鬼束ちひろ

半保護されたページ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Yacco ishi (会話 | 投稿記録) による 2016年1月21日 (木) 07:06個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎映像作品)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

鬼束ちひろ
出生名 鬼束ちひろ
別名 鬼、鬼束、ちーちゃん
生誕 (1980-10-30) 1980年10月30日(43歳)
出身地 日本の旗 宮崎県日南市南郷町(旧南那珂郡南郷町
学歴 宮崎県立日南高等学校
ジャンル J-POP
ロック
職業 シンガーソングライター
活動期間 2000年 - 2004年2007年 -
レーベル 東芝EMIVirgin TOKYO(2000年 - 2004年)
UNIVERSAL SIGMA(2004年 - 2010年
A&M RECORDS(2004年 - 2010年)
FOR LIFE MUSIC ENTERTAINMENT2011年 - 2013年
NAPOLEON RECORDS(2013年 - )
事務所 MELODY STAR RECORDS(2000年 - 2004年)
Sony Music Artists(2004年 - 2005年
NAPOLEON RECORDS(2007年 - )
烏龍舎(2007年 - 2009年
共同作業者 羽毛田丈史(2000年 - 2004年)
小林武史(2007年)
坂本昌之2008年 - )
BILLYS SANDWITCHES(2013年 - )
公式サイト 鬼束ちひろ official homepage
ジュエル

鬼束ちひろ(おにつか ちひろ、1980年10月30日 - )は、日本女性シンガーソングライター。本名同じ。宮崎県日南市南郷町(旧南那珂郡南郷町)出身[1][2]宮崎県立日南高等学校[3]。所属事務所レコードレーベルは、NAPOLEON RECORDS。2013年からは鬼束ちひろ & BILLYS SANDWITCHESのボーカルとしても活動。

概要

人物

家族構成は、父(地元の地区をまとめていたという存在の元漁師[4])・母・弟(2歳下[5])・妹(9歳下。高校1年生で日本舞踊名取東京芸術大学卒業[5])の5人家族であり、自身は長女である[6]。小学生の頃より部活で陸上を始める。中学時代は陸上部のキャプテンを務め、短距離400mリレー走選手として九州大会にも出場歴がある[7]

『ちひろ』という名前は、さだまさしの曲『歳時記(ダイアリィ)』(アルバム『夢供養』収録)の歌詞の中に登場する名前に由来する。なお名前のもう一つの候補には、「愛」もあったという。 生活パターンは、昼夜逆転の生活を送っており[8]、楽曲制作は専ら夜中(2〜3時頃)に行っているという。

サインは、以前はドクロのイラストマークの下に「CHIHIRO」という文字をもってサインとしていた[注 1]。現在は筆記体で「Chihiro」(Cの部分が鬼をイメージしたイラストマークとなっている)と書かれたものをサインとしている[注 2]

趣味・嗜好

音楽性

楽曲制作の手法として大まかに、曲を先に制作してからそこへ詞を付ける作曲先行(いわゆる曲先)と、詞を先に書いてから曲を乗せる作詞先行(いわゆる詞先)の2通りがあるが、鬼束の場合は必ず詞先で曲作りを行う。これは鬼束が楽曲において歌詞を最重要視しているためであり、もし歌詞と曲がマッチしていない時でも、「詞の世界を壊したくない」「直感を大事にしたい」との理由で歌詞を変更することはいっさいなく、曲のほうを無理やり詞に合わせたり、曲のフレーズに詰め込む等の手法を用いる[21]。曲作りは大抵夜中自宅の部屋の中で行い、思いついた歌詞を書き上げ(本人は「(歌詞が)降りてくる」と表現・説明することもあるが、神がかり的に受け取られることを嫌ってその表現を避けることもあった)、それに曲をつけるという方式が主である。常にその場で曲を作り上げるというが、例外として「everyhome」は曲を作り上げるまでに3日間を要したという[22]

楽曲については、元プロデューサーの羽毛田丈史が重視する、ピアノを基盤としたアンプラグドアコースティックな生音での楽曲が主体で、ストリングスが用いられる楽曲も多い。鬼束の圧倒的な個性が出発点で、それゆえに、ピアノと鬼束のボーカルだけのパフォーマンスが究極の帰着点であると羽毛田は捉えていたようである。鬼束自身もアコースティックやカントリーな楽曲を好み、作曲もキーボードにて行っていることから、このスタイルを理想と考えていると思われる。羽毛田から音楽プロデューサーが変わった後も、ピアノを基盤とした楽曲制作は踏襲されているが、ギターサウンドやカントリーロックといったような、様々な編曲が試みられている。

