高桑大二朗
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名前 | ||||||
カタカナ | タカクワ ダイジロウ | |||||
ラテン文字 | TAKAKUWA Daijiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1973年8月10日(50歳) | |||||
出身地 | 東京都 | |||||
身長 | 190cm | |||||
体重 | 82kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1992-1996 1996 1997-2002 2002 2003-2006 2007-2008 2009 |
横浜マリノス →鹿島アントラーズ(loan) 鹿島アントラーズ →東京ヴェルディ1969(loan) ベガルタ仙台 横浜F・マリノス 徳島ヴォルティス |
0 (0) 0 (0) 89 (0) 12 (0) 123 (0) 1 (0) 0 (0) | ||||
代表歴 | ||||||
2000[1] | 日本 | 1 (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2009年12月5日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
高桑 大二朗(たかくわ だいじろう、1973年8月10日 - )は、東京都出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
経歴
横浜マリノス時代は怪我が多かったため「ガラスのGK」とよばれていた。入団当初は日本代表でもあった松永成立が絶対的守護神として君臨しており、その後は2年後輩の川口能活が松永からレギュラーを奪って台頭したため、出番も殆どなかった。
1996年に鹿島アントラーズへ移籍。古川昌明からレギュラーを奪った佐藤洋平の負傷中に正GKに定着し、チームの三冠獲得に貢献した。2000年にはJリーグベストイレブンに選出され、日本代表として1試合に出場した。
その後、試合中の怪我もあり曽ヶ端準に正GKの座を奪われ、2002年には前年に本並健治・菊池新吉の両GKが引退した東京ヴェルディ1969へレンタル移籍。当初は正GKであったが、ミスが目立ったことから第14節サンフレッチェ広島戦以降は高木義成にその座を奪われて2003年からはベガルタ仙台へ移籍。移籍後は小針清允と激しく正GKの座を争い、2003年はシーズン途中で正GKの座を明け渡したが、J2に降格した2004年は正GKの座を奪取し、2006年途中まではその座を保った。ところが、7月12日の第27節ヴェルディ戦でかつて正GKを争った高木にゴールキックから直接ゴールを決められ敗れて以降、再び小針にレギュラーを奪われた。シーズン終了後に戦力外通告を受け、退団。
2007年、10年半ぶりに横浜F・マリノスへ復帰したが、復帰後初出場となった第3節ヴィッセル神戸戦で凡ミスによる致命的失点を招いて敗れた。なお、マリノスでの公式戦出場は2007年の2試合のみにとどまった。結局、榎本哲也の牙城は崩せず2008年のシーズン終了後に戦力外通告を受け、退団。2009年は徳島ヴォルティスに所属し、上野秀章・日野優とポジションを争ったが出場機会は訪れなかった。同シーズン終了後、現役引退を発表した。
2010年より横浜F・マリノス下部組織のGKコーチ(追浜のジュニアユース及びプライマリー担当)を務める。その傍ら同年10月30日には東日本放送にて中継のベガルタ仙台vs.京都サンガF.C.戦で解説を務め、以後は同局で仙台戦の中継が行われる際に解説者として来仙している。
所属クラブ
ユース経歴
- 松山市立北久米小学校
- 世田谷区立新星中学校
- 日本大学高校
プロ経歴
- 1992年 - 1996年 横浜マリノス
- 1997 - 2002年 鹿島アントラーズ
- 2002年 東京ヴェルディ1969(レンタル移籍)
- 2003年 - 2006年 ベガルタ仙台
- 2007年 - 2008年 横浜F・マリノス
- 2009年 徳島ヴォルティス
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1992 | 横浜M | - | J | - | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
1993 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
1994 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
1995 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||
1996 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||||
鹿島 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
1997 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
1998 | 28 | 24 | 0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 32 | 0 | ||
1999 | 21 | J1 | 26 | 0 | 7 | 0 | 2 | 0 | 35 | 0 | |
2000 | 30 | 0 | 4 | 0 | 4 | 0 | 38 | 0 | |||
2001 | 1 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 10 | 0 | ||
2002 | 東京V | 12 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 17 | 0 | ||
2003 | 仙台 | 22 | 11 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 17 | 0 | |
2004 | J2 | 44 | 0 | - | 2 | 0 | 46 | 0 | |||
2005 | 43 | 0 | - | 0 | 0 | 43 | 0 | ||||
2006 | 25 | 0 | - | 0 | 0 | 25 | 0 | ||||
2007 | 横浜FM | 21 | J1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
2008 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2009 | 徳島 | 1 | J2 | 0 | 0 | - | 1 | 0 | 1 | 0 | |
通算 | 日本 | J1 | 113 | 0 | 27 | 0 | 11 | 0 | 151 | 0 | |
日本 | J2 | 112 | 0 | - | 3 | 0 | 115 | 0 | |||
総通算 | 225 | 0 | 27 | 0 | 14 | 0 | 266 | 0 |
その他の公式戦
- 1998年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1999年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2000年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2001年
- スーパーカップ 1試合0得点
記録
個人タイトル
- 2000年 - Jリーグベストイレブン
代表歴
試合数
- 国際Aマッチ 1試合 0得点(2000)[1]
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2000 | 1 | 0 |
通算 | 1 | 0 |
指導歴
- 2010年 - 横浜F・マリノスジュニアユースコーチ
出典