胆振線

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いぶり (列車)から転送)
胆振線
基本情報
日本の旗 日本
所在地 北海道
起点 伊達紋別駅
終点 倶知安駅
駅数 21駅
開業 1919年11月15日(京極軽便線)[1][2]
1928年10月21日(胆振鉄道)[1][2]
1940年12月15日(胆振縦貫鉄道)[1][2]
1941年10月12日(全通)[2]
廃止 1986年11月1日[1][2][3]
所有者 日本国有鉄道
運営者 日本国有鉄道
路線諸元
路線距離 83.0 km(伊達紋別-倶知安間)[1][2]
7.5 km(京極-脇方間)[1][2]
軌間 1,067 mm[1]
線路数 単線
電化方式 非電化[1]
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
室蘭本線
BHFq eABZq+r hKRZWaeq
0.0 伊達紋別駅
exSKRZ-G2u WASSER
国道37号
WASSER+l exhKRZWae WASSERr
第5長流川橋梁 長流川
WASSER exBHF
5.1 上長和駅
WABZgl exhKRZWae WASSER+r
第1長流古川橋梁 壮瞥川
WASSER exhKRZWae WASSERr
第2長流古川橋梁 壮瞥川
WASSER exBHF
10.3 壮瞥駅
WASSER exSKRZ-G2u
国道453号
WASSER exBHF
17.1 久保内
WABZgl exWBRÜCKE1
レルコマ川橋梁 レルコマベツ川
WASSERl exhKRZWae WASSER+r
第4長流川橋梁 長流川
exWBRÜCKE1 WABZgr
白水川橋梁 白水川
exBHF WASSER
23.1 蟠渓駅
exWBRÜCKE1 WABZgr
優園川橋梁 優園川
WASSER+l exhKRZWae WASSERr
第3長流川橋梁 長流川
WASSER exTUNNEL2
ウエンベツトンネル
WASSER exTUNNEL2
優園トンネル
WASSERl exhKRZWae WASSER+r
第2長流川橋梁 長流川
exBHF WASSER
27.5 北湯沢駅
WASSER+l exhKRZWae WASSERr
第1長流川橋梁 長流川
WASSER exSKRZ-G2u
優徳跨線橋 国道453号
WASSER exBHF
30.3 優徳駅
WASSERr exBHF
35.0 新大滝駅
exTUNNEL2
尾路園トンネル
WABZg+l exWBRÜCKE1
尾路園沢川橋梁 尾路園沢川
WASSER exHST
43.7 尾路遠仮乗降場 -1985
WABZg+l exWBRÜCKE1
第2尾路園川橋梁 オロウエンシリベツ川
WABZg+l exWBRÜCKE1
金山の川
WASSERl exWBRÜCKE1 WASSER+r
第1尾路園川橋梁 オロウエンシリベツ川
exBHF WASSER
48.4 御園駅
WASSERl exhKRZWae WABZg+r
第3尻別川橋梁 尻別川
exBHF WASSER
53.5 北鈴川駅
WASSER+l exhKRZWae WASSERr
第2尻別川橋梁 尻別川
WABZg+l exWBRÜCKE1
登延頃川橋梁 登延頃川
WASSERl exhKRZWae WASSER+r
第1尻別川橋梁 尻別川
exhKRZWae WABZgr
喜茂別川橋梁 喜茂別川
exKBSTa exSTR WASSER
上喜茂別
exDST exSTR WASSER
0.7 喜茂別 -1944
exSTRl exABZg+r WASSER
exBHF WASSER
59.2
0.0
喜茂別 1944-
exSTR WASSER
西喜茂別 -1944
exBHF WASSER
62.9 留産駅
exBHF WASSER
65.0 南京極駅
exWBRÜCKE1 WABZgr
カシップニ川橋梁 カシップニ川
exBHF WASSER
68.4 東京極駅 -1944, 1962-
exWBRÜCKE1 WABZgr
ワッカタサップ川橋梁 ワッカタサップ川
exKBHFa exSTR WASSER
7.5 脇方駅 -1970
exSTRl exABZg+r WASSER
exBHF WASSER
69.6
0.0
京極駅
exWBRÜCKE1 WABZgr
平々内川橋梁 ペーペナイ川
exTUNNEL2 WASSER
軽川トンネル
exBHF WASSER
72.6 北岡
exWBRÜCKE1 WABZgr
寒別川橋梁 寒別川
exBHF WASSER
74.9 寒別駅
exWBRÜCKE1 WABZgr
八幡沢橋梁 砂利川
exBHF WASSERl
78.4 参郷駅
exBHF
80.4 六郷駅
STRq eABZql BHFq
83.0 倶知安駅
函館本線
1976年の喜茂別駅と周囲約1kmの範囲。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