作品制作においては、鬼束自身は、デモ音源を音楽プロデューサーに渡した後は一切楽曲の制作工程(アレンジやアルバム収録曲の選定や曲順決め等)には関与しない方針を貫いている。

作詞を始めたのは小学4年生の時の夏休みの自由課題がきっかけ現在の作詞スタイルを確立させたのは中学2年生の時、アラニス・モリセットの世界観に影響されてからで[23]、その時の詞は上京する際にそれまでの詞はすべて焼却処分したという[8]。歌詞の書き方は「everyhome」の制作を皮切りに変化が生じている。活動休止前の制作スタイルとしては感情をぶちまけるように歌詞を書くというのが主であったが、活動再開後は「自分が他の歌手だったらこういう書き方をする」というように自分を客観的に見て歌詞を書いたり、映画の映像から見た印象をモチーフとして歌詞を書く(「everyhome」は『フォレスト・ガンプ』、「Sweet Rosemary」は『ギルバート・グレイプ』、「bad trip」は『スパン』等)ようにもなってきている[24][25][26]

裸足でのステージが印象深い故に、裸足の歌姫と形容されている[27]。裸足で歌い始めるようになったのはシングル「月光」発売頃で、2000年7月26日に出演した『ASAHI SUPER DRY MUSIC SPIRAL 2000』の時点では既に裸足で歌い始めている。

好きなアーティストとして公言しているのは、ジュエル[8][注 3]、アラニス・モリセット[8][注 4]シェリル・クロウアマンダ・マーシャル[注 5]メリッサ・エスリッジ[注 6]ジョニ・ミッチェルポーラ・コールキャロル・キング[注 7]サイモン&ガーファンクルトーリ・エイモスWink[6]岡村靖幸[28]THE BACK HORN[29] など。

楽曲と世の中の動き

シングル「infection/LITTLE BEAT RIFLE」の発売から4日後にアメリカ同時多発テロ事件が発生し、「infection」の歌詞がそれを連想させるような内容であったため、プロモーションが自粛された。本人は、「楽曲と世相とがリンクすることは以前からあったのでショックでもないし驚かなかった」と語っている[2]

所属レコード会社・事務所の変遷と活動休止

前所属レコード会社と事務所を離れた理由について本人は当初はコメントを出さなかったが、2007年(平成19年)にアルバム『LAS VEGAS』をリリースするにあたり複数の雑誌のインタビューでその心境を語っている。

移籍の発端となったのは2003年(平成15年)に声帯結節を発症してからの活動の流れに違和感を覚えたことで、このことについて「「いい日旅立ち・西へ」のあたりから周囲と波長が合わなくなってきた」「楽曲自体には問題はなかったが、周囲を信用できなくなってきて無理が生じた」[26]との発言から事務所との作品発売に対する確執があったことも示唆している。一部メディアでは、決別が決定打となったのは『シングルBOX』の発売が関係していると言われていた[30] が、これについては後に本人いわく「契約上の問題」「単に関与しなかっただけ」としている[2]

また、「育つ雑草」を発売後休養し、Sony Music Artistsを中途で契約終了した件については「自分のペースでの創作と、アーティスト活動、世の中のペースが一致しない」[31] としており、「何か問題やトラブルがあった訳ではない」「もっともっと休む時間が必要だった」と語っている[2]

2005年に玉井夕海と出会い、翌2006年(平成18年)の映画『もんしぇん』に関わるまで表舞台に姿を現すことはなかったが、その間にも友人である歌手のMEGのブログに名前が挙がったり週刊誌の記事に関係者のコメントが掲載されるなど、間接的に近況が報じられることはあった。

関連のある人物

自身が友人であると公言している人物として中島美嘉我那覇美奈元ちとせ篠原ともえ妻夫木聡が挙げられる。中島については、アルバム『Sugar High』リリースを記念して開設された期間限定ウェブサイト『oni.tv』等においても本人から度々話題に挙げるほど親交があった。逆に鬼束を友人と公言している人物として玉井夕海[32]MEG[33][34]鈴木杏[35] などが挙げられる。

