛知県、2013年</ref>
|面積 = 0.93
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|海域 = [[三河湾]]
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|地図 = {{location map
'''篠島'''(しのじま)は、[[三河湾]]に浮かぶ[[離島]]。行政上は[[愛知県]][[知多郡]][[南知多町]]に属し、全域が[[三河湾国定公園]]に含まれる<ref name="郷土資料事典">ゼンリン (1997)、132頁</ref>。面積は0.93km<sup>2</sup>であり<ref name="SHIMADAS">日本離島センター (2004)、203-205頁「篠島」</ref>、2010年(平成22年)の国勢調査における人口は634世帯1,763人である。[[伊勢神宮]]との関係が深く、1000年以上に渡っておんべ鯛の奉納が行なわれている。
|Japan Aichi
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}}}}
'''篠島'''(しのじま)とは[[三河湾]]に浮かぶ[[島]]で、[[知多半島]]と[[渥美半島]]のほぼ中央に挟まれた湾の入り口に位置する。[[愛知県]][[知多郡]][[南知多町]]に属する。[[明治]]以前には[[三河国]][[幡豆郡]]に所属した。『[[日本書紀]]』の記録以来、[[伊勢神宮]]との結びつきが強い。


== 概要 ==
== 地理 ==
[[File:前浜サンサンビーチ1.jpg|thumb|200px|right|東岸にある海水浴場]]
*周囲 9.0km

*面積 0.93km&sup2;
三河湾の入り口近く、[[知多半島]]の師崎と[[渥美半島]]の[[伊良湖岬]]を結ぶ線上に位置する。北約3kmの距離に[[日間賀島]](南知多町)が、北東約7kmの距離に[[佐久島]]([[西尾市]])があり、南知多町の本土との最短距離は約3kmである<ref name="篠島・日間賀島の概要 2 両島の概要"/>。島内にはいくらかの畑地があるが、水田は存在しない<ref name="愛知百科事典"/><ref name="島嶼大事典"/><ref name="日本地理風俗大系">誠文堂新光社 (1959)、187頁</ref>。最高標高地点は49.1mと三河湾三島の中でもっとも高く、中央部の不燃物処分場近くにある<ref name="SHIMADAS"/>。東岸には「さんさんビーチ」と呼ばれる天然の渚があり、緩やかな弧を描いて800m続いている。島の周囲は魚類が豊富であり、篠島港の突堤は[[クロダイ]]の釣り場となっている<ref name="郷土資料事典"/>。篠島と佐久島・日間賀島との間には構造線が走っているため、篠島だけ地質が異なり、領家帯花崗岩から成る<ref name="二宮日本地誌">二宮書店 (1969)、28頁</ref><ref name="愛知県離島振興計画 Ⅱ 離島の現況"/>。三河湾は平均水深約9.2mの浅い湾だが、日間賀島と篠島の間には水深約40mの深みがある<ref name="二宮日本地誌"/>。
*世帯 638世帯(2005年国勢調査速報値)

*人口 1,878人(2005年国勢調査速報値)
=== 属島 ===
* 木島 – 野島と並んで面積最大の属島。
* 野島 – 木島と並んで面積最大の属島。
* 小磯島 – 埋め立て工事によって篠島と陸続きになった。
* 中手島 - 埋め立て工事によって篠島と陸続きになった。
* 大磯島
* 築見島
* 松島
* 戸亀島
* 平島

島の周囲には木島、小磯島、大磯島、築見島、中手島、野島、松島、戸亀島、平島の計9の無人島が属島として存在したが<ref name="日本歴史地名大系"/>、現代の埋め立て工事によって小磯島と中手島は陸続きとなった<ref name="島嶼大事典">日外アソシエーツ (1991)</ref>。また、かつて築見島は干潮時に篠島とひと続きだったとされている<ref name="日本歴史地名大系"/>。一帯はその風光明媚な景観から「東海の[[松島]]」と呼ばれる<ref name="愛知百科事典"/><ref name="郷土資料事典"/><ref name="SHIMADAS"/>。篠島の南0.8kmにある野島は面積0.03km<sup>2</sup>の無人島であり、篠島小学校がサバイバルキャンプなどに利用していたことがある<ref name="SHIMADAS"/>。篠島の北西0.2kmにある木島は面積0.03km<sup>2</sup>、最高標高36mの無人島であり、1958年(昭和33年)から1974年(昭和49年)まで[[日本モンキーセンター]]が[[カニクイザル]]を飼育していた<ref name="SHIMADAS"/>。カニクイザルは近隣の築見島や野島にも放し飼いにされていた<ref name="SHIMADAS"/>。埋め立て工事によって篠島と陸続きになった中手島にはおんべ鯛の調製所があり、島自体を[[伊勢神宮]]が所有・管理している。おんべ鯛の調製を行なう際には白装束をまとい、伊勢神宮から贈られた包丁を用いる。

== 歴史 ==
=== 古代・中世 ===
神明社からは縄文後期の貝塚が発見され、木島には弥生時代の遺跡がある<ref name="角川642頁">角川日本地名大辞典編纂委員会 (1989)、642頁</ref>。古墳も多数発見されており<ref name="日本の島事典">菅田正昭編 (1995)、54頁</ref>、鯨浜・神戸には弥生式後期の古墳が、妙見斎跡には横穴式石室古墳がある<ref name="郷土資料事典"/>。[[万葉集]]巻七には[[柿本人麻呂]]によって「夢のみに 継ぎて見えつつ 小竹島(しのじま)の 磯越す波の しくしく思ほゆ」と詠まれているが、「小竹島」は篠島に比定されており<ref name="SHIMADAS"/><ref name="日本歴史地名大系"/>、塩見の丘に歌碑が建てられている<ref name="日本歴史地名大系"/>。また、奈良県の[[平城宮]]からは「参河国播豆郡篠嶋海部供奉五月料御贄佐米楚割六斤」と書かれた[[木簡]]が出土している<ref>[http://jiten.nabunken.jp/shosai/index.php?imageid=256&startpos=37&imagewidth=3&imageheight=34 木簡字典] 奈良文化財研究所</ref>。

篠島は伊勢国・志摩国と東国を結ぶ海上交通の要衝であり<ref name="島嶼大事典"/>、南北朝時代の延元3年(1338年)には南朝の[[後醍醐天皇]]の皇子[[後村上天皇|義良親王]]が東国に向かう途中、難破して当地に漂着した<ref name="日本歴史地名大系"/><ref name="日本の島事典"/>。篠島城を住居として6-7カ月<ref group="注">日本の島事典によれば7ヶ月、日本歴史地名大系によれば6ヶ月</ref>滞在した後、義良親王は[[吉野]]に帰還した<ref name="日本歴史地名大系"/>。これを物語るものとして、親王の飲料水を確保するために掘られたとされる「帝井」が存在する<ref name="日本の島事典"/><ref name="SHIMADAS"/>。[[奈良時代]]には[[三河国]][[幡豆郡]]に属したが、その後は[[志摩国]]や[[伊勢国]]に所属していたこともあり、慶長元年(1596年)に[[尾張国]]所属で落ち着いた<ref name="郷土資料事典"/>。篠島からは頑丈で良質な岩が取れるため、内海高校篠島分校跡近くには、[[加藤清正]]が[[名古屋城]]を築城する際に切り出した石(清正の枕石)が残っている<ref name="SHIMADAS"/>。

=== 近世・近代 ===
{{日本の町村 (廃止)
| 廃止日 = 1961年6月1日
| 廃止理由 = 合併
| 廃止詳細 = [[内海町]]・[[豊浜町]]・[[師崎町]]・'''篠島村'''・日間賀島村・→[[南知多町]]
| 現在の自治体 = [[南知多町]]
| 自治体名 = 篠島村
| 区分 = 村
| 都道府県 = 愛知県
| 支庁 =
| 郡 = [[知多郡]]
| コード =
| 面積 = 0.68
| 境界未定 =
| 人口 =
| 人口の時点 =
| 隣接自治体 =
| 郵便番号 =
| 所在地 =
| 電話番号 =
}}

