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「おまけ」の版間の差分

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'''おまけ'''(御負け)とは、ある商品を購入した際に、その商品の価格を下げたり、サービスとして追加で物品をつける行為、あるいは、そのサービスでつけた物品自体のことを言う。商業的な[[差別化戦略]]の一種である。
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{{Sakujo/本体|2012年2月13日|おまけ}}
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{{出典の明記|date=2009年6月}}
'''おまけ'''(御負け)とは商業的な[[差別化戦略]]の一種。以下の2種類がある。
* ある商品を購入した際に、その商品の価格を下げたり、またはある商品以外の物品をサービスして追加でつける行為のこと。
* サービスとして追加でつけた物品自体のこと。


当初は「御負け」の文字通り、店員が客との駆け引きに負けて値を下げる行為を指す言葉であったが、のちに物品を追加する行為なども言うようになった。


'''おまけ'''の語源は「御負け」の文字通り、店員が客との駆け引きに負けて値を下げる行為を指す言葉であったが、のちに商品以外の物品を追加する行為なども言うようになった<ref name="kamigata107">{{Cite book|和書|author=前田勇 編|authorlink=前田勇|title=上方語源辞典|year=1965|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[東京堂出版]]|page=107}}</ref>。しかし、おまけの語が全国的に使用される様になった明確な時期などは分かっていない。
== 行為としてのおまけ ==
値下げ行為については、例えば作成した当日に賞味期限が切れる[[惣菜]]類は、販売店の閉店時間が近づくと何パーセント引きとするようなケースがある。


大正時代に縁日で売られていたトコトンアメの口上に「もうひとつおまけ、トコトンアメ」と言う言葉があり<ref name="omake_haku_p25">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|pages=25|isbn=4569627854}}</ref><ref name="yomiuri20101124">{{Cite web|date=2010-11-24|url=http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/children/study/20060127mi01.htm|title=お菓子などに付く「おまけ」|work=調べてみよう:子ども:教育|publisher=[[読売 ONLINE]]|language=日本語|accessdate=2012-02-17}}</ref>、その一方で戦前の[[大辞林|広辞林]]や[[広辞苑|辞苑]]<ref name="jien">{{Cite book|和書|editor=新村出|title=辞苑|origdate=1943-04-30|accessdate=2012-02-18|edition=第353版|publisher=[[博文館]]|page=267}}「緒巻」(おまき)の次が「御座」(おまし)で「おまけ」が存在しない</ref>には載っていない<ref name="omake_haku_p23_25">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|pages=23-25|isbn=4569627854}}</ref>ことから、[[上方]]の商人で使われていた言葉が、[[グリコ]]の[[キャラメル]]の知名度とともに、全国に広がったと分析する研究もある<ref name="omake_haku_p23_25"/>。
他の物品を追加でつける行為としては、飲食店などで食事をした際、会計後に次回来店時にドリンクが一杯[[無料]]になったり、何枚か集めると景品がもらえる「サービス券」を渡したり、商品を量り売りで売る際に、一度双方が合意した量にさらに少量を追加するケースなどがある。


目的として
==値引きとしてのおまけ==
値引きとしてのおまけとしては、商品を量り売りで売る際に、一度双方が合意した量にさらに少量を追加するケースや、それから派生して価格そのものを割り引くケースがある<ref name="omake_furoku_p4">{{Cite book|和書|editor=高橋洋二|title=別冊太陽 子供の昭和史 おまけと付録大図鑑|origdate=1999-02-20|accessdate=2012-02-18|edition=初版|publisher=平凡社|pages=4|isbn=4582943233}}</ref>。値下げ行為については、例えば作成した当日に賞味期限が切れる[[惣菜]]類は、販売店の閉店時間が近づくと何パーセント引きとするようなケースがある{{要出典|date=2012年2月}}。<!--これを「おまけ」と呼ぶのか?「見切り売り」が「おまけ」の一種か出典が必要-->
# [[賞味期限]]切れ間近のように、商品の価値が減じている際に値段も下げることによって割安感を与えて購入を促す。
# 商品単体での付加価値の差別化を図ることが難しい際に、追加で物品をつけることで差別化を図ることができる。
などが挙げられる。


この値引きの起源として[[えびす講#誓文払い|誓文払い]]が挙げられる<ref name="omake_haku_p26">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|pages=26|isbn=4569627854}}</ref>。[[北原照久|北原氏]]は商売の駆け引きで嘘をついた罪を祓う行事である誓文払いの前後に商店が大安売りをする風習があり、この文化から、値引き商法が発達し、おまけの文化が発達したと推測している<ref name="omake_haku_p26"/>。
=== 関連項目 ===

* [[ポイントサービス]]
一方、他の物品を追加でつける行為としては、店舗で物品を購入時に会計後に「サービス券」を渡されたり、スタンプカードにスタンプやポイントもらったりする場合がある。これらは、消費者がそのポイントを溜めておまけを受けるかどうかを選択することから、自己選択型の価格差別と呼ばれるものである<ref name="mac_p23">{{Cite book|和書|author=吉本佳生|authorlink=吉本佳生|title=マクドナルドはなぜ、ケータイで安売りを始めたのか?|origdate=2010-11-25|accessdate=2012-02-18|edition=初版|publisher=[[講談社]]|series=講談社BIZ|pages=23|isbn=9784062821438}}</ref>。交換対象によっては後述のサービスで付く物品としてのおまけにも分類される。