楽曲や作品、世界観を評価する著名人も多く存在する。鬼束に影響を受けたと公言している歌手として、MisaChi牧伊織関山藍果熊谷育美[36]吉岡亜衣加[37] 等が挙げられる。MisaChiは、鬼束とは日南高等学校時代の同級生であり、かつて久嶋美さち名義で活動していた際に特に影響を受けた楽曲として「infection」を挙げている[38]。歌手以外にも漫画家徳弘正也もファンであることを公言しており、鬼束が音楽活動を休止中には活動の再開を望むコメントを出している[39]。また、「いい日旅立ち・西へ」のカバーに際しては山口百恵が絶賛し[40]、「」に関しては映画監督神山征二郎[41]徳光和夫[41]石坂浩二[41]渡辺大[42]らが高く評価した。その一方、音楽家菊地成孔は自身のコラムにおいて、世界観や歌唱法を宗教性と絡めて酷評した上で「育つ雑草」の歌詞に関して「完全迷走状態で面白い」と述べたこともある[43]

鬼束ちひろがモチーフとなった作品および登場人物

2002年(平成14年)から2006年(平成18年)まで『まんがタイムきらら』(芳文社刊)において発表された藤島じゅん作の4コマ漫画てんしの末裔』では、主人公の友人として鬼束の名前をパロディ化したとされる「鬼塚ちひろ」(おにづかちひろ)というキャラクターが登場する。

また2006年に発表された映画『もんしぇん』は、鬼束ちひろの存在と楽曲がモチーフとなって制作され、劇中にも鬼束をモチーフにしたとされる「ちい」という人物が登場する。

経歴

デビューまで

幼少の頃から、音楽好きの両親の影響で(特に母親の影響が強い)洋楽に触れる。小学2年生の時に友達に誘われてエレクトーンを習い始め、中学3年生の時まで習い続ける。

中学時代に母親にカーペンターズベストアルバムを聴くよう勧められてから音楽に興味を持つ。以降は外国人女性シンガーソングライターの楽曲を中心に洋楽を主に聴くようになる。

高校2年生の時にジュエルのアルバム『心のかけら』によってその音楽と存在に衝撃を受け[6][8](後に自身はライブやテレビでジュエルの楽曲「Foolish Games」「You Were Meant For Me」をカバーしている)、その瞬間からシンガーソングライターを志す。17歳の時に、文化祭でエイズに関する劇の主役をやった事に感化され、初めての楽曲「call」を作る[8]。以降デビュー決定後までは全て英語詞で楽曲を作る(当時作った「call」や「edge」などの曲は日本語詞で、「NOT YOUR GOD」は英語詞のままで、それぞれデビュー後にCDに収録される)。

高校3年生の秋、MELODY STAR RECORDS東芝EMIVirgin TOKYOとの共同運営によるレーベル)主催のオーディションを受ける。そこで「call」を披露、才能を評価され、グランプリを受賞[44]、ボーカルテストで才能を認められた[45]。学校の閉塞感や同調を強制させるシステムにもともと嫌悪感を抱いていた事や、歌手志望のために大学受験をする気がなかった事等から、高校3年生の頃は学校へはほとんど行かなかったという[8]

1999年

  • 3月 高校卒業と同時に上京[45]し、作曲活動に入る(「We can go」、「シャイン」、「月光」、「シャドウ」などはその当時に作られた)。
  • 10月 シングル「シャイン」のレコーディングに入る[46]