[[江戸時代]]には[[尾張藩]]の流刑地であり<ref name="日本の島事典"/><ref name="島嶼大事典"/>、数十人が篠島に流された<ref name="日本歴史地名大系"/>。江戸時代には漁業ではなく航海業を営む島民が多かったが、慶長元年には[[紀伊国]]・志摩国・伊勢国・尾張国・三河国・[[遠江国]]・[[駿河国]]の漁業権の墨付きを[[徳川家康]]から与えられている<ref name="郷土資料事典"/>。[[明治時代]]になると沿岸漁業・近海漁業が盛んとなった<ref name="郷土資料事典"/>。1876年(明治9年)には本土の師崎村や日間賀島村と合併して鴻崎村となったが、1881年(明治14年)に再び三村に分離して単独で篠島村となった<ref name="篠島・日間賀島の概要 3 各種データ">[http://www.town.minamichita.lg.jp/main/kikaku/chiikisinnkou/ritousinkou/shinojima-himakajima%20gaiyou.pdf 篠島・日間賀島の概要 3 各種データ]南知多町、2012年</ref><ref name="日本歴史地名大系">平凡社 (1988)、517-518頁</ref>。1889年(明治22年)に[[町村制]]が施行されると、[[知多郡]]篠島村として村制を敷いた。1900年(明治33年)、愛知県立水産試験場が一色町から篠島に移転<ref name="角川643頁">角川日本地名大辞典編纂委員会 (1989)、643頁</ref>。1933年(昭和8年)には篠島港が完成し、1934年(昭和9年)には海底市外電話が敷設され、1947年(昭和22年)には海底送電ケーブルで知多半島からの送電が開始された<ref name="篠島・日間賀島の概要 3 各種データ"/>。

=== 現代 ===
1953年(昭和28年)の台風13号、1959年(昭和34年)の[[伊勢湾台風]]では篠島も甚大な被害を受けた。1957年(昭和32年)には[[離島振興法]]の第7次指定地域となり、[[日間賀島]]・[[佐久島]]とともに「愛知三島」という指定地域名が付けられた<ref name="篠島・日間賀島の概要 1 沿革">[http://www.town.minamichita.lg.jp/main/kikaku/chiikisinnkou/ritousinkou/shinojima-himakajima%20gaiyou.pdf 篠島・日間賀島の概要 1 沿革]南知多町、2012年</ref><ref group="注">なお、通俗的には「愛知三島」ではなく「三河湾三島」と呼ぶことのほうが多い。</ref>。1961年(昭和36年)6月1日、[[内海町]]・[[豊浜町]]・[[師崎町]]・篠島村・[[日間賀島村]]の本土3町と離島2村が合併して[[南知多町]]となった<ref name="篠島・日間賀島の概要 3 各種データ"/>。かつては水不足に悩まされたが、1973年(昭和48年)に本土の[[愛知用水]]から海底水道敷設工事が完了し、水不足が解消するとともに観光地化が進んだ<ref name="島嶼大事典"/>。1973年(昭和48年)時点の面積は0.68km<sup>2</sup>だったが、1974年(昭和49年)から島北部で本島と属島ふたつ(中手島・小磯島)を繋ぐ0.17km<sup>2</sup>の埋め立て工事が行われ<ref name="篠島・日間賀島の概要 2 両島の概要"/>、1977年(昭和52年)には0.93km<sup>2</sup>まで拡大した<ref name="愛知百科事典">中日新聞社開発局 (1977)、382頁</ref>。1958年4月には[[三河湾国定公園]]に指定され、1991年(平成3年)には三河湾地域リゾート整備構想の重点整備地区に指定されている<ref name="篠島・日間賀島の概要 1 沿革"/>。[[平成の大合併]]の際には南知多町・[[美浜町]]の任意合併協議会が設置されたが、[[南セントレア市]]という新市名候補に両町の住民が拒否反応を示して合併自体が不成立となった。現在の電気・水道・電話の普及率は100%であり、し尿と廃棄物の処理は2002年(平成14年)から島外の知多半島で行なっている<ref name="篠島・日間賀島の概要 2 両島の概要"/>。

=== 行政区画の変遷 ===
; 三河湾の有人島3島の行政区画の変遷

{|class="wikitable" style="font-size: smaller;"
|-
| 郡 || 明治22年以前 || 明治22年 || 明治23年-明治45年 || 大正1年-大正15年 || 昭和1年-昭和64年 || 平成1年-現在
|-
| rowspan=2| [[知多郡]] || 日間賀島村 || [[日間賀島村]] || 日間賀島村 || 日間賀島村 || rowspan=2| 昭和36年合併<br />[[南知多町]] || rowspan=2| '''南知多町'''
|-
| 篠島村 || [[篠島村]] || 篠島村 || 篠島村
|-
| [[幡豆郡]] || 佐久島村 || [[佐久島村]] || 佐久島村 || 佐久島村 || 昭和29年合併<br />[[一色町]] || 平成23年合併<br />'''[[西尾市]]'''
|}

== 人口 ==
江戸時代後期にまとめられた[[郡村徇行記|尾州徇行記]]による人口は584人で[[日間賀島]]よりも少なかったが、1874年(明治7年)には1,006人、1891年(明治24年)には1,562人と、1世紀余りの間に人口が3倍近くに増加し<ref name="角川643頁"/><ref name="篠島・日間賀島の概要 3 各種データ"/>、日間賀島の人口を上回った。その後も人口は増え続け、1950年(昭和25年)には過去最大値の3,785人を記録<ref name="愛知県離島振興計画 Ⅱ 離島の現況"/>。その後は1960年(昭和35年)の[[国勢調査]]で3,403人、1970年(昭和45年)には2,807人、1980年(昭和55年)には2,576人、1990年(平成2年)には2,352人、2000年(平成12年)には2,039人、2010年(平成12年)には1,763人と減少が続いている<ref name="篠島・日間賀島の概要 3 各種データ"/>。2000年調査での高齢者人口比率は22.6%だったが、2010年調査では29.4%に大きく上昇した<ref name="篠島・日間賀島の概要 3 各種データ"/><ref name="愛知県離島振興計画 Ⅱ 離島の現況"/>。2000年(平成12年)の国勢調査による人口密度は2,192人/km<sup>2</sup>であり、[[日間賀島]](愛知県、2,882人/km<sup>2</sup>)、[[池島 (長崎県)|池島]](長崎県、2,641人/km<sup>2</sup>)に次いで日本の離島中第3位だった<ref name="SHIMADAS857頁">日本離島センター (2004)、857頁「人口密度の高い島BEST20」</ref>。

: [[画像:m10.png]]世帯数 / [[画像:g10.png]]人口

<!--
人口の1/10の数字をグラフ化しています。
-->
{|class="wikitable" style="font-size: smaller;"
|-
| 1792年(寛政4年)-1822年(文政5年)頃
| [[画像:g50.png]][[画像:g05.png]][[画像:g01.png]][[画像:g01.png]][[画像:g01.png]] || 584人 || [[郡村徇行記|尾州徇行記]]<ref name="角川643頁"/>
|-
| 1874年(明治7年)
| [[画像:g100.png]] || 1,006人 || 南知多町<ref name="篠島・日間賀島の概要 3 各種データ"/>
|-
| 1891年(明治24年)
| [[画像:g100.png]][[画像:g50.png]][[画像:g05.png]][[画像:g01.png]] || 1,562人 || 角川日本地名大事典<ref name="角川643頁"/>
|-
| 1930年(昭和5年)
| [[画像:m10.png]][[画像:m10.png]][[画像:m10.png]][[画像:m10.png]][[画像:m05.png]][[画像:m01.png]]<br>[[画像:g100.png]][[画像:g100.png]][[画像:g10.png]][[画像:g10.png]][[画像:g10.png]][[画像:g05.png]][[画像:g01.png]][[画像:g01.png]] || 468世帯・2,374人 || rowspan=5| 国勢調査
|-
| 1950年(昭和25年)
| [[画像:m50.png]][[画像:m10.png]][[画像:m05.png]][[画像:m01.png]]<br>[[画像:g100.png]][[画像:g100.png]][[画像:g100.png]][[画像:g50.png]][[画像:g10.png]][[画像:g10.png]][[画像:g05.png]][[画像:g01.png]][[画像:g01.png]][[画像:g01.png]] || 669世帯・3,785人
|-
| 1970年(昭和45年)
| [[画像:m50.png]][[画像:m10.png]][[画像:m05.png]][[画像:m01.png]][[画像:m01.png]][[画像:m01.png]]<br>[[画像:g100.png]][[画像:g100.png]][[画像:g50.png]][[画像:g10.png]][[画像:g10.png]][[画像:g10.png]] || 685世帯・2,807人
|-
| 1990年(平成2年)
| [[画像:m50.png]][[画像:m10.png]][[画像:m05.png]]<br>[[画像:g100.png]][[画像:g100.png]][[画像:g10.png]][[画像:g10.png]][[画像:g10.png]][[画像:g05.png]] || 655世帯・2,352人
|-
| 2010年(平成22年)
| [[画像:m50.png]][[画像:m10.png]][[画像:m01.png]][[画像:m01.png]][[画像:m01.png]]<br>[[画像:g100.png]][[画像:g50.png]][[画像:g10.png]][[画像:g10.png]][[画像:g05.png]][[画像:g01.png]] || 634世帯・1,763人
|}

