開成中学校・高等学校

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開成中学校・高等学校
過去の名称 共立学校
尋常中学共立学校
東京府開成尋常中学校
東京府開成中学校
私立東京開成中学校
東京開成中学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人開成学園(東京都)
設立年月日 1871年(明治4年)
創立者 佐野鼎
共学・別学 男子校
中高一貫教育 併設型(外部混合有)
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 13596J
所在地 116-0013
外部リンク 開成中学校・高等学校公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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開成中学校・高等学校(かいせいちゅうがっこう・こうとうがっこう、英語名:Kaisei Junior & Senior High School)は、東京都荒川区西日暮里四丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校高等学校

高等学校では、高等学校第1学年に限り、中学校から入学した内部進学生(旧高生)と、高等学校から入学した外部進学生(新高生)を別クラスにするが、高等学校第2学年からは、旧高生と新高生を混合したクラス編成とする併設混合型中高一貫校[1]東京大学合格者数が日本一で知られる。

概要

1学年の生徒数は中学300名、高校400名となっている。 「開成」を冠する学校は他にも多数存在するが、本稿で取り上げる開成学園の学校と歴史上関係がある学校は逗子開成中学校・高等学校に限られる(下記参照)。 校風は質実剛健。運動会・水泳学校・ボートレースマラソン大会などの硬派な行事が開成の特徴を表している。

初代校長は元総理大臣・大蔵大臣の高橋是清

東京大学合格者数が35年連続で首位(1982年 - 2016年)である(#進学実績も参照)。

沿革

1871年加賀藩の洋学・砲術・海洋学の講師から小石川造兵司頭になった[2]佐野鼎らによって神田相生橋(現・神田淡路町)に共立学校(きょうりゅうがっこう)として創立された。この時代の卒業生に高田早苗らがいる[3]。佐野の死後には廃校同様となったが、1878年大学予備門の教師をしていた高橋是清が校長、鈴木智雄らが講師に就任し、大学予備門への進学者のための寄宿制の受験予備校として改革[3]、英学科と和漢学科の二科の三年制(予科1年、本科3年)と定めた[4][5]。是清が校長に就任した翌年の1879年には、共立学校からの大学予備門入学者が定員466名のところ、実に112名に達した。以降も、東京英語学校(現・日本学園中・高)や成立学舎などとともに、一高への合格者数上位校として知られていた[6][7]

1886年および1891年の中学校令公布により、1府県1中学以上と定められたことで、東京に受験生が集まらなくなった私立各校は軒並み経営が傾いた。そのためもあって1891年の尋常中学校令により尋常中学共立学校と改組・改称。さらに、当時官公立校に対してだけ認められていた在学生に対する徴兵猶予や校地に対する免税、卒業生の判任官任用などの特権を得る便法としての有利な条件も働き、数多ある私学のうち、まず共立中学(現・都立戸山高校)が、次いで共立学校(開成)が東京府の管轄下に入り、1895年にはそれぞれ東京府城北尋常中学校、東京府開成尋常中学校と改称した。このとき、校名が「共立学校」から「開成」となったのは、東京府当局が「共立」と「府立」は相容れないとして難色を示したためだとされている[8][6]。さらに中学校令改正により1899年に東京府開成中学校と改称。「開成」という名称は、・繋辞伝(けいじでん)にある「夫易開物成務」という言葉が由来である。

まもなく各種特権が私学にも与えられるようになったこともあって、1901年に府の管轄から私立へ復して私立東京開成中学校となり、1919年に東京開成中学校と改称。1903年には開成夜学校を併設。1945年には戦局悪化のため、無試験入学となる。翌1946年には入学試験が再開されるが、筆記試験が復活するのは1953年のことであった。戦後、学制改革により、1947年新制中学校(開成中学校)が発足し、1948年には新制高等学校(開成高等学校)が併設され、旧制5年制中学から新制6年制中高一貫の開成中学校・高等学校へ移行し現在に至る。