胆振線(いぶりせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線地方交通線)。北海道伊達市胆振支庁管内)の伊達紋別駅室蘭本線から分岐し、虻田郡倶知安町後志支庁管内)の倶知安駅函館本線に接続していた。国鉄再建法の制定に伴い、1984年(昭和59年)6月に第2次特定地方交通線として路線の廃止が承認され、1986年(昭和61年)11月1日[1][2]に全線廃止となった。

路線データ[編集]

  • 管轄:日本国有鉄道
  • 区間(営業キロ):
    • 伊達紋別 - 倶知安 83.0km[1][2]
    • 京極 - 脇方 7.5km[1][2]
  • 軌間:1067mm[1]
  • 駅数:21(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし(全線非電化[1]
  • 閉塞方式:タブレット閉塞式
    • 交換可能駅:5?(久保内、新大滝、御園、喜茂別、京極)?
  • 廃止時の簡易委託駅:久保内、蟠渓、北湯沢、優徳、御園、南京極、東京極、寒別

歴史[編集]

胆振線は、歴史的に軽便鉄道法を準用して建設された京極以北と、私鉄を買収した京極以南に分かれる。

倶知安 - 京極 - 脇方間は、改正鉄道敷設法制定以前に軽便鉄道法により計画された路線で、1919年大正8年)から翌年にかけて京極軽便線(きょうごくけいべんせん。1922年(大正11年)、軽便鉄道法の廃止により京極線に改称)として開通した[2]1898年明治31年)に脇方で発見された褐鉄鉱床の鉄山・倶知安鉱山からの鉱石輸送が建設目的である。

京極以南は、鉄道敷設法別表第131号に規定する予定線膽(胆)振國京極ヨリ喜茂別、壯瞥ヲ經テ紋鼈至ル鐵道」に沿い、京極線の延長の形で胆振鉄道(いぶりてつどう)が建設し、1928年(昭和3年)に喜茂別(初代)まで開業した[2]

1940年(昭和15年)には、胆振縦貫鉄道(いぶりじゅうかんてつどう)によって伊達紋別 - 徳瞬瞥(とくしゅんべつ=後の新大滝)間が開業[2]、翌年には胆振鉄道を合併[2]、そして西喜茂別(後の喜茂別(2代))まで延伸され、伊達紋別 - 京極間が全通した[2]

1944年(昭和19年)には、胆振縦貫鉄道が戦時買収され、京極線と合わせて胆振線となっている[2]。戦時買収前日の6月30日の夜、昭和新山が噴火を開始。沿線一帯が激しい隆起に見舞われたが、戦時鉄鉱石輸送という路線の使命上、列車の運行を休止させることもできず、各地から保線区員を集めて迂回鉄路を引き直し続けた。結局、昭和新山の噴火が終息を迎える頃には、元々の鉄路があった場所は山の中腹に位置するほど地形は変化したが、列車の運行を休止することはなかった[4]

枝線となった京極 - 脇方間については、鉱山の閉山により輸送量が減少し、赤字83線には含まれなかったものの、その取組みの中で1970年(昭和45年)に廃止された。残った伊達紋別 - 倶知安間についても、1980年(昭和55年)に国鉄再建法が成立すると、有珠山噴火による運休があった1977(昭和52)年度を含む1979(昭和54)年度までの3か年の輸送密度をもとに、第2次特定地方交通線に指定された。

