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「モナ・リザ」の版間の差分

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| other_title_2 = La Joconde
| other_title_2 = La Joconde
| artist = [[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]
| artist = [[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]
| year = [[1503年]] - [[1506年]]
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| type = 油彩、ポプラ
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}}
}}


『'''モナ・リザ'''』({{lang-it-short|''La Gioconda''}}、{{lang-fr-short|''La Joconde''}}、{{lang-en-short|''Mona Lisa''}})は、[[イタリア]]の美術家[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]が描いた[[油彩画]]。深緑衣装を着一人の[[女性]]が、僅かに微笑んだ半身の肖像が描かれている。現在は[[リ]]の[[ルーヴル美術館]]に展示されている。
『'''モナ・リザ'''』({{lang-it-short|La Gioconda}}、{{lang-fr-short|La Joconde}})は、[[イタリア]]の美術家[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]が描いた[[油彩画]]。上半身みが描かれた女性の肖像画で、「世界でもっとも知られた、もっとも観られた、もっとも書かれた、もっとも歌われた、もっともロディ作品が作られた美術作品」といわれている<ref>John Lichfield, ''[http://www.independent.co.uk/news/world/europe/the-moving-of-the-mona-lisa-6149165.html The Moving of the Mona Lisa]'', The Independent, 2005-04-02 (Retrieved 9 March 2012)</ref>


『モナ・リザ』のモデルは、[[フィレンツェ]]の富裕な商人で、行政官も務めたフランチェスコ・デル・ジョコンドの妻[[リザ・デル・ジョコンド]]だとされている。[[ポプラ|ポプラ板]]に[[油彩]]で描かれた[[板絵]]で、1503年から1506年に制作されたと考えられている<ref name="Louvre">
== 歴史 ==
{{cite web
<!--モデルについては下に記述があるので不要-->
|accessdate=2012-3-11
レオナルドは[[1503年]]にこの絵を描き始め、3年から4年制作にあたった。完成後もレオナルドの手元に置かれ、[[フランス]]の[[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]の招きによりレオナルドと共に[[アンボワーズ城]]近くの[[クルーの館]]へ移り、その後[[1510年]]頃に<!---?--->フランソワ1世によって4000[[エキュ]]で買い上げられ、[[フォンテーヌブロー宮殿]]に留め置かれたとされる。
|url= http://www.louvre.fr/en/oeuvre-notices/mona-lisa-–-portrait-lisa-gherardini-wife-francesco-del-giocondo
|title=Portrait of Lisa Gherardini, wife of Francesco del Giocondo
|publisher= Musée du Louvre
}}</ref>。もともとはフランス王[[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]が購入した作品だが、現在はフランスの国有財産であり、[[パリ]]の[[ルーヴル美術館]]が常設展示をしている<ref name="Louvre"/>。しばしば「謎」と表現される画題の不確かさ<ref name="ns1">
{{cite web
|accessdate=2008-4-27
|url=http://www.newscientist.com/article.ns?id=dn6056
|title=Noisy secret of Mona Lisa's
|publisher=[[New Scientist]]
|date=2004-6-23
|author=Cohen, Philip
}}</ref>、スケールの大きな画面構成、立体描写の繊細さ、だまし絵めいた雰囲気など、さまざまな点において斬新であったこの作品は、現在に至るまで人々を魅了し続け、研究の対象となってきた<ref name="Louvre" />。


== モデルと作品名 ==
さらにその後[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]によって[[ヴェルサイユ宮殿]]に移され、[[フランス革命]]後には現在の展示場所である[[ルーヴル美術館]]に落ち着いた。ただしその後も[[ナポレオン・ボナパルト]]が滞在するテュイルリー宮殿を飾る目的でルーブルにあったほかの絵と同じく使用されたり、[[普仏戦争]]や[[第一次世界大戦]]、[[第二次世界大戦]]の際にフランス国内の安全な場所に移されたりしている。
{{Main|リザ・デル・ジョコンド}}
この作品が『モナ・リザ』と呼ばれているのは、16世紀のイタリア人芸術家、伝記作家[[ジョルジョ・ヴァザーリ]]の著書『[[画家・彫刻家・建築家列伝]]』の「レオナルドは、フランチェスコ・デル・ジョコンドから妻モナ・リザの肖像画制作の依頼を受けた」という記述が元となっている<ref name=Vasari>
{{Lang-it|Prese Lionardo a fare per Francesco del Giocondo il ritratto di mona Lisa sua moglie}}
{{harv|Vasari|1879|p=39
}}</ref>
<ref name="Clark">
{{cite journal
|author=Clark, Kenneth
|title=Mona Lisa
|journal=The Burlington Magazine
|edition=vol 115
|issue=840
|month=March
|year=1973
|page=144
|issn=00076287
|volume=115
|ref=harv
|jstor=877242
|pages=144–151
}}</ref>。イタリア語の「{{lang|it|ma donna}}」は「私の貴婦人」を意味し、短縮形で「{{lang|it|mona}}」と綴られる。ヴァザーリが著作に書いているように「{{lang|it|mona}}」が伝統的な綴りではあるが<ref name=Vasari/>、現代イタリア語では「{{lang|it|madonna}}」の短縮形は「{{lang|it|monna}}」となることが多い。したがって「モナ・リザ」を現代イタリア語で綴ると「{{lang|it|Monna Lisa}}」となるが、英語圏では一般的に「{{lang|en|Mona Lisa}}」と綴られている。


[[File:Mona Lisa margin scribble.jpg|thumb|left|ハイデルベルク大学で発見された、フィレンツェの役人だったアゴスティーノ・ヴェスプッチが1503年に記した書込み。レオナルドがリザ・デル・ジョコンドの肖像画を制作しているという内容が書かれている]]
[[1956年]]頃には酸による浸食で下部に著しい損壊が生じ、数ヶ月後には石を投げつけられたことから、『モナ・リザ』は現在のような防弾ガラス付き防犯ケースに収められた。また絵は木の板に描かれているためケース内部は湿度、気温ともに管理されるようになった。
レオナルドの伝記が書かれたヴァザーリの著書『画家・彫刻家・建築家列伝』は、レオナルドが死去した31年後の1550年に出版されたものである。そして現在にいたるまで、『モナ・リザ』の来歴やモデルの特定などの情報源としては、この『画家・彫刻家・建築家列伝』がもっともよく知られた文献資料となっている。2005年にドイツのハイデルベルク大学図書館の研究者が、大学の蔵書である1477年に出版された[[マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]全集の余白部分にラテン語の書込みを発見した。この書込みは、レオナルドの同時代人でフィレンツェの役人だったアゴスティーノ・ヴェスプッチ ([[:en:Agostino Vespucci]]) が1503年に記したもので、ヴェスプッチはレオナルドを著名な古代ギリシアの画家[[アペレス]]に例える文章を書いた人物だった。ヴェスプッチの書込みには、レオナルドがリザ・デル・ジョコンドの肖像画を制作している最中であることが、1503年10月という日付とともに記されていた<ref name="subject">
{{cite web
|title=Mona Lisa – Heidelberg discovery confirms identity
|url=http://www.ub.uni-heidelberg.de/Englisch/news/monalisa.html
|publisher=University of Heidelberg
|accessdate=4 July 2010
}}</ref>
<ref>{{cite news
|title = 「モナリザ」の謎のモデルを示す証拠? 独図書館で発見
|url = http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2336674/2525347
|publisher = AFPBB News
|date = 2008-01-16
|accessdate = 2012-02-05
|ref = AFPBB
}}</ref>。2004年に実施された赤外線分析の結果からも、『モナ・リザ』の制作開始年が、ジョコンドが次男を出産した1503年ごろだといわれている<ref name="nrcc">
{{Cite web
|url=http://iit-iti.nrc-cnrc.gc.ca/projects-projets/monalisa-lajoconde_e.html
|title=3D Examination of the Mona Lisa
|accessdate=2007-9-15
|publisher=Nataional Research Council of Canada
|year=2006
|author=National Research Council of Canada
}}</ref>
<ref name="edmonton">
{{Cite web
|url=http://www.canada.com/edmontonjournal/news/story.html?id=45cc0dcc-7a3d-4256-8c67-2a4e5d1645d3&k=75720
|title=Canadian researchers set to reveal Mona Lisa mysteries
|accessdate=2007-9-15
|publisher=The Edmonton Journal
|year=2006
|author=Randy Boswell
}}</ref>。


レオナルドが1525年に死去する際に、弟子のサライに「ラ・ジョコンダ ({{lang|it|la Gioconda}})」という題名の肖像画を遺贈したことが、サライの個人的覚書に記されている。イタリア語の「{{lang|it|jocund}}」は「幸福」や「陽気な」を意味する。「{{lang|it|La Gioconda}}」はモデルの姓であると同時に、「幸せな人」を意味する「{{lang|it|La jocund}}」の語呂あわせにもなっている<ref name="Kemp" /><ref name="louvre1">{{harv|Bartz|2006|p=626}}</ref>。
[[1962年]]、[[アメリカ合衆国]]へと貸し出され、[[ニューヨーク]]と[[ワシントンD.C.]]で展示された。[[日本]]における展示は[[1974年]]に[[東京]]・[[上野]]の[[東京国立博物館]]で行われ、その後[[モスクワ]]へ貸し出されている。


『モナ・リザ』のモデルであるリザ・デル・ジョコンドは<ref>
=== 盗難 ===
{{cite news
[[ファイル:Mona Lisa stolen-1911.jpg|thumb|right|150px|盗まれたモナ・リザ]]
|title=German experts crack the ID of ‘Mona Lisa’
[[1910年]]には、絵画や彫刻などの美術品を傷つける犯罪が相次いでいた当時の風潮を受けて、保護ガラスでできたガラスケースに収める決定がなされる。しかしその一年後の[[1911年]][[8月22日]]、ルーヴル美術館から『モナ・リザ』が盗み出され行方不明となった。関与が疑われた詩人[[ギヨーム・アポリネール]]が逮捕され、さらに友人[[パブロ・ピカソ]]も逮捕されたが、1週間後に釈放された。
|url=http://www.msnbc.msn.com/id/22652514/?GT1=10755
|publisher=MSN
|date=14 January 2008
|accessdate=15 January 2008}} {{Dead link|date=May 2011}}
</ref>
<ref>{{cite news
|title=Researchers Identify Model for Mona Lisa
|url=http://www.nytimes.com/aponline/arts/AP-Art-Mona-Who.html
|work=The New York Times
|accessdate=15 January 2008}} {{Dead link|date=August 2010|bot=RjwilmsiBot}}
</ref>、[[フィレンツェ]]と[[トスカーナ]]に起源を持つゲラルディーニ家の出身で、フィレンツェの裕福な絹商人フランチェスコ・デル・ジョコンドと結婚した<ref name="Kemp" />。フランチェスコが『モナ・リザ』の制作をレオナルドに依頼したのは、デル・ジョコンド一家の新居引越しと次男アドレアの出産祝いだったと考えられている<ref>{{harvnb|Farago|1999|p=123}}</ref> 。


== 来歴 ==
『モナ・リザ』が行方不明となって2年後の[[1913年]][[12月12日]]に、保護ガラスを取り付けた職人であった[[ビンセンツォ・ペルージャ|ヴィンチェンツォ・ペルッジャ]]という男によって、[[フィレンツェ]]の[[画商]]に売られようとしたところを発見された。
{{Main|レオナルド・ダ・ヴィンチ}}
[[File:Leonardo da Vinci - Self-Portrait - WGA12798.jpg|thumb|レオナルド・ダ・ヴィンチの自画像。赤パステルで1512年から1515年ごろに描かれた。]]
レオナルド・ダ・ヴィンチがフィレンツェで『モナ・リザ』の制作を開始したのは1503年か1504年である<ref>Merry E. Wiesner-Hanks and Merry E. Wiesner, ''An age of voyages, 1350–1600'', Oxford University Press US, 2005, p.26. ISBN 0-19-517672-3</ref>。レオナルドと同時代人のジョルジョ・ヴァザーリは「制作に4年を費やしたが、結局未完に終わった」と記している<ref name=Clark />。晩年のレオナルドは「ただの1作も完成させることができなかった」ともいわれている<ref>Henry Thomas and Dana Lee Thomas, ''Living biographies of great painters'', Garden City Publishing Co., Inc., 1940, p.49.</ref>。


1516年に、レオナルドはフランス王[[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]の招きに応じてフランスを訪れ、フランソワ1世の居城[[アンボワーズ城]]近くの[[クルーの館]]に移り住んだ。このときにレオナルドは『モナ・リザ』もフランスへ持参し、フランスでも『モナ・リザ』に加筆し続けたと考えられている<ref name=BBC-Faces>
ペルッジャは「ナポレオン時代にフランスに取られた[[イタリア]]の文化遺産を取り戻す目的で盗った」と証言していたが、実際には彼は[[アルゼンチン]]の詐欺師{{仮リンク|エドゥアルド・デ・バルフィエルノ|en|Eduardo de Valfierno}}に雇われており、バルフィエルノは贋作を作成してアメリカの富豪ら6名に売りつけていた(事件の詳細については『Valfierno: The Man Who Stole the Mona Lisa』(Martin Caparros著、ISBN 0-7432-9793-8)で紹介されている)。発見された『モナ・リザ』はイタリアで展示されたのち、フランスに返還されている<!--英語版より-->。
{{cite news
|author=Chaundy, Bob
|title=Faces of the Week
|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/magazine/5392000.stm|publisher=BBC
|date=2006-9-29
|accessdate=2007-10-5
}}</ref>。レオナルドは1519年に死去し、『モナ・リザ』は他の作品とともに弟子のサライが相続した<ref name="Kemp">{{harv|Kemp|2006|pp=261–262}}</ref>。その後フランソワ1世が『モナ・リザ』を4,000エキュで買い上げ、[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]に寄贈されるまで、100年以上[[フォンテーヌブロー宮殿]]に所蔵されていた。ルイ14世は『モナ・リザ』を自身が新たに王宮に定めた[[ヴェルサイユ宮殿]]へと移した。[[フランス革命]]後、『モナ・リザ』は[[ルーヴル美術館]]の所蔵となったが、[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン1世]]がフランス皇帝だったときには、[[チュイルリー宮殿]]のナポレオン1世の寝室に飾られていたこともあった。1870年から1871年に起こった[[普仏戦争]]時にはルーヴル美術館からブレスト・アーセナル ([[:en:Brest Arsenal]]) に移されている<ref name="Bohm-Duchen2001p53">
{{cite book
|last=Bohm-Duchen
|first=Monica
|title=The private life of a masterpiece
|url=http://books.google.com/books?id=cwL7aF-EB84C&pg=PA53
|accessdate=2010-10-10
|year=2001
|publisher=University of California Press
|isbn=978-0-520-23378-2
|page=53}}</ref>。また、[[第二次世界大戦]]時には戦禍を避けて、アンボワーズ城、ロク・デュ修道院 ([[:en:Loc-Dieu Abbey]])、[[シャンボール城]]を転々とし、最終的に[[モントーバン]]の[[アングル美術館]]に収められている。


