コンテンツにスキップ

兵庫県立姫路商業高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
姫路商業高校から転送)
兵庫県立姫路商業高等学校
姫路商業高校
地図北緯34度49分32秒 東経134度39分21.5秒 / 北緯34.82556度 東経134.655972度 / 34.82556; 134.655972座標: 北緯34度49分32秒 東経134度39分21.5秒 / 北緯34.82556度 東経134.655972度 / 34.82556; 134.655972
過去の名称 姫路市立姫路商業学校
兵庫県立姫路商業学校
兵庫県立姫路東高等学校商業科
国公私立の別 公立学校
設置者 兵庫県の旗 兵庫県
設立年月日 1961年4月1日
(創立年は前身が開校した1911年
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 商業科
情報科学科
学校コード D128210000120 ウィキデータを編集
高校コード 28189B
所在地 670-0983
兵庫県姫路市井ノ口468
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

兵庫県立姫路商業高等学校(ひょうごけんりつ ひめじしょうぎょうこうとうがっこう)は、兵庫県姫路市井ノ口にある公立商業高等学校。略称は「姫商」。[1]

設置学科[編集]

ビジネスに係る基礎知識から専門的な知識や、学びたい科目や進路に応じて科目を選択できる総合選択制のもと、商業の学びを通して「生きる力」を育む学科。
商業高校でハードウェア技術などの工業を学べる全国でもめずらしい複合学科で、新しい時代に活躍するスペシャリストの育成を目指す。

沿革[編集]

1911年に開校した前身の姫路市立姫路商業学校は、生徒は和服に角帯、前垂れ、腰に37ケタ、 2尺(約70センチ)のそろばんをぶら下げて通学した。人々は、そのいでたちから「丁稚(でっち)学校」と 呼び親しんだ。新制高校に移行1年後に「高校三原則」のもとで兵庫県立姫路東高等学校に合併し同校の商業科となった。その後、第一次ベビーブームに伴う普通科増員への対応ならびに県内で起こった中等教育の公立商業学校復活の動きへの対応で、姫路商業高校の復活のため、琴陵会が期成同盟会を結成し、募金活動を実施この当時で約1,500万円を集めた。4千人の琴陵会の先輩が復活に力を注ぐとともに、当時の姫路市長、姫路商工会議所等も姫路での単独商業高校復活に協力していた。(現在の井ノ口の土地は姫路市が買収して準備)1961年に新たに同校が現在地に開校した。在校生の回生については「新制○回」と称して旧制ならびに1949年3月に卒業した(旧)姫路商業高等学校1回生と区別されている。創立記念日は、同校の1961年の開校記念式が行われた6月20日であるが、創立年季は姫路における公立中等商業教育の流れとして前身の開校した1911年から起算している。     (出典:兵庫県立姫路商業高等学校創立90周年記念誌より)

旧制姫路商業学校→(旧)姫路商業高等学校→姫路東高等学校商業科[編集]

  • 1911年
    • 1月23日 - 姫路市立姫路商業学校(乙種)設立認可。
    • 4月1日 - 姫路市北条口70番地に開校。
    • 5月10日 - 開校式。クラスは天組、地組13歳~16歳 110名
  • 1914年8月5日 - 姫路市福沢町字辻本184番地に移転。 第一次世界大戦による日本の産業発展のため、商業学校卒業生の需要が増大。
  • 1916年 - 制服が筒袖、角帯・前垂掛姿から洋服へ変更。
  • 1917年4月1日 - 甲種商業学校に昇格。
  • 1917年10月28日 - 「創業の才は秀吉に学び、 守成の識は家康に習う」とする「成功碑」。 「船場校舎」で除幕した。 「姫商精神」として受け継がれる 「至誠を中軸とする創業と守成の精神」に 通じる。
  • 1920年ごろ - 校庭に2面のテニスコートがあった。
  • 1927年 - 満鮮旅行 異民族の文化に接し、卒業後に海外発展に資する目的で、昭和2年から2週間の日程で満州・朝鮮を訪問・見学
  • 1931年4月1日 - 兵庫県立姫路商業学校と改称。(管轄が県へ移転)
  • 1945年 - 第2次世界大戦終わる。
  • 1948年4月1日 - 昭和22年、法律第26号により兵庫県立姫路商業高等学校と改称、5年制だった姫路商業学校は、 学制改革で3年制の県立姫路商業高校となった。アメリカ軍政部教育局は、単独商業学校は設けない方針で、進駐軍の要請により姫路市立第一高等女学校(現琴丘高校)校舎に一部移転。男女共学となった。(姫商 男子生徒 琴丘 女子生徒)
  • 1949年
    • 3月 - 兵庫県立姫路商業高等学校廃校(県教育委員会より合併の指示)
    • 4月8日 - 併設中学校の第3学年は居住地の商業科のある高等学校の第1学年に入学。
    • 4月15日 - 兵庫県立姫路東高等学校へ合併、第2・3学年は同校第2・3学年となる。
以後は兵庫県立姫路東高等学校を参照のこと(出典:兵庫県立姫路商業高等学校創立90周年記念誌より)

