鷹司兼基

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鷹司 兼基(たかつかさ かねもと、文治元年(1185年) - 没年不詳)は、鎌倉時代前期の公卿摂政近衛基通の四男。母は寂舜法印の娘。「室町」とも号したため、この系統の鷹司家は室町家とも称する。

建久8年(1197年)に元服して、従五位上侍従に任ぜられ、翌年には正五位下に進む。関白であった父のもとで急速な出世を遂げ、正治元年(1199年)に従四位下右近衛中将になると、翌2年には3度の叙階で10月26日には従三位に達した。建仁2年(1202年)には正三位を経て従二位に叙され、元久元年(1204年)には20歳の若さで権中納言に任ぜられ、続いて翌年には正二位中納言に任ぜられた。建永元年(1206年)に権大納言建保3年(1215年)に大納言に任命され、建保6年(1218年)に大納言を辞任する。寛喜元年(1229年)には子の静基実相院を創建した。建長3年(1251年)に出家して顕恵と名乗るが、没年は不詳である。