== モデル ==
=== 盗難と破損 ===
[[File:Mona Lisa stolen-1911.jpg|thumb|left|『モナ・リザ』が盗まれたルーヴル美術館サロン・カレの展示場所。]]
[[ジョルジョ・ヴァザーリ]]が、1人芸術家の作品と生涯を紹介した『[[画家・彫刻家・建築家列伝]]』(1550年)の中で、[[フォンテーヌブロー宮殿]]にある『モナ・リザ』にふれ、モデルを'''[[フランチェスコ・デル・ジョコンド]]'''("Giocondo")<!--商人である夫の姓はジョコンド)---->の妻であるとした。「モナmonna(伊)」は「婦人」、「リザ」は「エリザベッタ」の愛称を意味している。ちなみに、[[イタリア語]]での名称「''La Gioconda''」は「ジョコンド」を女性形にしたもので、ルーブル美術館でも「''La Joconde''」と称している。(なお、17世紀のフォンテーヌブロー宮殿の財産目録には「紗のベールをまとう宮廷婦人」とあった<ref>[[中山公男]]『モナ・リザ』(1974年)。ルネサンス期には宮廷婦人(Cortigiana)という語には娼婦の意味もあったという。</ref>。)
『モナ・リザ』の名声は、1911年8月21日にルーヴル美術館から盗まれたときにさらに上がった<ref name=Stoner-PBS>
{{cite news
|title=Theft of the Mona Lisa
|url=http://www.pbs.org/treasuresoftheworld/a_nav/mona_nav/main_monafrm.html|publisher=Stoner Productions via Public Broadcasting Service (PBS)
|accessdate=2009-10-24}}</ref>。盗難に遭ったのが発覚したのは翌日の8月22日で、フランス人画家ルイ・ベロー ([[:en:Louis Béroud]]) が、『モナ・リザ』をスケッチするために、『モナ・リザ』が公開されているサロン・カレを訪れた。しかしながら、『モナ・リザ』が展示されているはずの場所には、額縁を固定する釘が残されているだけだった。ベローは警備責任者に連絡したが、この警備責任者は『モナ・リザ』は宣伝に使用する写真撮影のために移動させられているだけだと思い込んでしまった。数時間後、ベローが美術館の担当者に再度確認したところ、『モナ・リザ』には写真撮影の予定が入っていないことが分かり、『モナ・リザ』が盗難に遭ったことが発覚したのである。ルーヴル美術館は、捜査に協力するために一週間閉館となった。


ルーヴル美術館など「燃えてしまえ」と言い放ったことがあるフランス人詩人[[ギヨーム・アポリネール]]に盗難の容疑がかかり、アポリネールは逮捕、投獄された。このときアポリネールは友人だった[[パブロ・ピカソ]]に助けを求めようとしたが、ピカソも事件への関与が疑われ、尋問のために警察へと連行された。証拠不十分で両者共に釈放されているが、後にアポリネールもピカソも全く事件とは無関係だったことが証明されている<ref name="monalisa25">
フランチェスコは実在した裕福な人物であり、当時フィレンツェの中で政治的にも権威を持っていた。しかし、その妻である'''[[リザ・デル・ジョコンド]]'''(リザ・ゲラルディーニ)については[[1479年]][[10月16日]]に生まれ、[[1495年]]にフランチェスコと結婚したことは分かっているが、それ以外はほとんど分かっていない。また当時、肖像画の服装、背景、髪型にはモデルを暗示するモチーフが盛り込まれることが一般的であったにもかかわらず、『モナ・リザ』においては服装や髪型から明確な特徴が得られず、背景にも茫漠とした風景が描かれているのみで、特定の個人を示す暗示がほとんど得られない。
{{cite news
|title=Top 25 Crimes of the Century: Stealing the Mona Lisa, 1911
|url=http://www.time.com/time/2007/crimes/2.html
|work=TIME
|accessdate=2007-9-15
|date=2007-12-2
|deadurl=yes
}} {{Dead link|date=April 2012|bot=RjwilmsiBot}}</ref>。


『モナ・リザ』の再発見については悲観的な見方が大半だったが、事件発生から2年後に、かつてルーヴル美術館に雇われたことがあるイタリア人[[ビンセンツォ・ペルージャ]]が真犯人であることが判明した。ペルージャはルーヴル美術館の開館時間中に入館し、清掃用具入れの中に隠れていた。ルーヴル美術館の閉館後に隠れ場所を出て『モナ・リザ』を外し、コートの下に隠して逃走したのである<ref name="louvre1" />。ペルージャはイタリア愛国者であり、イタリア人レオナルドの作品はイタリアの美術館に収蔵されるべきだと信じていたとされる。また、真作の『モナ・リザ』が失われれば複製画の価格が高騰すると持ちかけられたことも、動機となっているという説もある。ペルージャは2年間にわたって自身のアパートに『モナ・リザ』を隠していたが、[[フィレンツェ]]の[[ウフィツィ美術館]]館長に『モナ・リザ』を売却しようとして、逮捕された。イタリアに持ち込まれていた『モナ・リザ』は、そのままイタリア中で巡回展示された後、1913年にルーヴル美術館に返却された。ペルージャはイタリアで裁判にかけられたが、愛国者であると賞賛され、投獄されたのは6カ月に過ぎなかった<ref name="monalisa25" />。
このため20世紀に入って、ヴァザーリの記述に対する疑問から、絵のモデルはジョコンダではないとする異説が複数唱えられてきた。これは以下の不審な点に起因する物である。
*レオナルドは通常、描く絵について大量のスケッチやメモを残しているが、この肖像画については晩年まで離さず持ち続けていたにも関わらず、何の記録も残していない。
*絵を描いた1503年当時、リザは24歳であり、描かれている人物はもっと年齢が高く見える。
*フランチェスコの妻と書き記したヴァザーリは[[1511年]]の生まれであり、レオナルドにもリザにも会ったことがなかった。また『モナ・リザ』を実際に見てはいないと思われる。
*レオナルド存命中の1517年にクルーの館を訪れた人物(ルイジ・ダラゴーナ枢機卿の秘書アントニオ・デ・ベアーティス)が、[[ジュリアーノ・デ・メディチ (ヌムール公)|ジュリアーノ・デ・メディチ]]の依頼によって描かれた「フィレンツェの婦人」の肖像を見たことを記述している。レオナルドは「フィレンツェの貴婦人の役目は、偉大なジュリアーノ・デ・メディチの死と共に終わった」と述べたという。
こうしたことから、20世紀に入ってモデルに関する様々な異説が唱えられるようになり、以下のような人物がモデルとして推定された。
*[[コスタンツァ・ダヴァロス]] … 当時[[ジュリアーノ・デ・メディチ (ヌムール公)|ジュリアーノ・デ・メディチ]]の愛人であった[[ナポリ]]公妃。ただし1503年当時45歳で、年齢的に合わない(これはレオナルドが嘘をついたためとする意見がある)。
*[[イサベラ・ダラゴーナ]] … [[ミラノ]]公妃。年齢が絵と近く、同じ構図の油絵『アラゴンのイザベラの肖像』がある。『アラゴンのイザベラの肖像』はスイスで個人が所有しており、詳細はよく分かっていない。
*[[イザベラ・デステ]] … マントヴァ侯爵夫人。レオナルドのデッサンに『イザベラ・デステの肖像』がある。このデッサンは横顔であるが衣装、顔、体型が『モナ・リザ』に書かれている女性と非常によく似ている(レオナルドの手によるデッサンであるかどうかについては議論がある)。
その後もモデルに関する憶測もしくは捏造は止まることを知らず、「この肖像画はフランチェスコ・デル・ジョコンド、つまり男性の肖像画である」という極端な説まで現れた。


[[第二次世界大戦]]中には戦禍を避けて、ルーヴル美術館からアンボワーズ城、ロク・デュ修道院 ([[:en:Loc-Dieu Abbey]])、さらに[[シャンボール城]]へと移され、最終的に[[モントーバン]]の[[アングル美術館]]に収められた。1956年には観客から酸を浴びせられ、画面下部に大きな損傷を受けたことがあった<ref>
また、[[ベル研究所]]の[[リリアン・シュワルツ]]博士は、レオナルドの自画像といわれる絵と、『モナ・リザ』の顔の特徴をデジタル解析した結果に基づき、『モナ・リザ』はレオナルドの[[自画像]]であるという見解を出した。両者をコンピュータを用いて合成すると、顔の特徴がほぼ完璧に一致するというのである。しかし同じ画家が描いた絵であれば癖や好みなどから特徴が似通った絵となることも多く、レオナルド自身の「全ての肖像画は画家自身の自画像に通じる」という言葉を裏付けたとも見なすこともでき、必ずしもレオナルドが『モナ・リザ』のモデルであることを証明する物ではなかった。
{{cite news
|accessdate=2008-4-27
|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/magazine/5392000.stm|title=Faces of the week
|publisher=BBC
|date=2006-9-29
}}</ref>。さらに同年12月30日に、ボリビア人青年が『モナ・リザ』に石を投げつけた。これによって画面左下部の顔料が僅かではあるが剥落し、修復されている<ref>
{{cite web|accessdate=12 August 2009
|url=http://www.monalisamania.com/faq.htm|title=Mona FAQ
|publisher=Mona Lisa Mania
}}</ref>。


損壊事件が相次いだことから、『モナ・リザ』は[[防弾ガラス]]のケースに収められた。1974年4月には、[[東京国立博物館]]に貸し出し展示されていた『モナ・リザ』が、美術館の身体障害者への対応に憤った「足の不自由な女性」に赤色のスプレー塗料を吹き付けられたが、『モナ・リザ』は無事だった<ref>
[[ファイル:Mona Lisa margin scribble.jpg|250px|thumb|right|{{lang|it|Agostino Vespucci}}が作成したモナ・リザのモデルが[[リザ・デル・ジョコンド]]であることを示す記述 [[ルーブル美術館]]所蔵 ハイデルベルク大学撮影]]
{{cite web|accessdate=9 October 2012
そんな中、[[ドイツ]]の[[ハイデルベルク大学]]図書館は、[[2008年]][[1月14日]]、『モナ・リザ』のモデルが、フィレンツェの商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻・[[リザ・デル・ジョコンド|リザ]]であることを裏付ける文献が見つかったことを明らかにした。[[1477年]]に印刷された所蔵古書の欄外にフィレンツェの役人[[:en:Agostino Vespucci|{{lang|it|Agostino Vespucci}}]]による「レオナルドは今、[[リザ・デル・ジョコンド]]の肖像を描いている」という書き込みがあった。この書き込みは1503年10月になされ、レオナルドが『モナ・リザ』を描いていた時期と重なり、ヴァザーリの記事が裏付けられたことになる。これにより、モデルにまつわる論争には一応終止符が打たれた<ref name="heidelberg-discovery">{{cite web|title=Mona Lisa – Heidelberg discovery confirms identity|year=2008|url=http://www.ub.uni-heidelberg.de/Englisch/news/monalisa.html|work=Heidelberg University Library|publisher=[[ハイデルベルク大学]]|language=英語|accessdate=2012-02-05}}</ref><ref>{{cite news
|url=http://news.google.com/newspapers?nid=1755&dat=19740421&id=qkg0AAAAIBAJ&sjid=EGcEAAAAIBAJ&pg=7136,1955839
| title = 「モナリザ」の謎のモデルを示す証拠? 独図書館で発見
|title='Mona Lisa' Still Smiling, Undamaged After Woman's Spray Attack in Tokyo
| url = http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2336674/2525347
|publisher=Sarasota Herald-Tribune
| newspaper = AFPBB News
|date=1974-4-21}}</ref>。2009年8月2日には、フランス市民権取得を拒否されて度を失ったロシア人女性が、ルーヴル美術館の土産物屋で購入した素焼きのコップを『モナ・リザ』に投げつけたが、防弾ガラスに収められていた『モナ・リザ』への影響はなかった<ref>
| publisher = AFPBB News
{{cite web
| date = 2008-01-16
| accessdate = 2012-02-05
|accessdate=2009-8-12
|url=http://news.xinhuanet.com/english/2009-08/12/content_11868974.htm
| ref = AFPBB
|title=Mona Lisa attacked by Russian woman
}}</ref>という見方が有力であるが、それならばなぜすぐに依頼主に引き渡されなかったのかなど、依然として論拠の曖昧さが残る。
|publisher=Xinhua News Agency
|date=2009-8-12
}}</ref>
<ref>{{cite news
|accessdate=2009-8-11
|url=http://www.google.com/hostednews/ap/article/ALeqM5jVp53azA2HoJZZCxJ8aul8d9tJhgD9A0PM900
|title=Russian tourist hurls mug at Mona Lisa in Louvre
|agency=Associated Press|date=11 August 2009
}}{{dead link|date=November 2010
}}</ref>。


== 構成と審美的評価 ==
== その他 ==
[[File:Mona Lisa detail background right.jpg|thumb|画面背景右上の拡大画像。]]
*『モナ・リザ』の左右のまなざしは若干ずれており、右目が正面を向いているのに対して左目はやや左を向いている。また、モナ・リザをX線にかけたところ、レオナルドは、最初に描いた「まなざし」の上に少なくとも一回以上異なった「まなざし」を上塗りしたことが分かっている<ref>岡部昌幸 『教養としての名画 「モナ・リザ」の微笑はなぜ神秘的に見えるのか』 青春出版社、2004年、44頁</ref>。
『モナ・リザ』の女性像は、シンプルで安定感のある三角形の構図で描かれており、重ねられた両手が三角形の底辺を構成している。胸、首、顔、手は光源を同じくする光に照らし出され、光の効果が丸みを帯びた様々な表情を女性に画面に与えている。レオナルドは、座する聖母マリアが描かれた、当時の典型的ともいえる構成で『モナ・リザ』の女性を描いている。レオナルドがこのような構成で『モナ・リザ』を描いたのは、この女性像と作品の鑑賞者に距離感を持たせる効果を意図していた。左腕が乗せられた椅子の肘掛が『モナ・リザ』と鑑賞者とを隔てる役割を担っている。


女性は背筋を伸ばして座り、重ねられた両手は控えめな立ち振る舞いを意味している。視線はまっすぐに鑑賞者に向けられ、この静謐な空間を共有することを歓迎しているかのように見える。光に照らし出された明るい顔は、髪の毛、ベール、陰影などの暗い部分によってさらに強調されている。女性の顔は、レオナルドが用いた新たな技法によって不思議な表情を与えられている。輪郭を描くのではなく「主に口角と眼周辺を表現する (Gombrich)」[[スフマート]]の技法で女性の顔が描かれている<ref>[http://www.artchive.com/artchive/L/leonardo/monalisa_text.jpg.html E.H. Gombrich, ''The Story of Art''. Retrieved 10 June 2011]</ref>。現在ルーヴル美術館が所蔵する、[[ラファエロ・サンティ|ラファエロ]]の『[[バルダッサーレ・カスティリオーネ|バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像]]』は、1514年から1515年ごろに描かれた絵画で、間違いなく『モナ・リザ』の影響を受けている作品である。
*『モナ・リザ』に描かれている女性には眉毛が見当たらないことがよく指摘され、眉毛は修復の際に消えてしまったという説や、レオナルドは元から眉毛を描いておらず、それゆえに絵が未完成であるという主張などが論じられてきた。しかし、2007年にフランスの技術者、パスカル・コットによる高解像度カメラの分析によって眉の跡が確認された<!--<ref name=A/>--><ref>「モナリザにまゆ毛あったーー仏技術者新説」『産經新聞』2007年10月20付夕刊、第9面、第4版</ref>。コットは、モナリザの目の周囲に亀裂があることから、修復やクリーニングの際に眉毛やまつげを一緒に拭き取ってしまったと推測している。


