鉢呂吉雄
鉢呂 吉雄 はちろ よしお | |
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生年月日 | 1948年1月25日(76歳) |
出生地 | 北海道樺戸郡新十津川町 |
出身校 | 北海道大学農学部 |
前職 |
今金町農業協同組合職員 衆議院議員 |
所属政党 |
(無所属→) (日本社会党→) (社会民主党→) (旧民主党→) (民主党(横路グループ)→) 民進党 |
公式サイト | 公式サイト |
第15代 経済産業大臣 | |
内閣 | 野田内閣 |
在任期間 | 2011年9月2日 - 2011年9月11日 |
選挙区 |
(旧北海道3区→) (北海道8区→) 北海道4区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 |
1990年2月19日- 2003年3月 2003年11月10日 - 2012年11月16日 |
鉢呂 吉雄(はちろ よしお、1948年1月25日 - )は、日本の政治家。民主党所属の元衆議院議員(7期)。
経歴
北海道樺戸郡新十津川町出身。北海道滝川高等学校を経て1971年北海道大学農学部を卒業し、今金町農業協同組合に勤務。
1990年2月第39回衆議院議員総選挙に無所属で立候補(旧北海道3区)し初当選。日本社会党入り。1993年第40回衆議院議員総選挙で2選。
1996年1月大蔵政務次官に就任。同年、社会民主党を離党し旧民主党の結党に参加。同年の第41回衆議院議員総選挙では北海道8区において小選挙区で勝利し3選。2000年の第42回衆議院議員総選挙において小選挙区で勝利し4選。
2000年秋、民主党代表の鳩山由紀夫が2年以内に憲法改正の方向性を打ち出す意向を表明すると、護憲派の議員を集めて二十一世紀の民主党を考える会を発足させる。
2003年3月、北海道知事選挙立候補のため議員辞職。知事選では経済産業省課長を務めた高橋はるみ、自身と同じ90年社会党新人代議士伊東秀子らと争うが、高橋が当選し鉢呂は次点に終わる。同年11月の第43回衆議院議員総選挙では、民主党選対委員長赤松広隆からの要請で北海道4区に国替えし、小樽市選出道議会議員の池田隆一や1999年赤井川村長選・次点小林恒人の全面的な支援で自民党現職の佐藤静雄らを破り5選。
2004年1月民主党北海道代表就任。また、民主党幹事長代理、国会対策委員長を歴任する。2005年の第44回衆議院議員総選挙で自民党元職の佐藤静雄らを破り6選。
2006年1月民主党北海道代表留任。北海道警裏金事件では、自身と同じ90年社会党新人代議士で同じ99年9月・02年9月民主党代表選挙横路推薦人で元旭川弁護士会会長の佐々木秀典と共に、道警幹部に対する告発状を札幌地方検察庁に提出、検察審査会にも審査申し立て。
2007年道知事選では荒井聰を擁立したが高橋に敗北。同年9月民主党「次の内閣」ネクスト外務大臣に就任。
2008年1月民主党北海道代表留任。新党大地鈴木宗男とのパイプを期待され異例の3期目となる。2010年5月13日、鉢呂が民主党有志議員らでつくる「北方領土問題解決推進議員連盟」を結成すると、鈴木を顧問に迎えた。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙で7選。ネクスト外務大臣だったが、2009年9月に発足した鳩山由紀夫内閣の外務大臣では岡田克也が就任し、入閣はできなかった。
2010年5月、衆議院厚生労働委員長に就任。2010年6月民主党代表選挙では岡田克也、前原誠司、枝野幸男などと共に菅直人推薦人を務め自身が身を置いている旧社会党・横路グループを菅支持にまとめるなど、菅当選に尽力した。
2010年9月17日、民主党国会対策委員長に就任。2011年1月14日、菅第2次改造内閣における党役員人事で党副代表に就任。2011年3月25日、土肥隆一の後任として、衆議院政治倫理審査会会長に就任。