== サービスで付く物品自体 ==
== サービスで付く物品自体 ==
何らかの商品やサービスを購入した際に何らかの物品がついてくることがある。この物品のことも'''おまけ'''と言う。このおまけの形態も、商品に添付される場合、商品に添付されるポイント{{#tag:ref|[[山崎製パン#春のパンまつり|ヤマザキ春のパンまつり]]、[[BOSSコーヒー#キャンペーン賞品|BOSS電]]など。懸賞との境界が難しいが広義のおまけに分類している書籍<ref name="omake_happy_p41"/>もある。|group="※"}}やあたり券<ref group="※">30年台のグリコのキャンペーン(小鳥、切手などが当選)などがある</ref>などを交換する場合などが存在する<ref name="omake_happy_p41">{{Cite book|和書|author=オマケ総研|title=オマケ幸福論|origdate=2006-06-05|accessdate=2012-02-18|edition=初版|publisher=[[幻冬舎]]|page=41|isbn=4344995465}}</ref>。
お菓子や飲み物を購入した際に、[[シール]]や[[オモチャ]]などがついてくることがある。これを「[[食玩]]」といい、有名なものでは[[江崎グリコ|グリコ]]のお菓子についてくるおもちゃなどがある。


===歴史===
[[仮面ライダースナック]]のライダーカードや[[ビックリマンチョコ]]の天使vs悪魔シリーズシール、[[ペプシコーラ]]の[[スターウォーズ]]の[[ボトルキャップ]]の様に、社会現象として注目されたケースもある。
====売薬版画====
本来の商品に何らかの物品を追加して販売した事例として、[[富山の売薬|富山の薬売り]]が、お得意様に、売薬[[版画]]、[[日用品]]をサービスとして置いていった記録がある。当時は、おまけの名でなく「進物」「土産物」と呼ばれていた<ref name="omake_haku_p48_50">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|pages=48-50|isbn=4569627854}}</ref>。これらのうち、浮世絵版画から派生した売薬版画は、カラーの印刷物が珍しい時代には需要も高く、さらに、配布する側にとっても軽量であったため、江戸時代から昭和の初期まで、長期に渡り利用されてきた<ref name="omake_haku_p53_58">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|pages=53-58|isbn=4569627854}}</ref>。昭和の初期になると、石版印刷が、そして活版印刷が登場すると、売薬版画は廃れ、同時期に富山で流行っていた[[紙風船]]がおまけとして使用される様になった。


====タバコカード====
{{See also|ベースボールカード#タバコカード}}
[[19世紀]]後半に[[アメリカ]]で[[紙巻きタバコ]]の包装の強度を保つために、各種のイラストの描かれたカードがタバコに同封される様になった。このカードには野球選手、女優、世界の風俗などが使用されていた<ref name="omake_haku_p65-67">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|pages=65-67|isbn=4569627854}}</ref>。

明治維新を迎えた日本でも、[[村井吉兵衛]]や[[岩谷松平]]が紙巻タバコの販売を始め、村井は海外のタバコカード<ref name="jt_tabaccocard">{{Cite web|url=http://www.jti.co.jp/sstyle/trivia/know/episode/2010/04/02.html|title=2.たばこカードと日本のたばこ会社&nbsp;&gt;&nbsp;たばこEpisode&nbsp;&gt;&nbsp;たばこに親しむ&nbsp;&gt;&nbsp;たばこの雑学&nbsp;&gt;&nbsp;たばこワールド|publisher=[[JT]]|language=日本語|accessdate=2012-02-18}}</ref>を輸入し「サンライス」「ヒーロー」におまけとして封入した<ref name="omake_haku_p65-67"/><ref name="omake_happy_p54">{{Cite book|和書|author=オマケ総研|title=オマケ幸福論|origdate=2006-06-05|accessdate=2012-02-18|edition=初版|publisher=[[幻冬舎]]|page=54|isbn=4344995465}}</ref>。このカードの封入により村井のタバコは爆発的に売れるが<ref name="omake_haku_p65-67"/>、カードを目的に子供が喫煙をすることが問題となり[[未成年者喫煙禁止法]]が制定される<ref name="omake_happy_p54"/>。更に、封入していたカードのうち、美術裸体画シリーズが[[公序良俗]]を乱すと裁判となった。最終的に裁判には勝訴するものの、商品の回収と販売禁止の命令をうけた<ref name="omake_happy_p54"/><ref name="omake_haku_p68">{{Cite book|和書|author=オマケ総研|title=オマケ幸福論|origdate=2006-06-05|accessdate=2012-02-18|edition=初版|publisher=[[幻冬舎]]|page=68|isbn=4344995465}}</ref>。

