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「広島電鉄」の版間の差分

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{{分割提案|date=2012年8月}}
{{基礎情報 会社
{{基礎情報 会社
|社名 = 広島電鉄株式会社
|社名 = 広島電鉄株式会社
|英文社名 = Hiroshima Electric Railway Co., Ltd.
|英文社名 = Hiroshima Electric Railway Co., Ltd.
|ロゴ =
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|画像 = [[File:Hiroshima Electric Railway Office and 5102 Green mover max.jpg|260px|広島電鉄本社と5100形電車]]
|画像 = [[ファイル:Hiroden-5100-1.jpg|280px]]
|画像説明 = 5100形電車 Green mover max
|画像説明 = 広島電鉄本社と5100形電車
|種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
|種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
|市場情報 = {{上場情報|東証2部|9033}}
|市場情報 = {{上場情報|東証2部|9033}}
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|SWIFTコード =
|SWIFTコード =
|事業内容 = 鉄軌道事業、バス事業、不動産事業
|事業内容 = 鉄軌道事業、バス事業、不動産事業
|代表者 = 代表取締役社長 越智秀信
|代表者 = 代表取締役社長 椋田昌夫
|資本金 = 23億3,5625,000円<br />(2011年3月31日現在)
|資本金 = 23億35625000円<br />(2012年3月31日現在)
|発行済株式総数 = 6,0891,000株<br />(2011年3月31日現在)
|発行済株式総数 = 60891000株<br />(2012年3月31日現在)
|売上高 = 連結:3544,900万円<br />単独:171200万円<br />(2011年3月期)
|売上高 = 連結:3637000万円<br />単独:1701200万円<br />(2012年3月期)
|営業利益 = 連結:14800万円<br />単独:121,300万円<br />(2011年3月期)
|営業利益 = 連結:133300万円<br />単独:107600万円<br />(2012年3月期)
|純利益 = 連結:86,700万円<br />単独:7500万円<br/>(2011年3月期)
|純利益 = 連結:127100万円<br />単独:83500万円<br/>(2012年3月期)
|純資産 = 連結:2962,400万円<br />単独:2662,300万円<br />(2011年3月期)
|純資産 = 連結:3252000万円<br />単独:2905300万円<br />(2012年3月期)
|総資産 = 連結:8487,600万円<br />単独:7075,800万円<br />(2011年3月期)
|総資産 = 連結:9004100万円<br />単独:7592600万円<br />(2012年3月期)
|従業員数 = 連結:1,850人、単体:1,255人<br />(2011年3月31日現在)
|従業員数 = 連結:2,053人、単体:1,270人<br />(2012年3月31日現在)
|決算期 = 毎年3月31日
|決算期 = 毎年3月31日
|主要株主 = [[広島銀行]] 3.43%<br />[[三菱東京UFJ銀行]] 2.88%<br />広島日野自動車 2.61%<br />[[みずほ信託銀行]](退職給付信託 [[五洋建設]]口) 2.49% ほか<br />(2011年3月31日現在)
|主要株主 = [[広島銀行]] 3.43%<br />[[三菱東京UFJ銀行]] 2.88%<br />広島日野自動車 2.61%<br />[[みずほ信託銀行]](退職給付信託 [[五洋建設]]口) 2.49% ほか<br />(2012年3月31日現在)
|主要子会社 = [[エイチ・ディー西広島]] 100.0%<br />[[芸陽バス]] 92.94%<br />[[備北交通]] 88.7%<br />[[宮島松大汽船]] 60.0%<br />[[広島観光開発]] 49.1% ほか<br />(いずれも[[連結子会社]])
|主要子会社 = [[エイチ・ディー西広島]] 100.0%<br />[[芸陽バス]] 92.94%<br />[[備北交通]] 88.7%<br />[[宮島松大汽船]] 60.0%<br />[[広島観光開発]] 39.88%<ref group="補足">ほかに間接所有分として議決権割合で約17.4%を保有。合算で約57.3%を保有している。</ref> ほか<br />(いずれも[[連結子会社]])
|関係する人物 =
|関係する人物 =
|外部リンク = [http://www.hiroden.co.jp/ www.hiroden.co.jp]
|外部リンク = [http://www.hiroden.co.jp/ www.hiroden.co.jp]
|特記事項 =
|特記事項 =
}}
}}
'''広島電鉄株式会社'''(ひろしまでんてつ、{{Lang-en-short|''Hiroshima Electric Railway Co., Ltd.''}})は、[[広島県]]を主たる事業対象地域としている[[鉄道事業者|鉄道]]・[[軌道法|軌道]]事業、[[バス (交通機関)|バス]]事業、[[不動産会社|不動産事業]]を行う会社<ref name="E04123_103">『有価証券報告書(第103期)』広島電鉄、2012年6月29日。</ref>。
[[ファイル:広電本社01.jpg|thumb|right|300px|広島電鉄本社ビル 2008年6月撮影]]<!-- テンプレート内に置くべき画像と準ずる扱いなのでこの位置に置いています -->
'''広島電鉄株式会社'''(ひろしまでんてつ、{{Lang-en-short|''Hiroshima Electric Railway Co., Ltd.''}})は、[[広島県]]をエリアとする[[鉄道事業者|鉄道]]・[[軌道法|軌道]]事業、[[バス (交通機関)|バス]]事業、[[不動産会社|不動産事業]]を行う会社<ref name="E04123_102">『有価証券報告書(第102期)』広島電鉄、2011年6月30日。</ref>。


略称は'''広電'''(ひろでん)。キャッチフレーズは「'''地域社会に奉仕する広電グループ'''」。
略称は'''広電'''(ひろでん)。キャッチフレーズは「'''地域社会に奉仕する広電グループ'''」。


== 会社概要 ==
== 会社概要 ==
本社は[[広島県]][[広島市]][[中区 (広島市)|中区]]東千田町2丁目9番29号。開業時及び広島電鉄設立より当地に本社が置かれているが、[[1945年]]([[昭和]]20年)の[[広島市への原子爆弾投下]]から翌年の[[8月30日]]まで楽々園に本社が置かれていたことがある。また広島瓦斯電軌時代は、現在の広島市中区[[大手町 (広島市)|大手町]]に本社を置いていた時期もある。
本社は[[広島県]][[広島市]][[中区 (広島市)|中区]]東千田町2丁目9番29号。開業時及び広島電鉄設立<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』91ページ</ref>より当地に本社が置かれているが、[[1945年]]([[昭和]]20年)の[[広島市への原子爆弾投下]]<ref>『広島電鉄開業80創立50年史』本編77ページ</ref>から翌年の[[8月30日]]まで楽々園に本社が置かれていたことがある<ref>『広島電鉄開業80創立50年史』資料編108ページ</ref>。また広島瓦斯電軌時代は、現在の広島市中区[[大手町 (広島市)|大手町]]に本社を置いていた時期もある。


現在の会社は、[[1942年]](昭和17年)[[4月10日]]に「広島瓦斯電軌株式会社」(現在の[[広島ガス]])から運輸事業を分離して設立された。前身の会社を含めると、「広島電気軌道株式会社」として[[1910年]]([[明治]]43年)[[6月18日]]に設立された。
現在の会社は、[[1942年]](昭和17年)[[4月10日]]に「広島瓦斯電軌株式会社」(現在の[[広島ガス]])から運輸事業を分離して設立された<ref>『広島電鉄開業80創立50年史』資料編107ページ</ref>。前身の会社を含めると、「広島電気軌道株式会社」として[[1910年]]([[明治]]43年)[[6月18日]]に設立された<ref>『広島電鉄開業80創立50年史』資料編105ページ</ref>


創立当初は、[[大林組]]傘下の企業で、同様の経緯によって作られた会社に広島ガスがある。また、その2社は「広島瓦斯電軌株式会社」として1つの会社だった時期もある。大林組社主の[[大林芳五郎]]の死去より、[[鈴木商店]]の支援を得て、実業家の[[藤田謙一]]に株式が売却されて、大林組傘下を外れている。同時期に、同一人物が社長だったことなどから広島ガスとの合併となった。
創立当初は、[[大林組]]傘下の企業で、同様の経緯によって作られた会社に広島ガスがある<ref>『広島電鉄開業80創立50年史』本編19ページ</ref>。また、その2社は「広島瓦斯電軌株式会社」として1つの会社だった時期もある。大林組社主の[[大林芳五郎]]が[[北浜銀行]]の破綻と、その資金支援のため広島瓦斯株式を[[1913年]](大正2年)から[[1914年]](大正3年)放出<ref name="h-gas100-49">『広島ガス100年史』49ページ</ref>。広島電気軌道についても、[[1916年]](大正6年)大林芳五郎の没後、後継者の大林義雄が株を継承した物の社長は空位<ref>[http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974394/875 帝国銀行会社要録 : 附・職員録. 大正5年(5版)]</ref>、その後、大林組傘下を離脱<ref>『広島電鉄開業80創立50年史』本編34ページ</ref>。両社とも、[[鈴木商店]]の支援を得て、実業家の[[藤田謙一]]に株式が売却されて、同時期に、同一人物が社長だったこと<ref name="h-gas100-49">『広島ガス100年史』49ページ</ref>、需要のピークがガスと路面電車で異なることより<ref name="h-gas100-49"/>、広島瓦斯との合併となった<ref name="h-gas100-49"/>


広島ガス統合時代に設立された財団法人広島瓦斯電軌学園は、現在は学校法人鈴峯学園([[鈴峯女子短期大学]]・[[鈴峯女子中学校・高等学校]]を設置)に改組・改称し、現在でも学園関係者に広電及び広島ガス出身者が多い。他に広島ガス統合時代の名残りとして、現在も当社の[[健康保険組合]]は「広島ガス電鉄健康保険組合」として、広島ガスと共同で運営している。
広島ガス統合時代に設立された財団法人広島瓦斯電軌学園は、現在は学校法人鈴峯学園([[鈴峯女子短期大学]]・[[鈴峯女子中学校・高等学校]]を設置)に改組・改称し、現在でも学園関係者に広電及び広島ガス出身者が多い。他に広島ガス統合時代の名残りとして、現在も当社の[[健康保険組合]]は「広島ガス電鉄健康保険組合」として、広島ガスと共同で運営している。


[[社内カンパニー]]制度を導入しており、鉄道・軌道事業は[[#鉄道・軌道事業|電車カンパニー]]、[[路線バス]]事業は[[#バス事業|バスカンパニー]]、不動産事業は[[#不動産事業|不動産カンパニー]]が担当している広島電鉄のバスは'''青バス'''(広電バス)、[[路面電車]]は'''電車'''(広電電車)と呼ばれている。ただし、現在では青バスは[[JRバス]]([[中国ジェイアールバス]])を指すことが多く、広電バスは「緑のバス」と言い、若層の間で誤解誤乗車などのトラブルが生じている
1998年(平成10年)より[[社内カンパニー]]制度を導入しており、鉄道・軌道事業は[[#鉄道・軌道事業|電車カンパニー]]、[[路線バス]]事業は[[広電バス|バスカンパニー]]、不動産事業は[[#不動産事業|不動産カンパニー]]が担当している<ref name="HIRODEN10070_442">『広島電鉄開業100年・創立70年史』442ページ</ref>


広島電鉄のバスは'''青バス'''([[広電バス]])、[[路面電車]]は'''電車'''(広電電車)と呼ばれている。ただし、現在では青バスは[[JRバス]]([[中国ジェイアールバス]])を指すことが多く、広電バスは「緑のバス」と言い、若年層の間で誤解・誤乗車などのトラブルが生じている。また、近年のイメージカラーは緑色で、路面電車車両に『ぐりーんらいなー』や『グリーンムーバー』、広電が関わる商業ビルや飲食店に『トランヴェール』(フランス語で「緑色の電車」を意味)などの愛称を付けている。
IC乗車カード『[[PASPY]]』が、バスと電車全線、グループ会社の[[宮島松大汽船]]、[[宮島ロープウエー]]で利用できる。また、[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]『[[ICOCA]]』も広島電鉄で利用できる。

IC乗車カード『[[PASPY]]』が、バスと電車全線、グループ会社の[[宮島松大汽船]]、[[宮島ロープウエー]]で利用できる。また、[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]の『[[ICOCA]]』も利用できる。


=== 歴代の社長 ===
=== 歴代の社長 ===
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{| class="wikitable"
{| class="wikitable"
|+style="text-align:left"|広島電気軌道時代
|+style="text-align:left"|広島電気軌道時代
|style="width:5em;"|世代||style="width:6em;"|氏名||在任期間||備考
|style="width:5em;"|世代||style="width:6em;"|氏名||style="width:27em;"|在任期間||style="width:20em;"|備考
|-
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|1代目||[[大林芳五郎]]||[[1910年]]([[明治]]43年)[[6月18日]] - ||[[大林組]]店主、[[広島ガス]]取締役など兼任
|1代目||[[大林芳五郎]]||[[1910年]]([[明治]]43年)[[6月18日]] - [[1916年]]([[大正]]5年)[[1月24日]]<ref>『大林組八十年史』85ページおよび88ページに死没時時点で社長だったと記載がある</ref>||[[大林組]]店主、[[広島ガス|広島瓦斯]]取締役など兼任<br />死亡により退
|-
|-
|不明||[[藤田謙一]]|| - [[1917年]]([[大正]]6年)[[8月2日]]||同時期に広島瓦斯の代表も兼任
|不明||[[藤田謙一]]||1916年(大正5年)[[8月8日]]<ref>『藤田謙一 -初代日本商工会議所会頭-』219ページ</ref> - [[1917年]]([[大正]]6年)[[8月2日]]||同時期に広島瓦斯の代表も兼任<br />広島瓦斯代表就任は[[1916年]](大正5年)7月28日<ref group="補足">『藤田謙一 -初代日本商工会議所会頭-』219ページには、就任日は同年3月31日になっている</ref>
|}
|}


{| class="wikitable"
{| class="wikitable"
|+style="text-align:left"|広島瓦斯電軌時代
|+style="text-align:left"|広島瓦斯電軌時代<ref>『広島電鉄開業80創立50年史』本編31ページ</ref><ref>『広島ガス100年史』244-247ページ</ref><ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』52ページ</ref>
|style="width:5em;"|世代||style="width:6em;"|氏名||在任期間||備考
|style="width:5em;"|世代||style="width:6em;"|氏名||style="width:27em;"|在任期間||style="width:20em;"|備考
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|(1代目)||藤田謙一||[[1917年]]([[大正]]6年)[[8月2日]] - 1919年(大正8年)[[1月25日]]||広島ガス代表としては3代目。[[1916年]](大正5年)[[7月28日]]より就任していた
|(1代目)||藤田謙一||[[1917年]]([[大正]]6年)[[8月2日]] - 1919年(大正8年)[[1月25日]]||広島ガス代表としては3代目
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|(2代目)||松浦泰次郎||[[1919年]](大正8年)1月25日 - 1923年(大正12年)[[3月16日]]||広島ガス代表としては4代目
|(2代目)||松浦泰次郎||[[1919年]](大正8年)1月25日 - 1923年(大正12年)[[3月16日]]||広島ガス代表としては4代目
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{| class="wikitable"
{| class="wikitable"
|+style="text-align:left"|広島電鉄時代
|+style="text-align:left"|広島電鉄時代<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』356-358ページ(2012年12月まで)</ref>
|style="width:5em;"|世代||style="width:6em;"|氏名||在任期間||備考
|style="width:5em;"|世代||style="width:6em;"|氏名||style="width:27em;"|在任期間||style="width:20em;"|備考
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|1代目||山口吾一||[[1942年]](昭和17年)[[4月10日]] - 1945年(昭和20年)[[3月15日]]||分社後も続投<br />広島ガスは1945年(昭和20年)[[8月6日]]まで代表を務めた
|1代目||山口吾一||[[1942年]](昭和17年)[[4月10日]] - 1945年(昭和20年)[[3月15日]]||分社後も続投<br />広島ガスは1945年(昭和20年)[[8月6日]]まで代表を務めた
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|6代目||奥窪央雄||[[1989年]](平成元年)6月29日 - 1996年(平成8年)4月1日||
|6代目||奥窪央雄||[[1989年]](平成元年)6月29日 - 1996年(平成8年)4月1日||
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|7代目||[[大田哲哉]]||[[1996年]](平成8年)4月1日 - 2010年(平成22年)6月29日||[[広島商工会議所]]前会頭<ref group = "補足">2010年12月13日に[[大田哲哉]]は広島商工会議所会頭を退任した。</ref>、広島ガス取締役など兼任
|7代目||[[大田哲哉]]||[[1996年]](平成8年)4月1日 - 2010年(平成22年)6月29日<ref name="PDF20100511">[http://www.hiroden.co.jp/ir/report/oshirase20100511.pdf 代表者の異動および役員の異動に関するお知らせ ] - 広島電鉄 2010年5月11日</ref>||[[広島商工会議所]]前会頭<ref group = "補足">2010年12月13日に[[大田哲哉]]は広島商工会議所会頭を退任した。</ref>、広島ガス取締役など兼任
|-
|-
|8代目||越智秀信||[[2010年]](平成22年)6月29日 - 現任||
|8代目||越智秀信||[[2010年]](平成22年)6月29日<ref name="PDF20100511"/> - [[2013年]](平成25年)1月8日<ref name="PDF20130108">[http://www.hiroden.co.jp/ir/report/oshirase20130108.pdf 代表取締役の異動に関するお知らせ] - 広島電鉄 2013年1月8日</ref>||
|-
|9代目||椋田昌夫||2013年(平成25年)1月8日<ref name="PDF20130108"/> - 現任||
|}
|}


=== 企業の歴史 ===
=== 企業の歴史 ===
各事業の詳細な歴史については「[[#鉄軌道事業の歴史|鉄軌道事業の歴史]]」、「[[#バス事業の歴史|バス事業の歴史]]」の節、各社の記事を参照。
各事業の詳細な歴史については「[[#鉄軌道事業の歴史|鉄軌道事業の歴史]]」、「[[広電バス#バス事業の歴史|バス事業の歴史]]」の節、各社の記事を参照。


* [[1910年]](明治43)6月18日 - 広島電鉄の前身である'''広島電気軌道'''が設立。
* [[1909年]](明治42)秋 - 広島電気軌道が軌道敷申請を広島県に提出<ref>『広島電鉄開業100年・創70年史』38ページ</ref>
* [[1910年]](明治43年)6月18日 - 広島電鉄の前身である'''広島電気軌道'''が設立<ref name="HIRODEN10070_426">『広島電鉄開業100年・創立70年史』426ページ</ref>。
* [[1912年]](大正元年)11月23日 - 電車開業。
* [[1917年]](大正6)82日 - 広島瓦斯(現在の[[広島ガス]])と合併、'''広島瓦斯軌'''となる
* [[1912年]](大正)1123日 - 電車開業<ref name="HIRODEN10070_426"/>
* [[1922年]](大正11年)8月22日 -線開業<ref name="pr_100th_event"/>。
* [[1917年]](大正6年)8月2日 -瓦斯(現在の[[広島ガス]])と合併、'''広島瓦斯電軌'''となる<ref name="HIRODEN10070_427">『広島電鉄開業100年・創立70年史』427ページ</ref>。
* [[1925年]](大正14)7月 - 汽船による宮島連絡
* [[1922年]](大正11)822日 -宮島線(己斐 - 草津間)業<ref name="pr_100th_event"/><ref name="HIRODEN10070_427"/>
* [[1931年]](昭和6)2月 - 宮島連絡廃止
* [[1925年]](大正14)7月 - 汽船による宮島連絡開始<ref name="HIRODEN10070_428">『広島電鉄開業100年・創立70年史』428ページ</ref>
* [[1936年]](昭和11)98日 - [[楽々園遊園地]]
* [[1931年]](昭和6)2月 - 宮島連絡廃止<ref name="HIRODEN10070_429">『広島電鉄業100年・創立70年史』429ページ</ref>
* [[1938年]](昭和13)21日 - 広島乗合自動車を合併してバス事業
* [[1936年]](昭和11)98日 - [[楽々園遊園地]]園<ref name="HIRODEN10070_429"/>
* [[1942年]](昭和17)410日 - 広島瓦斯電軌から運輸事業分離して'''広島電鉄'''設立。
* [[1938年]](昭和13)21日 - 広島乗合自動車合併してバス事業開始<ref name="HIRODEN10070_430">『広島電鉄開業100年・創70年史』430ページ</ref>
* [[1945年]](昭和20)89日 - 6日の原爆投下による被害での運行停止から一部区間で市内車運行再開<ref name="pr_100th_event"/>。
* [[1942年]](昭和17)410日 - 広島瓦斯電軌から運輸事業を分離して'''広島鉄'''設立<ref name="HIRODEN10070_430"/>。
* [[1945年]](昭和20年)8月9日 - 6日の原爆投下による被害での運行停止から一部区間で市内電車運行再開<ref name="pr_100th_event"/><ref name="HIRODEN10070_431">『広島電鉄開業100年・創立70年史』431ページ</ref>。
* [[1954年]](昭和29年)6月10日 - [[広電観光]]設立。
* [[1956年]](昭和31)81日 - [[広観光開発]]設立。
* [[1954年]](昭和29)610日 - [[広観光]]設立<ref name="HIRODEN10070_433">『広島電鉄開業100年・創立70年史』433ページ</ref>
* [[1957年]](昭和32)710日 - 広島交通(タクシー会社、現在のバス会社とは別)を買収
* [[1956年]](昭和31)81日 - [[広島観光開発]]設立<ref name="HIRODEN10070_433"/>
* 1957年(昭和32年)1013日 - 楽々園スパ開業
* [[1957年]](昭和32年)710日 - 広島交通(タクシ会社、現在のバス会社とは別)を買収<ref name="HIRODEN10070_433"/>
* 1957年(昭和32年)10月13日 - 楽々園スパー開業<ref name="HIRODEN10070_434">『広島電鉄開業100年・創立70年史』434ページ</ref>。
* [[1958年]](昭和33年)3月16日 - [[宮島松大汽船|宮島松大観光船]]に出資。
* [[1958年]](昭和33年)41日 - 市内電車と宮島線直通運転開始<ref name="pr_100th_event"/>。
* [[1958年]](昭和33年)316日 - [[宮島松大汽船|宮島松大観光船]]に出資<ref name="HIRODEN10070_434"/>。
* [[1958年]](昭和33年)4月1日 - 市内電車と宮島線直通運転開始<ref name="pr_100th_event"/><ref name="HIRODEN10070_434"/>。
* [[1960年]](昭和35年)3月1日 - 広電興産(現在の[[広電ストア]]、現在の広電興産とは別)設立。
* [[1961年]](昭和36)2月1日 - [[#不動産事業|広電不動産]]設立。
* [[1960年]](昭和35)3月1日 - 広電興産(現在の[[広電ストア]]、現在の広電興産とは別)設立<ref name="HIRODEN10070_434"/>
* [[1963年]](昭和38)4月1日 - 広島交通と銀鱗タクシーが合併して広電タクシーが発足
* [[1961年]](昭和36)2月1日 - [[#不動産事業|広電不動産]]設立<ref name="HIRODEN10070_434"/>
* [[1969年]](昭和44)716日 - 不動産部を創設、不動産事業に本格参入<ref name="pr_100th_event"/>。
* [[1963年]](昭和38)41日 - 広島交通と銀鱗タクシーが合併て広電タクシーが発足<ref name="HIRODEN10070_435">『広島電鉄開業100年・創立70年史』435ページ</ref>。
* 1963年(昭和38年)9月1日 - 軌道内への車両乗り入れが許可される<ref name="HIRODEN10070_435"/>
* [[1971年]](昭和46年)12月1日 - 公安委員会により軌道敷内自動車乗り入れ禁止実施<ref name="pr_100th_event">{{cite web|url=http://www.hiroden.co.jp/100th/event/pdf/120511.pdf|title=電車開業100周年記念事業実施のお知らせ|format=PDF|accessdate=2012-06-04|author=広島電鉄}}</ref>。
* [[1969年]](昭和44年)7月16日 - 不動産部を創設し、不動産事業に本格参入<ref name="pr_100th_event"/><ref name="HIRODEN10070_436">『広島電鉄開業100年・創立70年史』436ページ</ref>。
* [[1972年]](昭和47年) - 楽々園遊園地閉園。
* [[1982年]](昭和57)622日 - 広電興産が広電ストアに社名変更する
* [[1971年]](昭和46)831日 - 楽々園遊園地閉園<ref name="HIRODEN10070_436"/>
* 1971年(昭和46年)9月10日 - [[広島バス]]に資本参加<ref name="HIRODEN10070_436"/>
* [[1997年]](平成9年)12月 - 広電タクシーの運輸事業を[[第一交通産業]]に売却、広電興産に社名変更する。
* [[2012]]平成24)39日 - 広島バスの保有する芸陽バス株の株式譲渡により芸陽バスを連結子会社化<ref name="HIRODEN20120309">{{cite press release|url=http://www.hiroden.co.jp/ir/report/oshirase_20120309.pdf|title=株式取得(子会社化)に関するお知らせ(平成24年3月)|format=PDF|publisher=広島電鉄|date=2012-03-09|accessdate=2012-03-11}}</ref>。
* 1971年(昭和46)121日 - 公安委員会により軌道敷内自動車乗り入れ禁止実施<ref name="pr_100th_event">{{cite web|url=http://www.hiroden.co.jp/100th/event/pdf/120511.pdf|title=電車開業100周年記念事業実施のお知らせ|format=PDF|accessdate=2012-06-04|author=広島電鉄}}</ref><ref name="HIRODEN10070_437">『広島電鉄開業100年・創立70年史』437ページ</ref>。
* [[1973年]](昭和48年) - 傘下の[[広島バス]]の[[独占禁止法]]の問題が、同意議決により解決<ref name="HIRODEN10070_437"/>。後日、合意内容に基づき株式を[[増岡組]]に譲渡<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』198ページ</ref>。
* 2012年(平成24年)4月1日 - [[呉市交通局|呉市営バス]]から全路線を移管<ref name="chugoku-np20120402" />(呉市営バスは3月31日限りで事業廃止)<ref name="HIRODEN20101220">{{PDFlink|[http://www.hiroden.co.jp/ir/report/oshirase20101220.pdf 呉市交通局の路線移譲に係る基本協定に関するお知らせ。]}} - 広島電鉄、2010年12月20日</ref>。
* [[1982年]](昭和57年)6月22日 - 広電興産が広電ストアに社名変更する<ref name="HIRODEN10070_439">『広島電鉄開業100年・創立70年史』439ページ</ref>。
* [[1997年]](平成9年)12月 - 広電タクシーの運輸事業を[[第一交通産業]]に売却、広電興産に社名変更する<ref name="HIRODEN10070_269">『広島電鉄開業100年・創立70年史』269ページ</ref>。
* [[1998年]](平成9年)12月 - 社内カンパニー制の導入<ref name="HIRODEN10070_442"/>。
* [[2012年]](平成24年)3月9日 - 広島バスの保有する芸陽バス株の株式譲渡により芸陽バスを連結子会社化<ref name="HIRODEN20120309">{{cite press release|url=http://www.hiroden.co.jp/ir/report/oshirase_20120309.pdf|title=株式の取得(子会社化)に関するお知らせ(平成24年3月)|format=PDF|publisher=広島電鉄|date=2012-03-09|accessdate=2012-03-11}}</ref><ref name="HIRODEN10070_446">『広島電鉄開業100年・創立70年史』446ページ</ref>。
* 2012年(平成24年)4月1日 - [[呉市交通局|呉市営バス]]から全路線を移管<ref name="chugoku-np20120402">{{Cite news |url=http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201204020114.html|title=呉の広電バス、運行開始|publisher=中国新聞|date=2012-04-02|accessdate=2012-04-02}}</ref>(呉市営バスは3月31日限りで事業廃止)<ref name="HIRODEN20101220">{{PDFlink|[http://www.hiroden.co.jp/ir/report/oshirase20101220.pdf 呉市交通局の路線移譲に係る基本協定に関するお知らせ。]}} - 広島電鉄、2010年12月20日</ref><ref name="HIRODEN10070_446"/>。


== 鉄道・軌道事業 ==
== 鉄道・軌道事業 ==
[[ファイル:Hiroshima Electric Railway map.png|300px|thumb|right|広島電鉄の系統図]]
鉄道・軌道事業は電車カンパニーが担当しており、軌道線6路線19.0kmと、鉄道線1路線16.1kmの総延長35.1kmの路線を持つ。どちらも[[軌間]]1435mm、[[直流電化|直流]]600V電化。1日あたりの輸送人員は約16万人で、軌道線と鉄道線を合わせた輸送人員と路線延長は、[[路面電車]]としては[[日本一の一覧|日本一]]である。
鉄道・軌道事業は電車カンパニーが担当しており、軌道線6路線19.0kmと、鉄道線1路線16.1kmの総延長35.1kmの路線を持つ。どちらも[[軌間]]1435mm、[[直流電化|直流]]600V電化。1日あたりの輸送人員は約16万人で、軌道線と鉄道線を合わせた輸送人員と路線延長は、[[路面電車]]としては[[日本一の一覧|日本一]]である。


なお、旅客案内上では、3・5車体連接車による運行を'''連接車'''、1車両での運行を'''単車'''と案内している。
なお、旅客案内上では、3・5車体連接車による運行を'''連接車'''、1車両での運行を'''単車'''と案内している。


;軌道線
:'''市内線'''と総称される。白島線以外は各路線間で直通運転が行われており、合計8つの運行系統(0号線は除外)を持つ。ただし4号線は{{要出典範囲|date=2012年4月|忌み番号のために}}存在しない。広島電鉄の電車は運行系統を1号線、2号線…というように“号線”と呼んでいる([[#市内線|後述]]のとおり広島電鉄のバスや広島バスも同様)。
:市内線区間の2号線(西広島 - 紙屋町東/西 - 広島駅)は西広島止めを含めてすべて連接車で運行([[ゴールデンウィーク|GW]]などには例外があり)されている。また、日中の1号線(広島港 - 紙屋町東 - 広島駅)は遅延時を除いて連接車のみで、通勤・通学時間帯には3・5・7・8号線でも一部が連接車で運行されている。
:毎年[[8月6日]]の[[原爆忌]]には8時15分に乗務員や乗客が1分間の[[黙祷]]を行うため、[[原爆ドーム]]付近を走行している電車は8時15分近くになると近くの停留所に臨時停車する。
;鉄道線
:'''宮島線'''のことで、[[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[山陽本線]]とほぼ並行する。軌道線と[[広電西広島駅]]でつながっており、[[直通運転]]を行っている。詳しくは「[[広島電鉄宮島線]]」の項目を参照。

{{-}}
=== 路線の概要 ===
=== 路線の概要 ===
<!-- 他の鉄軌道事業者の記事では路線一覧が先になっています。-->
<!-- 他の鉄軌道事業者の記事では路線一覧が先になっています。-->
{| class="wikitable" rules="all" style="text-align:center;"
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
|-
|-
!colspan="2"|路線名
!colspan="2"|路線名
!延長!!運行系統!!区間!!電停数
!延長
!colspan="8"|運行系統
!区間!!電停数
|-
|-
!rowspan="6"|軌道線
!rowspan="6"|軌道線
![[広島電鉄本線|本線]]
![[広島電鉄本線|本線]]
|5.5km
|5.5km
|[[ファイル:HirodenLine1.png|30px|1号線]]
|1,2,3,5,6,7,8
|[[ファイル:Hiroden Line 2.png|30px|2号線]]
|広島駅 - 広電西広島
|[[ファイル:HirodenLine3.png|30px|3号線]]
|[[ファイル:HirodenLine5.png|30px|5号線]]
|[[ファイル:HirodenLine6.png|30px|6号線]]
|[[ファイル:HirodenLine7.png|30px|7号線]]
|[[ファイル:HirodenLine8.png|30px|8号線]]
|[[ファイル:HirodenLine9.png|30px|9号線]]
|[[広島駅]](M1) - [[広電西広島駅|広電西広島]](M19)
|19
|19
|-
|-
![[広島電鉄宇品線|宇品線]]
![[広島電鉄宇品線|宇品線]]
|5.7km
|5.7km
|[[ファイル:HirodenLine1.png|30px|1号線]]
|1,3,5,7
|
|紙屋町 - 広島港
|[[ファイル:HirodenLine3.png|30px|3号線]]
|[[ファイル:HirodenLine5.png|30px|5号線]]
|
|[[ファイル:HirodenLine7.png|30px|7号線]]
|
|
|[[紙屋町駅|紙屋町]](M9) - [[広島港駅|広島港]](U18)
|19
|19
|-
|-
![[広島電鉄江波線|江波線]]
![[広島電鉄江波線|江波線]]
|2.6km
|2.6km
|6,8
|
|
|土橋 - 江波
|
|
|[[ファイル:HirodenLine6.png|30px|6号線]]
|
|[[ファイル:HirodenLine8.png|30px|8号線]]
|[[ファイル:HirodenLine9.png|30px|9号線]]
|[[土橋駅 (広島県)|土橋]](M13) - [[江波駅|江波]](E6)
|7
|7
|-
|-
![[広島電鉄横川線|横川線]]
![[広島電鉄横川線|横川線]]
|1.4km
|1.4km
|7,8
|
|
|十日市町 - 横川駅
|
|
|
|[[ファイル:HirodenLine7.png|30px|7号線]]
|[[ファイル:HirodenLine8.png|30px|8号線]]
|
|[[十日市町駅|十日市町]](Y1/M12) - [[横川駅 (広島県)|横川駅]](Y5)
|5
|5
|-
|-
![[広島電鉄皆実線|皆実線(比治山線)]]
![[広島電鉄皆実線|皆実線]]
|2.5km
|2.5km
|5
|
|
|的場町 - 皆実町六丁目
|
|[[ファイル:HirodenLine5.png|30px|5号線]]
|
|
|
|
|[[的場町駅|的場町]](H3/M3) - [[皆実町六丁目駅|皆実町六丁目]](H9/U9)
|7
|7
|-
|-
![[広島電鉄白島線|白島線]]
![[広島電鉄白島線|白島線]]
|1.2km
|1.2km
|9
|
|
|白島 - 八丁堀
|
|
|
|
|
|[[ファイル:HirodenLine9.png|30px|9号線]]
|[[白島駅 (広島電鉄)|白島]](W5) - [[八丁堀駅 (広島県)|八丁堀]](W1/M7)
|5
|5
|-
|-
193行目: 235行目:
![[広島電鉄宮島線|宮島線]]
![[広島電鉄宮島線|宮島線]]
|16.1km
|16.1km
|2
|
|[[ファイル:Hiroden Line 2.png|30px|2号線]]
|広電西広島 - 広電宮島口
|
|
|
|
|
|
|[[広電西広島駅|広電西広島]](M19) - [[広電宮島口駅|広電宮島口]](M39)
|21
|21
|}
|}
* 電停数には臨時駅を含む。また紙屋町電停は重複計上しない
* 電停数には臨時駅を含む。また紙屋町電停は紙屋町東・紙屋町西をあわせて1電停と数える

;軌道線
:'''市内線'''と総称される。ほぼ全線が[[併用軌道]]。各路線間で直通運転が行われており、合計8つの運行系統(0号線は除外)を持つ。広島電鉄の電車は運行系統を1号線、2号線…というように「○号線」と呼んでいる([[広電バス#市内線|広島電鉄のバス]]や広島バスも同様)。
:市内線区間の2号線(西広島 - 紙屋町東/西 - 広島駅)は西広島止めを含めてすべて連接車で運行([[ゴールデンウィーク|GW]]などには例外があり)されている。また、日中の1号線(広島港 - 紙屋町東 - 広島駅)は遅延時を除いて連接車のみで、通勤・通学時間帯には3・5・7・8号線でも一部が連接車で運行されている。
:毎年[[8月6日]]の[[原爆忌]]には8時15分に乗務員や乗客が1分間の[[黙祷]]を行うため、[[原爆ドーム]]付近を走行している電車は8時15分近くになると近くの停留所に臨時停車する。
;鉄道線
:'''宮島線'''のことで、[[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[山陽本線]]とほぼ並行する。全線が[[専用軌道]]。軌道線と[[広電西広島駅]]でつながっており、[[直通運転]]を行っている。詳しくは「[[広島電鉄宮島線]]」の項目を参照。


=== 運行系統 ===
=== 運行系統 ===
[[ファイル:Hiroshima Electric Railway map.png|500px|thumb|center|広島電鉄の系統図]]
2011年7月11日改正。