== 気候 ==
三河湾三島地域の気候は温暖であり、年平均気温は16度前後である<ref name="愛知県離島振興計画 Ⅱ 離島の現況"/>。結氷や降霜は少なく、降雪はほとんどみられないが、冬季には強い季節風が吹く<ref name="愛知県離島振興計画 Ⅱ 離島の現況"/>。1970年代の年平均降水量は1,310mmであり、2005年から2011年の平均が1,469mmだった南知多町の本土や愛知県の平均と比べてやや少ない<ref name="篠島・日間賀島の概要 3 各種データ"/>。

{{Weather box
|location = (参考)佐久島
|metric first = yes
|single line = Yes
|Jan mean C = 7.0
|Feb mean C = 7.2
|Mar mean C = 9.6
|Apr mean C = 14.7
|May mean C = 18.7
|Jun mean C = 22.6
|Jul mean C = 26.0
|Aug mean C = 27.4
|Sep mean C = 24.4
|Oct mean C = 19.6
|Nov mean C = 14.4
|Dec mean C = 9.1
|year mean C = 16.8
|Jan high C = 10.1
|Feb high C = 10.4
|Mar high C = 12.8
|Apr high C = 17.8
|May high C = 21.0
|Jun high C = 24.6
|Jul high C = 27.9
|Aug high C = 29.4
|Sep high C = 26.8
|Oct high C = 22.4
|Nov high C = 17.5
|Dec high C = 12.4
|year high C = 19.5
|Jan low C = 4.3
|Feb low C = 4.4
|Mar low C = 6.6
|Apr low C = 12.3
|May low C = 16.6
|Jun low C = 21.1
|Jul low C = 24.7
|Aug low C = 25.9
|Sep low C = 22.4
|Oct low C = 17.1
|Nov low C = 11.5
|Dec low C = 6.3
|year low C = 14.5
|Jan precipitation mm = 52
|Feb precipitation mm = 65
|Mar precipitation mm = 84
|Apr precipitation mm = 121
|May precipitation mm = 145
|Jun precipitation mm = 135
|Jul precipitation mm = 136
|Aug precipitation mm = 100
|Sep precipitation mm = 197
|Oct precipitation mm = 151
|Nov precipitation mm = 67
|Dec precipitation mm = 42
|year precipitation mm = 1310
|source 1 = 名古屋大学空電研究所資料
|date=1971年-1980年
}}

{{Weather box
|location = (参考)南知多町
|metric first = yes
|single line = Yes
|Jan mean C = 4.1
|Feb mean C = 6.6
|Mar mean C = 7.4
|Apr mean C = 13.0
|May mean C = 18.3
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|Sep mean C = 24.7
|Oct mean C = 18.7
|Nov mean C = 14.4
|Dec mean C = 7.8
|year mean C = 16.0
|Jan precipitation mm = 38
|Feb precipitation mm = 81
|Mar precipitation mm = 103
|Apr precipitation mm = 124
|May precipitation mm = 184
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|Jul precipitation mm = 191
|Aug precipitation mm = 84
|Sep precipitation mm = 177
|Oct precipitation mm = 169
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|Dec precipitation mm = 70
|year precipitation mm = 1469
|source 1 = 名古屋地方気象台<ref name="篠島・日間賀島の概要 3 各種データ"/>
|date=
}}


== 交通 ==
== 交通 ==
=== 船舶 ===
=== 島外との交通 ===
[[名鉄海上観光船]]が[[知多半島]]や[[渥美半島]]と篠島港の間に[[高速船]]と[[カーフェリー]]を運航している<ref name="名鉄海上観光船">[http://www.meikaijo.co.jp/timetable.html 航路図・時刻表]名鉄海上観光船</ref>。[[南知多町]]の[[師崎港]]と日間賀島東港・日間賀島西港・篠島港を結ぶ定期高速船は「師崎-篠島-日間賀島-師崎」の順に巡り、師崎港から篠島港まで約10分である。2012年(平成24年)4月1日のダイヤ改正後は1日36便運航されており、始発便は師崎を6時台に出港し、最終便は篠島を19時台に出港する<ref name="名鉄海上観光船"/>。[[美浜町 (愛知県)|美浜町]]の[[河和港]]と日間賀島西港・日間賀島東港・篠島港・伊良湖港を結ぶ定期高速船は、河和港から篠島港まで約30分である。2012年4月1日のダイヤ改正後は1日11往復運行されているが、このうちの8往復は篠島港止まりである。始発便は河和を7時台に出港し、最終便は篠島を17時台に出港する<ref name="名鉄海上観光船"/>。いずれの路線も日間賀島までは約5分である。師崎港と篠島港を結ぶ定期カーフェリーは、師崎港から篠島港まで約20分である。2012年4月1日のダイヤ改正後は1日6往復運航されており、始発便は師崎を8時台に出港し、最終便は篠島を17時台に出港する<ref name="名鉄海上観光船"/>。同じ三河湾にある[[佐久島]]との間には定期航路が存在しないが<ref name="愛知県離島振興計画 Ⅱ 離島の現況"/>、[[水上タクシー|海上タクシー]]などで行き来することができる。
[[名鉄海上観光船]]の高速船が以下の港と結ぶ。
*[[師崎港]]([[南知多町]]) - 約10分
*[[伊良湖港]]([[田原市]]) - 約20分
*[[河和港]]([[美浜町 (愛知県)|美浜町]]) - 約30分
*[[日間賀島]] - 約5分
ほかに、[[水上タクシー|海上タクシー]]がいくつかある。
*まつしま
*康洋(こうよう)


=== 乗合タクシー ===
=== 島内交通 ===
島内の道路はすべて市町村道(南知多町道)であり、道路舗装率は83.5%と愛知県平均(87.1%)と同等である<ref name="愛知県離島振興計画 Ⅱ 離島の現況"/>。定期バス路線は存在しないが、三河湾三島で唯一乗合タクシーが運行されている<ref name="愛知県離島振興計画 Ⅱ 離島の現況"/>。2011年(平成23年)時点で島内に1,354台の自動車があるが、このうち716台は軽トラックなどの軽自動車、691台は原動機付自転車である<ref name="篠島・日間賀島の概要 3 各種データ"/>。
島内には[[知多乗合|知多バス]]や町営の[[コミュニティバス]]などのバス路線は存在しないため、乗合[[タクシー]]が交通機関になっている。
*中村タクシー


== 観光 ==
== 寺社仏閣 ==
神明神社は古来より伊勢神宮と同様に20年ごとに遷宮をくり返し、伊勢神宮の御古材で造営されてきた。八王子社は造船や海上守護の神として祀られており、神明神社と同じく伊勢神宮の御古材で造営される<ref name="日本歴史地名大系"/>。正法禅寺は正平2年(1347年)に創建された[[曹洞宗]]の寺院であり、[[知多四国八十八箇所]]の38番札所である。西方寺は永正13年(1516年)に伊勢神宮の御古材で建立された[[浄土宗]]の寺院であり、松寿寺は曹洞宗の寺院である。医徳院は薬師如来を本尊とする[[真言宗]]の寺院であり、知多四国八十八箇所の39番札所である。建歴2年(1212年)に神宮寺として建立され、寛正元年(1460年)に寺号を医徳院に改めた。天正10年(1582年)、[[本能寺の変]]後に[[岡崎]]に帰還する[[徳川家康]]が篠島に上陸した際、医徳院で一泊した。延享元年(1744年)の改修の際には伊勢神宮から用材を下賜された<ref name="日本歴史地名大系"/>。
=== 海水浴場 ===
*さんさんビーチ - ゆるやかな弧を描き800m続く天然の渚。