====グリコのおもちゃ====
[[江崎グリコ]]の創業者である[[江崎利一]]は、[[1919年]](大正8年)に[[カキ (貝)|カキ]]の煮汁に含まれる[[グリコーゲン]]からキャラメルを作り、栄養菓子「グリコ」を製作した<ref name="rirekisyo_p162_164">{{Cite book|和書|editor=[[日本経済新聞社]]|title=私の履歴書 経済人7|origdate=1980-09-02|accessdate=2012-02-22|edition=初版|publisher=[[日本経済新聞社]]|pages=162-164}}</ref>。[[1922年]](大正11年)、三越百貨店で販売を開始する<ref name="omake_haku_p77_80">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|pages=77-80|isbn=4569627854}}</ref><ref name="rirekisyo_p167">{{Cite book|和書|editor=[[日本経済新聞社]]|title=私の履歴書 経済人7|origdate=1980-09-02|accessdate=2012-02-22|edition=初版|publisher=[[日本経済新聞社]]|page=167}}</ref>。しかし、当時の栄養菓子市場は、大手の森永製菓と明治製菓に占められており、資本金でも1/100程度のグリコがその市場に参入することは非常に困難を伴った<ref name="omake_haku_p81_83">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|pages=81-83|isbn=4569627854}}</ref>。江崎は販売促進のため前述のタバコカードをヒントにカード<ref name="glyco_p152and153">{{Cite book|和書|editor=金田理恵|title=グリコのオマケ|origdate=1992-11-11|accessdate=2012-02-18|edition=初版|publisher=[[筑摩書房]]|pages=152-153|isbn=4480872108}}</ref><ref name="rirekisyo_p170">{{Cite book|和書|editor=[[日本経済新聞社]]|title=私の履歴書 経済人7|origdate=1980-09-02|accessdate=2012-02-22|edition=初版|publisher=[[日本経済新聞社]]|page=170}}</ref>や乳菓をおまけとして添付した<ref name="omake_haku_p81_83"/>。[[1927年]](昭和2年)頃から、このおまけは、[[メンコ]]などのおもちゃや、[[大阪造幣局]]で作られた銅製のメダルとなった<ref name="glyco_p153and182">{{Cite book|和書|editor=金田理恵|title=グリコのオマケ|origdate=1992-11-11|accessdate=2012-02-18|edition=初版|publisher=[[筑摩書房]]|pages=153,182|isbn=4480872108}}</ref><ref name="omake_happy_p54"/><ref name="omake_haku_p83_86">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|pages=83-86|isbn=4569627854}}</ref>。当時はおまけと商品が同一のパッケージに入っていたが、子供たちが手探りで中身を調べる行為<ref name="omake_happy_p54"/><ref name="omake_haku_p83_86"/>(現在で言うサーチ行為)を行うことに、小売店からの苦情が発生し、おまけと商品を別パッケージに入れる通称「おまけサック」が登場した<ref name="omake_happy_p54"/><ref name="omake_haku_p83_86"/><ref name="glyco_p182">{{Cite book|和書|editor=金田理恵|title=グリコのオマケ|origdate=1992-11-11|accessdate=2012-02-18|edition=初版|publisher=[[筑摩書房]]|page=182|isbn=4480872108}}</ref>。このおまけサック導入によって、グリコの生産量は2、3倍となり、大きな発展を遂げる<ref name="omake_haku_p101">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|pages=101|isbn=4569627854}}</ref><ref name="omake_happy_p54"/>。その後、懸賞商品の導入<ref name="omake_haku_p106">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|pages=106|isbn=4569627854}}</ref>や、様々な材質([[セルロイド]]製<ref name="glyco_p157">{{Cite book|和書|editor=金田理恵|title=グリコのオマケ|origdate=1992-11-11|accessdate=2012-02-18|edition=初版|publisher=[[筑摩書房]]|page=157|isbn=4480872108}}</ref>、[[鉛]]と[[アンチモン]]の合金であるアンチモニー製<ref name="glyco_p155">{{Cite book|和書|editor=金田理恵|title=グリコのオマケ|origdate=1992-11-11|accessdate=2012-02-18|edition=初版|publisher=[[筑摩書房]]|page=155|isbn=4480872108}}</ref>、[[土]]<ref name="glyco_p166-168">{{Cite book|和書|editor=金田理恵|title=グリコのオマケ|origdate=1992-11-11|accessdate=2012-02-18|edition=初版|publisher=[[筑摩書房]]|pages=166-168|isbn=4480872108}}</ref>、[[木]]、[[竹]])でおもちゃが作られる様になった<ref name="omake_haku_p104">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|page=104|isbn=4569627854}}</ref>。また、クーポン券の収集により賞品と交換する制度もこの次期に考案された<ref name="rirekisyo_p179">{{Cite book|和書|editor=[[日本経済新聞社]]|title=私の履歴書 経済人7|origdate=1980-09-02|accessdate=2012-02-22|edition=初版|publisher=[[日本経済新聞社]]|page=179}}</ref>。

[[太平洋戦争]]中は、おまけの材質も制限され、[[1942年]](昭和17年)には、グリコのキャラメルもおまけが消え配給制となった(白色の箱の配給グリコ)<ref name="omake_haku_p110-111">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|pages=110-111|isbn=4569627854}}</ref>。1943年には物資不足から、グリコの生産も停止することになった<ref name="omake_haku_p110-111"/>。

戦後、キャラメルの生産の再開を真っ先に行ったのはグリコである<ref name="omake_haku_p164-165">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|pages=164-165|isbn=4569627854}}</ref>。他の大手である森永製菓、明治製菓が配給統制により、生産販売に制限を受ける中、グリコは調達できる範囲で材料を集め、おもちゃつきのグリコを[[菓子]]でなく、[[食玩|食品つき玩具]]として販売した<ref name="omake_haku_p164-165"/><ref name="omake_happy_p54"/>。これは、玩具として販売することで配給統制による規制をすり抜ける方法であった。

[[1949年]](昭和24年)11月菓子類の統制がはずされ、森永製菓、明治製菓だけでなく多数のメーカーでキャラメルの生産と自由販売が始まった。それに伴い、[[1950年]](昭和25年)グリコのおまけサックも復活した<ref name="omake_haku_p166">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|page=166|isbn=4569627854}}</ref>。

しかし、自由販売後のグリコのキャラメルは必ずしも順調と言うわけではなかった。これは、後述する紅梅キャラメル、カバヤキャラメルの登場の影響もあった。グリコが成功するのは、1956年(昭和31年)の本物の小鳥があたるという「幸運の小鳥さがしキャンペーン」である<ref name="omake_haku_p171to173">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|pages=171-173|isbn=4569627854}}</ref>。この後も、切手、コインなどこれらの収集ブームに合わせたキャンペーンを行っていき成功していった<ref name="omake_haku_p171to173"/>。

