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「東武モハ5300形電車」の版間の差分

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{{鉄道車両
{{出典の明記|date=2011年3月|ソートキー=鉄}}
|車両名=東武モハ5300形電車
|社色=#993333
|画像=
|画像説明=
|編成=
|起動加速度=
|営業最高速度=
|設計最高速度=
|減速度(常用最大)=
|減速度(非常) =
|編成定員=
|車両定員= 110人 <br />(座席定員40人)
|全長= 17,000
|全幅= 2,740
|全高= 4,090
|編成質量=
|車両質量= 39.0[[トン|t]]
|軸配置=
|軌間= 1,067([[狭軌]])
|電気方式= [[直流電化|直流]]1,500[[ボルト (単位)|V]]<br />([[架空電車線方式]])
|モーター出力= 110[[ワット (単位)|kW]]
|主電動機= [[直巻整流子電動機]]<br />[[日立製作所|日立]]HS-266
|駆動方式= [[吊り掛け駆動方式|吊り掛け駆動]]
|歯車比= 2.95 (62:21)
|台車= [[住友金属工業|住友]][[ボールドウィンA形台車#派生・模倣形式|KS33E]]
|制御装置= 電動カム軸式[[電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御]]<br />日立MCH-200D2
|ブレーキ方式= ARE[[自動空気ブレーキ#電磁自動空気ブレーキ |電磁自動空気ブレーキ]]
|保安装置= [[自動列車停止装置#東武鉄道TSP式(多変周式・パターン照査型)|東武形ATS]]
|製造メーカー= [[汽車製造]]
|備考= データはモハ5431 - 5434(元モハ5303 - 5306)の最晩年<ref name="RP1973-9_1">[[#めぐり99-RP1973|『鉄道ピクトリアル 第283(1973年9月)号』 p.96]]</ref>
}}
'''東武モハ5300形電車'''(とうぶモハ5300がたでんしゃ)は、かつて[[東武鉄道]]に在籍した[[通勤形電車]]。戦後の混乱期に[[運輸省]]が制定した「私鉄郊外電車設計要項」に基いて新製された、いわゆる'''運輸省規格型'''車両である。
'''東武モハ5300形電車'''(とうぶモハ5300がたでんしゃ)は、かつて[[東武鉄道]]に在籍した[[通勤形電車]]。戦後の混乱期に[[運輸省]]が制定した「私鉄郊外電車設計要項」に基いて新製された、いわゆる'''運輸省規格型'''車両である。


==概要==
== 概要 ==
戦後間もない[[1947年]]([[昭和]]22年)、運輸省によって「私鉄郊外電車設計要項」が制定された。これは当時鋼材等資材が極度に不足をきたしていたため、車両の設計に規格を設けることで資材を有効に活用し、かつ製造社の低下した生産能力を補う趣旨のものであり、この時期に製造された車両に関しては原則的に同要項に準拠した設計とすることが義務付けられていた。
戦後間もない[[1947年]]([[昭和]]22年)、運輸省によって「私鉄郊外電車設計要項」が制定された。これは当時鋼材等資材が極度に不足をきたしていたため、車両の設計に規格を設けることで資材を有効に活用し、かつ製造メーカー各社の低下した生産能力を補う趣旨のものであり、時期に製造された車両に関しては原則的に同要項に準拠した設計とすることが義務付けられていた<ref group="注釈">同要項に基いて新製された車両群を総称して「運輸省規格型」と称する。</ref><ref name="RP1965-5_1">[[#高速5-RP1965|『鉄道ピクトリアル 第170(1965年5月)号』 p.35 - 36]]</ref><ref name="RP1991-7_1">[[#規格総1-RP1991|『鉄道ピクトリアル 第545(1991年7月)号』 p.57]]</ref>。そのような状況下、東武は1947年度に運輸省規格型車両12両分の新製割り当てを受け<ref name="RP1965-6_1">[[#高速6-RP1965|『鉄道ピクトリアル 第171(1965年6月)号』 p.35 - 36]]</ref>、翌[[1948年]](昭和23年)に制御電動車'''モハ5300形'''5300 - 5307ならびに制御車'''クハ330形'''330 - 333の計12両が[[日本車輌製造]]東京支店および[[汽車製造]]において新製された<ref name="RP1965-5_1" /><ref name="RP1961-4_1">[[#めぐり44-RP1961|『鉄道ピクトリアル 第117(1961年4月)号』 p.49 - 50]]</ref>


東武は[[東武伊勢崎線|伊勢崎線]]・[[東武日光線|日光線]]といった路線延長が100kmを超える長大路線を保有しており、乗客の平均乗車距離も長かったことから、従来車については[[鉄道車両の座席#クロスシート(横座席)|クロスシート]]・車内[[列車便所|トイレ]]といった中長距離運用を考慮した設備を備えたものとなっていたが、本形式は戦後の買出し等に伴う爆発的な利用客増を考慮してそれら装備を省略し、自社設計の車両としては東武初となる純然たる通勤形車両<ref group="注釈">本形式導入の前年には、20m4扉車体を持つ通勤形車両である[[国鉄63系電車|国鉄63系]]割り当て車([[東武7300系電車|東武6300系]])が入線している。</ref>として設計されたことが最大の特徴である<ref name="RP1961-4_1" /><ref name="RP1993-1">[[#規格各1-RP1993|『鉄道ピクトリアル 第570(1993年1月)号』 p.88 - 89]]</ref>。
そのような状況下であった[[1948年]](昭和23年)に、モハ5300形8両(5300 - 5307)・クハ330形4両(330 - 333)<ref>メーカーでの落成直後はモハ5700形・クハ700形を称していたが、新たな[[東武3200系・5400系電車#車両形式番号付与基準の制定|車両形式番号付与基準]]の制定が予定されていたことから、入籍直前にその基準に沿った形式(モハ5300形・クハ330形)に改称された経緯がある。従って本系列は、新基準に準拠した形式を初めて称した系列ということになる。</ref>の計12両が新製された本系列は、同要項A'型<ref>車体長17,000mm、車体幅2,700mm</ref>に準拠した設計で誕生している<ref>ただし、本系列は台枠に国鉄から譲受したUF12を使用した関係で全長が17,000mmとされ、A'型の車体長を17,000mmと定めた同要項を逸脱していた。</ref>。


なお、本形式は当初'''モハ5700形'''・'''クハ700形'''の表記で竣功したものの、同時期には東武における新たな[[東武3200系・5400系電車#車両形式番号付与基準の制定|車両形式番号付与基準]]の制定が予定されていたことから、入籍直前に同基準に準拠した形式(モハ5300形・クハ330形)に改称・改番されたという経緯を有する<ref group="注釈">入籍直前に改番が実施されたことから、書類上は当初よりモハ5300形・クハ330形として新製・竣功したという扱いが取られている。</ref><ref name="RP1965-6_1" /><ref name="RP1961-4_1" />。従って、本形式は新基準に準拠した形式称号を初めて付与された形式となった。
車体は戦後の買出し等に伴う爆発的な利用客増を考慮して3扉構造とされ、平妻非貫通型の前面や新製時よりステップを廃した客用扉部の構造も相まって、従来の東武形車両との共通項はほとんど見出せない。ただし、車体裾から台枠が露出した設計は本系列でも踏襲されている。モハ・クハともに片運転台車で、運転台を中央に設けた全室運転室構造である。窓配置はd1D4D4D2(d:乗務員扉, D:客用扉)。


