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{{基礎情報 書籍
{{Portal|文学}}
|title = 古都
『'''古都'''』(こと)は、[[川端康成]]の[[小説]]。古都・[[京都府|京都]]を舞台に、生き別れになった双子の姉妹の数奇な運命を描いた物語。『[[朝日新聞]]』に[[1961年]]10月から[[1962年]]1月まで連載、同年に[[新潮社]]より刊行された。
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『'''古都'''』(こと)は、[[川端康成]]の[[長編小説]]。古都・[[京都府|京都]]を舞台に、生き別れになった[[双子]]の姉妹の数奇な運命を描いた物語。[[1961年]](昭和36年)、「[[朝日新聞]]」10月8日号から翌[[1962年]](昭和37年)1月23日まで連載された(挿絵:[[小磯良平]])。単行本は連載後の同年6月14日に[[新潮社]]より刊行された。現行版は[[新潮文庫]]より刊行されている。翻訳版も1987年(昭和62年)の[[:en:J. Martin Holman|J・マーティン・ホルマン]]訳(英題:“The Old Capital”)をはじめ、各国で行われている。


単行本刊行と同年に[[川口松太郎]]脚色で[[新派]]で舞台化もされた。また、これまで2度映画化もされている。
== ストーリー ==
{{節stub}}
<!--他サイトからの転載は禁止されています([[Portal:文学/執筆・加筆依頼総合版]]に提出しました)-->


== 映画 ==
== 概要 ==
[[捨て子]]であったが、京都の[[老舗]]呉服問屋の一人娘として美しく成長した娘が、[[北山杉]]の村で見かけた自分と瓜二つの村娘と[[祇園祭]]の夜に偶然出逢う物語。互いに惹かれ合い、懐かしみ合いながらも、一緒に暮らすことのできない[[双子]]の姉妹の姿が、移ろう四季の景色と伝統的な祭、古都の深い面影を残す史蹟の数々を織り込んだ流麗な筆致で美しく描かれている<ref name="cover">「カバー解説」(文庫版『古都』)([[新潮文庫]]、1968年。改版2010年)</ref>。
*[[古都 (1963年の映画)|古都]]([[松竹]]・[[1963年]]) [[中村登]]監督([[第36回アカデミー賞]]外国語映画賞本選ノミネート作品)
*: 主演:[[岩下志麻]] [[吉田輝雄]] [[長門裕之]]
*[[古都 (1980年の映画)|古都]]([[東宝]]・[[1980年]])[[市川崑]]監督
*: 主演:[[山口百恵]] [[三浦友和]] [[實川延若 (3代目)|實川延若]] [[岸惠子]] [[北詰友樹]]


構成は全9章からなり、「春の花」「尼寺と格子」「きものの町」は春、「北山杉」「祇園祭」は夏、「秋の色」「松のみどり」「秋深い姉妹」は秋、「冬の花」は冬、というように京都の四季を背景に物語が進行する。小説に描かれたのは、1961年(昭和36年)の春から冬にかけての京都であり、実際の年中行事や出来事が盛り込まれている。
== ドラマ ==

作品冒頭に描かれている[[すみれ]]の花にはモデルがあるという<ref name="noguchi"/>。川端が「[[京言葉]]」を取材するために訪れた[[町屋 (商家)|町家]]の秦家([[漢方薬]]を製造販売した老舗の薬種商)の庭には、作中にも登場する[[キリシタン]]灯籠もあり、川端が[[蹲]]の石の間に咲いていたすみれの花に興味をひかれていたと、応対した家人が回想していたという<ref name="noguchi"/>。

初版刊行本の口絵には、[[東山魁夷]]の「冬の花」と題する、[[北山杉]]の図が掲げてあるが、これは東山が、川端の[[文化勲章]]受賞祝いとして描いたものである。『古都』連載終了を機会に[[睡眠薬]]常用を止めようとし禁断症状で入院した川端の元へ、東山が直接持参したという<ref name="atogaki"/>。川端は、「病室で日毎ながめてゐると、近づく春の光りが明るくなるとともに、この絵の杉のみどり色も明るくなつて来た」<ref name="atogaki">[[川端康成]]「あとがき」(『古都』)([[新潮社]]、1962年)</ref>と述べている。また『古都』執筆中は、毎日書き出す前にも、書いている間も睡眠薬を飲み、「うつつないありさまで書いた」とし、自作を「私の異常な所産」と呼んでいる<ref name="atogaki"/>。

なお、川端は洛中に現存する唯一の蔵元[[佐々木酒造]]の日本酒に「この酒の風味こそ京都の味」と、作品名『古都』を揮毫した。川端は[[京都大学|京大]][[名誉教授]][[桑原武夫]]に、「古都という酒を知っているか」と尋ね、知らないと答えた桑原にこれを飲ませようと、寒い夜にも関わらず徒歩30分かけて買いに行ったと言われている<ref>『川端康成氏との一夕』([[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]] 1972年6月号に掲載)</ref>。

== あらすじ ==
京都[[中京区|中京]]の由緒ある呉服問屋の一人娘の佐田千重子は、両親に愛されて育ったが悩みがあった。それは自分が[[捨て子]]ではないのかということだった。両親はその噂を否定し、20年前、[[祇園]]さんの夜桜の下に置かれていたあまりにも可愛い赤ちゃんをさらって逃げてきたんだと千重子には説明していた。5月のある日、千重子は友達の真砂子と[[北山杉]]を見にいった。真砂子は北山丸太の加工の仕事をしている村娘の中に千重子とそっくりな娘を見つけ、千重子に示した。

