高麗航空

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고려항공
高麗航空

Air Koryo
IATA
JS
ICAO
KOR
コールサイン
Air Koryo
設立 1954年
ハブ空港 平壌国際空港
航空連合 未加盟
保有機材数 20機
就航地 12都市
本拠地 朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮平壌市
代表者 (강기섭、Kang Ki Sop)
(안평칠、An Pyong Chil)
外部リンク http://airkoryo.com.kp/en
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高麗航空
各種表記
ハングル 고려항공
漢字 高麗航空
発音 コリョハンゴン
日本語読み: こうらいこうくう
2000年式
MR式
キリル文字コリョマル):
ラテン文字転写:
英語表記:
Goryeo Hanggong
Koryŏ Hanggong
Корё Ханггонг
Koryo Khanggong
Air Koryo Korean Airways (Air Koryo)
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高麗航空(コリョこうくう、고려항공 コリョハンゴン :Air Koryo エアーコリョ)は、朝鮮民主主義人民共和国平壌市中区域東城洞に本社事務所を置く国営航空会社である。同国のフラッグ・キャリアかつ唯一の航空会社で、平壌を拠点に国内線・国際線を運航している中規模の航空会社である。IATA航空会社コードJS

概要

1954年設立の旧・朝鮮民航の運航部門を1993年に分離し、現名称に変更した。平壌国際空港を拠点空港とし、中国ロシア路線を中心とした国際線と清津元山等の国内線を運航する。同国発着路線では市場占有率一位である。主力路線は北京線で、長距離路線にはモスクワ線・クウェート線等がある。

航空会社コードの「JS」は、朝鮮民航の名残で、「朝鮮」を朝鮮語で読んだ「チョソン (Jo-Sŏn 北朝鮮1992年式での表記)」の頭文字に由来している。コーポレートカラー朝鮮民主主義人民共和国の国旗と同じ赤色を基調とし、一部空を形容した水色を使用する。2013年頃までは客室乗務員制服のジャケット・スカートも赤色であった。

機体の塗装は、朝鮮民航のころ[1]とほとんど変わっていないが、当初は、垂直尾翼には国旗ではなく、朝鮮半島の形に似せた水色のコウノトリを赤い丸で囲んだロゴマークを描いていた[2]。現在は、朝鮮民航時代と同様、垂直尾翼には国旗を描いており、コウノトリのロゴマークは機体前方へと移動している。2014年頃までに変更された客室乗務員制服のジャケットにもロゴマークが入っている[3]

本社事務所は平壌中心部、平壌駅から北へ約2kmのヘルスセンター蒼光院の前にある。

事業所

  • 本社事務所(高麗航空予約事務所)
    平壌市中区域東城洞北緯39度02分00秒 東経125度73分09秒 / 北緯39.03333度 東経126.21917度 / 39.03333; 126.21917 座標: 経度の分が60以上です
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国外事務所

歴史

朝鮮民主主義人民共和国における航空事業は、旧ソビエト連邦合弁による「SOKAO」が独立後の1950年から行っていたが、朝鮮戦争により運航休止を余儀なくされた。朝鮮戦争終結後の1954年に「朝鮮民航(Choson-Minhang、Korean Airways)」(CAAK)が設立され、1955年9月21日から運航を開始した。朝鮮民航は、他の社会主義国においても見られた民間航空会社と民間航空行政が一体化した組織であった。当初はLi-2An-2、そしてIl-12といった旧ソ連製双発レシプロ機を運航しており、1960年代になってIl-14Il-18といったターボプロップ機が導入された。

近代化は大変遅く、最初のジェット機であるTu-154が導入されたのは1975年のことであり、この際に平壌とプラハ東ベルリンモスクワ線を開設した。Tu-154が中距離航空機であったため、途中イルクーツクノボシビルスクを経由していた。こうした状況は長距離機材のIl-62が導入された1982年には解消し、そのときにはソフィア線も開設された。また、国際航空運送協会に加盟したのは1977年のことであった。

朝鮮民航の国際路線は東西冷戦終結とその後の財政難により、旧東側諸国への路線も大きく縮小した。1993年国家主席金日成によって航空行政部門と航空営業部門が分離され、後者が「高麗航空」と名称を変更し現在に至る。なお、外形上は会社の形態をとっているが、現在も国営企業である。

EU域内乗り入れ禁止

高麗航空は以下の理由により、EUによってEU諸国内の運航、航行禁止処置が取られている[4]。当初、2006年3月から全面運航禁止だったが、2010年3月にEUはツポレフ Tu-204の2機による運航を認めると発表した[5]