2011年9月2日、野田内閣発足に伴い経済産業大臣に就任。初入閣したものの、9月10日に東日本大震災に関連する自らの発言(詳細は下記の不祥事参照)の責任を取り、経済産業大臣を辞職する意思を固め、内閣総理大臣・野田佳彦に辞表を提出し、直ちに受理された[1]。9月11日付で辞任は了承され、臨時代理には内閣官房長官・藤村修が充てられることとなった[2]。翌12日、後任として枝野幸男が任命された。
2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では、自民党の中村裕之に2万票以上の差で敗れ、比例復活もならず落選した。
2013年8月、政界を引退せず北海道4区から国政復帰を目指していると報じられた[3]。2014年12月の第47回衆議院議員総選挙では、北海道4区から出馬するも再び中村に敗れ、比例復活もならず落選。間もなく次期衆院選不出馬を表明した。2015年、民主党は次期衆院選の北海道4区公認候補に前埼玉県第12区支部長の元職本多平直を内定。本多が北海道4区支部長となった。
2015年7月、参議院選挙区定数を「10増10減」する公職選挙法改正案が可決成立し、北海道選挙区の定数が4人(改選数2人)から6人(改選数3人)となった。自民党は北海道選挙区に現職の長谷川岳に加えてもう1人の公認候補を擁立し、2議席獲得するする方針を表明したことから、民主党もこれに対抗し現職の徳永エリに加えてもう1人の公認候補を擁立する方針を決定した。鉢呂は既に次期衆院選不出馬を表明しており、このまま政界引退と見られていたものの、2016年1月、民主党代表岡田克也は鉢呂に同年7月の第24回参議院議員通常選挙北海道選挙区への立候補を打診した。鉢呂は態度を保留したが、同年4月、岡田は民進党公認候補として出馬するよう要請した[4]。鉢呂は前向きな姿勢を示し、支援体制等について民進党北海道連と協議した上で立候補を表明する[5]。民進党の支持組織連合北海道と北海道農民連盟は既に徳永の推薦を決めているため、鉢呂は古巣の社民党と選挙協力し、同党の推薦を受ける。
政策
不祥事
- 国対委員長会議における発言
産経新聞は、2010年11月30日、正副国対委員長会議で「野党の質問があまりにも低俗だ。答弁者は質疑者の低劣さに合わせなければ答えようがない」と発言した、と報道した[7]。
- 北教祖からの献金日付を虚偽記載
産経新聞は、2010年3月、鉢呂が代表を務める「民主党北海道第4区総支部」において、北海道教職員組合OB5人を含む計17人(延べ39人)から、過去3年間に総額1200万円超の個人献金を受けたとして、政治資金収支報告書に記載している日付が虚偽だった、と報道した[8]。
- 年金の未納
2004年5月13日の民主党のメールマガジンによると、年金未納問題の際に国民年金が4年11か月間未納であった[9]。
経産大臣辞任に至る経緯
「死の街」・「放射能を分けてやるよ」発言
- 2011年9月9日、前日の8日に野田佳彦首相らと視察に訪れた福島県の東京電力福島第一原子力発電所の周辺市町村について、「市街地は人っ子一人いない、まさに死の街という形だった」と発言し批判を受け同日午後、発言を撤回し陳謝した。また8日夜に、非公式の取材の場で着ていた防災服の袖を毎日新聞社の記者に擦りつけ「放射能を分けてやるよ」という趣旨の発言をしたと毎日新聞社などに報じられた[10]が、9日夜には報道陣に対して「そういう事は言っていないと思う」と述べ、発言内容について釈明した[11]。NHK報道によれば、「放射性物質がうつった」などという趣旨の発言について鉢呂は、周辺に対し「厳しい福島原発の現状と作業員の懸命な努力の様子を、記者団と共有したいという思いだった」と釈明している[12]。ジャーナリストの上杉隆は、鉢呂の「放射能という言葉自体、あまり使ったことがありませんし、放射性物質などということはありましたが」との発言を報じ、「鉢呂氏は"放射能"も"つけちゃうぞ"も発言しておらず、記者が向けた声に相槌を打っただけ」と結論づけている[13]