{| class="wikitable" rules="all" style="text-align:center;"
2013年2月15日改正。それぞれの系統は「○号線」と称している。
{| class="wikitable" style="font-size:90%;"
|-
|-
!系統
!系統
!経由路線
!運行区間
!運行区間
!電停数
!電停数
!所要時間
!所要時間
!運行間隔
!運行間隔
!備考
|-
|-
|[[ファイル:HirodenLine1.png|30px|1号線]]
|style="color:#ffffff; background-color:#ff8000; font-weight:bold;" nowrap|1号線
|[[広島駅]] -([[紙屋町東駅|紙屋町東]])- [[広島港駅|広島港]]
|本線<br />宇品線
|style="text-align:center;"|27
|[[広島駅]] - [[的場町駅|的場町]] - [[八丁堀駅 (広島県)|八丁堀]] - [[紙屋町駅|紙屋町]] - [[広電本社前駅|広電本社前]] - [[皆実町六丁目駅|皆実町六丁目]] - [[宇品二丁目駅|宇品二丁目]] - [[広島港駅|広島港]]
|style="text-align:center;"|49分
|27
|style="text-align:center;"|10分
|49分
|原則として連接車で運転
|10分
|-
|-
|[[ファイル:Hiroden Line 2.png|30px|2号線]]
|style="color:#ffffff; background-color:#ff0000; font-weight:bold;"|2号線
|広島駅 -([[広電西広島駅|広電西広島]])- [[広電宮島口駅|広電宮島口]]
|本線<br />宮島線
|style="text-align:center;"|39
|広島駅 - 的場町 - 八丁堀 - 紙屋町 - [[十日市町駅|十日市町]] - [[土橋駅 (広島県)|土橋]] - [[広電西広島駅|広電西広島]] - [[広電宮島口駅|広電宮島口]]
|style="text-align:center;"|68分
|39
|style="text-align:center;"|9分
|68分
|連接車で運転
|9分
|-
|-
|[[ファイル:HirodenLine3.png|30px|3号線]]
|style="color:#ffffff; background-color:#0000cc; font-weight:bold;"|3号線
|広電西広島 -([[紙屋町西駅|紙屋町西]])- [[宇品二丁目駅|宇品二丁目]]【- 広島港】
|本線<br />宇品線
|style="text-align:center;"|23 (29)
|広電西広島 - 土橋 - 十日市町 - 紙屋町 - 広電本社前 - 皆美町六丁目 - 宇品二丁目<br />(JA広島病院前発列車および広島港発着列車あり)
|style="text-align:center;"|40分(52分)
|23
|style="text-align:center;"|12分
|40分
|宇品二丁目 - 広島港間は朝時間帯のみ運転
|12分
|-
|-
|[[ファイル:HirodenLine5.png|30px|5号線]]
|style="color:#000000; background-color:#00cc00; font-weight:bold;"|5号線
|広島駅 -([[的場町駅|的場町]]・[[皆実町六丁目駅|皆実町六丁目]])- 広島港
|本線<br />皆実線(比治山線)<br />宇品線
|style="text-align:center;"|18
|広島駅 - 的場町 - 比治山下 - 皆実町六丁目 - 宇品二丁目 - 広島港
|style="text-align:center;"|32分
|18
|style="text-align:center;"|12分
|32分
|「[[比治山下駅|比治山下]]経由」と案内される
|12分
|-
|-
|[[ファイル:HirodenLine6.png|30px|6号線]]
|style="color:#000000; background-color:#ffcc00; font-weight:bold;"|6号線
|広島駅 -([[土橋駅 (広島県)|土橋]])- [[江波駅|江波]]
|本線<br />江波線
|style="text-align:center;"|19
|広島駅 - 的場町 - 八丁堀 - 紙屋町 - 十日市町 - 土橋 - 江波
|style="text-align:center;"|39分
|19
|style="text-align:center;"|12分
|39分
|
|12分
|-
|-
|[[ファイル:HirodenLine7.png|30px|7号線]]
|style="color:#ffffff; background-color:#008033; font-weight:bold;"|7号線
|[[横川駅 (広島県)|横川駅]] -([[十日市町駅|十日市町]]・紙屋町西)- [[広電本社前駅|広電本社前]]
|横川線<br />本線<br />宇品線
|style="text-align:center;"|15
|横川駅 - 十日市町 - 紙屋町 - 広電本社前
|style="text-align:center;"|27分
|15
|style="text-align:center;"|12分
|27分
|
|12分
|-
|-
|[[ファイル:HirodenLine8.png|30px|8号線]]
|style="color:#000000; background-color:#ff0080; font-weight:bold;"|8号線
|横川線<br />本線<br />江波
|横川 -(十日市町・土橋)- 江波
|style="text-align:center;"|12
|横川駅 - 十日市町 - 土橋 - 江波
|style="text-align:center;"|23分
|12
|style="text-align:center;"|12分
|23分
|
|12分
|-
|-
|[[ファイル:HirodenLine9.png|30px|9号線]]
|style="color:#ffffff; background-color:#808080; font-weight:bold;"|9号線
|【江波 -(土橋)-】八丁堀 - 白島
|白島線
|style="text-align:center;"|5 (18)
|八丁堀 - 白島
|style="text-align:center;"|8分(37分)
|5
|style="text-align:center;"|8分
|8分
|江波 - 八丁堀間は平日7往復、休日6往復のみ運転
|8分
|-
|-
|[[ファイル:HirodenLine0.GIF|30px|0号系統]]
|style="color:#ff0000; background-color:#ffffff; font-weight:bold;"|0
|colspan="5"|出入庫系統・臨時系統など
|colspan="5"|出入庫系統・臨時系統など
|}
|}


* それぞれの系統について、一部の区間を運行する列車がある。
* それぞれの系統について、一部の区間を運行する列車がある。
* 電停数には臨時駅を含まない。また紙屋町電停は重複計上しない
* 電停数には臨時駅を含まない。また紙屋町電停は紙屋町東・紙屋町西をあわせて1電停と数える
* 運行間隔は日中のもの。
* 運行間隔は日中のもの。


なお、1971年(昭和46年)5月6日まで広島駅 - 横川駅を結ぶ旧7号線が存在していた<ref name="HIRODEN8050_R118">『広島電鉄開業80創50年史』資料編118ページ</ref>。
なお、「7号線」は1971年(昭和46年)5月6日まで広島駅横川駅を結ぶ系統であった<ref name="HIRODEN8050_R118">『広島電鉄開業80創50年史』資料編118ページ</ref>。


=== 運賃・乗車方法 ===
=== 運賃・乗車方法 ===
{{Wikinews|広島電鉄、値上げを検討|date=2012年8月24日}}
<!-- 他の鉄軌道事業者の記事では運賃は路線一覧より後になっています。-->
<!-- 他の鉄軌道事業者の記事では運賃は路線一覧より後になっています。-->
運賃は、市内線が大人150円・小児80円([[広島電鉄白島線|白島線]]のみ乗車の場合は大人100円・小児50円)の[[運賃#概説|均一制]]、宮島線は[[運賃#概説|区間制]]である。
運賃は、市内線が大人150円・小児80円([[広島電鉄白島線|白島線]]のみ乗車の場合は大人100円・小児50円)の[[運賃#概説|均一制]]、宮島線は[[運賃#概説|区間制]]である。
282行目: 341行目:
乗車方法は「'''運賃後払い'''」方式。現金や乗車カード等で運賃箱へ直接支払う。ICカード[[PASPY]]利用可能車両では、運賃箱を使用した車内でのICカードへの[[チャージ機|チャージ]]ができる。ただし、「レトロ電車」としてイベント用に運行される車両にはICカードリーダーは配備されていない<ref name="HIRODEN_retro">{{cite web|url=http://www.hiroden.co.jp/train/sharyo/retro.htm#unchin|title=レトロ電車 運行時刻表|publisher=広島電鉄|accessdate=2012-04-19}}</ref>。
乗車方法は「'''運賃後払い'''」方式。現金や乗車カード等で運賃箱へ直接支払う。ICカード[[PASPY]]利用可能車両では、運賃箱を使用した車内でのICカードへの[[チャージ機|チャージ]]ができる。ただし、「レトロ電車」としてイベント用に運行される車両にはICカードリーダーは配備されていない<ref name="HIRODEN_retro">{{cite web|url=http://www.hiroden.co.jp/train/sharyo/retro.htm#unchin|title=レトロ電車 運行時刻表|publisher=広島電鉄|accessdate=2012-04-19}}</ref>。


原則、1両の電車(単車)の場合は運転士横のドアから運賃を支払って下車する。2両以上の大型電車(連接車)の場合は運転士横のドアと一番後ろの車掌横のドアから運賃を支払って下車する。なお、広島駅や広電西広島等の主要電停においては、ホームで移動式運賃箱を押した係員が待機していて、乗車口でも降車運賃収受を行う。日中の広電宮島口では改札口で運賃を支払う。
原則、1両の電車(単車)<!--および1000形-->の場合はの場合は運転士横のドアから運賃を支払って下車する。2両以上の大型電車(連接車)<!--1000形を除く-->の場合は運転士横のドアと一番後ろの車掌横のドアから運賃を支払って下車する。なお、広島駅や広電西広島等の主要電停においては、ホームで移動式運賃箱を押した係員が待機していて、乗車口でも降車が出来、運賃収受を行う。日中の広電宮島口では改札口で運賃を支払う。


電車内には千円札まで対応の自動両替機が運転席横に設置されている。乗降時の混雑を避けるため、あらかじめ自動両替機で両替を済ませ小銭の用意をしておくように注意するアナウンスを行っている。
電車内には千円札まで対応の自動両替機が運転席横に設置されている。乗降時の混雑を避けるため、あらかじめ自動両替機で両替を済ませ小銭の用意をしておくように注意するアナウンスを行っている。なお、車掌が乗車している連接車の場合では、車掌に両替を頼むことも可能


[[2011年]](平成23年)3月31日の営業をもって[[広島地区共通カード]]の利用が終了し、磁気カードリーダーは[[#乗換え制度・乗換えカード|乗換えカード]]と[[#フリー乗車券|フリー乗車券]]専用となった。
[[2011年]](平成23年)3月31日の営業をもって[[広島地区共通カード]]の利用が終了し、磁気カードリーダーは[[#乗換え制度・乗換えカード|乗換えカード]]と[[#フリー乗車券|フリー乗車券]]専用となった。


大人1人につき同伴の幼児を3人まで無賃にしたり、[[身体障害者|障害者]]の介助者2人までを無賃にしたりしている<ref>[http://www.hiroden.co.jp/train/joshaken/yoji.htm 運賃取り扱いについて] - 広島電鉄</ref>。
広島の玄関口である[[広島駅]]電停は、観光地を経由する系統の乗車ホームがJR駅舎を出て西側の奥まったところにあるため{{要出典範囲|date=2010年10月|誤乗車が多発している。}}


==== 乗換え制度・乗換えカード ====
==== 運賃の変遷 ====
{| class="wikitable"
軌道線の乗り換えは[[#乗換え指定電停|乗換え指定電停]]で可能。乗り換え方法は、降車時にその時点での料金を現金で支払う際に乗務員に申し出て「乗換えカード(磁気カード)」を受け取り、降車後30分以内に次の電車に乗り換え、乗降の際に磁気カードリーダーに通す仕組みである。乗換運賃は無料(ただし白島線から他系統への乗り換えには大人50円・小児30円加算)。
|+style="text-align:left;"|軌道線
|-
!style="width:12em;"|年月
!style="width:7em;"|運賃体型
!style="width:5em;"|運賃
!style="width:5em;"|運賃<br /><small>(白島線)</small>
! |備考
|-
|1912年11月23日(開業)<ref name="HIRODEN10070_386">『広島電鉄開業100年・創立70年史』386ページ</ref>||区間制運賃||2銭||-||1区間の場合、2区間以上1区間ごとに2銭加算
|-
|1918年11月29日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||区間制運賃||3銭||-||1区間の場合、2区間以上1区間ごとに2銭加算
|-
|1922年4月12日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||区間制運賃||3銭||-||1区間の場合、2区間以上1区間ごとに1銭加算
|-
|1926年11月11日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||均一制運賃||5銭||-||均一制導入
|-
|1942年4月10日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||均一制運賃||7銭||-||
|-
|1944年4月22日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||均一制運賃||10銭||-||
|-
|1946年2月1日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||均一制運賃||20銭||-||
|-
|1946年7月1日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||均一制運賃||30銭||-||
|-
|1947年3月1日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||均一制運賃||40銭||-||
|-
|1947年8月7日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||均一制運賃||1円||-||
|-
|1948年2月4日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||均一制運賃||2円||-||
|-
|1948年5月18日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||均一制運賃||3円50銭||-||
|-
|1948年8月10日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||均一制運賃||6円||-||
|-
|1950年5月15日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||均一制運賃||8円||-||
|-
|1951年11月15日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||均一制運賃||10円||-||
|-
|1954年11月10日<ref name="HIRODEN10070_387">『広島電鉄開業100年・創立70年史』387ページ</ref>||均一制運賃||13円||-||往復25円
|-
|1962年3月20日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||均一制運賃||15円||-||
|-
|1965年8月28日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||乗切制運賃||15円||-||乗切制導入
|-
|1968年1月16日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||乗切制運賃||20円||15円||白島線別運賃導入
|-
|1970年6月25日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||乗切制運賃||30円||20円||
|-
|1973年1月15日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||乗切制運賃||40円||30円||
|-
|1974年10月17日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||乗切制運賃||60円||40円||
|-
|1976年11月14日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||乗切制運賃||70円||50円||
|-
|1978年11月24日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||乗切制運賃||80円||60円||暫定運賃(本線のみ)
|-
|1979年11月1日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||乗切制運賃||90円||60円||暫定運賃解除
|-
|1981年4月1日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||乗切制運賃||100円||70円||暫定運賃(本線のみ)
|-
|1982年2月1日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||乗切制運賃||110円||70円||暫定運賃解除
|-
|1983年12月1日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||乗切制運賃||120円||80円||
|-
|1989年12月9日<ref name="HIRODEN10070_388">『広島電鉄開業100年・創立70年史』388ページ</ref>||乗切制運賃||130円||90円||乗継時50円加算<br />消費税導入による改訂
|-
|1997年11月1日<ref name="HIRODEN10070_388"/>||乗切制運賃||150円||100円||乗継時0円加算<br />2001年4月10日から2002年4月9日まで社会実験で120円
|}


{| class="wikitable"
ICカード利用時には、乗り換えた電車のICカードリーダーにタッチするだけで、それぞれ自動的に乗換え運賃適用の処理が行われる。
|+style="text-align:left;"|鉄道線
|-
!style="width:12em;"|年月
!style="width:7em;"|運賃体型
!style="width:20em;"|運賃
! |備考
|-
|1922年8月22日(開業)<ref name="HIRODEN10070_386"/>||区間制運賃||2区間まで1区間ごとに4銭加算<br />3区間以上1区間ごとに3銭加算||
|-
|1942年4月1日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||対キロ運賃||対キロ2.16銭||対キロ運賃導入
|-
|1944年4月1日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||対キロ運賃||対キロ2.50銭||
|-
|1945年4月1日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||対キロ運賃||対キロ3.00銭||
|-
|1946年4月1日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||対キロ運賃||対キロ7.50銭||
|-
|1947年3月1日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||対キロ運賃||対キロ9.50銭||
|-
|1947年7月7日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||対キロ運賃||対キロ35銭||
|-
|1948年5月1日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||対キロ運賃||対キロ1円45銭||国鉄運賃改定に伴う運賃改定
|-
|1951年11月15日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||対キロ運賃||対キロ1円90銭||遠距離時の軽減運賃導入
|-
|1952年12月1日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||対キロ運賃||対キロ2円20銭||
|-
|1953年3月20日<ref name="HIRODEN10070_386"/>||対キロ運賃||対キロ2円25銭||国鉄運賃改定に伴う運賃改定
|-
|1954年11月10日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||対キロ運賃||対キロ2円70銭||
|-
|1957年7月1日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||対キロ運賃||対キロ3円05銭||
|-
|1962年3月20日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||区間制運賃||10-50円5区間||区間制運賃導入
|-
|1965年8月28日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||区間制運賃||15円、1区間ごとに10円加算(6区間)||
|-
|1968年1月16日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||区間制運賃||20円、1区間ごとに10円加算(6区間)||
|-
|1970年6月25日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||区間制運賃||20円、1区間ごとに10円加算(7区間)||
|-
|1973年1月15日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||対キロ運賃||1-3kmまで30円、4-6kmまで40円、<br />7-17kmまで2km毎10円加算||
|-
|1974年10月17日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||対キロ運賃||1-3kmまで40円、<br />4-17kmまで3km毎20円加算||
|-
|1976年11月4日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||対キロ運賃||1-3kmまで60円、<br />4-17kmまで3km毎20円加算||
|-
|1978年11月24日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||対キロ運賃||1-3kmまで70円、<br />4-17kmまで3km毎20円加算||
|-
|1981年4月1日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||対キロ運賃||1-3kmまで80円、<br />4-17kmまで3km毎20円加算||
|-
|1983年12月1日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||対キロ運賃||1-3kmまで90円、4-6kmまで110円、<br />7-10kmまで140円、11-14kmまで160円、<br />15-17kmまで180円||
|-
|1989年12月9日<ref name="HIRODEN10070_388"/>||対キロ運賃||1-3kmまで100円、4-6kmまで120円、<br />7-10kmまで150円、11-14kmまで170円、<br />15-17kmまで190円||消費税導入による改訂
|-
|1997年11月1日<ref name="HIRODEN10070_388"/>||対キロ運賃||1-3kmまで120円、4-6kmまで140円、<br />7-10kmまで170円、11-14kmまで190円、<br />15-17kmまで210円||消費税率改訂による改訂
|}


{| class="wikitable"
定期券・回数券での利用には乗換え制度は適用されない。
|+style="text-align:left;"|直通割引
|-
!style="width:12em;"|年月
!style="width:10em;"|割引額
! |備考
|-
|1978年11月24日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||鉄道10円+軌道10円||鉄軌道連絡割引導入、軌道側の運賃は暫定
|-
|1979年11月1日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||鉄道10円+軌道20円||軌道側の運賃の暫定解除
|-
|1981年4月1日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||鉄道15円+軌道35円||
|-
|1983年12月1日<ref name="HIRODEN10070_387"/>||鉄道30円+軌道30円||
|-
|1989年12月9日<ref name="HIRODEN10070_388"/>||鉄道30円+軌道40円||
|-
|1997年11月1日<ref name="HIRODEN10070_388"/>||鉄道50円+軌道40円||
|}

==== 乗換え制度・乗換えカード ====
広島電鉄では、乗車中の電車で目的地まで直通できない場合に、各路線の接続電停(広電西広島・土橋・十日市町・紙屋町・八丁堀・的場町)及び系統の終点となる日赤病院前(下りのみ)・広電前・宇品二丁目にて以下の条件で乗り換える場合に限り、通しの運賃で乗車可能な制度がある。
* その電停が始発となる系統への乗り換え(例:宮島線方面から西広島で3号線に乗り換えて広電前方面へ)
* その電停で終着となる系統からの乗り換え(例:紙屋町方面から7号線で広電前で乗り換えて広島港方面へ)
* その電停で合流する系統がある場合の乗り換え(例:江波方面から8号線に乗車して土橋で2・6号線へ乗り換え)
乗り換え方法は、降車時にその時点での運賃を現金で支払う際に乗務員に申し出て「乗換えカード(磁気カード)」を受け取り、降車後30分以内に次の電車に乗り換え、乗降の際に磁気カードリーダーに通す仕組みである。ICカード利用時には、乗り換えた電車のICカードリーダーにタッチすれば、自動的に乗換え運賃適用の処理が行われる。


乗換運賃は無料(ただし白島線からの乗り換えと、宮島線との乗り換えには差額運賃が加算される)。定期券・回数券での利用には乗換え制度は適用されない。また、最初に乗車した電車で直通出来る場合や30分以上かかった乗り換えにも適用されない。
===== 乗換え指定電停 =====
*土橋
*十日市町
*紙屋町西・紙屋町東(両電停は「紙屋町」として一体的に扱われるので、紙屋町東で降車後に紙屋町西で乗車、のような乗り換えが可能)
*八丁堀
*広電本社前
*日赤病院前(下り広電本社前方面のみ)
*的場町
*皆実町六丁目
*宇品二丁目


==== フリー乗車券 ====
==== フリー乗車券 ====
広島電鉄では次の3種類のフリー乗車券を販売している。車内や広島駅電車案内所・電車定期券売場などで購入できる。
広島電鉄では次の3種類のフリー乗車券を販売している。車内や広島駅電車案内所・電車定期券売場などで購入できる。
* 電車一日乗車券
; 電車一日乗車券 ({{lang|en|1day Trip card}})
: 路面電車(市内線・宮島線)全線に乗車可能なフリー乗車券。有効期間は1日。
** 利用可能区間:路面電車全線
; 一日乗車乗船券 ({{lang|en|1day Trip card}})
** 利用期間:1日
: 路面電車全線と[[宮島松大汽船]](宮島口桟橋 - 宮島桟橋)に乗車可能なフリー乗車券。有効期間は1日。
** 大人600円・子供300円
** 英語での表記は '''1day Trip card''' 。
; 宮島フリーパス ({{lang|en|2day Trip card}})
: 路面電車全線・宮島松大汽船に加え、[[広島観光開発|宮島ロープウエー]](紅葉谷 - 獅子岩)に乗車可能なフリー乗車券。有効期間は2日。
* 一日乗車乗船券
** 利用可能区間:路面電車全線・[[宮島松大汽船]]
** 利用期間:1日
** 大人840円・子供420円
** 英語での表記は '''1day Trip card''' 。
* 宮島フリーパス
** 利用可能区間:路面電車全線・宮島松大汽船(宮島口桟橋 - 宮島桟橋)・[[広島観光開発|宮島ロープウエー]](紅葉谷 - 獅子岩)
** 利用期間:2日
** 大人2,000円・子供1,000円
** 英語での表記は '''2days Trip card''' 。


以前は乗車する日付をコインなどで削って乗務員に提示するスクラッチカード方式だったが2002年から磁気カード式となり、乗車ごとに乗車の際は入口の磁気カードリーダーに通し、降車の際は出口のカードリーダーに通す。利用日はパンチ穴で表される。
以前は乗車する日付をコインなどで削って乗務員に提示するスクラッチカード方式だったが2002年から磁気カード式となり、乗車ごとに乗車の際は入口の磁気カードリーダーに通し、降車の際は出口のカードリーダーに通す。利用日はパンチ穴で表される。


==== 回数券 (2009年10月31日に販売中止)====
==== 回数券販売終了 ====
以前は、市内線・白島線ともに[[回数乗車券|回数券]]があった。[[広島地区共通カード]]が10%のプレミアムしか付加されない(1000円で1100円分)のに対し、回数券は20%の高率プレミアムであった(市内線・2000円で2400円分=150円券×16枚、白島線・1000円で1200円分=100円券×12枚)ため、電車で広島地区共通カードが使用可能になった以後も継続して販売されていた。ただし乗換運賃無料制度・宮島線割引制度は適用されず、乗換・宮島線利用がある場合は、現金・広島地区共通カードの方が安くなっていた。
以前は、市内線・白島線ともに[[回数乗車券|回数券]]があった。[[広島地区共通カード]]が10%のプレミアムしか付加されない(1000円で1100円分)のに対し、回数券は20%の高率プレミアムであった(市内線・2000円で2400円分=150円券×16枚、白島線・1000円で1200円分=100円券×12枚)ため、電車で広島地区共通カードが使用可能になった以後も継続して販売されていた。ただし乗換運賃無料制度・宮島線割引制度は適用されず、乗換・宮島線利用がある場合は、現金・広島地区共通カードの方が安くなっていた。


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なお、販売は終了しているが、回数券は引き続き利用できる<ref name="HIRODEN_joshaken">{{cite web|url=http://www.hiroden.co.jp/train/joshaken/index.html|title=乗車券のご案内|publisher=広島電鉄|accessdate=2012-04-19}}</ref>。
なお、販売は終了しているが、回数券は引き続き利用できる<ref name="HIRODEN_joshaken">{{cite web|url=http://www.hiroden.co.jp/train/joshaken/index.html|title=乗車券のご案内|publisher=広島電鉄|accessdate=2012-04-19}}</ref>。

==== 電停に設置している電車接近表示器の見方 ====
*駅…広島駅行(電停によっては、 広島駅前ゆき と記載)
*宮…宮島口行
*宇…広島港(宇品)行(電停によっては、 宇品方面ゆき と記載)
*西…西広島(己斐)行
*横…横川駅行
*広電…広電本社前行
*江…江波行
*駅1…1号線広島駅行
*駅5…5号線広島駅行


=== 沿線風景 ===
=== 沿線風景 ===
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=== 鉄軌道事業の歴史 ===
=== 鉄軌道事業の歴史 ===
==== 広島電気軌道時代 ====
==== 広島電気軌道時代 ====
[[ファイル:広島電鉄100形電車 01.JPG|200px|thumb|開業当時の電車を復元した[[広島電鉄100形電車 (3代)|100形]]]]
[[1912年]](大正元年)11月に、現在の宇品線の一部となる広島駅前から紙屋町を経由して[[御幸橋 (広島市)|御幸橋]]に至る区間と、現在の白島線になる八丁堀から白島に至る区間で開業した。開業のために[[広島電鉄100形電車 (初代)|100形(初代)]]を50両用意した。翌月には現在の本線となる紙屋町 - 己斐間が開通。[[1915年]](大正4年)4月に御幸橋東詰から宇品間が開通した。ただ、当時は単線でかつ御幸橋から御幸橋東詰まで徒歩連絡を行っていた。
住民の増加による、[[広島城]]の堀の汚水による伝染病問題を解決するため、[[1908年]](明治41年)に埋め立てを決定<ref name="HIRODEN10070_38">『広島電鉄開業100年・創立70年史』38ページ</ref>。埋め立てを契機に4件の軌道建設申請が出された<ref name="HIRODEN10070_38"/>。最終的に、四宮廣二・[[福澤桃介]]・[[松永安左エ門]]らによる東京系資本の『広島電気鉄道』との2社競願となったが、事前に話し合いにより解決していたことで<ref name="HIRODEN10070_39">『広島電鉄開業100年・創立70年史』39ページ</ref>、[[大林芳五郎]]・[[片岡直輝]]らにより設立された大阪系資本の『広島電気軌道』が、[[1910年]](明治43年)2月7日に、広島駅-己斐間(現在の[[広島電鉄本線|本線]])、土橋-中島新橋-[[鷹野橋 (広島市)|鷹野橋]]-[[御幸橋 (広島市)|御幸橋]]間(現在の[[広島電鉄宇品線|宇品線]]の一部)、八丁堀-竹屋町-御幸橋間(実現せず)、十日市-横川間(現在の[[広島電鉄横川線|横川線]])の路線敷設の特許を取得<ref name="HIRODEN10070_40">『広島電鉄開業100年・創立70年史』40ページ</ref>。同年6月18日に資本金300万円で設立された<ref name="HIRODEN10070_40"/>。その後、八丁堀-竹屋町-御幸橋間を紙屋町を経由する案に変更、新たに八丁堀-白島(現在の[[広島電鉄白島線|白島線]])の特許を取得した<ref name="HIRODEN10070_40"/>。なお[[1911年]](明治44年)11月には城の外堀埋立が、翌[[1912年]](大正元年)に運河として使われていた西塔川の埋立が終わり、のちに電車通りとなる[[相生通り]]や[[鯉城通り]]が整備される<ref>{{Cite web|publisher=広島城博物館|url=http://www.rijo-castle.jp/rijo/sub4f.html|title=近代の広島城|accessdate=2013-02-01}}</ref>。


宮島線は、広島電気軌道による申請以前より、己斐から魚市場があった[[草津町 (広島県)|草津]]までの路線計画は存在した<ref name="HIRODEN10070_66">『広島電鉄開業100年・創立70年史』66ページ</ref>。[[1910年]](明治43年)には、広島電気軌道のほか草津電気軌道や佐伯軽便鉄道が軌道条例に基づき申請したが、省線([[山陽本線]])と競合することより却下<ref name="HIRODEN10070_66"/>。[[1916年]](大正5年)12月8日に、宮島電気軌道により特許申請され受理したが、関係町村との調整が不調に終わり計画中止になっていた<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』66-67ページ</ref>。

1912年(大正元年)11月に、現在の宇品線の一部となる広島駅前から紙屋町を経由して[[御幸橋 (広島市)|御幸橋]]に至る区間と、現在の白島線になる八丁堀から白島に至る区間で開業した<ref>『広島電鉄開業80創立50年史』本編18ページ</ref>。開業のために[[広島電鉄100形電車 (初代)|後に100形(A形)になる車両(101-150号)]]を50両用意した<ref>『広島電鉄開業80創立50年史』本編22-23ページ</ref>。翌月には現在の本線となる紙屋町 - 己斐間が開通。[[1915年]](大正4年)4月に御幸橋東詰から宇品間が開通した<ref>『広島電鉄開業80創立50年史』本編25ページ</ref>。ただ、当時は単線でかつ御幸橋から御幸橋東詰まで徒歩連絡を行っていた<ref>『広島電鉄開業80創立50年史』本編24ページ</ref>。
{{-}}
==== 広島瓦斯電軌時代 ====
==== 広島瓦斯電軌時代 ====
[[ファイル:Hiroshima map circa 1930.PNG|200px|thumb|[[1930年]]頃([[昭和]]初頭)の[[広島市|廣島市]]の地図。]]
広島電気軌道は、[[1917年]](大正6年)8月に広島瓦斯(現在の[[広島ガス]])と合併、'''広島瓦斯電軌'''になった。その年の11月に現在の横川線の一部となる左官町 - 三篠間が開通。[[1919年]](大正8年)5月に御幸橋の軌道専用橋が完成し、宇品線が1本につながった。[[1921年]](大正10年)に[[大阪市電]]より[[広島電鉄100形電車 (2代)|100形(2代)]]を10両購入。それに伴い、元々の100形を0形に改番した。
[[ファイル:Hiroden-150.JPG|200px|thumb|1925年に導入された[[広島電鉄150形電車|150形]]]]
広島電気軌道は、[[1917年]](大正6年)8月に広島瓦斯(現在の[[広島ガス]])と合併、'''広島瓦斯電軌'''になった<ref>『広島電鉄開業80創立50年史』本編31-34ページ</ref>。


市内線は、[[1917年]](大正6年)の11月に現在の横川線の一部となる左官町 - 三篠間が開通<ref>『広島電鉄開業80創立50年史』本編34-35ページ</ref>。[[1919年]](大正8年)5月に御幸橋の軌道専用橋が完成し、宇品線が1本につながった<ref>『広島電鉄開業80創立50年史』本編38ページ</ref>。[[1921年]](大正10年)に[[大阪市電]]より[[広島電鉄100形電車 (2代)|後にB形になる車両(2代目101-110号)]]を10両購入<ref name="konjaku152">『広電が走る街今昔』152ページ</ref>。それに伴い、元々の101-150号車を1-50号に改番した<ref name="konjaku152"/>。[[1925年]](大正14年)4月に2013年現在広電最古参となる[[広島電鉄150形電車|後に150形(E形)になる車両(151-160号)]]を導入<ref name="HIRODEN10070_427">『広島電鉄開業100年・創立70年史』427ページ</ref>。同年6月頃より、宮島線の車両に倣う形で、車体左下部に0形には「A」、100形(2代)には「B」、150形には「E」の文字が付記された<ref name="konjaku152"/>。[[1927年]](昭和2年)に大阪市電よりB形(2代目100形)を20両追加購入。[[1930年]](昭和5年)に[[広島電鉄200形電車 (初代)|G形(後の初代200形)]]を10両導入<ref name="87-81">『広島電鉄 '87会社要覧』81ページ</ref>。[[1935年]](昭和10年)12月に御幸橋東詰 - 宇品間が複線になった新線に移動した<ref name="87-81"/>。[[1937年]](昭和12年)に[[千田車庫]]で火災が発生。被害車両の復旧で[[広島電鉄100形電車 (初代)|100形(初代)]]11両が[[広島電鉄450形電車|450形]]になった<ref name="87-81"/>。[[1938年]](昭和13年)に大阪市電より市内線初のボギー車になる[[広島電鉄300形電車|300形]]を5両<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』63ページ</ref>、京王電気軌道(現在の[[京王電鉄]])より[[京王電気軌道23形電車|23形]]を10両購入し[[広島電鉄700形電車 (初代)|500形(初代)]]とした<ref name="87-81"/>。また100形(2代)を更新し[[広島電鉄400形電車|400形]]になった<ref name="87-81"/>。
[[ファイル:Hiroshima map circa 1930.PNG|300px|thumb|[[1930年]]頃([[昭和]]初頭)の[[広島市|廣島市]]の地図。]]
[[1922年]](大正11年)8月に宮島線の一部となる己斐町 - 草津町間が開通。[[1924年]](大正13年)4月に草津町 - 廿日市町間が延長。[[1925年]](大正14年)4月に広電最古参となる[[広島電鉄150形電車|150形]]を導入。同年7月に廿日市町 - 地御前間が開通。それと同時に宮島に向かう連絡船が開業した。[[1926年]](大正15年)7月に地御前 - 新宮島間が開通し、連絡船に接続した。[[1927年]](昭和2年)に大阪市電より100形を20両追加購入。[[1930年]](昭和5年)に[[広島電鉄200形電車 (初代)|200形(初代)]]を10両導入。[[1931年]](昭和6年)2月に新宮島 - 電車宮島間が開業し、宮島線が全通した。


宮島線は、[[1919年]](大正8年)3月7日に広島軽便鉄道が、己斐-草津間の免許を取得<ref name="HIRODEN10070_67">『広島電鉄開業100年・創立70年史』67ページ</ref>。同年4月18日に、広島瓦斯電軌に免許は譲渡された<ref name="HIRODEN10070_67"/>。同年6月に鉄道院に対し、敷設権の継承、草津町-大野村間の免許申請、動力を蒸気機関から電気への変更申請を行い、同年9月25日に許可され宮島線の建設が始まった<ref name="HIRODEN10070_67"/>。[[1922年]](大正11年)8月に宮島線の一部となる己斐町 - 草津町間が開通<ref name="HIRODEN10070_427"/>。それに併せて同年6月に[[広島電鉄1000形電車|C形(後の1000形)]]を導入した<ref name="HIRODEN10070_427"/>。[[1924年]](大正13年)4月に草津町 - 廿日市町間が延長<ref name="HIRODEN10070_428">『広島電鉄開業100年・創立70年史』本編428ページ</ref>。それに併せて[[1923年]](大正12年)12月に[[広島電鉄1000形電車|D形(後の1010形)]]を導入した<ref name="HIRODEN10070_427"/>。[[1925年]](大正14年)7月に廿日市町 - 地御間が開通<ref name="HIRODEN10070_427"/>。それに併せて同月[[広島電鉄1000形電車|F形(後の1020形)]]を導入<ref name="HIRODEN10070_427"/>。それと同時に宮島に向かう連絡船が開業した<ref name="HIRODEN10070_427"/>。[[1926年]](大正15年)7月に地御前 - 新宮島間が開通し、連絡船に接続した<ref name="HIRODEN8050_H37">『広島電鉄開業80創立50年史』本編37ページ</ref>。[[1931年]](昭和6年)2月に新宮島 - 電車宮島(現在の広電宮島)間が開業し、宮島線が全通した<ref name="HIRODEN8050_H37"/>。同日連絡線事業は廃止<ref name="HIRODEN10070_429">『広島電鉄開業100年・創立70年史』429ページ</ref>。それに併せて[[1930年]](昭和5年)には[[広島電鉄1030形電車|H形(後の1030形)]]を導入した<ref name="HIRODEN10070_427"/>。
[[1935年]](昭和10年)12月に御幸橋東詰 - 宇品間が複線になった新線に移動した。[[1937年]](昭和12年)に[[千田車庫]]で火災が発生。被害車両の復旧で[[広島電鉄100形電車 (初代)|100形(初代)]]11両が[[広島電鉄450形電車|450形]]になった。[[1938年]](昭和13年)に大阪市電より[[広島電鉄300形電車|300形]]を5両、京王電気軌道(現在の[[京王電鉄]])より[[京王電気軌道23形電車|23形]]を10両購入し[[広島電鉄700形電車 (初代)|500形(初代)]]とした。また100形(2代)を更新し[[広島電鉄400形電車|400形]]になった。


[[1939年]](昭和14年)にアルファベットだった形式名を、車番と同様の数字による形式名に変更した<ref name="konjaku152"/><ref name="konjaku155">『広電が走る街今昔』155ページ</ref>。
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==== 広島電鉄時代 ====
==== 広島電鉄時代 ====
===== 戦前・戦中 =====
===== 会社成立から原爆投下 =====
[[ファイル:Hiroden-hibakudensya PICT2443.JPG|200px|thumb|1942年に導入された[[広島電鉄650形電車|650形]]]]
[[1942年]](昭和17年)4月、当時の国の政策により広島瓦斯電軌の交通事業部門が分離して'''広島電鉄'''となった。この年、[[広島電鉄600形電車 (初代)|600形(初代)]]、[[広島電鉄650形電車|650形]]が導入された。[[1943年]](昭和18年)12月に現在の江波線の一部となる土橋 - 舟入本町間が開通。[[1944年]](昭和19年)6月に舟入本町 - 舟入南町間が単線で開通。翌7月に宮島線の廿日市 - 電車宮島間が単線化。その線路を使い、12月に皆実線が開通。[[1945年]](昭和20年)3月に舟入本町 - 舟入南町間が複線化された。この頃に、現在の路線網がほぼでき上がっていたことになる。
{{Double image aside|right|Hattyo-bori Hiroshima 25july1945.jpg|200|Hattyo-bori Hiroshima 11august1945.jpg|200|(左・被爆前、右・被爆後)被爆前後の八丁堀周辺。横断する道路が本線が通る相生通り。左から2番目の道に当時白島線が通っていた。戦後その一つ右側の道が白島通りとして整備される。}}
[[1942年]](昭和17年)4月、当時の国の政策により広島瓦斯電軌の交通事業部門が分離して'''広島電鉄'''となった<ref>『広島電鉄開業80創立50年史』本編59-61ページ</ref>。この年、[[広島電鉄600形電車 (初代)|600形(初代)]]、[[広島電鉄650形電車|650形]]が導入された<ref name="87-82">『広島電鉄 '87会社要覧』82ページ</ref>。[[1943年]](昭和18年)12月に現在の江波線の一部となる土橋 - 舟入本町間が開通<ref name="87-82"/>。[[1944年]](昭和19年)6月に舟入本町 - 舟入南町間が単線で開通<ref name="87-83">『広島電鉄 '87会社要覧』83ページ</ref>。翌7月に宮島線の廿日市 - 電車宮島間が単線化<ref name="87-83"/>。その線路を使い、12月に皆実線が開通<ref name="87-83"/>。[[1945年]](昭和20年)3月に舟入本町 - 舟入南町間が複線化された<ref name="87-83"/>。この頃に、現在の路線網がほぼでき上がっていたことになる。
[[集電装置]]に関して、[[1941年]](昭和16年)に日本で初めて[[集電装置#ビューゲル|ビューゲル]]の実用化に成功<ref name="HIRODEN10070_64">『広島電鉄開業100年・創立70年史』64ページ</ref>。[[1944年]](昭和19年)8月までに全車両に取り付け、火花がが飛びやすく敵の標的になりやすい[[集電装置#トロリーポール|トロリーポール]]を置き換えた<ref name="HIRODEN10070_64"/>。また、ビューゲルの金具の[[実用新案権]](実用新案登録第355463号)も取得した<ref name="HIRODEN10070_126">『広島電鉄開業100年・創立70年史』126ページ</ref>。