また、現在の道灌山の校地に移転したのは、関東大震災により淡路町校舎が消失した1924年のこと[9]1920年に初めて行われた東京高師附属中学校(現・筑波大附属中・高)とのボートレースは現在も行われている。

2021年(平成33年)の創立150周年の記念事業として、高校新校舎建築を計画している。

交通アクセス

校風・特徴

学校の方針に基づき、行事や部活動の運営・管理は生徒に任せられる。特に運動会や文化祭においては教員が行うことはほとんどない。

高3の運動会を終えて本格的な受験勉強を始めるという生徒が大半で、学校側もそれに合ったカリキュラムを組んでいる。

運動会では中1から高2までをすべて高3が指導するので、入学当初から常に上下関係を重んじる体質となっている[10]

進学実績

2014年度の大学合格者数(浪人含む)は、東京大学が158名(うち157名が進学)、慶應義塾大学が191名(うち50名が進学)、早稲田大学が225名(うち33名が進学)である[11]

関東圏以外の大学では、京都大学に合格者3名(うち2名が医学部医学科)している。

年間行事

  • 4月 - ボートレース
  • 5月 - 運動会
  • 6月 - 学年旅行(中1~高2)
  • 7月 - 水泳学校
  • 9月 - 文化祭(開成祭)
  • 11月 - マラソン大会
  • 12月 - スキー学校
  • 2月 - 中学・高校入試

ボートレース

1920年以来、毎年4月にボート部の部員により戸田漕艇場にて開成と筑波大学附属高校ボートレースが行われている。現在の種目は舵手付きクォドルプル(両手漕ぎ四人乗り)である。平成に入って以降7勝20敗と大きく負け越しているが、2010年から2012年に3連勝している。2015年現在の通算成績は43勝44敗である[12]。高3が下級生を指導し、開成の伝統や上下関係を身につけさせる。

運動会

例年5月の第2日曜日に行われる、開成最大のイベント。生徒運営の「運動会準備委員会」、「運動会審判団」、「運動会審議会」の下、高3が中心となって例年丸一年をかけて創り上げられる。中高合同で行われ、高校はクラスごと(1組から紫、白、青、緑、橙、黄、赤、黒と色が割り振られる)、中学は各クラス5・6人ずつ縦割りで前述の8組に分ける(中学は7クラスのため)。各組の運営は高3に委ねられ、下級生の指導も高3が行う。2015年度 (144th) の優勝は白組である。

学年旅行(修学旅行)

中3と高2では、修学旅行と呼ばれる。行き先や日程などは、生徒が主体となって決める。生徒自身が旅行会社との交渉を行うこともある。中1は富士山方面、中3は京都奈良に行くのが慣例となっている。

水泳学校

毎年7月、千葉県館山市の施設で中1が全員参加する。現在は2泊3日で行われている。

文化祭

毎年9月に開催され、「開成祭」とも呼ばれる。生徒運営による「文化祭準備委員会」の下、文化系の各部や同好会・サークル、有志などが参加し、日頃の研究成果の発表やパフォーマンスなどが行われる。一部の運動部はグラウンドや体育館を利用して招待試合を行う。また、運営本部による古本市も開催され、教職員などが本を寄付する。入場制限はない。

多くの生徒は高2の文化祭から12月にかけて部・サークル活動を引退する。そのため文化祭は代替わりの象徴的行事としての性格もある。高3は文化祭への参加は任意であるが、参加しないのが慣例となっている。

マラソン大会

荒川河川敷を利用して行われる。1903年に始まり、初めは中山道を経由して巣鴨~大宮間で行われていた。その後、江戸川河川敷など何回かのコース変更を経て、現行のコースとなった。距離は中1が5km、中2・3が6km、高校生は8kmである。

スキー学校

毎年12月、長野県菅平高原にて4泊5日で行われる。1960年に始まり、かつては長野県の乗鞍高原で行われていたこともある。希望者のみ、スノーボードを受講することも可能である。