夏、[[祇園祭]]の夜、千重子は[[八坂神社]]の[[御旅所]]で熱心に七度まいりをしている見覚えのある娘を見つめた。その娘も千重子に気づくと食い入るように見つめ、「あんた、姉さんや、神さまのお引き合せどす」と涙を流した。娘はあの北山杉の村娘で名は、苗子だった。二人はお互いの身の上を短く語り合い、とりあえずその場は別れた。苗子は身分の違いを自覚し、千重子を「お嬢さん」と呼んだ。[[西陣]]大橋のところで、[[西陣織]]屋の息子で職人の秀男が、苗子を千重子と思って声をかけた。千重子のことを好きな秀男は、自分の考案の柄で千重子の[[帯]]をおらしてくれと言って去った。

後日、千重子の家の図案を持ってきた秀男に、千重子は双子の姉妹がいることを告げ、苗子の分も「杉と赤松の山」の帯を織って、届けてくれるように頼んだ。それをきっかけに秀男は苗子に惹かれ[[時代祭]]に誘った。千重子の家と同じく問屋の息子で幼馴染の水木真一の兄・竜助が、経営が傾きかけている千重子の店の番頭の裏[[帳簿]]を正すために何かと店を手伝ってくれるようになり、竜助の父親も息子を佐田家に婿養子に出してもいいと申し出て、千重子の父も喜んだ。

一方、苗子は秀男に結婚を申し込まれ、それを千重子に告げた。千重子は賛成するが、苗子は秀男が千重子の幻を愛していることを知っており、それに自分の存在が公になると、千重子の家に迷惑がかかると考えて、プロポーズを断るつもりだった。千重子は、父も母も苗子も家に引き取ってもいいと言っていることを苗子に言うと、苗子は涙を流して感謝した。そして一泊だけ千重子の家に行くことにした。冬の夜、千重子と苗子は一緒の床に寝て幸福な姉妹の時を過ごした。千重子はずっと側にいてくれと言ったが、苗子は今では身分も教養も違う二人の身を思い、少しでもお嬢さんの幸せに支障があってはならないと考え、これをたった一度の訪問にして、雪の朝、山の村へ帰っていった。

== 登場人物 ==
;佐田千重子
:20歳。京都中京にある由緒ある[[室町通]]の[[呉服]][[問屋]]の美しい一人娘。実は店の前に捨てられていた[[捨て子]]。やわらかいきれいな手。
;佐田太吉郎
:50代半ば。千重子の育ての父。呉服問屋を経営。自分でも図案を書く。名人気質で人ぎらい。若い頃、才能のなさに悩み麻薬の魔力で、[[友禅]]の怪しい抽象絵を描いたこともあるが、今は地味なものしか描けない。商売気がなく、店は[[番頭]]に任せているが、商売が傾きぎみ。
;佐田しげ
:50歳。千重子の育ての母。色白で品のいい顔。捨て子じゃなく、可愛い赤ん坊の千重子をさらって逃げてきたと、娘に嘘を言って、捨子の娘が傷つかないようにしている。
;水木真一
:20歳。大学生。名刀のような顔だとよく人に言われる。千重子の[[幼馴染]]で高校まで同じだった。千重子を愛する。数えで7歳の時、[[祇園祭#長刀鉾の稚児|祇園祭]]の長刀鉾に稚児姿で乗ったことがある。兄がいる。今でも兄から、「お稚児さん」とからかい半分に呼ばれる。
;水木竜助
:真一の兄。大学院にいる。英語が堪能。室町の大問屋の長男。近所の問屋の妙な噂を知り、千重子に番頭を調べるように助言する。男っぽい風情。千重子を愛する。
;真砂子
:千重子の友人。[[茶道]]の友達。千重子のことを、「きれいやなあ」とよく言う。恋人がいる。
;苗子
:20歳。千重子の[[双子]]の姉妹。[[北区 (京都市)|北区の中川北山町]](北山丸太村)で、伐られた北山杉の加工の仕事をしている貧しい山娘。皮の厚い荒れた手。生まれたての赤ん坊の時に、父親が北山杉の枝打ち中に転落死。母親も早世。今は「村瀬」という家に奉公している。村瀬家は杉山持ち。
;大友宗助
:50歳くらい。[[西陣織]]屋。佐田太吉郎の友人。妻と三人の息子がいる。家族だけで手織をしている。太吉郎を恩人と思っている。
;大友あさ子
:大友宗助の妻。帯糸を巻く仕事で、年よりも老けている。
;大友秀男
:大友宗助とあさ子の長男。西陣織の[[帯]]を織っている。親より優れた技術がある。無愛想な職人。濃い眉。千重子を愛する。千重子の父が娘のために描いた図案の帯を織る。秀男自身も千重子のために図案を描いて帯を織るが、その時、千重子から苗子の分も頼まれる。
;おかみ
:[[上七軒]]の[[お茶屋]]のおかみ。佐田太吉郎の昔の知り合い。お茶屋に20歳の芸者がいる。
;ちいちゃん
:中学一年。或るお茶屋の娘。[[おかっぱ]]の毛が美しく黒光りがしている。将来の[[舞妓]]として期待されている。姉が二人いる。上の姉は来春、中学卒業。[[先斗町]]の伯母がいる。
;芸者
:20歳。おかみの茶屋の芸者。いきなりキスをしてきた酔客の舌を噛み拒んだこともあったことを、佐田太吉郎に話すが、その後、太吉郎と再会すると平気で戯れに舌を含み、太吉郎から「あんた、堕落したな」と言われる。
;植村
:千重子の家(呉服問屋)の番頭。帳簿をごましかしている。
;水木
:水木竜助と真一の父。室町の大問屋。傾きかけている千重子の店に長男の竜助を婿養子に出して助けようとする。
;その他の人々
:千重子の家に来る[[白川女]](花売り娘)。千重子がよく買物をする[[湯葉]]半(総菜屋)の女。竜村(下河原町の織物屋)の店員。バスの中で千重子をじろじろ見る手錠をかけられた若い男と刑事らしき男。

