鎌大師

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鎌大師堂

仏堂
所在地 愛媛県松山市下難波甲1063
位置 北緯33度59分21.16秒 東経132度47分5.88秒 / 北緯33.9892111度 東経132.7849667度 / 33.9892111; 132.7849667座標: 北緯33度59分21.16秒 東経132度47分5.88秒 / 北緯33.9892111度 東経132.7849667度 / 33.9892111; 132.7849667
山号 鴻乃山
本尊 弘法大師
創建年 伝・平安時代
開基 伝・空海(弘法大師)
別称 鎌大師堂
札所等 四国八十八箇所番外
花へんろ第1番札所
文化財 市史跡
テンプレートを表示

鎌大師堂(かまだいしどう)は愛媛県松山市に所在する仏堂である。山号は鴻乃山。本尊は弘法大師四国八十八箇所番外札所、花へんろ第一番札所。

概要[編集]

伝承によれば、平安時代空海四国巡錫中に、泣きながら鎌で草を刈っている少年を発見した。わけを聞くと、疫病で少年の姉は死に弟も瀕死の状態で、このままでは皆死に絶えてしまうと答えた。そこで空海は少年の鎌で木片に自分の像を刻み、像に祈るよう伝えて去った。言われるままに像を祀り祈ったところ、たちどころに弟や村人の病が癒えた。その後、堂を建て村人によって祀られ、鎌大師と呼ばれるようになったと言われる。

江戸時代、遍路の祖と言われる真念が著した『四國邊路道指南』に「かうの坂、ふもとに大師堂」と記されており、江戸時代には仏堂が存在していたことが窺える。

著名な庵主に『花へんろ一番札所から』『お遍路でめぐりあった人びと』『人生は路上にあり』等を著した手束妙絹(てづか みょうけん)尼がいたが、高齢を理由に平成15年(2003年)に引退し、平成23年(2011年)1月入寂した。

文化財[編集]

松山市文化財(史跡)

境内は、昭和48年(1973年)4月9日に、芭蕉塚・十八人塚・大師松と併せて松山市文化財(史跡)に指定された。

  • 芭蕉塚
松尾芭蕉100回忌の寛政5年(1793年)に建立された石碑で、俳句は刻まれていない。愛媛県内でも最も古い芭蕉塚の一つである。
  • 十八人塚
境内南西にある古墳建武2年(1335年)立烏帽子城主で北条氏方の赤橋重時(北条駿河太郎重時)は、後醍醐天皇方の土居通増得能通綱連合軍の攻撃を受けた。敗走した赤橋主従18人は自刃し、この塚に葬られたと伝えられている。
  • 大師松
境内に高さ約25mクロマツの巨木があった。遍路の目印にもなっていたという。昭和26年(1951年)11月27日に愛媛県天然記念物に指定されていたが、松くい虫の被害により平成6年(1994年)に枯死した。

参考文献[編集]

  • 宮崎建樹/著 『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編 へんろみち保存協力会/刊 2010年(第9版)
  • 同 解説編 2007年(第7版)