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「硫黄鳥島」の版間の差分

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{{Infobox 島
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|画像=[[Image:Iwo-torishima mlit1978.jpg|300px]]<br/>1978年、北東方向から撮影。({{国土航空写真}})
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}}硫黄鳥島の位置
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'''硫黄鳥島'''(いおうとりしま)は、[[沖縄県]]における最北端の[[島]]で、本県に属する唯一の[[活火山]]島である<ref name="okinawa-jo147vol">『沖繩大百科事典 上巻』「硫黄鳥島火山」(1983年)p.147</ref>{{refnest|group=注|沖縄県に属する火山島は硫黄鳥島と[[尖閣諸島]]の[[久場島 (沖縄県石垣市)|久場島]]の2島で、また活火山は硫黄鳥島の他に、[[西表島北北東海底火山]]が挙げられる。<ref name="katou166">加藤(1995年)p.166</ref>}}。
'''硫黄鳥島'''(いおうとりしま)は、[[南西諸島]]の[[島]]で、[[沖縄県]][[島尻郡]][[久米島町]]に属している。[[日本]]の[[気象庁]]により火山活動度ランクCの[[活火山]]とされている島で、火山名として'''沖縄鳥島'''と呼ばれたこともある。沖縄県の最北端となる[[無人島]]である。面積は2.50km&sup2;<ref>[http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/200910/shima/shima-oki.htm 沖縄の島面積]</ref>、周囲7.3km<ref>[http://cpi.kagoshima-u.ac.jp/asiapacificnow/1iwatori/iwo/project-iwotori1.html 鹿児島大学 国際島嶼教育研究センター]</ref>。

なお、同じ久米島町内には、「鳥島射爆撃場」が設置されている[[鳥島 (沖縄県)|鳥島]](久米鳥島)が存在しているが、別の島である。


== 地理 ==
== 地理 ==
[[徳之島]]の西約65km、[[久米島]]の北東約200kmの[[東シナ海]]に位置する<ref name="kado-iotorishima">『角川日本地名大辞典』「硫黄鳥島」(1991年)p.136</ref>。沖縄諸島の最北端で<ref name="kaiho">{{Cite web|year=2009|url=http://www1.kaiho.mlit.go.jp/GIJUTSUKOKUSAI/KENKYU/report/tbh27/tbh27-02.pdf|title=我が国の広域な地名及びその範囲についての調査研究|format=PDF|publisher=海上保安庁海洋情報部|accessdate=2013-05-19}}</ref>、地理的に奄美群島に近い<ref name="sugata">菅田(1995年)『鳥島』p.197</ref>。面積は2.50km&sup2;<ref name="island-area">{{Cite web|date=2012-10-01|url=http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/201210/shima.pdf|title=平成24年 全国都道府県市区町村別面積調 島面積|format=PDF|publisher=国土地理院|accessdate=2013-05-19}}</ref>、周囲7.3km<ref name="kado-iotorishima"/>、標高212mの[[火山島]]である<ref name="metro-vol421"> 『日本活火山総覧 第2版』(1996年)p.421</ref>。かつては単に'''鳥島'''<ref name="okinawa-jo148">『沖繩大百科事典 上巻』「硫黄鳥島火山」(1983年)p.148</ref>と言われ、島外へ移住した人々からは'''元鳥島'''<ref name="rekishi551"> 『日本歴史地名大系』(2002年)p.551</ref>と呼ばれる{{refnest|group=注|久米島北東沖に位置する同名の[[鳥島 (沖縄県)|鳥島]]と区別するため、この島は'''久米鳥島'''と別称される。<ref name="sugata"/><ref name="kado-torishima-naka">『角川日本地名大辞典』「鳥島」<仲里村>(1991年)p.509</ref>}}。また他に'''琉球鳥島'''<ref name="nichigai">『島嶼大事典』(1991年)p.31</ref>、火山名として'''沖縄鳥島'''<ref name="metro-vol421"/>と称されたこともある{{refnest|group=注|1975年の気象庁発行『日本活火山要覧』には「沖縄鳥島」が使用されたが、1984年の『日本活火山総覧 第1版』からは現在の島名に変更されている。<ref name="metro-vol495"> 『日本活火山総覧 第2版』(1996年)p.495</ref>}}。
[[那覇市]]の北北東約190km、[[徳之島]]の西方約65km、[[沖永良部島]]北西約65kmに位置する。行政上は沖縄県であるが、[[奄美群島]]に近く<ref>少数意見だが、沖縄県内で唯一、奄美群島に属している島という見解もある{{要出典|date=2011年12月}}。</ref>、周囲の島の行政区画は[[鹿児島県]]である。