== 作品評価・解説 ==
京都という古い日本の伝統が残る地を舞台とし、京都の名所や年中行事絵巻を楽しめる作品でもあり、映画化やドラマ化も多くなされ知名度はあるが、他の代表的川端作品の『[[雪国 (小説)|雪国]]』や『[[山の音]]』などに比べると、文学的にはあまり本格的論及の対象とはなっていない傾向がある。よって、失われていく日本の美をとどめておきたいという、川端自身の創作意図の観点から論じられることが多い。

川端は『古都』の連載にあたっての言葉で、「『古都』とは、もちろん、京都です。ここしばらく私は日本の『ふるさと』をたづねるやうな小説を書いてみたいと思つてゐます」<ref>『川端康成全集第12巻』(新潮社、1970年)所収。</ref>と語っている。また、主人公・千重子が[[平安神宮]]で桜を見る場面では、[[谷崎潤一郎]]の『[[細雪]]』からの、「まことに、ここの花をおいて、京絡の春を代表するものはないと言ってよい」という一節が[[オマージュ]]され、[[北山杉]]の村の場面では、川端と懇意であった[[大佛次郎|大仏次郎]]の随筆『京都の誘惑』の名文が引用されており、花や樹木の自然の瑞々しさを綴る描写も多い。

[[三谷憲正]]は、「[[すみれ]]」の可憐さをもつ女性として登場した千重子が、「北山杉」の素直さをも同時に合わせ持つイメージとして物語が進行するが、北山杉の林の中で、苗子と胎内の[[双生児]]のように抱き合った後には、次第に「[[楠]]」の力強さを身につけてゆくと解説している<ref>[[三谷憲正]]『川端康成「古都」論――<衰滅>の予兆と萌芽の予感と』(橋本近代文学・第20集 1995年11月)</ref>。

川端は、『古都』を刊行後に書かれた随筆では、「山が見えない、山が見えない。近ごろ、私は京都の町を歩きながら、声なくさうつぶやいてゐることがある」<ref name="jiman">川端康成『自慢十話』([[毎日新聞]] 1962年8月7日号に掲載)</ref>「自然の美の尊びも、町づくりの美も踏みやぶつてゆく、今の日本人はすさまじい勢ひ、おそろしい力である」<ref name="jiman"/>と記し、都市景観の破壊的変化を危惧している。また後に[[東山魁夷]]の『京洛四季』に寄せた序文でも、同様のことが書かれ、「京都は今描いていていただかないとなくなります」<ref name="miyako">「都のすがた―とどめおかまし」([[東山魁夷]]『京洛四季』序文)(1969年)</ref>と東山にしきりに言っていたことや、醜い安洋館が建ちはじめて、「町通りから山が見えなくなつたのである。山の見えない町なんて、私には京都ではないと歎かれた」<ref name="miyako"/>と記している。

[[野口祐子]]はこういった川端の危機感を踏まえて、川端が『古都』で試みたのは、[[高度経済成長]]期の日本に対するささやかな抵抗であると述べ<ref name="noguchi">[[野口祐子]『川端康成「古都」におけるすみれの花と時間感覚』([[京都府立大学]]学術報、2009年12月)</ref>、川端が東山へ送った言葉を自身で行なった創作が『古都』であったとし<ref name="noguchi"/>、「『古都』の、時代から遊離したかのごとく感じられる古風な京都イメージと登場人物、そして円環的時間間隔と物語性の欠落は、川端の京都を古都として描き残そうとする使命感のなせるわざだったと言えるだろう」<ref name="noguchi"/>と論じている。

[[呉悦]]は、『古都』の書かれた当時の急速な近代化の日本社会を鑑み、川端はその流れに反して、主人公の少女たちを単純、純潔に表現し、少女特有の恥じらいを溢れさせているとし<ref name="goetsu">[[呉悦]]『川端康成と[[沈従文]]における伝統への回帰―「古都」と「辺城」の比較を中心として』([[名古屋大学]]国際言語文化研究科国際多元文化、2011年3月)</ref>、他の登場人物も古い土地で代々伝わる家業を守って暮らしている設定で、その主題の中には、徐々に失われてゆく伝統風景や自然の生命、人間社会への厭世と裏腹の人間愛、近代化の波による過去に対する懐かしさなどが入り混じっていると解説し<ref name="goetsu"/>、戦後、世の中の価値観の変動を目の当たりにした川端が述べていた、「戦争中、殊に敗戦後、日本人には真の悲劇も不幸も感じる力がないといふ、私の前からの思ひは強くなつた。感じる力がないといふことは、感じられる本体がないといふことであらう。敗戦後の私は日本古来の悲しみのなかに帰つてゆくばかりである。私は戦後の世相なるもの、風俗なるものを信じない。現実なるものをあるひは信じない」<ref>川端康成『哀愁』(1947年10月)</ref>という言葉に関連して、川端が現実を信じない結果、日本の伝統的故郷への愛を徹底的に描き出すことに情熱を傾けたのが『古都』だと論じている<ref name="goetsu"/>。