==== 紅梅野球カード ====
1947年(昭和22年)に設立された紅梅食品(のちに紅梅製菓に社名変更)が菓子類の販売統制の解禁とともに、販売したキャラメルにおまけとして添付された野球カードがあった<ref name="omake_haku_p147">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|page=147|isbn=4569627854}}</ref><ref name="omake_furoku_p53"/>。この野球カードは[[読売ジャイアンツ|読売巨人軍]]の選手の[[プロマイド]]となっており、ピッチャー、キャッチャー、内野手、外野手の計10人のカードを集めることにより、様々な景品ともれなく交換が可能と言うものであった<ref name="omake_haku_p147"/><ref name="omake_furoku_p53"/>。「野球は巨人、キャラメルは紅梅」のコピーで販売したキャラメルは、交換できる賞品の魅力もありヒット商品となった。これらのカードは全て同じ確率ででるわけではなく、一部のカード(特に[[水原茂|水原監督]]のカード)の出現率が非常に低かった<ref name="omake_haku_p150">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|page=150|isbn=4569627854}}</ref><ref name="omake_furoku_p53">{{Cite book|和書|editor=高橋洋二|title=別冊太陽 子供の昭和史 おまけと付録大図鑑|origdate=1999-02-20|accessdate=2012-02-18|edition=初版|publisher=平凡社|pages=53|isbn=4582943233}}</ref>。そのようなカードの添付が1952年公正取引委員会に問題視され、1953年には紅梅キャラメルの万引きグループが出たこともあり<ref name="omake_haku_p155">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|page=155|isbn=4569627854}}</ref>、不買運動が発生する<ref name="omake_furoku_p54">{{Cite book|和書|editor=高橋洋二|title=別冊太陽 子供の昭和史 おまけと付録大図鑑|origdate=1999-02-20|accessdate=2012-02-18|edition=初版|publisher=平凡社|pages=54|isbn=4582943233}}</ref>。その結果、1954年には操業停止となった。

==== カバヤ児童文庫 ====
同じ時期、登場した菓子メーカーの中にはおまけの工夫により、爆発的に販売数を増やすものもあった。
[[1952年]](昭和27年)、岡山の[[カバヤ食品]]が製造・販売したカバヤキャラメルもそのひとつである<ref name="omake_furoku_p46to47">{{Cite book|和書|editor=高橋洋二|title=別冊太陽 子供の昭和史 おまけと付録大図鑑|origdate=1999-02-20|accessdate=2012-02-18|edition=初版|publisher=平凡社|pages=46-47|isbn=4582943233}}</ref>。キャラメルに50点集めることによりハードカバーの児童用の文学全集から1冊を手に入れることができるポイントを添付した。当時高価であった児童文学書をキャラメルの購入で簡単に入手できると言うことから、学校単位での購入も行われることもあった<ref name="omake_furoku_p46to47"/>。
しかし、翌[[1953年]]カバヤ食品は大きな戦略上のミスを行ってしまう<ref name="omake_haku_p143to145">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|page=143-145|isbn=4569627854}}</ref>。キャラメルのおまけに新たに、カバヤ[[マンガ]]ブックを交換対象に加えてしまった。これは、学校、[[PTA]]などの反発をくらい、カバヤキャラメルの[[不買運動]]にまで発展した<ref name="omake_haku_p143to145"/>。

<!--
==== マーブルチョコレート ====
==== 仮面ライダースナック ====
==== ビックリマンチョコ ====
==== 海洋堂と食玩 ====
-->
==付録==
'''付録'''もしくは'''附録'''(''ふろく'')は、文章などに付随した参考、補足の意味の文章や図などを示す語から、雑誌や書籍に付随した物品のことを示す。語源は新聞に記'''録'''物を'''付'''けた<ref name="furoku">{{Cite web|url=http://www.ntv.co.jp/don/contents02/2010/09/post-95.html|title=DON! - 日テレ「DON! 」公式サイトです|language=日本語|accessdate=2012-02-18}}</ref>ことである。当時の新聞は、災害が発生すると、その災害の状況を版画<ref name="kanagawa-u">{{Cite journal|和書|last=北原|first=糸子|year=2006|month=03|title=メディアとしての災害写真 -明治中期の災害を中心に|journal=第1回 国際シンポジウム プレシンポジウム『版画と写真 -19世紀後半 出来事とイメージの創出-』|pages=73-95|url=http://www.himoji.jp/jp/publication/pdf/symposium/No01/073-095.pdf|format=pdf|accessdate=2012-02-18}}</ref><ref name="tokyo-u">{{Cite web|url=http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/tenjikai/tenjikai2008/index.html|title=かわら版・鯰絵にみる江戸・明治の災害情報-石本コレクションから|language=日本語|accessdate=2012-02-18}}</ref>にし付録として添付した。