[[琉球王国]]時代は[[琉球王国#申口方|泊地頭]](現在の那覇市泊を管轄した役職)の支配下に置かれたが、1879年に沖縄県、1896年に同県島尻郡に移管、その後1904年に移住先の具志川間切、1908年に[[具志川村]]の字名となる<ref name="kado-iotorishima-kinsei">『角川日本地名大辞典』〈近世〉「硫黄鳥島」(1991年)p.137</ref>。2002年に[[仲里村]]と合併し久米島町に属し、現在に至る<ref name="ooki8">大木(2002年)p.8</ref>。
北部にある硫黄岳と、南部にあるグスク火山の2つの火山が接合している。硫黄岳は今も水蒸気を噴出する[[成層火山]]で、有史以降に[[マグマ]]の噴出は確認されていない。グスク火山は二重式の成層火山であり、[[中央火口丘]]として溶岩円頂丘があるが、周囲には爆裂火口跡があり、かすかに噴気を認める。


=== 地形・地質 ===
島は断崖に囲まれた台地状になっており、島中央部に上るためには急峻な断崖を登らなければならない。
硫黄鳥島は北西 - 南東方向に伸びる細長い島で、長さは約3km、幅約1kmに及ぶ<ref name="kado-iotorishima"/>。北側の硫黄岳火山体には島内最高峰の「方位」<ref name="metro-vol421"/>(ホーイノ山<ref name="katou167">加藤(1995年)p.167</ref>、トリノトコヤギーノ山<ref name="kado-iotorishima"/>とも)と硫黄岳が、南端にはグスク火山体の前岳が聳える<ref name="katou167"/>。全島の岩石の殆どは[[安山岩]]質で、侵食に弱い[[火山砕屑岩]]で構成され<ref name="okinawa-jo148"/>、東部の海岸から観察すると、様々な砕屑物により縞模様に見える<ref name="katou170">加藤(1995年)p.170</ref>。また島の周囲は[[海食崖]]に覆われ、海岸の砂浜は火成岩由来の黒色に帯びている<ref name="katou170"/>。グスク火山体の中央にある「グスク」と島北西端に位置するフツヤ山は[[溶岩]]で形成された山で、地下から押し上げられた溶岩が固まって形作られた<ref name="katou171">加藤(1995年)p.171</ref>。

=== 火山 ===
硫黄鳥島は、北西の硫黄岳火山体と南東のグスク火山体の2つの火山により構成されている<ref name="okinawa-jo147vol"/>。[[地質学]]で島全体は硫黄鳥島火山と呼ばれ<ref name="katou">加藤(1995年)p.181</ref>、火山噴火予知連絡会により火山活動度ランクBの活火山と分類されている<ref>{{Cite web |date= 2003-01-21 |url=http://www.jma.go.jp/jma/press/0301/21a/yochiren.pdf |title=火山噴火予知連絡会による活火山の選定及び火山活動度による分類(ランク分け)について |format=PDF |publisher=気象庁 |accessdate=2013-06-20}}</ref>。硫黄鳥島は[[九州]]の[[桜島]]から[[トカラ列島]]へ続く[[霧島火山帯]]の最南端に属し、約数万年前の[[更新世]]後期に火山活動を開始したと考えられる<ref name="kamiya122">神谷(2007年)p.122</ref>。

硫黄岳火山は火山活動が活発で、南西に向いた高さ約100mの崖から常時[[硫黄]]を含む噴気を上げ<ref name="katou169">加藤(1995年)p.169</ref>、崖下には乳白色に呈した[[火口湖]]が見られる<ref name="kamiya122"/>。一方、グスク火山は硫黄岳と比較して火山活動は穏やかであるが、山体は島の3分の2を占める<ref name="katou168">加藤(1995年)p.168</ref>。2つの[[外輪山]]と[[中央火口丘]]を有する三重式の火山で、外側の外輪山の直径は約1.5kmに及ぶ<ref name="okinawa-jo147vol"/>。

{{multiple image
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| header = 硫黄鳥島の火山
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| footer = 共に{{国土航空写真}}。
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| image1 = Io-dake, Io-torishima.jpg
| caption1 = <div style="text-align:center;">島北西部の硫黄岳火山体。</div>
| image2 = Gusuku volcano, Io-torishima.jpg
| caption2 = <div style="text-align:center;">島南東部のグスク火山体。</div>
}}