兵庫県立姫路商業高等学校[編集]

  • 1957年5月 - 姫路商業高校の復活のため、琴陵会が期成同盟会を結成し、募金活動を実施この当時で約1,500万円を集めた。4千人の琴陵会の先輩が復活に力を注ぐとともに、当時の姫路市長、姫路商工会議所等も姫路での単独商業高校復活に協力していた。(現在の井ノ口の土地は姫路市が買収して準備)
  • 1960年
    • 5月20日 - 第5回教育委員会において兵庫県立姫路商業高等学校設置に関する議案が議決される。
    • 10月12日 - 地鎮祭ならびに起工式挙行。
    • 11月 - 兵庫県立姫路商業高等学校開設準備開始
    • 12月15日 - 兵庫県立姫路東高等学校内に開校事務所を開設。
    • 12月17日 - 兵庫県条例第67号附則をもって兵庫県立姫路商業高等学校は昭和36年4月1日に設置開校のことが告示される。
  • 1961年
    • 4月1日 - 校舎が未完成で兵庫県立姫路西高等学校における仮校舎において開校。
    • 6月5日 - 姫路市井ノ口468番地に移転。
    • 6月20日 - 昭和36年6月20日 開校記念式、この日を創立記念日とする。 「昭和 36 年6月 20 日に厳粛に開校記念式典が行われ、栄光と祝福つつまれながら、名実ともに新しい歴史の第1ページを踏みだした。」         
  • 1963年11月25日 - 校歌を制定。
  • 1965年
  • 1969年8月21日 - プール竣工。
  • 1973年3月31日 - 格技場竣工。
  • 1978年12月16日 - 部室竣工。
  • 1981年11月28日 - 創立70周年記念式典挙行。
  • 1983年
    • 1月12日 - 姫商会館を県へ移管。
    • 4月1日 - 情報科学科2学級新設、商業科6学級となる。
    • 12月13日 - 情報科学棟竣工。
  • 1990年11月24日 - 創立80周年記念式典挙行。
  • 1992年 - 情報科学科10周年記念の年を迎える。 記念講演として西之園晴夫先生の講演会を行った。体育館で実際に生徒が 仕入・販売実習するハイパーマーケットを実施。
  • 1996年7月10日 - 体育館竣工。竣工記念として、 中京大学より体操部監督中山彰規先生ほか 部員の方を招待して演技を披露願った。
  • 2000年11月11日 - 創立90周年記念式典挙行。
  • 2003年11月 - 情報科学科20周年記念事業を実施。
  • 2010年11月3日 - 創立100周年記念式典挙行。
  • 2020年 - 創立110周年。 
  • 2024年4月1日 - 新入生より制服を新しく変更する。       (出典:兵庫県立姫路商業高等学校創立90周年記念誌より)    

生活綱領[編集]

  • 自分で考え自分で行う人となろう。
  • 創意工夫に生きる人となろう。
  • 共に喜び生きる人となろう。

クラブ活動[編集]

同校は商業教育の実績や国公立大学への進学実績に加え、部活動が盛んである。平成期には国公立大学等への進学は商業高校で日本一であった。運動部は、例年全国大会への出場実績を挙げ、姫路近郊に限らず県内各地から中学生が進学してきている。中でも、陸上競技部、卓球部、少林寺拳法部、ソフトテニス部、体操競技部等が強く、少林寺拳法部女子は全国高等学校総合体育大会(インターハイ)では過去10年で5度の全国制覇を果たしている。

運動部[編集]

文化部[編集]

著名な卒業生[編集]

YURIE(ジャズシンガー

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  1. ^ 最寄りのバス停が現在の神姫バスに路線移管される前は姫路市営バスがバス停を「県商前」と称しており、姫路で「県商」と略して本校を指す場合もあるが、県内では県商は兵庫県立神戸商業高等学校を指すのが通例である。