さらに1948年(昭和23年)から翌[[1949年]](昭和24年)にかけて、制御車10両が日本車輌製造東京支店・汽車製造ならびに[[大栄車輌]]において新製された<ref name="RP1965-5_1" /><ref name="RP1961-4_1" />。同10両はいずれも戦災もしくは事故で被災した従来車の復旧名義、ならびに木造車の鋼体化名義で竣功している<ref group="注釈">実際には新製に際して名義を引き継いでいるに過ぎず、流用されたものは何もない。また、同10両については運輸省規格型として新製割り当てを受けて製造されたものではないことから、運輸省規格型車両の範疇には含めないとする資料([[#規格各1-RP1993|『鉄道ピクトリアル 第570(1993年1月)号』 p.89]])も存在する。</ref><ref name="RP1965-6_1" /><ref name="RP1961-4_1" />。1948年(昭和23年)に落成したクハ330形334・335の2両についてはクハ330 - 333と同一仕様で新製されたが、1949年(昭和24年)に落成した8両は車体幅の相違のほか、従来車の制御車として運用するため制御方式が異なることから別形式が付与され、'''クハ430形''' (430 - 437) と形式区分された<ref name="RP1965-6_1" /><ref name="RP1961-4_1" />。
電装品は制御器が電空カム軸式CS-5、主電動機が[[東洋電機製造]]製TDK528とされた<ref>1947年度に施行された初期の要項では、制御器や主電動機にも基準が設けられており、両機種はいずれも基準に定められた指定機種であった。</ref>。CS5搭載については直前に入線した[[東武7300系電車|63系割り当て車]]と仕様を揃える意図があったと推測される。TDK528主電動機は後に特急用車両[[東武5700系電車|5700系]]にも採用されるなど、以降の車両にも広く搭載される先駆けとなった。


; クハ330形増備車・クハ430形の種車対照一覧
台車はモハについては[[住友金属工業]]製の鋳鋼組立型釣り合い梁式[[ボールドウィンA形台車#派生・模倣形式|KS33]]台車を新製したが、クハは払い下げ品の省形釣り合い梁式台車[[国鉄TR10形台車#派生形式|TR14]]を装備している。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"

==導入後の変遷==
===制御車の増備===
本系列は前述のようにモハ8両・クハ4両の計12両が新製された。しかしこれでは編成相手のクハに不足をきたすことから、1948年(昭和23年)から[[1949年]](昭和24年)にかけて戦災焼失車及び事故車の復旧名義で制御車(クハ)10両が増備されている。1948年(昭和23年)に登場したクハ334, 335の2両については従来車と同一仕様で製造されたが、翌年登場した8両は車体幅が2,800mmに拡幅されたことから別形式となり、クハ430形(430 - 437)に区分された。台枠は同じくUF12を使用しているが、クハ431のみは雑形台枠を使用している。

; クハ330形増備車・クハ430形の種車対照一覧<ref>実際には新製に際して名義を引き継いでいるに過ぎず、流用されたものは何もない。</ref>
{|
|-
|-
| style="width: 5em; border-bottom:solid 3px #62352F; background-color:#ddd;"|形式
|サハ10<ref name="mokuzou">木造中型客車のサハ化改造車</ref>||→||クハ334
| style="width: 7em; border-bottom:solid 3px #62352F; background-color:#ddd;"|車番
| style="width: 8em; border-bottom:solid 3px #62352F; background-color:#ddd;"|名義上の種車
| style="width: 5em; border-bottom:solid 3px #62352F; background-color:#ddd;"|形式
| style="width: 7em; border-bottom:solid 3px #62352F; background-color:#ddd;"|車番
| style="width: 8em; border-bottom:solid 3px #62352F; background-color:#ddd;"|名義上の種車
|-
|-
|サハ27<ref name="mokuzou" />||→||クハ335
! rowspan="2"| クハ330形
| クハ334
| サハ10<ref group="注釈" name="mokuzou">木造中型客車のサハ化改造車</ref>
! rowspan="5"| クハ430形
| クハ433
| サハ29<ref group="注釈" name="mokuzou" />
|-
|-
| クハ335
|クハニ1<ref name="2-4zenki2">昭和2 - 4年系[[東武デハ5形電車#前期合造車型|前期合造車型]]</ref>||→||クハ430
| サハ27<ref group="注釈" name="mokuzou" />
| クハ434
| サハ62<ref group="注釈" name="mokuzou-zatsugata">木造雑形客車のサハ化改造車</ref>
|-
|-
! rowspan="3"| クハ430形
|デハ56<ref name="2-4kouki">昭和2 - 4年系[[東武デハ5形電車#後期普通車型|後期普通車型]]</ref>||→||クハ431
| クハ430
| クハニ1<ref group="注釈" name="2-4zenki2">昭和2 - 4年系[[東武デハ5形電車#前期合造車型|前期合造車型]]</ref>
| クハ435
| ナニ6050<ref group="注釈" name="mokuzou-zatsugata" />
|-
|-
| クハ431
|デハ60<ref name="2-4kouki" />||→||クハ432
| デハ56<ref group="注釈" name="2-4kouki">昭和2 - 4年系[[東武デハ5形電車#後期普通車型|後期普通車型]]</ref>
| クハ436
| デハニ26<ref group="注釈" name="2-4zenki1">昭和2 - 4年系[[東武デハ5形電車#前期普通車型|前期普通車型]]</ref>
|-
|-
| クハ432
|サハ29<ref name="mokuzou" />||→||クハ433
| デハ60<ref group="注釈" name="2-4kouki" />
| クハ437
| デハ35<ref group="注釈" name="2-4zenki1" />
|-
|-
|サハ62<ref name="mokuzou-zatsugata">木造雑形客車のサハ化改造車</ref>||→||クハ434
|-
|ナニ6050<ref name="mokuzou-zatsugata" />||→||クハ435
|-
|デハニ26<ref name="2-4zenki1">昭和2 - 4年系[[東武デハ5形電車#前期普通車型|前期普通車型]]</ref>||→||クハ436
|-
|デハ35<ref name="2-4zenki1" />||→||クハ437
|}
|}


最大22両が在籍した本形式は、後年制御電動車の機器換装ならびに制御車の電動車化に伴う複雑な改番を経て、[[1973年]](昭和48年)まで運用された<ref name="RP1981-7_1">[[#めぐり118-RP1981|『鉄道ピクトリアル 第392(1981年7月)号』 p.186]]</ref>。
===モハ5440形との床下機器交換===
[[東武デハ10系電車#モハ5310形・クハ350形の誕生|モハ5440形]]のうち、特急用車として整備されていた車両と本系列のモハとの間で、主電動機・制御器を交換する改造が[[1951年]](昭和26年)に施工された。これは本系列のモハが搭載するTDK528主電動機は高回転型の特性を持ち、高速運転を行う優等列車に適していたため、モハ5440形の性能向上のために供出することになったためである。対象となった4両(モハ5303 - 5306)<ref>換装対象となったモハ5440形は5両で一致しない。不足分については新製の上対応したものと推定される。</ref>はモハ5440形から譲り受けた機器を搭載し<ref>制御器はMCH200、主電動機はHS266。いずれも[[日立製作所]]製。</ref>、車両形式番号付与基準に従って'''モハ5430形'''に改称・編入された。また、対象となったモハと編成を組むクハについても主幹制御器の交換が行われ、'''クハ420形'''に改称・編入されている。


== 車体 ==
なお、この改番に際してモハ5307をモハ5303(2代)、クハ333をクハ331(2代)へ改番しそれぞれ空番を埋めている。
本形式においては、私鉄郊外電車設計要項のうちA'型(車体長17,000mm、車体幅2,700mm)に区分される設計が採用された<ref name="RP1965-6_1" /><ref name="RP1993-1" /><ref name="RP1991-7_2">[[#規格総1-RP1991|『鉄道ピクトリアル 第545(1991年7月)号』 p.58]]</ref>。ただし、モハ5300形・クハ330形とも台枠に[[日本国有鉄道]](国鉄)から譲受したUF12台枠を流用した関係で<ref group="注釈">これらUF12台枠は国鉄における戦災被災車両からの発生品であることから、本形式を広義の戦災復旧車両であるとする資料([[#高速6-RP1965|『鉄道ピクトリアル 第171(1965年6月)号』 p.35]])も存在する。</ref>、車体長は16,400mmと同要項を逸脱した寸法となっていたことが特徴である<ref name="RP1965-6_1" /><ref name="RP1993-1" />。16,400mmという車体長は、大正年代にUF12台枠を用いて新製された[[国鉄22000系客車|国鉄ホハ24400形客車]]を始めとする「大形2AB車」各形式と同一であり、本形式の新製に際しては同台枠にほぼ手を加えることなく流用したことが推察される<ref group="注釈">鉄道省工作局車輛課 編『車輌形式図 客車下巻 大正14年版』掲載図面より。</ref>。また、クハ430形については、UF12よりも製造年代の古い雑形台枠を使用して製造されたクハ431<ref name="RP1961-4_1" />を除いて、全車とも前掲2形式同様にUF12台枠を使用するものの、全幅が他形式の2,740mmに対して2,800mmに拡幅された点が異なる<ref name="RP1961-4_1" />。


