鯉江良二

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鯉江 良二(こいえ りょうじ、1938年7月27日[1] - 2020年8月6日)は、日本陶芸家現代美術家愛知県常滑市出身。

概要[編集]

14歳のときにアルバイトにより右手指二本の第一関節を失う。「制作に支障はないが、就職では心を傷つけられた。このハンディを背負ったことが、ぼくの今の底力になっている。」[2]と鯉江自身が語る。タイル工場に5年間勤めた後、常滑市立陶芸研究所に入所するが、1966年に退所し独立開窯する。伝統陶芸、前衛陶芸という言葉にこだわらない作風が特徴である。「土に還る」シリーズは、衛生陶器を粉砕したシェルベンという粒状の材料を自らの顔でとった型で押し固め釉薬をかけずに焼成している。反核を題材とした「チェルノブイリシリーズ」等の代表作を持つ。

略歴[編集]

  • 1993年〜1994年 「日本を代表するスリーアーチスト展」アメリカ、日本各地を巡回。
  • 1994年(平成6年) 岐阜県恵那郡上矢作町へ工房を移転。スクリップス大学にて講演、ワークショップ開催。講談社より「鯉江良二 作品集」刊行。
  • 1996年(平成8年) 岐阜県美術館「鯉江良二展」開催。韓国釜山・KBSギャラリー「韓・日陶芸交流展 李基柱+鯉江良二 二人展」出品。
  • 1997年(平成9年) 韓国「ソウルセラミックアートビエンナーレ1997」に出品。
  • 1998年(平成10年) イギリスに於いて個展開催。オーストラリア「第6回メルボルンアートフェア」に出品。
  • 2000年(平成12年) アメリカシアトル、ブライアン・オーノ・ギャラリーに於いて個展開催。
  • 2002年(平成14年) 常滑市奥条天竺に、全長20メートル級の薪窯を築窯。
  • 2004年(平成16年) 「第8回メルボルンアートフェア」出品。
  • 2020年(令和2年)8月6日、咽頭癌のため死去[7]

日本における招待出品履歴[編集]

海外における招待出品履歴[編集]

公募展等における入選及び受賞歴[編集]

美術館所蔵作品[編集]

  • 東京国立近代美術館 「のべ皿」
  • 京都国立近代美術館 「土に還る」
  • 山口県立美術館 「証言」
  • 出光美術館 「風土の器」
  • アルゼンチン近代美術館 「土に還る」

脚注[編集]

  1. ^ 『現代物故者事典2018~2020』(日外アソシエーツ、2021年)p.213
  2. ^ 井上隆生著『現代陶芸家列伝』97頁、風媒社、2006年1月より引用
  3. ^ 1990年(平成2年)開催「鯉江良二陶展」名鉄百貨店美術部発行、カタログ略歴より
  4. ^ オリベプロジェクトより。
  5. ^ 穴窯や登り窯の表現を嫌い薪窯という表現にするという鯉江良二自身の言葉を尊重しこのページでは「薪窯」と表記します。「材料と表現 やきもの…土と火の造形」美術出版社参照。
  6. ^ このときに作成した全作品を大学に寄贈し、この基金で毎年二人を陶芸や彫刻の勉強のため留学させている(井上隆生著『現代陶芸家列伝』風媒社、2006年1月)。
  7. ^ “鯉江良二さん82歳で死去 前衛陶芸、中日文化賞”. 中日新聞. (2020年8月8日). https://www.chunichi.co.jp/article/101916 2020年8月9日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 『鯉江良二陶展』名鉄百貨店美術部、1990年
  • 『日本の陶芸 今 100選展』日本放送協会、1992年
  • 美術手帖増刊号編集部編『材料と表現 やきもの…土と火の造形』美術出版社、1982年8月
  • 北辰堂編集部編『現代陶工事典』北辰堂、1998年1月
  • 井上隆生著『現代陶芸家列伝』風媒社、2006年1月

外部サイト[編集]