しかしそこで川端は懸命に理想的世界を作り、純粋な人物を登場させているのにも関わらず、主人公の少女たちの辿る悲哀の人生や、変えられない運命に左右される哀愁には、川端の現実社会に対する失望や不信感が窺えると呉悦は述べ<ref name="goetsu"/>、その後川端は幻想的な世界観の『[[片腕 (小説)|片腕]]』を描き、現実からかけ離れた道を辿ってゆくと解説している<ref name="goetsu"/>。そして、川端は欧米に学んだ後に日本伝統回帰するが、欧米から押し寄せる近代化の波と伝統との葛藤が心の中に生まれたとし<ref name="goetsu"/>、その末路は、「日本の伝統を必死に守ろうにも守りきれなかったという現実に対する無力感の現れではなかろうか」<ref name="goetsu"/>と、[[新感覚派]]の旗手から、日本伝統回帰を経て、不思議な作品を創出し、最後は自殺してしまった川端自身の運命について言及している<ref name="goetsu"/>。

== 舞台化 ==
*[[新派]]『古都』 劇団新派公演
*:1962年(昭和37年) [[明治座]]
*:脚色:[[川口松太郎]]。演出:[[松浦竹夫]]。

== 映画化 ==
*『[[古都 (1963年の映画)|古都]]』([[松竹]]) カラー105分。
*:1963年(昭和38年)1月13日封切。
*:監督:[[中村登]]。脚本:[[権藤利英]]。音楽:[[武満徹]]。
*:主演:[[岩下志麻]] [[吉田輝雄]] [[長門裕之]]、ほか
*:※ [[第36回アカデミー賞]]外国語映画賞本選ノミネート作品
{{Main|古都 (1963年の映画)}}
*『[[古都 (1980年の映画)|古都]]』([[東宝]] カラー125分。
*:1980年(昭和55年)12月20日封切。
*:監督:[[市川崑]]。脚本:[[日高真也]]、市川崑。音楽:[[田辺信一]]。
*:主演:[[山口百恵]] [[三浦友和]] [[實川延若 (3代目)|實川延若]] [[岸惠子]] [[北詰友樹]]、ほか
{{Main|古都 (1980年の映画)}}