2000年

2001年

  • 2月16日 テレビ朝日系『ミュージックステーション』出演の際、ハムスターをベランダで凍死させてしまったというエピソードを語ったところ、ネット上を中心にトークの内容と言動に非難が殺到。放送翌週の2月23日に当時の所属事務所であるMELODY STAR RECORDSよりトークに関する声明文が発表される事態にまで発展する。
  • 3月7日 初のアルバム『インソムニア』発売。約150万枚のセールスとなるミリオンセラーを記録する。同日、ニッポン放送鬼束ちひろのオールナイトニッポンR』で初の単独パーソナリティーを務める。
  • 4月10日 初のライブツアー『CHIHIRO ONITSUKA LIVE TOUR 2001』をBIG CATの公演で開始。後にWOWOWでライブの模様が放送される他、一部はDVD『CRADLE ON MY NOISE L*I*V*E 〜LIVE INSOMNIA VIDEO EDITION〜』にも収録される。
  • 9月11日 アメリカ同時多発テロ事件が発生。4日前の9月7日に5枚目のシングル「infection/LITTLE BEAT RIFLE」が発売されたばかりであったが、「infection」の歌詞の内容に事件を予見していたかのようなフレーズがあるということから、事件から2日後の9月13日に東芝EMIより楽曲のプロモーションを自粛するという声明文が発表される。プロモーション活動は約1か月半自粛され、プロモーションビデオも放送されず、代わりに両A面となっていた「LITTLE BEAT RIFLE」で同作品のプロモーション活動を行うこととなる。
  • 9月21日 NHKトップランナー』に出演。番組内で初めてジュエルの楽曲「Foolish Game」をピアノ弾き語りでカバー。
  • 12月 台湾の歌手である劉虹のアルバム『好好愛我』収録曲の「月光」を書き下ろしで提供する(自身の代表曲である「月光」とは無関係)。他アーティストへの楽曲提供は初。
  • 12月31日 4枚目のシングルとして発表した「眩暈」で、第43回日本レコード大賞作詩賞を受賞する。

2002年

2003年

2004年

2005年

  • 1月31日 Sony Music Artistsとのマネジメント契約をわずか9か月で終了。事実上の活動休止となる。
  • 7月26日 本人が住むマンションに花束を持ち30分近くインターホンを鳴らし続ける男が現れ、警視庁渋谷署に住居侵入罪ストーカー規制法違反)容疑で逮捕される事件が発生する。

2006年

  • 9月10日 映画『もんしぇん』の公開中、上映館(上野・国立博物館内映画館『一角座』)において、玉井夕海のユニット・Psalmとともにゲストライブに出演し、2004年の『SWEET LOVE SHOWER 2004』以来久々に公の場に姿を現す。映画について「音楽も映像も美しい。そんな美意識の高い映画は滅多にないと思います」というコメントを寄せる。
  • 9月26日週刊女性自身』に関係者によるコメントが掲載される。

2007年

  • 2月20日ROCKIN'ON JAPAN』2007年3月号(ロッキング・オン社)誌上において、「鬼束ちひろ、シーンに帰ってくる」という見出しの記事が掲載される。翌日の2月21日にはスポーツ報知紙上でも復帰の内容が報道される。
  • 3月17日 小林武史主催のap bankのイベント『AP BANG! 東京環境会議 vol.1』にてライブを行う。ピアノとチェロの構成で「月光」と「MAGICAL WORLD」「everyhome」を歌唱する。3月18日付の日刊スポーツ紙上でその旨が報道された他、ファンに対し「待っていてくれたファンの方にはありがとう。これからもいい曲を作って歌い続けていきます」とのコメントが掲載される。
  • 4月1日 個人事務所であるNAPOLEON RECORDSを設立。
  • 5月12日 新オフィシャルサイトを開設。
  • 5月16日 音楽関係者を対象に『Welcome to everyhome -鬼束ちひろ プレゼンテーション試聴会-』を開催し、「everyhome」を披露する。
  • 5月30日 復帰作となる12枚目のシングル「everyhome」を発売。
  • 6月1日 テレビ朝日系『ミュージックステーション』に出演し、およそ4年振りにテレビ番組に登場する。フジテレビ系『僕らの音楽』でも特集が組まれ、小林武史との対談とスタジオライブが放送される。
  • 10月31日 3枚目のオリジナルアルバム『Sugar High』から実に4年10か月振りの発表となる、4枚目のオリジナルアルバム『LAS VEGAS』を発売。
  • 11月5日 ニッポン放送『鬼束ちひろのオールナイトニッポン』が放送される。オールナイトニッポン枠でパーソナリティを務めるのは2002年3月の『鬼束ちひろのオールナイトニッポンR』以来。