{| class="wikitable" style="margin:0 auto;width:80%;text-align:left"
|+ 硫黄鳥島の火山活動史
! style="width:17%" | 発生時期 !! 火山活動・被害
|-
! style="text-align:left"|[[1631年]]
| [[噴火]]。死者多数<ref name="okinawa-chu972izyu">『沖繩大百科事典 中巻』「鳥島移住」(1983年)p.972</ref>。
|-
! style="text-align:left"|[[1664年]]
| 噴火、[[地震]]。『[[球陽]]』には1人死亡と記載。
|-
! style="text-align:left"|[[1796年]][[11月]]頃
| 噴火による降灰。島民は事前に徳之島へ避難。火山灰は[[沖永良部島]]までに到達し、当島の農作物に被害。翌年、[[バジル・ホール]]が硫黄鳥島付近を探索した際、既に噴火は沈静化していたという。
|-
! style="text-align:left"|[[1829年]][[12月1日]]
| 噴火に伴う火山爆発。硫黄鉱区の大半が焼失し、島民は徳之島へ避難。火山灰は[[加計呂麻島]]まで達する<ref name="okinawa-jo147jima">『沖繩大百科事典 上巻』「硫黄鳥島」(1983年)p.147</ref>。
|-
! style="text-align:left"|[[1855年]]
| 2,3ヶ月に1回の割合に噴火。硫黄鳥島内の農作物に被害。
|-
! style="text-align:left"|[[1868年]]
| 2月ないし3月に噴火したが、勢いは小さく、降灰も少なかったという。
|-
! style="text-align:left"|[[1903年]]3月 - 8月
| 3月15日頃から噴煙開始し、4月には鳴動と降灰が度々発生した。5月3日頃に噴火は最盛を迎え、8月頃まで火山活動は継続。島民の殆どは久米島に移住し、採掘員が残留。
|-
! style="text-align:left"|[[1934年]]
| 5月頃に噴気を確認。グスク火山北側に3箇所の噴気孔が形成。7月2日に[[関西]]の[[新聞社]]が硫黄鳥島の噴火を伝えたが、誤報であった。
|-
! style="text-align:left"|[[1959年]][[6月8日]]
| 硫黄岳火口から噴煙発生、上空約3,000mまで上昇。噴石や降灰等の火山活動は約1ヶ月続き、島民全員を那覇などに移住。
|-
! style="text-align:left"|[[1967年]][[11月25日]]頃
| 噴煙多量につき、硫黄採掘者を島外へ避難。以降、現在においても硫黄鳥島は無人島のままである。
|-
! style="text-align:left"|[[1968年]][[7月18日]]頃
|航行中の漁船が噴火を目撃。
|-
| colspan=2 style=text-align:left |
*出典は主に、 『日本活火山総覧 第2版』<ref name="metro-vol421"/>、 『日本の火山(III)』<ref name="volcano">『日本の火山(III)』(1979年)pp.138 - 140</ref>から。一部の項目に他の文献も付記している。
|-
|}

=== 自然 ===
{|class="wikitable" style="width:20%;float:right;text-align:center"
|{{image label begin|image=Io-torishima.png|width=220|float=none}}
<div style="position:absolute;left:20px;top:160px;font-size:13px;">[[File:North Pointer.svg|30px]]</div>
<div style="position:absolute;left:90px;top:40px;font-size:13px;">[[File:Fire.svg|8px]]方位<small>(212m)</small></div>
<div style="position:absolute;left:103px;top:62px;font-size:13px;">[[File:Fire.svg|8px]]硫黄岳<small>(208m)</small></div>
<div style="position:absolute;left:105px;top:203px;font-size:13px;">前岳<small>(190m)</small>[[File:Fire.svg|8px]]</div>
<div style="position:absolute;left:140px;top:180px;font-size:13px;"><small>グスク</small></div>
<div style="position:absolute;left:0px;top:52px;font-size:13px;">フツヤ山<small>(145m)</small></div>
<div style="position:absolute;left:60px;top:62px;font-size:13px;">[[File:Fire.svg|8px]]</div>
</div>
<span style="font-size:0.77em" class="noprint">硫黄鳥島の地形図。<br/>山岳名と標高を表記<ref name="ooki6">大木(2002年)p.6</ref>。</span>
|}

硫黄鳥島の殆どは火山砕屑物で構成されている事から、[[海底火山]]による噴出物の堆積により島が形成されたと考えられる<ref name="katou168"/>。その為、[[動植物]]の種類は非常に少なく、風や鳥などによって種子が運ばれたか、人間の手によって持ち込まれたのが繁殖した可能性が高い<ref name="katou178">加藤(1995年)p.178</ref>。

;動物
哺乳類に関しては人為的に持ち込まれ、野生化した[[ネズミ]]と[[ヤギ]]が確認された。爬虫類は、小型の[[トカゲ]]が発見されたのみで、また島内に[[ハブ]]は生息していない。鳥類は[[セッカ]]のみが繁殖、昆虫は[[シジミチョウ]]、[[カタツムリ]]、[[アリ]]、[[クモ]]の仲間が生息している。<ref name="katou177-179">加藤(1995年)pp.177 - 179</ref>

;植物
現在も噴気活動している硫黄岳火山には植物が殆ど生育していないが、グスク火山全体は緑に覆われている<ref name="katou168"/>。沖縄県では島内のみに分布する[[マルバニッケイ]]や、県内では珍しい[[シャシャンボ]]などの低木が生育している。硫黄岳火口壁にはハチジョウススキが群生しているのみである。集落跡の平坦地には、[[ススキ]]・[[チガヤ]]等が混生する草原が広がる。また人間により植林された[[リュウキュウマツ]]、[[シークァーサー]]、[[タバコ]]の木々が散在している。<ref name="katou179">加藤(1995年)p.179</ref><ref name="okinawa-jo148plant">『沖繩大百科事典 上巻』「硫黄鳥島の植物」(1983年)p.148</ref>


