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'''サッカースペイン代表'''({{Lang-es-short|Selección nacional de fútbol de España}})は、[[スペインサッカー連盟]](RFEF)によって編成される[[サッカー]]のナショナルチームである。愛称は'''{{Lang|es|La Roja}}'''('''ラ・ロハ'''、赤)。日本では'''[[無敵艦隊]]'''の愛称で知られる<ref>歴史上の'''「無敵艦隊」は'''[[1588年]]の[[アルマダの海戦]]でイングランド艦隊に'''壊滅的敗北を喫したため'''スペインでは使用されない。</ref>。
'''サッカースペイン代表'''({{Lang-es-short|Selección nacional de fútbol de España}})は、[[スペインサッカー連盟]](RFEF)によって編成される[[サッカー]]のナショナルチームである。愛称は'''{{Lang|es|La Roja}}'''('''ラ・ロハ'''、赤)。日本では'''[[無敵艦隊]]'''の愛称で知られる<ref>歴史上の「無敵艦隊」は[[1588年]]の[[アルマダの海戦]]でイングランド艦隊に壊滅的敗北を喫したためスペインでは使用されない。</ref>。


== 概要 ==
== 概要 ==
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== 歴史 ==
== 歴史 ==
=== 1920年代-1950年代 ===
{{節stub}}
[[File:Selección española - Amberes 1920.jpg|thumb|right|320px|1920年のアントウェルペンオリンピックに出場した選手]]

1920年、ベルギーで開催された[[アントワープオリンピックにおけるサッカー競技|アントウェルペンオリンピック]]出場を主目的としてスペイン代表が創設された。1回戦はブリュッセルのスタッド・ジョゼフ・マリエンで行なわれ、前回・前々回大会で準優勝した[[サッカーデンマーク代表|デンマーク]]戦と対戦。パトリシオ・アラボラーサが決勝点を決めて1-0で勝利した。この得点はスペイン代表の歴史上初得点でもあり、スペイン代表は国(地域)代表戦を行なった世界で28番目の国となった。2回戦では開催国の[[サッカーベルギー代表|ベルギー]]と対戦して1-3で敗れた。ベルギー代表は準決勝で[[サッカーオランダ代表|オランダ]]、決勝で[[サッカーチェコスロバキア代表|チェコスロバキア]]を下して優勝しているが、決勝ではチェコスロバキアが試合途中に審判に抗議してピッチから去り、大会結果から除外された。このため、2回戦で敗れた4ヶ国(スペイン、[[サッカースウェーデン代表|スウェーデン]]、[[サッカーイタリア代表|イタリア]]、[[サッカーノルウェー代表|ノルウェー]])と準決勝で敗れた2ヶ国([[サッカーフランス代表|フランス]]、オランダ)の間で順位決定戦が行なわれ、順位決定1回戦のスウェーデン戦(2-1)、順位決定2回戦のイタリア戦(2-0)、銀メダル決定戦のオランダ戦(3-1)に3連勝したスペインが銀メダルに輝いた。スウェーデン戦では1点を先行されたが、ホセ・マリア・ベラウステとドミンゴ・ゴメス=アセードの得点で逆転勝利。イタリア戦では[[フェリクス・セスマガ]]が素晴らしい2得点を挙げてメダルを確定させたが、これ以後は[[UEFA EURO 2012]]決勝まで92年間も公式戦でイタリアに勝利することがなかった。オランダ戦でもセスマガが2得点し、さらに[[ラファエル・モレノ・アランサディ|ピチーチ]]も得点して3-1で勝利した。この大会では[[パコ・ブル]]監督がスペイン代表を指揮し、選手はゴメス=アセード、アラボラーサ、マリアーノ・アラーテ、フアン・アルトーラ、ホアキン・バスケス、ベラウステ、サビーノ・ビルバオ、ラモン・エギアサバル、ラモン・ヒル、[[リカルド・サモラ]]、シルベリオ・イサギーレ、ピチーチ、ルイス・オテーロ、フランシスコ・パガサウルトゥンドゥア、ジョゼップ・サミティエール、アグスティン・サンチョ、セスマガ、ペドロ・バジャーナだった。スペイン代表は初めて出場した国際大会で大きな結果を残したが、次に成功を収めるまでにはかなり長い時間を擁した。

1930年代後半の[[スペイン内戦]]中には代表としての活動を停止しており、[[1938 FIFAワールドカップ]]予選には出場していない。1940年代半ばの[[第二次世界大戦]]中も活動を停止していたが、戦後には[[1950 FIFAワールドカップ・予選]]に出場し、隣国[[サッカーポルトガル代表|ポルトガル代表]]に1勝1分(5-1、2-2)の成績で本大会出場を決めた。ブラジルで開催された本大会グループリーグでは[[サッカーイングランド代表|イングランド]]、[[サッカーチリ代表|チリ]]、[[サッカーアメリカ代表|アメリカ]]を抑えて決勝トーナメントに進出。この大会はFIFAワールドカップ史上唯一決勝リーグ方式で優勝国が決められた大会であり、各グループで首位となった[[サッカーウルグアイ代表|ウルグアイ]]、[[サッカーブラジル代表|ブラジル]]、スウェーデン、スペインが優勝を争った。初戦のウルグアイ戦に2-2で引き分けたスペインは、2戦目のブラジルと最終戦のスウェーデンに連敗し、4ヶ国中4位で大会を終えた。チーム内得点王は5得点を挙げた[[エスタニスラオ・バソラ]]である。常に「期待外れ」に終わるスペイン代表はその後のFIFAワールドカップで好成績を挙げられず、4位と言う結果は60年間もスペイン代表の最高成績であり続けたが、優勝した[[2010 FIFAワールドカップ]]で記録が更新された。1960年には[[UEFA欧州選手権|欧州ネイションズカップ]](現在の[[UEFA欧州選手権]])が初開催され、スペインも[[1960 欧州ネイションズカップ]]予選に出場した。アルゼンチン出身フランス人の[[エレニオ・エレーラ]]監督とイタリア人のDaniel Newlanコーチに率いられ、予選1回戦ではポーランドに2試合合計7-2で勝利したが、政治的な理由で準々決勝の[[サッカーソビエト連邦代表|ソビエト連邦]]との対戦を拒否し、予選から撤退した。[[アルフレッド・ディ・ステファノ]]に導かれた[[1962 FIFAワールドカップ・予選]]では[[サッカーウェールズ代表|ウェールズ]]を2試合合計3-2で下し、大陸間プレーオフでは[[サッカーモロッコ代表|モロッコ]](アフリカ代表)を2試合合計4-2で下して本大会出場を決めたが、本大会グループリーグでは1勝2敗の最下位に終わった。

=== 1960年代-1980年代 ===
1964年には[[1964 欧州ネイションズカップ]]の開催国となり、初優勝を飾った。前評判の高かった[[サッカーハンガリー代表|ハンガリー]]に2-1で勝利し、決勝では4年前に対戦を拒否した[[サッカーソビエト連邦代表|ソビエト連邦]]に勝利して優勝を決めた。終盤まで1-1の同点だったが、84分に[[マルセリーノ・マルティネス]]が決勝点を決め、1920年のアントウェルペンオリンピック以来44年ぶりに主要国際タイトルを獲得した。1976年にはスペインが[[1982 FIFAワールドカップ]]の開催国に決定した。この大会から出場国が24ヶ国となり、[[ホセ・サンタマリア]]監督率いるチームへの期待は高かった。1次グループリーグでは[[サッカーホンジュラス代表|ホンジュラス]]、[[サッカーユーゴスラビア代表|ユーゴスラビア]]、[[サッカー北アイルランド代表|北アイルランド]]と同組となり、1勝1分1敗(勝ち点4)の2位で2次グループリーグに進出。2次グループリーグでは[[サッカー西ドイツ代表|西ドイツ]]、イングランドと同組となったが、1分1敗の最下位で敗退し、サンタマリア監督は解任された。

1969年に暫定監督を務めた[[ミゲル・ムニョス]]は、1982年にスペイン代表の正式な監督に就任。[[UEFA欧州選手権1984予選]]では[[サッカーオランダ代表|オランダ]]、[[サッカーアイルランド共和国代表|アイルランド共和国]]、[[サッカーアイスランド代表|アイスランド]]、[[サッカーマルタ代表|マルタ]]と同組のグループ7となった。最終節を前にしてスペインはオランダに次ぐグループ2位であり、本大会に出場するには最終節のマルタ戦に11点差以上で勝利する必要があった。ハーフタイムの時点では3-1だったが、後半に9得点して12-1で勝利し、オランダに逆転での本大会出場を決めた([[UEFA欧州選手権1984予選 スペイン 12-1 マルタ]]も参考)。本大会グループリーグでは[[サッカールーマニア代表|ルーマニア]]、[[サッカーポルトガル代表|ポルトガル]]、西ドイツと同組のグループBに組み込まれ、ルーマニア戦とポルトガル戦は1-1の引き分けだったが、西ドイツには1-0で勝利し、首位での決勝トーナメント進出を決めた。準決勝の[[サッカーデンマーク代表|デンマーク]]戦は延長を終えて1-1の引き分けであり、PK戦に5-4で勝利して決勝進出を決めた。決勝の[[サッカーフランス代表|フランス]]戦前半は0-0だったが、後半に2失点して0-2で敗れ、20年ぶりの優勝はならずに準優勝だった。

[[1986 FIFAワールドカップ・予選|1986 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]では[[サッカースコットランド代表|スコットランド]]、ウェールズ、アイスランドと同組のグループ7を勝ち抜いて本大会出場を決めた。メキシコで開催された[[1986 FIFAワールドカップ]]のグループリーグ初戦ではブラジルに敗れたが、北アイルランドと[[サッカーアルジェリア代表|アルジェリア]]には勝利して決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦のデンマーク戦では[[エミリオ・ブトラゲーニョ]]の4得点などで5-1と快勝したが、準々決勝のベルギー戦は1-1の引き分けに終わり、PK戦を4-5で落として大会からの敗退が決まった。引き続きムニョス監督が指揮を執り、[[UEFA欧州選手権1988予選]]では[[サッカーオーストリア代表|オーストリア]]、ルーマニア、[[サッカーアルバニア代表|アルバニア]]などがいたグループを印象的な成績で通過。[[UEFA欧州選手権1988]]本大会グループリーグではデンマークを3-2で破ったが、イタリアと西ドイツにはそれぞれ0-1と0-2で敗れてグループリーグ敗退となった。

=== 1990年代-2000年代前半 ===
[[File:Javier Clemente 2.jpg|thumb|right|320px|練習中の[[ハビエル・クレメンテ]]監督(左端)と選手たち]]

[[ルイス・スアレス・ミラモンテス|ルイス・スアレス]]監督が就任し、[[1990 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]ではアイルランド共和国、ハンガリー、北アイルランド、マルタのいるグループを首位で本大会出場を決めた。[[1990 FIFAワールドカップ]]本大会グループリーグではウルグアイに0-0と引き分けたが、韓国に3-1で、ベルギーに2-1で勝利して決勝トーナメントに進出。しかし決勝トーナメント1回戦ユーゴスラビアに1-2で敗れて敗退した。[[UEFA EURO '92予選]]は[[ビセンテ・ミエーラ]]監督が率いたが、フランスとチェコスロバキアに次ぐグループ3位となって本大会出場を逃した。ミエーラ監督は1992年夏に[[バルセロナオリンピックにおけるサッカー競技|バルセロナオリンピック]]に出場するスペイン代表も率い、こちらは金メダルを獲得した<ref group="注釈">1992年大会以降、オリンピックは23歳以下の選手に加えて3人までオーバーエイジ枠の選手を起用できる。しかし、あくまでも年齢別の代表扱いであり、普通はA代表の統計に含めない。</ref>。1992年には[[ハビエル・クレメンテ]]監督が就任し、[[1994 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]では8勝3分1敗で本大会出場を決めた。[[1994 FIFAワールドカップ]]本大会グループリーグでは、[[サッカー韓国代表|韓国]]に2-2、[[サッカードイツ代表|ドイツ]]に1-1、[[サッカーボリビア代表|ボリビア]]に3-1の1勝2分で2次ラウンド進出を決めた。2次ラウンドでは[[サッカースイス代表|スイス]]に3-0で勝利したが、準々決勝でイタリアに敗れた。

[[UEFA EURO '96予選]]ではデンマーク、ベルギー、キプロス、マケドニア共和国、アルメニアと同居したグループを勝ち進んだ。イングランドで開催された[[UEFA EURO '96]]本大会グループリーグではブルガリア、フランス、ルーマニアと対戦し、最初の2戦は1-1の引き分けだったが、ルーマニアには2-1で勝利。準々決勝では開催国のイングランドと対戦し、延長を終えてもスコアレスだったが、PK戦を4-2で制したイングランドが準決勝に勝ち上がった。[[1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]では[[サッカーユーゴスラビア代表|ユーゴスラビア]]、[[サッカーチェコ代表|チェコ]]と同じように無敗で本大会出場を決めた。クレメンテ監督にとって2度目のFIFAワールドカップ本大会となる[[1998 FIFAワールドカップ]]には初めて24ヶ国が出場してフランスで開催された。グループリーグでは[[サッカーナイジェリア代表|ナイジェリア]]に敗れ、[[サッカーパラグアイ代表|パラグアイ]]に引き分け、[[サッカーブルガリア代表|ブルガリア]]に勝利したが、勝ち点4のグループ3位で敗退となった。

[[UEFA EURO 2000予選]]の第1節でキプロスに2-3で敗れると、クレメンテ監督が解任されて[[ホセ・アントニオ・カマーチョ]]監督が就任した。予選の残り試合に全勝して本大会出場を決めると、[[UEFA EURO 2000]]本大会グループリーグ初戦ではノルウェーに1-0で、スロベニアに2-1で、ユーゴスラビアに4-3で勝利して準々決勝に進出したが、準々決勝では1998 FIFAワールドカップ王者のフランスに1-2で敗れた。[[2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]ではオーストリア、イスラエル、ボスニア・ヘルツェゴビナ、リヒテンシュタインと同組となり、首位通過したことで本大会での躍進が期待された。日本と韓国で共催された[[2002 FIFAワールドカップ]]本大会ではスロベニアに3-1で、パラグアイに3-1で、南アフリカに3-2で勝利し、決勝トーナメント1回戦ではアイルランド共和国にPK戦の末に勝利したが、準々決勝の韓国戦では韓国が疑惑の得点を連発し、PK戦の末に敗れた<ref>{{cite web |last=Hayward |first=Paul |url=http://www.telegraph.co.uk/sport/football/international/3029872/Korean-miracle-spoilt-by-refereeing-farce.html |title=Korean miracle spoilt by refereeing farce |publisher=Telegraph |date=23 June 2002 |accessdate=2012-06-24}}</ref>。ポルトガルで開催された[[UEFA EURO 2004]]では開催国のポルトガル、[[サッカーロシア代表|ロシア]]、[[サッカーギリシャ代表|ギリシャ]]と同組となった。ロシアには1-0で勝利し、ギリシャには1-1で引き分けたが、引き分けも勝ち上がりを決められるポルトガル戦に敗れて決勝トーナメントへの道を断たれた。大会後には[[イニャキ・サエス]]監督が解任されて[[ルイス・アラゴネス]]監督が就任した。