== 祭礼 ==
[[画像:前浜サンサンビーチ1.jpg|thumb|200px|right|東岸にある海水浴場]]
毎年1月の「正月祭礼」(大名行列)、7月の「祇園祭・野島祭」、10月の「おんべ鯛奉納祭」が篠島における三大祭礼である。
=== 神社 ===
*神明神社 - 古来より[[伊勢神宮]]と同様に20年ごとに遷宮をくり返し、伊勢神宮の御古材で造営されてきた。平成25年[[伊勢式年遷宮]]の翌々年、平成27年に神明神社の御遷宮が行われる。
*八王子社 - 造船、海上守護の神として祀られている。


=== 寺院 ===
=== 正月祭礼(大名行列) ===
毎年1月3日・4日には正月祭礼(大名行列)が行なわれ、多くのアマチュアカメラマンが篠島を訪れる<ref name="正月行列・大名行列">[http://www.shinojima-matsuri.jp/january.html 1 正月行列・大名行列] 篠島の祭礼</ref>。八王子社に祀られている男性神オジンジキサマが神明神社に祀られている女性神の元に向かい、一夜を過ごしてから八王子社に帰る祭礼である<ref name="正月行列・大名行列"/>。3日昼には扮装した厄男が隊列(大名行列)を組み、掛け声とともに舞を舞う。18時にはオジンジキサマのオワタリが始まるが、この神事を目にすると祟りがあるとされており、電力会社の協力で島中の通電を遮断し、観光客であってもオワタリの様子を見ることは禁じられている。神職がオジンジキサマを八王子社から神明神社に運び、神明神社への到着に合わせて太鼓が打ち鳴らされると、家にこもっていた島民が一斉に家を飛び出して神明神社に参拝に向かう。4日の昼が近付くと再び扮装した厄男による舞が行なわれ、13時頃には神職に支えられたオジンジキサマが舞を舞う。厄男はオタナギサマに厄を移して海に流し、オジンジキサマは再び八王子社の本殿に納められる。
*正法禅寺 - [[知多四国八十八箇所]]の38番札所。
*医徳院 - 知多四国八十八箇所の39番札所。


===史跡===
=== 祇園祭・野島祭 ===
祇園祭と野島祭は別々の起源を持つ祭礼だったが、現在は7月第2土曜日・日曜日に続けて開催されている<ref name="祇園祭・野島祭">[http://www.shinojima-matsuri.jp/july.html 7 祇園祭・野島祭] 篠島の祭礼</ref>。土曜日の祇園祭では大漁を祈願する祈祷、[[餅まき|餅投げ]]、花火大会などが行なわれ、日曜日の野島祭では海上安全を祈願する野島神社参拝、船団パレードなどが行なわれる<ref name="祇園祭・野島祭"/>。
*帝井(みかどい) - [[南朝]]の[[後醍醐天皇]]の皇子、[[義良親王]]が島に漂着したとき、島民は親王の飲料水を探し求めて、ここに発見した。そのときに掘った井戸のあとが残っている。
*鯨浜遺跡 - 鯨浜からは[[弥生時代]]の遺跡が多数出土した。[[縄文時代]]の物もあるらしいが、未だ発見されていない。[[捕鯨]]の行われていた時代に、この浜へ陸揚げされていたことが名前の由来だという。


=== 祭事・催事 ===
=== おんべ鯛奉納祭 ===
毎年6月・10月・12月の3回、[[伊勢湾]]対岸の[[伊勢神宮]]内宮に御幣鯛(おんべだい)を奉納する「おんべ鯛奉納祭」(御幣鯛奉納祭)が行なわれている<ref name="篠島について"/><ref name="SHIMADAS"/><ref name="おんべ鯛奉納祭">[http://www.shinojima-matsuri.jp/october.html 10 おんべ鯛奉納祭] 篠島の祭礼</ref>。1000年以上に渡って行なわれているとされるが、その起源は明らかでない<ref name="おんべ鯛奉納祭"/>。伊勢神宮の神嘗祭に合わせて10月に行なわれるのが本祭とされている。篠島の漁師によって調達された鯛を中手島で塩漬けにし、漁船団で伊勢を訪れておんべ鯛を奉納する<ref name="篠島について"/>。奉納する鯛のサイズと数量はあらかじめ決まっており、6月には1尺5寸(約45cm)の鯛を28匹・1尺2寸(約36cm)の鯛を50匹・7寸(約21cm)の鯛を110匹奉納し、10月には1尺2寸の鯛を50匹・7寸の鯛を110匹奉納し、12月には1尺2寸の鯛を50匹・7寸の鯛を110匹奉納する<ref name="おんべ鯛奉納祭"/>。
*[[1月3日|1月3]]、[[1月4日|4日]] 正月祭礼、大名行列([[奴振り]]がおこなわれる)

*7月中旬 ぎおんまつり(花火大会がおこなわれる)
これは[[倭姫命|ヤマトヒメノミコト]]が伊勢湾各地を巡幸した際に篠島に立ち寄り、御贄所(おにえどころ)と定めたことが由来であり<ref name="SHIMADAS"/>、1000年以上に渡って続けられている。島内の八王子社と神明神社の「御遷宮」は、[[伊勢神宮]]の古材を用いて[[神宮式年遷宮|式年遷宮]]の翌年に行われる<ref name="篠島について"/>。
*7月の第2土曜 野島祭り
*[[10月12日]] おんべ鯛奉納祭(平成25年は伊勢式年遷宮のため奉納祭は9月に行われる予定)


== 教育 ==
== 教育 ==
[[画像:篠島小中学校1.jpg|thumb|200px|right|篠島小中学校]]
[[File:篠島小中学校1.jpg|thumb|200px|right|篠島小中学校]]
=== 小・中学校 ===
*篠島小学校
*篠島中学校


1873年(明治6年)には龍門学校が開校し、1874年(明治7年)には篠島小学校と改称した<ref name="篠島・日間賀島の概要 3 各種データ"/>。[[小学校令]]公布後の1887年(明治20年)に篠島学校が設置され、1892年(明治25年)に篠島尋常小学校と改称。1908年(明治41年)に篠島尋常高等小学校と改称し、1910年(明治43年)に島南部の高台に移転した<ref name="篠島・日間賀島の概要 3 各種データ"/>。1941年(昭和16年)には篠島国民学校と改称し、1947年(昭和22年)に篠島村立篠島小学校と改称して篠島中学校を新設した<ref name="篠島・日間賀島の概要 3 各種データ"/>。1961年(昭和36年)には篠島保育所が開園し、1996年(平成8年)には小学校にプールが完成した<ref name="篠島・日間賀島の概要 3 各種データ"/>。2012年(平成24年)時点で篠島小学校には92人、篠島中学校には58人の児童生徒が在籍している<ref name="愛知県離島振興計画 Ⅱ 離島の現況"/>。
=== 高校進学 ===

*学区制によらず、県下全域の普通科高校に進学可能な特例が設けられている。
愛知県は高校の学区制を敷いており、南知多町に属する篠島から進学可能な高校は、本来ならば尾張学区の高校に限られるが、愛知県下全域の普通科高校に進学可能な特例が設けられている。1980年(昭和55年)には[[愛知県立内海高等学校|愛知県立内海高校]]篠島分校が設置されたが、生徒減少により2004年(平成16年)に閉校となった。なお、[[日間賀島]]にあった内海高校日間賀島分校も2001年(平成13年)に閉校となっており、現在は三河湾三島内に高校は設置されていない<ref name="愛知県離島振興計画 Ⅱ 離島の現況"/>。
*[[1980年]]に[[愛知県立内海高等学校|内海高校]]の篠島分校が設置されたことがあったが、生徒減少により[[2004年]]に閉校となった。