== 歴史 ==
== 歴史 ==
現在の硫黄鳥島が歴史書に初出するのは[[1372年]](洪武5年)で、[[察度王]]が[[明]]国へ入貢した年と合致する<ref name="ooki7">大木(2002年)p.7</ref>。古くから硫黄の産地として知られ、明への貿易重要品目の一つであった<ref name="kado-iotorishima"/>。[[1534年]]の『使琉球録』には「硫黄山」、『[[海東諸国紀]]』には「鳥島」、『中山伝信録』に「土里臣馬」と記されている<ref name="rekishi551"/>。また、航海者[[バジル・ホール]]の探検記には「硫黄島(''Sulphur Island'' )」と表記され、白煙を噴く硫黄鳥島の挿絵が描かれている<ref name="katou173">加藤(1995年)p.173</ref>。
[[琉球王国]]の時代には[[硫黄]]の採掘が行われ、[[中国]]への[[朝貢|進貢貿易]]に用いていた(琉球王国では唯一の硫黄産地だった)。奄美群島が薩摩藩に併合された際、朝貢に支障をきたす恐れがあるため、そのまま琉球王国領として存続した。硫黄採掘は戦後になっても行われており、現在でもその採掘跡を認めることができる。[[1959年]]([[昭和]]34年)に噴火のおそれがあるとして、全島民が[[久米島]]へ移住。[[1967年]](昭和42年)にも噴火し、硫黄採掘の従事者も撤退。以降、完全な無人島となっている。


島への定住時期は定かではないが、14世紀後半の察度王統以前と思われる<ref name="rekishi551"/>。硫黄鳥島から採掘された硫黄は現在の[[那覇市]]の泊(とまり)まで運搬され、[[崇元寺]]の西に位置していた硫黄蔵に保管された。原鉱硫黄を約2,3万斤(12 - 18トン)を進貢していたが、船の積載量不足で、[[嘉靖]]年間(16世紀中頃)に精錬された硫黄1万数千斤を入貢している。精錬は硫黄蔵と那覇港敷地内の硫黄城で行われ、[[琉球処分]]まで作業は続いた。<ref name="kado-tomari">『角川日本地名大辞典』「泊」(1991年)p.502</ref>
久米島町にある「鳥島」の集落は硫黄鳥島から移住した人々で作った集落である。

[[1609年]]に琉球へ侵略した[[薩摩藩]]は、[[与論島]]以北の島々を領地としたが、中国との進貢貿易を存続させる為、硫黄鳥島を琉球王府の管轄として残した。泊村を統括する[[琉球王国#申口方|泊地頭]]の管轄下に置かれ、島民から選出された役人数人と共に、島内の貢納管理と治安秩序の維持に務めた。毎年島民は硫黄1万6千斤(9.6トン)と摺貝800枚の上納義務を課せられたが、代わりに[[夫役]]免除と糧米支給がなされた。[[1666年]]には飯米の支給量が増量され、また[[1742年]]に[[ノロ]]の食糧も倍増支給された。こうした優遇政策に惹かれた島外民が移住し、人口は[[1903年]]当時で676人に増加した。硫黄鳥島は火山島で樹木が無く、飲水は専ら[[天水]]に頼らざるを得なく、旱魃による渇水に苦労した。そこで1810年に島民らが[[井戸]]を掘り当て、首里王府から恩賞を授かった。<ref name="okinawa-jo147jima"/><ref name="rekishi551"/><ref name="rekishi165"> 『日本歴史地名大系』(2002年)p.165</ref>

硫黄鳥島は噴火による災害が度々発生している。実際に1631年に死者多数、1829年12月1日に島民が徳之島へ避難している。また[[廃藩置県]]後の[[1882年]]の飢饉により、久米島への移住を推奨したが拒否された。しかし、人口増加の一方で島内の農作物の生産は追いつかず、島民の生活は益々困窮した。1903年4月に硫黄採掘坑が爆発、日本政府・沖縄県・地震調査会が調査により、島民の集団移住を決断した。同年10月に島民らは移住に同意し、約4ヶ月掛けて528人を当時の久米島具志川間切大田の仲泊海岸付近に移住、「鳥島」という名の集落を新設した。しかし、硫黄鳥島には硫黄採掘員93人が残留した。<ref name="rekishi551 - 552"> 『日本歴史地名大系』(2002年)pp.551 - 552</ref><ref name="okinawa-chu972izyu"/>

久米島への移住後も、42世帯が硫黄鳥島に再び入植した<ref name="rekishi552"> 『日本歴史地名大系』(2002年)p.552</ref>。溶岩で形成されたグスク山から[[石臼]]の原料となる安山岩が採掘され、戦前で使用された沖縄県内の石臼はすべて硫黄鳥島産であった<ref name="kado-iotorishima-kindai">『角川日本地名大辞典』〈近代〉「硫黄鳥島」(1991年)p.137</ref>。戦前には国策会社による硫黄採掘が行われ、人口は600人にまで達し、[[小中学校]]・[[診療所]]・[[役場]]も設置された<ref name="kado-iotorishima-kindai"/><ref name="ooki7"/>。しかし、1959年の噴火により全島民86人は那覇などに移住<ref name="metro-vol421"/><ref name="rekishi552"/> 、1967年も噴火により出稼ぎで来島した採掘員が撤退し、無人島となった<ref name="nichigai"/>。