=== 2000年代後半-現在 ===
; 2006 FIFAワールドカップ
[[2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]ではセルビア・モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ベルギー、リトアニア、サンマリノと同組となったが、セルビア・モンテネグロに次ぐ2位となり、プレーオフでスロバキアを破ってなんとか本大会出場を決めた。ドイツで開催された[[2006 FIFAワールドカップ]]本大会グループリーグではウクライナに4-0で、チュニジアに3-1で、サウジアラビアに1-0で勝利して決勝トーナメント進出を決めたが、決勝トーナメント1回戦でフランスに1-3で敗れた。大会終了後にはブラジルとともに[[FIFAフェアプレー賞]]を受賞している。

; UEFA EURO 2008
[[File:Spain Euro 08 celebration 3.jpg|thumb|right|300px|マドリードでEURO 2008優勝を祝う選手]]

<table style="float: left; margin: 0 1em 1em 0; width: 160px; border: #99B3FF solid 1px">
<tr><td><div style="position: relative;">
[[File:Soccer.Field Transparant.png|175px]]
{{Image label|x=0.14|y=0.05|scale=350|text=[[イケル・カシージャス|<span style="font-size:0.8em; color:Black;">'''カシージャス (C)'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.04|y=0.21|scale=350|text=[[セルヒオ・ラモス|<span style="font-size:0.8em; color:Maroon;">'''ラモス'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.11|y=0.14|scale=350|text=[[カルロス・マルチェナ|<span style="font-size:0.8em; color:Maroon;">'''マルチェナ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.31|y=0.14|scale=350|text=[[カルレス・プジョル|<span style="font-size:0.8em; color:Maroon;">'''プジョル'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.33|y=0.21|scale=350|text=[[ジョアン・カプデビラ|<span style="font-size:0.8em; color:Maroon;">'''カプデビラ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.21|y=0.40|scale=350|text=[[セスク・ファブレガス|<span style="font-size:0.8em; color:Navy;">'''セスク'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.14|y=0.30|scale=350|text=[[マルコス・セナ|<span style="font-size:0.8em; color:Navy;">'''セナ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.31|y=0.30|scale=350|text=[[シャビ|<span style="font-size:0.8em; color:Navy;">'''シャビ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.33|y=0.40|scale=350|text=[[アンドレス・イニエスタ|<span style="font-size:0.8em; color:Yellow;">'''イニエスタ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.05|y=0.40|scale=350|text=[[ダビド・シルバ|<span style="font-size:0.8em; color:Yellow;">'''シルバ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.23|y=0.50|scale=350|text=[[フェルナンド・トーレス|<span style="font-size:0.8em; color:Yellow;">'''トーレス'''</span>]]}}
</div></td></tr>
<tr><td><small>[[UEFA EURO 2008決勝]]のスタメン</small></td></tr>
</table>

2006 FIFAワールドカップでの敗退後、アラゴネス監督は[[ティキ・タカ]]と呼ばれるショートパス主体で選手の連動を重視した戦術への転換を進めた。[[ガーディアン]]紙の[[ラファエル・ホーニヒシュタン]]は「[[トータル・フットボール]]の重要な改良であり、選手のポジション変更を当てにした戦術である」と表現した<ref>{{cite news|url=http://www.cbc.ca/sports/soccer/fifaworldcup/blog/2010/07/why-spain-were-anything-but-boring.html |title=Why Spain were anything but boring |publisher=CBC |date=8 July 2010 |accessdate=4 January 2012}}</ref>。[[UEFA EURO 2008予選]]では獲得可能な勝ち点36のうち28を獲得して本大会出場を決めた。スイスとオーストリアで共催された[[UEFA EURO 2008]]本大会では第12位のシード順だったが<ref group="注釈">共催国のスイスとオーストリア、前回大会優勝国のギリシャが第1位から第3位を占めたため、実質的には第9位のシード順である。</ref>、ロシアに4-1で、スウェーデンと前回大会王者のギリシャに2-1で勝利してグループDを首位通過した。準々決勝のイタリア戦はスコアレスドローの結果行われたPK戦に4-2で勝利し、準決勝では再びロシアと対戦して3-0で勝利した<ref>{{cite web |url=http://euro2008.worldcupblog.org/euro-2008-game-previews/euro-2008-final-preview-germany-vs-spain.html |title=Euro 2008 Final Preview: Germany vs Spain |date=29 June 2008 |accessdate=13 January 2012}}</ref>。ウィーンの[[エルンスト・ハッペル・シュタディオン]]で行なわれたドイツとの決勝では、[[フェルナンド・トーレス]]が33分に試合唯一の得点を挙げて1-0で勝利<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/euro_2008/7363545.stm|title=Germany 0–1 Spain|date=29 June 2008|work=BBC Sport|accessdate=2009-08-20 | location=London}}</ref>。1964年以来となる主要大会制覇を果たした。スペインは各国中最多の12得点を挙げ、4得点の[[ダビド・ビジャ]]が得点王となった。[[シャビ]]が大会最優秀選手賞を受賞し、スペインから9人もの選手がチーム・オブ・ザ・トーナメントに選出された<ref group="注釈">キーパーのカシージャス、ディフェンダーのプジョルとマルチェナ、ミッドフィールダーのシャビとセスクとイニエスタとセナ、フォワードのビジャとトーレスである。</ref>。

; FIFAコンフェデレーションズカップ2009
アラゴネス監督はEURO 2008後に退任し、[[ビセンテ・デル・ボスケ]]監督が就任<ref>{{cite web |url=http://www.skysports.com/story/0,19528,12024_3823638,00.html |title=Spain appoint Del Bosque |publisher = Sky Sports |date=15 July 2008|accessdate=4 January 2012}}</ref>。2008年の1年間にはビジャが16試合に出場して15得点を挙げ、1999年に[[ラウール・ゴンサレス|ラウール・ゴンサーレス]]が記録した年間(暦年)の最多得点数(10得点)を更新した<ref>{{cite web|url=http://www.marca.com/edicion/marca/futbol/seleccion/es/desarrollo/1185746.html |title=Villa, mejor goleador de la selección en un año natural|language=Spanish|publisher=Marca.com |date= |accessdate=2012-06-24}}</ref>。ビジャは2009年2月11日のイングランド戦でも得点して6試合連続得点を記録し、スペイン代表の連続得点記録(5試合連続)を塗り替えた<ref>{{cite web |url=http://www.goal.com/en/news/468/internationals/2009/02/12/1105433/spain-hotshot-david-villa-delighted-with-goal-against-england |title=Spain Hotshot David Villa Delighted With Goal Against England |publisher =Goal.com |date=12 February 2009 |accessdate=4 January 2012}}</ref>。デル・ボスケ監督は初采配試合から10連勝を飾り、1969年にブラジル代表を率いた[[ジョアン・サルダーニャ]]監督が記録した初采配試合からの連続勝利記録(9試合)を塗り替えた。

2009年には南アフリカで開催された[[FIFAコンフェデレーションズカップ2009]]に出場し、初戦のニュージーランド戦ではトーレスが大会史上最速のハットトリックを達成するなどして5-0で快勝。イラク戦(1-0)と南アフリカ戦(2-0)にも勝利してグループリーグを勝ち上がった。15連勝を記録するとともに、2006年から続いていた連続無敗記録を35試合に伸ばしたが、準決勝のアメリカ戦に0-2で敗れて記録が途絶えた。3位決定戦の南アフリカ戦では延長戦の末に3-2で勝利した<ref>{{cite web |url=http://goal.com/en/news/1863/world-cup-2010confederations-cup/2009/06/28/1351793/spain-finish-third-in-confederations-cup-after-thrilling |title=Spain Finish Third in Confederations Cup After Thrilling Finale Against South Africa |publisher=Goal.com |date=28 June 2009 |accessdate=4 January 2012}}</ref>。

; 2010 FIFAワールドカップ
[[File:World Cup celebration - 2.jpg|thumb|right|300px|2010 FIFAワールドカップ後の優勝パレード]]

<table style="float: left; margin: 0 1em 1em 0; width: 160px; border: #99B3FF solid 1px">
<tr><td><div style="position: relative;">
[[File:Soccer.Field Transparant.png|175px]]
{{Image label|x=0.14|y=0.05|scale=350|text=[[イケル・カシージャス|<span style="font-size:0.8em; color:Black;">'''カシージャス (C)'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.05|y=0.21|scale=350|text=[[セルヒオ・ラモス|<span style="font-size:0.8em; color:Maroon;">'''ラモス'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.17|y=0.14|scale=350|text=[[ジェラール・ピケ|<span style="font-size:0.8em; color:Maroon;">'''ピケ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.28|y=0.14|scale=350|text=[[カルレス・プジョル|<span style="font-size:0.8em; color:Maroon;">'''プジョル'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.33|y=0.21|scale=350|text=[[ジョアン・カプデビラ|<span style="font-size:0.8em; color:Maroon;">'''カプデビラ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.23|y=0.40|scale=350|text=[[シャビ|<span style="font-size:0.8em; color:Navy;">'''シャビ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.11|y=0.30|scale=350|text=[[セルヒオ・ブスケツ・ブルゴス|<span style="font-size:0.8em; color:Navy;">'''ブスケツ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.32|y=0.30|scale=350|text=[[シャビ|<span style="font-size:0.8em; color:Navy;">'''アロンソ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.40|y=0.40|scale=350|text=[[ペドロ・ロドリゲス|<span style="font-size:0.8em; color:Yellow;">'''ペドロ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.04|y=0.40|scale=350|text=[[アンドレス・イニエスタ|<span style="font-size:0.8em; color:Yellow;">'''イニエスタ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.23|y=0.50|scale=350|text=[[ダビド・ビジャ|<span style="font-size:0.8em; color:Yellow;">'''ビジャ'''</span>]]}}
</div></td></tr>
<tr><td><small>[[2010 FIFAワールドカップ・決勝]]のスタメン</small></td></tr>
</table>

2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では[[サッカーエストニア代表|エストニア]]やボスニア・ヘルツェゴビナ戦にも勝利し<ref>{{cite web |url=http://soccernet.espn.go.com/report?id=236527&cc=5739&league=FIFA.WORLDQ.UEFA |title=South Africa place secured |date=9 September 2009 |work=ESPN |accessdate=2009-10-15}}</ref><ref>{{cite web |url=http://soccernet.espn.go.com/report?id=236569&cc=4716 |title=Perfect record intact |date=14 October 2009 |work=ESPN |accessdate=2009-10-15}}</ref>、10戦全勝で予選を終えた。[[FIFAランキング]]2位で[[2010 FIFAワールドカップ]]に臨み、大会での躍進が期待された。南アフリカで開催された本大会グループリーグではスイス、ホンジュラス、チリと同組となり、初戦のスイス戦には0-1で敗れたが、ホンジュラス戦にはビジャの2得点で、チリ戦には2-1で勝利した。決勝トーナメント1回戦ではポルトガルに1-0で勝利し、準々決勝ではパラグアイにやはり1-0で勝利した。1950年大会以来となる4強入りを決め、準決勝のドイツ戦では[[カルレス・プジョル]]が頭で決勝点を決めて決勝に駒を進めた。決勝のオランダ戦は延長にもつれ込んだが、[[セスク・ファブレガス]]のパスから[[アンドレス・イニエスタ]]が決勝点を挙げ、代表の歴史上初のFIFAワールドカップ優勝を飾った。決勝は非常に荒っぽい試合となり、スペインは5枚、オランダは9枚のイエローカードと1枚のレッドカードを提示され、決勝での最多カード数を更新した。スペインは8得点2失点で大会を終えたが、得点と失点のいずれも大会最少記録となった。また、決勝までの4試合を無失点で終えた初のチームとなり、開幕戦に敗れながら優勝した初のチームとなった。過去に自国が存在する大陸以外の国で優勝したチームはブラジル(スウェーデンで開催された1958年大会、日本と韓国で共催された2002年大会で優勝)だけであり、またヨーロッパ外で開催された大会で優勝したヨーロッパ初のチームとなった。また、ヨーロッパの他の優勝経験国(イタリア、ドイツ、イングランド、フランス)はいずれも自国開催大会での優勝経験がある。スペインは2大会連続でFIFAフェアプレー賞を受賞し、多くの選手が個人賞を受賞した<ref name="2010fairplay">{{cite web|title=Forlan and Muller strike gold |url=http://www.fifa.com/worldcup/archive/southafrica2010/news/newsid=1272888/index.html |publisher=FIFA |date=11 July 2010 |accessdate=14 July 2010}}</ref>。2失点に抑えたキーパーの[[イケル・カシージャス]]はゴールデングローブ賞を受賞し、5得点1アシストのビジャはブロンズボール(優秀選手賞)とシルバーブーツ(得点ランキング2位)を受賞した。

; EURO 2012
[[File:Spain national football team Euro 2012 trophy 03.jpg|thumb|300px|right|EURO 2012のトロフィーを掲げる選手]]

