長島鷲太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。ささら (会話 | 投稿記録) による 2015年12月29日 (火) 04:36個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

長島鷲太郎

長島 鷲太郎(ながしま わしたろう、慶応4年4月8日[1]1868年4月30日) - 昭和9年(1934年7月27日[2])は、衆議院議員立憲政友会)、弁護士法学博士[3]

経歴

安房国安房郡勝山(現在の鋸南町)に安房勝山藩士長島永豊の長男として生まれ、1872年(明治5年)に一家は東京に移住した[4][5]1890年(明治23年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、司法省参事官試補となるが、1893年(明治26年)に辞して弁護士を開業し、後には東京弁護士会会長に就任した[6]。また日本法律学校明治法律学校和仏法律学校東京法学院専修学校で講師を務め、日本法律学校では幹事となった[7]

1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は3回を数えた。その間、法律取調委員を務めた[1]

その他、大日本セルロイド・日本曹達工業・明治製菓などの会社の取締役を務めた[4]

脚注

  1. ^ a b 『帝国法曹大観』p.33
  2. ^ 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』、衆議院事務局、1940年
  3. ^ 『官報』第1724号、大正7年5月4日
  4. ^ a b 『人事興信録』
  5. ^ 『百家高評伝 第一編』p.73-77
  6. ^ 『東京弁護士会史』、東京弁護士会事務所、1935年
  7. ^ 『衆議院要覧』

参考文献

  • 久保田潜竜『百家高評伝 第一編』文寿堂書林、1893年。 
  • 『衆議院要覧 大正元年十一月』衆議院事務局、1912年。 
  • 『帝国法曹大観』帝国法曹大観編纂会、1915年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。