[[File:Mona Lisa detail hands.jpg|thumb|left|重ねられた両手の拡大画像。結婚指輪は描かれていないが、レオナルドはこのポーズでリザを描くことによって、高潔で貞淑な夫人を表現している<ref name="Z12">{{harvnb|Farago|1999|p=372}}</ref>。]]
*イタリアの文化財専門家が『モナ・リザ』の目の中にレオナルドのイニシャルなどの微細な文字を発見したと、英紙[[デイリー・メール]]が2010年12月に報じた。右目にレオナルドのイニシャルである「LV」が描かれ、左目には「CE」あるいは「B」と思われる記号、背景にある橋のアーチには「72」あるいは「L2」のような文字を、高度な拡大鏡を使用することで確認でき、謎を呼んでいる<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010121800229 時事ドットコム "本物のダビンチ・コード?=モナリザの目に文字を発見−英紙" 2010年12月18日18時28分版を閲覧]</ref><ref>[http://www.dailymail.co.uk/news/article-1337976/Real-life-Da-Vinci-Code-Tiny-numbers-letters-discovered-Mona-Lisa.html Daily Mail: Mail Online "The real-life Da Vinci Code: Historians discover tiny numbers and letters in the eyes of the Mona Lisa" 2010年12月17日午前7時42分版を閲覧]</ref>。
『モナ・リザ』は空想的な風景を背景にして、一人の座る女性を描いた最初期の肖像画の一つである。レオナルドは空気遠近法 ([[:en:aerial perspective]]) を絵画に取り入れた最初の画家の一人でもある<ref>{{cite web|title=The Mona Lisa (La Gioconda)|url=http://www.bbc.co.uk/science/leonardo/gallery/monalisa.shtml|date=2009-10-25|publisher=BBC |accessdate=2009-10-24}}</ref>。この謎めいた女性は、暗色の柱に支えられた開かれたロッジアの中に座っている。背景にはうっすらとした凍て付いた山並みなど広大な風景が描かれている。曲がりくねった小路と遠景の橋には、一人の人影も見えない。官能的に波打つ髪と衣服は、うねるように表現された背後の谷や川と調和している。ぼやけた輪郭、優美な女性像、明暗の劇的な対比、そして静謐さに満ちた雰囲気は、レオナルドの作風の典型ともいえる。レオナルドが成しえた女性像と空想上の風景との融合表現が、『モナ・リザ』が伝統的な肖像画なのか、それとも実在の女性ではなく理想的な女性を表現したものなのかという議論の原因ともなっている。


『モナ・リザ』に描かれている女性や風景については様々な憶測がある。例えば「15世紀後半の美的感覚、さらには21世紀の美的感覚に照らしても」モデルの女性が美しくは描かれていないことから、レオナルドは忠実にモデルの女性を写し取ったと考えられるなどといった説がある<ref>
*この絵があまりにも突出していたため、[[ダダイスム|ダダイスト]]や[[シュルレアリスム|シュルレアリスト]]たちは、この絵を変更したり、この絵をネタにした風刺画などを数多く制作した。例えば、[[マルセル・デュシャン]]は女性の顔にひげを付け加えた『L.H.O.O.Q.』と題した絵を作り、[[アンディー・ウォーホル]]はコラージュしたポスターを作成した。[[デュシャン]]はさらに、自分の個展の招待状に『モナ・リザ』の複製画を載せ、『L.H.O.O.Q. ひげ剃り後』とタイトルを付けている。
{{cite book
|title=Artists of the Renaissance
|author=Irene Earls
|publisher=Greenwood Press
|year=2006
|page=113
|isbn=0-313-31937-5
}}</ref>。また、[[矢代幸雄]]のように、『モナ・リザ』の背景に描かれている風景画が、中国の[[山水画]]の影響を受けていると主張する西洋美術史家もいる<ref name=Salgueiro/>。しかしながら、これらの推測には確たる証拠がないため異論も多い<ref name=Salgueiro>Heliana Angotti Salgueiro, ''Paisaje y arte'', University of São Paulo], 2000, p. 74. ISBN 85-901430-1-5</ref>。


== 保存状態 ==
*[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネスブック]]は、この絵を最も多額の保険がかけられた絵画として登録している。レオナルドがフランスに持ち込んだ後、『モナ・リザ』がフランスから公式な手続きにより持ち出されたのは2度のみで、そのうち日本、ロシアと巡回展示された際には、50億円の盗難保険がかけられた。
『モナ・リザ』が制作されて以来、500年以上が経過しているが、1952年に開催された美術品に関する国際会議で「この絵画(『モナ・リザ』のこと)の保存状態は極めて良好である」とされている<ref name="mohen">
{{cite book
|last = Mohen
|first = Jean-Pierre
|title = Mona Lisa: inside the Painting
|publisher=Harry N. Abrams, Inc.
|year = 2006
|page=128
|isbn = 0-8109-4315-8
}}</ref>。これは過去に様々な修復が入っていることにも一因がある。1933年にマダム・ド・ジロンドが、初期の修復者たちが細部にわたるまで「細心の注意を払って」修復作業にあたった痕跡が見られるとしている<ref name="mohen" />。16世紀の終わりまでには、画肌保護のために表面に塗布されていた[[ワニス]]が劣化し、画面全体が黒ずんで見えていたが、1809年に大胆な修復が実施された。このときの修復作業では、画肌最上部のワニス層が除去されており、修復洗浄の結果画面全体に往時の明るさが取り戻されている。『モナ・リザ』は過去の歴史を通じて、非常に適切に保管されてきた作品である。[[支持体]]に使用されているポプラ板の反りが[[キュレーター|キュレータ]]たちの「ちょっとした悩み」になっていたが<ref>
{{cite news
|title=Ageing Mona Lisa worries Louvre
|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/3660143.stm
|date=2004-4-26
|publisher=BBC News
|accessdate=2009-10-24
}}</ref>、2004年から2005年に実施された修復では、将来の『モナ・リザ』の状態も問題ないだろうといわれている<ref name="mohen" />。
=== 支持体のポプラ板と額縁 ===
[[File:La Joconde (Le Louvre) (8226631218).jpg|thumb|180px|ルーヴル美術館ドゥノン翼2階展示室6「国家の間」の、2013年現在『モナ・リザ』が収められている、建築家ロレンゾ・ピケラスが設計した防弾ガラス製のケース<ref>
{{cite web
|title=イタリア モナ・リザの間
|accessdate=2013-2-13
|url=http://www.louvre.fr/jp/rooms/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%80%80%E3%83%A2%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%81%AE%E9%96%93
|publisher=ルーヴル美術館
}}</ref>。]]
『モナ・リザ』の支持体となっているポプラ板は、湿度の影響により歪みや反りが生じたことがある。過去に、ポプラ板の歪みによって画面上部にひびが入り、女性像の髪の部分にまでひび割れが及んでしまったことがある。この歪みを矯正するために、18世紀半ばから19世紀初頭にかけて、2点のクルミ材製の固定具が作品の背面に挿し込まれた。ポプラ板の厚みのおよそ3分の1の深さまでこの固定具を挿し込むという、非常に高度な技術を必要とされる作業だったが、この修復は成功しひびの状態は安定した。また、1888年から1905年のどこか、おそらくは盗難中に上部の固定具が脱落している。さらに、第二次世界大戦中に不適切な保存下に置かれていたために生じた歪みへの対応と、レオナルド生誕500年記念展覧会に出品される準備として、『モナ・リザ』はブナ材の横木がついた、弾力性のあるオークの額縁に収められた。この額縁は、それ以上ポプラ板が歪まないように圧力をかける機能を持っていた。1970年には、ブナ材の横木が虫による食害にあっていることが発見され、横木の素材がカエデ材に交換されている。さらに2004年から2005年に、保存委員会がカエデ材の横木からプラタナス材の横木に交換し、さらに科学的な歪みの測定に基づいて金属製の横木も追加した。


『モナ・リザ』はそれぞれ時代の流行に応じて、様々な額縁に収められてきた。サイズを額縁に合わせるためにポプラ板の端が削られたことはあるが、顔料が塗布された絵画部分には削られた箇所はない<ref name="mohen" />。
*2005年3月26日に日本テレビで放送された『ビートたけしのモナ・リザはもう一枚あった!』において、[[スイス]]・[[ジュネーヴ]]の地下金庫に眠っていた[[:en:Isleworth Mona Lisa|もう一枚の『モナ・リザ』]]が初公開された。そのもう一枚の『モナ・リザ』はX線写真監査でレオナルドの時代に描かれたことが判明し、現在さらに詳しい調査が行われている。正式発表は番組放送時から数箇月後にあるということだったが、2007年11月現在、未だにその発表は行われていない。


現在『モナ・リザ』が収められている防弾ガラスのケース内部は厳格な制御がなされており、湿度は50パーセント±10パーセント、温度は18度から21度に保たれている。さらに湿度の変動を防ぐ目的で[[シリカゲル]]もケース内に入れられており、相対湿度を55パーセントに保つ一助となっている<ref name="mohen" />。
*[[夏目漱石]]は、『永日小品』に所収されている短編『モナリサ』でこの絵を取り上げている。作中においては、この絵は「気味の悪い顔」、「縁起の悪い画」と評された。


=== 過去の修復作業 ===
*[[松岡圭祐]]のミステリー小説『[[Qシリーズ (小説)|万能鑑定士Qの事件簿IX]]』で、37年ぶりに『モナ・リザ』が日本で公開されるというフィクションが描かれている。作中においては、「瞳の中の文字」も素材として取り上げられている。また、『モナ・リザ』の裏面に「H29の文字」「ジョコンダの走り書き」「王立美術館の赤いスタンプと316という数字」があるという記述は事実に基づいており、2011年春に日比谷公園で開催された『ダ・ヴィンチ展』のレプリカ展示品でも確認できた。
記録に残っている『モナ・リザ』に対する、最初のかつもっとも大規模な修復が実施されたのは1809年のことである。このときの蒸留アルコールによる洗浄、ワニスの塗り直し、加筆など一連の修復作業の指揮を執ったのは、当時ナポレオン美術館と改名されていたルーヴル美術館の絵画修復責任者ジャン=マリー・フストゥルだった。1906年に、ルーヴル美術館の修復担当者ウジェーヌ・ドゥニザールが、ポプラ板のひび割れによって荒れた画肌部分に水彩顔料で修復加筆を行っている。また、ドゥニザールは、古い額縁では隠れていた画面端部分のワニスの修復も行っている。盗難に遭っていた『モナ・リザ』がルーヴル美術館に戻された1913年にも、ドゥニザールが修復作業の責任者に任命された。このときドゥニザールは特殊な溶剤を使用しない洗浄作業を指示し、顔料が欠落していた箇所に対して、水彩顔料によるわずかな加筆で修復作業を終えている。1952年には、画面背景部分を覆っていたワニス層の表面を滑らかにする修復が行われた。1956年に観客によって酸が浴びせられたときにはジャン=ガブリエル・グーリナが修復を担当し、損害を受けた『モナ・リザ』の左腕部分を水彩顔料で修復加筆している<ref name="mohen" />。


=== ルーヴル美術館での展示場所 ===
*[[1950年]][[6月10日]]、[[ナット・キング・コール]]がバラード『モナ・リザ』をこの絵に捧げた歌として発売。300万枚の売り上げを作る。
学術的な保全、記録、調査を受けた後の[[2005年]]4月6日に、『モナ・リザ』は「国家の間」に展示場所が移された。この展示室で、温度、湿度などが制御された専用の収納場所に、防弾ガラスに守られて公開されている<ref>
{{cite news
|accessdate=2008-4-27
|url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment/arts/4413303.stm
|title=Mona Lisa gains new Louvre home
|publisher=BBC
|date=2005-4-6
}}</ref>。『モナ・リザ』を収蔵するためのサル・デ・ゼタの改築には、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]が資金を提供した<ref>
{{cite web
|url=http://www.ntv.co.jp/english/an/06pr/05/20050406.html
|title=Nippon Television Network Corporation
|publisher=Ntv.co.jp
|date=2005-4-6
|accessdate=2011-11-21
}}</ref>。毎年およそ600万人の観客が、『モナ・リザ』を観るためにルーヴル美術館を訪れている<ref name="BBC-Faces" />。木炭と石墨の、レオナルドが描いたといわれる『モナ・リザ』の習作が[[ニューヨーク]]のハイド・コレクション ([[:en:The Hyde Collection]]) に所蔵されている<ref>
{{cite web
|url=http://www.hydecollection.org/collection/details-image.cfm?ID=43
|title=Highlights from the Collection
|publisher=The Hyde Collection
|accessdate=2010-11-21}}
{{Dead link|date=2011-8}}</ref>。


== 模写 ==
== 評価 ==
[[File:Mona-lisa in the Louvre.jpg|thumb|left|『モナ・リザ』はルーヴル美術館でもっとも集客力がある所蔵品となっている。2010年撮影。]]
*[[2012年]]、[[スペイン]][[プラド美術館]]の[[模写]]が、同時代に製作された現存最古の模写であると発表された<ref>[http://www.cnn.co.jp/showbiz/30005482.html CNNニュース]2012.02.03閲覧</ref>。
美術史家ドナルド・サスーンが、『モナ・リザ』の評価が高まっていく様子をまとめている。19世紀半ばには、[[テオフィル・ゴーティエ]]ら[[ロマン主義|ロマン派]]詩人たちが、『モナ・リザ』のことを「[[ファム・ファタール|運命の女]]」と表現している。『モナ・リザ』は「・・・・・・読者が好き勝手に読み解くことができる書物のような作品だ。彼女(リザ)は宗教的イメージではなく、この絵画に心惹かれる文学趣味の観客の多くは男性である。彼女は尽きることのない幻想的な女性として、男性たちを魅了している」とした。20世紀に『モナ・リザ』が盗まれたときには、様々な模造品、製品、風刺文、憶測の引き金となり「300点の絵画と2,000に及ぶ広告」が生まれた<ref name="Sassoon">
*19世紀までに、60点の公認模写が製作され、20世紀以降では、[[シャガール]]と[[斎藤吾朗]]により、公認模写が製作された<ref>『伊豆新聞』平成20年1月21日付</ref>。
{{cite journal
|author=Sassoon, Donald
|title=Mona Lisa: the Best-Known Girl in the Whole Wide World
|journal=History Workshop Journal
|publisher=Oxford University Press
|year=2001|issue=51
|issn=1477-4569
|doi= 10.1093/hwj/2001.51.1
|page=1|volume=2001
|edition=vol 2001
|ref=harv}}</ref>。


[[File:ARC194219.png|thumb|『モナ・リザ』がアメリカに持ち込まれて、ワシントン D.C. の[[ナショナル・ギャラリー (ワシントン)|ナショナル・ギャラリー・オブ・アート]]で公開されたときに、アメリカ合衆国大統領[[ジョン・F・ケネディ]]とともに撮影した写真。1963年1月8日。]]
== 脚注 ==
ルーヴル美術館を訪れる入館者の多くは、およそ15分間『モナ・リザ』の前で足を止める<ref>
{{reflist}}
{{cite news
|author=Gentleman, Amelia|title=Smile, please
|url=http://arts.guardian.co.uk/features/story/0,,1330413,00.html
|work=The Guardian
|location=UK
|date=2004-10-19
|accessdate=2007-10-13
}}</ref>。20世紀になるまで、『モナ・リザ』は多くの絵画作品のなかのひとつに過ぎず、世界で「もっとも有名な絵画」というわけではなかった<ref name=riding>
{{cite news
|author=Riding, Alan
|title=In Louvre, New Room With View of 'Mona Lisa'
|url=http://www.nytimes.com/2005/04/06/arts/design/06lisa.html
|work=The New York Times
|date=2005-4-6
|accessdate=2007-10-7
}}</ref>。1852年時点で、ルーヴル美術館所蔵品の総市場価値は90,000フランだったのに対し、[[ラファエロ・サンティ|ラファエロ]]の総作品の市場価値は600,000フラン以上だった。1878年に旅行案内書[[ベデカー]]が「ルーヴル美術館が所蔵するレオナルドの作品中、最も素晴らしい作品」という評価を残している。1851年から1880年の間に、ルーヴル美術館を訪れた芸術家たちは、[[バルトロメ・エステバン・ムリーリョ|ムリーリョ]]、[[コレッジョ]]、[[パオロ・ヴェロネーゼ|ヴェロネーゼ]]、[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ|ティツィアーノ]]、[[ジャン=バティスト・グルーズ|グルーズ]]、[[ピエール=ポール・プリュードン|プリュードン]]らの作品を模写しているが、これら芸術家たちのうちおよそ半数が『モナ・リザ』の模写も手がけている<ref name="Sassoon" />。