<table style="float: left; margin: 0 1em 1em 0; width: 160px; border: #99B3FF solid 1px">
<tr><td><div style="position: relative;">
[[File:Soccer.Field Transparant.png|175px]]
{{Image label|x=0.16|y=0.05|scale=350|text=[[イケル・カシージャス|<span style="font-size:0.8em; color:Black;">'''カシージャス (C)'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.04|y=0.21|scale=350|text=[[アルバロ・アルベロア|<span style="font-size:0.8em; color:Maroon;">'''アルベロア'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.17|y=0.14|scale=350|text=[[ジェラール・ピケ|<span style="font-size:0.8em; color:Maroon;">'''ピケ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.28|y=0.14|scale=350|text=[[セルヒオ・ラモス|<span style="font-size:0.8em; color:Maroon;">'''ラモス'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.38|y=0.21|scale=350|text=[[ジョルディ・アルバ|<span style="font-size:0.8em; color:Maroon;">'''アルバ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.21|y=0.40|scale=350|text=[[シャビ|<span style="font-size:0.8em; color:Navy;">'''シャビ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.10|y=0.30|scale=350|text=[[シャビ・アロンソ|<span style="font-size:0.8em; color:Navy;">'''アロンソ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.31|y=0.30|scale=350|text=[[セルヒオ・ブスケツ・ブルゴス|<span style="font-size:0.8em; color:Navy;">'''ブスケツ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.33|y=0.40|scale=350|text=[[アンドレス・イニエスタ|<span style="font-size:0.8em; color:Yellow;">'''イニエスタ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.05|y=0.40|scale=350|text=[[ダビド・シルバ|<span style="font-size:0.8em; color:Yellow;">'''シルバ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.22|y=0.50|scale=350|text=[[セスク・ファブレガス|<span style="font-size:0.8em; color:Yellow;">'''セスク'''</span>]]}}
</div></td></tr>
<tr><td><small>[[UEFA EURO 2012決勝]]のスタメン<small></td></tr>
</table>

[[UEFA EURO 2012予選]]では前回大会同様に第1ポットからグループIに組み入れられ、[[サッカーチェコ代表|チェコ]]、スコットランド、[[サッカーリトアニア代表|リトアニア]]、[[サッカーリヒテンシュタイン代表|リヒテンシュタイン]]と同組となった。8試合すべてに勝利して本大会出場を決めた。

[[UEFA EURO 2012]]本大会ではグループCに組み入れられ、イタリア、[[サッカークロアチア代表|クロアチア]]、アイルランド共和国と同組となった。イタリアとの初戦では、61分に[[アントニオ・ディ・ナターレ]]に先制点を決められたが<ref name="esp-ita bbc report">{{cite news |first=Ben |last=Smith |title=Euro 2012: Spain 1–1 Italy |url=http://www.bbc.co.uk/sport/0/football/18180099 |work=BBC Sport |publisher=British Broadcasting Corporation |date=10 June 2012 |accessdate=30 June 2012}}</ref>、64分にスペインの[[ダビド・シルバ]]がセスクにパスを通し、セスクが[[ジャンルイジ・ブッフォン]]を破る同点ゴールを決めたため<ref name="esp-ita bbc report" />、試合は1-1の引き分けに終わった。2戦目のアイルランド共和国戦ではトーレスが4分に先制点を挙げ<ref name="esp-irl bbc report">{{cite news | first=Graham | last=Chase | title=Spain 4–0 Republic of Ireland | url=http://www.bbc.co.uk/sport/0/football/18180948 | work=BBC Sport | publisher=British Broadcasting Corporation | date=14 June 2012 | accessdate=30 June 2012 }}</ref>、前半終了までに追加点は生まれなかったが、49分にシルバがスペインの2点目を決めた<ref name="esp-irl bbc report" />。70分にはシルバのアシストからトーレスが自身2点目を決め<ref name="esp-irl bbc report" />、シルバのコーナーキックからセスクが駄目押しの4点目を決めた<ref name="esp-irl bbc report" />。3戦目のクロアチア戦は予想以上に厳しい試合となり、[[イヴァン・ストリニッチ]]や[[イヴァン・ペリシッチ]]などの相手攻撃陣に幾度もチャンスを作られたが、キーパーのカシージャスが問題なく処理した<ref name="cro-esp bbc report">{{cite news | first=Ben | last=Smith |title=Croatia 0–1 Spain | url=http://www.bbc.co.uk/sport/0/football/18181161 | work=BBC Sport | publisher=British Broadcasting Corporation | date=18 June 2012 | accessdate=30 June 2012 }}</ref>。試合はスコアレスドローに向かって進んでいたが、途中出場の[[ヘスス・ナバス]]が88分に決勝点を挙げた<ref name="cro-esp bbc report" />。スペインはグループリーグ3試合を2勝1分で終え、グループ首位で決勝トーナメント進出を決めた。

準々決勝では[[サッカーフランス代表|フランス]]と対戦。左サイドバックの[[ジョルディ・アルバ]]のアシストから[[シャビ・アロンソ]]がヘディングで先制点を決めた<ref name="esp-fra bbc report">{{cite news | first=Mandeep | last=Sanghera | title=Spain 2–0 France | url=http://www.bbc.co.uk/sport/0/football/18355234 | work=BBC Sport | publisher=British Broadcasting Corporation | date=23 June 2012 | accessdate=30 June 2012 }}</ref>。後半にはフランスの[[アントニー・レヴェイエール]]が[[ペドロ・ロドリゲス・レデスマ|ペドロ・ロドリゲス]]を倒し、シャビ・アロンソがPKで追加点を挙げて試合を決定づけた<ref name="esp-fra bbc report" />。準決勝では[[サッカーポルトガル代表|ポルトガル]]と対戦。ポルトガルは準々決勝で[[サッカーチェコ代表|チェコ]]と対戦し、試合終盤に[[クリスティアーノ・ロナウド]]が決勝点を挙げて勝利していた<ref name="cze-por report">{{cite news | first=Tom | last=Rostance | title=Czech Republic 1–0 Portugal | url=http://www.bbc.co.uk/sport/0/football/18355069 | work=BBC Sport | publisher=British Broadcasting Corporation | date=21 June 2012 | accessdate=30 June 2012 }}</ref>。ポルトガル戦は予想よりも難しい試合となり、多くの決定機を作られたが<ref name="por-esp bbc report">{{cite news | first=Ben | last=Smith | title=Portugal 0–0 Spain | url=http://www.bbc.co.uk/sport/0/football/18355311 | work=BBC Sport | publisher=British Broadcasting Corporation | date=27 June 2012 | accessdate=30 June 2012 }}</ref>、なんとか無失点に抑えた<ref name="por-esp bbc report" />。スペインは徐々に改善の兆しを見せたが、延長戦でも得点を挙げることはできず、試合はPK戦に持ち込まれた<ref name="por-esp bbc report" />。フランス戦でPKを成功させていたシャビ・アロンソがスペインの1番手キッカーとなったが、[[ルイ・パトリシオ]]にセーブされた<ref name="por-esp bbc report" />。ポルトガルの1番手である[[ジョアン・モウティーニョ]]のキックをカシージャスがセーブして五分となると<ref name="por-esp bbc report" />、4番手の[[ブルーノ・アルヴェス]]が外したポルトガルに対してスペインは2人目から5人目までがすべてPKを成功させ<ref name="por-esp bbc report" />、PK戦に4-3で勝利したスペインが1964年大会、1984年大会、2008年大会に続いて4度目となる決勝進出を決めた<ref name="por-esp bbc report" />。なお、スペインの4番手の[[セルヒオ・ラモス]]はパネンカと呼ばれるチップキックでPKを決めている<ref name="por-esp bbc report" />。決勝はグループリーグ初戦でも対戦したイタリア戦となり、4-0で快勝して優勝を決めた<ref name="esp-ita espn report">{{cite news | title=Spain claim historic win | url=http://soccernet.espn.go.com/report?id=346764&cc=5901 | work=ESPN Soccernet | publisher=ESPN | date=1 July 2012 | accessdate=1 July 2012 }}</ref>。スペインは開始直後から試合を支配し、14分にはシルバが先制点を、41分にはアルバが追加点を挙げ、2-0で前半を折り返した。イタリアは3人の交代枠を使い切った後に[[ティアゴ・モッタ]]がハムストリングを負傷し、10人での試合続行を余儀なくされた<ref name="esp-ita espn report" />。スペインは84分にトーレスが、88分に[[フアン・マヌエル・マタ]]が追加点を挙げ、4-0で勝利して大会2連覇を果たした<ref name="esp-ita espn report" />。

UEFA EURO 2008、2010 FIFAワールドカップ、UEFA EURO 2012で優勝したスペインは、主要国際大会3連覇を果たした初の国代表となった。なお、[[サッカーウルグアイ代表|ウルグアイ]]は1924年に[[パリオリンピック (1924年) におけるサッカー競技|パリオリンピック]]と[[コパ・アメリカ]]1924を制したが、コパ・アメリカ1925では大会中に撤退し、主要国際大会3連覇の可能性を自ら消した。また、決勝に4点差で勝利したスペインはUEFA欧州選手権決勝での最大得点差勝利記録を更新した。それまでの記録は、[[UEFA欧州選手権1972]]決勝で西ドイツがソビエト連邦に3-0で勝利した際の3点差だった。スペインはUEFA欧州選手権で3回目の優勝を果たし、それまで単独で最多優勝記録を持っていたドイツに並んだ。スペインはグループリーグ初戦から決勝までの試合で得失点差11(12得点1失点)を記録しているが、これは大会通算での最大得失点差記録となった。それまでの記録は[[UEFA欧州選手権1984]]のフランス(9点差、12得点3失点)だが、フランスはスペインより1試合少ない5試合で記録した数字である。デル・ボスケ監督はFIFAワールドカップとUEFA欧州選手権それぞれの優勝監督となったが、これは[[ヘルムート・シェーン]]監督(西ドイツ)に次いで2人目の記録である<ref>{{cite news |first=John |last=Atkin |title=Double-winning Del Bosque matches Schön feat |url=http://www.uefa.com/uefaeuro/news/newsid=1837138.html |work=UEFA.com |publisher=Union of European Football Associations |date=1 July 2012 |accessdate=1 July 2012 }}</ref>。代表での両国際大会に加えてクラブで[[UEFAチャンピオンズリーグ]]を制したのはデル・ボスケ監督が初めてである<ref>{{cite news |first=John |last=Atkin |title=Del Bosque reflects on 'historic win' for Spain |url=http://www.uefa.com/uefaeuro/season=2012/matches/round=15175/match=2003351/postmatch/quotes/index.html |work=UEFA.com |publisher=Union of European Football Associations |date=2 July 2012 |accessdate=2 July 2012 }}</ref>。2000年代前半までのスペイン代表に対するネガティブな評価は一変し、サッカー史上最高のチームのひとつ都の呼び声さえも聞こえるようになった。フランスの[[レキップ]]紙は[[ゲーリー・リネカー]]の有名な発言を言い換え、「サッカーは11人対11人で戦うスポーツであり、結局はスペインの勝利に終わる」と書いた。イギリスのガーディアン紙は「(2000年代末から2010年代初頭のスペイン代表は)永遠にスペイン代表の黄金時代として語られ、(過去・未来の)いかなるチームも比肩できないだろう」と書いた。

== スタジアム ==
[[サッカーイングランド代表|イングランド代表]]([[ウェンブリー・スタジアム]])や[[サッカーフランス代表|フランス代表]]([[スタッド・ド・フランス]])などとは異なり、スペイン代表はホームスタジアムを持たないが、国際大会予選などの公式戦は[[レアル・マドリード]]のホームスタジアムである[[エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ]](マドリード)で行なわれることが多い。その他には[[アトレティコ・マドリード]]のホームスタジアムである[[エスタディオ・ビセンテ・カルデロン]](マドリード)、[[バレンシアCF]]のホームスタジアムである[[エスタディオ・デ・メスタージャ]](バレンシア)などもよく使用され、スペイン代表はビセンテ・カルデロンでの公式戦で負けたことがない。国際親善試合ではこれらのスタジアムの他に、[[セビージャFC]]のホームスタジアムである[[エスタディオ・ラモン・サンチェス・ピスフアン]](セビージャ)もよく使用される。重要度の低い公式戦や国際親善試合などは、大都市以外で行なわれることが多く、近年では[[エスタディオ・リアソル]](ア・コルーニャ)、[[エスタディオ・ヌエバ・コンドミーナ]](ムルシア)、[[エスタディオ・カルロス・ベルモンテ]](アルバセテ)、[[エスタディオ・ロマーノ]](メリダ)などが使用されている。スペイン本土外で試合が行なわれることもあり、[[UEFA EURO 2008予選]]の[[サッカー北アイルランド代表|北アイルランド]]戦は[[カナリア諸島]]・[[グラン・カナリア島]]の[[エスタディオ・グラン・カナリア]](ラス・パルマス)で行なわれた。


==ユニフォームとロゴ==
==ユニフォームとロゴ==
79行目: 187行目:
前述のワールドカップ南アフリカ大会決勝戦はアウェイの紺色のユニホームで試合を行い、優勝を決めるとこの時の為に作られていた「ロゴの上に一つ星(ワールドカップ優勝回数を示す)」のホーム用の赤色のユニホームに着替え、表彰式に臨んだ。今後はこのロゴ入りのユニホームが使われる<ref>[http://en.wikipedia.org/wiki/File:Spain_National_Football_Team_badge.svg スペイン代表のロゴ] </ref>。
前述のワールドカップ南アフリカ大会決勝戦はアウェイの紺色のユニホームで試合を行い、優勝を決めるとこの時の為に作られていた「ロゴの上に一つ星(ワールドカップ優勝回数を示す)」のホーム用の赤色のユニホームに着替え、表彰式に臨んだ。今後はこのロゴ入りのユニホームが使われる<ref>[http://en.wikipedia.org/wiki/File:Spain_National_Football_Team_badge.svg スペイン代表のロゴ] </ref>。


{|
== 成績一覧 ==
|
{{Football kit box |
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| leftarm=ED1C24|body=ED1C24|rightarm=ED1C24|shorts=FFFFFF|socks=000000|title='''1920–21'''
}}
|
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}}
|
{{Football kit box |
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}}
|
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}}
|
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|
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}}
|}
{|
|
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}}
|
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}}
|
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|
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}}
|
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}}
|
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}}
|}
{|
|
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}}
|
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}}
|
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}}
|
{{Football kit box |
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}}
|
{{Football kit box |
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}}
|
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}}
|}
{|
|
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}}
|
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}}
|
{{Football kit box |
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}}
|
{{Football kit box |
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|
{{Football kit box |
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|
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}}
|}
{|
|
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|
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|
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}}
|
|}

== 成績 ==
{{colorbox|gold}} '''優勝'''&nbsp;&nbsp;{{colorbox|silver}} '''準優勝'''&nbsp;{{colorbox|#cc9966}} '''3位'''&nbsp;{{colorbox|LemonChiffon}} '''4位'''
{{colorbox|gold}} '''優勝'''&nbsp;&nbsp;{{colorbox|silver}} '''準優勝'''&nbsp;{{colorbox|#cc9966}} '''3位'''&nbsp;{{colorbox|LemonChiffon}} '''4位'''

