長谷川信
長谷川 信 はせがわ しん | |
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生年月日 | 1918年12月4日 |
出生地 | 新潟県長岡市 |
没年月日 | 1990年10月28日(71歳没) |
死没地 | 東京都港区虎ノ門 |
出身校 | 第一早稲田高等学院(中退) |
前職 | 新潟県議会議員 |
所属政党 | 自由民主党 |
親族 | 長男・長谷川道郎 |
選挙区 | 新潟県選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1977年 - 1990年10月28日 |
長谷川 信(はせがわ しん、1918年12月4日 - 1990年10月28日)は、日本の政治家。位階は従三位。勲位は勲一等。
参議院議員(3期)。自由民主党内では最大派閥の田中派→竹下派に属した。
来歴
新潟県長岡市生まれ。新潟県立長岡中学校卒業後、第一早稲田高等学院入学。父の死去に伴い中退し、17歳で、長谷川酒造株式会社社長に就任[1]。
1942年5月、南西方面艦隊海軍民政府に志願され、インドネシアのセレベス島マカッサルに勤務。1944年12月、帰国[1]。
終戦後、青年団活動を経て、上組村議、宮内町議、長岡市議を2期、新潟県議会議員を4期を務めた後[1]、1977年5月の亘四郎死去に伴う第10回参議院議員通常選挙新潟県選挙区補欠選挙に自民党公認で出馬し初当選。1979年、第2次大平内閣郵政政務次官。1990年2月、第2次海部内閣の法務大臣として初入閣したが、同年9月、病気のため任期途中で辞任。
1990年10月28日、参議院議員在職中に、急性心不全のため東京都港区の虎の門病院において死去[1]。
エピソード
大下英治の著書によると、1987年の自民党総裁選挙で竹下登が田中角栄邸に挨拶するかしないかで悩んでいたところ、竹下の後見人である金丸信が「田中の信頼厚い長谷川なら、同郷のよしみで田中邸にフリーパスで行ける」と発言し、竹下が田中の代理人である長谷川を介して田中に出馬の挨拶をしたという。
家族
脚注
議会 | ||
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先代 堀内俊夫 |
参議院文教委員長 1983年 - 1984年 |
次代 真鍋賢二 |
公職 | ||
先代 後藤正夫 |
法務大臣 第51代:1990年 |
次代 梶山静六 |
党職 | ||
先代 佐藤隆 |
自由民主党新潟県連会長 1986年 - 1988年 |
次代 渡辺秀央 |