1962年12月から1963年3月にかけて、『モナ・リザ』はアメリカ合衆国に貸与されて、ニューヨークとワシントンD.C.で公開された<ref name="Stolow1987">
== 関連項目 ==
{{cite book
{{commonscat|Mona Lisa}}
|last=Stolow
*[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]
|first=Nathan
*[[リザ・デル・ジョコンド]]
|title=Conservation and exhibitions: packing, transport, storage, and environmental consideration
*[[ルーヴル美術館]]
|url=http://books.google.com/books?id=AwbGoXofgtYC
*[[ビンセンツォ・ペルージャ]]
|accessdate=10 October 2010
|year=1987
|publisher=Butterworths
|isbn=978-0-408-01434-2
|page=188
}}</ref>。また、1974年には東京とモスクワでも公開されている<ref name="Bohm-Duchen2001">
{{cite book
|last=Bohm-Duchen
|first=Monica
|title=The private life of a masterpiece
|url=http://books.google.com/books?id=cwL7aF-EB84C&pg=PA64
|accessdate=10 October 2010
|year=2001
|publisher=University of California Press
|isbn=978-0-520-23378-2
|page=65
}}</ref>。


1962年からのアメリカでの公開前に『モナ・リザ』に保険をかける目的で評価額換算が行われた。その結果、10,000万ドルという査定額が下されたために、この高額な保険の引受け手は皆無となってしまい、保険に多額の金をつぎ込む代わりに、保安監視に予算が充てられることとなった<ref>
==外部サイト==
{{cite book
* [http://www.louvre.fr/llv/dossiers/detail_oal.jsp?CONTENT%3C%3Ecnt_id=10134198673229908&CURRENT_LLV_OAL%3C%3Ecnt_id=10134198673229908&FOLDER%3C%3Efolder_id=9852723696500764&bmLocale=ja_JP 《モナリサ》についてのマルティメディア特集]ルーヴル美術館公式サイト(日本語ページ)
|first=Mark
* [http://www.louvre.fr/llv/oeuvres/detail_notice.jsp?CONTENT%3C%3Ecnt_id=10134198673226503&CURRENT_LLV_NOTICE%3C%3Ecnt_id=10134198673226503&FOLDER%3C%3Efolder_id=9852723696500816&bmLocale=ja_JP 《モナリサ》の解説]ルーヴル美術館公式サイト(日本語ページ)
|last=Young (ed.)
|title=The Guinness Book of World Records 1999
|year=1999
|isbn=0-553-58075-2
|publisher=Bantam Books|page=381
}}</ref>。21世紀以降で、かつて『モナ・リザ』につけられた10,000万ドルという価格を上回って取引された絵画作品は複数存在する。2006年6月に[[グスタフ・クリムト]]の『[[アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I]]』が13,500万ドルで、2006年11月に[[ウィレム・デ・クーニング]]の『女 III』が13,800万ドル、[[ジャクソン・ポロック]]の『No. 5, 1948』が14,000万ドル、[[ポール・セザンヌ]]の連作『カード遊びをする人たち』のうちの1点が25,000万ドルで、それぞれ売却されている<ref>
{{cite news
|url=http://www.dailymail.co.uk/news/article-2096051/Most-expensive-art-piece-sold-Qatar-buys-C-zannes-The-Card-Players-160m.html
|location=London
|work=Daily Mail
|first=Tom
|last=Leonard
|title=£160m Cézanne: Highest price ever for a painting as Qatari royal family trumps world dealers for The Card Players
}}</ref>。これらの作品は単純な価格比較においては『モナ・リザ』を超えているが、アメリカの[[消費者物価指数]]で換算すると、1962年の10,000ドルは2010年の72,000万ドルの価値があるといえる<ref>
{{cite web
|accessdate=20 June 2011
|url=http://www.eh.net/hmit/compare/|title=Six Ways to Compute the Relative Value of a U.S. Dollar Amount, 1790 to Present
|publisher=Measuring Worth
}}</ref>。

== 『モナ・リザ』を巡る考察、憶測 ==
『モナ・リザ』には、様々な考察や推測が存在している<ref>[http://www.wisegeek.com/what-is-the-mystery-behind-the-mona-lisa.htm What Is the Mystery Behind the Mona Lisa?]. ''wiseGEEK'', Retrieved June 9, 2011</ref>。

=== 柱とパネルのサイズ ===
[[File:Mona Lisa (copy, Walters Art Gallery).JPG|thumb|[[バルチモア]]のウォルターズ美術館が所蔵する『モナ・リザ』の最初期の模写作品。両端に柱が描かれている。]]
レオナルドの死後、『モナ・リザ』の画面両端が切落とされたのではないかという根強い説がある。これは、初期に模写された何点かの絵画作品の画面両端に柱が描かれており、現在の『モナ・リザ』には、柱の基部しか存在していないためである<ref name="vern">
{{Cite web
|url=http://www.kleio.org/monalisa/mlpics/787ae.htm
|title=The Mona Lisa of the Vernon Collection is still showing the columns
|accessdate=2007-9-15
|publisher=kleio.org
|year=2007
|author=Maike Vogt-Luerssen
|archiveurl = http://web.archive.org/web/20070816180418/http://www.kleio.org/monalisa/mlpics/787ae.htm <!-- Bot retrieved archive -->
|archivedate = 2007-8-16
}}</ref>
<ref name="walt">
{{Cite web|url=http://www.thewalters.org/wcontent/files/pages_new/mona_lisa.aspx
|title=The Walters' Mona Lisa
|accessdate=2007-9-15
|publisher=The Walters Art Museum
|year=2007
|author=The Walters Art Museum
}}</ref>。しかしながらマーティン・ケンプ ([[:en:Martin Kemp (art historian)]]) のように、『モナ・リザ』の画面両端は切落とされてはおらず、模写に描かれている柱は単に付け加えられただけだとする美術史家もいる。2004年から2005年にかけて、各国の39名の専門家によって綿密な科学的調査が『モナ・リザ』に実施され、模写に見られる柱は模写の制作者に付け加えられたという、ケンプらの説が支持されるようになった。このときの調査で、額縁に隠れた『モナ・リザ』の上下左右の端には「余白」部分があることが判明している。この余白部分には下塗りに用いるジェッソ ([[:en:gesso]]) が塗布されており、一部顔料も残っている。『モナ・リザ』制作当初から存在する余白であり、両端が切落とされた結果生じた余白ではないと考えられている。

=== 風景画 ===
イタリアのトスカーナの渓谷地帯ヴァルディキアーナ ([[:en:Valdichiana]]) には、『モナ・リザ』の背景に描かれているのは、当地の風景であるという昔からの伝承がある。2011年に出版された専門誌『カルトグラフィカ ({{lang|en|Cartographica}}) にも、『モナ・リザ』の背景と[http://www.royalcollection.org.uk/egallery/object.asp?maker=12196&object=912278&row=435&detail=magnify ヴァルディキアーナ]の地形が合致する部分があるという記事が掲載された<ref>Pezzutto, Donato. [http://www.opusej.org/archive/leonardos-val-di-chiana-map-in-the-mona-lisa-forum/ “Leonardo’s ''Val di Chiana'' Map in the ''Mona Lisa'',”] ''Cartographica'', 2011, 149-159.</ref>。

=== 別ヴァージョンの「モナ・リザ」 ===
[[File:Gioconda (copia del Museo del Prado restaurada).jpg|thumb|180px|left|[[マドリード]]の[[プラド美術館]]が所蔵する『ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)』。レオナルドの弟子が『モナ・リザ』と同時期に描いた模写だと考えられている。]]
レオナルドが描いた『モナ・リザ』には複数のヴァージョンが存在するとも言われている。『[[アイルワースのモナ・リザ]]』として知られる作品の所有者は、『アイルワースのモナ・リザ』こそがオリジナルの『モナ・リザ』であると主張しているが、ほとんどの美術史家は『アイルワースのモナ・リザ』が後世になって描かれた模写だとみなしている。2012年9月27日に、[[チューリッヒ]]の美術財団法人が『アイルワースのモナ・リザ』は、35年に及ぶ専門家の調査の結果により、レオナルド作と結論付け、モデルはルーブルの『モナ・リザ』よりも10歳ほど若い。未完成品でレオナルド以外の人物が仕上げたと発表した<ref>
{{cite news
|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2800G_Y2A920C1CR0000/
|location=London
|work=日本経済新聞
|title=「若き日のモナリザ」、ダビンチ作品と鑑定
|date=2012-9-28
|accessdate=2013-2-13
}}</ref><ref>
{{cite web
|title=Leonardo Da Vinci painted earlier version of Mona Lisa, group claims
|url=http://www.cbsnews.com/8301-205_162-57521101/leonardo-da-vinci-painted-earlier-version-of-mona-lisa-group-claims/
|publisher=CBS News
|accessdate=2012-9-27}}</ref>。この『アイルワースのモナ・リザ』は40年間にわたってスイスの銀行の貴重品保管室に保管されていた絵画である。2012年9月27日に公開されたこの作品がレオナルドの真作であるとする専門家と<ref>
{{cite web
|title=Second Mona Lisa Unveiled for First Time in 40 Years
|url=http://abcnews.go.com/blogs/headlines/2012/09/second-mona-lisa-unveiled-for-first-time-in-40-years/
|publisher=ABC News
|accessdate=28 September 2012
}}</ref>、模写だとする専門家の両方が存在している<ref>
{{Cite web
|title='Early Mona Lisa' painting claim disputed
|url=http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-19743875
|date=2012-09-27
|publisher=BBC News
|accessdate=2013-02-12}}</ref>。

ヴァーノン・コレクションも自身が所蔵する「モナ・リザ」が初期ヴァージョンであり、ヴァーノンの「モナ・リザ」にはルーヴル美術館の『モナ・リザ』の習作といえる部分があると主張している<ref name="lair">
{{Cite web
|url=http://www.lairweb.org.nz/leonardo/mona.html
|title=Mona Lisa
|accessdate=2007-9-15
|publisher=Loadstar's Lair
|year=2007
|author=Loadstar's Lair
}}</ref>。他にも、第5代リーズ公フランシス・オズボーン ([[:en:Francis Osborne, 5th Duke of Leeds]]) が所有していた作品で、1790年ごろにイギリス人画家[[ジョシュア・レノルズ|ジョシュア・レイノルズ]]の自画像と交換された、1616年ごろに描かれた「モナ・リザ」がある。レイノルズは、自身が入手したこの「モナ・リザ」がレオナルドの真作であり、ルーヴル美術館の『モナ・リザ』は模写だと信じていたが、現在ではレイノルズの考えは否定されている。しかしながら『モナ・リザ』が描かれてから約100年後に模写されたレイノルズの「モナ・リザ」は、ルーヴル美術館が所蔵する『モナ・リザ』よりも当時の鮮やかな色合いを現在に伝えている点で、価値のある作品となっている。現在は個人蔵となってるレイノルズの「モナ・リザ」だが、2006年に[[ロンドン]]の[[ダリッジ・ピクチャー・ギャラリー]]で一般公開された<ref name="guard">
{{cite news
|url=http://arts.guardian.co.uk/news/story/0,,1879254,00.html
|title=Unveiled: early copy that reveals Mona Lisa as her creator intended
|accessdate=2007-9-15
|publisher=The Guardian Unlimited
|author=Charlotte Higgins
|location=London
|date=2006-9-23}}</ref>。

2012年1月に、[[マドリード]]の[[プラド美術館]]が、レオナルドの弟子、それもおそらくはレオナルドと非常に近しい弟子が描いた『モナ・リザ」の模写を発見し、完璧に近い修復を実施したと発表した<ref>
{{Cite web
|url=http://www.guardian.co.uk/artanddesign/interactive/2012/feb/01/mona-lisas-compare-leonardo-pupil
|title=Mona Lisas: compare Leonardo with his pupil - interactive
|accessdate=2013-2-13
|publisher=guardian
|year=2012
}}</ref>。プラド美術館の「モナ・リザ」は、ワニスが[[クラクリュール|ひび割れ]]、経年変化で黄化している現在のルーヴル美術館が所蔵する『モナ・リザ』よりも、制作当時の外観をよく留めていると考えられている<ref>http://www.theartnewspaper.com/articles/Earliest-copy-of-Mona-Lisa-found-in-Prado/25514</ref>
<ref>{{cite news
|url=http://www.guardian.co.uk/artanddesign/2012/feb/01/new-mona-lisa-prado
|location=London
|work=The Guardian
|first=Mark
|last=Brown
|title=The real Mona Lisa? Prado museum finds Leonardo da Vinci pupil's take
|date=2012-02-01}}</ref>。

=== 裸身のモナ・リザ ===
[[File:Monna Vanna.jpg|thumb|180px|レオナルドの弟子サライが描いた裸身のモナ・リザ]]
『モナ・リザ』には、描かれている女性が裸身で表現されている模写も何点か存在している。これらの作品から、レオナルドが描いた裸身の『モナ・リザ』が存在していたのではないかとする説がある<ref name="nigel">
{{Cite web
|url=http://www.nigel-cawthorne.com/projects.htm
|title=Mona Lisa Nude - Nigel Cawthorne.com
|accessdate=2007-9-15
|publisher=Nigel Cawthorne.com
|year=2002
|author=Nigel Cawthorne.com
|archiveurl = http://web.archive.org/web/20080202210133/http://www.nigel-cawthorne.com/projects.htm <!-- Bot retrieved archive --> |archivedate = February 2, 2008
}}</ref>。裸身の「モナ・リザ」の模写といわれている作品には以下のようなものがある。
* [[エルミタージュ美術館]]が所蔵する『裸体の貴婦人 ({{lang|it|Donna Nuda}})』。レオナルド最晩年の弟子サライ ([[:en:Salaì]]) の作品。
* [[ルーヴル美術館]]が所蔵する『モナ・ヴァンナ ({{lang|it|Mona Vannna}})』。レオナルド最晩年の弟子サライの作品。
* ナポレオン1世の叔父の枢機卿[[ジョゼフ・フェッシュ]]が所蔵していた『モナ・ヴァンナ ({{lang|it|Mona Vannna}})』。
* スペンサー伯家が所蔵する『美しきガブリエーレ ({{lang|it|La Belle Gabrielle}})』。
* [[アッカデミア・カッラーラ]]が所蔵する『花の女神 ({{lang|it|Flora}})』。カルロ・アントニーオ・プロカッチーニ ([[:en:Carlo Antonio Procaccini]]) の作品。
* [[プラハ国立美術館]]が所蔵する『モナ・ヴァンナ・ヌーダ ({{lang|it|Mona Vanna Nuda}})』。ヨース・ファン・クレーフェ ([[:en:Joos van Cleve]]) の作品。
* ライト美術館が所蔵する『女性の肖像』。ヨース・ファン・クレーフェの作品。
* 16世紀に描かれた『裸身のジョコンダ ({{lang|it|Gioconda desnuda}})』。バルテル・ブリュイン ([[:en:Barthel Bruyn]]) の作品。
=== モナ・リザの微笑 ===
[[File:Leonardo design attributed.jpg|thumb|left|180px|レオナルド自身が『モナ・リザ』の習作として描いたといわれることもあるデッサン。]]
『モナ・リザ』に描かれている女性が浮かべている謎めいた微笑は、幾度となく多くの議論の的となっている。その微笑みは純真で魅力的だと形容されることもある。多くの研究者が、何故『モナ・リザ』の微笑が人々の心を魅了し続けるのかを明らかにしようとしてきた。研究者による解釈の幅は、人間の知覚における科学的な理論から、『モナ・リザ』に関して言われ続けてきたモデルの特定や作品の雰囲気の謎が影響しているというものまで様々である。[[ハーヴァード大学]]教授マーガレット・リヴィングストンは、『モナ・リザ』は単位あたりの情報量である[[空間周波数]]が低く描かれているため、『モナ・リザ』は遠くから観るか、周辺視野も活用して観るべきだとする。例えば『モナ・リザ』が浮かべる微笑は、口元よりも目の辺りを観たほうが、より印象的にみえるとしている<ref name="bbc">
{{cite news
|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/2775817.stm
|title=Mona Lisa smile secrets revealed
|accessdate=2007-9-15
|publisher=BBC News
|author=BBC News
|date=2003-02-18
}}</ref>
<ref>
{{cite news
|first=Margaret
|last=Livingstone
|title=Is It Warm? Is It Real? Or Just Low Spatial Frequency?
|url=http://www.sciencemag.org/cgi/content/full/290/5495/1299b
|work=Science
|publisher=AAAS
}}</ref>
<ref>
{{cite news
|first=Vilayanur S.
|last=Ramachandran
|coauthors=Diane Rogers-Ramachandran
|title=Cracking the da Vinci Code:What do the Mona Lisa and President Abraham Lincoln have in common?
|url=http://www.sciam.com/article.cfm?id=cracking-the-da-vinci-cod
|work=Scientific American Mind
|publisher=Scientific American Inc.
|date=June, 2006
|accessdate=2008-02-26
}}</ref>。