そして、1986年(昭和61年)10月31日の旅客営業を以って全線廃止となり、道南バスバス路線に転換された。

改正鉄道敷設法には、京極から留寿都を経て壮瞥に至る鉄道(別表第132号)も規定されていたが、こちらは全くの未着手に終わった。この区間には、 国鉄バス伊達線)が京極駅 - 豊浦駅間に運行されていたが廃止されている。

倶知安 - 脇方間(京極線)[編集]

脇方の倶知安鉱山は1916年(大正5年)に三井鉱山の所有となり、さらに1918年(大正7年)4月に三井が出資する室蘭の北海道製鐵(旧・輪西製鐵所、現・日本製鉄室蘭製鉄所)へ譲渡、同年11月1日に開山した。当時推定鉱量1,000万tと言われた同鉱山への国家的な期待は大きく、当線が建設される主要動機となった[5]

京極 - 喜茂別間(胆振鉄道)[編集]

  • 1928年(昭和3年)10月21日 胆振鉄道が京極 - 喜茂別間 (11.0 km) を開業[2][10]。川上温泉停留場・留産駅・喜茂別駅(初代)を新設[1]
  • 1931年(昭和6年)6月25日 東倶知安停留場を新設[1]

伊達紋別 - 西喜茂別間(胆振縦貫鉄道)[編集]

  • 1940年(昭和15年)12月15日 胆振縦貫鉄道が伊達紋別 - 徳瞬瞥間 (35.0 km) を開業[2][11]。上長流停留場・壮瞥駅・久保内駅・蟠渓駅・優園停留場・優徳駅・徳舜瞥駅を新設[1]
  • 1941年(昭和16年)
    • 9月27日 胆振縦貫鉄道が胆振鉄道を合併[2]。東倶知安停留場を東京極駅に改称[1]
    • 10月12日 徳瞬瞥 - 西喜茂別間 (24.2 km) を延伸し[12]、全線開業[2]。西喜茂別 - 喜茂別間 (0.7 km) の旅客営業を廃止[2]。尾路遠停留場・御園駅・北鈴川駅・西喜茂別駅を新設[1]。喜茂別を一般駅から貨物駅に変更[1]
  • 1943年(昭和18年)12月頃から、昭和新山の火山活動により壮瞥村(当時)の地盤が隆起を始め、上長流 - 壮瞥間でたびたび線路が崩壊。保線と新線建設が火山活動の終了まで繰り返される[13]

胆振縦貫鉄道買収後[編集]

  • 1944年(昭和19年)7月1日 胆振縦貫鉄道の伊達紋別 - 京極間、西喜茂別 - 喜茂別間を買収・国有化し、これに京極線を編入して胆振線(伊達紋別 - 倶知安間・京極 - 脇方間)とする[2][14]。西喜茂別 - 喜茂別間 (0.7 km) を廃止し、喜茂別駅(旧西喜茂別駅)構内に併合[2]。優園駅を北湯沢駅に、川上温泉駅を南京極駅に、西喜茂別駅を喜茂別駅(2代)に改称[1]。東京極駅を廃止[1]。尾路遠を駅から仮乗降場に改める[1]
  • 1952年(昭和27年)11月15日 徳舜瞥駅を新大滝駅に改称[1]
  • 1959年(昭和34年)10月1日 上長流を上長和駅に改称[1]
  • 1960年(昭和35年)10月1日 北岡駅・参郷駅を新設[1]
  • 1962年(昭和37年)12月17日 東京極駅を新設[1]
  • 1970年(昭和45年)11月1日 京極 - 脇方間 (7.5km) を廃止[2]。これに伴い、脇方駅を廃止[1]
  • 1977年(昭和52年)
    • 8月7日 有珠山の噴火により伊達紋別 - 新大滝間の運転を見合わせ[15]
    • 8月15日 久保内 - 新大滝間の運転が再開[15]
    • 9月4日 伊達紋別 - 久保内間で1日1往復(5日から2往復、13日から3往復)運転開始[15]
    • 9月30日 完全復旧[15]
  • 1984年(昭和59年)6月22日 第2次特定地方交通線として廃止承認[16]
  • 1985年(昭和60年)尾路遠仮乗降場を廃止[1]
  • 1986年(昭和61年)11月1日 全線 (83.0 km) を廃止[2][1][17]し、道南バスのバス路線に転換[3]