  • フランスドイツにおける抜き打ち検査(“ramp inspections”)において、高麗航空の一部に重大な安全性の欠如の証拠が得られた。これらの欠如は、SAFAプログラムにおいても確認されている。(DGAC/F 2000-2010)
  • その後のSAFAプログラムによる抜き打ち検査においても、フランスによって報告された上記の問題が解決されていなかった。(DGAC/F-2000-895)
  • フランスによって報告されたこれらの事態は、高麗航空の安全性の欠如を示している。そして、それを是正する能力が無いことも示している。
  • フランス当局側の要請にすぐに応える様子がないことから、高麗航空の透明性・連絡体制の欠如が示された。
  • 高麗航空側からフランス当局に提示された是正計画は、深刻な安全性の欠如を是正するには不適切かつ不十分なものであった。
  • 朝鮮民主主義人民共和国の民間航空行政当局は、高麗航空に対して適切な監督をしていない。これはシカゴ条約にも違反している。
  • 以上の事実および一般的な基準[6]から、欧州委員会は高麗航空が安全基準を満たしていないと判断した[7]

中華人民共和国政府の対応

2012年12月12日 中華人民共和国政府は、自国に離着陸する航空機の安全管理を大幅に強化する方針を固め、航空機衝突警報装置など、ICAO(国際民間航空機関)の安全基準に達しない朝鮮民主主義人民共和国の航空機に対し、中華人民共和国国内の空港への離着陸を禁止する旨を発表した。基準をクリアした航空機は、現在ツポレフ Tu-204しか保有しておらず、資金が不足する朝鮮民主主義人民共和国当局が外国の航空会社に対し、ICAOの基準に達する航空機のリースを問い合わせているが、リースが決定したとみられるのは、アントノフ An-148が1機[2]のみで、高麗航空による対応の遅さにより、中華人民共和国と朝鮮民主主義人民共和国の航空交流が事実上中断する危機を迎えている[8]

運航路線

国際定期便は、全て平壌国際空港(通称・順安空港)発着。2014年現在。[9] かつてはソフィア(モスクワ経由)、ベルリン(モスクワ経由)、マカオなどにも定期便を運航していた。なお、他社とのコードシェア運航などは行われていない。

過去のチャーター運航

南側(大韓民国政府支配地域)へもソウルをはじめ、必要に応じてチャーター便が運航される。2002年に開催された釜山アジア大会および翌2003年大邱で開催されたユニバーシアードに来訪し、話題となったいわゆる“美女応援団”の往来に際しても、この高麗航空がチャーター便を運航し、彼女らの足を担った。

かつて、日本へも年に1 - 2回の割合で名古屋空港(現:名古屋飛行場)新潟空港にチャーター便が乗り入れ、在日朝鮮人の祖国訪問やマツタケの輸入、日本人などの観光客の輸送手段として活用されていたが、乗り入れ機材のツポレフTu-154Bが日本の騒音基準に適合しなくなった上に、北朝鮮の核開発に対する制裁もあり2002年以後は一度も乗り入れていない。なお、新東京国際空港(現名称:成田国際空港)へは、1985年に行われたユニバーシアード神戸大会へ選手団を送るため、一度だけイリューシンIl-62による特別便を運航したことがある。

2006年11月22日12月1日12月10日の計3回にわたり、初めて中国大連空港との間にチャーター便を運航した。これは、主に在日本朝鮮人総聯合会関係者を乗せるために運航したと説明し、現時点では再運航の予定は無い模様である。

保有機材

旧塗装のIl-76MD(P-912、1994年)
ソビエト連邦の旗 ロシアの旗イリューシン
  • Il-18D 1機[10]
    確認されている機体番号:P-835
  • Il-18V 1機(コンビ機に改修)[11]
    確認されている機体番号:P-836
  • Il-76MD 1機(1990年導入、貨物専用機)
    確認されている機体番号:P-912
  • Il-62M 4機(1979-2012年導入)
    確認されている機体番号:P-881,885,618,886P (P-618は政府専用機、P-886Pはキューバクバーナ航空から購入)
ソビエト連邦の旗ロシアの旗 ツポレフ
  • Tu-154B 1機 (1975-77年導入)
    確認されている機体番号:P-551,P-552
  • Tu-154B-2 1機(1983年導入)
    確認されている機体番号:P-561
  • Tu-204 2機(2007年12月27日に1機を受領、2008年にも1機を受領)平壌から北京への路線に投入されている[12]。瀋陽への路線に投入する見通しもある。なお、P-632はTu-204-300、P-633はやや胴体の長いTu-204-100である。P-633については、イリューシン・ファイナンスからのリース機である[13]
    確認されている機体番号:P-632[14],P-633[15]
ウクライナの旗 アントノフ
  • An-148-100 1機(2012年11月11日に初フライトした製造番号「03-08」で、イリューシン・ファイナンスによるリース機と見られる)[3][4]
    確認されている機体番号:P-671