[[サンフランシスコ]]のスミス=ケトルウエル視覚研究所 ([[:en:Smith-Kettlewell Institute]]) の研究者クリストファー・テイラーとレオニード・コンツェビッチは、『モナ・リザ』の微笑が様々な印象を与えるのは、視覚系の働きに個人差があるためだとしている<ref name="ns1">
{{Cite web
|url=http://www.newscientist.com/article.ns?id=dn6056
|title=Noisy secret of Mona Lisa's smile
|accessdate=September 15, 2007
|publisher=NewScientist
|year=2007
|author=Philip Cohen
}}</ref>。[[ブラウン大学]]の非常勤教授ディナ・ゴルディンは、『モナ・リザ』の謎めいた微笑は豊かな[[表情筋]]によるものだと主張している。この豊かな表情筋の効果で、観客は無意識に『モナ・リザ』の微笑を拡大解釈し、観客それぞれが『モナ・リザ』の微笑から受ける、微かではあるが確かな感情を想起されるのだとしている<ref name="goldin">
{{Cite web
|url=http://www.cse.uconn.edu/~dqg/papers/monalisa.htm
|title=Mona Lisa's Secret Revealed
|accessdate=2007-9-15
|publisher=Brown University Faculty Bulletin
|year=2002
|author=Dina Q. Goldin
}}</ref>。

=== 赤外線分析 ===
[[File:Alessandro Botticelli Portrait of a Lady (Smeralda Brandini .jpg|thumb|180px|[[サンドロ・ボッティチェッリ|ボッティチェッリ]]が1470年頃に描いた妊婦の肖像画『エスメラルダ・ブランディーニの肖像』。『モナ・リザ』の女性が着用しているのと同様の半透明の紗のヴェール(グアルネッロ)が描かれている。]]
2004年にカナダ国立研究機構 ([[:en:National Research Council (Canada)]]) が『モナ・リザ』の赤外線三次元分析を実施したが、画肌に塗布されたワニスの経年変化のために詳細部分の解析は困難を極めた。この赤外線分析で得られたデータから、フランス美術館研究修復センターのブルーノ・モッタンは、『モナ・リザ』の女性が身につけている半透明の紗のヴェールが、グアルネッロと呼ばれる、妊娠中あるいは出産直後の女性が使用していたものだと結論付けた。よく似たグアルネッロが、[[サンドロ・ボッティチェッリ|ボッティチェッリ]]の1470年ごろの作品『エスメラルダ・ブランディーニの肖像』([[:en:Portrait of a Lady known as Smeralda Bandinelli]]) にも描かれている。現在[[ロンドン]]の[[ヴィクトリア&アルバート博物館]]が所蔵するこの作品は妊婦を描いた肖像画である<ref>
{{cite web
|url=http://www.nga.gov/exhibitions/2001/virtuebeauty/fig05.htm
|title=NGA - Virtue and Beauty: Woman at a Window (Smeralda Brandini?)
|publisher=National Gallery of Art
|accessdate=2011-5-1
}}</ref>。さらに、赤外線分析によって、『モナ・リザ』に描かれている女性の髪が無造作に降ろされているのではなく、後頭部で[[ボンネット (帽子)|ボンネット]]ないし髪留めピンのようなものでシニョン ([[:en:Chignon (hairstyle)]]) にまとめられていることも判明している。16世紀では、無造作に降ろした髪は未婚の少女か娼婦の髪型だとされていた。この発見により、『モナ・リザ』のモデルとされるリザ・デル・ジョコンダが既婚女性なのに、降ろした髪型で描かれているという矛盾点が解決された<ref>
{{cite news
|title=3D技術が解いたモナ・リザの謎 - カナダ
|url=http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2118275/931151
|publisher=AFP
|date=2006-9-27
|accessdate=2013-02-13
}}</ref>。

また、この赤外線分析のデータから、レオナルドが用いた技法を明らかにし、現在の保存手法が継続された場合には僅かではあるが状態が劣化する可能性があることも指摘した研究者もいる<ref>
{{cite news
|accessdate=2008-04-27
|url=http://www.cbc.ca/arts/story/2006/09/26/mona-lisa-research.html
|title=3-D scan uncovers secrets behind Mona Lisa's smile
|publisher=CBC.ca
|date=2006-09-26
|deadurl=yes
}}
{{Dead link|date=December 2011|bot=RjwilmsiBot}}</ref>
<ref>{{cite web
|accessdate=2008-04-27
|url=http://www.canada.com/edmontonjournal/news/story.html?id=45cc0dcc-7a3d-4256-8c67-2a4e5d1645d3&k=75720
|title=Canadian researchers set to reveal Mona Lisa mysteries
|work=Edmonton Journal
|date=2006-09-23
|author=Boswell, Randy
}}</ref>。2006年にも『モナ・リザ』に科学分析が実施された。赤外線カメラによる精査から制作初期の『モナ・リザ』にはボンネットを着けて束ねられた髪型の女性が描かれていたが、制作過程のどこかの時点で、レオナルドが現在の髪型へと変更したことが判明している<ref>
{{cite news
|first= Ian
|last= Austen
|title= New Look at ‘Mona Lisa’ Yields Some New Secrets
|url= http://www.nytimes.com/2006/09/27/arts/design/27mona.html?ex=1317009600&en=9b5bc3405c3c4c03&ei=5090&partner=rssuserland&emc=rss
|work=The New York Times
|date=2006-09-27
|accessdate=2007-06-08
}}</ref>。

=== 眉毛とまつげ ===
『モナ・リザ』にはまつげも眉毛もはっきりとは描かれていない。このことについて、当時の上流階級の婦人たちは、まつげや眉毛が見苦しいとして、すべて抜いているのが普通だったとする研究者もいる<ref>{{harv|Turudich|2003|p=198}}</ref>
<ref>{{cite book
|title=Mona Lisa: The Picture and the Myth
|author=McMullen, Roy
|publisher=Macmillan Publishers
|year=1976|
|isbn=0-333-19169-2
}}</ref>。2007年にフランス人技術者パスカル・コットが、超高解像度カメラによる調査の結果、もともとの『モナ・リザ』にははっきりとしたまつげと眉毛が描かれていた痕跡が見つかったと発表した<ref>「モナリザにまゆ毛あった--仏技術者新説」『産經新聞』2007年10月20付夕刊、第9面、第4版</ref>。そして、おそらくは過度の洗浄修復のために、年を経るうちに両者共に消えてしまったのではないかとした<ref>
{{cite news
|title=Solved: Why Mona Lisa doesn't have eyebrows
|url=http://www.telegraph.co.uk/culture/art/3668700/Solved-Why-Mona-Lisa-doesnt-have-eyebrows.html
|date=2007-10-22
|publisher=Telegraph
|accessdate=2010-3-11
|location=London
|first=Richard
|last=Holt
}}</ref>。コットは高解像度カメラによって24枚の拡大写真を撮影し、左目の上に一本の細い眉毛を描いた筆跡を発見したとし、「たとえわずか一本の眉毛であっても、レオナルド・ダ・ヴィンチが眉毛とまつげを描いていたという確かな証拠といえる」としている。『モナ・リザ』が低質な洗浄修復を受けた際に眉毛が薄くなっていったか、不注意にも除去されてしまった可能性があると主張した。さらにコットは、制作当初の女性の両手は、現在の『モナ・リザ』とは微妙に異なる位置で描かれていたとも述べている<ref>
{{cite news
|title=High resolution image hints at 'Mona Lisa's' eyebrows
|publisher=CNN
|url=http://www.cnn.com/2007/US/10/17/monalisa.mystery/index.html
|date=2007-10-18
|accessdate=2010-05-23
}}</ref>。また、モナ・リザをX線にかけたところ、レオナルドは、最初に描いた「まなざし」の上に少なくとも一回以上異なった「まなざし」を上塗りしたことが分かっている<ref>
{{cite book
|author=岡部 昌幸
|title=教養としての名画―「モナ・リザ」の微笑はなぜ神秘的に見えるのか
|year=2004
|publisher=青春出版社
|isbn=978-4-413-04101-0
|page=44}}</ref>。

=== 画題 ===
[[File:DaVinci MonaLisa1b.jpg|thumb|180px|『モナ・リザ』とレオナルドの自画像との比較。]]
『モナ・リザ』に描かれている女性に関して、様々な説が唱えられてきた。聴覚障害者、喪に服す婦人<ref name=Littlefield_525 />、高級娼婦、人類の恋人、画家が患う神経症の産物、梅毒患者、伝染病患者、麻痺患者、歯痛病者などである<ref name="Sassoon" />。2010年1月には、パレルモ大学の解剖病理学教授ヴィトー・フランコが、イタリアの新聞『[[ラ・スタンパ]]』に『モナ・リザ』に関する記事を寄稿した。そしてフィレンツェで開催された医学学会で、『モナ・リザ』に描かれている女性には、コレステロール過多症の原因となる脂肪酸の明らかな蓄積が見られると指摘した。さらにフランコは、女性の右目には脂肪腫らしき症状も見られるともしている<ref>[http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/8444202.stm The medical secret behind Mona Lisa's smile?], BBC News, Retrieved 2010-1-7</ref>。

専門家や愛好家の間では「リザ」という名前で呼ばれていたレオナルドの絵画作品は、少なくとも4点存在すると考えられており<ref name="monna bella" /><ref name="Wilson" /><ref name=Littlefield_525 />、リザ・デル・ジョコンドが描かれているのはルーヴル美術館が所蔵しているのとは別の「モナ・リザ」だと主張する研究者もいる<ref name="monna bella">
{{cite journal
|author=Stites, Raymond S.
|title=Mona Lisa—Monna Bella
|journal=Parnassus
|edition=vol 8
|issue=1
|pages=7–10, 22–23
|publisher=College Art Association
|month=January
|year=1936
|doi=10.2307/771197
|volume=8
|ref=harv
|jstor=771197
}}</ref>
<ref name=Littlefield_525>
{{harvnb|Littlefield|1914|p=525}}
</ref>。

描かれている女性の特定にも様々な説があり<ref name="Wilson">{{harv|Wilson|2000|pp=364–366}}</ref>、「リザ」のモデルではないかといわれた女性は10名以上の名前が挙げられている<ref name="Debelle" /><ref name="Johnston" /><ref name="myth" /><ref>
{{cite news
|author=Chaundy, Bob
|title=Faces of the Week
|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/magazine/5392000.stm|work=BBC
|date=2006-9-29
|accessdate=5 October 2007
}}</ref>。ミラノ公妃[[イザベラ・ダラゴナ]]<ref name=Debelle>
{{cite news
|author=Debelle, Penelope
|title=Behind that secret smile
|url=http://www.theage.com.au/articles/2004/06/24/1088046208817.html
|work=The Age
|date=2004-6-25
|accessdate=2001-10-6
|location=Melbourne
}}</ref>、ミラノ公の愛妾[[チェチーリア・ガッレラーニ]]<ref name="Johnston">
{{cite news
|author=Johnston, Bruce
|title= Riddle of Mona Lisa is finally solved: she was the mother of five
|work=The Daily Telegraph
|location=UK
|url=http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2004/08/01/wmona01.xml&sSheet=/news/2004/08/01/ixworld.html|archiveurl=http://web.archive.org/web/20071011082755/http://telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2004/08/01/wmona01.xml&sSheet=/news/2004/08/01/ixworld.html
|archivedate=2007-10-11
|date=2004-1-8|accessdate=2007-10-6
}}</ref>、フランカヴィラ公爵夫人コンスタンツァ・ダヴァロス ([[:en:Costanza d'Avalos, Duchess of Francavilla]])<ref name="Wilson" />、マントヴァ侯妃[[イザベラ・デステ]]、パシフィカ・ブランディーノ、イザベラ・グアランダ、[[カテリーナ・スフォルツァ]]、さらにはレオナルド自身だという説もある<ref name="BBC-Faces"/><ref name="myth">
{{cite news
|author=Nicholl, Charles
|title=The myth of the Mona Lisa
|work=The Guardian
|location=UK
|url=http://books.guardian.co.uk/lrb/articles/0,6109,675653,00.html
|date=2002-3-28
|accessdate=2007-10-6
}}</ref>。

[[File:StereoMonaLisa.jpg|thumb|left|180px|『モナ・リザ』とレオナルドの自画像との合成画像。]]
オーストラリア人芸術家スーザン・ドロテア・ホワイト ([[:en:Susan Dorothea White]]) は『微笑みの解剖学、モナ・リザの頭骨 (''Anatomy of a Smile: Mona's Bones'' )』(2002年)と『モナ・リザの噛み合わせ (''Mona Masticating'' )』(2006年)で、『モナ・リザ』に描かれている女性の頭蓋の形状が、解剖学的に男性のものと酷似していると指摘した<ref>
{{cite book
|author=White, Susan D.
|title=Draw Like Da Vinci
|publisher=London: Cassell Illustrated
|year=2006
|isbn=1-84403-444-5
}}</ref>。[[ベル研究所]]のリリアン・シュワルツ ([[:en:Lillian Schwartz]]) は、『モナ・リザ』は実質的にはレオナルドの自画像ではないかと主張している。『モナ・リザ』をデジタル解析した結果、『モナ・リザ』の女性の表情と自画像のドローイングの表情とが一致することが分かったとした。しかしながら、シュワルツが比較対象としたドローイングは、レオナルドの自画像ではないという説もある<ref>
{{cite book
|author=Bambach, Carmen C.
|title=Leonardo da Vinci master draftsman
|publisher=Yale University Press
|year=2003
|isbn=1-58839-033-0
|pages=362–363
}}</ref>。レオナルドの伝記を書いた作家セルジュ・ブラムリー ([[:en:Serge Bramly]]) は1994年に「(『モナ・リザ』の)モデルといわれる人物は、妥当か否かはともかくおよそ12名程度は存在する。なかには、モデルなどは存在せず、レオナルドが理想の女性を描いたと主張する者もいる」としている<ref>
{{cite book
|author=Bramly, S.
|title=Leonardo: The artist and the man
|publisher=Penguin Books
|year=1994
|isbn=0-14-023175-7
|pages=362–363
}}</ref>。
[[File:Isabella di Aragona as Mona Lisa.jpg|thumb|180px|[[ラファエロ・サンティ|ラファエロ]]が描いた『イザベラ・ダラゴナの肖像』(ドーリア・パンフィーリ美術館)。]]
マイケ・フォクト=リュールセンは、『モナ・リザ』のモデルが、レオナルドがその[[宮廷画家]]を12年間勤めていたミラノ公妃イザベラ・ダラゴナであると主張した。フォクト=リュールセンは『モナ・リザ』に描かれている濃緑色の衣装は、この女性が[[スフォルツァ家]]の一員であることを示唆しているとし、『モナ・リザ』はミラノ公に輿入れしてきたイザベラを描いた最初の公式肖像画であり、1503年ではなく1489年の春か夏に描かれた作品であるという説を唱えている<ref name="vogtluerssen">
{{cite book
|author=Maike Vogt-Lüerssen
|title=Die Sforza III: Isabella von Aragon und ihr Hofmaler Leonardo da Vinci
|publisher=Books on Demand
|location=Norderstedt
|year=2010
|isbn=978-3-8391-7110-3
}}</ref>。