車体は半鋼製で、本形式は当初より近距離運用を主眼として設計されたことから、昭和2年 - 4年系[[東武デハ5形電車#前期普通車型|デハ4形・クハ3形]]以来の3扉構造が採用され、また東武が新製発注した車両としては初めて客用扉下部のステップを省略した<ref name="RP1965-6_1" />。これは本形式導入の前年に[[国鉄63系電車|国鉄63系]]割り当て車([[東武7300系電車|東武6300系]])が入線した際、同系列が客用扉ステップを持たなかったため床面と[[鉄道駅|駅]][[プラットホーム]](ホーム)との間に大きな段差が生じることが問題となり、既存の駅ホーム高さをかさ上げすることで対応した結果<ref group="注釈">東武における従来の駅ホーム高は920mmもしくは760mmに設定されていた。一方6300系の床面高は1,200mmであり、ホーム高760mmの駅が存在する区間への運用に充当することは困難であることから、東武においては同系列入線を機会に全駅のホーム高を国鉄における大都市電車区間に存在する駅と同一の1,100mmにかさ上げする改良工事を順次施工した。同工事は1950年代中盤に完了し、以降従来車に設置されていた客用扉ステップについても順次撤去された。</ref>、車両側のステップが不要となったことによるものである<ref name="RP2008-1_1">[[#東武旧型-RP2008|『鉄道ピクトリアル 第799(2008年1月)号』 p.139]]</ref>。
;改番対照

{|
モハ・クハともに片運転台構造で、窓配置はd1D4D4D2(d:乗務員扉, D:客用扉)のいわゆる関東型配置と俗称されるものとなっている<ref name="RP1965-6_1" />。このように本形式においては従来の東武形車両とは異なる新たな設計が取り入れられたものの、東武形車両の特徴の一つであった車体裾を切り上げて台枠が露出した構造のみは本形式においても継承された。

前面は平妻形状で、運転台側妻面に貫通扉を持たない非貫通構造とされ、運転台を中央に配置した全室運転室構造である<ref name="RP1961-4_1" />。運転台窓上幕板部には外気取入用の通風孔が設けられている。屋根上ベンチレーターは[[ベンチレーター#吸い出し式|ガーランド形]]で、屋根上中央部にモハは5個・クハは6個をそれぞれ一列配置で搭載した。

車内は[[鉄道車両の座席#ロングシート(縦座席)|ロングシート]]仕様で、トイレは前述のように本形式が近距離運用を前提として設計されたことから当初より設置されていない。

== 主要機器 ==
「私鉄郊外電車設計要項」においては、制御器や主電動機等の主要機器についても規定が設けられており<ref name="RP1991-8_1">[[#規格総2-RP1991|『鉄道ピクトリアル 第547(1991年8月)号』 p.101 - 102]]</ref>、本形式において採用された主要機器は一部を除きいずれも同要項において定められた指定機種である<ref name="RP1993-1" />。

=== 主制御器 ===
国鉄の制式機種である電空カム軸式CS5を採用した<ref name="RP1993-1" />。戦前の東武においては[[イングリッシュ・エレクトリック]] (E.E.) 社の[[デッカー]]システムの系譜に連なる電動カム軸式制御器を主に採用しており、[[ゼネラル・エレクトリック]] (GE) 社製Mコントロールの系譜に属する電空カム軸式制御器は前述6300系において採用実績があるのみであった。要項における指定機種にはデッカーシステムの系譜に連なる電動カム軸式制御器([[東洋電機製造]]ES-516)が存在したにも関わらず<ref name="RP1991-8_1" />、本形式において敢えてCS5を採用したことについては、6300系と仕様を揃える意図があったものと推測されている<ref name="RP1993-1" />。

なお、モハ5300形ならびに同形式と編成されるクハ330形はCS5制御器に対応した3段のノッチ刻みを持つMC1[[マスター・コントローラー|主幹制御器]]を採用したが、クハ430形については従来車との併結の必要性から9段のノッチ刻みを持つM-8D主幹制御器を採用しており、両者の制御シーケンスに互換性がなかったことからモハ5300形・クハ330形との併結は不可能であった<ref name="RP1961-4_1" />。

=== 主電動機 ===
東洋電機製造TDK-528/9-HMを電動車1両当たり4基搭載する<ref name="RP1993-1" />。同主電動機の端子電圧750V時における定格出力は110kWで<ref group="注釈">TDK-528系主電動機における528/5-F以降の機種は、一部の例外を除いていずれも定格出力112.5kW(端子電圧750V時)を公称するが、東武においては定格出力110kW(同)の主電動機として取り扱われた。</ref>、出力そのものは戦前に[[東武デハ10系電車|デハ10系]]等において採用実績を有する[[日立製作所]]HS-266と同等であるものの、全界磁時における定格回転数はHS-266の1,000rpmに対して1,188rpmと約20%高い回転特性を持つ主電動機である<ref name="RP1996-7">[[#TDK528-RP1996|『鉄道ピクトリアル 第624(1996年7月)号』 p.181 - 183]]</ref>。歯車比は3.71 (63:17) 、駆動方式は[[吊り掛け駆動方式|吊り掛け式]]である<ref name="RP1993-1" />。

本形式は東武におけるTDK-528系主電動機の初採用例となったが、その後同主電動機はその高回転特性が買われて特急用車両[[東武5700系電車|5700系]]を始めとして主に優等列車に用いられる車両へ広く採用された<ref name="RP1993-1" /><ref name="RP1996-7" />。

=== 台車 ===
モハ5300形は[[住友金属工業|住友鋳鋼所]]製の鋳鋼組立型[[鉄道車両の台車#イコライザー式|釣り合い梁式台車]][[ボールドウィンA形台車#派生・模倣形式|KS33E]](固定軸間距離2,300mm)を、クハ330形・430形は国鉄払い下げ品の省形釣り合い梁式台車[[国鉄TR10形台車#派生形式|TR11]](同2,450mm)をそれぞれ装着する<ref name="RP1993-1" />。軸受は両台車とも[[すべり軸受|平軸受]](プレーンベアリング)仕様である。

なお、前者は私鉄郊外電車設計要項において定められた指定機種であったものの、後者は指定機種には含まれていない。これはモハ5300形・クハ330形の新製に際して12両分のKS33E台車の割り当てを受けたものの、本来クハ330形向けに新製された4両分を従来車の台車換装用途に供し、クハ330形については中古台車を装着させたことに起因する<ref name="RP1965-6_1" />。

=== 制動装置 ===
日本エヤーブレーキ社(現・[[ナブテスコ]])が開発したA動作弁を用いるAMA / ACA[[自動空気ブレーキ]]である<ref name="RP1993-1" />。制動筒(ブレーキシリンダー)を車体側に1両当たり1基搭載し、制動筒に接続された制動引棒(ブレーキロッド)によって前後台車計4軸の制動を動作させる、落成当時としては一般的なブレーキワークが採用されている。

=== その他 ===
[[集電装置#パンタグラフ|パンタグラフ]]は国鉄制式のPS-13をモハ5300形の運転台寄りに1基搭載する。また、[[電動発電機]] (MG) や電動[[圧縮機|空気圧縮機]] (CP) といった補助機器類もモハ5300形へ集中搭載されており、電気的には単独走行も可能な仕様であった。

== 形式再編 ==
モハ5300形・クハ330形・クハ430形は、運用開始から時を経ずして全車とも主要機器の換装を伴う改造が順次実施され、[[1957年]](昭和32年)までに'''モハ3200形・3260形・5200形・5430形・クハ420形'''の5形式に再編された。以下、形式再編に至る詳細について解説する。

=== 主要機器交換 ===
前述のように、モハ5300形が搭載するTDK-528/9-HM主電動機は吊り掛け式主電動機としては高回転型の特性を持ち、高速運転にも耐えうる主電動機であった<ref name="RP1996-7" />。戦後の特急運転再開に伴って、デハ10系を出自とする車両のうち[[東武デハ10系電車#モハ5310形・クハ350形の誕生|モハ5440形]]として再編されていた車両の多くが特急用車両として整備されていたが、それらの性能向上目的でTDK-528/9-HM主電動機を含む本形式が搭載する主要機器を供出し、代わりにモハ5440形が従来装備した主要機器を本形式へ搭載する機器交換改造が[[1951年]](昭和26年)に実施された<ref name="RP1961-4_1" /><ref>[[#東武デハ10-RP1990|『鉄道ピクトリアル 第392(1990年12月)号』 p.126]]</ref>。