2008年

  • 4月26日 単独公演としては2003年の『UNPLUGGED SHOW '03』以来4年8か月振りに、渋谷Bunkamuraオーチャードホールにて、1夜限りのプレミアムコンサート『CHIHIRO ONITSUKA CONCERT NINE DIRTS AND SNOW WHITE FLICKERS』を行い、新曲「SUNNY ROSE」や「蛍」等を披露する。
  • 8月6日 坂本昌之プロデュースの下、映画『ラストゲーム 最後の早慶戦』の主題歌に起用された14枚目のシングル「」と、ライブDVD『NINE DIRTS AND SNOW WHITE FLICKERS』を同時発売。
  • 9月26日 2002年の『CHIHIRO ONITSUKA 'LIVE VIBE' 2002』以来約6年振りの全国ツアーとして予定されていた『CHIHIRO ONITSUKA CONCERT TOUR 2008 "VEGAS CODE"』の全5公演が、極度の疲労による体調不良のため中止になったことが所属事務所より発表される。これにより年内の活動を休止する。

2009年

2010年

2011年

  • 2月28日 所属レコード会社をフォーライフミュージックエンタテイメントに移籍したことを公式サイトで発表。
  • 4月6日 18thシングル「青い鳥」を発売。
  • 4月20日 6thアルバム「剣と楓」を発売。同時に、自身初の著書である自伝『月の破片』を発売。
  • 5月9日~6月4日 渋谷・SUNDALAND CAFEにて初の個展「CHIHIRO ONITSUKA『BUNNY AND THE PYTHON』」を開催。
  • 7月24日 JOIN ALIVE 2011に出演。
  • 9月21日 ニコニコ生放送レギュラー番組「鬼束ちひろの『包丁の上でUTATANETS』」がスタート。
  • 10月1日~15日 前回と同じく渋谷・SUNDALAND CAFEにて第2回個展「CHIHIRO ONITSUKA『WHOLE MONSTER PUNKS』」を開催。
  • 11月30日 『CHIHIRO ONITSUKA 'LIVE VIBE' 2002』以来約10年振りとなる全国ツアー「鬼束ちひろ CONCERT TOUR 2011『HOTEL MURDERESS OF ARIZONA ACOUSTIC SHOW』」が愛知県芸術劇場 大ホールの公演から開始。(全3公演)

2012年

  • 鬼束が「発信」するファッションブランド「SCORPIO FACTORY」を立ち上げる。なお、この第1弾商品のTシャツ「KISS OF DEVIL」が、2011年11月-12月に行われた『HOTEL MURDERESS OF ARIZONA ACOUSTIC SHOW』で先行発売された。Tシャツ「KISS OF DEVIL」は、「CHIHIRO ONITSUKA ONLINE STORE」でも、2011年12月22日から販売開始。
  • 3月14日 『HOTEL MURDERESS OF ARIZONA ACOUSTIC SHOW』の東京国際フォーラム公演の様子を収録したDVD『HOTEL MURDERESS OF ARIZONA MY GUN』を発売[50]
  • 5月30日 自身初の洋楽カバーアルバム『FAMOUS MICROPHONE』を発売。
  • 6月22日 Twitterを始める。「あ~和田アキコ殺してえ。」「なんとか紳助も殺してえ。」との内容がツイートされ、一時ネットは騒然となった。ツイートは即削除され[51]、翌日、公式サイトで謝罪文が掲載された[52]

2013年

2014年

  • 1月11日 映画『トリック劇場版 ラストステージ』の主題歌に再び「月光」が抜擢され劇場公開された。
  • 1月13日 - 4月5日 鬼束ちひろ & BILLYS SANDWITCHESとして初の全国ツアー「Heart Beat Tour 2014」を開催予定。
  • 5月28日 配信限定シングルとして「祈りが言葉に変わる頃」をリリース。6月28日から公開される映画呪怨 – 終わりの始まり-』の主題歌として書き下ろされた楽曲である。

作品

詳細は各作品の項を参照のこと。発売日の記載はオリジナル盤に準ずる。

シングル

発売日 タイトル
1st 2000年2月9日 シャイン
2nd 2000年8月9日 月光
3rd 2000年11月8日 Cage
4th 2001年2月9日 眩暈/edge
5th 2001年9月7日 infection/LITTLE BEAT RIFLE
6th 2002年2月6日 流星群
7th 2003年5月21日 Sign
8th 2003年8月20日 Beautiful Fighter
9th 2003年10月29日 いい日旅立ち・西へ
10th 2003年11月27日 私とワルツを
2004年3月17日 シングルBOX
11th 2004年10月27日 育つ雑草
12th 2007年5月30日 everyhome
13th 2007年9月19日 僕等 バラ色の日々
14th 2008年8月6日
15th 2009年5月20日 X/ラストメロディー
16th 2009年7月22日 帰り路をなくして
17th 2009年9月2日 陽炎
18th 2011年4月6日 青い鳥
19th 2013年3月11日[53]
3月16日[53]
3月26日[53]
3月27日(配信リリース)
5月7日(一般発売)
悪戯道化師[注 9]
20th 2013年12月18日 This Silence Is Mine/あなたとSciencE