2000年代後半に至るまで、ソ連製のツポレフTu-154イリューシンIl-62、ツポレフTu-134など、いずれも1960年代から1970年代に開発された旧式の機体で占められていたが、2000年代以降ロシア製の新鋭機、ツポレフTu-204とウクライナ製のアントノフ An-148が導入された。

アジア諸国のフラッグキャリアの中で、唯一旧西側諸国製の航空機材を運用したことがない。2014年現在も政治的・財政的な事情でボーイングエアバスエンブラエルボンバルディアなど旧西側諸国の機体は導入されていない。また、これまでにワイドボディ機の導入もない。

なお、同国の民間航空機に割り当てられた機体記号は“P”だが、同国には他に民間航空会社がないため、この機体記号を持つのも高麗航空のみである。

退役機材

(参照:CH-Aviation

ソビエト連邦の旗 アントノフ
  • An-24B 2機 (1966年導入)
  • An-24RV 3機 (1974年導入)
    確認されている機体番号:P-532,533
ソビエト連邦の旗 イリューシン
  • Il-62M 1機(1979-88年導入)[16]
    確認されている機体番号:P-882
  • Il-76MD 2機(1990年導入、貨物専用機)[16]
    確認されている機体番号:P-913,915
ソビエト連邦の旗 ツポレフ
  • Tu-134B 2機(1983年導入)[16]
    確認されている機体番号:P-813,814
  • Tu-154B 2機(1975-77年導入)[16]
    確認されている機体番号:P-553

その他

  • 順安国際空港には複数の「保管中」の機体があるとされており、Google Earth上でも確認できる。なお、以前から日曜日には全くフライトが無く、全保有機が順安国際空港で1日中駐機している。
  • 金正日専用機「216号」も所有していると思われる(2000年前後にヨーロッパ各国の空港で確認されたイリューシンIl-62(P-618)であると推測されている)。

サービス

機内

国際線はエコノミークラス(Y)とビジネスクラス(C)の2クラスが設定されている。各クラスに於いて機内食や飲料の提供と免税品機内販売、スクリーンでの各種映像放映、新聞・雑誌閲覧サービスが行われている。客室乗務員の制服(女性)は2014年までに変更され、紺色を基調とした現代的なミニスカートスーツ[3]となっている。

評価

世界各国の航空会社の格付けを行っているイギリススカイトラックス社による2013年時点の評価では、評価対象航空会社で唯一の「1つ星」(最低評価)[17]であり、高麗航空の評価が極めて低いことが分かる[18]

各種規定

  • 受託手荷物は最大20kg(ビジネスクラスは30kg)まで。機内持込み手荷物は1つのみ。爆発物・燃料などの積載は禁止。また、北朝鮮国内への持込自体が禁止されているものも持ち込めない。
  • 予約は全て旅行代理店を通じて行う。出発72時間前までのリコンファームが必要。
  • 2歳未満の幼児はひざに抱くことを条件に成人の10%の料金。2歳以上12歳以下の子供は成人の75%の料金。
  • 搭乗手続きは出発の90分前までに行う。