[[1945年]](昭和20年)6月には、電車の疎開のため桜土手引込線が整備され<ref name="konjaku_151"> 『広電が走る街今昔』151ページ</ref>、戦災を防ぐために宮島などを含め分散留置された<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』108ページ</ref>。
そして、8月6日午前8時15分、人類史上初の[[原子爆弾]]が[[広島市への原子爆弾投下|広島市に投下]]された。人類が経験したことのない未曾有の被害であった。しかし広島電鉄では、郊外に避難させていた宮島線用の変電機を移設して、早くも8月9日には己斐から西天満町までの間で宮島線用車両を使用して運転を再開した(乗降場は、[[枕木]]を重ねて宮島線用車両のドアの位置に合わせた)。これは、途方にくれる市民を大いに勇気付けたという。その当時に被爆した車両の一部は[[被爆電車]]として現在も保存を兼ねて運行されている。


そして、1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、人類史上初の[[原子爆弾]]が[[広島市への原子爆弾投下|広島市に投下]]された。人類が経験したことのない未曾有の被害であった<ref>『広島電鉄開業80創立50年史』本編71-72ページ</ref>。原爆投下で本社は半壊<ref name="HIRODEN10070_106">『広島電鉄開業100年・創立70年史』106ページ</ref>。広島市内にあった広電の建物は1棟を除き50棟全て損壊した<ref name="HIRODEN10070_108">『広島電鉄開業100年・創立70年史』108ページ</ref>。当時は1,241人在籍していたが、185人が死亡、266人が負傷した<ref name="HIRODEN10070_106"/>。路面電車車両も、在籍していた123両のうち108両被災した<ref name="HIRODEN10070_107">『広島電鉄開業100年・創立70年史』107ページ</ref>。
===== 戦後 =====
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戦後も、復旧は進み1945年(昭和20年)12月には本線が全線復旧。続いて[[1947年]](昭和22年)11月に江波線が、[[1948年]](昭和23年)7月には、皆実線と宇品線が、12月には横川線がそれぞれ復旧した。終戦間もなく[[広島電鉄300形電車|300形]]は廃車になった。その年より500形を[[広島電鉄700形電車 (初代)|700形(初代)]]に改造が始まる。[[1950年]](昭和25年)7月には宮島線が複線に戻った。
===== 原爆投下からの復興 =====
[[ファイル:広島電鉄廿日市変電所01.jpg|200px|thumb|1945年8月9日の運行再開時には廿日市変電所から送電された]]
{{Double image stack|right|AtomicEffects-p39a.jpg|広島電鉄千田変電所02.jpg|200|被爆後の千田町変電所|現在も現役の千田町変電所}}
しかし、宮島線は被爆翌日の7日には草津町(現[[草津駅 (広島県)|草津]])から電車宮島(現[[広電宮島口駅|広電宮島口]])で運行再開。翌8日には全線で運行再開した<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』125ページ</ref>。


市内線についても、広電社員と軍の協力により、電柱をトラックとロープを使い立て直し、暁部隊が所有していたマスト300本も活用<ref name="HIRODEN10070_110">『広島電鉄開業100年・創立70年史』110ページ</ref>、さらに電線を引き直すなど行い、廿日市変電所から送電を行うことで<ref name="HIRODEN10070_110"/>、早くも8月9日には己斐から西天満町(現在の[[天満町駅|天満町]])までの間で運転を再開した<ref>『広島電鉄開業80創立50年史』本編77-78ページ</ref><ref name="HIRODEN10070_110"/>。復旧は単線で行われた<ref name="konjaku_60">『広電が走る街今昔』60ページ</ref><ref name="HIRODEN10070_124">『広島電鉄開業100年・創立70年史』124ページ</ref>。その時使われた車両は、2両<ref>『広島原爆戦災誌 第3巻』470ページ</ref><ref>『チンチン電車と女学生』203ページ</ref>、または3両<ref name="HIRODEN65_35">『広島の路面電車65年』35ページ</ref>であった。運行再開時に運賃が払えない乗客に無理に請求を行わず<ref name="HIRODEN10070_110"/>、運行再開は途方にくれる市民を大いに勇気付けたとされている<ref name="konjaku_60"/>。終戦直前の14日には[[小網町駅|小網町]]まで復旧した<ref name="HIRODEN10070_110"/>。
[[1951年]](昭和26年)3月には[[広島電鉄800形電車 (初代)|800形(初代)]]を10両導入。[[1952年]](昭和27年)3月には白島線が復旧。同じ年に150形の車体更新が始まった。[[1953年]](昭和28年)9月には[[広島電鉄500形電車 (2代)|500形(2代)]]を5両導入。その年に更新を受けなかった[[広島電鉄100形電車 (初代)|100形(初代)]]は全車廃車になった。[[1955年]](昭和30年)3月には[[広島電鉄550形電車|550形]]を5両、[[1958年]](昭和33年)3月には[[広島電鉄350形電車|850形]]を3両導入。[[1960年]](昭和35年)より[[広島電鉄2000形電車|2000形]]、[[1961年]](昭和36年)より[[広島電鉄2500形電車|2500形]]の導入を開始した。


8月9日に使用された車両は、一番電車に車掌として乗車した女学生の証言では[[広島電鉄400形電車|400形]]<ref>『チンチン電車と女学生』192ページ</ref><ref>『広島電鉄開業80創立50年史』本編76ページ</ref><ref>[http://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/linkfiles/horimoto-j.pdf 復旧後の一番電車に乗務して] - 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館</ref>とされ、中国新聞が8月9日の運行再開時に撮影した写真で413号が写っている<ref group="補足">写真が特に詳細な『保存版 広島のチンチン電車』76・77ページの中国新聞社が撮影した写真で、整列乗車している電車の車番が読み取れる</ref><ref name="HIRODEN65_35"/><ref>『保存版 広島のチンチン電車』76,77ページ</ref>、『電車を走らせた女学生たち』の女学生の記録では[[広島電鉄600形電車 (初代)|600形]]<ref>『電車を走らせた女学生たち』56ページ</ref><ref group="補足">『広島電鉄開業100年・創立70年史』107ページには、8月6日現在、601号が宮島で無被災、602号が江波で大破、603号が本社車庫で大破と記載している</ref>。『広電が走る街今昔』では[[広島電鉄700形電車 (初代)|500形]]501号・503号となっている<ref name="konjaku_60"/>。
昭和30 - 40年代には広島電鉄も他の都市の路面電車と同様に[[モータリゼーション]]の進展に伴う渋滞の増加で定時運行ができなくなったことから、存廃問題に立たされた。しかしこの時、広島電鉄の関係者が市や警察局などに説得を続け、同時に広島県警も独自に調査団を当時路面電車が多数残っていたヨーロッパに派遣・調査を行う。そこで見たものは、中心地の渋滞緩和のための方法としての新たな役割を任され、進化した路面電車の姿だった。この結果、軌道廃止に伴う代替交通機関が決まらないまま廃止したら、中心街のさらなる交通環境の悪化を引き起こすという結論に至り、一時解除されていた軌道内への自動車進入禁止を再開させることに成功し、辛うじて残すことができたといわれる。また、広島市中心部は[[太田川]]河口部の[[三角州]]にあるため、地下水脈や地質などの問題から当時の技術では大規模な地下鉄建設が難しかったことも廃止を免れた一因である。しかし現在[[広島高速交通広島新交通1号線|アストラムライン]]が、地下2、3階分の低さではあるが広島市の中心部を南北に走っている。


戦後も復旧は進み、吉田営業所に避難させていた整流器を使い8月18日には千田町変電所を復旧させた<ref name="HIRODEN10070_124"/>。復旧当初は己斐を起点に復旧が行われ、8月19日には[[土橋駅 (広島県)|土橋]]まで、21日に[[十日市町駅|十日市町]]まで、23日に左官町(現・[[本川町駅|本川町]])まで、9月7日には[[八丁堀駅 (広島県)|八丁堀]]まで復旧した<ref name="HIRODEN10070_124"/>。[[広電本社前駅|広電本社]]からも復旧が行われ、8月18日には電鉄前(現・広電本社前)から宇品(現・[[広島港駅|広島港]])まで復旧<ref name="HIRODEN10070_124"/>。9月12日には[[紙屋町駅|紙屋町]]まで復旧し宇品線は全線復旧した<ref name="HIRODEN10070_124"/>。1945年(昭和20年)12月には本線が全線復旧<ref name="konjaku151">『広電が走る街今昔』151ページ</ref>。続いて[[1947年]](昭和22年)11月に江波線が<ref name="konjaku151"/>、[[1948年]](昭和23年)7月には皆実線と宇品線が<ref name="konjaku151"/>、12月には横川線<ref name="konjaku151"/>がそれぞれ復旧した。[[1950年]](昭和25年)7月には宮島線が複線に戻った<ref name="konjaku151"/>。[[1952年]](昭和27年)3月には、道路の付け替えで復旧が遅れていた白島線が復旧した<ref name="konjaku151"/>。
[[1966年]](昭和41年)より大阪市電から[[広島電鉄750形電車|750形]]および[[広島電鉄900形電車|900形]]を、[[1971年]](昭和46年)に[[神戸市電]]より[[広島電鉄570形電車|570形]]および[[広島電鉄1100形電車|1100形]]・[[広島電鉄1150形電車|1150形]]を購入した。それにより広電に残っていた[[広島電鉄150形電車|150形]]、[[広島電鉄200形電車 (初代)|200形(初代)]]、[[広島電鉄400形電車|400形]]、[[広島電鉄450形電車|450形]]の単車が全車廃車になり、車両の大型化を完了した。また、[[広島電鉄600形電車 (初代)|600形(初代)]]や700形(初代)、800形(初代)等のボギー車も廃車になった。[[1974年]]に2000形の連結改造を行った。


[[1975年]](昭和50年)に千田車庫で火災が発生して一部車が廃車となり、その補充のために[[西北九州線]]より[[広島電鉄600形電車 (2代)|600形]]を購入し、ほとんど廃車になっていた800形(初代)も1両がワンマン化改造を受けた。[[1978年]](昭和53)より[[京都市電]]から[[広島電鉄1900形電車|1900形]]を購入開始するとともに700形(初代)。翌年は、[[西鉄福岡市内線]]より[[広島電鉄3000形電車|3000形]]を購入した。
車両についても、[[1948年]](昭和23年)より残存していた100形の内4[[広島電450形電車|450形]]に、500形全車を[[広島電鉄700形電車 (代)|700形(初代)]]に改造が始まる<ref name="konjaku152"/>終戦後、復旧される事無く[[1951年]](昭和26)3月に[[広島電鉄300形電車|300形]]は廃なっ<ref name="konjaku152"/>


当時、被爆した車両の一部は[[被爆電車]]として現在も保存を兼ねて運行されている。
当初750形が移籍した時は広電色に塗り直されたが、900形等の移籍の時より経費節減のために移籍前の塗装をそのまま維持した。そこから「動く電車の博物館」と異名でファンから呼ばれるようになった。その反面、乗客へのサービスとして方向幕の大型化、冷房改造などを積極的に行い、原型には必ずしもこだわっていない。
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===== 区画整理による線路付け替え =====
また、日本国外からも車両の導入が行われ、[[ドイツ]]の[[ドルトムント]]市より[[広島電鉄70形電車|70形]]が移籍してきた。その他、[[広島市]]とドイツの[[ハノーファー|ハノーバー]]市との姉妹都市提携を記念し、広島市が[[茶室]]を送った返礼として、[[広島電鉄200形電車 (2代)|200形(2代)]](通称:'''ハノーバー電車''')が贈られた。
[[ファイル:Physical damage, blast effect, Hiroshima, 1946-03-13 ~ 1946-04-08, 342-USAF-11071.ogv|thumbtime=14:56 |200px|thumb|right|1946年春、相生橋上]]
[[ファイル:Hiroden Honsen Aioi bridge 20130209.webm|thumbtime=00:08 |200px|thumb|right|2013年冬、相生橋上]]
[[1949年]](昭和24年)8月6日には[[広島平和記念都市建設法]]が成立<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』127-128ページ</ref>。それに基づき、[[建設省]]・広島市復興局と協議を行い計画を策定<ref name="HIRODEN10070_128">『広島電鉄開業100年・創立70年史』128ページ</ref>。道路拡幅および軌道の道路中央部に移動することになり、当時の市内線18.4kmのうち半分強の9.4kmを移動させることになった<ref name="HIRODEN10070_128"/>。


線路付け替えの費用分担は、当初予定では3分の1とされたが、査定の見直しなどで[[1952年]](昭和27年)時点で、平均約48%、最高57%に負担になった<ref name="HIRODEN10070_128"/>。広電側の負担減額の陳情で、その後は電車施設のみの負担になり、[[1954年]](昭和29年)の[[稲荷大橋 (広島市)|稲荷大橋]]-[[広島駅]]間は22.4%の負担になっている<ref name="HIRODEN10070_128"/>。
===== 軽快電車 =====
[[1980年]](昭和55年)に久方ぶりの新車になる[[広島電鉄3500形電車|3500形]]を導入。[[1982年]](昭和57年)よりセミ軽快電車[[広島電鉄700形電車 (2代)|700形(2代)]]、[[1983年]](昭和58年)より[[広島電鉄800形電車 (2代)|800形(2代)]]、[[1984年]](昭和59年)より[[広島電鉄3700形電車|3700形]]、[[1987年]](昭和62年)より[[広島電鉄3800形電車|3800形]]、[[1990年]](平成2年)より[[広島電鉄3900形電車|3900形]]、[[1997年]](平成9年)より[[広島電鉄3950形電車|3950形]]が導入された。


道路中央部への移設のほか線路の付け替えも行われ、1956年(昭和31年)には左官町(現・本川町)周辺の線路の付け替え<ref>『広電が走る街今昔』53ページ</ref>、1964年(昭和39年)には[[太田川放水路]]および福島川の廃川による[[観音町駅 (広島県)|観音町]]-[[広電西広島駅|己斐]]間の付け替えが行われた<ref>『広電が走る街今昔』65ページ</ref>。
軽快電車の導入で、老朽化の進んでいた[[広島電鉄570形電車|570形]]や[[広島電鉄750形電車|750形]]の多くに廃車が発生。冷房改造されていなかった[[広島電鉄900形電車|900形]]にも廃車が出た。1990年代後半までに一部保存されている単車を除いて冷房化を完了した。


建設法に先がけ、広島市の事業として[[1947年]](昭和22年)より線路付け替えを開始<ref name="HIRODEN10070_128"/>。広島市内にある広島電鉄の線路がある7橋([[荒神橋 (広島市)|荒神橋]]・稲荷大橋・[[相生橋]]・[[広電天満橋]]・[[新己斐橋]]・[[御幸橋 (広島市)|御幸橋]]・[[新横川橋 (広島市)|新横川橋]])のうち、都市計画道路上にない広電天満橋と、第二次大戦まえより併用橋だった荒神橋以外の5橋は橋の架け替え、または橋の新設が必要になった<ref name="HIRODEN10070_128"/>。[[1950年]](昭和25年)に稲荷大橋が<ref name="HIRODEN10070_128"/>、[[1958年]](昭和33年)に新横川橋が<ref name="HIRODEN10070_128"/>、[[1964年]](昭和39年)には[[太田川放水路]]の完成に合わせて新己斐橋が<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』128-129ページ</ref>、[[1983年]](昭和58年)に相生橋が<ref name="HIRODEN10070_129">『広島電鉄開業100年・創立70年史』129ページ</ref>、1990年(平成2年)には御幸橋が完成した<ref name="HIRODEN10070_129"/>。
===== 超低床車両の増備と従来車両の廃車 =====
軽快電車をさらに進化させた[[超低床電車]]の導入も1990年代から検討され、先行する[[ヨーロッパ]]の主要車両メーカへ日本の気候に合った100%低床車両の可能性を問い合わせていたが<ref>『鉄道ピクトリアル』1994年4月号</ref>、[[1999年]](平成11年)より[[ドイツ]]製の[[広島電鉄5000形電車|5000形]]、[[2004年]](平成16年)より国産となった[[広島電鉄5100形電車|5100形]]を導入している。


線路の付け替えは長期にわたり、最後に行われた[[小網町駅|小網町]]-[[舟入本町駅|舟入本町]]間、[[十日市町駅|十日市町]]-[[寺町駅|寺町]]間は1995年(平成7年)に完成。完成までに40年以上かかった<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』232ページ</ref>。
それらの超低床車両に入れ替わるように、老朽した自社オリジナルおよび他都市からの移籍車両の廃止が進み、オリジナルの[[広島電鉄500形電車 (2代)|500形]]・[[広島電鉄550形電車|550形]]、旧神戸の[[広島電鉄1100形電車|1100形]]は形式消滅。[[広島電鉄2000形電車|2000形]](自社)は全車両が営業運行を離脱、[[広島電鉄570形電車|570形]](旧神戸)、[[広島電鉄600形電車 (2代)|600形]](旧北九州)、[[広島電鉄1150形電車|1150形]](旧神戸)は残り1両に。これまで事故廃車しか出ていなかった[[広島電鉄650形電車|650形]](自社、被爆車両)にも2両が運用を離脱し(653号は休車・[[江波車庫]]保管、654号は廃車・[[広島市交通科学館]]に保存)、世代交代が進むことになった。650形のようにメディアに取り上げられ、引退式典を行う車両は例外的で、ほとんどの車両は置き換えた車両に問題がないことを確認の上で[[休車]]・[[廃車 (鉄道)|廃車]]・[[解体]]を行っている。
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===== 宮島線との直通運転開始 =====
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ファイル:Hiroden-550.JPG|20066月形式消滅し550
[[ファイル:20070925hiroden353.jpg|200px|thumb|1958年に導入され[[広島電鉄850形電車|350]]]]
[[ファイル:Hiroden-3000-3.JPG|200px|thumb|2013年現在も直通色で稼働している[[広島電鉄3000形電車|3000形]]]]
ファイル:19990122広島電鉄1100型.jpg|2003年3月に形式消滅した1100形
市内線車両は、[[1951年]](昭和26年)3月には[[広島電鉄800形電車 (初代)|800形(初代)]]を10両導入<ref name="konjaku153">『広電が走る街今昔』153ページ</ref>。同じ年に150形の車体更新が始まった<ref name="konjaku153"/>。[[1953年]](昭和28年)9月には[[広島電鉄500形電車 (2代)|500形(2代)]]を5両導入<ref name="konjaku153"/>。その年に更新を受けなかった[[広島電鉄100形電車 (初代)|100形(初代)]]は全車廃車になった<ref name="konjaku153"/>。[[1955年]](昭和30年)3月には[[広島電鉄550形電車|550形]]を5両導入<ref name="konjaku153"/>。551のみ製造当初は間接制御を採用し、宮島線との直通許可を受けていた<ref>『私鉄の車両3 広島電鉄』68・69ページ</ref>。
ファイル:Hiroden-570.JPG|570形584は2006年6月に廃車された。582のみ残る
ファイル:Hiroden-600.JPG|602号の1両のみが残る600形
ファイル:Hiroden-654-1.jpg|2006年6月に一部廃車が発生した650形
ファイル:Hiroden-1150.JPG|1156号の1両のみが残る1150形
ファイル:Hiroshimadentetsu2006.jpeg|2009年10月17日以降営業運用から離脱した2000形
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宮島線車両は、京阪神急行電鉄(現在の[[阪急電鉄]])より、[[1947年]](昭和22年)2月[[広島電鉄1050形電車|1050形]]を購入<ref name="konjaku155">『広電が走る街今昔』155ページ</ref>。[[1954年]](昭和29年)に全鋼製車両に更新した<ref name="konjaku155"/>。[[1957年]](昭和32年)に[[広島電鉄1060形電車|1060形]]を導入。最後の新製高床車になり<ref name="konjaku155"/>、直通形の増備に移行した。
=== 最近の動き ===
現在は、路面電車が急速に見直される中で新時代の公共交通機関を目指して[[ライトレール|LRT]]化に積極的に取り組んでいる。ハード面では、電停の拡張や[[バリアフリー]]化、また、新車の投入にも意欲的であり、3両または5両(2両編成もあるにはある)をつないだ'''[[連接台車|連接車]]'''が多数投入されている。新造された連接車は登場当時の技術面では先進性が優れている(例;([[広島電鉄3800形電車|3800形]])に関しては当時としては珍しい[[可変電圧可変周波数制御|VVVFインバーター制御]]を採用)などあらゆる面で評価が高く、後述の低存電車に関しては[[鉄道友の会]]のローレル賞を受賞している。連接車では必ず[[車掌]]が乗務し、最後部ドア(出口)での運賃収受や、[[交差点]]での信号待ちの時は車内を回り、両替などのサービス業務を行う。[[1999年]](平成11年)には[[ドイツ]]の[[シーメンス]]社でバリアフリー対応の'''GREEN MOVER'''([[広島電鉄5000形電車|5000形]])が製造され、大型[[輸送機]]([[An-124 (航空機)|An-124]])で空輸されたことで話題になった。[[2004年]](平成16年)には[[近畿車輌]]・[[三菱重工業]]・[[東洋電機製造]]と共同で国産初の100%超低床電車'''Green mover max'''([[広島電鉄5100形電車|5100形]])を開発し、同年[[12月19日]]には[[江波車庫]](広島市中区[[江波 (広島市)|江波]])に搬入され、[[2008年]]までに10編成が導入された。また、既存の車両についても出入口に補助ステップ(踏み台)を設置するなど、高齢社会に相応しい公共交通機関を目指している。


[[1955年]](昭和30年)頃、電車の利用者数の伸び悩みにより、当時バス事業が郊外路線延長で利用者数が伸びていたこと、以前より[[千田車庫]]での整備のために連絡線がもうけられていたが、[[太田川放水路]]の整備による区画整理により、己斐駅・西広島駅の移転の必要があったことより、市内線と宮島線を直通させることを計画<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』160ページ</ref>。市内線用の低床車両を乗り入れる方式を採用した<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』160-161ページ</ref>。それに併せて、宮島線の各駅に低床用のホームの整備を行い<ref name="HIRODEN10070_161">『広島電鉄開業100年・創立70年史』161ページ</ref>、[[1957年]](昭和32年)5月に己斐駅・西広島駅の移転が完了<ref name="HIRODEN10070_161"/>。[[1958年]](昭和33年)4月より団体貸し切り列車として直通運転を開始した<ref name="HIRODEN10070_161"/>。[[1962年]](昭和37年)1月に[[広島駅]]から[[広電廿日市駅]]まで15分ヘッドの定期運転を開始<ref name="HIRODEN10070_161"/>。定期運転開始に併せて、オリエントピーチの車体色に赤帯を配した『直通色』が登場した<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』162ページ</ref>。[[1963年]](昭和38年)5月には[[広電宮島口駅]]まで延長された<ref name="HIRODEN10070_161"/>。
ソフト面では、大人1人につき同伴の幼児を3人まで無賃にしたり、[[身体障害者|障害者]]の介助者2人までを無賃にしたりと運賃制度の改革にも取り組んでいる。


直通形車両も増備され、550形551をはじめ、1958年(昭和33年)3月には[[広島電鉄850形電車|850形]]を3両導入<ref name="konjaku153"/>。[[1960年]](昭和35年)より[[広島電鉄2000形電車|2000形]]<ref name="konjaku153"/>、[[1961年]](昭和36年)より[[広島電鉄2500形電車|2500形]]の導入を開始した<ref name="konjaku153"/>。2004号については、経費削減や広電のチャレンジ精神より、[[日本車輌製造]]が製造したフレームに、自社で鋼製車体を組み立て<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』161-162ページ</ref>、1962年(昭和37年)11月に竣工した<ref name="HIRODEN10070_162">『広島電鉄開業100年・創立70年史』162ページ</ref>。2000形については同年末までに合計6両を製造<ref name="HIRODEN10070_162"/>。その後、2500形についても同様に製造した車両がある<ref name="HIRODEN10070_162"/>。
<!-- 以下は最近の動きとは言い難く、会社の動向というよりは別項目が妥当と思えるためコメントアウト[[2006年]](平成18年)5月、乗務員による運賃着服が明らかとなり、全国ニュースでも報じられた[http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200605260087.html]。 その後乗務員の体質改善を行っているようで、主要な電停の前では車内アナウンスで、乗務員に運賃を渡さず直接運賃箱に入れるよう注意を促している。


また沿線整備も進められ、[[楽々園遊園地]]の施設の整備<ref name="HIRODEN10070_161"/>および別会社への移管<ref name="HIRODEN10070_434"/>。宮島方面は、1958年(昭和33年)3月に[[宮島松大汽船|宮島松大観光船(現・宮島松大汽船)]]に出資<ref name="HIRODEN10070_434"/>。[[1959年]](昭和34年)4月に、広島電鉄が大株主の[[広島観光開発]]が、『宮島ロープウエー』を開通<ref name="HIRODEN10070_434"/>。1965年(昭和40年)には、現在『宮島口もみじ本陣』を運営している『広島宮島ガーデン』を設立した<ref name="HIRODEN10070_435"/>。
さらに、同年9月29日には、[[総務省]][[中国四国管区行政評価局]]の調査によって、[[軌道運転規則]]および同規定等を準用している[[道路交通法]]第二十二条第二項に違反するスピード違反の恒常化が明らかになったことから、中国四国管区行政評価局から監督官庁である中国運輸局に対して適切な指導を行うよう改善意見が通知された。[[2007年]](平成19年)には、本線の運転を終え、[[荒手車庫]]に帰ろうとしていた回送電車が、[[広電西広島駅]]を出た直後、2両編成の電車の一番後ろの車輪が脱線する事故を起こしている。
{{-}}
-->
<!--以下はいわゆる「もらい事故」の疑いが強く、会社の動向との関連が不明瞭なため当面コメントアウト
[[2009年]][[8月22日]]には、広島市中区内の[[国道54号]]との交差点付近で、同社の路面電車と緊急走行中の[[パトロールカー|パトカー]]とが衝突する[[交通事故|事故]]があった。この事故では、後続の[[観光バス]]も煽りを受けて[[乗用車]]に接触しており、パトカー運転の[[広島中央警察署|広島中央署]]の[[警察官]]の運転ミスと見られる<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090822-OYT1T00824.htm 記事]</ref>。
-->


===== 動く電車の博物館 =====
[[2011年]](平成23年)[[4月11日]]の市内線ダイヤ改正により、3号線は朝ラッシュまでは 広電西広島 - 広島港間で運行し、その後は 広電西広島 - 宇品二丁目間に区間を短縮して運行するようになった<ref>[http://www.hiroden.co.jp/what/new/topic1101-03.htm#110324_streetca 広電 最新情報 【電車】4/11(月) ダイヤ改正を実施します] - 広島電鉄、2011年3月24日。</ref>。同年[[7月11日]]の市内線ダイヤ改正により、5号線は原則、広島駅 - 広島港間で運行して、日中12分間隔となった<ref>[http://www.hiroden.co.jp/what/new/topic1104-06.htm#110622_train 広電 最新情報 【電車】5号線のダイヤ改正を実施します] - 広島電鉄、2011年6月22日。</ref>。
[[ファイル:広島電鉄1070型電車.jpg|200px|thumb|1967年に導入された[[広島電鉄1070形電車|1070形]]]]
[[ファイル:Hiroden 1908 2008 01.JPG|200px|thumb|1978年に導入された[[広島電鉄1900形電車|1900形]]]]
[[ファイル:Hiroden-76-2.JPG|200px|thumb|1981年に導入された[[広島電鉄70形電車|70形]]]]
[[ファイル:Hiroden200-ami.jpg|200px|thumb|1988年に導入された[[広島電鉄200形電車 (2代)|200形]]]]
昭和30 - 40年代には広島電鉄も他の都市の路面電車と同様に[[モータリゼーション]]の進展に伴う渋滞の増加で定時運行ができなくなったことから、存廃問題に立たされた<ref>『広島電鉄開業80創立50年史』本編125-127ページ</ref>。一旦は[[1963年]](昭和38年)6月に、軌道敷内への車両乗り入れが許可された<ref>『広島電鉄開業80創立50年史』本編127ページ</ref>。その頃、広島市に地下鉄計画があり、移行しようとしていた節もあった<ref name="shitetsu415">『私鉄広電 戦い抜いた四十二年』415ページ</ref>。しかしこの時、広島電鉄の関係者が市や警察局などに説得を続け、同時に広島県警も独自に調査団を当時路面電車が多数残っていたヨーロッパに派遣・調査を行う。そこで見たものは、中心地の渋滞緩和のための方法としての新たな役割を任され、進化した路面電車の姿だった<ref name="HIRODEN8050_H131">『広島電鉄開業80創立50年史』本編131ページ</ref>。1971年(昭和46年)2月に広電は『電車を守る』宣言を行い、路面電車存続へ方針転換<ref name="shitetsu431">『私鉄広電 戦い抜いた四十二年』431ページ</ref>。この結果、軌道廃止に伴う代替交通機関が決まらないまま廃止したら、中心街のさらなる交通環境の悪化を引き起こすという結論に至り、一時解除されていた軌道内への自動車進入禁止を[[1971年]](昭和46年)12月に再開させることに成功<ref name="HIRODEN8050_H131"/>。廃止された事業者から車両の譲渡を受け、単車をボギー車に置き換えることで車両の大型化およびワンマンカー化<ref name="HIRODEN8050_H129">『広島電鉄開業80創立50年史』本編129ページ</ref>。さらなる高速化も図られ、1974年(昭和49年)3月に、[[海岸通駅|海岸通]]付近に初めて電車優先信号を導入<ref name="HIRODEN10070_225">『広島電鉄開業100年・創立70年史』225ページ</ref>、1975年(昭和50年)2月には、[[皆実町六丁目駅|皆実町六丁目]]から[[宇品五丁目駅|宇品五丁目]]間に延長された<ref name="HIRODEN10070_225"/>。機構改正や合理化などを行い<ref name="HIRODEN8050_H129"/>、1969年(昭和44年)には白島線で[[ワンマン運転]]を開始<ref name="HIRODEN10070_194">『広島電鉄開業100年・創立70年史』194ページ</ref>。1976年(昭和51年)に市内線は、ラッシュ時を除きワンマン運転化した<ref name="HIRODEN10070_194"/>。それらの努力で、辛うじて残すことができたといわれる。その中、1971年(昭和46年)に、広島駅から紙屋町を経由して横川駅に向かう、旧7号線が廃止になった<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』195ページ</ref>。また、広島市中心部は[[太田川]]河口部の[[三角州]]にあるため、地下水脈や地質などの問題から当時の技術では大規模な地下鉄建設が難しかったことも廃止を免れた一因である。しかし現在[[広島高速交通広島新交通1号線|アストラムライン]]が、地下2、3階分の低さではあるが広島市の中心部を南北に走っている。


市内線には、[[1966年]](昭和41年)より大阪市電から[[広島電鉄750形電車|750形]]<ref name="konjaku153"/>および[[広島電鉄900形電車|900形]]<ref name="konjaku153"/>を、[[1971年]](昭和46年)に[[神戸市電]]より[[広島電鉄570形電車|570形]]および[[広島電鉄1100形電車|1100形]]・[[広島電鉄1150形電車|1150形]]を購入した<ref name="konjaku153"/>。それにより広電に残っていた[[二軸車 (鉄道)|二軸]]単車を置き換え、1966年(昭和41年)に[[広島電鉄200形電車 (初代)|200形(初代)]]<ref name="konjaku152"/>、1969年(昭和44年)に[[広島電鉄400形電車|400形]]<ref name="konjaku152"/>・[[広島電鉄450形電車|450形]]<ref name="konjaku152"/>、1971年に[[広島電鉄150形電車|150形]]が全車廃車になり、二軸単車が全車廃車になり、車両の大型化を完了した<ref>『広島電鉄 '87会社要覧』93ページ</ref>。またボギー車も、1972年(昭和47年)に[[広島電鉄600形電車 (初代)|600形(初代)]]が全車廃車<ref name="konjaku152"/>。700形(初代)が1972年(昭和47年)までに4両廃車<ref name="iihima_160">『私鉄の車両3 広島電鉄』160ページ</ref>、800形(初代)が1976年(昭和51年)までに9両廃車<ref name="iihima_160"/>になった。
[[2012年]](平成24年)内に5100形を3両編成に短縮して追加導入する計画がある。[[日本経済新聞]]の報道によると、2編成導入予定とのことである。


宮島線には、[[1967年]](昭和42年)には、[[広島電鉄1070形電車|1070形]]を京阪神急行電鉄から購入<ref name="konjaku155"/>。[[1977年]](昭和52年)[[広島電鉄1080形電車|1080形]]を京阪神急行電鉄から購入<ref name="konjaku155"/>。[[1982年]](昭和57年)には、1050形を改造し[[広島電鉄1050形電車|1090形]]とした<ref name="konjaku155"/>。また、木造車の廃車も進み、1966年(昭和41年)に1020形が全車廃車<ref name="konjaku155"/>、1968年(昭和43年)に1010形が全て廃車になり木造車は全車廃車になった<ref name="konjaku155"/>。
==== 信用乗車方式の検討 ====
2013年(平成25年)度以降の本格導入を目指し2011年(平成23年)には[[信用乗車方式]]の社会実験を予定していると報道されていた<ref>{{Cite news |url=http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201004150029.html|archiveurl=http://megalodon.jp/2010-0416-2052-31/www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201004150029.html|title=路面電車で「信用乗車」実験 |publisher=中国新聞|date=2010-04-15|archivedate=2010-04-16 |accessdate=2012-03-11}}</ref>。2012年(平成24年)2月15日から3月31日までの間、3両連接車([[広島電鉄3700形電車|3703号]]・[[広島電鉄3900形電車|3906号]])の中扉にも降車用のICリーダー機を設置し、ICカード(PASPY・ICOCA)の利用者に限り全扉から乗降できるようにして社会実験が行われた<ref>[http://www.hiroden.co.jp/what/new/topic.htm#120209_doors 広電 最新情報 ICカード全扉乗降試験車両の運行について] - 広島電鉄、2012年2月9日。</ref>。


直通車の大型化も進行。2000形が[[1973年]]から[[1974年]]にかけて、端数になる1両を除き8両が2両連結車に改造を行った<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』196ページ</ref>。
=== 新線・延伸計画 ===
広島電鉄は、[[1997年]](平成9年)9月に広島駅と広電西広島の間を平和大通り・駅前通り・駅前大橋を介して結ぶ路線を新設する計画を発表して免許を申請した。広島駅と広電西広島の間は2号線で結ばれているが、途中に交差点を抱えて路線はクランク状に折れ曲がるため、長大列車を運行する上の課題となっている。平和大通りは幅が大変広く、複線軌道を敷設するには十分である。これにより、クランクを回避できると長大編成による拠点間の高速運行が可能となり、利便性が格段に向上するとされる。


[[1975年]](昭和50年)に千田車庫で火災が発生して一部車両が廃車となり、その補充のために[[西鉄北九州線]]より[[広島電鉄600形電車 (2代)|600形]]を購入し、ほとんど廃車になっていた800形(初代)も1両がワンマン化改造を受けた。[[1978年]](昭和53年)より[[京都市電]]から[[広島電鉄1900形電車|1900形]]を購入開始<ref name="konjaku154">『広電が走る街今昔』154ページ</ref>するとともに700形(初代)、800形(初代)は全廃、750形も一部が廃車された<ref name="HIRODEN10070_227"/>。
発表直後から広島市や市民、運輸審議会を交えた折衝が数度にわたって行われたが、当時の広島市は、[[広島高速交通広島新交通1号線|アストラムライン]]による東西線建設を希望していた。しかし、広島市は巨額の財政赤字を抱え、新球場建設等の大型事業に着手、既存のアストラムラインの大幅な赤字、国による路面電車の[[ライトレール|LRT]]化の推進方針も重なり、既存の路面電車やバスを改善していく方向に公共交通機関の整備計画が見直された。さらに広島電鉄は、[[2002年]](平成14年)頃までに数度にわたって修正した計画案(最終案では、平和大通り西端の[[西観音町駅|西観音町電停]] - [[広島電鉄江波線|江波線]]までのみ敷設)を発表したが、広島市による[[緑大橋]]の架け替え費用等の資金面で目途が立たず、[[2008年]](平成20年)現在では、同計画は棚上げ状態にある。


1979年(昭和54年)には、3両連接車[[広島電鉄3000形電車|3000形]]の運用を開始<ref name="HIRODEN10070_227"/>。3000形は広電初の3両連接車で従来型と比べ7m長く、定員も180人と従来型と比較して50人増加した<ref name="HIRODEN10070_227">『広島電鉄開業100年・創立70年史』227ページ</ref>。1976年(昭和51年)に廃止になった[[西鉄福岡市内線]]より2両連接車[[西鉄1000形電車 (軌道・共通)|1101・1201・1301形]]を購入。改造した<ref name="HIRODEN10070_227"/>。また、1301形は一部小改造で、1976年より1300形として1300形として運用した<ref name="HIRODEN10070_227"/>。
2010年(平成22年)6月29日の広島電鉄の取締役会で社長に就任した越智秀信は就任前の5月12日、JR広島駅と広島市南区稲荷町を結ぶ路面電車の新路線「駅前大橋線」の、2016 - 17年の運行開始を目指す考えを明らかにした<ref>{{Cite news |url=http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201005130131.html|archiveurl=http://megalodon.jp/2010-0516-0911-16/www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201005130131.html|title=広電駅前大橋線、16―17年に開通 次期社長が方針|publisher=中国新聞|date=2010-05-13|archivedate=2010-05-13|accessdate=2012-03-11}}</ref>。