対象となったモハ5303 - 5306(モハ5303は初代)<ref group="注釈">換装対象となったモハ5440形は計5両であり、本形式の改造数と一致しない。不足分の手当てについては不明である。</ref>はモハ5440形から譲り受けた日立製作所MCH-200D電動カム軸式制御器・HS-266主電動機を搭載し<ref name="RP1973-9_1" />、車両形式番号付与基準に従って'''モハ5430形'''5431 - 5434と改称・改番された<ref name="RP1961-4_1" /><ref name="RP1972-3">[[#めぐり91-RP1972|『鉄道ピクトリアル 第263(1972年3月)号』 p.84 - 85]]</ref>。同4両と編成されたクハ331(初代)・332・334・335についても主幹制御器の交換が行われ、'''クハ420形'''423 - 426と改番・編入された<ref name="RP1961-4_1" /><ref name="RP1972-3" />。また、これら改造・改番によって生じた空番を解消するため、モハ5307がモハ5303(2代)へ、クハ333がクハ331(2代)へそれぞれ改番が実施されている<ref name="RP1961-4_1" />。

; 改番対照
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|-
| style="width: 8em; border-bottom:solid 3px #62352F; background-color:#ddd;"|旧番
|モハ5303(初代)||→||モハ5431
| style="width: 8em; border-bottom:solid 3px #62352F; background-color:#ddd;"|改番後
|-
|-
|モハ5304||→||モハ5432
| モハ5303(初代)
| '''モハ5431'''
|-
|-
|モハ5305||→||モハ5433
| モハ5304
| '''モハ5432'''
|-
|-
|モハ5306||→||モハ5434
| モハ5305
| '''モハ5433'''
|-
|-
| モハ5306
|モハ5307||→||モハ5303(2代)
| '''モハ5434'''
|-
|-
| モハ5307
|クハ331||→||クハ423
| '''モハ5303(2代)'''
|-
|-
|クハ332||→||クハ424
| クハ331(初代)
| '''クハ423'''
|-
|-
| クハ332
|クハ333||→||クハ331(2代)
| '''クハ424'''
|-
|-
|クハ334||→||クハ425
| クハ333
| '''クハ331(2代)'''
|-
| クハ334
| '''クハ425'''
|-
| クハ335
| '''クハ426'''
|-
|-
|クハ335||→||クハ426
|}
|}


1951年(昭和26年)8月に発生した[[東武鉄道浅草工場|浅草工場]]の火災によって電車6両が被災焼失したが、本形式においてはクハ430形434が被災し[[廃車 (鉄道)|廃車]]となった<ref name="RP1961-4_1" />。これら被災した車両の代替として、同年12月に[[東武モハ5320形電車|クハ550形]]6両が新製された。同形式は制御車として竣功したものの、当初より電装・電動車化を前提として設計・製造されており、うち4両については制御車として運用されることなく[[1952年]](昭和27年)に電動車化改造が施工されたが、同改造に際してはモハ5300形のうち前述機器交換の対象から外れていたモハ5300 - 5303(モハ5303は2代)より電装品を転用することとなった<ref name="RP1961-4_1" /><ref name="RP1972-3" />。さらに電装品を供出した同4両に対しては、大正15年系[[東武デハ3形電車|モハ2200形]]を電装解除・制御車化の上、その電装品を同4両へ転用するという玉突き改造が実施された<ref name="RP1961-4_1" /><ref name="RP1972-3" />。
===浅草工場火災による廃車===

1951年(昭和26年)8月に発生した[[東武鉄道浅草工場|浅草工場]]の火災により6両が焼失したが、本系列ではクハ430形434が被災し廃車となった。同車は1949年(昭和24年)に竣工したばかりで車齢は2年に満たなかった。なお、これら被災した車両の代替として[[東武モハ5320形電車|クハ550形]]が同年12月に新製されているが、後述のように同形式はその電装化の際にも本系列と関わりを持つこととなる。
同4両は[[豊電業]]US-531電動カム軸式制御器<ref group="注釈" name="EE">豊電業US-531・東洋電機製造ES-530ともE.E.社の国内ライセンス製品であり、基本仕様は同一であった。</ref>・イングリッシュ・エレクトリック社DK-91主電動機(端子電圧750V時定格出力97kW)を搭載し、'''モハ3200形'''3202 - 3205と改番・編入された<ref name="RP1961-4_1" /><ref name="RP1972-3" />。また、これらと編成を組む制御車についても前年改造された車両と同じく主幹制御器の交換が行われ、同様にクハ420形427・428と改番・編入されている<ref name="RP1961-4_1" /><ref name="RP1972-3" />。


これら一連の改造によって、モハ5300形・クハ330形は竣功後5年足らずで形式消滅した。
===クハ550形電装に伴う床下機器交換===
前述クハ550形は当初より電装前提で設計・製造されており、うち4両についてはクハとして使用されることなく[[1952年]](昭和27年)に電装化改造が施工されたが、その電装品を本系列のモハより流用することとなった。電装品を提供したモハ4両については、大正15年系[[東武デハ3形電車|モハ2200形]]を電装解除の上その電装品を転用し<ref>制御器は[[イングリッシュ・エレクトリック]](E.E.)社のライセンス生産品である[[豊電業]]製US531、主電動機はE.E.社製DK91。</ref>、'''モハ3200形'''に改称・編入された。また、これらモハと編成を組むクハについても前年改造された車両と同じく主幹制御器の交換が行われ、こちらもクハ420形に改称・編入されている。


;改番対照
; 改番対照
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
{|
|-
|-
| style="width: 8em; border-bottom:solid 3px #62352F; background-color:#ddd;"|旧番
|モハ5300||→||モハ3202
| style="width: 8em; border-bottom:solid 3px #62352F; background-color:#ddd;"|改番後
|-
|-
|モハ5301||→||モハ3203
| モハ5300
| '''モハ3202'''
|-
|-
|モハ5302||→||モハ3204
| モハ5301
| '''モハ3203'''
|-
|-
| モハ5302
|モハ5303(2代)||→||モハ3205
| '''モハ3204'''
|-
|-
| モハ5303(2代)
|クハ330||→||クハ427
| '''モハ3205'''
|-
| クハ330
| '''クハ427'''
|-
| クハ331(2代)
| '''クハ428'''
|-
|-
|クハ331(2代)||→||クハ428
|}
|}


=== 制御車の電動車化改造 ===
これら一連の改造によって、モハ5300形・クハ330形は早くも形式消滅した。
保守上の都合から[[総武鉄道モハ1000形電車|総武鉄道引き継ぎ車]]の電動車を電装解除・制御車化するに当たり、その分減少した電動車の補充を目的として、[[1953年]](昭和28年)にクハ430形430 - 433・435の5両が電動車化された<ref name="RP1961-4_1" /><ref name="RP1972-3" />。電装品については前述モハ3200形と同一であったが、3200番台の[[鉄道の車両番号|車両番号]](車番)に余裕がなかったことから別形式に区分され<ref group="注釈">当時モハ3200形の空番は3206 - 3209の4両分しかなく、3210は[[東武デハ5形電車#モハ3210形|モハ3210形]]のトップナンバーとして既に使用されていたことによる。</ref>、'''モハ3260形'''3260 - 3264と改称・改番された<ref name="RP1961-4_1" /><ref name="RP1972-3" />。