== テレビドラマ化 ==
{{ドラマ}}
{{ドラマ}}
*古都([[1964年]]、[[日本放送協会|NHK]] 文芸劇場 
*文芸劇場(第107回)『古都([[NHK総合テレビジョン|NHK]])
*:1964年(昭和39年)3月20日 金曜日 20:00 - 21:30
*:佐田千恵子・苗子(二役):[[小林千登勢]]
*:脚本:[[成沢昌茂]](成澤昌茂)。演出:[[畑中庸生]]。
*古都([[1966年]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]] [[ライオン奥様劇場]])
*:出演:[[小林千登勢]](佐田千重子・苗子の二役)、[[中村鴈治郎 (2代目)|中村鴈治郎]]、[[萬代峰子]]、[[津川雅彦]]、[[清水元]]、[[渡辺文雄]]、[[花ノ本寿]]、[[有田紀子]]、[[浦辺粂子]]
*:佐田千恵子・苗子(二役):[[長内美那子]]
*[[古都_(1980年のテレビドラマ)|古都]](1980年[[1月7日]] - [[3月7日]]、[[TBSテレビ|TBS]] [[愛の劇場]])
*[[ライオン奥様劇場]]『古都』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])
*:1966年(昭和41年)1月3日 - 2月11日 月曜日 - 金曜日 13:00 - 13:30
*:佐田千重子・苗子(二役):[[岡江久美子]]
*:脚本:[[芦沢俊郎]]。演出:[[岩間鶴夫]。制作会社:[[松竹]]テレビ室、CX。
*古都([[1988年]]、[[関西テレビ放送|関西テレビ]] [[開局記念番組|開局30周年スペシャル]])
*:佐田千子・苗子二役):[[沢口靖子]]
*:出演:[[長内美那子]](佐田千子・苗子二役)、[[吉田輝雄]]、[[小坂一也]]、[[宇佐美淳也]]
*古都([[1994年]][[テレビ東京]] [[テレビ東京月曜9時枠の連続ドラマ|日本名作ドラマ]])
*[[花王愛の劇場]][[古都_(1980年のテレビドラマ)|古都]]』([[TBSテレビ|TBS]])
*:1980年(昭和55年)1月7日 - 3月7日(全45回) 月曜日 - 金曜日 13:00 - 13:30
*:佐田千恵子・苗子(二役):[[中江有里]]
*:脚本:[[芦沢俊郎]]。
*[[古都 (2005年のテレビドラマ)|古都]]([[2005年]][[2月5日]]、[[テレビ朝日]] [[土曜ワイド劇場]])
*:出演:[[岡江久美子]](佐田千重子・苗子の二役)、[[志垣太郎]]、[[河原崎建三]]、[[松下達夫]]、[[露原千草]]、[[長内美那子]]、[[山田はるみ]]
*:佐田千恵子・苗子(二役):[[上戸彩]]
*:主題歌:[[芹洋子]]「古都の旅」(作詞:[[木下龍太郎]]。作曲:[[平尾昌晃]])
{{Main|古都 (1980年のテレビドラマ)}}
*[[関西テレビ放送|関西テレビ]][[開局記念番組|開局30周年スペシャル]]『古都』([[関西テレビ|KTV]])
*:1988年(昭和63年)4月1日 金曜日 21:03 - 23:07
*:脚本:[[早坂暁|早坂曉]]。演出・監督:[[出目昌伸]]。制作:[[東宝]]、KTV。
*:出演:[[沢口靖子]](佐田千重子・苗子の二役)、[[村上弘明]]、[[堤大二郎]]、[[田村高廣]]、[[草笛光子]]、[[田武謙三]]
*:※ 関西地区以外の番組名は「春のドラマスペシャル」
*月曜特集特別企画・[[テレビ東京月曜9時枠の連続ドラマ|日本名作ドラマ]]『古都』([[テレビ東京]])
*:1994年(平成6年)5月30日 月曜日 20:00 - 21:54
*:脚本:[[綾部伴子]]。演出:[[森崎東]]。音楽:[[羽田健太郎]]。選曲:[[山川繁]]。プロデューサー:[[田中浩三]]、[[原克子]]、[[大野晴雄]]。制作会社:[[松竹]]、TX。制作協力:[[京都映画]]。
*:出演:[[中江有里]](佐田千重子・苗子の二役)、[[橋爪功]]、[[岩本多代]]、[[杉本哲太]]、[[大沢健]]、[[橋本潤]]、[[西山辰夫]]、[[奥村公延]]、[[穂積隆信]]、[[石田章]]、[[絵沢萠子]]、[[扇田喜久一]]、[[三浦徳子]]、[[神谷けいこ]]、[[橋本じゅん]]、[[石田アキラ]]
*[[土曜ワイド劇場]]・ドラマスペシャル『[[古都 (2005年のテレビドラマ)|古都]]』([[テレビ朝日]])
*:2005年(平成17年)2月5日 土曜日 21:00 - 23:06
*:脚本:[[永田優子]]。演出・監督:[[猪崎宣昭]]。制作会社:[[ホリプロ]]、EX。制作協力:松竹京都映画。
*:出演:[[上戸彩]](佐田千重子・苗子の二役)、[[渡部篤郎]]、[[西岡徳馬]]、[[小栗旬]]、[[朝丘雪路]]、[[高橋惠子]]、[[夏八木勲]]、ほか
{{Main|古都 (2005年のテレビドラマ)}}


== おもな刊行本 ==
==その他==
*『古都』([[新潮社]]、1962年6月14日)
洛中に現存する唯一の蔵元[[佐々木酒造]]の日本酒に「この酒の風味こそ京都の味」と、作品名『[[古都]]』を揮毫した。川端は[[京都大学|京大]][[名誉教授]][[桑原武夫]]に「古都という酒を知っているか。」と尋ね、知らないと答えた桑原にこれを飲ませようと、寒い夜にも関わらず徒歩30分かけて買いに行ったと言われている<ref>[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]1972年6月号掲載『川端康成氏との一夕』</ref>。
*:口絵:[[東山魁夷]]「冬の花」。あとがき:川端康成。
*文庫版『古都』([[新潮文庫]]、1968年8月27日。改版2010年)
*:カバー装幀:[[ケルスティン・ティニ・ミウラ]]。付録・解説:[[山本健吉]]。あとがき:川端康成。
*英文版『The Old Capital』(訳:J・マーティン・ホルマン)(Tuttle、1987年)


==類似作品==
== 類似作品 ==
*[[私と私]]
*[[私と私]]
*[[ふたりのロッテ]]
*[[ふたりのロッテ]]
*[[だんだん]]
*[[だんだん]]


==出典==
== 脚注 ==
<references/>
<references />

== 参考文献 ==
*文庫版『古都』(付録・解説 [[山本健吉]])([[新潮文庫]]、1968年。改版2010年)
*『新潮日本文学アルバム16 [[川端康成]]』([[新潮社]]、1984年)
*[[野口祐子]]『川端康成「古都」におけるすみれの花と時間感覚』([[京都府立大学]]学術報、2009年12月) [http://ci.nii.ac.jp/els/110008138628.pdf?id=ART0009656369&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1371114224&cp=]
*[[呉悦]]『川端康成と沈従文における伝統への回帰―「古都」と「辺城」の比較を中心として』([[名古屋大学]]国際言語文化研究科国際多元文化、2011年3月) [http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/14641/1/02.pdf]

== 関連項目 ==
*[[北山杉]]
*[[祇園祭]]
*[[時代祭]]
*[[細雪]]
*[[大佛次郎]]