硫黄鳥島の周囲は断崖で、かつての島民が設置した[[突堤]]が南部の東西両海岸に位置しているが<ref name="rekishi551"/>、船舶が接岸できる港は無い<ref name="kado-iotorishima"/>。大木(2002年)によると、東側の突堤は老朽化し、途中小さな[[艀]]に乗り換えて上陸したという<ref name="ooki7"/>。集落跡がグスク火山の中央火口丘の南にあるが、草木が繁茂しているのみで、他に雨水[[タンク]]、家屋の壁、硫黄を運搬する際に使用した[[トロッコ]]のレール束が残存しているという<ref name="ooki8"/>。

== 移住後の「鳥島」集落 ==
移住前の久米島「鳥島」集落は[[ソテツ]]や[[アダン]]が生い茂る野原であったが、近隣住民が開拓し家屋を建築した<ref name="rekishi552"/>。当集落に渡った島民らは、当初[[漁業]]に従事する者が多く、[[大正]]末期まで[[カツオ]]漁業を行っていた。その後、鳥島集落の港に多数の貨客船が発着すると、久米島島内における交通の要所として、[[商店]]や[[旅館]]が立地するようになった。1969年に同集落の東海岸に完成した[[埋め立て地]]に商業地域が形成された。<ref name="kado-torishima-gushi">『角川日本地名大辞典』「鳥島」<具志川村>(1991年)p.509</ref>

集落西に硫黄鳥島の7つの[[御嶽 (沖縄)|御嶽]]から採取された砂を壺に納めた七嶽(ななたき)神社が合祀され、毎年移住記念日の[[2月11日]]に例祭を行う<ref name="rekishi552"/><ref name="okinawa-ge59">『沖繩大百科事典 下巻』「七嶽神社」(1983年)p.59</ref>。鳥島集落の方言は久米島や[[沖縄方言|沖縄中南部の方言]]と異なり<ref name="okinawa-chu972lang">『沖繩大百科事典 中巻』「鳥島の方言」(1983年)p.972</ref>、[[奄美方言|徳之島の方言]]との共通点が多い<ref name="kado-gushikawa-torishima">『角川日本地名大辞典』「具志川村 〔現行行政地名〕 鳥島」(1991年)p.922</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{脚注ヘルプ}}
<references/>
<div class="references-small"><references group="注"/></div>

=== 出典 ===
{{Reflist|2}}

== 参考文献 ==
*「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『[[角川日本地名大辞典]] 47.沖縄県』 [[角川書店]]、1991年。ISBN 4-04-001470-7
*沖繩大百科事典刊行事務局 『沖繩大百科事典 上・中・下巻』 [[沖縄タイムス]]、1983年。
*平凡社地方資料センター 『日本歴史地名大系第四八巻 沖縄県の地名』 [[平凡社]]、2002年。ISBN 4-582-49048-4
*日外アソシエーツ編 『島嶼大事典』 [[日外アソシエーツ]]、1991年。ISBN 4-8169-1113-8
*菅田正昭編集 『日本の島事典』 [[三交社]]、1995年。ISBN 4-87919-554-5
*神谷厚昭 『琉球列島ものがたり 地層と化石が語る二億年史』 ボーダーインク、2007年。ISBN 978-4-89982-116-8
*加藤祐三 『沖縄でも地震は起きる』 ボーダーインク、1995年。
*大木隆志 『海と島の景観散歩 沖縄地図紀行』 ボーダーインク、2002年。ISBN 4-89982-027-5
*気象庁 『日本活火山総覧 第2版』 [[大蔵省]][[印刷局]]、1996年。ISBN 4-17-315150-0
*村山磐 『日本の火山(III)』 [[大明堂]]、1979年。

== 関連項目 ==
* [[南西諸島]]
* [[日本の島一覧]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www1.kaiho.mlit.go.jp/GIJUTSUKOKUSAI/kaiikiDB/kaiyo35-2.htm 海域火山データベース 海上保安庁海洋情報部:硫黄鳥島]
* [http://www.seisvol.kishou.go.jp/tokyo/601_Io-Torishima/601_index.html 気象庁 活火山情報 硫黄鳥島]
* [http://www1.kaiho.mlit.go.jp/GIJUTSUKOKUSAI/kaiikiDB/kaiyo35-2.htm 海域火山データベース 海上保安庁海洋情報部 硫黄鳥島]
* [http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=CKU994X&courseno=C1&photono=2 国土地理院 国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧システム:硫黄鳥島]
* [https://gbank.gsj.jp/volcano-AV/cgi-bin/volcanic.cgi?id=096 地質調査総合センター 活火山データベース 硫黄鳥島]
* [http://portal.cyberjapan.jp/denshi/opencjapan.cgi?x=128.226478&y=27.871364&s=10000 国土地理院 電子国土地図:硫黄鳥島]
* [http://www.seisvol.kishou.go.jp/tokyo/601_Io-Torishima/601_index.html 気象庁 活火山情報:硫黄鳥島]