予約方法

国外からは同社カウンターおよび同社代理店で予約・購入できる。オンライン予約は2012年8月から開始した[19]。いずれも電子航空券(eチケット)[20]である。

航空事故

  • 1983年7月1日 : ギニアコナクリに向かっていた朝鮮民航の不定期便(Il-62M、機体記号P-889)がギニア山中に墜落、乗員乗客23名全員が死亡したとの報告があった[21]
  • 2006年8月15日 : 14:00頃、北京発平壌行きのJS152便(機体記号:P-551とP-561のいずれかと思われる)が悪天候の中、平壌順安国際空港への着陸に失敗、ハードランディング状態になった。慌てて機首上げ(フレア)をしようとしたが失敗、滑走路と安全地帯を逸脱して空港敷地内の藪の中で停止した。金日成の誕生日を祝うアリラン祭の時期で満席状態であったが、外国人を含む全ての乗客は無事であった。機体への被害についての詳細は不明だが、機首脚(前輪の支柱)およびその胴体への取り付け部分に深刻なダメージがあったとの情報もある[22][23][24]
  • 2007年3月6日 : 9:20頃、平壌発北京行きのJS151便(機体記号:P-561)が北京首都国際空港への着陸時に左の主脚から出火、そのまま第2ターミナルに到着し、10分後に地上係員の消火器や背広で消し止められた。原因は着陸時の速度超過とタイヤの老朽化とみられている。乗員乗客にけがはなかった。事故機の被害は軽微で、タイヤの交換だけで復旧した[25][26]

未確認の事故報道

韓国の朝鮮日報[27]は、1970年以降以下のような事故があったと報じているが、公式には確認されていない。

  • 1970年8月 : 旅客機が墜落、搭乗者全員死亡。
  • 1970年代 : 旅客機が離陸中に墜落、ピバダ歌劇団など搭乗者100人余死亡。
  • 1984年2月 : ソ連に向かっていた旅客機が墜落、搭乗者全員死亡。

脚注

  1. ^ 朝鮮民航のTu-154が名古屋へ飛来した時の画像
  2. ^ 高麗航空のTu-154が名古屋へ飛来した時の画像
  3. ^ a b バスで飛行機に向かう高麗航空の客室乗務員”. 時事通信社 (2014年9月2日). 2014年10月6日閲覧。
  4. ^ “EU Upholds Flight Ban”. Radio Free Asia. (2010年1月13日). http://www.rfa.org/english/news/korea/flight-ban-01132010092918.html 
  5. ^ EU、北朝鮮・高麗航空の運航制限を緩和
  6. ^ Fly Well portal (Which contains links to the common air transport policy)(英語), European Commission, March 22, 2006
  7. ^ Commission Regulation (EC) No 474/2006 of 22 March 2006 (PDF-file)(英語), European Commission, March 22, 2006
  8. ^ “安全基準以下の北民航機、中国空港で離着陸禁止に”. 中央日報(日本語版). (2012年12月12日). http://japanese.joins.com/article/822/164822.html 2014年6月4日閲覧。 →アーカイブ
  9. ^ Air Koryo Korean Airways (조선민항 Корё Ханггонг) Basic Info”. Facebook. 2013年7月22日閲覧。
  10. ^ 高麗航空Il-18D(P-835) ウラジオストック空港にて/Airliners.net
  11. ^ 高麗航空Il-18V(P-836) 北京首都空港にて/Airliners.net
  12. ^ 高麗航空Tu-204(P-632) 北京首都空港にて/Airliners.net
  13. ^ “Narrowbody passenger aircrafts” (英語) イリューシン・ファイナンスのサイト(英語版)に掲載された同社が現在保有・リースしている機材の一覧。15番目に掲載されているTu-204-100Bについて“Air Koryo”との記載がある。
  14. ^ 高麗航空最新フリートTu-204の画像
  15. ^ 高麗航空Tu-204(P-633)
  16. ^ a b c d テリー伊藤『新・お笑い北朝鮮』ダイヤモンド社 2004年 ISBN 4-478-94205-6 P.76
  17. ^ [1]
  18. ^ Air Koryo Star Ranking for Air Koryo Product Quality- Skytrax
  19. ^ 高麗航空がネット予約開始、北京までビジネスクラスで3万円, ロイター、2012年10月24日
  20. ^ 電子航空券旅程・領収書
  21. ^ Aviation Safety Database report
  22. ^ First picture of runway overrun North Korean Air Koryo Tupolev Tu-154Flightglobal.com 2006年8月31日
  23. ^ FCO Country report - August 15, 2006 Tu 154 crash
  24. ^ Aviation Safety Database report - August 15, 2006 Tupolev 154 crash
  25. ^ 朝鮮客机在北京机場降落時胎起火(組図)新浪网 2007年3月7日
  26. ^ Air Koryo TU-154 Tire Caught Fire During Landingairliners.net 2007年3月11日
  27. ^ “【龍川爆発事故】70年代以降の北朝鮮の大事故”. 朝鮮日報(日本語版). (2004年4月23日). https://web.archive.org/web/20070615181827/http://www.chosunonline.com/article/20040423000021 2014年6月4日閲覧。 ※現在はインターネットアーカイブに残存

関連項目

外部リンク