また、[[東武東上線|東上線]]において制御電動車・制御車を一組とするモハ・クハ固定編成化の実施に際して制御電動車が3両不足したため、前述電動車化対象に含まれなかったクハ430形436・437とクハ420形427を電動車化して充当することとなり、[[1956年]](昭和31年)から1957年(昭和32年)にかけて改造が施工された<ref name="RP1961-4_1" /><ref name="RP1972-3" />。電装品は東洋電機製造ES-530電動カム軸式制御器<ref group="注釈" name="EE" />・日立製作所HS-266主電動機を搭載したが、デッカーシステムと110kW主電動機の組み合わせは同3両が唯一の例であった。電動車化後は車両形式番号付与基準に従って'''モハ5200形'''5201 - 5203と改称・改番された。また、電動車化と同時に前面に貫通扉が新設され、運転台が左側に移設されている<ref name="RP1961-4_1" /><ref name="RP1972-3" />。
===クハの電装化改造===
保守上の都合から[[総武鉄道モハ1000形電車|総武鉄道引き継ぎ車]]のモハを電装解除・クハ化するに当たり、その分減少した電動車補充のため、[[1953年]](昭和28年)にクハ430形5両が電装された。電装品については前述モハ3200形と同一であったが、車番に余裕がなかったことから<ref>当時モハ3200形の空番は3206 - 3209の4両分しかなく、3210は[[東武デハ5形電車#モハ3210形|モハ3210形]]のトップナンバーとして既に使われていた。</ref>別形式とされ、'''モハ3260形'''と改称・改番された。


クハ436・437の電動車化をもってクハ430形は形式消滅し、竣功当初存在した3形式は全て形式消滅した。
;クハ430形→モハ3260形 改番対照

{|
; 改番対照
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|-
| style="width: 8em; border-bottom:solid 3px #62352F; background-color:#ddd;"|旧番
|クハ433||→||モハ3260
| style="width: 8em; border-bottom:solid 3px #62352F; background-color:#ddd;"|改番後
|-
|-
|クハ431||→||モハ3261
| クハ433
| '''モハ3260'''
|-
|-
|クハ432||→||モハ3262
| クハ431
| '''モハ3261'''
|-
|-
|クハ430||→||モハ3263
| クハ432
| '''モハ3262'''
|-
|-
|クハ435||→||モハ3264
| クハ430
| '''モハ3263'''
|}
|-

| クハ435
また、[[東武東上線|東上線]]においてモハ・クハ固定編成化を行った際、モハが3両不足したため、本系列のクハを電装して補充することとなった。前述電装化対象から漏れたクハ430形の残り2両とクハ420形1両がその対象となり、[[1956年]](昭和31年)から[[1957年]](昭和32年)にかけて改造が行われた。電装品は制御器が東洋製ES530<ref>豊電業製US531と同じくE.E.社の国内ライセンス製品であり、基本仕様は同一であった。</ref>、主電動機が日立製HS266とされ、電装後は'''モハ5200形'''と改称・改番された<ref>[[デッカー]]システムと110kW主電動機の組み合わせは本形式が唯一であった。</ref>。また、電装化と同時に正面に貫通扉が新設され、運転台が左側に移設されている。
| '''モハ3264'''

|-
;クハ420形・430形→モハ5200形 改番対照
| クハ427
{|
| '''モハ5201'''
|-
|-
|クハ427||→||モハ5201
| クハ436
| '''モハ5202'''
|-
|-
|クハ436||→||モハ5202
| クハ437
| '''モハ5203'''
|-
|-
|クハ437||→||モハ5203
|}
|}


==形式再編以降に施工された改造==
== 形式再編後の変遷 ==
本形式は前述のように近距離運用を主眼として設計されたものであったが、前述6300系や[[東武7800系電車|78系]]といった4扉車体の大型通勤形車両の増備に伴って中長距離運用にも充当され、[[東武3200系・5400系電車|32系・54系]]に属する各形式と何ら区別なく混用された<ref name="RP1972-3" />。
以上のような改造・改番の結果、本系列は'''モハ3200形・3260形・5200形・5430形・クハ420形'''の5形式に再編された。本項では形式再編以降に施工された各種改造について述べる。


[[1960年]](昭和35年)6月にクハ423・424の2両に対して前面貫通扉新設ならびに運転台の左側への移設が施工された。これは前述東上線におけるモハ・クハ固定編成化の一環として実施された改造であり、出場後の同2両は[[東武デハ10系電車|モハ5450形]]5455・5456とそれぞれ固定編成化された<ref name="RP1961-4_1" /><ref name="RP1972-3" /><ref name="RP1966-2">[[#めぐり44補_2-RP1966|『鉄道ピクトリアル 第180(1966年2月)号』 p.62]]</ref>。
===クハ420形の前面貫通化===
モハ・クハ固定編成化の一環として、1960年にクハ423, 424の2両は[[東武デハ10系電車|モハ5450形]]5455, 5456と固定編成化された。同時に前面に貫通扉を新設し、運転台を左側に移設してモハ5200形と同様の外観に変化した。


[[1962年]](昭和37年)4月から同年5月にかけて、モハ5430形5431 - 5434を対象に運転台補強工事が施工された。同時に前面貫通扉の新設および運転台の左側への移設が実施され、モハ5200形ならびにクハ423・424と同等の仕様に変化した。また、同4両に対しては車内設備改善工事も同時に施工され、車内照明が[[蛍光灯]]化されたほか、車内放送装置・[[扇風機]]が新設された<ref name="RP1972-3" /><ref name="RP1966-1">[[#めぐり44補_1-RP1966|『鉄道ピクトリアル 第179(1966年1月)号』 p.66]]</ref>。
===モハ5430形の運転台補強工事===
[[1962年]](昭和37年)にモハ5430形全車を対象に運転台補強工事が施工された。それに伴い前面に貫通扉を新設し、運転台を左側に移設してモハ5200形および前述クハ423, 424と同様の外観に変化している。同時に車内設備改善工事も行われ、室内灯の[[蛍光灯]]化や放送装置・[[扇風機]]の新設が施工された。


その他、全車を対象に車体塗装のベージュ地に裾部と窓周りがオレンジの一般色への塗装変更、編成の長大化に伴う制動装置への中継弁付加・ARE自動空気ブレーキ化、電動車のパンタグラフの東洋電機製造PT-41系への換装、前面窓固定支持のHゴム化等が順次施工された。また、保安装置([[自動列車停止装置#東武鉄道TSP式(多変周式・パターン照査型)|東武形ATS]])整備に関連して、本形式においても多くの車両が運転室の機器撤去を行い事実上中間車化されたが、特にモハ5430形は全車が機器撤去の対象となり、晩年は先頭車としての運用が不可能となっていた<ref name="RP1972-3" />。
===モハ5200形の体質改善工事===
モハ5200形は登場してから東上線を離れることなく使用されていたが、[[1960年代]]後半に至り32系の[[東武3000系電車|3000系]]への更新や54系の車内設備改善が進む中で、本形式だけが陳腐な設備のまま取り残された形となっていた。性能的には54系に属する本形式は更新時期までまだ間があったことから、[[1966年]](昭和41年)に室内灯の蛍光灯化や放送装置・扇風機の新設が施工された。また同時に編成相手であった[[東武サハ80形電車|クハ550形]](560 - 562)ともども痛んでいた外板の張替えが行われ、車体裾まで外板が下ろされて台枠が見えなくなった。


[[1960年代]]後半に至り、32系の[[東武3000系電車|3000系]]への車体更新や54系の車内設備改善が進む中、モハ5200形5201 - 5203のみは旧態依然とした設備のまま存置されていた<ref name="RP1972-3" />。性能的には54系に属する同形式は更新時期までまだ間があったことから、[[1966年]](昭和41年)12月に車内照明の蛍光灯化や車内放送装置・扇風機の新設といった、前述モハ5430形同様の改善工事が施工された。また、同形式においては老朽化が進行した外板の張替えも実施され、腰板下端部が車体裾部まで下ろされたことによって台枠が隠されたことが外観上の特徴となった。なお、同工事はモハ5201 - 5203の編成相手であった[[東武クハ101形電車#サハ80形|クハ550形]]560 - 562に対しても施工された<ref name="RP1972-3" />。
===その他改造===
その他、本系列全車を対象に正面窓のHゴム固定化、茶色一色塗りからベージュ地に裾部と窓周りがオレンジの一般色への塗装変更等が順次施工されている。また、本系列も保安装置取り付けに伴って多くの車両が運転室の機器撤去を行い事実上中間車となったが、特にモハ5430形は全車が中間車化され、晩年は先頭に立つことができなくなっていた。


