高射砲塔

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ハンブルクに現存するハイリゲンガイストフェルト高射砲塔
ウィーンに現存するアウガルテン高射砲塔(L塔)

高射砲塔(こうしゃほうとう、: Flakturm, : Flak tower)は、第二次世界大戦中にドイツ空軍が、連合国空襲から戦略上重要な都市を防衛するための都市防空設備として建築した、鉄筋コンクリート製の巨大な高層防空施設である。現在も中央ヨーロッパの大都市の幾つか(ウィーンハンブルクなど)にその遺構が残る。

概要[編集]

第二次世界大戦が現実のものとなるに従い、都市に対する「戦略爆撃」の脅威に対する防御は重要であるとして、各国では防空体制の整備に努力が注がれた。

ドイツにおいては、都市の地形によっては地表面に配置した高射砲では取れる射界が狭く、都市の全域をカバーするには極めて多数の高射砲陣地が必要であり、効率的な防空体制の構築は予算的にも部隊の規模的にも困難である、との分析がなされた。

これを解決するために、高層建築物の上に高射砲を設置し、広い射界を確保して効率的な防空体制を構築すべく建設が進められたものが、この「高射砲塔」である。重要都市の中心部に建造され、都市防空の中核と位置付けられていた。

最初の高射砲塔は1940年ベルリンに建設され、次いでハンブルクウィーンに建設された。しかし、この多機能重武装の高射砲塔も連合軍の圧倒的な数の爆撃機の前には大きな効果をあげることはできなかった。実戦で大きな戦果を挙げたという記録もほとんど残されていないが、1945年ベルリン市街戦では、市内に侵攻したソ連第8親衛軍が、ティーアガルテンの高射砲塔と戦闘を行ったことが記録されている。また、ウィーン攻勢においても高射砲塔がソ連軍地上部隊と戦闘を行い、進撃を遅延させている。

戦後は武装をはじめとする各種装備は撤去され、高射砲塔自体も解体撤去が進められたが、あまりにも頑丈に造られていたことから爆破解体が困難であり、現存しているものも多く様々な用途に転用されている。

構造[編集]

高射砲塔は、高さ30m以上にもなる巨大な鉄筋コンクリート製の建築物であった。爆撃による大型爆弾の直撃にすら耐えるために、厚さ数メートルの分厚いコンクリートで作られており、どの塔においても高射砲対空砲針鼠のように配備されていた。

高射砲塔は、高射砲の設置された G(Geschütz:「砲」の意)塔と呼ばれる砲戦塔と、レーダー高射指揮装置を備え、それらが発砲による衝撃波の干渉を避けるよう数百m離した位置のL(Leitung:「指揮、指導」の意)塔と呼ばれる指揮塔で構成され、両者は通信線用トンネルで連結されていた。

左から第1、第2、第3世代のG塔

高射砲塔には建造時期によってデザインの変遷があり、おおむね3世代に分類される。

第1世代
最も古く、基礎部が一辺70.5mの正方形で高さ39m、地上5階地下1階、5階屋上に重砲用砲台4基、一段下の4階屋上に中・軽砲用の張り出しを3×4の12基(のちに5×4の20基に増強)、L塔は、50m×23mの長方形で高さ39m、屋上四隅に中・軽砲用の張り出しを4基(のちに20基に増強)、屋上中央に観測機器用の高さ9mの上屋が設けられた。それぞれ天井厚が3.5m、外壁厚が最下部で2.5m、上方にいくにつれて薄くなり、最上部で2.0mである。
第2世代
基礎部一辺が57mの正方形で、高さ41.6m、L塔は、50m×23mの長方形で高さ44m、その他の諸元は第1世代と似通っている。
第3世代
43m四方の基礎上に高さ54mの円筒形(外壁は16面体)で、中・軽砲用の張り出しは8基、L塔は、第2世代のものとほぼ同じ。
この塔の構造には様々な工夫がみられる。屋上部に高射砲や対空機関砲が設置されており、下層階は民間人用の避難場所となっている。また、市街戦の際には「要塞」として長期に渡って篭城できるように発電機貯水槽が設置されていた。

兵装[編集]

12.8cm高射砲を砲手が操砲中。砲左側上部の2名は装填手。彼らの前に信管調整装置と自動装填装置がある
ウィーンの高射砲塔の配置(中央はシュテファン大聖堂
G塔
ベルリンのものは初期には10.5cm単装高射砲4門が装備されたが、12.8cm連装高射砲が実用化されるとそれに換装された。また、中・軽砲として37mm単装機関砲と20mm単装機関砲が装備されたが、20mm機関砲は20mm 4連装機関砲に換装された。
L塔

高射砲塔が建設された都市と現状[編集]

Flakturm VI G-Tower
ヴィルヘルムスブルク高射砲塔(G塔)
Flakturm V L-Tower
シュティフツカゼルネ高射砲塔(L塔)
  • ベルリン
    • ティーアガルテン高射砲塔(Flakturm I、第1世代) - 1941年4月完成。建設場所から動物園塔(Zoo Tower)とも称された。G塔は終戦時にイギリス軍によって破壊、L塔も戦後に破壊された。
    • フリードリヒスハイン高射砲塔(Flakturm II、第1世代) - 1941年4月完成。G塔、L塔共に戦後に破壊されたが前者の一部が現存。
    • フンボルトハイン高射砲塔(Flakturm III、第1世代) - 1942年4月完成。G塔、L塔共に戦後に破壊されたが一部が現存。
  • ハンブルク
    • ハイリゲンガイストフェルト高射砲塔(Flakturm IV、第1世代) - 1942年10月完成。G塔は音楽学校や音楽ショップを併設したナイトクラブとして利用。L塔は戦後に破壊された。
    • ヴィルヘルムスブルク高射砲塔(Flakturm VI、第2世代) - 1942年10月完成。G塔は写真スタジオやカフェとして利用されている。L塔は戦後に破壊された。
  • ウィーン
    • シュティフツカゼルネ高射砲塔(Flakturm V、第3世代) - 1944年9月完成。G塔は内部をオーストリア陸軍が使用している。L塔は内部を水族館、外側をフリークライミング用の壁として利用されている。
    • アウガルテン高射砲塔(Flakturm VII、第3世代) - 1943年完成。G塔、L塔共に現存するが共に利用されていない。
    • アーレンベルク高射砲塔(Flakturm VIII、第2世代) - 1943年夏完成。G塔は芸術作品用の倉庫として利用。L塔も現存するが利用されていない。

参考文献[編集]

  • 広田厚司『ドイツ高射砲塔 連合軍を迎え撃つドイツ最大の軍事建造物』、光人社NF文庫、光人社、2011年、ISBN 978-4769827177

関連項目[編集]

外部リンク[編集]