運行形態[編集]

1986年3月3日改正時点[18]で、全線通しの列車のほか、「伊達紋別 - 久保内」「伊達紋別 - 新大滝」や「御園 - 倶知安」といった区間列車があった。新大滝 - 御園間は胆振支庁 - 後志支庁の境になり、人口も特に稀薄なため、この区間で運行便数が少なくなっていた。

急行「いぶり」[編集]

胆振線には、札幌発着で循環運転を行う準急急行「いぶり」が運行されていた(千歳線 - 室蘭本線 - 胆振線 - 函館本線経由、キハ22形気動車を使用)[19]

  • 1962年10月1日 臨時の準急列車として内回り便(札幌→倶知安→伊達紋別→札幌の方向)のみが設定される(単行で、土曜・日曜日のみの運行)[19]
  • 1963年10月1日 内回り便が定期化される。外回り便(札幌→伊達紋別→倶知安→札幌の方向)の運転を開始[19]
  • 1965年10月 「ちとせ」「えりも」に加え、札幌 - 伊達紋別で準急「とうや」(札幌 - 洞爺)との連結を開始。札幌 - 苫小牧は4階建て、苫小牧 - 東室蘭は3階建て、東室蘭 - 伊達紋別は2階建てとなる。
  • 1966年3月5日 急行に格上げ[19]
  • 1967年10月 倶知安 - 札幌にて連結する相手が「ニセコ」から「らいでん」に変更されるが、運転区間はそれまで通り。
  • 1972年3月 「とうや」が「ちとせ」に改称されるが、運転区間はそれまで通り。
  • 1980年10月1日 廃止[19]

廃止時の停車駅は以下の通りであった。

札幌駅 - 千歳駅 - 苫小牧駅 - 白老駅 - 登別駅 - 東室蘭駅 - 本輪西駅 - 伊達紋別駅 - 壮瞥駅 - 久保内駅 - 蟠渓駅 - 北湯沢駅 - 新大滝駅 - 御園駅 - 喜茂別駅 - 京極駅 - 倶知安駅 - 小沢駅 - 余市駅 - 小樽駅 - 札幌駅

駅一覧及び接続路線[編集]

接続路線の事業者名・駅の所在地は廃止時点のもの。全駅北海道に所在。

駅名[1] 駅間キロ 営業キロ[1] 接続路線 所在地
伊達紋別駅 - 0.0 日本国有鉄道:室蘭本線 伊達市
上長和駅 5.1 5.1  
壮瞥駅 5.2 10.3   有珠郡壮瞥町
久保内駅 6.8 17.1  
蟠渓駅 6.0 23.1  
北湯沢駅 4.4 27.5   有珠郡大滝村
(現:伊達市大滝区)
優徳駅 2.8 30.3  
新大滝駅 4.7 35.0  
御園駅 13.4 48.4   虻田郡喜茂別町
北鈴川駅 5.1 53.5  
喜茂別駅 5.7 59.2  
留産駅 3.7 62.9  
南京極駅 2.1 65.0   虻田郡京極町
東京極駅 3.4 68.4  
京極駅 1.2 69.6 日本国有鉄道:胆振線(脇方方面)
北岡駅 3.0 72.6  
寒別駅 2.3 74.9   虻田郡倶知安町
参郷駅 3.5 78.4  
六郷駅 2.0 80.4  
倶知安駅 2.6 83.0 日本国有鉄道:函館本線

支線[編集]

駅名[1] 営業キロ[1] 接続路線 所在地
京極駅 0.0 日本国有鉄道:胆振線(伊達紋別・倶知安方面) 虻田郡京極町
脇方駅 7.5  

代替バス[編集]

道南バスが鉄道代替路線を運行している[3]

後述するように旧胆振線代替区間のうち2014年10月1日のバス時刻改正で北鈴川- 御園にあたるおよそ5.1kmの区間、および2022年10月1日のバス時刻改正で、新大滝 - 喜茂別にあたるおよそ24.3kmの区間が撤退となり、現在代替バスは以下の2区間で運行されている[21][22]

