香宗我部貞親

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香宗我部 貞親
時代 安土桃山時代から江戸時代前期
生誕 天正19年(1591年
死没 万治3年(1660年)7月
改名 香宗我部親和→貞親
別名 長寿丸、源右衛門、中原喜左衛門
主君 長宗我部元親盛親寺沢広高堀田正盛正信
唐津藩川越藩松本藩佐倉藩
氏族 香宗我部氏
父母 父:香宗我部親泰、母:香宗我部秀通の娘
兄弟 親氏貞親
養子:重親(高井源左衛門の子)
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香宗我部 貞親(こうそかべ さだちか)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将香宗我部氏当主。

生涯

天正19年(1591年)、長宗我部氏重臣・香宗我部親泰の次男として生まれる。幼名長寿丸

父と兄が相次いで亡くなったため、文禄元年(1593年)に僅か3歳で家督を継ぐ。関ヶ原の戦いで主家が改易されると浪人となり、土佐を去ってに移り住み、その後肥前唐津藩主・寺沢広高に500石で仕える。大坂の陣で従兄弟の長宗我部盛親が豊臣方についたため、中原喜左衛門という変名を名乗っている。

のちに寺沢家を辞して再び浪人となるが、親類の春日局の斡旋で武蔵川越藩主・堀田正盛に1,000石で召抱えられ、のちに1,300石まで加増される。堀田家の信濃松本藩下総佐倉藩への転封にも従い、万治3年(1660年)7月に死去。養子の重親(堀田家臣・高井源左衛門の子)が家督を相続した。同年10月に佐倉藩が改易されると、重親は五十嵐元成・柴田朝意兄弟(母が貞親の従姉妹)を頼って仙台に行き、仙台藩に召抱えられて2,000石を与えられ、香宗我部氏は仙台で幕末に至るまで存続した。

 
 
 
 
 
 
 
 
佐竹親直
 
 
五十嵐元成
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
長宗我部元親
 
阿古
 
 
柴田朝意
 
 
 
 
長宗我部国親
 
 
 
 
 
 
 
 
香宗我部親泰
 
 
香宗我部親氏
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
香宗我部秀通
 
女子
 
 
香宗我部貞親
 
香宗我部重親
 
 
 

参考文献

  • 『伊達世臣家譜』第二輯(仙台叢書刊行会、1937年)