{| class="wikitable" style="font-size:90%; text-align:center;"
|-
! 大会 !!{{gold1}} !!{{silver2}} !!{{bronze3}} !! 通算
|-
|align=left|[[オリンピックサッカー競技|夏季オリンピック]]
|1 || 2 || 0 || 3
|-
|align=left|[[FIFAコンフェデレーションズカップ]]
|0 || 0 || 1 || 1
|-
|align=left|[[FIFAワールドカップ]]
|1 || 0 || 0 || 1
|-
|align=left|[[UEFA欧州選手権]]
|3 || 1 || 0 || 4
|-
|align=left|[[ユニバーシアードサッカー競技|ユニバーシアード]]
|1 || 0 || 0 || 1
|-
|align=left|[[地中海競技大会]]
|2 || 1 || 2 || 5
|-
|align=left|[[FIFAチーム・オブ・ザ・イヤー]]
|5 || 1 || 2 || 8
|-
|align=left|[[国際サッカー連盟]](FIFA)主催 世代別世界大会
|3 || 5 || 3 || 11
|-
|align=left|[[欧州サッカー連盟]](UEFA)主催 世代別大会
|18 || 10 || 12 || 40
|-
! 通算 !! 34 !! 20 !! 20 !! 74
|}


=== FIFAワールドカップ ===
=== FIFAワールドカップ ===
283行目: 571行目:
|}
|}
<sup>注1</sup>[[スペイン内戦]]の為
<sup>注1</sup>[[スペイン内戦]]の為

=== 地中海競技大会 ===
{| class="wikitable" style="font-size:90%; text-align:center;"
|-
! 開催国/年 !! 成績 !! 試 !! 勝 !! 分 !! 負 !! 得 !! 失 !
|-
|{{flagicon|EGY}} 1951
|colspan=7|不参加
|-bgcolor=silver
|{{flagicon|ESP}} 1955
|準優勝
||3||2||1||0||6||2
|-
|{{flagicon|LIB}} 1959
|colspan=7|不参加
|-bgcolor=#CD7F32
|{{flagicon|ITA}} 1963
|3位
||5||3||2||0||15||5
|-bgcolor=#CD7F32
|{{flagicon|TUN}} 1967
|3位
||5||2||2||1||7||5
|-
|{{flagicon|TUR}} 1971
|colspan=7 rowspan=7|不参加<ref group="注釈">1963年から1993年まではアマチュアチームが参加していた。</ref>
|-
|{{flagicon|ALG}} 1975
|-
|{{flagicon|YUG}} 1979
|-
|{{flagicon|MAR}} 1983
|-
|{{flagicon|SYR}} 1987
|-
|{{flagicon|GRE}} 1991
|-
|{{flagicon|FRA}} 1993
|-bgcolor=#9acdff
|{{flagicon|ITA}} 1997
|4位
||4||1||1||2||2||4
|-
|{{flagicon|TUN}} 2001
|colspan=7|不参加
|-bgcolor=gold
|{{flagicon|ESP}} 2005
|'''優勝'''
||4||3||1||0||9||1
|-bgcolor=gold
|{{flagicon|ITA}} 2009
|'''優勝'''
||4||3||1||0||9||4
|-
|{{flagicon|TUR}} 2013
|colspan=7|出場決定
|-
|{{flagicon|ESP}} 2017
|開催国
|TBD
||--||--||--||--||--
|-
! 通算 || 2位 || 35 || 22 || 9 || 4 || 72 || 27
|}
<small>出典: [http://www.rsssf.com/tablesm/medgames.html RSSSF]</small>


=== 大会(試合)種類別成績 ===
=== 大会(試合)種類別成績 ===
599行目: 952行目:
|[[ロンドン]]
|[[ロンドン]]
|7||1||1||5||6||20||1955/11/30||[[サッカーイングランド代表|イングランド]]||4-'''1'''||A||2011/11/12||[[サッカーイングランド代表|イングランド]]||1-'''0'''||A
|7||1||1||5||6||20||1955/11/30||[[サッカーイングランド代表|イングランド]]||4-'''1'''||A||2011/11/12||[[サッカーイングランド代表|イングランド]]||1-'''0'''||A
|}

== タイトル ==
=== 主要タイトル ===
* '''[[FIFAワールドカップ]]'''
: '''優勝 (1):''' 2010
: 4位 (1): 1950

* '''[[UEFA欧州選手権]]'''
: '''優勝 (3):''' 1964, 2008, 2012
: 準優勝 (1): 1984

* '''[[FIFAコンフェデレーションズカップ]]'''
: 3位 (1): 2009

* '''[[オリンピックサッカー競技|夏季オリンピック]]'''
: '''金メダル (1):''' 1992
: 銀メダル (2): 1920, 2000

===その他のタイトル===
* '''[[FIFAフェアプレー賞]]'''
: '''受賞 (2):''' 2006, 2010

* '''[[FIFAチーム・オブ・ザ・イヤー]]'''
: '''受賞 (5):''' 2008, 2009, 2010, 2011, 2012

* '''[[アストゥリアス皇太子賞]] スポーツ部門'''
: '''受賞 (1):''' 2010

* '''[[ローレウス世界スポーツ賞]]'''
: '''受賞 (1):''' 2011

=== 非公式タイトル ===
* '''[[ワールドサッカー (雑誌)|ワールドサッカー]]誌選出 ワールド・チーム・オブ・ザ・イヤー
: '''受賞 (3):''' 2008, 2010, 2012

* '''[[トロフェオ・ビセンテナリオ]]'''
: '''優勝 (1):''' 2010

* '''[[コパ・V・センテナリオ]]'''
: '''優勝 (1):''' 2012

* '''[[非公式サッカー世界王者]]'''
:''' タイトル保持期間''' 1961年6月11日-1962年5月31日, 1972年1月12日-1973年5月2日, 1986年6月18日-1986年6月22日, 2001年3月28日-2002年3月27日, 2010年7月11日-2010年9月7日

=== 2007年から2009年の35戦連続無敗 ===
スペイン代表は2007年2月7日から2009年6月24日まで35戦連続無敗を続け、1993年12月16日から1996年1月21日まで35戦連続無敗を続けたブラジル代表の記録に並んだ。ブラジル代表はU-23代表を送り込んだ1996年の[[CONCACAFゴールドカップ]]でメキシコに敗れたが、公式にA代表の敗北としてカウントされている。この敗北を除けば、ブラジル代表は1997年5月30日にノルウェーに敗れるまで無敗を続けており、45試合連続無敗を続けたことになる。スペイン代表とブラジル代表の無敗記録を途絶えさせたのは、いずれも[[北中米カリブ海サッカー連盟]](CONCACAF)所属国である。

{| class="wikitable collapsible collapsed"
|-
! 日付 !! 対戦相手 !! スコア !! 場所 !! 大会
|-
| style="text-align:center;" colspan="5"|'''2007'''
|- style="background:#dfd;"
| 2月7日
| {{fb|England}}
| align=center|1–0
| [[マンチェスター]], [[オールド・トラッフォード]]
| 親善試合
|- style="background:#dfd;"
| 3月24日
| {{fb|Denmark}}
| align=center|2–1
| [[マドリード]], [[エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ|サンティアゴ・ベルナベウ]]
| [[UEFA EURO 2008予選]]
|- style="background:#dfd;"
| 3月28日
| {{fb|Iceland}}
| align=center|1–0
| [[パルマ・デ・マジョルカ|パルマ]], [[イベロスター・エスタディ|イベロスタール]]
| [[UEFA EURO 2008予選]]
|- style="background:#dfd;"
| 6月2日
| {{fb|Latvia}}
| align=center|2–0
| [[リガ]], [[スコント・スタディオン]]
| [[UEFA EURO 2008予選]]
|- style="background:#dfd;"
| 6月6日
| {{fb|Liechtenstein}}
| align=center|2–0
| [[ファドゥーツ]], [[ラインパーク・シュタディオン]]
| [[UEFA EURO 2008予選]]
|- style="background:#dfd;"
| 8月22日
| {{fb|Greece}}
| align=center|3–2
| [[テッサロニキ]], [[トゥンバ・スタジアム]]
| 親善試合
|- style="background:#fffacd;"
| 9月8日
| {{fb|Iceland}}
| align=center|1–1
| [[レイキャヴィーク]], [[ラウガルタルスヴェルル]]
| [[UEFA EURO 2008予選]]
|- style="background:#dfd;"
| 9月12日
| {{fb|Latvia}}
| align=center|2–0
| [[オビエド]], [[エスタディオ・カルロス・タルティエーレ|カルロス・タルティエーレ]]
| [[UEFA EURO 2008予選]]
|- style="background:#dfd;"
| 10月13日
| {{fb|Denmark}}
| align=center|3–1
| [[オーフス]], [[アットレション]]
| [[UEFA EURO 2008予選]]
|- style="background:#fffacd;"
| 10月17日
| {{fb|Finland}}
| align=center|0–0
| [[ヘルシンキ]], [[ヘルシンキ・オリンピックスタジアム|オリンピック・スタジアム]]
| 親善試合
|- style="background:#dfd;"
| 11月17日
| {{fb|Sweden}}
| align=center|3–0
| [[マドリード]], [[エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ|サンティアゴ・ベルナベウ]]
| [[UEFA EURO 2008予選]]
|- style="background:#dfd;"
| 11月21日
| {{fb|Northern Ireland}}
| align=center|1–0
| [[ラス・パルマス]], [[エスタディオ・グラン・カナリア|グラン・カナリア]]
| [[UEFA EURO 2008予選]]
|-
| style="text-align:center;" colspan="5"|'''2008'''
|- style="background:#dfd;"
| 2月6日
| {{fb|France}}
| align=center|1–0
| [[マラガ]], [[エスタディオ・ラ・ロサレーダ|ラ・ロサレーダ]]
| 親善試合
|- style="background:#dfd;"
| 3月26日
| {{fb|ITA}}
| align=center|1–0
| [[エルチェ]], [[エスタディオ・マヌエル・マルティネス・バレーロ|マルティネス・バレーロ]]
| 親善試合
|- style="background:#dfd;"
| 5月31日
| {{fb|Peru}}
| align=center|2–1
| [[ウエルバ]], [[エスタディオ・ヌエボ・コロンビーノ|ヌエボ・コロンビーノ]]
| 親善試合
|- style="background:#dfd;"
| 6月4日
| {{fb|United States}}
| align=center|1–0
| [[サンタンデール (スペイン)|サンタンデール]], [[エル・サルディネーロ]]
| 親善試合
|- style="background:#dfd;"
| 6月10日
| {{fb|Russia}}
| align=center|4–1
| [[インスブルック]], [[ティヴォリ・シュターディオン]]
| [[UEFA EURO 2008]]グループD
|- style="background:#dfd;"
| 6月14日
| {{fb|Sweden}}
| align=center|2–1
| [[インスブルック]], [[ティヴォリ・シュターディオン]]
| [[UEFA EURO 2008]]グループD
|- style="background:#dfd;"
| 6月18日
| {{fb|Greece}}
| align=center|2–1
| [[ザルツブルク]], [[レッドブル・アレーナ]]
| [[UEFA EURO 2008]]グループD
|- style="background:#fffacd;"
| 6月22日
| {{fb|Italy}}
| align=center|0–0
| [[ウィーン]], [[エルンスト・ハッペル・シュタディオン]]
| [[UEFA EURO 2008]]準々決勝
|- style="background:#dfd;"
| 6月26日
| {{fb|Russia}}
| align=center|3–0
| [[ウィーン]], [[エルンスト・ハッペル・シュタディオン]]
| [[UEFA EURO 2008]]準決勝
|- style="background:#dfd;"
| 6月29日
| {{fb|Germany}}
| align=center|1–0
| [[ウィーン]], [[エルンスト・ハッペル・シュタディオン]]
| [[UEFA EURO 2008]]決勝
|- style="background:#dfd;"
| 8月20日
| {{fb|Denmark}}
| align=center|3–0
| [[コペンハーゲン]], [[パルケン・スタディオン]]
| 親善試合
|- style="background:#dfd;"
| 9月6日
| {{fb|Bosnia and Herzegovina}}
| align=center|1–0
| [[ムルシア]], [[エスタディオ・ヌエバ・コンドミーナ|ヌエバ・コンドミーナ]]
| [[2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]
|- style="background:#dfd;"
| 9月10日
| {{fb|Armenia}}
| align=center|4–0
| [[アルバセテ]], [[エスタディオ・カルロス・ベルモンテ|カルロス・ベルモンテ]]
| [[2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]
|- style="background:#dfd;"
| 10月11日
| {{fb|Estonia}}
| align=center|3–0
| [[タリン]], [[ア・ル・コック・アレーナ]]
| [[2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]
|- style="background:#dfd;"
| 10月15日
| {{fb|Belgium}}
| align=center|2–1
| [[ブリュッセル]], [[ボードゥアン国王競技場]]
| [[2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]
|- style="background:#dfd;"
| 11月19日
| {{fb|Chile}}
| align=center|3–0
| [[ビジャレアル]], [[エスタディオ・エル・マドリガル|エル・マドリガル]]
| 親善試合
|-
| style="text-align:center;" colspan="5"|'''2009'''
|- style="background:#dfd;"
| 2月11日
| {{fb|England}}
| align=center|2–0
| [[セビージャ]], [[エスタディオ・ラモン・サンチェス・ピスフアン|サンチェス・ピスフアン]]
| 親善試合
|- style="background:#dfd;"
| 3月28日
| {{fb|Turkey}}
| align=center|1–0
| [[マドリード]], [[エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ|サンティアゴ・ベルナベウ]]
| [[2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]
|- style="background:#dfd;"
| 4月1日
| {{fb|Turkey}}
| align=center|2–1
| [[イスタンブル]], [[アリ・サミ・イェン・スタジアム]]
| [[2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]
|- style="background:#dfd;"
| 6月9日
| {{fb|Azerbaijan}}
| align=center|6–0
| [[バクー]], [[トフィク・バフラモフ・スタジアム]]
| 親善試合
|- style="background:#dfd;"
| 6月14日
|{{fb|New Zealand}}
| align=center|5–0
| [[ルステンブルク]], [[ロイヤル・バフォケン・スタジアム]]
| [[FIFAコンフェデレーションズカップ2009]]グループリーグ
|- style="background:#dfd;"
| 6月17日
| {{fb|Iraq}}
| align=center|1–0
| [[ブルームフォンテーン]], [[フリーステイト・スタジアム]]
| [[FIFAコンフェデレーションズカップ2009]]グループリーグ
|- style="background:#dfd;"
| 6月20日
| {{fb|South Africa}}
| align=center|2–0
| [[ブルームフォンテーン]], [[フリーステイト・スタジアム]]
| [[FIFAコンフェデレーションズカップ2009]]グループリーグ
|}
|}