その後、直通車の増備のため<ref name="chugoku19850804">『宮島線の全便を市内直通化計画 広島電鉄 秋には夕方の電車増発』中国新聞 1985年8月4日17ページ</ref>、当時市内線で主に使われていた<ref>『年明けから直通便増便 広電宮島線』中国新聞 1985年12月4日19ページ</ref>2両連接車の2500形を3両連接車に改造。1985年(昭和60年)より、[[広島電鉄2500形電車#3100形への改造|3100形]]に改造した<ref name="HIRODEN10070_227"/>。[[広電西広島駅|広電西広島]]の宮島線用ホーム2本の内1本を直通車用に改良し、直通車用ホームを3本にした<ref name="chugoku19850804"/>。
[[広島市]]は学識経験者等で構成する「広島駅南口広場再整備に係る基本方針検討委員会」を設置し、[[2010年]](平成22年)8月31日に第1回会合が開催され、路面電車の駅前大橋ルートを含めて、検討が行われている<ref>[http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1285578941347/ 広島駅南口広場再整備に係る基本方針検討委員会]</ref>。


当初750形が移籍した時は広電色に塗り直されたが、900形等の移籍の時より経費節減のために移籍前の塗装をそのまま維持した<ref>『鉄道ファン2004年1月号』149ページ</ref>。そこから『動く電車の博物館』や『路面電車の博物館』などと異名でファンから呼ばれるようになった<ref>『鉄道ファン2004年1月号』151ページ</ref><ref>『鉄道ファン1989年3月号』101ページ</ref>。呼ばれた当初は、広電はこの名称を嫌い、塗り替え色の公募を行ったが、地元デザイン会議のメンバーの反対により、塗り替えを断念。現在に至っている<ref>『鉄道ビクトリアル1990年11月号』23ページ</ref>。その反面、乗客へのサービスとして方向幕の大型化、冷房改造などを積極的に行い、原型には必ずしもこだわっていない。
=== 鉄軌道車両 ===
==== 現役 ====
===== 単行車 =====
貨50形は事業用。350形のみ市内線・宮島線直通許可を受けている。現在の運用はすべて市内線のみとなっている。


また、移籍車両の側面に1979年(昭和54年)2月20日より、旧在籍事業者・移籍年を記載した『移籍プレート』を取り付けている<ref>『私鉄の車両3 広島電鉄』156-157ページ</ref><ref name="HIRODEN10070_438">『広島電鉄開業100年・創立70年史』438ページ</ref>。
*[[広島電鉄貨50形電車|貨50形]]:2両(51, 52)- [[広島電鉄750形電車|750形]]から改造
*[[広島電鉄100形電車 (3代)|100形(3代目)]]:1両(101)
*[[広島電鉄200形電車 (2代)|200形(2代目)]]:1両(238)- 元[[ハノーファーLRT|ハノーバー市電]]
*[[広島電鉄350形電車|350形]]:3両(351 - 353)
*[[広島電鉄570形電車|570形]]:1両(582)- 元[[神戸市電]][[神戸市交通局500形電車|500形]]
*[[広島電鉄600形電車 (2代)|600形(2代目)]]:1両(602)- 元[[西日本鉄道]][[西鉄500形電車 (軌道)#北九州線500形|500形]]
*[[広島電鉄650形電車|650形]]:3両(651 - 653)- 被爆電車
*[[広島電鉄700形電車 (2代)|700形(2代目)]]:11両(701 - 707, 711 - 714)- 701号-707号は750形の車体更新車
*[[広島電鉄750形電車|750形]]:6両(761 - 763, 768, 769, 772)- 元[[大阪市電]][[大阪市交通局1601形電車|1601形]]・[[大阪市交通局1651形電車|1651形]]・[[大阪市交通局1801形電車|1801形]]
*[[広島電鉄800形電車 (2代)|800形(2代目)]]:14両(801 - 814)
*[[広島電鉄900形電車|900形]]:9両(904 - 907, 910 - 914)- 元大阪市電[[大阪市交通局2601形電車|2601形]]
*[[広島電鉄1150形電車|1150形]]:1両(1156)- 元神戸市電[[神戸市交通局1150形電車|1150形]]
*[[広島電鉄1900形電車|1900形]]:15両(1901 - 1915)- 元[[京都市電]][[京都市交通局900形電車#1900形時代|1900形]]


また、日本国外からも車両の導入が行われ、[[1977年]](昭和52年)の開業65年時に日本国外から車両を導入する話が上がり、軌間が1435mmで同一でかつ両方向に運転台が付いていること、さらには路線の地下化で余剰車になったことより<ref>『私鉄の車両3 広島電鉄』12ページ</ref>、[[ドイツ]]の[[ドルトムント]]市の中古車両を導入することになり、1編成に付き車両購入費500万円・輸送費1500万円・改造費2500万円をかけて、[[1981年]](昭和56年)に[[広島電鉄70形電車|70形]]が移籍してきた<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』236-237ページ</ref>。その他、[[広島市]]とドイツの[[ハノーファー|ハノーバー]]市との姉妹都市提携を記念し、広島市が[[茶室]]を送った返礼として、[[1989年]](平成元年)に[[広島電鉄200形電車 (2代)|200形(2代)]](通称:'''ハノーバー電車''')が贈られた<ref name="konjaku154"/>。逆に、1986年(昭和61年)には、578号が[[サンフランシスコ|サンフランシスコ市]]に寄贈されている<ref name="HIRODEN10070_238">『広島電鉄開業100年・創立70年史』238ページ</ref>。
===== 連接車 =====
全車が市内線・宮島線の直通許可を受けている。ほとんどの車両が、市内線・宮島線直通運用されているが、現在3000形は市内線のみ、3500形は宮島線のみの運用になっている。3100形から3900形までは、宣伝車以外はほぼすべて'''ぐりーんらいなー'''となっている。


1988年(昭和63年)には、3103号が[[西ドイツ]]の画家、ジョー・ブロッケルホフによりスプレー画が描かれ『ピースバーン号』になった<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』237-238ページ</ref>。1992年(平成4年)に塗装の痛みのため全面塗り替えも検討されたが<ref>『「絵画電車」ラストラン 広電 特殊塗装が老朽化 一般車と同色に塗り替え』中国新聞 1992年5月7日夕刊 3ページ</ref>、8月頃に車体の補修のため腰部のみ塗装が残され、その他はグリーンライナー色に変更された<ref>『「走る絵画」残った 広電 電車塗り替え 市民がノー』中国新聞 1992年8月6日20ページ</ref>、1995年(平成7年)8月に全面的に塗り替えされた<ref>『平和電車の作者のドイツ人画家 新たな創作 また広島で』朝日新聞 1995年8月7日 20ページ(広島版)</ref>。
*[[広島電鉄3000形電車|3000形]]:7編成(3002 - 3008)- 元[[西日本鉄道]][[西鉄1000形電車 (軌道・共通)|1101形・1201形・1301形]]
*[[広島電鉄3100形電車|3100形]]:3編成(3101 - 3103)- [[広島電鉄2500形電車|2500形]]から改造
*[[広島電鉄3500形電車|3500形]]:1編成(3501)
*[[広島電鉄3700形電車|3700形]]:5編成(3701 - 3705)
*[[広島電鉄3800形電車|3800形]]:9編成(3801 - 3809)
*[[広島電鉄3900形電車|3900形]]:8編成(3901 - 3908)
*[[広島電鉄3950形電車|3950形]]:6編成(3951 - 3956)- Green Liner
*[[広島電鉄5000形電車|5000形]]:12編成(5001 - 5012)- GREEN MOVER
*[[広島電鉄5100形電車|5100形]]:10編成(5101 - 5110)- Green mover max


また1972年(昭和47年)より、『電車接近装置』を電停に順次設置を開始<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』230ページ</ref>。発展させる形で、1980年(昭和55年)に広島駅-己斐間に『電車ロケーションシステム』を試験的に採用<ref name="HIRODEN10070_231">『広島電鉄開業100年・創立70年史』231ページ</ref>。1985年(昭和60年)3月までに全電停に整備された<ref name="HIRODEN10070_231"/>。
==== 休車 ====
{{-}}
===== 単行車 =====
550形551号のみ市内線・宮島線の直通許可を受けている。
*[[広島電鉄150形電車|150形]]:1両(156)- [[被爆電車]]
*[[広島電鉄550形電車|550形]]:1両(551)


===== 連結・連接車 =====
===== 軽快電車 =====
[[ファイル:Hiroden-3500.JPG|200px|thumb|1980年に導入された[[広島電鉄3500形電車|3500形]]]]
2000形のみ連結車。
*[[広島電鉄2000形電車|2000形]]:2両(2004=2005)
[[ファイル:Hiroden-800-4.jpg|200px|thumb|1983年に導入された[[広島電鉄800形電車 (2代)|800形]]]]
[[1980年]](昭和55年)に久方ぶりの新車になる[[広島電鉄3500形電車|3500形]]を導入<ref name="konjaku154"/>。[[軽快電車]]のはしりになった<ref>『私鉄の車両3 広島電鉄』8ページ</ref>。当初は開発委員会が所有していたが、1981年(昭和56年)に広電が購入した<ref>『私鉄の車両3 広島電鉄』9ページ</ref>。[[1982年]](昭和57年)より、廃車になった車両の中古モーターを利用したセミ軽快電車[[広島電鉄700形電車 (2代)|700形(2代)]]<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』228ページ</ref>。[[1983年]](昭和58年)より[[広島電鉄800形電車 (2代)|800形(2代)]]<ref name="konjaku154"/>、[[1984年]](昭和59年)より[[広島電鉄3700形電車|3700形]]<ref name="konjaku154"/>、[[1987年]](昭和62年)より[[広島電鉄3800形電車|3800形]]<ref name="konjaku154"/>、[[1990年]](平成2年)より[[広島電鉄3900形電車|3900形]]<ref name="konjaku154"/>、[[1997年]](平成9年)より[[広島電鉄3950形電車|3950形]]<ref name="konjaku154"/>が導入された。[[広島電鉄3800形電車|3800形]]に関しては当時としては珍しい[[可変電圧可変周波数制御|VVVFインバーター制御]]を採用している<ref name="HIRODEN10070_229">『広島電鉄開業100年・創立70年史』229ページ</ref>。


宮島線の車両は、1050形を永久連結化・台車の換装・大型方向幕の装着など更新を行い、1982年(昭和57年)に1090形に改番。1984年(昭和59年)には、宮島線専用車で唯一の冷房化改造も行われた<ref>『私鉄の車両3 広島電鉄』84-85ページ</ref>。しかし直通形の増加により廃車が進み、1980年(昭和55年)に1040形が全車廃車<ref name="konjaku155"/>、1985年(昭和60年)に1030形が全車廃車<ref name="konjaku155"/>、1987年(昭和62年)に1070形が全車廃車<ref name="konjaku155"/>、1989年(平成元年)に1060形と1080形が全車廃車<ref name="konjaku155"/>、[[1991年]](平成3年)に1090形が全車廃車になり、高床車と呼ばれる、宮島線専用車が全廃された<ref name="konjaku155"/>。
==== 廃車等により消滅した形式 ====
===== 単行車 =====
*[[広島電鉄100形電車 (初代)|100形(初代)]]
*[[広島電鉄100形電車 (2代)|100形(2代目)]]
*[[広島電鉄200形電車 (初代)|200形(初代)]]
*[[広島電鉄300形電車|300形]] - 元[[大阪市電]]500形
*[[広島電鉄400形電車|400形]]
*[[広島電鉄450形電車|450形]]
*[[広島電鉄500形電車 (初代)|500形(初代)]] - 元[[京王電鉄|京王電気軌道]][[京王電気軌道23形電車|23形]]
*[[広島電鉄500形電車 (2代)|500形(2代目)]]
*[[広島電鉄600形電車 (初代)|600形(初代)]]
*[[広島電鉄700形電車 (初代)|700形(初代)]]
*[[広島電鉄800形電車 (初代)|800形(初代)]]
*[[広島電鉄1100形電車|1100形]] - 元[[神戸市電]][[神戸市交通局1100形電車|1100形]]


また、1971年(昭和46年)に全車廃車になった二軸単車の復活も行われ、1984年(昭和59年)には地域イベント『Sun Sunひろしま』にあわせて、開業時の電車を復元した[[広島電鉄100形電車 (3代)|100形]]が登場<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』236ページ</ref>。1987年(昭和62年)には被爆電車として[[広島電鉄150形電車|150形]]が車籍を復活させた<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』440ページ</ref>。
===== 連接車 =====
全車が市内線・宮島線の直通許可を受けていた。
*[[広島電鉄70形電車|70形]] - 元[[:de:DSW21 (Verkehr)|ドルトムント都市事業 Dortmunder Stadtwerke AG]]
*[[広島電鉄1300形電車|1300形]] - 元[[西日本鉄道]][[西鉄1000形電車 (軌道・共通)|1301形]]。3000形に改造
*[[広島電鉄2500形電車|2500形]] - 2511-2514は元[[大阪市電]][[大阪市交通局1601形電車|1601形]](2501-2510は自社発注)。3100形に改造


軽快電車の導入で、老朽化の進んでいた[[広島電鉄570形電車|570形]]や[[広島電鉄750形電車|750形]]の多くに廃車が発生。冷房改造されていなかった[[広島電鉄900形電車|900形]]にも廃車が出た。1990年代後半までに一部保存されている単車を除いて冷房化を完了した。
===== 宮島線専用 =====
*[[広島電鉄1000形電車|1000形]]
*[[広島電鉄1000形電車|1010形]]
*[[広島電鉄1000形電車|1020形]]
*[[広島電鉄1030形電車|1030形]]
*[[広島電鉄1000形電車|1040形]]
*[[広島電鉄1050形電車|1090形 ←1050形]] - 元京阪神急行電鉄(現:[[阪急電鉄]]・[[京阪電気鉄道]])[[京阪100形電車|100形・200形]]
*[[広島電鉄1060形電車|1060形]]
*[[広島電鉄1070形電車|1070形]] - 元阪急電鉄[[阪急500形電車|500形]]
*[[広島電鉄1080形電車|1080形]] - 元阪急電鉄[[阪急210系電車|210系]]


1994年(平成6年)には、ラッシュ時に70形を導入。直通列車を除く市内線では初の連接車導入になった<ref name="HIRODEN10070_237">『広島電鉄開業100年・創立70年史』237ページ</ref>。その後、連接車の運行範囲は拡大されていった。
=== 車庫 ===
{{-}}
以前は、宮島口車庫、己斐車庫があった。己斐車庫に関しては[[太田川放水路]]の整備で1960年に廃止。代替として荒手車庫が整備された。宮島口から競艇場前までの本線に並行する留置線は宮島口車庫の名残である
===== 超低床車両の増備と従来車両の廃車 =====
[[ファイル:Hiroden-5000.JPG|200px|thumb|1999年に導入された[[広島電鉄5000形電車|5000形]]]]
[[ファイル:Hiroden-5100-1.jpg|200px|thumb|2004年に導入された[[広島電鉄5100形電車|5100形]]]]
1990年(平成2年)に欧州視察を行うなど、路面電車が急速に見直される中で新時代の公共交通機関を目指して[[ライトレール|LRT]]化に積極的に取り組んでいる<ref name="HIRODEN10070_282">『広島電鉄開業100年・創立70年史』282ページ</ref>。


軽快電車をさらに進化させた、バリアフリー対応の[[超低床電車]]の導入も1990年代から検討され、先行する[[ヨーロッパ]]の主要車両メーカへ日本の気候に合った100%低床車両の可能性を問い合わせていた<ref>『鉄道ピクトリアル』1994年4月号</ref>。[[広島電鉄3950形電車|3950形]]増備の前年時点で、[[アルナ車両|アルナ工機]]・[[住友金属工業]]・[[東洋電機製造]]で検討したが、日本の国産部品を使って、床高を79cmから75cmにするのが限界で、コストの関係で一旦は国産低床車の導入は断念した<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』283-284ページ</ref>。そのことで、先行して実用化していた日本国外のメーカーから輸入する方針に転換<ref name="HIRODEN10070_284">『広島電鉄開業100年・創立70年史』284ページ</ref>。[[アドトランツ]]・[[シーメンス]]・[[アルストム]]などが検討され<ref name="HIRODEN10070_284"/>、[[1999年]](平成11年)より[[ドイツ]]シーメンス製の'''GREEN MOVER'''[[広島電鉄5000形電車|5000形]]を導入した<ref name="konjaku154"/>。5000形は完成が遅れ船便で送った場合に、到着時期が政府の補助金給付期限を過ぎてしまうため、大型[[輸送機]]([[An-124 (航空機)|An-124]])で空輸。[[広島空港]]には鉄道ファンと航空ファンが集まり、マスコミに多く報道された<ref name="HIRODEN10070_284"/>。
*[[江波車庫]]
**[[広島県]][[広島市]][[中区 (広島市)|中区]][[江波 (広島市)|江波]]西1丁目24-29
*[[千田車庫]]
**広島県広島市中区[[千田町 (広島市中区)|東千田町]]2丁目9-29
*[[荒手車庫]]
**広島県広島市[[西区 (広島市)|西区]][[草津地区|草津南]]3丁目6-3


その後、日本国外の車両を使うことで、車両を輸入することでの輸送費の増大<ref name="HIRODEN10070_287">『広島電鉄開業100年・創立70年史』287ページ</ref>、部品を輸入することでコストが高く時間がかかること<ref name="HIRODEN10070_287"/>、そして車両構造が日本での運用を考慮してないこと<ref name="HIRODEN10070_287"/>などの問題で、2001年(平成13年)に『U3プロジェクト』を立ち上げ、日本国産の低床車両の開発を開始<ref name="HIRODEN10070_288">『広島電鉄開業100年・創立70年史』288ページ</ref>。[[2004年]](平成16年)より国産初の100%超低床電車'''Green mover max'''[[広島電鉄5100形電車|5100形]]<ref name="konjaku154"/>を導入し、同年[[12月19日]]には[[江波車庫]](広島市中区[[江波 (広島市)|江波]])に搬入された<ref name="HIRODEN10070_444">『広島電鉄開業100年・創立70年史』444ページ</ref>。また、既存の車両についても出入口に補助ステップ(踏み台)を設置するなど、高齢社会に相応しい公共交通機関を目指している。
== バス事業 ==
[[ファイル:Hiroden Hiroshima200 Ka 0365.JPG|280px|thumb|right|高速バス(グランドアロー号 )26655]]
[[ファイル:Hiroden Hiroshima200 Ka 0512.JPG|280px|thumb|right|高速バス(エアポートリムジン)06663]]
[[ファイル:Hiroshima Electric Railway - Hiroshima 22 ku 3560.JPG|280px|thumb|right|一般路線バス 16651]]
[[ファイル:Hiroden Bus 33902.JPG|280px|thumb|right|一般路線バス 33902]]


それらの超低床車両に入れ替わるように、老朽した自社オリジナルおよび他都市からの移籍車両の廃止が進み、オリジナルの[[広島電鉄500形電車 (2代)|500形]]・[[広島電鉄550形電車|550形]]、旧神戸の[[広島電鉄1100形電車|1100形]]は形式消滅。[[広島電鉄2000形電車|2000形]](自社)は全車両が営業運行を離脱、[[広島電鉄570形電車|570形]](旧神戸)、[[広島電鉄600形電車 (2代)|600形]](旧北九州)、[[広島電鉄1150形電車|1150形]](旧神戸)は残り1両に。これまで事故廃車しか出ていなかった[[広島電鉄650形電車|650形]](自社、被爆車両)にも2両が運用を離脱し(653号は休車・[[江波車庫]]保管、654号は廃車・[[広島市交通科学館]]に保存)、世代交代が進むことになった。650形のようにメディアに取り上げられ、引退式典を行う車両は例外的で、ほとんどの車両は置き換えた車両に問題がないことを確認の上で[[休車]]・[[廃車 (鉄道)|廃車]]・[[解体]]を行っている。
バス事業はバスカンパニーが担当しており、ほぼ[[路線バス]]専業となっている。さらに、市内線は市内バス・都市圏輸送グループ、郊外線・高速バス(県内・県外)は郊外バス・地域輸送グループに分かれている。


2003年(平成15年)には、[[横川駅 (広島県)|横川駅]]を改良<ref name="HIRODEN10070_293">『広島電鉄開業100年・創立70年史』293ページ</ref>。それに合わせて、十日市の連絡線を整備し、[[広電本社前駅|広電本社前]]行きとして7号線が復活した<ref name="HIRODEN10070_293"/>。
=== バス事業の歴史 ===
==== 事業開始、第二次大戦終戦まで ====
広島瓦斯電軌時代の[[1938年]](昭和13年)[[2月1日]]に、'''広島乗合自動車株式会社'''と合併し自動車部を創設したのが、広島電鉄のバス事業の始まりになる。その時より、木炭ガス発生炉使用開始による木炭バスの使用を開始。[[1941年]](昭和16年)8月に、'''広島郊外自動車株式会社'''と合併。[[1943年]](昭和18年)[[4月10日]]に、政府のバス事業統合の方針に伴い、'''三段峡自動車株式会社'''・'''太田自動車株式会社'''・'''平和自動車株式会社'''・'''牧野バス 牧野正男'''・'''丸三自動車株式会社'''・'''合名会社水内自動車商会'''・'''熊野胡子自動車合資会社'''と合併した。1945年(昭和20年)8月6日の原子爆弾により被災。同年8月13日、4台の車両により運行を再開<ref name="HIRODEN8050_R108">『広島電鉄開業80創業50年史』資料編108ページ</ref>して終戦を迎えた。


ハード面では、2000年(平成12年)3月に[[鷹野橋駅|鷹野橋]]の[[バリアフリー]]化を実施。順次、他の電停でも同様の工事を行っている<ref name="HIRODEN10070_443">『広島電鉄開業100年・創立70年史』443ページ</ref>。
==== 第二次大戦後 ====
営業所・車庫網の充実に関しては、[[1946年]](昭和21年)[[7月14日]]に布営業所、[[1949年]](昭和24年)[[1月10日]]に八丁堀営業所、同年[[12月22日]]に吉田車庫(同日に布営業所は廃止)、[[1957年]](昭和32年)[[11月12日]]に基町事務所及び車庫、[[1958年]](昭和33年)9月に呉営業所、[[1961年]](昭和36年)[[6月10日]]に大竹営業所、同年[[8月10日]]に三次車庫、[[1962年]](昭和37年)[[2月15日]]に岩国車庫、[[1965年]](昭和45年)1月に沼田営業所、[[1966年]](昭和41年)[[5月1日]]に小河内整備工場と拡大していった。


<gallery>
県内の同業他社に関しては、[[1950年]](昭和25年)に[[広島バス]]、山佐バス(現 [[広島交通]])が開業している。
ファイル:Hiroden-550.JPG|2006年6月以降営業運用から離脱した550形
ファイル:19990122広島電鉄1100型.jpg|2003年3月に形式消滅した1100形
ファイル:Hiroden-570.JPG|570形584は2006年6月に廃車された。582のみ残る
ファイル:Hiroden-600.JPG|602号の1両のみが残る600形
ファイル:Hiroden-654-1.jpg|2006年6月に一部廃車が発生した650形
ファイル:Hiroden-1150.JPG|1156号の1両のみが残る1150形
ファイル:Hiroshimadentetsu2006.jpeg|2009年10月17日以降営業運用から離脱した2000形
</gallery>
{{-}}


=== 2010年以降の動き ===
買収による事業拡大は、[[1953年]](昭和28年)[[4月10日]]に開業した中国観光バス株式会社を、[[1956年]](昭和31年)[[2月16日]]に買収。
[[ファイル:Hiroden PICCOLA For Eba.JPG|200px|thumb|2013年に導入された[[広島電鉄1000形電車 (2代)|1000形(2代目)]]]]
超低床型電車については、[[2012年]](平成24年)内に5100形を3両編成に短縮して追加導入する計画がある。[[中国新聞]]2012年11月23日付けの報道<ref>[http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201211230029.html 白島-江波に路面電車検討] - 中国新聞2012年11月23日</ref>によると、同車両は[[2013年]](平成25年)2月から[[広島電鉄白島線|白島線]]に導入され、白島線と[[広島電鉄江波線|江波線]]を直通する系統として運行する計画があることが報じられている。また、2012年12月18日付けの広電のプレスリリース<ref>{{PDFlink|[http://www.hiroden.co.jp/pdf/1001_1002.pdf HIRODEN ニュースリリース 平成24年12月18日]}}</ref>によると、2013年2月14日に3車体2台車の2編成(1001号・1002号)が登場し、うち1編成はタイアップラッピングが施されることが明らかにした。2013年2月6日に、[[広島電鉄1000形電車 (2代)|1000形(2代目)]]を同年2月15日から導入すると発表した<ref>[http://www.hiroden.co.jp/what/new/topic.htm ★新型超低床車両1000形の営業運行開始について] - 広島電鉄 2013年2月6日</ref>。


2012年8月には、低床車両更新や電停改修のため20円から30円ほどの値上げを検討していることを明らかにし<ref>[http://www.asahi.com/travel/rail/news/OSK201208240134.html 路面電車、値上げ検討 広島電鉄、20〜30円想定] - 朝日新聞 2012年8月24日</ref>、同年11月の時点で値上げする方針であると明らかにした<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNZO48165000X01C12A1LC0000/ 広島電鉄、来年にも路面電車値上げ] - 日本経済新聞 2012年11月8日</ref>。
関連会社の拡大についても1962年(昭和37年)11月28日に[[備北交通]]、1964年(昭和39年)3月28日には[[芸陽バス]]に資本参加した<ref name="HIRODEN8050_R116">『広島電鉄開業80創業50年史』資料編116ページ</ref>。


[[2011年]](平成23年)[[4月11日]]の市内線ダイヤ改正により、3号線は朝ラッシュまでは 広電西広島 - 広島港間で運行し、その後は 広電西広島 - 宇品二丁目間に区間を短縮して運行するようになった<ref>[http://www.hiroden.co.jp/what/new/topic1101-03.htm#110324_streetca 広電 最新情報 【電車】4/11(月) ダイヤ改正を実施します] - 広島電鉄、2011年3月24日。</ref>。同年[[7月11日]]の市内線ダイヤ改正により、5号線は原則、広島駅 - 広島港間で運行して、日中12分間隔となった<ref>[http://www.hiroden.co.jp/what/new/topic1104-06.htm#110622_train 広電 最新情報 【電車】5号線のダイヤ改正を実施します] - 広島電鉄、2011年6月22日。</ref>。
路線網に関しては、1956年(昭和31年)[[1月9日]]の志屋線開通で1000km、1961年(昭和36年)[[8月4日]]の鶉木線開通で1500kmとバスの全免許路線を拡大していった(2011年(平成23年)3月31日時点の[[営業キロ]]は、1191.9km <ref name="E04123_102" />)。


[[2013年]](平成25年)[[1月8日]]、越智秀信を代表取締役社長から取締役に降格。椋田昌夫専務が社長に就任した<ref>[http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201301080156.html 【速報】広電社長に椋田専務 越智社長は取締役に] - 中国新聞 2013年1月8日</ref><ref name="PDF20130108"/>。事実上の解任とされ、理由は『代表取締役の独断的業務執行による、会社組織として業務に支障が出ているため』とし、詳細な理由説明はされなかった<ref>[http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201301090033.html 広電、越智社長を突然の解任] - 中国新聞 2013年1月9日</ref><ref name="PDF20130108"/>。臨時取締役会は、越智・社外取締役が欠席で、常勤役員全員出席で行われた<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASJB09002_Z00C13A1000000/ 広島電鉄前社長「解任の過程全くわからない」 ] - 日本経済新聞 2013年1月9日</ref>。その後、社長に就任した椋田は、越智が運賃値上げや広島駅前新線などの計画を取締役会にかけずに公表したことを解任理由とし、それらの計画について白紙に戻すなど見直すことを明らかにした<ref name="NHK20130109">[http://www.nhk.or.jp/lnews/hiroshima/4004663891.html 社長降格 “独善的”が理由] - NHK広島放送局2013年1月9日</ref>。
バスの動力に関しては、終戦直後はガソリン車や代用燃料の木炭車を使用していたが、[[1947年]](昭和22年)[[6月30日]]より木炭・薪ガス発生炉搭載のバスを使用開始し、[[1948年]](昭和23年)[[7月24日]]からは、ディーゼルエンジンを搭載したバスの使用を開始した。燃料事情の改善より[[1952年]](昭和27年)[[2月29日]]には、木炭・薪ガス車は廃止。さらに燃料の切り替えより1956年(昭和31年)[[4月17日]]には、ガソリン車の使用を廃止した。


2012年(平成24年)11月23日に電車開業100周年を迎えるのに伴い、同年5月12日から全面広告車を除く全車に100周年記念のヘッドマークが掲出されている。
その他の、バスの質的改善に関しては、1958年(昭和33年)[[10月7日]]に初の空気バネ車、[[1960年]](昭和35年)[[7月19日]]に冷房車、1961年(昭和36年)[[7月7日]]に自動ドア、[[1979年]](昭和54年)[[2月27日]]には、市内路線バスにも同社初の冷房車を20台導入。[[1998年]](平成10年)には、ノンステップバスの導入開始。2006年(平成18年)に天然ガスノンステップバスの導入を行っている。


==== 昭和40年代バス事業再編計画 ====
==== 信用乗車方式検討 ====
2013年(平成25年)度以降の本格導入を目指し2011年(平成23年)には[[信用乗車方式]]の社会実験を予定していると報道されていた<ref>{{Cite news |url=http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201004150029.html|archiveurl=http://megalodon.jp/2010-0416-2052-31/www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201004150029.html|title=路面電車で「信用乗車」実験 |publisher=中国新聞|date=2010-04-15|archivedate=2010-04-16 |accessdate=2012-03-11}}</ref>。2012年(平成24年)2月15日から3月31日までの間、3両連接車([[広島電鉄3700形電車|3703号]]・[[広島電鉄3900形電車|3906号]])の中扉にも降車用のICリーダー機を設置し、ICカード(PASPY・ICOCA)の利用者に限り全扉から乗降できるようにして社会実験が行われた<ref>[http://www.hiroden.co.jp/what/new/topic.htm#120209_doors 広電 最新情報 ICカード全扉乗降試験車両の運行について] - 広島電鉄、2012年2月9日。</ref>。
昭和40年代には、広島電鉄・[[広島バス]]・[[広島交通]]・[[芸陽バス]]・[[備北交通]]による5社合併が模索された。[[1967年]](昭和42年)から[[1968年]](昭和43年)にかけて、合併についてのバス運営協議会を設置。利害関係の不一致で合意に至らなかった。その後、既に系列化しているとされた芸陽バス・備北交通を除く3社で再度協議を行ったが、広島交通が離脱。[[1969年]](昭和44年)4月に一度目の広島バスとの経営統合協議が行われたが成立しなかった<ref name="HIRODEN8050_H138">『広島電鉄開業80創業50年史』本編138ページ</ref>。


=== 新線・延伸計画 ===
その後、[[1971年]](昭和46年)[[8月25日]]の広島バスの臨時株主総会で、[[帝産観光バス|帝産オート]]との提携関係を解消<ref name="HIROBUS60_22">『広島バス60年史』22ページ</ref>。同年[[9月9日]]に、[[広島商工会議所]]で行われた会見で、広島電鉄が広島バスに資本参加を行い、70%の株式取得、同年10月以降より新体制で運営することを発表した<ref>『広電が広島バスへ70%の資本参加 経営合理化で合理化図る』- 中国新聞 朝刊 1971年9月10日 1ページ</ref><ref group = "補足">『広島バス60年史』85ページには9月8日、『広島電鉄開業80創業50年史』本編138ページには9月10日とある。</ref>。また、その経営参加は5社合併への第一歩とされた。当時の広島バスは[[帝産観光バス|帝産]]の傘下で、広島バスの社長の説得で実現した<ref>『五社合併への第一歩 解説 広島電鉄の広島バスへの資本参加』- 中国新聞 朝刊 1971年9月10日 7ページ</ref>。その後の会議で、広島バス株式の85%の譲渡が決まり、広島バスに役員を派遣した<ref name="HIRODEN8050_H138" /><!--『広島電鉄開業80創業50年史』本編138ページ-->。
広島電鉄は、[[1997年]](平成9年)9月に広島駅と広電西広島の間を平和大通り・駅前通り・[[駅前大橋 (広島市)|駅前大橋]]を介して結ぶ路線を新設する計画を発表して免許を申請した。広島駅と広電西広島の間は2号線で結ばれているが、途中に交差点を抱えて路線はクランク状に折れ曲がるため、長大列車を運行する上の課題となっている。平和大通りは幅が大変広く、複線軌道を敷設するには十分である。これにより、クランクを回避できると長大編成による拠点間の高速運行が可能となり、利便性が格段に向上するとされる。


発表直後から広島市や市民、運輸審議会を交えた折衝が数度にわたって行われたが、当時の広島市は、[[広島高速交通広島新交通1号線|アストラムライン]]による東西線建設を希望していた。しかし、広島市は巨額の財政赤字を抱え、新球場建設等の大型事業に着手、既存のアストラムラインの大幅な赤字、国による路面電車の[[ライトレール|LRT]]化の推進方針も重なり、既存の路面電車やバスを改善していく方向に公共交通機関の整備計画が見直された。さらに広島電鉄は、[[2002年]](平成14年)頃までに数度にわたって修正した計画案(最終案では、平和大通り西端の[[西観音町駅|西観音町電停]] - [[広島電鉄江波線|江波線]]までのみ敷設)を発表したが、広島市による[[緑大橋]]の架け替え費用等の資金面で目途が立たず、[[2008年]](平成20年)現在では、同計画は棚上げ状態にある。
経営統合の成果として、広島バス・広島電鉄間の路線調整、広島バスが運営していた宮島の観光船事業『広島観光汽船』を『宮島松大観光船』に譲渡が行われた<ref name="HIROBUS60_23">『広島バス60年史』23ページ</ref>。


2010年(平成22年)6月29日の広島電鉄の取締役会で社長に就任した越智秀信は就任前の5月12日、JR広島駅と広島市南区稲荷町を結ぶ路面電車の新路線「駅前大橋線」の、2016 - 17年の運行開始を目指す考えを明らかにした<ref>{{Cite news |url=http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201005130131.html|archiveurl=http://megalodon.jp/2010-0516-0911-16/www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201005130131.html|title=広電駅前大橋線、16―17年に開通 次期社長が方針|publisher=中国新聞|date=2010-05-13|archivedate=2010-05-13|accessdate=2012-03-11}}</ref>。
これに対して、[[公正取引委員会]]は[[1972年]](昭和47年)2月より調査を開始。同年[[9月17日]]に[[私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律]](独占禁止法)上の競争の実質的制限にあたるとして排除勧告を行った。その後の審判を経て、[[1973年]](昭和48年)[[7月17日]]に、広島電鉄から派遣役員の辞任、広島バスの株式の大半(85000株)の処分で同意審決した<ref name="HIRODEN8050_H139">『広島電鉄開業80創業50年史』本編139ページ</ref>。それに伴い、広島バスに派遣されていた役員4人は辞任、同年[[8月9日]]には広島バス株式の約77%を株式会社[[増岡組]]に譲渡した<ref name="HIROBUS60_23" /><ref name="HIROBUS60_86">『広島バス60年史』86ページ</ref><ref>『ケースブック独占禁止法』金井貴嗣・川濱昇・泉水文雄編、弘文堂、2006年。</ref>。同意審決後も広島電鉄は広島バスの19.2%の株式を保有する第2位の株主である(2012年(平成24年)3月での広島バスの筆頭株主は[[鉄鋼ビルディング]]で、親会社の増岡組を含めると約65%の株を所有している <ref name="HIRODEN20120309" />)。


その後、乗り入れ方法についてJR側は広島駅建て替えを含めた高架乗り入れ、広電側は地下乗り入れを希望しているとされた<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNZO49870070R21C12A2LC0000/ 「広電、高架化望ましい」 広島駅乗り入れでJR西支社長] - 日本経済新聞 2012年12月22日</ref>。その後、2013年1月の越智社長の解任で、方針を見直すとされ<ref name="NHK20130109"/>、同月18日に高架式に方針転換すると社長が明らかにした<ref>[http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201301190050.html 広電、高架案に方針転換] - 中国新聞 2013年1月19日</ref>。
==== 2000年以降 ====
これまで自社で行っていた観光バス事業は、一部をのぞき関連会社の[[広電観光]]に移管されたが、広電観光の観光バス部門廃止により[[エイチ・ディー西広島]](ボン・バス)に再度移管された。


[[広島市]]は学識経験者等で構成する「広島駅南口広場再整備に係る基本方針検討委員会」を設置し、[[2010年]](平成22年)8月31日に第1回会合が開催され、路面電車の駅前大橋ルートを含めて、検討が行われている<ref>[http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1285578941347/ 広島駅南口広場再整備に係る基本方針検討委員会]</ref>。
[[2012年]](平成24年)3月9日、広島バスが所有する芸陽バスの全株式を取得し芸陽バスを連結子会社とした<ref name="HIRODEN20120309" />。それにより、ボン・バス・[[芸陽バス]]や[[備北交通]]が広電系列のバス会社になっている。