後継形式の増備に伴って、本形式もまた他の旧型車各形式の例に漏れることなく、晩年は[[東武野田線|野田線]]および館林地区のローカル運用に充当された。その後、32系の3000系への更新進捗に伴って本形式の32系グループ(モハ3200形・3260形)も更新対象となり、野田線における運用中に踏切事故に遭遇し大破したモハ3260形3263が[[1965年]](昭和40年)2月に車体更新された<ref name="RP1981-7_1" /><ref name="RP1972-3" /><ref name="RP1966-2" />ことを皮切りに順次更新が進捗し、[[1969年]](昭和44年)までに全車の更新が完了した<ref name="RP1981-7_1" /><ref name="RP1972-3" />。さらに[[1971年]](昭和46年)以降、54系グループ(モハ5200形・5430形)の[[東武3000系電車#3050系|3050系]]への更新も開始され<ref name="RP1981-7_1" /><ref name="RP1972-3" />、本形式中最も手を加えられたモハ5200形のうちモハ5201・5202が最後まで残存したものの、同2両についても1973年(昭和48年)に更新が実施された<ref name="RP1981-7_1" />。
==晩年==

度重なる機器のたらい回しや各種改造によって、とかく薄幸との印象が強い本系列は、晩年は他の旧型車の例に漏れることなく、[[東武野田線|野田線]]および館林地区のローカル運用で使用されていた。しかし32系の3000系への更新進捗に伴い、[[1967年]](昭和42年)より本系列の32系グループ(モハ3200形・3260形)の中からも姿を消す車両が出始めた。その後54系グループ(モハ5200形・5430形)の更新も開始され、本系列中最も手を加えられたモハ5200形2両が最後まで活躍を続けたが、これも[[1973年]](昭和48年)に[[東武3000系電車|3050系]]へ更新され、本系列は[[廃車 (鉄道)|形式消滅]]した。
モハ5200形の形式消滅をもって、東武における運輸省規格型車両は全廃となった。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}

=== 出典 ===
{{Reflist|2}}

== 参考文献 ==
* {{Cite journal|和書|author= [[青木栄一]]・花上嘉成 |year= 1961 |month= 4 |title= 私鉄車両めぐり(44) 東武鉄道 その3 |journal= [[鉄道ピクトリアル]]|issue=117 |pages=pp.45 - 51 |publisher= [[電気車研究会|鉄道図書刊行会]] |ref= めぐり44-RP1961}}
* {{Cite journal|和書|author= [[中川浩一]] |year= 1965 |month= 5 |title= 私鉄高速電車発達史 (5) |journal= 鉄道ピクトリアル|issue=170 |pages=pp.33 - 36 |publisher= 鉄道図書刊行会 |ref= 高速5-RP1965}}
* {{Cite journal|和書|author= 中川浩一 |year= 1965 |month= 6 |title= 私鉄高速電車発達史 (6) |journal= 鉄道ピクトリアル|issue=171 |pages=pp.35 - 38 |publisher= 鉄道図書刊行会 |ref= 高速6-RP1965}}
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* {{Cite journal|和書|author= 青木栄一・花上嘉成 |year= 1972 |month= 3 |title= 私鉄車両めぐり(91) 東武鉄道 |journal= 鉄道ピクトリアル|issue=263|pages=pp.66 - 98 |publisher= 鉄道図書刊行会 |ref= めぐり91-RP1972}}
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* {{Cite journal|和書|author= 三木理史 |year= 1991 |month= 7 |title= 運輸省規格型電車物語 - 総論篇(前)|journal= 鉄道ピクトリアル|issue=545|pages=pp.55 - 59 |publisher= 鉄道図書刊行会 |ref= 規格総1-RP1991}}
* {{Cite journal|和書|author= 三木理史 |year= 1991 |month= 8 |title= 運輸省規格型電車物語 - 総論篇(後)|journal= 鉄道ピクトリアル|issue=547|pages=pp.100 - 105 |publisher= 鉄道図書刊行会 |ref= 規格総2-RP1991}}
* {{Cite journal|和書|author= 三木理史 |year= 1993 |month= 1 |title= 運輸省規格型電車物語 - 各論篇(1)|journal= 鉄道ピクトリアル|issue=570|pages=pp.88 - 91 |publisher= 鉄道図書刊行会 |ref= 規格各1-RP1993}}
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* {{Cite journal|和書|author= 青木栄一 |year= 2008 |month= 1 |title= 東武鉄道の旧形電車回顧|journal= 鉄道ピクトリアル|issue=799|pages=pp.135 - 143 |publisher= 鉄道図書刊行会 |ref= 東武旧型-RP2008}}


{{東武鉄道の車両}}
{{東武鉄道の車両}}

2011年12月1日 (木) 13:00時点における版

東武モハ5300形電車
基本情報
製造所 汽車製造
主要諸元
軌間 1,067(狭軌
電気方式 直流1,500V
架空電車線方式
車両定員 110人
(座席定員40人)
自重 39.0t
全長 17,000
全幅 2,740
全高 4,090
台車 住友KS33E
主電動機 直巻整流子電動機
日立HS-266
主電動機出力 110kW
駆動方式 吊り掛け駆動
歯車比 2.95 (62:21)
制御装置 電動カム軸式抵抗制御
日立MCH-200D2
制動装置 ARE電磁自動空気ブレーキ
保安装置 東武形ATS
備考 データはモハ5431 - 5434(元モハ5303 - 5306)の最晩年[1]
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東武モハ5300形電車(とうぶモハ5300がたでんしゃ)は、かつて東武鉄道に在籍した通勤形電車。戦後の混乱期に運輸省が制定した「私鉄郊外電車設計要項」に基いて新製された、いわゆる運輸省規格型車両である。

概要

戦後間もない1947年昭和22年)、運輸省によって「私鉄郊外電車設計要項」が制定された。これは当時鋼材等資材が極度に不足をきたしていたため、車両の設計に規格を設けることで資材を有効に活用し、かつ製造メーカー各社の低下した生産能力を補う趣旨のものであり、同時期に製造された車両に関しては原則的に同要項に準拠した設計とすることが義務付けられていた[注釈 1][2][3]。そのような状況下、東武は1947年度に運輸省規格型車両12両分の新製割り当てを受け[4]、翌1948年(昭和23年)に制御電動車モハ5300形5300 - 5307ならびに制御車クハ330形330 - 333の計12両が日本車輌製造東京支店および汽車製造において新製された[2][5]

東武は伊勢崎線日光線といった路線延長が100kmを超える長大路線を保有しており、乗客の平均乗車距離も長かったことから、従来車についてはクロスシート・車内トイレといった中長距離運用を考慮した設備を備えたものとなっていたが、本形式は戦後の買出し等に伴う爆発的な利用客増を考慮してそれら装備を省略し、自社設計の車両としては東武初となる純然たる通勤形車両[注釈 2]として設計されたことが最大の特徴である[5][6]

なお、本形式は当初モハ5700形クハ700形の表記で竣功したものの、同時期には東武における新たな車両形式番号付与基準の制定が予定されていたことから、入籍直前に同基準に準拠した形式(モハ5300形・クハ330形)に改称・改番されたという経緯を有する[注釈 3][4][5]。従って、本形式は新基準に準拠した形式称号を初めて付与された形式となった。

さらに1948年(昭和23年)から翌1949年(昭和24年)にかけて、制御車10両が日本車輌製造東京支店・汽車製造ならびに大栄車輌において新製された[2][5]。同10両はいずれも戦災もしくは事故で被災した従来車の復旧名義、ならびに木造車の鋼体化名義で竣功している[注釈 4][4][5]。1948年(昭和23年)に落成したクハ330形334・335の2両についてはクハ330 - 333と同一仕様で新製されたが、1949年(昭和24年)に落成した8両は車体幅の相違のほか、従来車の制御車として運用するため制御方式が異なることから別形式が付与され、クハ430形 (430 - 437) と形式区分された[4][5]

クハ330形増備車・クハ430形の種車対照一覧
形式 車番 名義上の種車 形式 車番 名義上の種車
クハ330形 クハ334 サハ10[注釈 5] クハ430形 クハ433 サハ29[注釈 5]
クハ335 サハ27[注釈 5] クハ434 サハ62[注釈 6]
クハ430形 クハ430 クハニ1[注釈 7] クハ435 ナニ6050[注釈 6]
クハ431 デハ56[注釈 8] クハ436 デハニ26[注釈 9]
クハ432 デハ60[注釈 8] クハ437 デハ35[注釈 9]

最大22両が在籍した本形式は、後年制御電動車の機器換装ならびに制御車の電動車化に伴う複雑な改番を経て、1973年(昭和48年)まで運用された[7]