803行目: 1,423行目:
|-
|-
|[[ビセンテ・デル・ボスケ]]||2008-
|[[ビセンテ・デル・ボスケ]]||2008-
|}

== FIFAランキングの推移 ==
{| class="wikitable" style="text-align: center; font-size:80%"
|-
!width=65 |年
! 1月 !! 2月 !! 3月 !! 4月 !! 5月 !! 6月 !! 7月 !! 8月 !! 9月 !! 10月 !! 11月 !! 12月
|-
||'''1993'''||--||--||--||--||--||--||--||13位 (50)||14位 (52)||7位 (55)||7位 (57)||5位 (57)
|-
||'''1994'''||--||6位 (56)||6位 (55)||7位 (55)||9位 (54)||5位 (55)||6位 (59)||--||6位 (59)||6位 (59)||5位 (60)|| style="background:silver;"|2位 (61)
|-
||'''1995'''||--|| style="background:silver;"|2位 (61)||--|| style="background:#cd7f32;"|3位 (61)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (61)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (60)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (58)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (58)||6位 (59)|| style="background:silver;"|2位 (60)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (61)||4位 (59)
|-
||'''1996'''||4位 (59)||4位 (60)||--||6位 (58)||6位 (57)||--||8位 (59)||7位 (58)||10位 (57)||10位 (57)||8位 (59)||8位 (60)
|-
||'''1997'''||--||7位 (60)||--||4位 (61)||5位 (61)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (62)|| style="background:silver;"|2位 (63)|| style="background:silver;"|2位 (63)||6位 (61)|| style="background:silver;"|2位 (65)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (62)||11位 (59)
|-
||'''1998'''||--||23位 (55)|| style="background:#fdd;"|25位 (55)||9位 (57)||15位 (56)||--||14位 (60)||14位 (59)||14位 (58)||16位 (58)||15位 (58)||15位 (58)
|-
||'''1999'''||9位 (703)||9位 (706)||9位 (704)||8位 (720)||8位 (724)||6位 (732)||8位 (714)||7位 (713)||4位 (757)||4位 (767)||4位 (758)||4位 (753)
|-
||'''2000'''||4位 (753)||4位 (751)||4位 (747)||4位 (743)||4位 (736)||4位 (728)||4位 (744)||5位 (743)||5位 (740)||5位 (745)||6位 (742)||7位 (735)
|-
||'''2001'''||7位 (734)||7位 (732)||7位 (727)||7位 (725)||6位 (724)||6位 (733)||6位 (715)||8位 (716)||6位 (730)||6位 (730)||7位 (731)||7位 (730)
|-
||'''2002'''||7位 (730)||7位 (727)||7位 (728)||8位 (715)||8位 (713)||--||4位 (774)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (775)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (774)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (779)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (779)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (779)
|-
||'''2003'''|| style="background:#cd7f32;"|3位 (780)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (783)|| style="background:silver;"|2位 (780)|| style="background:silver;"|2位 (785)|| style="background:silver;"|2位 (784)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (762)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (755)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (748)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (767)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (777)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (785)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (798)
|-
||'''2004'''|| style="background:#cd7f32;"|3位 (798)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (795)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (791)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (790)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (784)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (785)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (792)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (790)|| style="background:#cd7f32;"|3位 (788)||4位 (774)||4位 (755)||5位 (765)
|-
||'''2005'''||5位 (764)||5位 (764)||5位 (759)||7位 (755)||8位 (752)||9位 (747)||8位 (744)||8位 (739)||8位 (750)||8位 (764)||6位 (771)||5位 (768)
|-
||'''2006'''||5位 (768)||6位 (765)||6位 (763)||5位 (759)||5位 (756)||--||7位 (1.309)||7位 (1.309)||10位 (1.255)||10位 (1.198)||12位 (1.154)||12位 (1.154)
|-
||'''2007'''||12位 (1.154)||10位 (1.161)||10位 (1.161)||9位 (1.237)||9位 (1.238)||7位 (1.273)||9位 (1.144)||8位 (1.165)||7位 (1.178)||6位 (1.226)||4位 (1.349)||4位 (1.349)
|-
||'''2008'''||4位 (1.349)||4位 (1.352)||4位 (1.355)||4位 (1.319)||4位 (1.323)||4位 (1.353)|| style="background:gold;"|1位 (1.557)|| style="background:gold;"|1位 (1.557)|| style="background:gold;"|1位 (1.565)|| style="background:gold;"|1位 (1.643)|| style="background:gold;"|1位 (1.657)|| style="background:gold;"|1位 (1.663)
|-
||'''2009'''|| style="background:gold;"|1位 (1.663)|| style="background:gold;"|1位 (1.693)|| style="background:gold;"|1位 (1.666)|| style="background:gold;"|1位 (1.729)|| style="background:gold;"|1位 (1.729)|| style="background:gold;"|1位 (1.761)|| style="background:silver;"|2位 (1.590)|| style="background:silver;"|2位 (1.590)|| style="background:silver;"|2位 (1.588)|| style="background:silver;"|2位 (1.629)|| style="background:gold;"|1位 (1.622)|| style="background:gold;"|1位 (1.627)
|-
||'''2010'''|| style="background:gold;"|1位 (1.627)|| style="background:gold;"|1位 (1.642)|| style="background:gold;"|1位 (1.602)|| style="background:silver;"|2位 (1.565)|| style="background:silver;"|2位 (1.565)||--|| style="background:gold;"|1位 (1.883)|| style="background:gold;"|1位 (1.883)|| style="background:gold;"|1位 (1.824)|| style="background:gold;"|1位 (1.881)|| style="background:gold;"|1位 (1.920)|| style="background:gold;"|1位 (1.887)
|-
||'''2011'''|| style="background:gold;"|1位 (1.887)|| style="background:gold;"|1位 (1.887)|| style="background:gold;"|1位 (1.880)|| style="background:gold;"|1位 (1.857)|| style="background:gold;"|1位 (1.857)|| style="background:gold;"|1位 (1.871)|| style="background:gold;"|1位 (1.855)|| style="background:silver;"|2位 (1.563)|| style="background:gold;"|1位 (1.605)|| style="background:gold;"|1位 (1.624)|| style="background:gold;"|1位 (1.564)|| style="background:gold;"|1位 (1.564)
|-
||'''2012'''|| style="background:gold;"|1位 (1.564)|| style="background:gold;"|1位 (1.566)|| style="background:gold;"|1位 (1.561)|| style="background:gold;"|1位 (1.442)|| style="background:gold;"|1位 (1.442)|| style="background:gold;"|1位 (1.456)|| style="background:gold;"|1位 (1.691)|| style="background:gold;"|1位 (1.605)|| style="background:gold;"|1位 (1.617)||style="background:gold;"|1位 (1.611)|| style="background:gold;"|1位 (1.564)|| style="background:gold;"|1位 (1.606)
|-
||'''2013'''|| style="background:gold;"|1位 (1.606)|| style="background:gold;"|1位 (1.590)|| style="background:gold;"|1位 (1.610)||style="background:gold;"|1位 (1.538)||style="background:gold;"|1位 (1.538)||style="background:gold;"|1位 (1.614)||--||--||--||--||--||--
|}

== 大会ソング ==
{| class="wikitable"
|-
! 大会 !! アンセム/曲 !! アーティスト !! 作曲家/レーベル
|-
|[[2002 FIFAワールドカップ]]||"Vivimos La Selección"||[[オペラシオン・トリウンフォ]]||[[キケ・サンタンデール]]
|-
|[[UEFA EURO 2004]]||"Sírvame una Copita"||[[カフェ・キハーノ]]||[[ ワーナー・ミュージック]]
|-
|[[UEFA EURO 2008]]||"Pasar de cuartos"||[[ピグノイズ]]||[[ワーナー・ミュージック]]
|-
|[[UEFA EURO 2012]]||"No hay 2 sin 3"||[[カリ&エル・ダンディー]] ft. [[ダビド・ビスバル]]||[[ユニバーサル・ミュージック]]
|}
|}


816行目: 1,499行目:


== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist}}
<references group="注釈"/>


=== 出典 ===
{{Reflist}}


{{スペインのサッカー}}
{{スペインのサッカー}}

2013年6月21日 (金) 11:13時点における版

サッカースペイン代表
国または地域 スペインの旗 スペイン
協会 スペインサッカー連盟
愛称 La Selección
La Roja
監督 スペインの旗ビセンテ・デル・ボスケ
最多出場選手 イケル・カシージャス(2012年10月4日現在)(140試合)
最多得点選手 ダビド・ビジャ(2012年10月4日現在)(52得点)
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合 1920年8月28日デンマーク
1-0
最大差勝利試合 1933年5月21日ブルガリア
13-0
最大差敗戦試合 1928年6月4日イタリア
1-7
FIFAワールドカップ
出場回数 13回(初出場は1934
最高成績 優勝 (2010)
UEFA欧州選手権
出場回数 9回
最高成績 優勝 (1964, 2008, 2012)

サッカースペイン代表西: Selección nacional de fútbol de España)は、スペインサッカー連盟(RFEF)によって編成されるサッカーのナショナルチームである。愛称はLa Rojaラ・ロハ、赤)。日本では無敵艦隊の愛称で知られる[1]

概要

スペイン代表

FIFAランキングで首位に立った経験を持つ7カ国のうちの1つである。

元来、国内にレベルの高いリーガ・エスパニョーラを擁し、FIFAワールドカップにも1978年大会年以来連続出場を続けるなど、歴史的に世界でも強豪国の一つとみなされてきた。しかし、FIFAワールドカップでは、1950年大会で4位になった他は8強が最高成績であり、「永遠の優勝候補」などと揶揄されてきた。

しかし近年、高精度のパスと圧倒的なボールキープ力を背景にゲームを支配するポゼッションサッカーのスタイルを確立し、華々しい実績を挙げている。大会前から好調で臨んだUEFA EURO 2008において44年ぶり2度目の優勝を果たすと、その後も連勝を続け、国際試合において35試合連続無敗と15連勝の世界記録を樹立した。優勝候補の筆頭として臨んだ2010 FIFAワールドカップでは、グループリーグ初戦のスイス戦を0-1で落とすも、その後連勝してグループリーグを首位通過。続く決勝トーナメントでは、4試合全てを1-0の僅差で制して悲願の初優勝を遂げ、史上8番目のFIFAワールドカップ優勝国となった。なお、この優勝で「FIFAワールドカップにおいて、非欧州開催の大会では欧州勢は優勝できない」「グループリーグの初戦で敗れたチームは優勝できない」という著名なジンクスを初めて打ち破った他、得点数8という史上最少得点での優勝及び2失点という史上最少失点(タイ記録)での優勝も記録している。 また、UEFA EURO 2012においても優勝を果たし、史上初のUEFA欧州選手権2連覇、そしてワールドカップと欧州選手権のメジャー大会3連覇を達成した。

近年はクリーンなプレーで知られ、2006 FIFAワールドカップ2010 FIFAワールドカップではフェアプレー賞を受賞している。なおどちらの大会も出場選手は出場停止処分を一度も受けていない。

歴史

1920年代-1950年代

1920年のアントウェルペンオリンピックに出場した選手

1920年、ベルギーで開催されたアントウェルペンオリンピック出場を主目的としてスペイン代表が創設された。1回戦はブリュッセルのスタッド・ジョゼフ・マリエンで行なわれ、前回・前々回大会で準優勝したデンマーク戦と対戦。パトリシオ・アラボラーサが決勝点を決めて1-0で勝利した。この得点はスペイン代表の歴史上初得点でもあり、スペイン代表は国(地域)代表戦を行なった世界で28番目の国となった。2回戦では開催国のベルギーと対戦して1-3で敗れた。ベルギー代表は準決勝でオランダ、決勝でチェコスロバキアを下して優勝しているが、決勝ではチェコスロバキアが試合途中に審判に抗議してピッチから去り、大会結果から除外された。このため、2回戦で敗れた4ヶ国(スペイン、スウェーデンイタリアノルウェー)と準決勝で敗れた2ヶ国(フランス、オランダ)の間で順位決定戦が行なわれ、順位決定1回戦のスウェーデン戦(2-1)、順位決定2回戦のイタリア戦(2-0)、銀メダル決定戦のオランダ戦(3-1)に3連勝したスペインが銀メダルに輝いた。スウェーデン戦では1点を先行されたが、ホセ・マリア・ベラウステとドミンゴ・ゴメス=アセードの得点で逆転勝利。イタリア戦ではフェリクス・セスマガが素晴らしい2得点を挙げてメダルを確定させたが、これ以後はUEFA EURO 2012決勝まで92年間も公式戦でイタリアに勝利することがなかった。オランダ戦でもセスマガが2得点し、さらにピチーチも得点して3-1で勝利した。この大会ではパコ・ブル監督がスペイン代表を指揮し、選手はゴメス=アセード、アラボラーサ、マリアーノ・アラーテ、フアン・アルトーラ、ホアキン・バスケス、ベラウステ、サビーノ・ビルバオ、ラモン・エギアサバル、ラモン・ヒル、リカルド・サモラ、シルベリオ・イサギーレ、ピチーチ、ルイス・オテーロ、フランシスコ・パガサウルトゥンドゥア、ジョゼップ・サミティエール、アグスティン・サンチョ、セスマガ、ペドロ・バジャーナだった。スペイン代表は初めて出場した国際大会で大きな結果を残したが、次に成功を収めるまでにはかなり長い時間を擁した。

1930年代後半のスペイン内戦中には代表としての活動を停止しており、1938 FIFAワールドカップ予選には出場していない。1940年代半ばの第二次世界大戦中も活動を停止していたが、戦後には1950 FIFAワールドカップ・予選に出場し、隣国ポルトガル代表に1勝1分(5-1、2-2)の成績で本大会出場を決めた。ブラジルで開催された本大会グループリーグではイングランドチリアメリカを抑えて決勝トーナメントに進出。この大会はFIFAワールドカップ史上唯一決勝リーグ方式で優勝国が決められた大会であり、各グループで首位となったウルグアイブラジル、スウェーデン、スペインが優勝を争った。初戦のウルグアイ戦に2-2で引き分けたスペインは、2戦目のブラジルと最終戦のスウェーデンに連敗し、4ヶ国中4位で大会を終えた。チーム内得点王は5得点を挙げたエスタニスラオ・バソラである。常に「期待外れ」に終わるスペイン代表はその後のFIFAワールドカップで好成績を挙げられず、4位と言う結果は60年間もスペイン代表の最高成績であり続けたが、優勝した2010 FIFAワールドカップで記録が更新された。1960年には欧州ネイションズカップ(現在のUEFA欧州選手権)が初開催され、スペインも1960 欧州ネイションズカップ予選に出場した。アルゼンチン出身フランス人のエレニオ・エレーラ監督とイタリア人のDaniel Newlanコーチに率いられ、予選1回戦ではポーランドに2試合合計7-2で勝利したが、政治的な理由で準々決勝のソビエト連邦との対戦を拒否し、予選から撤退した。アルフレッド・ディ・ステファノに導かれた1962 FIFAワールドカップ・予選ではウェールズを2試合合計3-2で下し、大陸間プレーオフではモロッコ(アフリカ代表)を2試合合計4-2で下して本大会出場を決めたが、本大会グループリーグでは1勝2敗の最下位に終わった。