===== 呉市営バス廃止伴う路線譲受 =====
=== なった路線 ===
広島瓦斯電気時代に、広島から呉間の鉄道路線敷設を計画。[[1919年]](大正8年)12月20日に申請。計画では、呉側の終点は三津田橋周辺を計画。さらに、本通りまで軌道路線敷設の特許申請を行っていた<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』68ページ</ref>。その時は、省線([[呉線]])との競合路線になることより却下された<ref name="HIRODEN10070_68">『広島電鉄開業100年・創立70年史』68ページ</ref>。その後、路線短縮を行い広島から船越間に変更し、[[1926年]](大正15年)2月18日に免許を取得した<ref name="HIRODEN10070_69">『広島電鉄開業100年・創立70年史』69ページ</ref>。[[日本製鋼所広島製作所]]への通勤輸送を目的にしたが、当初の南側の路線計画では、川船の往来の妨害になることより断念<ref name="HIRODEN10070_69"/>。その後計画された北側の路線計画では、省線と競合路線になることで、たびたび申請されていた工事着工延期申請を却下<ref name="HIRODEN10070_69"/>。[[1931年]](昭和6年)8月5日に免許は失効した<ref name="HIRODEN10070_69"/>。電車宮島(現[[広電宮島口駅|広電宮島口]])から岩国への路線敷設申請も行われたが免許取得は出来なかった<ref name="HIRODEN10070_69"/>。また、[[横川駅 (広島県)|横川]]から[[甲田町]](現・[[安芸高田市]])の[[甲立駅|甲立]]までの路線計画も存在した<ref name="HIRODEN10070_69"/>。
[[呉市交通局]](呉市営バス)がマイカー、バイク、自転車の普及等の影響による利用者減少で赤字が続き、2012年(平成24年)4月にバス事業を廃止する方針を2010年(平成22年)9月8日に明らかにした<ref name="mainichi20100909">{{Cite news |url=http://mainichi.jp/area/hiroshima/news/20100909ddlk34010508000c.html|archiveurl=http://megalodon.jp/2010-0911-2253-06/mainichi.jp/area/hiroshima/news/20100909ddlk34010508000c.html|title=呉市:バス事業、12年4月に民間移譲へ 来月から事業者を公募 /広島|publisher=毎日.jp|date=2010-09-09|archivedate=2010-09-11|accessdate=2012-04-02}}</ref>。2010年(平成22年)11月上旬に事業者が募集されると広島電鉄と中国ジェイアールバスが説明会に出席し<ref name="mainichi20101022">{{Cite news |url=http://mainichi.jp/area/hiroshima/news/20101022ddlk34010631000c.html|archiveurl=http://megalodon.jp/2010-1023-0724-20/mainichi.jp/area/hiroshima/news/20101022ddlk34010631000c.html|title=呉市:バス民営化、説明会に2社参加 /広島|publisher=毎日.jp|date=2010-10-22|archivedate=2010-10-23|accessdate=2012-04-02}}</ref>、応募した。その後に選定委員会が書類・プレゼンテーションで審査した結果、30日の市議会公共交通問題対策特別委員会で委譲先を広島電鉄と決定した。2012年(平成24年)4月1日から呉市交通局のバス全路線を譲受し<ref name="HIRODEN20101220" />運行を開始した<ref name="chugoku-np20120402">{{Cite news |url=http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201204020114.html|title=呉の広電バス、運行開始|publisher=中国新聞|date=2012-04-02|accessdate=2012-04-02}}</ref>。


また、[[広島商工会議所]]が[[1927年]](昭和2年)に発刊した『大広島の建設』で、横川線を延伸して江波に至る路線(後に[[広島電鉄江波線|江波線]]として実現)、的場町から段原町を経由して鷹野橋に至る路線(後に[[広島電鉄皆実線|皆実線]]として実現)、己斐から観音橋・住吉橋・鷹野橋を経由して段原町に至る路線、横川から白島を経由して[[広島駅]]に至る路線、猿猴橋から尾長町を経由して府中に至る路線が提案され、それを受けて広島瓦斯電軌は青写真を作成し検討されたが、大半は実現しなかった<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』60ページ</ref>。
=== 各営業課・出張所(車庫)の所在地 ===
==== 市内・都市圏輸送グループ ====
*江波営業課(6、ただし貸切車は3)
**[[広島県]][[広島市]][[中区 (広島市)|中区]][[江波 (広島市)|江波]]西1丁目24番29号
*曙営業課(7)
**広島県広島市[[東区 (広島市)|東区]]曙1丁目7番1号
*[[広島電鉄仁保営業課|仁保営業課]](5)
**広島県広島市[[南区 (広島市)|南区]]仁保沖町1番92号


さらに、戦時中の[[1945年]](昭和20年)7月に、[[三菱重工業]]広島機械製作所への行員輸送のため、[[天満町駅|天満町]]から昭和新開(現・観音新町)間(約3km)の特許を得た。資材に関しては、三菱重工業からの提供および[[広島電鉄白島線|白島線]]の単線化でまかなうとされた<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』99ページ</ref>。しかし、同年8月の[[広島市への原爆投下]]で、市内線は壊滅的な被害を受け工事に着手できず、[[1959年]](昭和34年)に起業廃止申請を行い特許は失効した<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』99-100ページ</ref>。
==== 郊外・地域輸送グループ ====
*広島南営業課(1)・広島西営業課(1)
**[[広島県]][[広島市]][[中区 (広島市)|中区]]西白島町24番9号
*熊野出張所(1)
**広島県[[安芸郡 (広島県)|安芸郡]][[熊野町]]柿迫2番2号<ref>[http://www.town.kumano.hiroshima.jp/www/contents/1258444193468/index.html 平成21年度第3次 住居表示実施について] 熊野町公式ウェブサイト</ref>
*廿日市出張所(1)
**広島県[[廿日市市]]宮園上3丁目9番22号
*広島北営業課(2、ただしエアポートリムジン専用車は0)・広島中営業課(2)
**広島県広島市[[西区 (広島市)|西区]]小河内町2丁目18番1号
*広島北営業課安佐出張所(2)
**広島県広島市[[安佐北区]]安佐町大字飯室1576番地
*広島北営業課吉田出張所(2)([[備北交通]]吉田営業所と敷地を共用)
**広島県[[安芸高田市]]吉田町吉田1824番地2


==== 呉輸送グループ ====
=== 鉄軌道車両 ===
==== 現用車両 ====
*呉中央営業課(9)
===== 単行車 =====
**広島県[[呉市]]築地町2-8
貨50形は事業用。350形のみ市内線・宮島線直通許可を受けている。現在の運用はすべて市内線のみとなっている。
*警固屋出張所(9)
**広島県呉市警固屋町4-9-1
*広営業課(9)
**広島県呉市広白岳5-1-28
*焼山営業課(9)
**広島県呉市焼山北3丁目1-12

=== 高速バス ===
詳細は当該路線の記事並びに[[#外部リンク]]の広島電鉄サイトならびに[[備北交通]]サイトを参照。
;自社便を運行(県外)
:[[メリーバード号 (広島 - 米子線)|メリーバード号]](広島 - 米子)
:[[グランドアロー号]](広島 - 松江)
:[[いさりび号]](広島 - 浜田・有福温泉)
:[[新広益線]](広島 - 益田)
;自社便を運行(県内)
:[[エアポートリムジン (広島空港線)|エアポートリムジン]](広島駅新幹線口 - 広島空港/広島バスセンター - 中筋駅 - 広島空港)
:[[クレアライン (高速バス)|クレアライン]](広島 - 呉)
:[[広島 - 三次 - 庄原 - 東城線]](広島 - 三次のみ)

==== 過去に運行していた高速バス ====
[[ファイル:Hiroshimadentetsubus-29621.JPG|240px|thumb|right|夜行高速バス(ニューブリーズ号)29621]]
*[[ニューブリーズ号]](広島 - 東京)
**共同運行:[[中国ジェイアールバス|中国JRバス]]・[[小田急シティバス]]・[[ジェイアールバス関東|JRバス関東]]
***2008年6月1日出発便をもって撤退し、現在は小田急シティバス担当便の運行支援業務を行っている。中国JRバス・小田急シティバスの2社は現在も運行。
*ファンタジア号(広島 - 名古屋)
**共同運行:[[名古屋鉄道]](現[[名鉄バス]])
*加計 - 安佐(飯室) - 広島北IC - 千代田 - 三次 - 庄原 - 東城 - 大阪(新大阪)
**共同運行:[[中国バス]]・[[阪急バス]]
***中国バス・阪急バスの2社は現在も運行。
***1984年の開設当時、新大阪 - 加計間は日本最長距離の昼行高速バスだった。
***夏・冬の長期休暇シーズンに、広島BC - 千代田 - 新大阪の臨時便が運行されたこともあった。
*[[メリーバード号 (広島 - 鳥取線)|メリーバード号]](広島 - 鳥取)
**共同運行:[[日本交通 (鳥取)]]・[[日ノ丸自動車]]
***1994年に共同運行から撤退、発券業務のみ。
*[[ミリオン号]](広島 - 北九州・福岡)
**共同運行:[[西日本鉄道]]
*広島 - 吉和 - 鹿野 - 山口米屋町 - 湯田温泉通
**共同運行:[[防長交通]]
***当時は[[山陽自動車道]]が開通しておらず、[[中国自動車道]]経由であった。
***いったん路線廃止されたが、後に山陽道経由で防長交通の単独運行で復活([[広島 - 徳山・防府・山口・萩線]])。発券業務は[[広交観光]]へ。
*広島 - 吉和
**上記広島 - 山口の区間便ではなく、直通一般路線バスの載せ替えであった。
**吉和IC利用の直通便ではなく戸河内ICを利用し、戸河内-吉和間は下道運行であった。
*広島 - 帝釈峡 - 神竜湖(季節運行)
*広島 - 江津
**共同運行:[[石見交通]] 浜田・有福温泉を経由。
*広島 - 益田
**共同運行:石見交通 浜田・周布を経由。

=== 一般路線バス ===
会社のコーポレートカラーである緑色に塗られているため、'''青バス'''と呼ばれる。すべての座席が[[優先席|優先座席]]とされている。

2007年に新型[[運賃箱]]を郊外線に導入した。同年に市内線では旧型運賃箱のまま[[PASPY]]のカードリーダーを設置した。

[[広島交通]]と共通定期券の発行を行っており、一部のバス(広島駅・広島バスセンターから[[国道54号]]線を経由するバスの大半)で利用可能となっている。


{| class="wikitable" style="font-size:small"
詳細な運行案内は[[#外部リンク]]の広島電鉄サイトを参照。

==== 環境定期券制度 ====
広電バスの通勤[[定期乗車券|定期券]]を持っている本人と、同伴する同居家族が大人100円・小児50円で広電バスを利用できる[[環境定期券]]制度がある。運賃の支払いは現金・[[PASPY]]・[[ICOCA]]が使用できる。

定期券を持っている本人については、定期券区間の場合は本人をのぞく同伴者人数分の運賃を、定期券区間外または定期券区間から区間外まで乗車する場合には、本人と同伴者人数分の運賃を、下車の際、乗務員に定期券を提示の上「環境定期券で○人分です」と伝え運賃を支払う。

*利用可能定期券:広電バスの通勤定期券のみ。通学定期券や広電電車の定期券、広島空港リムジンバスの専用定期券、クレアラインの専用定期券では利用できない。
*利用可能日:土曜、日曜、祝祭日、年末年始(12月29日 - 1月4日)、お盆(8月13日 - 16日)に限られている。
*利用可能路線:原則としては広電バスの全路線。ただし、高速バス、広島空港リムジンバス、クレアライン、深夜バス、Jリーグやコンサート等のシャトルバスでは利用できない。また、広電電車でも利用はできない。

==== 市内線 ====
市内線には[[系統番号]]が与えられているが、路線名を系統番号ごとに「○○号線」と称する<ref group = "補足" name="HIRODEN8050_R114">『広島電鉄開業80創業50年史』資料編114ページによれば、1960年(昭和35年)1月1日からバス市内線に「号線制」を導入。</ref>のが特徴となっている(広島バスも同様)。同一系統の経路・行き先違いは系統番号の枝番で区別している。なお、1号線・9号線・11号線・14号線・15号線・50号線は現在欠番となっている(かつての11号線にあたる区間は、現在は子会社のエイチ・ディー西広島が運行し、広電だった時代は西区役所までだったが、現在は八丁堀まで延長された。50号線は現在も広島バスが運行)
{| class=wikitable
!nowrap|路線名称
!nowrap|系統番号
!行先
!特記事項
|-
|-
!style="width:8em;"|形式名
!rowspan="11"|2号線
!style="width:7em;"|<small>導入初年</small>
!2-1
!style="width:4em;"|<small>導入<br />車両数</small>
|県庁前 - [[紙屋町・八丁堀|八丁堀]] - [[広島駅のバスのりば|広島駅]] - 曙町 - 府中永田
!style="width:9em;"|導入車番
|永田方面の終点は「府中永田転回場」(府中永田の70m先)
!style="width:4em;"|<small>在籍<br />車両数</small>
!style="width:9em;"|在籍車番
! |備考
|-
|-
|[[広島電鉄貨50形電車|貨50形]]||1979年<ref name="konjaku147">『広電が走る街今昔』147ページ</ref>||2||51,52||2||51,52||[[広島電鉄750形電車|750形]]758,759から改造
!2-2
|県庁前 - 八丁堀 - 広島駅 - 曙町 - えのみや - 府中山田
|
|-
|-
|[[広島電鉄100形電車 (3代)|3代目100形]]||1984年<ref name="konjaku147"/>||1||101||1||101||開業時車両の復元車
!2-5
|県庁前 - 八丁堀 - 広島駅 - 曙町 - [[広島県立安芸府中高等学校|安芸府中高校]]入口 - 府中ニュータウン
|rowspan="2"|両者の違いは府中南公民館経由の有無
|-
|-
|[[広島電鉄200形電車 (2代)|2代目200形]]||1988年<ref name="konjaku147"/>||1||238||1||238||元[[ハノーファーLRT|ハノーバー市電]]
!2-6
|県庁前 - 八丁堀 - 広島駅 - 曙町 - 府中南公民館 - 安芸府中高校入口 - 府中ニュータウン
|-
|-
|[[広島電鉄850形電車|350形]]||1958年<ref name="konjaku141">『広電が走る街今昔』141ページ</ref>||3||351-353||3||351-353||旧形式名850形、旧直通車
!rowspan="2"|2-7
|県庁前 - 八丁堀 - 広島駅 - 曙町 - 大須 - 温品4丁目
|
|-
|-
|[[広島電鉄570形電車|570形]]||1971年<ref name="konjaku141"/>||17||571-587||1||582||元[[神戸市電]][[神戸市交通局500形電車|500形]]
|府中山田 → 本町4丁目 → 曙町 → 広島駅 → 八丁堀 → 県庁前
|平日午前中の県庁前行き2便のみ
|-
|-
|[[広島電鉄600形電車 (2代)|2代目600形]]||1976年<ref name="konjaku141"/>||3||601-603||1||602||元[[西日本鉄道]][[西鉄500形電車 (軌道)#北九州線500形|500形]]
!2-8
|府中(永田・山田・ニュータウン)/温品4丁目 → 曙町 → 広島駅 → 八丁堀 → 紙屋町 → 市役所
|平日午前中の市役所行きのみ
|-
|-
|[[広島電鉄650形電車|650形]]||1942年<ref name="konjaku142">『広電が走る街今昔』142ページ</ref>||5||651-655||3||651-653||[[被爆電車]]
!2-9
|府中ニュータウン → 府中南公民館 → 府中ニュータウン
| 平日朝1便のみ
|-
|-
|[[広島電鉄700形電車 (2代)|2代目700形]]||1982年<ref name="konjaku142"/>||11||701-707,711-714||11||701-707,711-714||701-707は750形の廃車モーターを利用
!2-10
|府中ニュータウン → 府中南公民館 → 安芸府中高校
|平日朝1便のみ
|-
|-
|[[広島電鉄750形電車|750形]]||1965年<ref name="konjaku142"/>||22||751-772||6||761-763,768,769,772||元[[大阪市電]][[大阪市交通局1601形電車|1601形]]・[[大阪市交通局1651形電車|1651形]]・[[大阪市交通局1801形電車|1801形]]
!2-11
|県庁前 - 八丁堀 - 広島駅 - 曙町 - キリンビアパーク広島・[[イオンモール広島府中|イオンモール広島府中]] - えのみや - 府中山田
|2-2との経由地違い
|-
|-
|[[広島電鉄800形電車 (2代)|2代目800形]]||1983年<ref name="konjaku142"/>||14||801-814||14||801-814||
!2-12
|府中ニュータウン → 府中南公民館 → 曙町 → 広島駅 → 八丁堀 → 紙屋町 → 市役所前
|平日朝1便の市役所前行きのみ
|-
|-
|[[広島電鉄900形電車|900形]]||1969年<ref name="konjaku143">『広電が走る街今昔』143ページ</ref>||14||901-914||9||904-907,910-914||元大阪市電[[大阪市交通局2601形電車|2601形]]
!rowspan="3"|3号線
!3
|広島駅 - 八丁堀 - 市役所前 - 観音本町 - 南観音7丁目 - 総合グランド入口 - 飛行場入口 - 観音[[マリーナホップ]]
|rowspan="2"|両者の違いは終点のみ。平日ダイヤの広島駅発の一部便に南観音7丁目止あり。
|-
|-
|[[広島電鉄1150形電車|1150形]]||1971年<ref name="konjaku143"/>||7||1151-1154,1156-1158||1||1156||元神戸市電[[神戸市交通局1150形電車|1150形]]、1158は1155に改番
!3-1
|広島駅 - 八丁堀 - 市役所前 - 観音本町 - 南観音7丁目 - 総合グランド入口 - 飛行場入口 - [[広島西飛行場]]
|-
|-
|[[広島電鉄1900形電車|1900形]]||1977年<ref name="konjaku143"/>||15||1901-1915||15||1901-1915||元[[京都市電]][[京都市交通局900形電車#1900形時代|1900形]]
!急行
|}
|広島駅 → (ノンストップ) → 八丁堀 → 紙屋町 → 市役所

|平日朝の市役所行きのみ
===== 連接車 =====
全車が市内線・宮島線の直通許可を受けている。ほとんどの車両が、市内線・宮島線直通運用されているが、現在3000形は市内線のみ、3500形は宮島線のみの運用になっている。3100形から3900形までは、宣伝車以外はほぼすべて'''ぐりーんらいなー'''となっている。

{| class="wikitable" style="font-size:small"
|-
|-
!style="width:8em;"|形式名
!rowspan="3"|4号線
!style="width:7em;"|<small>導入初年</small>
!rowspan="3"|4
!style="width:4em;"|<small>導入<br />編成数</small>
|県庁 - 八丁堀 - 広島駅 - 東本浦 - 渕崎 - [[広島電鉄仁保営業課|仁保車庫]]
!style="width:4em;"|<small>導入<br />車両数</small>
|
!style="width:10em;"|導入編成番
!style="width:4em;"|<small>在籍<br />編成数</small>
!style="width:4em;"|<small>在籍<br />車両数</small>
!style="width:10em;"|在籍編成番
!style="width:10em;"|愛称
! |備考
|-
|-
|[[広島電鉄3000形電車|3000形]]||1979年<ref name="konjaku144">『広電が走る街今昔』144ページ</ref>||8||24||3001-3008||7||21||3002-3008||-||元[[西日本鉄道]][[西鉄福岡市内線|福岡市内線]][[西鉄1000形電車 (軌道・共通)|1101形・1201形・1301形]]より改造
|県庁 - 八丁堀 - 広島駅 - 東本浦 - 仁保南 - 仁保車庫
|
|-
|-
|[[広島電鉄2500形電車|3100形]]||1985年<ref name="konjaku144"/>||3||9||3101-3103||3||9||3101-3103||ぐりーんらいなー||[[広島電鉄2500形電車|2500形]](新製車グループ)より改造
|県庁 - 八丁堀 - 広島駅 - 東本浦 - 向洋新町車庫(洋光台)
|
|-
|-
|[[広島電鉄3500形電車|3500形]]||1980年<ref name="konjaku144"/>||1||3||3501||1||3||3501||ぐりーんらいなー||[[軽快電車]]第一号
!rowspan="5"|5号線
!rowspan="2"|5-1
|東浄小学校 → 戸坂 → 牛田本町1丁目 → 新幹線口 → 広島駅
|平日朝1便、広島駅行きのみ。かつては平日夕方に東浄行きがあった
|-
|-
|[[広島電鉄3700形電車|3700形]]||1984年<ref name="konjaku145">『広電が走る街今昔』145ページ</ref>||5||15||3701-3705||5||15||3701-3705||ぐりーんらいなー||
|牛田早稲田 → 牛田本町 → 広島駅 → 段原中央 → [[広島大学病院|大学病院]]
|広島駅止め、広島駅始発や、牛田本町を経由しない直行便もあり。
|-
|-
|[[広島電鉄3800形電車|3800形]]||1986年<ref name="konjaku145"/>||9||27||3801-3809||9||27||3801-3809||ぐりーんらいなー||
!rowspan="2"|5-2
|大学病院 →段原南 → 広島駅 → 新幹線口 → 牛田本町 → 牛田早稲田
|広島駅止め、始発あり。
|-
|-
|[[広島電鉄3900形電車|3900形]]||1990年<ref name="konjaku145"/>||8||24||3901-3908||8||24||3901-3908||ぐりーんらいなー||
|牛田早稲田 → 牛田本町 → 広島駅 → 新幹線口 → 牛田本町 → 牛田早稲田
|循環バス。逆廻りはなし
|-
|-
|[[広島電鉄3950形電車|3950形]]||1997年<ref name="konjaku145"/>||6||18||3951-3956||6||18||3951-3956||Green Liner||
!急行
|広島駅 → 皆実町1丁目 → 出汐町 → 大学病院
|平日朝3便。土曜・休日運休。
|-
|-
|[[広島電鉄5000形電車|5000形]]||1999年<ref name="konjaku146">『広電が走る街今昔』146ページ</ref>||12||60||5001-5012||12||60||5001-5012||GREEN MOVER||
!rowspan="7"|6号線
!rowspan="2"|6
|牛田早稲田 → 牛田旭 → 八丁堀 → 市役所前 → 舟入本町 → 江波営業所 → 江波三菱前 → 江波営業所
|方向幕は「江波営業所」行き。牛田旭を経由しない便(朝晩)、牛田旭始発便(平日朝のみ)あり。市役所前、大手町四丁目止め区間便あり(平日朝のみ)。
|-
|-
|[[広島電鉄5100形電車|5100形]]||2005年<ref name="konjaku146"/>||10||50||5101-5110||10||50||5101-5110||Green mover max||
|牛田早稲田 → 牛田旭 → 八丁堀 → 市役所前 → 舟入本町 → 江波営業所 → 江波三菱前
|方向幕は「江波」行き。牛田旭を経由しない便(朝晩)、牛田旭始発便(平日朝のみ)あり。上記との違いは、江波三菱で方向幕を牛田方面行きに変え、そのまま牛田早稲田(牛田旭)まで運行すること。
|-
|-
|[[広島電鉄1000形電車 (2代)|2代目1000形]]||2013年||2||6||1001-1002||2||6||1001-1002||PICCOLO<br />PICCOLA||
!rowspan="3"|6-1
|}
|牛田早稲田 → 牛田旭 → 八丁堀 → 市役所前 → ≪かきうち通り≫ → 江波三菱前 → 江波営業所

|方向幕は「かきうち通り(経由)江波営業所」行き。逆方向は無し。朝晩に牛田旭を経由しない便あり。休日運休。
==== 休車・保存車 ====
===== 単行車 =====
550形551号のみ市内線・宮島線の直通許可を受けている。

{| class="wikitable" style="font-size:small"
|-
|-
!style="width:8em;"|形式名
|牛田早稲田 → 牛田旭 → 八丁堀 → 市役所前 → ≪かきうち通り≫ → 江波三菱前
!style="width:7em;"|<small>導入初年</small>
|方向幕は「かきうち通り(経由)江波」行き。逆方向は無し。朝晩に牛田旭を経由しない便あり。休日運休。舟入本町経由便同様、江波三菱で折り返し牛田方面行きとなる。
!style="width:4em;"|<small>導入<br />車両数</small>
!style="width:7em;"|導入車番
!style="width:4em;"|<small>在籍<br />車両数</small>
!style="width:7em;"|在籍車番
! |備考
|-
|-
|[[広島電鉄150形電車|150形(E形)]]||1925年<ref name="konjaku148">『広電が走る街今昔』148ページ</ref>||10||151-160||1||156||[[被爆電車]]、保存車<br />E形として登場
|江波三菱前 → 江波営業所 → 舟入本町 → 市役所前 → 八丁堀 → 牛田旭
|平日朝のみの運行。大手町四丁目始発便あり。
|-
|-
|[[広島電鉄550形電車|550形]]||1955年<ref name="konjaku141"/>||5||551-555||1||551||551は旧直通車・間接制御車、休車
!6-2
|}
|江波三菱前 → 江波営業所 → 舟入本町 → 市役所前 → 八丁堀 → 牛田早稲田

|牛田旭を経由しない。平日朝のみの運行。一部大手町四丁目始発便あり。
===== 連結・連接車 =====
2000形のみ連結車。

{| class="wikitable" style="font-size:small"
|-
|-
!style="width:8em;"|形式名
!6-3
!style="width:7em;"|<small>導入初年</small>
|江波三菱前 → 江波営業所 → 舟入本町 → 市役所前 → 八丁堀 → 牛田旭 → 牛田早稲田
!style="width:6em;"|<small>導入<br />編成数</small>
|
!style="width:4em;"|<small>導入<br />車両数</small>
!style="width:12em;"|導入編成番
!style="width:4em;"|<small>在籍<br />編成数</small>
!style="width:4em;"|<small>在籍<br />車両数</small>
!style="width:7em;"|在籍編成番
! |備考
|-
|-
|[[広島電鉄2000形電車|2000形]]||1960年<ref name="konjaku143"/>||4(1両余剰)||9||2001,2002=2003,2004=2005,<br />2006=2007,2008=2009||1||2||2004=2005||1974年に連結化、休車
!rowspan="2"|7号線
|}
!7

|横川駅 - 紙屋町 - 市役所 - 東雲町/仁保1丁目 - 柞木(ほうそぎ) - 仁保車庫
==== 廃車等により消滅した形式 ====
|県庁発着がほとんどで、横川発は平日朝のみで仁保→横川は全廃された。休日運休。
===== 単行車 =====
{| class="wikitable" style="font-size:small"
|+ 2軸車
|-
|-
!style="width:8em;"|形式名
!7-2
!style="width:7em;"|<small>導入初年</small>
|横川駅 - 紙屋町 - 市役所 - 東雲町/仁保1丁目 - 向洋新町車庫
!style="width:4em;"|<small>導入<br />車両数</small>
|県庁発着がほとんどで、横川発着は平日朝のみ。
!style="width:7em;"|導入車番
! |備考
|-
|-
|[[広島電鉄100形電車 (初代)|初代100形(A形)]]||1912年<ref name="konjaku152"/>||50||101-150||開業時の車両<br />導入後に車番を1-50 → 101-139(11両は450形に改造)に改番<br />導入後、A形 → 100形に形式変更
!rowspan="2"|8号線
!8
|横川駅 - 中広1丁目 - 西観音町 - 総合グランド入口 - 飛行場入口 - 観音マリーナホップ
|rowspan="2"|両者の違いは終点のみ。平日ダイヤの昼間時間帯は運休、休日全便運休。
|-
|-
|[[広島電鉄100形電車 (2代)|2代目100形(B形)]]||1921年<ref name="konjaku152"/>||30||101-130||導入後にB形に形式変更<br />全車400形に改造
!8-1
|横川駅 - 中広1丁目 - 西観音町 - 総合グランド入口 - 飛行場入口 - 西飛行場
|-
|-
|[[広島電鉄200形電車 (初代)|初代200形(G形)]]||1930年<ref name="konjaku152"/>||10||201-210||G形として導入
!10号線
!10
|己斐 - (ノンストップ) - 中電前 - 市役所前 - 大学病院前 - 旭町 - 市役所 - 中電前 - (ノンストップ) - 己斐
|循環バス。平日ダイヤの朝・夕のみ運行。一部、市役所及び大学病院前始発・終着便あり。<br />かつては大学病院を経由しない便や旭町発着も存在した
|-
|-
|[[広島電鉄400形電車|400形]]||1938年<ref name="konjaku152"/>||30||401-430||2代目100形を元に車体更新
!rowspan="4"|12号線
!rowspan="2"|12
|東浄小学校 - 千足 - 牛田新町 - 八丁堀(天満屋前) - 御幸橋 - 県病院 - 仁保沖町
|朝御幸橋発東浄ゆきがある。[[とうかさん]]・えびす講の中央通り通行止め時は紙屋町・本通り経由で運行され、新天地を通らない
|-
|-
|[[広島電鉄450形電車|450形]]||1939年<ref name="konjaku152"/>||15||451-465||初代100形を元に車体更新
|東浄小学校 - 千足 - 牛田新町 - 八丁堀(天満屋前) - 段原中央 - 大学病院入口 - 旭町
|朝・夕の運行。休日運休。とうかさん・えびす講の中央通り通行止め時は比治山下経由で運行され、新天地・田中町を通らない
|-
!急行
|東浄小学校 → 千足 → 天水 → (ノンストップ) → 女学院 → 八丁堀(天満屋前) → 御幸橋 → 県病院 → 仁保沖町
|平日朝仁保行きのみ運行。天水から女学院前ノンストップ。土曜休日運休。
|-
!急行
|東浄小学校 - 桜ヶ丘団地 - 牛田新町一丁目 - (ノンストップ) - 本通 - 市役所前 - 御幸橋 - 県病院 - 仁保沖町
|平日朝に仁保行き・夕方に東浄行き運行。市役所経由。牛田新町1丁目から本通ノンストップ。土曜休日運休。
|-
!13号線
!13
|広島駅 - 平塚町 - 小町 - 市役所
|平日朝に市役所行き・夕方に広島駅行き運行。土曜休日運休。<br />かつては小町から先、平和記念公園・西観音町・旭橋入口経由で広島西飛行場まで運行されていた。西飛行場行きだった時代から平日朝の一部は市役所行きだった
|}
|}


{| class="wikitable" style="font-size:small"
==== 郊外線 ====
|+ ボギー車
広島市街地から周辺部の[[安芸区]]・[[熊野町]]に向かう「東方面」、[[安佐北区]]・[[安佐南区]]に向かう「北方面」、[[佐伯区]]・[[廿日市市]]に向かう「西方面」に区別される。
{| class=wikitable
! !!路線名!!行先!!特記事項
|-
|-
!rowspan="21" style="width:1em;"|東方面
!style="width:8em;"|形式名
!style="width:7em;"|<small>導入初年</small>
!rowspan="7"|熊野線<br />(海田・矢野経由)
!style="width:4em;"|<small>導入<br />車両数</small>
|熊野車庫前 - 熊野萩原- 熊野営業所 - 熊野団地 - [[矢野駅]] - 海田 -向洋 - [[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島|マツダスタジアム]]前 - [[広島駅]] -[[広島バスセンター|広島センター]]
!style="width:7em;"|導入車番
|rowspan="2"|一部は熊野営業所発着
! |備考
|-
|-
|[[広島電鉄300形電車|300形]]||1938年<ref name="konjaku152"/>||5||300-304||元[[大阪市電]]500形<br />300は305に改番
|熊野営業所 - [熊野団地] - 矢野駅 - 南海田
|-
|-
|[[広島電鉄500形電車 (初代)|初代500形]]||1938年<ref name="konjaku152"/>||10||500-509||元[[京王電鉄|京王電気軌道]][[京王電気軌道23形電車|23形]]<br />500は510に改番<br />全車、初代700形に改造
|熊野営業所→≪[[広島熊野道路|広熊道路]]≫→矢野駅→南海田
|
|-
|-
|[[広島電鉄500形電車 (2代)|2代目500形]]||1953年<ref name="konjaku153"/>||5||501-505||
|熊野営業所→矢野→南海田
|
|-
|-
|[[広島電鉄600形電車 (初代)|初代600形]]||1942年<ref name="konjaku152"/>||3||601-603||
|呉地橋 → [[広島県立熊野高等学校|熊野高校]]前→さくら野団地→熊野営業所→矢野駅→南海田
|平日1便のみ
|-
|-
|[[広島電鉄700形電車 (初代)|初代700形]]||1948年<ref name="konjaku152"/>||10||701-710||初代500形の車体更新車
|南海田→矢野→熊野営業所→さくら野団地→熊野高校前→呉地橋
|平日朝ラッシュ時のみ。<br />熊野営業所で乗客がいない場合は熊野営業所で運行打ち切り。
|-
|-
|[[広島電鉄800形電車 (初代)|初代800形]]||1951年<ref name="konjaku153"/>||10||801-810||803は801に改番・ワンマン改造
|阿戸学校 - 阿戸町 - 新宮 - 熊野萩原 - [[熊野町|熊野町役場前]] - 熊野営業所
|
|-
|-
|[[広島電鉄1100形電車|1100形]]||1971年<ref name="konjaku153"/>||5||1101-1105||元[[神戸市電]][[神戸市交通局1100形電車|1100形]]
!rowspan="5"|熊野線<br />(広熊道路経由)
|}
|熊野車庫前→熊野営業所→熊野団地→≪広熊道路≫→[[矢野ニュータウン]]→≪[[広島高速2号線|高速2号線]]≫→広島駅→八丁堀→紙屋町→市役所前

|rowspan="3"|平日朝ラッシュ時のみ
===== 連接車 =====
全車が市内線・宮島線の直通許可を受けていた。
{| class="wikitable" style="font-size:small"
|-
|-
!style="width:8em;"|形式名
|熊野車庫前→熊野営業所→熊野団地→≪広熊道路≫→矢野ニュータウン→東雲→市役所前→紙屋町→八丁堀
!style="width:7em;"|<small>導入初年</small>
!style="width:6em;"|<small>導入<br />編成数</small>
!style="width:4em;"|<small>導入<br />車両数</small>
!style="width:12em;"|導入編成番
! |備考
|-
|-
|[[広島電鉄70形電車|70形]]||1981年<ref name="konjaku154"/>||2||6||76,77||元[[:de:DSW21 (Verkehr)|ドルトムント都市事業 Dortmunder Stadtwerke AG]]
|熊野車庫前→熊野営業所→≪広熊道路≫→矢野南5丁目→≪高速2号線≫→広島駅→八丁堀→紙屋町→市役所前
|-
|-
|[[広島電鉄1300形電車|1300形]]||1976年<ref name="konjaku154"/>||2||4||1305,1306||元[[西日本鉄道]][[西鉄1000形電車 (軌道・共通)|1301形]]<br />後日、3000形に改造
|熊野車庫前→熊野営業所→≪広熊道路≫→矢野南5丁目→東雲→市役所前→紙屋町→八丁堀
|-
|-
|[[広島電鉄2500形電車|2500形]]||1961年<ref name="konjaku153"/>||7||14||2501=2502,2503=2504,2505=2506,<br />2507=2508,2509=2510,2511=2512,<br />2513=2514||2501-2510は自社発注<br />2511-2514は元[[大阪市電]][[大阪市交通局1601形電車|1601形]]<br />自社発注車は3100形に改造
|広島センター→市役所前→東雲→矢野ニュータウン→≪広熊道路≫→熊野団地→熊野営業所→熊野萩原→熊野車庫前
|}

===== 宮島線専用 =====
{| class="wikitable" style="font-size:small"
|+ 単行車
|-
|-
!style="width:8em;"|形式名
!rowspan="7"|矢野ニュータウン線
!style="width:7em;"|<small>導入初年</small>
|済生会広島病院前/[[矢野駅|矢野駅前]] - 矢野ニュータウン - ≪広熊道路≫ - 熊野団地 - 熊野営業所
!style="width:4em;"|<small>導入<br />車両数</small>
|
!style="width:7em;"|導入車番
! |備考
|-
|-
|[[広島電鉄1000形電車|初代1000形(C形)]]||1922年<ref name="konjaku155"/>||2||C1,C2 →<br />1000||C形として導入<br />後日1000形に形式変更<br />1両は1040形に改造
|矢野駅前 - [矢野ニュータウン] - ≪広熊道路≫ - 熊野営業所
|一部は熊野車庫前発着
|-
|-
|[[広島電鉄1000形電車|1010形(D形)]]||1923年<ref name="konjaku155"/>||8||D3-D10 →<br />1011-1016||D形として導入<br />後日1010形に形式変更<br />1両は1040形に改造
|団地西入口→熊野営業所→≪広熊道路≫→[矢野ニュータウン]→矢野駅前/済生会広島病院前
|
|-
|-
|[[広島電鉄1000形電車|1020形(F形)]]||1925年<ref name="konjaku155"/>||5||F11-F15 →<br />1020-1024||F形として導入<br />後日1020形に形式変更<br />1020は1025に改番
|呉地橋 → 熊野高校前→さくら野団地→熊野営業所→≪広熊道路≫→[矢野ニュータウン]→矢野駅前
|平日朝ラッシュ1便のみ
|-
|-
|[[広島電鉄1030形電車|1030形(H形)]]||1930年<ref name="konjaku155"/>||5||H16-20 →<br />1030-1034||H形として導入<br />後日1030形に形式変更<br />1030は1035に改番
|矢野駅前 - 矢野ニュータウン - ≪広熊道路≫ - 熊野団地 - 熊野営業所
|
|-
|矢野駅前 - [矢野ニュータウン] - ≪広熊道路≫ - 熊野営業所 - 押込
|
|-
|矢野駅前→矢野南5丁目→矢野ニュータウン→矢野駅前
|循環右回り
|-
!rowspan="2"|熊野・広島国際大学線
|矢野駅前 - ≪途中ノンストップ≫ - 熊野営業所 - ≪途中ノンストップ≫ - [[広島国際大学]]
|rowspan="2"|平日のみ運行、休講日と長期休暇時は運休便あり。
|-
|-
|[[広島電鉄1060形電車|1060形]]||1954年<ref name="konjaku155"/>||1||1061||最後の新製高床車
|熊野営業所 - ≪途中ノンストップ≫ - 広島国際大学
|-
|}