日本最初の少年雑誌である「少年園」の付録は読者からの投稿文であり<ref name="omake_furoku_p8and128">{{Cite book|和書|editor=高橋洋二|title=別冊太陽 子供の昭和史 おまけと付録大図鑑|origdate=1999-02-20|accessdate=2012-02-18|edition=初版|publisher=平凡社|pages=8,128|isbn=4582943233}}</ref>、前述の「文章などに付随した参考、補足の意味の文章や図」であった。これが「雑誌に添付される物品」となるのは、明治末期頃で、少女雑誌「少女界」に[[すごろく]]がふろくとして添付された<ref name="omake_furoku_p128and142">{{Cite book|和書|editor=高橋洋二|title=別冊太陽 子供の昭和史 おまけと付録大図鑑|origdate=1999-02-20|accessdate=2012-02-18|edition=初版|publisher=平凡社|pages=128,142|isbn=4582943233}}</ref>。これらの付録は一時期'''おまけ'''とも呼ばれていた<ref name="omake_furoku_p138">{{Cite book|和書|editor=高橋洋二|title=別冊太陽 子供の昭和史 おまけと付録大図鑑|origdate=1999-02-20|accessdate=2012-02-18|edition=初版|publisher=平凡社|pages=138|isbn=4582943233}}</ref><ref name="omake_haku_p112">{{Cite book|和書|author=北原照久|authorlink=北原照久|title=「おまけ」の博物誌|origdate=2003-08-25|accessdate=2012-02-16|edition=初版|publisher=[[PHP研究所]]|series=[[PHP新書]]|page=112|isbn=4569627854}}</ref>。

この付録が、紙のおもちゃやゲーム類として大きくなったのは昭和初期<ref name="omake_furoku_p8and128"/>の[[少年倶楽部]]である<ref name="omake_furoku_p128and142">{{Cite book|和書|editor=高橋洋二|title=別冊太陽 子供の昭和史 おまけと付録大図鑑|origdate=1999-02-20|accessdate=2012-02-18|edition=初版|publisher=平凡社|pages=128,142|isbn=4582943233}}</ref>。

== おまけと法律 ==
{{See also|懸賞}}
商品におまけをつける場合、そのおまけが[[販売促進]]を目的にしたものである場合、その金額や形態などに関して[[不当景品類及び不当表示防止法]]に基づき、[[公正取引委員会]]による規制を受ける<ref name="saitama">{{Cite web|date=2010-03-19|url=http://www.pref.saitama.lg.jp/site/jigyousyasido/keihouhou.html|title=不当景品類及び不当表示防止法とは - 埼玉県ホームページ|language=日本語|accessdate=2012-02-18}}</ref>。
その金額は、そのおまけの配布方法に依存する。
*[[クローズド懸賞]](一般懸賞とも言う)<ref group="※">商品の購入者に限定し抽選で当選者を決めるもの。ポイントなどを集めて応募するものも含む。</ref>
:取引の総額が5000円未満⇒取引額の20倍を上限
:取引の総額が5000万以上⇒10万円を上限
::どちらの場合も景品の総額は取引の総額の2%以下。
*[[オープン懸賞]]<ref group="※">商品の購入者に限定せず抽選で当選者を決めるもの。</ref>
:制限なし
*[[総付懸賞]]<ref group="※">商品に全て添付する場合。</ref>
:取引額1000円未満⇒200円を上限
:取引額1000円以上⇒取引額の1/2を上限
*[[共同懸賞]]<ref group="※">商店街のくじ引きなどが該当</ref>
:上限:30万円
:総額:売り上げ予定額の3%以下

従来、一般に商品に添付されるおまけは、総付懸賞として解釈されていた。しかし、[[1988年]]、[[ビックリマンチョコ]]を製造する[[ロッテ]]は、封入されているシールの出現比率が均一でないために、総付懸賞でなく一般懸賞であると公正取引委員会から勧告を受けた。また、[[2005年]]9月、飲料のおまけである[[ボトルキャップ]]が消費者の射幸心をあおると、[[サントリー]]は公正取引委員会から注意を受けた<ref name="bottlecap">{{Cite web|url=http://www.colawp.com/seasonal/200704/onpack/index.html|title=特集 コーラ歴史の研究「熱狂の時代 ~コーラプライズ戦争~|accessdate=2012-02-18}}</ref>。この「注意」は勧告や排除命令ではないため、強制力はないが、飲料メーカーはおまけの中身が見える様に自主的な対応を行った<ref name="bottlecap"/>。[[2011年]]にビックリマンチョコが復刻された際に、価格を84円としたのも前記の不当景品類及び不当表示防止法の一般懸賞に相当するとしたためである<ref name="why_expensive">{{Cite web|date=2012-01-19|url=http://getnews.jp/archives/163159|title=ビックリマンチョコが84円で復刻に対して「高い」の声 なぜ84円するのか少し真面目な話|work=[[ガジェット通信]]|language=日本語|accessdate=2012-02-18}}</ref>。

現在の公正取引委員会の解釈では出現比率の異なるおまけをつける場合は、一般懸賞扱いとする<ref name="caa">{{Cite web|url=http://www.caa.go.jp/representation/pdf/100121premiums_23.pdf|title=表示対策課 - 消費者庁|work=[[消費者庁]]|language=日本語|accessdate=2012-02-19}}</ref><ref name="caa_rule">{{Cite web|url=http://www.caa.go.jp/representation/keihyo/keihin/keihingaiyo.html|title=「懸賞による景品類の提供に関する事項の制限」の運用基準について|work=[[消費者庁]]|language=日本語|accessdate=2012-02-19}}</ref>運用基準もでてきており、時代とともに解釈も変化してきている。

==注釈==
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
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* [[食玩]]
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* [[ポイントサービス]]
* [[懸賞]]



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2012年2月25日 (土) 12:55時点における版

おまけ(御負け)とは、ある商品を購入した際に、その商品の価格を下げたり、サービスとして追加で物品をつける行為、あるいは、そのサービスでつけた物品自体のことを言う。商業的な差別化戦略の一種である。


おまけの語源は「御負け」の文字通り、店員が客との駆け引きに負けて値を下げる行為を指す言葉であったが、のちに商品以外の物品を追加する行為なども言うようになった[1]。しかし、おまけの語が全国的に使用される様になった明確な時期などは分かっていない。