1960年代-1980年代

1964年には1964 欧州ネイションズカップの開催国となり、初優勝を飾った。前評判の高かったハンガリーに2-1で勝利し、決勝では4年前に対戦を拒否したソビエト連邦に勝利して優勝を決めた。終盤まで1-1の同点だったが、84分にマルセリーノ・マルティネスが決勝点を決め、1920年のアントウェルペンオリンピック以来44年ぶりに主要国際タイトルを獲得した。1976年にはスペインが1982 FIFAワールドカップの開催国に決定した。この大会から出場国が24ヶ国となり、ホセ・サンタマリア監督率いるチームへの期待は高かった。1次グループリーグではホンジュラスユーゴスラビア北アイルランドと同組となり、1勝1分1敗(勝ち点4)の2位で2次グループリーグに進出。2次グループリーグでは西ドイツ、イングランドと同組となったが、1分1敗の最下位で敗退し、サンタマリア監督は解任された。

1969年に暫定監督を務めたミゲル・ムニョスは、1982年にスペイン代表の正式な監督に就任。UEFA欧州選手権1984予選ではオランダアイルランド共和国アイスランドマルタと同組のグループ7となった。最終節を前にしてスペインはオランダに次ぐグループ2位であり、本大会に出場するには最終節のマルタ戦に11点差以上で勝利する必要があった。ハーフタイムの時点では3-1だったが、後半に9得点して12-1で勝利し、オランダに逆転での本大会出場を決めた(UEFA欧州選手権1984予選 スペイン 12-1 マルタも参考)。本大会グループリーグではルーマニアポルトガル、西ドイツと同組のグループBに組み込まれ、ルーマニア戦とポルトガル戦は1-1の引き分けだったが、西ドイツには1-0で勝利し、首位での決勝トーナメント進出を決めた。準決勝のデンマーク戦は延長を終えて1-1の引き分けであり、PK戦に5-4で勝利して決勝進出を決めた。決勝のフランス戦前半は0-0だったが、後半に2失点して0-2で敗れ、20年ぶりの優勝はならずに準優勝だった。

1986 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではスコットランド、ウェールズ、アイスランドと同組のグループ7を勝ち抜いて本大会出場を決めた。メキシコで開催された1986 FIFAワールドカップのグループリーグ初戦ではブラジルに敗れたが、北アイルランドとアルジェリアには勝利して決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦のデンマーク戦ではエミリオ・ブトラゲーニョの4得点などで5-1と快勝したが、準々決勝のベルギー戦は1-1の引き分けに終わり、PK戦を4-5で落として大会からの敗退が決まった。引き続きムニョス監督が指揮を執り、UEFA欧州選手権1988予選ではオーストリア、ルーマニア、アルバニアなどがいたグループを印象的な成績で通過。UEFA欧州選手権1988本大会グループリーグではデンマークを3-2で破ったが、イタリアと西ドイツにはそれぞれ0-1と0-2で敗れてグループリーグ敗退となった。

1990年代-2000年代前半

練習中のハビエル・クレメンテ監督(左端)と選手たち

ルイス・スアレス監督が就任し、1990 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではアイルランド共和国、ハンガリー、北アイルランド、マルタのいるグループを首位で本大会出場を決めた。1990 FIFAワールドカップ本大会グループリーグではウルグアイに0-0と引き分けたが、韓国に3-1で、ベルギーに2-1で勝利して決勝トーナメントに進出。しかし決勝トーナメント1回戦ユーゴスラビアに1-2で敗れて敗退した。UEFA EURO '92予選ビセンテ・ミエーラ監督が率いたが、フランスとチェコスロバキアに次ぐグループ3位となって本大会出場を逃した。ミエーラ監督は1992年夏にバルセロナオリンピックに出場するスペイン代表も率い、こちらは金メダルを獲得した[注釈 1]。1992年にはハビエル・クレメンテ監督が就任し、1994 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では8勝3分1敗で本大会出場を決めた。1994 FIFAワールドカップ本大会グループリーグでは、韓国に2-2、ドイツに1-1、ボリビアに3-1の1勝2分で2次ラウンド進出を決めた。2次ラウンドではスイスに3-0で勝利したが、準々決勝でイタリアに敗れた。

UEFA EURO '96予選ではデンマーク、ベルギー、キプロス、マケドニア共和国、アルメニアと同居したグループを勝ち進んだ。イングランドで開催されたUEFA EURO '96本大会グループリーグではブルガリア、フランス、ルーマニアと対戦し、最初の2戦は1-1の引き分けだったが、ルーマニアには2-1で勝利。準々決勝では開催国のイングランドと対戦し、延長を終えてもスコアレスだったが、PK戦を4-2で制したイングランドが準決勝に勝ち上がった。1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではユーゴスラビアチェコと同じように無敗で本大会出場を決めた。クレメンテ監督にとって2度目のFIFAワールドカップ本大会となる1998 FIFAワールドカップには初めて24ヶ国が出場してフランスで開催された。グループリーグではナイジェリアに敗れ、パラグアイに引き分け、ブルガリアに勝利したが、勝ち点4のグループ3位で敗退となった。

UEFA EURO 2000予選の第1節でキプロスに2-3で敗れると、クレメンテ監督が解任されてホセ・アントニオ・カマーチョ監督が就任した。予選の残り試合に全勝して本大会出場を決めると、UEFA EURO 2000本大会グループリーグ初戦ではノルウェーに1-0で、スロベニアに2-1で、ユーゴスラビアに4-3で勝利して準々決勝に進出したが、準々決勝では1998 FIFAワールドカップ王者のフランスに1-2で敗れた。2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではオーストリア、イスラエル、ボスニア・ヘルツェゴビナ、リヒテンシュタインと同組となり、首位通過したことで本大会での躍進が期待された。日本と韓国で共催された2002 FIFAワールドカップ本大会ではスロベニアに3-1で、パラグアイに3-1で、南アフリカに3-2で勝利し、決勝トーナメント1回戦ではアイルランド共和国にPK戦の末に勝利したが、準々決勝の韓国戦では韓国が疑惑の得点を連発し、PK戦の末に敗れた[2]。ポルトガルで開催されたUEFA EURO 2004では開催国のポルトガル、ロシアギリシャと同組となった。ロシアには1-0で勝利し、ギリシャには1-1で引き分けたが、引き分けも勝ち上がりを決められるポルトガル戦に敗れて決勝トーナメントへの道を断たれた。大会後にはイニャキ・サエス監督が解任されてルイス・アラゴネス監督が就任した。

2000年代後半-現在

2006 FIFAワールドカップ

2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではセルビア・モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ベルギー、リトアニア、サンマリノと同組となったが、セルビア・モンテネグロに次ぐ2位となり、プレーオフでスロバキアを破ってなんとか本大会出場を決めた。ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップ本大会グループリーグではウクライナに4-0で、チュニジアに3-1で、サウジアラビアに1-0で勝利して決勝トーナメント進出を決めたが、決勝トーナメント1回戦でフランスに1-3で敗れた。大会終了後にはブラジルとともにFIFAフェアプレー賞を受賞している。

UEFA EURO 2008
マドリードでEURO 2008優勝を祝う選手
UEFA EURO 2008決勝のスタメン

2006 FIFAワールドカップでの敗退後、アラゴネス監督はティキ・タカと呼ばれるショートパス主体で選手の連動を重視した戦術への転換を進めた。ガーディアン紙のラファエル・ホーニヒシュタンは「トータル・フットボールの重要な改良であり、選手のポジション変更を当てにした戦術である」と表現した[3]UEFA EURO 2008予選では獲得可能な勝ち点36のうち28を獲得して本大会出場を決めた。スイスとオーストリアで共催されたUEFA EURO 2008本大会では第12位のシード順だったが[注釈 2]、ロシアに4-1で、スウェーデンと前回大会王者のギリシャに2-1で勝利してグループDを首位通過した。準々決勝のイタリア戦はスコアレスドローの結果行われたPK戦に4-2で勝利し、準決勝では再びロシアと対戦して3-0で勝利した[4]。ウィーンのエルンスト・ハッペル・シュタディオンで行なわれたドイツとの決勝では、フェルナンド・トーレスが33分に試合唯一の得点を挙げて1-0で勝利[5]。1964年以来となる主要大会制覇を果たした。スペインは各国中最多の12得点を挙げ、4得点のダビド・ビジャが得点王となった。シャビが大会最優秀選手賞を受賞し、スペインから9人もの選手がチーム・オブ・ザ・トーナメントに選出された[注釈 3]

FIFAコンフェデレーションズカップ2009

アラゴネス監督はEURO 2008後に退任し、ビセンテ・デル・ボスケ監督が就任[6]。2008年の1年間にはビジャが16試合に出場して15得点を挙げ、1999年にラウール・ゴンサーレスが記録した年間(暦年)の最多得点数(10得点)を更新した[7]。ビジャは2009年2月11日のイングランド戦でも得点して6試合連続得点を記録し、スペイン代表の連続得点記録(5試合連続)を塗り替えた[8]。デル・ボスケ監督は初采配試合から10連勝を飾り、1969年にブラジル代表を率いたジョアン・サルダーニャ監督が記録した初采配試合からの連続勝利記録(9試合)を塗り替えた。

2009年には南アフリカで開催されたFIFAコンフェデレーションズカップ2009に出場し、初戦のニュージーランド戦ではトーレスが大会史上最速のハットトリックを達成するなどして5-0で快勝。イラク戦(1-0)と南アフリカ戦(2-0)にも勝利してグループリーグを勝ち上がった。15連勝を記録するとともに、2006年から続いていた連続無敗記録を35試合に伸ばしたが、準決勝のアメリカ戦に0-2で敗れて記録が途絶えた。3位決定戦の南アフリカ戦では延長戦の末に3-2で勝利した[9]

2010 FIFAワールドカップ
2010 FIFAワールドカップ後の優勝パレード
2010 FIFAワールドカップ・決勝のスタメン

2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではエストニアやボスニア・ヘルツェゴビナ戦にも勝利し[10][11]、10戦全勝で予選を終えた。FIFAランキング2位で2010 FIFAワールドカップに臨み、大会での躍進が期待された。南アフリカで開催された本大会グループリーグではスイス、ホンジュラス、チリと同組となり、初戦のスイス戦には0-1で敗れたが、ホンジュラス戦にはビジャの2得点で、チリ戦には2-1で勝利した。決勝トーナメント1回戦ではポルトガルに1-0で勝利し、準々決勝ではパラグアイにやはり1-0で勝利した。1950年大会以来となる4強入りを決め、準決勝のドイツ戦ではカルレス・プジョルが頭で決勝点を決めて決勝に駒を進めた。決勝のオランダ戦は延長にもつれ込んだが、セスク・ファブレガスのパスからアンドレス・イニエスタが決勝点を挙げ、代表の歴史上初のFIFAワールドカップ優勝を飾った。決勝は非常に荒っぽい試合となり、スペインは5枚、オランダは9枚のイエローカードと1枚のレッドカードを提示され、決勝での最多カード数を更新した。スペインは8得点2失点で大会を終えたが、得点と失点のいずれも大会最少記録となった。また、決勝までの4試合を無失点で終えた初のチームとなり、開幕戦に敗れながら優勝した初のチームとなった。過去に自国が存在する大陸以外の国で優勝したチームはブラジル(スウェーデンで開催された1958年大会、日本と韓国で共催された2002年大会で優勝)だけであり、またヨーロッパ外で開催された大会で優勝したヨーロッパ初のチームとなった。また、ヨーロッパの他の優勝経験国(イタリア、ドイツ、イングランド、フランス)はいずれも自国開催大会での優勝経験がある。スペインは2大会連続でFIFAフェアプレー賞を受賞し、多くの選手が個人賞を受賞した[12]。2失点に抑えたキーパーのイケル・カシージャスはゴールデングローブ賞を受賞し、5得点1アシストのビジャはブロンズボール(優秀選手賞)とシルバーブーツ(得点ランキング2位)を受賞した。

EURO 2012
EURO 2012のトロフィーを掲げる選手
UEFA EURO 2012決勝のスタメン

UEFA EURO 2012予選では前回大会同様に第1ポットからグループIに組み入れられ、チェコ、スコットランド、リトアニアリヒテンシュタインと同組となった。8試合すべてに勝利して本大会出場を決めた。

UEFA EURO 2012本大会ではグループCに組み入れられ、イタリア、クロアチア、アイルランド共和国と同組となった。イタリアとの初戦では、61分にアントニオ・ディ・ナターレに先制点を決められたが[13]、64分にスペインのダビド・シルバがセスクにパスを通し、セスクがジャンルイジ・ブッフォンを破る同点ゴールを決めたため[13]、試合は1-1の引き分けに終わった。2戦目のアイルランド共和国戦ではトーレスが4分に先制点を挙げ[14]、前半終了までに追加点は生まれなかったが、49分にシルバがスペインの2点目を決めた[14]。70分にはシルバのアシストからトーレスが自身2点目を決め[14]、シルバのコーナーキックからセスクが駄目押しの4点目を決めた[14]。3戦目のクロアチア戦は予想以上に厳しい試合となり、イヴァン・ストリニッチイヴァン・ペリシッチなどの相手攻撃陣に幾度もチャンスを作られたが、キーパーのカシージャスが問題なく処理した[15]。試合はスコアレスドローに向かって進んでいたが、途中出場のヘスス・ナバスが88分に決勝点を挙げた[15]。スペインはグループリーグ3試合を2勝1分で終え、グループ首位で決勝トーナメント進出を決めた。