!rowspan="22" style="width:1em;"|北方面
{| class="wikitable" style="font-size:small"
!rowspan="2"|沼田ループ線
|+ 連結・連接車
|広島駅→[[紙屋町・八丁堀|八丁堀]]→[[紙屋町・八丁堀|紙屋町]]→[[横川駅 (広島県)|横川駅]]前→≪新道≫→大宮→祇園出張所前→下古市→古市小学校前→安小学校→伴安→三菱団地入口→[[広島市立大学|市立大学前]]→≪高速4号線≫→中広町→広島センター
|左回り。平日のみ運行
|-
|広島センター→中広町→≪高速4号線≫→市立大学前→三菱団地入口→伴安→安小学校→古市小学校前→下古市→祇園出張所前→大宮→≪新道≫→横川駅前→紙屋町→八丁堀→広島駅
|右回り。平日のみ運行
|-
!rowspan="4"|あさひが丘線
|広島駅 - 八丁堀 - 紙屋町 - 横川駅前 - ≪新道≫ - 大宮 - 祇園出張所前 - 下古市 - 古市小学校前 - 安小学校 - [[上安駅]] - [[広島市安佐動物公園|安佐動物公園]] - あさひが丘
|上安駅はあさひが丘ゆきのみ経由
|-
|広島駅-八丁堀-紙屋町-横川駅前-≪新道≫-大宮-祇園出張所前-下古市-古市小学校前-安小学校-上安駅-[[長楽寺駅]]-伴安-[[広島市立沼田高等学校|沼田高校]]
|平日ダイヤのみ運行
|-
|あさひが丘→安佐動物公園→高取→伴安→三菱団地入口→市立大学前→≪[[広島高速4号線|高速4号線]]≫→[[中広町]]→紙屋町→本通り→市役所前
|平日ダイヤ朝1便のみ
|-
|広島駅→八丁堀→紙屋町→横川駅前→≪新道≫→祇園出張所前→下古市→古市小学校前→安小学校→安佐動物公園→あさひが丘
|深夜バス:平日ダイヤのみ運行
|-
|-
!style="width:8em;"|形式名
!rowspan="4"|花の季台・こころ団地線
!style="width:7em;"|<small>導入初年</small>
|広島センター-≪横川駅前/中広町≫-≪高速4号線≫-[市立大学前]-沼田料金所前-大塚駅-[[A.CITY|Aシティ中央]]-[[花の季台]]
!style="width:6em;"|<small>導入<br />編成数</small>
|市立大学前は経由便のみ停車
!style="width:4em;"|<small>導入<br />車両数</small>
!style="width:12em;"|導入編成番
! |備考
|-
|-
|[[広島電鉄1000形電車|1040形]]||1939年<ref name="konjaku155"/>||1||2||1041=1042||千田車庫火災で被災したC2,D8を車体更新<br />1957年に連接車化
|広島センター-≪横川駅前/中広町≫-≪高速4号線≫-[市立大学前]-沼田料金所前-大塚駅-Aシティ中央-[リハビリセンター前]-こころ第一公園前-こころ西公園
|rowspan="2"|市立大学前・リハビリセンター前は経由便のみ停車
|-
|-
|[[広島電鉄1050形電車|1090形 ←1050形]]||1947年<ref name="konjaku155"/>||2||4||1051=1052,1053=1054 →<br />1091=1092,1093=1094||元京阪神急行電鉄(現:[[阪急電鉄]]・[[京阪電気鉄道]])[[京阪100形電車|100形・200形]]<br />1954年に車体更新<br />1980年に連結車化<br />1982年に1090形に改形式
|広島センター-横川駅前-≪高速4号線≫-市立大学前-沼田料金所前-大塚駅-Aシティ中央-リハビリセンター前-こころ産業団地
|-
|-
|[[広島電鉄1070形電車|1070形]]||1967年<ref name="konjaku155"/>||4||8||1071=1072,1073=1074,<br />1075=1076,1077=1078||元阪急電鉄[[阪急500形電車|500形]]
|八丁堀→紙屋町→中広町→沼田料金所前→大塚駅→Aシティ中央→花の季台→こころ第一公園前→こころ西公園
|深夜バス:平日ダイヤのみ運行
|-
|-
|[[広島電鉄1080形電車|1080形]]||1977年<ref name="konjaku155"/>||4||8||1081=1082,1083=1084,<br />1085=1086,1087=1088||元阪急電鉄[[阪急210系電車|210系]]
!rowspan="3"|くすの木台線
|広島センター-中広町-≪高速4号線≫-市立大学前-三菱団地-大原駅-幸の神(さいのかみ)-くすの木台
|大原駅はくすの木台行きのみ停車
|-
|くすの木台→幸の神→三菱団地→市立大学前→≪高速4号線≫→中広町→紙屋町→八丁堀→広島駅
|平日ダイヤ朝3便、土曜・休日ダイヤ朝2便のみ
|-
|くすの木台→幸の神→三菱団地→市立大学前→≪高速4号線≫→中広町→紙屋町→本通り→市役所前
|平日ダイヤ朝1便のみ
|-
!rowspan="2"|三段峡線
|広島センター-横川駅前-≪新道≫-祇園出張所前-下古市-古市小学校前-≪佐東バイパス≫-佐東出張所口-[[広島文教女子大学|文教女子大]]前-[[可部駅]]前-可部上市-上大毛寺(かみおおもじ)-安佐営業所- [[安芸飯室駅|飯室西]]- [[布駅|上布]]-[[小河内駅|小浜]]-[[安野駅|船場]]-澄合-[[水内駅|久日市(さかいち)]]-[[坪野駅|坪野]]-附地-津浪-[[香草駅|香草]]-加計中央-[[木坂駅|木坂]]-加計病院-[[殿賀駅|上堀]]-[[上殿駅|上殿中央]]-[[道の駅来夢とごうち|戸河内ICバスセンター]]-[[土居駅 (広島県)|戸河内土居]]-[[戸河内駅|安芸太田町役場]]-[[三段峡]]
|
|-
|広島センター-横川駅前-≪新道≫-祇園出張所前-下古市-[[古市駅 (広島県)|古市駅]]-≪高速≫-[[沼田パーキングエリア|沼田PA]]-[[久地バスストップ|久地BS]]-[[広島北インターチェンジ|広島北インター]]-[[加計バスストップ|加計BS]]-戸河内ICバスセンター-安芸太田町役場-三段峡
|
|-
!琴谷線
|広島センター-横川駅前-≪新道≫-祇園出張所前-下古市-古市小学校前-中緑井-七軒茶屋-文教女子大前-可部駅前-可部上市-上大毛寺-安佐営業所-森城団地中央-鈴張-烏帽子-豊平病院-琴谷車庫
|
|-
!rowspan="3"|今吉田線
|広島センター-横川駅前-≪新道≫-祇園出張所前-下古市-古市小学校前-中緑井-七軒茶屋-文教女子大前-可部駅前-可部上市-上大毛寺-安佐営業所-飯室西-上布-小浜-小河内-大釘-今吉田公民館/烏帽子/豊平病院
|豊平病院発着は1往復のみ
|-
|安佐営業所-飯室西-上布-小浜-小河内-箕越-今吉田公民館-烏帽子-豊平病院
|
|-
|烏帽子→今吉田公民館→鈴張→森城団地中央→安佐営業所→上大毛寺→可部上市→可部駅前→文教女子大前→七軒茶屋→中緑井 →古市小学校前→下古市→祇園出張所前→≪新道≫→横川駅前→広島センター→合同庁舎→広島駅
|月曜 - 土曜朝1便のみ
|-
!rowspan=3|上根(かみね)・吉田線
|広島センター-横川駅前-≪新道≫-祇園出張所前-下古市-古市小学校前-中緑井-七軒茶屋-文教女子大前-可部駅前-可部上市-町屋記念碑前-大林-下浜が谷-畑入口-八千代支所前-勝田-八千代病院前-下土師(しもはじ)
|休日運休、平日ダイヤのみ広島駅行あり
|-
|広島センター-横川駅前-≪新道≫-祇園出張所前-下古市-古市小学校前-中緑井-七軒茶屋-可部駅前-可部上市-町屋記念碑前-大林-下浜が谷-畑入口-八千代支所前-勝田-入江-≪安芸高田市役所前/吉田小学校≫-広電吉田出張所
|下浜が谷発着便あり、平日ダイヤのみ広島駅発着便あり
|-
|広島センター→横川駅前→≪新道≫→祇園出張所前→下古市→古市駅→≪高速≫→沼田PA→久地BS→広島北インター→[[道の駅舞ロードIC千代田|千代田インター]]→≪高速≫→壬生小学校前→八千代病院前→入江→安芸高田市役所前→広電吉田出張所
|土曜ダイヤ1便のみ
|-
!rowspan="44" style="width:1em;"|西方面
!rowspan="2"|山田団地・美鈴が丘高校線
|広島センター - ≪己斐/市役所前≫ - [[古江バスストップ|古江]] - 田方 - 美鈴モール前 - 山田団地/[[広島市立美鈴が丘高等学校|美鈴が丘高校]]
|平日ダイヤ午前のみ広島駅発着便あり
|-
|[[アルパークバスターミナル]] - [[新井口駅]] - 田方 - 美鈴モール前 - 山田団地/美鈴が丘高校
|田方はアルパーク方面のみ停車
|-
!五日市中地線
|[[五日市駅]]北口 - 中地 - 山田団地/美鈴が丘高校
|
|-
!rowspan="3"|井口台パークタウン線
|広島センター - ≪己斐/市役所前≫ - [[古江バスストップ|古江]] - [田方] - 鈴が峰住宅 - 井口台パークタウン
|
|-
|アルパーク - 新井口駅 - 鈴が峰住宅 - 井口台パークタウン
|
|-
|井口台パークタウン → 鈴が峰住宅西 → ≪途中ノンストップ≫ → 新井口駅 → アルパーク
|平日ダイヤ朝2便のみ
|-
!rowspan="2"|東観音台団地線
|広島センター - 市役所前 - [[古江バスストップ|古江]] - [田方] - ≪[[西広島バイパス]]≫ - 東観音台団地
|
|-
|五日市駅南口 - [[楽々園駅|楽々園]] - 坪井長野 - [[広島県立五日市高等学校|五日市高校]] - 東観音台団地
|
|-
!rowspan="2"|薬師が丘団地・植物公園線
|広島センター - 市役所前 - [[古江バスストップ|古江]] - [田方] - ≪西広島バイパス≫ - 城山 - [植物公園] - 薬師が丘団地
|
|-
|五日市駅北口 - 城山 - [植物公園] - 薬師が丘団地
|
|-
!rowspan="3"|彩が丘団地線
|広島センター - 市役所前 - 田方 - 美鈴が丘 - 高井 - 三和中学入口 - 彩が丘団地
|
|-
|広島センター - 市役所前 - [[古江バスストップ|古江]] - ≪西広島バイパス≫ - 城山 - 三和中学入口 - 彩が丘団地
|
|-
|五日市駅北口 - 城山 - 三和中学入口 - 彩が丘団地
|
|-
!rowspan="5"|藤の木団地線
|広島センター - 己斐 - 田方 - 美鈴が丘 - 高井 - 三和中学入口 - 藤の木団地
|
|-
|広島センター - 市役所前 - [[古江バスストップ|古江]] - [田方] - ≪西広島バイパス≫ - 城山 - 三和中学入口 - 藤の木団地
|
|-
|五日市駅北口 - 城山 - 三和中学入口 - 藤の木団地
|
|-
|広島センター - 中広町 - ≪高速4号線≫ - 沼田料金所前 - [[大塚駅 (広島県)|大塚駅]] - [[広域公園前駅]]([[広島修道大学]]入口) - 平岩陸橋(免許センター入口) - 藤の木団地
|
|-
|藤の木団地 → 平岩陸橋(免許センター入口) → 広域公園前駅(広島修道大学入口) → 大塚駅 → 沼田料金所前 → ≪高速4号線≫ → 中広町 → 紙屋町 → 本通り → 市役所前
|平日ダイヤ朝2便のみ
|-
!湯来・杉並台団地線
|五日市駅南口 - 楽々園 - 河内農協 - 湯来川角 - [杉並台団地] - [[広島県立湯来南高等学校|湯来南高校]] - 大橋 - [[湯来温泉|湯来ロッジ前]]
|
|-
!原・川末線
|[[廿日市市役所前駅]] - 廿日市市役所 - 平良大橋 - [[速谷神社]] - 原車庫 - 川末
|休日は全便運休
|-
!rowspan="5"|宮園・四季が丘団地線
|広島センター - 市役所前 - [[古江バスストップ|古江]] - [田方] - ≪西広島バイパス≫ - [[四季が丘]]/四季が丘北
|休日は全便運休
|-
|四季が丘 → ≪[[山陽自動車道|山陽道]]≫ → 広域公園前駅(広島修道大学入口) → 大塚駅 → 沼田料金所前 → ≪高速4号線≫ → 中広町 → 紙屋町 → 本通り → 市役所前
|平日ダイヤ朝3便のみ
|-
|廿日市市役所前駅 - 廿日市市役所 - 宮内分れ - [[宮内串戸駅]] - 四季が丘/四季が丘北
|宮内串戸駅発着便あり
|-
|四季が丘 → 宮内串戸駅 → 宮内分れ → 廿日市 → 美の里 → ショッピング楽々園
|平日ダイヤ朝1便のみ
|-
|四季が丘 → 宮内串戸駅 → 宮内 → JR[[阿品駅]] → [[広島県立廿日市西高等学校|廿日市西高校]]前 → [[日本赤十字広島看護大学|日赤看護大学]]
|平日ダイヤ朝1便のみ
|-
!rowspan="4"|佐伯線
|廿日市市役所前駅 - 廿日市市役所 - 宮内分れ - 宮内串戸駅 - 明石 - 玖島分れ - 佐伯中学校前 - 十王堂 - 津田 - 上栗栖 - 上飯山 - 吉和車庫
|宮内串戸駅発着便あり
|-
|ショッピング楽々園 - ≪楽々園/美の里≫ - 廿日市 - 宮内分れ - 宮内串戸駅 - 明石 - 玖島分れ - 佐伯中学校前 - 十王堂 - 津田
|平日ダイヤ朝上り4便(美の里経由)、夕方下り3便(楽々園経由)のみ
|-
|津田 → 十王堂 → 佐伯中学校前 → 玖島分れ → 明石 → 宮内串戸駅 → 宮内 → JR阿品駅 → 廿日市西高校前 → 日赤看護大学
|平日ダイヤ朝1便のみ
|-
|津田 - 十王堂 - 佐伯中学校前 - 玖島分れ - 玖島
|
|-
!rowspan="4"|阿品台線
|広島センター - 市役所前 - [[古江バスストップ|古江]] - [田方] - ≪西広島バイパス≫ - 廿日市西高校前 - 阿品台北
|平日のみ運行
|-
|[[広電阿品駅]] - [ナタリーマリナタウン] - JR阿品駅 - [ 日赤看護大学 ] - 阿品台東小学校 - 阿品台北
|
|-
|広電阿品駅 → [ナタリーマリナタウン] → JR阿品駅 → 廿日市西高校前 → 日赤看護大学/阿品台北
|JR阿品駅発便あり
|-
|阿品台北 → JR阿品駅 → 宮内分れ → 廿日市市役所 → 廿日市市役所前駅
|平日ダイヤ朝1便のみ
|-
!rowspan="6"|五月が丘団地・免許センター線
|広島センター - 横川駅前 - ≪高速4号線≫ - 沼田料金所前 - 大塚駅 - [ [[広島修道大学|修道大学]]キャンパス ] - [五月が丘団地] - 免許センター
|
|-
|広島センター - 横川駅前 - ≪高速4号線≫ - 沼田料金所前 - 大塚駅 - [ 修道大学キャンパス ] - 五月が丘団地
|
|-
|広島センター → 市役所前→ 田方 → 五月が丘団地
|
|-
|五月が丘団地 → 大塚駅 → 沼田料金所前 → ≪高速4号線≫ → 中広町 → 紙屋町 → 本通り → 市役所前
|
|-
|五月が丘団地 → 田方 → 市役所前 → 本通り
|
|-
|沼田高校 → 三菱団地入口 → [[伴中央駅]] → 大塚駅 → 修道大学キャンパス → 大塚駅 → 沼田料金所前 → ≪高速4号線≫ → 横川駅前 → 広島センター
|平日ダイヤ1便のみ
|-
!rowspan="2"|石内線
|五日市駅北口 - 城山 - ≪石内旧道≫ - [免許センター/五月が丘団地] - [ 修道大学キャンパス ] - 広島市立大学
|平日のみ運行
|-
|五日市駅北口 → 中地 → ≪石内バイパス≫ → 免許センター → 修道大学キャンパス → 沼田高校
|平日朝1便のみ運行
|}
|}


==== 呉市エリア ====
=== 車庫 ===
==== 現在 ====
2012年4月1日、呉市営バスから引き継いだ路線。
現在は、千田車庫・江波車庫・荒手車庫がある。
* クレアライン(広島 - 呉)
* 広島焼山線
* 阿賀音戸の瀬戸線
* 呉倉橋島・さざなみ線
* 宮原線
* 広長浜呉駅線
* 天応川尻線
* 郷原黒瀬線
* 白石白岳交叉点循環線
* 横路交叉点循環線
* 焼山熊野苗代線
* 昭和循環線
* 辰川線
* 長の木呉駅循環線
* 三条二河長迫循環線
* 宝町中央循環線
* 市役所中央循環線
* 呉探訪ループバス(コース)


* [[千田車庫]] - [[1912年]](大正元年)11月23日の開業時に設置<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』44ページ</ref>
=== コミュニティバス(受託運行) ===
** 広島県広島市中区[[千田町 (広島市中区)|東千田町]]2丁目9-29
[[ファイル:Tsubakibus_in_fuchutown.jpg|240px|thumb|right|[[つばきバス]]]]
* [[江波車庫]] - [[1952年]](昭和27年)10月1日に設置<ref name="konjaku_151"/>
*[[つばきバス]]([[広島県]][[安芸郡 (広島県)|安芸郡]][[府中町]]、運行営業課:曙営業課)
** [[広島県]][[広島市]][[中区 (広島市)|中区]][[江波 (広島市)|江波]]西1丁目24-29
*[[さくらバス|廿日市さくらバス]](広島県[[廿日市市]]、運行営業課:廿日市出張所)
* [[荒手車庫]] - [[1960年]](昭和35年)10月25日に設置<ref name="konjaku150"> 『広電が走る街今昔』150ページ</ref>
=== 企業送迎バス ===
** 広島県広島市[[西区 (広島市)|西区]][[草津地区|草津南]]3丁目6-3
*[[コベルコ建機]]
<!--=== 主なターミナル ===
*[[広島駅]]
*[[広島バスセンター]]
*[[アルパーク]]
*[[横川駅 (広島県)|横川駅]]
*[[不動院前駅]]
*[[中筋駅]]
*[[上安駅]]
*[[大原駅 (広島県)|大原駅]]
*[[大塚駅 (広島県)|大塚駅]]
*[[可部駅]]
*飯室(安佐営業所)
*[[三段峡]]
*[[広電西広島駅]]
*[[五日市駅]]
*[[楽々園駅]]
*[[阿品駅]]
*[[向洋駅]]
*[[海田市駅]]
*[[矢野駅]]-->


=== バス車両 ===
==== 過去 ====
以前は、宮島口車庫・己斐車庫があった。また、戦時中には桜土手引込線が存在した。
車両は[[日野自動車]]製が多いが、[[いすゞ自動車]]、[[三菱ふそうトラック・バス|三菱ふそう]]製の車両も一部存在する。{{要出典範囲|中古車両はそれほど導入されていないが、主に[[宇野自動車]]や[[川崎市交通局]]、[[神奈川中央交通]]、[[京王電鉄]]等からの車両が在籍している。なお、[[2012年]]に入り新たに[[横浜市交通局]]より[[日野・ブルーリボン]]ワンステップを導入した。現在在籍しているツーステップ車は2015年頃までにすべて置き換えられる予定である。|date=2012年3月}}また、2012年から4年間で大型バス・中型バスを合わせて100両程度の低公害車両の導入と、既存車両でも従来よりもゆったりしたサイズの「ひろでんオリジナルシート」への交換を行う予定である<ref>{{PDFlink|[http://www.hiroden.co.jp/improve-service/pdf/service.pdf 広島電鉄サービス向上計画]}} - 広島電鉄、2012年5月11日。</ref>。呉市営から車両を引き継いだ関係で、それまで導入実績がなかった純正車体架装の[[いすゞ・キュービック]]([[西日本車体工業]]製車体を架装した車両は在籍している)、[[富士重工業]]製の車体を架装した車両が登場した。


* 己斐車庫
導入された新車は広島県廿日市市にある[[速谷神社]]で御祓いを行っている。
** [[太田川放水路]]の整備で1960年(昭和35年)10月25日に廃止<ref name="konjaku150"/>。代替として荒手車庫が整備された。
* 宮島口車庫
** 宮島口から競艇場前までの本線に並行する留置線は宮島口車庫の名残である。
* 桜土手引込線
** 1945年(昭和20年)6月に、『広陵中学前電停』(現在の[[県病院前駅|県病院前電停]])付近に整備された<ref name="konjaku_151"/>。


== バス事業 ==
乗務員の名札は従来運転席後方に設置されていたが近年運賃表示機下に移設された。乗務員の名札も新調され、乗務員の氏名の下に赤字で「私は安全運転に努めます。」「セーフティードライブ!」といった文章が書かれている。
{{See|広電バス}}


== 不動産事業 ==
[[2008年]][[4月15日]]の[[広島高速4号線]]での[[ETC]]供用開始に合わせ、高速4号線を経由する路線の車両に通常の路線バス車両としては珍しくETC車載器が搭載された。また熊野営業所の車両にも[[広島高速2号線]]通過便の設定により搭載された。他にも三段峡への路線は一般路線バス車両で高速道路を経由する便が存在するので[[シートベルト]]やETCの装備がある。
不動産事業は、不動産カンパニーおよび連結子会社の広電不動産、広電興産、交通会館によって行われている<ref name="E04123_103" />。2013年(平成25年)1月31日に、広電不動産の本体への吸収合併を同年4月1日に行うことが決まった<ref>[http://www.hiroden.co.jp/ir/report/oshirase20130131.pdf 子会社の吸収合併(簡易合併・略式合併)に関するお知らせ] - 広島電鉄 2013年1月31日</ref>。


在籍する車両のほとんどが[[マニュアルトランスミッション]]車であるが、[[2007年]]度より[[オートマチックトランスミッション]]車の導入が開始された。

[[2009年]]1月には、[[連節バス|連接バス]]を導入する構想が公表された<ref>[http://www.chugoku-np.co.jp/leadersclub/2009/interviews_company42.html 中国新聞LEADERS倶楽部 広島電鉄株式会社] 2009年1月{{リンク切れ|date=2012年3月}}。</ref>が、[[2012年]](平成24年)4月時点では、導入されていない。

車内放送は路線によるが基本的に女声と男声の混合である。西風新都線では一部バス停発車直後に進行方向がアナウンスされるほか、呉市交通局から継承した路線では呉市時代の車内放送がほぼそのまま使用されている(『呉市営』を『広電バス』に変更した程度)。

=== 車両番号(社内コード) ===
車両には5桁の番号が付けられており、以下の法則に基づいている。

例:'''64537'''
{| class="wikitable"
|-
!6
!4
!5
!37
|-
|所属営業課
|メーカー
|装備
|固有番号
|}

* 所属営業課
** 0 …空港リムジン(広島北営業課)
** 1 …広島南営業課・熊野出張所・廿日市出張所・広島西営業課
** 2 …広島北営業課・安佐出張所・吉田出張所・広島中営業課
** 3 …貸切(江波営業課の貸切専用車・各営業課の貸切兼用車)
** 5 …[[広島電鉄仁保営業課|仁保営業課]]
** 6 …江波営業課
** 7 …曙営業課
** 8 …[[ボンバス]]用
** 9 …呉中央営業課・警固屋出張所・広営業課・焼山営業課
* メーカー
** 0 …[[日野自動車|日野]](中型・小型)
** 3・4 …日野(大型)
** 6 …[[いすゞ自動車|いすゞ]]
** 7…[[三菱ふそうトラック・バス|三菱ふそう]](中型・小型)
** 8 …[[UDトラックス]]
** 9 …[[三菱ふそうトラック・バス|三菱ふそう]](大型)
* 装備
** 0 - 4 …板ばね
** 5 - 9 …空気ばね
* 固有番号
** メーカー・装備ごとの連番

== 不動産事業 ==
不動産事業は、不動産カンパニーおよび連結子会社の広電不動産、広電興産、交通会館によって行われている<ref name="E04123_102" />。
=== 事務所 ===
=== 事務所 ===
* 不動産カンパニー、広電不動産、広電興産
* 不動産カンパニー、広電不動産、広電興産
1,216行目: 969行目:
* 交通会館
* 交通会館
** 広島市東区上大須賀町1-16 交通会館ビル
** 広島市東区上大須賀町1-16 交通会館ビル

=== 概要 ===
=== 概要 ===
[[ファイル:HIROSHIMA TRAIN VERT BUILDING 201204.JPG|200px|right|thumb|広島トランヴェールビルディング]]
[[ファイル:HIROSHIMA TRAIN VERT BUILDING 201204.JPG|200px|right|thumb|広島トランヴェールビルディング]]
不動産事業に本格参入する以前より[[広島電鉄宮島線|宮島線]]沿線の開発の一環として、[[第二次世界大戦]]前には楽々園、1955年(昭和30年)に藤垂園の開発を行っていた<ref name="HIRODEN10070_203">『広島電鉄開業100年・創立70年史』203ページ</ref>。
1958年(昭和33年)10月28日、子会社として銀鱗不動産(現 広電不動産)を設立。1959年(昭和34年)10月31日には紙屋町に「広電ビル」が完成し、オフィスビル賃貸事業に参入した。


1958年(昭和33年)10月28日、子会社として銀鱗不動産を設立<ref name="HIRODEN10070_434"/>。1959年(昭和34年)10月31日には紙屋町に『広電ビル』が完成し<ref name="HIRODEN10070_434"/>、オフィスビル賃貸事業に参入した<ref name="HIRODEN10070_172">『広島電鉄開業100年・創立70年史』172ページ</ref>。1961年(昭和36年)2月1日<ref name="HIRODEN10070_434"/>に広電不動産を設立<ref name="HIRODEN10070_173">『広島電鉄開業100年・創立70年史』173ページ</ref>。八丁堀に『第二広電ビル』を建設した<ref name="HIRODEN10070_173"/>。銀鱗不動産・広電不動産は、1971年(昭和46年)10月1日<ref name="HIRODEN10070_437"/>に、広電不動産を存続会社にして合併した<ref name="HIRODEN10070_173"/>。
1969年(昭和44年)7月16日、本社内に不動産カンパニーの前身となる「不動産部」を新設し、鉄軌道部門・バス部門での赤字を補うようになった<ref name="HIRODEN8050_H132">『広島電鉄開業80創業50年史』本編132 - 137ページ</ref>。[[毘沙門台 (広島市)|毘沙門台]]、[[仁保 (広島市)|仁保南]]などの団地の造成が行われた。


1960年(昭和35年)の経済政策[[所得倍増計画]]で、住宅の販売が増加<ref name="HIRODEN10070_203"/>。1967年(昭和42年)に事業部内に開発課を設置。不動産事業に本格参入した<ref name="HIRODEN10070_203"/>。1969年(昭和44年)7月16日、開発部を拡充し、不動産カンパニーの前身となる「不動産部」を新設した<ref name="HIRODEN10070_203"/>。1970年(昭和45年)度より、鉄軌道部門・バス部門での赤字を補うようになった<ref name="HIRODEN8050_H132">『広島電鉄開業80創立50年史』本編132 - 137ページ</ref><ref name="HIRODEN10070_203"/>。
鉄軌道部門・バス部門の収益は改善し赤字ではなくなった<ref name="E04123_102" />が、紙屋町などのオフィスビルの賃貸、一般向けに宅地・マンションの販売・仲介を行っている。

まずは小規模な住宅開発から行い、1969年(昭和44年)に中地(現・[[佐伯区]]八幡東)に8棟開発したのを皮切りに<ref name="HIRODEN10070_203"/>、1970年(昭和45年)に城内(現・[[廿日市市]]城内)に5棟、原(現・[[廿日市市]]原)を開発した<ref name="HIRODEN10070_203"/>。

その後、住宅団地開発に本格参入し、1970年(昭和45年)に553区画の『観音台』<ref name="HIRODEN10070_204">『広島電鉄開業100年・創立70年史』204ページ</ref>、1971年(昭和46年)に188区画の『月見台』<ref name="HIRODEN10070_204"/>、1972年(昭和47年)に956区画の『陽光台』<ref name="HIRODEN10070_204"/>、1974年(昭和49年)より最終的には2,500区画以上になる『[[毘沙門台 (広島市)|毘沙門台]]』の販売を開始<ref name="HIRODEN10070_205">『広島電鉄開業100年・創立70年史』205ページ</ref>。1986年(昭和61年)に224区画購入し『東観音台団地』<ref name="HIRODEN10070_244">『広島電鉄開業100年・創立70年史』244ページ</ref>、1991年(平成3年)に127区画を購入し『アメニティタウン仁保南』を販売した<ref name="HIRODEN10070_245">『広島電鉄開業100年・創立70年史』245ページ</ref>。

マンション開発も行い、1975年(昭和50年)に『楽々園マンション』<ref name="HIRODEN10070_205"/>、1989年(平成元年)に『ビューハイツ己斐上』<ref name="HIRODEN10070_245"/>、1999年(平成11年)に『グランソシエ五日市』を販売した<ref name="HIRODEN10070_245"/>。

それらの開発は、鉄軌道沿線に限定せず、バス路線沿線も開発を行った<ref name="HIRODEN10070_205"/>。

その後、鉄軌道部門・バス部門の収益は改善し赤字ではなくなった<ref name="E04123_103" />が、紙屋町などのオフィスビルの賃貸、一般向けに宅地・マンションの販売・仲介を行っている。


2012年(平成24年)には、広電ビルなどの建て替えで『広島トランヴェールビルディング』(「トランヴェール」はフランス語で「緑色の電車」を意味する)が開業した。
2012年(平成24年)には、広電ビルなどの建て替えで『広島トランヴェールビルディング』(「トランヴェール」はフランス語で「緑色の電車」を意味する)が開業した。
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== その他 ==
== その他 ==
=== テレビドラマ「西部警察」ロケ ===
=== テレビドラマ「西部警察」ロケ ===
[[1982年]]放送のテレビドラマ『[[西部警察 PART-II]]』第18話「広島市街パニック!!」の[[ロケーション撮影|ロケ]]では広島電鉄が撮影協力を行っており、ロケ期間中、市内中心部で各電車の運転を一時取り止め、付近の道路を一時通行止めにして撮影が行われた。クライマックスシーンの撮影では自社の[[広島電鉄750形電車|750形]]766号が広電宮島(現・[[広電宮島口駅|広電宮島口]])駅まで運転され、同駅構内(当時)で'''爆破'''された。爆破時には周りが一瞬にして停電になる程であったという<ref>[[デイリースポーツ]] 2012年7月12日9面</ref>。このシーンの映像はのちに『[[西部警察 PART-III]]』のオープニングにも流用されている。同車は[[廃車 (鉄道)|廃車]]を前提としていた車両で、撮影のため、営業運転終了時の「[[パールライス]]号」から塗色・広告を変更し、同番組同ロケのスポンサーにちなみ「[[にしき堂]]号」とされ、爆破後正式に廃車された。この回では当時の運転指令室や本社社屋の模様も映し出されている。また雑誌『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』の読者投稿欄でもこの件が話題となっていた。
[[1982年]]放送のテレビドラマ『[[西部警察 PART-II]]』第18話「広島市街パニック!!」の[[ロケーション撮影|ロケ]]では広島電鉄が撮影協力を行っており、ロケ期間中、市内中心部で各電車の運転を一時取り止め、付近の道路を一時通行止めにして撮影が行われた。クライマックスシーンの撮影では自社の[[広島電鉄750形電車|750形]]766号が広電宮島(現・[[広電宮島口駅|広電宮島口]])駅まで運転され、同駅構内(当時)で'''爆破'''された。爆破時には周りが一瞬にして停電になる程であったという<ref>[[デイリースポーツ]] 2012年7月12日9面</ref>。このシーンの映像はのちに『[[西部警察 PART-III]]』のオープニングにも流用されている。同車は[[廃車 (鉄道)|廃車]]を前提としていた車両で、撮影のため、営業運転終了時の「[[パールライス]]号」から塗色・広告を変更し、同番組同ロケのスポンサーにちなみ「[[にしき堂]]号」とされ、爆破後正式に廃車された。この回では当時の運転指令室や本社社屋の模様も映し出されている<ref>『広島電鉄開業100年・創立70年史』249ページ</ref>。また雑誌『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』の読者投稿欄でもこの件が話題となっていた。


=== ドイツ連邦共和国名誉領事 ===
=== ドイツ連邦共和国名誉領事 ===
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== 関連会社 ==
== 関連会社 ==
=== 連結子会社 ===
=== 連結子会社 ===
*広電観光
* 広電観光
*[[エイチ・ディー西広島]](ボン・バス)
* [[エイチ・ディー西広島]](ボン・バス)
*[[芸陽バス]]
* [[芸陽バス]]
*[[備北交通]]
* [[備北交通]]
*[[宮島松大汽船]]
* [[宮島松大汽船]]
*[[広島観光開発]](宮島ロープウエー)
* [[広島観光開発]](宮島ロープウエー)
*[[広電ストア]](スーパーマーケット「マダムジョイ」を展開)
* [[広電ストア]](スーパーマーケット「マダムジョイ」を展開)
*[[広電宮島ガーデン]]([[山陽自動車道|山陽道]][[宮島サービスエリア|宮島SA]]下り線、[[下松サービスエリア|下松SA]]下り線)
* [[広電宮島ガーデン]]([[山陽自動車道|山陽道]][[宮島サービスエリア|宮島SA]]下り線、[[下松サービスエリア|下松SA]]下り線)
*[[広電不動産]]
* [[広電不動産]] - 第二広電ビルなどの商業ビルや駐車場の賃貸業を営む。
*[[広電建設]]
* [[広電建設]]
*グリーンバーズ・ヒロデン([[グリーンバーズゴルフ倶楽部]])
* グリーンバーズ・ヒロデン([[グリーンバーズゴルフ倶楽部]])
*ホテルニューヒロデン
* ホテルニューヒロデン
*ヒロデンプラザ(ヒロデンボウル、広電ゴルフガーデン)
* ヒロデンプラザ(ヒロデンボウル、広電ゴルフガーデン)
*広電興産
* 広電興産
*交通会館
* 交通会館


=== 持分法適用関連会社 ===
=== 持分法適用関連会社 ===
*[[ひろでん中国新聞旅行]](広電観光の旅行部門と[[中国新聞]]トラベルサービスを統合)
* [[ひろでん中国新聞旅行]](広電観光の旅行部門と[[中国新聞]]トラベルサービスを統合)
*加計開発(ホテル&リゾート 温井スプリングス)
* 加計開発(ホテル&リゾート 温井スプリングス)
*大亜工業
* 大亜工業


=== その他関連会社・団体等 ===
=== その他関連会社・団体等 ===
*[[広島地区共通カード|パセオカード]](販売終了)
* [[広島地区共通カード|パセオカード]](販売終了)
*[[ひろでん会館]](会社ではないが広電不動産所有ビル)
* [[ひろでん会館]](会社ではないが広電不動産所有ビル)
*[[学校法人]]鈴峯学園([[鈴峯女子短期大学]]・[[鈴峯女子中学校・高等学校]])- 財団法人広島瓦斯電軌学園として1940年に設立され、現在も学園[[理事]]と[[評議員]]の多くを当社および広島ガス関係者が占めている。また同学園と直接の関係はないが、戦時中は電車運行要員確保を目的とした実業学校[[広島電鉄家政女学校]]も別に設立していた。
* [[学校法人]]鈴峯学園([[鈴峯女子短期大学]]・[[鈴峯女子中学校・高等学校]])- 財団法人広島瓦斯電軌学園として1940年に設立され、現在も学園[[理事]]と[[評議員]]の多くを当社および広島ガス関係者が占めている。また同学園と直接の関係はないが、戦時中は電車運行要員確保を目的とした実業学校[[広島電鉄家政女学校]]も別に設立していた。
※以前は広島市内および近郊で[[タクシー]]事業を営む広電タクシーもあったが、現在は業界大手の[[第一交通産業]]に資本が売却され、関係は断たれている。
※以前は広島市内および近郊で[[タクシー]]事業を営む広電タクシーもあったが、現在は業界大手の[[第一交通産業]]に資本が売却され、関係は断たれている。