配信限定シングル

配信日 タイトル 規格
2014年5月28日 祈りが言葉に変わる頃 デジタル・ダウンロード

オリジナルアルバム

発売日 タイトル
1st 2001年3月7日 インソムニア
2nd 2002年3月6日 This Armor
3rd 2002年12月11日 Sugar High
4th 2007年10月31日 LAS VEGAS
5th 2009年10月28日 DOROTHY
6th 2011年4月20日 剣と楓

ベストアルバム

発売日 タイトル
1st 2004年12月1日 the ultimate collection
2nd 2005年9月7日 SINGLES 2000-2003
3rd 2010年4月28日 "ONE OF PILLARS" 〜BEST OF CHIHIRO ONITSUKA 2000-2010〜
4th 2013年12月18日 GOOD BYE TRAIN 〜ALL TIME BEST 2000-2013

カバーアルバム

発売日 タイトル
1st 2012年5月30日 FAMOUS MICROPHONE

映像作品

  発売日 タイトル 規格
PV 2000年8月9日 月光+1 SINGLE CLIPS LIMITED EDITION VHS
PV 2001年4月11日 ME AND MY DEVIL DVD・VHS
ライブ 2001年11月7日 CRADLE ON MY NOISE L*I*V*E 〜LIVE INSOMNIA VIDEO EDITION〜 DVD・VHS
PV 2002年12月11日 PRINCESS BELIEVER DVD・VHS
ライブ 2003年5月21日 ULTIMATE CRASH '02 LIVE AT BUDOKAN DVD
PV 2004年12月1日 the complete clips DVD
ライブ 2008年8月6日 NINE DIRTS AND SNOW WHITE FLICKERS DVD
PV 2010年6月30日 HARD RED FANTASIA DVD
ライブ 2012年3月14日 HOTEL MURDERESS OF ARIZONA MY GUN DVD

参加作品

発売日 楽曲名 収録先 補足
2016年2月24日 Fighter V.A.『MIKA NAKASHIMA TRIBUTE 中島美嘉トリビュートアルバム[54]

書籍

楽曲提供

関連作品

ライブ

主要な出演のみの記載とし、テレビ番組のライブは割愛する。

ワンマンライブ

参加ライブ

メディア出演

テレビ番組

主に特集が組まれた番組を記載する。

  • チノパン(フジテレビ、2000年11月7日)
  • トップランナー(NHK、2001年9月21日)
  • ARTIST DOCUMENT 神が舞い降りる瞬間 〜鬼束ちひろ・22歳の素顔〜(NHK総合、2003年1月3日)
  • 無添加(テレビ朝日、2003年1月9日・1月16日)
  • 鬼束ちひろ SPECIAL LIVE Presented by VISA International(テレビ朝日、2003年3月29日)
  • The Symphony Hall Sound Renaissance Vol.1 鬼束ちひろ(朝日放送、2003年8月29日)
  • 僕らの音楽(フジテレビ、2007年6月1日)

ラジオ番組

インターネット

  • 鬼束ちひろの包丁の上でUTATANETS(2011年9月21日-、ニコニコ生放送)[56]

連載

  • 涙の旧山手通り(『ROCKIN'ON JAPAN』、2007年9月 - 2008年9月)
  • セクシー・アルマジロの気まぐれ哲学(『ROCKIN'ON JAPAN』、2009年5月)