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redirect1=古都 (テレビドラマ)|
1-1=文学を原作とするテレビドラマ|
1-2=NHKのテレビドラマ|
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[[Category:戦後日本を舞台とした作品]]
[[Category:四季を題材とした作品]]

2013年6月18日 (火) 09:10時点における版

古都
The Old Capital
著者 川端康成
イラスト 東山魁夷
発行日 1962年6月14日
発行元 新潮社
ジャンル 長編小説
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本
ウィキポータル 文学
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古都』(こと)は、川端康成長編小説。古都・京都を舞台に、生き別れになった双子の姉妹の数奇な運命を描いた物語。1961年(昭和36年)、「朝日新聞」10月8日号から翌1962年(昭和37年)1月23日まで連載された(挿絵:小磯良平)。単行本は連載後の同年6月14日に新潮社より刊行された。現行版は新潮文庫より刊行されている。翻訳版も1987年(昭和62年)のJ・マーティン・ホルマン訳(英題:“The Old Capital”)をはじめ、各国で行われている。

単行本刊行と同年に川口松太郎脚色で新派で舞台化もされた。また、これまで2度映画化もされている。

概要

捨て子であったが、京都の老舗呉服問屋の一人娘として美しく成長した娘が、北山杉の村で見かけた自分と瓜二つの村娘と祇園祭の夜に偶然出逢う物語。互いに惹かれ合い、懐かしみ合いながらも、一緒に暮らすことのできない双子の姉妹の姿が、移ろう四季の景色と伝統的な祭、古都の深い面影を残す史蹟の数々を織り込んだ流麗な筆致で美しく描かれている[1]

構成は全9章からなり、「春の花」「尼寺と格子」「きものの町」は春、「北山杉」「祇園祭」は夏、「秋の色」「松のみどり」「秋深い姉妹」は秋、「冬の花」は冬、というように京都の四季を背景に物語が進行する。小説に描かれたのは、1961年(昭和36年)の春から冬にかけての京都であり、実際の年中行事や出来事が盛り込まれている。

作品冒頭に描かれているすみれの花にはモデルがあるという[2]。川端が「京言葉」を取材するために訪れた町家の秦家(漢方薬を製造販売した老舗の薬種商)の庭には、作中にも登場するキリシタン灯籠もあり、川端がの石の間に咲いていたすみれの花に興味をひかれていたと、応対した家人が回想していたという[2]

初版刊行本の口絵には、東山魁夷の「冬の花」と題する、北山杉の図が掲げてあるが、これは東山が、川端の文化勲章受賞祝いとして描いたものである。『古都』連載終了を機会に睡眠薬常用を止めようとし禁断症状で入院した川端の元へ、東山が直接持参したという[3]。川端は、「病室で日毎ながめてゐると、近づく春の光りが明るくなるとともに、この絵の杉のみどり色も明るくなつて来た」[3]と述べている。また『古都』執筆中は、毎日書き出す前にも、書いている間も睡眠薬を飲み、「うつつないありさまで書いた」とし、自作を「私の異常な所産」と呼んでいる[3]

なお、川端は洛中に現存する唯一の蔵元佐々木酒造の日本酒に「この酒の風味こそ京都の味」と、作品名『古都』を揮毫した。川端は京大名誉教授桑原武夫に、「古都という酒を知っているか」と尋ね、知らないと答えた桑原にこれを飲ませようと、寒い夜にも関わらず徒歩30分かけて買いに行ったと言われている[4]

あらすじ

京都中京の由緒ある呉服問屋の一人娘の佐田千重子は、両親に愛されて育ったが悩みがあった。それは自分が捨て子ではないのかということだった。両親はその噂を否定し、20年前、祇園さんの夜桜の下に置かれていたあまりにも可愛い赤ちゃんをさらって逃げてきたんだと千重子には説明していた。5月のある日、千重子は友達の真砂子と北山杉を見にいった。真砂子は北山丸太の加工の仕事をしている村娘の中に千重子とそっくりな娘を見つけ、千重子に示した。

夏、祇園祭の夜、千重子は八坂神社御旅所で熱心に七度まいりをしている見覚えのある娘を見つめた。その娘も千重子に気づくと食い入るように見つめ、「あんた、姉さんや、神さまのお引き合せどす」と涙を流した。娘はあの北山杉の村娘で名は、苗子だった。二人はお互いの身の上を短く語り合い、とりあえずその場は別れた。苗子は身分の違いを自覚し、千重子を「お嬢さん」と呼んだ。西陣大橋のところで、西陣織屋の息子で職人の秀男が、苗子を千重子と思って声をかけた。千重子のことを好きな秀男は、自分の考案の柄で千重子のをおらしてくれと言って去った。

後日、千重子の家の図案を持ってきた秀男に、千重子は双子の姉妹がいることを告げ、苗子の分も「杉と赤松の山」の帯を織って、届けてくれるように頼んだ。それをきっかけに秀男は苗子に惹かれ時代祭に誘った。千重子の家と同じく問屋の息子で幼馴染の水木真一の兄・竜助が、経営が傾きかけている千重子の店の番頭の裏帳簿を正すために何かと店を手伝ってくれるようになり、竜助の父親も息子を佐田家に婿養子に出してもいいと申し出て、千重子の父も喜んだ。