大正時代に縁日で売られていたトコトンアメの口上に「もうひとつおまけ、トコトンアメ」と言う言葉があり[2][3]、その一方で戦前の広辞林辞苑[4]には載っていない[5]ことから、上方の商人で使われていた言葉が、グリコキャラメルの知名度とともに、全国に広がったと分析する研究もある[5]

値引きとしてのおまけ

値引きとしてのおまけとしては、商品を量り売りで売る際に、一度双方が合意した量にさらに少量を追加するケースや、それから派生して価格そのものを割り引くケースがある[6]。値下げ行為については、例えば作成した当日に賞味期限が切れる惣菜類は、販売店の閉店時間が近づくと何パーセント引きとするようなケースがある[要出典]

この値引きの起源として誓文払いが挙げられる[7]北原氏は商売の駆け引きで嘘をついた罪を祓う行事である誓文払いの前後に商店が大安売りをする風習があり、この文化から、値引き商法が発達し、おまけの文化が発達したと推測している[7]

一方、他の物品を追加でつける行為としては、店舗で物品を購入時に会計後に「サービス券」を渡されたり、スタンプカードにスタンプやポイントもらったりする場合がある。これらは、消費者がそのポイントを溜めておまけを受けるかどうかを選択することから、自己選択型の価格差別と呼ばれるものである[8]。交換対象によっては後述のサービスで付く物品としてのおまけにも分類される。

サービスで付く物品自体

何らかの商品やサービスを購入した際に何らかの物品がついてくることがある。この物品のこともおまけと言う。このおまけの形態も、商品に添付される場合、商品に添付されるポイント[※ 1]やあたり券[※ 2]などを交換する場合などが存在する[9]

歴史

売薬版画

本来の商品に何らかの物品を追加して販売した事例として、富山の薬売りが、お得意様に、売薬版画日用品をサービスとして置いていった記録がある。当時は、おまけの名でなく「進物」「土産物」と呼ばれていた[10]。これらのうち、浮世絵版画から派生した売薬版画は、カラーの印刷物が珍しい時代には需要も高く、さらに、配布する側にとっても軽量であったため、江戸時代から昭和の初期まで、長期に渡り利用されてきた[11]。昭和の初期になると、石版印刷が、そして活版印刷が登場すると、売薬版画は廃れ、同時期に富山で流行っていた紙風船がおまけとして使用される様になった。

タバコカード

19世紀後半にアメリカ紙巻きタバコの包装の強度を保つために、各種のイラストの描かれたカードがタバコに同封される様になった。このカードには野球選手、女優、世界の風俗などが使用されていた[12]

明治維新を迎えた日本でも、村井吉兵衛岩谷松平が紙巻タバコの販売を始め、村井は海外のタバコカード[13]を輸入し「サンライス」「ヒーロー」におまけとして封入した[12][14]。このカードの封入により村井のタバコは爆発的に売れるが[12]、カードを目的に子供が喫煙をすることが問題となり未成年者喫煙禁止法が制定される[14]。更に、封入していたカードのうち、美術裸体画シリーズが公序良俗を乱すと裁判となった。最終的に裁判には勝訴するものの、商品の回収と販売禁止の命令をうけた[14][15]

グリコのおもちゃ

江崎グリコの創業者である江崎利一は、1919年(大正8年)にカキの煮汁に含まれるグリコーゲンからキャラメルを作り、栄養菓子「グリコ」を製作した[16]1922年(大正11年)、三越百貨店で販売を開始する[17][18]。しかし、当時の栄養菓子市場は、大手の森永製菓と明治製菓に占められており、資本金でも1/100程度のグリコがその市場に参入することは非常に困難を伴った[19]。江崎は販売促進のため前述のタバコカードをヒントにカード[20][21]や乳菓をおまけとして添付した[19]1927年(昭和2年)頃から、このおまけは、メンコなどのおもちゃや、大阪造幣局で作られた銅製のメダルとなった[22][14][23]。当時はおまけと商品が同一のパッケージに入っていたが、子供たちが手探りで中身を調べる行為[14][23](現在で言うサーチ行為)を行うことに、小売店からの苦情が発生し、おまけと商品を別パッケージに入れる通称「おまけサック」が登場した[14][23][24]。このおまけサック導入によって、グリコの生産量は2、3倍となり、大きな発展を遂げる[25][14]。その後、懸賞商品の導入[26]や、様々な材質(セルロイド[27]アンチモンの合金であるアンチモニー製[28][29])でおもちゃが作られる様になった[30]。また、クーポン券の収集により賞品と交換する制度もこの次期に考案された[31]

太平洋戦争中は、おまけの材質も制限され、1942年(昭和17年)には、グリコのキャラメルもおまけが消え配給制となった(白色の箱の配給グリコ)[32]。1943年には物資不足から、グリコの生産も停止することになった[32]

戦後、キャラメルの生産の再開を真っ先に行ったのはグリコである[33]。他の大手である森永製菓、明治製菓が配給統制により、生産販売に制限を受ける中、グリコは調達できる範囲で材料を集め、おもちゃつきのグリコを菓子でなく、食品つき玩具として販売した[33][14]。これは、玩具として販売することで配給統制による規制をすり抜ける方法であった。

1949年(昭和24年)11月菓子類の統制がはずされ、森永製菓、明治製菓だけでなく多数のメーカーでキャラメルの生産と自由販売が始まった。それに伴い、1950年(昭和25年)グリコのおまけサックも復活した[34]