その他イベント

脚注

注釈

  1. ^ アルバム『インソムニア』の裏ジャケットに記載されている他、アーティストグッズ等の印刷でも確認できる。ドクロマークは普通のドクロの他、DVD『ME AND MY DEVIL』リリースの際にはドクロに角が2本としっぽが生えた「デビルドクロ」、「Beautiful Fighter」リリースの際にはドクロに毛が1本生えた「波平ドクロ」が存在していた。
  2. ^ シングル「僕等 バラ色の日々」リリース記念キャンペーンでは、シングル購入者を対象にアンケートに回答してサインの待ち受け画像のダウンロードができた。
  3. ^ NHK『トップランナー』出演時スタジオライブで「Foolish Game」を、『CHIHIRO ONITSUKA 'LIVE VIBE' 2002』で「You Were Meant For Me」を、それぞれカバーしている。
  4. ^ 『SWEET LOVE SHOWER 2004』で、『MTVアンプラグド』における「King Of Pain」のカバーをカバーしている。
  5. ^ 『AIR-G' 時計台アコースティックライブ vol.15』『CHIHIRO ONITSUKA LIVE TOUR 2001』等で「Let It Rain」をカバーしている。
  6. ^ 『CHIHIRO ONITSUKA 'LIVE VIVE' 2002』で「Angel Would Fall」をカバーしている。
  7. ^ 『CHIHIRO ONITSUKA CONCERT NINE DIRTS AND SNOW WHITE FLICKERS』で「You've got a friend」をカバーしている。
  8. ^ 同日付の朝日新聞紙上においては一面にシングルの広告が掲載された。
  9. ^ 読みは「いたずらピエロ」。