== 産業 ==
産業の中心は水産業と観光業であり、水産業は漁船漁業が主体であるが、水産加工業も盛んである<ref name="篠島・日間賀島の概要 3 各種データ"/>。漁業ではシラス漁や、3月から5月のイカナゴ漁が盛んであり、現代では船曳網漁などが行われている<ref name="日本の島事典"/>。海苔、アワビ、ワカメなどの養殖漁業も行われている<ref name="日本の島事典"/>。しかし漁獲量は減少傾向にあり、観光業の比重が高まっている<ref name="日本の島事典"/>。フグ(フク)の産地としては[[玄界灘]]([[下関]])が有名だが、2001年(平成13年)から2003年までは(平成15年)までは愛知県がトラフグの漁獲量全国トップだった。2005年(平成17年)には愛知県の総漁獲量の2/3を南知多町が占め、フグの産地としての篠島の認知度が高まっている<ref name="篠島について">[http://www.shinojima-aichi.com/tour.html 篠島について] 篠島観光協会</ref><ref>[http://www.pref.aichi.jp/cmsfiles/contents/0000008/8282/fugu_gyokaku.haenawa.pdf 参考資料1 トラフグ漁獲量] 愛知県</ref>。シラスは4月から12月にかけて漁獲され<ref name="日本島図鑑49頁">加藤 (2013)、49頁</ref>、漁業者の約6割がしらす漁に従事しているとされる<ref name="篠島について"/>。愛知県は全国でも有数のシラスの漁獲量を誇り、篠島の漁獲量は多い年で年間約5000トンといわれる<ref name="篠島について"/>。冬場にはノリやワカメの養殖も行なわれている<ref name="篠島・日間賀島の概要 3 各種データ"/>。

1993年(平成4年)に篠島を訪れた観光客数は約369,000人であり<ref name="あいちの離島振興 概要版">[http://www.pref.aichi.jp/cmsfiles/contents/0000029/29829/gaiyouban.pdf あいちの離島振興 概要版]愛知県地域振興課</ref>、日間賀島とほぼ等しかったが、2006年(平成18年)観光客は約236,000人であり、日間賀島の観光客数の約4/5だった。2011年(平成23年)の観光客数は約207,000人であり、日間賀島と同じく観光客数は減少傾向にある<ref name="篠島・日間賀島の概要 3 各種データ"/><ref name="愛知県離島振興計画 Ⅱ 離島の現況"/>。2011年の内訳は海水浴客が約10,000人、釣り客が約96,000人、その他が約101,000人であり、観光客の約半数が釣り目的で篠島を訪れている<ref name="篠島・日間賀島の概要 3 各種データ"/>。


== その他 ==
== その他 ==
万葉の丘と棚橋浦から見る夕陽の美しさにより、「日本の夕陽100選」に選ばれている<ref name="SHIMADAS"/>。1979年(昭和54年)7月26日から7月27日にかけて、シンガーソングライターの[[吉田拓郎]]が篠島でオールナイトコンサートを行った。コンサートは19時から翌朝の4時30分まで行われ、観客2万人余りを集めた<ref name="篠島を知る">[http://shinojima-matsuri.jp/#contents1 篠島を知る] 篠島の祭礼</ref>。ゲストに[[小室等]]と[[長渕剛]]、サポートメンバーには[[松任谷正隆]]、[[鈴木茂 (ギタリスト)|鈴木茂]]、[[瀬尾一三]]らがいた。「[[TAKURO TOUR 1979]]」「[[TAKURO TOUR 1979 Vol.2 落陽]]」「[[COMPLETE TAKURO TOUR 1979]]」には篠島でのライブが録音されている。2003年(平成15年)には[[ザ!鉄腕!DASH!!]]の企画「TOKIO VS 100人の刑事」(第5回)の舞台となった。その後2008年(平成20年)には「ソーラーカー 一筆書きで日本一周」で再び[[TOKIO]]のメンバーが篠島を訪れた。[[横井哲正]]の『夢見が丘』(エニックス)は篠島を舞台とした小説である。
*[[万葉集]]には「夢のみに 継ぎて見えつつ 小竹島(しのじま)の 磯越す波の しくしく思ほゆ」と詠まれており、島には歌碑も建てられている。また、[[奈良県]]の[[平城宮]]からは「参河国播豆郡篠嶋海部供奉五月料御贄佐米楚割六斤」と書かれた[[木簡]]も出土している<ref>[http://jiten.nabunken.jp/shosai/index.php?imageid=256&startpos=37&imagewidth=3&imageheight=34 木簡字典](奈良文化財研究所)</ref>。

*1000年以上に亘って毎年3回、[[白装束]]に身を包んだ島の神職が島で捕れた鯛を古式にもとづいて塩づけに調製し、船団を仕立てて対岸の[[伊勢神宮]]内宮へ「おんべ鯛」を献上している。毎年10月12日には、おんべ鯛を伊勢神宮へ奉納する「[[おんべ鯛奉納祭]]」が盛大に行なわれる。
== 関連項目 ==
*八王子社と神明神社の「御遷宮」は、[[伊勢神宮]]の古材を用いて式年遷宮の翌々年に行われる。
* [[日間賀島]] – 三河湾に浮かぶ有人島3島のひとつ。[[離島振興法]]では3島を合わせて「愛知三島」という区分に含めている。
*[[江戸時代]][[名古屋城]]築城の際には頑丈で良質な岩が取れるため、[[加藤清正]]によって篠島から大量に切り出されている。
* [[佐久島]] - 三河湾に浮かぶ有人島3島のひとつ。
*万葉の丘と棚橋浦からの夕陽の美しさで、「[[日本の夕陽100選]]」に選ばれている。
*[[1979年]][[7月26日]]〜[[7月27日|27日]]にかけ、[[シンガーソングライター]]の[[吉田拓郎]]がオールナイトコンサートを行った。コンサートは19時から翌朝の4時30分まで行われ、観客2万人余りを集めた。ゲストに[[小室等]]と[[長渕剛]]、サポートメンバーには[[松任谷正隆]]、[[瀬尾一三]]、[[ジェイク・コンセプション]]、[[バズ (バンド)|バズ]]らがいた。
*[[お笑いコンビ]]の[[玉手箱]]の2人は篠島を何度も訪れ、第二の故郷とまで言っている。
*[[2003年]]には『[[ザ!鉄腕!DASH!!]]』の企画「TOKIO VS 100人の刑事」(第5回)の舞台となった。その後[[2008年]]に「ソーラーカー 一筆書きで日本一周」で再び篠島を訪れた。
*篠島を舞台にした小説に、[[横井哲正]]『夢見が丘』エニックス刊(現在絶版)がある。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{脚注ヘルプ}}
<references group="注"/>

=== 出典 ===
{{Reflist}}
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== 関連項目 ==
== 参考文献 ==
* 『日本地理風俗大系』誠文堂新光社、1959年
* [[日間賀島]]
* 『日本地誌 第12巻 愛知県・岐阜県』二宮書店、1969年
* [[佐久島]]
* 『日本歴史地名大系 愛知県の地名』平凡社、1988年
* 『[[TAKURO TOUR 1979]]』・『[[TAKURO TOUR 1979 Vol.2 落陽]]』・『[[COMPLETE TAKURO TOUR 1979]]』 - 吉田拓郎の篠島でのライブが録音されている。
* 『島嶼大事典』日外アソシエーツ、1991年
* 『郷土資料事典 23 愛知県』ゼンリン、1997年
* 『日本の島ガイド SHIMADAS』日本離島センター、1998年
* 加藤庸ニ『原色日本島図鑑 – 日本の島443-有人島全収録-』新星出版社、2013年(改定第2版)
* 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年
* 菅田正昭編『日本の島事典』三交社、1995年
* 中日新聞社開発局『愛知百科事典』中日新聞本社、1977年
* 日本離島センター『離島統計年報 2009』、日本離島センター、2009年


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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*[http://www.shinojima-aichi.com/index.html 篠島観光協会公式サイト|愛知県 知多半島 南知多町の離島 篠島のイベント,グルメ,歴史 情報]
*[http://www.shinojima-aichi.com/index.html 篠島のイベント グルメ 歴史] 篠島観光協会
*[http://www.town.minamichita.lg.jp/main/index.html 南知多町公式サイト]
*[http://www.town.minamichita.lg.jp/main/index.html 南知多町公式サイト]
*[http://www.pref.aichi.jp/chiiki/ritou/ritou.html 愛知県地域振興課 あいちの離島振興]
*[http://www.pref.aichi.jp/chiiki/ritou/ritou.html あいちの離島振興] 愛知県地域振興課
*[http://www.shinojima-matsuri.jp/index.html 篠島の祭礼 | 篠島まちづくり会]
*[http://www.shinojima-matsuri.jp/index.html 篠島の祭礼]篠島まちづくり会
*[http://minamichita.net/ 篠島 神明神社 公式ウェブサイト]
*[http://minamichita.net/ 篠島神明神社公式ウェブサイト]


