グレッグ・ジェフリア

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グレッグ・ジェフリア
Gregg Giuffria
出生名 Gregg Russell Giuffria
生誕 (1951-07-28) 1951年7月28日(72歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ミシシッピ州ガルフポート
ジャンル ハードロックヘヴィメタルプログレッシブ・ロックAOR
職業 ミュージシャン
担当楽器 キーボード、シンセサイザー、ピアノ、ショルダーキーボード、オルガン、ボーカル
活動期間 1970年代 -
共同作業者 エンジェルジェフリアハウス・オブ・ローズ

グレッグ・ジェフリアGregg Giuffria1951年7月28日 - )は、アメリカロック・ミュージシャン、実業家。AORバンド、エンジェル[1]ジェフリアハウス・オブ・ローズのキーボード奏者を務めた。

略歴[編集]

ジェフリアはミシシッピ州ガルフポート出身で、1969年に高校を卒業した。才能あるキーボード奏者で、テルスターズやフラワー・パワー(テューン・ケル・レーベルから数枚のシングルをリリース)を含むいくつかの地元バンドで演奏した後、アメリカ合衆国東海岸へと移った。そこで1974年末にエンジェルを結成。1981年にバンドが解散した後、ジェフリアはボーカリストのデイヴィッド・グレン・アイズレー、ギタリストのクレイグ・ゴールディ、ベーシストのチャック・ライト、ドラマーのアラン・クリガーとともに自身のバンドであるジェフリア[1]を結成し、最初の同名アルバム(邦題『美伝説』)と、Billboard Hot 100でトップ20入りを果たした最初のシングル「コール・トゥ・ザ・ハート」により、ある程度の成功を収めた。バンドは1986年の次のアルバム『シルク&スティール』の商業的失敗を受けて解散した。

その後、ジェフリアはキッスジーン・シモンズの協力を得てハウス・オブ・ローズを組織し、シモンズのレーベルと契約した。最初のアルバム『神々の舘』は 1988年にリリースされ、シングル「I Wanna Be Loved」でそこそこの商業的成功を収めた。しかし、バンドがツアーに乗り気ではなかったため、この成功は長続きしなかった。

グレッグは、カジノ・データ・システムズの事業開発担当副社長も務めた。リー・アイアコッカ(元クライスラーCEO)とアラン・ポールソン(ガルフストリーム・エアロスペース会長)は、フルハウス・リゾートを設立し、1996年から2000年までグレッグ・ジェフリアを社長兼COOに任命した。パートナーのロイ・アンダーソン三世とデヴィッド・ロスとともに、ビロクシ・ハード・ロック・ホテル・アンド・カジノの創設オーナーも務めている。グレッグは現在、ラスベガスに在住している。

ディスコグラフィ[編集]

エンジェル[編集]

  • 『エンジェル (天使の美学)』 - Angel (1975年)
  • 『ヘルヴァ・バンド (華麗なる貴公子)』 - Helluva Band (1976年)
  • 『オン・アース・アズ・イット・イズ・イン・ヘヴン (舞踏への誘い)』 - On Earth as It Is in Heaven (1977年)
  • 『ホワイト・ホット (天使の反逆)』 - White Hot (1978年)
  • 『シンフル (甦った天使たち)』 - Sinful (1979年)
  • 『ライヴ・ウィズアウト・ア・ネット』 - Live Without a Net (1980年)

ジェフリア[編集]

  • 『美伝説』 - Giuffria (1984年)
  • 『シルク&スティール』 - Silk + Steel (1986年)

ハウス・オブ・ローズ[編集]

  • 『神々の舘』 - House of Lords (1988年)
  • 『サハラ』 - Sahara (1990年)
  • 『ディーモンズ・ダウン』 - Demons Down (1992年)
  • 『ワールド・アップサイド・ダウン』 - World Upside Down (2006年)

脚注[編集]

  1. ^ a b Stone, Doug. “Biography: Gregg Giuffria”. Allmusic. 2010年6月11日閲覧。

外部リンク[編集]