2004年に歴史家ジュゼッペ・パランティが『モナ・リザ、無邪気な女性 (''Monna Lisa, Mulier Ingenua'' )』を出版した<ref name="pallanti">
{{cite book
|author=Giuseppe Pallanti
|title=Mona Lisa Revealed: The True Identity of Leonardo's Model
|publisher=Skira
|location=Geneve
|year= 2004
|isbn=88-7624-659-2
}}</ref>。この書籍は過去に『モナ・リザ』のモデルといわれてきた人物たちを、古文書を調査した証跡をもとにしてまとめ上げた文献となっている。パランティは証跡から、レオナルドの父がデル・ジョコンドの友人だったと考えられるとし「『モナ・リザ』は、リザ・デル・ジョコンドが24歳のときに描かれた作品で、レオナルドの父が友人のために制作を依頼した作品であろう。レオナルドの父は他にも息子に絵画制作を依頼したことがあった」としている<ref name="teleg">
{{cite news
|url=http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/europe/italy/1468392/Riddle-of-Mona-Lisa-is-finally-solved-she-was-the-mother-of-five.html
|title= Riddle of Mona Lisa is finally solved: she was the mother of five
|accessdate=2007-9-15
|publisher=Telegraph.co.uk
|year=2004
|author=Bruce Johnston
|location=London}}</ref>
<ref name="convent">
{{Cite web
|url=http://www.dominicantoday.com/app/article.aspx?id=21684
|title='Mona Lisa' died in 1542, was buried in convent
|accessdate=September 15, 2007
|publisher=The Dominican Republic News
|year=2007
|author=Giuseppe Pallanti / Associated Press
}}</ref>。2007年には系図学者ドメニコ・サヴィーニが、ストロッツィ家の姫ナタリアとイリナがリザ・デル・ジョコンドの子孫であると特定した<ref name="indep">
{{cite news
|url=http://news.independent.co.uk/europe/article2192983.ece
|title= The prince, the PM and the Mona Lisa
|accessdate=2007-9-15
|publisher=The Independent
|author=Peter Popham
|location=London
|date=2007-01-28
}}</ref>。

2010年10月に、美術史家シルヴァーノ・ヴェンチェッティが『モナ・リザ』の目の中にレオナルドのイニシャルなどの微細な文字を発見したと、英紙[[デイリー・メール]]が報じた。右目にレオナルドのイニシャルである「LV」が描かれ、左目には「CE」あるいは「B」と思われる記号、背景にある橋のアーチには「72」あるいは「L2」のような文字を、高度な拡大鏡を使用することで確認できるとする報道である<ref>[http://www.dailymail.co.uk/news/article-1337976/Real-life-Da-Vinci-Code-Tiny-numbers-letters-discovered-Mona-Lisa.html Daily Mail: Mail Online "The real-life Da Vinci Code: Historians discover tiny numbers and letters in the eyes of the Mona Lisa" 2010年12月17日午前7時42分版を閲覧]</ref>。この発表から間もなく、ヴェンチェッティはこれらの文字からレオナルドの長年の弟子で愛人だったともいわれる、ジャン・ジャコモ・カプロッティ(通称サライ ([[:en:Salaì]]))こそが、『モナ・リザ』のモデルであると主張し始めた<ref>Rizzo, Alessandra. [http://hosted.ap.org/dynamic/stories/E/EU_ITALY_MONA_LISA?SITE=KMOV&SECTION=HOME&TEMPLATE=DEFAULT Male model behind the Mona Lisa, expert claims]. Associated Press. February 2, 2011.</ref>。この主張に対しルーヴル美術館は、ヴェンチェッティが実際に『モナ・リザ』を精査していないことを指摘し、2004年と2009年の科学的分析時に「あらゆる研究機関が調査することが可能」だったにも関わらず「調査中に、文字や数字はひとつも見つかっていない」「木の板に描かれている作品の経年変化により、絵画表面には無数の[[クラクリュール|ひび割れ]]が生じている。このひび割れの形状が、行き過ぎた憶測のもとであたかも数字や文字であるかのように見えてしまう可能性があるのかもしれない」と反論している<ref>
{{cite news
|last=AFP
|title=Mona Lisa model was a male say Italian researchers
|url=http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/art/mona-lisa-model-was-a-male-say-italian-researchers-2204027.html
|accessdate=2011-9-25
|newspaper=The Independent on Sunday
|date=2011-2-4
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}}</ref>

== 後世への影響 ==
[[File:Sapeck-La Joconde fumant la pipe.jpg|thumb|180px|ウジェーヌ・バタイユが1883年に描いた『微笑 (''Le rire'')』、『モナ・リザ』のカリカチュア。]]
[[アバンギャルド|アバンギャルド芸術]]は、『モナ・リザ』の著名性に目を付けた。『モナ・リザ』が持つ名声は圧倒的なものであり、[[ダダイスム|ダダイスト]]や[[シュルレアリスム|シュルレアリスト]]たちがその[[戯画|カリカチュア]]を制作した。1883年にウジェーヌ・バタイユが描いた、パイプをふかす「モナ・リザ」のカリカチュア『微笑』は、パリで一時期流行したインコヒーレンツ派 ([[:en:Incoherents]]) の絵画展で公開された作品である。1919年には、20世紀美術に多大な影響を与えた[[マルセル・デュシャン]]も、口ひげと顎ひげのある「モナ・リザ」のパロディ作品『L.H.O.O.Q.』を残している。この作品名を声にすると、フランス語の「彼女の尻は熱い ({{lang|fr|Elle a chaud au cul}})」とよく似た発音となり、描かれている女性が性的興奮状態にあることを意味している<!-- 【訳出せず、フロイトジョークは日本語化にするのが難しい】and intended as a [[Humor in Freud|Freudian joke]]--><ref>
{{cite news
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|title = L.H.O.O.Q., Marcel Duchamp (1919)
|work=The Guardian
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|date = 2001-5-26
|url = http://www.guardian.co.uk/culture/2001/may/26/art
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}}</ref>。アメリカ人彫刻家ロンダ・ローランド・シーレー ([[:en:Rhonda Roland Shearer]]) は、この『L.H.O.O.Q.』に描かれた「モナ・リザ」にはデュシャン自身の自画像も一部使用されているとしている<ref name="asrl">
{{cite web
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|title=Mona Lisa: Who is Hidden Behind the Woman with the Mustache?
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|publisher=Art Science Research Laboratory
|year=2003
|author=Marting, Marco De
}}</ref>。

[[サルバドール・ダリ|サルヴァドール・ダリ]]は、「モナ・リザ」に扮した自画像を1954年に描いている<ref>{{cite web
|author=Dali, Salvador
|title=Self Portrait as Mona Lisa
|url=http://www.studiolo.org/Mona/MONA14.htm|publisher=Mona Lisa Images for a Modern World by Robert A. Baron (from the catalog of an exhibition at the Museum of Modern Art and the Philadelphia Museum of Art, 1973, p. 195)
|accessdate=2009-10-24
}}</ref>。『モナ・リザ』が1963年にアメリカで公開された直後には、[[アンディ・ウォーホル]]が「モナ・リザ」を30枚繋ぎ合わせてモチーフとした[[シルクスクリーン]]作品を発表した<ref>{{cite book|author=Sassoon, Donald|title=Becoming Mona Lisa|page=251|year=2003|publisher=Harvest Books via Amazon Search Inside|isbn=0-15-602711-9}}</ref>。
{{clear}}

== 出典 ==
{{Reflist|30em}}

== 参考文献 ==
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|title=The private life of a masterpiece
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==外部リンク==
{{commonscat|Mona Lisa}}
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* [http://musee.louvre.fr/oal/joconde/indexJP.html ルーペで見るモナ・リザ] ルーヴル美術館公式サイト(日本語ページ)


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2013年2月25日 (月) 02:37時点における版

『モナ・リザ』
イタリア語: La Gioconda
フランス語: La Joconde
作者レオナルド・ダ・ヴィンチ
製作年1503年 - 1519年
種類ポプラ板に油彩
寸法77 cm × 53 cm (30 in × 21 in)
所蔵ルーヴル美術館パリ

モナ・リザ』(: La Gioconda: La Joconde)は、イタリアの美術家レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた油彩画。上半身のみが描かれた女性の肖像画で、「世界でもっとも知られた、もっとも観られた、もっとも書かれた、もっとも歌われた、もっともパロディ作品が作られた美術作品」といわれている[1]

『モナ・リザ』のモデルは、フィレンツェの富裕な商人で、行政官も務めたフランチェスコ・デル・ジョコンドの妻リザ・デル・ジョコンドだとされている。ポプラ板油彩で描かれた板絵で、1503年から1506年に制作されたと考えられている[2]。もともとはフランス王フランソワ1世が購入した作品だが、現在はフランスの国有財産であり、パリルーヴル美術館が常設展示をしている[2]。しばしば「謎」と表現される画題の不確かさ[3]、スケールの大きな画面構成、立体描写の繊細さ、だまし絵めいた雰囲気など、さまざまな点において斬新であったこの作品は、現在に至るまで人々を魅了し続け、研究の対象となってきた[2]

モデルと作品名

この作品が『モナ・リザ』と呼ばれているのは、16世紀のイタリア人芸術家、伝記作家ジョルジョ・ヴァザーリの著書『画家・彫刻家・建築家列伝』の「レオナルドは、フランチェスコ・デル・ジョコンドから妻モナ・リザの肖像画制作の依頼を受けた」という記述が元となっている[4] [5]。イタリア語の「ma donna」は「私の貴婦人」を意味し、短縮形で「mona」と綴られる。ヴァザーリが著作に書いているように「mona」が伝統的な綴りではあるが[4]、現代イタリア語では「madonna」の短縮形は「monna」となることが多い。したがって「モナ・リザ」を現代イタリア語で綴ると「Monna Lisa」となるが、英語圏では一般的に「Mona Lisa」と綴られている。

ハイデルベルク大学で発見された、フィレンツェの役人だったアゴスティーノ・ヴェスプッチが1503年に記した書込み。レオナルドがリザ・デル・ジョコンドの肖像画を制作しているという内容が書かれている

レオナルドの伝記が書かれたヴァザーリの著書『画家・彫刻家・建築家列伝』は、レオナルドが死去した31年後の1550年に出版されたものである。そして現在にいたるまで、『モナ・リザ』の来歴やモデルの特定などの情報源としては、この『画家・彫刻家・建築家列伝』がもっともよく知られた文献資料となっている。2005年にドイツのハイデルベルク大学図書館の研究者が、大学の蔵書である1477年に出版されたキケロ全集の余白部分にラテン語の書込みを発見した。この書込みは、レオナルドの同時代人でフィレンツェの役人だったアゴスティーノ・ヴェスプッチ (en:Agostino Vespucci) が1503年に記したもので、ヴェスプッチはレオナルドを著名な古代ギリシアの画家アペレスに例える文章を書いた人物だった。ヴェスプッチの書込みには、レオナルドがリザ・デル・ジョコンドの肖像画を制作している最中であることが、1503年10月という日付とともに記されていた[6] [7]。2004年に実施された赤外線分析の結果からも、『モナ・リザ』の制作開始年が、ジョコンドが次男を出産した1503年ごろだといわれている[8] [9]

レオナルドが1525年に死去する際に、弟子のサライに「ラ・ジョコンダ (la Gioconda)」という題名の肖像画を遺贈したことが、サライの個人的覚書に記されている。イタリア語の「jocund」は「幸福」や「陽気な」を意味する。「La Gioconda」はモデルの姓であると同時に、「幸せな人」を意味する「La jocund」の語呂あわせにもなっている[10][11]

『モナ・リザ』のモデルであるリザ・デル・ジョコンドは[12] [13]フィレンツェトスカーナに起源を持つゲラルディーニ家の出身で、フィレンツェの裕福な絹商人フランチェスコ・デル・ジョコンドと結婚した[10]。フランチェスコが『モナ・リザ』の制作をレオナルドに依頼したのは、デル・ジョコンド一家の新居引越しと次男アドレアの出産祝いだったと考えられている[14]

来歴

レオナルド・ダ・ヴィンチの自画像。赤パステルで1512年から1515年ごろに描かれた。

レオナルド・ダ・ヴィンチがフィレンツェで『モナ・リザ』の制作を開始したのは1503年か1504年である[15]。レオナルドと同時代人のジョルジョ・ヴァザーリは「制作に4年を費やしたが、結局未完に終わった」と記している[5]。晩年のレオナルドは「ただの1作も完成させることができなかった」ともいわれている[16]

1516年に、レオナルドはフランス王フランソワ1世の招きに応じてフランスを訪れ、フランソワ1世の居城アンボワーズ城近くのクルーの館に移り住んだ。このときにレオナルドは『モナ・リザ』もフランスへ持参し、フランスでも『モナ・リザ』に加筆し続けたと考えられている[17]。レオナルドは1519年に死去し、『モナ・リザ』は他の作品とともに弟子のサライが相続した[10]。その後フランソワ1世が『モナ・リザ』を4,000エキュで買い上げ、ルイ14世に寄贈されるまで、100年以上フォンテーヌブロー宮殿に所蔵されていた。ルイ14世は『モナ・リザ』を自身が新たに王宮に定めたヴェルサイユ宮殿へと移した。フランス革命後、『モナ・リザ』はルーヴル美術館の所蔵となったが、ナポレオン1世がフランス皇帝だったときには、チュイルリー宮殿のナポレオン1世の寝室に飾られていたこともあった。1870年から1871年に起こった普仏戦争時にはルーヴル美術館からブレスト・アーセナル (en:Brest Arsenal) に移されている[18]。また、第二次世界大戦時には戦禍を避けて、アンボワーズ城、ロク・デュ修道院 (en:Loc-Dieu Abbey)、シャンボール城を転々とし、最終的にモントーバンアングル美術館に収められている。

盗難と破損

『モナ・リザ』が盗まれたルーヴル美術館サロン・カレの展示場所。

『モナ・リザ』の名声は、1911年8月21日にルーヴル美術館から盗まれたときにさらに上がった[19]。盗難に遭ったのが発覚したのは翌日の8月22日で、フランス人画家ルイ・ベロー (en:Louis Béroud) が、『モナ・リザ』をスケッチするために、『モナ・リザ』が公開されているサロン・カレを訪れた。しかしながら、『モナ・リザ』が展示されているはずの場所には、額縁を固定する釘が残されているだけだった。ベローは警備責任者に連絡したが、この警備責任者は『モナ・リザ』は宣伝に使用する写真撮影のために移動させられているだけだと思い込んでしまった。数時間後、ベローが美術館の担当者に再度確認したところ、『モナ・リザ』には写真撮影の予定が入っていないことが分かり、『モナ・リザ』が盗難に遭ったことが発覚したのである。ルーヴル美術館は、捜査に協力するために一週間閉館となった。

ルーヴル美術館など「燃えてしまえ」と言い放ったことがあるフランス人詩人ギヨーム・アポリネールに盗難の容疑がかかり、アポリネールは逮捕、投獄された。このときアポリネールは友人だったパブロ・ピカソに助けを求めようとしたが、ピカソも事件への関与が疑われ、尋問のために警察へと連行された。証拠不十分で両者共に釈放されているが、後にアポリネールもピカソも全く事件とは無関係だったことが証明されている[20]

