風見鶏 (テレビドラマ)

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風見鶏
ジャンル ドラマ
脚本 杉山義法
出演者 新井春美
蟇目良
岸部シロー
村野武範
八千草薫(語り)
時代設定 大正、昭和
製作
制作 NHK大阪
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1977年10月3日 - 1978年4月1日
放送時間月曜 - 土曜8:15~8:30
放送枠連続テレビ小説
放送分15分
回数全154[1]
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北野町に現存する旧ブルクマイヤー邸

風見鶏』(かざみどり)は、1977年昭和52年)10月3日から1978年(昭和53年)4月1日まで放送されたNHK連続テレビ小説第20作である。

1977〜78年の平均視聴率は38.3%、最高視聴率は48.2%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)[2]。全154回。

概要

大正時代にドイツ人パン職人と国際結婚した女性が、神戸市パン屋を営み、やがて多くの人々から慕われていくまでを、国際色豊かに描く。

同時代に実在したドイツ人パン職人・ハインリヒ・フロインドリーブ(フロインドリーブ創業者)をモデルにしている。この作品がきっかけとなって、舞台となった神戸市の北野町山本通にある異人館街が脚光を浴びることとなり、「異人館ブーム」が起きたが、異人館・風見鶏の館とは、後述するように、モデル関係にはない。

映像の現存状況

NHKには第1回の映像のみ残されていたが、2005年に脚本を担当した杉山義法の夫人から家庭用ビデオによる第2回から152回までの録画テープが提供され、2014年には一般視聴者から最終回(第154回)のテープが提供された[3]2015年現在、第153回のみNHKに残されていない。

神戸市風見鶏の館との関係 

  • 神戸市風見鶏の館(旧トーマス住宅、1904年・明治37年竣工)の前には、神戸市によって、ドラマ風見鶏の解説板が設置されている。それによると、「明治時代に国際結婚した松浦ぎん(新井春美)が神戸でパン屋を営む生活を国際色豊かに描いたテレビドラマ」と説明されている。
  • ドラマでは、ドイツ人パン職人・ハインリッヒ・ブルックマイヤー(蟇目良)と松浦ぎんのなれそめは、1914年(大正3年)に勃発した第一次世界大戦で、日独が青島周辺で戦火を交え、日本によって捕虜とされたドイツ兵(俘虜)の一人が、日本国内にあった俘虜収容所を小舟で脱走し、和歌山県太地に打ち上げられたところで、ぎんと偶然出逢った設定になっていた。よって、第一次世界大戦終結後に結婚することになる二人の、「国際結婚」時期は、神戸市のいう「明治時代」ではなく、「大正時代」である。
  • 異人館及び風見鶏の館は、ドラマの主人公たちが建てた家でも、暮らした家でもない。風見鶏の館に実際に暮らしたトーマス家は、明治時代から、横浜と神戸で活躍した貿易商であったが、1914年(大正3年)にたまたま家族全員で、娘の上級学校進学準備を兼ねて休暇でドイツに帰国中に第一次世界大戦が勃発し、日独が戦争状態になったため神戸へ帰れなくなってしまう。一方ドラマでは、その第一次世界大戦中の、パン職人だった元捕虜との恋愛からはじまるため、まず時代設定からして、トーマス家や異人館・風見鶏の館築造とは全く無関係であり、ドラマと異人館はモデル関係にはない。
  • ドラマでタイトルバックなどに使用された風見鶏は、実写ではなく、スタジオ内のセット上の風見鶏であった。また、スタジオセットでも、異人館の屋根に取り付けられた風見鶏ではなく、日本家屋の屋根に載せられたものであった。風見鶏の形状も、ゲオルグ・デ・ラランデ設計の建物にあった風見鶏とは全く異なるデザインであった。

(出典:広瀬毅彦『〜没後百周年記念〜 既視感(デジャブ)の街へ ロイヤル・アーキテクト ゲオログ・デラランデ新発見作品集』ウィンターワークス、2012年、pp.108-125、および広瀬毅彦『風見鶏謎解きの旅』神戸新聞総合出版センター、2009年)

スタッフ

キャスト

関連項目

脚注

外部リンク

NHK 連続テレビ小説
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風見鶏