準々決勝ではフランスと対戦。左サイドバックのジョルディ・アルバのアシストからシャビ・アロンソがヘディングで先制点を決めた[16]。後半にはフランスのアントニー・レヴェイエールペドロ・ロドリゲスを倒し、シャビ・アロンソがPKで追加点を挙げて試合を決定づけた[16]。準決勝ではポルトガルと対戦。ポルトガルは準々決勝でチェコと対戦し、試合終盤にクリスティアーノ・ロナウドが決勝点を挙げて勝利していた[17]。ポルトガル戦は予想よりも難しい試合となり、多くの決定機を作られたが[18]、なんとか無失点に抑えた[18]。スペインは徐々に改善の兆しを見せたが、延長戦でも得点を挙げることはできず、試合はPK戦に持ち込まれた[18]。フランス戦でPKを成功させていたシャビ・アロンソがスペインの1番手キッカーとなったが、ルイ・パトリシオにセーブされた[18]。ポルトガルの1番手であるジョアン・モウティーニョのキックをカシージャスがセーブして五分となると[18]、4番手のブルーノ・アルヴェスが外したポルトガルに対してスペインは2人目から5人目までがすべてPKを成功させ[18]、PK戦に4-3で勝利したスペインが1964年大会、1984年大会、2008年大会に続いて4度目となる決勝進出を決めた[18]。なお、スペインの4番手のセルヒオ・ラモスはパネンカと呼ばれるチップキックでPKを決めている[18]。決勝はグループリーグ初戦でも対戦したイタリア戦となり、4-0で快勝して優勝を決めた[19]。スペインは開始直後から試合を支配し、14分にはシルバが先制点を、41分にはアルバが追加点を挙げ、2-0で前半を折り返した。イタリアは3人の交代枠を使い切った後にティアゴ・モッタがハムストリングを負傷し、10人での試合続行を余儀なくされた[19]。スペインは84分にトーレスが、88分にフアン・マヌエル・マタが追加点を挙げ、4-0で勝利して大会2連覇を果たした[19]

UEFA EURO 2008、2010 FIFAワールドカップ、UEFA EURO 2012で優勝したスペインは、主要国際大会3連覇を果たした初の国代表となった。なお、ウルグアイは1924年にパリオリンピックコパ・アメリカ1924を制したが、コパ・アメリカ1925では大会中に撤退し、主要国際大会3連覇の可能性を自ら消した。また、決勝に4点差で勝利したスペインはUEFA欧州選手権決勝での最大得点差勝利記録を更新した。それまでの記録は、UEFA欧州選手権1972決勝で西ドイツがソビエト連邦に3-0で勝利した際の3点差だった。スペインはUEFA欧州選手権で3回目の優勝を果たし、それまで単独で最多優勝記録を持っていたドイツに並んだ。スペインはグループリーグ初戦から決勝までの試合で得失点差11(12得点1失点)を記録しているが、これは大会通算での最大得失点差記録となった。それまでの記録はUEFA欧州選手権1984のフランス(9点差、12得点3失点)だが、フランスはスペインより1試合少ない5試合で記録した数字である。デル・ボスケ監督はFIFAワールドカップとUEFA欧州選手権それぞれの優勝監督となったが、これはヘルムート・シェーン監督(西ドイツ)に次いで2人目の記録である[20]。代表での両国際大会に加えてクラブでUEFAチャンピオンズリーグを制したのはデル・ボスケ監督が初めてである[21]。2000年代前半までのスペイン代表に対するネガティブな評価は一変し、サッカー史上最高のチームのひとつ都の呼び声さえも聞こえるようになった。フランスのレキップ紙はゲーリー・リネカーの有名な発言を言い換え、「サッカーは11人対11人で戦うスポーツであり、結局はスペインの勝利に終わる」と書いた。イギリスのガーディアン紙は「(2000年代末から2010年代初頭のスペイン代表は)永遠にスペイン代表の黄金時代として語られ、(過去・未来の)いかなるチームも比肩できないだろう」と書いた。

スタジアム

イングランド代表ウェンブリー・スタジアム)やフランス代表スタッド・ド・フランス)などとは異なり、スペイン代表はホームスタジアムを持たないが、国際大会予選などの公式戦はレアル・マドリードのホームスタジアムであるエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ(マドリード)で行なわれることが多い。その他にはアトレティコ・マドリードのホームスタジアムであるエスタディオ・ビセンテ・カルデロン(マドリード)、バレンシアCFのホームスタジアムであるエスタディオ・デ・メスタージャ(バレンシア)などもよく使用され、スペイン代表はビセンテ・カルデロンでの公式戦で負けたことがない。国際親善試合ではこれらのスタジアムの他に、セビージャFCのホームスタジアムであるエスタディオ・ラモン・サンチェス・ピスフアン(セビージャ)もよく使用される。重要度の低い公式戦や国際親善試合などは、大都市以外で行なわれることが多く、近年ではエスタディオ・リアソル(ア・コルーニャ)、エスタディオ・ヌエバ・コンドミーナ(ムルシア)、エスタディオ・カルロス・ベルモンテ(アルバセテ)、エスタディオ・ロマーノ(メリダ)などが使用されている。スペイン本土外で試合が行なわれることもあり、UEFA EURO 2008予選北アイルランド戦はカナリア諸島グラン・カナリア島エスタディオ・グラン・カナリア(ラス・パルマス)で行なわれた。

ユニフォームとロゴ

現在のスペイン国章

伝統的に赤に黄色のトリミングをしたものをホームでは使用している。これは赤と黄色がともにスペインの国旗に使用されているからである。なお赤と黄色はそれぞれ「血と黄金」を現している。

アウェイでは過去には白、現在はブルー系を基調としたユニフォームを使用している。

ロゴはスペインの国章を配した黒地に黄色(金色)の縁取りをした楯の下にサッカーボールとリボンをあしらったものである。楯には黄色で1913と設立年が記され、リボンにはゴシック体でスペインサッカー連盟のイニシャル"RFEF"が記されている。

前述のワールドカップ南アフリカ大会決勝戦はアウェイの紺色のユニホームで試合を行い、優勝を決めるとこの時の為に作られていた「ロゴの上に一つ星(ワールドカップ優勝回数を示す)」のホーム用の赤色のユニホームに着替え、表彰式に臨んだ。今後はこのロゴ入りのユニホームが使われる[22]

1920–21
1921–22
1922–24
1924–31
1931–36
1936–38
1938–45
1945–47
1947–59
1959–81
1981–83
1984–86
1986–89
1990–91
1994–95
1996–97
1998–99
2000–02
2002–04
2004–06
2006–08
2008–09
2009–10
2010–11
2011–12
2012
2012–

成績

    優勝      準優勝     3位     4位

大会 1位 2位 3位 通算
夏季オリンピック 1 2 0 3
FIFAコンフェデレーションズカップ 0 0 1 1
FIFAワールドカップ 1 0 0 1
UEFA欧州選手権 3 1 0 4
ユニバーシアード 1 0 0 1
地中海競技大会 2 1 2 5
FIFAチーム・オブ・ザ・イヤー 5 1 2 8
国際サッカー連盟(FIFA)主催 世代別世界大会 3 5 3 11
欧州サッカー連盟(UEFA)主催 世代別大会 18 10 12 40
通算 34 20 20 74

FIFAワールドカップ

2010 FIFAワールドカップ優勝パレード
開催国 / 年 成績
ウルグアイの旗 1930 不参加
イタリア王国の旗 1934 ベスト8 3 1 1 1 4 3
フランスの旗 1938 不参加注1
ブラジルの旗 1950 4位 6 3 1 2 10 12
スイスの旗 1954 予選敗退
スウェーデンの旗 1958
チリの旗 1962 1次リーグ 3 1 0 2 2 3
イングランドの旗 1966 1次リーグ 3 1 0 2 4 5
メキシコの旗 1970 予選敗退
西ドイツの旗 1974
アルゼンチンの旗 1978 1次リーグ 3 1 1 1 2 2
スペインの旗 1982 2次リーグ 5 1 2 2 4 5
メキシコの旗 1986 ベスト8 5 3 1 1 11 4
イタリアの旗 1990 ベスト16 4 2 1 1 6 4
アメリカ合衆国の旗 1994 ベスト8 5 2 2 1 10 6
フランスの旗 1998 1次リーグ 3 1 1 1 8 4
日本の旗大韓民国の旗 2002 ベスト8 5 3 2 0 10 5
ドイツの旗 2006 ベスト16 4 3 0 1 9 4
南アフリカ共和国の旗 2010 優勝 7 6 0 1 8 2
ブラジルの旗 2014
合計 出場13回/優勝1回 56 28 12 16 88 59

注1スペイン内戦の為

UEFA欧州選手権

UEFA EURO 2008優勝を祝うスペイン代表チーム
UEFA EURO 2012を制し、史上初のEURO連覇を達成した。
開催国 / 年 成績
フランスの旗 1960 予選敗退注1
スペインの旗 1964 優勝 2 2 0 0 4 2
イタリアの旗 1968 予選敗退
ベルギーの旗 1972
ユーゴスラビアの旗 1976
イタリアの旗 1980 ベスト8 3 0 1 2 2 4
フランスの旗 1984 準優勝 5 1 3 1 4 5
西ドイツの旗 1988 1次リーグ 3 1 0 2 3 5
スウェーデンの旗 1992 予選敗退
イングランドの旗 1996 ベスト8 4 1 3 0 4 3
ベルギーの旗オランダの旗 2000 ベスト8 4 2 0 2 7 7
ポルトガルの旗 2004 1次リーグ 3 1 1 1 2 2
オーストリアの旗スイスの旗 2008 優勝 6 5 1 0 12 3
ポーランドの旗ウクライナの旗 2012 優勝 6 4 2 0 12 1
合計 出場9回/優勝3回 36 17 11 8 50 32

注1政治的理由により途中棄権

FIFAコンフェデレーションズカップ

(出場した大会のみ記載)

開催国 / 年 成績
南アフリカ共和国の旗 2009 3位 5 4 0 1 11 4
ブラジルの旗 2013 (本大会出場権獲得) - - - - - -
合計 出場1回/優勝0回 5 4 0 1 11 4

夏季オリンピック

※フル代表で臨んだのは1928年大会までマルカより)

開催国 / 年 成績
イギリスの旗 1908 不参加
スウェーデンの旗 1912
ベルギーの旗 1920 準優勝 5 4 0 1 9 5
フランスの旗 1924 1回戦 1 0 0 1 0 1
オランダの旗 1928 ベスト8 3 1 1 1 9 9
アメリカ合衆国の旗 1932 サッカー競技不開催
ナチス・ドイツの旗 1936 不参加注1
イギリスの旗 1948 予選敗退
フィンランドの旗 1952
オーストラリアの旗 スウェーデンの旗 1956
イタリアの旗 1960
日本の旗 1964
メキシコの旗 1968 ベスト8 4 2 1 1 4 2
西ドイツの旗 1972 予選敗退
カナダの旗 1976 1次リーグ 2 0 0 2 1 3
ソビエト連邦の旗 1980 1次リーグ 3 0 3 0 2 2
アメリカ合衆国の旗 1984 予選敗退
大韓民国の旗 1988
スペインの旗 1992 優勝 6 6 0 0 14 2
アメリカ合衆国の旗 1996 ベスト8 4 2 1 1 5 7
オーストラリアの旗 2000 準優勝 6 4 1 1 12 6
ギリシャの旗 2004 予選敗退
中華人民共和国の旗 2008
イギリスの旗 2012 1次リーグ 3 0 1 2 0 2
ブラジルの旗 2016 - - - - - -
合計 出場9回/優勝1回 37 19 7 11 56 39

注1スペイン内戦の為

地中海競技大会

開催国/年 成績 失 !
エジプトの旗 1951 不参加
スペインの旗 1955 準優勝 3 2 1 0 6 2
レバノンの旗 1959 不参加
イタリアの旗 1963 3位 5 3 2 0 15 5
チュニジアの旗 1967 3位 5 2 2 1 7 5
トルコの旗 1971 不参加[注釈 4]
アルジェリアの旗 1975
ユーゴスラビアの旗 1979
モロッコの旗 1983
シリアの旗 1987
ギリシャの旗 1991
フランスの旗 1993
イタリアの旗 1997 4位 4 1 1 2 2 4
チュニジアの旗 2001 不参加
スペインの旗 2005 優勝 4 3 1 0 9 1
イタリアの旗 2009 優勝 4 3 1 0 9 4
トルコの旗 2013 出場決定
スペインの旗 2017 開催国 TBD -- -- -- -- --
通算 2位 35 22 9 4 72 27

出典: RSSSF

大会(試合)種類別成績

2012年7月2日現在(マルカより)

大会(試合)種類 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
親善試合 296 156 78 62 534 302
FIFAワールドカップ 155 94 34 27 314 129
予選 99 66 22 11 226 70
本大会 56 28 12 16 88 59
FIFAコンフェデレーションズカップ 5 4 0 1 11 4
UEFA欧州選手権 141 89 27 25 310 115
予選 105 72 16 17 260 83
本大会 36 17 11 8 50 32
オリンピック本大会 9 5 1 3 18 15
Copa Hispanidadコパ・イスパニダッ 2 1 1 0 2 1
Copa RFEFコパRFEF 1 0 1 0 1 1
合計 609 349 142 118 1190 567

国(協会)別対戦成績

2011年11月16日現在(マルカより)