『モナ・リザ』の再発見については悲観的な見方が大半だったが、事件発生から2年後に、かつてルーヴル美術館に雇われたことがあるイタリア人ビンセンツォ・ペルージャが真犯人であることが判明した。ペルージャはルーヴル美術館の開館時間中に入館し、清掃用具入れの中に隠れていた。ルーヴル美術館の閉館後に隠れ場所を出て『モナ・リザ』を外し、コートの下に隠して逃走したのである[11]。ペルージャはイタリア愛国者であり、イタリア人レオナルドの作品はイタリアの美術館に収蔵されるべきだと信じていたとされる。また、真作の『モナ・リザ』が失われれば複製画の価格が高騰すると持ちかけられたことも、動機となっているという説もある。ペルージャは2年間にわたって自身のアパートに『モナ・リザ』を隠していたが、フィレンツェウフィツィ美術館館長に『モナ・リザ』を売却しようとして、逮捕された。イタリアに持ち込まれていた『モナ・リザ』は、そのままイタリア中で巡回展示された後、1913年にルーヴル美術館に返却された。ペルージャはイタリアで裁判にかけられたが、愛国者であると賞賛され、投獄されたのは6カ月に過ぎなかった[20]

第二次世界大戦中には戦禍を避けて、ルーヴル美術館からアンボワーズ城、ロク・デュ修道院 (en:Loc-Dieu Abbey)、さらにシャンボール城へと移され、最終的にモントーバンアングル美術館に収められた。1956年には観客から酸を浴びせられ、画面下部に大きな損傷を受けたことがあった[21]。さらに同年12月30日に、ボリビア人青年が『モナ・リザ』に石を投げつけた。これによって画面左下部の顔料が僅かではあるが剥落し、修復されている[22]

損壊事件が相次いだことから、『モナ・リザ』は防弾ガラスのケースに収められた。1974年4月には、東京国立博物館に貸し出し展示されていた『モナ・リザ』が、美術館の身体障害者への対応に憤った「足の不自由な女性」に赤色のスプレー塗料を吹き付けられたが、『モナ・リザ』は無事だった[23]。2009年8月2日には、フランス市民権取得を拒否されて度を失ったロシア人女性が、ルーヴル美術館の土産物屋で購入した素焼きのコップを『モナ・リザ』に投げつけたが、防弾ガラスに収められていた『モナ・リザ』への影響はなかった[24] [25]

構成と審美的評価

画面背景右上の拡大画像。

『モナ・リザ』の女性像は、シンプルで安定感のある三角形の構図で描かれており、重ねられた両手が三角形の底辺を構成している。胸、首、顔、手は光源を同じくする光に照らし出され、光の効果が丸みを帯びた様々な表情を女性に画面に与えている。レオナルドは、座する聖母マリアが描かれた、当時の典型的ともいえる構成で『モナ・リザ』の女性を描いている。レオナルドがこのような構成で『モナ・リザ』を描いたのは、この女性像と作品の鑑賞者に距離感を持たせる効果を意図していた。左腕が乗せられた椅子の肘掛が『モナ・リザ』と鑑賞者とを隔てる役割を担っている。

女性は背筋を伸ばして座り、重ねられた両手は控えめな立ち振る舞いを意味している。視線はまっすぐに鑑賞者に向けられ、この静謐な空間を共有することを歓迎しているかのように見える。光に照らし出された明るい顔は、髪の毛、ベール、陰影などの暗い部分によってさらに強調されている。女性の顔は、レオナルドが用いた新たな技法によって不思議な表情を与えられている。輪郭を描くのではなく「主に口角と眼周辺を表現する (Gombrich)」スフマートの技法で女性の顔が描かれている[26]。現在ルーヴル美術館が所蔵する、ラファエロの『バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像』は、1514年から1515年ごろに描かれた絵画で、間違いなく『モナ・リザ』の影響を受けている作品である。

重ねられた両手の拡大画像。結婚指輪は描かれていないが、レオナルドはこのポーズでリザを描くことによって、高潔で貞淑な夫人を表現している[27]

『モナ・リザ』は空想的な風景を背景にして、一人の座る女性を描いた最初期の肖像画の一つである。レオナルドは空気遠近法 (en:aerial perspective) を絵画に取り入れた最初の画家の一人でもある[28]。この謎めいた女性は、暗色の柱に支えられた開かれたロッジアの中に座っている。背景にはうっすらとした凍て付いた山並みなど広大な風景が描かれている。曲がりくねった小路と遠景の橋には、一人の人影も見えない。官能的に波打つ髪と衣服は、うねるように表現された背後の谷や川と調和している。ぼやけた輪郭、優美な女性像、明暗の劇的な対比、そして静謐さに満ちた雰囲気は、レオナルドの作風の典型ともいえる。レオナルドが成しえた女性像と空想上の風景との融合表現が、『モナ・リザ』が伝統的な肖像画なのか、それとも実在の女性ではなく理想的な女性を表現したものなのかという議論の原因ともなっている。

『モナ・リザ』に描かれている女性や風景については様々な憶測がある。例えば「15世紀後半の美的感覚、さらには21世紀の美的感覚に照らしても」モデルの女性が美しくは描かれていないことから、レオナルドは忠実にモデルの女性を写し取ったと考えられるなどといった説がある[29]。また、矢代幸雄のように、『モナ・リザ』の背景に描かれている風景画が、中国の山水画の影響を受けていると主張する西洋美術史家もいる[30]。しかしながら、これらの推測には確たる証拠がないため異論も多い[30]

保存状態

『モナ・リザ』が制作されて以来、500年以上が経過しているが、1952年に開催された美術品に関する国際会議で「この絵画(『モナ・リザ』のこと)の保存状態は極めて良好である」とされている[31]。これは過去に様々な修復が入っていることにも一因がある。1933年にマダム・ド・ジロンドが、初期の修復者たちが細部にわたるまで「細心の注意を払って」修復作業にあたった痕跡が見られるとしている[31]。16世紀の終わりまでには、画肌保護のために表面に塗布されていたワニスが劣化し、画面全体が黒ずんで見えていたが、1809年に大胆な修復が実施された。このときの修復作業では、画肌最上部のワニス層が除去されており、修復洗浄の結果画面全体に往時の明るさが取り戻されている。『モナ・リザ』は過去の歴史を通じて、非常に適切に保管されてきた作品である。支持体に使用されているポプラ板の反りがキュレータたちの「ちょっとした悩み」になっていたが[32]、2004年から2005年に実施された修復では、将来の『モナ・リザ』の状態も問題ないだろうといわれている[31]

支持体のポプラ板と額縁

ルーヴル美術館ドゥノン翼2階展示室6「国家の間」の、2013年現在『モナ・リザ』が収められている、建築家ロレンゾ・ピケラスが設計した防弾ガラス製のケース[33]

『モナ・リザ』の支持体となっているポプラ板は、湿度の影響により歪みや反りが生じたことがある。過去に、ポプラ板の歪みによって画面上部にひびが入り、女性像の髪の部分にまでひび割れが及んでしまったことがある。この歪みを矯正するために、18世紀半ばから19世紀初頭にかけて、2点のクルミ材製の固定具が作品の背面に挿し込まれた。ポプラ板の厚みのおよそ3分の1の深さまでこの固定具を挿し込むという、非常に高度な技術を必要とされる作業だったが、この修復は成功しひびの状態は安定した。また、1888年から1905年のどこか、おそらくは盗難中に上部の固定具が脱落している。さらに、第二次世界大戦中に不適切な保存下に置かれていたために生じた歪みへの対応と、レオナルド生誕500年記念展覧会に出品される準備として、『モナ・リザ』はブナ材の横木がついた、弾力性のあるオークの額縁に収められた。この額縁は、それ以上ポプラ板が歪まないように圧力をかける機能を持っていた。1970年には、ブナ材の横木が虫による食害にあっていることが発見され、横木の素材がカエデ材に交換されている。さらに2004年から2005年に、保存委員会がカエデ材の横木からプラタナス材の横木に交換し、さらに科学的な歪みの測定に基づいて金属製の横木も追加した。

『モナ・リザ』はそれぞれ時代の流行に応じて、様々な額縁に収められてきた。サイズを額縁に合わせるためにポプラ板の端が削られたことはあるが、顔料が塗布された絵画部分には削られた箇所はない[31]

現在『モナ・リザ』が収められている防弾ガラスのケース内部は厳格な制御がなされており、湿度は50パーセント±10パーセント、温度は18度から21度に保たれている。さらに湿度の変動を防ぐ目的でシリカゲルもケース内に入れられており、相対湿度を55パーセントに保つ一助となっている[31]

過去の修復作業

記録に残っている『モナ・リザ』に対する、最初のかつもっとも大規模な修復が実施されたのは1809年のことである。このときの蒸留アルコールによる洗浄、ワニスの塗り直し、加筆など一連の修復作業の指揮を執ったのは、当時ナポレオン美術館と改名されていたルーヴル美術館の絵画修復責任者ジャン=マリー・フストゥルだった。1906年に、ルーヴル美術館の修復担当者ウジェーヌ・ドゥニザールが、ポプラ板のひび割れによって荒れた画肌部分に水彩顔料で修復加筆を行っている。また、ドゥニザールは、古い額縁では隠れていた画面端部分のワニスの修復も行っている。盗難に遭っていた『モナ・リザ』がルーヴル美術館に戻された1913年にも、ドゥニザールが修復作業の責任者に任命された。このときドゥニザールは特殊な溶剤を使用しない洗浄作業を指示し、顔料が欠落していた箇所に対して、水彩顔料によるわずかな加筆で修復作業を終えている。1952年には、画面背景部分を覆っていたワニス層の表面を滑らかにする修復が行われた。1956年に観客によって酸が浴びせられたときにはジャン=ガブリエル・グーリナが修復を担当し、損害を受けた『モナ・リザ』の左腕部分を水彩顔料で修復加筆している[31]

ルーヴル美術館での展示場所

学術的な保全、記録、調査を受けた後の2005年4月6日に、『モナ・リザ』は「国家の間」に展示場所が移された。この展示室で、温度、湿度などが制御された専用の収納場所に、防弾ガラスに守られて公開されている[34]。『モナ・リザ』を収蔵するためのサル・デ・ゼタの改築には、日本テレビが資金を提供した[35]。毎年およそ600万人の観客が、『モナ・リザ』を観るためにルーヴル美術館を訪れている[17]。木炭と石墨の、レオナルドが描いたといわれる『モナ・リザ』の習作がニューヨークのハイド・コレクション (en:The Hyde Collection) に所蔵されている[36]

評価

『モナ・リザ』はルーヴル美術館でもっとも集客力がある所蔵品となっている。2010年撮影。

美術史家ドナルド・サスーンが、『モナ・リザ』の評価が高まっていく様子をまとめている。19世紀半ばには、テオフィル・ゴーティエロマン派詩人たちが、『モナ・リザ』のことを「運命の女」と表現している。『モナ・リザ』は「・・・・・・読者が好き勝手に読み解くことができる書物のような作品だ。彼女(リザ)は宗教的イメージではなく、この絵画に心惹かれる文学趣味の観客の多くは男性である。彼女は尽きることのない幻想的な女性として、男性たちを魅了している」とした。20世紀に『モナ・リザ』が盗まれたときには、様々な模造品、製品、風刺文、憶測の引き金となり「300点の絵画と2,000に及ぶ広告」が生まれた[37]

『モナ・リザ』がアメリカに持ち込まれて、ワシントン D.C. のナショナル・ギャラリー・オブ・アートで公開されたときに、アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディとともに撮影した写真。1963年1月8日。

ルーヴル美術館を訪れる入館者の多くは、およそ15分間『モナ・リザ』の前で足を止める[38]。20世紀になるまで、『モナ・リザ』は多くの絵画作品のなかのひとつに過ぎず、世界で「もっとも有名な絵画」というわけではなかった[39]。1852年時点で、ルーヴル美術館所蔵品の総市場価値は90,000フランだったのに対し、ラファエロの総作品の市場価値は600,000フラン以上だった。1878年に旅行案内書ベデカーが「ルーヴル美術館が所蔵するレオナルドの作品中、最も素晴らしい作品」という評価を残している。1851年から1880年の間に、ルーヴル美術館を訪れた芸術家たちは、ムリーリョコレッジョヴェロネーゼティツィアーノグルーズプリュードンらの作品を模写しているが、これら芸術家たちのうちおよそ半数が『モナ・リザ』の模写も手がけている[37]

1962年12月から1963年3月にかけて、『モナ・リザ』はアメリカ合衆国に貸与されて、ニューヨークとワシントンD.C.で公開された[40]。また、1974年には東京とモスクワでも公開されている[41]

1962年からのアメリカでの公開前に『モナ・リザ』に保険をかける目的で評価額換算が行われた。その結果、10,000万ドルという査定額が下されたために、この高額な保険の引受け手は皆無となってしまい、保険に多額の金をつぎ込む代わりに、保安監視に予算が充てられることとなった[42]。21世紀以降で、かつて『モナ・リザ』につけられた10,000万ドルという価格を上回って取引された絵画作品は複数存在する。2006年6月にグスタフ・クリムトの『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』が13,500万ドルで、2006年11月にウィレム・デ・クーニングの『女 III』が13,800万ドル、ジャクソン・ポロックの『No. 5, 1948』が14,000万ドル、ポール・セザンヌの連作『カード遊びをする人たち』のうちの1点が25,000万ドルで、それぞれ売却されている[43]。これらの作品は単純な価格比較においては『モナ・リザ』を超えているが、アメリカの消費者物価指数で換算すると、1962年の10,000ドルは2010年の72,000万ドルの価値があるといえる[44]

『モナ・リザ』を巡る考察、憶測

『モナ・リザ』には、様々な考察や推測が存在している[45]

柱とパネルのサイズ

バルチモアのウォルターズ美術館が所蔵する『モナ・リザ』の最初期の模写作品。両端に柱が描かれている。

レオナルドの死後、『モナ・リザ』の画面両端が切落とされたのではないかという根強い説がある。これは、初期に模写された何点かの絵画作品の画面両端に柱が描かれており、現在の『モナ・リザ』には、柱の基部しか存在していないためである[46] [47]。しかしながらマーティン・ケンプ (en:Martin Kemp (art historian)) のように、『モナ・リザ』の画面両端は切落とされてはおらず、模写に描かれている柱は単に付け加えられただけだとする美術史家もいる。2004年から2005年にかけて、各国の39名の専門家によって綿密な科学的調査が『モナ・リザ』に実施され、模写に見られる柱は模写の制作者に付け加えられたという、ケンプらの説が支持されるようになった。このときの調査で、額縁に隠れた『モナ・リザ』の上下左右の端には「余白」部分があることが判明している。この余白部分には下塗りに用いるジェッソ (en:gesso) が塗布されており、一部顔料も残っている。『モナ・リザ』制作当初から存在する余白であり、両端が切落とされた結果生じた余白ではないと考えられている。

風景画

イタリアのトスカーナの渓谷地帯ヴァルディキアーナ (en:Valdichiana) には、『モナ・リザ』の背景に描かれているのは、当地の風景であるという昔からの伝承がある。2011年に出版された専門誌『カルトグラフィカ (Cartographica) にも、『モナ・リザ』の背景とヴァルディキアーナの地形が合致する部分があるという記事が掲載された[48]

別ヴァージョンの「モナ・リザ」

マドリードプラド美術館が所蔵する『ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)』。レオナルドの弟子が『モナ・リザ』と同時期に描いた模写だと考えられている。

レオナルドが描いた『モナ・リザ』には複数のヴァージョンが存在するとも言われている。『アイルワースのモナ・リザ』として知られる作品の所有者は、『アイルワースのモナ・リザ』こそがオリジナルの『モナ・リザ』であると主張しているが、ほとんどの美術史家は『アイルワースのモナ・リザ』が後世になって描かれた模写だとみなしている。2012年9月27日に、チューリッヒの美術財団法人が『アイルワースのモナ・リザ』は、35年に及ぶ専門家の調査の結果により、レオナルド作と結論付け、モデルはルーブルの『モナ・リザ』よりも10歳ほど若い。未完成品でレオナルド以外の人物が仕上げたと発表した[49][50]。この『アイルワースのモナ・リザ』は40年間にわたってスイスの銀行の貴重品保管室に保管されていた絵画である。2012年9月27日に公開されたこの作品がレオナルドの真作であるとする専門家と[51]、模写だとする専門家の両方が存在している[52]

