雪國 (曲)

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雪國
吉幾三シングル
B面 薄化粧
リリース
ジャンル 演歌
レーベル キャッツタウンレコード
プロデュース 千昌夫
チャート最高順位
  • 週間1位(オリコン
  • 1987年度年間3位(オリコン)
  • 1986年度年間82位(ザ・ベストテン
  • 1987年度上半期1位(ザ・ベストテン)
  • 1987年度年間8位(ザ・ベストテン)
  • 1987年度年間11位(ザ・トップテン)
吉幾三 シングル 年表
おじさんサンバ1985年雪國
1986年
ふるさとワルツ1987年
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雪國」(ゆきぐに)は、歌手吉幾三1986年2月25日に発表した作品。作詞・作曲とも吉自身による。

概要[編集]

『俺はぜったい!プレスリー』『俺ら東京さ行ぐだ』などのコミックソング路線から、本格演歌路線への転向を図った曲。当時、吉がコミックソングのヒットで世間に認知されていたため、「正統派演歌で売れるわけがない」という当時プロデューサーの千昌夫の猛反対があったがそれを押し切って発売。大ヒットしたことでコミックソング歌手のイメージを払拭し、演歌歌手として認められた[1][2]

発売年の1986年に初出場した第37回NHK紅白歌合戦での歌唱でさらに認知度が増し、翌1987年(昭和62年)2月、ついにオリコン1位、『ザ・ベストテン』では演歌としては2曲目(五木ひろしの『おまえとふたり』以来)の週間第1位となり、オリコン通算300曲目の1位獲得作品になった。発売から1年近くたってのヒットの理由については、レコード発売時期が吉の出演していた大河ドラマ『いのち』と被っていたため長期のロケでプロモーションが全くと言っていいほどできず、当初あまり注目されなかったためと吉本人は述べている[3]

『ザ・ベストテン』のスタジオでは仕事仲間たちに囲まれ祝福され、喜びを分かち合った後、いよいよ歌唱となり「ついに第一位 雪国」とアナウンスされ、大量の紙吹雪舞い散る中歌い始めるが、感極まって一部の歌詞を歌えなくなるほどに感動していた。

元々は栃木県那須ホテルであった宴会の席で即興で作った歌だったという。最初は「好きよ あなた」という歌い出しが「だめよ そこは」という下ネタ満載の、とても放送できるような詞ではなかったが、その後レコード会社のディレクターからメロディーの良さを買われ、真面目な詞にして作り直すことを提案された。その時、吉はNHKの『新日本紀行』の中で雪煙をあげて走る奥羽本線の列車の姿を観て、「女の人が男の人を追う詞にしよう」と、今の詞を思いついたという[4][1]。イントロの印象的なストリングスは、当初エンディングに入れる予定だった。

この曲は100万枚を超えるミリオンセラーとなった。本人曰く、総売り上げは65億[5]とのこと。その印税は吉自身が大好きなお酒となって消えていったという逸話がある[6]

収録曲[編集]

全作詞・作曲:吉幾三 / 編曲:京建輔

  1. 雪國
  2. 薄化粧

カバー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 「好きよ あなた~」は「だめよ そこは~」だった…吉幾三あかす、泥酔下ネタから生まれた名曲「雪國」スポーツ報知 2018年3月16日
  2. ^ “【1987年1月】雪國/吉幾三 紅白出場のための切り札 これでダメだったら…”. スポニチ Sponichi Annex (株式会社スポーツニッポン新聞社). (2012年1月26日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/yomimono/music/anokoro/01/kiji/K20120126002503340.html 2022年8月5日閲覧。 
  3. ^ 「泣いて笑って45年!吉幾三と仲間たち~川中美幸・山本譲二・山川豊・神野美伽・福田こうへい大集合~」BS-TBS2017年12月9日放送
  4. ^ テレビ朝日帰ってきた昭和の名曲』で本人が明かした話、またTBSテレビ中居正広の金曜日のスマイルたちへ』2016年2月19日放送分で元横浜DeNA監督の中畑清が語ったことによる。この曲は当時巨人で現役だった中畑(過去にレコードデビューしている)へ提供した曲であったが、中畑本人に「だめだよ、そんな曲売れないから」と言われ仕方なしに本人が歌った(※『金曜日のスマイルたちへ』では諸説ありますという但し書きが付いていた)ところ、大ヒットとなった。
  5. ^ 歌謡ポップスチャンネル「水道橋博士の80年代伝説」(2012年10月15日放送)での、本人の発言
  6. ^ 第56回年忘れにっぽんの歌」(テレビ東京2023年12月31日放送)の本人歌唱時の徳光和夫による曲紹介より