しかし、自由販売後のグリコのキャラメルは必ずしも順調と言うわけではなかった。これは、後述する紅梅キャラメル、カバヤキャラメルの登場の影響もあった。グリコが成功するのは、1956年(昭和31年)の本物の小鳥があたるという「幸運の小鳥さがしキャンペーン」である[35]。この後も、切手、コインなどこれらの収集ブームに合わせたキャンペーンを行っていき成功していった[35]

紅梅野球カード

1947年(昭和22年)に設立された紅梅食品(のちに紅梅製菓に社名変更)が菓子類の販売統制の解禁とともに、販売したキャラメルにおまけとして添付された野球カードがあった[36][37]。この野球カードは読売巨人軍の選手のプロマイドとなっており、ピッチャー、キャッチャー、内野手、外野手の計10人のカードを集めることにより、様々な景品ともれなく交換が可能と言うものであった[36][37]。「野球は巨人、キャラメルは紅梅」のコピーで販売したキャラメルは、交換できる賞品の魅力もありヒット商品となった。これらのカードは全て同じ確率ででるわけではなく、一部のカード(特に水原監督のカード)の出現率が非常に低かった[38][37]。そのようなカードの添付が1952年公正取引委員会に問題視され、1953年には紅梅キャラメルの万引きグループが出たこともあり[39]、不買運動が発生する[40]。その結果、1954年には操業停止となった。

カバヤ児童文庫

同じ時期、登場した菓子メーカーの中にはおまけの工夫により、爆発的に販売数を増やすものもあった。 1952年(昭和27年)、岡山のカバヤ食品が製造・販売したカバヤキャラメルもそのひとつである[41]。キャラメルに50点集めることによりハードカバーの児童用の文学全集から1冊を手に入れることができるポイントを添付した。当時高価であった児童文学書をキャラメルの購入で簡単に入手できると言うことから、学校単位での購入も行われることもあった[41]。 しかし、翌1953年カバヤ食品は大きな戦略上のミスを行ってしまう[42]。キャラメルのおまけに新たに、カバヤマンガブックを交換対象に加えてしまった。これは、学校、PTAなどの反発をくらい、カバヤキャラメルの不買運動にまで発展した[42]

付録

付録もしくは附録(ふろく)は、文章などに付随した参考、補足の意味の文章や図などを示す語から、雑誌や書籍に付随した物品のことを示す。語源は新聞に記物をけた[43]ことである。当時の新聞は、災害が発生すると、その災害の状況を版画[44][45]にし付録として添付した。

日本最初の少年雑誌である「少年園」の付録は読者からの投稿文であり[46]、前述の「文章などに付随した参考、補足の意味の文章や図」であった。これが「雑誌に添付される物品」となるのは、明治末期頃で、少女雑誌「少女界」にすごろくがふろくとして添付された[47]。これらの付録は一時期おまけとも呼ばれていた[48][49]

この付録が、紙のおもちゃやゲーム類として大きくなったのは昭和初期[46]少年倶楽部である[47]

おまけと法律

商品におまけをつける場合、そのおまけが販売促進を目的にしたものである場合、その金額や形態などに関して不当景品類及び不当表示防止法に基づき、公正取引委員会による規制を受ける[50]。 その金額は、そのおまけの配布方法に依存する。

取引の総額が5000円未満⇒取引額の20倍を上限
取引の総額が5000万以上⇒10万円を上限
どちらの場合も景品の総額は取引の総額の2%以下。
制限なし
取引額1000円未満⇒200円を上限
取引額1000円以上⇒取引額の1/2を上限
上限:30万円
総額:売り上げ予定額の3%以下

従来、一般に商品に添付されるおまけは、総付懸賞として解釈されていた。しかし、1988年ビックリマンチョコを製造するロッテは、封入されているシールの出現比率が均一でないために、総付懸賞でなく一般懸賞であると公正取引委員会から勧告を受けた。また、2005年9月、飲料のおまけであるボトルキャップが消費者の射幸心をあおると、サントリーは公正取引委員会から注意を受けた[51]。この「注意」は勧告や排除命令ではないため、強制力はないが、飲料メーカーはおまけの中身が見える様に自主的な対応を行った[51]2011年にビックリマンチョコが復刻された際に、価格を84円としたのも前記の不当景品類及び不当表示防止法の一般懸賞に相当するとしたためである[52]

現在の公正取引委員会の解釈では出現比率の異なるおまけをつける場合は、一般懸賞扱いとする[53][54]運用基準もでてきており、時代とともに解釈も変化してきている。

注釈

  1. ^ ヤマザキ春のパンまつりBOSS電など。懸賞との境界が難しいが広義のおまけに分類している書籍[9]もある。
  2. ^ 30年台のグリコのキャンペーン(小鳥、切手などが当選)などがある
  3. ^ 商品の購入者に限定し抽選で当選者を決めるもの。ポイントなどを集めて応募するものも含む。
  4. ^ 商品の購入者に限定せず抽選で当選者を決めるもの。
  5. ^ 商品に全て添付する場合。
  6. ^ 商店街のくじ引きなどが該当