ヴァーノン・コレクションも自身が所蔵する「モナ・リザ」が初期ヴァージョンであり、ヴァーノンの「モナ・リザ」にはルーヴル美術館の『モナ・リザ』の習作といえる部分があると主張している[53]。他にも、第5代リーズ公フランシス・オズボーン (en:Francis Osborne, 5th Duke of Leeds) が所有していた作品で、1790年ごろにイギリス人画家ジョシュア・レイノルズの自画像と交換された、1616年ごろに描かれた「モナ・リザ」がある。レイノルズは、自身が入手したこの「モナ・リザ」がレオナルドの真作であり、ルーヴル美術館の『モナ・リザ』は模写だと信じていたが、現在ではレイノルズの考えは否定されている。しかしながら『モナ・リザ』が描かれてから約100年後に模写されたレイノルズの「モナ・リザ」は、ルーヴル美術館が所蔵する『モナ・リザ』よりも当時の鮮やかな色合いを現在に伝えている点で、価値のある作品となっている。現在は個人蔵となってるレイノルズの「モナ・リザ」だが、2006年にロンドンダリッジ・ピクチャー・ギャラリーで一般公開された[54]

2012年1月に、マドリードプラド美術館が、レオナルドの弟子、それもおそらくはレオナルドと非常に近しい弟子が描いた『モナ・リザ」の模写を発見し、完璧に近い修復を実施したと発表した[55]。プラド美術館の「モナ・リザ」は、ワニスがひび割れ、経年変化で黄化している現在のルーヴル美術館が所蔵する『モナ・リザ』よりも、制作当時の外観をよく留めていると考えられている[56] [57]

裸身のモナ・リザ

レオナルドの弟子サライが描いた裸身のモナ・リザ

『モナ・リザ』には、描かれている女性が裸身で表現されている模写も何点か存在している。これらの作品から、レオナルドが描いた裸身の『モナ・リザ』が存在していたのではないかとする説がある[58]。裸身の「モナ・リザ」の模写といわれている作品には以下のようなものがある。

  • エルミタージュ美術館が所蔵する『裸体の貴婦人 (Donna Nuda)』。レオナルド最晩年の弟子サライ (en:Salaì) の作品。
  • ルーヴル美術館が所蔵する『モナ・ヴァンナ (Mona Vannna)』。レオナルド最晩年の弟子サライの作品。
  • ナポレオン1世の叔父の枢機卿ジョゼフ・フェッシュが所蔵していた『モナ・ヴァンナ (Mona Vannna)』。
  • スペンサー伯家が所蔵する『美しきガブリエーレ (La Belle Gabrielle)』。
  • アッカデミア・カッラーラが所蔵する『花の女神 (Flora)』。カルロ・アントニーオ・プロカッチーニ (en:Carlo Antonio Procaccini) の作品。
  • プラハ国立美術館が所蔵する『モナ・ヴァンナ・ヌーダ (Mona Vanna Nuda)』。ヨース・ファン・クレーフェ (en:Joos van Cleve) の作品。
  • ライト美術館が所蔵する『女性の肖像』。ヨース・ファン・クレーフェの作品。
  • 16世紀に描かれた『裸身のジョコンダ (Gioconda desnuda)』。バルテル・ブリュイン (en:Barthel Bruyn) の作品。

モナ・リザの微笑

レオナルド自身が『モナ・リザ』の習作として描いたといわれることもあるデッサン。

『モナ・リザ』に描かれている女性が浮かべている謎めいた微笑は、幾度となく多くの議論の的となっている。その微笑みは純真で魅力的だと形容されることもある。多くの研究者が、何故『モナ・リザ』の微笑が人々の心を魅了し続けるのかを明らかにしようとしてきた。研究者による解釈の幅は、人間の知覚における科学的な理論から、『モナ・リザ』に関して言われ続けてきたモデルの特定や作品の雰囲気の謎が影響しているというものまで様々である。ハーヴァード大学教授マーガレット・リヴィングストンは、『モナ・リザ』は単位あたりの情報量である空間周波数が低く描かれているため、『モナ・リザ』は遠くから観るか、周辺視野も活用して観るべきだとする。例えば『モナ・リザ』が浮かべる微笑は、口元よりも目の辺りを観たほうが、より印象的にみえるとしている[59] [60] [61]

サンフランシスコのスミス=ケトルウエル視覚研究所 (en:Smith-Kettlewell Institute) の研究者クリストファー・テイラーとレオニード・コンツェビッチは、『モナ・リザ』の微笑が様々な印象を与えるのは、視覚系の働きに個人差があるためだとしている[3]ブラウン大学の非常勤教授ディナ・ゴルディンは、『モナ・リザ』の謎めいた微笑は豊かな表情筋によるものだと主張している。この豊かな表情筋の効果で、観客は無意識に『モナ・リザ』の微笑を拡大解釈し、観客それぞれが『モナ・リザ』の微笑から受ける、微かではあるが確かな感情を想起されるのだとしている[62]

赤外線分析

ボッティチェッリが1470年頃に描いた妊婦の肖像画『エスメラルダ・ブランディーニの肖像』。『モナ・リザ』の女性が着用しているのと同様の半透明の紗のヴェール(グアルネッロ)が描かれている。

2004年にカナダ国立研究機構 (en:National Research Council (Canada)) が『モナ・リザ』の赤外線三次元分析を実施したが、画肌に塗布されたワニスの経年変化のために詳細部分の解析は困難を極めた。この赤外線分析で得られたデータから、フランス美術館研究修復センターのブルーノ・モッタンは、『モナ・リザ』の女性が身につけている半透明の紗のヴェールが、グアルネッロと呼ばれる、妊娠中あるいは出産直後の女性が使用していたものだと結論付けた。よく似たグアルネッロが、ボッティチェッリの1470年ごろの作品『エスメラルダ・ブランディーニの肖像』(en:Portrait of a Lady known as Smeralda Bandinelli) にも描かれている。現在ロンドンヴィクトリア&アルバート博物館が所蔵するこの作品は妊婦を描いた肖像画である[63]。さらに、赤外線分析によって、『モナ・リザ』に描かれている女性の髪が無造作に降ろされているのではなく、後頭部でボンネットないし髪留めピンのようなものでシニョン (en:Chignon (hairstyle)) にまとめられていることも判明している。16世紀では、無造作に降ろした髪は未婚の少女か娼婦の髪型だとされていた。この発見により、『モナ・リザ』のモデルとされるリザ・デル・ジョコンダが既婚女性なのに、降ろした髪型で描かれているという矛盾点が解決された[64]

また、この赤外線分析のデータから、レオナルドが用いた技法を明らかにし、現在の保存手法が継続された場合には僅かではあるが状態が劣化する可能性があることも指摘した研究者もいる[65] [66]。2006年にも『モナ・リザ』に科学分析が実施された。赤外線カメラによる精査から制作初期の『モナ・リザ』にはボンネットを着けて束ねられた髪型の女性が描かれていたが、制作過程のどこかの時点で、レオナルドが現在の髪型へと変更したことが判明している[67]

眉毛とまつげ

『モナ・リザ』にはまつげも眉毛もはっきりとは描かれていない。このことについて、当時の上流階級の婦人たちは、まつげや眉毛が見苦しいとして、すべて抜いているのが普通だったとする研究者もいる[68] [69]。2007年にフランス人技術者パスカル・コットが、超高解像度カメラによる調査の結果、もともとの『モナ・リザ』にははっきりとしたまつげと眉毛が描かれていた痕跡が見つかったと発表した[70]。そして、おそらくは過度の洗浄修復のために、年を経るうちに両者共に消えてしまったのではないかとした[71]。コットは高解像度カメラによって24枚の拡大写真を撮影し、左目の上に一本の細い眉毛を描いた筆跡を発見したとし、「たとえわずか一本の眉毛であっても、レオナルド・ダ・ヴィンチが眉毛とまつげを描いていたという確かな証拠といえる」としている。『モナ・リザ』が低質な洗浄修復を受けた際に眉毛が薄くなっていったか、不注意にも除去されてしまった可能性があると主張した。さらにコットは、制作当初の女性の両手は、現在の『モナ・リザ』とは微妙に異なる位置で描かれていたとも述べている[72]。また、モナ・リザをX線にかけたところ、レオナルドは、最初に描いた「まなざし」の上に少なくとも一回以上異なった「まなざし」を上塗りしたことが分かっている[73]

画題

『モナ・リザ』とレオナルドの自画像との比較。

『モナ・リザ』に描かれている女性に関して、様々な説が唱えられてきた。聴覚障害者、喪に服す婦人[74]、高級娼婦、人類の恋人、画家が患う神経症の産物、梅毒患者、伝染病患者、麻痺患者、歯痛病者などである[37]。2010年1月には、パレルモ大学の解剖病理学教授ヴィトー・フランコが、イタリアの新聞『ラ・スタンパ』に『モナ・リザ』に関する記事を寄稿した。そしてフィレンツェで開催された医学学会で、『モナ・リザ』に描かれている女性には、コレステロール過多症の原因となる脂肪酸の明らかな蓄積が見られると指摘した。さらにフランコは、女性の右目には脂肪腫らしき症状も見られるともしている[75]

専門家や愛好家の間では「リザ」という名前で呼ばれていたレオナルドの絵画作品は、少なくとも4点存在すると考えられており[76][77][74]、リザ・デル・ジョコンドが描かれているのはルーヴル美術館が所蔵しているのとは別の「モナ・リザ」だと主張する研究者もいる[76] [74]

描かれている女性の特定にも様々な説があり[77]、「リザ」のモデルではないかといわれた女性は10名以上の名前が挙げられている[78][79][80][81]。ミラノ公妃イザベラ・ダラゴナ[78]、ミラノ公の愛妾チェチーリア・ガッレラーニ[79]、フランカヴィラ公爵夫人コンスタンツァ・ダヴァロス (en:Costanza d'Avalos, Duchess of Francavilla)[77]、マントヴァ侯妃イザベラ・デステ、パシフィカ・ブランディーノ、イザベラ・グアランダ、カテリーナ・スフォルツァ、さらにはレオナルド自身だという説もある[17][80]

『モナ・リザ』とレオナルドの自画像との合成画像。

オーストラリア人芸術家スーザン・ドロテア・ホワイト (en:Susan Dorothea White) は『微笑みの解剖学、モナ・リザの頭骨 (Anatomy of a Smile: Mona's Bones )』(2002年)と『モナ・リザの噛み合わせ (Mona Masticating )』(2006年)で、『モナ・リザ』に描かれている女性の頭蓋の形状が、解剖学的に男性のものと酷似していると指摘した[82]ベル研究所のリリアン・シュワルツ (en:Lillian Schwartz) は、『モナ・リザ』は実質的にはレオナルドの自画像ではないかと主張している。『モナ・リザ』をデジタル解析した結果、『モナ・リザ』の女性の表情と自画像のドローイングの表情とが一致することが分かったとした。しかしながら、シュワルツが比較対象としたドローイングは、レオナルドの自画像ではないという説もある[83]。レオナルドの伝記を書いた作家セルジュ・ブラムリー (en:Serge Bramly) は1994年に「(『モナ・リザ』の)モデルといわれる人物は、妥当か否かはともかくおよそ12名程度は存在する。なかには、モデルなどは存在せず、レオナルドが理想の女性を描いたと主張する者もいる」としている[84]

ラファエロが描いた『イザベラ・ダラゴナの肖像』(ドーリア・パンフィーリ美術館)。

マイケ・フォクト=リュールセンは、『モナ・リザ』のモデルが、レオナルドがその宮廷画家を12年間勤めていたミラノ公妃イザベラ・ダラゴナであると主張した。フォクト=リュールセンは『モナ・リザ』に描かれている濃緑色の衣装は、この女性がスフォルツァ家の一員であることを示唆しているとし、『モナ・リザ』はミラノ公に輿入れしてきたイザベラを描いた最初の公式肖像画であり、1503年ではなく1489年の春か夏に描かれた作品であるという説を唱えている[85]

2004年に歴史家ジュゼッペ・パランティが『モナ・リザ、無邪気な女性 (Monna Lisa, Mulier Ingenua )』を出版した[86]。この書籍は過去に『モナ・リザ』のモデルといわれてきた人物たちを、古文書を調査した証跡をもとにしてまとめ上げた文献となっている。パランティは証跡から、レオナルドの父がデル・ジョコンドの友人だったと考えられるとし「『モナ・リザ』は、リザ・デル・ジョコンドが24歳のときに描かれた作品で、レオナルドの父が友人のために制作を依頼した作品であろう。レオナルドの父は他にも息子に絵画制作を依頼したことがあった」としている[87] [88]。2007年には系図学者ドメニコ・サヴィーニが、ストロッツィ家の姫ナタリアとイリナがリザ・デル・ジョコンドの子孫であると特定した[89]

2010年10月に、美術史家シルヴァーノ・ヴェンチェッティが『モナ・リザ』の目の中にレオナルドのイニシャルなどの微細な文字を発見したと、英紙デイリー・メールが報じた。右目にレオナルドのイニシャルである「LV」が描かれ、左目には「CE」あるいは「B」と思われる記号、背景にある橋のアーチには「72」あるいは「L2」のような文字を、高度な拡大鏡を使用することで確認できるとする報道である[90]。この発表から間もなく、ヴェンチェッティはこれらの文字からレオナルドの長年の弟子で愛人だったともいわれる、ジャン・ジャコモ・カプロッティ(通称サライ (en:Salaì))こそが、『モナ・リザ』のモデルであると主張し始めた[91]。この主張に対しルーヴル美術館は、ヴェンチェッティが実際に『モナ・リザ』を精査していないことを指摘し、2004年と2009年の科学的分析時に「あらゆる研究機関が調査することが可能」だったにも関わらず「調査中に、文字や数字はひとつも見つかっていない」「木の板に描かれている作品の経年変化により、絵画表面には無数のひび割れが生じている。このひび割れの形状が、行き過ぎた憶測のもとであたかも数字や文字であるかのように見えてしまう可能性があるのかもしれない」と反論している[92]

後世への影響

ウジェーヌ・バタイユが1883年に描いた『微笑 (Le rire)』、『モナ・リザ』のカリカチュア。

アバンギャルド芸術は、『モナ・リザ』の著名性に目を付けた。『モナ・リザ』が持つ名声は圧倒的なものであり、ダダイストシュルレアリストたちがそのカリカチュアを制作した。1883年にウジェーヌ・バタイユが描いた、パイプをふかす「モナ・リザ」のカリカチュア『微笑』は、パリで一時期流行したインコヒーレンツ派 (en:Incoherents) の絵画展で公開された作品である。1919年には、20世紀美術に多大な影響を与えたマルセル・デュシャンも、口ひげと顎ひげのある「モナ・リザ」のパロディ作品『L.H.O.O.Q.』を残している。この作品名を声にすると、フランス語の「彼女の尻は熱い (Elle a chaud au cul)」とよく似た発音となり、描かれている女性が性的興奮状態にあることを意味している[93]。アメリカ人彫刻家ロンダ・ローランド・シーレー (en:Rhonda Roland Shearer) は、この『L.H.O.O.Q.』に描かれた「モナ・リザ」にはデュシャン自身の自画像も一部使用されているとしている[94]

サルヴァドール・ダリは、「モナ・リザ」に扮した自画像を1954年に描いている[95]。『モナ・リザ』が1963年にアメリカで公開された直後には、アンディ・ウォーホルが「モナ・リザ」を30枚繋ぎ合わせてモチーフとしたシルクスクリーン作品を発表した[96]

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参考文献

映像外部リンク
Leonardo's "Mona Lisa", Smarthistory

外部リンク

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