部活動・個人活動

学内には50の公式部、および19を超える同好会がある。運動部は運動会で利用される土の第2グラウンドや小体育館、小講堂、大体育館、テニスコートなどで活動する。硬式野球部では、2005年夏の全国高等学校野球選手権大会東東京大会のベスト16に入った[13]

文化部では全国大会で優秀な成績を収める例がある。俳句部は俳句甲子園として知られる「全国高校俳句選手権大会」で17回大会のうち8回の優勝を誇るほか、弁論部は全国中学・高校ディベート選手権に20回中12回出場し、20回大会では中学の部で全国優勝という好成績を収めている[14]。他にも、国際数学オリンピック国際化学オリンピックなど、高校生(中学生)を対象とした理数系の国際競技大会に、同校の生徒が日本代表として派遣され、好成績を収める例がある。近年では、日本テレビ系の「全国高等学校クイズ選手権」で第30回(2010年)・第31回(2011年)・第32回(2012年)と3連覇を達成している。また囲碁部は全国高校囲碁選手権大会団体男子の部において、第35回(2011年)・第36回(2012年)・第37回(2013年)とこちらも3連覇を達成している。

学校関係者と組織

関連団体

高校関係者一覧

関連学校

開成から分離独立した学校

東日本国際大学附属昌平中学・高等学校という学校が2000年福島県いわき市に新設されたが、開成学園と人的・資本的な繋がりはなく、無関係。

開成の関係者が設立した学校

関連文献・映像

  • 『東京開成中学校校史資料』(東京開成中学校、1936年)
  • 『開成学園九十年史』(開成学園、1961年) - 開成学園九十年史編纂委員会編集
  • 『開成110』(開成学園、1981年) - 開成学園校史委員会編集
  • 『子供たちの復讐 / 上:開成高校生殺人事件 下:祖母殺し高校生殺人事件』(朝日新聞社、1979年) - 本多勝一
    1977年に発生した、同校生徒がその父親に殺害された事件を題材の一つにした著作。被害者となった生徒による家庭内暴力の継続が事件発生の原因とされ、マスメディアで大きく報じられた。
  • 『開成学園 男の子を伸ばす教育』(小学館、2009年11月初版発行) - 芳野俊彦(発行当時開成中学・高等学校長)著
  • 3年B組金八先生
    ドラマ内で高校受験の季節になると登場する「開栄高校」のモデルとされている。

脚注

  1. ^ 芳野俊彦著『開成学園 男の子を伸ばす教育』(小学館)の「第一章 新しい出会い」のうち「旧高生と新高生」(pp.21-23) によると、「高校の1年次だけは、5・6組は新高生、ほかは旧高生というクラス分けをし、旧高生と新高生を別の組にしています。(中略)2年次からは新旧シャッフルして、隔てなく8組にクラス分けをします。」と記載されている。
  2. ^ 東京開成中学校校史資料(東京開成中学校, 1936)
  3. ^ a b 『半生の体験 : 世に処する道』高橋是清述 (今日の問題社, 1936)
  4. ^ 『東京諸学校学則一覧』小田勝太郎 編 (英蘭堂, 1883)
  5. ^ 『東京遊學案内. 明治23年』 (山縣順, 1890)
  6. ^ a b 『明治前期中学校形成史 府県別編 I 』(神辺靖光、梓出版社、2006年7月)
  7. ^ 『日本学園百年史』など。
  8. ^ 『東京府公立中学校教育史』(桑原三二、1981年) P28 -
  9. ^ 淡路町校舎の跡地には成立商業学校が設立された。
  10. ^ 「ドクター福井の開成流勉強術」(ワニブックス、福井一成著)
  11. ^ 進学状況 開成高等学校ウェブサイト
  12. ^ 開成レース 筑波大学附属高等学校筑波大学附属高等学校HP、2014年9月16日閲覧。
  13. ^ 野球再発見:第3部・原点/3「限られた時間」 東京・開成 毎日新聞 2008年2月22日
  14. ^ 弁論部報告 開成高等学校ウェブサイト

関連項目

外部リンク