阿部正直 (伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

阿部 正直(あべ まさなお、1891年明治24年〉1月9日 - 1966年昭和41年〉1月1日)は、日本理学博士気象研究所長。伯爵

父は備後福山藩10代藩主・阿部正桓。弟は農林大臣日本中央競馬会理事長などを歴任した酒井忠正。姉の貞子は小笠原長幹の妻[1]

略歴[編集]

東京生まれ。東京帝国大学理学部卒業後、雲の研究に携わり、1927年御殿場市に阿部雲気流研究所を設立、主に富士山の雲に関する研究を行った。1945年には「山雲及山の気流に関する研究」により、帝国学士院より伯爵鹿島萩麿記念賞を受賞。戦後、中央気象台を経て気象研究所長に就任した。その後は財団法人誠之舎の理事長を務め、また文京区に阿部幼稚園を設立して園長も務めた。

妻の直子は子爵阿部正功の娘で、学習院女学部中退[2]

逸話[編集]

正直は映画を好んでおり、1898年に父親の阿部正桓に連れられて輸入映画を観に行って以来、映画の魅力に魅せられ、映画の技術を自らの雲の研究にも生かした。また、福山地域出身者の学生寮である誠之舎にも関わり、戦中の学徒出陣の際には、内務官僚の丸山鶴吉らと共に壮行会を行った。

栄典[編集]

評伝[編集]

親族[編集]

なお、伊津子の高祖父は水戸藩主徳川斉昭である。また、徳川斉昭の妻は吉子女王霊元天皇の曾孫)であるため、現在の阿部家当主は霊元天皇の8世孫となる。

脚注[編集]

  1. ^ 時事新報社第三回調査全国五拾万円以上資産家 時事新報 1916.3.29-1916.10.6(大正5)、神戸大学新聞記事文庫
  2. ^ 阿部正直『華族家庭録. 昭和11年12月調』
  3. ^ 『官報』第1292号「叙任及辞令」1916年11月21日。

外部リンク[編集]

日本の爵位
先代
阿部正桓
伯爵
福山阿部家第2代
1914年 - 1947年
次代
(華族制度廃止)