1 M = FIFAワールドカップ, (M) = FIFAワールドカップ予選, E = UEFA欧州選手権, (E) = UEFA欧州選手権予選, O = オリンピック, A = 親善試合
2 第二次世界大戦前のドイツ、同大戦後の西ドイツおよび統一後のドイツ
3 消滅
順位 相手 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点 最初の試合 結果 種類1 最後の試合 結果 種類1
1 ポルトガル 34 16 12 6 72 41 1921/12/18 3-1 A 2010/11/17 4-0 A
2 フランス 30 13 6 11 57 35 1922/04/30 0-4 A 2010/03/03 0-2 A
3 イタリア 29 8 11 10 29 38 1920/09/02 0-2 O 2011/08/10 2-1 A
4 アイルランド 24 13 7 4 48 18 1931/04/26 1-1 A 2002/06/16 1-1 M
5 イングランド 23 8 3 12 24 39 1929/05/15 4-3 A 2011/11/12 1-0 A
6 ベルギー 22 11 6 5 44 22 1920/08/29 3-1 O 2009/09/05 5-0 (M)
7 ドイツ 2 21 7 6 8 23 27 1935/05/12 1-2 A 2010/07/07 0-1 M
8 スイス 19 15 3 1 45 16 1925/06/01 0-3 A 2010/06/16 1-0 M
ユーゴスラビア 3 19 9 5 5 23 18 1932/04/24 2-1 A 2000/06/21 3-4 E
10 北アイルランド 18 11 5 2 38 11 1958/10/15 6-2 A 2007/11/21 1-0 (E)
11 デンマーク 17 12 3 2 34 15 1920/08/28 0-1 O 2008/08/20 0-3 A
12 オーストリア 16 9 3 4 43 22 1924/12/21 2-1 A 2009/11/18 1-5 A
13 ルーマニア 15 5 5 5 21 18 1962/11/01 (6-0 E) 2006/11/15 0-1 A
14 スウェーデン 13 6 4 3 21 15 1920/09/01 1-2 O 2008/06/14 1-2 E
スコットランド 13 6 4 3 23 20 1957/05/08 4-2 (M) 2011/10/11 3-1 (E)
ハンガリー 13 5 5 3 21 18 1925/10/04 0-1 A 2002/08/21 1-1 A
アルゼンチン 13 5 2 6 13 17 1952/12/07 0-1 A 2010/09/07 4-1 A
18 チェコスロバキア 3 12 4 1 7 11 15 1930/01/01 1-0 A 1991/11/13 2-1 (E)
19 ポーランド 10 8 1 1 27 8 1959/06/28 3-0 (E) 2010/06/08 6-0 A
ギリシャ 10 7 2 1 19 10 1970/10/28 2-1 A 2008/06/18 1-2 E
トルコ 10 5 4 1 14 5 1952/06/08 0-0 A 2009/04/01 1-2 (M)
オランダ 10 5 1 4 16 11 1920/09/05 1-3 O 2010/07/11 0-1 M
23 チリ 9 8 1 0 23 6 1950/06/29 0-2 M 2011/09/02 3-2 A
アイスランド 9 6 2 1 10 6 1982/10/27 1-0 (E) 2007/03/28 3-2 (E)
25 キプロス 8 7 0 1 35 5 1971/05/09 0-2 (E) 1999/09/08 8-0 (E)
メキシコ 8 5 3 0 16 4 1928/05/30 1-7 O 2010/08/11 1-1 A
ウルグアイ 8 3 5 0 11 6 1950/07/09 2-2 M 2005/08/17 2-0 A
ブラジル 8 2 2 4 8 11 1934/05/27 1-3 M 1999/11/13 0-0 A

スタジアム別成績

2011年11月17日現在(マルカより)

1 (M) = FIFAワールドカップ予選, (E) = UEFA欧州選手権予選, A = 親善試合
順位 スタジアム 所在地 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点 最初の試合 相手 結果 種類1 最後の試合 相手 結果 種類1
1 サンティアゴ・ベルナベウ マドリード 44 27 9 8 97 48 1948/03/21 ポルトガル 2-0 A 2011/02/09 コロンビア 1-0 A
2 メスタージャ バレンシア 31 19 7 5 58 25 1925/06/14 イタリア 1-0 A 2005/06/08 ボスニア・ヘルツェゴビナ 1-1 (M)
3 ラモン・サンチェス・ピスフアン セビリア 23 18 5 0 56 6 1961/06/11 アルゼンチン 2-0 A 2009/02/11 イングランド 2-0 A
4 ベニート・ビジャマリン セビリア 14 13 0 1 49 6 1929/03/17 ポルトガル 5-0 A 1995/06/07 アルメニア 1-0 (E)
5 ビセンテ・カルデロン マドリード 9 7 2 0 20 5 1972/05/23 ウルグアイ 2-0 A 2009/11/14 アルゼンチン 1-0 A
6 エル・モリノン ヒホン 8 6 2 0 19 5 1928/04/22 イタリア 1-1 A 2005/08/17 ウルグアイ 2-0 A
リュイス・コンパニス バルセロナ 8 4 3 1 11 7 1930/01/01 チェコスロバキア 1-0 A 2004/02/18 ペルー 2-1 A
8 ホセ・リコ・ペレス アリカンテ 7 6 1 0 19 3 1977/03/27 ハンガリー 1-1 A 1985/01/23 フィンランド 3-1 A
エル・サルディネーロ サンタンデール 7 6 0 1 13 6 1927/04/17 スイス 1-0 A 2008/06/04 アメリカ 1-0 A
ラ・ロサレーダ マラガ 7 4 0 3 10 7 1973/02/21 ギリシャ 3-1 (M) 2008/02/06 フランス 1-0 A
11 サン・マメス ビルバオ 6 3 3 0 12 4 1921/10/09 ベルギー 2-0 A 1967/05/31 トルコ 2-0 (E)
ムニシパル・デ・バライードス ビーゴ 6 3 3 0 11 3 1933/04/02 ポルトガル 3-0 A 1999/11/13 ブラジル 0-0 A
13 マヌエル・マルティネス・バレロ エルチェ 5 5 0 0 11 1 1986/02/19 ベルギー 3-0 A 2008/03/26 イタリア 1-0 A
リアソール ア・コルーニャ 5 3 2 0 13 5 1945/05/06 ポルトガル 4-2 A 2009/09/05 ベルギー 5-0 (M)
カンプ・ノウ バルセロナ 5 2 2 1 6 5 1960/02/28 イタリア 3-1 A 1987/01/21 オランダ 1-1 A
国外 エルンスト・ハッペル ウィーン 9 5 3 1 16 8 1960/10/30 オーストリア 3-0 A 2009/11/18 オーストリア 1-5 A
パルク・デ・プランス パリ 8 2 2 4 9 13 1958/03/13 フランス 2-2 A 1991/02/20 フランス 3-1 (E)
ダリーマウント・パーク ダブリン 7 3 2 2 15 7 1931/12/13 アイルランド 0-5 A 1966/10/23 アイルランド 0-0 (E)
ウェンブリー ロンドン 7 1 1 5 6 20 1955/11/30 イングランド 4-1 A 2011/11/12 イングランド 1-0 A

タイトル

主要タイトル

優勝 (1): 2010
4位 (1): 1950
優勝 (3): 1964, 2008, 2012
準優勝 (1): 1984
3位 (1): 2009
金メダル (1): 1992
銀メダル (2): 1920, 2000

その他のタイトル

受賞 (2): 2006, 2010
受賞 (5): 2008, 2009, 2010, 2011, 2012
受賞 (1): 2010
受賞 (1): 2011

非公式タイトル

受賞 (3): 2008, 2010, 2012
優勝 (1): 2010
優勝 (1): 2012
タイトル保持期間 1961年6月11日-1962年5月31日, 1972年1月12日-1973年5月2日, 1986年6月18日-1986年6月22日, 2001年3月28日-2002年3月27日, 2010年7月11日-2010年9月7日

2007年から2009年の35戦連続無敗

スペイン代表は2007年2月7日から2009年6月24日まで35戦連続無敗を続け、1993年12月16日から1996年1月21日まで35戦連続無敗を続けたブラジル代表の記録に並んだ。ブラジル代表はU-23代表を送り込んだ1996年のCONCACAFゴールドカップでメキシコに敗れたが、公式にA代表の敗北としてカウントされている。この敗北を除けば、ブラジル代表は1997年5月30日にノルウェーに敗れるまで無敗を続けており、45試合連続無敗を続けたことになる。スペイン代表とブラジル代表の無敗記録を途絶えさせたのは、いずれも北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF)所属国である。

選手

GK

DF

MF

FW

キャップ

2013年2月6日現在、(*)は現役

得点

2012年12月6日現在、(*)は現役

監督

名前 期間
フランシスコ・ブル 1920
ペドロ・パラヘス 1923-1924
パウリーノ・アルカンタラ 1951
リカルド・サモラ 1952
ペドロ・エスカルティン・モラン 1952-1961
エレニオ・エレーラ 1959-1962
ミゲル・ムニョス 1962
ホセ・ビジャロンガ 1962-1966
ドミンゴ・バルマンジャ 1966-1968
ルイス・モロウニー 1969
ラディスラオ・クバラ 1969-1980
ホセ・サンタマリア 1980-1982
ミゲル・ムニョス 1982-1988
ルイス・スアレス 1988-1991
ビセンテ・ミエラ 1991-1992
ハビエル・クレメンテ 1992-1998
ホセ・アントニオ・カマーチョ 1998-2002
イニャキ・サエス 2002-2004
ルイス・アラゴネス 2004-2008
ビセンテ・デル・ボスケ 2008-

FIFAランキングの推移

1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
1993 -- -- -- -- -- -- -- 13位 (50) 14位 (52) 7位 (55) 7位 (57) 5位 (57)
1994 -- 6位 (56) 6位 (55) 7位 (55) 9位 (54) 5位 (55) 6位 (59) -- 6位 (59) 6位 (59) 5位 (60) 2位 (61)
1995 -- 2位 (61) -- 3位 (61) 3位 (61) 3位 (60) 3位 (58) 3位 (58) 6位 (59) 2位 (60) 3位 (61) 4位 (59)
1996 4位 (59) 4位 (60) -- 6位 (58) 6位 (57) -- 8位 (59) 7位 (58) 10位 (57) 10位 (57) 8位 (59) 8位 (60)
1997 -- 7位 (60) -- 4位 (61) 5位 (61) 3位 (62) 2位 (63) 2位 (63) 6位 (61) 2位 (65) 3位 (62) 11位 (59)
1998 -- 23位 (55) 25位 (55) 9位 (57) 15位 (56) -- 14位 (60) 14位 (59) 14位 (58) 16位 (58) 15位 (58) 15位 (58)
1999 9位 (703) 9位 (706) 9位 (704) 8位 (720) 8位 (724) 6位 (732) 8位 (714) 7位 (713) 4位 (757) 4位 (767) 4位 (758) 4位 (753)
2000 4位 (753) 4位 (751) 4位 (747) 4位 (743) 4位 (736) 4位 (728) 4位 (744) 5位 (743) 5位 (740) 5位 (745) 6位 (742) 7位 (735)
2001 7位 (734) 7位 (732) 7位 (727) 7位 (725) 6位 (724) 6位 (733) 6位 (715) 8位 (716) 6位 (730) 6位 (730) 7位 (731) 7位 (730)
2002 7位 (730) 7位 (727) 7位 (728) 8位 (715) 8位 (713) -- 4位 (774) 3位 (775) 3位 (774) 3位 (779) 3位 (779) 3位 (779)
2003 3位 (780) 3位 (783) 2位 (780) 2位 (785) 2位 (784) 3位 (762) 3位 (755) 3位 (748) 3位 (767) 3位 (777) 3位 (785) 3位 (798)
2004 3位 (798) 3位 (795) 3位 (791) 3位 (790) 3位 (784) 3位 (785) 3位 (792) 3位 (790) 3位 (788) 4位 (774) 4位 (755) 5位 (765)
2005 5位 (764) 5位 (764) 5位 (759) 7位 (755) 8位 (752) 9位 (747) 8位 (744) 8位 (739) 8位 (750) 8位 (764) 6位 (771) 5位 (768)
2006 5位 (768) 6位 (765) 6位 (763) 5位 (759) 5位 (756) -- 7位 (1.309) 7位 (1.309) 10位 (1.255) 10位 (1.198) 12位 (1.154) 12位 (1.154)
2007 12位 (1.154) 10位 (1.161) 10位 (1.161) 9位 (1.237) 9位 (1.238) 7位 (1.273) 9位 (1.144) 8位 (1.165) 7位 (1.178) 6位 (1.226) 4位 (1.349) 4位 (1.349)
2008 4位 (1.349) 4位 (1.352) 4位 (1.355) 4位 (1.319) 4位 (1.323) 4位 (1.353) 1位 (1.557) 1位 (1.557) 1位 (1.565) 1位 (1.643) 1位 (1.657) 1位 (1.663)
2009 1位 (1.663) 1位 (1.693) 1位 (1.666) 1位 (1.729) 1位 (1.729) 1位 (1.761) 2位 (1.590) 2位 (1.590) 2位 (1.588) 2位 (1.629) 1位 (1.622) 1位 (1.627)
2010 1位 (1.627) 1位 (1.642) 1位 (1.602) 2位 (1.565) 2位 (1.565) -- 1位 (1.883) 1位 (1.883) 1位 (1.824) 1位 (1.881) 1位 (1.920) 1位 (1.887)
2011 1位 (1.887) 1位 (1.887) 1位 (1.880) 1位 (1.857) 1位 (1.857) 1位 (1.871) 1位 (1.855) 2位 (1.563) 1位 (1.605) 1位 (1.624) 1位 (1.564) 1位 (1.564)
2012 1位 (1.564) 1位 (1.566) 1位 (1.561) 1位 (1.442) 1位 (1.442) 1位 (1.456) 1位 (1.691) 1位 (1.605) 1位 (1.617) 1位 (1.611) 1位 (1.564) 1位 (1.606)
2013 1位 (1.606) 1位 (1.590) 1位 (1.610) 1位 (1.538) 1位 (1.538) 1位 (1.614) -- -- -- -- -- --

大会ソング

大会 アンセム/曲 アーティスト 作曲家/レーベル
2002 FIFAワールドカップ "Vivimos La Selección" オペラシオン・トリウンフォ キケ・サンタンデール
UEFA EURO 2004 "Sírvame una Copita" カフェ・キハーノ ワーナー・ミュージック
UEFA EURO 2008 "Pasar de cuartos" ピグノイズ ワーナー・ミュージック
UEFA EURO 2012 "No hay 2 sin 3" カリ&エル・ダンディー ft. ダビド・ビスバル ユニバーサル・ミュージック

関連項目

外部リンク

脚注

注釈

  1. ^ 1992年大会以降、オリンピックは23歳以下の選手に加えて3人までオーバーエイジ枠の選手を起用できる。しかし、あくまでも年齢別の代表扱いであり、普通はA代表の統計に含めない。
  2. ^ 共催国のスイスとオーストリア、前回大会優勝国のギリシャが第1位から第3位を占めたため、実質的には第9位のシード順である。
  3. ^ キーパーのカシージャス、ディフェンダーのプジョルとマルチェナ、ミッドフィールダーのシャビとセスクとイニエスタとセナ、フォワードのビジャとトーレスである。
  4. ^ 1963年から1993年まではアマチュアチームが参加していた。

出典

  1. ^ 歴史上の「無敵艦隊」は1588年アルマダの海戦でイングランド艦隊に壊滅的敗北を喫したためスペインでは使用されない。
  2. ^ Hayward, Paul (2002年6月23日). “Korean miracle spoilt by refereeing farce”. Telegraph. 2012年6月24日閲覧。
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