題目

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題目だいもく)とは、日蓮系・法華経系の宗教団体などにおいて勤行の際に用いられる南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)の文句のことである。お題目とも言う。元来は題名の意であり、法華経(サッダルマ・プンダーリカ・スートラ)の翻訳題(あて字)である妙法蓮華経鳩摩羅什【くまらじゅう】による訳)の五字のことを指しているが、南無(帰依するの意)を加えて七字にしても「題目」と呼ぶ。

なお、お題目は、建前、名目などの意味で使用されることもある。元来は上記の転用である。

ここでは、上記いずれについても記載する。

題目とは

鳩摩羅什(クマーラ・ジーヴァ)が漢字に翻訳した法華経一部八巻二十八品の題目(題名)は、「妙法蓮華経」の五字である。「南無妙法蓮華経」とは、妙法蓮華経(法華経)の{御教え(みおしえ)}に帰依(きえ)することである。題目を連続して唱える行は、法華経の教えを信じ、自身が大宇宙の一点であることを宣言する修行であると同時に、大宇宙の一生命体である小宇宙の自身に対し、宇宙本来の流れや力を自身の肉体に呼び戻すないし呼び起こす回帰及び覚醒である。この漢字に翻訳された五字・七字の題目を連続的に唱えることで、経典のすべてを読み実践するのと同じ功徳があるとされている。

南無はサンスクリット語で「ナモ」「ナーモ」「ナマス」等と発音する。

また、漢字翻訳によるこの五字の題目を本仏の名号と見なして南無(帰命)しようとする立場の者から見れば、五字の題目に込められた教えの実践法とは八巻二十八品ではなく、七字の題目すなわち「南無妙法蓮華経」となる。

既に平安中期の天台宗では称名念仏の影響で題目も唱える様になっていたが、題目そのものが教義に組み込まれることは無かった。題目そのものを教義に組み込んだのは日蓮が最初である。

各団体における詳細

連続して「南無妙法蓮華経」と繰り返し唱える修行を「唱題(しょうだい)」という。

法華経系の宗門では、様々な修行の中、この「唱題行」を「正行(しょうぎょう)」と呼び、最も重視している。他に、滝に打たれたり、断食行無言の行を行ったりしても、それは「助行(じょぎょう)」と呼ばれ、補助的な修行方法に過ぎない。

唱題の際、日蓮宗(主に一致派)などでは「なみょうほうれんげきょう」と発音している。富士門流日蓮正宗など)や在家宗教系である創価学会などでは、「なみょうほうれんげきょう」と発音する。ただし、かつて日蓮正宗創価学会が監修した御書辞典には「なみょうほうれんげきょう」とある。

称名と唱題の違い

称名

  • 浄土信仰の宗門の称名は、阿弥陀仏が、この身が阿弥陀仏の本願により、そのまま極楽往生がかなう身であることを人々に知らせるため人々の口から出て下さっているものと捉えられ、人々に今の安心を与えるものとして大切にされている。そしてその安心の中に生きることこそ真のよろこびであり、救いであるとされ、「南無阿弥陀仏」の口称は、功徳を求めるものではなく、感謝の行であるとされている。
  • 称名で唱える「名号」のうち、「南無釈迦牟尼仏」の釈迦牟尼仏は、確かに正史においても実在の人物とされている。しかし、他の如来歴史上存在しない。そのことから「南無阿弥陀仏」の「阿弥陀仏」という如来架空存在で想像上の産物(フィクション、虚構)などと否定的に捉える見解がある。一方で、そもそも「阿弥陀仏」とは、姿かたちなく、無量であり不朽である「真実」を表すものとして歴史上の人物である釈迦により説かれたものであるから、釈迦の真意はむしろ「阿弥陀仏」に込められていると考える人もいる。

唱題

  • これに対し、法華経信仰の宗門の唱題は現世こそ重要、というわけで現世を逞しく乗り切る、という積極的指向性(現世指向)が有る。
(但し、現世指向は日蓮系固有のものではなく、真言宗天台宗にもある。)
  • 唱題で唱える題目はの題名であり、信仰の対象が経典として実在する。日蓮は経の文字のひとつひとつを金色の釈尊と見るべきと書いている。経典の文字はさすがに如来には見えなくても、最低限、字には見える。漢文の法華経(妙法蓮華経)ならば、漢字の羅列には見えるはずであり、文字として存在する安心感がある。仮に経の内容が架空ないしでも、経典の文字が明らかに実在することは正しいと言え、真実と言える。

お題目とは

上記の題目と同様の意味で使われることもあるが、上記の宗教的な意味を離れて使用される場合もある。

その場合のお題目は、建前、名目などの意味で使用され、実態と異なるという含みがあることが多い。

例えば、「お題目だけでなく本気で実行すること」などと使用される。

関連項目

外部リンク