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2013年10月17日 (木) 06:02時点における版

篠島

篠島の空中写真(1977年撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
所在地 日本愛知県
所在海域 三河湾
座標 北緯34度40分35秒 東経137度0分11秒 / 北緯34.67639度 東経137.00306度 / 34.67639; 137.00306座標: 北緯34度40分35秒 東経137度0分11秒 / 北緯34.67639度 東経137.00306度 / 34.67639; 137.00306
面積 0.94[1][2] km²
海岸線長 8.2[1][2] km
最高標高 49.1[1][2] m
プロジェクト 地形
テンプレートを表示

篠島(しのじま)は、三河湾に浮かぶ離島。行政上は愛知県知多郡南知多町に属し、全域が三河湾国定公園に含まれる[3]。面積は0.93km2であり[4]、2010年(平成22年)の国勢調査における人口は634世帯1,763人である。伊勢神宮との関係が深く、1000年以上に渡っておんべ鯛の奉納が行なわれている。

地理

東岸にある海水浴場

三河湾の入り口近く、知多半島の師崎と渥美半島伊良湖岬を結ぶ線上に位置する。北約3kmの距離に日間賀島(南知多町)が、北東約7kmの距離に佐久島西尾市)があり、南知多町の本土との最短距離は約3kmである[1]。島内にはいくらかの畑地があるが、水田は存在しない[5][6][7]。最高標高地点は49.1mと三河湾三島の中でもっとも高く、中央部の不燃物処分場近くにある[4]。東岸には「さんさんビーチ」と呼ばれる天然の渚があり、緩やかな弧を描いて800m続いている。島の周囲は魚類が豊富であり、篠島港の突堤はクロダイの釣り場となっている[3]。篠島と佐久島・日間賀島との間には構造線が走っているため、篠島だけ地質が異なり、領家帯花崗岩から成る[8][2]。三河湾は平均水深約9.2mの浅い湾だが、日間賀島と篠島の間には水深約40mの深みがある[8]

属島

  • 木島 – 野島と並んで面積最大の属島。
  • 野島 – 木島と並んで面積最大の属島。
  • 小磯島 – 埋め立て工事によって篠島と陸続きになった。
  • 中手島 - 埋め立て工事によって篠島と陸続きになった。
  • 大磯島
  • 築見島
  • 松島
  • 戸亀島
  • 平島

島の周囲には木島、小磯島、大磯島、築見島、中手島、野島、松島、戸亀島、平島の計9の無人島が属島として存在したが[9]、現代の埋め立て工事によって小磯島と中手島は陸続きとなった[6]。また、かつて築見島は干潮時に篠島とひと続きだったとされている[9]。一帯はその風光明媚な景観から「東海の松島」と呼ばれる[5][3][4]。篠島の南0.8kmにある野島は面積0.03km2の無人島であり、篠島小学校がサバイバルキャンプなどに利用していたことがある[4]。篠島の北西0.2kmにある木島は面積0.03km2、最高標高36mの無人島であり、1958年(昭和33年)から1974年(昭和49年)まで日本モンキーセンターカニクイザルを飼育していた[4]。カニクイザルは近隣の築見島や野島にも放し飼いにされていた[4]。埋め立て工事によって篠島と陸続きになった中手島にはおんべ鯛の調製所があり、島自体を伊勢神宮が所有・管理している。おんべ鯛の調製を行なう際には白装束をまとい、伊勢神宮から贈られた包丁を用いる。

歴史

古代・中世

神明社からは縄文後期の貝塚が発見され、木島には弥生時代の遺跡がある[10]。古墳も多数発見されており[11]、鯨浜・神戸には弥生式後期の古墳が、妙見斎跡には横穴式石室古墳がある[3]万葉集巻七には柿本人麻呂によって「夢のみに 継ぎて見えつつ 小竹島(しのじま)の 磯越す波の しくしく思ほゆ」と詠まれているが、「小竹島」は篠島に比定されており[4][9]、塩見の丘に歌碑が建てられている[9]。また、奈良県の平城宮からは「参河国播豆郡篠嶋海部供奉五月料御贄佐米楚割六斤」と書かれた木簡が出土している[12]

篠島は伊勢国・志摩国と東国を結ぶ海上交通の要衝であり[6]、南北朝時代の延元3年(1338年)には南朝の後醍醐天皇の皇子義良親王が東国に向かう途中、難破して当地に漂着した[9][11]。篠島城を住居として6-7カ月[注 1]滞在した後、義良親王は吉野に帰還した[9]。これを物語るものとして、親王の飲料水を確保するために掘られたとされる「帝井」が存在する[11][4]奈良時代には三河国幡豆郡に属したが、その後は志摩国伊勢国に所属していたこともあり、慶長元年(1596年)に尾張国所属で落ち着いた[3]。篠島からは頑丈で良質な岩が取れるため、内海高校篠島分校跡近くには、加藤清正名古屋城を築城する際に切り出した石(清正の枕石)が残っている[4]

近世・近代

篠島村
廃止日 1961年6月1日
廃止理由 合併
内海町豊浜町師崎町篠島村・日間賀島村・→南知多町
現在の自治体 南知多町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
知多郡
面積 0.68 km2.
篠島村役場
所在地 愛知県
{{{位置画像}}}
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

江戸時代には尾張藩の流刑地であり[11][6]、数十人が篠島に流された[9]。江戸時代には漁業ではなく航海業を営む島民が多かったが、慶長元年には紀伊国・志摩国・伊勢国・尾張国・三河国・遠江国駿河国の漁業権の墨付きを徳川家康から与えられている[3]明治時代になると沿岸漁業・近海漁業が盛んとなった[3]。1876年(明治9年)には本土の師崎村や日間賀島村と合併して鴻崎村となったが、1881年(明治14年)に再び三村に分離して単独で篠島村となった[13][9]。1889年(明治22年)に町村制が施行されると、知多郡篠島村として村制を敷いた。1900年(明治33年)、愛知県立水産試験場が一色町から篠島に移転[14]。1933年(昭和8年)には篠島港が完成し、1934年(昭和9年)には海底市外電話が敷設され、1947年(昭和22年)には海底送電ケーブルで知多半島からの送電が開始された[13]

現代

1953年(昭和28年)の台風13号、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風では篠島も甚大な被害を受けた。1957年(昭和32年)には離島振興法の第7次指定地域となり、日間賀島佐久島とともに「愛知三島」という指定地域名が付けられた[15][注 2]。1961年(昭和36年)6月1日、内海町豊浜町師崎町・篠島村・日間賀島村の本土3町と離島2村が合併して南知多町となった[13]。かつては水不足に悩まされたが、1973年(昭和48年)に本土の愛知用水から海底水道敷設工事が完了し、水不足が解消するとともに観光地化が進んだ[6]。1973年(昭和48年)時点の面積は0.68km2だったが、1974年(昭和49年)から島北部で本島と属島ふたつ(中手島・小磯島)を繋ぐ0.17km2の埋め立て工事が行われ[1]、1977年(昭和52年)には0.93km2まで拡大した[5]。1958年4月には三河湾国定公園に指定され、1991年(平成3年)には三河湾地域リゾート整備構想の重点整備地区に指定されている[15]平成の大合併の際には南知多町・美浜町の任意合併協議会が設置されたが、南セントレア市という新市名候補に両町の住民が拒否反応を示して合併自体が不成立となった。現在の電気・水道・電話の普及率は100%であり、し尿と廃棄物の処理は2002年(平成14年)から島外の知多半島で行なっている[1]

行政区画の変遷

三河湾の有人島3島の行政区画の変遷
明治22年以前 明治22年 明治23年-明治45年 大正1年-大正15年 昭和1年-昭和64年 平成1年-現在
知多郡 日間賀島村 日間賀島村 日間賀島村 日間賀島村 昭和36年合併
南知多町
南知多町
篠島村 篠島村 篠島村 篠島村
幡豆郡 佐久島村 佐久島村 佐久島村 佐久島村 昭和29年合併
一色町
平成23年合併
西尾市

