静岡鉄道清水市内線

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清水市内線
清水港線跡に静態保存の65型
清水港線跡に静態保存の65型
概要
現況 廃止
起終点 起点:港橋
終点:横砂
駅数 14駅
運営
開業 1928年12月25日 (1928-12-25)
廃止 1975年3月22日 (1975-3-22)
所有者 静岡鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 4.6 km (2.9 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 直流600 V 架空電車線方式
テンプレートを表示
停留場・施設・接続路線
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清水埠頭駅
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波止場駅
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0.0 港橋駅 みなとばし
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清水港駅
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0.4 万世町駅 まんせいちょう
exSTR exHST uexSTR
松原町駅
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0.7 市役所前駅 しやくしょまえ
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1.1 新清水駅 しんしみず
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静岡清水線
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東海道本線
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江尻新道駅(仮) えじりしんどう
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1.4 仲浜町駅 なかはまちょう
1.8 清水駅前駅 しみずえきまえ
STR uexBHF
2.1 辻町駅 つじまち
STR uexBHF
2.4 秋葉道駅 あきはみち
STR uexBHF
2.6 西久保駅 にしくぼ
STR uexABZlf uexSTRlg
→旧線 -1951
STR uexBHF uexSTR
3.0 愛染町駅 あいぞめちょう
STR uexBHF uexBHF
3.3 嶺駅 みね
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3.6 袖師警察署前駅 そでしけいさつしょまえ
STR uexBHF uexSTR
3.7 鈴木島駅 すきじま
STR uexSTR uexBHF
庵原川駅 いはらがわ
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4.3 袖師駅 そでし
STR uexSTR
袖師臨時駅
STR uexKBHFe
4.6 横砂駅 よこすな

清水市内線(しみずしないせん)はかつて静岡県清水市(現 静岡市清水区)内の港橋と横砂を結んでいた静岡鉄道路面電車

もともとは静岡清水線の一部として、1928年に港橋 - 江尻新道(現在の新清水)間が開業。翌1929年江尻新道 - 横砂間が開業するが、路線は東海道本線の線路で分断され、踏切による連絡を余儀なくされていた。1933年に東海道本線を跨ぐ跨線橋が完成して全通。かつては港橋より江尻新道から静岡清水線経由で鷹匠町(現在の新静岡)を経て静岡市内線まで直通運転されており、静鉄成立後も現在の静岡清水線区間を地方鉄道に変更後、翌年に分離するまで三線を総じて「静岡線」と称していた[1]。また分離後も運賃は鉄道線と通算であった[2]。1974年に豪雨災害で運休となり、1975年に廃止された。

路線データ

※1974年の休止前時点のもの。

  • 路線距離:4.6km
  • 軌間:1067mm
  • 複線区間:港橋 - 西久保間(併用軌道
  • 電化区間:全線(直流600V)

歴史

  • 1928年(昭和3年)12月25日 静岡電気鉄道の手により江尻新道 - 港橋間開業
  • 1929年(昭和4年)4月1日 港橋 - 安西間直通運行開始
  • 1929年(昭和4年)7月24日 江尻新道 - 横砂間開業
  • 1933年(昭和8年)3月29日 江尻跨線橋架設に伴い全通
  • 1943年(昭和18年)5月15日 静岡電気鉄道、藤相鉄道、中遠鉄道などが戦時統合して静岡鉄道発足
  • 1945年(昭和20年)12月1日 静岡清水線が地方鉄道法による鉄道に変更され、法規上分離
  • 1951年(昭和26年)7月21日 西久保 - 袖師間、専用軌道に移設
  • 1974年(昭和49年)7月7日 七夕豪雨による被災に伴い、全線運転休止
  • 1975年(昭和50年)3月22日 被災後復旧することなく、全線廃止。静岡鉄道バスによる代替輸送開始(同社のバス事業の分社化により、現在はしずてつジャストラインが運行)

駅一覧

港橋駅 - 万世町駅 - 市役所前駅 - 新清水駅 - 仲浜町駅 - 清水駅前駅 - 辻町駅 - 秋葉道駅 - 西久保駅 - 愛染町駅 - 嶺駅 - 鈴木島駅 - 袖師駅 - 横砂駅

接続路線

車両

  • モハ55(55-59)定員75人、1962年静岡市内線より移籍[3]。1966年に58・59を改造。59の集電装置撤去し2両連結車とする[4][5]
  • モハ60(60-63)定員80人、1956年鋼体化。1954年7月1日改番旧モハ30(30・32・33・35)
  • モハ65(65-67)定員90人、1936年に西武鉄道新宿軌道線(都電杉並線)の木製車(38-40、1927年汽車会社製、木製ボギー車)を購入しモハ80-82と付番した。1954年7月1日の改番により現番号となり1956年に鋼体化される。

脚注

  1. ^ 『日本の市内電車 -1895-1945-』185-189頁。
  2. ^ http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link124a.html
  3. ^ 日本路面電車同好会「昭和30年以降の路面電車譲渡一覧表」『鉄道ピクトリアル』No.319
  4. ^ 奥田愛三「静岡鉄道清水市内線」『鉄道ピクトリアル』No.223
  5. ^ 1969年白土が実車調査したところ58の車体からは59、59からは56の番号がペンキの下から透けて見えており車体がたらいまわしされたとみられる。公式にはなにも残されていない。白土貞夫「私鉄車両の履歴調査」『鉄道ピクトリアル』No.441

参考文献

  • 『世界の鉄道 63』朝日新聞社、1963年、172-173頁
  • 和久田康雄『日本の市内電車 -1895-1945-』成山堂書店、2009年、44、185-189頁

関連項目