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== 脚注 ==
== 脚注 ==
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{{Reflist|2}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
; 社史
* 『広電が走る街今昔』([[JTBパブリッシング]]・長船友則) ISBN 4533059864
:* 『広島の路面電車65年』毎日新聞ニュースサービス社編集協力、広島電鉄発行 1977年10月
* 『広島電鉄 '87会社要覧』
* 『広島電鉄開業80創50年史』広島電鉄株式会社社史編纂委員会編、1992年11月
:* 『広島電鉄開業80創50年史』広島電鉄株式会社社史編纂委員会編、1992年11月
* 『広島ガス100年史』広島ガス株式会社100年史編集事務局編、20103
:* 『広島電鉄開業100年・創立70年史』広島電鉄株式会社史編纂委員会編、201211
* 『広島バス60年史』広島バス60年史編集委員会編、広島バス、2010年8月
:* 『広島バス60年史』広島バス60年史編集委員会編、2010年8月
:* 『広島ガス100年史』広島ガス株式会社100年史編集事務局編、2010年3月
* 中国新聞各バックナンバー
:* 『大林組八十年史』大林組社史編集委員会編、1973年10月
:
; 組合史
:* 『私鉄広電 戦い抜いた四十二年』私鉄中国地方労働組合広島電鉄支部、1989年8月
:
; 愛蔵書
:* 『広島のチンチン電車 保存版』(郷土出版社) ISBN 4876701105
:* 『藤田謙一 -初代日本商工会議所会頭-』弘前商工会議所編、1988年3月
:* 『広島原爆戦災誌 第3巻』(広島市)
:
; 広報資料
:* 『広島電鉄 '87会社要覧』広島電鉄株式会社総務部広報課編、1987年8月
:* 『電車を走らせた女学生たち 広島電鉄家政女学校の記録』広島電鉄編
:
; 一般書
:* 『広電が走る街今昔』([[JTBパブリッシング]]・長船友則) ISBN 4533059864
:* 『私鉄の車両3 広島電鉄』([[保育社]]・飯島巌) ISBN 4586532033
:* 『チンチン電車と女学生』([[日本評論社]]・堀川惠子 小笠原信之) ISBN 4535584257
:
; 新聞
:* 『[[中国新聞]]』([[中国新聞社]])各バックナンバー


など
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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* [http://www.hiroden.co.jp/ 広島電鉄(ひろでんアベニュー)]
* [http://www.hiroden.co.jp/ 広島電鉄(ひろでんアベニュー)]
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[[ko:히로시마 전철]]
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[[ta:ஹிரோஷிமா எலக்ட்ரிக் ரயில்வே]]
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[[zh:廣島電鐵]]

2013年2月28日 (木) 11:58時点における版

広島電鉄株式会社
Hiroshima Electric Railway Co., Ltd.
広島電鉄本社と5100形電車
広島電鉄本社と5100形電車
種類 株式会社
市場情報
略称 広電
本社所在地 日本の旗 日本
730-8610
広島県広島市中区東千田町二丁目9番29号
設立 1942年(昭和17年)4月10日
(創業:1910年(明治43年)6月18日)
業種 陸運業
法人番号 9240001009470 ウィキデータを編集
事業内容 鉄軌道事業、バス事業、不動産事業
代表者 代表取締役社長 椋田昌夫
資本金 23億3562万5000円
(2012年3月31日現在)
発行済株式総数 6089万1000株
(2012年3月31日現在)
売上高 連結:363億7000万円
単独:170億1200万円
(2012年3月期)
営業利益 連結:13億3300万円
単独:10億7600万円
(2012年3月期)
純利益 連結:12億7100万円
単独:8億3500万円
(2012年3月期)
純資産 連結:325億2000万円
単独:290億5300万円
(2012年3月期)
総資産 連結:900億4100万円
単独:759億2600万円
(2012年3月期)
従業員数 連結:2,053人、単体:1,270人
(2012年3月31日現在)
決算期 毎年3月31日
主要株主 広島銀行 3.43%
三菱東京UFJ銀行 2.88%
広島日野自動車 2.61%
みずほ信託銀行(退職給付信託 五洋建設口) 2.49% ほか
(2012年3月31日現在)
主要子会社 エイチ・ディー西広島 100.0%
芸陽バス 92.94%
備北交通 88.7%
宮島松大汽船 60.0%
広島観光開発 39.88%[補足 1] ほか
(いずれも連結子会社
外部リンク www.hiroden.co.jp
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広島電鉄株式会社(ひろしまでんてつ、: Hiroshima Electric Railway Co., Ltd.)は、広島県を主たる事業対象地域としている鉄道軌道事業、バス事業、不動産事業を行う会社[1]

略称は広電(ひろでん)。キャッチフレーズは「地域社会に奉仕する広電グループ」。

会社概要

本社は広島県広島市中区東千田町2丁目9番29号。開業時及び広島電鉄設立[2]より当地に本社が置かれているが、1945年昭和20年)の広島市への原子爆弾投下[3]から翌年の8月30日まで楽々園に本社が置かれていたことがある[4]。また広島瓦斯電軌時代は、現在の広島市中区大手町に本社を置いていた時期もある。

現在の会社は、1942年(昭和17年)4月10日に「広島瓦斯電軌株式会社」(現在の広島ガス)から運輸事業を分離して設立された[5]。前身の会社を含めると、「広島電気軌道株式会社」として1910年明治43年)6月18日に設立された[6]

創立当初は、大林組傘下の企業で、同様の経緯によって作られた会社に広島ガスがある[7]。また、その2社は「広島瓦斯電軌株式会社」として1つの会社だった時期もある。大林組社主の大林芳五郎北浜銀行の破綻と、その資金支援のため広島瓦斯株式を1913年(大正2年)から1914年(大正3年)に放出[8]。広島電気軌道についても、1916年(大正6年)大林芳五郎の没後、後継者の大林義雄が株を継承した物の社長は空位[9]、その後、大林組傘下を離脱[10]。両社とも、鈴木商店の支援を得て、実業家の藤田謙一に株式が売却されて、同時期に、同一人物が社長だったこと[8]、需要のピークがガスと路面電車で異なることより[8]、広島瓦斯との合併となった[8]

広島ガス統合時代に設立された財団法人広島瓦斯電軌学園は、現在は学校法人鈴峯学園(鈴峯女子短期大学鈴峯女子中学校・高等学校を設置)に改組・改称し、現在でも学園関係者に広電及び広島ガス出身者が多い。他に広島ガス統合時代の名残りとして、現在も当社の健康保険組合は「広島ガス電鉄健康保険組合」として、広島ガスと共同で運営している。

1998年(平成10年)より社内カンパニー制度を導入しており、鉄道・軌道事業は電車カンパニー路線バス事業はバスカンパニー、不動産事業は不動産カンパニーが担当している[11]

広島電鉄のバスは青バス広電バス)、路面電車電車(広電電車)と呼ばれている。ただし、現在では青バスはJRバス中国ジェイアールバス)を指すことが多く、広電バスは「緑のバス」と言い、若年層の間で誤解・誤乗車などのトラブルが生じている。また、近年のイメージカラーは緑色で、路面電車車両に『ぐりーんらいなー』や『グリーンムーバー』、広電が関わる商業ビルや飲食店に『トランヴェール』(フランス語で「緑色の電車」を意味)などの愛称を付けている。

IC乗車カード『PASPY』が、バスと電車全線、グループ会社の宮島松大汽船宮島ロープウエーで利用できる。また、JR西日本の『ICOCA』も利用できる。

歴代の社長

広島電気軌道時代
世代 氏名 在任期間 備考
1代目 大林芳五郎 1910年明治43年)6月18日 - 1916年大正5年)1月24日[12] 大林組店主、広島瓦斯取締役など兼任
死亡により退任
不明 藤田謙一 1916年(大正5年)8月8日[13] - 1917年大正6年)8月2日 同時期に広島瓦斯の代表も兼任
広島瓦斯代表就任は1916年(大正5年)7月28日[補足 2]
広島瓦斯電軌時代[14][15][16]
世代 氏名 在任期間 備考
(1代目) 藤田謙一 1917年大正6年)8月2日 - 1919年(大正8年)1月25日 広島ガス代表としては3代目
(2代目) 松浦泰次郎 1919年(大正8年)1月25日 - 1923年(大正12年)3月16日 広島ガス代表としては4代目
(3代目) 松本勝太郎 1923年(大正12年)3月16日 - 1927年(昭和2年)3月31日 広島ガス代表としては5代目
(4代目) 三宅兼一 1927年昭和2年)4月30日 - 1933年(昭和8年)2月14日 広島ガス代表としては6代目
(5代目) 倉田信太朗 1933年(昭和8年)2月14日 - 1938年(昭和13年)3月27日 広島ガス代表としては7代目
死亡により退任
(6代目) 多山恒次郎 1938年(昭和13年)4月1日 - 1940年(昭和15年)3月27日 広島ガス代表としては8代目
(7代目) 山口吾一 1940年(昭和15年)3月27日 - 1942年(昭和17年)4月9日 広島ガス代表としては9代目
広島電鉄時代[17]
世代 氏名 在任期間 備考
1代目 山口吾一 1942年(昭和17年)4月10日 - 1945年(昭和20年)3月15日 分社後も続投
広島ガスは1945年(昭和20年)8月6日まで代表を務めた
2代目 多山恒次郎 1945年(昭和20年)3月15日 - 1952年(昭和27年)4月26日
3代目 伊藤信之 1952年(昭和27年)4月26日 - 1969年(昭和44年)5月27日
4代目 堀江明 1969年(昭和44年)5月27日 - 1977年(昭和52年)6月28日
5代目 石松正二 1977年(昭和52年)6月28日 - 1989年(平成元年)6月29日
6代目 奥窪央雄 1989年(平成元年)6月29日 - 1996年(平成8年)4月1日
7代目 大田哲哉 1996年(平成8年)4月1日 - 2010年(平成22年)6月29日[18] 広島商工会議所前会頭[補足 3]、広島ガス取締役など兼任
8代目 越智秀信 2010年(平成22年)6月29日[18] - 2013年(平成25年)1月8日[19]
9代目 椋田昌夫 2013年(平成25年)1月8日[19] - 現任

企業の歴史

各事業の詳細な歴史については「鉄軌道事業の歴史」、「バス事業の歴史」の節、各社の記事を参照。

  • 1909年(明治42年)秋 - 広島電気軌道が軌道敷設申請を広島県に提出[20]
  • 1910年(明治43年)6月18日 - 広島電鉄の前身である広島電気軌道が設立[21]
  • 1912年(大正元年)11月23日 - 電車開業[21]
  • 1917年(大正6年)8月2日 - 広島瓦斯(現在の広島ガス)と合併、広島瓦斯電軌となる[22]
  • 1922年(大正11年)8月22日 -宮島線(己斐 - 草津間)開業[23][22]
  • 1925年(大正14年)7月 - 汽船による宮島連絡開始[24]
  • 1931年(昭和6年)2月 - 宮島連絡廃止[25]
  • 1936年(昭和11年)9月8日 - 楽々園遊園地開園[25]
  • 1938年(昭和13年)2月1日 - 広島乗合自動車を合併してバス事業開始[26]
  • 1942年(昭和17年)4月10日 - 広島瓦斯電軌から運輸事業を分離して広島電鉄設立[26]
  • 1945年(昭和20年)8月9日 - 6日の原爆投下による被害での運行停止から一部区間で市内電車運行再開[23][27]
  • 1954年(昭和29年)6月10日 - 広電観光設立[28]
  • 1956年(昭和31年)8月1日 - 広島観光開発設立[28]
  • 1957年(昭和32年)7月10日 - 広島交通(タクシー会社、現在のバス会社とは別)を買収[28]
  • 1957年(昭和32年)10月13日 - 楽々園スパー開業[29]
  • 1958年(昭和33年)3月16日 - 宮島松大観光船に出資[29]
  • 1958年(昭和33年)4月1日 - 市内電車と宮島線直通運転開始[23][29]
  • 1960年(昭和35年)3月1日 - 広電興産(現在の広電ストア、現在の広電興産とは別)設立[29]
  • 1961年(昭和36年)2月1日 - 広電不動産設立[29]
  • 1963年(昭和38年)4月1日 - 広島交通と銀鱗タクシーが合併して広電タクシーが発足[30]
  • 1963年(昭和38年)9月1日 - 軌道内への車両乗り入れが許可される[30]
  • 1969年(昭和44年)7月16日 - 不動産部を創設し、不動産事業に本格参入[23][31]
  • 1971年(昭和46年)8月31日 - 楽々園遊園地閉園[31]
  • 1971年(昭和46年)9月10日 - 広島バスに資本参加[31]
  • 1971年(昭和46年)12月1日 - 公安委員会により軌道敷内自動車乗り入れ禁止実施[23][32]
  • 1973年(昭和48年) - 傘下の広島バス独占禁止法の問題が、同意議決により解決[32]。後日、合意内容に基づき株式を増岡組に譲渡[33]
  • 1982年(昭和57年)6月22日 - 広電興産が広電ストアに社名変更する[34]
  • 1997年(平成9年)12月 - 広電タクシーの運輸事業を第一交通産業に売却、広電興産に社名変更する[35]
  • 1998年(平成9年)12月 - 社内カンパニー制の導入[11]
  • 2012年(平成24年)3月9日 - 広島バスの保有する芸陽バス株の株式譲渡により芸陽バスを連結子会社化[36][37]
  • 2012年(平成24年)4月1日 - 呉市営バスから全路線を移管[38](呉市営バスは3月31日限りで事業廃止)[39][37]

鉄道・軌道事業

鉄道・軌道事業は電車カンパニーが担当しており、軌道線6路線19.0kmと、鉄道線1路線16.1kmの総延長35.1kmの路線を持つ。どちらも軌間1435mm、直流600V電化。1日あたりの輸送人員は約16万人で、軌道線と鉄道線を合わせた輸送人員と路線延長は、路面電車としては日本一である。

なお、旅客案内上では、3・5車体連接車による運行を連接車、1車両での運行を単車と案内している。

路線の概要

路線名 延長 運行系統 区間 電停数
軌道線 本線 5.5km 1号線 2号線 3号線 5号線 6号線 7号線 8号線 9号線 広島駅(M1) - 広電西広島(M19) 19
宇品線 5.7km 1号線 3号線 5号線 7号線 紙屋町(M9) - 広島港(U18) 19
江波線 2.6km 6号線 8号線 9号線 土橋(M13) - 江波(E6) 7
横川線 1.4km 7号線 8号線 十日市町(Y1/M12) - 横川駅(Y5) 5
皆実線 2.5km 5号線 的場町(H3/M3) - 皆実町六丁目(H9/U9) 7
白島線 1.2km 9号線 白島(W5) - 八丁堀(W1/M7) 5
鉄道線 宮島線 16.1km 2号線 広電西広島(M19) - 広電宮島口(M39) 21
  • 電停数には臨時駅を含む。また紙屋町電停は紙屋町東・紙屋町西をあわせて1電停と数える。
軌道線
市内線と総称される。ほぼ全線が併用軌道。各路線間で直通運転が行われており、合計8つの運行系統(0号線は除外)を持つ。広島電鉄の電車は運行系統を1号線、2号線…というように「○号線」と呼んでいる(広島電鉄のバスや広島バスも同様)。
市内線区間の2号線(西広島 - 紙屋町東/西 - 広島駅)は西広島止めを含めてすべて連接車で運行(GWなどには例外があり)されている。また、日中の1号線(広島港 - 紙屋町東 - 広島駅)は遅延時を除いて連接車のみで、通勤・通学時間帯には3・5・7・8号線でも一部が連接車で運行されている。
毎年8月6日原爆忌には8時15分に乗務員や乗客が1分間の黙祷を行うため、原爆ドーム付近を走行している電車は8時15分近くになると近くの停留所に臨時停車する。
鉄道線
宮島線のことで、JR西日本山陽本線とほぼ並行する。全線が専用軌道。軌道線と広電西広島駅でつながっており、直通運転を行っている。詳しくは「広島電鉄宮島線」の項目を参照。

運行系統

広島電鉄の系統図

2013年2月15日改正。それぞれの系統は「○号線」と称している。

系統 運行区間 電停数 所要時間 運行間隔 備考
1号線 広島駅 -(紙屋町東)- 広島港 27 49分 10分 原則として連接車で運転
2号線 広島駅 -(広電西広島)- 広電宮島口 39 68分 9分 連接車で運転
3号線 広電西広島 -(紙屋町西)- 宇品二丁目【- 広島港】 23 (29) 40分(52分) 12分 宇品二丁目 - 広島港間は朝時間帯のみ運転
5号線 広島駅 -(的場町皆実町六丁目)- 広島港 18 32分 12分 比治山下経由」と案内される
6号線 広島駅 -(土橋)- 江波 19 39分 12分
7号線 横川駅 -(十日市町・紙屋町西)- 広電本社前 15 27分 12分
8号線 横川駅 -(十日市町・土橋)- 江波 12 23分 12分
9号線 【江波 -(土橋)-】八丁堀 - 白島 5 (18) 8分(37分) 8分 江波 - 八丁堀間は平日7往復、休日6往復のみ運転
0号系統 出入庫系統・臨時系統など
  • それぞれの系統について、一部の区間を運行する列車がある。
  • 電停数には臨時駅を含まない。また紙屋町電停は紙屋町東・紙屋町西をあわせて1電停と数える。
  • 運行間隔は日中のもの。

なお、「7号線」は1971年(昭和46年)5月6日までは広島駅と横川駅を結ぶ系統であった[40]

運賃・乗車方法

運賃は、市内線が大人150円・小児80円(白島線のみ乗車の場合は大人100円・小児50円)の均一制、宮島線は区間制である。

乗車方法は「運賃後払い」方式。現金や乗車カード等で運賃箱へ直接支払う。ICカードPASPY利用可能車両では、運賃箱を使用した車内でのICカードへのチャージができる。ただし、「レトロ電車」としてイベント用に運行される車両にはICカードリーダーは配備されていない[41]

原則、1両の電車(単車)の場合はの場合は運転士横のドアから運賃を支払って下車する。2両以上の大型電車(連接車)の場合は運転士横のドアと一番後ろの車掌横のドアから運賃を支払って下車する。なお、広島駅や広電西広島等の主要電停においては、ホームで移動式運賃箱を押した係員が待機していて、乗車口でも降車が出来、運賃収受を行う。日中の広電宮島口では改札口で運賃を支払う。

電車内には千円札まで対応の自動両替機が運転席横に設置されている。乗降時の混雑を避けるため、あらかじめ自動両替機で両替を済ませ小銭の用意をしておくように注意するアナウンスを行っている。なお、車掌が乗車している連接車の場合では、車掌に両替を頼むことも可能。

2011年(平成23年)3月31日の営業をもって広島地区共通カードの利用が終了し、磁気カードリーダーは乗換えカードフリー乗車券専用となった。

大人1人につき同伴の幼児を3人まで無賃にしたり、障害者の介助者2人までを無賃にしたりしている[42]

運賃の変遷

軌道線
年月 運賃体型 運賃 運賃
(白島線)
備考
1912年11月23日(開業)[43] 区間制運賃 2銭 - 1区間の場合、2区間以上1区間ごとに2銭加算
1918年11月29日[43] 区間制運賃 3銭 - 1区間の場合、2区間以上1区間ごとに2銭加算
1922年4月12日[43] 区間制運賃 3銭 - 1区間の場合、2区間以上1区間ごとに1銭加算
1926年11月11日[43] 均一制運賃 5銭 - 均一制導入
1942年4月10日[43] 均一制運賃 7銭 -
1944年4月22日[43] 均一制運賃 10銭 -
1946年2月1日[43] 均一制運賃 20銭 -
1946年7月1日[43] 均一制運賃 30銭 -
1947年3月1日[43] 均一制運賃 40銭 -
1947年8月7日[43] 均一制運賃 1円 -
1948年2月4日[43] 均一制運賃 2円 -
1948年5月18日[43] 均一制運賃 3円50銭 -
1948年8月10日[43] 均一制運賃 6円 -
1950年5月15日[43] 均一制運賃 8円 -
1951年11月15日[43] 均一制運賃 10円 -
1954年11月10日[44] 均一制運賃 13円 - 往復25円
1962年3月20日[44] 均一制運賃 15円 -
1965年8月28日[44] 乗切制運賃 15円 - 乗切制導入
1968年1月16日[44] 乗切制運賃 20円 15円 白島線別運賃導入
1970年6月25日[44] 乗切制運賃 30円 20円
1973年1月15日[44] 乗切制運賃 40円 30円
1974年10月17日[44] 乗切制運賃 60円 40円
1976年11月14日[44] 乗切制運賃 70円 50円
1978年11月24日[44] 乗切制運賃 80円 60円 暫定運賃(本線のみ)
1979年11月1日[44] 乗切制運賃 90円 60円 暫定運賃解除
1981年4月1日[44] 乗切制運賃 100円 70円 暫定運賃(本線のみ)
1982年2月1日[44] 乗切制運賃 110円 70円 暫定運賃解除
1983年12月1日[44] 乗切制運賃 120円 80円
1989年12月9日[45] 乗切制運賃 130円 90円 乗継時50円加算
消費税導入による改訂
1997年11月1日[45] 乗切制運賃 150円 100円 乗継時0円加算
2001年4月10日から2002年4月9日まで社会実験で120円
鉄道線
年月 運賃体型 運賃 備考
1922年8月22日(開業)[43] 区間制運賃 2区間まで1区間ごとに4銭加算
3区間以上1区間ごとに3銭加算
1942年4月1日[43] 対キロ運賃 対キロ2.16銭 対キロ運賃導入
1944年4月1日[43] 対キロ運賃 対キロ2.50銭
1945年4月1日[43] 対キロ運賃 対キロ3.00銭
1946年4月1日[43] 対キロ運賃 対キロ7.50銭
1947年3月1日[43] 対キロ運賃 対キロ9.50銭
1947年7月7日[43] 対キロ運賃 対キロ35銭
1948年5月1日[43] 対キロ運賃 対キロ1円45銭 国鉄運賃改定に伴う運賃改定
1951年11月15日[43] 対キロ運賃 対キロ1円90銭 遠距離時の軽減運賃導入
1952年12月1日[43] 対キロ運賃 対キロ2円20銭
1953年3月20日[43] 対キロ運賃 対キロ2円25銭 国鉄運賃改定に伴う運賃改定
1954年11月10日[44] 対キロ運賃 対キロ2円70銭
1957年7月1日[44] 対キロ運賃 対キロ3円05銭
1962年3月20日[44] 区間制運賃 10-50円5区間 区間制運賃導入
1965年8月28日[44] 区間制運賃 15円、1区間ごとに10円加算(6区間)
1968年1月16日[44] 区間制運賃 20円、1区間ごとに10円加算(6区間)
1970年6月25日[44] 区間制運賃 20円、1区間ごとに10円加算(7区間)
1973年1月15日[44] 対キロ運賃 1-3kmまで30円、4-6kmまで40円、
7-17kmまで2km毎10円加算
1974年10月17日[44] 対キロ運賃 1-3kmまで40円、
4-17kmまで3km毎20円加算
1976年11月4日[44] 対キロ運賃 1-3kmまで60円、
4-17kmまで3km毎20円加算
1978年11月24日[44] 対キロ運賃 1-3kmまで70円、
4-17kmまで3km毎20円加算
1981年4月1日[44] 対キロ運賃 1-3kmまで80円、
4-17kmまで3km毎20円加算
1983年12月1日[44] 対キロ運賃 1-3kmまで90円、4-6kmまで110円、
7-10kmまで140円、11-14kmまで160円、
15-17kmまで180円
1989年12月9日[45] 対キロ運賃 1-3kmまで100円、4-6kmまで120円、
7-10kmまで150円、11-14kmまで170円、
15-17kmまで190円
消費税導入による改訂
1997年11月1日[45] 対キロ運賃 1-3kmまで120円、4-6kmまで140円、
7-10kmまで170円、11-14kmまで190円、
15-17kmまで210円
消費税率改訂による改訂
直通割引
年月 割引額 備考
1978年11月24日[44] 鉄道10円+軌道10円 鉄軌道連絡割引導入、軌道側の運賃は暫定
1979年11月1日[44] 鉄道10円+軌道20円 軌道側の運賃の暫定解除
1981年4月1日[44] 鉄道15円+軌道35円
1983年12月1日[44] 鉄道30円+軌道30円
1989年12月9日[45] 鉄道30円+軌道40円
1997年11月1日[45] 鉄道50円+軌道40円

乗換え制度・乗換えカード

広島電鉄では、乗車中の電車で目的地まで直通できない場合に、各路線の接続電停(広電西広島・土橋・十日市町・紙屋町・八丁堀・的場町)及び系統の終点となる日赤病院前(下りのみ)・広電前・宇品二丁目にて以下の条件で乗り換える場合に限り、通しの運賃で乗車可能な制度がある。

  • その電停が始発となる系統への乗り換え(例:宮島線方面から西広島で3号線に乗り換えて広電前方面へ)
  • その電停で終着となる系統からの乗り換え(例:紙屋町方面から7号線で広電前で乗り換えて広島港方面へ)
  • その電停で合流する系統がある場合の乗り換え(例:江波方面から8号線に乗車して土橋で2・6号線へ乗り換え)

乗り換え方法は、降車時にその時点での運賃を現金で支払う際に乗務員に申し出て「乗換えカード(磁気カード)」を受け取り、降車後30分以内に次の電車に乗り換え、乗降の際に磁気カードリーダーに通す仕組みである。ICカード利用時には、乗り換えた電車のICカードリーダーにタッチすれば、自動的に乗換え運賃適用の処理が行われる。

乗換運賃は無料(ただし白島線からの乗り換えと、宮島線との乗り換えには差額運賃が加算される)。定期券・回数券での利用には乗換え制度は適用されない。また、最初に乗車した電車で直通出来る場合や30分以上かかった乗り換えにも適用されない。

フリー乗車券

広島電鉄では次の3種類のフリー乗車券を販売している。車内や広島駅電車案内所・電車定期券売場などで購入できる。

電車一日乗車券 (1day Trip card)
路面電車(市内線・宮島線)全線に乗車可能なフリー乗車券。有効期間は1日。
一日乗車乗船券 (1day Trip card)
路面電車全線と宮島松大汽船(宮島口桟橋 - 宮島桟橋)に乗車可能なフリー乗車券。有効期間は1日。
宮島フリーパス (2day Trip card)
路面電車全線・宮島松大汽船に加え、宮島ロープウエー(紅葉谷 - 獅子岩)に乗車可能なフリー乗車券。有効期間は2日。

以前は乗車する日付をコインなどで削って乗務員に提示するスクラッチカード方式だったが、2002年から磁気カード式となり、乗車ごとに乗車の際は入口の磁気カードリーダーに通し、降車の際は出口のカードリーダーに通す。利用日はパンチ穴で表される。

回数券(販売終了)

以前は、市内線・白島線ともに回数券があった。広島地区共通カードが10%のプレミアムしか付加されない(1000円で1100円分)のに対し、回数券は20%の高率プレミアムであった(市内線・2000円で2400円分=150円券×16枚、白島線・1000円で1200円分=100円券×12枚)ため、電車で広島地区共通カードが使用可能になった以後も継続して販売されていた。ただし乗換運賃無料制度・宮島線割引制度は適用されず、乗換・宮島線利用がある場合は、現金・広島地区共通カードの方が安くなっていた。

この回数券は、広島地区共通カードの販売中止予定日に合わせて2009年(平成21年)10月31日に販売中止となった。またPASPYの品不足により広島地区共通カードの販売中止は2009年12月末まで延期されたが、回数券には延期措置はとられなかった。 市内線でこの回数券を使えば125円/回(広島地区共通カードでも136.36円/回)となっていたものが、PASPYでは140円/回(10%割引なら135円だが、端数切上げで140円になる)と実質かなり値上げされたこととなる。

なお、販売は終了しているが、回数券は引き続き利用できる[46]

沿線風景

鉄軌道事業の歴史

広島電気軌道時代

開業当時の電車を復元した100形

住民の増加による、広島城の堀の汚水による伝染病問題を解決するため、1908年(明治41年)に埋め立てを決定[47]。埋め立てを契機に4件の軌道建設申請が出された[47]。最終的に、四宮廣二・福澤桃介松永安左エ門らによる東京系資本の『広島電気鉄道』との2社競願となったが、事前に話し合いにより解決していたことで[48]大林芳五郎片岡直輝らにより設立された大阪系資本の『広島電気軌道』が、1910年(明治43年)2月7日に、広島駅-己斐間(現在の本線)、土橋-中島新橋-鷹野橋-御幸橋間(現在の宇品線の一部)、八丁堀-竹屋町-御幸橋間(実現せず)、十日市-横川間(現在の横川線)の路線敷設の特許を取得[49]。同年6月18日に資本金300万円で設立された[49]。その後、八丁堀-竹屋町-御幸橋間を紙屋町を経由する案に変更、新たに八丁堀-白島(現在の白島線)の特許を取得した[49]。なお1911年(明治44年)11月には城の外堀埋立が、翌1912年(大正元年)に運河として使われていた西塔川の埋立が終わり、のちに電車通りとなる相生通り鯉城通りが整備される[50]

宮島線は、広島電気軌道による申請以前より、己斐から魚市場があった草津までの路線計画は存在した[51]1910年(明治43年)には、広島電気軌道のほか草津電気軌道や佐伯軽便鉄道が軌道条例に基づき申請したが、省線(山陽本線)と競合することより却下[51]1916年(大正5年)12月8日に、宮島電気軌道により特許申請され受理したが、関係町村との調整が不調に終わり計画中止になっていた[52]

1912年(大正元年)11月に、現在の宇品線の一部となる広島駅前から紙屋町を経由して御幸橋に至る区間と、現在の白島線になる八丁堀から白島に至る区間で開業した[53]。開業のために後に100形(A形)になる車両(101-150号)を50両用意した[54]。翌月には現在の本線となる紙屋町 - 己斐間が開通。1915年(大正4年)4月に御幸橋東詰から宇品間が開通した[55]。ただ、当時は単線でかつ御幸橋から御幸橋東詰まで徒歩連絡を行っていた[56]

広島瓦斯電軌時代

1930年頃(昭和初頭)の廣島市の地図。
1925年に導入された150形

広島電気軌道は、1917年(大正6年)8月に広島瓦斯(現在の広島ガス)と合併、広島瓦斯電軌になった[57]

市内線は、1917年(大正6年)の11月に現在の横川線の一部となる左官町 - 三篠間が開通[58]1919年(大正8年)5月に御幸橋の軌道専用橋が完成し、宇品線が1本につながった[59]1921年(大正10年)に大阪市電より後にB形になる車両(2代目101-110号)を10両購入[60]。それに伴い、元々の101-150号車を1-50号に改番した[60]1925年(大正14年)4月に2013年現在広電最古参となる後に150形(E形)になる車両(151-160号)を導入[22]。同年6月頃より、宮島線の車両に倣う形で、車体左下部に0形には「A」、100形(2代)には「B」、150形には「E」の文字が付記された[60]1927年(昭和2年)に大阪市電よりB形(2代目100形)を20両追加購入。1930年(昭和5年)にG形(後の初代200形)を10両導入[61]1935年(昭和10年)12月に御幸橋東詰 - 宇品間が複線になった新線に移動した[61]1937年(昭和12年)に千田車庫で火災が発生。被害車両の復旧で100形(初代)11両が450形になった[61]1938年(昭和13年)に大阪市電より市内線初のボギー車になる300形を5両[62]、京王電気軌道(現在の京王電鉄)より23形を10両購入し500形(初代)とした[61]。また100形(2代)を更新し400形になった[61]

宮島線は、1919年(大正8年)3月7日に広島軽便鉄道が、己斐-草津間の免許を取得[63]。同年4月18日に、広島瓦斯電軌に免許は譲渡された[63]。同年6月に鉄道院に対し、敷設権の継承、草津町-大野村間の免許申請、動力を蒸気機関から電気への変更申請を行い、同年9月25日に許可され宮島線の建設が始まった[63]1922年(大正11年)8月に宮島線の一部となる己斐町 - 草津町間が開通[22]。それに併せて同年6月にC形(後の1000形)を導入した[22]1924年(大正13年)4月に草津町 - 廿日市町間が延長[24]。それに併せて1923年(大正12年)12月にD形(後の1010形)を導入した[22]1925年(大正14年)7月に廿日市町 - 地御間が開通[22]。それに併せて同月F形(後の1020形)を導入[22]。それと同時に宮島に向かう連絡船が開業した[22]1926年(大正15年)7月に地御前 - 新宮島間が開通し、連絡船に接続した[64]1931年(昭和6年)2月に新宮島 - 電車宮島(現在の広電宮島)間が開業し、宮島線が全通した[64]。同日連絡線事業は廃止[25]。それに併せて1930年(昭和5年)にはH形(後の1030形)を導入した[22]

1939年(昭和14年)にアルファベットだった形式名を、車番と同様の数字による形式名に変更した[60][65]

広島電鉄時代

会社成立から原爆投下
1942年に導入された650形
(左・被爆前、右・被爆後)被爆前後の八丁堀周辺。横断する道路が本線が通る相生通り。左から2番目の道に当時白島線が通っていた。戦後その一つ右側の道が白島通りとして整備される。 (左・被爆前、右・被爆後)被爆前後の八丁堀周辺。横断する道路が本線が通る相生通り。左から2番目の道に当時白島線が通っていた。戦後その一つ右側の道が白島通りとして整備される。
(左・被爆前、右・被爆後)被爆前後の八丁堀周辺。横断する道路が本線が通る相生通り。左から2番目の道に当時白島線が通っていた。戦後その一つ右側の道が白島通りとして整備される。

1942年(昭和17年)4月、当時の国の政策により広島瓦斯電軌の交通事業部門が分離して広島電鉄となった[66]。この年、600形(初代)650形が導入された[67]1943年(昭和18年)12月に現在の江波線の一部となる土橋 - 舟入本町間が開通[67]1944年(昭和19年)6月に舟入本町 - 舟入南町間が単線で開通[68]。翌7月に宮島線の廿日市 - 電車宮島間が単線化[68]。その線路を使い、12月に皆実線が開通[68]1945年(昭和20年)3月に舟入本町 - 舟入南町間が複線化された[68]。この頃に、現在の路線網がほぼでき上がっていたことになる。 集電装置に関して、1941年(昭和16年)に日本で初めてビューゲルの実用化に成功[69]1944年(昭和19年)8月までに全車両に取り付け、火花がが飛びやすく敵の標的になりやすいトロリーポールを置き換えた[69]。また、ビューゲルの金具の実用新案権(実用新案登録第355463号)も取得した[70]

1945年(昭和20年)6月には、電車の疎開のため桜土手引込線が整備され[71]、戦災を防ぐために宮島などを含め分散留置された[72]

そして、1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、人類史上初の原子爆弾広島市に投下された。人類が経験したことのない未曾有の被害であった[73]。原爆投下で本社は半壊[74]。広島市内にあった広電の建物は1棟を除き50棟全て損壊した[75]。当時は1,241人在籍していたが、185人が死亡、266人が負傷した[74]。路面電車車両も、在籍していた123両のうち108両被災した[76]

原爆投下からの復興
1945年8月9日の運行再開時には廿日市変電所から送電された
被爆後の千田町変電所
 
現在も現役の千田町変電所

しかし、宮島線は被爆翌日の7日には草津町(現草津)から電車宮島(現広電宮島口)で運行再開。翌8日には全線で運行再開した[77]

市内線についても、広電社員と軍の協力により、電柱をトラックとロープを使い立て直し、暁部隊が所有していたマスト300本も活用[78]、さらに電線を引き直すなど行い、廿日市変電所から送電を行うことで[78]、早くも8月9日には己斐から西天満町(現在の天満町)までの間で運転を再開した[79][78]。復旧は単線で行われた[80][81]。その時使われた車両は、2両[82][83]、または3両[84]であった。運行再開時に運賃が払えない乗客に無理に請求を行わず[78]、運行再開は途方にくれる市民を大いに勇気付けたとされている[80]。終戦直前の14日には小網町まで復旧した[78]

8月9日に使用された車両は、一番電車に車掌として乗車した女学生の証言では400形[85][86][87]とされ、中国新聞が8月9日の運行再開時に撮影した写真で413号が写っている[補足 4][84][88]、『電車を走らせた女学生たち』の女学生の記録では600形[89][補足 5]。『広電が走る街今昔』では500形501号・503号となっている[80]

戦後も復旧は進み、吉田営業所に避難させていた整流器を使い8月18日には千田町変電所を復旧させた[81]。復旧当初は己斐を起点に復旧が行われ、8月19日には土橋まで、21日に十日市町まで、23日に左官町(現・本川町)まで、9月7日には八丁堀まで復旧した[81]広電本社からも復旧が行われ、8月18日には電鉄前(現・広電本社前)から宇品(現・広島港)まで復旧[81]。9月12日には紙屋町まで復旧し宇品線は全線復旧した[81]。1945年(昭和20年)12月には本線が全線復旧[90]。続いて1947年(昭和22年)11月に江波線が[90]1948年(昭和23年)7月には皆実線と宇品線が[90]、12月には横川線[90]がそれぞれ復旧した。1950年(昭和25年)7月には宮島線が複線に戻った[90]1952年(昭和27年)3月には、道路の付け替えで復旧が遅れていた白島線が復旧した[90]

車両についても、1948年(昭和23年)より残存していた100形の内4両を450形に、500形全車を700形(初代)に改造が始まる[60]。終戦後、復旧される事無く1951年(昭和26年)3月に300形は廃車になった[60]

当時、被爆した車両の一部は被爆電車として現在も保存を兼ねて運行されている。

区画整理による線路付け替え
1946年春、相生橋上
2013年冬、相生橋上

1949年(昭和24年)8月6日には広島平和記念都市建設法が成立[91]。それに基づき、建設省・広島市復興局と協議を行い計画を策定[92]。道路拡幅および軌道の道路中央部に移動することになり、当時の市内線18.4kmのうち半分強の9.4kmを移動させることになった[92]

線路付け替えの費用分担は、当初予定では3分の1とされたが、査定の見直しなどで1952年(昭和27年)時点で、平均約48%、最高57%に負担になった[92]。広電側の負担減額の陳情で、その後は電車施設のみの負担になり、1954年(昭和29年)の稲荷大橋-広島駅間は22.4%の負担になっている[92]

道路中央部への移設のほか線路の付け替えも行われ、1956年(昭和31年)には左官町(現・本川町)周辺の線路の付け替え[93]、1964年(昭和39年)には太田川放水路および福島川の廃川による観音町-己斐間の付け替えが行われた[94]