人口

江戸時代後期にまとめられた尾州徇行記による人口は584人で日間賀島よりも少なかったが、1874年(明治7年)には1,006人、1891年(明治24年)には1,562人と、1世紀余りの間に人口が3倍近くに増加し[14][13]、日間賀島の人口を上回った。その後も人口は増え続け、1950年(昭和25年)には過去最大値の3,785人を記録[2]。その後は1960年(昭和35年)の国勢調査で3,403人、1970年(昭和45年)には2,807人、1980年(昭和55年)には2,576人、1990年(平成2年)には2,352人、2000年(平成12年)には2,039人、2010年(平成12年)には1,763人と減少が続いている[13]。2000年調査での高齢者人口比率は22.6%だったが、2010年調査では29.4%に大きく上昇した[13][2]。2000年(平成12年)の国勢調査による人口密度は2,192人/km2であり、日間賀島(愛知県、2,882人/km2)、池島(長崎県、2,641人/km2)に次いで日本の離島中第3位だった[16]

ファイル:M10.png世帯数 / 人口
1792年(寛政4年)-1822年(文政5年)頃 584人 尾州徇行記[14]
1874年(明治7年) 1,006人 南知多町[13]
1891年(明治24年) 1,562人 角川日本地名大事典[14]
1930年(昭和5年) ファイル:M10.pngファイル:M10.pngファイル:M10.pngファイル:M10.png
468世帯・2,374人 国勢調査
1950年(昭和25年) ファイル:M50.pngファイル:M10.png
669世帯・3,785人
1970年(昭和45年) ファイル:M50.pngファイル:M10.png
685世帯・2,807人
1990年(平成2年) ファイル:M50.pngファイル:M10.png
655世帯・2,352人
2010年(平成22年) ファイル:M50.pngファイル:M10.png
634世帯・1,763人

気候

三河湾三島地域の気候は温暖であり、年平均気温は16度前後である[2]。結氷や降霜は少なく、降雪はほとんどみられないが、冬季には強い季節風が吹く[2]。1970年代の年平均降水量は1,310mmであり、2005年から2011年の平均が1,469mmだった南知多町の本土や愛知県の平均と比べてやや少ない[13]

(参考)佐久島の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C°F 10.1
(50.2)
10.4
(50.7)
12.8
(55)
17.8
(64)
21.0
(69.8)
24.6
(76.3)
27.9
(82.2)
29.4
(84.9)
26.8
(80.2)
22.4
(72.3)
17.5
(63.5)
12.4
(54.3)
19.5
(67.1)
日平均気温 °C°F 7.0
(44.6)
7.2
(45)
9.6
(49.3)
14.7
(58.5)
18.7
(65.7)
22.6
(72.7)
26.0
(78.8)
27.4
(81.3)
24.4
(75.9)
19.6
(67.3)
14.4
(57.9)
9.1
(48.4)
16.8
(62.2)
平均最低気温 °C°F 4.3
(39.7)
4.4
(39.9)
6.6
(43.9)
12.3
(54.1)
16.6
(61.9)
21.1
(70)
24.7
(76.5)
25.9
(78.6)
22.4
(72.3)
17.1
(62.8)
11.5
(52.7)
6.3
(43.3)
14.5
(58.1)
降水量 mm (inch) 52
(2.05)
65
(2.56)
84
(3.31)
121
(4.76)
145
(5.71)
135
(5.31)
136
(5.35)
100
(3.94)
197
(7.76)
151
(5.94)
67
(2.64)
42
(1.65)
1,310
(51.57)
出典:名古屋大学空電研究所資料
(参考)南知多町の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
日平均気温 °C°F 4.1
(39.4)
6.6
(43.9)
7.4
(45.3)
13.0
(55.4)
18.3
(64.9)
22.9
(73.2)
26.6
(79.9)
27.6
(81.7)
24.7
(76.5)
18.7
(65.7)
14.4
(57.9)
7.8
(46)
16.0
(60.8)
降水量 mm (inch) 38
(1.5)
81
(3.19)
103
(4.06)
124
(4.88)
184
(7.24)
179
(7.05)
191
(7.52)
84
(3.31)
177
(6.97)
169
(6.65)
70
(2.76)
70
(2.76)
1,469
(57.83)
出典:名古屋地方気象台[13]

交通

島外との交通

名鉄海上観光船知多半島渥美半島と篠島港の間に高速船カーフェリーを運航している[17]南知多町師崎港と日間賀島東港・日間賀島西港・篠島港を結ぶ定期高速船は「師崎-篠島-日間賀島-師崎」の順に巡り、師崎港から篠島港まで約10分である。2012年(平成24年)4月1日のダイヤ改正後は1日36便運航されており、始発便は師崎を6時台に出港し、最終便は篠島を19時台に出港する[17]美浜町河和港と日間賀島西港・日間賀島東港・篠島港・伊良湖港を結ぶ定期高速船は、河和港から篠島港まで約30分である。2012年4月1日のダイヤ改正後は1日11往復運行されているが、このうちの8往復は篠島港止まりである。始発便は河和を7時台に出港し、最終便は篠島を17時台に出港する[17]。いずれの路線も日間賀島までは約5分である。師崎港と篠島港を結ぶ定期カーフェリーは、師崎港から篠島港まで約20分である。2012年4月1日のダイヤ改正後は1日6往復運航されており、始発便は師崎を8時台に出港し、最終便は篠島を17時台に出港する[17]。同じ三河湾にある佐久島との間には定期航路が存在しないが[2]海上タクシーなどで行き来することができる。

島内交通

島内の道路はすべて市町村道(南知多町道)であり、道路舗装率は83.5%と愛知県平均(87.1%)と同等である[2]。定期バス路線は存在しないが、三河湾三島で唯一乗合タクシーが運行されている[2]。2011年(平成23年)時点で島内に1,354台の自動車があるが、このうち716台は軽トラックなどの軽自動車、691台は原動機付自転車である[13]

寺社仏閣

神明神社は古来より伊勢神宮と同様に20年ごとに遷宮をくり返し、伊勢神宮の御古材で造営されてきた。八王子社は造船や海上守護の神として祀られており、神明神社と同じく伊勢神宮の御古材で造営される[9]。正法禅寺は正平2年(1347年)に創建された曹洞宗の寺院であり、知多四国八十八箇所の38番札所である。西方寺は永正13年(1516年)に伊勢神宮の御古材で建立された浄土宗の寺院であり、松寿寺は曹洞宗の寺院である。医徳院は薬師如来を本尊とする真言宗の寺院であり、知多四国八十八箇所の39番札所である。建歴2年(1212年)に神宮寺として建立され、寛正元年(1460年)に寺号を医徳院に改めた。天正10年(1582年)、本能寺の変後に岡崎に帰還する徳川家康が篠島に上陸した際、医徳院で一泊した。延享元年(1744年)の改修の際には伊勢神宮から用材を下賜された[9]

祭礼

毎年1月の「正月祭礼」(大名行列)、7月の「祇園祭・野島祭」、10月の「おんべ鯛奉納祭」が篠島における三大祭礼である。

正月祭礼(大名行列)

毎年1月3日・4日には正月祭礼(大名行列)が行なわれ、多くのアマチュアカメラマンが篠島を訪れる[18]。八王子社に祀られている男性神オジンジキサマが神明神社に祀られている女性神の元に向かい、一夜を過ごしてから八王子社に帰る祭礼である[18]。3日昼には扮装した厄男が隊列(大名行列)を組み、掛け声とともに舞を舞う。18時にはオジンジキサマのオワタリが始まるが、この神事を目にすると祟りがあるとされており、電力会社の協力で島中の通電を遮断し、観光客であってもオワタリの様子を見ることは禁じられている。神職がオジンジキサマを八王子社から神明神社に運び、神明神社への到着に合わせて太鼓が打ち鳴らされると、家にこもっていた島民が一斉に家を飛び出して神明神社に参拝に向かう。4日の昼が近付くと再び扮装した厄男による舞が行なわれ、13時頃には神職に支えられたオジンジキサマが舞を舞う。厄男はオタナギサマに厄を移して海に流し、オジンジキサマは再び八王子社の本殿に納められる。

祇園祭・野島祭

祇園祭と野島祭は別々の起源を持つ祭礼だったが、現在は7月第2土曜日・日曜日に続けて開催されている[19]。土曜日の祇園祭では大漁を祈願する祈祷、餅投げ、花火大会などが行なわれ、日曜日の野島祭では海上安全を祈願する野島神社参拝、船団パレードなどが行なわれる[19]

