高村倉太郎
高村 倉太郎(たかむら くらたろう、1921年 - 2005年11月21日)は、日本の映画撮影監督。日本映画撮影監督協会名誉会長。
1939年、松竹大船撮影所文化映画部に撮影助手として入所。1948年、「恋愛三羽烏」(中村登監督)の撮影監督に抜擢される。1954年、日活に移籍。以後も「俺は待ってるぜ」、「幕末太陽傳」、「ギターを持った渡り鳥」、「一杯のかけそば」など娯楽作品を中心に計約140本撮影。日本映画黄金期を支えた。
日活がロマンポルノ路線に転じた後も、同社に留まり生涯を日活所属で貫いた。
日活芸術学院の学院長、専任講師を務めるなど後進の指導にも尽くした。
2005年11月21日、慢性心不全のため死去。享年84。
主な撮影作品
劇場作品
- 恋愛三羽烏(1948年)
- 真実一路(1954年)
- 俺は待ってるぜ(1957年)
- 幕末太陽傳(1957年)
- 錆びたナイフ(1958年)
- 渡り鳥シリーズ
- 紅の流れ星(1967年)
- 百万人の大合唱(1972年)
- 一杯のかけそば(1992年)
テレビ作品
文献
- 撮影監督 高村倉太郎(ワイズ出版・2005年12月)ISBN 4898301908