出典

  1. ^ 鬼束ちひろ”. CDJournal. 音楽出版社. 2014年9月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e 芳麗「ロングインタビュー」『papyrus』、幻冬舎、2008年4月号。
  3. ^ 『月の破片』37ページ
  4. ^ 『月の破片』187-188ページ
  5. ^ a b 『月の破片』154-158ページ
  6. ^ a b c d 柴那典「「永遠の孤独者」鬼束ちひろ 20000字インタヴュー」『ROCKIN'ON JAPAN』、ロッキング・オン、2002年2月号。
  7. ^ 『月の破片』33-35ページ
  8. ^ a b c d e f g h i 『CHIHIRO ONITSUKA PRETTY WITCH COMPLETE BOOK』、東芝EMI、2001年。
  9. ^ 『月の破片』130ページ
  10. ^ 『月の破片』180-181ページ
  11. ^ a b 『月の破片』の『映画』の章より。
  12. ^ もんしぇん”. cine.co.jp. 2009年2月10日閲覧。
  13. ^ コメント - ぐるりのこと。”. bitters.co.jp/gururi/. 2012年12月8日閲覧。
  14. ^ コメント|映画「ラストゲーム 最後の早慶戦」公式サイト”. www.lastgame-movie.jp/. 2009年2月20日閲覧。
  15. ^ excite MUSIC Interview with 鬼束ちひろ 光と闇に向かう鬼束ちひろの新たな旅立ち My旬ランキング”. excite MUSIC. 2009年2月10日閲覧。
  16. ^ a b TV Bros 2013年12月7日号 88ページ
  17. ^ 『月の破片』146-147ページ
  18. ^ a b 『月の破片』158ページ
  19. ^ 『infection/LITTLE BEAT RIFLE』レビュー
  20. ^ 鬼束ちひろ ロバート秋山と衝撃対談”. 音楽ナタリー. 2014年9月26日閲覧。
  21. ^ 『月の破片』182-183ページ
  22. ^ 山崎洋一郎「圧巻の歌、"everyhome"でシーンに帰ってくる鬼束ちひろ。訥々と全てを語った、本誌独占インタヴュー」『ROCKIN'ON JAPAN』、ロッキング・オン、2007年6月号。
  23. ^ 『月の破片』35-36ページ
  24. ^ 小野田雄. “excite MUSIC Interview with 鬼束ちひろ 光と闇に向かう鬼束ちひろの新たな旅立ち”. excite MUSIC. 2009年2月10日閲覧。
  25. ^ 山崎二郎「困難なことを乗り越えた上に獲得したのは、歌の強度」『BARFOUT!』、TCRC、2007年11月号。
  26. ^ a b 内本順一「鬼束ちひろ 表現者としてのあらたな旅のはじまり—」『clip!』、サークルKサンクス、2007年12月号。
  27. ^ CDジャーナル. “Yahoo!ミュージック - 鬼束ちひろ - everyhome”. Yahoo!ミュージック. 2009年2月10日閲覧。
  28. ^ 山崎二郎「Face to Face 鬼束ちひろ×岡村靖幸」『BARFOUT!』、TCRC、2007年11月号。
  29. ^ 「THE BACK HORNとのキズナ」『ザ・バックホーンの世界』、白夜書房、2008年6月7日。
  30. ^ 「鬼束ちひろのリストラ劇に見る中堅歌手不遇の時代」『サイゾー』、インフォバーン、2004年(平成16年)7月号。
  31. ^ asahi.com:鬼束ちひろが2年半ぶりに音楽活動再開”. asahi.com. 2009年2月10日閲覧。
  32. ^ 玉井夕海. “Psalm of The Sea : いっぱいいっぱいのうちに、迎、新春アンコール初日!”. excite. 2009年2月10日閲覧。
  33. ^ MEG. “■MEGWEB-BLOG■: ジャポニズム。”. Seesaaブログ. 2009年2月10日閲覧。
  34. ^ MEG. “■MEGWEB-BLOG■: MY BIRTHDAY '06”. Seesaaブログ. 2009年2月10日閲覧。
  35. ^ 鈴木杏. “ハイタッチ!!”. Ameba Blog. 2009年9月8日閲覧。
  36. ^ デビュー4か月の熊谷育美、映画「TRICK」主題歌”. スポーツ報知 (2010年3月5日). 2010年3月8日閲覧。
  37. ^ 「マイ・フェイバリッツ! 私のお気に入りの3枚」『月刊ニュータイプ』、角川書店、2010年5月10日。
  38. ^ MSNミュージック インタビュー 久嶋美さち”. MSNミュージック. 2009年2月10日閲覧。[リンク切れ]
  39. ^ 昭和不老不死伝説 バンパイア』コミックス第4巻、ISBN 978-4088595818集英社、2006年6月2日。
  40. ^ MUSICO|鬼束ちひろ 特集”. MUSICO. 2009年6月11日閲覧。
  41. ^ a b c 鬼束ちひろ、新曲「蛍」が映画界より絶賛”. livedoor. 2009年6月11日閲覧。
  42. ^ 渡辺大. “映画『ラストゲーム 最後の早慶戦』公式ブログ 渡辺大日記*ワタナベダイアリー 連載第五回!”. Yahoo!ブログ. 2009年6月11日閲覧。
  43. ^ 菊地成孔. “CDは株券ではない ─ 菊地成孔の今月のCDレビュー&売上予想 第14回 ─ 織田裕二、CHEMISTRY、鬼束ちひろの3枚を分析!”. bounce.com・タワーレコード. 2009年6月11日閲覧。
  44. ^ 『月の破片』56-58ページ
  45. ^ a b “鬼束ちひろ アーティストページ”. TSUTAYA online (TSUTAYA). http://www.tsutaya.co.jp/artist/00003042.html 2014年9月23日閲覧。 
  46. ^ シングル「シャイン」ブックレット記載。
  47. ^ 鬼束ちひろ知人に顔殴られ1ヶ月の重傷”. ニッカンスポーツ (2010年9月14日). 2010年9月15日閲覧。
  48. ^ 時事ドットコム (2010年9月13日). “鬼束ちひろさん、殴られ重傷=容疑で知人の男に逮捕状−警視庁”. 2010年9月14日閲覧。
  49. ^ a b スポニチアネックス (2010年9月17日). “鬼束ちひろの顔殴った「2週間前に知り合った」男を逮捕”. 2010年9月17日閲覧。
  50. ^ 鬼束ちひろ | FOR LIFE MUSIC ENTERTAINMENT, INC (2011/12/28 up)
  51. ^ http://rocketnews24.com/2012/06/22/223613/
  52. ^ 2012年06月23日 Twitterでの発言につきまして。 鬼束ちひろ offcial homepage 2012年6月23日閲覧。
  53. ^ a b c 2013年ツアー「CHIHIRO ONITSUKA TOUR SHOW 2013 悪戯道化師(いたずらどうけし)」会場限定販売。
  54. ^ 中島美嘉トリビュート盤にHYDE、グループ魂、鬼束ちひろら”. 音楽ナタリー (2016年1月21日). 2016年1月21日閲覧。
  55. ^ 「国民的美少女」出身花岡なつみ、8・12歌手デビュー 鬼束ちひろが楽曲提供”. ORICON (2015年6月18日). 2015年6月18日閲覧。
  56. ^ 鬼束ちひろ ニコ生で予測不能な新レギュラー番組を開始。

外部リンク