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2013年11月21日 (木) 14:43時点における版

硫黄鳥島

1978年、北東方向から撮影。(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)
所在地 日本の旗 日本沖縄県島尻郡久米島町
所在海域 東シナ海
所属諸島 沖縄諸島
座標 北緯27度52分27秒 東経128度13分35秒 / 北緯27.87417度 東経128.22639度 / 27.87417; 128.22639
硫黄鳥島 (南西諸島)
面積 2.50 km²
海岸線長 7.3 km
最高標高 212 m
最高峰 方位
プロジェクト 地形
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硫黄鳥島(いおうとりしま)は、沖縄県における最北端ので、本県に属する唯一の活火山島である[1][注 1]

地理

徳之島の西約65km、久米島の北東約200kmの東シナ海に位置する[3]。沖縄諸島の最北端で[4]、地理的に奄美群島に近い[5]。面積は2.50km²[6]、周囲7.3km[3]、標高212mの火山島である[7]。かつては単に鳥島[8]と言われ、島外へ移住した人々からは元鳥島[9]と呼ばれる[注 2]。また他に琉球鳥島[11]、火山名として沖縄鳥島[7]と称されたこともある[注 3]

琉球王国時代は泊地頭(現在の那覇市泊を管轄した役職)の支配下に置かれたが、1879年に沖縄県、1896年に同県島尻郡に移管、その後1904年に移住先の具志川間切、1908年に具志川村の字名となる[13]。2002年に仲里村と合併し久米島町に属し、現在に至る[14]

地形・地質

硫黄鳥島は北西 - 南東方向に伸びる細長い島で、長さは約3km、幅約1kmに及ぶ[3]。北側の硫黄岳火山体には島内最高峰の「方位」[7](ホーイノ山[15]、トリノトコヤギーノ山[3]とも)と硫黄岳が、南端にはグスク火山体の前岳が聳える[15]。全島の岩石の殆どは安山岩質で、侵食に弱い火山砕屑岩で構成され[8]、東部の海岸から観察すると、様々な砕屑物により縞模様に見える[16]。また島の周囲は海食崖に覆われ、海岸の砂浜は火成岩由来の黒色に帯びている[16]。グスク火山体の中央にある「グスク」と島北西端に位置するフツヤ山は溶岩で形成された山で、地下から押し上げられた溶岩が固まって形作られた[17]

火山

硫黄鳥島は、北西の硫黄岳火山体と南東のグスク火山体の2つの火山により構成されている[1]地質学で島全体は硫黄鳥島火山と呼ばれ[18]、火山噴火予知連絡会により火山活動度ランクBの活火山と分類されている[19]。硫黄鳥島は九州桜島からトカラ列島へ続く霧島火山帯の最南端に属し、約数万年前の更新世後期に火山活動を開始したと考えられる[20]

硫黄岳火山は火山活動が活発で、南西に向いた高さ約100mの崖から常時硫黄を含む噴気を上げ[21]、崖下には乳白色に呈した火口湖が見られる[20]。一方、グスク火山は硫黄岳と比較して火山活動は穏やかであるが、山体は島の3分の2を占める[22]。2つの外輪山中央火口丘を有する三重式の火山で、外側の外輪山の直径は約1.5kmに及ぶ[1]

硫黄鳥島の火山
島北西部の硫黄岳火山体。
島南東部のグスク火山体。
硫黄鳥島の火山活動史
発生時期 火山活動・被害
1631年 噴火。死者多数[23]
1664年 噴火、地震。『球陽』には1人死亡と記載。
1796年11月 噴火による降灰。島民は事前に徳之島へ避難。火山灰は沖永良部島までに到達し、当島の農作物に被害。翌年、バジル・ホールが硫黄鳥島付近を探索した際、既に噴火は沈静化していたという。
1829年12月1日 噴火に伴う火山爆発。硫黄鉱区の大半が焼失し、島民は徳之島へ避難。火山灰は加計呂麻島まで達する[24]
1855年 2,3ヶ月に1回の割合に噴火。硫黄鳥島内の農作物に被害。
1868年 2月ないし3月に噴火したが、勢いは小さく、降灰も少なかったという。
1903年3月 - 8月 3月15日頃から噴煙開始し、4月には鳴動と降灰が度々発生した。5月3日頃に噴火は最盛を迎え、8月頃まで火山活動は継続。島民の殆どは久米島に移住し、採掘員が残留。
1934年 5月頃に噴気を確認。グスク火山北側に3箇所の噴気孔が形成。7月2日に関西新聞社が硫黄鳥島の噴火を伝えたが、誤報であった。
1959年6月8日 硫黄岳火口から噴煙発生、上空約3,000mまで上昇。噴石や降灰等の火山活動は約1ヶ月続き、島民全員を那覇などに移住。
1967年11月25日 噴煙多量につき、硫黄採掘者を島外へ避難。以降、現在においても硫黄鳥島は無人島のままである。
1968年7月18日 航行中の漁船が噴火を目撃。
  • 出典は主に、 『日本活火山総覧 第2版』[7]、 『日本の火山(III)』[25]から。一部の項目に他の文献も付記している。