脚注

  1. ^ 前田勇 編『上方語源辞典』(初版)東京堂出版、1965年、107頁。 
  2. ^ 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、25頁。ISBN 4569627854 
  3. ^ お菓子などに付く「おまけ」”. 調べてみよう:子ども:教育. 読売 ONLINE (2010年11月24日). 2012年2月17日閲覧。
  4. ^ 新村出 編『辞苑』(第353版)博文館(原著1943年4月30日)、267頁。 「緒巻」(おまき)の次が「御座」(おまし)で「おまけ」が存在しない
  5. ^ a b 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、23-25頁。ISBN 4569627854 
  6. ^ 高橋洋二 編『別冊太陽 子供の昭和史 おまけと付録大図鑑』(初版)平凡社(原著1999年2月20日)、4頁。ISBN 4582943233 
  7. ^ a b 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、26頁。ISBN 4569627854 
  8. ^ 吉本佳生『マクドナルドはなぜ、ケータイで安売りを始めたのか?』(初版)講談社〈講談社BIZ〉(原著2010年11月25日)、23頁。ISBN 9784062821438 
  9. ^ a b オマケ総研『オマケ幸福論』(初版)幻冬舎(原著2006年6月5日)、41頁。ISBN 4344995465 
  10. ^ 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、48-50頁。ISBN 4569627854 
  11. ^ 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、53-58頁。ISBN 4569627854 
  12. ^ a b c 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、65-67頁。ISBN 4569627854 
  13. ^ 2.たばこカードと日本のたばこ会社 > たばこEpisode > たばこに親しむ > たばこの雑学 > たばこワールド”. JT. 2012年2月18日閲覧。
  14. ^ a b c d e f g h オマケ総研『オマケ幸福論』(初版)幻冬舎(原著2006年6月5日)、54頁。ISBN 4344995465 
  15. ^ オマケ総研『オマケ幸福論』(初版)幻冬舎(原著2006年6月5日)、68頁。ISBN 4344995465 
  16. ^ 日本経済新聞社 編『私の履歴書 経済人7』(初版)日本経済新聞社(原著1980年9月2日)、162-164頁。 
  17. ^ 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、77-80頁。ISBN 4569627854 
  18. ^ 日本経済新聞社 編『私の履歴書 経済人7』(初版)日本経済新聞社(原著1980年9月2日)、167頁。 
  19. ^ a b 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、81-83頁。ISBN 4569627854 
  20. ^ 金田理恵 編『グリコのオマケ』(初版)筑摩書房(原著1992年11月11日)、152-153頁。ISBN 4480872108 
  21. ^ 日本経済新聞社 編『私の履歴書 経済人7』(初版)日本経済新聞社(原著1980年9月2日)、170頁。 
  22. ^ 金田理恵 編『グリコのオマケ』(初版)筑摩書房(原著1992年11月11日)、153,182頁。ISBN 4480872108 
  23. ^ a b c 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、83-86頁。ISBN 4569627854 
  24. ^ 金田理恵 編『グリコのオマケ』(初版)筑摩書房(原著1992年11月11日)、182頁。ISBN 4480872108 
  25. ^ 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、101頁。ISBN 4569627854 
  26. ^ 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、106頁。ISBN 4569627854 
  27. ^ 金田理恵 編『グリコのオマケ』(初版)筑摩書房(原著1992年11月11日)、157頁。ISBN 4480872108 
  28. ^ 金田理恵 編『グリコのオマケ』(初版)筑摩書房(原著1992年11月11日)、155頁。ISBN 4480872108 
  29. ^ 金田理恵 編『グリコのオマケ』(初版)筑摩書房(原著1992年11月11日)、166-168頁。ISBN 4480872108 
  30. ^ 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、104頁。ISBN 4569627854 
  31. ^ 日本経済新聞社 編『私の履歴書 経済人7』(初版)日本経済新聞社(原著1980年9月2日)、179頁。 
  32. ^ a b 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、110-111頁。ISBN 4569627854 
  33. ^ a b 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、164-165頁。ISBN 4569627854 
  34. ^ 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、166頁。ISBN 4569627854 
  35. ^ a b 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、171-173頁。ISBN 4569627854 
  36. ^ a b 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、147頁。ISBN 4569627854 
  37. ^ a b c 高橋洋二 編『別冊太陽 子供の昭和史 おまけと付録大図鑑』(初版)平凡社(原著1999年2月20日)、53頁。ISBN 4582943233 
  38. ^ 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、150頁。ISBN 4569627854 
  39. ^ 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、155頁。ISBN 4569627854 
  40. ^ 高橋洋二 編『別冊太陽 子供の昭和史 おまけと付録大図鑑』(初版)平凡社(原著1999年2月20日)、54頁。ISBN 4582943233 
  41. ^ a b 高橋洋二 編『別冊太陽 子供の昭和史 おまけと付録大図鑑』(初版)平凡社(原著1999年2月20日)、46-47頁。ISBN 4582943233 
  42. ^ a b 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、143-145頁。ISBN 4569627854 
  43. ^ DON! - 日テレ「DON! 」公式サイトです”. 2012年2月18日閲覧。
  44. ^ 北原, 糸子「メディアとしての災害写真 -明治中期の災害を中心に」(pdf)『第1回 国際シンポジウム プレシンポジウム『版画と写真 -19世紀後半 出来事とイメージの創出-』』2006年3月、73-95頁、2012年2月18日閲覧 
  45. ^ かわら版・鯰絵にみる江戸・明治の災害情報-石本コレクションから”. 2012年2月18日閲覧。
  46. ^ a b 高橋洋二 編『別冊太陽 子供の昭和史 おまけと付録大図鑑』(初版)平凡社(原著1999年2月20日)、8,128頁。ISBN 4582943233 
  47. ^ a b 高橋洋二 編『別冊太陽 子供の昭和史 おまけと付録大図鑑』(初版)平凡社(原著1999年2月20日)、128,142頁。ISBN 4582943233 
  48. ^ 高橋洋二 編『別冊太陽 子供の昭和史 おまけと付録大図鑑』(初版)平凡社(原著1999年2月20日)、138頁。ISBN 4582943233 
  49. ^ 北原照久『「おまけ」の博物誌』(初版)PHP研究所PHP新書〉(原著2003年8月25日)、112頁。ISBN 4569627854 
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関連項目