発言に対する意見
- ただし、これらの一連の発言については問題視しない声もあり、「死の街」発言を当然の形容であるとして容認する意見も存在する[14]。また、「放射能つけちゃうぞ」発言についても、各紙の表現にばらつきがあったことや、実際にその音声が報道されておらず、前述の上杉隆のように、マスメディアが意図的に情報操作(捏造)を行ったと指摘する者もある。鉢呂は辞任後にこの事実を知り、カウンターメディアの情報を取得できなかったことと、それにより辞任に至ったことを後悔している[15]。
人物
農協・旧社会党の出身で「農業の鉢呂」として地元北海道での選挙などで影響力が大きい。
国対畑の経験が長く、与野党に人脈を持つ。
2007年9月に民主党のテロ特措法延長問題の責任者として「次の内閣」の人事で外務担当となり、衆院テロ防止特別委員会の筆頭理事に就任した。「外務防衛について何も知らない」(民主党中堅)との指摘に見られるように、安保の専門家ではなかったが、旧社会党議員として与党に対して断固反対の姿勢を貫けるとの小沢一郎の目論見が決め手となった。
党内では脱小沢派であり、2010年9月民主党代表選挙では小沢と対立する菅直人側の推薦人になった。
所属していた団体・議員連盟
- 朝鮮半島問題研究会(顧問)
- 新政局懇談会
- 日韓議員連盟
- 日朝友好議員連盟
- 日朝国交正常化推進議員連盟
- 日本民主教育政治連盟
- 人権政策推進議員連盟
- 在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟
脚注
- ^ 「放射能」発言で鉢呂経産相辞任 ロイター 2011年9月10日閲覧
- ^ “就任9日、鉢呂経産相辞任…官房長官が臨時代理”. 読売新聞. (2011年9月10日) 2011年9月10日閲覧。
- ^ 朝日新聞 2013年8月25日
- ^ “鉢呂氏にきょう出馬要請 岡田・民進代表 参院選道選挙区”. 北海道新聞. (2016年4月3日) 2016年4月3日閲覧。
- ^ >“鉢呂氏、民進から出馬へ 参院道選挙区 岡田代表が出馬要請”. 北海道新聞. (2016年4月3日) 2016年4月4日閲覧。
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査
- ^ 喉元過ぎれば熱さ忘れる? 政府・与党、責任転嫁体質に逆戻り 産経新聞、11月30日、閲覧:12月14日[リンク切れ]
- ^ 民主・鉢呂氏側、3年分の献金日を虚偽記載 規制法抵触か、2010年3月25日、閲覧12月14日[リンク切れ]
- ^ 党所属国会議員の国民年金保険料の納付状況について 民主党メールマガジン 2004年5月13日 2014年4月26日閲覧
- ^ 鉢呂経産相:「放射能つけた」発言 辞任やむなしの声も 毎日新聞、2011年9月10日、閲覧:2011年9月10日
- ^ 鉢呂経産相:9日夜の主な説明内容 毎日新聞、2011年9月10日、閲覧:2011年9月10日
- ^ 経産相“放射性物質うつった”発言、2011年9月9日、閲覧:2011年9月16日
- ^ “ダイヤモンドオンライン 鉢呂前経産相の「放射能つけちゃうぞ」発言は虚報だった!”. (2011年10月13日)
- ^ “鉢呂経産相が福島原発周辺を「死の街」と言ったのは正しい”. (2011年9月9日)
- ^ 上杉隆氏 鉢呂前経産相の「死の町・放射能」発言の裏側明かす(小学館 NEWSポストセブン)
関連項目
- 日本教職員組合(日教組)