車体

本形式においては、私鉄郊外電車設計要項のうちA'型(車体長17,000mm、車体幅2,700mm)に区分される設計が採用された[4][6][8]。ただし、モハ5300形・クハ330形とも台枠に日本国有鉄道(国鉄)から譲受したUF12台枠を流用した関係で[注釈 10]、車体長は16,400mmと同要項を逸脱した寸法となっていたことが特徴である[4][6]。16,400mmという車体長は、大正年代にUF12台枠を用いて新製された国鉄ホハ24400形客車を始めとする「大形2AB車」各形式と同一であり、本形式の新製に際しては同台枠にほぼ手を加えることなく流用したことが推察される[注釈 11]。また、クハ430形については、UF12よりも製造年代の古い雑形台枠を使用して製造されたクハ431[5]を除いて、全車とも前掲2形式同様にUF12台枠を使用するものの、全幅が他形式の2,740mmに対して2,800mmに拡幅された点が異なる[5]

車体は半鋼製で、本形式は当初より近距離運用を主眼として設計されたことから、昭和2年 - 4年系デハ4形・クハ3形以来の3扉構造が採用され、また東武が新製発注した車両としては初めて客用扉下部のステップを省略した[4]。これは本形式導入の前年に国鉄63系割り当て車(東武6300系)が入線した際、同系列が客用扉ステップを持たなかったため床面とプラットホーム(ホーム)との間に大きな段差が生じることが問題となり、既存の駅ホーム高さをかさ上げすることで対応した結果[注釈 12]、車両側のステップが不要となったことによるものである[9]

モハ・クハともに片運転台構造で、窓配置はd1D4D4D2(d:乗務員扉, D:客用扉)のいわゆる関東型配置と俗称されるものとなっている[4]。このように本形式においては従来の東武形車両とは異なる新たな設計が取り入れられたものの、東武形車両の特徴の一つであった車体裾を切り上げて台枠が露出した構造のみは本形式においても継承された。

前面は平妻形状で、運転台側妻面に貫通扉を持たない非貫通構造とされ、運転台を中央に配置した全室運転室構造である[5]。運転台窓上幕板部には外気取入用の通風孔が設けられている。屋根上ベンチレーターはガーランド形で、屋根上中央部にモハは5個・クハは6個をそれぞれ一列配置で搭載した。

車内はロングシート仕様で、トイレは前述のように本形式が近距離運用を前提として設計されたことから当初より設置されていない。

主要機器

「私鉄郊外電車設計要項」においては、制御器や主電動機等の主要機器についても規定が設けられており[10]、本形式において採用された主要機器は一部を除きいずれも同要項において定められた指定機種である[6]

主制御器

国鉄の制式機種である電空カム軸式CS5を採用した[6]。戦前の東武においてはイングリッシュ・エレクトリック (E.E.) 社のデッカーシステムの系譜に連なる電動カム軸式制御器を主に採用しており、ゼネラル・エレクトリック (GE) 社製Mコントロールの系譜に属する電空カム軸式制御器は前述6300系において採用実績があるのみであった。要項における指定機種にはデッカーシステムの系譜に連なる電動カム軸式制御器(東洋電機製造ES-516)が存在したにも関わらず[10]、本形式において敢えてCS5を採用したことについては、6300系と仕様を揃える意図があったものと推測されている[6]

なお、モハ5300形ならびに同形式と編成されるクハ330形はCS5制御器に対応した3段のノッチ刻みを持つMC1主幹制御器を採用したが、クハ430形については従来車との併結の必要性から9段のノッチ刻みを持つM-8D主幹制御器を採用しており、両者の制御シーケンスに互換性がなかったことからモハ5300形・クハ330形との併結は不可能であった[5]

主電動機

東洋電機製造TDK-528/9-HMを電動車1両当たり4基搭載する[6]。同主電動機の端子電圧750V時における定格出力は110kWで[注釈 13]、出力そのものは戦前にデハ10系等において採用実績を有する日立製作所HS-266と同等であるものの、全界磁時における定格回転数はHS-266の1,000rpmに対して1,188rpmと約20%高い回転特性を持つ主電動機である[11]。歯車比は3.71 (63:17) 、駆動方式は吊り掛け式である[6]

本形式は東武におけるTDK-528系主電動機の初採用例となったが、その後同主電動機はその高回転特性が買われて特急用車両5700系を始めとして主に優等列車に用いられる車両へ広く採用された[6][11]

台車

モハ5300形は住友鋳鋼所製の鋳鋼組立型釣り合い梁式台車KS33E(固定軸間距離2,300mm)を、クハ330形・430形は国鉄払い下げ品の省形釣り合い梁式台車TR11(同2,450mm)をそれぞれ装着する[6]。軸受は両台車とも平軸受(プレーンベアリング)仕様である。

なお、前者は私鉄郊外電車設計要項において定められた指定機種であったものの、後者は指定機種には含まれていない。これはモハ5300形・クハ330形の新製に際して12両分のKS33E台車の割り当てを受けたものの、本来クハ330形向けに新製された4両分を従来車の台車換装用途に供し、クハ330形については中古台車を装着させたことに起因する[4]

制動装置

日本エヤーブレーキ社(現・ナブテスコ)が開発したA動作弁を用いるAMA / ACA自動空気ブレーキである[6]。制動筒(ブレーキシリンダー)を車体側に1両当たり1基搭載し、制動筒に接続された制動引棒(ブレーキロッド)によって前後台車計4軸の制動を動作させる、落成当時としては一般的なブレーキワークが採用されている。

その他

パンタグラフは国鉄制式のPS-13をモハ5300形の運転台寄りに1基搭載する。また、電動発電機 (MG) や電動空気圧縮機 (CP) といった補助機器類もモハ5300形へ集中搭載されており、電気的には単独走行も可能な仕様であった。

形式再編

モハ5300形・クハ330形・クハ430形は、運用開始から時を経ずして全車とも主要機器の換装を伴う改造が順次実施され、1957年(昭和32年)までにモハ3200形・3260形・5200形・5430形・クハ420形の5形式に再編された。以下、形式再編に至る詳細について解説する。

主要機器交換

前述のように、モハ5300形が搭載するTDK-528/9-HM主電動機は吊り掛け式主電動機としては高回転型の特性を持ち、高速運転にも耐えうる主電動機であった[11]。戦後の特急運転再開に伴って、デハ10系を出自とする車両のうちモハ5440形として再編されていた車両の多くが特急用車両として整備されていたが、それらの性能向上目的でTDK-528/9-HM主電動機を含む本形式が搭載する主要機器を供出し、代わりにモハ5440形が従来装備した主要機器を本形式へ搭載する機器交換改造が1951年(昭和26年)に実施された[5][12]

対象となったモハ5303 - 5306(モハ5303は初代)[注釈 14]はモハ5440形から譲り受けた日立製作所MCH-200D電動カム軸式制御器・HS-266主電動機を搭載し[1]、車両形式番号付与基準に従ってモハ5430形5431 - 5434と改称・改番された[5][13]。同4両と編成されたクハ331(初代)・332・334・335についても主幹制御器の交換が行われ、クハ420形423 - 426と改番・編入された[5][13]。また、これら改造・改番によって生じた空番を解消するため、モハ5307がモハ5303(2代)へ、クハ333がクハ331(2代)へそれぞれ改番が実施されている[5]

改番対照
旧番 改番後
モハ5303(初代) モハ5431
モハ5304 モハ5432
モハ5305 モハ5433
モハ5306 モハ5434
モハ5307 モハ5303(2代)
クハ331(初代) クハ423
クハ332 クハ424
クハ333 クハ331(2代)
クハ334 クハ425
クハ335 クハ426

1951年(昭和26年)8月に発生した浅草工場の火災によって電車6両が被災焼失したが、本形式においてはクハ430形434が被災し廃車となった[5]。これら被災した車両の代替として、同年12月にクハ550形6両が新製された。同形式は制御車として竣功したものの、当初より電装・電動車化を前提として設計・製造されており、うち4両については制御車として運用されることなく1952年(昭和27年)に電動車化改造が施工されたが、同改造に際してはモハ5300形のうち前述機器交換の対象から外れていたモハ5300 - 5303(モハ5303は2代)より電装品を転用することとなった[5][13]。さらに電装品を供出した同4両に対しては、大正15年系モハ2200形を電装解除・制御車化の上、その電装品を同4両へ転用するという玉突き改造が実施された[5][13]