おんべ鯛奉納祭

毎年6月・10月・12月の3回、伊勢湾対岸の伊勢神宮内宮に御幣鯛(おんべだい)を奉納する「おんべ鯛奉納祭」(御幣鯛奉納祭)が行なわれている[20][4][21]。1000年以上に渡って行なわれているとされるが、その起源は明らかでない[21]。伊勢神宮の神嘗祭に合わせて10月に行なわれるのが本祭とされている。篠島の漁師によって調達された鯛を中手島で塩漬けにし、漁船団で伊勢を訪れておんべ鯛を奉納する[20]。奉納する鯛のサイズと数量はあらかじめ決まっており、6月には1尺5寸(約45cm)の鯛を28匹・1尺2寸(約36cm)の鯛を50匹・7寸(約21cm)の鯛を110匹奉納し、10月には1尺2寸の鯛を50匹・7寸の鯛を110匹奉納し、12月には1尺2寸の鯛を50匹・7寸の鯛を110匹奉納する[21]

これはヤマトヒメノミコトが伊勢湾各地を巡幸した際に篠島に立ち寄り、御贄所(おにえどころ)と定めたことが由来であり[4]、1000年以上に渡って続けられている。島内の八王子社と神明神社の「御遷宮」は、伊勢神宮の古材を用いて式年遷宮の翌年に行われる[20]

教育

篠島小中学校

1873年(明治6年)には龍門学校が開校し、1874年(明治7年)には篠島小学校と改称した[13]小学校令公布後の1887年(明治20年)に篠島学校が設置され、1892年(明治25年)に篠島尋常小学校と改称。1908年(明治41年)に篠島尋常高等小学校と改称し、1910年(明治43年)に島南部の高台に移転した[13]。1941年(昭和16年)には篠島国民学校と改称し、1947年(昭和22年)に篠島村立篠島小学校と改称して篠島中学校を新設した[13]。1961年(昭和36年)には篠島保育所が開園し、1996年(平成8年)には小学校にプールが完成した[13]。2012年(平成24年)時点で篠島小学校には92人、篠島中学校には58人の児童生徒が在籍している[2]

愛知県は高校の学区制を敷いており、南知多町に属する篠島から進学可能な高校は、本来ならば尾張学区の高校に限られるが、愛知県下全域の普通科高校に進学可能な特例が設けられている。1980年(昭和55年)には愛知県立内海高校篠島分校が設置されたが、生徒減少により2004年(平成16年)に閉校となった。なお、日間賀島にあった内海高校日間賀島分校も2001年(平成13年)に閉校となっており、現在は三河湾三島内に高校は設置されていない[2]

産業

産業の中心は水産業と観光業であり、水産業は漁船漁業が主体であるが、水産加工業も盛んである[13]。漁業ではシラス漁や、3月から5月のイカナゴ漁が盛んであり、現代では船曳網漁などが行われている[11]。海苔、アワビ、ワカメなどの養殖漁業も行われている[11]。しかし漁獲量は減少傾向にあり、観光業の比重が高まっている[11]。フグ(フク)の産地としては玄界灘下関)が有名だが、2001年(平成13年)から2003年までは(平成15年)までは愛知県がトラフグの漁獲量全国トップだった。2005年(平成17年)には愛知県の総漁獲量の2/3を南知多町が占め、フグの産地としての篠島の認知度が高まっている[20][22]。シラスは4月から12月にかけて漁獲され[23]、漁業者の約6割がしらす漁に従事しているとされる[20]。愛知県は全国でも有数のシラスの漁獲量を誇り、篠島の漁獲量は多い年で年間約5000トンといわれる[20]。冬場にはノリやワカメの養殖も行なわれている[13]

1993年(平成4年)に篠島を訪れた観光客数は約369,000人であり[24]、日間賀島とほぼ等しかったが、2006年(平成18年)観光客は約236,000人であり、日間賀島の観光客数の約4/5だった。2011年(平成23年)の観光客数は約207,000人であり、日間賀島と同じく観光客数は減少傾向にある[13][2]。2011年の内訳は海水浴客が約10,000人、釣り客が約96,000人、その他が約101,000人であり、観光客の約半数が釣り目的で篠島を訪れている[13]

その他

万葉の丘と棚橋浦から見る夕陽の美しさにより、「日本の夕陽100選」に選ばれている[4]。1979年(昭和54年)7月26日から7月27日にかけて、シンガーソングライターの吉田拓郎が篠島でオールナイトコンサートを行った。コンサートは19時から翌朝の4時30分まで行われ、観客2万人余りを集めた[25]。ゲストに小室等長渕剛、サポートメンバーには松任谷正隆鈴木茂瀬尾一三らがいた。「TAKURO TOUR 1979」「TAKURO TOUR 1979 Vol.2 落陽」「COMPLETE TAKURO TOUR 1979」には篠島でのライブが録音されている。2003年(平成15年)にはザ!鉄腕!DASH!!の企画「TOKIO VS 100人の刑事」(第5回)の舞台となった。その後2008年(平成20年)には「ソーラーカー 一筆書きで日本一周」で再びTOKIOのメンバーが篠島を訪れた。横井哲正の『夢見が丘』(エニックス)は篠島を舞台とした小説である。

関連項目

  • 日間賀島 – 三河湾に浮かぶ有人島3島のひとつ。離島振興法では3島を合わせて「愛知三島」という区分に含めている。
  • 佐久島 - 三河湾に浮かぶ有人島3島のひとつ。

脚注

注釈

  1. ^ 日本の島事典によれば7ヶ月、日本歴史地名大系によれば6ヶ月
  2. ^ なお、通俗的には「愛知三島」ではなく「三河湾三島」と呼ぶことのほうが多い。

出典

  1. ^ a b c d e f 篠島・日間賀島の概要 2 両島の概要南知多町、2012年
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 愛知県離島振興計画 Ⅱ 離島の現況愛知県、2013年
  3. ^ a b c d e f g ゼンリン (1997)、132頁
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 日本離島センター (2004)、203-205頁「篠島」
  5. ^ a b c 中日新聞社開発局 (1977)、382頁
  6. ^ a b c d e 日外アソシエーツ (1991)
  7. ^ 誠文堂新光社 (1959)、187頁
  8. ^ a b 二宮書店 (1969)、28頁
  9. ^ a b c d e f g h i j 平凡社 (1988)、517-518頁
  10. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 (1989)、642頁
  11. ^ a b c d e f g 菅田正昭編 (1995)、54頁
  12. ^ 木簡字典 奈良文化財研究所
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 篠島・日間賀島の概要 3 各種データ南知多町、2012年
  14. ^ a b c d 角川日本地名大辞典編纂委員会 (1989)、643頁
  15. ^ a b 篠島・日間賀島の概要 1 沿革南知多町、2012年
  16. ^ 日本離島センター (2004)、857頁「人口密度の高い島BEST20」
  17. ^ a b c d 航路図・時刻表名鉄海上観光船
  18. ^ a b 1 正月行列・大名行列 篠島の祭礼
  19. ^ a b 7 祇園祭・野島祭 篠島の祭礼
  20. ^ a b c d e f 篠島について 篠島観光協会
  21. ^ a b c 10 おんべ鯛奉納祭 篠島の祭礼
  22. ^ 参考資料1 トラフグ漁獲量 愛知県
  23. ^ 加藤 (2013)、49頁
  24. ^ あいちの離島振興 概要版愛知県地域振興課
  25. ^ 篠島を知る 篠島の祭礼

参考文献

  • 『日本地理風俗大系』誠文堂新光社、1959年
  • 『日本地誌 第12巻 愛知県・岐阜県』二宮書店、1969年
  • 『日本歴史地名大系 愛知県の地名』平凡社、1988年
  • 『島嶼大事典』日外アソシエーツ、1991年
  • 『郷土資料事典 23 愛知県』ゼンリン、1997年
  • 『日本の島ガイド SHIMADAS』日本離島センター、1998年
  • 加藤庸ニ『原色日本島図鑑 – 日本の島443-有人島全収録-』新星出版社、2013年(改定第2版)
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年
  • 菅田正昭編『日本の島事典』三交社、1995年
  • 中日新聞社開発局『愛知百科事典』中日新聞本社、1977年
  • 日本離島センター『離島統計年報 2009』、日本離島センター、2009年

外部リンク