  • 伊達駅前 - 壮瞥役場前 - 北湯沢温泉 - 大滝本町東団地
  • 喜茂別 - 京極バスターミナル - 倶知安駅前

道南バスが撤退した区間のうち喜茂別町内の喜茂別 - 御園間と喜茂別 - 日の出間においては、喜茂別町営バス「ウサパラ号」が運行されており[23]、完全に路線が無くなったのは、ほぼ全区間が伊達市大滝区内となる本町東団地 - 日の出間のおよそ11.5kmである[22]

鉄道廃止後に設定された代替バスは、新大滝 - 北鈴川間を除く区間で鉄道に並行していた国道276号を経由する全線通しの系統の他、複数の区間便が設定され、国道から離れた御園へは鈴川から分岐し支線の形で乗り入れる形態を取っていた。2013年4月1日時点では、全線通し3往復の他、伊達駅前 - 大滝本町東団地、共和 - 御園 - 喜茂別、御園 - 喜茂別 - 倶知安駅前、喜茂別 - 倶知安駅前といった区間便が設定されていた[24]

2014年に、それまで運行されていた「御園(御園駅) - 鈴川(北鈴川駅) - 喜茂別・倶知安駅前」のうち御園 - 鈴川間の運行補助が打ち切りとなり[25]、2014年10月1日のダイヤ改正をもって同区間は路線廃止となった[26]

2019年10月1日のバス時刻改正時点では、伊達駅前(伊達紋別駅) - 倶知安駅前を通しで運行する便が1日3往復あったほかに、「伊達駅前 - 大滝本町東団地」と「喜茂別 - 倶知安駅前」に区間便が設定されるダイヤとなっていた[27]

2021年2月、利用人数の低迷と赤字が深刻な状況にあることなどを理由に、伊達市が、伊達市のほか倶知安町、京極町、喜茂別町、壮瞥町の5市町と道南バスで構成する胆振線代替バス連絡協議会にて、全区間通しの便の運行を廃止することを提案した。そして2022年3月、喜茂別町の内村俊二町長が定例町議会にて、喜茂別町と伊達市大滝区を結ぶ区間を廃止する方向で協議会で協議することを表明した。協議会事務局によると、2020年10月から2021年9月の1年間の代替バスの輸送人員は区間便も含めて5年前より約3割減少した12万5810人で、年間約1億2千万円の赤字が発生しており、国や道の補助と沿線自治体の財源で穴埋めしている状況であった。特に、25km近くに及ぶ喜茂別町 - 伊達市大滝区については利用者が殆どいない状況となっていた[28][29]。喜茂別町 - 伊達市大滝区のうち特に乗客の少なかった本町東団地 - 日の出間においては、停留所は「三階滝入口」と「清原」の僅か2か所だけであった[22]

2022年7月20日、連絡協議会は総会で倶知安町と伊達市を結ぶ直通バスの運行を9月末で廃止し、伊達駅前 - 大滝本町東団地と喜茂別 - 倶知安駅前の2系統の区間便の運行とすることを決定した[30]。全区間運行便の廃止に伴い、伊達駅前 - 大滝本町東団地では増便やダイヤ調整を実施する[30]。協議会事務局によると、今回の決定で赤字額は半分の約6千万円に圧縮される見通しである[30]

