静岡県立静岡商業高等学校

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静岡県立静岡商業高等学校
過去の名称 静岡市立静岡商業学校(旧制)
静岡県立静岡商業学校(旧制)
国公私立の別 公立学校
設置者 静岡県
併合学校 静岡市立駿府商業学校
静岡県立静岡第二商業学校
校訓 剛健進取
設立年月日 1899年4月17日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 商業科
情報処理科
高校コード 22138E
所在地 420-0068
静岡県静岡市葵区田町七丁目90番地
地図
北緯34度57分52.3秒 東経138度22分4秒 / 北緯34.964528度 東経138.36778度 / 34.964528; 138.36778座標: 北緯34度57分52.3秒 東経138度22分4秒 / 北緯34.964528度 東経138.36778度 / 34.964528; 138.36778
外部リンク 公式サイト
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静岡県立静岡商業高等学校(しずおかけんりつしずおかしょうぎょうこうとうがっこう)は、静岡県静岡市葵区田町七丁目に所在する公立商業高等学校。略称は「静商(せいしょう)」。また「SC」と略されることもある。

同市の静岡県立静岡高等学校と、伝統的なライバルである。静岡高校の「岳南健児」に対し、静岡商業高校は「白龍健児」(はくりょうけんじ)と称する。

設置学科

  • 商業科
    • マーケティングコース
    • 会計コース
  • 情報処理科
    • システム開発コース
    • 情報デザインコース

沿革

  • 1898年 - 静岡市立静岡商業学校の設立認可される
  • 1899年 - 「静岡市立静岡商業学校」として開校(男子校)
  • 1900年 - 静岡市追手町(現葵区城内町)に校舎が完成し移転
  • 1919年 - 「静岡県静岡商業学校」に改称
  • 1922年 - 「静岡県立静岡商業学校」に改称
  • 1933年 - 静岡市立駿府商業学校を合併
  • 1935年 - 現在地に校舎が完成し移転
  • 1942年 - 静岡県立静岡第二商業学校(夜間課程)設立
  • 1948年 - 「静岡県立静岡商業高等学校」に改称。静岡第二商業学校は静岡商業高校と合併し、同校の定時制課程となる。
  • 1949年 - 新入生より男女共学となる
  • 1987年 - 新校舎落成
  • 1997年4月 - 定時制課程の生徒募集を停止。
  • 2000年3月31日 - 定時制課程を閉課。

野球部の活躍

硬式野球部は戦前から甲子園に出場している古豪であり、プロ野球選手も多く輩出している。創部は昭和3年と、同じく静岡の古豪である静岡高校と比べるとかなり後発であるが、甲子園では優勝1回、準優勝2回、ベスト8が3回と好成績を挙げている。夏の選手権で初戦敗退が一度も無いことも特筆できる(2007年現在)。「芸術品」とまで謳われたバント戦法と足を絡めた機動力野球がお家芸。ライバル静岡高校との定期戦は古くから「静岡の早慶戦」と言われており、戦前から現在まで続いている。また軟式野球部も全国大会優勝2回、準優勝4回を誇る。

甲子園通算成績

  • 出場:春6回、夏9回
  • 勝敗:春6勝5敗、夏17勝9敗 
  • 優勝:1952年春
  • 準優勝:1954年夏、1968年夏
  • 選抜大会記録 連続試合完封4 田所善治郎(1952年2回戦~決勝)
  • 選手権大会記録 1試合最多得点差23(1936年1回戦 27-4長野商)、1試合最多犠打9(2006年1回戦 八幡商戦)

2007年現在)

年表

  • 1928年 - 創部
  • 1934年 - 第11回選抜中等学校野球大会(現選抜)出場
  • 1936年 - 第22回全国中等学校優勝野球大会(現選手権)出場  
  • 1952年 - 第24回選抜高校野球大会優勝  田所善治郎投手(元国鉄)が全試合完封の快挙。阿井利治(元国鉄)、望月教治(元ヤマハ発動機監督他)らが活躍
  • 1953年 - 第35回全国高校野球選手権大会出場  阿井利治、望月教治らが前年より残る
  • 1954年 - 第36回全国高校野球選手権大会準優勝  興津立雄(元広島)、滝英男(元阪神)、松浦三千男(元阪神)らが活躍
  • 1955年 - 第27回選抜高校野球大会出場
  • 1959年 - 第41回全国高校野球選手権大会出場  朝井茂治(元阪神他)
  • 1966年 - 第48回全国高校野球選手権大会出場  奥柿幸雄(元サンケイ)
  • 1968年 - 第50回全国高校野球選手権大会準優勝  新浦壽夫(元巨人)が一年生エース、藤波行雄が中心打者として活躍
  • 1969年 - 第51回全国高校野球選手権大会ベスト8。 前年に続き藤波行雄が中心打者として活躍。新浦が中退して巨人に入団してしまったため松島英雄(元大洋)がエース、後にプロ野球で大成する池谷公二郎(元広島)は控え投手。 準々決勝の相手は、この大会の決勝で三沢高校と延長18回再試合の熱戦を演じた松山商であった。秋の国体では準決勝で松山商を破り優勝している。
  • 1972年 - 第44回選抜高校野球大会出場  秋田秀幸(元中日)
  • 1973年 - 第45回選抜高校野球大会出場  秋田秀幸
  • 1974年 - 第56回全国高校野球選手権大会ベスト8  高橋三千丈(元中日)がエースで漆畑和男(プリンスホテル)、大石優治らが活躍。一年生に大石大二郎(元近鉄)、久保寺雄二(元南海)がいた。
  • 1975年 - 第47回選抜高校野球大会ベスト8  大石大二郎久保寺雄二らが活躍。不祥事のため大会後に1977年までの2年にわたり対外試合出場禁止の処分を受ける。
  • 2006年 - 第88回全国高校野球選手権大会に32年ぶり出場。

主な卒業生

中退
  • 新浦壽夫(元プロ野球選手 巨人・韓国三星・大洋・ダイエー・ヤクルト)

所在地

関連項目

外部リンク