一方、苗子は秀男に結婚を申し込まれ、それを千重子に告げた。千重子は賛成するが、苗子は秀男が千重子の幻を愛していることを知っており、それに自分の存在が公になると、千重子の家に迷惑がかかると考えて、プロポーズを断るつもりだった。千重子は、父も母も苗子も家に引き取ってもいいと言っていることを苗子に言うと、苗子は涙を流して感謝した。そして一泊だけ千重子の家に行くことにした。冬の夜、千重子と苗子は一緒の床に寝て幸福な姉妹の時を過ごした。千重子はずっと側にいてくれと言ったが、苗子は今では身分も教養も違う二人の身を思い、少しでもお嬢さんの幸せに支障があってはならないと考え、これをたった一度の訪問にして、雪の朝、山の村へ帰っていった。

登場人物

佐田千重子
20歳。京都中京にある由緒ある室町通呉服問屋の美しい一人娘。実は店の前に捨てられていた捨て子。やわらかいきれいな手。
佐田太吉郎
50代半ば。千重子の育ての父。呉服問屋を経営。自分でも図案を書く。名人気質で人ぎらい。若い頃、才能のなさに悩み麻薬の魔力で、友禅の怪しい抽象絵を描いたこともあるが、今は地味なものしか描けない。商売気がなく、店は番頭に任せているが、商売が傾きぎみ。
佐田しげ
50歳。千重子の育ての母。色白で品のいい顔。捨て子じゃなく、可愛い赤ん坊の千重子をさらって逃げてきたと、娘に嘘を言って、捨子の娘が傷つかないようにしている。
水木真一
20歳。大学生。名刀のような顔だとよく人に言われる。千重子の幼馴染で高校まで同じだった。千重子を愛する。数えで7歳の時、祇園祭の長刀鉾に稚児姿で乗ったことがある。兄がいる。今でも兄から、「お稚児さん」とからかい半分に呼ばれる。
水木竜助
真一の兄。大学院にいる。英語が堪能。室町の大問屋の長男。近所の問屋の妙な噂を知り、千重子に番頭を調べるように助言する。男っぽい風情。千重子を愛する。
真砂子
千重子の友人。茶道の友達。千重子のことを、「きれいやなあ」とよく言う。恋人がいる。
苗子
20歳。千重子の双子の姉妹。北区の中川北山町(北山丸太村)で、伐られた北山杉の加工の仕事をしている貧しい山娘。皮の厚い荒れた手。生まれたての赤ん坊の時に、父親が北山杉の枝打ち中に転落死。母親も早世。今は「村瀬」という家に奉公している。村瀬家は杉山持ち。
大友宗助
50歳くらい。西陣織屋。佐田太吉郎の友人。妻と三人の息子がいる。家族だけで手織をしている。太吉郎を恩人と思っている。
大友あさ子
大友宗助の妻。帯糸を巻く仕事で、年よりも老けている。
大友秀男
大友宗助とあさ子の長男。西陣織のを織っている。親より優れた技術がある。無愛想な職人。濃い眉。千重子を愛する。千重子の父が娘のために描いた図案の帯を織る。秀男自身も千重子のために図案を描いて帯を織るが、その時、千重子から苗子の分も頼まれる。
おかみ
上七軒お茶屋のおかみ。佐田太吉郎の昔の知り合い。お茶屋に20歳の芸者がいる。
ちいちゃん
中学一年。或るお茶屋の娘。おかっぱの毛が美しく黒光りがしている。将来の舞妓として期待されている。姉が二人いる。上の姉は来春、中学卒業。先斗町の伯母がいる。
芸者
20歳。おかみの茶屋の芸者。いきなりキスをしてきた酔客の舌を噛み拒んだこともあったことを、佐田太吉郎に話すが、その後、太吉郎と再会すると平気で戯れに舌を含み、太吉郎から「あんた、堕落したな」と言われる。
植村
千重子の家(呉服問屋)の番頭。帳簿をごましかしている。
水木
水木竜助と真一の父。室町の大問屋。傾きかけている千重子の店に長男の竜助を婿養子に出して助けようとする。
その他の人々
千重子の家に来る白川女(花売り娘)。千重子がよく買物をする湯葉半(総菜屋)の女。竜村(下河原町の織物屋)の店員。バスの中で千重子をじろじろ見る手錠をかけられた若い男と刑事らしき男。

作品評価・解説

京都という古い日本の伝統が残る地を舞台とし、京都の名所や年中行事絵巻を楽しめる作品でもあり、映画化やドラマ化も多くなされ知名度はあるが、他の代表的川端作品の『雪国』や『山の音』などに比べると、文学的にはあまり本格的論及の対象とはなっていない傾向がある。よって、失われていく日本の美をとどめておきたいという、川端自身の創作意図の観点から論じられることが多い。

川端は『古都』の連載にあたっての言葉で、「『古都』とは、もちろん、京都です。ここしばらく私は日本の『ふるさと』をたづねるやうな小説を書いてみたいと思つてゐます」[5]と語っている。また、主人公・千重子が平安神宮で桜を見る場面では、谷崎潤一郎の『細雪』からの、「まことに、ここの花をおいて、京絡の春を代表するものはないと言ってよい」という一節がオマージュされ、北山杉の村の場面では、川端と懇意であった大仏次郎の随筆『京都の誘惑』の名文が引用されており、花や樹木の自然の瑞々しさを綴る描写も多い。