自然

硫黄鳥島の地形図。
山岳名と標高を表記[26]

硫黄鳥島の殆どは火山砕屑物で構成されている事から、海底火山による噴出物の堆積により島が形成されたと考えられる[22]。その為、動植物の種類は非常に少なく、風や鳥などによって種子が運ばれたか、人間の手によって持ち込まれたのが繁殖した可能性が高い[27]

動物

哺乳類に関しては人為的に持ち込まれ、野生化したネズミヤギが確認された。爬虫類は、小型のトカゲが発見されたのみで、また島内にハブは生息していない。鳥類はセッカのみが繁殖、昆虫はシジミチョウカタツムリアリクモの仲間が生息している。[28]

植物

現在も噴気活動している硫黄岳火山には植物が殆ど生育していないが、グスク火山全体は緑に覆われている[22]。沖縄県では島内のみに分布するマルバニッケイや、県内では珍しいシャシャンボなどの低木が生育している。硫黄岳火口壁にはハチジョウススキが群生しているのみである。集落跡の平坦地には、ススキチガヤ等が混生する草原が広がる。また人間により植林されたリュウキュウマツシークァーサータバコの木々が散在している。[29][30]

歴史

現在の硫黄鳥島が歴史書に初出するのは1372年(洪武5年)で、察度王国へ入貢した年と合致する[31]。古くから硫黄の産地として知られ、明への貿易重要品目の一つであった[3]1534年の『使琉球録』には「硫黄山」、『海東諸国紀』には「鳥島」、『中山伝信録』に「土里臣馬」と記されている[9]。また、航海者バジル・ホールの探検記には「硫黄島(Sulphur Island )」と表記され、白煙を噴く硫黄鳥島の挿絵が描かれている[32]

島への定住時期は定かではないが、14世紀後半の察度王統以前と思われる[9]。硫黄鳥島から採掘された硫黄は現在の那覇市の泊(とまり)まで運搬され、崇元寺の西に位置していた硫黄蔵に保管された。原鉱硫黄を約2,3万斤(12 - 18トン)を進貢していたが、船の積載量不足で、嘉靖年間(16世紀中頃)に精錬された硫黄1万数千斤を入貢している。精錬は硫黄蔵と那覇港敷地内の硫黄城で行われ、琉球処分まで作業は続いた。[33]

1609年に琉球へ侵略した薩摩藩は、与論島以北の島々を領地としたが、中国との進貢貿易を存続させる為、硫黄鳥島を琉球王府の管轄として残した。泊村を統括する泊地頭の管轄下に置かれ、島民から選出された役人数人と共に、島内の貢納管理と治安秩序の維持に務めた。毎年島民は硫黄1万6千斤(9.6トン)と摺貝800枚の上納義務を課せられたが、代わりに夫役免除と糧米支給がなされた。1666年には飯米の支給量が増量され、また1742年ノロの食糧も倍増支給された。こうした優遇政策に惹かれた島外民が移住し、人口は1903年当時で676人に増加した。硫黄鳥島は火山島で樹木が無く、飲水は専ら天水に頼らざるを得なく、旱魃による渇水に苦労した。そこで1810年に島民らが井戸を掘り当て、首里王府から恩賞を授かった。[24][9][34]

硫黄鳥島は噴火による災害が度々発生している。実際に1631年に死者多数、1829年12月1日に島民が徳之島へ避難している。また廃藩置県後の1882年の飢饉により、久米島への移住を推奨したが拒否された。しかし、人口増加の一方で島内の農作物の生産は追いつかず、島民の生活は益々困窮した。1903年4月に硫黄採掘坑が爆発、日本政府・沖縄県・地震調査会が調査により、島民の集団移住を決断した。同年10月に島民らは移住に同意し、約4ヶ月掛けて528人を当時の久米島具志川間切大田の仲泊海岸付近に移住、「鳥島」という名の集落を新設した。しかし、硫黄鳥島には硫黄採掘員93人が残留した。[35][23]

久米島への移住後も、42世帯が硫黄鳥島に再び入植した[36]。溶岩で形成されたグスク山から石臼の原料となる安山岩が採掘され、戦前で使用された沖縄県内の石臼はすべて硫黄鳥島産であった[37]。戦前には国策会社による硫黄採掘が行われ、人口は600人にまで達し、小中学校診療所役場も設置された[37][31]。しかし、1959年の噴火により全島民86人は那覇などに移住[7][36] 、1967年も噴火により出稼ぎで来島した採掘員が撤退し、無人島となった[11]

硫黄鳥島の周囲は断崖で、かつての島民が設置した突堤が南部の東西両海岸に位置しているが[9]、船舶が接岸できる港は無い[3]。大木(2002年)によると、東側の突堤は老朽化し、途中小さなに乗り換えて上陸したという[31]。集落跡がグスク火山の中央火口丘の南にあるが、草木が繁茂しているのみで、他に雨水タンク、家屋の壁、硫黄を運搬する際に使用したトロッコのレール束が残存しているという[14]

