阿部房豊

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阿部 房豊(あべ ふさとよ、寛永16年(1639年) - 宝永3年(1706年))は、江戸時代の武士。

陸奥国湯長谷藩(福島県いわき市)の家臣、阿部五次右衛門家の2代当主。

経歴

権大納言芝山宣豊の三男。祖父・右京亮阿部致康の養子。母は家女房佐山氏の娘。妻は左将監磯村元親の娘。兄弟に、権中納言芝山定豊芝山宣助尾張藩士)、長徳院瑞屯侍医旗本)。実子に阿部房幹、芝山宣定(芝山宣助の養子)、越前守設楽貞政大坂町奉行)の妻。

仮名は、五郎次郎、五次右衛門。別名、芝山房豊

貞享4年(1687年)、大坂定番遠山政亮(初代・湯長谷藩主)に仕え、給人格(扶持米取)に列す。