三谷憲正は、「すみれ」の可憐さをもつ女性として登場した千重子が、「北山杉」の素直さをも同時に合わせ持つイメージとして物語が進行するが、北山杉の林の中で、苗子と胎内の双生児のように抱き合った後には、次第に「」の力強さを身につけてゆくと解説している[6]

川端は、『古都』を刊行後に書かれた随筆では、「山が見えない、山が見えない。近ごろ、私は京都の町を歩きながら、声なくさうつぶやいてゐることがある」[7]「自然の美の尊びも、町づくりの美も踏みやぶつてゆく、今の日本人はすさまじい勢ひ、おそろしい力である」[7]と記し、都市景観の破壊的変化を危惧している。また後に東山魁夷の『京洛四季』に寄せた序文でも、同様のことが書かれ、「京都は今描いていていただかないとなくなります」[8]と東山にしきりに言っていたことや、醜い安洋館が建ちはじめて、「町通りから山が見えなくなつたのである。山の見えない町なんて、私には京都ではないと歎かれた」[8]と記している。

野口祐子はこういった川端の危機感を踏まえて、川端が『古都』で試みたのは、高度経済成長期の日本に対するささやかな抵抗であると述べ[2]、川端が東山へ送った言葉を自身で行なった創作が『古都』であったとし[2]、「『古都』の、時代から遊離したかのごとく感じられる古風な京都イメージと登場人物、そして円環的時間間隔と物語性の欠落は、川端の京都を古都として描き残そうとする使命感のなせるわざだったと言えるだろう」[2]と論じている。

呉悦は、『古都』の書かれた当時の急速な近代化の日本社会を鑑み、川端はその流れに反して、主人公の少女たちを単純、純潔に表現し、少女特有の恥じらいを溢れさせているとし[9]、他の登場人物も古い土地で代々伝わる家業を守って暮らしている設定で、その主題の中には、徐々に失われてゆく伝統風景や自然の生命、人間社会への厭世と裏腹の人間愛、近代化の波による過去に対する懐かしさなどが入り混じっていると解説し[9]、戦後、世の中の価値観の変動を目の当たりにした川端が述べていた、「戦争中、殊に敗戦後、日本人には真の悲劇も不幸も感じる力がないといふ、私の前からの思ひは強くなつた。感じる力がないといふことは、感じられる本体がないといふことであらう。敗戦後の私は日本古来の悲しみのなかに帰つてゆくばかりである。私は戦後の世相なるもの、風俗なるものを信じない。現実なるものをあるひは信じない」[10]という言葉に関連して、川端が現実を信じない結果、日本の伝統的故郷への愛を徹底的に描き出すことに情熱を傾けたのが『古都』だと論じている[9]

しかしそこで川端は懸命に理想的世界を作り、純粋な人物を登場させているのにも関わらず、主人公の少女たちの辿る悲哀の人生や、変えられない運命に左右される哀愁には、川端の現実社会に対する失望や不信感が窺えると呉悦は述べ[9]、その後川端は幻想的な世界観の『片腕』を描き、現実からかけ離れた道を辿ってゆくと解説している[9]。そして、川端は欧米に学んだ後に日本伝統回帰するが、欧米から押し寄せる近代化の波と伝統との葛藤が心の中に生まれたとし[9]、その末路は、「日本の伝統を必死に守ろうにも守りきれなかったという現実に対する無力感の現れではなかろうか」[9]と、新感覚派の旗手から、日本伝統回帰を経て、不思議な作品を創出し、最後は自殺してしまった川端自身の運命について言及している[9]

舞台化

映画化

テレビドラマ化

おもな刊行本

類似作品

脚注

  1. ^ 「カバー解説」(文庫版『古都』)(新潮文庫、1968年。改版2010年)
  2. ^ a b c d e [[野口祐子]『川端康成「古都」におけるすみれの花と時間感覚』(京都府立大学学術報、2009年12月)
  3. ^ a b c 川端康成「あとがき」(『古都』)(新潮社、1962年)
  4. ^ 『川端康成氏との一夕』(文藝春秋 1972年6月号に掲載)
  5. ^ 『川端康成全集第12巻』(新潮社、1970年)所収。
  6. ^ 三谷憲正『川端康成「古都」論――<衰滅>の予兆と萌芽の予感と』(橋本近代文学・第20集 1995年11月)
  7. ^ a b 川端康成『自慢十話』(毎日新聞 1962年8月7日号に掲載)
  8. ^ a b 「都のすがた―とどめおかまし」(東山魁夷『京洛四季』序文)(1969年)
  9. ^ a b c d e f g h 呉悦『川端康成と沈従文における伝統への回帰―「古都」と「辺城」の比較を中心として』(名古屋大学国際言語文化研究科国際多元文化、2011年3月)
  10. ^ 川端康成『哀愁』(1947年10月)

参考文献

  • 文庫版『古都』(付録・解説 山本健吉)(新潮文庫、1968年。改版2010年)
  • 『新潮日本文学アルバム16 川端康成』(新潮社、1984年)
  • 野口祐子『川端康成「古都」におけるすみれの花と時間感覚』(京都府立大学学術報、2009年12月) [1]
  • 呉悦『川端康成と沈従文における伝統への回帰―「古都」と「辺城」の比較を中心として』(名古屋大学国際言語文化研究科国際多元文化、2011年3月) [2]

関連項目