建設法に先がけ、広島市の事業として1947年(昭和22年)より線路付け替えを開始[92]。広島市内にある広島電鉄の線路がある7橋(荒神橋・稲荷大橋・相生橋広電天満橋新己斐橋御幸橋新横川橋)のうち、都市計画道路上にない広電天満橋と、第二次大戦まえより併用橋だった荒神橋以外の5橋は橋の架け替え、または橋の新設が必要になった[92]1950年(昭和25年)に稲荷大橋が[92]1958年(昭和33年)に新横川橋が[92]1964年(昭和39年)には太田川放水路の完成に合わせて新己斐橋が[95]1983年(昭和58年)に相生橋が[96]、1990年(平成2年)には御幸橋が完成した[96]

線路の付け替えは長期にわたり、最後に行われた小網町-舟入本町間、十日市町-寺町間は1995年(平成7年)に完成。完成までに40年以上かかった[97]

宮島線との直通運転開始
1958年に導入された350形
2013年現在も直通色で稼働している3000形

市内線車両は、1951年(昭和26年)3月には800形(初代)を10両導入[98]。同じ年に150形の車体更新が始まった[98]1953年(昭和28年)9月には500形(2代)を5両導入[98]。その年に更新を受けなかった100形(初代)は全車廃車になった[98]1955年(昭和30年)3月には550形を5両導入[98]。551のみ製造当初は間接制御を採用し、宮島線との直通許可を受けていた[99]

宮島線車両は、京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)より、1947年(昭和22年)2月1050形を購入[65]1954年(昭和29年)に全鋼製車両に更新した[65]1957年(昭和32年)に1060形を導入。最後の新製高床車になり[65]、直通形の増備に移行した。

1955年(昭和30年)頃、電車の利用者数の伸び悩みにより、当時バス事業が郊外路線延長で利用者数が伸びていたこと、以前より千田車庫での整備のために連絡線がもうけられていたが、太田川放水路の整備による区画整理により、己斐駅・西広島駅の移転の必要があったことより、市内線と宮島線を直通させることを計画[100]。市内線用の低床車両を乗り入れる方式を採用した[101]。それに併せて、宮島線の各駅に低床用のホームの整備を行い[102]1957年(昭和32年)5月に己斐駅・西広島駅の移転が完了[102]1958年(昭和33年)4月より団体貸し切り列車として直通運転を開始した[102]1962年(昭和37年)1月に広島駅から広電廿日市駅まで15分ヘッドの定期運転を開始[102]。定期運転開始に併せて、オリエントピーチの車体色に赤帯を配した『直通色』が登場した[103]1963年(昭和38年)5月には広電宮島口駅まで延長された[102]

直通形車両も増備され、550形551をはじめ、1958年(昭和33年)3月には850形を3両導入[98]1960年(昭和35年)より2000形[98]1961年(昭和36年)より2500形の導入を開始した[98]。2004号については、経費削減や広電のチャレンジ精神より、日本車輌製造が製造したフレームに、自社で鋼製車体を組み立て[104]、1962年(昭和37年)11月に竣工した[105]。2000形については同年末までに合計6両を製造[105]。その後、2500形についても同様に製造した車両がある[105]

また沿線整備も進められ、楽々園遊園地の施設の整備[102]および別会社への移管[29]。宮島方面は、1958年(昭和33年)3月に宮島松大観光船(現・宮島松大汽船)に出資[29]1959年(昭和34年)4月に、広島電鉄が大株主の広島観光開発が、『宮島ロープウエー』を開通[29]。1965年(昭和40年)には、現在『宮島口もみじ本陣』を運営している『広島宮島ガーデン』を設立した[30]

動く電車の博物館
1967年に導入された1070形
1978年に導入された1900形
1981年に導入された70形
1988年に導入された200形

昭和30 - 40年代には広島電鉄も他の都市の路面電車と同様にモータリゼーションの進展に伴う渋滞の増加で定時運行ができなくなったことから、存廃問題に立たされた[106]。一旦は1963年(昭和38年)6月に、軌道敷内への車両乗り入れが許可された[107]。その頃、広島市に地下鉄計画があり、移行しようとしていた節もあった[108]。しかしこの時、広島電鉄の関係者が市や警察局などに説得を続け、同時に広島県警も独自に調査団を当時路面電車が多数残っていたヨーロッパに派遣・調査を行う。そこで見たものは、中心地の渋滞緩和のための方法としての新たな役割を任され、進化した路面電車の姿だった[109]。1971年(昭和46年)2月に広電は『電車を守る』宣言を行い、路面電車存続へ方針転換[110]。この結果、軌道廃止に伴う代替交通機関が決まらないまま廃止したら、中心街のさらなる交通環境の悪化を引き起こすという結論に至り、一時解除されていた軌道内への自動車進入禁止を1971年(昭和46年)12月に再開させることに成功[109]。廃止された事業者から車両の譲渡を受け、単車をボギー車に置き換えることで車両の大型化およびワンマンカー化[111]。さらなる高速化も図られ、1974年(昭和49年)3月に、海岸通付近に初めて電車優先信号を導入[112]、1975年(昭和50年)2月には、皆実町六丁目から宇品五丁目間に延長された[112]。機構改正や合理化などを行い[111]、1969年(昭和44年)には白島線でワンマン運転を開始[113]。1976年(昭和51年)に市内線は、ラッシュ時を除きワンマン運転化した[113]。それらの努力で、辛うじて残すことができたといわれる。その中、1971年(昭和46年)に、広島駅から紙屋町を経由して横川駅に向かう、旧7号線が廃止になった[114]。また、広島市中心部は太田川河口部の三角州にあるため、地下水脈や地質などの問題から当時の技術では大規模な地下鉄建設が難しかったことも廃止を免れた一因である。しかし現在アストラムラインが、地下2、3階分の低さではあるが広島市の中心部を南北に走っている。

市内線には、1966年(昭和41年)より大阪市電から750形[98]および900形[98]を、1971年(昭和46年)に神戸市電より570形および1100形1150形を購入した[98]。それにより広電に残っていた二軸単車を置き換え、1966年(昭和41年)に200形(初代)[60]、1969年(昭和44年)に400形[60]450形[60]、1971年に150形が全車廃車になり、二軸単車が全車廃車になり、車両の大型化を完了した[115]。またボギー車も、1972年(昭和47年)に600形(初代)が全車廃車[60]。700形(初代)が1972年(昭和47年)までに4両廃車[116]、800形(初代)が1976年(昭和51年)までに9両廃車[116]になった。

宮島線には、1967年(昭和42年)には、1070形を京阪神急行電鉄から購入[65]1977年(昭和52年)1080形を京阪神急行電鉄から購入[65]1982年(昭和57年)には、1050形を改造し1090形とした[65]。また、木造車の廃車も進み、1966年(昭和41年)に1020形が全車廃車[65]、1968年(昭和43年)に1010形が全て廃車になり木造車は全車廃車になった[65]

直通車の大型化も進行。2000形が1973年から1974年にかけて、端数になる1両を除き8両が2両連結車に改造を行った[117]

1975年(昭和50年)に千田車庫で火災が発生して一部車両が廃車となり、その補充のために西鉄北九州線より600形を購入し、ほとんど廃車になっていた800形(初代)も1両がワンマン化改造を受けた。1978年(昭和53年)より京都市電から1900形を購入開始[118]するとともに700形(初代)、800形(初代)は全廃、750形も一部が廃車された[119]

1979年(昭和54年)には、3両連接車3000形の運用を開始[119]。3000形は広電初の3両連接車で従来型と比べ7m長く、定員も180人と従来型と比較して50人増加した[119]。1976年(昭和51年)に廃止になった西鉄福岡市内線より2両連接車1101・1201・1301形を購入。改造した[119]。また、1301形は一部小改造で、1976年より1300形として1300形として運用した[119]

その後、直通車の増備のため[120]、当時市内線で主に使われていた[121]2両連接車の2500形を3両連接車に改造。1985年(昭和60年)より、3100形に改造した[119]広電西広島の宮島線用ホーム2本の内1本を直通車用に改良し、直通車用ホームを3本にした[120]

当初750形が移籍した時は広電色に塗り直されたが、900形等の移籍の時より経費節減のために移籍前の塗装をそのまま維持した[122]。そこから『動く電車の博物館』や『路面電車の博物館』などと異名でファンから呼ばれるようになった[123][124]。呼ばれた当初は、広電はこの名称を嫌い、塗り替え色の公募を行ったが、地元デザイン会議のメンバーの反対により、塗り替えを断念。現在に至っている[125]。その反面、乗客へのサービスとして方向幕の大型化、冷房改造などを積極的に行い、原型には必ずしもこだわっていない。

また、移籍車両の側面に1979年(昭和54年)2月20日より、旧在籍事業者・移籍年を記載した『移籍プレート』を取り付けている[126][127]

また、日本国外からも車両の導入が行われ、1977年(昭和52年)の開業65年時に日本国外から車両を導入する話が上がり、軌間が1435mmで同一でかつ両方向に運転台が付いていること、さらには路線の地下化で余剰車になったことより[128]ドイツドルトムント市の中古車両を導入することになり、1編成に付き車両購入費500万円・輸送費1500万円・改造費2500万円をかけて、1981年(昭和56年)に70形が移籍してきた[129]。その他、広島市とドイツのハノーバー市との姉妹都市提携を記念し、広島市が茶室を送った返礼として、1989年(平成元年)に200形(2代)(通称:ハノーバー電車)が贈られた[118]。逆に、1986年(昭和61年)には、578号がサンフランシスコ市に寄贈されている[130]

1988年(昭和63年)には、3103号が西ドイツの画家、ジョー・ブロッケルホフによりスプレー画が描かれ『ピースバーン号』になった[131]。1992年(平成4年)に塗装の痛みのため全面塗り替えも検討されたが[132]、8月頃に車体の補修のため腰部のみ塗装が残され、その他はグリーンライナー色に変更された[133]、1995年(平成7年)8月に全面的に塗り替えされた[134]

また1972年(昭和47年)より、『電車接近装置』を電停に順次設置を開始[135]。発展させる形で、1980年(昭和55年)に広島駅-己斐間に『電車ロケーションシステム』を試験的に採用[136]。1985年(昭和60年)3月までに全電停に整備された[136]

軽快電車
1980年に導入された3500形
1983年に導入された800形

1980年(昭和55年)に久方ぶりの新車になる3500形を導入[118]軽快電車のはしりになった[137]。当初は開発委員会が所有していたが、1981年(昭和56年)に広電が購入した[138]1982年(昭和57年)より、廃車になった車両の中古モーターを利用したセミ軽快電車700形(2代)[139]1983年(昭和58年)より800形(2代)[118]1984年(昭和59年)より3700形[118]1987年(昭和62年)より3800形[118]1990年(平成2年)より3900形[118]1997年(平成9年)より3950形[118]が導入された。3800形に関しては当時としては珍しいVVVFインバーター制御を採用している[140]

宮島線の車両は、1050形を永久連結化・台車の換装・大型方向幕の装着など更新を行い、1982年(昭和57年)に1090形に改番。1984年(昭和59年)には、宮島線専用車で唯一の冷房化改造も行われた[141]。しかし直通形の増加により廃車が進み、1980年(昭和55年)に1040形が全車廃車[65]、1985年(昭和60年)に1030形が全車廃車[65]、1987年(昭和62年)に1070形が全車廃車[65]、1989年(平成元年)に1060形と1080形が全車廃車[65]1991年(平成3年)に1090形が全車廃車になり、高床車と呼ばれる、宮島線専用車が全廃された[65]

また、1971年(昭和46年)に全車廃車になった二軸単車の復活も行われ、1984年(昭和59年)には地域イベント『Sun Sunひろしま』にあわせて、開業時の電車を復元した100形が登場[142]。1987年(昭和62年)には被爆電車として150形が車籍を復活させた[143]

軽快電車の導入で、老朽化の進んでいた570形750形の多くに廃車が発生。冷房改造されていなかった900形にも廃車が出た。1990年代後半までに一部保存されている単車を除いて冷房化を完了した。

1994年(平成6年)には、ラッシュ時に70形を導入。直通列車を除く市内線では初の連接車導入になった[144]。その後、連接車の運行範囲は拡大されていった。

超低床車両の増備と従来車両の廃車
1999年に導入された5000形
2004年に導入された5100形

1990年(平成2年)に欧州視察を行うなど、路面電車が急速に見直される中で新時代の公共交通機関を目指してLRT化に積極的に取り組んでいる[145]

軽快電車をさらに進化させた、バリアフリー対応の超低床電車の導入も1990年代から検討され、先行するヨーロッパの主要車両メーカへ日本の気候に合った100%低床車両の可能性を問い合わせていた[146]3950形増備の前年時点で、アルナ工機住友金属工業東洋電機製造で検討したが、日本の国産部品を使って、床高を79cmから75cmにするのが限界で、コストの関係で一旦は国産低床車の導入は断念した[147]。そのことで、先行して実用化していた日本国外のメーカーから輸入する方針に転換[148]アドトランツシーメンスアルストムなどが検討され[148]1999年(平成11年)よりドイツシーメンス製のGREEN MOVER5000形を導入した[118]。5000形は完成が遅れ船便で送った場合に、到着時期が政府の補助金給付期限を過ぎてしまうため、大型輸送機(An-124)で空輸。広島空港には鉄道ファンと航空ファンが集まり、マスコミに多く報道された[148]

その後、日本国外の車両を使うことで、車両を輸入することでの輸送費の増大[149]、部品を輸入することでコストが高く時間がかかること[149]、そして車両構造が日本での運用を考慮してないこと[149]などの問題で、2001年(平成13年)に『U3プロジェクト』を立ち上げ、日本国産の低床車両の開発を開始[150]2004年(平成16年)より国産初の100%超低床電車Green mover max5100形[118]を導入し、同年12月19日には江波車庫(広島市中区江波)に搬入された[151]。また、既存の車両についても出入口に補助ステップ(踏み台)を設置するなど、高齢社会に相応しい公共交通機関を目指している。

それらの超低床車両に入れ替わるように、老朽した自社オリジナルおよび他都市からの移籍車両の廃止が進み、オリジナルの500形550形、旧神戸の1100形は形式消滅。2000形(自社)は全車両が営業運行を離脱、570形(旧神戸)、600形(旧北九州)、1150形(旧神戸)は残り1両に。これまで事故廃車しか出ていなかった650形(自社、被爆車両)にも2両が運用を離脱し(653号は休車・江波車庫保管、654号は廃車・広島市交通科学館に保存)、世代交代が進むことになった。650形のようにメディアに取り上げられ、引退式典を行う車両は例外的で、ほとんどの車両は置き換えた車両に問題がないことを確認の上で休車廃車解体を行っている。

2003年(平成15年)には、横川駅を改良[152]。それに合わせて、十日市の連絡線を整備し、広電本社前行きとして7号線が復活した[152]

ハード面では、2000年(平成12年)3月に鷹野橋バリアフリー化を実施。順次、他の電停でも同様の工事を行っている[153]

2010年以降の動き

2013年に導入された1000形(2代目)

超低床型電車については、2012年(平成24年)内に5100形を3両編成に短縮して追加導入する計画がある。中国新聞2012年11月23日付けの報道[154]によると、同車両は2013年(平成25年)2月から白島線に導入され、白島線と江波線を直通する系統として運行する計画があることが報じられている。また、2012年12月18日付けの広電のプレスリリース[155]によると、2013年2月14日に3車体2台車の2編成(1001号・1002号)が登場し、うち1編成はタイアップラッピングが施されることが明らかにした。2013年2月6日に、1000形(2代目)を同年2月15日から導入すると発表した[156]

2012年8月には、低床車両更新や電停改修のため20円から30円ほどの値上げを検討していることを明らかにし[157]、同年11月の時点で値上げする方針であると明らかにした[158]

2011年(平成23年)4月11日の市内線ダイヤ改正により、3号線は朝ラッシュまでは 広電西広島 - 広島港間で運行し、その後は 広電西広島 - 宇品二丁目間に区間を短縮して運行するようになった[159]。同年7月11日の市内線ダイヤ改正により、5号線は原則、広島駅 - 広島港間で運行して、日中12分間隔となった[160]

2013年(平成25年)1月8日、越智秀信を代表取締役社長から取締役に降格。椋田昌夫専務が社長に就任した[161][19]。事実上の解任とされ、理由は『代表取締役の独断的業務執行による、会社組織として業務に支障が出ているため』とし、詳細な理由説明はされなかった[162][19]。臨時取締役会は、越智・社外取締役が欠席で、常勤役員全員出席で行われた[163]。その後、社長に就任した椋田は、越智が運賃値上げや広島駅前新線などの計画を取締役会にかけずに公表したことを解任理由とし、それらの計画について白紙に戻すなど見直すことを明らかにした[164]

2012年(平成24年)11月23日に電車開業100周年を迎えるのに伴い、同年5月12日から全面広告車を除く全車に100周年記念のヘッドマークが掲出されている。

信用乗車方式の検討

2013年(平成25年)度以降の本格導入を目指し2011年(平成23年)には信用乗車方式の社会実験を予定していると報道されていた[165]。2012年(平成24年)2月15日から3月31日までの間、3両連接車(3703号3906号)の中扉にも降車用のICリーダー機を設置し、ICカード(PASPY・ICOCA)の利用者に限り全扉から乗降できるようにして社会実験が行われた[166]

新線・延伸計画

広島電鉄は、1997年(平成9年)9月に広島駅と広電西広島の間を平和大通り・駅前通り・駅前大橋を介して結ぶ路線を新設する計画を発表して免許を申請した。広島駅と広電西広島の間は2号線で結ばれているが、途中に交差点を抱えて路線はクランク状に折れ曲がるため、長大列車を運行する上の課題となっている。平和大通りは幅が大変広く、複線軌道を敷設するには十分である。これにより、クランクを回避できると長大編成による拠点間の高速運行が可能となり、利便性が格段に向上するとされる。

発表直後から広島市や市民、運輸審議会を交えた折衝が数度にわたって行われたが、当時の広島市は、アストラムラインによる東西線建設を希望していた。しかし、広島市は巨額の財政赤字を抱え、新球場建設等の大型事業に着手、既存のアストラムラインの大幅な赤字、国による路面電車のLRT化の推進方針も重なり、既存の路面電車やバスを改善していく方向に公共交通機関の整備計画が見直された。さらに広島電鉄は、2002年(平成14年)頃までに数度にわたって修正した計画案(最終案では、平和大通り西端の西観音町電停 - 江波線までのみ敷設)を発表したが、広島市による緑大橋の架け替え費用等の資金面で目途が立たず、2008年(平成20年)現在では、同計画は棚上げ状態にある。

2010年(平成22年)6月29日の広島電鉄の取締役会で社長に就任した越智秀信は就任前の5月12日、JR広島駅と広島市南区稲荷町を結ぶ路面電車の新路線「駅前大橋線」の、2016 - 17年の運行開始を目指す考えを明らかにした[167]

その後、乗り入れ方法についてJR側は広島駅建て替えを含めた高架乗り入れ、広電側は地下乗り入れを希望しているとされた[168]。その後、2013年1月の越智社長の解任で、方針を見直すとされ[164]、同月18日に高架式に方針転換すると社長が明らかにした[169]

広島市は学識経験者等で構成する「広島駅南口広場再整備に係る基本方針検討委員会」を設置し、2010年(平成22年)8月31日に第1回会合が開催され、路面電車の駅前大橋ルートを含めて、検討が行われている[170]

幻になった路線

広島瓦斯電気時代に、広島から呉間の鉄道路線敷設を計画。1919年(大正8年)12月20日に申請。計画では、呉側の終点は三津田橋周辺を計画。さらに、本通りまで軌道路線敷設の特許申請を行っていた[171]。その時は、省線(呉線)との競合路線になることより却下された[172]。その後、路線短縮を行い広島から船越間に変更し、1926年(大正15年)2月18日に免許を取得した[173]日本製鋼所広島製作所への通勤輸送を目的にしたが、当初の南側の路線計画では、川船の往来の妨害になることより断念[173]。その後計画された北側の路線計画では、省線と競合路線になることで、たびたび申請されていた工事着工延期申請を却下[173]1931年(昭和6年)8月5日に免許は失効した[173]。電車宮島(現広電宮島口)から岩国への路線敷設申請も行われたが免許取得は出来なかった[173]。また、横川から甲田町(現・安芸高田市)の甲立までの路線計画も存在した[173]

また、広島商工会議所1927年(昭和2年)に発刊した『大広島の建設』で、横川線を延伸して江波に至る路線(後に江波線として実現)、的場町から段原町を経由して鷹野橋に至る路線(後に皆実線として実現)、己斐から観音橋・住吉橋・鷹野橋を経由して段原町に至る路線、横川から白島を経由して広島駅に至る路線、猿猴橋から尾長町を経由して府中に至る路線が提案され、それを受けて広島瓦斯電軌は青写真を作成し検討されたが、大半は実現しなかった[174]

さらに、戦時中の1945年(昭和20年)7月に、三菱重工業広島機械製作所への行員輸送のため、天満町から昭和新開(現・観音新町)間(約3km)の特許を得た。資材に関しては、三菱重工業からの提供および白島線の単線化でまかなうとされた[175]。しかし、同年8月の広島市への原爆投下で、市内線は壊滅的な被害を受け工事に着手できず、1959年(昭和34年)に起業廃止申請を行い特許は失効した[176]

鉄軌道車両

現用車両

単行車

貨50形は事業用。350形のみ市内線・宮島線直通許可を受けている。現在の運用はすべて市内線のみとなっている。

形式名 導入初年 導入
車両数
導入車番 在籍
車両数
在籍車番 備考
貨50形 1979年[177] 2 51,52 2 51,52 750形758,759から改造
3代目100形 1984年[177] 1 101 1 101 開業時車両の復元車
2代目200形 1988年[177] 1 238 1 238 ハノーバー市電
350形 1958年[178] 3 351-353 3 351-353 旧形式名850形、旧直通車
570形 1971年[178] 17 571-587 1 582 神戸市電500形
2代目600形 1976年[178] 3 601-603 1 602 西日本鉄道500形
650形 1942年[179] 5 651-655 3 651-653 被爆電車
2代目700形 1982年[179] 11 701-707,711-714 11 701-707,711-714 701-707は750形の廃車モーターを利用
750形 1965年[179] 22 751-772 6 761-763,768,769,772 大阪市電1601形1651形1801形
2代目800形 1983年[179] 14 801-814 14 801-814
900形 1969年[180] 14 901-914 9 904-907,910-914 元大阪市電2601形
1150形 1971年[180] 7 1151-1154,1156-1158 1 1156 元神戸市電1150形、1158は1155に改番
1900形 1977年[180] 15 1901-1915 15 1901-1915 京都市電1900形
連接車

全車が市内線・宮島線の直通許可を受けている。ほとんどの車両が、市内線・宮島線直通運用されているが、現在3000形は市内線のみ、3500形は宮島線のみの運用になっている。3100形から3900形までは、宣伝車以外はほぼすべてぐりーんらいなーとなっている。

形式名 導入初年 導入
編成数
導入
車両数
導入編成番 在籍
編成数
在籍
車両数
在籍編成番 愛称 備考
3000形 1979年[181] 8 24 3001-3008 7 21 3002-3008 - 西日本鉄道福岡市内線1101形・1201形・1301形より改造
3100形 1985年[181] 3 9 3101-3103 3 9 3101-3103 ぐりーんらいなー 2500形(新製車グループ)より改造
3500形 1980年[181] 1 3 3501 1 3 3501 ぐりーんらいなー 軽快電車第一号
3700形 1984年[182] 5 15 3701-3705 5 15 3701-3705 ぐりーんらいなー
3800形 1986年[182] 9 27 3801-3809 9 27 3801-3809 ぐりーんらいなー
3900形 1990年[182] 8 24 3901-3908 8 24 3901-3908 ぐりーんらいなー
3950形 1997年[182] 6 18 3951-3956 6 18 3951-3956 Green Liner
5000形 1999年[183] 12 60 5001-5012 12 60 5001-5012 GREEN MOVER
5100形 2005年[183] 10 50 5101-5110 10 50 5101-5110 Green mover max
2代目1000形 2013年 2 6 1001-1002 2 6 1001-1002 PICCOLO
PICCOLA

休車・保存車

単行車

550形551号のみ市内線・宮島線の直通許可を受けている。

形式名 導入初年 導入
車両数
導入車番 在籍
車両数
在籍車番 備考
150形(E形) 1925年[184] 10 151-160 1 156 被爆電車、保存車
E形として登場
550形 1955年[178] 5 551-555 1 551 551は旧直通車・間接制御車、休車
連結・連接車

2000形のみ連結車。

形式名 導入初年 導入
編成数
導入
車両数
導入編成番 在籍
編成数
在籍
車両数
在籍編成番 備考
2000形 1960年[180] 4(1両余剰) 9 2001,2002=2003,2004=2005,
2006=2007,2008=2009
1 2 2004=2005 1974年に連結化、休車

廃車等により消滅した形式

単行車
2軸車
形式名 導入初年 導入
車両数
導入車番 備考
初代100形(A形) 1912年[60] 50 101-150 開業時の車両
導入後に車番を1-50 → 101-139(11両は450形に改造)に改番
導入後、A形 → 100形に形式変更
2代目100形(B形) 1921年[60] 30 101-130 導入後にB形に形式変更
全車400形に改造
初代200形(G形) 1930年[60] 10 201-210 G形として導入
400形 1938年[60] 30 401-430 2代目100形を元に車体更新
450形 1939年[60] 15 451-465 初代100形を元に車体更新
ボギー車
形式名 導入初年 導入
車両数
導入車番 備考
300形 1938年[60] 5 300-304 大阪市電500形
300は305に改番
初代500形 1938年[60] 10 500-509 京王電気軌道23形
500は510に改番
全車、初代700形に改造
2代目500形 1953年[98] 5 501-505
初代600形 1942年[60] 3 601-603
初代700形 1948年[60] 10 701-710 初代500形の車体更新車
初代800形 1951年[98] 10 801-810 803は801に改番・ワンマン改造
1100形 1971年[98] 5 1101-1105 神戸市電1100形
連接車

全車が市内線・宮島線の直通許可を受けていた。

形式名 導入初年 導入
編成数
導入
車両数
導入編成番 備考
70形 1981年[118] 2 6 76,77 ドルトムント都市事業 Dortmunder Stadtwerke AG
1300形 1976年[118] 2 4 1305,1306 西日本鉄道1301形
後日、3000形に改造
2500形 1961年[98] 7 14 2501=2502,2503=2504,2505=2506,
2507=2508,2509=2510,2511=2512,
2513=2514
2501-2510は自社発注
2511-2514は元大阪市電1601形
自社発注車は3100形に改造
宮島線専用
単行車
形式名 導入初年 導入
車両数
導入車番 備考
初代1000形(C形) 1922年[65] 2 C1,C2 →
1000
C形として導入
後日1000形に形式変更
1両は1040形に改造
1010形(D形) 1923年[65] 8 D3-D10 →
1011-1016
D形として導入
後日1010形に形式変更
1両は1040形に改造
1020形(F形) 1925年[65] 5 F11-F15 →
1020-1024
F形として導入
後日1020形に形式変更
1020は1025に改番
1030形(H形) 1930年[65] 5 H16-20 →
1030-1034
H形として導入
後日1030形に形式変更
1030は1035に改番
1060形 1954年[65] 1 1061 最後の新製高床車
連結・連接車
形式名 導入初年 導入
編成数
導入
車両数
導入編成番 備考
1040形 1939年[65] 1 2 1041=1042 千田車庫火災で被災したC2,D8を車体更新
1957年に連接車化
1090形 ←1050形 1947年[65] 2 4 1051=1052,1053=1054 →
1091=1092,1093=1094
元京阪神急行電鉄(現:阪急電鉄京阪電気鉄道100形・200形
1954年に車体更新
1980年に連結車化
1982年に1090形に改形式
1070形 1967年[65] 4 8 1071=1072,1073=1074,
1075=1076,1077=1078
元阪急電鉄500形
1080形 1977年[65] 4 8 1081=1082,1083=1084,
1085=1086,1087=1088
元阪急電鉄210系

車庫

現在

現在は、千田車庫・江波車庫・荒手車庫がある。

過去

以前は、宮島口車庫・己斐車庫があった。また、戦時中には桜土手引込線が存在した。

  • 己斐車庫
    • 太田川放水路の整備で1960年(昭和35年)10月25日に廃止[186]。代替として荒手車庫が整備された。
  • 宮島口車庫
    • 宮島口から競艇場前までの本線に並行する留置線は宮島口車庫の名残である。
  • 桜土手引込線
    • 1945年(昭和20年)6月に、『広陵中学前電停』(現在の県病院前電停)付近に整備された[71]

バス事業

不動産事業

不動産事業は、不動産カンパニーおよび連結子会社の広電不動産、広電興産、交通会館によって行われている[1]。2013年(平成25年)1月31日に、広電不動産の本体への吸収合併を同年4月1日に行うことが決まった[187]

事務所

  • 不動産カンパニー、広電不動産、広電興産
    • 広島市中区東千田町二丁目9番29号 広島電鉄本社ビル
  • 交通会館
    • 広島市東区上大須賀町1-16 交通会館ビル

概要

広島トランヴェールビルディング

不動産事業に本格参入する以前より宮島線沿線の開発の一環として、第二次世界大戦前には楽々園、1955年(昭和30年)に藤垂園の開発を行っていた[188]

1958年(昭和33年)10月28日、子会社として銀鱗不動産を設立[29]。1959年(昭和34年)10月31日には紙屋町に『広電ビル』が完成し[29]、オフィスビル賃貸事業に参入した[189]。1961年(昭和36年)2月1日[29]に広電不動産を設立[190]。八丁堀に『第二広電ビル』を建設した[190]。銀鱗不動産・広電不動産は、1971年(昭和46年)10月1日[32]に、広電不動産を存続会社にして合併した[190]

1960年(昭和35年)の経済政策所得倍増計画で、住宅の販売が増加[188]。1967年(昭和42年)に事業部内に開発課を設置。不動産事業に本格参入した[188]。1969年(昭和44年)7月16日、開発部を拡充し、不動産カンパニーの前身となる「不動産部」を新設した[188]。1970年(昭和45年)度より、鉄軌道部門・バス部門での赤字を補うようになった[191][188]

まずは小規模な住宅開発から行い、1969年(昭和44年)に中地(現・佐伯区八幡東)に8棟開発したのを皮切りに[188]、1970年(昭和45年)に城内(現・廿日市市城内)に5棟、原(現・廿日市市原)を開発した[188]

その後、住宅団地開発に本格参入し、1970年(昭和45年)に553区画の『観音台』[192]、1971年(昭和46年)に188区画の『月見台』[192]、1972年(昭和47年)に956区画の『陽光台』[192]、1974年(昭和49年)より最終的には2,500区画以上になる『毘沙門台』の販売を開始[193]。1986年(昭和61年)に224区画購入し『東観音台団地』[194]、1991年(平成3年)に127区画を購入し『アメニティタウン仁保南』を販売した[195]

マンション開発も行い、1975年(昭和50年)に『楽々園マンション』[193]、1989年(平成元年)に『ビューハイツ己斐上』[195]、1999年(平成11年)に『グランソシエ五日市』を販売した[195]

それらの開発は、鉄軌道沿線に限定せず、バス路線沿線も開発を行った[193]

その後、鉄軌道部門・バス部門の収益は改善し赤字ではなくなった[1]が、紙屋町などのオフィスビルの賃貸、一般向けに宅地・マンションの販売・仲介を行っている。

2012年(平成24年)には、広電ビルなどの建て替えで『広島トランヴェールビルディング』(「トランヴェール」はフランス語で「緑色の電車」を意味する)が開業した。

その他

テレビドラマ「西部警察」ロケ

1982年放送のテレビドラマ『西部警察 PART-II』第18話「広島市街パニック!!」のロケでは広島電鉄が撮影協力を行っており、ロケ期間中、市内中心部で各電車の運転を一時取り止め、付近の道路を一時通行止めにして撮影が行われた。クライマックスシーンの撮影では自社の750形766号が広電宮島(現・広電宮島口)駅まで運転され、同駅構内(当時)で爆破された。爆破時には周りが一瞬にして停電になる程であったという[196]。このシーンの映像はのちに『西部警察 PART-III』のオープニングにも流用されている。同車は廃車を前提としていた車両で、撮影のため、営業運転終了時の「パールライス号」から塗色・広告を変更し、同番組同ロケのスポンサーにちなみ「にしき堂号」とされ、爆破後正式に廃車された。この回では当時の運転指令室や本社社屋の模様も映し出されている[197]。また雑誌『鉄道ファン』の読者投稿欄でもこの件が話題となっていた。

ドイツ連邦共和国名誉領事

2001年5月に奥窪央雄・代表取締役会長(当時)がドイツ名誉領事に任命される。2007年2月に奥窪が退任した後は大田哲哉・代表取締役社長が引き継いで就任している。広島電鉄本社内に名誉領事事務所が設置されており、管轄地域は広島県である[198]

関連会社

連結子会社

持分法適用関連会社

その他関連会社・団体等

※以前は広島市内および近郊でタクシー事業を営む広電タクシーもあったが、現在は業界大手の第一交通産業に資本が売却され、関係は断たれている。

1955年末から1967年まで、広島カープ(現・広島東洋カープ)に共同出資企業の一つとして関与し、当時の広電の社長が球団社長を兼務したこともあった。

補足

  1. ^ ほかに間接所有分として議決権割合で約17.4%を保有。合算で約57.3%を保有している。
  2. ^ 『藤田謙一 -初代日本商工会議所会頭-』219ページには、就任日は同年3月31日になっている
  3. ^ 2010年12月13日に大田哲哉は広島商工会議所会頭を退任した。
  4. ^ 写真が特に詳細な『保存版 広島のチンチン電車』76・77ページの中国新聞社が撮影した写真で、整列乗車している電車の車番が読み取れる
  5. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』107ページには、8月6日現在、601号が宮島で無被災、602号が江波で大破、603号が本社車庫で大破と記載している

脚注

  1. ^ a b c 『有価証券報告書(第103期)』広島電鉄、2012年6月29日。
  2. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』91ページ
  3. ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』本編77ページ
  4. ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』資料編108ページ
  5. ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』資料編107ページ
  6. ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』資料編105ページ
  7. ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』本編19ページ
  8. ^ a b c d 『広島ガス100年史』49ページ
  9. ^ 帝国銀行会社要録 : 附・職員録. 大正5年(5版)
  10. ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』本編34ページ
  11. ^ a b 『広島電鉄開業100年・創立70年史』442ページ
  12. ^ 『大林組八十年史』85ページおよび88ページに死没時時点で社長だったと記載がある
  13. ^ 『藤田謙一 -初代日本商工会議所会頭-』219ページ
  14. ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』本編31ページ
  15. ^ 『広島ガス100年史』244-247ページ
  16. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』52ページ
  17. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』356-358ページ(2012年12月まで)
  18. ^ a b 代表者の異動および役員の異動に関するお知らせ - 広島電鉄 2010年5月11日
  19. ^ a b c d 代表取締役の異動に関するお知らせ - 広島電鉄 2013年1月8日
  20. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』38ページ
  21. ^ a b 『広島電鉄開業100年・創立70年史』426ページ
  22. ^ a b c d e f g h i j 『広島電鉄開業100年・創立70年史』427ページ
  23. ^ a b c d e 広島電鉄. “電車開業100周年記念事業実施のお知らせ” (PDF). 2012年6月4日閲覧。
  24. ^ a b 『広島電鉄開業100年・創立70年史』428ページ 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "HIRODEN10070_428"が異なる内容で複数回定義されています
  25. ^ a b c 『広島電鉄開業100年・創立70年史』429ページ
  26. ^ a b 『広島電鉄開業100年・創立70年史』430ページ
  27. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』431ページ
  28. ^ a b c 『広島電鉄開業100年・創立70年史』433ページ
  29. ^ a b c d e f g h i j k 『広島電鉄開業100年・創立70年史』434ページ
  30. ^ a b c 『広島電鉄開業100年・創立70年史』435ページ
  31. ^ a b c 『広島電鉄開業100年・創立70年史』436ページ
  32. ^ a b c 『広島電鉄開業100年・創立70年史』437ページ
  33. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』198ページ
  34. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』439ページ
  35. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』269ページ
  36. ^ "株式の取得(子会社化)に関するお知らせ(平成24年3月)" (PDF) (Press release). 広島電鉄. 9 March 2012. 2012年3月11日閲覧
  37. ^ a b 『広島電鉄開業100年・創立70年史』446ページ
  38. ^ “呉の広電バス、運行開始”. 中国新聞. (2012年4月2日). http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201204020114.html 2012年4月2日閲覧。 
  39. ^ 呉市交通局の路線移譲に係る基本協定に関するお知らせ。 (PDF) - 広島電鉄、2010年12月20日
  40. ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』資料編118ページ
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  55. ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』本編25ページ
  56. ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』本編24ページ
  57. ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』本編31-34ページ
  58. ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』本編34-35ページ
  59. ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』本編38ページ
  60. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『広電が走る街今昔』152ページ
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参考文献

社史
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  • 『広島電鉄開業100年・創立70年史』広島電鉄株式会社社史編纂委員会編、2012年11月
  • 『広島バス60年史』広島バス60年史編集委員会編、2010年8月
  • 『広島ガス100年史』広島ガス株式会社100年史編集事務局編、2010年3月
  • 『大林組八十年史』大林組社史編集委員会編、1973年10月
組合史
  • 『私鉄広電 戦い抜いた四十二年』私鉄中国地方労働組合広島電鉄支部、1989年8月
愛蔵書
  • 『広島のチンチン電車 保存版』(郷土出版社) ISBN 4876701105
  • 『藤田謙一 -初代日本商工会議所会頭-』弘前商工会議所編、1988年3月
  • 『広島原爆戦災誌 第3巻』(広島市)
広報資料
  • 『広島電鉄 '87会社要覧』広島電鉄株式会社総務部広報課編、1987年8月
  • 『電車を走らせた女学生たち 広島電鉄家政女学校の記録』広島電鉄編
一般書
新聞

など

外部リンク

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