同4両は豊電業US-531電動カム軸式制御器[注釈 15]・イングリッシュ・エレクトリック社DK-91主電動機(端子電圧750V時定格出力97kW)を搭載し、モハ3200形3202 - 3205と改番・編入された[5][13]。また、これらと編成を組む制御車についても前年改造された車両と同じく主幹制御器の交換が行われ、同様にクハ420形427・428と改番・編入されている[5][13]

これら一連の改造によって、モハ5300形・クハ330形は竣功後5年足らずで形式消滅した。

改番対照
旧番 改番後
モハ5300 モハ3202
モハ5301 モハ3203
モハ5302 モハ3204
モハ5303(2代) モハ3205
クハ330 クハ427
クハ331(2代) クハ428

制御車の電動車化改造

保守上の都合から総武鉄道引き継ぎ車の電動車を電装解除・制御車化するに当たり、その分減少した電動車の補充を目的として、1953年(昭和28年)にクハ430形430 - 433・435の5両が電動車化された[5][13]。電装品については前述モハ3200形と同一であったが、3200番台の車両番号(車番)に余裕がなかったことから別形式に区分され[注釈 16]モハ3260形3260 - 3264と改称・改番された[5][13]

また、東上線において制御電動車・制御車を一組とするモハ・クハ固定編成化の実施に際して制御電動車が3両不足したため、前述電動車化対象に含まれなかったクハ430形436・437とクハ420形427を電動車化して充当することとなり、1956年(昭和31年)から1957年(昭和32年)にかけて改造が施工された[5][13]。電装品は東洋電機製造ES-530電動カム軸式制御器[注釈 15]・日立製作所HS-266主電動機を搭載したが、デッカーシステムと110kW主電動機の組み合わせは同3両が唯一の例であった。電動車化後は車両形式番号付与基準に従ってモハ5200形5201 - 5203と改称・改番された。また、電動車化と同時に前面に貫通扉が新設され、運転台が左側に移設されている[5][13]

クハ436・437の電動車化をもってクハ430形は形式消滅し、竣功当初存在した3形式は全て形式消滅した。

改番対照
旧番 改番後
クハ433 モハ3260
クハ431 モハ3261
クハ432 モハ3262
クハ430 モハ3263
クハ435 モハ3264
クハ427 モハ5201
クハ436 モハ5202
クハ437 モハ5203

形式再編後の変遷

本形式は前述のように近距離運用を主眼として設計されたものであったが、前述6300系や78系といった4扉車体の大型通勤形車両の増備に伴って中長距離運用にも充当され、32系・54系に属する各形式と何ら区別なく混用された[13]

1960年(昭和35年)6月にクハ423・424の2両に対して前面貫通扉新設ならびに運転台の左側への移設が施工された。これは前述東上線におけるモハ・クハ固定編成化の一環として実施された改造であり、出場後の同2両はモハ5450形5455・5456とそれぞれ固定編成化された[5][13][14]

1962年(昭和37年)4月から同年5月にかけて、モハ5430形5431 - 5434を対象に運転台補強工事が施工された。同時に前面貫通扉の新設および運転台の左側への移設が実施され、モハ5200形ならびにクハ423・424と同等の仕様に変化した。また、同4両に対しては車内設備改善工事も同時に施工され、車内照明が蛍光灯化されたほか、車内放送装置・扇風機が新設された[13][15]

その他、全車を対象に車体塗装のベージュ地に裾部と窓周りがオレンジの一般色への塗装変更、編成の長大化に伴う制動装置への中継弁付加・ARE自動空気ブレーキ化、電動車のパンタグラフの東洋電機製造PT-41系への換装、前面窓固定支持のHゴム化等が順次施工された。また、保安装置(東武形ATS)整備に関連して、本形式においても多くの車両が運転室の機器撤去を行い事実上中間車化されたが、特にモハ5430形は全車が機器撤去の対象となり、晩年は先頭車としての運用が不可能となっていた[13]

1960年代後半に至り、32系の3000系への車体更新や54系の車内設備改善が進む中、モハ5200形5201 - 5203のみは旧態依然とした設備のまま存置されていた[13]。性能的には54系に属する同形式は更新時期までまだ間があったことから、1966年(昭和41年)12月に車内照明の蛍光灯化や車内放送装置・扇風機の新設といった、前述モハ5430形同様の改善工事が施工された。また、同形式においては老朽化が進行した外板の張替えも実施され、腰板下端部が車体裾部まで下ろされたことによって台枠が隠されたことが外観上の特徴となった。なお、同工事はモハ5201 - 5203の編成相手であったクハ550形560 - 562に対しても施工された[13]

後継形式の増備に伴って、本形式もまた他の旧型車各形式の例に漏れることなく、晩年は野田線および館林地区のローカル運用に充当された。その後、32系の3000系への更新進捗に伴って本形式の32系グループ(モハ3200形・3260形)も更新対象となり、野田線における運用中に踏切事故に遭遇し大破したモハ3260形3263が1965年(昭和40年)2月に車体更新された[7][13][14]ことを皮切りに順次更新が進捗し、1969年(昭和44年)までに全車の更新が完了した[7][13]。さらに1971年(昭和46年)以降、54系グループ(モハ5200形・5430形)の3050系への更新も開始され[7][13]、本形式中最も手を加えられたモハ5200形のうちモハ5201・5202が最後まで残存したものの、同2両についても1973年(昭和48年)に更新が実施された[7]

モハ5200形の形式消滅をもって、東武における運輸省規格型車両は全廃となった。

脚注

注釈

  1. ^ 同要項に基いて新製された車両群を総称して「運輸省規格型」と称する。
  2. ^ 本形式導入の前年には、20m4扉車体を持つ通勤形車両である国鉄63系割り当て車(東武6300系)が入線している。
  3. ^ 入籍直前に改番が実施されたことから、書類上は当初よりモハ5300形・クハ330形として新製・竣功したという扱いが取られている。
  4. ^ 実際には新製に際して名義を引き継いでいるに過ぎず、流用されたものは何もない。また、同10両については運輸省規格型として新製割り当てを受けて製造されたものではないことから、運輸省規格型車両の範疇には含めないとする資料(『鉄道ピクトリアル 第570(1993年1月)号』 p.89)も存在する。
  5. ^ a b c 木造中型客車のサハ化改造車
  6. ^ a b 木造雑形客車のサハ化改造車
  7. ^ 昭和2 - 4年系前期合造車型
  8. ^ a b 昭和2 - 4年系後期普通車型
  9. ^ a b 昭和2 - 4年系前期普通車型
  10. ^ これらUF12台枠は国鉄における戦災被災車両からの発生品であることから、本形式を広義の戦災復旧車両であるとする資料(『鉄道ピクトリアル 第171(1965年6月)号』 p.35)も存在する。
  11. ^ 鉄道省工作局車輛課 編『車輌形式図 客車下巻 大正14年版』掲載図面より。
  12. ^ 東武における従来の駅ホーム高は920mmもしくは760mmに設定されていた。一方6300系の床面高は1,200mmであり、ホーム高760mmの駅が存在する区間への運用に充当することは困難であることから、東武においては同系列入線を機会に全駅のホーム高を国鉄における大都市電車区間に存在する駅と同一の1,100mmにかさ上げする改良工事を順次施工した。同工事は1950年代中盤に完了し、以降従来車に設置されていた客用扉ステップについても順次撤去された。
  13. ^ TDK-528系主電動機における528/5-F以降の機種は、一部の例外を除いていずれも定格出力112.5kW(端子電圧750V時)を公称するが、東武においては定格出力110kW(同)の主電動機として取り扱われた。
  14. ^ 換装対象となったモハ5440形は計5両であり、本形式の改造数と一致しない。不足分の手当てについては不明である。
  15. ^ a b 豊電業US-531・東洋電機製造ES-530ともE.E.社の国内ライセンス製品であり、基本仕様は同一であった。
  16. ^ 当時モハ3200形の空番は3206 - 3209の4両分しかなく、3210はモハ3210形のトップナンバーとして既に使用されていたことによる。

出典

参考文献

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