直通バスの廃止後にバスで伊達市・壮瞥町から喜茂別町へ移動する方法としては、道南バスで洞爺湖町洞爺湖温泉まで移動し、完全予約制の道南バス札幌洞爺湖線(1日4往復)に乗り継ぐルートがある[31]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳』1号 北海道、新潮社、2008年、p.29
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 宮脇俊三編著『鉄道廃線跡を歩く』IV、JTB、1997年、p.203
  3. ^ a b c “「さよなら列車」運転 胆振線富内線 六十余年の歴史に幕”. 交通新聞 (交通協力会): p. 2. (1986年11月5日) 
  4. ^ 篠原繁雄「わが人生」『穂別高齢者の語り聞き史(昭和編)大地を踏みしめて 上』穂別高齢者の語りを聞く会、2014年、p254頁。 
  5. ^ 日鉄鉱業40年史 昭和54年11月発行 P17。
  6. ^ 「鉄道院告示第103・104号」『官報』1919年11月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 北海道鉄道百年史 上巻 日本国有鉄道北海道総局 昭和51年3月発行 P479。同年より日本製鋼所は北海道製鐵を吸収合併して製鉄部門としていた。
  8. ^ 「鉄道省告示第34・35号」『官報』1920年7月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 「鉄道省告示第109号」『官報』1922年9月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1928年10月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1941年1月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1941年10月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 全国災害伝承情報 添付資料1-1(1) 1977年有珠山噴火 (PDF) - 総務省消防庁
  14. ^ 「運輸通信省告示第307・308号」『官報』1944年6月27日(国立国会図書館デジタル化資料)
  15. ^ a b c d 全国災害伝承情報 添付資料1-1(2) 1977年有珠山噴火 (PDF) - 総務省消防庁
  16. ^ 池田光雅『鉄道総合年表1972-93』中央書院、1993年、pp.84,98
  17. ^ “31日廃止の富内、胆振線”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1986年10月31日)
  18. ^ 『交通公社の時刻表』1986年3月号、日本交通公社、p.430
  19. ^ a b c d e 今尾恵介・原武史監修『日本鉄道旅行歴史地図帳』1号 北海道、新潮社、2010年、p.37
  20. ^ 上りの「ニセコ」は目名(1965年10月からは上目名1984年4月に駅廃止))まで運行されていた。また「ニセコ」は、上目名・目名・蘭越 - 倶知安および岩内線内は普通列車(「らいでん」も同様)となっていた。
  21. ^ 道南バス時刻表 洞爺伊達倶知安管内 令和4年10月1日改正” (PDF). 道南バス. 2022年10月1日閲覧。
  22. ^ a b c 「代替バス」と言われ続けて36年!! ある路線バスの終焉 〜道南バス胆振線〜”. 講談社ビーシー (2022年10月7日). 2022年10月7日閲覧。
  23. ^ 町営バス『ウサパラ号』の運行について”. 喜茂別町. 2022年10月2日閲覧。
  24. ^ 道南バス時刻表 洞爺伊達倶知安管内 平成25年4月1日改正”. 2013年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月2日閲覧。
  25. ^ 議会だより 平成二十五年第一回定例会”. 喜茂別町議会. 2015年5月20日閲覧。(12ページを参照)
  26. ^ 平成26年10月1日(水)【胆振線】ダイヤ改正のお知らせ”. 道南バス. 2014年9月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月18日閲覧。
  27. ^ バス時刻表(洞爺・伊達・倶知安管内;2019年10月1日改正) (PDF) - 道南バスWebサイトより。2019年11月8日閲覧
  28. ^ 旧胆振線代替バス・喜茂別―大滝間の廃止検討 利用低迷で喜茂別町長表明”. 北海道新聞 (2022年3月10日). 2022年3月10日閲覧。(会員限定記事)
  29. ^ “2度目の廃止”の先は? 「廃止代替バス」の廃止相次ぐ 元鉄道やバス会社が手放した路線”. 乗り物ニュース (2022年9月29日). 2022年10月1日閲覧。
  30. ^ a b c 旧国鉄胆振線の代替バス、大滝―喜茂別9月末廃止 連絡協が決定”. 北海道新聞 (2022年7月21日). 2022年7月22日閲覧。(会員限定記事)
  31. ^ 北海道、リゾート化と縁遠い「旧胆振線」の疎外感”. 東洋経済オンライン (2023年5月4日). 2023年11月10日閲覧。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 「注解 鉄道六法」平成20年版 国土交通省鉄道局監修 第一法規出版 2008年10月発行
    • 旧法 鉄道敷設法
  • 「旅」1999年11月号 特集:鉄道新時代 21世紀への序曲(JTB1999-11 No.874)
    • 別冊付録:改正「鉄道敷設法」別表を読む 三宅俊彦

外部リンク[編集]