移住後の「鳥島」集落

移住前の久米島「鳥島」集落はソテツアダンが生い茂る野原であったが、近隣住民が開拓し家屋を建築した[36]。当集落に渡った島民らは、当初漁業に従事する者が多く、大正末期までカツオ漁業を行っていた。その後、鳥島集落の港に多数の貨客船が発着すると、久米島島内における交通の要所として、商店旅館が立地するようになった。1969年に同集落の東海岸に完成した埋め立て地に商業地域が形成された。[38]

集落西に硫黄鳥島の7つの御嶽から採取された砂を壺に納めた七嶽(ななたき)神社が合祀され、毎年移住記念日の2月11日に例祭を行う[36][39]。鳥島集落の方言は久米島や沖縄中南部の方言と異なり[40]徳之島の方言との共通点が多い[41]

脚注

注釈

  1. ^ 沖縄県に属する火山島は硫黄鳥島と尖閣諸島久場島の2島で、また活火山は硫黄鳥島の他に、西表島北北東海底火山が挙げられる。[2]
  2. ^ 久米島北東沖に位置する同名の鳥島と区別するため、この島は久米鳥島と別称される。[5][10]
  3. ^ 1975年の気象庁発行『日本活火山要覧』には「沖縄鳥島」が使用されたが、1984年の『日本活火山総覧 第1版』からは現在の島名に変更されている。[12]

出典

  1. ^ a b c 『沖繩大百科事典 上巻』「硫黄鳥島火山」(1983年)p.147
  2. ^ 加藤(1995年)p.166
  3. ^ a b c d e f 『角川日本地名大辞典』「硫黄鳥島」(1991年)p.136
  4. ^ 我が国の広域な地名及びその範囲についての調査研究” (PDF). 海上保安庁海洋情報部 (2009年). 2013年5月19日閲覧。
  5. ^ a b 菅田(1995年)『鳥島』p.197
  6. ^ 平成24年 全国都道府県市区町村別面積調 島面積” (PDF). 国土地理院 (2012年10月1日). 2013年5月19日閲覧。
  7. ^ a b c d e 『日本活火山総覧 第2版』(1996年)p.421
  8. ^ a b 『沖繩大百科事典 上巻』「硫黄鳥島火山」(1983年)p.148
  9. ^ a b c d e 『日本歴史地名大系』(2002年)p.551
  10. ^ 『角川日本地名大辞典』「鳥島」<仲里村>(1991年)p.509
  11. ^ a b 『島嶼大事典』(1991年)p.31
  12. ^ 『日本活火山総覧 第2版』(1996年)p.495
  13. ^ 『角川日本地名大辞典』〈近世〉「硫黄鳥島」(1991年)p.137
  14. ^ a b 大木(2002年)p.8
  15. ^ a b 加藤(1995年)p.167
  16. ^ a b 加藤(1995年)p.170
  17. ^ 加藤(1995年)p.171
  18. ^ 加藤(1995年)p.181
  19. ^ 火山噴火予知連絡会による活火山の選定及び火山活動度による分類(ランク分け)について” (PDF). 気象庁 (2003年1月21日). 2013年6月20日閲覧。
  20. ^ a b 神谷(2007年)p.122
  21. ^ 加藤(1995年)p.169
  22. ^ a b c 加藤(1995年)p.168
  23. ^ a b 『沖繩大百科事典 中巻』「鳥島移住」(1983年)p.972
  24. ^ a b 『沖繩大百科事典 上巻』「硫黄鳥島」(1983年)p.147
  25. ^ 『日本の火山(III)』(1979年)pp.138 - 140
  26. ^ 大木(2002年)p.6
  27. ^ 加藤(1995年)p.178
  28. ^ 加藤(1995年)pp.177 - 179
  29. ^ 加藤(1995年)p.179
  30. ^ 『沖繩大百科事典 上巻』「硫黄鳥島の植物」(1983年)p.148
  31. ^ a b c 大木(2002年)p.7
  32. ^ 加藤(1995年)p.173
  33. ^ 『角川日本地名大辞典』「泊」(1991年)p.502
  34. ^ 『日本歴史地名大系』(2002年)p.165
  35. ^ 『日本歴史地名大系』(2002年)pp.551 - 552
  36. ^ a b c d 『日本歴史地名大系』(2002年)p.552
  37. ^ a b 『角川日本地名大辞典』〈近代〉「硫黄鳥島」(1991年)p.137
  38. ^ 『角川日本地名大辞典』「鳥島」<具志川村>(1991年)p.509
  39. ^ 『沖繩大百科事典 下巻』「七嶽神社」(1983年)p.59
  40. ^ 『沖繩大百科事典 中巻』「鳥島の方言」(1983年)p.972
  41. ^ 『角川日本地名大辞典』「具志川村 〔現行行政地名〕 鳥島」(1991年)p.922

参考文献

関連項目

外部リンク