鷹司標子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。113.32.251.154 (会話) による 2014年8月14日 (木) 11:31個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎生涯)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

鷹司 標子(たかつかさ しなこ、文政3年1月16日1820年2月29日) - 安政5年11月27日1858年12月31日))は、阿波徳島藩13代藩主・蜂須賀斉裕の正室。院号は祥雲院。

父は関白鷹司政通、母は水戸藩主・徳川治紀の娘・鄰姫。徳島藩12代藩主蜂須賀斉昌の継室・鷹司并子は叔母にあたる。

生涯

関白鷹司政通と正室・鄰姫との間に生まれる。

その後、蜂須賀斉裕に嫁ぎ、弘化3年(1846年)、斉裕との間に氏太郎(蜂須賀茂韶、徳島藩第14代藩主)、後に賀代姫越前福井藩15代藩主・松平茂昭正室)を出産。また蜂須賀隆芳の娘である倫子(権大納言鷹司輔政正室)を養女とした[1]

安政5年11月27日1858年12月31日)、死去。

脚注